俳句エッセイ Feed

2019年12月 5日 (木)

俳人の文法力

   

昭和・平成の俳句界を代表する俳人の2~3人の著書を見ると、高浜虚子の俳句「神にませばまこと美はし那智の滝」について、「那智の滝は神様なのでじつに美しい」などと解釈していますが、それは文法的な裏付けの無い感覚的解釈でしょう。

  

「神にませば」が何故「神様なので」と解釈されるのか納得できず、2年程前に、「高浜虚子の俳句 <「去年今年」と「神にませば」>の面白い解釈」というブログ記事を書きました。

最近、この解釈を裏付ける「補陀落・普陀落(ふだらく)」という言葉に出会い、筆者の解釈が間違いでなかったという確信を得ました。

   

広辞苑によると、「ふだらく」は「(梵語Potalakaの音写。光明山・海島山・小花樹山と訳す)観世音菩薩が住む山。南海上にあるという。日本では和歌山県那智山などに擬する。」と解説されています。

   

著名な俳人の中には、詩的解釈を文法的解釈よりも優先し、自分の解釈に合わなければ、自分の文法力の無さを棚に上げ、「目糞鼻糞を笑う」ような批判をしている俳人がいますが、高浜虚子の俳句を嘲る俳句の先生はその一例です。

(蛇足ですが、「俳句の先生」でインターネット検索をすると、「プレバト」で人気絶頂の夏井いつき先生に関連する記事ばかりですが、夏井先生のことを指しているのではありません。)

  

俳句は世界最短の定型詩ですから、日本語の豊かな言葉を生かすべく文法を疎かにせず俳句を作り、俳句の鑑賞を楽しみたいと思っています。

(青色文字をクリックすると関連の記事がご覧になれます。写真はSNSに拒否反応をしない俳句会員を募集するポスターです。クリックして「まんぽ俳句会」の趣旨をご覧下さい。)

      

191202

2019年12月 4日 (水)

「蝉しぐれ」と「山眠る」

(政治家の引き際)

       

・暮れてなお命の限り蝉しぐれ (中曽根康弘

ロン・ヤスの山荘抱き山眠る (薫風士

時雨るるや句友と談義翁の忌 (薫風士

    

元首相の中曽根康弘氏が11月29日に101歳で天寿を全うされました。

ご冥福をお祈りいたします。

   

蝉しぐれ」といえば、芭蕉の俳句高浜虚子の俳句などを思い出します。

蝉の俳句を鑑賞しよう」をご覧下さい。   

        

安倍総理の「桜を見る会」の実態が問題になっています。

吉田茂や中曽根康弘の「桜を見る会」と

安倍晋三首相の「桜を見る会」を比較してみて下さい。

  

国を背負う官僚や政治家は、「信なくば立たず」、「政治と行政の透明性」を確保することによって内外の市民の信頼を得なければ、日本のみならず世界の「平和」が維持されないことを肝に銘じて、庶民の期待に応えてほしいものです。

長期政権は独裁に陥り周囲を腐敗させますが、既にその傾向が生じています。

「忖度」と「和」を重んじる日本社会では首相の引き際が肝心です。 

安倍総理やその取り巻きには、中曽根元総理の引き際を見習ってほしいものです。 

安倍さん、ドナルドに「アメリカ・ファースト」や「白人優先」の政策で世界の危機感を煽ることを止めるようにアドバイスして下さい。

日本の国民に危険感を煽り、高い兵器を売りつけ、在日米軍駐留経費などの負担額引き上げを日本に要求するトランプ大統領の政治手法に庶民は憤りを抑えかねていますよ!

    

Img_6307Img_6300

Img_6301

Img_6302

(写真はNHK NEWS WEBやTV4ch.の映像の一部です。)

 

2019年11月15日 (金)

大垣市芭蕉記念館訪問の「まんぽ俳句」

  

芭蕉の俳句300句の英訳にチャレンジしているので、参考資料を求めて大垣市の芭蕉館「奥の細道むすびの地記念館」を918日に訪ねました。

水門川沿いにある、芭蕉が奥の細道で詠んだ俳句の句碑や銘板などを読みながら、記念館まで「四季の路」の漫歩をエンジョイしました。川面が一瞬光るのが目に入ったので、よく見るとでしょうが潜りながら泳いでいました。

途次23か所にあるトイレは、「貴船橋手洗場」など風流な名前が付けられてきれいに手入れされており、壁に芭蕉の俳句の銘板が貼ってあるのが印象的でした。

芭蕉記念館の概要は下記のURLをクリックしてご覧になれます。

http://www.ogakikanko.jp/spot/kinenkan/

 

下記の俳句は「まんぽ俳句」の一例で、芭蕉記念館訪問の一端を紹介する拙句です。

青色文字の季語をクリックすると歳時記(俳誌のサロン)や「575筆まか勢」の俳句をご覧になれます。

  

金風を芭蕉の句碑の「四季の路」

爽やかなトイレの壁に芭蕉の句

・閉店の駅前デパート秋の風

秋風や芭蕉俳句の町興し

風白し八幡宮のさざれ石

・絶えざるや「被爆地の跡菊の花

の潜る水門川や街映ゆる

秋水に映ゆ新庁舎工事中

爽やかな自噴の水やをちこちに

さはやかや掃除ガイドのボランティア

・売店の地酒新酒か芭蕉館

の旅しめの地酒を飲み干せり

   

 ところで、芭蕉が市振で詠んだ俳句「一家に遊女も寝たり萩と月」の句碑に興味があり、その解説を詠むと、ルビが「ひとついへ」となっていました。しかし、芭蕉記念館の黛まどか名誉館長はビデオ解説で「ひとつや」と読んでいました。句碑の解説を訂正すべきではないでしょうか? 

ちなみに、芭蕉は何故この俳句に「萩と月」を取り合わせにしたのか、不思議に思っていましたが、「萩と月」と言えば、当時の絵画などでは「兎」をセットにすると定番になるところを、「遊女」と取り合わせにして、しかも、「遊女」の後の助詞を「と」にすると「当り前」になるので、「も」にして「思わせ振り」にすることでこの句の面白さ・俳諧味を狙ったものだろうと思い当たりました。 (薫風士)

   

Img_5561

2019年11月 6日 (水)

 

「小春」と「凩」 (吟行俳句と写真)

   

・狸像居並び迎ふ駅小春

・イベントの天狗ホームに秋うらら

・幼子はのトロッコ愛しみ泣く

・新婚の狐の仮面の藪

こがらしや嵯峨野竹林人の波

小春日の和服の花や嵐山

・異国語も行き交ふ小春渡月橋

  

掲句は幼孫とトロッコ列車に乗り、京都観光名所の「嵐山」や「嵯峨野竹林の道」などを俳句に詠んだ拙句です。

昨日は秋晴れの行楽日和なので、電車好きの孫を連れて出かけました。

文化の日」の振替休日(三連休の最後の日)だったのでトロッコ列車の立見席も満席となり、ともかく行列に並び順番待ちをしていると、幸いなことにタイミングよくキャンセルの空席が出たので片道だけ乗ることが出来ましたが、幼子はもっと乗りたいと駄々をこねて泣き叫ぶので、「また来て乗ろうね」と説得・納得させるのに一苦労でした。

                           

ところで、今年の「立冬」は118日ですが、大阪管区気象台によると近畿地方は昨日「こがらし1号」が昨年より18日早く吹いたとのことです。

」は「10月半ばの晩秋から11月末の初冬の間に、初めて吹く毎秒8メートル以上の北よりの風」のことです。 

  

保津峡の川の辺りには、台風や豪雨の地滑りで倒れた木々が無残な姿を晒している個所もあり、異常な気象変動が常態化しているのを再認識しました。

アメリカの市民がトランプ大統領の横暴(地球温暖化の世界の努力を無視してパリ条約から離脱することなど)を阻止してくれて、気象変動による悲惨な災害の発生防止され、保津峡のみならず、世界の観光名所の景観が維持されることを願っていましたが、離脱は決定されました。

少女の涙の訴えにも大国のリーダーとして耳を傾ける謙虚さをトランプ大統領やその支持者に期待することも「老いの繰り言」とあざけられ、一蹴されるのは悲しいことです。

   

なお、「Sagano Romantic Train 嵯峨野トロッコ列車」を見ると保津峡の春や秋の美しい風景や「保津川下り」の情景を見ることが出来ます。

  

Img_5956

Img_5967

Img_6004

Img_6006

Img_6023

Img_6027

Img_6034_2

2019年10月27日 (日)

蜘蛛の俳句と写真  <即位礼に思うこと>

     

・和を祈る即位の礼や蜘蛛の糸  (薫風士)     

蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな  (高浜虚子      

蜘蛛の囲や親子三匹餌食待つ  (薫風士

・虚空より蜘蛛も大地を見つめをり (薫風士)

    

今日(10月22日)は「即位礼正殿の儀」が行われました

令和の時代も平成の時代と同様に日本国民の象徴として両陛下が国際親善を推進される平和憲法の大原則が永久に堅持されることを祈っています。

  

「即位礼の句に蜘蛛の俳句とはけしからん」とおしかりを受けそうですが、昨日深田公園など散歩していて親子らしい蜘蛛が3匹いる蜘蛛の巣が目についたので写真を撮りながら高浜虚子の俳句がふと浮かんだのがこの記事のきっかけです。

蜘蛛の糸は肉眼で見えたのに写真には殆ど写っていないのが不思議でしたが、今朝撮った蜘蛛の囲は太陽光線の向きによっては写真に写っていました。

この記事の原稿を書いている間に、「即位礼正殿の儀」関連のテレビ放映がどんどん進展したので冒頭の拙句を掲載する羽目になりました。

蜘蛛は夏の季語ですが、思いつくままに掲句を作り、天皇陛下のお言葉や、芥川龍之介の短編小説「蜘蛛の糸」の寓話や高浜虚子の掲句に思いをはせ、世界平和を祈りつつこのブログを書く次第になりました。

蜘蛛は、人間界のことに関心があるのか無いのか、相変わらずあちこちに蛛の囲を張っていましたが、ウイキペディアの解説によると、蜘蛛の巣を張らない蜘蛛も居るそうで、高浜虚子の掲句が必ずしも当て嵌らないことを知り、大自然の摂理を再認識しました。

ちなみに、「蜘蛛も」と助詞「も」を用いたのは、「虚空蔵菩薩の化身である明星のみならず蜘蛛も人間の営みを見ているよ」と言いたいからですが、「それは独りよがりで分からないよ」と批判されるでしょうね。    

      

Img_5790

Img_5783

Img_5782

Img_5795

Img_5800

2019年10月14日 (月)

  

俳句の三要素(素材・季語・切れ)を考えよう

  

先日、テレビ番組「プレバト」で、ミッツ・マングローブさんの俳句について夏井いつきさんが絶賛したことが納得できず、『俳句の三要素』についてふと考えました。

  

俳句は原則として5-7-5の17音で表現することは誰でも知っている常識ですが、次の三つが重要なことは俳句を作る人の常識でしょう。

(1)何を『素材』に詠むか?

(2)その素材に合う『季語』は何か?

(3)素材と季語を生かす『切れ』は何か?

  

夏井先生が「直し無し・1ランク昇格」の査定をしたミッツさんの俳句は次のとおり5-7-7で口調は良いですが、俳句としては破調です

   

・秋声に褪する石灰最終種目

 

この俳句が破調であることは度外視しても、「直し無し」の昇格査定はミスジャッジであると思いす。

  

この俳句の三要素は次の三つに分析できます。

(1)素材は「石灰」と「最終種目」

(2)季語は「秋声

(3)切れは「に」と「石灰」の二か所

   

季語と素材の取合せをみると、「秋声」は「褪する石灰」とはマッチしますが、運動会の「最終種目」は特に大きな声援を伴いますので、物寂しい気持ちを表す「秋声」とはミスマッチです。

また、切れが二つあると、三段切れとなり、句意にまとまりが無くなりがちで、一般に「切れ」は一つが良いとされます。

この俳句は、「秋声に褪する石灰」と続けて読めば、「切れ」を一つに出来ますが、石灰は秋声に褪せるのではない(強いて言えば、運動会の声援に褪せる)ので理屈に合いません。

従って、夏井先生の査定は誤りであり、フルーツポンチ村上さんが腑に落ちない顔をしたのも当然でしょう。

   

夏井先生の歯切れの良い査定も間違っていることがあるのですから、先生のコメントは参考として、皆さんが自分自身の感性でも上記の三要素をよく考えて俳句を楽しみながら上手くなることを願っています。

ミッツさんの俳句の問題点の詳細や添削に興味があれば、プレバト俳句の「運動会・秋声」について一言」をご覧下さい。

     

2019年10月12日 (土)

  

プレバト俳句の「運動会・秋声」について一言

   

プレバト」は、夏井先生のコメントに司会者とタレントが賑やかに反応し、エンターテイメント性があり、テレビの俳句番組として人気絶頂の感があります。

この番組は、俳句のブログを書いている者として、見落とすべきではないと思い、先日も見ていたところ、ミッツ・マングローブさんの次の俳句に対する夏井先生の歯切れの良い査定・裁きが腑に落ちなかったので、一言コメントさせて頂きます。

   

・秋声に褪する石灰最終種目

  

この句の「最終種目」(運動会)と「秋声」の取合せに対する夏井いつき先生の査定(「直し無し」の大絶賛・1ランク昇格)は腑に落ちません。

原句では運動会最後のリレーが終了したとは解釈できませんし、現にミッツさんも夏井先生も最後のリレーを詠んだ俳句であると明言しています。

ご承知の通り運動会のリレーでは応援の声が一層大きくなるのが普通です。

「季語『秋声』には『運動会の声援』など賑やかな声も含む」と、新しい解釈をするなら、「直し無しの大絶賛・1ランク昇格」も当然でしょう。

しかし、夏井先生も一般の歳時記などの解説のように、「『秋声』は『秋の物侘しい気持ちの季語』である」と解説しているのですから、この俳句の「秋声」と「最終種目」の取り合わせは明らかにミスマッチです。

夏井先生は、この俳句の何か心地よい魅力的な響きや「褪する石灰」とか「最終種目」という表現に惑わされて、早とちりしたのではないでしょうか? 

この俳句に対するフルポン村上さんの反応は夏井先生の査定より正しいでしょう。

「この俳句の作者は大きな声援さえも秋声と感じていたのだ」と解釈するなら、「秋声に」を「秋声や」に替えて、次のように添削すべきでしょう。

・秋声や褪する石灰最終種目  (添削句)

さもなくば、破調ですが「秋声」を「秋晴」に替えて次のようにしてはどうでしょうか?

・秋晴に石灰褪する最終種目  (添削句)

このような添削句の良し悪しはともかくとして、夏井先生の査定はミスジャッジであり、特待生レベルの俳句としても手直しは不可欠でしょう。

  

夏井先生のコメントのように、最後の運動会が終わったという感慨・物侘しさを詠んだ俳句に手直しするとすれば、たとえば、次のように修正すれば季語の取り合わせの違和感もなくなり、俳句の良し悪し・好き嫌いはともかくとして、読者は作者の気持ちに共感できるるのではないでしょうか?

    

・秋の声リレー終りし石灰に

・リレー果て褪せし石灰秋の声

・全種目果たし石灰秋の声

   

     

ちなみに、村上健志(フルーツポンチ)さんの次の俳句に対する夏井先生の査定には納得できます。

リレーバトン空のケースにいぼむしり

フルポンさんは夏井先生の査定(一つ後退)を厳しすぎると思っているようですが、名人のレベルとしては甘受すべきでしょう。

夏井先生の次の添削句も納得でるでしょうね?

リレー練習バトンケースにいぼむしり

   

    

フルポンさんやミッツさん、プレバトファンなどから意見・感想を聞きたいものです。

興味があれば、

ここをクリックして「もう一度楽しむ プレバト俳句」

をご覧の上、コメントを頂ければ幸いです。

   

なお、「秋声」は「秋の声」とも言い、文字通り「秋」の季語ですが、

この季語から受ける印象は人それぞれでしょう。

ここをクリックして「俳句HAIKU」の「秋の声」などをご覧下さい

  

2019年9月27日 (金)

秋声や芭蕉館への句碑の路

  

芭蕉の俳句300句の英訳にチャレンジしているので、参考資料を求めて大垣市の芭蕉館「奥の細道むすびの地記念館」を9月18日に訪ねました。

水門川沿いにある、芭蕉が奥の細道で詠んだ俳句の句碑や銘板などを読みながら、記念館まで「四季の路」の漫歩をエンジョイしました。川面が一瞬光るのが目に入ったので、よく見るとでしょうが潜りながら泳いでいました。

途次2~3か所にあるトイレは、「貴船橋手洗場」など風流な名前が付けられてきれいに手入れされており、壁に芭蕉の俳句の銘板が貼ってあるのが印象的でした。

芭蕉記念館は充実していたのでかなり参考になりましたが、概要は下記のURLをクリックしてご覧になれます。俳句に興味が有れば勿論のこと、無くても一見の価値があります。

http://www.ogakikanko.jp/spot/kinenkan/

 

大垣・芭蕉館の一端を紹介する薫風士の俳句と写真をご笑覧下さい。青色文字の季語をクリックすると歳時記(俳誌のサロン)や「575筆まか勢」の俳句をご覧になれます。写真はクリックすると拡大します。

  

金風を芭蕉の句碑の「四季の路」

爽やかなトイレの壁に芭蕉の句

・閉店の駅前デパート秋の風

秋風や芭蕉俳句の町興し

風白し八幡宮のさざれ石

・絶えざるや「被爆地の跡菊の花

の潜る水門川や街映ゆる

秋水に映ゆ新庁舎工事中

爽やかな自噴の水やをちこちに

さはやかや掃除ガイドのボランティア

・売店の地酒新酒か芭蕉館

の旅しめの地酒を飲み干せり

   

 ところで、芭蕉が市振で詠んだ俳句「一家に遊女も寝たり萩と月」の句碑に興味があり、その解説を詠むと、ルビが「ひとついへ」となっていましたが、「ひとつや」に訂正すべきではないでしょうか? 芭蕉記念館の黛まどか名誉館長はビデオ解説で「ひとつや」と読んでいましたよ。

  

ちなみに、芭蕉は何故この俳句に「萩と月」を取り合わせにしたのか、不思議に思っていましたが、「萩と月」と言えば、当時の絵画などでは「兎」をセットにすると定番になるところを、「遊女」と取り合わせにして、しかも、「遊女」の後の助詞を「と」にすると「当り前」になるので、「も」にして「思わせ振り」にすることでこの句の面白さ・俳諧味を狙ったものだろうと思い当たりました。

     

Img_5569

Img_5513

Img_5521

Img_5528

Img_5532

Img_5537

Img_5545

Img_5543

Img_5544

Img_5577

Img_5554

Img_5551

Img_5557

Img_5558

Img_5561

Img_5563

Img_5576

2019年9月26日 (木)

句に遊びドライブ旅行秋高し

  

立秋から約1月たちますが、爽やか秋晴というよりも猛暑の中をドライブし、山口県の角島元乃隅稲荷神社龍宮の潮吹別府弁天池秋吉台秋芳洞岩国城錦帯橋笠戸島夕日岬柳井白壁の町並み須佐ホルンフェルスなど、写真スポットを訪ね、吟行をエンジョイしました。

   

タイトル句の季語「秋高し」は、この吟行(9月5~7日)の季語には必ずしもピッタリしませんが、季語紹介のために敢えて使いました。俳句歳時記の解説は次のとおりです。

「秋になると大気が澄み、空が高く感じられる。その趣を秋高しという。ことに十月下旬からがこの季節といえよう。」

  

俳句に詠んだ風景の写真は最後に掲載します。先ずは薫風士の単純明快な観光スポット紹介の吟行句をご笑覧下さい。    

青色文字の季語をクリックすると歳時記俳誌のサロン)や「575筆まか勢」の俳句をご覧になれます。

 

・角島へ渡る大橋秋暑し

秋暑し」より、夏の季語「風涼し」を使う方が実態に合い良い俳句になります。敢えて秋の季語を使いましたが、「今は秋だから夏の季語を使うな」という考えではありません。そいう考えは本末転倒でしょう。「季語は実態に合わせて使えばよい」と思っています。)  

   

秋夕焼け千畳敷の大風車

(「夕焼」は夏の季語とされていますので、「秋夕焼け」としています。「風車」は春の季語ですが、もともとは玩具の風車を指していましたので、発電用の大風車は年中使用されるものであり、従来の季語の概念が当てはまりません。)

  

金風や鳥居に残る朱の香り

鳥居の香抜けて爽やか怒涛の香

・腹這ひて覗く怒涛や秋の潮

・龍宮の潮吹き未だ秋の潮

湯元なる露天湯独り秋の声

秋の風峡の湯宿の清流に

・峡の川色なき風や町旧び

秋水の弁天池のエメラルド  

秋の雲走る大影秋吉台  

・闇深し秋水響く秋芳洞  

スマホ手に錦帯橋を秋日傘 

秋水の浅瀬煌めく錦帯橋

岩国城望む秋水錦帯橋

甘露てふソフトクリーム醤油味 

秋暑き白壁街をアイス手に

爽やかトイレも前の築山も 

秋潮ホルンフェルスの怒涛かな

秋潮ホルンフェルスの洞にゴミ

秋の潮怒涛覗けば足竦む

・足竦む大断崖や天高し

      

余談ですが、景勝地にプラスチックごみが溜まっているのは悲しいことです。ペットボトルなどのポイ捨て防止を促進しましょう。

   

最後に、何十年ぶりかに口にしたフグ料理の拙句を掲載します。

ぬぐひほっと一息ふぐ料理

ひれ酒に初秋の旅を惜しみけり

  

ちなみに、「」は夏の季語、「鰭酒」は冬の季語ですが、実態に即して俳句を作れば良いと思っています。あまり季語の使用を制限すると、表現の幅が狭まり、俳句が面白くなくなるでしょう。

    

(写真はクリックすると拡大します。プレバトではありませんが、俳句は好き好きです。写真を見て好きなように俳句を作ってお楽しみ下さい。)

       

Img_5175

Cimg6546

Img_5206

Img_5207

Img_5238

Img_5253

Img_5258

Img_5278

Img_5300

Img_5327

Img_5343

Img_5349

Img_5358

Img_5364

Img_5400

Img_5396

Img_5419

Img_5415

Img_5442_2

Img_5453

Img_5466a

Img_5482

Img_5459

Img_5387

2019年8月31日 (土)

俳句雑感(6)季語と切れ字 <「猛暑日」と「立秋」>

   

Click here to see Bashōs haiku in English.

  

Img_4696_2

 

・梅雨明けは猛暑日なりし七月尽

    

tenki.jpによると、731日に東北北部も梅雨明けとなり、日本列島は猛暑日となりました。

  

掲句は、強いて俳句と言うなら、話題提供の「報道俳句」です。

この俳句は「梅雨明け」「猛暑日」「七月尽」と季語が3つあり、一般的な俳句ではありません。「猛暑日」は2007年以降に用いられるようになった言葉なので私の歳時記には有りませんが、季語として扱うべきでしょう。

  

・猛暑日や熱中症孤独死

  

この俳句は世相を表す川柳にする方が相応しい内容です。伝統俳句の「梅雨明け」の例句はここをクリックしてご覧下さい。

   

立秋や名のみの秋の猛暑かな

 

この俳句は二つ「切れ字」(詠嘆の「や」と「かな」)があり、季語も三つありますので、一般的には「ダメ俳句」として批判されるでしょう。しかし、「はや立秋になったんだ」という感慨と、「それにしても猛暑だな」という二つの感慨を共に表す俳句として是認してくれる俳句の先生が居てもよさそうですが、いないのでしょうか?  

  

今年の立秋88日ですが、天気予報によると未だ「猛暑日」や「真夏日」が続いています。

このように、実際の季節感と歳時記の季語にずれがあるのは、陰暦(旧暦)に基づいていた二十四節気が太陽暦(新暦)に当てはめられた結果ですが、地球温暖化による異常気象の影響も無視できないでしょう。

   

余談ですが、中国やインド、米国、ロシアなどの人口巨大国が率先して温暖化対策を促進しなければ、将来の地球環境はどうなっていくのか心配なことです。

世界の指導者として、米国トランプ大統領には大いに反省して頂きたいですね。トランプ大統領は「積み木崩しゲーム」の崩すことばかりやっているような気がします。 

トランプ大統領とその取り巻きは、世界の緊張が高まり、米国の軍需産業が繁栄すれば良いと、「アメリカ・ファースト」を唱道しているのでしょうか?

  

国際条約を簡単に反故にする風潮が蔓延ると、平和な世界の秩序が維持できなくなります。次の選挙では、米国市民が世界のリーダーとして相応しい大統領を選ぶ良識を発揮してくれることを祈るばかりです。

  

日本の政治家もしっかりしてほしいものですが、

トランプに振り回される世界かな」と、

庶民は、憤懣やるかたなくても、川柳を口ずさみ、ぼやいているしかありません。

   

最後の写真は日本伝統俳句協会8月の俳句カレンダーの一部です。

写真をクリックして拡大し、掲載された俳句をご覧下さい。

短冊句の「玻璃」は「ガラス」の意味です。稲畑廣太郎氏のこの句は秋めいた景色が丸ビルの窓ガラス越しに見えたことを詠んだのでしょうが、ガラス窓に映っている初秋の情景を詠んだものかもしれません。

  

Img_4698

2019年8月30日 (金)

俳句の助詞 : 「の」と「を」

   

昼寝から目覚めて法師蝉の声を聞きながら、

「575筆まか勢」の「蜩の俳句」を読んでいて、

「かなかなの声のはるかにはぐれ鹿 (鷹羽狩行)」

が目にとまりました。

作者は、蜩の声を聞きながら、遠くに見えた一匹の鹿をこの俳句に詠んだのだと思います。

この俳句の「声の」を「声を」に変えて、

「かなかなの声をはるかにはぐれ鹿」

にすると、作者は鹿の傍で蜩の遠音を聞いていることになるでしょう。あるいは、そのょうな心象風景を詠んだ俳句とも解釈できます。

「俳句では『の』を使うと詩的になって良い」と言われます。

そのとおりですが、闇雲に「の」を使うのではなく、

自分の居る場所と俳句に詠む対象との位置関係などを考慮して、

「と」「に」「の」「へ」「や」「を」など、

助詞の使い分けをすることが大切でしょう。

ちなみに、「法師蝉」と「」は別の種類の蝉です。

助詞の使い方の一端を述べましたが、ご参考になれば幸いです。  

  

2019年8月20日 (火)

俳句雑感(7) 金子兜太の「炎天」の俳句について

     

炎天下」の甲子園における高校野球全国大会NHK・TVで観戦しながら、「炎天」の俳句を作ろうとして、ふと金子兜太の次の有名な俳句のことを思い浮かべました。

  

水脈の果炎天の墓碑を置きて去る

  

この俳句は5・8・5の破調です。

一般的に、俳句の「中七」の字余りは良しとされません。

しかし、この俳句を、例えば、「水脈の果炎天の墓碑置きて去り」とか、「炎天の墓碑置き去りし水脈の果」、「戦友の墓碑炎天の水脈の果」などと、5・7・5の定型に収めると破調のインパクトが無くなり、作者の痛恨の思いを表現しきれない気がします。

 

このように、俳句の内容によっては破調にする方が効果がありますが、安易に破調にすると散文の断片に過ぎない片言になります。破調にするにはそれなりの必然性がなければなりません。一般的な作句では定型を守るのが無難で良いと思います。

 

ちなみに、金子兜太の長崎の被爆を詠んだ有名な現代俳句湾曲し火傷し爆心地のマラソン」は、歳時記「炎天」の一茶の俳句にある言葉を借りて言えば、日本語の俳句の概念からは「とっぱづれ」しています。

この俳句は、破調の最たるものであるばかりでなく、現在盛んになっているマラソンの印象が強く、被爆者が黒焦げになって即死したり、悶え死んだり、逃げ惑ったりした悲惨な状況を想起させる名句として納得するにはやや抵抗を感じます。この俳句は、「軽み」を特徴とする俳句の分際で被爆や被災など悲惨な状況・重い題材そのものを詠むには無理があること・俳句の限界の証になるでしょう。

  

貴方の印象は如何でしょうか?

 

ところで、8月19日は「俳句の日」です。俳句愛好家が増えることを願っています。

     

2019年8月16日 (金)

815祈り繋がむ終戦日

  

Img_4941

   

Img_4887

タイトルの俳句は薫風士の川柳もどきの「標語俳句」です。

「815」は広島に原爆が投下された815終戦日815を意味します。

  

今年の終戦日は猛暑大型の台風10号・豪雨に見舞われそうです。被害が少ないことを祈るばかりです

  

天災は甘受せざるを得ませんが、英知を集めて災害を最小限に食い止める努力が必要です。災害が発生した際には自衛隊の救助活動によって多くの人命が救われています。

自民党の草案にある憲法改正(天皇を元首とする国家主義により自衛隊を軍隊にして戦争に駆り出す羽目になる改悪)は阻止しなければなりません

  

終戦記念日を迎え、平和のありがたさを再認識しています。

まやかしの政治を繰り返させないように、次の選挙では一歩踏み込んでよく考えて投票するようにしましょう。  

    

2019年8月14日 (水)

869祈り繋ぐか原爆忌

   

Click here to see Bashōs haiku in English.

Img_4885

    

タイトルの俳句は広島平和記念式典をテレビで見ながら薫風士が広島忌と長崎忌を口ずさんだタイトル俳句です。

   

「869」は、広島の被爆194586日午前815分)と長崎の被爆89日午前112分)を意味します。

  

   

      

・忘れまじ815の炎天

   

・815祈り繋がむ終戦日

  

上の2句は薫風士の川柳もどきの「標語俳句」です。

「815」は広島に原爆が投下された815終戦日815を意味します。今年の終戦日は猛暑大型台風に見舞われそうですが、被害が少ないことを祈るばかりです

  

・その悲惨俳句に詠めぬ原爆忌

    

俳句は片言ですから、戦争や原爆の悲惨さは到底詠むことはできませんが、考えるきっかけにはなります戦争の悲惨さを体験した世代の生存者は年々減少し、いずれ戦争を知らぬ世代ばかりになります。

     

語り継ぐ五才の記憶原爆忌 (末廣紀惠子

 

原爆の阿修羅忘れず敗戦忌 (泉田秋硯

  

原爆忌語り部たちの老い姿 (桂敦子

     

戦争犠牲者のご冥福・核兵器廃絶世界平和の祈りは永遠に続けなければならない思います

核兵器の廃絶は現実には出来ないにしても世界の人々がこの祈りを続け、いずれの分野においても、世界の指導者が「寛容の精神」をもって世界の融和・核軍縮の努力をすれば、戦争の勃発や核兵器の使用を未然に防ぐことは可能でしょう。

米国はじめ世界の現状はこのような庶民の願いを十分に反映せず、逆行しているのは悲しいことです。

しかし、一人ひとりの小さな力でも、世界の人々があきらめずにコツコツと結集すれば、大国をも動かすことは出来るでしょう。

この思いを皆さんがシェアしてくれることを祈っています。

     

原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ (金子兜太

   

上記の俳句4句は歳時記(俳誌のSalon)から抜粋・掲載させて頂きました。) 

   

Img_4904

2019年7月31日 (水)

俳句雑感(5) 季語とは何か? <「西瓜」と「西瓜割」>

 

Img_4676_2


俳句は川柳ほど人気がないのが現状です。

俳句を作らない人々の大抵は「季語が難しい」と思っているようです。次のことがその原因でしょう。

  

歳時記を金科玉条にして、「『西瓜割』は夏の季語だが、『西瓜』は秋の季語である。」などと素人には訳の分からないことをいう著名な俳句の先生がいるからではないでしょうか?

  

当初の季語は旧暦(陰暦)の四季に基づいて分類されていました。その季語が新暦(太陽暦)の四季(立秋は新暦8月7日頃)に当てはめられたことが混乱を生じて、更に季語を難しくしているのでしょう。このことは、季語の本来の価値を損なっていると思います。

   

「『夏の季語』で俳句を作りなさい。」と言われ、普通の人は「西瓜」は夏に食べるのが美味しいと思って、「西瓜」の俳句を作ると、「『秋の季語』だからダメです。」などと言われて面喰い、不信感を抱いたり、俳句嫌いになったりするのではないでしょうか?

  

「俳句は自分が自然を見たまま、感じたままに素直に5・7・5にすれば良い。」ということが大原則でしょう。

  

俳句を作っているうちに、自然に「季語」の「取り合わせの妙」が分かってくるものです。俳句の食わず嫌いの方には、自分の感性を信じて、歳時記の分類に捉われることなく、自然を見たまま、感じたままに、気軽に俳句を作り、俳句の面白さ・楽しさを知ってほしいと思っています。

   

冒頭の写真はカラー図説日本大歳時記(夏)の「西瓜割」の解説ページの一部です。「西瓜」は、日本大歳時記(秋)に掲載されていますが、解説の最後に、「西瓜は普通秋の部に分類されるが、現実には夏のものである。」との記述があります。

合本現代俳句歳時記角(川春樹編)でも、西瓜は「秋の季語」として掲載されています。

きごさい歳時記」(5,000季語の検索)では、「『西瓜割』は晩夏、『西瓜』は初秋』」に分類されています。

このことから解るように、歳時記は編集者によって季語の取り上げ方が異なります。いずれの歳時記にせよ、絶対視せず、実際の自然の観察を優先して俳句を作るのが本来の俳句の作り方でしょう。

  

上記の考えに異論のある俳句の先生がおられたら、後学のためにご意見を頂けると幸いです。

なお、「[俳句を詠む、季節の言葉を知る] おすすめの歳時記ランキング10選」というサイトがありました。ここをクリックしてご覧下さい。

 

2019年6月 7日 (金)

芭蕉300句:言葉の壁を破る英訳チャレンジ (1)

         

 (Click here to see "the English version by L. P. Lovee".)

Img_4037

Img_4036

先日、「575 The haiku of Basho」の著者John Whiteが共著者の佐藤平顕明氏と来日され、芭蕉の俳句の英訳について議論する機会を得ました。

ホワイト氏は俳句の原則5-7-5音を尊重して英訳を5-7-5 音節(syllable)のhaikuとし、芭蕉が字余りで詠んだ俳句はそれに従って音節を増やすという徹底ぶりで、300句を英訳しています。その労作には驚嘆しました。

ホワイト氏は日本語を理解できないので、佐藤氏の解説を基にして英訳されたそうで、両氏のご努力には敬意を惜しみません。しかし、俳句の本質は5-7-5音の簡潔な詩的表現をすることにあり、日本語と英語の構文や発音などの違いを無視して形式的に音節に拘ることには賛成しかねます。動詞や前置詞・副詞などを使用して音節を増やすと散文的になり、俳句の特徴である「詩的短さ」が損なわれると主張しましたが、ホワイト氏は英語の詩として十分簡潔なhaikuに翻訳していると反論され、議論は平行線に終わりました。

ホワイト氏には94歳のご高齢にもかかわらず翌日の帰国を控えたお忙しい時間を割いて頂いたので議論の矛を収めましたが、言葉の壁を破り俳句の翻訳をすることの難しさの一例として、ご参考までに下記のとおり紹介させて頂きます。

 

・ほろほろと山吹ちるか瀧の音 (芭蕉

 

yellow rose petals

gently, gently flutter down;

waterfall thunder

 

ホワイト氏は、芭蕉が山吹を見て詠んだものとしてこの翻訳をしたとのことで、「滝音の響きと山吹が静かに散る対比が面白い」と感想を述べていました。

この解釈は、疑問を表す助詞「か」を見落としていますが、日本の著名な俳人も文法に気をとめず直感的に句意を解釈する傾向があるので是認すべきかもしれません。この俳句は滝の音を聞きながら、「滝の轟音の響きで山吹が散るのではないか?」と滝音の大きさを詠嘆して詠んだものでしょう。 

そこで、次のとおり試訳してみました。

  

shall yellow rose petals

flutter down?

the thunder of water fall

   

ホワイト氏の翻訳は9語17音節ですが、上記試訳は11語16音節です。語数が増えても「滝の音」を強調するために敢えて「the thunder of waterfall」としました。

英詩のHAIKUとしては試訳よりホワイト氏の翻訳の方が詩的映像が鮮明になり優れていると思いますが、原句の句意を無視することはできません。試訳は1~2行の改行を活かし、間をおいて読むと俳句らしくなります。

芭蕉は「滝と山吹」の従来の取り合わせの焦点を音に当てることにより新鮮味を出し、映像は読者の想像に委ねたものと思います。

ホワイト氏はロンドンの名門大学UCLの教授だったとのことですが、まだまだお元気です。「来年も生きていたら来日し、俳句と仏教について講演するつもりだ」と仰ってました。

芭蕉の俳句を気の向くままに英訳して言葉の壁を破るチャレンジをし、来年もホワイト氏と議論できることを願っています。

 

今後の英訳は折に触れてfacebookにも掲載します。俳句の翻訳に関心のある読者の皆さんからコメントを頂き、「俳句とhaiku」鑑賞の楽しさをシェアして頂けると望外の喜びです。

   

2019年5月21日 (火)

俳句の文法(助詞):「や」と「か」

     

・ほろほろと山吹ちるか瀧の音 (芭蕉

 

この俳句の解説をインターネットで検索すると、目についた限り全て「山吹が散っている情景を見て詠んだ俳句」として解説しています。

芭蕉は、山吹が散るのを見て詠んだのであれば、「ほろほろと山吹ちるや滝の音」と「や」を用いたのではないでしょうか? この場合の「や」は「切れ字」ではなく「強調・詠嘆」の「や」です。

しかし、「山吹ちるか」と「か」(疑問を表す助詞)を用いています。従って、滝の轟く音を聞いて、「山吹も滝の響きで散ることだろう」と瀧音の強さを詠嘆した俳句であると解釈すべきではないでしょうか? この句は、従来の俳諧が「滝・清流に山吹」など、絵画や和歌の題材として視覚的に親しまれていたものを音に焦点を当て新しい感覚で俳句に詠んだものでしょう。芭蕉の俳句といえば、「古池や蛙飛びこむ水の音」が有名ですが、従来の俳諧では「清流の蛙(かじか)の鳴き声と山吹の取り合わせ」などが重んじられたのに対して、「古池と蛙の水音の取り合わせ」を詠んだ蕉風俳諧に通じるものがあると思います。

歳時記によると、「山吹」は春の季語、「滝」は夏の季語です。一般に、季語が二つあるのは良くないとされていますが、俳句の内容次第で効果があれば良いと思っています。

  

なお、寺田虎彦が「俳諧の本質的概論」で俳句における「てにをは」の重要性を強調してることを最近知りました。我田引水ですが、助詞「や」の有無で高浜虚子の俳句「初空や大悪人虚子の頭上に」の句意も異なるとして新解釈を試みました。興味があれば、俳句談義(3)をご覧下さい。

 

 

2019年4月30日 (火)

新元号祝ひ「花見」の俳句詠む

   

To enjoy HAIKU in English, click the respective titles: Farewell haiku of Ransetsu” , Photo Haiku Collection (Trip to Europe), and "Vol.5 Kyoshi 100 Haiku (81) ~ (100)" in HIA.

     

Img_3089_2

Img_3100 

Img_3255_2Img_3177

   

現代は「花見」と言えば「桜の花見」ですが、万葉集時代の花見の対象は中国渡来の「梅の花」でした。  

桜の写真は隅田川テラスからスカイツリーを望む風景と皇居の堀端の垂れ桜です。

(写真はクリックすると拡大します。青色文字をクリックするとリンク記事をご覧になれます。)    

           

新元号期待違はず花見かな

 

花冷に新元号は令和なり

 

新元号令和を祝ひ花見酒

 

万葉の文化偲びつ花の宴

 

異国語も交じり平和や花筵

 

句に興じ異国の友と花見酒

  

新元号フェイクにするな四月馬鹿

 

改元に詐欺の横行四月馬鹿

   

平和ぼけするな一喝春の雷

 

大川のジョガー行き交ふ花堤

 

花万朶スカイツリーを遠望に

 

花万朶水面に映ゆる皇居かな

  

・平成の残花を惜しみ一人旅

 

碧眼の皿売りも居て花の市

  

・平成の果つる四月や花に雪

 

余花の雨地を固むるや令和成る

   

上記の俳句は、「月並み俳句」のオンパレードだと批判されるかもしれませんが、「凡人は俳句を楽しむことが先決である」と、句作を楽しんでいます。 

          

「桜」・「花」の俳句と写真集(サイト)はここをクリックしてご覧下さい。

 

歳時記(俳誌のサロン)の「花見」の俳句はここをクリックしてご覧下さい    

       

余談ですが、「令和」の「令」は「命令」・「号令」や「律令制」を連想し、「和」は「昭和」と「平和」を連想します。「律令制」は「大化の改新」で実施されました

「令和」の時代に「世界平和に貢献する日本にするか否か」は、我々一人一人の自覚と行動次第です。

和を以て貴しと為す」は聖徳太子の言葉とされていますが、平和憲法下の「民主主義に基く和」を推進したいものです。

平和ぼけして「あなた任せ」や「お上まかせ」の意識でいると、「平成から令和の歴史の流れ」は「大正から昭和の歴史」と同様の悪夢の繰り返しになるでしょう

自民党の憲法改正案には「天皇を元首」にしたり、「自衛隊」を「軍隊」にしてありますが、このような「改正と称する改悪」は無用でしょう。

 

平成天皇の「『象徴天皇』と『平和』への真摯な思い」を無にしてはならない、という忖度思いを新たしています。

 

読売新聞の記事によると、安倍首相は「桜を見る会」で自作の俳句を2句披露しています。

 

平成を 名残惜しむか 八重桜

新しき 御代みよ寿ことほぎて 八重桜

    

上記の俳句は「俳句談義(18):政治家と俳句」で紹介した俳句より随分上達しています。

安倍総理以下与党議員の方々には平成天皇の思い民の思いを誤解することなく忖度して、憲法の改悪はしないようにしてほしいものです。そして、平成天皇から令和天皇が「日本国民の象徴」として国際親善・平和外交を継承される環境を堅持してほしいと切望しています

  

  

   

2019年4月26日 (金)

俳句雑感(4): 高浜虚子と坪内稔典(俳句は詠み人・読み人次第)

       

高浜虚子が終戦に際して詠んだ俳句について坪内稔典氏は誤解しているのではないか?「蝉や蓑虫は虚子と同一視されて迷惑かもしれない。人間のおこした戦争などには関知せず、自分らは勝手に鳴いてるんだ、と文句を言うだろう。」と稔典氏は述べているが、高浜虚子は稔典氏が批判している俳句秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみぞ」「人間と蝉」を同一視していないし、まして「虚子と蝉」を同一視なんぞしていない。自分の俳句で言葉遊びをするのは自由だが、他人の俳句を誤解して遊ぶのは困りものである。

俳句は片言とは言え、俳句の先生がこのような俳句の誤った解釈をして、虚子俳句に対する偏見・誤解を広めているようではさぞかし虚子も天国で嘆いているでしょう。 (丹波新聞「俳句に詠み込む参照。  

虚子俳句の正しい解釈については、「蝉の俳句を鑑賞しようをご覧下さい。

    

(青色の文字をクリックするとリンクした解説記事をご覧になれます。)

2019年3月13日 (水)

二月尽イータックスにチャレンジす

  

Etax_img_2658

掲題は、マイナンバー制度を活用して「e-Taxの確定申告」にチャレンジし、口ずさんだ即興句をタイトルにしたものです。

伝統的な俳句としては、「チャレンジす」を「挑戦す」に変えて、「二月尽イータックスに挑戦す」とする方が良いでしょう。

二月尽」は「2月末」を意味する季語です。

「確定申告」は8音もあるので季語にするには不適切ですが、「納税期」を季語にしている俳句があります。  

5年前の e-Tax 挑戦では疲労困憊して寝込みましたが、今回は「二月尽イータックスに祝杯を!」と口ずさみ、祝杯を上げる気分になりました。この新しい e-Tax申告システムは利用価値があり、お勧めです。

筆者のe-Tax確定申告の奮戦の顛末は下記のとおりですが、ご参考になれば幸いです。

(青色の文字をクリックするとリンクした解説記事などがご覧になれます。)

   

5年程前に、「住基カード」(住民基本台帳カード・電子証明書マーク付き)を使用してe-Taxで確定申告をするのにパスワードや暗証番号の名称などが分かりにくくて混乱し、悪戦苦闘したことをブログ(チュヌの便り)に書きました。

この苦労に懲りて、それ以来は地域の商工会館で開催される確定申告相談会を利用していましたが、相談の順番待ちや事前準備に時間が掛かるのが不満でした。

昨年の相談会で、マイナンバー制度による新しいe-Taxシステム(「利用者識別番号」(「ID」と「パスワード」の届けが必要)が利用できるようになったことを知り、必要な手続きを済ませて期待していたところ、税務署から「平成30年分確定申告のお知らせ」という折込葉書が来ました。

そこで、新しいタブレット式のパソコンを使って「確定申請書等作成コーナー」でe-Taxの申請書の作成にとりかかりました。

「パスワード」や「暗証番号」の煩雑さからは解放されましたが、入力作業を途中で止めると、その後は操作がスムーズにいかず、最初から何度も入力作業を繰り返すことになりました。

「作成済み分を保存して入力作業を再開すれば良い」と思いやってみましたが、「タブレットでは保存済みファイルを開くことが出来ない」と分かりました。

そこで、ノート型のパソコンならファイルの保存・入力作業の再開が出来るだろうと思って、別のパソコンで最初から入力をやり直してみましたが、入力操作の中断・継続をすることが出来ません。

その理由をあれこれ考えましたが、「このパソコンのアカウントやメールアドレスが最初に使用したタブレットと異なるために上手くいかないのだろう」と判断して、またタブレットを使って最初からやり直しました。

「入力作業を中断するとダメだ」と思って、「必要なデータをすべて手元に揃え」、「中断せずに継続的に」入力作業をしました。その結果、やっとe-Taxで申告書を送信することに成功しました。

パソコン画面操作の初歩的なことですが、スクロールバーが表示されている画面では、必要に応じて上下・左右にスクロールして、画面全体をよく確認することが肝心です。

次の画面に進む場合や前の画面に戻る場合は、「次へ」とか「戻る」をクリックして、指示通りに操作することです。

このように、入力作業の仕方を2日がかりでマスターしましたので、来年は半日も掛けずに楽々とe-Taxで申告できることを期待しています。

以上、恥ずかしながら皆さんの何かのご参考になればと思って書きました。