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2022年9月23日 (金)

プレバト「金秋戦2022」の俳句を考える

    

(P.S.2022.10.15)

お題「大谷翔平」を詠んだ梅沢富美男さん春風亭昇吉さん俳句の推敲

をご覧下さい。

  

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(写真)

TV-4ch.プレバト画面の一部分

   
今朝、ベアーマウスさんからのコメントを拝見して、この記事を書くことにしました。皆さんのご参考になれば幸いです。

  

白秋の雲穿ぐ右投げ左打ち

         (春風亭昇吉)

  

昇吉さんは綺麗な季語「白秋」を使い、中々工夫されていますが、この俳句は「字余り」であり、「穿つ」(うがつ)を「穿ぐ」(うぐ)と読むのも抵抗を感じます。

  

夏井先生は「撃つ」とか「裂く」などの代案を例示していますが、次のように添削すると良いと思います。

     

右投げの秋雲穿つ左打

    (薫風士の添削案) 

「穿つ」は「うがつ」と読んで下さい。

「右投げを秋雲穿つ左打」とすると、右投げ投手と左打の打者が対峙していることになりますが、添削した「右投げの」は「大谷翔平の右投げ左打ち」を意味していることが明瞭でしょう。

助詞「の」と「を」の違いで句意が異なり助詞の大切さの一例です

   

「秋雲を穿つ右投げ左打ち」とすると、「大谷翔平」を意味しますが、

「右投げの秋雲穿つ左打」とすると、「大谷翔平のホームラン」を意味することになります。

これは語順の違いにより句意が異なる例句として、語順の重要性を示すのに使えるでしょう。

昇吉さんの原句の「右投げ左打ち」という表現は上記の点が不明瞭です。

3位の査定は仕方がないでしょう。

とは言っても、俳句は好き好きです

藤本敏史さんの次の俳句(1位)や夏井先生の添削句がそれ程よい俳句とは思えません。

  

(敏史さんの原句)

大きく振りかぶって秋爽の只中に

  

(夏井先生の添削句)

大きく振りかぶって秋爽の只中

   

上記の薫風士添削句の「秋雲」は平凡な表現ですが、「5・7・5」のリズムに収め内容を充実して凝縮するための妥協です

  

夏井先生は梅沢富美男さんの俳句を7位に査定し、次のように添削しました。  

(梅沢さんの原句)  

ポケットにゴミ爽涼のユニフォーム 

  

(夏井先生の添削句)

マウンドのゴミ爽涼のポケットへ

    

大谷翔平が塵を拾いポケットに入れることは話題になったので夏井先生の添削も納得できますが、「爽涼」と「ポケット」という季語の取り合せにはやや抵抗を感じます。

梅沢さんの「爽涼のユニフォーム」は上手い表現であり、「ポケットにゴミ」ということとの取合せの面白さもあります。

夏井先生の査定に梅沢さんが剝れたのはもっともだと思います。

次のようにすると平凡ですが、誰にでも分かる俳句になるでしょう。

爽涼や塵ポケットへ二刀流

  

夏井先生は「二刀流」を誰も俳句に使わなかったことを高く評価していましたが、「軽み」や「わかり易さ」のある俳句がもっと評価されるべきだと思います。

薫風士の添削は、「大谷翔平のさりげない行為」に「投打の二刀流」のみならず、大谷選手の「野球人と社会人としての二刀流」に感銘を受けて、大谷選手の行為や人間性に「爽涼」を感じたことを表現したつもりです。

いずれにせよ、「俳句は好き好き」です。

自分の思いを口遊み俳句を楽しみましょう

    

プレバト 夏井先生の添削を添削する (添削記事特集編)」をご覧下さい。

     

以上、ご参考になれば幸いです。 

              

(2022.9.23)

キスマイ横尾さんの「檸檬」の俳句について

   

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(写真)

4ch.TV画面の一部分

  

夏井先生はキスマイ横尾さんの次の俳句について、「文句なしの素晴らしい一句」として、「金秋戦2022」Cブロックの2位に査定をしました。

  

丸善の古書フェア檸檬ケーキの香

  

この俳句は丸善のPRやエンタメ番組の俳句としては成功していますが、「5・5・8」の破調であり、一般的な俳句の例句としてはお勧めできません。

夏井先生は、この俳句から「横井基次郎の作品『檸檬』を否応なく連想する」とか言っていますが、ごく限られた人しかこの小説を知らないのではないでしょうか?

   

次のように「5・7・5」の定型にすると平凡でしょうか?

   

古書フェア檸檬ケーキの香りして

   

一般的な読者は、「古書フェアに檸檬ケーキの香りがしたという意外性を詠んだ俳句」と解釈して納得するのではないでしょうか? 

     

「丸善」と言えば、現在では東京丸の内の丸善本店を連想しますが、学生時代には神戸丸善、サラリーマン時代には大阪丸善、ともかく丸善に行く時間があれば洋書コーナーで新刊のベストセラーや日本文化紹介の英訳ものなどを買うことを楽しみにしていました。

故有馬明人氏が国際俳句交流協会会長当時に提唱された「俳句を通じて世界平和」をモットーにして、高浜虚子の俳句松尾芭蕉の俳句の英訳をして国際俳句協会のホームページに掲載して頂いています。

ご一読頂ければ幸いです。

    

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(写真)

4ch.TV画面の一部分

  

   

季語《東北忌・3.11》に思うこと」をご覧下さい。福島の復興を祈っています

    

9月22日のプレバトを見ると、「プレバト俳句 47都道府県 ふるさと王争奪戦」という新企画の「写真俳句」番組でした。

夏井先生の査定や添削も納得できる興味深い番組で、お勧めですが、「俳句HAIKU」の写真俳句は、写真と俳句をセットして観光案内用ポスターにするプレバトの「写真俳句」とは趣旨が異なり、「吟行地を紹介し、読者が写真を自然に見立てて疑似吟行をするのに参考になること」を意図しています

       

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

トップ欄か、この「俳句HAIKU」をタップすると、最新の全ての記事(タイトル)が表示されます。記事のタイトルをタップ(クリック)して、ご覧下さい。

    

コメント

2024.3.3 投稿

「檸檬」は秋の季語で、「レモン」と読みます。
「国際俳句交流協会」の名称は、「国際俳句協会」に変更されました。
        薫風士

俳句特集《新年・正月・一月》
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/12/post-8611.html

をご覧下さい。 (薫風士)

俳句《冬の蝶》
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2022/12/post-4307.html

をご覧下さい。 (薫風士)

俳句《暮早し・短日・日短・日の短か》
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2022/11/post-4fc3.html

をご覧下さい。 (薫風士)

ベアーマウスさんコメントありがとうございます。

昇吉さんの俳句「白秋の雲穿ぐ右投げ左打ち」は綺麗な季語「白秋」を使い、中々工夫されていますが、「穿つ」(うがつ)を「穿ぐ」(うぐ)と読むのには抵抗を感じます。

「右投げの秋雲穿つ左打」と添削したいところです。
「右投げを秋雲穿つ左打」とすると、右投げ投手と左打の打者が対峙していることになりますが、添削した「右投げの」は「大谷翔平の右投げ左打ち」を意味していることが明瞭でしょう。
助詞「の」と「を」の違いで句意が異なることの例句にさせて頂きます。

「秋雲を穿つ右投げ左打ち」とすると、「大谷翔平」を意味しますが、
「右投げの秋雲穿つ左打」とすると、大谷翔平のホームランを意味することになるでしょう。語順の違いにより句意が異なる例句になります。

「秋雲」は平凡ですが「5・7・5」のリズムに収めるための妥協です。

以上、ご参考になれば幸いです。 
       (薫風士)


三位昇吉さんへの夏井先生は評価ミスです。大谷選手含めてプロ選手幼少期から甲子園を目指しプロ野球界への道は、急に160メートルを打てるようになったり160キロを投げれるようになったりしてません。継続した努力の結果です。だから、昇吉さんの表現が正くかつ夏井先生の表現は打者だけの表現である。以上、2点の添削ミスである

小生のブログをお読みいただき、コメントありがとうございました。

「高校生の現代文の教科書に掲載されやすい作品」とのことですが、
その教科書は全国でどれぐらい普及しているのでしょうか?

「ごく限られた人しかこの小説を知らないのではないでしょうか?」とか「一般的な俳句の例句としてはお勧めできません。」とか言っていますが、作者の俳句を批判している分けでもなく、「丸善のPRやエンタメ番組の俳句としては成功しています」と、番組の効果も評価していますよ。

何方のコメントか知りませんが、小生の記事を最後まで読んでくれましたか?
異論があれば、全文を最後まできちっと読んで、再コメント下さい。

社会問題や政治問題など、人の言っていることを正確に理解せず、自分の先入観で非難したりしているTwitterなどが増加傾向にあるようで懸念しています。
教科書販売状況などコメント頂けると、ありがたいです。

            (薫風士)

「丸善と檸檬で梶井基次郎の『檸檬』を思い浮かべる人はごく少数なのではないか」というご意見を述べておられますが、この『檸檬』という作品は、森鴎外の『舞姫』や夏目漱石の『こゝろ』などと共に、高校生の現代文の教科書に掲載されやすい作品です。また、丸善では梶井基次郎の命日などには毎年檸檬にちなんだフェアやイベントも行われており、こうした取り組みがSNSで取り上げられることも多いことを鑑みると、冒頭の指摘は言い過ぎなのではないかと思われます。
何より、丸善である必要性のある「檸檬」という季語を取り入れた、作者の意図をねじ曲げるような強引な添削に対しては感心しません。別に、『檸檬』を知らない人があなたの言うように解釈したとしても、それで俳句がダメになるのかというとそうではありません。それどころか、俳句が『檸檬』を知る機会になっても良いのです。
長文失礼しました。

コメント投稿ありがとうございます。

俳句の詠み方も読み方も好き好きですが・・・
「句またがりに」読むのは、忙しなく窮屈で、散文の断片のようになり、感心しません。

       (薫風士)

失礼いたします。古書フェアはこしょふぇあの4音で、句またがりで17音に納めた俳句ではないでしょうか?

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