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2015年2月17日 (火)

俳句談義(4): 高浜虚子の句『大寒の埃の如く人死ぬる』とは、「平和」を考える

                  

昭和16年(1941年)1月に掲句を作ったとき、虚子は何を意識していたのだろうか?

「平和を願う祈りが世界の人々に通じ、地球上に愚かな戦争がなくなる日がいつかは来るのではないか」と、一縷の望みを捨てずに、このブログを書いている。

   

昭和12年には支那事変日中戦争 1937年~1945年)が始まっており、既に日中双方に多数の死者が出ていただろう。

インターネットを検索すると、伊予歴史文化探訪「よもだ堂日記」に「秋山真之 元気のない正月」というタイトルで、

明治29年(1896)1月初め、秋山真之が子規のもとを訪問。秋山が訪れたのは3年ぶりで半日閑談したのだが、このときの秋山はあまり元気がなかったと子規は述べている。」という記事があった。

   

その前年、明治28年(1895年)4月17日には日清講和条約下関条約)が締結され、数日後の4月23日に三国干渉が起こっている。

秋山とは司馬遼太郎原作のNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の主人公の一人である秋山真之のことである。

高浜虚子は日露戦争当時の明治38年(1905年)7月1日発行「ホトトギス」に「正岡子規と秋山参謀」という次のような記事を掲載している(抜粋)。 

「子規居士と茶談中、同郷の人物評になると、秋山真之君に及ばぬことは無かった。秋山君は子規君と同年か若くても一歳位の差で、同郷同窓の友(松山では固より、出京後でも共に一ツ橋の大学予備門に学び、後ち秋山君は海軍兵学校の方に転じたのである)として殊に親しかった。

・・・(省略)・・・

その後は別に記憶にとどまるようなことも無く、日清戦争のすんだ時分、子規君の話に、秋山がこないだ来たが、威海衛攻撃の時幾人かの決死隊を組織して防材を乗り踰(こ)えてどうとかする事になって居たが、ある事情のため決行が出来なかった、残念をしたと話して居たと、言われた。

・・・(省略)・・・

その後、亜米利加に留学せられた事、あちらから毛の這入った軽い絹布団を子規君に送られた事(この布団は子規君の臨終まで着用せられたもの)、大分ハイカラにうつっている写真を送って来られた事、留学前に、ある席上で正岡はどうして居るぞな、と聞かれ、この頃は俳句を専門にやって居るのよというと、そうかな、はじめはたしか小説家になるようにいうとったが、そんなに俳句の方ではえらくなっとるのかな、兎に角えらいわい、といわれた事を記憶している。

・・・(以下省略)」

   

           

虚子は掲句を作った前年の昭和15年(1940年)3月には「大寒や見舞に行けば死んでをり」という句を作っている。この句は「死んでをり」という具体的な表現であるから誰か身近な人の死を詠んだものだろう。

しかし、掲句では「人死ぬる」と一般的な表現である。

上記のホトトギスの記事にある「日清戦争のすんだ時分、子規君の話に、秋山がこないだ来たが、・・・(省略)・・・絹布団を子規君に送られた事(この布団は子規君の臨終まで着用せられたもの)」という記載からすると、虚子は秋山と子規のこと、日清戦争(1894年7月~1895年3月)日露戦争(1904年2月~1905年9月)のことに思いを馳せ、現に行われている日中戦争(1937年~1945年)のことを念頭において掲句を作ったに違いない。

   

当時の世界情勢は列強帝国主義政策を推進しており、日本も遅ればせながら列強に負けじと帝国主義の道を突き進んでいた。昭和11年(1936年)には二二六事件が起こっている。

昭和15年には戦時体制としての内閣総理大臣総裁とする大政翼賛会が発足し、津田事件が起こるなど、反戦的な発言は許されない時代になっている。

虚子は現実の生活において通俗的に「人の命」を「」や「埃」と同一視していたとは考えられない。「埃の如く死ぬる」という比喩は、「人の死」を軽んじているのではないだろう。おそらく、「戦争における人の死は宇宙から見ると大寒の埃のようなものである」と憂い、戦争による多数の死を空しいと思っていたのではないか?

しかし、「絹布団」~冬の季語布団」~「綿埃」を連想し、「色即是空」という潜在的意識から、花鳥諷詠の一つとして淡々と句にしたのだろう。

ちなみに、「蒲団」と言えば明治40年に田山花袋自然主義文学の代表作と言われる小説「蒲団」を発表している。

     

       

     

参考までに掲句に関してインターネットで検索したブログ(抜粋)を下記に挙げるが、対照的な解釈をしている。

 

(1)「遼東の豕」(作者名不詳)  

「ワシャは俳句は素人なのでよく解からないが、虚子の死生観が感じられる一句だと思う。『大寒の埃』とは、寒い朝、書斎の障子越しに射す光に浮かんだ微小な埃のことだ。小さなものと大いなる寒さの対比がおもしろい。虚子はその埃が室内の暖気の対流をうけてきらきらと舞っているのを見た。時間の経過とともに埃は墜ちていき、やがて畳の目につかまって動かなくなる。それを死と観たか。人の生き死にも大いなる自然から見れば、埃の死と大差ないのだよ、だから嘆かないでということなのだろう。

     

(2)「六四三の俳諧覚書」

虚子の作りやう(三) 写生と背景

「『大寒の埃の如く人死ぬる』 おそらくは親しかった人の死をホコリにたとえる、この非情さはどうでしょう。そんなふうに作者を責めたくなります。ところが、真相は違いました。同じ句会で詠まれた『大寒や見舞に行けば死んでをり』の句とともに、連衆の笑いを狙った虚構句らしい。作者の年齢にも目を向けてください。老境の呟きです。昭和十五年、六十六歳。」

    

(3)「六四三の俳諧覚書」子規の革新・虚子の伝統(七) 花鳥諷詠

「『大寒の埃の如く人死ぬる』 昭和十五年冬。この非情さはどうなのか。実は、同じ句会の席で詠まれた『大寒や見舞に行けば死んでをり』とともに、連衆の笑いを狙った滑稽句でした。

     

上記のように国光六四三氏が虚子のこの句を「滑稽句」と評した根拠を知りたいが、昭和15年当時は「反戦句」を作ることは許されないのだから、虚子は「滑稽句」として披露したのか、あるいは「滑稽句」という解釈をそれで良しとして受け入れたのではなかろうか?

         

      

(4)「ときがめ書房」のブログ「大寒・高浜虚子」(作者名不詳)

死 秀句350」(倉田紘文著)の「『如是』という言葉がある。まったくさからう心のない、在りのままの姿を示す語である。・・・(省略)・・・」を引用している。

   

    

なお、夏目漱石が虚子という人物をどのように見ていたかを知るのに参考になる記事(「高浜虚子著『鶏頭』序」)があった。次のとおり抜粋させて頂く。

       

「虚子の作物を一括して、(これ)は何派に属するものだと在来ありふれた範囲内に押し込めるのは余の好まぬ所である。是は必ずしも虚子の作物が多趣多様で到底(とうてい)概括し得ぬからと云う意味ではない。又は虚子が空前の大才で在来西洋人の用を足して来た分類語では、其の作物に冠する資格がないと云う意味でもない。虚子の作物を読むにつけて、余は不図(ふと)こんな考えが浮んだ。天下の小説を二種に区別して、其の区別に関連して虚子の作物に説き及ぼしたらどうだろう。

・・・(省略)・・・

余は虚子の小説を評して余裕があると云った。虚子の小説に余裕があるのは()たして前条の如く禅家の悟を開いた為かどうだか分らない。(ただ)世間ではよく俳味禅味と並べて云う様である。虚子は俳句に於て長い間苦心した男である。従がって所謂(いわゆる)俳味なるものが流露して小説の上にあらわれたのが一見禅味から来た余裕と一致して、こんな余裕を生じたのかも知れない。虚子の小説を評するに(あた)っては(これ)(だけ)の事を述べる必要があると思う。
 尤も(もっとも)虚子もよく移る人である。現に集中でも秋風なんと云うのは大分風が違って居る。それでも比較的痛切な題目に対する虚子の叙述的態度は依然として余裕がある様である。虚子は畢竟(ひっきょう)余裕のある人かも知れない。明治四十年十一月」

     

    

現在も世界のどこかで宗教や人種の違い、利害の対立などから生ずる愚かな戦争が行われている。情けないことである。正義」や「大義」、善悪などの価値観は時代や立場によって異なる。正義や大義の名のもとに愚かな戦争をすることがあってはならない。

宗教と科学の融合」でも書いたが、科学・文化、社会制度などが未発達の時代の預言者の唱えた宗教(一神教など)にいつまでも囚われず、既存の宗教の欠点を補完し、良い点を融合して現在の宇宙時代にふさわしい宗教的考えが確立されることを切望している。世界の宗教指導者や政治家が寛容・和の精神を実践することによって民衆を指導してもらいたいものである。

   

このような願望は所詮テロリスト集団などには通じないのだろうか?

凡人である私は、「大寒や花鳥諷詠南無阿弥陀」と平和憲法下における「平和国家日本の悠久」をひたすら祈りながら、ささやかなブログを書いているほかに術がない。「平和を願う祈りが世界の人々に通じ、地球上に愚かな戦争がなくなる日がいつかは来るのではないか」と、一縷の望みを捨てずにいる。

「何が平和か」ということは大きなテーマであり、短歌や俳句・川柳などで一口に言えるものではないが、このブログが平和について改めて考えるきっかけになれば幸いである。

駄句ながら即興の俳句と川柳を最後にご笑覧下さい。

    

   

ブログにて花鳥諷詠冬ごもり

待春や妻は吟行我ブログ

」を唱へブログを書きつ春を待つ

ブログ書き平和を祈り春を待つ

子と孫に託す世界の平和かな

    

     

    

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俳句談義(4): 高浜虚子の句『大寒の埃の如く人死ぬる』とは、「平和」を考えるを参照しているブログ:

コメント

朝ドラの「エール」の主人公「古山裕一」のモデル「古関裕而」が作曲し、昭和12年にコロンビアレコードから発売された「露営の歌」は大ヒットしたそうです。
「露営の歌」は子供の頃によく聞いて耳にこびりついている感じがします。
新型コロナウイルス感染症の拡散防止(3密回避)のために撮影が中断したのか、現在は再放送中でドラマの進展がありませんが、
当時の状況がどのようにドラマ化されるのか、非常に興味があります。
(薫風士)

・気の合いし句友と談義年忘れ

「俳句は楽しむもの・苦にするものではない」
初心者が「名句」でなく「迷句」を作っても
恥じることはありません。
「迷句でも楽しめば良い」と割り切って
5・7・5を口ずさみましょう。
その内に、まぐれでも「名句」が出来るのが、
俳句の面白さです。
若い世代に俳句の楽しさを知ってほしいとの思いから
このブログ「俳句HAIKU」を書いています。
ご笑覧下さい。

薫風士

新元号は初めて万葉集を出典にして「令和」と決定されました。
世界平和への思いを込めて「令和」の俳句をブログにしました。
「新元号祝ひ『花見』の俳句詠む」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/04/post-e976.html
をご一読下さい。

4月8日は高浜虚子の忌日です。
虚子の俳句を100句英訳して、
・「高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!」
・「Enjoy bilingual haiku of Kyoshi Takahama!」
というタイトルで国際俳句交流協会のホームページに掲載して頂いています。

http://www.haiku-hia.com/about_haiku/takahama_kyoshi/
をクリックしてご覧下さい。

虚子俳句の一端の面白さを知り、
英語学習のご参考になれば幸いです。

天皇陛下のご退位と皇太子殿下の即位の日程が決定しました。
憲法改正問題についても本格的な審議が進められます。
「亀鳴くや声なき声を聞けよとて」
この俳句は国際俳句交流協会俳句大会の入選句です。
あなたにとって「声なき声」とは何でしょうか?
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2017/12/post-e4bd.html
をご覧下さい。

今日は「小寒」「寒の入り」です。
ふとこのブログのことを思い、読み返しました。
トランプ米国次期大統領はtwitterを活用しているようですが、
不寛容な人種差別や狂信的なヘイトスピーチが蔓延り
「大寒の埃の如く人死ぬる」世界にならないように
世界の為政者は心してほしいものです。

NHK連続テレビ小説「マッサン」(http://www.nhk.or.jp/massan/)
には感動しますね。
現役時代は朝ドラを見る暇は無かったのですが、
現役引退後は朝食が遅くなり、食事を始める頃にちょうど「朝ドラ」が始まります。
最近の若い世代は録画や再放送などで見ているのでしょうか?
NHKオンデマンド(https://www.nhk-ondemand.jp/)
もあるし、テレビを見るのに便利になりましたね。
「マッサン」を単に「感動した」だけで済ませたくないものす。

誰しも自分や子供のそれぞれの将来の幸せは世界の平和に依存していることは知っているでしょう。
しかし、その世界の平和をどうすれば維持できるのかが重要です。
それぞれの考え、周知を集めて世界平和の実現に努力しましょう。それには政治に関心を持ち、身近な政治家や選挙を通じて政府・与党に働きかけることが必要です。
それが出来るのは知識と経験と余裕のある高齢者でしょう。
今の国会の審議のやり方を見ていると全く情けないことです。
自分の先が見えているからこそ、「後は野となれ山となれ」でなく、自分の健康管理とブログなどによる発信が仕事だと思っています。
それぞれの仕事に忙しくて他人のブログを読んでいる暇のある人は少ないでしょうが、一人でも多くの方に「チュヌの便り」を読んでほしいとチュヌの主人は頑張っています。

「神戸まろうど通信」の「佐藤鬼房論」に次の記述があった(抜粋)。
http://blog.goo.ne.jp/maroad-kobe/e/58a48f93e3d93f53b4f2b6a01fd6d1ac
  
☆もうひとつ、戦時の文芸で問題にすべきことは、詩(例えば一九四〇年の「神戸詩人事件」、三七年一二月に雑誌「川柳人」の同人たちの検挙、四一年二月に新興俳句系、四一~四二年歌人など、四三年まで続いている。ちなみに、鬼房は弾圧が吹き荒れていた時、中国戦線にて兵役に服していたこともあって、難を逃れている。鬼房は「戦中は詩をやるとにらまれるけれど、俳句は案外にらまれないね」(『証言・昭和の俳句 下』139)と語っている。

上記の「俳句は案外にらまれないね」のように俳句が戦中を生き延びることが出来たのは、虚子の唱道した花鳥諷詠の俳句では戦争を美化することもなく、川柳や新興俳句のように作者の反戦的な考えや思いを明瞭に表現することもせず、人事を超越し中庸を維持したからだろう。
俳句談義(5)http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/02/post-0c81.html をご覧下さい。

二葉亭餓鬼録の「川柳の世界」に次の記事があった(抜粋)。
http://ameblo.jp/tta33cc/entry-11255696783.html

谷崎潤一郎の「細雪」も、昭和18年3月、連載が2回を数えたところで、いきなり中止となりました。厭戦俳句・短歌を載せた雑誌は、ことごとく休刊に追い込まれ、それでもがんばって反戦俳句を載せ、治安維持法に触れて検挙されたり、投獄された者が多かったのです。
そして川柳界は、戦時下に入ると、ますます戦意向上のポスターみたいな川柳を求められるようになりますが、水府は、なんとかして、川柳雑誌「番傘」を守ろうとして、なくなくこころにもない句を載せます。
《せつかちの老人気質おもしろし》と詠んだ高浜虚子。
俳句にしてはめずらしい無季句なんですが、なんとなく川柳にも見えてきます。すると、これはへんだぞ、という声がかかり、みんなは川柳みたいだといいはじめます。
虚子は、「俳句は、滑稽が生命である」といい張ります。
これを知った水府は、おやおや、これでは川柳は、俳句にお株を取られたかたちじゃないか、といったのだそうです。

上記の引用からも虚子が戦時下の俳句を守るために腐心したことが窺われる。

桑原武夫はフランスの文化を引き合いに出して、俳句を第二芸術であると論じた。川柳ほどではないが俳句で諧謔を楽しむことがあり、短詩であるから相反する意味に解釈されることもある。
フランスの風刺画の轍を踏まないように気をつけたいものである。
まさか、高浜虚子の掲句を戦争賛歌であると解釈する読者はいないでしょうね?

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