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2019年6月 7日 (金)

芭蕉300句:言葉の壁を破る英訳チャレンジ (1)

         

 (Click here to see "the English version by L. P. Lovee".)

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先日、「575 The haiku of Basho」の著者John Whiteが共著者の佐藤平顕明氏と来日され、芭蕉の俳句の英訳について議論する機会を得ました。

ホワイト氏は俳句の原則5-7-5音を尊重して英訳を5-7-5 音節(syllable)のhaikuとし、芭蕉が字余りで詠んだ俳句はそれに従って音節を増やすという徹底ぶりで、300句を英訳しています。その労作には驚嘆しました。

ホワイト氏は日本語を理解できないので、佐藤氏の解説を基にして英訳されたそうで、両氏のご努力には敬意を惜しみません。しかし、俳句の本質は5-7-5音の簡潔な詩的表現をすることにあり、日本語と英語の構文や発音などの違いを無視して形式的に音節に拘ることには賛成しかねます。動詞や前置詞・副詞などを使用して音節を増やすと散文的になり、俳句の特徴である「詩的短さ」が損なわれると主張しましたが、ホワイト氏は英語の詩として十分簡潔なhaikuに翻訳していると反論され、議論は平行線に終わりました。

ホワイト氏には94歳のご高齢にもかかわらず翌日の帰国を控えたお忙しい時間を割いて頂いたので議論の矛を収めましたが、言葉の壁を破り俳句の翻訳をすることの難しさの一例として、ご参考までに下記のとおり紹介させて頂きます。

 

・ほろほろと山吹ちるか瀧の音 (芭蕉

 

yellow rose petals

gently, gently flutter down;

waterfall thunder

 

ホワイト氏は、芭蕉が山吹を見て詠んだものとしてこの翻訳をしたとのことで、「滝音の響きと山吹が静かに散る対比が面白い」と感想を述べていました。

この解釈は、疑問を表す助詞「か」を見落としていますが、日本の著名な俳人も文法に気をとめず直感的に句意を解釈する傾向があるので是認すべきかもしれません。この俳句は滝の音を聞きながら、「滝の轟音の響きで山吹が散るのではないか?」と滝音の大きさを詠嘆して詠んだものでしょう。 

そこで、次のとおり試訳してみました。

  

shall yellow rose petals

flutter down?

the thunder of water fall

   

ホワイト氏の翻訳は9語17音節ですが、上記試訳は11語16音節です。語数が増えても「滝の音」を強調するために敢えて「the thunder of waterfall」としました。

英詩のHAIKUとしては試訳よりホワイト氏の翻訳の方が詩的映像が鮮明になり優れていると思いますが、原句の句意を無視することはできません。試訳は1~2行の改行を活かし、間をおいて読むと俳句らしくなります。

芭蕉は「滝と山吹」の従来の取り合わせの焦点を音に当てることにより新鮮味を出し、映像は読者の想像に委ねたものと思います。

ホワイト氏はロンドンの名門大学UCLの教授だったとのことですが、まだまだお元気です。「来年も生きていたら来日し、俳句と仏教について講演するつもりだ」と仰ってました。

芭蕉の俳句を気の向くままに英訳して言葉の壁を破るチャレンジをし、来年もホワイト氏と議論できることを願っています。

 

今後の英訳は折に触れてfacebookにも掲載します。俳句の翻訳に関心のある読者の皆さんからコメントを頂き、「俳句とhaiku」鑑賞の楽しさをシェアして頂けると望外の喜びです。

   

2018年10月 8日 (月)

川柳作家ベストコレクション 「前川 淳」

 

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チュヌの主人の先輩の川柳が新葉館出版から、川柳作家ベストコレクション「前川淳」として出版されました。
本の帯には、「光陰と歩む いつか輝く 陽を抱いて」、「短詩文芸誌に燦然と輝く、第一線川柳作家によるシリーズ全200巻。前川淳の柳言と秀句集」 とあります。

この本には、240句掲載されていますが、チュヌの便りの「先輩の川柳」に掲載の川柳も幾つかあります。
前川淳氏(兵庫県川柳協会常任理事)の川柳への思いは、
高浜虚子の「去年今年貫く棒のごときもの」における俳句への思いや、
チュヌの主人のブログに取り上げた俳句への思いに通ずるものがあります。

  
ここをクリックして「先輩の川柳」(改定通読版)をご一読下さい。

  

2017年11月28日 (火)

本との出会い <母と子・優しさと厳しさと>

        

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ブログ「チュヌの便り・虚子の俳句『去年今年貫く棒の如きもの』の棒とは何か?」を契機に知った宗内敦氏(臨床心理学者)の近著「エッセイで読み解く 教育・指導のエッセンス」を最近読み始めました。共感することが多々あるのでここに紹介させて頂きます。教育関係者のみならずチュヌの便りの読者など一般の人々に是非読んで頂きたい好著です。

青色文字をクリックすると解説記事などがご覧になれます。 

     

「いじめ」や「登校拒否」などの問題は教育者のみならず、広く一般の人々が他人事としないで関心を持ってほしい問題ですが、このような問題を無くするためには「思いやりを持って他人の立場を理解し、多様性を認める寛容性を基本にした和の精神を教育することが何よりも肝心である」とチュヌの主人は思っています。

この「和」の精神は戦前の「封建的な和」でなく、「民主主義制度における和」です。戦前の全体主義的・国家主義画一教育は「いじめ」の解消にならないでしょう。

道徳教育で大切なことは、児童があくまでも自発的に物事を考え、自分の考えを主張すると同時に他者の考えにも耳を傾けることを学び、自己と他者、自己と社会との関わり合いを考え、自分の能力や個性を自分のためばかりでなく、社会に役立つようにするバランス感覚、合理的な思考能力などを培うことでしょう。

宗内敦氏が「教師の権威と指導力」で述べているように、「権力」にもとづく教育でなく、「権威」に基づく教育をすることが肝心でしょう。

道徳教育を教科にして、「道徳嫌い」を生む恐れのある「一方的な成績評価序列評価をすること」には反対です。道徳教育においては、評価は子供の自尊心を生かし、やる気を出させるのに効果のある個別評価、教育効果を評価するための範囲に限定すべきでしょう。

子供たちが将来幸せな一生を過ごすことができるようにするには、「自分を知り、『一個人としての自分』と『組織の一員としての自分』とのバランス、『個と全体関わり合い』を考え、『過去をベースに未来を見据え、現在に視点を置いて、よく考え、行動すること』、『自己家族市民国民地球人』など、様々な視点で相対的に考える教育をすることが大切です。     

子供の教育のためのみならず、住みよい平和な社会が維持されることを祈りつつチュヌの主人が書いた「究極のLOVEを実践しよう!」の「究極のLOVE]は下記の通りです。  

・「L」は Love(愛する)・Learn(学ぶ)・Liberty(自由・権利)・Legality(合法性)、Laugh(笑う)・Life(生活一生)です。    

・「O」は Optimism(楽観・楽天主義)・Originality(個性・独創性)・Objective(目標・客観的)・Obligation(義務・義理)、Opportunity(機会・好機)・Organization(組織団体組織化すること)です。  

・「V」は Vitality(活力・元気)・Vision(ビジョン・先見性)・Venture(冒険・思い切ってする)・Value(価値・評価)・Volunteer(ボランティア・自発性)、Viewpoint(観点視点切り口)です。  

・「E」は Effort(努力)・Enjoy(楽しむ)・Ethic(倫理・道徳)・Equity(公平・公正)・Endurance(忍耐・持続)・Each(個人・自己)です。        

・Love(愛)

親子の愛、男女の恋愛、夫婦の愛など人に関する愛のみならず、動物、自然、故郷、住んでいる町や国、平和、自分の仕事など全てが対象です。まず自分を愛し、自分のしていることを愛し、その結果が他者への愛、すべてのものに対する愛につながることが理想です。  

・Learn(学ぶ)

教師や反面教師として、全てのことから学ぶことが出来ます。

身近な両親、兄弟姉妹、友達、先輩・後輩、先生などから直接学ぶことが沢山あります。書物や新聞・ラジオ・テレビ、インターネットなどで地域と時代を超えて様々なことを学ぶことができます。また、自分自身や他人の失敗や成功の実例から学ぶことも大切です。   

・Liberty(自由・権利)

基本的人権として思想・言論・信教の自由などが憲法で保障されています。しかし、自由の権利を乱用すると、自由を失う恐れがあります。常に権利と義務、個(自分自身)と全体(社会・国)、公平・公正の原則とのバランスを考慮することが肝要です。多くの若者が選挙権参政権の行使を放棄していることは幸福を追求することを放棄していることになるのではないかと危惧しています。  

・Legality(合法性)

誰でも自由に考えて行動すれば良いのですが、それが法律に適っていることが前提です。法律は人々の生活を守り社会の秩序を維持するためのものですから、日常生活で余り難しく考えることは無いでしょう。しかし、何か特別のことを始める時にはそれが合法的かどうかチェックすることも必要でしょう。   

・Laugh(笑う)

笑う門には福来たる」(「Laugh and get fat.」「Fortune comes in by a merry gate.」)です。

泣きたいときには泣くとよいでしょう。でも、辛い時でも笑顔を忘れずに前向きに過ごして行けばきっと良い時も来るでしょう。  

・Optimism(楽観主義)

人間万事塞翁が馬」(Joy and sorrow are today and tomorrow.)、「人生は山あり谷あり」、「努力をすれば何とかなる」、「人事を尽くして天命を待つ」と楽観的に考えることです。いわゆるプラス思考・ポジティブシンキング(positive thinking)を実践することです。      

・Originality(個性・独創性)

世界に一人しかいない自分という貴重な存在を活かしましょう。単なる「猿真似」や「迎合」ではなく、人それぞれに出来ること・天性・個性を生かして、学んだことを更に発展させ実践することです。現代は多様性の時代です。様々な個性が集まって全体の調和が生まれることが理想です。    

・Objective(目標・客観的)

将来何をするか自分の目標を定める際に、それを達成することが可能か、楽観的に考えると同時に、冷静に客観的に評価しておくことも大切です。高い目標を掲げることは良いのですが、目標は高ければ高いほど成果の高望みをしないでstep-by-stepで一歩ずつ前進することです。   

・Obligation(義務・義理)

「世の中は持ちつ持たれつ」、「お互い様」です。自己の権利を主張するばかりでなく、義務もあることを認識して他者の権利・立場も認め、自他のバランス(Give-and-take)を考えることが大切です。   

・Opportunity (機会・好機)

好機逸すべからず」です。英語のことわざには「Now or never.」とか「Everything has its time.」などがありますが、機会をとらえTPO(時と場所と場合)を考えて適切な行動をすることが大切です。 

・Vitality(活力・元気)

何事もやる気と元気がなければ達成出来ません。精神的にも肉体的にも健康を維持することが大切です。「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。時には無理が必要なこともあるでしょうが、頑張りすぎないで、自分の出来る範囲でやれば良いでしょう。

・Vision(ビジョン・先見性)

「憲政の神様」と言われた尾崎行雄は「人生の本舞台は常に将来に在り」と言っています。自分は何をしてきたか、今何をすべきか、自分の将来の目標は何か、自分の人生のどの時点でも、常に過去・現在・未来という流れの中で自分自身と社会の将来を見据えて考え・行動することが理想です。

・Venture(冒険・思い切ってする)

慎重に考えて行動することも大事ですが、難しいと思うことでも時には思い切ってやって見ることも必要でしょう。成功するか否かは自分の才能や努力のみならず運に左右されるものです。最もうまく行く場合と最悪の場合とを考え、腹を据えて思い切って行動すると良いでしょう。

・Value(価値・評価)

価値観は人によって異なりますが、自分にとって何が大切か、何をしたいか、それは自分のためだけではなく、親のためや人のために役立つことになるか、と考えながら目標を立て・行動することが大切です。

・Volunteer(ボランティア・自発性)

何事でも自分のしたいことをするときは苦労が苦労でなく、楽しくなります。最近はボランティア活動をしている若者も沢山いることはありがたいことです。自分が出来ることを自発的に行い、自分のみならず人のためにもなり、世の中に役立つことができれば最高です。

・Effort(努力)

天賦の才に恵まれていても努力をしなければその才能を生かすことは出来ません。ささやかな才能であっても努力することによって、それを伸ばすことが出来ます。大切なことは他者との比較や序列・勝ち負けそのものではなく、それを励みとして自分自身の天分を育てる努力をしているかどうかです。 

・Enjoy(楽しむ)

努力も色々工夫しながらすると、苦労でなく楽しみとなります。楽しみながらすると努力を続けることが出来ます。少しでも努力の成果が出ると楽しくなります。すぐに成果が表れなくても長い目で見れば必ず成果が出て来るものですから、それを楽しみに努力を続けることです。

・Ethics(倫理・道徳)

技術が高度に発達し専門化している現代社会においては個人や組織が倫理を大切にして活動することが不可欠です。最近の世相をみると、長い間に築いた信用を倫理観の欠如から一瞬に失い、自滅するだけでなく社会に大きな弊害をもたらしている例が少なくないことは残念なことです。

・Equity(公平・公正)

才能や努力の成果を生かすには考え方や行為が公正であることが大切です。どのような場合でも公正かどうかという観点でチェックすることが望まれます。公明正大な振舞いをすることによって明るい気持ちが維持できます。明るい気持ちは必ず幸福を呼び込むでしょう。   

・Endurance(忍耐・持続)

豊かな現代社会においては何でも簡単に出来、手に入るので誘惑が多く、我慢することが難しくなっています。

ITSNSが発達し便利になっていますが、スマホによるゲームの氾濫や不適切な交流サイトなど、子供の教育や十代の若者の新たな社会問題になっています。  

三つ子の魂百まで」、「継続は力なり」です。大きくなってから抑えることは難しくなりますので物心が付き始めた幼い時から我慢することのしつけもしておくと良いでしょう。 

上記のことは、ご存知のことばかりでしょうが、それをLOVEという親しみやすく大切な一語に集約して覚えやすくしたのが味噌です。LOVEを実践する人々が増え、住みよい社会が日本から世界に広がることがチュヌの主人の念願です。

                    

2015年6月 7日 (日)

チュヌの便り <更新情報>            Message from Chunu <What's up?>

               

2015年4月の更新記事 

俳句談義(14): 

   俳句の片言性と二面性(改訂版)      

俳句談義(13):

   <「花」と「鼻」> 高浜虚子と芥川龍之介

俳句談義(12):

   「椿寿忌」の俳句と高浜虚子

   

2015年3月の更新記事

俳句談義(11):

 「甘納豆」と「おでん」と「俳句」

この記事には高浜虚子の「俳句の作りよう」や「俳句への道」の全文が掲載されたサイトをリンクしています。青色の文字をクリックしてご覧になれます。

       

俳句談義(10):

 高浜虚子の「雛」の句を鑑賞する

       

俳句談義(9): 

 「雛祭り」の俳句を集めました

                    

2015年2月の更新記事

俳句談義(8):

高浜虚子の俳句「初蝶来何色と問ふ黄と答ふ」

<虚子の対話の相手は誰か?>

     

俳句談義(7):

高浜虚子の句「爛々と昼の星」の星とは何か?(続編)    

   

俳句談義(6):

高浜虚子の句「昼の星燦々と見え菌生え」の「星」や「菌」は何か?

      

先輩の川柳(続2)

「昭和や」の酔客のエッセイ:

素粒子論と般若心経と高浜虚子の俳句

     

俳句談義(5):

戦時中の高浜虚子・文芸家としての良心

    

俳句仲間のエッセイ: 「俳句と川柳」

        

第35回36川柳句会(テーマ:「和食」)選句結果

    

後藤健二さんの死を無にするな!

政治家やマスコミの言わないことを言う。

              

     

2015年1月の更新記事 

俳句談義(4)

高浜虚子の句「大寒の埃の如く人死ぬる」とは、平和を考える

         

本との出会い(7: 

「俳句の力学」と虚子の句「去年今年」

       

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 (俳句)

稚児走る初凧這ひてくるくると

七転び八起き幼の上がる 

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淑気映ゆホロンピア館玻璃の壁

初空童の好きな丘の街

  (川柳)

三田から地方創生子等元気

        

(三田深田公園にて)    

ホロンピア館は、昭和63年に開催された21世紀公園都市博覧会のシンボルとして建設。建築家・丹下健三氏が設計した深田大橋をビルにしたもの。平成4年秋に「人と自然の博物館」となりました。(「三田八景」の解説より引用。なお、「玻璃の壁」をクリックすると「我が街『三田』」がご覧になれます。)

  

初雪にサモエド勇み飛び出せり    

初雪や己が天下とサモエド犬   

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(チュヌの写真)

    

      

俳句・フォトアルバム(トルコの旅)

Pictures & Haiku (Trip to Turkey)  (英訳追加版)

         

本との出会い(6):

「虚子俳句問答(下)」と「大悪人虚子」        

   

俳句談義(3): 

虚子の句「初空や」の新解釈:大悪人は誰か?     

     

俳句と川柳について

「36会・談話会原稿」のリンク追加改訂版)       

           

    

2014年

2014.12.25 

虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か?

 (この記事に夏目漱石の「草枕」がリンクされています。)

    

 14.12.20

 本との出会い(5):

「俳句の宇宙」と「大悪人虚子」

(「虚子俳話(序文)」や「俳談」がリンクされています。)

エッセー
 14.12.10  奈良吟行の俳句アルバム  俳句
 14.12.09

 本との出会い(4):

「悪党芭蕉」と「大悪人虚子」(その2)

 エッセー
 14.12.08

 本との出会い(3):

「悪党芭蕉」と「大悪人虚子」(その1)

 エッセー

    

      2014年11月の主要記事
 俳句談義(2) 虚子辞世句の新解釈について
 俳句談義(1) 虚子辞世句の解釈
「本との出会い」(2) 尾曲がり猫と擦り猫と」を読んで選挙を考える。
「本との出会い」(1) あの海にもう一度逢いたい
 お友達のエッセー 忘れ得ぬ最高の思い出
 吟行俳句 奈良公園・柳生の里(俳句と写真・俳句アルバム
        2014年10月の主要記事
 俳句仲間

アカネヤの酔客のエッセー(3)「絵を描く」

可愛い猫の画や写真が驚くほど沢山ご覧になれます。

 俳句仲間 アカネヤの酔客のエッセー(2)「近況報告VI」
 俳句仲間 アカネヤの酔客のエッセー(1)「ラジオを録音して聞く話」
                        2014年3月~9月の主要記事
 教育・エッセー

「LOVE」を実践しよう!

Let's practice "LOVE"!

 俳句

花鳥6百号記念全国俳句大会に参加 (俳句と写真)

 俳句の英訳と

 Haikuの和訳

芭蕉の句「古池や」の英訳を考える

言語の壁を破るチャレンジ(1)(14)

 投稿川柳の紹介 先輩の川柳・お友達の川柳・36会川柳選句結果など

 俳句と川柳の英訳

(エッセー)

スウェーデン大使館開催の俳句・川柳コンペティション入選

 俳句・HAIKU

(エッセー)

国際俳句交流協会総会に参加~

「日本人らしさの発見」・・・

 吟行の俳句と写真 南禅寺 ・ 住吉大社 ・ 満願寺 ・ 平安神宮

俳句・フォトアルバム (HAIKU Photoalbum): 

        「イタリアの旅・Trip to Italy」

        「東欧の旅・Trip to E. Europe」

        「ロシアの旅・Trip to Russia」

   

チュヌの俳句: 「四季・Four seasons

    

「平和」について考える: 宗教と科学の融合

     

2014.5.25 オープンーデン・ミニ・チャリティコンサート

    

SNSについて (36会・談話会原稿)

     

          

           

       

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 インターネットは凄いね!

「ちゅぬ」の北海道時代のお友達のブログを主人が見つけてくれたよ。

北海道時代は若くて元気だったから楽しかったよ!

懐かしいね!

   

ややコロ日記

(ちゅぬ君とコロちゃん)

http://yayakoro.exblog.jp/m2008-06-01/

      

CHEKO'S PHOTO

http://blogs.yahoo.co.jp/happy_photo_diary/archive/2008/7/2?m=lc

http://blogs.yahoo.co.jp/happy_photo_diary/archive/2008/7/5?m=lc

をご覧下さい。      

   

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2015年2月 4日 (水)

本との出会い(7):                  「俳句の力学」と虚子の句「去年今年」

      

虚子の「去年今年」の句:

・去年今年貫く棒の如きもの  

・去年今年一時か半か一つ打つ

について、岸本尚毅は「俳句の力学」(ウエッブ発行)において次のように述べている(抜粋)。

    

『棒の如きもの』は時間というものの本質を普遍化し、抽象的に捉えました。『貫く棒の如き』とは『世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない』という『伝道の書』の言葉を思わせます。この句はいわば『色即是空』の眼でものを見た句です。

一方『一時か半か一つ打つ』は思い切りディーテールに徹しました。この句は時計で知る時間の覚束なさを思わせます。この句のディーテールへのこだわりは『空即是色』的とも思えます。

『貫く棒』のようにディーテールを捨象し、単純化・抽象化を極める作風は俳句の大きな魅力です。

その一方で『一時か半か』のように、個々のディーテールに無限の可能性を求める行き方も俳句の豊饒を示すものといえましょう。(・・・以下省略・・・)」(「俳句の可能性」の項)

   

また、「季題という秩序」の項で次のように述べている。

   

「高浜虚子は言います。『四季の循環に意を注ぎ、宇宙の現象に心を留むることは俳句の道である。併し或ひは(中略)それによって安らかに人生の幕を閉づる事が出来る、所謂、菩提心を得る捷径(しょうけい)になるのかも知れぬ』(『虚子俳話』)と。」

            

更に、高浜虚子の「俳句への道」から次のとおり引用して、岸本さんは「私は虚子の言葉を金科玉条のように信奉しています。」と言っている。(「写生について」の項)

      

「写生といふことは解釈の仕様によっては、どこまでも広いことになり、どこまでも深いことになる。それを狭く解して攻撃する人がある。それ等の人は別に恐ろしいとは思はない。広く解し深く解し、鋭意それによって新しい境地を拓いて行く人には、なんだか恐ろしいやうな尊敬の念が起こる」

    

       

「俳句への道」における虚子の記述や岸本氏の上記句評を考慮すると、「チュヌの便り」の「俳句談義(1」で述べた虚子の辞世句「春の山(かばね)を埋めて空しかり」の新解釈や「俳句談義(3」における虚子の句初空や大悪人虚子の頭上に」の新解釈の裏付けになるのではないかと、意を強くした。

虚子の句の解釈をすることはチャレンジングで面白く、嵌りそうである。

    

  

   

2015年1月25日 (日)

俳句談義(1)虚子辞世句の解釈

      

虚子の辞世の句とも言われる「春の山(かばね)を埋めて空しかり」にある「空しかり」は単なる「むなしかり」ではない。虚子は「空然り(くうしかり)」ということを念頭においてこの句を詠んだのではないか?

    

この句について、小林恭二の「この俳句がスゴい!」(角川学芸出版)には次の記述がある。

「虚子の絶唱です。この句を詠んで二日後に亡くなりました。自分の死を予感してこの作品を詠んだという説もありますが、辞世の句といった気負いは感じられません。晩年の虚子の句は、膂力(りょりょく)的には衰えているのですが、それとはまた別種の古拙な味わいがあり、平安期の仏像を見るような趣があります。

「春の山屍を埋めて」はイメージ的にはどきりとさせられますが、さしたる実質があるとは思えない。どんな場所でも長い年月の間には遺体のひとつやふたつは埋められているはずであり、とりたてていうほどのことはない。

むしろ、この句の眼目は「空しかり」でしょう。二日後に死を迎える虚子の目にはすべてが空しく見えていたと思います。ちなみにこの空しさは、青年や敗者の感じる、惨めったらしい「虚しさ」ではありません。やるべきことはすべてやりとげた男のみが感じることができる清々とした空しさです。なんとなく素敵な境地のようにも思えますが、これだけはその齢になってみなければわからないことなのでしょうね。」

        

上記の句評を読んだ時に、チュヌの主人は「掲句の屍とは誰の屍なのか?「むなしかり」とは誰が空しく思ったのか?」など、この句の下五を「むなしかり」と読んで釈然としなかったのですが、偶々数日前に「生きて死ぬ智慧」など「般若心経」に関する本を読んでいたので、ふと次のように思い付いたのです。

虚子は日頃から「般若心経」の「色即是空」を潜在意識にして「花鳥諷詠」を句にしていたに違いない。掲句の「空しかり」は「むなしかり」ではなく、「くうしかり(空然り)」と読むべきではないか?「屍」とは虚子の「屍」のことではないか?

虚子の句に「春惜しむ輪廻の月日窓にあり」がある。「『凡てのものの亡びて行く姿を見よう』私はそんな事を考へてぢっと我慢して其子供の死を待受けてゐたのである」と虚子は四女の死に際して記述しているが、「色即是空」を念頭においていたのではないか?

          

因みに、坊城俊樹さんは「独り句の推敲をして遅き日を」を虚子の辞世の句としてもよいとしている(「高浜虚子の100句を読む」参照)。この淡々とした句は句仏17回忌(3月31日)に作られている。虚子の句には、「短夜や夢も現も同じこと」や「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」などもある。

辞世の句がどれかはともかく、虚子の命日釈迦の生誕日とされる「4月8日」に当たることも不思議な縁を感じる。

(安原晃氏の「花鳥諷詠のこころ」、深見けん二と白鳥元雄の対談名畑直日児の記事「明易や」参照)

          

掲句について次のアカネの俳句談義で仲間の意見を聞こうと思っているが、このブログを読んだ方のお考え・コメントが頂けると嬉しいですね。

    

(浅学非才を顧みず愚考した新説をブログに記載させて頂きましたが、「俳句には読む人の考えやその心持によって如何様にでも解釈できる曖昧さや広がりがあり、解釈の一つである」と、お許し頂けるものと存じます。青色文字をクリックするとリンクしたサイトの関連の解説記事や写真をご覧になれます。是非ご覧下さい。)

2015年1月 9日 (金)

本との出会い(6):「虚子俳句問答(下)」と「大悪人虚子」

     

「初空や大悪人虚子の頭上に」ついて、「俳句談義(3):虚子の句『初空や』の新解釈:大悪人は誰か」をブログに書いた後で、俳誌「玉藻」の読者の質問と虚子の回答が「虚子俳句問答 稲畑汀子監修(下)P.196」に下記の通り記載されているのを見つけた。

(質問)

「虚子先生の御句、この場合の「大悪人」という語の複雑なる御意、ご説明願えたら幸甚と存じます。」(川越 横田清子)〔15・1〕

(回答)

親鸞が自分を大悪人といったという心持を、面白いと思っておる私であります。」

 

虚子の上記の回答は真実だろうか?

昭和15年(1940年)は皇紀2600年である。

この年は「紀元二千六百年記念行事が行われ、「神国日本」の国体観念を徹底させようという動きが強まった年であるから「大悪人は天智天皇である」とは到底言えなかっただろう。

そこで、句の説明に親鸞を引き合いに出してさらりと回答したのではなかろうか?

虚子が親鸞のことを句にした「」や「動機」としては、親鸞を尊敬していた夏目漱石(「模倣と独立」参照)が1916年(大正5年)12月に亡くなったことぐらいしか思いつかない。

虚子が親鸞のことを句にした明瞭な理由が見つからない限り、上記の回答が真実かどうかを疑わざるを得ないのである。

1912年(明治45年)には美濃部達吉が『憲法講話』を著し天皇機関説を提唱している。「初空」の句が作られた大正6~7年(1917~8年)ごろは比較的自由にものが言える大正デモクラシーの良き時代であった。

この句を詠んだ虚子の真意は本人と神のみの知るところであり、あくまでも推測に過ぎないが、この頃なら天智天皇を大悪人と言っても問題にならなかったであろう。

何か事実関係についてご存知の方があれば、教えて頂ければ幸いである。

       

    

 

2014年12月29日 (月)

本との出会い(5): 「俳句の宇宙」と「大悪人虚子」

   

「俳句の宇宙」(花神社1989年発行)において、長谷川櫂虚子について次のように述べている。

       

「虚子を勉強していると、ときとき、不気味な虚子に出会う。久女の場合だけに限らない。虚子にとっては、俳句とホトトギス王国とどちらが大切だったのか。俳人だったのか、権力の亡者であったのか――そんな疑問が頭をもたげてくる。あまりにも現世的な姿の虚子。それはたいてい、暗くて大きくて、不敵な笑いを浮かべている。黒い虚子。こういう虚子はなかなか好きになれない。」(第三章2の最後から抜粋)

「しかし、俳人であったのか、権力の亡者であったのか、と二者択一で割り切れないところに虚子のほんとうの難しさ、面白さがあるのかもしれない。虚子のなかでは、よき俳句作家と冷酷な権力者とが、ただ表面上だけでなく、深いところで融合しているのではないだろうか。俳句と「力」とが――といいかえてもいい。「力」という要素は虚子の俳句や俳句観に深く埋め込まれている。虚子の俳句は「力」の表現だともいえると思う。虚子の奥底にあって、磁力を発しつづける「力」。これが17文字の俳句になったとき、図太いとも、また、艶やかとも映るのではないか。」(第三章3の冒頭から抜粋)

「虚子は、みずから「大悪人」を名のる。この句(「初空や大悪人虚子の頭上に」)は一見、大謙遜に見えながら、実は大うぬぼれの句であるらしい。自分の「力」への揺るぎない自信。虚子は、この句でも不敵に笑っている。」(第三章3の最後抜粋)

「微粒子の世界から星たちの空間まで、響きわたる巨大なオーケストラとしての宇宙。小さな草の芽を見ながら、目の前に湧き起こりつつある宇宙の音を、はっきりと感じとっている虚子。こういう虚子はいちばん興味深い虚子だ。同時に手怖い虚子である。」(第三章5の終わり抜粋)

「昭和22年頃、虚子の言葉というのが私の耳にもとどいた――「第二芸術」といわれて俳人たちが憤慨しているが、自分らが始めたころは世間で俳句を芸術だと思っているものはいなかった。せいぜい第二十芸術くらいのところか。十八級特進したんだから結構じゃないか。戦争中、文学報国会の京都集会での傍若無人の態度を思い出し、虚子とはいよいよ不敵な人物だと思った。」(注:『第二芸術』の「まえがき」)(第三章6の終わりより抜粋)

    

     

       

「傍若無人の態度」とは具体的には何を指しているのだろうか? 虚子はこの時期にどんな俳句を作っていたのだろうか?

「俳句の宇宙」からの上記抜粋にあるような虚子の「力」は何から出ているのだろうか?

花鳥諷詠の「極楽の文学としての俳句を世に広めたいという信念の強さが「力」となったに違いない。そういう信念が、「花鳥諷詠南無阿弥陀仏」や「天の川の下に天智天皇と臣虚子と」「初空や大悪人虚子の頭上に」「去年今年貫く棒の如きもの」などの俳句に結実したのものと思うが、虚子がこれらの句を作った「」を知りたい。時には「大悪人」と言われるような非情ともとれる行動になった「」をもっと知る手立てはないものだろうか?

      

      

          

     

高浜虚子の世界」(角川学芸出版「俳句」編集部)のアンケート「私の虚子」③「いま、虚子について思うこと」に対して、俳文学者矢羽勝幸氏は次のように回答している。(抜粋) 

「③ 碧梧桐の方向も近代化の過程で当然だとは思うが、虚子のとった“九百九十九人のみち”すなわち俳句が庶民文芸であることを(芭蕉の軽み、一茶の最後にめざした俳諧)近代に再生、継承した功績は偉大だと思う。“九百九十九人のみち”を凡人主義と解してはならない。・・・(以下省略)」

 

また、大木あまり氏(俳人)はアンケート②「心にのこる虚子の言葉、あるいは愛読の虚子著作」に対して、次のように回答している。

「② 理論の花より芸の花こそよけれ。標語の花よりも真の実こそよけれ。」

「世評を気にかけないで行動する人は快い。私はそういう人を好む。世評を気にかけて行動する人はみじめだ。私はそういう人を好まない。」

「高遠なる思想を辿る事もよいが、また平凡な日常に処する事も大事だ。」     

     

       

                    

            

 

坊城俊樹さんは「虚子の100句を読む」において、虚子の句「石ころも露けきものの一つかな」を挙げて次のように述べている(抜粋)。

 

「・・・(省略)・・・むしろ年尾は『客観写生』『花鳥諷詠』提唱後の虚子の句でも、表現的に単なる写生句より、自然界にあるすべての有情のものとして、人間を含めた、大きな句を取り上げて言っている。年尾の好みと言っていい。筆者もまた、この句に関してはそのように感じる者であるが、虚子はそれをあくまで『月並』的な鑑賞であるとした。

しかし、虚子の謂う『天地有情』という観点からも、この句は現代の伝統派がよく使う、通俗的で安っぽい措辞の『の心あり』『といふ命あり』などとは根本的に異なる広遠な句と思うのだが。

この句をあえて取り上げたのも、大震災の現場にある石ころの映像を見たからである。その被災地にある石ころは只の石ころではない。甚大な被害と、多くの被災者の命を奪った大地にころがっていた石ころである。この句を思い出さずにはいられなくなる石ころであった。」

     

       

      

上記のように、俊樹さんは東日本大震災に言及しているが、この句を虚子が作ったのは昭和4年(1929年)の8月であり、その前の6月には北海道駒ヶ岳噴火して死傷者も若干出ていたようである。今年は木曽の御嶽山が噴火して多くの死傷者が出た。

虚子はこの「石ころ」の句を作ったとき、駒ヶ岳の噴火を意識していたのだろうか?

因みに、1923年に起きた関東大震災について、河東碧梧桐俳句を作っているが、虚子は一切俳句を作っていないとのことである。

「虚子は俳句など短詩にはそれぞれサイズに応じた適所持分があるとしており、後に起こった太平洋戦争や原子爆弾についても俳句を詠んでいません。また、震災忌、敗戦忌、原爆忌を季語として認めていなかった」そうである。

余談だが、この俳句を読むとエッセー「尾曲がり猫と擦り猫と」の「石ころ」のことを思わざるをえない。

      

          

このブログを書いている時に、インターネットで桑原武夫の第二芸術論に対する批判のブログを見つけた。

このブログは日本文化としての俳句の良さを論じた適切な反論だと思う。しかし、文化を愛し、国を思うことは尊いが、芸術を論ずるにはあくまで冷静に純粋に議論をするのが望ましい。いずれの立場にせよ売国奴などという表現があるのは感心しない非国民とか「国賊などというレッテル貼は慎まなければならないと思う。

     

いずれにせよ、虚子は、心の糧になる花鳥諷詠の文学、すなわち「極楽の文学」としての俳句、を大衆に広めることを目指していたのだから第二芸術という批判は的外れとして、「俳句も第二芸術まで来ましたか」「十八級特進したんだから結構じゃないか」議論の対象にしなかったのだろう。

    

「プロの俳人が高邁な文学として純粋に探究するのも良し、月並みであろうと大衆が俳句を慰みにして天地有情の一端を楽しむことができればそれもよし」、という考えだったのだ。虚子の俳話(昭和33年1月)にもあるが、このような揺るぎない信念が大きな力を発揮させたのだろう。

    

      

       

虚子は、昭和18年に出版した「俳談」の序文に、

「何故に何という理屈を述べることはさけて、只何々であるという断定した意見だけを述べたというようなものである。善解する人は善解してくれるであろうと思う。」と述べ、さらに、

    

本ものの虚子で推し通すというタイトルで次のように述べている。 

     

   

「自分は自分の固く信ずるところがあり、この信仰は何人もどうすることも出来ないものである。他の刀が切っても切ることは出来ぬ、他人の舌が千転してもどうすることも出来ぬものである、ということを固く信じている。従来俳壇に在って、私ほど多くの人々から攻撃されたものも少ないであろうと思う。・・・ 省略・・・自分の俳句は、少しもそれらの言葉に累せらるることなしに、著々として歩を進めているということを、固く信じているのである。」

      

(上記「俳談」の全文はここをクリックして、「サムネイル一覧」の「4」と「13」をクリックしてご覧下さい。)

      

     

     

     

     

      

      

天地有情」といえば土井晩翠の詩が有名であるが、このような詩は誰でも簡単に作れるわけではない。俳句は庶民が手軽に楽しむのに適した世界最短の型式詩といえる。これを高邁な文学としてのみ追求すれば一部の専門的俳人しか作れなくなる。虚子は元々俳句の良さ・特質や限界を認識した上で花鳥諷詠の楽しさを大衆に教えることを考えていたのだろう。

善悪のとらえ方や価値観は時代とともに変化する。虚子は悠久の宇宙の森羅万象・人間も含む自然・花鳥諷月を俳句にすることの可能性と限界を喝破していたに違いない。

だから、親子ほど歳の違うフランスかぶれの桑原武夫第二芸術と言われようと、青臭い議論としてそれに頓着しなかったのだろう。

虚子自身も駄句と批判される句を作っている。虚子が意図したわけではないだろうが、それが結果として俳句を親しみやすい庶民の文芸・娯楽にして今日の俳句の隆盛をもたらしているとも言えるのではなかろうか。

 

現在の高齢化社会で多くの人々が俳句を趣味として老後をエンジョイしている。そのことを知れば、虚子は「傲岸と人見るままに老の春」という俳句を作ったように、大悪人と言われようと自分の選んだ途は間違いでなかった、とニッコリするのではないか。

ちなみに、インターネット検索したところ、「傲岸に人見るままに老の春」というのもある。「に」と「と」では主客逆転した句意の解釈が成り立つ。「に」はミスタイプと思うが、この句は虚子が人を傲岸な態度で見ていることを意味するのか、人が虚子を「傲岸だ」と見ていることを意味するのか、どちらが正しいのだろうか?

「君、そんなことは超越していたよ。何事も『色即是空』だ。」という虚子の声が聞こえるような気がする。

    

    

      

        

(青色のアンダーライン・文字をクリックするとその関連の解説記事や写真がご覧になれます。リンクさせて頂いたサイトの作者に敬意と感謝を表します。)

2014年12月19日 (金)

本との出会い(1)「あの海にもう一度逢いたい」

    

   

読書週間だからというわけではないが、数年ぶりに図書館を訪ねた。

仲間との俳句談義で話題になった生命科学者である柳澤桂子の「生きて死ぬ智慧」(般若心経現代語訳)など般若心経の本を借りるためである。 

図書館の書棚を見ていると、「あの海にもう一度逢いたい 木下とし子」(日本文学館)という小さな本が目に入った。表紙一杯に空と海の広々とした写真があり、裏表紙にはの写真が載っていた。 

目次を見ると、最初に「朱い色の記憶」「呪文と念仏と」などがあり、最後の方に「骨壺蛸壺」「私の前生は布切れかも」とか「三途の川の川幅は」などがある。この本の著者は般若心経の本を読んでいるのかもしれない。 

  

「あとがき」に作者は次のとおり書いている。

 

戦前、戦中、戦後と七十七年生きてきました。

その間に、生活様式も人々の価値観も激しく変わり、とてもついていけないと感じはじめた頃、膀胱ガンを患い障害者手帳を持つ身になりました。

それから十二年、手帳とともに生き、不安と諦めの中から「書く」という幸せを見つけました。

しかし、ほんとうの思いを書くということはとても難しく、(おり)のように心の底に溜まった苦しみや悲しみは、時間をかけて浄化しなければ書けないように思います。

若いときに想像していた「老い」と現実の「老い」の落差を素直に受け止め、これからもその時々の思いをそっと(すく)って書いてみたいと思っています。」

    

       

この本の作者は日本が太平洋戦争に突入した昭和16年12月8日には小学校5年生だった。「朱い色」とは大空襲で町が燃える色である。「骨壺」とは作者の夫が作った丹波焼の壺である。

阪神大震災の折に墓地の惨状を目にし、無縁仏の多さに驚き、墓を作ることは諦めた。私の骨は太平洋に散骨したい。そのときこの上等の骨壺も一緒に波間に沈めてもらいたい。そしたら蛸が取り合いするだろうか。この壺の住人になった蛸は、今はやりの六本木ヒルズに住むセレブになるのかな。そんなことをクラス会で話したら、『もったいないことせんと僕にちょうだい』と言った男性がいた。---」と、

この作者は少女時代の切ない思い出、家族のこと、阪神大震災福知山線事故のことなど、主婦の目線で時にはユーモアを交えながら切々と書いている。珠玉の小編エッセイである。

     

般若心経についての本を数冊読んだ結果、俳人高浜虚子辞世句について新解釈をふと思いつきブログを書いた。ささやかなブログであるが、俳句に興味のある方にはかなり読んで頂いているようである。 

ふとしたことからブログを書き始めたが、本との出会い人との出会いなど、不思議なに恵まれている。

そのことに感謝しながら「LOVE」の実践を「(かい)より始めよう」と心掛けているこの頃である。

          

          

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本との出会い(2)「尾曲がり猫と擦り猫と」を読んで選挙を考える。(リンク増補版)

       

本との出会い(1)で「あの海にもう一度逢いたい」を紹介したが、この著者は「尾曲がり猫と擦り猫と」(文学館)というささやかな本も書いている。このエッセイ集には胸を打たれるものがある。特に「石ころ」には胸を打たれた。

戦争を知らない世代でこの「石ころ」が何を意味するか分かる方がいるだろうか? 

石ころ」の話を親か誰かから聞いたことがあるだろうか?

先日NHKのテレビ番組で猫の可愛い仕草などの動画を報道していた。このような番組を笑って楽しめる現在の平和な日本は多くの筆舌しがたい犠牲の結果得られたものであることを忘れてはならない。

広島原爆を投下した「エノラ・ゲイ」の機長ティべッツ閻魔様に会わせてもらったった夢(?)の話、「千の風に乗って――地獄からの年賀状――」も読んでほしい。     

小学2年生の時に「墨で部分的に消された教科書」で勉強した記憶がある世代の一人としてはこの本を多くの方々に是非読んでほしいと思う。 

安倍さんは「アベノミクスの是非を国民に問う」ということで衆議院を解散した。第Ⅰ次安倍内閣では政権を放り出したが、臥薪嘗胆した安倍さんは第2次安倍内閣ではよく頑張っている。民主党政権交代千載一遇のチャンスを十分活用できず自滅した。野党は、「今度の選挙は大義名分が無い」などと言っていないで、しっかりした政策を掲げて国民の信を問うべきだろう。ネガティブキャンペーンをしている政党を支持する気にならない。

解散が宣言された議会のニュースで「御名御璽」という言葉があった。この言葉が現在の憲法の下でも使われていることを迂闊にも知らなかったので驚いた。しかし、天皇は「日本国日本国民統合の象徴」であるから当然のことだろう。

戦前は天皇は「現人神」であり、紀元節など祭日の学校の式では「御名御璽」と言われるまで全員が教育勅語を頭を下げて聞いていなければならなかった。「御名御璽」と聞いてようやくみんなが一斉に頭を上げて鼻水をすすった記憶がある。

学校の式典における国歌の斉唱国旗掲揚是非が問題になって久しい。オリンピックのみならず学校などの行事でも平和国家の象徴として国歌や国旗が正々堂々として自発的に用いられる日が来ることを切に望んでいる。

日章旗」が軍国主義の象徴ではなく、平和のシンボルとして世界の人々に受け入れられるようにするのは政治家の責任であり、与党の責任は重大である。

   

野党は「今度の解散は大義名分が無い」などと与党の批判をするばかりでなく、「国家の安寧のため、世界の平和のために自分たちはこうする」という具体的な政権公約を明確にすべきだろう。単に「改憲は改悪だ。改悪を阻止する」というだけでは駄目である。

平和憲法戦勝国に押し付けられたものだから改定すべきだという考えがある。仮に押し付けられたという経緯があるにしても、それは数知れぬ戦争犠牲者がもたらしてくれたものであり、良いものは維持すべきである。世界の平和を維持し、日本の自衛権を行使するための国際協調をするのに現憲法の条文に不明確な点があるということなら、「国際協調とは何か」「自衛権の行使とは何か」など、法令や運用基準で明確に定めるべきだろう。

一内閣がその時の都合で憲法解釈を如何様にでもできるということがあってはならない。それは独裁政治を許すことになるだろう。    

今度の選挙は単なるアベノミクスの是非の問題ではない。戦後70年節目になる重要な選挙であり、日本の将来を左右するだろう。

独裁政治・独裁体制をもたらすことになるか否か、政治家を選ぶ選挙民の責任も極めて重大である。現行の選挙制度では浮動票の投票率が選挙結果に大きく影響する。特に、若い世代は選挙に棄権しないようにしてほしい。若者は政治的無関心でいると自分たちの将来の幸せを失うことになるだろう。猫の本も色々あるが、平和ボケしないためにもこの本は是非読んでほしいと思う。

    

          

       

(青色の文字をクリックすると関連の解説記事や猫の写真・動画などをご覧になれます。<猫の動画>や<ワンちゃんの動画>をYouTubeで楽しめます。最初に少し(約10~30秒)宣伝が入ることがありますが、1~3秒後に「スキップ」することが出来ます。画面右欄の好きな写真をクリックしてお楽しみ下さい。)

    

    

    

2014年12月11日 (木)

本との出会い(4): 「悪党芭蕉」と「大悪人虚子」(その2)

   

   

今回は、虚子が「初空や大悪人虚子の頭上に」の句を作ったときに意識していた「」は何だったか、を考える。

   

高浜虚子没後50年記念として平成21年4月に出版された「高浜虚子の世界」(角川学芸出版「俳句」編集部)の最後に「私の虚子」というタイトルのアンケート記事がある。

アンケート①は「愛誦句3句」をあげることになっており、著名な俳人や歌人などの回答者48名のうち、16名が「去年今年貫く棒の如きもの」を挙げている。

   

小池光氏(歌人)は「悪人虚子」という見出しで、この「去年今年」の句の他に「天の川のもとに天智天皇と虚子と」「初空や大悪人虚子の頭上に」を挙げている。そして、アンケート③「いま、虚子について思うこと」については次のとおり回答している。

   

「③ 要するに保守本流の総大将で、短歌では斎藤茂吉みたいなもので、乗り越えねばならない存在と若いころは決めつけていたが、心空しく読んでみたら茂吉の面白さは無類で、すると虚子もやはり俳句は虚子だと思ってしまうのでないかと、恐れつつ思っている。前の2句など、実に得体が知れない。天智天皇と自分を並べる発想、自分を大悪人と規定する発想、どこからなにゆえ出てくるのだろう。棒の如きものはそれから三十余年の後の作だが、こう並べると妙に交錯して、棒の太さと貫く膂力(りょりょく)の大きさがえらく巨大に感じられる。およそ一筋縄では行かない恐ろしいものが、花鳥諷詠の陰でニタリニタリと笑っているような気がする。」

     

       

      

上記句評の「およそ一筋縄では行かない恐ろしいものが、花鳥諷詠の陰でニタリニタリと笑っているような気がする。」という表現にはちょっと引っかかる。

それはともかく、虚子が一方で「天智天皇と(臣)虚子と」と言いながら、他方で「大悪人虚子」と俳句にしたのは何故だろうか?     

この疑問の解決を私なりに見つけてみたい。

   

「天の川」の句は、稲畑汀子著「虚子百句」によると、大正6年に太宰府で作った句である。汀子さんは「初空や」の句について次のように述べている(抜粋)。

    

     

「大正7年(あるいは6年か)1月、虚子は、<初空や大悪人虚子の頭上に>という句を作っている。暦が更新され美しく澄み切った初空を仰いだ時、それを穢れを去った太初のように無垢な空と感じた虚子は、煩悩に満ちたわが身を振り返り己を大悪人と意識せずにはおられなかったのである。虚子が当時、己の中にどのような悪を意識していたかを詮索する余裕は今は無い。問題は虚子が悪を抱えてどう生きたか、それをどのように自らの作品に結実させたかである。参考になるのは虚子が『中央公論』の大正5年1月号に書いた『落葉降る下にて』であろう。

『これから自分を中心として自分の世界が徐々として滅びて行く其有様を見て行こう』『何が善か何が悪か』

一口で言えば虚子が選択したのは理性ではどうにもならない悪を抱える己という存在を事実存在として受け入れ、責任を引き受けつつ、あるがままに生きるという途であった。

それはまことに文学者らしい生き方であるが、辛い覚悟を要したはずである。虚子はその辛い途を俳句の存問という方法によって歩んだのである。虚子は自己との存問、自然に対する存問を繰り返し、長い時間をかけてついには超越者と存問を交わすようになる。・・・・(省略)・・・・長い期間の存問を経て虚子は我執を脱ぎ捨てたのである。

・・・・(省略)・・・・ 虚子はもう善悪彼岸に立っている。」

    

   

上記の「責任を引き受けつつ」とはどんな責任なのだろうか?         

坊城俊樹さんは「虚子の100句を読むにおいて、虚子が大正4年4月に作った句「春惜む輪廻の月日窓に在り」を取り上げて虚子の四女「六」の病死について触れているが、その責任のことだろうか? 

     

一方、坊城俊樹さんは「虚子の100句を読む」で「天の川」の句について次のように述べている(抜粋)。

     

「虚子は郷里松山での兄の法事に出て九州に船で着いた。そして太宰府を参拝し、都府楼 に佇んでいた彼は何を思っていたのだろう。 ・・・(省略)・・・ 同時に、今このときは日本のために、そしてかつて天智天皇がこの地で唐などからの国土防衛をしたことにおもいを馳せる。その時虚子はいたたまれず、自身もこの天皇の一臣下として国を護ろうと思ったのである。
 虚子のこの懐古とはすなわち、故郷へ向かったあとのその余韻とともに、日本の歴史への懐古そのものを言っている。

都府楼址は、礎石の柱の址がただ延々と続く。そこはだだっ広い空き地のようなもの悲しさである。夕刻には、かの有名な観世音寺の鐘が響く。それは千年を超えた虚子と天智天皇の君子の交わりの鐘の音であった。
 この句は『五百句』に、
  天の川の下に天智天皇と虚子と      虚子
と「臣」の字を削除して掲載されている。
 これは、昭和十二年刊行の当時、大政翼賛会
設立前夜としての抑圧に屈したとしか言いようがない。虚子ごときが天智天皇の「臣」たるは何事ぞ、というわけである。しかし、仮に時代がそうだとしても、この句では本来の虚子の臣たる高揚感と意味が異なってしまう。ましてや、この句では天智天皇と虚子が並立に存在するが如きでよほど不遜ではないか。

筆者および、その周辺ではこの句はあくまで掲句のような「臣虚子」であることに意味があるとして、あえて『五百句』の禁を犯した。
 もっとも、『五百句』でかように記されていたこの句は、昭和三十一年刊行の虚子自選の『虚子句集』にはすべて掲句のように戻されている。それが虚子のほんとうの心情であったことは明確である。・・・(以下省略)・・・」

        

         

     

俊樹さんの上記の句評を考慮すると、虚子の意識した『悪』は稲畑汀子さんが上記のようにとらえた『悪の意識』の他にも何か俗世界・世相との関係において考慮すべきことがあったのではないかと思う。

「高浜虚子」に関するウイキペディアの記事(抜粋)によると、「子規の没後、五七五調に囚われない新傾向俳句を唱えた碧梧桐に対して、虚子は1913年(大正2年)の俳壇復帰の理由として、俳句は伝統的な五七五調で詠まれるべきであると唱えた。また、季語を重んじ平明で余韻があるべきだとし、客観写生を旨とすることを主張し、「守旧派」として碧梧桐と激しく対立した。」とある。

    

虚子は「世間が己を悪人と言うならそれも甘受して、自分の信念を貫いて行こう」という決然とした清々しい気持ちで「初空や」という句を作ったのだという解釈も可能ではなかろうか?

    

虚子の句についても解釈が当を得たものになるかどうかは、長谷川櫂さんの指摘した「場」をどのように想定するか、虚子と「場」を共有できるか否かで決まる。

   

なお、虚子やその俳句に対する批評に関するブログを検索すると、この「場」をわきまえず、虚子の人格や俳句を悪しざまに批判しているブログが見受けられることは嘆かわしい。死人に口なしだから義憤を感じてこのブログを書き始めたが、虚子は「そんなことは俺は超越していたよ」というのだろうか?

なお、「エコブログ」(作者はかわからない)に「敵といふもの今は無し秋の月」という虚子の句をタイトルにした興味深い虚子の句評があった。その記事の一部を抜粋すると、

   

「天皇を信じていなかった鴎外、戦争の大義も敵の存在も信じていなかった虚子。しかし、鴎外天皇の藩屏として、虚子は日本文学報国会俳句部長として身を処した。彼らの心中を思い、いま、北朝鮮にいるだろう鴎外や虚子のことを思った。」とある。

    

まさに、現在の北朝鮮の状態は戦前の日本の有様を彷彿とさせる。虚子は文学報国会俳句部長としてどのように対処したのだろうか? 戦争を美化する文学や俳句には加担せず、ただひたすら花鳥諷詠を唱道し続ける他に道がなかったのだろう。

虚子は「俳句を『極楽の文学として世界の民衆や世界平和のために広げてくれよ」と天国浄土から国際俳句交流協会の活動にエールを送っているかもしれない。

     

    

     

(青色のアンダーライン・文字をクリックするとその関連の解説記事や写真がご覧になれます。

   

2014年12月 8日 (月)

本との出会い(3): 「悪党芭蕉」と「大悪人虚子」(その1)

       

「『悪党芭蕉』という本があるのを知っているか?」と博識の友人から聞かれたことがあった。その時は聞き流していたが、「虚子辞世句の新解釈」についてブログを書いているときに思い出して、「悪党芭蕉」(嵐山光三郎著、新潮社発行)を図書館で借りて読み始めた。

「この一冊を書き終えて、正直言ってへとへとに疲れた。知れば知るほど、芭蕉の凄味が見えて、どうぶつかったってかなう相手ではないことだけは、身にしみてわかった。」と著者が「おわりに」に書いているが、第34回泉鏡花文学賞と第58回読売文学賞を受賞したこの本はなかなかの労作で面白い。

      

ところで、虚子の「初空や大悪人虚子の頭上に」という俳句の句評や虚子自身について様々なブログ記事があるので、それらのブログや『悪党芭蕉』を読んだ感想をブログに書きたくなった。

   

俳句は融通無碍であり、詠む人と読む人の関わり合いや立場・考え方の違いなどで如何様にでも解釈できる。

     

嵐山光三郎氏は「俳聖芭蕉」という通念に対比する視点で「悪党芭蕉」を面白く書いている。

   

「2 『古池や・・・・』とは何か」の最後のパラグラフを抜粋すると、

次のとおりである。

     

・・・・(省略)・・・・

ところで、「蛙が水に飛び込む音」を聴いた人がいるだろうか。

この句が詠まれたのは深川であるから、私はたびたび、芭蕉庵を訪れ、隅田川小名木川沿いを歩いて、蛙をさがした。 

・・・・(省略)・・・・ 

蛙が飛び込む音を聴こうとしたが成功しなかった。

・・・・ (省略)・・・・

蛙はいるのに飛び込む音はしない。蛙は池の上から音をたてて飛び込まない。池の端より這うように水中に入っていく。

・・・・(省略)・・・・

ということは、芭蕉が聴いた音は幻聴ではなかろうか。あるいは聴きもしなかったのに、観念として「飛び込む音」を創作してしまった。俳句で世界的に有名な「古池や・・・」は、写生ではなく、フィクションであったことに気がついた。 

・・・・(省略)・・・・ 

「蛙飛び込む水の音」は、芭蕉が自分で見つけたオリジナルのフィクションなのである。

     

嵐山光三郎氏は上記抜粋のように断言しているが、芭蕉が詠んだ当時の川やと自然破壊・人工化の進んだ現在の川や池を同じレベルで判断するのは事実誤認であり、独断も甚だしいと思う。これは悪党云々の根拠の一例に過ぎないが、芭蕉は何というであろうか? このような誤解がブログなどで広まるのも問題である。死人に口なしであるから、子供の頃に川や池に蛙が飛び込む音を何度も聞いたことがある田舎育ちの私が芭蕉の代弁をしておきたい。

          

長谷川櫂氏はサントリー学芸賞を受賞した「俳句の宇宙」(花神社発行)の序章「自然について」で「古池や・・・・」の俳句について次のように述べている(抜粋)。

     

この句を初めて聞いたとき、芭蕉という人は、いったい、何が面白くてこんな句をよんだのだろうかと不思議に思った。

古池にカエルが飛び込んで水の音がした—――-なるほど、一通りの意味はわかる。「自然に閑寂な境地をうち開いている」(山本健吉)といわれれば、そうか、とも思う。しかし、芭蕉は何か別のことを言いたかったのではないか。

・・・・(省略)・・・・

芭蕉の古池の句は、もともと当時の俳諧という「場」に深く根ざしたものだった。時間とともに、その「場」が失われてしまうと、この句が本来持っていた和歌や当時の俳諧に対する創造的批判という意味が見えなくなってしまった。

・・・・(省略)・・・・

そして、俳句がわかるには、俳句の言葉がわかるだけでなく、その俳句の「場」がわからなければならない。俳句の「場」に参加しなければならない。いいかえると、俳句が通じるためには、作り手と読み手の間に「共通の場」がなければならない。

俳句にとっては言葉と同じくらい、言葉以前の「場」が問題だ。そして、俳句を読むということは、その句の「場」に参加することなのだ。

・・・・(省略) ・・・・

いずれにしても子規は古池の句の「場」として自然以外のものを認めようとしない。

虚子はもっと徹底していて、・・・・ (省略) ・・・・ 古池の句をほとんど自然讃歌、生命讃歌の句にしてしまっている。こういうことが起こるのも、古池の句の本来あった「場」が失われてしまっているからだ。 ・・・・(以下省略)・・・・

     

以上のような次第なので、次回のブログで「大悪人虚子」について書くことにしたい。

    

青色の文字をクリックするとその関連の解説記事や写真がご覧になれます。「古池に蛙は飛び込んだか」(長谷川櫂著)を紹介したesu-keiさんのブログは「蕉風」を理解するのに参考になります。ここをクリックしてご覧下さい。なお、「古池や・・・」の俳句の英訳や英語俳句の作り方に興味のある方はここもクリックしてご覧下さい。)

      

    

2014年11月 9日 (日)

国際俳句交流協会総会に参加 ~「日本人らしさの発見」の著者の講演拝聴~

6月13日に東京の私学会館で開催された国際俳句交流協会総会に参加し、東京工業大学名誉教授芳賀綏氏の講演「日本人の心とことば~世界の鏡で日本を見る~」を拝聴した。早速、懇親会会場の受付で同氏の近刊著書「日本人らしさの発見」を求め、帰りの新幹線で読んだが、我が意を得た思いをした。

芳賀さんはこの本の最後に次の通り述べている。

「異文化にべた惚れでもない、毛嫌いでもない、異文化同士の適切な距離の取り方を心得ること、いわば”間合い”のセンス、<距離感>を身に着けること、そこに至る必須の道として、この本に示したような比較文化の観点の存在価値があります。その観点に立って自らの国、民族の位置を的確に知ることで<民族的教養>は深まります。”世界の鏡に写した自己”を見て、美風に自信を持ち、弱点の克服につとめる日本人が、とりわけ若い世代の日本人が増えてこそ、風格ある国民による第三の開国、すなわち「真の開国」は実現します。」

国際俳句交流協会では俳句を国際的に広めて、和食と同じように無形文化世界遺産に登録されるようと努力しているようである。実現すれば素晴らしいことだが、これは夢物語だろう。俳句には和食と異なり言葉の障壁がある。俳句を外国語に翻訳しただけでは俳句の良さが分からないから、日本語を理解し、俳句に興味をもつ外国人が増えることが不可欠である。いずれにせよ、将来俳句が世界的にどのように受け入れられるか、自分なりに俳句を通じて国際交流を促進することができれば幸いである。

現代はインターネットで誰でも簡単に世界に発信できる。集団的自衛権憲法解釈が問題になっている折から、小生も些細なブログであるが、世界の平和を願い、自然を愛し、日本の文化を愛する自分の思いを発信していきたい。ブログ記事「スウェーデン大使館開催の俳句・川柳コンペティションに入選」もご参照下さい。

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