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2015年2月28日 (土)

俳句談義(5): 戦時中の高浜虚子・文芸家としての良心

              

2月11日は「建国記念の日」であり、2月22日は高浜虚子誕生日である。そこで、今回は戦時中における文芸家・俳人としての虚子の良心の在り方について考える。

    

青色文字をクリックして関連の解説記事をご覧下さい。

俳句は好き好き、人も好き好き」である。俳句第二芸術と言った桑原武夫昭和五十四年四月号の『俳句』(角川書店)において、「虚子についての断片二つ」という記事に次のとおり述べている。

   

「アーティストなどという感じではない。ただ好悪を越えて無視できない客観物として実に大きい。菊池寛は大事業家だが、虚子の前では小さく見えるのではないか。岸信介を連想した方がまだしも近いかも知れない。この政治家は好きな点は一つもないが」

   

上記の記述を引用して、虚子のことを「A級戦犯でありながら戦後に総理大臣まで上り詰めた『岸信介を連想した方がまだしも近い』というのは、けだし、桑原の明言であろう。」と言っているブログがある。

中田雅敏著『人と文学 高浜虚子』「夜半亭のブログ」参照

   

しかし、このブログの記述には誤りがある。岸信介は「A級戦犯被疑者」であったが、A級戦犯ではない。ウイキペディアの解説によると「即時停戦講和を求めて東条内閣を閣内不一致で倒閣した最大の功労者であること[3]などの事情が考慮されて不起訴のまま無罪放免されている」のである。  

それはともかく、高浜虚子は深慮遠謀ホトトギス俳句王国を確立したという点で「俳界における徳川家康だった」という気がする。

     

ドナルド・キーンさんは高浜虚子の戦時下の俳句について、日本文学』において次のように述べている(抜粋「mmpoloの日記」参照)

「虚子の保守性は一部の俳人を遠ざけたが、同時にまた多数の俳人を『ホトトギス』派に引き寄せた。こうして、『ホトトギス』は全国に広まり、俳句は20世紀の日本の生活と文学におけるさまざまな変化にもかかわらず、生きのびることができたのである。

・・・(省略)・・・

戦時中の虚子の作品は、当時の他の文学の病的興奮とは対照的に落ち着いた、超越したものだった。

     

     

    

      

虚子俳句問答(下)実践編」(稲畑汀子監修・角川書店発行)を見ると、「戦時下の俳句」という章に読者の質問と虚子の回答の記載があるが、戦時中の虚子の俳句に対する考え方や戦争に対する姿勢の一端がわかる。次にその幾つかを抜粋して記載させて頂く。

      

(質問)

現下の如き非常時局下に暢気(のんき)に俳句でもあるまいと・・・(省略)・・・悩んでいる・・・(省略)・・・ご教示願いとう存じます。(奈良 吉本皖哉 .2 

回答

俳句は他の職業に従事している人から見ると、慰楽の為に作るとも考えられるのでありまして、御説のような感じの起こるというのも、ご尤も(もっとも)でありますが、・・・(省略)・・・画家が画を描き、文章家が文を属し或は俳優が演技するのと一般、少しも恥ずるところはないのであります。・・・(省略)・・・現に戦地にある人々も、干戈(かんか)の中で俳句を作って、送って来ておるではありませんか。

   

(質問)

ホトトギスの雑詠に従軍俳句が相当たくさんある様になりました。戦争という特殊な境地をうとうたものは、所謂(いわゆる)戦争文学として雑詠より分離して別に纏め(まとめ)られたらと思いますが、如何でしょうか? (大阪 中村秋南 昭.9 

回答

戦争文学として、これを特別に取り扱うことは親切なようであって、返って不親切になる結果を恐れるのであります。雑詠に載録する位の句でなければ、戦争俳句として取り扱うことも如何かと、考える次第であります。

    

(質問)

文芸報国の一端として今回の事変発生以来、ホトトギスに戦地より投句したる戦争俳句、内地よりの事変に因む銃後俳句のみを蒐集(しゅうしゅう)し、これを上梓(じょうし)しては如何。好個の記念になると思う。(大阪 行森梅翆 昭.9  

回答

上梓するのは、事変が落着して後の方がよかろうと思います。

     

(質問)

最近の新聞に()りますと、虚子先生を会長に俳句作家協会が生まれます由、俳壇での新体制についてご指導に預かる私どもの句作上について、何か心構えとでもいう事はございませんのでしょうか。(大分県 三村狂花 昭.16.2  

回答

重大な時局下にあるということを認識した上で、(ただ)佳句を志して従前通りのご態度でご句作になれば結構だと思います。

      

また、「添削」の省の「誇張せず自然に」という項では戦時下の俳句について次のような質疑応答がある。

   

(質問)

「兵送る初凪や埠頭旗の波」「兵送る初凪埠頭や旗の波

何れが句として調っておりますか。・・・(省略)・・・(沖縄 大見謝雅春 昭.13.3

回答

こういう場合は「旗の波」は割愛してしまって、「初凪の波止場に兵を送りけり」とでもするより他に仕方がないでしょう。少し平凡ではありますけれども、それに旗の波を加えたところで大して斬新な句になったというでもありません。(むし)ろ、格調のととのった方がよろしいと思います。

     

    

チュヌの主人のコメント

この質問・回答の掲載された前年昭和12年には軍歌「露営の歌」が大ヒットしたそうである。

この歌の歌詞には「進軍ラッパ聞くたびに瞼(まぶた)に浮かぶ『旗の波』(1番)」という文句があり、

「馬のたてがみなでながら明日の命を誰か知る(2番)」

「死んで還れと励まされ覚めて睨(にら)むは敵の空(3番)」

「笑って死んだ戦友が天皇陛下万歳と残した声が忘らりょか(4番)」

「東洋平和のためならばなんの命が惜しかろう(5番)」

など、戦争を謳歌・賛美して戦意を高揚させ若者を駆り立て死に追いやった文句が並んでいる。

虚子はこの軍歌を連想させる「旗の波」を俳句に詠むことを良しとせず、「初凪の波止場に兵を送りけり」と、「出征して行く若者のことを思いやりながら送り出すしみじみとした俳句」にすることを教えたのである。

「初凪」と「送りけり」が呼応して出征兵士の無事を祈る気持ちが感じられ、戦意高揚を謳う原句とは全く正反対のニュアンスがある。

八紘一宇」「東洋平和のため」「大東亜共栄圏のため」にとその理想的な目的を純粋に信じてその実現に命をささげた若者も多くいただろう。

その意図に反し戦争に伴う非道な行為もあったことは全く残念なことである。筆舌に尽くし難い戦争の悲惨・犠牲・被害を思うと黙しているわけにはいかない。    

現在もテロとの戦いウクライナ停戦問題など国際情勢は常に流動的である。有事の備えをし、且つ、平和主義を徹底する基本的な政策が必須である。安倍首相は「積極的平和主義」に基ずく外交を推進しようとしているが、「真に世界平和の実現に寄与するにはどうすればよいのか」集団的自衛権の行使はどうあるべきか」与党野党が時間をかけて議論して国民の理解・合意を得るようにしてほしい。国民の理解を得ずして外国の理解を得ることは期待できない。

単に政治家やマスコミに任せるだけでなく、一人一人が日本の平和・世界の平和を維持することを真剣に考えてそれを政治やマスメディアに反映させることが大切である。

日中戦争太平洋戦争の犠牲となった人々のことを思い、墨塗り教科書で勉強をした戦中・戦後の体験者として戦争を知らない世代に政治に関心を持ってほしいとの思いから、つい「俳句談義」が「政治談議」のようになったが、本論に戻ろう。

      

         

坊城俊樹空飛ぶ俳句教室」の「虚子と戦争」に次のような記述がある。

 

「終戦直後、新聞記者に俳句はどのように変わったかと問われた虚子は、
『俳句はこの戦争に何の影響も受けませんでした』と答えたといいます。そのときにその記者があわれむような目をしたと言っては、虚子は笑っていました。」

    

「虚子俳句問答」における読者と虚子との質疑応答を読むと新聞記者の質問に対する上記の虚子の答えは納得できる。

虚子は自分が日本文学報国会俳句部会長として戦争を賛美することなく花鳥諷詠の文学を堅持し、時代の流れに掉さすことも流されることもなく、文芸家・俳人としての良心貫いたのだと思う。 

       

     

    

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コメント

「露営の歌」は、朝ドラの「エール」の主人公「古山裕一」のモデル「古関裕而」が作曲し、昭和12年にコロンビアレコードから発売されて大ヒットした。
新型コロナウイルス感染症の拡散防止(3密回避)のために撮影が中断したのか、現在は再放送中でドラマの進展がないが、当時の状況をどのようにドラマ化するのか、非常に興味があります。

(薫風士)

「俳句を通して世界平和を!」という思いで
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公開させて頂きます。予めご了承ください。

英国が国民投票の結果EUを離脱することになり残念なことです。
米国の大統領選挙でトランプ氏がもしも勝利することになれば、
世界各国の右傾化が更に促進されて帝国主義的覇権主義に逆流することになるのではないか、
民主的な地域の拡大・統合への理想的な動きが阻害されることになるのではないか、
と危惧しています。
世界大戦の多大な犠牲に対する反省から生まれた平和憲法の基に、
日本は軍事力でなく技術力と国民の努力で経済発展を実現し、
世界平和のためにも貢献してきました。
このような日本の戦後の基本的な流れを逆流させてはなりません。
7月10日の参議院選挙は老若ともに棄権せずしっかり考えて投票してほしいものです。

「海に出て木枯帰るところなし」の英訳として、

     Moving out to sea
     The winter storm has nowhere
     For it to return.

というのがあった。
特攻隊はアメリカ人には「storm(嵐)」という感じがしただろうが、
日本人にとっては孤独な一特攻隊員に焦点をあてた俳句だとするのが妥当な気がする。
したがって、「木枯らし」は「winter wind」と英訳する方が
原句のニュアンス(「神風」「特攻隊」)を出せるのではないか?
キーンさんのご意見を伺いたいものである。

戦争を知っている世代の著名な方々の訃報をよく目にするようになりました。
最近のニュースでは水木しげるさんや野坂昭如さんの訃報です。

雨宮処凛がゆく!
「水木しげるさんの死〜なぜ「戦争反対とは決して言いません」だったのか。の巻」
http://www.magazine9.jp/article/amamiya/24461/
をご覧下さい。

戦争を知らない世代の方々には
「12月8日」は何の日か、
ご存知でない方が多いようです。
「師走の俳句を集めました」
お忙しいでしょうが、
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/12/post-d12e.html
をクリックして師走の俳句をエンジョイして下さい。

洋画家の絹谷幸二氏が日経新聞の「私の履歴書」で、
曾良(江戸時代の俳諧師)の句「春にわれ乞食やめても筑紫かな」
に触れて、次のように味のあることを言っている。
「絵の修業はもちろん大事だが、鍛えなければならないのは技量ではなく、心の持ちようなのである。」と、
更に、奈良県桜井市の安倍文殊院の本尊、文殊菩薩に言及して、
「菩薩は左手に花、右手に剣をお持ちである。揺るぎない備えを持って、平和を尊ぶ、この構えこそ、今日、実は大切な姿ではないのか」
と言っている。
安倍総理には文殊菩薩のことなど、日本人が昔から平和を祈願してきたことを是非とも世界の政治指導者に話して、
世界平和を推進して貰いたいものである。

ウイキペディアによると、
喜多 一二(川柳作家)は治安維持法違反で逮捕され、29歳で病死している。
「反戦川柳作家・鶴彬」
http://www2.nsknet.or.jp/~mshr/asobi/senryu/turuakira.html
を見ると、沢山の川柳がある。
だが、ベッドに手錠でくくりつけられたまま病死したとのことだから
辞世の句を作ることは許されなかったのだろう。
「川柳で侵略戦争と闘った若者、鶴彬没後70周年」
http://www.liveinpeace925.com/culture/tsuru_akira.htm
をご覧下さい。

世界の政治家・宗教指導者・マスコミ関係者は「柔よく剛を制す」
http://kotowaza-allguide.com/si/jyuuyokugouseisu.html
ということを認識してテロ対策を考えてくださいね。
「後藤健二さんの死を無にするな! 政治家やマスコミが言っていないことを言う。」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/02/post-a027.html
をご覧下さい。

先日の「NHKスペッシャル」で
「私が愛する日本人へ ~ドナルド・キーン 文豪との70年~」
を放映していた。
川端康成の「雪国」や谷崎純一郎の「細雪」など
主に小説について取り上げていた。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586635/index.html
をご覧下さい。
「俳句」についてキーンさんが考えておられることに興味がある。
参考になる記事など、ご存知の方があれば、教えて頂けると幸いです。
(メールアドレス)aiqtrans@hi3.enjoy.ne.jp

政治家と俳句 <俳句を通して世界の平和を!>
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/06/18-2f5b.html
をご覧下さい。

皆さんご存知ですか?
自民党は憲法を改正し、天皇を元首にして、戦争の出来る国にしようとしています。
自民党の暴走を止めなければいけません。

自民党の憲法改正草案を読んでください。
https://www.jimin.jp/activity/colum/116667.html

「俳キングシリーズ 山口誓子」というブログによると、
「海に出て木枯帰るところなし」は「特攻隊員」の片道飛行・死を悼んだ句である。
山口誓子の「句による自伝」に次の記述があるとのことである。
「この句を作ったとき私は特攻隊の片道飛行のことを念頭に置いてゐた。この句はあの無残な戦法の犠牲者を悼む句でもあった。」
http://ameblo.jp/msato0596/entry-11410983063.htmlを参照)

「『戦略』という言葉の意味は「『いかに戦うか』ではなく、『いかに戦わないか』」ということです。
安倍首相の「積極的平和主義」や「集団的自衛権の行使」に是非この考えを適用して貰いたいものです。
「未来からの風」(田坂広志公式サイト)
http://hiroshitasaka.jp/letter/6756/
をご覧下さい。

戦時下の虚子の人間性の一端を示す記事が次のサイトにあるのを見つけた。

ウラハイ=裏「週刊俳句」
http://hw02.blogspot.jp/2010/02/5.html
ホトトギス雑詠選抄〔5〕春の部(二月)「雪解」

これは、前田普羅に関する記事であるが、その中に次の記述があった。

「この新興俳句弾圧事件の黒幕とされたのが、日本文学報国会の常務理事である小野蕪子だった。
俳句部の会長だったのは高浜虚子だが、虚子は戦時中は「ホトトギス雑詠」の選に没頭して「花鳥諷詠」を貫いており、
戦争咏は「八月二十二日。在小諸。詔勅を拝し奉りて、朝日新聞の需めに応じて」と題した、
敵といふもの今はなし秋の月  虚子 昭和20年
という、見方によっては随分とぼけた一句だけだった。」

「チュヌの便り」を読んでいて、このブログに関連のある記事として印象に残った箇所を次のとおり再録する。

「エコブログ」(作者はかわからない)に「敵といふもの今は無し秋の月」という虚子の句をタイトルにした興味深い虚子の句評があった。その記事の一部を抜粋すると、 
「天皇を信じていなかった鴎外、戦争の大義も敵の存在も信じていなかった虚子。しかし、鴎外は天皇の藩屏として、虚子は日本文学報国会の俳句部長として身を処した。彼らの心中を思い、いま、北朝鮮にいるだろう鴎外や虚子のことを思った。」とある。

高浜虚子の人間性を悪しざまに云々するブログを見かけたが、
虚子が俳句を作った「場」や時代・世相などを考慮すると
その様な批判は当てはまらないとチュヌの主人は思っている。
「虚子俳句問答」を読み返し、朝ドラの「マッサン」を見ていると、
なおさらそういう思いを強くしている。

道得風光氏は「俳句を評するということ」
http://ncode.syosetu.com/n8760bu/1/
において、山口誓子の句「海に出て木枯帰るところなし」の「木枯らし」は「特攻隊」を暗示していると推測し、次のように述べている(抜粋)。
「この句が作られたのは昭和十九年十一月から翌年十月である。昭和十九年は太平洋戦争の敗戦色が濃厚になり、・・・(省略)・・・人々は我慢を重ね、軍も遂に特攻隊や回天といった人の命を犠牲に攻撃をする手段をとり始めた(特攻隊が始めて出撃したのは昭和十九年十月)。優秀な若者達は行きの燃料しかない戦闘機に乗り、米艦隊に向かって突っ込んだり、墜撃されたり、燃料切れでその命を散らしたのである。そして、それらは連日のように新聞や大本営で、堂々と、成功!米軍に大打撃!と書かれた。しかし、誓子は頭がいい人だったから、そんなことは殆ど無理に近いことを悟っていたのではないだろうか。・・・(省略)・・・
すべて木々が枯れる頃に吹く風、木枯し。それに艦隊が動く海、そして、行きだけの燃料だけで突撃して行き、二度と家族や日本の土地を踏めない様を帰る所なしと読んだ。
これはあくまでも私の推測である。だが、私はそんな風に感じてならないし、誓子自身しかわからないことである。誓子は特攻隊でなく、自らの命を木枯しにたとえたのかもしれない。」

また、この句について秋尾敏氏は「生き残る俳句」という興味ある記事を書いている。http://www.asahi-net.or.jp/~cf9b-ako/kindai/ikinokoru.htm
をご覧下さい。

毎日新聞(2015.2.26)に「戦後70年:今も続いている国民への忍耐押しつけ」というタイトルでドナルド・キーンさんインタビュー記事があった。
親日家のキーンさんの言葉に耳を傾けてほしい。
http://mainichi.jp/feature/news/20150226mog00m040001000c.html
をクリックしてご覧下さい。

「神戸まろうど通信」の「佐藤鬼房論」に次の記述があった(抜粋)。
http://blog.goo.ne.jp/maroad-kobe/e/58a48f93e3d93f53b4f2b6a01fd6d1ac
  
☆もうひとつ、戦時の文芸で問題にすべきことは、詩(例えば一九四〇年の「神戸詩人事件」、三七年一二月に雑誌「川柳人」の同人たちの検挙、四一年二月に新興俳句系、四一~四二年歌人など、四三年まで続いている。ちなみに、鬼房は弾圧が吹き荒れていた時、中国戦線にて兵役に服していたこともあって、難を逃れている。鬼房は「戦中は詩をやるとにらまれるけれど、俳句は案外にらまれないね」(『証言・昭和の俳句 下』139)と語っている。

上記の「俳句は案外にらまれないね」のように俳句が戦中を生き延びることが出来たのは、虚子の唱道した花鳥諷詠の俳句では戦争を美化することもなく、川柳や新興俳句のように作者の反戦的な考えや思いを明瞭に表現することもせず、人事を超越し中庸を維持したからだろう。
俳句談義(5)http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/02/post-0c81.html をご覧下さい。

二葉亭餓鬼録 「川柳の世界」
http://ameblo.jp/tta33cc/entry-11255696783.html
に次の記述があった。

谷崎潤一郎の「細雪」も、昭和18年3月、連載が2回を数えたところで、いきなり中止となりました。厭戦俳句・短歌を載せた雑誌は、ことごとく休刊に追い込まれ、それでもがんばって反戦俳句を載せ、治安維持法に触れて検挙されたり、投獄された者が多かったのです。
そして川柳界は、戦時下に入ると、ますます戦意向上のポスターみたいな川柳を求められるようになりますが、水府は、なんとかして、川柳雑誌「番傘」を守ろうとして、なくなくこころにもない句を載せます。
《せつかちの老人気質おもしろし》と詠んだ高浜虚子。
俳句にしてはめずらしい無季句なんですが、なんとなく川柳にも見えてきます。すると、これはへんだぞ、という声がかかり、みんなは川柳みたいだといいはじめます。虚子は、「俳句は、滑稽が生命である」といい張ります。これを知った水府は、おやおや、これでは川柳は、俳句にお株を取られたかたちじゃないか、といったのだそうです。

上記の引用からも、高浜虚子が戦時下の俳句を守るために腐心したことが窺われます。

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