文化・芸術 Feed

2020年2月20日 (木)

芭蕉300句の英訳チャレンジ(71~80)

        

(71) 

ありあけも三十日に近し餅の音

(ariake-mo misoka-ni-chikashi mochi-no-oto)

     

the daybreak

also close to the year’s end_

sounds of pounding steamed rice

  

(注)

餅つきの音があちこちにしていることを詠んでいるとの解釈に基づき複数形にしました。

   

    

(72) 

春もややけしきととのふ月と梅

(haru-mo yaya keshiki-totonou tsuki-to-ume)__(A)

(harumoya-ya keshiki-totonou tsuki-to-ume)__(B)

  

(A)  

the spring scenery

almost in order_

the moon and ume-blossoms  

   

(B)

the spring mist_

scenery almost in order

the moon and ume-blossoms

  

(注)

(A)は通説どおり「春もやや」を「春も・やや」と解釈して翻訳しています。「梅」に対応する英語で俳句に適切な単語は無いので「ume」と記述します。

(B)は最後の「や」を詠嘆の助詞と捉えて、「春靄や」と読む新解釈で翻訳しています。「芭蕉が墨絵を念頭にしてこの句にそのような含みをもたせた」と大胆な深読みをするのは穿ち過ぎでしょうか?

    

   

(73) 

庭はきて雪をわするるははきかな 

(niwa-haki-te yuki-o wasururu hahaki-kana) 

   

sweeping the garden,

the broom forgets

the snow it swept

  

(注)

「ははき」は箒のことです。真蹟自画賛によると寒山のことを詠んだ俳句です。句意が分かりやすいように語句を補充して翻訳しましたが、更に解説が無けらば理解できない俳句です。

  

  

(74) 

大津絵の筆のはじめは何仏

(ōtsue-no fude-no-hajime-wa nani-botoke)

     

what buddha was drawn?

the first ōtsu painting

of New Year

 

          

(75) 

古寺の桃に米ふむ男かな

(furudera-no momo-ni kome-fumu otoko-kana)

   

at the old temple

peaches in bloom_

a man pounding rice

  

  

(76) 

うたがふな潮の花も浦の春 

(utagauna ushio-no-hana-mo ura-no-haru)

  

Have no doubts_

the flowers of tide

also the spring of the bay

   

(77) 

樫の木の花にかまはぬ姿かな

(kashinoki-no hana-ni kamawanu sugata-kana)

  

evergreen oaks

having their own figures

indifferent to flowers

          

  

(78) 

咲き乱す桃の中より初桜

(sakimidasu momo-no-naka-yori hatsuzakura)

  

the first cherry blossoms

out of order_

among the peach blossoms

  

       

(79) 

よくみれば薺花さく垣ねかな

(yoku-mire-ba nazuna-hana-saku kakine-kana)

   

careful watching_

shepherd’s purses in bloom

under the hedge

   

    

(80) 

鶯や竹の子藪に老を鳴く

(uguisu-ya takenoko-yabu-ni oi-o-naku)

   

crying over agedness

in the bamboo shoots bush_

a bush warbler

   

2020年2月19日 (水)

俳句の季語と定型

   

「運動会」の俳句 <「季語」について>

   

令和元年1014日は「体育の日」でしたが、台風の影響で運動会など、色々なイベントが中止されました。

台風19号の甚大な被害に遭われた方々のことを思うと胸が痛みます

心からお見舞い申し上げます。

亡くなられた方々には謹んでお悔み申し上げます。

そして、トランプ米国大統領にはパリ協定からの離脱(温暖化防止努力を無視)について大いに反省してもらいたいとの強い思いを新にしています。

この思いを皆さんにFacebookTwitterLINEなどでシェアして頂けると望外の喜びです。

  

ところで、「体育の日」に因んで「575筆まか勢」の「運動会」の例句を季語に焦点を当てて見ると、次の俳句が目に留まりました。

   

・つぎつぎの運動会や秋の行く 前田普羅

    

・運動会のろのろ颱風海にあり 百合山羽公

   

・赤蜻蛉運動会の日となりぬ (子規句集 虚子碧梧桐選)

    

・運動会の旗あちこちす春の山 正岡子規

   

   

「運動会」は「秋の季語」ですが、上記のように「台風」「赤蜻蛉」などの「秋の季語」ばかりでなく、「春の季語」と共に詠まれている俳句もあります。                                             

最近は運動会を気候の良い5月頃に開催する所もあります。立夏は5月5日(子供の日)頃ですから、運動会は「秋の季語だ!」と決めつけれれると句作に難渋することになります。

まんぽ俳句」やプレバトの「運動会」の俳句などのブログに於て述べましたが、「季語」は句作に活かすべきものであり、自由な表現を徒に束縛したり、句作の楽しみを阻害するものであってはならない、「季語のあるべき姿」は時代の変遷や自然現象の変化に合わせて柔軟に考えればよい、という思いを新たにしています。

そして、定型(5-7-5)についても、定型では表現しきれない詩的表現や心情表現をするために必要な最小限の範囲で字余りや破調を認めるべきだろうと思っています。

この思いは芭蕉の俳句の翻訳をしていると一層強くなりましたので、昨年10月に書いた記事を補正して再掲載しました。

  

プレバトの俳句「鏡」

「も」と「を」 (プレバト俳句から)

  

人気絶頂の俳句番組「プレバト」の夏井先生の添削は「さすがに上手い」と感心することが多々ありますが、「どうかな?」と思う添削も時々あります。

その一例は、12月5日に放映された金子恵美さんの俳句の添削です。

「小春日や夫も鏡に試着室」

「夫という鏡小春の試着室」

に修正しています。

  

「鏡」には「模範」という意味もあります。作者の意図からすると、夏井先生のこの添削は「どうかな?」と疑問が湧きます。

 

むしろ、助詞の「も」を「を」に替えるか、「試着室」を「試着」に替えて、次のように修正すると作者の意図していることがすっきり表現出来るばかりでなく、夫婦円満ぶりがイメージに浮かび良いと思います。

  

・小春日や夫を鏡にして試着

・小春日や夫も鏡にして試着

   

前者は鏡に映して自分で判断するよりも夫の判断を大事にしているニュアンスがありますが、

後者は、鏡に映して自分で判断するばかりでなく、夫の意見も聞いている仲良し夫婦の情景が浮かびます。

  

もし、お題の「試着室」を用いなければならないのなら、

次のように修正したらどうでしょうか?

・試着室夫を鏡にして小春

・試着室夫も鏡にして小春

  

俳句は「詠み人・読み人」を映す面白い鏡だと思っていますが、

貴方なら、どう添削しますか?

  

夏井先生の揚げ足を取るつもりではなく、「俳句の裾野を広げたい」という夏井先生と同じ思いで、及ばずながらプレバト視聴者の俳句の推敲・添削の参考になれば幸いだと、この記事を書きました。

   

俳句愛好家のコメントが頂けるとありがたいです。

 

Img_6377

Img_6378

2020年2月 9日 (日)

芭蕉300句の英訳チャレンジ(51~60)

      

芭蕉の含蓄のある俳句の翻訳についてご理解を頂くために注釈を付記しました。英語俳句(HAIKU)作成の参考にも役立てば幸いです。

   

(51) 

稲雀茶の木畠や逃げどころ

(ina-suzume chanoki-batake-ya nigedokoro)

  

(A) 

rice-field sparrows_

a tea field is

their escape place

  

(B) 

sparrows in the rice-field

escaped into

a tea field

   

注)

芭蕉のこの俳句は三段切れです。「や」を「は」とか「が」にすると散文的・説明的になるのを嫌ったのかも知れませんが、「茶畠は良い隠れ場所だな」という詠嘆を「や」で表現した結果三段切れになったに過ぎないでしょう。「三段切れでも意味が分かれば構わない」という例句になります。

英語のHAIKUとしては単語を羅列するだけでは詩的でなく意味不明瞭になるので動詞を補って翻訳しましたが、(A)の方が(B)より俳句らしいでしょう。

 

    

(52) 

草の戸をしれや穂蓼に唐がらし 

(kusa-no-to-o shire-ya hotade-ni tōgarashi)

  

(A)

be aware of the grass door_

buckwheats in ear

and red peppers

  

(B)

be aware of the grass door_

water peppers in ear

and red peppers

     

(注)

この俳句は芭蕉の草庵に来る客への歓迎句です 

「蓼」の英訳には、buckwheat(そば)やjoint grass(紀州雀ひえwater pepper(柳蓼などありますが、(B)の方がred pepperとの釣合が良いかもしれません。

 

  

(53) 

牛べやに蚊の聲よはし秋の風 

(ushi-beya-ni ka-no-koe yowashi aki-no-kaze)

    

(A)

in the cow room

feeble hums of mosquitoes

autumnal wind

 

(B)

in the cow room

a feeble sound of mosquito

autumnal wind

  

(注)

この俳句は牛が小屋でなく人家の土間にある牛部屋で飼われているのを詠んだものでしょう。蚊は沢山居たでしょうから、(A)のように複数にする方が適訳だと思いますが、晩秋の残り蚊だとすると(B)の単数の方が良いでしょう。

なお、一般に、前置詞を使い過ぎると散文的になるのでなるべく省略する方が良いのですが、この句の場合は助詞「に」対応する「in」を省略すると、作者も牛部屋に居るニュアンスになり、誤訳になるでしょう。

  

 

(54) 

波の間や子貝にまじる萩の塵

(nami-no-ma-ya kogai-ni-majiru hagi-no-chiri)

    

(A)

between sea waves_

bush-clover trashes

among small shell-fishes

  

(B) 

between shore waves_

bush-clover trashes

among small shells

       

(注)

(A) は「小貝」を「生きた貝」の意味に解釈した英訳です。

(B) は「小貝」を「貝殻」と解釈し、「波が浜辺の波」であることを明瞭にし、「shore waves」と意訳して「韻」を踏んでいます。

芭蕉はそのような区別は意識せず、「貝と萩の花片との対比」に興味を抱きこの俳句を詠んだのでしょうか。

いずれにせよ、英語HAIKUとしては(B)の方が適訳でしょう。

      

      

(55) 

海士の屋は小海老にまじるいとど哉

(ama-no-ya-wa koebi-ni majiru itodo-kana)

 

a fisherman’s hut_

among shrimps

a camel cricket

 

  

(56) 

身にしみて大根からし秋の風 

(mi-ni-shimite daikon-karashi aki-no-kaze)

  

penetrating my body_

the radish bitterness,

an autumnal wind,

   

  

(57) 

芭蕉野分して盥に雨を聞夜かな

(basho-nowaki-shite tarai-ni-ame-o kiku-yo-kana)

  

(A)

the typhoon against banana trees_

rain drops into a tub,

the sound in the night

        

(B)

banana trees in the typhoon_

the sound of rain on a water tub

in the night

    

(注)

(A)では台風に重点を置き、「(昼間は眺めていたが)夜は雨音を聞いている」ことを詠んだと解釈し、(B)では、バナナの木に視点を置いて「夜によく聞こえる雨音を聞いている」と解釈し、ニュアンスを変えて翻訳しました。夜通し雨音がしている情景を詠んだとすれば、「in the night」は「(all) through the night」にすると良いでしょう。いずれにせよ、(B)の方が原句の句意に近い適訳だと思います。

      

    

(58) 

わせの香や分入右は有磯海 

(wase-no-ka-ya wakeiru-migi-wa ariso-umi)

 

(A)

the scent of early rice_

on the right side of my going way,

rough surf beach

 

(B)

the early-rice smells_

on the right side of my path

Arisoumi

 

(注)

(A)では「有磯海」を意訳し、(B)では固有名詞としてそのまま表現しました。なお、一般に、俳句ではなるべく動詞を省略する方が簡潔で良いと思いますが、この句の「わせの香」は(B)のように動詞で表現する方が生き生きして良いように思います。

ちなみに、「奥の細道」や「私の芭蕉紀行」というサイトに参考になる記事があります。青色文字をタップしてご覧下さい。

   

       

(59) 

賤のこやいね摺掛けて月をみる

(shizu-no-koya ine-surikakete tsuki-o-miru)

  

(A)

the peasant’s child_

upon beginning to hull rice,

looks up at the moon

   

(B)

the humble boy

began hulling rice, 

looked up at the moon

  

(注)

(A)は芭蕉の心象風景か、現に見ている情景か、いずれにせよ「みる」をそのまま現在形に英訳しましたが、英詩のHAIKUとして何だか嘘っぽく不安定な感じがします。

(B)は芭蕉が見た情景を詠んだものとして英訳しました。散文的になるのを避けるために、「then」とか「and」を省略しています。(A)も「upon」を省略する方がHAIKUとして適訳になるでしょうが、(B)のように過去形で表現する方が英詩として実感があり安定感があります。

「英語の俳句は現在形で表現すべきである」と誰かが言っていましたが、それは俳句に対する誤った認識でしょう。

      

       

(60) 

荒海や佐渡によこたふ天河

(araumi- ya sado-ni-yokotau ama-no-kawa)

 

(A)

the rough sea_

lying over to Sado,

the milky way

  

(B)

the wild sea

lying against Sado_

the milky way

 

(注)

この俳句は芭蕉が実際に見て詠んだものではなく、心象風景を詠んだもであると一般に言われています「よこたふ」の主体が何かについても議論の余地があるようです。

(A)は通説どおり「天河がよこたふ」と解釈した英訳であり、(B)は「荒海がよこたふ」と解釈した翻訳です。

(B)は「や」を切れ字ではなく詠嘆と捉える読み方をしたもので、三段切れの読み方でやや無理が生じます。

しかし、芭蕉は上記(51)のように「や」が詠嘆的に主体を表す三段切れの俳句を他にも作っていますので、(B)の解釈を無下に否定することは出来ないでしょう。

  

Img_5561

2019年12月31日 (火)

ハイク・俳句・はいく

Click here to see "Basho's haiku in Japanese and English by L. P. Lovee"

     

歩こうかい・ハイク(HIKE)で俳句(HAIKU)・楽しもう!

日本人なら俳句は誰でもできるよ!

あなたの思いを5‐7‐5に口遊めばそれが俳句への一歩です。

「まんぽ俳句会」の理念(発起人の思い)を23の例句に込めました。

       

凩やまんぽ俳句を唇に

短日ふれあいカフェ摸擬句会 

ファミレス俳句談義小春の日  

短日や句を苦にするな句に遊べ

風邪の床子規偲びて句を捻る

膝小僧抱え丸まる風邪の床

水洟や果報寝て待つ老いの床

酒卵加えチンする冬至粥

福よべ冬至南瓜食みにけり

色に惚れ卓に置きたる龍の玉

手作りの庭の成果の柚子湯かな

万歩して柚子湯に遊ぶ俳句かな

スポンジ聖夜のケーキ孫来れず

数え日異国の友に句のメール

富士の峰を目指し牛歩や去年今年

異端者救われもして去年今年

・句に詠まん宇宙の摂理去年今年

去年今年ハイク俳句の目指す峰

・語り継ぐ先師の思い去年今年

時雨忌や「ながら」に興ず漫歩の句

二兎追いて一兎を得るか老の春

牛歩にも先師さまざま初句会

隗よりまんぽ俳句初句会

   

掲句23句は「まんぽ俳句会」の入会勧誘のための川柳擬きの「まんぽ俳句」です。俳句は川柳ほど人気がありませんので、一人でも多くの方を「俳句への道」に誘うべく川柳擬きの俳句にしていますが、決して伝統俳句を軽んじているわけではありません。現代に生きる者としては、現代の自然・環境や人間社会の有り様花鳥諷詠として俳句にすれば良いでしょう。スマホを活用して俳句を作るには現代仮名遣いの方が便利です。季語文語・旧仮名遣いの必要性については俳句の詩的表現の効果を考慮して決めれば良いと思っています俳句は日本語の豊かさを活かし、最少の言葉で最大限の花鳥諷詠をする奥の深い文芸です。

「まんぽ俳句会」はスマホを利用している現役世代が定年退職後に俳句を趣味として健康長寿を全うする格好の「居場所」になることを願っています。

インターネット活用の俳句会や吟行俳句会などで会員相互の研鑽・親睦を図ります。

(俳句会参加費は、その都度会場費や諸経費の実費のみ負担して頂きます。添削は希望者に無料で行います。下記のコメント欄、又はここをクリックして気軽にご投稿下さい。

   

ご投稿をいつもお待ちしています。 (薫風士

  

Img_6308

Img_5561_2

2019年12月28日 (土)

虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か? (改定版)

        

掲句「去年今年」について稲畑汀子さんは「虚子百句」において次のように述べている(抜粋)。     

「昭和25年12月20日、虚子76歳の作である。・・(省略)・・時間の本質を棒というどこにでもある具体的なものを使って端的に喝破した凄味のある句であるが、・・(省略)・・この棒の、ぬっとした不気味なまでの実態感は一体どうしたことであろう。もしかすると虚子にも説明出来ず、ただ「棒」としかいいようがないのかも知れない。敢えて推測すれば、それは虚子自身かも知れないと私は思う。

この句は鎌倉駅の構内にしばらく掲げられていたが、たまたまそれを見た川端康成は背骨を電流が流れたような衝撃を受けたと言っている。感動した川端の随筆によって、この句は一躍有名となった。・・(以下省略)」

  

汀子さんは上記の如く述べているが、この句の「棒」は虚子の信念・意志を象徴していると思う。「貫く棒の如きなり」と言わず、「貫く棒の如きもの」と言っているから「時のながれ」というよりも虚子の俳句に対する考えや信念の強さの比喩に違いない。

「虚子俳句の痴呆性」を云々する人がいるが、この俳句には「大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きくなる。」という坂本龍馬の言(勝海舟に説明した西郷隆盛の評価)を当てはめたい。

  

文学に限らず、音楽や絵画など、芸術は個性を表現するものであり、それをよく理解できるか否かは鑑賞する人の性格や人生観、能力などが左右する。まして、俳句は17音(文字)で表現する短詩であり、論理ではなく感性にうったえるものである。従って、俳句はその作者と「場」を共有するか、それが作られた「場」を適切に推定することが出来なければ理解できないことがある。

特にこの「去年今年」の句のように比喩的な俳句はそうである。それを読む人が卑しければ卑しい句であると誤解されることになる。逆に、読む人が優れていればその句を作った人の意図以上に解釈されることも珍しくない。それは俳句の本質的な限界でもあり広がりの可能性でもある。中立的な表現の俳句は鏡のように、読む人の心を映しだす。

虚子はこのような俳句の面白さもこの句に織り込んだのではなかろうか?

  

大岡信は「百人百句」において、「俳句という最少の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。」と次のように述べている(抜粋)。  

「昭和20年代後半から30年代にかけては『前衛俳句』の黄金時代で、若手の俳人はそちらに行ってしまい、虚子は一人さびしく取り残されている感があった。・・(省略)・・私は現代詩を書いていたので、・・(省略)・・どちらかというとはじめに前衛派的な人々の句に親しんだので、それから逆に句を読み進め、高浜虚子を初めてというくらいに読んでみた。すぐに感じたのは、虚子の俳人としての人物の大きさだった。私は常々現代詩を作り、・・(省略)・・斎藤茂吉が好きだったので茂吉の歌もよく読んでいた。しかし、『去年今年』の句を読んだときに、俳句という最小の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。・・(以下省略)」

  

この句についてインターネットで検索していると、宗内敦氏の「アイデンティティ-第二芸術」というタイトルの傑作な記事があった。    

「去年今年(こぞことし)とは、行く年来る年、時の流れの中で感慨込めて新年を言い表す言葉である。しかして虚子のこの一句、『貫く棒の如きもの』、即ち、時の流れを超えて『我ここにあり』と泰然自若の不動の自我を描いて、まさに巨星・高浜虚子の面目躍如たる『快作にして怪作」(大岡信『折々のうた』)の自画像である。それが何としたこと、バブル絶頂の頃だったか、ある新聞の本句についての新春特集ページに、『この句を知ったとき、顔が火照り、胸がときめき、しばらくは止まらなかった』という中年婦人の感想文(投書)が載せられた。一体何を連想したのか。破廉恥にも、よくぞ出したり、よくぞ載せたりと、バブル時代の人心・文化の腐敗に妙な感動をもったことを思い出す。・・(以下省略)」

  

この句を作ったとき虚子は夏目漱石の「草枕」の冒頭にある有名な文「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」も意識していたかもしれない。

この句の「棒」のイメージは、「草枕」の「情に掉させば流される」という文句や方丈記の名文句美空ひばりのヒット曲「川の流れのように」の歌詞など、時世・人生を表現するのに用いられる「川のながれ」とは全く異なり、力強くて斬新なものである。

虚子は「深は新なり」とか「古壺新酒」と言っている。「花鳥諷詠」と「客観写生」を唱道していたが、「前衛俳句」の黄金時代にあって、「去年今年」の句を作ることによって「これも『花鳥諷詠』だ」と、その幅の広さと虚子の信念と自信をアッピールすることを意識していたのではなかろうか。

俳談」や「俳話」なども読み、虚子の考えや作句の「」を知るにつれて虚子の俳句をよく理解できるようになる。インターネットのブログを検索していると、様々な俳句の解釈があり面白い。この「」をわきまえず、俳句のみならず作者の人格まで悪しざまに云々するブログを見かけることもある。それを鵜呑みにしている人もいるようで困ったものである。

  

(注) 

この記事は2015年1月18日に書いたものをスマホで見ると大部分が削除されており、誤解を招くので、スマホでもよく見ることが出来るように改定・再掲載するものです。

    

2019年12月25日 (水)

薫風士の川柳と俳句(12月の例句)

  

川柳も俳句も根は同じ俳諧です    

俳句も川柳も気軽に楽しみましょう!

  

・スーパーでポイント稼ぐキャッシュレス (川柳)

・キャッシュレス知らず買い物年暮れる (俳句)

・キャッシュレス知らず清算年用意 (俳句)

・復興の街のセールが姦し (川柳)

・復興の歳末セール姦しく (俳句)

・キャッシュレスついうかうかと買い過ぎた (川柳)

歳末のセールに寂し我が財布 (川柳・俳句) 

・4Kの良さも分からぬ老いの目よ (川柳)

・4Kの良さをも知らず老いの春 (俳句)

  

2019年12月22日 (日)

ハイク・俳句・HAIKU

まんぽ俳句会  (会員募集)   

Click here to "Enjoy bilingual haiku of Kyoshi Takahama!"  

Click here to see "Basho's haiku in Japanese and English by L. P. Lovee".

  

Img_6215

・漫歩して令和の御代初句会

あなたは「俳句なんて!」と、

俳句の「食わず嫌い」になっていませんか?

俳句は楽しむものです。

「名句」でなく「迷句」を作っても

初心者が恥じることはありません。

「迷句でも楽しめば良い」と

割り切って、

5・7・5を口ずさみましょう。

その内に、

まぐれでも「名句」が出来るのが、

俳句の面白さです。

 

「ハイク (hike)」俳句を作ろう!

徘徊」でなく「俳諧」を楽しもう!

廃人」でなく「俳人」になろう!

  

・パソコンに向かう縁側小春の日

小春日や老い二人行く漫歩道

・そろりゆく老々介護冬日差す

時雨晴れ笑みの行き交う漫歩道

  

まんぽ俳句会」は、令和の俳句塾として、

定年・退職を迎える世代が俳句を楽しむための敷居を低くし、

奥の深い俳句の世界へ飛び立つまでの「巣箱」になることを意図しています。

     

俳句HAIKU」をご覧になれば、

俳句の面白さがわかるでしょう。

ご希望なら、貴方の句心に沿って、

推敲・添削のアドバイスを致します。

気軽に、お問い合わせ・ご投稿下さい。

  

(メールアドレス)

aiqtrans@hi3.enjoy.ne.jp

    

このサイト「俳句HAIKU」は営業目的ではなく、

俳句を楽しみ、

心身ともに健康な長寿を全うしようとする俳句愛好者を増やすことを願っています。

俳句愛好家のコメント・ご支援を賜れば望外の喜びです。

    

薫風士 

Img_5561

2019年12月 7日 (土)

盆栽と俳句  (「まんぽ俳句会」の会員募集にちなんで)

     

「俳句は盆栽に通ずるところがある」と思って「盆栽俳句」をインターネット検索すると、正岡子規客観写生の理念を引き継いだ高浜虚子以来のホトトギス系の俳句のあり方について観念的に痛烈な批判をした記事がありました。

このような批判者は芭蕉の言葉「虚と実」・「不易流行」や高浜虚子の俳句の神髄などをよく理解しているのでしょうか?

正岡子規の「俳諧大要」を読んだ上で批判しているのでしょうか?

浅薄な誤解に基づく批判は「俳句の食わず嫌い」を生んでいるように思います。

「山高ければ裾広し」・「裾広ければ山高し」です。

このような批判をする俳句の先生方には理想とする自らの俳句を提示するなり、作者の句心にそって句評や添削をしてほしいものです。

  

俳句は「好き好き」、「詠み人次第・読み人次第」です。

まんぽ俳句会」は人それぞれが個性を生かして俳句を楽しむための敷居を低くし、奥の深い俳句の世界へ飛び立つ「巣立ち」までの「巣箱」になることを意図しています。俳句愛好家のご支援が頂ければ望外の喜びです。

 

下記のブログ記事がご参考になれば幸いです。

  

・俳句の作り方 <5つのポイント>  

・俳句談義(12):「椿寿忌」の俳句と高浜虚子

・高浜虚子と金子兜太

・俳句雑感(4): 高浜虚子と坪内稔典(俳句は詠み人・読み人次第)

・俳人の文法力

   

(青色文字をクリックするとリンクされた記事を読むことが出来ます。)

 

Img_5561

191202

2019年12月 5日 (木)

俳人の文法力

   

昭和・平成の俳句界を代表する俳人の2~3人の著書を見ると、高浜虚子の俳句「神にませばまこと美はし那智の滝」について、「那智の滝は神様なのでじつに美しい」などと解釈していますが、それは文法的な裏付けの無い感覚的解釈でしょう。

  

「神にませば」が何故「神様なので」と解釈されるのか納得できず、2年程前に、「高浜虚子の俳句 <「去年今年」と「神にませば」>の面白い解釈」というブログ記事を書きました。

最近、この解釈を裏付ける「補陀落・普陀落(ふだらく)」という言葉に出会い、筆者の解釈が間違いでなかったという確信を得ました。

   

広辞苑によると、「ふだらく」は「(梵語Potalakaの音写。光明山・海島山・小花樹山と訳す)観世音菩薩が住む山。南海上にあるという。日本では和歌山県那智山などに擬する。」と解説されています。

   

著名な俳人の中には、詩的解釈を文法的解釈よりも優先し、自分の解釈に合わなければ、自分の文法力の無さを棚に上げ、「目糞鼻糞を笑う」ような批判をしている俳人がいますが、高浜虚子の俳句を嘲る俳句の先生はその一例です。

(蛇足ですが、「俳句の先生」でインターネット検索をすると、「プレバト」で人気絶頂の夏井いつき先生に関連する記事ばかりですが、夏井先生のことを指しているのではありません。)

  

俳句は世界最短の定型詩ですから、日本語の豊かな言葉を生かすべく文法を疎かにせず俳句を作り、俳句の鑑賞を楽しみたいと思っています。

(青色文字をクリックすると関連の記事がご覧になれます。写真はSNSに拒否反応をしない俳句会員を募集するポスターです。クリックして「まんぽ俳句会」の趣旨をご覧下さい。)

      

191202

2019年11月30日 (土)

   

 会員募集

 「まんぽ俳句会」                     

        

漫歩・万歩で俳句を作り、

集合俳句会・SNS俳句会で

相互研鑽・親睦を図ります。

       

興味のある方は、「まんぽ俳句会」(http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/11/post-d2ef-1.html

をご覧の上、

コメント欄に投稿するか

メールまたは電話でご連絡下さい。  

  

Img_6215_2

Img_5561_2

          

(発起人) 薫風士 (090-1229-2021)

2019年10月 4日 (金)

芭蕉300句の英訳チャレンジ (31~40)

   

(青色の文字をクリックすると、リンクした解説記事をご覧になれます。)

   

(31)  有難や雪をかほらす南谷 

  (arigata-ya yuki-o-kaorasu minami-dani)

  

how grateful!

the scent of snow,

Minamidani

  

  (注)

俳句の「切字」や「切れ」を翻訳するには、句意を考慮して「_」や「:」「!」などを使うのが良いと思いますが、この俳句や次の俳句の助詞「や」は詠嘆的切れ字なので感嘆符「!」で表現しています。

なお、芭蕉がこの句を作った背景の解説は、次の記事にあります。

芭蕉が見た風景 羽黒山」、羽黒観光スポット 南谷

   

    

(32)  涼しさやほの三か月の羽黒山 

 (suzushisa-ya hono-mikazuki-no haguroyama)

 

what a coolness!

the dim crescent moon

above Mt. Haguro

   

   

(33)  ほととぎす大竹藪をもる月夜 

(hototogisu ōtakebayashi moru tsukiyo)

  

a cuckoo_

through the large bomboo grove,

the moon light

    

   

(34)  涼しさを我宿にしてねまる也

 (suzushisa-o waga-yado-ni-shite nemaru-nari)

   

(A)

making the cool

my dwelling,

I relax myself

     

(B) 

the cool

relaxes me

as if in my dwelling

    

(注)

(A) は文字通りの英訳です。(B) は意訳です。

奥の細道尾花沢」の記事によると、この俳句は野宿を詠んだものではなく、山形県尾花沢市鈴木清風宅宿泊の持て成しを詠んだ挨拶句とのことです。清風が「お持て成しは何もできませんが・・・」などと謙遜して言ったことを受けて、芭蕉はこの俳句を詠んだのではないでしょうか? 芭蕉は俳句が片言であることを認識して、この句を紀行文入れたのでしょう。

     

     

(35)  粽結ふかた手にはさむ額髪

 (chimaki-yuu kata-te-ni hasamu hitai-gami)

 

wrapping a chimaki,

another hand backing

the hair falling over the brow

 

(注)

「粽」は、対応する英語がないので、そのまま“chimaki”とします。

このように、日本固有のものは無理に英訳せず、注記することにより俳句の簡潔さを優先すれば良いと思っています。

    

      

(36)  道のべの槿は馬にくはれけり 

 (michinobe-no mukuge-wa uma-ni kuware-keri)

  

a rose of Sharon on the wayside_

eaten

by my riding horse

    

  (注)

「くはれけり」は「was eaten」とすると句意が明瞭になりますが、散文的になりますので敢えて「be動詞」を省略しました。

     

      

(37)  野を横に馬牽むけよほととぎす

 (no-o yoko-ni uma hiki-mukeyo hototogisu)

  

(A)

Lead the horse sideways

across the field_

a cuckoo

  

(B)

Cuckoo!

Lead my horse sideways

across the field

  

  (注)

(A) は「ほととぎすが鳴いているぞ」と「馬子に呼び掛けている」と解釈して英訳したものです。

(B) は「鳴いている時鳥に呼び掛けている」と解釈して英訳しています。

「牽きむけよ」という表現からすると(A)の方が妥当ですが、俳諧味を狙った比喩的表現だとすれば(B)かも知れません。

芭蕉は何れの解釈も可としてこの句を作ったのではないでしょうか?

なお、HAIKUは散文ではないので、行の初めを大文字にしないのが普通ですが、この俳句は命令文を含んでいるので大文字にしています。

      

      

(38)  秣負ふ人を枝折の夏野哉 

 (magusa-ou-hito-o shiori-no natsuno-kana)

  

a man with fodder on his back:

the guidepost of

the summer field

   

     

(39)  闇の夜や巣をまどはしてなく衛

 (yaminoyo-ya su-o-madowashite naku-chidori)

   

dark night_

disguising the nest,

the crying plover

    

(注)

「衛」は「千鳥」のことです。このような漢字の違いによるニュアンスの違い・原句の面白さは英語に訳出できませんので英語版では注記します。

   

      

(40)  いかめしき音や霰の檜木笠

 (ikameshiki oto-ya arare-no hinoki-gasa)

   

stern sound_

hails

beating my cypress hat

   

Img_5561

2019年8月31日 (土)

俳句雑感(6)季語と切れ字 <「猛暑日」と「立秋」>

   

Click here to see Bashōs haiku in English.

  

Img_4696_2

 

・梅雨明けは猛暑日なりし七月尽

    

tenki.jpによると、731日に東北北部も梅雨明けとなり、日本列島は猛暑日となりました。

  

掲句は、強いて俳句と言うなら、話題提供の「報道俳句」です。

この俳句は「梅雨明け」「猛暑日」「七月尽」と季語が3つあり、一般的な俳句ではありません。「猛暑日」は2007年以降に用いられるようになった言葉なので私の歳時記には有りませんが、季語として扱うべきでしょう。

  

・猛暑日や熱中症孤独死

  

この俳句は世相を表す川柳にする方が相応しい内容です。伝統俳句の「梅雨明け」の例句はここをクリックしてご覧下さい。

   

立秋や名のみの秋の猛暑かな

 

この俳句は二つ「切れ字」(詠嘆の「や」と「かな」)があり、季語も三つありますので、一般的には「ダメ俳句」として批判されるでしょう。しかし、「はや立秋になったんだ」という感慨と、「それにしても猛暑だな」という二つの感慨を共に表す俳句として是認してくれる俳句の先生が居てもよさそうですが、いないのでしょうか?  

  

今年の立秋88日ですが、天気予報によると未だ「猛暑日」や「真夏日」が続いています。

このように、実際の季節感と歳時記の季語にずれがあるのは、陰暦(旧暦)に基づいていた二十四節気が太陽暦(新暦)に当てはめられた結果ですが、地球温暖化による異常気象の影響も無視できないでしょう。

   

余談ですが、中国やインド、米国、ロシアなどの人口巨大国が率先して温暖化対策を促進しなければ、将来の地球環境はどうなっていくのか心配なことです。

世界の指導者として、米国トランプ大統領には大いに反省して頂きたいですね。トランプ大統領は「積み木崩しゲーム」の崩すことばかりやっているような気がします。 

トランプ大統領とその取り巻きは、世界の緊張が高まり、米国の軍需産業が繁栄すれば良いと、「アメリカ・ファースト」を唱道しているのでしょうか?

  

国際条約を簡単に反故にする風潮が蔓延ると、平和な世界の秩序が維持できなくなります。次の選挙では、米国市民が世界のリーダーとして相応しい大統領を選ぶ良識を発揮してくれることを祈るばかりです。

  

日本の政治家もしっかりしてほしいものですが、

トランプに振り回される世界かな」と、

庶民は、憤懣やるかたなくても、川柳を口ずさみ、ぼやいているしかありません。

   

最後の写真は日本伝統俳句協会8月の俳句カレンダーの一部です。

写真をクリックして拡大し、掲載された俳句をご覧下さい。

短冊句の「玻璃」は「ガラス」の意味です。稲畑廣太郎氏のこの句は秋めいた景色が丸ビルの窓ガラス越しに見えたことを詠んだのでしょうが、ガラス窓に映っている初秋の情景を詠んだものかもしれません。

  

Img_4698

2019年8月20日 (火)

俳句雑感(7) 金子兜太の「炎天」の俳句について

     

炎天下」の甲子園における高校野球全国大会NHK・TVで観戦しながら、「炎天」の俳句を作ろうとして、ふと金子兜太の次の有名な俳句のことを思い浮かべました。

  

水脈の果炎天の墓碑を置きて去る

  

この俳句は5・8・5の破調です。

一般的に、俳句の「中七」の字余りは良しとされません。

しかし、この俳句を、例えば、「水脈の果炎天の墓碑置きて去り」とか、「炎天の墓碑置き去りし水脈の果」、「戦友の墓碑炎天の水脈の果」などと、5・7・5の定型に収めると破調のインパクトが無くなり、作者の痛恨の思いを表現しきれない気がします。

 

このように、俳句の内容によっては破調にする方が効果がありますが、安易に破調にすると散文の断片に過ぎない片言になります。破調にするにはそれなりの必然性がなければなりません。一般的な作句では定型を守るのが無難で良いと思います。

 

ちなみに、金子兜太の長崎の被爆を詠んだ有名な現代俳句湾曲し火傷し爆心地のマラソン」は、歳時記「炎天」の一茶の俳句にある言葉を借りて言えば、日本語の俳句の概念からは「とっぱづれ」しています。

この俳句は、破調の最たるものであるばかりでなく、現在盛んになっているマラソンの印象が強く、被爆者が黒焦げになって即死したり、悶え死んだり、逃げ惑ったりした悲惨な状況を想起させる名句として納得するにはやや抵抗を感じます。この俳句は、「軽み」を特徴とする俳句の分際で被爆や被災など悲惨な状況・重い題材そのものを詠むには無理があること・俳句の限界の証になるでしょう。

  

貴方の印象は如何でしょうか?

 

ところで、8月19日は「俳句の日」です。俳句愛好家が増えることを願っています。

     

2019年7月31日 (水)

俳句雑感(5) 季語とは何か? <「西瓜」と「西瓜割」>

 

Img_4676_2


俳句は川柳ほど人気がないのが現状です。

俳句を作らない人々の大抵は「季語が難しい」と思っているようです。次のことがその原因でしょう。

  

歳時記を金科玉条にして、「『西瓜割』は夏の季語だが、『西瓜』は秋の季語である。」などと素人には訳の分からないことをいう著名な俳句の先生がいるからではないでしょうか?

  

当初の季語は旧暦(陰暦)の四季に基づいて分類されていました。その季語が新暦(太陽暦)の四季(立秋は新暦8月7日頃)に当てはめられたことが混乱を生じて、更に季語を難しくしているのでしょう。このことは、季語の本来の価値を損なっていると思います。

   

「『夏の季語』で俳句を作りなさい。」と言われ、普通の人は「西瓜」は夏に食べるのが美味しいと思って、「西瓜」の俳句を作ると、「『秋の季語』だからダメです。」などと言われて面喰い、不信感を抱いたり、俳句嫌いになったりするのではないでしょうか?

  

「俳句は自分が自然を見たまま、感じたままに素直に5・7・5にすれば良い。」ということが大原則でしょう。

  

俳句を作っているうちに、自然に「季語」の「取り合わせの妙」が分かってくるものです。俳句の食わず嫌いの方には、自分の感性を信じて、歳時記の分類に捉われることなく、自然を見たまま、感じたままに、気軽に俳句を作り、俳句の面白さ・楽しさを知ってほしいと思っています。

   

冒頭の写真はカラー図説日本大歳時記(夏)の「西瓜割」の解説ページの一部です。「西瓜」は、日本大歳時記(秋)に掲載されていますが、解説の最後に、「西瓜は普通秋の部に分類されるが、現実には夏のものである。」との記述があります。

合本現代俳句歳時記角(川春樹編)でも、西瓜は「秋の季語」として掲載されています。

きごさい歳時記」(5,000季語の検索)では、「『西瓜割』は晩夏、『西瓜』は初秋』」に分類されています。

このことから解るように、歳時記は編集者によって季語の取り上げ方が異なります。いずれの歳時記にせよ、絶対視せず、実際の自然の観察を優先して俳句を作るのが本来の俳句の作り方でしょう。

  

上記の考えに異論のある俳句の先生がおられたら、後学のためにご意見を頂けると幸いです。

なお、「[俳句を詠む、季節の言葉を知る] おすすめの歳時記ランキング10選」というサイトがありました。ここをクリックしてご覧下さい。

 

2019年7月16日 (火)

「貴船神社」と「川床」(吟行俳句・写真集)

Click here to see “Bashō's haiku in Japanese and English by L. P. Lovee”

       

7月8日の朝の天気予報によると梅雨晴れが一日は期待できそうだったので、急に思い立って京都の貴船に吟行に行きました。月並ですが、薫風士の吟行俳句と写真を掲載します。

Img_4422

  

Img_4424

  

 京阪電車・京橋駅ホームにて) 

  

・梅雨晴間ホームに立ちし旅心

  

  

  

「川床」は貴船では「かわどこ」と呼ぶそうですが俳句では「ゆか」と読み、「夏の季語」です。

 

Img_4444_2

7月8日は貴船神社の「水まつり」や「星祭」があり、和服姿の若い女性をよく見かけました。    

Img_4432_2

  

Img_4430

Img_4425

Img_4452

     

叡電・貴船口駅にて)  

   

・降り立てば貴船の瀬音風涼し 

   

    

  

(真真庵にて) 

  

貴船川草履の並ぶ川床座敷

  

・貴船てふ地酒も美味し川床料理

  

冷やし酒鴉は岩で清水飲み

  

写真をよく見れば、黒っぽい大きな岩の間で鴉が水を飲んでいるのがわかるでしょう。)

    

河鹿なく高き瀬音や箸を置く

  

(河鹿のきれいな鳴き声を始めて実際に聞きました。)

 

Img_4464_2

Img_4473

Img_4504_2

Img_4501

  

 

Img_4491

  

Img_4490_2

  

Img_4492_2

 貴船神社にて)

   

・本殿へ登り詰めたる老の汗

  

星祭る貴船の馬像白と黒

   

・向ひ合ふ馬像の由来梅雨の晴

 

みずうらや浮かぶ大吉青葉風

  

  

  

(帰路の叡電で)

  

梅雨晴の貴船の一日惜しみけり

  

  

俳画や写真俳句において、俳句と画像の付き過ぎは良くないとされていますが、吟行俳句を作る参考になればとの思いから、即興句とその情景の写真を掲載しました

  

(注)青色文字をクリックすると、関連の解説記事をご覧になれます。

Img_4493_2

Img_4516_2

 

Img_4517_2

2019年7月 6日 (土)

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「木下闇」(30/300)

  

須磨寺やふかぬ笛きく木下やみ

  (sumadera-ya fukanu-fue-kiku koshitayami)

  

(A)

in sumadera

i heard the unblown flute sing

in the trees’ deep shade

  

(B)

Suma temple_

hearing the unblown fife,

in the dark of trees’ shade

  

(A) 575訳、(B)はLovee訳です。

切れ字の「や」は(A) には訳出されていませんが、(B) では句読点「_」で表しています。固有名詞はhaikuでも「Suma」のようにを大文字にする方が句意がわかりやすいでしょう。

A)のように主語の「I」を小文字にするのは賛成しかねますし、原句に無い「我・吾・われ」を「翻訳haiku」で「I」として補充するのは無用です。(A) は、「in ---i---in」と韻を考慮したのかもしれませんが、句意が誤解される恐れが無い限り、前置詞は補充しない方が良いでしょう。俳句は省略の文学であり、その解釈を読者に委ねることが面白さの一面です。

いずれにしろ、須磨寺の逸話(平敦盛のこと)を知らない限りこの俳句の良さは理解されないでしょうが、英語俳句の作成や翻訳の参考になれば幸いです。

ちなみに、「木下闇」は夏の季語です。

 

(注)青色文字(冒頭の「須磨寺や・・・」など)をクリックすると、解説記事(「笈の小文」など)をご覧になれます。

なお、次回からはLovee訳のみを掲載し、折に触れて他の翻訳を参考に掲載させて頂きます。  

 

  

  

2019年6月 7日 (金)

芭蕉300句:言葉の壁を破る英訳チャレンジ (1)

         

 (Click here to see "the English version by L. P. Lovee".)

Img_4037

Img_4036

先日、「575 The haiku of Basho」の著者John Whiteが共著者の佐藤平顕明氏と来日され、芭蕉の俳句の英訳について議論する機会を得ました。

ホワイト氏は俳句の原則5-7-5音を尊重して英訳を5-7-5 音節(syllable)のhaikuとし、芭蕉が字余りで詠んだ俳句はそれに従って音節を増やすという徹底ぶりで、300句を英訳しています。その労作には驚嘆しました。

ホワイト氏は日本語を理解できないので、佐藤氏の解説を基にして英訳されたそうで、両氏のご努力には敬意を惜しみません。しかし、俳句の本質は5-7-5音の簡潔な詩的表現をすることにあり、日本語と英語の構文や発音などの違いを無視して形式的に音節に拘ることには賛成しかねます。動詞や前置詞・副詞などを使用して音節を増やすと散文的になり、俳句の特徴である「詩的短さ」が損なわれると主張しましたが、ホワイト氏は英語の詩として十分簡潔なhaikuに翻訳していると反論され、議論は平行線に終わりました。

ホワイト氏には94歳のご高齢にもかかわらず翌日の帰国を控えたお忙しい時間を割いて頂いたので議論の矛を収めましたが、言葉の壁を破り俳句の翻訳をすることの難しさの一例として、ご参考までに下記のとおり紹介させて頂きます。

 

・ほろほろと山吹ちるか瀧の音 (芭蕉

 

yellow rose petals

gently, gently flutter down;

waterfall thunder

 

ホワイト氏は、芭蕉が山吹を見て詠んだものとしてこの翻訳をしたとのことで、「滝音の響きと山吹が静かに散る対比が面白い」と感想を述べていました。

この解釈は、疑問を表す助詞「か」を見落としていますが、日本の著名な俳人も文法に気をとめず直感的に句意を解釈する傾向があるので是認すべきかもしれません。この俳句は滝の音を聞きながら、「滝の轟音の響きで山吹が散るのではないか?」と滝音の大きさを詠嘆して詠んだものでしょう。 

そこで、次のとおり試訳してみました。

  

shall yellow rose petals

flutter down?

the thunder of water fall

   

ホワイト氏の翻訳は9語17音節ですが、上記試訳は11語16音節です。語数が増えても「滝の音」を強調するために敢えて「the thunder of waterfall」としました。

英詩のHAIKUとしては試訳よりホワイト氏の翻訳の方が詩的映像が鮮明になり優れていると思いますが、原句の句意を無視することはできません。試訳は1~2行の改行を活かし、間をおいて読むと俳句らしくなります。

芭蕉は「滝と山吹」の従来の取り合わせの焦点を音に当てることにより新鮮味を出し、映像は読者の想像に委ねたものと思います。

ホワイト氏はロンドンの名門大学UCLの教授だったとのことですが、まだまだお元気です。「来年も生きていたら来日し、俳句と仏教について講演するつもりだ」と仰ってました。

芭蕉の俳句を気の向くままに英訳して言葉の壁を破るチャレンジをし、来年もホワイト氏と議論できることを願っています。

 

今後の英訳は折に触れてfacebookにも掲載します。俳句の翻訳に関心のある読者の皆さんからコメントを頂き、「俳句とhaiku」鑑賞の楽しさをシェアして頂けると望外の喜びです。

   

2019年2月24日 (日)

高浜虚子と金子兜太

    

Img_2518

2月20日は「鳴雪忌」ですが、金子兜太の一周忌です。2月22日は高浜虚子の生誕の日です。

「虚子」といえば「客観写生」、「兜太」といえば「平和の俳句」です。

金子兜太の師系は、水原秋櫻子に師事した加藤楸邨人間探求派です。

秋櫻子は虚子に師事しましたが、「客観写生」の理念に飽き足らず離反し、そのことが新興俳句運動の契機になりました。

   

(青色文字をクリックすると俳句の解説などリンク記事をご覧になれます。)

   

高浜虚子の例句)

    ・春風や闘志抱きて丘に佇つ (1913年

   (注)河東碧梧桐自由律俳句)への対抗表明の句です。

  ・遠山に日の当りたる枯野かな(客観写生)

    ・去年今年貫く棒の如きもの (棒とは何か

    時ものを解決するや春を待つ (1914年

  ・大寒の埃のごとく人死ぬる 1941年(昭和16年

    ・春の山屍を埋めて空しかり (1959年 辞世句)

    (注)「空しかり」とは「空然り」とも解釈できます。

         

金子兜太の例句)

    ・水脈の果 炎天の墓碑を 置きて去る (1955年)

    ・彎曲し 火傷し 爆心地のマラソン (1961年)

  ・梅咲いて庭中に青鮫が来ている (1978年)

    ・夏の山国母いてわれを与太と言う (1985年?)

  ・長寿の母うんこのように我を産みぬ (2004年

    河より掛け声 さすらいの終る その日 (2018年

   (注)この句の「河より掛け声」は実際のことでしょうが、「三途川」を意識して辞世句としたという解釈は穿ち過ぎでしょうか?

   

「虚子嫌い」や「兜太嫌い」もいますが、どちらにも熱烈な支持者がいます。俳句に限らず、何事も好き好きですね。平和憲法を維持して多様性の社会をエンジョイしましょう。   

高浜虚子は「自由にものを言えない世界大戦の時代」を「客観写生の俳句」に徹することにより生き延びましたが、平和を希求していたに違いありません

金子兜太は「戦後の自由にものが言える時代」の平和の俳句を謳歌して大往生しました。

両先達のご冥福と世界平和を祈ります。

  

 

2019年1月20日 (日)

俳句を楽しもう! 「寒」「冬晴れ」の俳句

   

Img_2214_1

Img_2214_2 

   

  

  

・鴉鳴く庭に出ればヒヨ飛びぬ     

・寒の鳥青に煌めく機影かな  

・寒の青機影煌めき行き交ひぬ

  

掲句はふと口ずさんだ即興句をこのブログ用に推敲したものです。朝食後「寒」の俳句のブログを書こうとしていたところ、鴉が鳴くので句材になるかと思って庭に出ました。鴉は声のみで姿は無く、ヒヨが黐の木から飛び立ちました。冬晴の空を見上げていると微かな音の飛行機が2機小さく煌めき行き交いました。

  

今日は平成最後の「成人の日」です。

若者には「初心を忘れずそれぞれが自分を活かすべく頑張ってほしい」と期待していますが、為政者には与野党対立一点張りでなく足らざるを補完し合い「未来を背負う若者が希望を持って飛び立てる政治」を推進してほしものです。

働き方改革」が検討されています。現役の人々が俳句を作ってみる気になれるような労働環境・働き方改革にしてほしいものです。

老いの身は俳句を楽しみながら健康維持に努め、四月に発表される新元号も平和国家を象徴する年号となり世界平和が維持されることを祈るばかりです。

      

歳時記(俳誌のサロン)から気の向くままに「寒」の俳句を抜粋・掲載させて頂きます。

(詳細は青色文字をクリックしてご覧下さい。)

   

(1)

さはぐ鳥羽の田面や寒の雨 松尾芭蕉  

(寒2)

・寒晴や転居先にも富士見坂 (高木嘉久) 

(寒3)

・寒日和見上ぐる程の子と歩く (小野田敏子)  

(寒4)

・寒の夜の風呂が沸いたと電子音 (北島上巳)  

(寒5)

浅草に老いて芸なす寒の猿 (有働亨  

(寒6)

・寒三日生きる証の雨戸繰る (森山のりこ)  

(寒7)

鎮魂の竹灯籠や寒の朝 (西垣順子)  

(寒8)

スカイツリーその寒影の長きかな (小林美登里)  

(寒9)

・入るにも出るにも気合寒の風呂 (府川昭子)  

(10)

・寒晴れや木の香の満つる木工所  (城戸緑)  

(11)

・点滴を引きずつて行く寒厠 (吉田耕人)