文化・芸術 Feed

2020年9月30日 (水)

(秋彼岸の俳句)夏井いつき先生の添削を添削する(特集)

    

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(写真)4ch.TV画面の一部分   

  

Click here to see "Bashō's haiku in Japanese and English by L. P. Lovee"

   

WEBで「俳句の先生」や「プレバト」などを検索すると、夏井いつき先生を持ち上げる記事ばかりなので、最近は熱さましの記事を書いてバランスをとることも必要だろうと思いながら「プレバト俳句」を視聴しています。

プレバト梅沢富美男永世名人の俳句「秋彼岸」の夏井先生の添削が実務派薫風士の目にもイマイチという感じがしましたので、僭越ながら次の通り再添削を提案することにしました。

「エンタメ番組の俳句に素人が向きになるとは、馬鹿な奴だな」と、冷笑されそうですが、俳句愛好家から何らかのコメントを頂ければ望外の喜びです。

   

(永世名人の原句)

・口立ての カセットの声 秋彼岸

  

(夏井先生の添削)

・カセットに 父の口立て 秋彼岸

  

「口立て」とは、広辞苑によると、「定まった脚本が無く、俳優同士の簡単な申し合わせで、台詞その他その場の思いつきで演ずる芝居」のことです。

   

夏井先生は「秋彼岸」と言えば、「死んだ父のことだとわかるだろう」と断定していますが、広辞苑によると、「秋彼岸」は、「秋の彼岸会」、「秋分の前後1週間」のことです。

   

プレバトの視聴者は、永世名人の解説を聞いていますから、夏井先生のこの添削句の意味が分かるでしょうが、視聴者でない一般の読者には、この俳句は「秋彼岸に父がカセットに口立てを吹き込んだ」ことを詠んだものと解釈する可能性もあります。

   

次のように語順を変えると、「亡父の口立てがカセットにある」ことが明瞭になり、誤解の余地がなくなるでしょう。

  

(薫風士の添削)

・カセットに 口立ての父 秋彼岸

   

詩心のある読者なら、「カセットに父がいるなんて、馬鹿な!」などという文字通りの解釈はせず、「父とは亡父の声の比喩である」と理解するでしょう。

俳句の語順が大切なことの例句になるのではないでしょうか?

   

これまでに、プレバト俳句の夏井いつき先生の添削について次のとおり記事を書いています。

青色文字のタイトルをクリックしてご覧下さい。

    

プレバト Kis-My-Ft2 さんの『遠雷』の俳句を考える

 

お手本のリズム音痴や熱帯夜

    

プレバト「炎帝戦」・「ポイントカード」の俳句を考える

 

添削は「作者の思い」を大切に!(プレバト視聴者の感想)

 

俳句の添削  <作者の「思い」を生かしてほしい>

  

プレバトの俳句「鏡」「も」と「を」 

  

プレバト俳句の「運動会・秋声」について一言

  

俳句:「こいのぼり」・「鯉のぼり」・「鯉幟」

  

プレバト俳句の視聴者・夏井先生のファンや俳句HAIKUの読者などの参考になれば幸いですが、異論や疑問があれば、後学のためにコメントを頂けるとありがたいです。

  

2020年9月26日 (土)

買物へ虫の音続く遊歩道 (子規忌の「まんぽ俳句」と写真)

  

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俳句は好き好きですが、「コロナ禍にベッドタウンの良さや俳句の面白さ・奥の深さを知ってほしい」との思いでこの俳句ブログを書いています。 

9月19日は正岡子規の忌日(「子規忌」・「糸瓜忌」・「獺祭忌」)で、土・日「敬老の日」「秋分の日」と、4連休です。

  

芭蕉・子規・虚子の俳句、まんぽ写真・俳句などを楽しもう!(WEB特集)」をお楽しみ下さい。

(青色の文字をクリックするとその記事がご覧になれます。)

     

秋冷の朝の漫歩や老いも駈け

  

爽やかに老いを追ひ越しジョガー行く

  

橡の実の歩道ジョガーの駆け抜けり

  

秋晴や行き交ふ男女小犬連れ

  

秋冷の朝日の影と遊びけり

     

乙女等のコーラス清し秋高し

    

五歳児も高き遊具に天高し

   

虫集く園の探検五歳児も

  

・幼子の空切るばかり捕虫網

    

・「ひとはく」の園の虫取り賑はへり

    

・愛犬の取り持つ会話秋うらら

      

秋の暮園の呻きは牛蛙

   

句に遊び園の一日や獺祭忌

   

掲句は薫風士の「まんぽ俳句」です。写真を参考に貴方も作句をお楽しみ下さい

青色文字の季語をクリックすると、「歳時記」や「575筆まか勢」をご覧になれます。

        

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写真はタップ・拡大してご覧下さい。

  

ワンちゃんがもっと鮮明に見えますよ。

  

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写真(Dsc 2390)をタップ・拡大すると草の露をご覧になれます。

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2020年9月22日 (火)

芭蕉・子規・虚子の俳句、まんぽ写真・俳句などを楽しもう!(WEB特集)

    

Let's enjoy HAIKU!

   

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9月19日は正岡子規の「獺祭忌」です。

記事のタイトル(青色文字)をクリックしてご覧下さい。

「俳句の面白さ・奥の深さ」が分かるでしょう

    

英語で分かる芭蕉の俳句 (国際俳句交流協会HP

    

高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう! (国際俳句交流協会HP

  

「敬老の日」の「糸瓜忌」に思うこと

   

吟行の写真俳句集

    

吟行の写真俳句(2019総集編)

     

ポーランドの旅(写真と俳句 講演のことなど)

    

新元号祝ひ「花見」の俳句詠む

           

(秋彼岸の俳句)夏井先生の添削を添削する(特集)

   

盆栽と俳句 

  

ここをクリックすれば、「俳句HAIKU」の最新記事を全てご覧になれます。

  

俳句やコメントの投稿をお待ちしています。

   

2020年8月30日 (日)

Haiku about rings made by water-striders (See pictures.)

    

・水黽の水輪をちこち映ゆる空

 (amembo-no mizuwa-ochikochi hayuru-sora)

     

 rings made by water striders

 here and there

 on the reflected sky

   

・水黽の水輪をちこち空映ゆる

  (amembo-no mizuwa-ochikochi sora-hayuru)

  

  the clear sky reflected,

  here and there

  rings made by water-striders

      

Appreciate the diferrences in the meaning according to the difference in the word order of the Japanese haiku. 

   

Click and enlarge the pictures to find the rings made by water-striders. 

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Click the following URL to see "Bashō's haiku in Japanese and English by L. P. Lovee":

http://www.haiku-hia.com/about_haiku/basho300_en/archives/300-01_en.html#preface_en

  

2020年8月29日 (土)

プレバト Kis-My-Ft2 さんの「遠雷」の俳句を考える

    

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(写真は「プレバト」TV画面の一部分です。)

            

・遠雷の夜汽車カカオの奴隷史 

  
横尾渉(Kis-My-Ft2)さんの「遠雷」の俳句について、夏井先生は次のような句評をし、「名人5段に1ランク昇格」の査定をしました。「さすが夏井先生だ」と、この査定に
納得しましたか?

  

夜汽車に乗っている人物が本を読むに違いないと読み手が想像できる。

1音足して17音にするのは簡単。前半で「よ」の詠嘆か、後半に「は」で余韻を残す方法がある。言葉を1つ入れると全体のバランスが崩れ、16音でいく2つのバランスで押し出すことで、最初の季語が主役として読み手の心に残るのではないかと作者が判断した。

かつての「奴隷史」を今年句に詠む意味も、若い作者が詠む意味も、心の中に深く受け止められる。これこそ直すとダメ。

 

上記の如く、夏井先生は「作者が判断した」・「直すとダメ」と字足らずの原句をそのまま是認しています。

この俳句を定型にするのに助詞の「よ」とか「は」を足すのは、仮にエンタメ俳句番組の為にするにしても、論外の文法音痴・リズム音痴な添削です。

このような添削の前置きで視聴者の「目くらまし」をして、寸足らずの16音の俳句に対して、「勇気がある決断」と持ち上げ、「昇格」の査定をするのは、「プレバト俳句の名人レベル」のエンターテインメントにせよ、如何なものでしょうか? 納得できません。

  

夏井先生は、「夜汽車に乗っている人物が本を読むに違いないと読み手が想像できる。」と断定していますが、「カカオ奴隷史」という有名な本があるわけではありませんから、「夜汽車」を「奴隷の移送」に関連付ける解釈も可能です。

 

(注)

米国における蒸気機関車の鉄道運行は1830年代に始まっていますが 、リンカーンが「奴隷解放宣言」をしたのは1862年です。

  

プレバト番組では作者が句意を解説しているから視聴者には「読書」と分かりますが、一般の人々がこの句を解説無しに初めて読んだ場合には、上記のとおり句意が不明瞭でしょう。

俳句は「なぞなぞ」ではありません。軽み」が俳句の特徴の一つです。

あなたには、原句の句意が直ぐに分かりましたか?

  

次のように添削すると、作者の「素晴らしい発想」を生かして、その句意を反映するまともな伝統的俳句に修正出来るのではないでしょうか?

    

 (A) 遠雷やカカオ奴隷史読む夜汽車 

 (B) 遠雷やカカオ奴隷史手に夜汽車 

 (C) 遠雷の夜汽車に読むやカカオ奴隷史

 (D)遠雷の夜汽車に読みしカカオ奴隷史

 (E)遠雷の夜汽車に読まんカカオ奴隷史

     

最近は、インターネットの絵文字や漫画、Twitterなどの便利さの影響で言葉を上手に使うことが下手になったのか、「人目を惹く奇抜さ」を狙っているのか、「舌足らずの稚拙な小児的表現」や「奇抜などぎつい表現」・「日本語の美しさや豊かさを疎かにする表現」が多くなっているような気がしています。

  

プレバト俳句もそのような影響を受けているのでしょうか?

それとも、「自由律俳句」の師系の影響を受けているのでしょうか?

正岡子規は彼の世でこのような傾向をどのように思っているでしょうか?

  

いずれにせよ、上記の定型俳句(A)や(B)では「インパクトが無い」と、ご不満でしょうか?

カカオ奴隷史」を強調するには、(C)や(D)のように字余りの俳句にするのも一案です。

(C)は夜汽車で現に読んでいる状態、(D)は夜汽車で読んだ「カカオ奴隷史」を読み返しているか、思い出している状態を詠んだものと言えるでしょう。

しかし、説明的・散文的に「下五」が重く響き、気に入りません。

(E)のようにすると、「カカオ奴隷史」を「今から夜汽車で読もうとする作者の意気ごみ」が感じられますが、題材に比して力が入りすぎた大げさな感じがします。

  

俳句は好き好きですが、薫風士の好みとしては、読んでいる状態なら(A)、これから読もうとしているなら(B)が良いと思います。

  

貴方なら、どのように添削しますか?

     

余談ですが、アメリカのトランプ大統領やその支持者の意識は黒人を奴隷にしていた西部劇時代から変わらぬ「白人優先」・「黒人蔑視」のようですね。

11月の米国大統領選挙は共和党の「トランプ」 vs 民主党の「バイデン」で実施されます。

安倍晋三総理大臣が潰瘍性大腸炎の再発で突然辞任することを8月28日午後に表明されました。「お疲れさま!」、お大事に治療に専念されることを祈ります。

「お疲れさん」は医者や医療関係者の挨拶のようです。

コロナ対策で先ずして頂きたかったことは、「アベノマスク」の配布よりも、医療従事者の「働き方改革」の支援でしたね。

次期大統領と次期総理大臣は独裁国に牛耳られずに対話ができ、コロナ対策世界の平和・良好な日米関係を維持するのにふさわしい人物が選ばれることを切望しています。

  

2020年8月18日 (火)

お手本のリズム音痴や熱帯夜

       

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プレバト・永世名人の『サンダル』の俳句を考えるや「プレバト『炎帝戦』・『ポイントカード』の俳句を考えるで夏井先生の添削について批評をしましたが、プレバト俳句番組の例句が教科書に載るほど人気があり、梅沢富美男永世名人の俳句が「俳句のお手本」として句集に採用されるとなると、「俳句は好き好き」とは言え、夏井先生の添削や原句の問題点を黙って見過ごすわけにはいかず、この記事を書いています。

  

「プレバト」の関係者・視聴者、「俳句HAIKU」の読者などのご参考になれば幸いですが、何らかのコメントを頂ければ望外の喜びです。

  

 (梅沢富美男永世名人の原句)

 ・読み終へて痣の醒めゆくごと朝焼

  

 (薫風士の添削案)

 (A) 読み終へて朝焼に褪む肘の痣

 (B) 読み終へて褪むる朝焼け肘の痣

 (C) 読み終へば朝焼けのごと痣褪むる

 (D) 読み終へば朝焼けのごと褪めし痣

   (E) 読み終へば褪めゆく痣のごと朝焼

    

梅沢富美男永世名人の原句は、着想が斬新で面白く、個人的に楽しむのは結構ですが、日本文化の伝統である俳句の 「お手本」にはすべきでないと思います。

原句は「痣がさめるように朝焼けも消えてゆく」という句意でしょうが、「三段切れ」・「字余り」の破調であり、「醒めゆく」は漢字が不適切なので、解説が無ければ意味不明瞭でしょう? 

添削案(A)と(B)は、「客観写生」で「痣のさめる」のと「朝焼のさめる」のが似ていることは読者の想像に委ねたつもりですが、そのような連想を期待するのは無理かもしれません。

(C)と(D)が原句の句意に近い添削です。「朝焼」より「痣」を中心にしていますので作者は不満かもしれませんが、原句の上五の「読み終へて」から最後の「朝焼」の流れには文法的に無理があり、また、自然現象として「痣」より「朝焼」の方がインパクトがありますので、分かりやすくするにはやむを得ない添削です。

(E)は最も原句の句意に沿った添削ですが、季語「朝焼」の説明をするために「字余り」の「破調」にするのは馬鹿げています。

朝焼」の風景は様々ですから、人それぞれに大自然の美しさを愛でれば良いでしょう。「朝焼」を「痣のごと」と矮小化するのは、面白い発想ですが、本末転倒だと思います。

  

初心者や「凡人」の俳句に対する励ましのセリフならともかく、「新しい発見だ」とか、「新境地だ」とか、このような俳句を「永世名人」の「俳句のお手本」として大げさに持ち上げるのは、「プレバト」を盛り上げるためかもしれませんが、感心できません。

夏井先生はエンタメ俳句番組のタレント先生としては秀逸ですが、このような俳句を「俳句のお手本」として教科書掲載に推薦するとすれば、先生ご自身の俳句査定能力の査定が必要になるでしょう。

  

あなたならどのように添削しますか?

薫風士の添削は「平凡で面白くない」と思いますか?

  

俳句雑感(7) 金子兜太の『炎天』の俳句について」や俳句雑感(3): 俳句のリズムを考えるなどで述べたように、「字余り」や「破調」の俳句は、そうすることに表現上の必然性がなければなりません。

さもなければ、タイトルの「リズム音痴」は言いすぎでしょうが、「単なる稚拙な俳句」か「奇をてらっている俳句に過ぎない」と言えるでしょう。

  

高浜虚子を、「俳句は下手だがビジネスが上手かったに過ぎない」と、見当違いの非難をする俳人や評論家が居るようです。

夏井先生もTV番組などの人気に胡坐をかいて、一方的な俳句の才能の有無査定やランク付けをしていると、その立派な初志とは裏腹に、「株式会社 夏井&カンパニー」で「タレントを集め」て「金儲けをするのが上手かっただけだ」などと、高浜虚子の「ホトトギス」どころではない、酷い非難をされることになるかも知れませんよ。

エンタメ俳句番組としても、若い世代の俳句教育の為にも、(自戒を含め)「初心を忘れるな」、「基本を大切にせよ」と、しっかりご指導をお願いします。

「三省堂」の関係者も教材に採用する俳句や添削の仕方の実例は慎重に検討して、俳句愛好者の期待を裏切らないようにして下さいね。

  

薫風士は「夏井組」の組員ではありませんが、「俳句を一般の人々が楽しめるものにしたい」という思いで、「夏井組」の応援をしているつもりです。

  

タイトルの俳句は、このところ「猛暑日」・「熱帯夜」が続いているので、この記事をよく検索してもらえる可能性のあるキーワード「熱帯夜」を「季語」として入れたものです。

「WEBは巧みだが俳句は下手だね」などと批判されるかもしれませんが、このブログの薫風士の俳句は「俳句のお手本」ではなく、多くの方方に「俳句の面白さ・楽しさ」を知ってもらうことを意図しています

      

2020年8月 9日 (日)

プレバト「炎帝戦」・「ポイントカード」の俳句を考える

  

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フルーツポンチ村上さんとFUJIWARA藤本さんの俳句に対する夏井先生の添削が中学3年生用の三省堂教科書「現代の国語3」に掲載されるとのことです。

  

プレバト・永世名人の『サンダル』の俳句を考えるで夏井先生の添削について批評をしましたが、プレバト俳句番組の添削が教科書に載るほど人気が高いだけに、炎帝戦の「ポイントカード」の俳句添削の問題点も黙って見過ごすわけにはいかず、僭越ながらこの記事を書くことにしました。

  

TV番組の時間的制約のせいかも知れませんが、夏井先生は忙しすぎて添削が雑になっているのではないでしょうか?

エンタメ番組にせよ、俳句の先生として手抜きをせず、しっかり添削指導をして頂きたいですね。

  

俳句は好き好き」「よみびと次第」ですが、このブログ記事が「プレバト」の視聴者や「俳句HAIKU」の読者の何等かの参考になれば幸いです。

   

(村上健志10段の原句)

・蛾の骸 ポイントカードで 掬いけり

  

(夏井先生の添削)
・蛾の骸 掬う ポイントカードの端

  

(薫風士の添削案)

・蛾の骸 ポイントカードに 掬ひけり

蛾の骸 ポイントカードに 掬ひたり

 

原句は散文的なので、助詞の「で」を「に」に替えた方が「蛾の骸」のイメージが強調されると思います。上五の後に、「切れ」を入れて読むと、中七の字余りは然程気になりません。

夏井先生の添削では中七の字余りは解消されますが、「蛾の骸」より「ポイントカードの端」が強調され、作者の思い・原句のニュアンスが損なわれる感じがします。

「けり」は過去のことの詠嘆です。「たり」にすると「現に上手く掬ったこと」を詠嘆的に表現していることになり、中七が字余りでも、作者の原句の意図が表現されて良いと思います。

5・7・5の定型を重視するか、詩的内容を重視するか、選者の拘りや俳句の出来栄え次第ですが、松尾芭蕉蕪村、高浜虚子の俳句など字余りは珍しくなく、正岡子規が「字余りの和歌俳句」で述べている如く、字余りは内容次第で問題ありません。

貴方は「形式」と「内容」のどちらを優先されますか?

なお、助詞「で」は、広辞苑によると、平安時代から用いられていますから、原句を「で」に合わせて口語表現に替える必要はありません。

旧仮名遣に統一する方が、句意の誤解を防ぎ詩的になり、良いと思います

   

(東国原英夫10段の原句)

・ポイントで もらひし蛍 なほいきる

 

(夏井先生の添削)
・ポイントで もらった蛍 なほいきる

 

(薫風士のコメント)

上記の通り、助詞「で」は平安時代から用いられていますから、原句を「で」に合わせて口語表現に替える必要はありません。

歴史的仮名遣の「もらひし」を口語表現の「もらった」に修正するなら、「なほ」も「なお」に変更して、現代仮名遣に統一すべきでしょう。

「いきる」は「生きる」と漢字で表現する方が良いと思います。

   

(梅沢富美男 永世名人の原句)

・行合の空の 御朱印めぐりかな

   

(夏井先生の添削)

 直しなし

 

(薫風士の添削案)

・行合の空に 御朱印めぐりかな

  

「の」を「に」に修正する方が「行合の空」が強調されて良いと思います。

    

(千原ジュニア初段の原句)

・消しゴムに 彫刻刀の 彫る花火

 

(夏井先生の添削)
 直しなし

   

(薫風士のコメント)

「消しゴム」に「彫る」のは自分であり、「彫刻刀」を使うのは当然でしょう。「彫刻刀」は擬人化しても無駄な語句であることに変わりありません。「どのような花火を彫ったのか」・「花火をどのように彫ったのか」などが分かる語句を「彫刻刀」の替りに用い、語順なども推敲すると、もっと良い俳句が出来るでしょう。

  

例えば、次のような推敲句はどうでしょうか?

・消しゴムにジャックナイフの彫る花火

  

千原ジュニアさん、「ジャックナイフ」は貴方のニックネームだったことを夏井先生が知っていると、上記の推敲句ならシード権内に入れてくれたのではないでしょうか? 

この記事は「お笑い」のネタにされるかもしれませんが、もしご希望ならマジで添削・推敲のアドバイスをしますよ

   

 

2020年8月 8日 (土)

鎮魂の鐘殷殷と広島忌

  

Let's join in the campaign: "No more Hiroshima! No more Nagasaki!".   

8月6日は被爆から75回目の「広島忌」・「広島平和記念日」です。   

     

・コロナ禍の式典侘し原爆忌

  

No more の叫び繋ごう Hiroshima忌

     

英語やローマ字を俳句に用いるのは一般には認められませんが、上記の俳句は平和首長会議の「No more Hiroshima!」を俳句に取り込みました。

クリックして被爆者の生の声をお聞き下さい。

869祈り繋ぐか原爆忌 815祈り繋がむ終戦日」は薫風士のブログのタイトル句ですが、クリックして是非内容をご一読下さい。皆さんの思いに通ずるものがあると思っています。

(掲句は薫風士のタイトル俳句・即興句です。)

    

(写真は日本経済新聞電子版の記事の一部です。)

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2020年7月16日 (木)

プレバト・永世名人の「サンダル」の俳句を考える

  

20200710

夏井先生の歯切れのよいプレバト俳句の判定裁きには感心しますが、その査定が何時も的を射ているとは限りません。

お題が「コンクリートのサンダル」の梅沢富美男永世名人の俳句に対して、夏井先生は、「語順が素晴らしい」とべた褒めして、久しぶりに「掲載決定」の査定をしました。

ひょっとして、この査定は夏井先生が「添削は『作者の思い』を大切に!」や「作者の思いを生かしてほしい」を読んでくれたせいかも知れない(?!)などと、ふと馬鹿な考えが浮かびましたが、この「べた褒め」は納得できません。

  

俳句は好き好き」とか、「俳句は詠み人・読み人次第」とか、「薫風士は一言居士だね」と非難されるかも知れませんが、「プレバトの視聴者が夏井先生の人気に幻惑されて『梅沢富美男永世名人の俳句のお手本』や『夏井先生の査定』を鵜呑みにするとまずい」という老爺心から僭越ながら敢えてこの記事を書いています。

  

・水玉の模様クロックスの日焼  (梅沢富美男)

  

日焼」は二通りの解釈が可能です。

広辞苑によると、

「日光の直射で皮膚が黒みを帯びること」と、

「畳・布などが日に当たって変色すること」という意味があります。

 

「プレバト」の視聴者には、この俳句の「日焼」は「足の日焼け」のこととわかるでしょうが、「クロックスは穴の開いたサンダルである」ことなど、背景を知らない人は「クロックスその物の日焼けを詠んだ俳句である」と解釈するでしょう。

原句は「エンタメTV俳句」として面白くても、「一般的な句集」に適するか、一考を要するでしょう。 

語順を変えて次のように添削すると、原句の曖昧さが払拭され、句集の掲載に適するのではないでしょうか?

 

(原句)

・水玉の模様クロックスの日焼

 

(添削句)

・水玉の足の日焼やクロックス

 

「水玉」には「水玉模様」という意味もあります。

貴方ならどの様な添削をされますか?

「薫風士の添削は句意が明瞭になるが、5-7-5の定型で平凡になり、面白くない」と思いますか?

この記事が何らかのご参考になれば幸いですが、「エンタメ俳句番組に水を差すのか!」と怒られないでしょうね?

  

 (写真はMBS-TV4chの画面の一部です)

 

2020年2月20日 (木)

芭蕉300句の英訳チャレンジ(71~80)

        

(71) 

ありあけも三十日に近し餅の音

(ariake-mo misoka-ni-chikashi mochi-no-oto)

     

the daybreak

also close to the year’s end_

sounds of pounding steamed rice

  

(注)

餅つきの音があちこちにしていることを詠んでいるとの解釈に基づき複数形にしました。

   

    

(72) 

春もややけしきととのふ月と梅

(haru-mo yaya keshiki-totonou tsuki-to-ume)__(A)

(harumoya-ya keshiki-totonou tsuki-to-ume)__(B)

  

(A)  

the spring scenery

almost in order_

the moon and ume-blossoms  

   

(B)

the spring mist_

scenery almost in order

the moon and ume-blossoms

  

(注)

(A)は通説どおり「春もやや」を「春も・やや」と解釈して翻訳しています。「梅」に対応する英語で俳句に適切な単語は無いので「ume」と記述します。

(B)は最後の「や」を詠嘆の助詞と捉えて、「春靄や」と読む新解釈で翻訳しています。「芭蕉が墨絵を念頭にしてこの句にそのような含みをもたせた」と大胆な深読みをするのは穿ち過ぎでしょうか?

    

   

(73) 

庭はきて雪をわするるははきかな 

(niwa-haki-te yuki-o wasururu hahaki-kana) 

   

sweeping the garden,

the broom forgets

the snow it swept

  

(注)

「ははき」は箒のことです。真蹟自画賛によると寒山のことを詠んだ俳句です。句意が分かりやすいように語句を補充して翻訳しましたが、更に解説が無けらば理解できない俳句です。

  

  

(74) 

大津絵の筆のはじめは何仏

(ōtsue-no fude-no-hajime-wa nani-botoke)

     

what buddha was drawn?

the first ōtsu painting

of New Year

 

          

(75) 

古寺の桃に米ふむ男かな

(furudera-no momo-ni kome-fumu otoko-kana)

   

at the old temple

peaches in bloom_

a man pounding rice

  

  

(76) 

うたがふな潮の花も浦の春 

(utagauna ushio-no-hana-mo ura-no-haru)

  

Have no doubts_

the flowers of tide

also the spring of the bay

   

(77) 

樫の木の花にかまはぬ姿かな

(kashinoki-no hana-ni kamawanu sugata-kana)

  

evergreen oaks

having their own figures

indifferent to flowers

          

  

(78) 

咲き乱す桃の中より初桜

(sakimidasu momo-no-naka-yori hatsuzakura)

  

the first cherry blossoms

out of order_

among the peach blossoms

  

       

(79) 

よくみれば薺花さく垣ねかな

(yoku-mire-ba nazuna-hana-saku kakine-kana)

   

careful watching_

shepherd’s purses in bloom

under the hedge

   

    

(80) 

鶯や竹の子藪に老を鳴く

(uguisu-ya takenoko-yabu-ni oi-o-naku)

   

crying over agedness

in the bamboo shoots bush_

a bush warbler

   

2020年2月19日 (水)

俳句の季語と定型

   

「運動会」の俳句 <「季語」について>

   

令和元年1014日は「体育の日」でしたが、台風の影響で運動会など、色々なイベントが中止されました。

台風19号の甚大な被害に遭われた方々のことを思うと胸が痛みます

心からお見舞い申し上げます。

亡くなられた方々には謹んでお悔み申し上げます。

そして、トランプ米国大統領にはパリ協定からの離脱(温暖化防止努力を無視)について大いに反省してもらいたいとの強い思いを新にしています。

この思いを皆さんにFacebookTwitterLINEなどでシェアして頂けると望外の喜びです。

  

ところで、「体育の日」に因んで「575筆まか勢」の「運動会」の例句を季語に焦点を当てて見ると、次の俳句が目に留まりました。

   

・つぎつぎの運動会や秋の行く 前田普羅

    

・運動会のろのろ颱風海にあり 百合山羽公

   

・赤蜻蛉運動会の日となりぬ (子規句集 虚子碧梧桐選)

    

・運動会の旗あちこちす春の山 正岡子規

   

   

「運動会」は「秋の季語」ですが、上記のように「台風」「赤蜻蛉」などの「秋の季語」ばかりでなく、「春の季語」と共に詠まれている俳句もあります。                                             

最近は運動会を気候の良い5月頃に開催する所もあります。立夏は5月5日(子供の日)頃ですから、運動会は「秋の季語だ!」と決めつけれれると句作に難渋することになります。

まんぽ俳句」やプレバトの「運動会」の俳句などのブログに於て述べましたが、「季語」は句作に活かすべきものであり、自由な表現を徒に束縛したり、句作の楽しみを阻害するものであってはならない、「季語のあるべき姿」は時代の変遷や自然現象の変化に合わせて柔軟に考えればよい、という思いを新たにしています。

そして、定型(5-7-5)についても、定型では表現しきれない詩的表現や心情表現をするために必要な最小限の範囲で字余りや破調を認めるべきだろうと思っています。

この思いは芭蕉の俳句の翻訳をしていると一層強くなりましたので、昨年10月に書いた記事を補正して再掲載しました。

  

プレバトの俳句「鏡」

「も」と「を」 (プレバト俳句から)

  

人気絶頂の俳句番組「プレバト」の夏井先生の添削は「さすがに上手い」と感心することが多々ありますが、「どうかな?」と思う添削も時々あります。

その一例は、12月5日に放映された金子恵美さんの俳句の添削です。

「小春日や夫も鏡に試着室」

「夫という鏡小春の試着室」

に修正しています。

  

「鏡」には「模範」という意味もあります。作者の意図からすると、夏井先生のこの添削は「どうかな?」と疑問が湧きます。

 

むしろ、助詞の「も」を「を」に替えるか、「試着室」を「試着」に替えて、次のように修正すると作者の意図していることがすっきり表現出来るばかりでなく、夫婦円満ぶりがイメージに浮かび良いと思います。

  

・小春日や夫を鏡にして試着

・小春日や夫も鏡にして試着

   

前者は鏡に映して自分で判断するよりも夫の判断を大事にしているニュアンスがありますが、

後者は、鏡に映して自分で判断するばかりでなく、夫の意見も聞いている仲良し夫婦の情景が浮かびます。

  

もし、お題の「試着室」を用いなければならないのなら、

次のように修正したらどうでしょうか?

・試着室夫を鏡にして小春

・試着室夫も鏡にして小春

  

俳句は「詠み人・読み人」を映す面白い鏡だと思っていますが、

貴方なら、どう添削しますか?

  

夏井先生の揚げ足を取るつもりではなく、「俳句の裾野を広げたい」という夏井先生と同じ思いで、及ばずながらプレバト視聴者の俳句の推敲・添削の参考になれば幸いだと、この記事を書きました。

   

俳句愛好家のコメントが頂けるとありがたいです。

 

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2020年2月 9日 (日)

芭蕉300句の英訳チャレンジ(51~60)

      

芭蕉の含蓄のある俳句の翻訳についてご理解を頂くために注釈を付記しました。英語俳句(HAIKU)作成の参考にも役立てば幸いです。

   

(51) 

稲雀茶の木畠や逃げどころ

(ina-suzume chanoki-batake-ya nigedokoro)

  

(A) 

rice-field sparrows_

a tea field is

their escape place

  

(B) 

sparrows in the rice-field

escaped into

a tea field

   

注)

芭蕉のこの俳句は三段切れです。「や」を「は」とか「が」にすると散文的・説明的になるのを嫌ったのかも知れませんが、「茶畠は良い隠れ場所だな」という詠嘆を「や」で表現した結果三段切れになったに過ぎないでしょう。「三段切れでも意味が分かれば構わない」という例句になります。

英語のHAIKUとしては単語を羅列するだけでは詩的でなく意味不明瞭になるので動詞を補って翻訳しましたが、(A)の方が(B)より俳句らしいでしょう。

 

    

(52) 

草の戸をしれや穂蓼に唐がらし 

(kusa-no-to-o shire-ya hotade-ni tōgarashi)

  

(A)

be aware of the grass door_

buckwheats in ear

and red peppers

  

(B)

be aware of the grass door_

water peppers in ear

and red peppers

     

(注)

この俳句は芭蕉の草庵に来る客への歓迎句です 

「蓼」の英訳には、buckwheat(そば)やjoint grass(紀州雀ひえwater pepper(柳蓼などありますが、(B)の方がred pepperとの釣合が良いかもしれません。

 

  

(53) 

牛べやに蚊の聲よはし秋の風 

(ushi-beya-ni ka-no-koe yowashi aki-no-kaze)

    

(A)

in the cow room

feeble hums of mosquitoes

autumnal wind

 

(B)

in the cow room

a feeble sound of mosquito

autumnal wind

  

(注)

この俳句は牛が小屋でなく人家の土間にある牛部屋で飼われているのを詠んだものでしょう。蚊は沢山居たでしょうから、(A)のように複数にする方が適訳だと思いますが、晩秋の残り蚊だとすると(B)の単数の方が良いでしょう。

なお、一般に、前置詞を使い過ぎると散文的になるのでなるべく省略する方が良いのですが、この句の場合は助詞「に」対応する「in」を省略すると、作者も牛部屋に居るニュアンスになり、誤訳になるでしょう。

  

 

(54) 

波の間や子貝にまじる萩の塵

(nami-no-ma-ya kogai-ni-majiru hagi-no-chiri)

    

(A)

between sea waves_

bush-clover trashes

among small shell-fishes

  

(B) 

between shore waves_

bush-clover trashes

among small shells

       

(注)

(A) は「小貝」を「生きた貝」の意味に解釈した英訳です。

(B) は「小貝」を「貝殻」と解釈し、「波が浜辺の波」であることを明瞭にし、「shore waves」と意訳して「韻」を踏んでいます。

芭蕉はそのような区別は意識せず、「貝と萩の花片との対比」に興味を抱きこの俳句を詠んだのでしょうか。

いずれにせよ、英語HAIKUとしては(B)の方が適訳でしょう。

      

      

(55) 

海士の屋は小海老にまじるいとど哉

(ama-no-ya-wa koebi-ni majiru itodo-kana)

 

a fisherman’s hut_

among shrimps

a camel cricket

 

  

(56) 

身にしみて大根からし秋の風 

(mi-ni-shimite daikon-karashi aki-no-kaze)

  

penetrating my body_

the radish bitterness,

an autumnal wind,

   

  

(57) 

芭蕉野分して盥に雨を聞夜かな

(basho-nowaki-shite tarai-ni-ame-o kiku-yo-kana)

  

(A)

the typhoon against banana trees_

rain drops into a tub,

the sound in the night

        

(B)

banana trees in the typhoon_

the sound of rain on a water tub

in the night

    

(注)

(A)では台風に重点を置き、「(昼間は眺めていたが)夜は雨音を聞いている」ことを詠んだと解釈し、(B)では、バナナの木に視点を置いて「夜によく聞こえる雨音を聞いている」と解釈し、ニュアンスを変えて翻訳しました。夜通し雨音がしている情景を詠んだとすれば、「in the night」は「(all) through the night」にすると良いでしょう。いずれにせよ、(B)の方が原句の句意に近い適訳だと思います。

      

    

(58) 

わせの香や分入右は有磯海 

(wase-no-ka-ya wakeiru-migi-wa ariso-umi)

 

(A)

the scent of early rice_

on the right side of my going way,

rough surf beach

 

(B)

the early-rice smells_

on the right side of my path

Arisoumi

 

(注)

(A)では「有磯海」を意訳し、(B)では固有名詞としてそのまま表現しました。なお、一般に、俳句ではなるべく動詞を省略する方が簡潔で良いと思いますが、この句の「わせの香」は(B)のように動詞で表現する方が生き生きして良いように思います。

ちなみに、「奥の細道」や「私の芭蕉紀行」というサイトに参考になる記事があります。青色文字をタップしてご覧下さい。

   

       

(59) 

賤のこやいね摺掛けて月をみる

(shizu-no-koya ine-surikakete tsuki-o-miru)

  

(A)

the peasant’s child_

upon beginning to hull rice,

looks up at the moon

   

(B)

the humble boy

began hulling rice, 

looked up at the moon

  

(注)

(A)は芭蕉の心象風景か、現に見ている情景か、いずれにせよ「みる」をそのまま現在形に英訳しましたが、英詩のHAIKUとして何だか嘘っぽく不安定な感じがします。

(B)は芭蕉が見た情景を詠んだものとして英訳しました。散文的になるのを避けるために、「then」とか「and」を省略しています。(A)も「upon」を省略する方がHAIKUとして適訳になるでしょうが、(B)のように過去形で表現する方が英詩として実感があり安定感があります。

「英語の俳句は現在形で表現すべきである」と誰かが言っていましたが、それは俳句に対する誤った認識でしょう。

      

       

(60) 

荒海や佐渡によこたふ天河

(araumi- ya sado-ni-yokotau ama-no-kawa)

 

(A)

the rough sea_

lying over to Sado,

the milky way

  

(B)

the wild sea

lying against Sado_

the milky way

 

(注)

この俳句は芭蕉が実際に見て詠んだものではなく、心象風景を詠んだもであると一般に言われています「よこたふ」の主体が何かについても議論の余地があるようです。

(A)は通説どおり「天河がよこたふ」と解釈した英訳であり、(B)は「荒海がよこたふ」と解釈した翻訳です。

(B)は「や」を切れ字ではなく詠嘆と捉える読み方をしたもので、三段切れの読み方でやや無理が生じます。

しかし、芭蕉は上記(51)のように「や」が詠嘆的に主体を表す三段切れの俳句を他にも作っていますので、(B)の解釈を無下に否定することは出来ないでしょう。

  

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2019年12月31日 (火)

ハイク・俳句・はいく

Click here to see "Basho's haiku in Japanese and English by L. P. Lovee"

     

歩こうかい・ハイク(HIKE)で俳句(HAIKU)・楽しもう!

日本人なら俳句は誰でもできるよ!

あなたの思いを5‐7‐5に口遊めばそれが俳句への一歩です。

「まんぽ俳句会」の理念(発起人の思い)を23の例句に込めました。

       

凩やまんぽ俳句を唇に

短日ふれあいカフェ摸擬句会 

ファミレス俳句談義小春の日  

短日や句を苦にするな句に遊べ

風邪の床子規偲びて句を捻る

膝小僧抱え丸まる風邪の床

水洟や果報寝て待つ老いの床

酒卵加えチンする冬至粥

福よべ冬至南瓜食みにけり

色に惚れ卓に置きたる龍の玉

手作りの庭の成果の柚子湯かな

万歩して柚子湯に遊ぶ俳句かな

スポンジ聖夜のケーキ孫来れず

数え日異国の友に句のメール

富士の峰を目指し牛歩や去年今年

異端者救われもして去年今年

・句に詠まん宇宙の摂理去年今年

去年今年ハイク俳句の目指す峰

・語り継ぐ先師の思い去年今年

時雨忌や「ながら」に興ず漫歩の句

二兎追いて一兎を得るか老の春

牛歩にも先師さまざま初句会

隗よりまんぽ俳句初句会

   

掲句23句は「まんぽ俳句会」の入会勧誘のための川柳擬きの「まんぽ俳句」です。俳句は川柳ほど人気がありませんので、一人でも多くの方を「俳句への道」に誘うべく川柳擬きの俳句にしていますが、決して伝統俳句を軽んじているわけではありません。現代に生きる者としては、現代の自然・環境や人間社会の有り様花鳥諷詠として俳句にすれば良いでしょう。スマホを活用して俳句を作るには現代仮名遣いの方が便利です。季語文語・旧仮名遣いの必要性については俳句の詩的表現の効果を考慮して決めれば良いと思っています俳句は日本語の豊かさを活かし、最少の言葉で最大限の花鳥諷詠をする奥の深い文芸です。

「まんぽ俳句会」はスマホを利用している現役世代が定年退職後に俳句を趣味として健康長寿を全うする格好の「居場所」になることを願っています。

インターネット活用の俳句会や吟行俳句会などで会員相互の研鑽・親睦を図ります。

(俳句会参加費は、その都度会場費や諸経費の実費のみ負担して頂きます。添削は希望者に無料で行います。下記のコメント欄、又はここをクリックして気軽にご投稿下さい。

   

ご投稿をいつもお待ちしています。 (薫風士

  

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2019年12月28日 (土)

虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か? (改定版)

        

掲句「去年今年」について稲畑汀子さんは「虚子百句」において次のように述べている(抜粋)。     

「昭和25年12月20日、虚子76歳の作である。・・(省略)・・時間の本質を棒というどこにでもある具体的なものを使って端的に喝破した凄味のある句であるが、・・(省略)・・この棒の、ぬっとした不気味なまでの実態感は一体どうしたことであろう。もしかすると虚子にも説明出来ず、ただ「棒」としかいいようがないのかも知れない。敢えて推測すれば、それは虚子自身かも知れないと私は思う。

この句は鎌倉駅の構内にしばらく掲げられていたが、たまたまそれを見た川端康成は背骨を電流が流れたような衝撃を受けたと言っている。感動した川端の随筆によって、この句は一躍有名となった。・・(以下省略)」

  

汀子さんは上記の如く述べているが、この句の「棒」は虚子の信念・意志を象徴していると思う。「貫く棒の如きなり」と言わず、「貫く棒の如きもの」と言っているから「時のながれ」というよりも虚子の俳句に対する考えや信念の強さの比喩に違いない。

「虚子俳句の痴呆性」を云々する人がいるが、この俳句には「大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きくなる。」という坂本龍馬の言(勝海舟に説明した西郷隆盛の評価)を当てはめたい。

  

文学に限らず、音楽や絵画など、芸術は個性を表現するものであり、それをよく理解できるか否かは鑑賞する人の性格や人生観、能力などが左右する。まして、俳句は17音(文字)で表現する短詩であり、論理ではなく感性にうったえるものである。従って、俳句はその作者と「場」を共有するか、それが作られた「場」を適切に推定することが出来なければ理解できないことがある。

特にこの「去年今年」の句のように比喩的な俳句はそうである。それを読む人が卑しければ卑しい句であると誤解されることになる。逆に、読む人が優れていればその句を作った人の意図以上に解釈されることも珍しくない。それは俳句の本質的な限界でもあり広がりの可能性でもある。中立的な表現の俳句は鏡のように、読む人の心を映しだす。

虚子はこのような俳句の面白さもこの句に織り込んだのではなかろうか?

  

大岡信は「百人百句」において、「俳句という最少の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。」と次のように述べている(抜粋)。  

「昭和20年代後半から30年代にかけては『前衛俳句』の黄金時代で、若手の俳人はそちらに行ってしまい、虚子は一人さびしく取り残されている感があった。・・(省略)・・私は現代詩を書いていたので、・・(省略)・・どちらかというとはじめに前衛派的な人々の句に親しんだので、それから逆に句を読み進め、高浜虚子を初めてというくらいに読んでみた。すぐに感じたのは、虚子の俳人としての人物の大きさだった。私は常々現代詩を作り、・・(省略)・・斎藤茂吉が好きだったので茂吉の歌もよく読んでいた。しかし、『去年今年』の句を読んだときに、俳句という最小の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。・・(以下省略)」

  

この句についてインターネットで検索していると、宗内敦氏の「アイデンティティ-第二芸術」というタイトルの傑作な記事があった。    

「去年今年(こぞことし)とは、行く年来る年、時の流れの中で感慨込めて新年を言い表す言葉である。しかして虚子のこの一句、『貫く棒の如きもの』、即ち、時の流れを超えて『我ここにあり』と泰然自若の不動の自我を描いて、まさに巨星・高浜虚子の面目躍如たる『快作にして怪作」(大岡信『折々のうた』)の自画像である。それが何としたこと、バブル絶頂の頃だったか、ある新聞の本句についての新春特集ページに、『この句を知ったとき、顔が火照り、胸がときめき、しばらくは止まらなかった』という中年婦人の感想文(投書)が載せられた。一体何を連想したのか。破廉恥にも、よくぞ出したり、よくぞ載せたりと、バブル時代の人心・文化の腐敗に妙な感動をもったことを思い出す。・・(以下省略)」

  

この句を作ったとき虚子は夏目漱石の「草枕」の冒頭にある有名な文「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」も意識していたかもしれない。

この句の「棒」のイメージは、「草枕」の「情に掉させば流される」という文句や方丈記の名文句美空ひばりのヒット曲「川の流れのように」の歌詞など、時世・人生を表現するのに用いられる「川のながれ」とは全く異なり、力強くて斬新なものである。

虚子は「深は新なり」とか「古壺新酒」と言っている。「花鳥諷詠」と「客観写生」を唱道していたが、「前衛俳句」の黄金時代にあって、「去年今年」の句を作ることによって「これも『花鳥諷詠』だ」と、その幅の広さと虚子の信念と自信をアッピールすることを意識していたのではなかろうか。

俳談」や「俳話」なども読み、虚子の考えや作句の「」を知るにつれて虚子の俳句をよく理解できるようになる。インターネットのブログを検索していると、様々な俳句の解釈があり面白い。この「」をわきまえず、俳句のみならず作者の人格まで悪しざまに云々するブログを見かけることもある。それを鵜呑みにしている人もいるようで困ったものである。

  

(注) 

この記事は2015年1月18日に書いたものをスマホで見ると大部分が削除されており、誤解を招くので、スマホでもよく見ることが出来るように改定・再掲載するものです。

    

2019年12月25日 (水)

薫風士の川柳と俳句(12月の例句)

  

川柳も俳句も根は同じ俳諧です    

俳句も川柳も気軽に楽しみましょう!

  

・スーパーでポイント稼ぐキャッシュレス (川柳)

・キャッシュレス知らず買い物年暮れる (俳句)

・キャッシュレス知らず清算年用意 (俳句)

・復興の街のセールが姦し (川柳)

・復興の歳末セール姦しく (俳句)

・キャッシュレスついうかうかと買い過ぎた (川柳)

歳末のセールに寂し我が財布 (川柳・俳句) 

・4Kの良さも分からぬ老いの目よ (川柳)

・4Kの良さをも知らず老いの春 (俳句)

  

2019年12月22日 (日)

ハイク・俳句・HAIKU

まんぽ俳句会  (会員募集)   

Click here to "Enjoy bilingual haiku of Kyoshi Takahama!"  

Click here to see "Basho's haiku in Japanese and English by L. P. Lovee".

  

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・漫歩して令和の御代初句会

あなたは「俳句なんて!」と、

俳句の「食わず嫌い」になっていませんか?

俳句は楽しむものです。

「名句」でなく「迷句」を作っても

初心者が恥じることはありません。

「迷句でも楽しめば良い」と

割り切って、

5・7・5を口ずさみましょう。

その内に、

まぐれでも「名句」が出来るのが、

俳句の面白さです。

 

「ハイク (hike)」俳句を作ろう!

徘徊」でなく「俳諧」を楽しもう!

廃人」でなく「俳人」になろう!

  

・パソコンに向かう縁側小春の日

小春日や老い二人行く漫歩道

・そろりゆく老々介護冬日差す

時雨晴れ笑みの行き交う漫歩道

  

まんぽ俳句会」は、令和の俳句塾として、

定年・退職を迎える世代が俳句を楽しむための敷居を低くし、

奥の深い俳句の世界へ飛び立つまでの「巣箱」になることを意図しています。

     

俳句HAIKU」をご覧になれば、

俳句の面白さがわかるでしょう。

ご希望なら、貴方の句心に沿って、

推敲・添削のアドバイスを致します。

気軽に、お問い合わせ・ご投稿下さい。

  

(メールアドレス)

aiqtrans@hi3.enjoy.ne.jp

    

このサイト「俳句HAIKU」は営業目的ではなく、

俳句を楽しみ、

心身ともに健康な長寿を全うしようとする俳句愛好者を増やすことを願っています。

俳句愛好家のコメント・ご支援を賜れば望外の喜びです。

    

薫風士 

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2019年12月 7日 (土)

盆栽と俳句  (「まんぽ俳句会」の会員募集にちなんで)

     

「俳句は盆栽に通ずるところがある」と思って「盆栽俳句」をインターネット検索すると、正岡子規客観写生の理念を引き継いだ高浜虚子以来のホトトギス系の俳句のあり方について観念的に痛烈な批判をした記事がありました。

このような批判者は芭蕉の言葉「虚と実」・「不易流行」や高浜虚子の俳句の神髄などをよく理解しているのでしょうか?

正岡子規の「俳諧大要」を読んだ上で批判しているのでしょうか?

浅薄な誤解に基づく批判は「俳句の食わず嫌い」を生んでいるように思います。

「山高ければ裾広し」・「裾広ければ山高し」です。

このような批判をする俳句の先生方には理想とする自らの俳句を提示するなり、作者の句心にそって句評や添削をしてほしいものです。

  

俳句は「好き好き」、「詠み人次第・読み人次第」です。

まんぽ俳句会」は人それぞれが個性を生かして俳句を楽しむための敷居を低くし、奥の深い俳句の世界へ飛び立つ「巣立ち」までの「巣箱」になることを意図しています。俳句愛好家のご支援が頂ければ望外の喜びです。

 

下記のブログ記事がご参考になれば幸いです。

  

・俳句の作り方 <5つのポイント>  

・俳句談義(12):「椿寿忌」の俳句と高浜虚子

・高浜虚子と金子兜太

・俳句雑感(4): 高浜虚子と坪内稔典(俳句は詠み人・読み人次第)

・俳人の文法力

   

(青色文字をクリックするとリンクされた記事を読むことが出来ます。)

 

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2019年12月 5日 (木)

俳人の文法力

   

昭和・平成の俳句界を代表する俳人の2~3人の著書を見ると、高浜虚子の俳句「神にませばまこと美はし那智の滝」について、「那智の滝は神様なのでじつに美しい」などと解釈していますが、それは文法的な裏付けの無い感覚的解釈でしょう。

  

「神にませば」が何故「神様なので」と解釈されるのか納得できず、2年程前に、「高浜虚子の俳句 <「去年今年」と「神にませば」>の面白い解釈」というブログ記事を書きました。

最近、この解釈を裏付ける「補陀落・普陀落(ふだらく)」という言葉に出会い、筆者の解釈が間違いでなかったという確信を得ました。

   

広辞苑によると、「ふだらく」は「(梵語Potalakaの音写。光明山・海島山・小花樹山と訳す)観世音菩薩が住む山。南海上にあるという。日本では和歌山県那智山などに擬する。」と解説されています。

   

著名な俳人の中には、詩的解釈を文法的解釈よりも優先し、自分の解釈に合わなければ、自分の文法力の無さを棚に上げ、「目糞鼻糞を笑う」ような批判をしている俳人がいますが、高浜虚子の俳句を嘲る俳句の先生はその一例です。

(蛇足ですが、「俳句の先生」でインターネット検索をすると、「プレバト」で人気絶頂の夏井いつき先生に関連する記事ばかりですが、夏井先生のことを指しているのではありません。)

  

俳句は世界最短の定型詩ですから、日本語の豊かな言葉を生かすべく文法を疎かにせず俳句を作り、俳句の鑑賞を楽しみたいと思っています。

(青色文字をクリックすると関連の記事がご覧になれます。写真はSNSに拒否反応をしない俳句会員を募集するポスターです。クリックして「まんぽ俳句会」の趣旨をご覧下さい。)

      

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2019年11月30日 (土)

   

 会員募集

 「まんぽ俳句会」                     

        

漫歩・万歩で俳句を作り、

集合俳句会・SNS俳句会で

相互研鑽・親睦を図ります。

       

興味のある方は、「まんぽ俳句会」(http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/11/post-d2ef-1.html

をご覧の上、

コメント欄に投稿するか

メールまたは電話でご連絡下さい。  

  

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(発起人) 薫風士 (090-1229-2021)