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2015年1月25日 (日)

俳句談義(1)虚子辞世句「春の山」の新解釈

     

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伊藤柏翠著「虚子先生の思い出」(写真参照)によると、高浜虚子は宗演禅師のもとで参禅弁道をしたとのことですから、虚子の俳句「春の山」に於ける「空しかり」についての薫風士の新解釈を一概に的外れとは言えないでしょう。

  

春の山(かばね)を埋めて空しかり

      高浜虚子

  

掲句の「空しかり」は一般に「むなしかり」と読まれますが、虚子は「空然り(くうしかり)」ということを念頭においてこの句を詠んだのではないでしょうか?

  

大寒の埃の如く人死ぬる

  

「大寒の」の句のように、「戦争による死」には「むなしかり」というのが相応しいでしょうが、「平和裏の大往生」には「くうしかり」を当て嵌めたいと思います。

        

偶々数日前に、「生きて死ぬ智慧」など「般若心経」に関する本を読んでいたので、ふと次のように思い付きました。

虚子は日頃から「般若心経」の「色即是空」を潜在意識にして「花鳥諷詠」を句にしていたに違いない。掲句の「空しかり」は「むなしかり」ではなく、「くうしかり(空然り)」と読むべきではないか?「屍」とは虚子の「屍」のことではないか?

  

虚子の句に「春惜しむ輪廻の月日窓にあり」があります。

「『凡てのものの亡びて行く姿を見よう』私はそんな事を考へてぢっと我慢して其子供の死を待受けてゐたのである」と虚子は四女の死に際して記述していますが、「色即是空」を念頭においていたのではないでしょうか?

          

坊城俊樹氏は「独り句の推敲をして遅き日を」を虚子の辞世の句としてもよいとしています(「高浜虚子の100句を読む」参照)

この淡々とした句は句仏17回忌(3月31日)に詠んだものですが、虚子の句には、「短夜や夢も現も同じこと」や「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」などがあります。

辞世の句がどれかはともかく、虚子の命日釈迦の生誕日とされる「4月8日」に当たることも不思議な縁を感じます。

             

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ご一読下さい。

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4月8日は高浜虚子の忌日です。
虚子の俳句を100句英訳して、
・「高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!」
・「Enjoy bilingual haiku of Kyoshi Takahama!」
というタイトルで国際俳句交流協会のホームページに掲載して頂いています。

http://www.haiku-hia.com/about_haiku/takahama_kyoshi/
をクリックしてご覧下さい。

虚子俳句の一端の面白さを知り、
英語学習のご参考になれば幸いです。

高浜虚子の辞世の俳句
「春の山屍を埋めて空しかり」
を翻訳しました。
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2017/03/haiku-8b01.html
をご覧下さい。

高浜虚子の辞世の俳句「春の山」の新解釈を裏付ける下記の記事が
「仏様の世界」というサイトにありました。
http://tobifudo.jp/newmon/name/10daidesi/shobodai.html
参照)
「須菩提 しゅぼだい」
解空げくう第一または無諍むそう第一といわれます。
解空 とは空を良く理解していること。
空は般若心経に出てくる「色即是空、空即是色」の空。
物事にとらわれない、執着しない、という教えです。
空は元々膨らんだ状態を意味し、中が空洞化すること。
内実がないこと。実体が無いことです。
無諍とは言い争いをしないこと。
須菩提は、元は短気で粗暴な性格でしたが、お釈迦様に出会い、
円満な人格となりました。教団内は勿論のこと、在家の人々からも慕われていました。
争う心がないとき、真に心の平安を得ることができます。

4月8日は「虚子忌」なので、何となく「俳句への道」(高浜虚子著・青空文庫)を読んでいると、
「私はかつて『俳諧須菩提経(はいかいすぼたきょう)』というものを書いた。これは仮りにも十七字という俳句に接したものは悉く(ことごとく)成仏(じょうぶつ)するという意味のことを書いたのである。」という記述が目につきました。
この記述は虚子が辞世の句として「春の山屍を埋めて空(くう)しかり」と詠んだとする新解釈の根拠の裏付けになると思います。

先日、東日本大震災の犠牲になられた方のお墓の写真を見て、
「さぞかし空しく悲しい思いで、せめてお墓でも立派にしてやろうとお墓を作られたのだろう」
と身につまされました。
身近な人の死はとても「くうしかり」などと割り切ることはできないでしょう。
靖国神社に身内を祀られた方々も安倍総理大臣や稲田防衛大臣などに参拝されても、
やはり「むなしい」思いをされ、
「戦争はしてほしくない」という思いを強くされているのではないでしょうか?

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高浜虚子(高濱虚子)は「客観写生」・「花鳥諷詠」を唱導しています。
「私情を交えず客観的に自然を詠む」のが
「客観写生」・「花鳥諷詠」であるとチュヌの主人は理解しています。
「短歌はホットな詩であり、俳句はクールな詩であると思います。
その意味でも、「空しかり」は「むなしかり」というよりも
「空然り」と読むべきではないでしょうか?
読者のご意見が頂ければ幸甚です。

・煩悩は百八減つて今朝の春

煩悩は108あるとされるが、
煩悩が無くなるのは大往生するときのように思える。
夏目漱石は何歳の時にこの俳句を作ったのだろうか?

辞世句(俳諧・川柳・俳句)を集めました。
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/11/post-63e2.html
をご覧下さい。

高浜虚子は「悠久の宇宙」の視点から「色即是空」を認識して、
「春の山屍を埋めて空しかり」と詠み、
宇宙の視点から見れば瞬間的儚い「人の一生」の視点から
「『色即是空』の『色』」を認識して、
「去年今年貫く棒の如きもの」と詠んだのではないか。
ふと、そんなことを考えました。

俳句談議(1)~(18)を通読出来るようにまとめました。
俳句談議(通読版)
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/08/post-166a.html
をご覧下さい。

リヒャルト・シュトラウスの名曲「英雄の生涯」(パーヴォ・ヤルヴィ指揮・N響)を聞いていると、
ふと、「この交響詩のように高浜虚子は自分の俳句人生を振り返りながら、「色即是空(しきそくぜくう)」を潜在意識にして、「春の山屍を埋めて空(くう)しかり」と俳句を作ったのではないか?」と思った。
余談だが、最近はNHK交響楽団の演奏も聞き応えがあるようになってきた。

4月8日は虚子忌(椿寿忌)である。
インターネットで検索すると、
4月11日に朝日カルチャ・湘南教室で星野高士さん
(「玉藻」主宰・鎌倉虚子立子記念館館長)の講演がある。
しかし、残念ながら遠方なので聴講できない。
後日、インターネットか何かで講演内容のエッセンスを読むことが出来ないだろうか?

上記の引用文に「この句を詠んで二日後に亡くなりました。」とありますが、虚子は「春の山屍かばねを埋めて空しかり」の句を詠んだ二日後に亡くなったのではなく、二日後に脳出血で倒れ、1週間後に亡くなったことがわかりましたので、訂正させて頂きます。

早速コメントの投稿を頂き有難うございました。
「空しかり」の解釈に共感頂き意を強くしました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

この「屍」は、日本の山河、風土、文化、伝統の中にある死者からの視線と共にある作者の捉えた「屍」であると、思われます。即ち、生者と死者の共感する宇宙。従って、座五の「空」は、むなしい(虚しい)という感情よりも、貴兄の空(くう)という位相である、と愚考致します。
                     上泉呑海

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