俳句 Feed

2025年1月29日 (水)

365 まんぽ haiku (29) 《帰り花 Kunpūshi》

   

混沌は宇宙の秩序帰り花

(konton-wa uchuu-no-chitsujo kaeribana)

        (薫風士)

 

“kaeribana” in bloom_

chaos:

That’s the system of the cosmos.

                                (Lovee)

  

(Note)

The word “kaeribana” means a flower that is unusually in bloom in winter, although it normally blooms in spring, such as dandelion and cherry blossoms.

There is another seasonal word "kuruizaki", which is equivalent to "kaeribana" but which has quite a different nuance, literally meaning "crazy flower".

  

20250129_070023

This is a picture showing a part of NHK TV news, which I saw in the morning on January 29. 2025.

You might think that some of the occurences, such as  abolishment of "DEI", are equivalent to "kaeribana" or "kuruizaki".    

"DEI" means "Diversity", "Equity" and "Inclusion".

  

Click or tap here to see the latest article of “365 まんぽ haiku

  

 

2025年1月25日 (土)

初天神ダ-クパタ-ンに気をつけて

  

タイトルは、ブログ用の拙句(まんぽ俳句)です。

  

「ダークパターン」の解説は、ここをクリック(タップ)して、「国民生活センター」の記事をご覧下さい。  

    

次の写真は、2025年1月25日朝のNHK-TV画面の一部分です。      

20250125_09530720250125_09494420250125_09475420250125_095158_2

   

  

  

         

平和な日本も油断出来ない世になりましたが、
金儲け主義に振り回されず、それぞれに「まんぽ俳句」を口遊んで故郷を元気にし、楽しみながら地方再生の草の根運動を進め、健康長寿を実現したいものです。

   

去年今年一歩踏み込み考へて 

老ひたれば無欲の牛歩去年今年

夏祭り最後を飾る揚げ花火 《俳句XXX

冬温しうたた寝の夢玄孫抱く

うたた寝に膨らむ夢や日は朧

        薫風士

  

この青色文字(「俳句」や「HAIKU」)をタップすると、「俳句」や「英語俳句」の最新の「俳句HAIKU」の記事をご覧になれます。

  

  

2024年12月27日 (金)

What's up? Today 《365 haiku》

            
「Japan is a small country, 
but, Great country and Great people」

と、この記事が俳句HAIKU を通じて世界の人々が認識してくれる一助になれば、望外の喜びです。 

         (薫風士

  

Haiku Appreciates Indivisually Known Universe. 

  

HAIKU is "AI": not Artificial Intelligence, but Art of Intelligence, leading to "LOVE" 「(ai)」through "KachŌ-fūei". 

     

Click or tap here to see the latest article of “365 haiku

   

2024年11月 6日 (水)

ささやかな秋の昼餉の贅惜しむ (日記俳句)

   

20241031_112739

10月31日、同期仲間の談話会に参加する途次に、大阪中之島にある香雪美術館で開催中の特別展「法華経絵巻 千年の祈り」を見ることにしました。

  

20241031_11123320241031_11135320241031_113107

地下鉄出口近くの案内板をさっと見て大きなビル(中之島フェスティバルプラザ・ウエスト)に入りましたが内装は美的に作られていて、エレベーターもすぐには見つけることが出来ない状態で、ろうろしていると、11時過ぎになり、ランチを食べることにしました。

  

値ごろなレストランがあると思ってエスカレーターで地下まで下りましたが、常連対象の前払いカード制レストランだったので諦めて上階にもどり、レストランを探していると、数量限定の値頃な丼のランチ表示が目に入り、福吉兆に入りました。

  

接待などの予約客対象の高級レストランなので、高い日本酒は断念してビールを飲みながら、丼を頂き、ささやかな贅沢な雰囲気をエンジョイしました。

  

仲間との約束時間まであまり余裕が無くなり、香雪美術館は後日訪ね改めてゆっくり特別展を見ることにしました。

  

20241031_110724_220241031_11471620241031_11415620241031_12141020241031_12161420241031_11493520241031_114910

  

  

  

  

この青色文字(「俳句」や「HAIKU」)をタップすると、「俳句HAIKU」の最新の俳句や英語俳句の記事をご覧になれます。

2024年11月 2日 (土)

今の世に言はぬが花か返り花

  

20250123_070022

写真は、NHK-TV ニュース画面の一部分です。

  
タイトルはブログ用の拙句ですが、句意をどう解釈しますか?

 

俳句は好き好きですが、川柳と異なり、ニュートラルな表現の俳句は鏡のように読み人次第で句意が様々に解釈されます

  

俳句の深よみ《龍の玉》をご覧下さい。

  

かっての封建的村社会的感覚では「言わぬが花」であることも、複雑な多様性の現代では明確に言うべきでしょうが、気を付けて言っているつもりでも、はっきり言うと聞き手次第で「パワハラだ」「セクハラだ」などと誤解されて非難されることもあります。

  

楽しみながら「一人連句」で「まんぽ俳句」や「川柳」を口ずさみ、TPO(time・place・opportunity)に合う表現方法を工夫していれば、いずれ・そのうちに、正確な言葉の使い方が身につくでしょう。

  

継続は力なり」です。

言葉の力」・「俳句の力」《癒し》」をご覧下さい。

  

「俳句HAIKU」をフォローして頂く方々のお役に立てば幸いです。

   

この青色文字(「俳句」や「HAIKU」)をタップすると、「俳句HAIKU」の最新の俳句や英語俳句の記事をご覧になれます。

 

2024年10月21日 (月)

暮の秋朝の門前飛ばざる蛾

   

大阪・関西万博の期間延長を!《亀の呟き》」をご覧の上、その思いをシェアして頂ければ幸いです。

    

晩秋や朝の門先飛ばざる蛾

秋の蛾や木片の如うずくまり

秋の蛾や指で弾けば動きだし

塵出しの門に木片秋の蛾ぞ

      薫風士

  

20241021_092852

タイトルと掲句はブログ用の拙句(「まんぽ俳句」)です。 

 

今朝ゴミ出しに門を出ると、足元に木の小片のような蛾がうずくまっていて、その保護色・変態ぶりに驚きました。

  

秋蝶・秋の蝶 (写真と俳句)」をご覧下さい。

 

写真をタップ拡大してご覧下さい。

冒頭の俳句は、「暮」と「朝」を対比させるなど、面白さを出したつもりです。

  

「蛾」は夏の季語なので「季重なり」ですが、実態に合わせて秋の季語を用いました。

  

秋の暮」の「暮」は文字通り「夕方」の意味ですが、「暮の秋」は「晩秋」の意味です。

 

「門前」は「門先」と同じく、「かどさき」と読んで下さい。

   

2024年10月10日 (木)

俳句《寒露》

  

温暖化寒露にやっと涼新た

駅前の寒露の雨後の整地かな

寒露とて昼餉は今日も冷し酒

寒露の日秋桜手折り香り愛ず

爽やかな秋桜折りし香りかな

金柑やあるかなきかの実が一つ

金柑や米粒大に寒露の日

愛でたきもの寒露に生れし初金柑

寒露過ぎ蜜蜂蝶の飛び交ひて

まんぽ道寒露過ぎにも蜘蛛の糸

       (薫風士

   

歳時記(俳誌のサロン)から気の向くままに「寒露」の例句を抜粋掲載させて頂きます。

例句の詳細は青色文字(季語)をタップしてご覧下さい。

  

鶏鳴のひびきわたれる寒露かな

      (南うみを)

  

20241009_10133420241010_16183520241012_09594220241008_113813

最初の二つの写真は、寒露の日(10月8日)に最寄りの駅前の整地工事の風景や小さな金柑の実を撮ったものです。

   

三つ目の写真は、4日後(10月12日)に実の大きさがミニトマトの小粒位までになった金柑の小木です。

この金柑の実が無事完熟するまでには、ウクライナやパレスチナなどの戦争が終わることを祈っています。

 

最後の写真は、寒露の日に散歩していて、赤レンガの邸宅の庭に蜘蛛の糸が見えたのでスマホで撮りながら駄句を口遊みましたが「蜘蛛」や「蜘蛛の糸」は夏の季語ですから、「季重なり」はダメという俳人も居るでしょう。

 

季語を二つ用いる場合は、その効果を考えて推敲すべきですが、「季語が二つあるのはダメ句」と単純に考えるの初心者の発想で、「俳句の楽しみ」や「俳句の面白さ」を阻害しています。

   

拙句の「寒露に生れし」の中七を「あれし」と定型に読むか、「うまれし」と字余りに読むか、好き好きでしょう

 

いずれにせよ、まんぽ俳句を口遊み健康長寿を全うしたいものです

 

ちなみに、同音異義語の「甘露忌」といえば、秋元不死男の忌日(7月25日)で、夏の季語です。

 

この青色文字(「俳句」や「HAIKU」)をタップすると、「俳句HAIKU」の最新の俳句や英語俳句の記事をご覧になれます。

    

2024年10月 3日 (木)

一人連句《存問句と川柳》

        

「一人連句」は、薫風士の造語ですが、5-7-5-7-7の俳諧連歌と異なり、俳句を連ねてスト-リ-性を出しています。

  

青色文字の下記のタイトルをタップ(クリック)して、記事をご覧下さい。

         

バレンタイン」の俳句を楽しもう!(作句と鑑賞

  

節分・豆撒・豆まき》(俳句の鑑賞

    

俳句鑑賞:《冴返る 25句

    

一茶忌 十句《俳句とAI

    

早春の吟行《清荒神

     

大阪・関西万博の開催期間を延長して下さい!

   

俳句《悴む・かじかむ

   

去年今年」の俳句を集めました

   

初暦の俳句

    

俳句《風花

  

写真俳句《立春・春立つ・春来る

  

早春の嵯峨野・嵐山《俳句と写真

    

親子して本音の論議屠蘇祝ふ

  

うめきた公園(写真俳句)《紅葉と聖樹

  

冬の空・冬の雲 (写真俳句

   

書写山《小春日の吟行》(写真と俳句

  

髙源寺《黄葉の吟行

  

丹波篠山吟行《落葉・冬黄葉の写真俳句

   

山田錦の郷(晩秋の吟行写真俳句

    

善光寺《晩秋の吟行写真俳句

   

芭蕉の足跡・東北《紅葉の名所巡り

    

亀鳴くや声なき声を聞けよとて

  

血に染むなドニエプルてふ春の川

  

まんぽ俳句を楽しもう

折に触れて、連歌ならぬ一人連句を口ずみ、健康長寿を目指しています

  

明易」・「短夜」の俳句を楽しもう

  

若葉の俳句を作って楽しもう 

  

若葉の俳句を作って楽しもう冬霧》丹波並木道中央公園

  

薫風・風薫る》徒然に俳句を口遊もう

     

梅雨明・猛暑・溽暑・汗

  

須磨離宮公園・バラと噴水(吟行の俳句と写真

   

まんぽ俳句」《ゴルフ特集》(季語と自然

    

故郷の《枝豆・黒豆 

  

兵庫陶芸美術館・登り窯吟行(俳句と写真

 

丹波篠山雛祭り《吟行の写真俳句

   

丹波篠山・戎神社吟行

  

父の日」の楽しい句作と鑑賞:助詞 《や・の・を・も・に・と・は

   

雨上がり昼餉の窓辺黄蝶来

      

俳句《寒露

  

俳句《暮早し・短日・日短・日の短か

  

秋蝶・秋の蝶 (写真と俳句

  

秋晴れの灘・酒蔵吟行(写真と俳句

     

若葉・楠若葉《大阪・梅田界隈吟行の写真俳句

     

俳句《新涼・涼新た

  

俳句《コスモス・秋桜

   

ハイク・俳句・はいく・HAIKU

    

虚子記念文学館と谷崎潤一郎記念館

  

平成の果てて令和の花見酒

    

夏祭り最後を飾る揚げ花火 《俳句XXX

   

俳句《花は葉に》OB会

  

敬老会《俳句と写真

   

重陽》まんぽ俳句と写真

     

人と船往来のどか隅田川

  

麗かやスカイツリーを撮り漫歩

 

初秋の吟行《萩の寺・東光院

  

芒種」の手塚治虫記念館吟行 (写真と俳句)

  

秋の蹴上・無鄰菴吟行(俳句と写真

  

翔平の結婚祝す二月尽

   

俳句鑑賞《流星・星流る

  

波々伯部神社祇園祭吟行

  

福住の町並み・「住之江の庭」秋の吟行

  

風薫る寺苑に座してミニ句会 (俳句と写真

  

三田独活小屋・有馬富士公園吟行(春の俳句と写真

   

大暑の名古屋場所《元気

 

俳句「猛暑」「俄雨」《夏の橋立吟行

    

コロナ禍に外堀埋める法改正(コロナ川柳

  

コロナ・マイナンバー川柳 《誤解すな コロナとCOCOA 愛車にも

    

京都・秋の旅《落柿舎と去来墓

  

ウイルスの根絶祈る初御空 (2020 コロナ俳句・川柳特集

    

20241013_21360820241013_21362620241013_210625

この写真は、NHK-TV 画面の一部分です。

    

   

     

リフアアト・アライ-ルさんの平和を切望する思い「If I must die」をシェアしましょう!

  

この青色文字(「俳句」や「HAIKU」)をタップすると、「俳句HAIKU」の最新の俳句や英語俳句の記事をご覧になれます。

  

2024年9月25日 (水)

「花鳥諷詠と客観写生」について

   

20240925_100857

2023年10月に俳句HAIKUの記事「客観写生』と『花鳥諷詠』の違い」を書いて以来、このテーマに興味をもっていましたが、第56回三田市民文化祭俳句大会入賞句(冒頭の写真参照)を見て、改めてこのテ-マについて思案しました。

  

事前募集句の応募は849句が全国から寄せられたとのことですが、入賞句は全て花鳥諷詠の俳句であり、客観写生と言える俳句は無いと思いました。

  

当日投句は、選者の投句も含めて約120句ありましたが、純粋に客観写生と言える投句は殆ど見当たらず、何らかの意味で花鳥諷詠だと思いました。  

  

締め切り1時間ほど前に掲示された二つの席題(「椅子」と「流星(星流る)」)のうち季語(星流る)を使って、最近思っていることを詠んで投句した一句「混沌は宇宙の摂理星流る」は、若森京子前会長の並選に入ったようです。

  

この拙句は、現代の異常気象や世相を詠んだつもりですが、「混沌は宇宙の秩序星流る」とした方が面白い句になったかも知れません。

  

いずれにせよ、後の祭りですが、混沌から新しい宇宙時代に相応しい平和な時代が生まれることを夢見ています

     

20240923_15412520240925_102750

俳句大会の講演では、片山由美子「香雨」主宰が「俳句にしひがし」というテーマで、俳句のリズム・韻を落語や音楽と関連付けてユニークな解説をされ、興味深く拝聴しました。

  

この青色文字(「俳句」や「HAIKU」)をタップすると、「俳句HAIKU」の最新の俳句や英語俳句の記事をご覧になれます。

   

2024年9月17日 (火)

敬老会《俳句と写真》

   

20240916_120651

2016年9月に書いた『敬老の日』『子規忌・糸瓜忌・獺祭忌』に思うこと」を多くの方にご覧頂きましたが、今日は2024年9月16日に最寄りの敬老会に参加して詠んだ拙句(まんぽ俳句)と写真をご覧頂けると幸いです。 

        

敬老の園児のビデオ和やかに

敬老の弁当の箸折鶴に

冷茶汲み鎮めし猛暑敬老会

敬老会亡きチュヌのこと隣人と

まんぽ俳句敬老会の話題にす

オカリナの音に癒されし敬老日

敬老会坂本九の歌で締め

思出のスキヤキ・ソング敬老日

敬老会我が青春が甦り

敬老会我が誕生に思ひ馳せ

        (薫風士)

 

敬老会の主催者や参加者のご厚意とご配慮のお陰で、胃の無い老躯ながら、おもてなしの弁当を残さず頂きつつ、オカリナの演奏などを拝聴しました‼️

関係者の皆さん、ありがとうございました‼️

   

(P.S. 2024.9.20)

今朝、自治会のふれあい・バス旅行の申込にコミセンに行ったら、昨日1時間ほどで申込人数が70人に達したとのことで、残念ながら受付は終了していました。

  

ちなみに、2022年のバス旅行の記事「秋の天橋立《バス旅行の写真と俳句》」や2016年のバス旅行の記事「鳥取砂丘と『砂の美術館』などの写真と俳句」をご覧下さい。     

    

この青色文字(「俳句」や「HAIKU」)をタップすると、「俳句HAIKU」の最新の俳句や英語俳句の記事をご覧になれます。

  

20240916_115922

20240916_120210_3

20240916_12492620240916_13173520240916_12415920240916_13503820240916_13511220240916_120850

 

2024年9月 5日 (木)

初秋の吟行《萩の寺・東光院》

     

_092508_092949

冒頭の写真は、東光院のパンフレットですが、写真をタップ拡大すると、令和4年の「子規忌へちま供養」の入選句(特選5句・佳作20句)をご覧になれます。

             

歳時記(俳誌のサロン)の「萩」の例句は、この青色文字をタップしてご覧下さい

   

ここをクリック(タップ)して、「『敬老の日』子規忌・糸瓜忌・獺祭忌に思うこと」をご覧下さい。

      

_142814_2阪急宝塚線「曽根駅」の近くにある萩の寺「東光院」を2024年9月4日に句友と吟行しましたが、残念ながら萩の花は幾つか咲き初めたばかりで、ほとんどの萩はまだ青々と繁っていました。 

    

    

20240904_105427_112324

_104908_104254

  

   

    

       

当日は快晴の真夏日で、寺苑を一巡すると汗が出る状態で、昼餉の喫茶店「タンネ」の冷房生ビールで秋の汗を鎮めました。 

   

萩の寺「東光院」を紹介する拙句(まんぽ俳句)を掲載します。

  

萩の寺東光院の苑吟行

仲良しと一日を惜しむ萩の寺

延命橋銀杏落ちて踏まれけり

延命とふ地蔵拜すや黄葉降る

秋の空映ゆる本殿ガラス張り

萩の花探し寺苑をぐるぐると

虚子の句碑見落としたるや萩の寺

門前に虚子の句碑あり竹の春

稚児抱く水子地蔵や紅芙蓉

二つ三つ咲き初む萩や東光院

子規の句碑覆ひし萩の花未だ

萩囲む雨月主宰の親子句碑

観音像木漏れ日に座す萩の寺

祈りては秋水かける大観音

東光院苑を巡りて秋の汗

苦吟しつピザとビールの昼餉愛づ

秋暑き吟行したる句座楽し

吟行の疲れ癒すや冷酒

           (薫風士)

  

東光院の萩の苑などの写真を最後に掲載しますが、拙句と合せてご笑覧頂けると幸いです。

    

おもひおもひに座りこそすれ萩の縁

我のみの菊日和とはゆめ思はじ

       (高浜虚子)

   

虚子の上記「萩の縁」の俳句を深読みすると、「萩の見える縁側」の意味と「萩の寺のもたらす縁」と、二通りの解釈が出来ます。

  

_105442_320240904_105401

高浜虚子も東光院を訪ねたことがあるとのことなので、萩の花の盛りに訪ねて改めて吟行をしたいと思います

  

   

最新の俳句や英語俳句の記事は、青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップしてご覧下さい。

          

_11013220240904_10522720240904_10525020240904_105520 _110754_14385420240904_112556_11073720240904_11335920240904_11243520240904_112230_11213720240904_112535_111628

_113449_113323_113625

20240904_112823

2024年8月 3日 (土)

俳句「猛暑」「俄雨」《夏の橋立吟行》

     

_124844_124914

2022年10月に天橋立を訪ねた際に書いた記事「秋の天橋立《バス旅行の写真と俳句》」を読んで頂いた方もあると思いますが、2024年7月27日の猛暑に家族で天橋立を訪ねました。

     

こうのとり待ちたるホ-ム酷暑かな

冷房にほっと一息こうのとり

夕立に駆け込み茶屋の昼餉愛づ

冷酒のチョイ飲みセット愛でにけり

「あなたとの出逢いに乾杯」と気の利いた台詞が箸の包みに書いてあります。

この老舗「ちとせ茶屋」はキャッチフレーズを巧みに利用しており、応対も「気が利いて」、「記の効いた」・「機の効いた」文化度の高い現代的老舗と思いました。

写真をタップ拡大してご覧下さい。

          

_104447_135948_13261120240727_142046

   

   

  

   

「冷房」や「夕立」は夏の季語ですが、「猛暑」や「俄雨」は歳時記に季語として認知されていないようです。

 

「俄雨夜中に降れど夕立と」 まんぽ俳句を詠むメモ代わりに撮った写真を掲載しますが、俳句結社の俳句会などに投句する場合は、主宰やメンバ-の好みを考慮して推敲すれば良いとして、日記代わりの「まんぽ俳句」を口遊んでいます。

皆さんも写真を見て疑似吟行をして頂けると幸いです。

     

俄雨上がり昼餉を終へ街へ

俄雨炎暑を冷やし心地良し

(にわたずみ)塔を映して風涼し

猛暑日の雨後の智恩寺涼しけり

晴れ男愛づや廻旋の橋 

雨宿りの昼餉のお陰でタイミングよく、珍しい廻旋橋の廻旋情景を見物出来ました。

ここをクリック(タップ)して、天橋立観光協会の観光ガイドで廻旋橋の解説・動画をご覧下さい。)

   

モノレールの窓曇らせし夏の雨

橋立や夏の雲を股のぞき

股のぞき夏の橋立登り龍

股のぞきパリにつながる夏の海

股のぞきビューランドの風涼し

炎天下なかよし地蔵穏やかに

リフトにて橋立愛づや夏の風

            (薫風士)

   

_142100_14225820240727_142357_144743_14454720240727_14480920240727_153637_154925_152935

_153435_160652

最新の俳句や英語俳句の記事は、青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップしてご覧下さい。

 

2024年2月 7日 (水)

早春の吟行《清荒神》

   

(2025.1.27 更新)  

白蛇の呼ぶ参道や春浅し

客を呼ぶ白蛇見しや初詣

          (薫風士) 

   

「呼ぶ」には、「集める」という意味もあります。
掲句「客を呼ぶ」の助詞「や」は、「切字」・「詠嘆」・「疑問」の三役をしています。

「ペンは剣より強し」と、「俳句を通じて世界平和を!」というキャッチフレーズで、老躯を労わりながら俳句の英訳ブログ「365まんぽhaiku」を書いていますが、俳句の真髄・醍醐味は日本語を知らない人には理解できません。

皆さんのご支援を得て、世界の人々が日本語に興味もち、日本のことを「Small country, but, Great country and Great people」と認識してくれるようになれば、望外の喜びです

  

_235619_10042920240208_010946_111643

冒頭の写真は清荒神清澄寺境内案内図や行事案内ポスター、パンフレット(一部分)、清荒神駅ホ-ムにある清荒神清澄寺案内板などです。

 

  

_145115

宝塚市にある清荒神清澄寺を2024年2月7日に訪ね吟行した写真を掲載します。

写真をタップ拡大してご覧になり、疑似吟行をされるのも結構ですが、実際にお参りし、吟行されることをお勧めします。

写真や「まんぽ俳句」の拙句が吟行の何らかのヒントになれば幸いです。

最後の写真の雛壇は宝光亭にありました。

   

紅白の春の山茶花参道に

(「山茶花」は冬の季語なので「春の山茶花」としました。)

   

あな不思議スマホ写真に春の虹

(不思議なことに、スマホで撮った参道の写真に逆さ虹が写っています。「虹」は夏の季語なので、「春の虹」と表現しました。)

   

濡れつつも交はす季語論春時雨

(「時雨」は冬の季語ですから「春時雨」にしました。)

   

狛犬も布袋(ほてい)も阿吽春の杜

(清荒神の境内は神仏習合で、狛犬の奥にある対の布袋の笑みも、気のせいか、阿吽(あうん)に見えました。

  

早春の鳥居仰ぐ女(め)赤と黒

(珍しい緑青色の鳥居を見上げていた老女(?)連の赤や黒のコ-トの色が印象的でした。)

   

春の池鯉悠然と神の杜

(池苑に黒い鯉が沢山悠々と泳いでいました。)

  

荒神の薄墨桜芽吹き未だ

(薄墨桜の芽吹きまでには未だ間がありそうです。)

  

大いなる仏足石や冴反る

(「冴返る」は春の季語です。奈良の薬師寺にある仏足石は753年に作られ日本最古です。)

  

春天を仰ぎ掛け水大地蔵

(巨大な一願地蔵に水を掛けるのは容易ではありませんでした。)

  

切株の朽ち面笑むや杜の春

(朽ちて穴が開いた切り株を遊び心で誰かが笑顔に造形したようです。)

  

手相見の見るは足元春の顔

(占師は手相を見ながら客の顔色や足元を見て占うとのことです。

この句は「俳句擬き川柳擬き」ですが、「春の顔」を「客の顔」に変えると、完全な川柳になります。)

  

早春の古りし参道花舗明り

(平日早朝の参道は参拝者も稀で古びた店が並ぶ中で花屋さんの赤や黄色の花が印象的でした。)

  

白蛇の幸も売り物春の店

池田竹産店の白蛇の親子を見て蛇嫌いの句友も可愛いと言っていました。

    

春浅き参道犬と相老いて

(参道や境内で犬連れの参拝者をよく見かけました。)

  

春の宮犬の顔出す乳母車

(乳母車に稚児と犬を乗せている夫婦がいました。)

   

荒神の水音清し春の滝

(「滝」は夏の季語なので「春の滝」とし、遊び心で「上五」の「荒神」と「中七」の「(水音)清し」を合わせると「清荒神」になる表現にしました。)

  

龍王てふ滝に祈る女春の杜

(「てふ」は、「ちょう」と読み、「という」意味の古語です。

「女」は「め」と定型のリズムで読んで下さい。)

竜王滝に手を合わせている女性を見かけて口遊みましたが、滝の左の岩陰に小さな地蔵が立っています。

         (薫風士)

  

最新の俳句や英語俳句の記事は、青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップしてご覧下さい。

  
_115443_104342_120936

_103431_101025


_103244
_104149_103646_143418_120758_143901_144132_121415_121649_105110_105652_110235Photo_110347_113001

_113029 _110730_110638_11120420240207_113518202428_2_113248 _111814_2 2_112734_112924_113950_143058
_143211

2015年12月11日 (金)

「去年今年」の俳句を集めました。

        

青春の思ひ貫き去年今年

老ひしとも新たな夢を去年今年

加速する刻に逆らひ去年今年

人類の起源は一つ去年今年

去年今年宇宙は廻りめぐるかな

良心が平和を護り去年今年

ガンジーの心繋がむ去年今年

広めむや花鳥諷詠去年今年

AIに勝る俳句を去年今年

去年今年在りのままの吾甘受して

去年今年他人(ひと)の拘り甘受して

去年今年人の善意を諾ひて

足らざるを補ひ合ひて去年今年

ストレスを溜めない工夫去年今年

和を願ひバランス求め去年今年

去年今年まんぽ俳句を隗よりと

我が思ひ隗より始め去年今年

四代の長寿を祈り去年今年

句に遊び余生を生きむ去年今年

去年今年一歩踏み込み考へて 

和を祈り果てし無き夢去年今年

老ひたれば無欲の牛歩去年今年

終活の終りは知らず去年今年

我が道を一歩一歩と去年今年

去年今年朝日に祈る我が思ひ

去年今年平和を祈り南無阿弥陀仏

         薫風士

   

20250121_075004

20250104_015626

2025年1月4日未明の薫風士のブログ記事「俳句HAIKU」へのアクセス累計合計が「1,234,888」、1日あたりの平均が「308.88」と、縁起の良い「八」の数字が並んでいたので、スマホで記念に写真を撮りました。

   

拙句の最後の俳句は高浜虚子の俳句「明け易や花鳥諷詠南無阿弥陀仏」と「去年今年貫く棒の如きもの」を捩ったものです。    

  

ウイキペディアによると、「南無阿弥陀仏」の意味は次の通りです。

  

「南無」はナモー(namo)の音写語で「礼拝、おじぎ、あいさつ」を意味するナマス(梵: namas)の連声による変化形。「礼拝」から転じて帰依(śaraṇāgamana)を表明する意味に用いられ、「わたくしは帰依します」と解釈される。「阿弥陀」は、その二つの仏名である「アミターバ(無量の光明, amitābha)」と「アミターユス(無量の寿命, amitāyus)」の「はかることのできない(無量)」というアミタ(amita-)のみを音写したもの。

すなわち、「南無阿弥陀仏」とは「わたくしは(はかりしれない光明、はかりしれない寿命の)阿弥陀仏に帰依いたします」という意味です。

    

「去年今年」(「こぞことし」新年の季語)の俳句を「歳時記」(俳誌のサロン)の各ページの冒頭句など幾つか気の向くままに抜粋・掲載させて頂きます。

    

去年今年1

我をのせ廻る舞台や去年今年

        (上野泰

  

去年今年2

去年今年闇にかなづる深山川

       (飯田蛇笏 

  

去年今年祈りの中にある時間

(稲畑汀子・高浜虚子の孫)  

  

棒も又折れゆくものや去年今年

(稲畑廣太郎・高浜虚子の曾孫) 

    

去年今年3

去年今年貫く棒の如きもの

     高浜虚子

  

ここをクリック(タップ)して虚子の俳句『去年今年貫く棒の如きもの』の棒とは何か?」をご覧下さい。

    

去年今年4

いつの間に一と眠りして去年今年

        (瀧春一)

  

 去年今年5

だんだんと人と離りて去年今年

       (志解井司) 

  

去年今年6

去年今年老父母のなきやすらぎに

       (竹内弘子)

  

去年今年7

片づかぬ書斎に馴染み去年今年 

     (稲畑汀子

  

若者に元気を貰ふ去年今年

     (稲畑汀子)

         

ごきげんよう!「NHK俳句に学ぶ」むかご66さん(選者:高野ムツオさん)に、ゲスト:大島映二さん(将棋棋士)の次の俳句があった。

 空港に 世界の時刻 去年今年      

     

Click or tap here to see the latest article of “365 まんぽ haiku

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」をご覧になれます。

  

2015年1月18日 (日)

虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か?

    

(2025.1.18 更新

去年今年宇宙は廻りめぐるかな

足らざるを補ひ合ひて去年今年

       (薫風士)

  

虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か?

「棒」は「虚子の信念」などの比喩でしょう。

     (薫風士の新解釈)

  

著名な俳人の著書の関連部分のページの写真を掲載して、従来の解釈・通説を下記のとおり紹介させて頂きます。

  

(写真1&2) 夏井いつき著「俳句鑑賞の授業」(P178~179)

_064950_160408

夏井いつきさんは、虚子のこの俳句を高く評価して、「『貫く棒の如きもの』という抽象的な比喩だけで、一瞬と永遠を合わせ持つ『去年今年』という季語の本質を見事に表現している」と述べていますが、夏井先生の「棒」を「一瞬と永遠の比喩」と解釈する考え方は腑に落ちません

   

従来、この俳句の「去年今年」を「貫く棒の如きもの」の主語と解釈して、俳人や評論家などが様々な解説をしていますが、何れの解説も決め手になっていないと思います。

  

虚子は、1981年(昭和56年)7月17日に亡くなった水原秋桜子への追悼句「たとふれば独楽のはぢける如くなり」に於いて主語(秋櫻子と虚子との関係の在り様)を省略しているように、この「去年今年」の句においても、棒の主体を省略して去年今年を副詞として用いていると解釈すると、すっきり説明が出来ます。

    

虚子が「去年今年」を主語として俳句を作っていたとすれば、「独楽」の俳句と同じように助動詞「なり」を用いて、「去年今年貫く棒の如きなり」と表現していた筈でしょう?

  

助動詞「なり」を使わず、「もの」と表現したことは、「去年今年」が主語でないことの証だと思いませんか?

  

「去年今年」を「虚子の信念」との取合せである、すなわち、「棒」を「虚子の信念」と解釈する考え方は、まだ一般的に通説として普及していませんが、反論出来ない限り正しい解釈と言えると思います。

    

(写真3) 
_101042伊藤柏翠著「虚子先生の思い出」(P96-97)

  

  

高浜虚子は宗演禅師のもとで参禅弁道をしたとのことですが、「明け易や花鳥諷詠南無阿弥陀」と詠んでいますから、薫風士の新解釈を一概に的外れとは言えないでしょう。

  

(写真4) 金子兜太著「酒止めようか どの本能と遊ぼうか」P140-141    

703_172330

金子兜太も、去年今年の俳句について「観念臭が強い」と言ってあまり高い評価をせず、通説通り「一物仕立て」として解釈していますが、その解釈・評価に兜太の取巻きも同意しています。

    

   

(写真5)パソコンで読んだ現代俳句協会の記事の一画面

20240214_103758

「去年今年」の「棒」を取合せとして、「男性器のメタファー」とも解釈できると、面白い解釈をしています。(評者横須賀洋子)

写真をタップ拡大して、記事をご覧下さい。

    

きごさい歳時記」の解説によると、「去年今年」の季語の来歴は『毛吹草』(正保2年、1645年)にあります。

  

青色の文字をタップすると関連のリンク記事をご覧になれます。) 

    

お暇があれば、2015年作成の面白い下記のオリジナル記事をお楽しみ下さい。  

  

高浜虚子の「去年今年」の俳句について、稲畑汀子さんは「虚子百句」において次のように述べている(抜粋)。   

    

「昭和25年12月20日、虚子76歳の作である。

・・・(省略)・・・ 

去年と言い今年と言って人は時間に区切りをつける。しかしそれは棒で貫かれたように断とうと思っても断つことのできないものであると、時間の本質を棒というどこにでもある具体的なものを使って端的に喝破した凄味のある句であるが、もとよりこれは観念的な理屈を言っているのではない。禅的な把握なのである。体験に裏付けられた実践的な把握なのである。

・・・(省略)・・・

_

ところで棒とはなんであろう。この棒の、ぬっとした不気味なまでの実態感は一体どうしたことであろう。もしかすると虚子にも説明出来ず、ただ「棒」としかいいようがないのかも知れない。敢えて推測すれば、それは虚子自身かも知れないと私は思う。

この句は鎌倉駅の構内にしばらく掲げられていたが、たまたまそれを見た川端康成は背骨を電流が流れたような衝撃を受けたと言っている。感動した川端の随筆によって、この句は一躍有名となった。・・・(以下省略)」

            

稲畑汀子さんは上記の如く述べているが、川端康成はこの句の「棒」をどのように解釈したのだろうか?

  

「貫く棒の如きなり」と言わず、「貫く棒の如きもの」と言っているから、「棒」は「時のながれ」というよりも「虚子の信念」の比喩であると思う。

   

「虚子俳句の痴呆性」を云々する人がいるが、この「去年今年」の句には「大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きく鳴る。」という坂本龍馬の言(勝海舟に説明した西郷隆盛の評価)を当てはめたい。

  

文学に限らず、音楽や絵画など、芸術は自己実現の個性を表現するものであり、それをよく理解できるか否かは鑑賞する人の性格や人生観、能力などが左右する。まして、俳句は17文字(音)で表現する短詩であり、論理ではなく感性にうったえるものである。従って、俳句はその作者と「場」を共有するか、それが作られた「場」を適切に推定することが出来なければ理解できないことがある。

  

特にこの「去年今年」の句のように比喩的な俳句は、読む人の見方次第で卑しい句であると誤解されることもある。

  

その逆に、俳句が作者の意図以上によく解釈されることも珍しくない。

  

それは俳句の本質的な限界でもあり広がりの可能性でもある。

  

中立的な表現の俳句は鏡のように、読む人の心を映しだす。

  

虚子はこのような俳句の面白さもこの句に織り込んだのではなかろうか?

             

大岡信さんは「百人百句」において、「俳句という最小の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。」と次のように述べている(抜粋)。  

(省略)・・・昭和20年代後半から30年代にかけては『前衛俳句』の黄金時代で、若手の俳人はそちらに行ってしまい、虚子は一人さびしく取り残されている感があった。

・・・(省略)・・・私は現代詩を書いていたので、・・・(省略)・・・どちらかというとはじめに前衛派的な人々の句に親しんだので、それから逆に句を読み進め、高浜虚子を初めてというくらいに読んでみた。すぐに感じたのは、虚子の俳人としての人物の大きさだった。

私は常々現代詩を作り、・・・(省略)・・・斎藤茂吉が好きだったので茂吉の歌もよく読んでいた。しかし、『去年今年』の句を読んだときに、俳句という最小の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。・・・(以下省略)

            

この句についてインターネットで検索していると、宗内敦氏の「アイデンティティ-第二芸術」というタイトルの傑作な記事があった。 

     

「去年今年(こぞことし)とは、行く年来る年、時の流れの中で感慨込めて新年を言い表す言葉である。しかして虚子のこの一句、『貫く棒の如きもの』、即ち、時の流れを超えて『我ここにあり』と泰然自若の不動の自我を描いて、まさに巨星・高浜虚子の面目躍如たる『快作にして怪作』(大岡信『折々のうた』)の自画像である。

それが何としたこと、バブル絶頂の頃だったか、ある新聞の本句についての新春特集ページに、『この句を知ったとき、顔が火照り、胸がときめき、しばらくは止まらなかった』という中年婦人の感想文(投書)が載せられた。一体何を連想したのか。破廉恥にも、よくぞ出したり、よくぞ載せたりと、バブル時代の人心・文化の腐敗に妙な感動をもったことを思い出す。・・・(以下省略) 

          

この「中年婦人」を「破廉恥」とか「卑しい」などと決めつけるのは誤解かも知れない。

  

この女性は汀子さんの上記の「虚子自身かも知れない」というコメントと英語「itself」の俗語の意味とを自然に結び付けて連想したのかも知れないのである。   

  

「虚子自身」も自分自身の「それ自身」を客観写生して、「生命力の強さ」をこの俳句で表現したのだ、と深読み出来ないこともない。

                

この句を作ったとき虚子は夏目漱石の「草枕」の冒頭にある有名な文「智に働けば角が立つ、情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」も意識していたかもしれない。 

   

この句の「棒」のイメージは、「草枕」の「情に掉させば流される」という文句や方丈記の名文句、美空ひばりのヒット曲「川の流れのように」の歌詞など、時世・人生を表現するのに用いられる「川のながれ」とは全く異なり、力強くて斬新なものである。

  

虚子は「深は新なり」とか「古壺新酒」と言っている。「花鳥諷詠」と「客観写生」を唱道していたが、「前衛俳句」の黄金時代にあって、「去年今年」の句を作ることによって「これも『花鳥諷詠』だ」と、その幅の広さと虚子の信念と自信をアッピールすることを意識していたのではなかろうか。

  

    

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。