(2023.11.16 更新)
コロナ禍の鬱積飛ばさむ去年今年
句に遊び退屈知らず去年今年
大歳や虎の飛躍へ牛歩から
去年今年一歩踏み込み考えて
恙無く俳句に遊び去年今年

(写真1)
伊藤柏翠著
「虚子先生の思い出」
高浜虚子は宗演禅師のもとで参禅弁道をしたとのことですから、薫風士の新解釈を一概に的外れとは言えないでしょう。

(写真2)
金子兜太著
「酒止めようか どの本能と遊ぼうか」
去年今年の俳句について、金子兜太も通説通りの解釈です。
タップ拡大して、記事をご覧下さい。
(喫緊の課題が一段落すれば、岸田文雄首相には「俳句を通じて世界平和を」という「俳句愛好家の思い」に耳を傾けてほしい、と願っています。
(青色の文字をタップすると関連のリンク記事をご覧になれます。)
2015年作成の面白い下記オリジナル記事をお楽しみ下さい。
高浜虚子の「去年今年」の俳句について、稲畑汀子さんは「虚子百句」において次のように述べている(抜粋)。
「昭和25年12月20日、虚子76歳の作である。
・・・(省略)・・・
去年と言い今年と言って人は時間に区切りをつける。しかしそれは棒で貫かれたように断とうと思っても断つことのできないものであると、時間の本質を棒というどこにでもある具体的なものを使って端的に喝破した凄味のある句であるが、もとよりこれは観念的な理屈を言っているのではない。禅的な把握なのである。体験に裏付けられた実践的な把握なのである。
・・・(省略)・・・
ところで棒とはなんであろう。この棒の、ぬっとした不気味なまでの実態感は一体どうしたことであろう。もしかすると虚子にも説明出来ず、ただ「棒」としかいいようがないのかも知れない。敢えて推測すれば、それは虚子自身かも知れないと私は思う。
この句は鎌倉駅の構内にしばらく掲げられていたが、たまたまそれを見た川端康成は背骨を電流が流れたような衝撃を受けたと言っている。感動した川端の随筆によって、この句は一躍有名となった。・・・(以下省略)」
稲畑汀子さんは上記の如く述べているが、この句の「棒」は「虚子の信念・意志を象徴している」と思う。
「貫く棒の如きなり」と言わず、「貫く棒の如きもの」と言っているから「時のながれ」というよりも虚子の俳句に対する考えや信念の強さの比喩に違いない。
「虚子俳句の痴呆性」を云々する人がいるが、この「去年今年」の句には「大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きく鳴る。」という坂本龍馬の言(勝海舟に説明した西郷隆盛の評価)を当てはめたい。
文学に限らず、音楽や絵画など、芸術は自己実現の個性を表現するものであり、それをよく理解できるか否かは鑑賞する人の性格や人生観、能力などが左右する。まして、俳句は17文字(音)で表現する短詩であり、論理ではなく感性にうったえるものである。従って、俳句はその作者と「場」を共有するか、それが作られた「場」を適切に推定することが出来なければ理解できないことがある。
特にこの「去年今年」の句のように比喩的な俳句は、読む人の見方次第で卑しい句であると誤解されることもある。
その逆に、俳句が作者の意図以上によく解釈されることも珍しくない。
それは俳句の本質的な限界でもあり広がりの可能性でもある。
中立的な表現の俳句は鏡のように、読む人の心を映しだす。
虚子はこのような俳句の面白さもこの句に織り込んだのではなかろうか?
深見けん二さんと白鳥さんは対談で次のように述べている。(抜粋)
「白鳥: 私は、これが虚子の句だ、と意識して読んでいたのが、
去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの
戦後にお作りになったこの句に出会った時―私の青年期というか、大学生だったんですが、あの頃のことですから、新しい思想や何やらがゴチャゴチャに入ってくるじゃないですか。ふらふらしながら、右往左往しながら生きている時に、その『貫く棒の如きもの』を、そんなものを自分で確信できる人がいるんだな、という、そういう感じで凄い衝撃を受けたことがございましたね。
深見: そうですね。あれは新年のために作ったもので、ちょうどNHKの放送番組で句会をして、それをラジオで流したわけですね。その時にお出しになった句でして、ほんとに『去年今年(こぞことし)』というところが大事なところで、『去年今年』というのは、一年が過ぎていって、そして新しい年を迎える。その時の気持でありまして、そういう時に改めて『貫く棒の如きもの』という気持をお持ちになったと。先生の言われるのは、一番大事にしている季題というものもすべて四季の運行、春夏秋冬が次々に巡っていくわけですね。・・・(省略)・・・そして日常はほんとに朝起きて、そして仕事をして、そして暮らしていくうちに年月が巡るという、そういう中の生活ですからね。ですから宇宙の中に入ったそういうものが出ている、という感じもしますね。」
大岡信さんは「百人百句」において、「俳句という最小の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。」と次のように述べている(抜粋)。
「・・・(省略)・・・昭和20年代後半から30年代にかけては『前衛俳句』の黄金時代で、若手の俳人はそちらに行ってしまい、虚子は一人さびしく取り残されている感があった。
・・・(省略)・・・私は現代詩を書いていたので、・・・(省略)・・・どちらかというとはじめに前衛派的な人々の句に親しんだので、それから逆に句を読み進め、高浜虚子を初めてというくらいに読んでみた。すぐに感じたのは、虚子の俳人としての人物の大きさだった。
私は常々現代詩を作り、・・・(省略)・・・斎藤茂吉が好きだったので茂吉の歌もよく読んでいた。しかし、『去年今年』の句を読んだときに、俳句という最小の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。・・・(以下省略)」
この句についてインターネットで検索していると、宗内敦氏の「アイデンティティ-第二芸術」というタイトルの傑作な記事があった。
「去年今年(こぞことし)とは、行く年来る年、時の流れの中で感慨込めて新年を言い表す言葉である。しかして虚子のこの一句、『貫く棒の如きもの』、即ち、時の流れを超えて『我ここにあり』と泰然自若の不動の自我を描いて、まさに巨星・高浜虚子の面目躍如たる『快作にして怪作』(大岡信『折々のうた』)の自画像である。
それが何としたこと、バブル絶頂の頃だったか、ある新聞の本句についての新春特集ページに、『この句を知ったとき、顔が火照り、胸がときめき、しばらくは止まらなかった』という中年婦人の感想文(投書)が載せられた。一体何を連想したのか。破廉恥にも、よくぞ出したり、よくぞ載せたりと、バブル時代の人心・文化の腐敗に妙な感動をもったことを思い出す。・・・(以下省略)」
この「中年婦人」を「破廉恥」とか「卑しい」などと決めつけるのは誤解かも知れない。この女性は汀子さんの上記の「虚子自身かも知れない」というコメントと英語「itself」の俗語の意味とを自然に結び付けて連想したのかも知れないのである。
「虚子自身」も自分自身の「それ自身」を客観写生して、「生命力の強さ」をこの俳句で表現したのだ、と深読み出来ないこともない。
いずれにせよ、女性の投書を読んでいない筆者は断定することが出来ない。
ちなみに、「女性自身」という週刊誌のネーミングの意図について、創刊関係者からコメントを頂けると、望外の喜びです。(この部分と冒頭の2句は2022年1月29日に補足しました。)
ところで、佐藤治氏は、「虚子と第二芸術論その他」(名大望洋会・東京望洋会)に下記のとおり述べている。
「私見によれば、虚子はひょっとすると第二芸術論の三年後に詠んだ代表句<去年今年貫く棒のごときもの>でこれに対する回答を示したのではないだろうか。ただし、それには信条とする花鳥諷詠、客観写生句を離れて心象句を以ってせざるを得なかった。これを機 に俳句の新しい方向を模索し、子規の教えを忠実に守ろうとしたのではないか。この名句の底は極めて深いと改めて思うのである。」
上記のように、俳句は読む人の想像次第で融通無碍に如何様にでも解釈できる。
この句を作ったとき虚子は夏目漱石の「草枕」の冒頭にある有名な文「智に働けば角が立つ、情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」も意識していたかもしれない。
この句の「棒」のイメージは、「草枕」の「情に掉させば流される」という文句や方丈記の名文句、美空ひばりのヒット曲「川の流れのように」の歌詞など、時世・人生を表現するのに用いられる「川のながれ」とは全く異なり、力強くて斬新なものである。
虚子は「深は新なり」とか「古壺新酒」と言っている。「花鳥諷詠」と「客観写生」を唱道していたが、「前衛俳句」の黄金時代にあって、「去年今年」の句を作ることによって「これも『花鳥諷詠』だ」と、その幅の広さと虚子の信念と自信をアッピールすることを意識していたのではなかろうか。
「俳談」や「俳話」なども読み、虚子の考えや作句の「場」を知るにつれて虚子の俳句をよく理解できるようになる。インターネットのブログを検索していると、様々な俳句の解釈があり面白い。
この「場」をわきまえず、俳句のみならず作者の人格まで悪しざまに云々するブログを見かけることもある。それを鵜呑みにしている人もいるようで困ったものである。
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