文化・芸術 Feed

2017年11月14日 (火)

俳句の鑑賞 <「木枯」・「凩」・「こがらし」・「木がらし」>

           

10月30日に木枯し1号が東京や近畿地方で吹きました。NHK NEWS WEBによると、「去年と比べて、東京で10日早く、近畿で1日遅くなっている」とのことです。

   

俳誌のサロン」の歳時記から気の向くままに「木枯し」の俳句を引用させて頂きます。

青色文字の季語などをクリックすると、俳句の詳細や解説記事などがご覧になれます。

   

木枯1

・木枯や野菜づくしの喪の煮炊き (久崎富美子)

木枯2

・木枯やたばこを吸ひに外へ出て (山田六甲)

木枯3

・木枯しに大見得をきる古木かな (吉澤利治)

木枯4

・木枯を背に鍵穴を探りをり (加藤克)

木枯5

・木枯や水なき空を吹き尽す (河東碧梧桐

   

凩1

・一号と呼ばれ凩吹いてをり (斉藤美奈子)

凩2

・凩の止みて下弦の月静か (松村美智子)

凩3

・胸中の凩咳となりにけり (芥川龍之介

   

こがらし

・こがらしの樫をとらへしひびきかな (大野林火

    

ちなみに、「野煙る・俳句エッセイ」にある芥川龍之介の俳句の解説記事に、「木枯らしや目刺にのこる海の色」とあり、お皿の目刺しの写真がありますが、「目刺し」は春の季語ですね。芥川龍之介は実際に「干されている目刺し」の情景を詠んで、「木枯らしや」と冬の季語を用いたのではないでしょうか? 最近は実際の風景を見て詠むのではなく、観念的に創作しているのではないか、と思われる俳句をみかけますが、この芥川の俳句もその一例でしょうか? 

また、「古典・詩歌鑑賞(ときどき京都のことも)「増殖する俳句歳時記」の「季語が凩の句」などには、「木がらしや目刺にのこる海のいろ」と「凩」「木枯」などの漢字でなく「木がらし」と表記されています。芥川龍之介が「木がらし」(「かな漢字混じり」)や「のこる」など、「ひらがな」で表記しているのは「目刺し」と「海の色」の対比を目立たせて強調する意図的な技法だろうと思います。

芥川の俳句などについて興味ある解説記事が「ブログ俳諧鑑賞 芥川龍之介の句」というサイトにありますが、この俳句を芥川が作った背景をご存知の方があれば教えてほしいものです。なお、このサイトは特攻隊のことを詠んだといわれる山口誓子の俳句「海に出て木枯帰るところなし」についてもふれています。

正岡子規の「凩」・「木枯」の俳句に興味のある方はここをクリックすれば「webM旅」をご覧になれます。

夏目漱石の「凩」の俳句はここをクリックすれば「夏目漱石俳句集」をご覧になれます。夏目漱石はさすが文豪ですね。

芥川龍之介や夏目漱石など文豪の秀句を読むと駄句を作りブログに掲載するのは気が引けますが、庶民もそれぞれに俳句を楽しむことができることを多くの人々に知ってほしいと思ってブログを書いています。

      

        

2017年10月25日 (水)

高浜虚子の俳句 <「去年今年」と「神にませば」>の面白い解釈

     

高浜虚子(1874–1959)の代表句の一つである「去年今年貫く棒の如きもの」の解釈について、「虚子の俳句『去年今年貫く棒の如きもの』の棒とは何か?」というタイトルのブログを書きましたが、虚子は「神にませばまこと美はし那智の滝」という意味深な俳句も作っています。

(青色の文字をクリックすると関連の記事をご覧になれます。)

  

「神にませば」の俳句について、坊城俊樹氏は次のように述べています(「高浜虚子の100句を読む」から抜粋)。

この句は『五百句』にもあるように、虚子の句の中でも史実を超えた代表句。特に吟行の旅における傑作といっていい。(…中略…)滝の美しさもさることながら、茶屋の娘の美しさに気を配るあたり、なかなかお忙しいが、まことに虚子らしい。とまれ、那智の滝の美しさは女性に喩えるのは当然で、あの日本一の一条の滝の姿は大日如来の再現である。」

また、滝の下にある虚子の句碑を観て詠んだ次の2句を掲載して、「本歌取りというほど高尚なものでもないが、虚子の句への尊厳を込めてというよりは、この滝の日本一の美しさと気高さにたいしての存問と思いたい。」と述べています。

・滝にまさば神を白しと思ふかな

・岩座を後背として那智の滝

   

「神にませば」の俳句を英訳するために広辞苑で調べたところ、「ます」の漢字表示には「申す」(=「言う」の謙譲語)と「在す・坐す」(=「在る」「居る」の尊敬語)があることが分かりました。高浜虚子は意図的に漢字を用いず、「ひらがな」で「ませば」と表記したに違いありません。

前者の意味に解釈すると、神にませばまこと美はし那智の滝」の句意は、「神に申し上げますが、那智の滝は真に美しいですね」と、「神の創造した自然を賛美している」ことになります。

また、後者の意味に解釈すると、「神にある那智の滝は真にうるわしい」という意味になりますが、どうも合点が行きません。そこで、インターネットで解説記事や写真などをあれこれ検索した結果、「神に在るもの」とは「滝そのもの」ではなく「滝が象徴するもの」を指していることに気付きました。古来から生命の源泉を崇拝して豊穣を祈願する素朴な信仰、殖器崇拝の概念がありますが、「那智滝」の信仰にもそのような一面があるに違いありません。熊野那智大社のホ-ムページをご参照下さい。   

高浜虚子の俳句には座興に作ったのか、人を食ったような俳句もあります。「那智の滝」は大日如来の再現であるとも言えるでしょうが、この俳句では「観音様」(=「女陰」)の隠語も暗示している隠喩の効果も意図していると思います。滝の落下水量、滝の見える場所、季節などの条件次第で、那智の滝は様々な姿を見せてきたのではないでしょうか?

那智の滝の画像集をご覧になると、「それ」らしく見える写真があるでしょう。「神にませば」の俳句と「去年今年」の俳句を合わせて考えると、冒頭のブログにおいて触れた中年婦人の感想(「この句を知ったとき、顔が火照り、胸がときめき、しばらくは止まらなかった」)に納得できないこともない気がします。

高浜虚子の「遊び心」「自由奔放さ」に感嘆しましたが、「不謹慎な下司の勘繰りである」と非難・一蹴されるでしょうか? 「高浜虚子の俳句の奥の深さを良く理解している」と評価して呉れるでしょうか?

この俳句を卑しい人が読めば「卑しい俳句」として貶すでしょうし、自然を愛し自然の摂理を理解・尊敬している人が読めば、「素晴らしい俳句」と思うでしょう。

「何事も両面あるので良く考えることが大切だ」と痛感しています。

            

2017年10月 5日 (木)

俳句の鑑賞 <「名月」>

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今日(10月4日)は中秋の名月です。天気予報によると、近畿地方では「名月」を愛でることができそうですが、関東地方は曇りがちなので明日の「十六夜(いざよい)」の方が名月を楽しめそうです。「中秋の名月」は陰暦8月15日の満月のことで「芋名月」とも呼ばれます。(ここをクリックして国立天文台のHP「中秋の名月(2017年10月)」をご覧下さい。

写真はクリックすると拡大します。ニュータウンの夕暮れの名月をご覧下さい。

     

   

   

「俳誌のサロン」の「歳時記から気の向くままに「名月」の俳句を抜粋・掲載させて頂きます。

(青色文字をクリックして解説記事や俳句の詳細をご覧下さい。)

   

名月や池をめぐりて夜もすがら  (松尾芭蕉

・名月や高層の窓輝きし (入山登志子)

・名月に一瞬会へり誕生日 (赤座典子)

・名月や水の上なる能舞台 (鈴木清子)

・母の忌の雨名月となりにけり (数長藤代)

・名月に照らされて道迷ひけり (稲畑汀子

・燈を消して名月に身を晒しけり (松崎鉄之介

・栗名月健やかな老い集ひけり (鎌倉喜久恵)

・名月や新内閣の発足す (石山民谷)

・名月や酒を愛して恙無く (金山藤之助)

・名月を泳がせてゐる堰止め湖 (上野進)

・名月や地球に難民あふれゐる (池田光子)

  

最後に、バイリンガル英語俳句にチャレンジしているチュヌの主人の俳句とHAIKUを掲載します。

・名月や新装なりし白鷺城 

   the harvest moon_   

   bright above

   the renewed Himeji castle

    

2017年9月15日 (金)

高浜虚子の100句(100 HAIKUs of TAKAHAMA Kyoshi)(1~5)

(はじめに)

俳句の登録を目指す推進協議会が発足して「俳句のユネスコ登録をめざす」活動が推進されています。その草の根運動の一助にでもなればとの思いから、「高浜虚子の100句を読む」(坊城俊樹著)の掲句を第1回から最終回まで随時HAIKU(英語俳句)に翻訳してブログに掲載する予定です。

俳句は17文字(5-7-5音)の短詩ですから、その解釈を読者に委ねるという特徴もあり、幾通りかに解釈することが可能です。論理的な言葉である英語でこの俳句の特徴をHAIKUに生かすことは至難です。日本語と英語には構文的な違いや対応する単語の意味・ニュアンスの違い、言葉の響きの違いなど、様々な違いがあり、原句のニュアンスをそのまま正確に英語で表すことは不可能です。しかし、なるべく原句の句意を表現し、且つ、俳句の必須要件「切れ」をHAIKUにおいても英語構文に適した「切れ」として表現することにチャレンジします。

何かご意見やお気づきのことがあればコメント頂けると幸甚です。

なお、「高浜虚子の100句を読む」は下記のURLでご覧になれます。

第1回:http://www.izbooks.co.jp/kyoshi01.html

最終回(第99回):http://www.izbooks.co.jp/kyoshi99.html

各俳句の冒頭の番号に上記のURLをそれぞれの回ごとにリンクさせて頂きますので、番号をクリックして是非ご一読下さい。高浜虚子が原句を作った背景などがよくわかります。なお、各俳句の後の年号をクリックすると虚子がその俳句を作った年の「世界の出来事」などウイキペディアの解説記事がご覧になれます。

(木下聰、Satoshi Kinoshita, 2017.9.11)

    

)春雨の衣桁に重し恋衣 (M27. 1894年

  (harusameno ikouniomoshi koigoromo)

    heavy on a dress-rack

  clothes of love_

    spring rain

(注)「恋衣」とは「恋を、常に身を離れない衣に見立てた語。恋という着物。」とのことです。(出典:広辞苑)

     

)怒濤岩を噛む我を神かと朧の夜 (M29. 1896年

      (dotou iwawokamu warewokamikato oboronoyo)

      as if thinking me a god,

      surging waves bite the rock I'm standing on_

      hazy moon night

      

)蓑虫の父よと鳴きて母もなし (M32. 1899年

     (minomushino chichiyotonakite hahamonsashi)

     a bagworm chirps

     papa papa,

     without mamma, either

   

)子規逝くや十七日の月明に (M35. 1902年

   (shikiyukuya juushichinichino getsumeini)

    Shiki passed away

    in the moonlight

    of the 17th day

   

)秋風や眼中のもの皆俳句 (M36. 1903年

      (akikazeya ganchuunomono minahaiku)

    autumn wind_

      anything you see

      could be a HAIKU

      

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2017年8月 9日 (水)

俳句の鑑賞 <極暑・酷暑・炎暑>

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昨日(8月6日)は原爆忌(広島)でした。下記の7句は、原爆犠牲者のご冥福と平和の祈りをささげてから炎天下の須磨海浜水族園に行き、チュヌの主人(薫風士)が詠んだ吟行句です。

水族館涼しい筈と思ひしに

スマスイ昼寝の魚スイと浮き

欠氷手に手に親子イルカショー

・満席の団扇はためくイルカショー

炎天下イルカ巧みにフラフープ

ドルフィンや客にあいさつ立ち泳ぎ

涼しさやイルカの飛ばす水しぶき

   

(青色の文字をクリックすると解説記事や俳句の詳細などがご覧になれます。)    

    

筆まか勢」から「極暑」の俳句を気の向くままに抜粋させて頂きます。

・ひそやかに栗育ちをる酷暑かな (阿部みどり女

・月青くかゝる極暑の夜の町 (高浜虚子

・極暑歩む胃に穴多き課長たち (櫂未知子

・海老寝して極暑の極を越えにけり (斎藤空華

・オリーヴ葉カレーに煮込み酷暑なる (細見綾子    

   

次に、「歳時記」から「炎暑」の俳句を抜粋します。

  

百選の棚田の匂ふ炎暑かな (朝妻力

・炎暑かな郵便局に客ひとり (戸田澄子)

・私も影も汗ふく炎暑かな (佐々木良玄)

鬼瓦炎暑無言の面構へ (荻龍雲)

ふるさと城が崩れてゐる炎暑 (岩岡中正

・正論の溶けてゆくさま炎暑かな (杉井真由美)

 

ところで、歳時記「炎暑」(2017年7月26日作成)の冒頭には

マイヨールの像と炎暑の掃除夫と (高島茂

が掲載されています。この俳句は定型(5-7-5)でなく変調です。

マイヨールの像」とは「フランスの彫刻家Aristide Maillol作った像」と「マイヨール本人の像」と、どちらでしょうか? 恐らく前者でしょうが、この俳句が詠まれた背景をご存知の方があれば教えて下さい。

次の手順でご投稿いただければ幸甚です。

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2017年7月31日 (月)

俳句の鑑賞 <祭り>

          

・女房は下町育ち祭好き(高浜年尾

掲句について、清水哲男氏は「増殖する俳句歳時記」において次のように述べています(抜粋)。

「なんとも挨拶に困ってしまう句だ。作者が虚子の息子だからというのではない。下町育ちは祭好き。……か、どうかは一概にいえないから困るのである。…(中略)… この句のように『そうなんだから、そうなんだ』という類の句は、見回してみるとけっこう多い。(以下省略)」  

しかし、「そう決めつけられては困るよ。」と作者(高浜年尾)はあの世で言っているかも知れません。作者は妻が祭り好きなことを理屈抜きで俳句に詠んだに過ぎないでしょう。俳句は散文と異なり所詮片言ですから、読み手次第で解釈が異なることが多いですね。

(青色文字をクリックして作者の紹介記事や俳句の詳細をご覧下さい。)

合本現代俳句歳時記(角川春樹編)の季語「祭」の項には次のとおり傍題が12あります。「夏祭」「祭礼」「宵祭」「夜宮」「神輿」「山車」「祭囃子」「祭太鼓」「祭笛」「祭衣」「祭提灯」「祭髪」

インターネット歳時記(「俳誌のsalon」)の「祭」の各ページから気の向くままに2句抜粋させて頂きます。

祭1

・復興の町に景気の祭山車 (稲畑汀子

・子が手綱引いてやさしき祭馬 (野沢しの武)

祭2

賀茂祭馬耐へがたく尿放つ (西田もとつぐ)

・父の手を振り切つてはや祭の子 (品川鈴子)

祭3

・故郷の祭を恋ひて母逝きぬ (藤村美津子)

・点滴のベッドへ遠き祭笛 (辰巳比呂史)

祭4

・この村が好きで老いたり祭笛 (梅原富子)

・教え子の祭化粧を見つめおり (小林玲子)

祭5

・水打つて祭日和となりにけり (柴田英彰)

・ふるさとに海の幸あり祭鮨 (斉藤静枝)

祭6

・祭ある地球によくぞ生まれける (鷹羽狩行

・落語家の芸賑々し祭船 (名取袿子)

祭7

・町並に古色戻りぬ祭あと (小泉三枝)

・獅子の尾を振る役たまふ祭かな (浅田光代)

祭8

神田川祭の中をながれけり (久保田万太郎)

阪神の帽子神田祭の子 (大久保白村

祭9

・下町に祭気分の漲(みなぎ)れり (稲畑廣太郎

・てのひらを味見の皿に夏祭 (小城綾子)

祭10

・祭くる百八歳の大往生 (大坪景章)

・軽トラに稚児乗せ団地祭かな (中川すみ子)

祭11

・駅を出て神田祭に揉まれけり (内藤静)

・抜路地を流れ遠音の祭笛 (中野さき江)

祭12

・星空に鼓動の余韻夏祭 (宮崎薫風)

・祭ずし嫁へ言ひつぐかくし味 (白神知恵子)

祭13

・祭太鼓腹にひびくや總踊り (井沢ミサ子)

・背伸びして募金する児の祭髪 (石田きよし)

祭14

・働きし手を見せ合うて祭かな (小嶋恵美)

・祭牛を宥めすかして御田掻く (大橋晄

祭15

・昔の名坂に残りて祭町 (今井千鶴子

・人違ひしたりされたり鉾祭 (山野美賛子)

   

俳句祭り」を開催して町の活性化を図っている地方自治体が増えているようです。俳句を世界無形文化遺産に登録しようという運動も推進されています。コーラスゲートボールなど様々な趣味がありますが、俳句は楽しくて健康に良いばかりでなく、前EU大統領の言のごとく、人心を世界平和へ導くことにも貢献できそうです。それにしても、言葉の壁・言語の壁を破り「俳句」の国際化を促進して俳句の世界無形文化遺産登録を実現することは至難でしょうね。

  

2017年4月30日 (日)

俳句鑑賞 <蕪村の俳句「薫風や」は面白い>

         

与謝蕪村の俳句「薫風やともしたてかねついつくしま」が面白いと云うと、「何が面白いのだ」と不思議に思われる読者が多いでしょう。

この俳句は少なくとも4とおりの解釈が可能であるとチュヌの主人(薫風士)は考えています。 

インターネット歳時記の「薫風1」(2014516日作成)の冒頭に「薫風やともしたてかねついくつしま」とあり、その意味が全くわかりませんでした。そこで、「蕪村が字余りの俳句を平仮名を多用して作ったのは何故か?」好奇心から色々調べてみましたが、この俳句の意味を解説した記事は見当たりませんでした。

正岡子規の「俳人蕪村」(青空文庫)には「薫風やともしたてかねつ(いつく)(しま)」とあり、「いくつしま」は「いつくしま」のミスタイプ(入力ミス)であり、「薫風やともしたてかねついつくしま」が正しいことに気づきましたが、この俳句の意味が直ぐにはわかりませんでした。ところが、翌朝ふと句意の解釈を思いつきました。

(解釈1)「ともし」は「灯」であり、「かね」は「鐘」だろう、「薫風や灯し立て鐘つい突く島」である、と解釈できるのではないか? 

すなわち、「灯しを立てると鐘も突きたくなる宮島」を詠んだものであるという解釈です。

インターネット検索で検索すると、ホットライン教育ひろしま」というサイトに次の記事があり、この解釈が可能であることが裏付けられました。

仏教では,その宗教的雰囲気を高めるための多くの鳴物が使用されるが,それら梵音具(ぼんおんぐ)と言われるものの中で最大の梵鐘に属するもので,天正15年(1587)に豊臣秀吉が,島津攻略の際に持ち返って,厳島神社に寄進したものと言われ,応永5年(1398)の銘がある。     

広辞苑(第6版)の「ともし②」に次の解説があります。

(「照射」と書く)猟人が夏・秋の夜、山中の木陰に篝をたき、または()(ぐし)松明(たいまつ)をともして闇の中の鹿の眼が光に反射して輝くのを目当てに、これを射たこと。また、その火。(季:夏)

(解釈2)広辞苑の上記解説を「ともし」に当てはめ、「薫風や照射(ともし)立てかねつ(いつく)(しま)と読み、「鹿を射ちかねている」ことを詠んだ俳句であると解釈することも可能でしょう。

(解釈3)「薫風や灯し立てかねつ厳島」と読むと、「薫風で灯を立てかねている」句意であると解釈することも可能でしょう。

(解釈4)「かねつ」に「加熱」を当てはめ、「薫風や灯し立て加熱(かねつ)厳島」と読み、「灯火が沢山立って熱くなっている」ことを詠んだものであると解釈することも可能でしょう。

俳句では「中七」を字余りにすることは拙いとされていますが、蕪村は意図的に「ひらがな」の「字余り」の俳句にして、「掛詞」の俳句にしたものであると思います。  

どの解釈が妥当かご意見やコメントなど、投稿して頂けると有難いです。

  

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2017年4月13日 (木)

バイリンガル俳句鑑賞 <花疲れ眠れる人に凭り眠る(高浜虚子)>

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4月8日は高浜虚子の命日「椿(ちん)寿忌(じゅき)」です。

日本気象協会の「桜開花情報」によると北海道東北地方北陸地方以外の都府県では満開です。

桜・花の俳句と写真を集めました(ここをクリックしてご覧下さい)。

(青色文字をクリックすると関連の記事がご覧になれます。)

ご覧の写真のようにチュヌの散歩道の桜も満開になりました。

この週末は雨模様でしたが、花見でお疲れの方も居られるでしょう。   

そこで、高浜虚子の掲句「花疲れ眠れる人に()り眠る」の英訳にチャレンジしてみます。

俳句の英訳をするにはその作者が句を詠んだ背景を考え、原句の句意を訳出する必要があります。俳句はその解釈を読者の想像にゆだねる特徴があります。日本語の情緒的な表現・ニュアンスを英語HAIKKUに訳出することは至難です。英語は論理的な構文が特徴ですから、俳句で省略される主語など、英語では省略することが出来ません。したがって、原句が詠まれた情景を考えて、省略された主語を補って英語のHAIKUにしなければなりません。

掲句の場合は少なくとも次の三通りの情景が考えられます

(A)  眠っている人に虚子がつい寄り掛かってうとうとした。

(B)  うとうと眠っている虚子に隣の人が寄り掛かってうとうとした。

(C) 互いに寄りかかってうとうとしている二人連れを虚子が見た。

虚子に寄り掛かったのはうら若い女性か、むさくるしい男か?

二人連れは若者か、老夫婦か、恋人同士か?

様々な情景が思い浮かびます。俳句鑑賞の楽しさ、面白さです。

     

俳句は「省略の文学」といわれますが、花疲れ眠れる人に()り眠る」も主語が省略されています。英語では主語の省略はできませんので、先ず(A)の俳句であると解釈して原句に近い英語Haikuに翻訳します。

hanazukare_

I dozed,

leaning against a person dozing

      

weblio英和和英辞典」によると、「花疲れ」は「tiredness after cherry blossom watching」と英訳されています。

この英訳を用いると説明的な散文になり、Haikuの面白さが損なわれますが、構文などを工夫して次のように英語Haikuにしてみます。

I dozed,

leaning against a person dozing_

fatigue from cherry-blossom viewing

  

HAIKUらしく簡潔に翻訳するには、季語「花疲れ」は「寿司」(sushi)や「すき焼き」(sukiyaki)などと同じく、季語は日本固有・俳句特有のものとしてそのままローマ字の「hanazukare」にせざるを得ませんね。

ちなみに、原句が「眠る」と現在形の表現ですから、上記の英訳の「dozed」を「doze」と現在形にすると、「花疲れをすると、・・・眠る」と習慣的行為を句に詠んだことになります。

     

ご参考までに、上記(B)(C)の解釈に準じ試訳してみます。

(B)

hanazukare_

I dozed,

someone dozed leaning against me.

     

(C)

hanazukare_

a man dozed,

a woman dozed leaning against him.

    

英語は同じ言葉の反復をきらいますが、上記の翻訳では原句の面白さを反映するために敢えて同じ単語を繰り返しています。なお、personやman、womanなどは実態に合わせて適切な名詞を入れ替えて俳諧味を出すとよいでしょう。

     

原句の句意と異なるかも知れませんが、花見時によく見かける車内の光景として次のように英語HAIKUを作ってみます。

hanazukare_

couples of people doze in a train,

leaning agaist each other

      

この「花疲れ」の俳句の最後は「眠る」と現在形ですから、花見の疲れという現象の一面の真理を詠んだものと解釈して次のように翻訳して見ます。

hanazukare_

people tend to doze

leaning against one another

       

興味のある方は「バイリンガル俳句・HAIKUを楽しむ <高浜虚子の俳句「春の山」>」もご覧下さい。

     

俳句をユネスコ世界無形文化遺産に登録する運動が

国際俳句交流協会などの俳句愛好者によって進められています。

チュヌの主人は言語の壁を破るチャレンジをして、

日英バイリンガル俳句を楽しみながら、

草の根運動の一助になればとの思いで、

俳句やエッセイなどのブログを書いています。

ご意見やコメントなど、投稿して頂けると有難いです。

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2017年3月22日 (水)

俳句の創作的解釈<高浜虚子の俳句「一つ根に離れ浮く葉や春の水」>

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冒頭の写真は日本伝統俳句協会の3月のカレンダーです。掲句と石井柏亭のほのぼのとした絵の掛軸が「双福」で掲載されています。

チュヌの主人はこのカレンダーを毎日眺めながら何となく俳句のことを考えています。先日ふと、この俳句は正岡子規高浜虚子河東碧梧桐の関係の比喩でないかという考えが浮かびました。すなわち、「根」が正岡子規であり、「葉」は虚子と碧梧桐を差していると解釈したのです。この解釈が正しいか否か確認するためにインターネット検索をすると同じような考えを述べている「俳句雑記帳」というタイトルの記事がありました。 

高浜虚子は「俳句の作りよう」の「(三)じっと眺め入ること」において、次のように述べています。

(青色文字をクリックすると、「俳句の作りよう」の全文や解説記事などがご覧になれます。写真はクリックすると拡大されます。)

「芭蕉の弟子のうちでも許六(きょりく)という人は配合に重きを置いた人で、題に執着しないで、何でも配合物を見出してきて、それをその題にくっつける、という説を主張していることは前章に述べた通りでありますが、それと全然反対なのは去来(きょらい)であります。去来は配合などには重きを置かず、ある題の趣に深く深く考え入って、執着に執着を重ねて、その題の意味の中核を捕えてこねばやまぬという句作法を取ったようであります。
 この後者の句作法の方をさらに二つに分けてみることができます。
その一は目で見る方で、じっと眺め入ることであります。その二は、心で考える方で、じっと案じ入ることであります。」

さらに、「『じっと眺め入る』ということもやがては『じっと案じ入る』ということに落ちて行くのであります。」と述べて、掲句「一つ根に離れ浮く葉や春の水」を詠んだ経緯を詳細に説明しながら約2600字を使って句作における「写生」とは何かを縷々説明しています。

したがって、掲句を上記のように比喩と考えるのは穿ち過ぎかもしれませんが、「人間も大自然の一部の存在である」ととらえ花鳥諷詠を唱導した虚子は無意識のうちにそういう比喩をしていたかも知れません。さらにうがった創作的解釈をすると、「一つ根」は芭蕉を意味し、「葉」は去来許六を差していると解釈することもできます。

   

俳句をユネスコ世界無形文化遺産に登録する運動が松尾芭蕉正岡子規ゆかりの自治体や国際俳句交流協会などの俳句愛好者によって進められていますその草の根運動の一助になればとの思いで、チュヌの主人はブログを書き、読者のご意見・ご投稿をお待ちしています。

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2017年2月24日 (金)

俳句の解析・鑑賞 <蕪村の「白梅」と虚子の「去年今年」>

      

しら梅に明る夜ばかりとなりにけり

この俳句は画家でもあった与謝蕪村ならではの辞世の句です。

正岡子規は「俳人蕪村」(注1)において蕪村の俳句を高く評価していますが、掲句については言及していません。 

萩原朔太郎は「郷愁の詩人 与謝蕪村」(青空文庫)(注2)において詩人ならではできない句評をしています。

天明(てんめい)三年、蕪村臨終の直前に(えい)じた句で、彼の最後の絶筆となったものである。白々とした黎明(れいめい)の空気の中で、夢のように漂っている梅の気あいが感じられる。全体に縹渺(ひょうびょう)とした詩境であって、英国の詩人イエーツらが(ねら)ったいわゆる「象徴」の詩境とも、どこか共通のものが感じられる。しかしこうした句は、印象の直截鮮明を尊ぶ蕪村として、従来の句に見られなかった異例である。かつどこかスタイルがちがっており、句の心境にも芭蕉風の静寂な主観が隠見している。けだし晩年の蕪村は、この句によって(ひとつ)の新しい飛躍をしたのである。もしこれが最後の絶筆でなかったならば、更生の蕪村は別趣の風貌(ふうぼう)を帯びたか知れない。おそらく彼は、心境の静寂さにおいて芭蕉に近づき、全体としての芸術を、近代の象徴詩に近く発展させたか知れないのである。そしてこの臆測(おくそく)は、蕪村の俳句や長詩に見られる、その超時代的の珍しい新感覚――それは現代の新しい詩の精神にも共通している――を考え、一方にまた近代の浪漫(ろうまん)詩人や明治の新体詩人やが、後年に至って象徴的傾向の詩風に入った経過を考える時、少しも誇張の妄想でないことを知るであろう。」

    

この俳句を英訳するには省略されている「主体」となるべき言葉を補足して解釈する必要が生じます。会話や散文においても文脈から明瞭な主語(主体)などがよく省略されますが、この俳句においては「自分には」とか「自分に残された夜は」などの語句が省略されていると解釈すると蕪村が自分の気持ちをありのままに素直に詠んだ俳句であることがわかります。

俳句の新解釈・鑑賞 <しら梅に明る夜ばかりとなりにけり(与謝蕪村)>参照)    

このような分析的解釈は詩人や俳人の詩的感覚にどのように映るでしょうか? 俳句を翻訳するためには俳句を詩的のみならず解析的に鑑賞する必要があります。

  

俳句の英訳に関心のある方のご参考までに下記します。   

The Art of Haiku by Stephen Addissには蕪村の「しら梅」の俳句を次の通り翻訳しています。

among white plum blossoms

what remain is the night

about to break into dawn

上記の英訳は「白梅に残っているものは明けようとしている夜ばかり」と和訳できます。すなわち、原句の句意を誤解した英訳です。

次のように英訳すると、原句の真意を明瞭に伝える俳句らしい翻訳になります。

what remain to me_

the night about to break into dawn

among white plum blossoms

   

外国人が日本語を完全に理解して英訳することは困難なようです。日本人が俳句を理解できても完全な英語に翻訳することは容易ではありませんが、チュヌの主人はバイリンガル俳句にチャレンジし楽しんでいます。

ちなみに、高浜虚子の代表作といわれる俳句「去年今年貫く棒の如きもの」においては主体となるべき語句「俳句に対する虚子の信念」が省略されていると解釈できます。

俳句の新解釈・鑑賞 <去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)>をご参照下さい。    

(注1)「俳人蕪村」は下記URL参照。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000305/files/47985_41579.html

(注2)「郷愁の詩人 与謝蕪村」は下記URL参照。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/47566_44414.html

  

2017年2月11日 (土)

日英バイリンガル俳句を楽しむ <高浜虚子の俳句「去年今年」>

    

光陰矢の如し(Time flies.)、高浜虚子の生誕日(2月22日)が間近です。

そこで、虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の英訳にチャレンジします。

(青色文字をクリックすると関連の記事がご覧になれます。)

インターネットのhttp://terebess.hu/english/haiku/takahama.html

に「One Hundred and One Exceptional Haiku Poems by Kyoshi Takahama(虚子秀句百一選英訳)という記事があり、次英訳がありました

Something like a stick

That goes through

Last year and this year

上記の英訳は原句の一般的な解釈に従って翻訳したものです。

文字通りに日本語にすると、「去年今年を通じてゆく棒のようなもの」という意味のHAIKUです。日本語を知らない外国人がこの英訳HAIKUを読むと、意味不明の謎かけのように思い、高浜虚子の代表的名句だとは思はないでしょう。 

次のようにす英訳すると、原句に近くなるでしょう。 

kozokotoshi_

piercing

as if a stick

   

俳句の新解釈・鑑賞 <去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)>において考察したように、主語(主体)は省略されている、すなわち、「俳句に対する虚子の信念」が省略されている、「去年今年」は客体である、と解釈する場合は次のように意訳できます。 

my belief in HAIKU

pierces kozokotoshi through,

as if a stick pierces something

   

「去年今年」は文字通り英訳すると「last year this year」ですが、新年の季語としては不適切です。「去年今年」は高浜虚子が季語として確立したと言われていますから、日本語のまま「kozokotoshi」で使うのがよいでしょう。

オバマ大統領も日米首脳会談の夕食会で次のような日本語をそのまま使っているHAIKUを披露しています。

俳句談義18:政治家と俳句 <俳句を通して世界の平和を!

・春緑 日米友好 和やかに

Spring, green and friendship

United States and Japan

Nagoyaka ni

  

今日は「建国記念の日」です。「『旗日』は死語か?『建国記念の日』の俳句を読んで思うこと」をご覧下さい。

ところで、安倍首相がトランプ大統領と会談し、一緒にゴルフもする予定とのことです。トランプ米国大統領に歓待されるのは大変結構なことですが、実を取られて日本が滅びるようなことになっては困りますね。トランプ氏はオバマさんのように俳句を詠むことはしないでしょうから、俳句は詠まなくても、しっかり会談して下さいね。

安倍総理大臣! よろしくお願いします!

ここまで書いたところで、「日米首脳会談で安倍首相は『罠』にハマった。 『マッドマン・セオリー』に騙される日本」という東洋経済ONLINE記事があった。下記URLをクリックしてご覧下さい。http://toyokeizai.net/articles/-/158128

    

   

     

2017年2月 3日 (金)

俳句の新解釈・鑑賞 <しら梅に明る夜ばかりとなりにけり(与謝蕪村)>

    

今回は与謝蕪村の辞世句として有名な掲句「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」の解釈について考えます。 

外山滋比古氏は「省略の詩学―俳句のかたち」で「俳句は省略の文学である」「十人十色の受け取りができてこそ俳句はおもしろい。」と云っています。

俳句の新解釈・鑑賞 <去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)>」参照。)    

掲句の解釈として、学研全訳古語辞典には次の解説があります(Weblio参照)。

[訳] 冬も終わり、ほころび始めた白梅の花が闇(やみ)からしらじらと浮かび上がる夜明けを迎えるころとなった。

(鑑賞)蕪村の辞世の句。没したのは十二月であるが、蕪村の心はすでに初春の明け方を向いている。季語は「白梅」で、季は春。  

上記の解釈は、清水哲男氏が増殖する俳句歳時記」に於いて次のように評しているように、辞世句の解釈としては安易すぎます。   

天明三年(1783)十二月二十五日未明、蕪村臨終吟三句のうち最後の作。枕頭で門人の松村月渓が書きとめた。享年六十八歳・・・(中略)・・・

単純に字面を追えば「今日よりは白梅に明ける早春の日々となった」(暉峻康隆・岩波日本古典文學大系)と取れるが、安直に過ぎる。いかに芸達者な蕪村とはいえ、死に瀕した瀬戸際で、そんなに呑気なことを思うはずはない。暉峻解釈は「ばかり」を誤読している。

「ばかり」を「……だけ」ないしは「……のみ」と読むからであって、この場合は「明る(夜)ばかり」と「夜」を抜く気分で読むべきだろう。すなわち「間もなく白梅の美しい夜明けなのに……」という口惜しい感慨こそが、句の命なのだ。・・・(以下省略)・・・   

清水哲男氏は「『夜』を抜く気分で読むべきだろう」と述べていますが、蕪村のような優れた俳人が無駄な言葉を使って俳句を作っているとは考えられません。   

学研全訳古語辞典の解説では「冬も終わり」などを補って解釈していますが、不適切ではないでしょうか?

蕪村は1784年1月17日に亡くなっています。この辞世の俳句で省略された語句は、「冬も終わり」などということではなく、「自分に残された夜」とか「自分が生きている夜」とかという主体が省略されていると解釈すべきだと思います。

「明る夜ばかり」とは、「四季の巡りに伴い様々な夜がこれからもあるだろうが、自分に残された夜は『白梅に明る夜』のみとなった」、「自分が生きている夜は『この白梅に明ける夜』のみになった」と、死が間近であることを詠んだものと解釈するのが至当でしょう。

ちなみに、「夜半亭(YAHANTEI)のブログ・回想の蕪村」には、蕪村のいくつかの俳句や句評が掲載されています。ご参考までに、臨終3句を下記に抜粋させて頂きます。

・冬鶯むかし王維が垣根哉(『から檜葉』臨終三句の第一句・天明三年)
・うぐひすや何ごそつかす藪の中(『から檜葉』臨終三句の第二句・天明三年)
・しら梅に明る夜ばかりとなりにけり(『から檜葉』臨終三句の絶吟・天明三年)

上記の臨終3句は、過去・現在・未来を順番に詠んだ俳句だと解釈できます。「しら梅」の句は未来を詠んだ俳句であると解釈すると、「自分の未来(死後)の世界は『夜ばかり』である」と詠んだことになります。この解釈は穿ちすぎでしょうね。    

蕪村の臨終3句や正岡子規の辞世句3句などを読むと、高浜虚子の辞世句「春の山屍を埋めて空しかり」は、「春の山屍を埋めて(むな)しかり」ではなく、「春の山屍を埋めて(くう)しかり」と読むべきであるという思いを新たにしました。俳句談義(1)参照。)   

  

2017年1月29日 (日)

俳句の新解釈・鑑賞 <去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)>

     

掲句について稲畑汀子さん(ホトトギス名誉主宰)は「虚子百句」において次のように述べています(抜粋)。

「この棒の、ぬっとした不気味なまでの実態感は一体どうしたことであろう。もしかすると虚子にも説明出来ず、ただとしかいいようがないのかも知れない。敢えて推測すれば、それは虚子自身かも知れないと私は思う。この句は鎌倉駅の構内にしばらく掲げられていたが、たまたまそれを見た川端康成は背骨を電流が流れたような衝撃を受けたと言っている。感動した川端の随筆によって、この句は一躍有名となった。」

  

川端康成は掲句のどの点に衝撃を受けたのでしょうか?

川端康成も一般的な解釈と同じように「棒」とは「時の流れ」の比喩であると解釈したのでしょうか?

 

虚子の俳句『去年今年貫く棒の如きもの』の棒とは何か?に於いて、チュヌの主人は「中立的な表現の俳句は鏡のように、読む人の心を映しだす。」と書きましたが、外山滋比古氏は「省略の詩学―俳句のかたち」(電子書籍)に於いて次のように述べています。

「一句の意味はひとつに限ると考えるのからして大きな誤解で、受け手によって句意は変わる。十人十色の受け取りができてこそ俳句はおもしろい。あいまいさは、作者に多くの諷意を許容し、受け手には自らの意味を生み出す喜びを与える。」

  

また、外山氏は高浜虚子の掲句「去年今年」について次の通り句評しています。

「措辞ははなはだ粗雑であるが、年のつらなりを棒にたとえるのは奇想である。人はその奇抜さに興ずるのであろう。名句の名をほしいままにしている。」

  

外山滋比古氏の「省略の詩学」は桑原武夫の「第二芸術論」の対極にあると言えます。俳句愛好家にとってありがたい著書です。しかし、措辞ははなはだ粗雑」という句評にいささか語弊があります。

外山氏は、「去年今年」を主語(主体)として捉えて句意を解釈しているから、「措辞が粗雑である」と考えたのでしょう。

「去年今年」を副詞として捉え、主語(主体)は省略されていると解釈すると、この批判は妥当でないことが理解できます。

日本語では主語がよく省略されます。外山氏の言にあるように、俳句は「省略の文学」です。この俳句で省略された主語(主体)は「虚子の花鳥諷詠の俳句に対する信念」であるといえるでしょう。

虚子は「春風や闘志抱きて丘に立つ」という俳句を39歳の時に作っています。この闘志を持ち続けていることを、「去年今年貫く棒の如きもの」と、77歳の時に詠んだものであると解釈するのが至当でしょう。すなわち、「自分の信念は去年とか今年とかいう時の区切りを突き抜く固いものであり、生きている限り変わらない」と言っているのでしょう。「時の流れ」は未来永劫に続くものですから、「棒」をその比喩と解釈することにはやや無理があり、虚子の真意では無いと思います。

   

ちなみに、主体が省略された虚子の俳句の一例として、次の俳句(河東碧梧桐への追悼句)が参考になります。

たとふれば独楽のはぢける如くなり

この句に於いては、たとえば、主語となるべき「虚子と碧梧桐の関係」が省略されています。

(「高浜虚子の100句を読む」(坊城俊樹)下記URL参照。)http://www.izbooks.co.jp/kyoshi81.html

       

インターネット歳時記には、「去年今年」の俳句が750句ほどあります

「去年今年」が副詞的に用いられている俳句が大多数ですが、ご参考までに下記に例句を若干抜粋します。

(副詞的に用いた例句)

・去年今年机上に積まれたるままに (稲畑汀子)

・良きことも良からぬことも去年今年(今井千鶴子

・去年今年平和を祈る手でありぬ (橘高絹子)

 

(「去年今年」を主体ないし客体として用いた例句) 

・聞き慣れし振子のつなぐ去年今年 (鈴木美江

・何かある闇でつながる去年今年 (千坂美津恵)

   

次の俳句は虚子の掲句を意識して「去年今年」を主語として作ったものでしょうが、「去年今年」を副詞として解釈することも可能です。

・去年今年大河の如くありにけり (竹下陶子)

   

ちなみに、稲畑廣太郎氏(ホトトギス主宰)の俳句に、虚子の掲句を意識して作った俳諧味のある句があります。

棒も又折れゆくものや去年今年

この俳句の「去年今年」は単なる季語の取り合わせですが、「棒」を「時の流れ」の比喩であると解釈すると、「棒が折れること」は「地球が破滅すること」を意味することになるでしょう。

トランプ米国新大統領の就任などで「世界終末時計が進められたというインターネット記事ありました。トランプ氏が米国新大統領として良識ある為政をすることを祈るばかりです。

  

2017年1月23日 (月)

初雪の俳句

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1月16日に「日EU俳句交流大使であるファンロンパイEU大統領を囲む夕食会に参加しました。この夕食会はファンロンパイ氏のアジアコスモポリタン賞受賞の祝賀と俳句愛好家の交流のために開催されたもので盛会でした。俳句愛好家の集まりなので正岡子規の号獺祭書屋」に因んで乾杯の酒に「獺祭の発泡にごり酒スパークリング」があり、ファンロンパイ氏が挨拶で俳句の世界遺産登録への運動に協力すると賛意を表明され、多いに盛り上がりました。詳細はいずれHIAの公式HPの記事になるでしょうから割愛しますが、俳句愛好家が増えて俳句の世界遺産登録が実現すると嬉しいですね。

当日は我が手作りの庭も銀世界となり、愛犬「チュヌ」(サモエド犬)の天国になりました。朝の散歩を済ませてから新幹線で上京し、夕食会までに時間の余裕があったので、皇居周辺を散歩しました。

そこで、当日の雪景色などの写真(クリックすると拡大します)や拙句を掲載します。

   

手作りの日本列島雪景色

初雪やサモエド犬の白さびれ

雪の丘犬とサクサク小気味よく

初雪の車窓変幻「のぞみ」かな

雪の富士瞬時の対峙デジカメと

雪景色車窓の闇に消えにけり

  

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「俳句は好き好き、名句はプロの俳人にまかせておけば良い」と、駄句を口遊んで楽しんでいますが、拙句のみでは読者に申し訳ないので、インターネット歳時記「初雪」の俳句から、目についた句をご参考までに若干抜粋します。詳細(約360句)は季語「初雪」(青色の下線文字)をクリックしてご覧下さい。

 

初雪1

初雪のそれより白き鷺の舞ふ (小野ちゑ) 

初雪2

初雪の一瞬の富士見のがさず (稲畑汀子 

初雪3

初雪や水仙の葉のたわむまで  (芭蕉

賀に参ず初雪の富士窓に嵌め (稲畑廣太郎

   

2017年1月 5日 (木)

俳句の作り方 <5つのポイント>  

   

俳句は好き好きです。名句はプロの俳人にまかせて、次の5つのポイントに気をつけて句作を楽しみましょう!      

(1)季語・季題(季節の分かる言葉)は一つ入れます。

季語の無い俳句は川柳と同じことになりがちです。季語が分からなければ歳時で確認出来ます。歳時記を持っていない場合は、ともかく季節が分かる言葉が俳句に一つあれば良いと割り切って俳句を作れば良いのです。

季語は二つあっても、その効果があれば差支えがありません。しかし、初心者は季語を一つだけ使うのが無難です。季語が二つある「季重ね」の俳句は句意が分かりにくくなることがよくあります。 

(2)「」は一つ入れます。

「切れ」としては、「や」「かな」「けり」などの「切字」ばかりでなく、名詞や動詞の終止形なども用いることが出来ます。「切れ」は、その直後に俳句の切れ目、すなわち、「間」を作ります。この「間」によって、俳句の詠まれた背景などを読者が想像することにより味わい深い俳句になります。「切れ」が無いと、普通の文章、いわゆる散文の断片的な一部に過ぎなくなりがちです。     

(3)5-7-5音のリズムが良く、句意が明瞭になるように語句の選択や語順を工夫します。    

(4)無駄な語句を省き、イメージが浮かぶ俳句にします。      

(5)文語にするか口語にするかは好み次第ですが、どちらかに統一します。

文語(旧仮名遣い)には詩的に簡潔に表現できるメリットがあり、口語には親しみやすい現代的表現が出来るメリットがあります。

上記の「5つのポイント」は「フラワータウンカレッジ講演の要旨」からの抜粋です。例句など詳細はここをクリックしてご覧下さい。  

2016年6月24日 (金)

HAIKU & Pictures (Trip to Turkey)

 

   

Imga0003_2   

トロイかな木馬上れば秋高し

Ah Troy!

a vew from the Trojan Horse_

high autumn sky

Imga0008_2
           

Imga0010_2 

盛衰のトロイの地層秋の風 

autumnal wind_

along the strata showing 

Troy’s rise and fall

   

 Imga0002_2  

クルーズにイスタンブルの秋惜しむ 

cruising_

enjoying the autumn of

Istanbul

    

晩秋の暮れゆく海峡ボスポラス  

Ah Bosporus_

an evening

in late autumn

           

Imga0088_2 

絹の道あくまで真直ぐ秋高し

the Silk Road_

straight to the end,

the field under high autumn

    

Imga0090

秋灯のモスクの祈り古都包む

autumnal city lights_

the sound of prayer

from the mosque 

   

コーランの読誦殷殷古都晩秋

prayers of Koran

linger spreading deep_

Istanbul in late autumn

  

Imga0027_2 
Imga0041_2

Imga0044_2

Imga0046_2  

Ephesus 

Imga0057_2

Imga0066_2

Pamukkale

Imga0079_2

   

Imga0091_2       

Cappadocia         

気球飛ぶカッパドキアや秋の雲

balloons flying

over Cappadocia_

autumnal clouds

      

秋冷の気球遊覧奇岩群

views from my balloon

fantastic soaring rocks_

autumnal air  

Imga0094_2

殉教の地下都市遺跡冷やかに

remains of martyrdom

in the old underground city_

cool in autumn

          

2015年9月20日 (日)

伊賀上野・草津(吟行句)

             

チュヌの主人が芭蕉ゆかりの伊賀上野草津俳句仲間と行したときの仲間の俳句を掲載します(順不同)。

(青色の文字をクリックして関連のサイトの解説記事や歳時記、写真などをご覧下さい。)

      

道灌てふふるまひ酒や秋うらら  (文子)

木の根張る鍵屋の辻高音  (順子)

枯蓮の影に触れたり蓑虫庵 (寧伸)

警報のやうに咲き出す曼珠沙華 (美娜)

松手入れ庭師の指の細やかに (美津子)

身に入むや墨跡残す吉良浅野 (知子)

木犀や蛙の句碑に日の斑揺れ (眞知子)

道灌蔵の試飲あれこれ豊の秋 (律子)

伊賀の里鈴なりの柿輝けり (栄治)

天高し跳ねる上野城 (かず)

通り土間へ秋の明かりや無双窓 (良子)

小鳥来るやっぽんぽんてふ甲賀の湯 (さとし)

    

6月以来「安保法制関連法案」の問題にかまけて主に「政治談議」を書いたが、次回は「小鳥来る」「鳥渡るなど、小鳥」の季語にかかわる俳句について書くことにしたい。

        

2015年8月26日 (水)

俳句談議(通読版)

「俳句談議」を遡って、(18)~(1)を通読出来るようにまとめました。

青色文字をクリックして関連の解説記事をご覧下さい。

        

俳句談義(18):政治家と俳句 

俳句を通して世界の平和を

国際俳句交流協会の総会・懇親会が6月1日に駐日EU代表部で開催され、ヘルマン・ファン・ロンパイ前EU大統領の講演「俳句を通して世界の平和を」を拝聴した。

講演の基本的内容はHIAのホームページ「ヘルマン・ヴァンロンプイEU大統領基調講演」「国際俳句交流協会創立25周年記念シンポジウム開催に寄せて」とほぼ同じだった。

     

ファン・ロンパイさんは政治家であるが、俳句を通じて日欧親善・文化交流を推進しておられる。そのせいか、6月2日に岸田文雄外務大臣から「日EU俳句交流大使」を委嘱された。

外務省のホームページを見ると、次の記述がある。  

岸田外務大臣からは『日欧の 親交ひろむ 薫風や』、

ファン=ロンパイ議長からは『詩人らは 生と自然を- 和の願い』及び『山々の 森明暗に 俳句満つ』の二句を詠みました。」

      

ファン・ロンパイさんの人柄を知る参考までに、同氏の句集から次の3句を掲載させて頂く。

・神、善と愛 授受こそが 畢生(ひっせい)の生き甲斐

(God, goodness and love, both received and given  give meaning to life.)

・肌の色言葉神々違えど我に我の道

(Different colours, tongues, towers and gods. I search my way.)

・ノーベル氏の 宿願果たし 平和の世

 (After war came peace. Fulfilling the oldest wish: Nobel’s dream comes true.)

最後の句には「ノーベル平和賞受賞式を記念して」と注記がある。

同氏のfacebookホームページ(英文)に興味があればここをクリックしてご覧下さい。

             

オバマ大統領安倍首相歓迎晩餐会において次の俳句を披露している俳句談義15参照)

春緑 日米友好 和やかに

 Spring, green and friendship/United States and Japan/Nagoyaka ni.」

    

オバマさんもノーベル平和賞を受賞したのだから、それに相応しい平和外交を推進して、「ノーベルの宿願果たし平和かな」と俳句を詠めるようにしてほしいものである。

    

安倍総理の次の俳句が最近話題になった。

 「賃上げの花が舞い散る春の風

この俳句は「誰かがアベノミクスを揶揄して作った川柳か?」と思ったが、そうではない。

真実を探すブログの記事を読むと、安倍さんがこの自作の俳句を披露している動画があった。「景気回復7分咲き」と言っているが、「賃上げの花」は満開にも程遠い状態でもう散っているとすれば悲しい。

「俳句談義」で何度も言っているように、俳句の解釈は創作である。安倍さんの意図した句意と異なる解釈になっていてもヘイトスピーチではないので誤解しないでほしい。

安倍さんの国会審議における応答を見ていると、ヘイトスピーチをするブログなどが増えるのも仕方がないように思う。しかし、ヘイトスピーチで憂さ晴らしをして物事が解決するわけではない。国会議員や有識者に任せるばかりでなく、我々一人一人が冷静に考え、議論し、発言することが大切である。

安倍さんの国会審議における辻元清美議員の質問に対する応答ぶり(ここをクリックしてご覧下さい)は相手をバカにしている。「国会を軽視し、国民をバカにしている」と思われても仕方のない答弁の仕方である。

安倍さんがこのような答弁をして、「真面目に答弁し」、「丁寧に説明している」と思っているなら、そのセンスを疑わざるを得ない。「痛切な反省」をしてほしい。さもなければ、安倍談話でいくら立派なことを言われても信用できない。温厚なチュヌの主人も怒りを抑えるのに苦労しています。

           

俳句談義16:『こどもの日』と『母の日』に思うこと」において、有馬朗人氏の俳句「母の日が母の日傘のなかにある」の「日傘」とは「『日米安保条約による核の傘』の比喩ではないか?」と我田引水の解釈をした。

戦後70年間維持してきた平和が、安倍総理が主導する「平和安全法制」によって破綻し、日本が招かざる戦争に巻き込まれることになってはならない。

安倍さんの俳句のように、解釈が如何様にでもできる法律にしてはならない。その思いが強く、ここで俳句談義から政治談議に変えざるをえない。

平和安全法制」を制定するとすれば、「平和憲法に基づいて、平和を維持し、国民の安全を守るための法律であること」を明確にする必要がある。「最低限度」といっても何が最低限度か明確な定義が無い限り様々な解釈ができ、歯止めが無くなる。

存立危機事態」の想定される事態をリストアップし、そのリストの妥当性を国会で十分審議して、国民の声が反映されるようにしてほしい。

自衛隊の責任者が派遣された現場で「平和憲法に基づく自衛権の行使になるか否か」を判断することは不可能である。安倍さんは綺麗ごとばかり言って、戦争の悲劇の責任は「自己責任だ」と現場の兵士の責任に押し付けるつもりだろうか?

平時にこそ「存立危機事態」や3要件の具体的な事例を想定し、その判断マニュアルを明確に規定し、十分国会で審議する必要がある。

どんな事態にも「切れ目なく対応できるように」と称して、歯止めのないオープンリストにしてはならない。総理大臣として、本当に国民の安全を願っているのなら、「存立危機事態」の抽象的定義のみならず、具体的な事例を限定的なクローズドリストで定義を明確にし、国民の信を改めて確認すべきだろう。

憲法の根幹を揺るがす決定を閣議決定で実施してはならない。      

「いじめ」の問題を理由にして、「道徳の教科化をしたり、「国家機密の漏洩防止のため」と称して「特定秘密保護法」を制定したりする一連の法改正の動きを見ると不安になる。

国民が自由にものを言えなかった戦前の時代に逆行させてはならない。

    

政治家の俳句に興味が湧き、インターネットを検索していると、

「佐高信の政経外科」中曽根康弘の「海軍魂」に「竹槍」一本で立ち向かった美輪明宏の「肝っ玉」というサイトがあった。興味のある方はここをクリックしてご覧下さい。

      

このブログを書いている時に、NHK大河ドラマ花燃ゆ」の吉田松陰を演じた伊勢谷友介さんが「現代の松下村塾」を始めたことを放送していた。

選挙権を18歳以上に拡大することが検討されている時に若い人たちがこのような活動を始めたことは頼もしい。

若者はその日その日の仕事や生活に追われて余裕がないだろうが、是非とも政治に関心を持ち平和な日本を維持する努力を惜しまないでほしい。

さもなければ、かって若者が太平洋戦争の犠牲になったように、いずれ現代の若者も無用なテロ犠牲戦争の犠牲に巻き込まれることになるだろう。

かって政権を葬った安倍さんの頑張りぶりを応援をしていたチュヌの主人も、現在の安倍さんの暴走ぶりに我慢できなくなって、微力ながらこのブログを懸命に書き、マスコミに働きかけ、政治に反映させようと思って老骨に鞭を打っています。この思いを是非皆さんでシェアして下さい。

民主党など野党の皆さんも、安倍さんの挑発的態度に乗せられて国会審議を放棄することのないようにしてほしい。民主党は千載一遇の政権を獲得しながら自滅したことを反省し、次期選挙で国民の信任を得て政権を獲得できるように臥薪嘗胆してほしい。国会審議をボイコットするのではなく、もっと知恵を働かして国民のためになる議論をしてほしいものですね。

    

     

 俳句談義(17)

高浜虚子の俳句「敵といふもの」の「敵」とは何か?

                   

高浜虚子は「敵といふもの今は無し秋の月」という句を終戦の年に作っている。

掲句の「敵といふもの」は何を意味するのだろうか?

少なくとも二通りの解釈が出来る。

文字通りの解釈は、「太平洋戦争における敵」である。

もう一つの解釈は「『鬼畜米英』と喧伝する者」である。

   

戦中は、戦意高揚や本土決戦に備えるために女性も藁人形を相手に『鬼畜米英』と叫びながら『竹やり訓練』をさせられた。

当時は反戦的なことを言うと「売国奴」「非国民」「敵のスパイ」などとレッテルを貼られ、憲兵に逮捕されることを恐れたのである。「そんなことを言うと憲兵が来る・・・」と子供心に心配して祖母の愚痴に注意をしたことなどを思いだす。

    

 

安倍さんは朝日新聞の記者の質問「就任後初の参拝。どのような思いで参拝しましたか。」に対し、次のように答えている。

「本日、靖国神社に参拝した。日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し、尊崇の念を表し、そして御霊(みたま)安かれ、なれと手を合わせて参りました。・・・(省略)・・・不戦の誓いをいたしました。」(2013.12.26

      

安倍さんも「日本のため」を思って「不戦の誓い」をしたに違いない。

だが、その「不戦の誓い」が実現する保証はないのだ。

靖国神社に祀られている当時の指導者・戦争責任者の「日本のために」という強い思いが戦争を引き起こし、多大の犠牲を生じたことは歴史が証明している。                       

   

自民党のホームページに「不戦の誓いを守り続ける そして、国民の命と平和な暮らしを守り抜く 平和安全法制」とある。この趣旨・目的には誰も反対しないだろう。

大切なことは「法律がその趣旨・目的に名実ともに合致していること」である。法律は条文が一見して問題が無くても、実際に適用する場合に問題が生ずるような曖昧なものであってはならない。 

   

「平和安全法制の整備のための法案」について「本当に大丈夫なの?」と懐疑的な人が多いだろう。日中戦争太平洋戦争犠牲者など戦争の悲惨さ・無意味さを知っている人は特に懐疑的になるだろう。

自民党公明党協力を得て、『平和安全法制の整備のための法案』によって実質的に憲法を改正しようとしている。」と不安に思っている人は多いだろう。

   

5月28日に開催された「平和安全保障委員会」の衆議院インターネット中継を見ると、安倍さんは「丁寧に説明している」と言いながら、無駄な繋ぎの言葉や形容詞を付けて長々と早口で発言しているから、何を言っているのか分からない。

真摯に国民の理解を得ようとしているとは思えない。

集団的自衛権を行使する判断基準となる「存立危機事態」とは何か?

一例や抽象的な説明の繰り返しを何度されても理解できない。

存立危機事態」の具体的な事例を挙げて、議論をすることが大切である。

具体的な例を挙げると国際的・政治的に支障が生じるというが、本当にそうだろうか?

どういう支障が生じるのか? まさか、「本音がわかっては困る」というのではないでしょう?

具体的に事例を挙げてこそ、「文字通り平和の維持・自衛のために武力行使をする」ための法改正であることの内外の理解が得られるのだ。

考えられる限りの事例を列挙し、誤解の生じないようにすべきである。武力行使の可能性の透明性を法律の条文に織り込んでこそ平和憲法下の法改正であるという信頼が確保できるのだ。

「今は具体的な事例が考えられない」とか、「今は実例として予想できるものが無い」というのであれば、急いで法改正をする必要が無い。そればかりか、「『平和安全法制』によって平和憲法を形骸化し、戦争ができるようにしようとしている」と判断されても仕方がないことになる。

「平和を維持するための武力行使、あるいは、自衛のための武力行使」が生ずる場合の事例を明確に例示して、内外の理解を得ることが先決である。

重要影響事態」の判断基準を明確にするためには、具体例を挙げる必要がある。安倍さんは「客観的・合理的に判断する」というが、そんなことはいうまでもないことである。「主観的・非合理的に判断する」というバカな指導者がいるだろうか? 安倍さんの崇拝する太平洋戦争当時の指導者も客観的・合理的判断をして戦争に突入したのではなかったのか? 

            

安倍さんは、今までのような国会審議で「国民のために丁寧に説明している」と本当に思っているのだろうか? 国民をバカにしているか、国会における審議を軽視している、などと言わざるを得ない答弁が多い。

野党は反対のための反対や挑発・揚げ足取りをするのではなく、冷静に実質的内容のある審議をするよう与党にもっと働きかける必要がある。

野党議員の今のような質問の仕方や与党議員の答弁の仕方では、国会審議の実のある成果が期待できない。

与党は「『丁寧な説明』と称して無用の抽象的美辞麗句を繰り返しておれば、時期が来れば多数決で原案どおり採択できる」と思っているのではないか?

いずれ多数決で法案が採択されることになるのであれば、野党のすべきことは、「与党の法案を修正し真に国民のためになる法律にする」ことである。反対のための反対をして審議をボイコットしているようでは国民の信頼を得られない。国民が納得できる国会審議を推進することが肝要である。国民が納得できる野党の要求を無視して、与党が強引に法改正の採択をすれば、次期選挙で野党が信任を得て政権を取ることになるだろう。

                       

 

俳句談義(16):

「こどもの日」と「母の日」に思うこと

      

子供の日」と「母の日」にブログを書こうと思っていたが、「俳句談義(15)」で高浜虚子の俳句やオバマ大統領の俳句など、次々に書きたいことを思いつき、安倍首相の米議会における名演説に触れると「政治談議」にもなり日が過ぎてしまった。

お暇があればここをクリックして「俳句談義(15)」を是非ご高覧下さい

   

歳時記の「こどもの日」の俳句は196句あり、

鯉幟」には352句もあり、「鯉のぼり」には195句あった。

その中に、戦時中の母親の苦労を思い起こさせる句があった。

「あの頃も生めよ殖せよ鯉のぼり」 木島茶筅子

  

歳時記の「母の日」(「母の日1」「母の日2」「母の日3」「母の日4」「母の日5」)には合計約490句もある。

   

その中で興味を惹いたのは有馬朗人氏の俳句「母の日が母の日傘のなかにある」である。

   

高浜虚は「おやをもり俳諧をもりもりたけ忌」という句を作っている(「俳句談義(11」参照)。

有馬さんの掲句の「母の日」も一種の「」であり、「同音異義語」・「同綴(どうてつ)」の言葉遊びだろう。

有馬さんの掲句は、文字通りに解釈すると、「母の日」のプレゼントに日傘を贈ったことを詠んだ俳句かもしれないが、「母の日」に、「『母』という『日』すなわち、『私の太陽』ともいうべき「母」が『日傘』の中にいる。」という句意だろう。

もっと穿った解釈をすれば、「『母』なる『母国・日本』は『日米安保条約』に基く『』という『日傘』の中にある」という隠された句意があると言えるのではないか?

「バカなことを言うな」と御叱りを受けるかもしれない。

だが、「俳句談義(6」などで何度も述べているように、「『俳句の解釈』は『創作である』」と思って書いている。ご容赦頂きたい。

   

有馬さんは東京大学の総長や文部大臣科学技術庁長官などの要職を務められた。現在、国際俳句交流協会会長でもあり、俳句を国際的に広め、世界文化遺産に登録されるように努力をされているようである。

俳句に限らず、文化交流を通じて親日家が世界に増え、日本の平和・世界の平和が維持されることを祈っている。

だが、ただ祈っているだけでは望みは叶えられない。

次回は「政治談議」を主にブログを書くことにしたい。

 

俳句談義(15):

「昭和の日」「憲法記念日」と俳句

                    

4月29日は「昭和の日」である。「昭和の日」の俳句や「みどりの日」の俳句は祝日が制定されてから間もないので例句が少ない。

歳時記の「憲法記念日」には山田弘子の俳句「国旗立つ憲法記念日のパン屋」など66句リストされている。

先日、東京新聞の「平和の俳句」募集に応募した友人の入選句のことなどを「俳句談義(14:俳句の片言性と二面性」に書いたが、友人が東京新聞のコピーを郵送してくれた。

入選した俳句とコメントの中で特に印象に残った二つを次に転載させて頂く。  

・「青春の昭和切なし鰯雲」 斎藤けい(90)横浜市

 昭和19、兄は二度目の招集で南方へ、将来を約束した一つ違いの幼なじみは中国大陸へ出征した。終戦になっても二人はなかなか帰らず、鰯雲の浮かぶ秋空を見上げながら待ち続けた。終戦翌年の秋、兄は半袖の軍服にぼろぼろの靴を履いて、夜、人目を忍ぶように裏口から帰ってきたが、半年は放心状態だった。幼なじみは小さな箱になって戻ったが、中は石や砂だった。

    

上記コメントの最後にある「石や砂」は「本との出会い(2)」に書いたエッセイ集「尾曲がり猫と擦り猫と」の「石ころ」と同じである。

小学生(国民学校初等科)の頃、戦死者が級友のご家族だった場合だろうが、遺骨を白布に包んだ箱を胸に下げてご遺族の方が帰って来られるのを駅まで迎えに行ったことがある。遺骨だと思って恭しく頭を下げていたが、石ころであることが多かったのだろう。

夏の高校野球」で「甲子園の砂」を球児が袋に詰めるニュースをよく見かける。感慨無量である。

「ウイキメディア」によると、「1941 - 1945」の大会は太平洋戦争のため取り止めになっている(1941年の第27回の回次は残る)。

    

・お手玉の小豆で赤飯父はゆく 桜井義男(80)東京都

 戦争中、もらった砂糖でお汁粉を作るため、姉二人のお手玉から小豆を取り出した。

二人は東京大空襲の夜にはぐれ、遺体も見つからなかったが、最後にお手玉をした姿を今も覚えている。友人の家もお手玉の小豆で赤飯を炊き、父親の出征を祝ったが、帰ってこなかったという。(以下省略)」

       

このブログを書いていて、「欲しがりません勝までは」ということが当たり前だったのか、無いことが分かっていたからか、特に強いられることもなく、ひもじいのを子供心に我慢をしていたことを思いだし、こみあげてくる感情に我知らず涙ぐんでしまった。

もったいない」という気持ちは現在でも強く感ずる。当時は食べ物があれば何でも有難く食べるのが当然だった。現在は飽食の時代で、子供が食事の好き嫌いをするのが当然になっている。だが、食物アレルギーということもあるので、食べることを無理強い出来ない。

      

ちなみに、加藤楸邨は「火の奥に牡丹崩るるさまを見つ」という句を作っている。この句は大空襲で自宅が燃え崩れる様子を詠んだものであることは前書きで一応理解できるが、真の句意はわからない楸邨の言いたかったことは何か? 

大牧広氏は「楸邨が国民の呻きを牡丹に託したもの」であると解釈し、次のように述べている(抜粋)。

この「火」は当然焼夷弾による炎上させられた火である。紅連の炎の中に崩れてゆく牡丹、もしこれが人であったらこの世の最後の悲鳴を挙げたであろう。それも叶わず黙って焼かれていった牡丹、私はこの牡丹を作者が人間をイメージして詠んだような気がしてならない。何の罪もない一般国民があの忌わしい業火の中で命を落さなければならなかった時代。この国民の呻きを牡丹に託して詠んだと思えてならない。      

        

気の向くままにインターネットで検索していると、「思考の部屋」というサイトの「94歳の荒凡夫~俳人金子兜太の気骨~」という記事に兜太の次の俳句があった。

水脈(みお)(はて)炎天墓碑を置きて去る

津波のあと老女生きてあり死なぬ

     

津波」の句は老女の生命力の逞しさを讃えているのだろうが、「貴重な若者の命は奪われたが老女はまだ生きている」という自然の不条理を皮肉を込めて表現していると解釈できないこともない。

    

また、「兼題『昭和の日金曜俳句への投句一覧」という櫂未知子さんのブログがあった。

ざっと見たところ80句以上掲載されていた。作者にとってはそれぞれの思いがあるのだろうが、句意の分からぬ句もある。俳句談義(14などで述べたように、所詮俳句は片言であるから、背景を知らない他人が理解できなくてもやむを得ない。     

   

日経新聞WEBを見ていると日米首脳会談の夕食会でオバマ大統領が次のような自作の俳句を披露している。

春緑 日米友好 和やかに(Spring, green and friendship/United States and Japan/Nagoyaka ni.)」。

ちなみに、オバマさんが「和やかに」と日本語を使ったのは親日・友好の意を表す意味もあったのだろうが、「和やか」は含蓄のある言葉でぴったり対応する英語が無いからでもあろう。研究社の「新和英大辞典第5版」で「なごやかな」を見ると、次の単語がリストされている。

〔穏やかな〕 mild; calm; gentle; 〔静かな〕 quiet; 〔平和な〕 peaceful; tranquil; serene; harmonious; 〔友好的な〕 friendly; 〔にこやかな〕 genial; amiable; 〔柔らかな〕 soft; congenial.

       

国際俳句交流協会では「俳句」が世界文化遺産に登録されるように努力しているが、俳句には言葉の壁があるので世界遺産登録は「和食」のように簡単ではない

         

中央日報」によるとオバマ大統領は乾杯に安倍首相の地元の酒「獺祭」(純米大吟醸720ミリリットル入り1本=3万2400円)を使っている。

日米首脳会談の動画(YouTube・FNN)はここをクリックしてご覧下さい。

   

獺祭」と言えば、正岡子規命日糸瓜忌」は「獺祭忌」ともいわれる。

高浜虚子は正岡子規が亡くなった夜に虚子も夜伽をしたことを次のように書いているが、「子規逝くや十七日の月明に」という句を詠んだ背景がよくわかる。  

「その十八日の夜は皆帰ってしまって、余一人座敷に床を()べて寝ることになった。どうも寝る気がしないので庭に降りて見た。それは十二時頃であったろう。糸瓜の棚の上あたりに明るい月が掛っていた。余は黙ってその月を仰いだまま不思議な心持に(とざ)されて暫く突立っていた。やがてまた座敷に戻って病床の居士を覗いて見るとよく眠っていた。

「さあ清さんお休み下さい。また代ってもらいますから。」と母堂が言われた。母堂は少し前まで臥せっていられたのであった。そこで今まで起きていた妹君も次の間に休まれることになったので、余も座敷の床の中に這入った。
 眠ったか眠らぬかと思ううちに、
(きよ)さん清さん。」という声が聞こえた。その声は狼狽(ろうばい)した声であった。余が蹶起(けっき)して病床に行く時に妹君も次の間から出て来られた。
 その時母堂が何と言われたかは記憶していない。けれどもこういう意味の事を言われた。居士の枕頭に鷹見氏の夫人と二人で話しながら夜伽(よとぎ)をして居られたのだが、あまり静かなので、ふと気がついて覗いて見ると、もう呼吸(いき)はなかったというのであった。

・・・(省略)・・・
 余はとにかく近処にいる碧梧桐、鼠骨二君に知らせようと思って(かど)を出た。
 その時であった、さっきよりももっと晴れ渡った明るい旧暦十七夜の月が大空の真中に在った。丁度一時から二時頃の間であった。当時の加賀邸の黒板塀と向いの地面の竹垣との間の狭い通路である鶯横町がその月のために昼のように明るく照らされていた。余の真黒な影法師は大地の上に在った。黒板塀に当っている月の光はあまり明かで何物かが其処(そこ)に流れて行くような心持がした。子規居士の霊が今空中に(のぼ)りつつあるのではないかというような心持がした。

 子規逝くや十七日の月明に

 そういう語呂が口のうちに(つぶや)かれた。余は居士の霊を見上げるような心持で月明の空を見上げた。
 両君を起こして帰って来て見ると母堂と鷹見夫人とはなお枕頭に坐っておられた。

・・・(省略)・・・

何事にも諦らめのいい女々しい事は一度も言われたことのない母堂も今外から戻って来た余を見ると急に泣き出された。余は言うべき言葉がなくって黙ってその傍に坐った。
(のぼ)(きよ)さんが一番好きであった。清さんには一方ならんお世話になった。」と母堂は言われた。それは鷹見夫人に向って言われたのであった。

(以下省略)」

(全文は青色文字「子規居士と余」をクリックすればご覧になれます。)

       

          

俳句談義(11)(「甘納豆」と「おでん」と「俳句」)において、俳句の片言性という問題に触れたが、正岡子規の「しぐるるや蒟蒻(こんにゃく)冷えて(へそ)」にしても、子規が病気治療中蒟蒻湿布をしていて詠んだ句であることを知らなければよく理解できない。

    

高浜虚子は終戦に際して次の句を作っている。  

秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみぞ   

この句について、増殖する歳時記には「秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみか」となっているが、ミスタイプか? 

清水哲男氏は句評で次のように述べている(抜粋)。     

「作句時点は、敗戦の日から一週間を経た八月二十二日。このころ虚子は小諸に疎開しており、前書に「在小諸。詔勅を拝し奉りて、朝日新聞の求めに応じて」とある。掲句につづくのは、次の二句である。「敵といふもの今は無し秋の月」「黎明を思ひ軒端の秋簾見る」。この二句は凡庸だが、掲句には凄みを感じる。

・・・(省略)・・・

「蓑虫」とは、もちろん物言わぬ一庶民としての自分の比喩でもある。「秋蝉」との季重なりは承知の上で、みずからの心に怒濤のように迫り来た驚愕と困惑と悲しみとを、まさかの敗戦など露ほども疑わなかった多くの人々と共有したかった。青天の霹靂的事態には、人は自然のなかで慟哭するしかないのだと……。無力なのだと……。「蓑虫」や「秋蝉」に逃げ込むのはずるいよと、若き日の私は感じていた。しかし、虚子俳句の到達点がはからずも示された一句なのだと、いまの私は考えている。(以下省略)」

     

しかし、「敵といふもの今は無し秋の月」「黎明を思ひ軒端の秋簾見る」と併せて読むと、「秋蝉蓑虫も泣くのみだ。泣きたいものは思いぞんぶん泣けばよい。だが、自分は泣かない。終戦になって、自由に句作が出来る。さあこれから本番だ。」と清々した気持ちで詠んだ句だと思う。

「人は自然のなかで慟哭するしかない」という思いで虚子がこの句を作ったとは考えられない。

     

虚子は「亀鳴くや皆愚かなる村のもの」という句を作っている。

明治時代に作った俳句らしいが、人を食った句である。

句作の背景や経緯を知らなければ真の句意は不明である。

インターネットの歳時記(「亀鳴く1」「亀鳴く2」「亀鳴く3」)に約300句リストされているが、虚子の掲句は掲載されていない。

 

この句が作られた「」をご存知の方があれば是非教えて頂きたい。

          

「皆」とは誰を指すのか? 「」とはどこのことか? 

「もの」とは「者」と「物」のいずれを意味するのか?

「亀」は「虚子」の比喩でないか?

    

単に文字通りのことを客観写生したのだろうか?

たとえば、「どこかの村で俳句会を催し、集まってきた者は碌な俳句も出来ない愚か者だった」という句だろうか?

「『花鳥諷詠の心』を知らぬ者は愚かだ」と言っているのだろうか?

「自分を含めて人は皆愚かな者だ」と嘆いているのだろうか?

「村」とは「日本の村社会性」の比喩ではないか?

戦争推進者は皆愚か者だ」と比喩的に詠んだ句ではないか?

いずれにせよ、さまざまな解釈が可能である。

  

虚子は「は新なり」と言っている。穿ちすぎかもしれないが、句意が不明だということは、「しっかり考えよ」と謎をかけていると解釈できないこともない。

        

昔は人災にしろ、自然災害にしろ、慟哭するしか仕方がなかっただろう。だが、現在は科学技術も進歩しており、民主主義の時代である。

災害の防止や抑制は努力次第で不可能ではない。まして、戦争は叡智を集めて未然に防ぐ努力をすべきである。

独裁政治覇権主義軍事力の増大と情報非公開による国際的不信貧富の格差拡大、一方的な道徳観の押し付け、国家間の利害対立ナショナリズム、等、戦争発生の要因は多多あるが、このような要因の発生を防止・除去することは可能である。

国際貿易文化交流を深めて、相互理解・相互依存を高めることが平和の維持・戦争の防止につながる。各国がその努力をすることが必要である。日本政府が注力すべきことはそういうことを世界の指導者に働きかけることだろう。

法律の条文は俳句のように如何様にでも解釈できる笊法であってはならない。憲法の拡大解釈による自衛権の行使が、憲法改正後に時の政府の条文解釈次第で更に拡大されるようになってはならない。

現憲法だからこそ明文にない自衛権の拡大解釈に歯止めがかかっている。憲法が改正されるとその歯止めが無くなり、更に拡大解釈をされる恐れがある。

現憲法に不備があるというなら、その不備を逐一吟味し、拡大解釈が出来ないことを明確にして、国民が納得できるように討議する場を設けるべきだろう。

大切なことは総論のみならず各論である。ウイキペディアに「日本国憲法改正案一覧」というサイトがあった。自民党の改正条文草案に限らず、野党の改正案があればそれも含めて、法律学者・憲法学者、政治家、評論家が時間をかけて真剣に議論し、公開すべきだろう。

安倍さんは「現憲法はGHQの押し付けで短時間に素人によって制定されたものであるから改正すべきである」という趣旨のことを言っている。

それならば、自民党など与党の議員は今までの国会審議のような「のらりくらりした言い逃れや抽象的美辞麗句の繰り返し」で、「十分丁寧に説明した」などと押し切るのではなく、国民が十分理解できるように専門家がたっぷり時間をかけて検討し、議論をして、現憲法よりも更に立派な平和憲法草案を発表することができるようにすべきだろう。

野党の議員もただ単に反対しているばかりでは話にならない。

国民は国会議員憲法改正の白紙委任をしているわけではない。

安倍首相は米議会において名演説をしている。

安倍首相の米議会演説(英語全文)はここをクリックすればご覧になれます。

このような名演説の韓国版や中国版など準備して首脳外交を行えば憲法改正や集団的自衛権の拡大などは無用になるのではないかと夢想している。

安倍さんは「靖国神社参拝して平和を祈念している」由である。だが、米国など外国の「無名戦士の墓」と「靖国神社」とを同一視することは納得できない。

「戦争責任者」と「戦争犠牲者」がともに祀られている神社に何故参拝するのか?

そのことについて内外の戦争犠牲者の理解を得るべく安倍さんのホームページ真意を明瞭に公開してはいかがですか?

その際、「太平洋戦争も『東洋の平和』・『八紘一宇』という理想を掲げて行われた」ということを是非とも考えて、安倍さんの主導する「『積極的平和主義』が同じ轍を踏むことはない」ことを明確にして頂きたい。

安倍さん、「村の愚かもの」の老婆さえ心配していますよ!

                      

「増殖する歳時記」の「憲法記念日」の俳句を見たが、格別興味を引く俳句はなかった。   

歳時記の「憲法」の冒頭には次の句が掲載されている。

憲法記念日異国のごとく国旗たつ   渡辺潔

この句の「異国のごとく」とはどの様な情景を詠んだのだろうか?

何かご存知の方からコメントが頂けると幸いである。

公共機関は憲法記念日など祝日の行事をする場合には国旗を掲揚する。だが、一般の家庭で国旗を掲げている家はほとんど見かけない。

日章旗が、平和国家のシンボルとして内外で何らの抵抗なしに受け入れられ、掲揚される日は来るのだろうか?

      

今回の「俳句談義」は憲法改正などが問題になっている時局がら「皆村の愚か者」にならないようにとの熱い思いから、つい「政治談議」になった。

      

日中戦争太平洋戦争未然に防ぐことが出来なかったのは何故か

大本営発表の内容は天皇の事前承認を得ていたのだろうか? 

大本営発表の内容がウソであることは天皇に知らされていたのだろうか?

軍の幹部は国民をだますために天皇もだましていたのか?

   

これらのことを知ろうとしてインターネット検索すると、読売新聞の「検証 戦争責任」や保阪正康氏の『昭和史講座』という面白そうなサイトがあった。

これらを読めば上記の疑問はわかるかも知れない。「検証 戦争責任」の今後公開されるシリーズで明らかになることを期待している。興味ある方はここをクリックしてご覧下さい。

       

俳句談義(14):俳句の片言性と二面性

先日、「ゴルフコンペに参加しないか」と川柳仲間に問い合わせたところ、返信メールに次のような文言があった。

      

「ところで東京新聞で『平和の俳句』募集中。

投句したところ記者が選ぶ特集記事の中に選句された。下記  

    『焼け跡に金魚一匹生き残る』

今まで6-7千句の投句があったようです。金子兜太が選をして毎日1句記載される。記載されなかった句の中から、何人かの記者が数十句を選び編集して毎月1回特集している。」

     

「たいしたものではありません。ご放念ください。」とあったが、このブログで取り上げさせて頂くことにした。

   

<青色文字をクリックして解説記事・詳細をご覧下さい。>

      

「焼け跡」まで読んだ一瞬、阪神淡路大震災のことかと思った。だが、「金魚」は夏の季語である。この句は、194574未明に高知市が被災した大空襲のことを詠んだ句らしい。

友人の家は全焼し、屋外の水槽に金魚が一匹生きていた。そのことを思いだして詠んだとのことである。

高知の大空襲では120機のB-29が高知市上空に飛来し、死者401人、罹災家屋約12,000戸だった。大空といえば、1945年3月10日の東京大空襲であるが、罹災者が100万人を超え、死者は10万人を超えている。

坊城俊樹の空飛ぶ俳句教室」を見ると、三橋敏雄は昭和20年に「いっせいに柱の燃ゆる都かな」という句を作り、昭和57年に「戦争と畳の上の団扇かな」という句を作っている。

前の句では、三橋敏雄は大空襲の悲惨さを感じないかのように淡々と詠んでいる。だが、非情・冷淡なのではなく、大空襲の悲惨さは周知のことであり、「悲惨さ」の感情でなく「悲惨な事実」のみを詠むことを良しとしたのだろう。

後の句では、「戦争」と「畳の上の団扇」を並べ詠むことによって、「戦争のない幸せ」を表現したものと思う。

「団扇」は「日常的な平穏さ」を連想させる。「畳の上」は「畳の上で死ぬ」という言葉通りの「平穏な死」と「戦争による無惨な死」の対比を連想させる。

前の句は、無季俳句である。大空襲は自然現象・季節と無関係な人災であるから無季俳句にするのも当然だろう。

現代の俳人101」(金子兜太編)によると、三橋敏雄は「あやまちはくりかえします秋の暮」という句も作っている。文字通りの句意は明瞭だが、作者は何を言おうとしたのだろうか?

「歴史は繰り返す」とか「得てして同じような過ちを繰り返す」という人間の業をブラックユーモアにした警句だろうか?

戦争は一片の俳句や川柳でブラックユーモアにするにはあまりにも重いが、考える契機にしたいと思う。     

        

「戦後70年『平和の俳句』」というインターネット・サイトのトップに「蒸され濠(ごう)水一口に息絶えし」という俳句と句評が掲載されていた。

   

また、「埼玉新聞」のサイトに、「九条守れの俳句掲載拒否 俳人・金子兜太さん『文化的に貧しい』」という見出で、次のような記事があった(抜粋)。(詳細はここをクリックしてご覧下さい。)

さいたま市大宮区の三橋公民館が発行する公民館だよりに、俳句「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の掲載を拒否した問題について、熊谷市在住の現代俳句を代表する俳人金子兜太さん(94)に聞いた。金子さんは「この社会に生きている人間を詠んだ当たり前の俳句を、お役人が拡大解釈した実に野暮(やぼ)で文化的に貧しい話」と語った。句は公民館だよりに掲載するため、公民館で活動しているサークルが選んだ。市側は「世論を二分されているテーマが詠まれている」などとして、掲載を拒否した

   

この句は兜太さんが言うように「作者はデモには好意を持ったが、熱く共感したわけではない」のかもしれない。

「梅雨もうっとうしいが、デモも不愉快だ」と解釈出来ないこともない。

公民館だより」が上記の句を掲載しなかった背景・経緯の詳細は知らない。だが、「この句一句のみを掲載することの要請」が拒否されたということなら公民館関係者の配慮も理解できる。しかし、「複数の俳句を載せる場合にこの句の掲載のみ」が拒否されたのなら問題にすべきことかもしれない。

いずれにせよ、俳句は片言の域を出ず、読者の好き好きの解釈が出来るので、一句だけ載せることは読者の誤解を招くことにもなりかねないから一定の配慮が必要である。

だから、一般に新聞などで俳句の欄を設ける場合には選者を複数にするとか、交代にするとかの配慮をしている。

   

ちなみに、問題の対象になった句は「平和の俳句」として選者が毎日一句だけ選んでいる一つのようである。

この特集に関連して、「東京新聞」のWEBサイトに「戦前の空気に抗って」というタイトルの金子兜太・いとうせいこう両氏の対談記事があった。     

    

俳句本来の話題に戻る。河東碧梧桐が亡くなったとき高浜虚子が詠んだ弔句「たとふれば独楽のはぢける如くなり」は有名な句であるが、片言といえないこともなく、虚子と碧梧桐の関係を知らなければ、文字通りの意味は分かるが、その背景にある句意は全く分からない。

竹馬の友」とか「刎頸の友」とかいう言葉があるが、虚子や碧梧桐のことを知って初めて「名句だな」と納得できる。

坊城俊樹さんの「高浜虚子の100句を読む」を読むと、この句の背景などもよくわかる。    

     

赤い椿白い椿と落ちにけり」という河東碧梧桐の有名な句がある。椿が好きだった虚子の命日は「椿寿忌」といわれ、この句は「門人達が虚子から去っていくことを比喩的に詠んだものでないか?」と、ふと思ったが、それは穿ち過ぎで全く関係がないことがわかった。

         

この句について、清水哲男氏は「増殖する歳時記」において、次のように述べている(抜粋)。

「碧梧桐初期の代表作。教科書にも出てくる。が、厄介な句だ。碧梧桐の師匠だった正岡子規は、この句の椿を既に根元に落ちている状態だと見た。しかし、そうではなくて、映画のスローモーションのように、二つの椿が落ちつつある過程を詠んだと見る専門家も多い。

・・・(省略)・・・

あるいは、時代への川柳的な諷刺句かもしれぬ。後に自由律に転じた碧梧桐のことだから、そういうことも十分に考えられる。(以下省略)」

           

夜半亭のブロに碧梧桐の句「愕然として昼寝覚めたる一人かな」と虚子の句「昼寝する我と逆さに蝿叩」とを対比して、次のように面白いことを言っている(抜粋)。

      

「掲出の虚子の句、『昼寝する我と逆さに蝿叩』と何とも人を食ったような句であるが、この『蠅叩』を、碧梧桐に置き換えて見ると面白い。『昼寝をしようと決め込んだら、蠅叩きが逆さ向きで気にかかる。それは丁度反対の方に行こうとする碧梧桐のようで、昼寝どころでなくなった。俳句は少々休んで小説の方と思ったが、碧梧桐流の俳句のやり方には我慢できないので、その向きを変えようと、その蠅叩の向きを変えて、碧梧桐一派の蠅共も叩きつぶしてやる』というように詠めなくもない。

むろん、この句はそんなことは意図はしていないが、こと俳句に関しては、「新傾向俳句の革新派」碧梧桐に対して「伝統俳句守旧派」虚子という図式化にすると、何とも面白い詠みもあるのではないかということである。」

   

上記の俳句からでも分かるように、高浜虚子と河東碧梧桐と両俳人の人柄と句風の違いが面白い。     

     

「虚子は自分が日本文学報国会俳句部会長として戦争を賛美することなく花鳥諷詠の文学を堅持し、時代の流れに掉さすことも流されることもなく、文芸家・俳人としての良心貫いたのだと思う。」と「俳句談義(5)」に書いたが、虚子は俳句の片言性を認識していたからこそ戦争俳句を良しとしなかったに違いない。俳句談義(4)で述べたように、俳句には滑稽句ともシリアスな句とも解釈できる二面性のあるものが多い。

俳句は句材について考えるきっかけを作ることは出来ても、何か思想的な内容を表現するには片言過ぎる。イデオロギーや政治的な主張など内容の深いものは散文で明確に表現するのが望ましい。

       

次回は「昭和の日」(429)に因んだ俳句談義を書きたい。  

           

 俳句談義(13):

<「花」と「鼻」>高浜虚子と芥川龍之介

   

今年の異常気象のせいか散るのが早かった。

咲満ちてこぼるる花もなかりけり」と、高浜虚子の句の如くゆっくり愛でる間が無かった。

虚子は「花疲れ眠れる人に凭(よ)り眠る」という句も作っている。

この句は例えば電車の中で虚子が見た情景を詠んだものだろう。

少なくとも次の3とおりの解釈が可能である。

・「うとうと眠っている虚子に隣の人が寄り掛かってうとうとした」

・「眠っている人に虚子がつい寄り掛かってうとうとした」

・「互いに寄りかかってうとうとしている二人連れを虚子が見た」

虚子に寄り掛かったのはうら若い女性か、むさくるしい男か?

二人連れは若者か、老夫婦か、恋人同士か?

様々な情景が思い浮かぶ。俳句鑑賞の楽しさ、面白さである。

 

」に関わる俳句は無数にある。

歳時記を見ると、季語別に掲載されているが、全部読む暇が無い。

例えば、「花は葉に」には227句もリストされている。

「桜1」には197句、「初桜」には169句、「余花1」には100句ある。

季語としては「花」「彼岸桜」「糸桜」「しだれ桜」「枝垂桜」「山桜」「朝桜」「花疲れ」「花守」「初桜」「花の雲」「花影」「花の影」「余花」「残花」「花の塵」「花過ぎ」「花屑・花の屑」「花篝」「花は葉に」「花筵」などがある。

      

高浜虚子の「俳句とはどんなものか」に「花よりも鼻に在りける匂ひ哉」という荒木田守武(1473-1549)の句もある。

俳句への道」の冒頭には同音異義語を巧く使った虚子の句「おやをもり俳諧をもりもりたけ忌」が掲載されている。

」は花ばかりでなく香りを愛でて俳句に詠まれることが多いが、「」は花を眺めて愛でるのが普通であり、香りを詠んだ句は見かけない。

         

「鼻」といえば、芥川龍之介の短編小説がある。(ここをクリックすれば全文が読めます。)  

虚子は、「手で顔を撫づれば鼻の冷たさよ」という句を作っている。

 

「芥川龍之介の『鼻』を読みながらつい自分の顔を撫でたのだろう」などと考えるのは穿ち過ぎだろう。

 

この句について、山本健吉は定本現代俳句において次のように述べている(抜粋)。

 

   

「『手で』と断らなくても、手に決まっているが、わざわざ口語的に言ったところ、一種のとぼけ趣味を表わしている。しかも、『撫づれば』と物々しく言いさして、次にどのような事柄が言い出されるであろうかという読者の期待を抱かせながら、次に『鼻の冷たさよ』と馬鹿馬鹿しく平凡なことを持ってきて、肩すかしを食わせる。そこに一つの滑稽感が生まれてくる。・・・(省略)・・・こういう滑稽な句は、虚子には例が多い。

 

・・・(省略)・・・すべて即興感遇の作品であり、この無関心・無感動の表情に軽いユーモアがある。」

       

 上記の句評で滑稽句の例として列挙した中に、「大寒の埃のごとく人死ぬる」や「酌婦来る灯取り虫より汚きが」などを挙げている。まさに、俳句の解釈は人さまざまである。

    

    

ちなみに、山本健吉正岡子規の句「しぐるるや蒟蒻(こんにゃく)冷えて(へそ)の上」について次のように評している(抜粋)。

   

「『小夜時雨上野を虚子の来つつあらん』とともに、『病中』と前書きがある。

・・・(省略)・・・

この句、『蒟蒻冷えて臍の上』にユーモアがある。ことに『臍の上』と、自分の臍を意識しながら、無造作に言い話したところ、子規独特のとぼけ趣味である。病気の苦痛を直接訴えず、臍の上に置かれた蒟蒻の冷えを言うことで間接に病状を詠むことが、俳諧化の方法なのである。」

   

         

虚子の句「志俳諧にありおでん喰ふ」を「よもだ堂日記」では「惚け趣味」の句の例として挙げている。「自分の俳句人生をおでんを食いながらしみじみと考えたことを象徴的に句にしたものである」と解釈していたが、このような解釈は的外れだろうか?

     

  

 

虚子の句「川を見るバナナの皮は手より落ち」について「増殖する歳時記」には次の句評がある。

 

「虚子の『痴呆俳句』として論議を呼んだ句。精神の弛緩よりむしろ禅の無の境地ではなかろうか。俳句はこういう無思想性があるからオソロシイ。そして俳人も。(井川博年)」

         

この句について、櫂未知子さんは「食の一句」において次のように述べている(抜粋)。

 

「虚子自身の経験ではなく、隅田川べりで目にした男を句にしたらしい。・・・(省略)・・・虚子ぎらいの人たちによって攻撃されやすい句の一つだが、昭和9年という制作年からすると、当時、相当モダーンな句だと考えられていたのではなかろうか。(以下省略)」

    

今朝の「NHK俳句」において、ゲスト柳生博さんが友人の句「我が巣箱待てど待てどもシジュウカラ」を披露して「ダメですね?」と選者(櫂未知子さん)のコメントを求めたところ、「ちょっとダメですね」と一蹴されていた。

同音異義語(「四十雀」と「始終空」)をかけた滑稽句だろう。

「巣箱掛け待てど待てどもシジュウカラ」とするとわかりやすいが、伝統俳句の視点から見ると選者の好みに合わないだろう。

       

   

「高齢者の『鼻が利かない』は痴呆の兆候?」というブログ記事があったが、この場合は痴呆とは無関係の機能不全だった由である。医学の進歩した現在では、病気は早期発見をすれば進行を抑えたり、治療したりできるではないか?(「アルツハイマー病早期発見・治療を」<NHKニュースおはよう日本>参照。)

    

今日の朝日新聞WEB刊に「認知症社会」という見出しの記事があった。

「認知症の老人に財産狙いの養子縁組をさせる事件が起こっている」と警告している。

仲間と吟行や句会をして俳句を作り鑑賞して、頭と体の健康を維持することに努めたいものである。      

      

ふと遊び心でインターネットで「花」と「鼻」を検索して見た。

すると、「国柄探訪:大和言葉の世界観:『鼻』は『花』、『目』は『芽』。大和言葉には古代日本人の世界観が息づいている。」という同音異義語を取り上げた興味ある記事があった。「(文責:伊勢雅臣)」と記載されていたが、昔の日本人の自然とのかかわりや宗教心の一端を知る参考になる。

全文詳細は青色文字をクリックしてご覧下さい。

      

俳句談義(12):「椿寿忌」の俳句と高浜虚子

4月8日は高浜虚子の命日、椿寿忌(虚子忌)である。

歳時には椿寿忌の句が無数にあるので面白い俳句があればブログで取り上げようと思っていたが、「虚子忌」という季題のせいか面白い句は見つからなかった。

         

そこで、とりあえず、「椿寿忌」にちなんで作った拙句「虚子の句の謎解き楽し椿咲く」に対して俳句仲間のベテラン女性がアドバイスしてくれたことを書くことにする。

 

Jさんは、「『句の』を『句碑』に変えて『虚子の句碑謎解き楽し椿咲く』にすると一般に分かりやすい句になって良い」という。

Fさんは、「『鎌倉の椿山』を詠みこんで、原句を『虚子の句を解く鎌倉の椿山』に変えるのが良い」という。

俳句談義(1)」において虚子の句「春の山(かばね)を埋めて空しかり」について虚子辞世句の新解釈として書いたのをFさんは読んでくれていたのだ。だからこそ「鎌倉の椿山」を詠み込んだ句にすることを勧めてくれたのだろう。

   

高浜虚子客観写生花鳥諷詠を唱道しながら自由奔放に俳句を作っている。

「チュヌの便り」の「本との出会い」や「俳句談義」に書いたように、虚子の俳句についての解釈や虚子の人間性についても様々な評価がある。中には、何か遺恨でもあるのかと思うような誤解と偏見に満ちたものもある。

 

俳句は好き好き人も好き好きである。だが、俳句は作者が作った「場」と「視点」を正しく認識して鑑賞しないと句意を誤解することがある。

俳句は短歌や川柳のように作者の考えや感情をむき出しにせず中立的な表現をするのが普通である。虚子の俳句は特にそうである。

一見すると「薄情」とか「非情」とか思える句もある。しかし、虚子は「人間を含む森羅万象すべてのことについて『色即是空』の観念に視点をおいて客観写生・花鳥諷詠の句作をしていたのではなかろうか? 

そういう視点で虚子の句を鑑賞すると大抵納得できる。

      

      

例えば、虚子は「酌婦来る灯取虫より汚きが」という句を作っている。

増殖する俳句歳時記」を見ると、掲句について次のような清水哲男氏の句評(抜粋)がある。

   

仁平さんも書いているように、いまどき『こんな句を発表すれば、……袋叩きにされかね』ない。『べつに読む者を感動させはしないが、作者の不快さはじつにリアルに伝わってくる』とも……。自分の不愉快をあからさまに作品化するところなど、やはり人間の器が違うのかなという感じはするけれど、しかし私はといえば、少なくともこういう人と『お友達』にはなりたくない。」

        

「女性蔑視の虚子の句」という作者不詳のブログに次の記述(抜粋)がある。

    

「『酌婦来る灯取虫より汚きが』 虚子が自選し、高浜年尾が「珠玉の句」と最大級の賛辞を送る「虚子500句」のなかに、この句がある。昭和9年6月11日に詠んだものだが、俳人としての虚子の評価はいかがわしい。

・・・(省略)・・・

この句を何の躊躇もなく自選500句に入れる感覚の持ち主だ。俳人としてはもとより、人間としての感性が疑われよう。虚子は庶民の哀感に疎く、女性を蔑視していた人間だという事実が、この酌婦の一句で浮き彫りになったのではないか。

・・・(省略)・・・

精一杯生きている女性を「火取虫より汚きが」と差別感情あらわに唾棄する人物だという事だ。俳句に心を傾ける人間として許せないものがある。

・・・(省略)・・・

私の主張、虚子批判に異論のある方は、遠慮なく意見や反論を寄せていただきたい。互いの論戦、見解、意見を堂々とホームページにあげて、世人の判断を得たい。虚子の句集には、まだまだ問題句がヤマとある。」

 

このブログの作者はブログ記事の最後に「意見・反論をメールで」と読者のコメントを求めているが、メールを出しても「なしのつぶて」である。

 

このブログの作者は誰なのか? この句を虚子が作った日を特定していることからすると俳界の事情に詳しい俳人か?

「互いの論戦、見解、意見を堂々とホームページにあげて」と言いながら、名無しの権兵衛で正体不明である。覆面しながら「堂々」とは呆れた言いぐさである。

何か情報をお持ちの方、心当たりのある方はコメントを頂けると有難い。

     

「ひとりむし」を大辞林は次のように解説している。

夏の夜,灯火に集まってくる虫。ガの類が多いが,コガネムシ・カブトムシなどを含めてもいう。火蛾(かが)。灯蛾(とうが)。灯虫(ひむし)。 [季] 夏。    

    

「灯取虫」と言えば、芥川龍之介の「大導寺信輔の半生」に次のような記述がある(抜粋)。

ホイツトマン、自由詩、創造的進化、――戦場は殆ど到る所にあつた。彼はそれ等の戦場に彼の友だちを打ち倒したり、彼の友だちに打ち倒されたりした。この精神的格闘は何よりも殺戮の歓喜の為に行はれたものに違ひなかつた。しかしおのづからその間に新しい観念や新らしい美の姿を現したことも事実だつた。如何に午前三時の蝋燭の炎は彼等の論戦を照らしてゐたか、如何に又武者小路実篤の作品は彼等の論戦を支配してゐたか、――信輔は鮮かに九月の或夜、何匹も蝋燭へ集つて来た、大きい灯取虫を覚えてゐる。灯取虫は深い闇の中から突然きらびやかに生まれて来た。が、炎に触れるが早いか、嘘のやうにぱたぱたと死んで行つた。これは何も今更のやうに珍しがる価のないことかも知れない。しかし信輔は今日もなほこの小事件を思ひ出す度に、――この不思議に美しい灯取虫の生死を思ひ出す度に、なぜか彼の心の底に多少の寂しさを感ずるのである。………」

  

付記に「大正十三年十二月九日、作者記」とあるから、1924の作である。

   

余談だが、この年の1月に皇太子裕仁親王(昭和天皇)のご成婚があり、3月には谷崎潤一郎が大阪朝日新聞に『痴人の愛』の連載を開始している。

   

その10年後の1934に虚子はこの酌婦の句を作っているが、ウイキペディアによると、「5月以後 - 東北地方を中心に冷害と不漁が相次ぎ、その年の同地方は深刻な凶作となって飢饉が発生した」とのことである。

飢饉となれば家族の犠牲になって身売りする女性が出る時代である。

上記のブログの作者が虚子の句の対象になった酌婦に何らかの所縁(ゆかり)のある俳人なら上記のように憤慨するのももっともだろう

 

Yahoo!で「酌婦」を検索すると、画像集のサイトが出た。        

「灯取虫」にかかわる俳句集のサイトに虚子の句があったが、「酌婦」の句は何故か掲載されていなかった。

    

いずれにせよ、虚子は特定の女性を侮蔑する気持ちで問題の俳句を作ったのではないだろう。

酌婦にも上品なものもおれば、下品なものもいただろうし、美人も不美人もいただろう。

たまたま街で見かけた厚化粧の下品な酌婦を俳句に詠んだのかも知れないし、酌婦としては意外な不美人が来たのでその驚きを表現するのに座興に作った俳句なのかもしれない。

ともかく、俳句の皮相な解釈をして、その作者の人格まで云々するのは感心しない。

俳句そのものの芸術論や文学論などの議論をするのなら正々堂々とすべきであろう。正体も生死も分からない相手なので議論のしようがなく、誤解や誤った記事がインターネットで独り歩きするのも問題である。

虚子も天国で苦々しく思っていているかもしれないが、死者に口無しであるから敢えてこのブログで反論を書いている次第である。

     

 夏目漱石が高浜虚子の小説「鶏頭」の序文において「風流懺法」などの小説に触れながら虚子の人柄について面白いことを言っている。この序文は文芸・文化論としても面白く、漱石はさすがに文豪だなという認識を新たにした。

文豪といえば、虚子は「落花生喰ひつつ読むや罪と罰」という句を作っている。「罪と罰」はロシアのドストエフスキーのシリアスな長編小説である。この真面目な小説を落花生を食べながら読んだのは実際だろう。だが、不真面目な気持ちで読んだのでも、この小説を馬鹿にしたわけでもく、俳句の一つの特徴であるユーモアをこの句で表現してみせたのに違いない。

      

現在では「酌婦」は死語となり、「ホステス」というのが普通である。

酌婦と言えば「慰安婦問題」も国際問題がらみの難しい政治課題である。       

男女差別用語も一般に使用されなくなり、「看護士」や「看護婦」は「看護師」に統一されている。

   

女性の参政権の歴史など当時の社会情勢・世相を考慮すると、女性の美醜にかかわる句を作ったからといって虚子が特別非難されるべき女性蔑視の俳人とみなされるべきではないだろう。

   

男女同権が徹底している筈の現在でも民意で選ばれた政治家が女性蔑視の失言をして問題にされることがある。  

まして、明治生まれの虚子が戦前に詠んだ俳句をもとに、その人間性を現在の社会感覚で問題にするのは妥当ではない。

   

4月8日は釈迦の誕生日とされ、花祭りでもある。幼い頃に菩提寺(白毫寺)で甘茶を頂いた記憶はあるが、法話を聞いたのかどうか記憶は定かでない。だが、なんとなく仏教的な輪廻の考え方が自然に自分の身についているように思う。

甘茶と言えば、高浜虚子は「和尚云ふ甘茶貰ひにまた来たか」という句を作っている。「般若心経」や「色即是空」「輪廻転生」の意識を当然持っていただろう。

虚子は聖人でも格別人格者でもなかっただろう。「本との出会い」や「俳句談義」にこれまで書いたように、「色即是空」の観点から見れば天皇も自分も酌婦も皆同じ人間だという意識で花鳥諷詠を俳句にしていたのではなかろうか?

 

人の世は辛いことがあっても悠久の宇宙からみれば束の間である。儚い露の世も南無阿弥陀を唱え花鳥諷詠をすれば極楽になるだろうという祈りを込めて、「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」と詠んだものと思う。

 

そして、鎌倉の山に思いを馳せながら「春の山(かばね)を埋めて(くう)しかり」を辞世の句として詠んだのに違いない。なお、虚子のこの「春の山」の句を踏まえ京極杞陽が詠んだ辞世の句「さめぬなりひとたび眠りたる山は」があるが、この句の「山」は虚子のことを指している比喩と解釈することもできる。

      

なお、蛇足になるが参考までに付記すると、

1900娼妓(しょうぎ)取締規則娼妓稼業に関する取締法規)が発布され、1946に廃止されるまで公娼制度があった。

売春防止法」が制定されたのは1956年であり、完全に施行されたのは1958年(昭和33年)である。     

昭和6年(1931年)に婦人参政権を条件付で認める法案が衆議院を通過したが、貴族院の反対で廃案になっている。

第二次世界大戦後の1945年11月21日に、勅令により治安警察法が廃止され、女性の結社権が認められ、同年12月17日の改正衆議院議員選挙法公布により、ようやく女性の国政参加が認められたのである。

   

俳句談義(11):

「甘納豆」と「おでん」と「俳句」

                   

俳句は好き好きである。高浜虚子の俳句について、長谷川櫂さんが指摘した「」を推定し、私なりの解釈を楽しみながらブログを書いている。

高野素十の俳句「朝顔の二葉のどこか濡れゐたる」に対する虚子の句評ついて、「俳句のユーモア」(講談社)で坪内稔典さんが言っていることに頷けない点があるので次に抜粋し、私見を述べさせて頂く。

  

(虚子の句評)

ただ朝顔の二葉といふものを見て俳句を作らうと試みた。ただ朝顔の二葉のみである。その外に何物もない……。色々考へわづらうた末に、「どこか濡れ居たる」といふことに到着して作者の心は躍動した。 ・・・(省略)・・・

朝顔の二葉を描いて生命を伝へ得たものは、宇宙の全生命を伝へ得たことになるのである。鐘の一局部を叩いてその全体の響きを伝へ得ると一般である。(『句集虚子』昭和5年)

  

(稔典さんの記述)

前段は表現の細部に眼が届いた優れた鑑賞だ。だが、後段では、五七五の背後に大宇宙を見るという恣意に陥っている。

・・・(省略)・・・

そこには俳句の表現が本来的に片言に近いという自覚がない。

こんな虚子のような見方に従うと、ほとんどの俳句は宇宙の全生命に結びついてしまう。

・・・(省略)・・・

そんな見方は俳句という小さな詩型にとってあまりにも大ざっぱに過ぎる。あるいは達観しすぎた見方だ。

・・・(省略)・・・

片言性から眼をそむけ、五七五の表現されていない背後などに頼っていたのでは、片言の力をうまく発揮できないだろう。(以下省略)

             

稔典さんは上記のように虚子の句評を批判しているが、この批判は的を射てない。

「俳句の表現が本来的に片言に近い」という制約がることは、高浜虚子が認識していたことは言うまでもないだろう。だからこそ、季語季題を活用することによって初心者でも詩的な俳句を作りやすくなるように指導したのだろう。

「五七五の表現されていない背後」などを考えるのも俳句鑑賞の面白さの一面である。それを否定することは俳句の面白さの一面しか知らない者の言であろう。稔典さんは勢いで筆が滑ったのではなかろうか?

    

虚子の句評は大げさと言えないこともないが、良きにつけ悪しきにつけ句評は一般に大げさなものが多い。「朝顔の二葉を描いて生命を伝へ」や「宇宙の全生命」とは「宇宙の摂理」や「自然の摂理」の現象を指していると解釈すべきだろう。

虚子は「鐘の一局部を叩いてその全体の響きを伝へ得る」と言っている。だが、坂本龍馬を借りれば、その響きは俳句の作者と鑑賞者のレベルや考え方次第である。

宇宙の摂理が表わす様々な現象・自然の美を愛で、それを俳句にするのが「花鳥諷詠」であるが、素十の句が「朝顔の二葉を描いて生命を伝へ得た」としても、「宇宙の全生命を伝へ得た」かどうかは評価が分かれるだろう。

もちろん、この素十の俳句のような句風のみが花鳥諷詠というわけではない。

虚子も自由奔放に、「朝顔にえーっ屑屋でございかな」「去年今年貫く棒の如きもの」「天の川の下に天智天皇と虚子と」「初空や大悪人虚子の頭上に」など、様々な句を作っている。

 

稔典さんは虚子の句「春風や闘志いだきて丘に立つ」について、「かって私の愛誦句だった」と述べている。

正岡子規松尾芭蕉の「正風俳諧」・「連句」を批判して「客観写生」を唱道したように、稔典さんは高浜虚子の「花鳥諷詠」を敢えて批判することによって、「片言性俳句」(?)を新しい句風として唱道しようとしているのだろうか?

 

俳句の大衆化という点においては「虚子の目指していたこと」と「稔典さんが目指していること」に共通性があるのだろう。だが、その手法や句風には大きな隔たりがある。両者には時代の差があり、俳句の入門書も虚子の「俳句の作りよう」と「坪内稔典の俳句の授業」(黎明書房発行)の違いは大きいが、例えば次の俳句が両者の違いを如実に示している。

      

志俳諧にありおでん食ふ

桐一葉日当りながら落ちにけり

見送りし仕事の山や年の暮

三月の甘納豆のうふふふふ

甘納豆六月ごろにはごろついて

十二月をどうするどうする甘納

              

虚子はホトトギスに「台所雑詠」という欄を設けて女性の俳句を奨励・指導して女性俳人を育成した。その影響は大きな効果を生み、かっては俳句は男性が作るものだったが、現在は圧倒的に女性が多くなっている。

しかし、若い世代の俳句愛好家が少ないのは残念である。

上記の句「三月の甘納豆」には伝統的な俳句川柳と違う新しさを感じる。だが、「甘納豆六月」や「12月の甘納豆」は甘党甘納豆に飽きが来たということなのだろうか、若者の気を引くために俳句の例句として作ったのだろうか。いずれにせよ、俳句というよりも言葉の遊びである。

甘納豆」は美味しいが、所詮おやつである。辛党にはやはり「おでん」がよい。先日のテレビ番組で「サラリーマン川柳」や「女子会川柳」など川柳に興味をもつ若者が増えていることを紹介していた。

甘納豆の句は「俳句・川柳まがい」の駄洒落の感があるが、稔典さんの新しい句風が若者の感性に合い、「俳句はお年寄りの趣味だ」などと見向きもしない多くの若者の興味を惹き、若い世代の本格的な俳句愛好家が将来増えるきっかけになれば結構なことである。

駄洒落と言えば、高浜虚子の「俳句への道」の冒頭に「おやをもり俳諧をもりもりたけ忌」という句が掲載されている。

         

上記のように、虚子も俳句を広めるために駄洒落を用いて面白い句を作っているが、「茎(くき)右往左往菓子器のさくらんぼ」という句も作っている。

              

この句について、稔典さんの次のような句評・記事が毎日新聞WEBにあった。

 

 「先日、この句をめぐって紛糾した。サクランボそのものを詠んだのか、茎を詠んだのかで意見が分かれたのだ。つまり、菓子器にあるのは、茎のからまったサクランボなのか、食べた後の茎だけなのか。私は食べた後派。残骸の茎が楽しかっただんらんを示している。茎(食べかす)を詠んだのはいかにも俳人らしいふるまいだろう。」

 

      

山本健吉の「定本 現代俳句」には次のような句評がある(抜粋)。

 

「無造作に詠み放したような作品である。菓子器に盛られたさくらんぼの柄が、縦横に入り乱れてつっ立っているさまに、作者は興趣を感じたので、軽いユーモアがここには漂っていると言えよう。」(以下省略)

                    

このようなユーモアに腐心した俳句を鑑賞していると、NHK大河ドラマの「花燃ゆ」でおなじみの高杉晋作辞世句といわれる「おもしろくもなき世をおもしろく」を思い出す。

      

余談だが、俳句や川柳で面白く過ごせる、誰でも自由にものが言え世界に発信できる現在の日本の平和は世界大戦の多大の犠牲の上に戦後70にわたって営々として築いてきたものである。正しい歴史認識をふまえて未来永劫に大切に維持したいものである。成り行きや時の勢いで「筆を滑らせる」ことが無いように、倍さんや識者がしっかり議論して準備してくれることを祈るや切である。

              

ちなみに、リンクさせて頂いた素晴らしいサイト「蕉翁句集」や「芭蕉発句全集(50音順全1,066句」、「奥の細道」などの記事は参考になる。青色の文字をクリックして是非ご覧下さい。

   

このブログは「釈迦に説法」で失礼したが、「俳句は好き好き」、「解釈は創作」ということでご容赦願いたい。

4月8日は「釈迦の誕生日」であり、高浜虚子の忌日(椿寿忌)である。

次回は「虚子忌」の俳句などについて書くことにしたい。

            

 

俳句談義(10):

高浜虚子の「雛」の句を鑑賞する。

       

俳句談義(9で「雛祭り」の俳句を集めたが、その中の高浜虚子の俳句について考える。

   

もたれ合ひて倒れずにある雛かな

掲句について、稲畑汀子さんの「虚子百句」には次の記述がある。

明治30、虚子24歳の作。・・・(省略)・・・虚子の気に入りの俳句であった。

子規の唱える絵画的写生の影響の見られる俳句であるが、『もたれあひて』という上五の字余りで何とも言えぬやわらかみと情緒を醸し出している。・・・(省略)・・・そこはかとない哀れの中に漂う雅に何とも言えぬ風情がある。

・・・(省略)・・・

同じ明治30年1月、碧梧桐は天然痘にかかり入院を余儀なくされる。幸い病状は軽く、一か月で退院するが、しかしその間に碧梧桐の婚約者であった下宿先高田屋の娘いとの心が虚子に傾いていたのである。

・・・(省略)・・・

虚子は6月にいとと結婚する。若い頃から能楽の素養を積んでいた虚子の心中は恐らく『恋の重荷』に押し潰されんばかりであったろう。いととの愛にかろうじて支えられていたのではなかろうか。」

   

雛よりも御仏よりも可愛らし

掲句について、坊城俊樹さんの「虚子の100句を読む」には次の記載がある(抜粋)。

「昭和四年三月五日。三女宵子の長女恭子生後八十日にして夭折。其初七日。

痛切な思いがにじみ出ている。ちょうど雛祭りのころであるから、その調度を前にしての哀しみは想像にあまりある。

・・・(省略)・・・

それはともかくとして、虚子のすごさは掲句のような哀憐の句の翌週には、このような客観写生の到達点たる句を作ること。その感情の量の変幻自在のすごさ。
 『ろく』の時の冷徹な虚子、掲句の情感あふれる虚子、この句の客観写生の虚子、はたして同一人物の感情なのか、まことに不可解なのである。」

                  

残念ながら、虚子が「雛より小さき嫁を貰ひけり」を詠んだ背景はまだわからないままである。上記のように、虚子の俳句にかぎらず、深みがある俳句ほどその句が詠まれた「場」を知らなければ正しい解釈をすることができない。それが俳句の限界である。しかし、仮に誤解であるにしても、自分なりにあれこれ想像して解釈できるのも俳句の面白さである。

   

俳句談義(9):

「雛祭り」の俳句を集めました

                 

3月3日は雛祭りである。高浜虚子の次女、星野立子(明治36年~昭和59年)の忌日(立子忌)でもある。俳句では「立子忌」を「雛の忌」や「ひひなの忌」としている人もいる。また、この日は日本ペンクラブの提案で「平和の日」とされている。     

          

歳時記の「雛祭り」「雛人形」「雛あられ」などの句はここをクリックするとご覧になれます。

ここ(データベース)をクリックすると現代俳句協会の「雛」の句がご覧になれます。      

   

「575筆まか勢」というブログに立子忌の句 があった。   

当時、立子は女流では中村汀女橋本多佳子三橋鷹女とともに四Tと称された。     

星野立子は次の雛の句を作っている。    

何といふ雛よと問はれ桃山と

彼の雛の思ひ出追ふも悲しけれ

雛飾りつゝふと命惜しきかな

   

立子の俳句としては「しんしんと寒さがたのし歩みゆく」が山本健吉の「定本 現代俳句」にも句評があり印象に残っている。  

              

高浜虚子は「雛より小さき嫁を貰ひけり」という句を作っている。    

「雛より小さき嫁」とはどういうことか、「許嫁」のことかも知れないと思って、その背景を知るために虚子一族の「雛」の句をインターネットで検索してみた。残念ながら、そのような手掛かりは無かったが、目黒雅叙園の「百段雛まつり日本最大級の雛人形が展示されているという記事があった。そのような大きな雛人形を念頭に詠んだ句なのかも知れない。

いずれにせよ目的はかなわなかったが、折角調べたので参考までに下記に記載する。    

     

    

虚子(「ホトトギス」2代目主宰)の

雛あられ染める染粉は町で買ひ

美しきぬるき炬燵や雛の間

山里の雛の花は猫柳

天井にとどけ雛の高御座

お茶うけの雛のあられに貝杓子

カレンダーめくりあらはる雛の日

老いて尚雛の夫婦と申すべく

叱られて泣きに這入るや雛の間

もたれ合ひて倒れずにある雛かな

春雷や女ばかりの雛の宿    

          

星野椿さん(立子の長女・「玉藻名誉主宰)の句

表紙絵も玉藻雛や立子の 

    

高木晴子晴居」主宰の

皆老いて雛の客とも思はれ    

 

高浜年尾(虚子の長男・「ホトトギス」3代目主宰)の句   

燭台の倒れ易さよ雛かざる

燭台の灯なれや雛浮び見ゆ

老いゆくは淋しきものよ雛祭

雛の灯を今宵の客に灯しけり

雛の間の更けて淋しき畳かな 

         

 稲畑汀子さん(年尾の次女・「ホトトギス名誉主宰)の句

鎌倉好き集まれ! おひなさま 鎌倉古陶美術館

飾られて仮住も亦雛の宿

歳時記「雛納」)

今日のためなほ納めずに置く雛

雛の客あり雛をさめ又先に

雛の忌と思ひ遥かへ心置く

雛飾る娘の手伝ひもあてにして

飾るより留守をあづける雛となる

雛納めゐたるロビーを通りけり

一筋の髪も乱さず雛納         

      

稲畑廣太郎さん(虚子の孫・「ホトトギス」主宰)の句

歳時記・雛納1

雛納せざるをちらと見て出社

雛納して洋室となりにけり

歳時記・雛納2

雛納してより吾娘の嫁ぎゆく

雛納して来年を近付ける

悌を重ね合せて雛納

雛納君との過去も納めけり

雛の目光りて納められにけり

たつた今過去捨て雛を納めけり           

              

坊城中子さん(虚子の長女・「花鳥」名誉主宰)の句

骨壷を置きて雛を並べけり     

         

        

坊城俊樹さん(虚子の孫・「花鳥」主宰)の句句集「零」

ひひなの忌雛より小さき人のゐし

飾らるる雛の顔と生れ出づ

         

上野章子(虚子の六女・「春潮」初代主宰)の句

手のひらに色を遊ばせ雛あられ

           

因みに、正岡子規はどのような「雛」の句を作っているかインターネットを検索したところ、まず「春星」のHPに「子規の俳句」があり、「子規の俳論俳話」というサイトがあった。しかし、ざっと見たところでは、子規の「雛」の句は「雛あらば娘あらばと思ひけり」以外には見当たらなかった。    

     

俳句談義(8):

高浜虚子の句「初蝶来何色と問ふ黄と答ふ」:

<対話の相手は誰か?>

          

掲句について、国光六四三氏は「六四三の俳諧覚書」というブログにおいて、「子規の革新・虚子の伝統」というタイトルで、「昭和二十一年春。おや初蝶ですよ、何色ですか、はい黄色ですね。三つの問答からなる珍しい構造の句です。晩年の虚子が『存問』と称した、日常の挨拶でしょう。」といっている。

     

また、「古典・詩歌鑑賞」というブログには、虚子が家人と対話していると解釈した記述がある。

     

しかし、掲句について偶々見つけた下記のブログなどからすると、その様な日常的な存問の俳句であるとは思えない。

     

(1)第3回『詩を読む会―高浜虚子を読む』レポート『高浜虚子の俳句についてのメモ』という岡田幸文氏の記事には次の記述がある(抜粋)。

(「見た瞬間に今までたまりたまって来た感興がはじめて焦点を得て句になった」)「初蝶来何色と問ふ黄と答ふ」(昭和21年『六百五十句』)

(初案)「初蝶来何色と問はれ黄と答ふ」(昭和21年『小諸百句』)

          

(2)「K-SOHYA POEM」には次の記事がある(抜粋)。

「ホトトギス」昭和21年6月号では、「初蝶来何色と問はれ黄と答ふ」だった。それが再掲誌「玉藻」(虚子の二女星野立子の主宰誌)同年9月号までの間に「問はれ」が「問ふ」に修正された。
この修正は、まことに興味深い。虚子の句作の実際を具体的に例示してくれるからである。「問はれ」から「問ふ」に変ることによって、この句は単に実際の体験を詠んだだけの句から、もう一つ別の次元へ移ったと言える。「問はれ」て「黄と答ふ」という、ひと連なりの句では、この句は「作者」一人が詠んで、それでお終い、という、つまらない句になってしまう。それを「何色と問ふ」「黄と答ふ」としたことによって、「誰か」を見事に押し隠しているために、句に対話性が導入され、句が大きく、広くひろがった。

(詳細はここをクリックして参照ください。)

               

掲句が日常的な平凡な句ならば詠み捨てにしてもよいだろうが、虚子はこの句を上記のように推敲している。特別の存問の句として大切に考えていたのだと思う。

それではこの句における虚子の対話の相手は誰か? 

それは緒方句狂でないか?

虚子が「初蝶だよ」と話しかけ、句狂が「何色ですか?」と尋ね、それに虚子が「黄だよ」と答えたのではないか?

     

そう考えるのは「盲目の俳人・緒方句狂の作品と高浜虚子のメッセージ」を読んだからである。

次にその記事の内容を抜粋引用させて頂く。

    

昭和22年、句集「由布」に寄せた高浜虚子の序文に、

「両眼摘出昼夜をわかたず」という前書きがあって、

「長き夜とも短き日ともわきまえず」という句がこの句集のはじめにあるが

・・・(省略)・・・

私は九州に旅する度に、別府の埠頭に、黒い眼鏡をかけ、人に助けられて立っている句狂君を見出すのである。昨年行った時もそうであった。そうして各地の句会には必ず句狂君の顔を見た。句狂君の成績はいつも立派であった。(略)

昭和22年10月6日 小諸山盧 高浜虚子    

この句集「由布」のに、句狂は次のように記している。

昭和9年5月8日、当時炭鉱で従事して居りました私は、坑内作業中ダイナマイトの事故により、遂に失明せねばならぬ運命におかれました。

・・・(省略)・・・

黙星君は私の寄稿の中から選んで、ホトトギスに投句していたとみえ、はじめてその年の12月号のホトトギスに

「長き夜を眠り通してまる三日」

というのが

「長き夜とも短き日ともわきまえず」

と虚子先生によって御添削を頂き、初入選したのでありました。

・・・(省略)・・・

若し私に俳句がありませんでしたならば、今頃どんなになっていたでありましょうか。往時を顧みますとき、総身泡を生ずるの思いがあります。私は俳句に依って更生させられたのであります。否、邪悪の淵に溺れていました私は、虚子先生や清雲先生の温かい情に救い上げられたのでありまして、今更ながら感泣せずには居られません(略)

 

なお、初代(句狂の妹)の「句狂の追憶」の項の最後に次の記述がある(抜粋)。

  

・・・(省略)・・・

以上が闘病句で、高浜虚子先生より次の弔句をいただきました。句狂もさぞかし泉下で感泣したことと存じます。

「目を奪い命を奪う諾と鷲  虚子」

(以下省略)

(詳細はここをクリックしてご覧下さい。)

               

上記の虚子の弔句に関連する記事として「徒然詩」から次のとおり抜粋させて頂く。

        

緒方句狂(くきょう)。明治36年(1903)~昭和23年(1948)。本名稔。田川郡赤池町に生まれました。
 父の営む古物商を手伝いながら、明治鉱業赤池炭鉱の坑内夫として働きました。昭和9年に、ダイナマイト事故で失明してしまいます。失明のため、悩んでいた頃、俳句に出会います。河野静雲、高浜虚子に師事し、めきめき上達します。昭和20年に、「ホトトギス」同人となります。
「闘病の我をはげます虫時雨」の句を残して、ガンのため、45年の生涯を終えました。

・・・(省略)・・・

「目を奪い命を奪う諾と鷲」(虚子)
高浜虚子が、緒方句狂について詠んだ句です。とても難解な句です。鷲は句狂のことでしょう。諾には「諾う(うべなう)」-受け入れるーという意味があります。つまり、句狂が、失明を運命として受け入れたことを詠んだのだと思います。(以下、省略)

(詳細はここをクリックしてご覧下さい。)

       

         

「俳句への道」に於いて、虚子は次のように述べている(抜粋)。

私はかつて極楽の文学と地獄の文学という事を言って、文学にこの二種類があるがいずれも存立の価値がある、俳句は花鳥諷詠の文学であるから勢い極楽の文学になるという事を言った。如何(いか)に窮乏の生活に居ても、如何に病苦に悩んでいても、一たび心を花鳥風月に寄する事によってその生活苦を忘れ病苦を忘れ、たとい一瞬時といえども極楽の境に心を置く事が出来る。俳句は極楽の文芸であるという所以(ゆえん)である。(『玉藻』昭和28年1月号)

       

俳句談義(7):

高浜虚子の句 「爛々と昼の星見え菌生え」の「星」とは何か?(続編)

        

爛々と昼の星見え生え」について、坊城俊樹さんは「虚子の宇宙の片鱗」とか「虚子の遊び」などと言っているが(「俳句談義(6)」参照)、この句には「謎解き」のような面白さがある。

      

稲畑汀さんは「虚子百句」において次のように言っている(抜粋)。

「この句ほど不思議な力で読む人を惹きつけながら、解釈を施そうとすると困難を極める句も珍しいだろう。

・・・(省略)・・・

虚子が3年余りに及び滞在した小諸を引き揚げる直前のこの日、長野の俳人達が大挙して山ほどの松茸を持参して別れを言いにやってきたのである。句会に出席していた村松紅花の証言によれば、句会の席上、長野の俳人の一人が、『深い井戸を覗いた時、昼であるのに底に溜まっている水に星が映り、途中の石積みの石の間に菌が生えていた』という体験を話したという(注:村松紅花は村松友次の俳号)。

・・・(省略)・・・

虚子は一俳人の話に感興を動かされて、いや感興などという生易しいものではなく、インスピレーションを得て一気に頭の中で壮大な宇宙を作り上げたのではないだろうか。

・・・(省略)・・・

この句は信濃(しなの)の国に対する虚子の万感(ばんかん)を込めた別れの歌であり、最高の信濃の国の()め歌なのである。(以下省略)

          

           

掲句についての山本健吉の「定本 現代俳句」における句評を「俳句談義(6)」で抜粋引用したが、その句評の最後に次の記述がある。 

「・・・(省略)・・・連句の連用形止めは、たいてい『見えて』『生えて』というふうに、『て』止めである。この句の感じは、やはり朔太郎の用法に近い効果を見せ、何か不気味な、感覚的な戦慄を生み出している。老境の虚子の、感覚的な若さを感じさせる。」

            

以上のように、この句に対する解釈は評者によって様々であり、「謎解き」のような面白さがある。

       

写生句であれば、「切れ」の効果を出すために「終止形」にするのが普通であるが、「爛々と昼の星見え菌生え」と、「連用形止め」である。この句は写生句ではない。「昼間は見えない星も夜には爛々とするという宇宙の現象」を捉え、「森羅万象」を抽象的・主観的な比喩で表現しているのではないか?

虚子花鳥諷詠を広く捉え、このように俳句を比喩的に作ることも花鳥諷詠であると範を垂れているのではないか?

        

この句には、「長野俳人別れの為に大挙(たいきょ)し来る。小諸山廬(こもろさんろ)」の詞書(ことばがき)がある。インターネット長野県出身の俳人を調べたところ、河合曾良小林一茶小澤實矢島渚男など15名がリストされていた。                

       

星は曾良や一茶など鬼籍の俳人を指し、「(きのこ)」は小澤矢島渚など現存の俳人を指していると解釈してもよいのではないか?

すなわち、「長野の俳人の活躍を讃え、花鳥諷詠の俳句が将来も隆盛することを信じ・喜んでいる句である」と解釈してはどうか?

虚子は宇宙のどこかで、「ほう、そんな解釈もできますか。」と、ニッコリしているのではないか?

遊び心のついでに、この句の後に連句として「花鳥諷詠ますます盛ん」と付け加えたら、虚子は何というだろうか?

星になった桑原武夫碧梧桐秋櫻子などは何と思うだろうか?

先達と彼岸で俳句談義が出来ると面白いだろうが、元気な限り「露の世」の俳句談義に興じたい。   

        

俳句談義(6):

高浜虚子の句「爛々と昼の星見え菌生え」の「星」や「(きのこ)」とは何か?

        

高浜虚子小諸山廬にて詠んだ掲句について山本健吉は「定本 現代俳句」において次のように述べている(抜粋)。

   

昭和22年10月14日作。小諸を引き上げる前の作品で、「長野俳人別れの為に大挙し来る」と注記がある。

「昼の星」とは太白星(火星)である。山の秋気が澄んで、まだ日の高いうちから、爛々と大きく、赤く燃えるような色を放って輝いている。地には「菌」がにょっこりと頭をもたげている。・・・(省略)・・・空と大地と、二つの異様な色彩のものを対置し、抽象的な装飾画のように、ただその二つのものが並べ置かれているだけである。(以下省略)」

(注:上記の太白星の「火星」は「金星」の誤りである。)

     

            

坊城俊樹さんの「高浜虚子の100句を読む」には次の句評がある。

    

「・・・(省略)・・・昭和二十二年四月一日には愛子の死が訪れ、老人虚子はそろそろ晩年の節目となる俳句にさしかかっていたと思われる。
 しかし、この掲句なのである。これが、七十歳を過ぎた当時の老人の句であるとは誰も思わない。ある意味で虚子の代表句であるが、伝統派の俳人たちはこの句の謎を追うことを嫌う。句意もさんざん人たちが議論を繰り返してきた。昼の星とは宵の金星であるとか、井戸に映った金星とか、妄想的に現出した星など、さまざま。
 筆者としては、これは虚子の遊びだと思っている。肉眼では金星が暁以外で見えるはずはないとか、金星は小諸と限定せずに鎌倉の夕刻の回想とか諸説の理由ももっともであるが、なんとなく庭の菌を見ていたらそんな気がしたのであろう。昼の星を太陽としても天文学的には間違いではない。しかし、それはそれとしても太陽にもそんな気がしたのである。
 いわば、虚子としての集大成の写実の次に見えてくる、虚子の宇宙の片鱗なのである。」

         

    

上記のように、山本健吉は「抽象的な装飾画のように、ただその二つのものが並べ置かれているだけである」と言い、俊樹さんは「虚子の宇宙の片鱗」とか「虚子の遊びだと思っている」と言っている。

     

太陽(恒星)は星の一つである。

覗いた井戸か池に太陽が映って輝いており、キノコがどこかに生えているのを見て作った句かも知れない。

しかし、唯それだけなら虚子は何故に「長野俳人別れの為に大挙し来る」という注記を付けたのだろうか?

        

虚子は「深は新なり」といっている。(高浜虚子記念館のHP「虚子の思想」参照) 

  

また、「新・俳人名言集」(復本一郎著 春秋社発行)によると、虚子は「客観描写を透して主観が浸透して出て来る。」と言っている。

    

だから、具体的なものを抽象的に表現している俳句の場合は何かを比喩的に詠んでいる可能性がある。「長野俳人別れの為に大挙し来る」という注記を考慮すると比喩の可能性が高い。

もし、「長野の俳人たちとのこの別れは今生の別れとなるかもしれない」と虚子が考えていたとすれば、辞世の句として作ったのかも知れない。

       

      

芭蕉は「平生即ち辞世なり。」といひ、

また、

「きのふの発句はけふの辞世、けふの発句はあすの辞世、わが生涯いひ捨てし句々、一句として辞世ならざるはなし。」

と言っている。(「新・俳人名言集」)

      

虚子もそういう気持ちで俳句を作っていただろう。

そうだとすれば、虚子は、「星」を死後の自分に例え、後に残る俳人や次々と新たに生まれてくる俳人を「(きのこ)」に例えていると解釈できるのではないか

               

俊樹さんは「虚子の遊びだと思っている」と言っているが、虚子は読者が句の解釈をどのようにするのか、誤解があればそれはそれとして楽しむ余裕を持っていたようである。

虚子は、「虚子一人銀河と共に西へ行く」という句も作っている。虚子の俳句には謎をかけられているような興味が湧く。

選は創作なり」という虚子の言葉にあやかって、「解釈も創作なり」と誤解を恐れず私見を述べているが、星になった虚子は「ほう、そういう解釈もできますか。」と、面白がってくれているかもしれない。 

「俳句は存問の詩である」と虚子は言っている。次回は試みに別の解釈について書きたい。

                    

俳句談義(5):戦時中の高浜虚子 

              

2月11日は「建国記念の日」であり、2月22日は高浜虚子誕生日である。そこで、今回は戦時中における文芸家・俳人としての虚子の良心の在り方について考える。

    

青色文字をクリックして関連の解説記事をご覧下さい。

 

俳句は好き好き、人も好き好き」である。俳句第二芸術と言った桑原武夫昭和五十四年四月号の『俳句』(角川書店)において、「虚子についての断片二つ」という記事に次のとおり述べている。

   

「アーティストなどという感じではない。ただ好悪を越えて無視できない客観物として実に大きい。菊池寛は大事業家だが、虚子の前では小さく見えるのではないか。岸信介を連想した方がまだしも近いかも知れない。この政治家は好きな点は一つもないが」

   

上記の記述を引用して、虚子のことを「A級戦犯でありながら戦後に総理大臣まで上り詰めた『岸信介を連想した方がまだしも近い』というのは、けだし、桑原の明言であろう。」と言っているブログがある。

中田雅敏著『人と文学 高浜虚子』「夜半亭のブログ」参照)

   

しかし、このブログの記述には誤りがある。岸信介は「A級戦犯被疑者」であったが、A級戦犯ではない。ウイキペディアの解説によると「即時停戦講和を求めて東条内閣を閣内不一致で倒閣した最大の功労者であること[3]などの事情が考慮されて不起訴のまま無罪放免されている」のである。  

それはともかく、高浜虚子は深慮遠謀ホトトギス俳句王国を確立したという点で「俳界における徳川家康だった」という気がする。

     

ドナルド・キーンさんは高浜虚子の戦時下の俳句について、『日本文学』において次のように述べている(抜粋「mmpoloの日記」参照)。

「虚子の保守性は一部の俳人を遠ざけたが、同時にまた多数の俳人を『ホトトギス』派に引き寄せた。こうして、『ホトトギス』は全国に広まり、俳句は20世紀の日本の生活と文学におけるさまざまな変化にもかかわらず、生きのびることができたのである。

・・・(省略)・・・

戦時中の虚子の作品は、当時の他の文学の病的興奮とは対照的に落ち着いた、超越したものだった。」

            

虚子俳句問答(下)実践編」(稲畑汀子監修・角川書店発行)を見ると、「戦時下の俳句」という章に読者の質問と虚子の回答の記載があるが、戦時中の虚子の俳句に対する考え方や戦争に対する姿勢の一端がわかる。次にその幾つかを抜粋して記載させて頂く。

      

(質問)

現下の如き非常時局下に暢気(のんき)に俳句でもあるまいと・・・(省略)・・・悩んでいる・・・(省略)・・・ご教示願いとう存じます。(奈良 吉本皖哉 昭.⒔2) 

回答

俳句は他の職業に従事している人から見ると、慰楽の為に作るとも考えられるのでありまして、御説のような感じの起こるというのも、ご尤も(もっとも)でありますが、・・・(省略)・・・画家が画を描き、文章家が文を属し或は俳優が演技するのと一般、少しも恥ずるところはないのであります。・・・(省略)・・・現に戦地にある人々も、干戈(かんか)の中で俳句を作って、送って来ておるではありませんか

   

(質問)

ホトトギスの雑詠に従軍俳句が相当たくさんある様になりました。戦争という特殊な境地をうとうたものは、所謂(いわゆる)戦争文学として雑詠より分離して別に纏め(まとめ)られたらと思いますが、如何でしょうか? (大阪 中村秋南 昭.⒔9) 

回答

戦争文学として、これを特別に取り扱うことは親切なようであって、返って不親切になる結果を恐れるのであります。雑詠に載録する位の句でなければ、戦争俳句として取り扱うことも如何かと、考える次第であります。

    

(質問)

文芸報国の一端として今回の事変発生以来、ホトトギスに戦地より投句したる戦争俳句、内地よりの事変に因む銃後俳句のみを蒐集(しゅうしゅう)し、これを上梓(じょうし)しては如何。好個の記念になると思う。(大阪 行森梅翆 昭.⒔9)  

回答

上梓するのは、事変が落着して後の方がよかろうと思います。

     

(質問)

最近の新聞に()りますと、虚子先生を会長に俳句作家協会が生まれます由、俳壇での新体制についてご指導に預かる私どもの句作上について、何か心構えとでもいう事はございませんのでしょうか。(大分県 三村狂花 昭.16.2)  

回答

重大な時局下にあるということを認識した上で、(ただ)佳句を志して従前通りのご態度でご句作になれば結構だと思います

      

また、「添削」の省の「誇張せず自然に」という項では戦時下の俳句について次のような質疑応答がある。

   

(質問)

「兵送る初凪や埠頭旗の波」「兵送る初凪埠頭や旗の波

何れが句として調っておりますか。・・・(省略)・・・(沖縄 大見謝雅春 昭.13.3)

回答

こういう場合は「旗の波」は割愛してしまって、「初凪の波止場に兵を送りけり」とでもするより他に仕方がないでしょう。少し平凡ではありますけれども、それに旗の波を加えたところで大して斬新な句になったというでもありません。(むし)格調のととのった方がよろしいと思います。

         

チュヌの主人のコメント

この質問・回答の掲載された前年昭和12年には軍歌「露営の歌」が大ヒットしたそうである。

この歌の歌詞には「進軍ラッパ聞くたびに瞼(まぶた)に浮かぶ『旗の波』(1番)」という文句があり、

「馬のたてがみなでながら明日の命を誰か知る(2番)」

「死んで還れと励まされ覚めて睨(にら)むは敵の空(3番)」

「笑って死んだ戦友が天皇陛下万歳と残した声が忘らりょか(4番)」

「東洋平和のためならばなんの命が惜しかろう(5番)」

など、戦争を謳歌・賛美して戦意を高揚させ若者を駆り立て死に追いやった文句が並んでいる。

虚子はこの軍歌を連想させる「旗の波」を俳句に詠むことを良しとせず、「初凪の波止場に兵を送りけり」と、「出征して行く若者のことを思いやりながら送り出すしみじみとした俳句」にすることを教えたのである。

「初凪」と「送りけり」が呼応して出征兵士の無事を祈る気持ちが感じられ、戦意高揚を謳う原句とは全く正反対のニュアンスがある。

八紘一宇」「洋平和のため」「大東亜共栄圏のため」にとその理想的な目的を純粋に信じてその実現に命をささげた若者も多くいただろう。

その意図に反し戦争に伴う非道な行為もあったことは全く残念なことである。筆舌に尽くし難い戦争の悲惨・犠牲・被害を思うと黙しているわけにはいかない。    

現在もテロとの戦いウクライナ停戦問題など国際情勢は常に流動的である。有事の備えをし、且つ、平和主義を徹底する基本的な政策が必須である。安倍首相は「積極的平和主義」に基ずく外交を推進しようとしているが、「真に世界平和の実現に寄与するにはどうすればよいのか」「集団的自衛権の行使はどうあるべきか」、与党野党が時間をかけて議論して国民の理解・合意を得るようにしてほしい。国民の理解を得ずして外国の理解を得ることは期待できない。

単に政治家やマスコミに任せるだけでなく、一人一人が日本の平和・世界の平和を維持することを真剣に考えてそれを政治やマスメディアに反映させることが大切である。

日中戦争太平洋戦争の犠牲となった人々のことを思い、墨塗り教科書で勉強をした戦中・戦後の体験者として戦争を知らない世代に政治に関心を持ってほしいとの思いから、つい「俳句談義」が「政治談議」のようになったが、本論に戻ろう。

               

坊城俊樹空飛ぶ俳句教室」の「虚子と戦争」に次のような記述がある。

 「終戦直後、新聞記者に俳句はどのように変わったかと問われた虚子は、
『俳句はこの戦争に何の影響も受けませんでした』と答えたといいます。そのときにその記者があわれむような目をしたと言っては、虚子は笑っていました。」

    

「虚子俳句問答」における読者と虚子との質疑応答を読むと新聞記者の質問に対する上記の虚子の答えは納得できる。

虚子は自分が日本文学報国会俳句部会長として戦争を賛美することなく花鳥諷詠の文学を堅持し、時代の流れに掉さすことも流されることもなく、文芸家・俳人としての良心貫いたのだと思う。 

   

俳句談義(4): 

虚子の俳句「大寒の埃の如く人死ぬる」について考える

                  

昭和16年(1941)1月に掲句を作ったとき、虚子は何を意識していたのだろうか?

「平和を願う祈りが世界の人々に通じ、地球上に愚かな戦争がなくなる日がいつかは来るのではないか」と、一縷の望みを捨てずに、このブログを書いている。

   

昭和12年には支那事変日中戦争 1937年~1945年)が始まっており、既に日中双方に多数の死者が出ていただろう。

インターネットを検索すると、伊予歴史文化探訪「よもだ堂日記」に「秋山真之 元気のない正月」というタイトルで、

明治29(1896)1月初め、秋山真之が子規のもとを訪問。秋山が訪れたのは3年ぶりで半日閑談したのだが、このときの秋山はあまり元気がなかったと子規は述べている。」という記事があった。

   

その前年、明治28(1895年)4月17日には日清講和条約下関条約)が締結され、数日後の4月23日に三国干渉が起こっている。

秋山とは司馬遼太郎原作のNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の主人公の一人である秋山真之のことである。

高浜虚子は日露戦争当時の明治38(1905年)7月1日発行「ホトトギス」に「正岡子規と秋山参謀」という次のような記事を掲載している(抜粋)。 

「子規居士と茶談中、同郷の人物評になると、秋山真之君に及ばぬことは無かった。秋山君は子規君と同年か若くても一歳位の差で、同郷同窓の友(松山では固より、出京後でも共に一ツ橋の大学予備門に学び、後ち秋山君は海軍兵学校の方に転じたのである)として殊に親しかった。

・・・(省略)・・・

その後は別に記憶にとどまるようなことも無く、日清戦争のすんだ時分、子規君の話に、秋山がこないだ来たが、威海衛攻撃の時幾人かの決死隊を組織して防材を乗り踰(こ)えてどうとかする事になって居たが、ある事情のため決行が出来なかった、残念をしたと話して居たと、言われた。

・・・(省略)・・・

その後、亜米利加に留学せられた事、あちらから毛の這入った軽い絹布団を子規君に送られた事(この布団は子規君の臨終まで着用せられたもの)、大分ハイカラにうつっている写真を送って来られた事、留学前に、ある席上で正岡はどうして居るぞな、と聞かれ、この頃は俳句を専門にやって居るのよというと、そうかな、はじめはたしか小説家になるようにいうとったが、そんなに俳句の方ではえらくなっとるのかな、兎に角えらいわい、といわれた事を記憶している。

・・・(以下省略)」

   

           

虚子は掲句を作った前年の昭和15(1940年)3月には「大寒や見舞に行けば死んでをり」という句を作っている。この句は「死んでをり」という具体的な表現であるから誰か身近な人の死を詠んだものだろう。

しかし、掲句では「人死ぬる」と一般的な表現である。

上記のホトトギスの記事にある「日清戦争のすんだ時分、子規君の話に、秋山がこないだ来たが、・・・(省略)・・・絹布団を子規君に送られた事(この布団は子規君の臨終まで着用せられたもの)」という記載からすると、虚子は秋山と子規のこと、日清戦争(1894年7月~1895年3月)や日露戦争(1904年2月~1905年9月)のことに思いを馳せ、現に行われている日中戦争(1937年~1945年)のことを念頭において掲句を作ったに違いない。

   

当時の世界情勢は列強帝国主義政策を推進しており、日本も遅ればせながら列強に負けじと帝国主義の道を突き進んでいた。昭和11(1936年)には二二六事件が起こっている。

昭和15年には戦時体制としての内閣総理大臣を総裁とする大政翼賛会が発足し、津田事件が起こるなど、反戦的な発言は許されない時代になっている。

虚子は現実の生活において通俗的に「人の命」を「」や「埃」と同一視していたとは考えられない。「埃の如く死ぬる」という比喩は、「人の死」を軽んじているのではないだろう。おそらく、「戦争における人の死は宇宙から見ると大寒の埃のようなものである」と憂い、戦争による多数の死を空しいと思っていたのではないか?

しかし、「絹布団」~冬の季語布団」~「綿埃」を連想し、「色即是空」という潜在的意識から、花鳥諷詠の一つとして淡々と句にしたのだろう。

ちなみに、「蒲団」と言えば明治40年に田山花袋自然主義文学の代表作と言われる小説「蒲団」を発表している。

           

     

参考までに掲句に関してインターネットで検索したブログ(抜粋)を下記に挙げるが、対照的な解釈をしている。

 

(1)「遼東の豕」(作者名不詳)  

「ワシャは俳句は素人なのでよく解からないが、虚子の死生観が感じられる一句だと思う。『大寒の埃』とは、寒い朝、書斎の障子越しに射す光に浮かんだ微小な埃のことだ。小さなものと大いなる寒さの対比がおもしろい。虚子はその埃が室内の暖気の対流をうけてきらきらと舞っているのを見た。時間の経過とともに埃は墜ちていき、やがて畳の目につかまって動かなくなる。それを死と観たか。人の生き死にも大いなる自然から見れば、埃の死と大差ないのだよ、だから嘆かないでということなのだろう。

     

(2)「六四三の俳諧覚書」

虚子の作りやう(三) 写生と背

「『大寒の埃の如く人死ぬる』 おそらくは親しかった人の死をホコリにたとえる、この非情さはどうでしょう。そんなふうに作者を責めたくなります。ところが、真相は違いました。同じ句会で詠まれた『大寒や見舞に行けば死んでをり』の句とともに、連衆の笑いを狙った虚構句らしい。作者の年齢にも目を向けてください。老境の呟きです。昭和十五年、六十六歳。」

    

(3)「六四三の俳諧覚書」子規の革新・虚子の伝統(七) 花鳥諷詠

「『大寒の埃の如く人死ぬる』 昭和十五年冬。この非情さはどうなのか。実は、同じ句会の席で詠まれた『大寒や見舞に行けば死んでをり』とともに、連衆の笑いを狙った滑稽句でした。

     

上記のように国光六四三氏が虚子のこの句を「滑稽句」と評した根拠を知りたいが、昭和15年当時は「反戦句」を作ることは許されないのだから、虚子は「滑稽句」として披露したのか、あるいは「滑稽句」という解釈をそれで良しとして受け入れたのではなかろうか?

         

      

(4)「ときがめ書房」のブログ「大寒・高浜虚子」(作者名不詳)

死 秀句350」(倉田紘文著)の「『如是』という言葉がある。まったくさからう心のない、在りのままの姿を示す語である。・・・(省略)・・・」を引用している。

   

    

なお、夏目漱石が虚子という人物をどのように見ていたかを知るのに参考になる記事(「高浜虚子著『鶏頭』序」)があった。次のとおり抜粋させて頂く。

       

「虚子の作物を一括して、(これ)は何派に属するものだと在来ありふれた範囲内に押し込めるのは余の好まぬ所である。是は必ずしも虚子の作物が多趣多様で到底(とうてい)概括し得ぬからと云う意味ではない。又は虚子が空前の大才で在来西洋人の用を足して来た分類語では、其の作物に冠する資格がないと云う意味でもない。虚子の作物を読むにつけて、余は不図(ふと)こんな考えが浮んだ。天下の小説を二種に区別して、其の区別に関連して虚子の作物に説き及ぼしたらどうだろう

・・・(省略)・・・

余は虚子の小説を評して余裕があると云った。虚子の小説に余裕があるのは()たして前条の如く禅家の悟を開いた為かどうだか分らない。(ただ)世間ではよく俳味禅味と並べて云う様である。虚子は俳句に於て長い間苦心した男である。従がって所謂(いわゆる)俳味なるものが流露して小説の上にあらわれたのが一見禅味から来た余裕と一致して、こんな余裕を生じたのかも知れない。虚子の小説を評するに(あた)っては(これ)(だけ)の事を述べる必要があると思う。
 尤も(もっとも)虚子もよく移る人である。現に集中でも秋風なんと云うのは大分風が違って居る。それでも比較的痛切な題目に対する虚子の叙述的態度は依然として余裕がある様である虚子は畢竟(ひっきょう)余裕のある人かも知れない明治四十年十一月」

         

現在も世界のどこかで宗教や人種の違い、利害の対立などから生ずる愚かな戦争が行われている。情けないことである。「正義」や「大義」、善悪などの価値観は時代や立場によって異なる。正義や大義の名のもとに愚かな戦争をすることがあってはならない。

宗教と科学の融合」でも書いたが、科学・文化、社会制度などが未発達の時代の預言者の唱えた宗教(一神教など)にいつまでも囚われず、既存の宗教の欠点を補完し、良い点を融合して現在の宇宙時代にふさわしい宗教的考えが確立されることを切望している。世界の宗教指導者や政治家が寛容・和の精神を実践することによって民衆を指導してもらいたいものである。

   

このような願望は所詮テロリスト集団などには通じないのだろうか?

凡人である私は、「大寒や花鳥諷詠南無阿弥陀」と平和憲法下における「平和国家日本の悠久」をひたすら祈りながら、ささやかなブログを書いているほかに術がない。「平和を願う祈りが世界の人々に通じ、地球上に愚かな戦争がなくなる日がいつかは来るのではないか」と、一縷の望みを捨てずにいる。

「何が平和か」ということは大きなテーマであり、短歌や俳句・川柳などで一口に言えるものではないが、このブログが平和について改めて考えるきっかけになれば幸いである。

駄句ながら即興の俳句と川柳を最後にご笑覧下さい。

       

ブログにて花鳥諷詠冬ごも

待春や妻は吟行我ブログ

」を唱へブログを書きつ春を待つ

ブログ書き平和を祈り春を待つ

子と孫に託す世界の平和かな

     

俳句談義(3): 

虚子の句「初空や」の新解釈、大悪人は誰か?

    

正月になれば虚子の句「初空や大悪人虚子の頭上に」のことに思いを巡らせる。

      

この句は従来の一般的な解釈では「大悪人虚子」と読んでいるが、そうであれば、「初御空」と表現するのが自然でないか? 「初空や」の句は5・7・5の定型でないが、「大悪人」と「虚子」を切って間をとって読めば俳句として不自然ではない。

虚子が「初御空」と言わず、「初空や」と詠んだのは「大悪人」と「虚子」とを切り離して、文字通り「大悪人が虚子の頭上にいる」と読ませるためでないか?  

それでは「大悪人」とは誰を指すのだろうか?   

大胆な推定であるが、「大悪人」とは「天智天皇」を指しているのではなかろうか?

   

虚子は同じ頃(大正6年)に「天の川の下に天智天皇と(臣)虚子と」という句を作っている。

虚子が「天の川の下に天智天皇と」と並記していることに興味が湧き、ネット検索をしたところ、吉岡禅寺洞の記事に「一千余年を隔てた二人の人物が、ひとしく文学者としてつながり」とあるが、虚子天智天皇を句に取り入れたのはそれだけが理由ではないだろう。

ウイキペディアの解説によると、「天智天皇」は「中大兄皇子」のことであり、「中大兄皇子は中臣鎌足らと謀り、皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺するクーデターを起こす(乙巳の変)。入鹿の父・蘇我蝦夷は翌日自害した。更にその翌日、皇極天皇の同母弟を即位させ(孝徳天皇)、自分は皇太子となり中心人物として様々な改革(大化の改新)を行なった。」とある。

    

大義のある改革をするためとはいえ、「暗殺」という非常手段に訴えることは「大悪」である。対立する側からは中大兄皇子は「大悪人」とののしられたであろう。

だから「天智天皇のことを大悪人」と言っても不思議ではない。「初空や」の句は「天の川」の句と併せ読むと、「大化の改新をした天智天皇が大悪人なら、俳句の革新・大衆化を進めている臣たる自分も大悪人である」と感じて、「天智天皇が臣虚子を初空で見守っている」と詠んだものであると解釈することもできるだろう。

虚子は俳句を大衆に広めるために「花鳥諷詠」と「客観写生」を唱え、「有季定型」は俳句の重要な要件であると説いている。しかし、虚子が作った「天の川」や「初空」の句は「定型」の5・7・5ではない。自分と対立する立場の人々から非難もされている。良かれと思ってしたことが傲岸ととられたり、悪い結果になったこともあるかもしれない。自分がしてきたことに対して何らかの罪悪感を持つこともあっただろう。

虚子は「天智天皇も自分もとか原罪などを同じように持って生まれた人間であり、1200年の時代の差は悠久の宇宙から見れば無きに等しい」と感じていたかもしれない。

         

このような解釈をすると、「一方で『天智天皇と(臣)虚子と』と言いながら、他方で『大悪人虚子』と言って俳句を作ったのも自然の成り行きと言える。このように考えると、「本との出会い(4)」で提起した疑問を解消することができる。

     

「天智天皇を大悪人と言うのはけしからん」とか、「虚子が天智天皇のことを大悪人などと言うはずがない。バカなことを言うのもいい加減にしろ。」と怒る人もいるだろう。

しかし、「選は創作なり」と虚子は言っている。俳句を「鑑賞」し「解釈」することも「創作」と言えないこともない。 

虚子は俳句で様々な表現を試みており、その解釈も読み人次第であることを認識していたのだから、「このような解釈も創作の一つだ」として認めてくれるのではなかろうか? 

    

俳句の楽しさ面白さ醍醐味は花鳥諷詠の句作のみならず鑑賞を通じて創作的解釈をすることにもある。次回も虚子の俳句について書きたい。

            

最短の詩型としての俳句が持つ本質的な限界と広がりの可能性の面白さを再認識して、このブログを書きました。

何らかのコメントを頂けると幸甚です。

 

俳句談義(2):虚子辞世句の新解釈

     

虚子が亡くなる二日前に詠んだ句「春の山(かばね)を埋めて空しかり」について、「これは辞世の句であり、『空しかり』は『むなしかり』ではなく『くうしかり』と読むべきではないか?」と、俳句談義(1)で新解釈を提唱したが、虚子の墓所鎌倉五山の第三位である「寿福寺」にあることを知り、なおさらその考えに確信を抱いている。「春の山」は単なる山を意味するのではなく、鎌倉五山や山寺に思いを馳せ、「」とは埋葬されるであろう自分も含めて諸々の死者を指しているのではないか? 

春風や闘志いだきて丘に立つ」や「去年今年貫く棒の如きもの」などの俳句を作り、俳句界に偉大な功績を遺した稀有の俳人が自分の死を予期して「むなしかり」と詠んだとは思われない。

子規は「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」と自分の死を達観してユーモラスに詠んでいるが、虚子は「とは真にこのことだ」と自分の死を達観して、「般若心経の『色即是空』とはこんなものだよ」と虚子の悟りの境地を詠んだものと愚考している。なお、碧梧桐の「君が絶筆」や 道得風光のブログを読むと、子規の掲句は「ユーモラス」という表現が当たらない悲壮な客観写生であることがわかる。

    

(浅学非才を顧みず愚考した新説をブログに記載させて頂きましたが、「俳句には読む人の考えやその心持によって如何様にでも解釈できる曖昧さや広がりがあり、解釈の一つである」と、お許し頂けるものと存じます。青色文字をクリックするとリンクしたサイトの関連の解説記事や写真をご覧になれます。是非ご覧下さい。)

  

俳句談義(1): 虚子辞世句の解釈    

虚子の辞世の句とも言われる「春の山(かばね)を埋めて空しかり」にある「空しかり」は単なる「むなしかり」ではない。虚子は「空然り(くうしかり)」ということを念頭においてこの句を詠んだのではないか?

    

この句について、小林恭二の「この俳句がスゴい!」(角川学芸出版)には次の記述がある。

「虚子の絶唱です。この句を詠んで二日後に亡くなりました。自分の死を予感してこの作品を詠んだという説もありますが、辞世の句といった気負いは感じられません。晩年の虚子の句は、膂力(りょりょく)的には衰えているのですが、それとはまた別種の古拙な味わいがあり、平安期の仏像を見るような趣があります。

「春の山屍を埋めて」はイメージ的にはどきりとさせられますが、さしたる実質があるとは思えない。どんな場所でも長い年月の間には遺体のひとつやふたつは埋められているはずであり、とりたてていうほどのことはない。

むしろ、この句の眼目は「空しかり」でしょう。二日後に死を迎える虚子の目にはすべてが空しく見えていたと思います。ちなみにこの空しさは、青年や敗者の感じる、惨めったらしい「虚しさ」ではありません。やるべきことはすべてやりとげた男のみが感じることができる清々とした空しさです。なんとなく素敵な境地のようにも思えますが、これだけはその齢になってみなければわからないことなのでしょうね。」        

上記の句評を読んだ時に、チュヌの主人は「掲句の屍とは誰の屍なのか?「むなしかり」とは誰が空しく思ったのか?」など、この句の下五を「むなしかり」と読んで釈然としなかったのですが、偶々数日前に「生きて死ぬ智慧」など「般若心経」に関する本を読んでいたので、ふと次のように思い付いたのです。

虚子は日頃から「般若心経」の「色即是空」を潜在意識にして「花鳥諷詠」を句にしていたに違いない。掲句の「空しかり」は「むなしかり」ではなく、「くうしかり(空然り)」と読むべきではないか?「屍」とは虚子の「屍」のことではないか?

虚子の句に「春惜しむ輪廻の月日窓にあり」がある。「『凡てのものの亡びて行く姿を見よう』私はそんな事を考へてぢっと我慢して其子供の死を待受けてゐたのである」と虚子は四女の死に際して記述しているが、「色即是空」を念頭においていたのではないか?          

因みに、坊城俊樹さんは「独り句の推敲をして遅き日を」を虚子の辞世の句としてもよいとしている(「高浜虚子の100句を読む」参照)。この淡々とした句は句仏17回忌(3月31日)に作られている。虚子の句には、「短夜や夢も現も同じこと」や「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」などもある。

辞世の句がどれかはともかく、虚子の命日釈迦の生誕日とされる「4月8日」に当たることも不思議な縁を感じる。

(安原晃氏の「花鳥諷詠のこころ」、深見けん二と白鳥元雄の対談名畑直日児の記事「明易や」参照)          

掲句について次のアカネの俳句談義で仲間の意見を聞こうと思っているが、このブログを読んだ方のお考え・コメントが頂けると嬉しいですね。    

(浅学非才を顧みず愚考した新説をブログに記載させて頂きましたが、「俳句には読む人の考えやその心持によって如何様にでも解釈できる曖昧さや広がりがあり、解釈の一つである」と、お許し頂けるものと存じます。青色文字をクリックするとリンクしたサイトの関連の解説記事や写真をご覧になれます。是非ご覧下さい。)

 

2015年6月 8日 (月)

石清水八幡宮と松花堂庭園の吟行(俳句と写真)

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京都の石清水八幡宮松花堂庭園を吟行した仲間の俳句と写真を披露します。

   

(写真:律子さん撮影)

写真はクリックすると拡大されます。 

(チュヌの主人のカメラは電池切れ)

   

青色文字をクリックすると解説記事がご覧になれます。

解説記事は「戻る」操作ができる場合は、「戻る」で閉じて下さい。「×」で閉じると全体が閉じられます。   

       

元気な仲間は男山の展望台まで行きました。

生憎の夏霞や竹藪などに邪魔をされ三川合流のスポットは見ることが出来ませんでした。 

松花堂庭園には亀甲竹四方竹など珍しい竹が色々ありました。

吉兆松花堂弁当で昼食を済ませて、すぐに句会をしました。

     

    

 (仲間の俳句)

(平成27年6月2日吟行、順不同)

    

江戸硝子に揺るる日の斑夏座敷   知子

・朝涼の吾が影揺らぐ江戸硝子     順子

竹皮を脱ぐ草庵の静けさに      美娜

万緑に映ゆ朱の社殿石清水      栄治

竹落葉乗せ親しげに鯉寄れり     文子

・ご神木に力瘤あり青葉風       寧伸

泳ぐあさざの黄色震はせて     眞知子

・生まれながらに亀甲模様今年竹    かず

エジソン碑の空に戦ぎし今年竹    美娜

篠の子のけなげに天を目指しをり   良子

三川の合流隠す今年竹        さとし

梔子の香を運びくる風白し      輝雄

水琴窟のゆかしき音色夏の園     律子

・まのあたりに巣立ち楠大樹    美津子(欠席投句)

       

俳句談義(14): 俳句の片言性と二面性(改訂版)

     

先日、「ゴルフコンペに参加しないか」と川柳仲間に問い合わせたところ、返信メールに次のような文言があった。

      

「ところで東京新聞で『平和の俳句』募集中。

投句したところ記者が選ぶ特集記事の中に選句された。下記  

    『焼け跡に金魚一匹生き残る』

今まで6-7千句の投句があったようです。金子兜太が選をして毎日1句記載される。記載されなかった句の中から、何人かの記者が数十句を選び編集して毎月1回特集している。」

     

「たいしたものではありません。ご放念ください。」とあったが、このブログで取り上げさせて頂くことにした。

   

<青色文字をクリックして解説記事・詳細をご覧下さい。

      

「焼け跡」まで読んだ一瞬、阪神淡路大震災のことかと思った。だが、「金魚夏の季語である。この句は、1945年7月4日未明に高知市が被災した大空襲のことを詠んだ句らしい。

友人の家は全焼し、屋外の水槽に金魚が一匹生きていた。そのことを思いだして詠んだとのことである。

高知の大空襲では120機のB-29が高知市上空に飛来し、死者401人、罹災家屋約12,000戸だった。大空襲といえば、1945年3月10日の東京大空襲であるが、罹災者が100万人を超え、死者は10万人を超えている。

坊城俊樹の空飛ぶ俳句教室」を見ると、三橋敏雄は昭和20年に「いっせいに柱の燃ゆる都かな」という句を作り、昭和57年に「戦争と畳の上の団扇かな」という句を作っている。

前の句では、三橋敏雄は大空襲の悲惨さを感じないかのように淡々と詠んでいる。だが、非情・冷淡なのではなく、大空襲の悲惨さは周知のことであり、「悲惨さ」の感情でなく「悲惨な事実」のみを詠むことを良しとしたのだろう。

後の句では、「戦争」と「畳の上の団扇」を並べ詠むことによって、「戦争のない幸せ」を表現したものと思う。

「団扇」は「日常的な平穏さ」を連想させる。「畳の上」は「畳の上で死ぬ」という言葉通りの「平穏な死」と「戦争による無惨な死」の対比を連想させる。

前の句は、無季俳句である。大空襲は自然現象・季節と無関係な人災であるから無季俳句にするのも当然だろう。

現代の俳人101」(金子兜太編)によると、三橋敏雄は「あやまちはくりかえします秋の暮」という句も作っている。文字通りの句意は明瞭だが、作者は何を言おうとしたのだろうか?

「歴史は繰り返す」とか「得てして同じような過ちを繰り返す」という人間の業をブラックユーモアにした警句だろうか?

戦争は一片の俳句や川柳でブラックユーモアにするにはあまりにも重いが、考える契機にしたいと思う。     

        

「戦後70年『平和の俳句』」というインターネット・サイトのトップに「蒸され濠(ごう)水一口に息絶えし」という俳句と句評が掲載されていた。

   

また、「埼玉新聞」のサイトに、「九条守れの俳句掲載拒否 俳人・金子兜太さん『文化的に貧しい』」という見出で、次のような記事があった(抜粋)。詳細はここをクリックしてご覧下さい。)

さいたま市大宮区の三橋公民館が発行する公民館だよりに、俳句「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の掲載を拒否した問題について、熊谷市在住の現代俳句を代表する俳人金子兜太さん(94)に聞いた。金子さんは「この社会に生きている人間を詠んだ当たり前の俳句を、お役人が拡大解釈した実に野暮(やぼ)で文化的に貧しい話」と語った。句は公民館だよりに掲載するため、公民館で活動しているサークルが選んだ。市側は「世論を二分されているテーマが詠まれている」などとして、掲載を拒否した。

   

この句は兜太さんが言うように「作者はデモには好意を持ったが、熱く共感したわけではない」のかもしれない。

「梅雨もうっとうしいが、デモも不愉快だ」と解釈出来ないこともない。

公民館だより」が上記の句を掲載しなかった背景・経緯の詳細は知らない。だが、「この句一句のみを掲載することの要請」が拒否されたということなら公民館関係者の配慮も理解できる。しかし、「複数の俳句を載せる場合にこの句の掲載のみ」が拒否されたのなら問題にすべきことかもしれない。

いずれにせよ、俳句は片言の域を出ず、読者の好き好きの解釈が出来るので、一句だけ載せることは読者の誤解を招くことにもなりかねないから一定の配慮が必要である。

だから、一般に新聞などで俳句の欄を設ける場合には選者を複数にするとか、交代にするとかの配慮をしている。

   

ちなみに、問題の対象になった句は「平和の俳句」として選者が毎日一句だけ選んでいる一つのようである。

この特集に関連して、東京新聞」のWEBサイトに「戦前の空気に抗って」というタイトルの金子兜太・いとうせいこう両氏の対談記事があった。     

    

俳句本来の話題に戻る。河東碧梧桐が亡くなったとき高浜虚子が詠んだ弔句「たとふれば独楽のはぢける如くなり」は有名な句であるが、片言といえないこともなく、虚子と碧梧桐の関係を知らなければ、文字通りの意味は分かるが、その背景にある句意は全く分からない。

竹馬の友とか「刎頸の友とかいう言葉があるが、虚子や碧梧桐のことを知って初めて「名句だな」と納得できる。

坊城俊樹さんの「高浜虚子の100句を読むを読むと、この句の背景などもよくわかる。    

     

赤い椿白い椿と落ちにけりという河東碧梧桐の有名な句がある。椿が好きだった虚子の命日は「椿寿忌」といわれ、この句は「門人達が虚子から去っていくことを比喩的に詠んだものでないか?」と、ふと思ったが、それは穿ち過ぎで全く関係がないことがわかった。

     

    

この句について、清水哲男氏は増殖する歳時記」において、次のように述べている(抜粋)。

「碧梧桐初期の代表作。教科書にも出てくる。が、厄介な句だ。碧梧桐の師匠だった正岡子規は、この句の椿を既に根元に落ちている状態だと見た。しかし、そうではなくて、映画のスローモーションのように、二つの椿が落ちつつある過程を詠んだと見る専門家も多い。

・・・(省略)・・・

あるいは、時代への川柳的な諷刺句かもしれぬ。後に自由律に転じた碧梧桐のことだから、そういうことも十分に考えられる。(以下省略)」

     

      

夜半亭のブログに碧梧桐の句「愕然として昼寝覚めたる一人かな」と虚子の句「昼寝する我と逆さに蝿叩」とを対比して、次のように面白いことを言っている(抜粋)。

      

「掲出の虚子の句、『昼寝する我と逆さに蝿叩』と何とも人を食ったような句であるが、この『蠅叩』を、碧梧桐に置き換えて見ると面白い。『昼寝をしようと決め込んだら、蠅叩きが逆さ向きで気にかかる。それは丁度反対の方に行こうとする碧梧桐のようで、昼寝どころでなくなった。俳句は少々休んで小説の方と思ったが、碧梧桐流の俳句のやり方には我慢できないので、その向きを変えようと、その蠅叩の向きを変えて、碧梧桐一派の蠅共も叩きつぶしてやる』というように詠めなくもない。

むろん、この句はそんなことは意図はしていないが、こと俳句に関しては、「新傾向俳句の革新派」碧梧桐に対して「伝統俳句守旧派」虚子という図式化にすると、何とも面白い詠みもあるのではないかということである。」

   

上記の俳句からでも分かるように、高浜虚子と河東碧梧桐と両俳人の人柄と句風の違いが面白い。     

     

「虚子は自分が日本文学報国会俳句部会長として戦争を賛美することなく花鳥諷詠の文学を堅持し、時代の流れに掉さすことも流されることもなく、文芸家・俳人としての良心貫いたのだと思う。」と俳句談義(5)」に書いたが、虚子は俳句の片言性を認識していたからこそ戦争俳句を良しとしなかったに違いない。俳句談義(4)で述べたように、俳句には滑稽句ともシリアスな句とも解釈できる二面性のあるものが多い。

俳句は句材について考えるきっかけを作ることは出来ても、何か思想的な内容を表現するには片言過ぎる。イデオロギーや政治的な主張など内容の深いものは散文で明確に表現するのが望ましい。

       

次回は「昭和の日」(4月29日)に因んだ俳句談義を書きたい。