「旗日」は死語か? 「建国記念の日」の俳句を読んで思うこと
某俳句会で次の俳句が投句され、様々な意見が出て俳句談義が盛り上がりました。
・旗日とふ日本語ありき建国日
作者は「旗日」は死語になっていると考えてこの俳句を作っています。
「旗日」は現在も使われているという某氏からは、
「『旗日とふ佳き日本語や建国日』に修正した方が良いのではないか」
との提案がありました。
しかし、作者は提案された修正案は気に入らないようでした。「旗日」という用語が死語になったかどうか、認識の違いもありますが、俳句は好き好きですね。
ちなみに、「とふ」とは「問う」という意味の旧仮名使いの場合もありますが、上記の俳句の場合は、「という」の古語です。
「河豚を福てふ故郷へ子と孫と」という投句もありました。この「てふ」の用法についても質問が出ましたが、この「てふ」は「という」意味で「とふ」よりもよく用いられる古語です。この句は「河豚を福と呼称している故郷へ子と孫と訪ねた」ことを詠んだものでしょう。「河豚を福てふ」という語句、すなわち、「河豚を福という」意味の語句全体が「故郷」を修飾していると理解すべきでしょう。なお、「河豚」(ふぐ)は冬の季語です。
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インターネットの歳時記には、「建国記念の日」の俳句は130句あります。
「懐妊の会見をせり建国日」(竹内弘子)が冒頭にありますが、この句は作者ご自身のことを詠んだのでしょうか?「をせり」という表現の妥当性に疑問を感じます。
「建国記念の日」は戦前は「紀元節」と言っていました。
「紀元節」の俳句は、正岡子規の「梅正に綻びそむる紀元節」など30句掲載されています。
「旗日」が死語かどうかといえば、池田澄子さんの俳句「旗日とやわが家に旗も父もなし」(増殖する俳句歳時記)の清水哲男氏の句評には「もはや死語の感のある旗日」とあります。「旗日」という言葉は死語になっていなくても「老人語」とみなされるでしょう。祭日に国旗を掲げる家は戦後めったに見かけなくなりました。
2月11日を建国記念日とすることは歴史的事実としての根拠がなく古事記などの神話に基づいていることを認識して、日本の歴史や未来に思いをはせ、日本の平和を守る努力をすることが大切でしょう。
人々が「究極のLOVE」(Ultimate LOVE)を実践し、平和憲法の堅持により日章旗が平和国家日本のシンボルとして内外の人々に広く受け入れられる日が来ることを祈っています。
「俳句の面白さ・奥の深さ」が分かります。
芭蕉・子規・虚子の俳句、「まんぽ写真俳句」などを楽しもう!(WEB特集)
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2020/09/web-1bc9.html
をご一読下さい。
(薫風士)
投稿: | 2020年9月16日 (水) 20時47分