文化・芸術 Feed

2019年7月 6日 (土)

芭蕉の俳句・HAIKU of Bashō:「木下闇」(30/300)

  

須磨寺やふかぬ笛きく木下やみ

  (sumadera-ya fukanu-fue-kiku koshitayami)

  

(A)

in sumadera

i heard the unblown flute sing

in the trees’ deep shade

  

(B)

Suma temple_

hearing the unblown fife,

in the dark of trees’ shade

  

(A) 575訳、(B)はLovee訳です。

切れ字の「や」は(A) には訳出されていませんが、(B) では句読点「_」で表しています。固有名詞はhaikuでも「Suma」のようにを大文字にする方が句意がわかりやすいでしょう。

A)のように主語の「I」を小文字にするのは賛成しかねますし、原句に無い「我・吾・われ」を「翻訳haiku」で「I」として補充するのは無用です。(A) は、「in ---i---in」と韻を考慮したのかもしれませんが、句意が誤解される恐れが無い限り、前置詞は補充しない方が良いでしょう。俳句は省略の文学であり、その解釈を読者に委ねることが面白さの一面です。

いずれにしろ、須磨寺の逸話(平敦盛のこと)を知らない限りこの俳句の良さは理解されないでしょうが、英語俳句の作成や翻訳の参考になれば幸いです。

ちなみに、「木下闇」は夏の季語です。

 

(注)青色文字(冒頭の「須磨寺や・・・」など)をクリックすると、解説記事(「笈の小文」など)をご覧になれます。

なお、次回からはLovee訳のみを掲載し、折に触れて他の翻訳を参考に掲載させて頂きます。  

  

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事のタイトルが表示され、この「俳句HAIKU」をタップすると最新の全ての記事のタイトルが表示されます。

タイトルをタップしてその記事をご覧頂ければ幸いです。

   

 

  

  

2019年6月 7日 (金)

芭蕉300句:言葉の壁を破る英訳チャレンジ (1)

         

 (Click here to see "the English version by L. P. Lovee".)

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先日、「575 The haiku of Basho」の著者John Whiteが共著者の佐藤平顕明氏と来日され、芭蕉の俳句の英訳について議論する機会を得ました。

ホワイト氏は俳句の原則5-7-5音を尊重して英訳を5-7-5 音節(syllable)のhaikuとし、芭蕉が字余りで詠んだ俳句はそれに従って音節を増やすという徹底ぶりで、300句を英訳しています。その労作には驚嘆しました。

ホワイト氏は日本語を理解できないので、佐藤氏の解説を基にして英訳されたそうで、両氏のご努力には敬意を惜しみません。しかし、俳句の本質は5-7-5音の簡潔な詩的表現をすることにあり、日本語と英語の構文や発音などの違いを無視して形式的に音節に拘ることには賛成しかねます。動詞や前置詞・副詞などを使用して音節を増やすと散文的になり、俳句の特徴である「詩的短さ」が損なわれると主張しましたが、ホワイト氏は英語の詩として十分簡潔なhaikuに翻訳していると反論され、議論は平行線に終わりました。

ホワイト氏には94歳のご高齢にもかかわらず翌日の帰国を控えたお忙しい時間を割いて頂いたので議論の矛を収めましたが、言葉の壁を破り俳句の翻訳をすることの難しさの一例として、ご参考までに下記のとおり紹介させて頂きます。

 

・ほろほろと山吹ちるか瀧の音 (芭蕉

 

yellow rose petals

gently, gently flutter down;

waterfall thunder

 

ホワイト氏は、芭蕉が山吹を見て詠んだものとしてこの翻訳をしたとのことで、「滝音の響きと山吹が静かに散る対比が面白い」と感想を述べていました。

この解釈は、疑問を表す助詞「か」を見落としていますが、日本の著名な俳人も文法に気をとめず直感的に句意を解釈する傾向があるので是認すべきかもしれません。この俳句は滝の音を聞きながら、「滝の轟音の響きで山吹が散るのではないか?」と滝音の大きさを詠嘆して詠んだものでしょう。 

そこで、次のとおり試訳してみました。

  

shall yellow rose petals

flutter down?

the thunder of water fall

   

ホワイト氏の翻訳は9語17音節ですが、上記試訳は11語16音節です。語数が増えても「滝の音」を強調するために敢えて「the thunder of waterfall」としました。

英詩のHAIKUとしては試訳よりホワイト氏の翻訳の方が詩的映像が鮮明になり優れていると思いますが、原句の句意を無視することはできません。試訳は1~2行の改行を活かし、間をおいて読むと俳句らしくなります。

芭蕉は「滝と山吹」の従来の取り合わせの焦点を音に当てることにより新鮮味を出し、映像は読者の想像に委ねたものと思います。

ホワイト氏はロンドンの名門大学UCLの教授だったとのことですが、まだまだお元気です。「来年も生きていたら来日し、俳句と仏教について講演するつもりだ」と仰ってました。

芭蕉の俳句を気の向くままに英訳して言葉の壁を破るチャレンジをし、来年もホワイト氏と議論できることを願っています。

 

今後の英訳は折に触れてfacebookにも掲載します。俳句の翻訳に関心のある読者の皆さんからコメントを頂き、「俳句とhaiku」鑑賞の楽しさをシェアして頂けると望外の喜びです。

   

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2019年5月17日 (金)

俳句の深読み: 田ステ女俳句ラリーに参加して

   

故郷を「まんぽ俳句」で元気に、未来に繋ごう! 

 

(2024.1.20 更新)

最近、生成AI(せいせいエイアイ)ChatGpt を利用した俳句自動作成アプリAI一茶くん」等がありますが、俳句は人が詠んでこそ意味があり、価値があると思います。

AI (エイアイ) には感情が無くて愛が有りませんが、人間には感性があり、愛があります。

俳句に感性を込めて自然や人の営みを詠むのが花鳥諷詠でしょう

  

AI (エイアイ) に勝る俳句や初戎

AI (エイアイ) に勝る投句を母の日ぞ

          (薫風士)   

上記俳句の助詞「や」と「を」の違いによる句意・ニュアンスの違いを考えて頂ければ幸いです。

   

(2019.5.17 の記事)

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2018年(令和元年)512日(母の日)に丹波市柏原町で開催された丹波市俳句協会主催の第23田ステ女俳句ラリーに参加し、5句投句したところ、次の一句が入選して「丹波悠遊の森 賞」を頂きました。 

   

  

風薫る我が青春の木の根橋

   

選者は宇田喜代子木割大雄坪内稔典山田佳乃の4氏でした。

     

(青色文字をクリックするとリンクされた解説記事などをご覧になれます。)

  

記念講演は小林孔氏の「ステ女の名句、深読み」でした。詳細は実行委員会が何れ報告されるでしょうから差し控えますが、「春をうるは実にめでたいよ若えびす」などステ女の俳句にも掛詞の面白さがあることが紹介されました。

筆者のブログ「俳句鑑賞《蕪村の俳句『薫風や』は面白い》において、「薫風やともしたてかねついつくしま」という蕪村の俳句は少なくとも4通りの解釈が可能であると書きましたが、同じ様にステ女の俳句の深読みをする先生がいることを知り、興味深く拝聴しました。

   

ちなみに、正岡子規は「ふたぬいて月のかけくむ新酒哉」という俳句を作っています。「月のかけ」は「酒樽の蓋が月の欠けたように開いたこと」を詠んだのでしょうが、「欠けた月が映っている酒樽から酌んだこと」を詠んだものかもしれません。

 

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2019年3月31日 (日)

「春の水・春水」の俳句

      

一つ根に離れ浮く葉や春の水

  

「春の水」の俳句といえば、高浜虚子の掲句が浮かびます。

この句を「自然の摂理を詠んだ比喩」と解釈して「俳句の創作的解釈というブログを2年前に書きましたが、「俳諧」から生まれた「俳句」と「川柳」にも当てはまります。

  

さらに、高浜虚子の曾孫に当たる稲畑廣太郎(「ホトトギス」の主宰)と坊城俊樹(「花鳥」の主宰)の両氏の句風にも当てはまるでしょう。

両氏のブログ「主宰奔走や「花鳥・近詠をご覧下さい。 

     

P.S. 2022.3.12

唐突ですが、ウクライナ紛争について「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、緊急提言のブログ記事を書きました。

青色文字をクリック(タップ)して、血に染むなドニエプルてふ春の川春一番この発言はおぞましきをご覧下さい。

    

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写真は兵庫県立有馬富士公園福島大池です

    

あちこちに鴨が泳ぎ、亀が十数匹も杭の上などで甲羅を干していました。

   

     

   

   

   

高浜虚子の言葉「深は新なり」を思い出してブログ俳句を詠みましたが、「一つ根」の俳句は人類や既存の宗教にも当てはまります。

  

ここをクリック(タップ)して、「宗教と科学の対立と融合」をご一読頂けると幸いです

   

春水や深は新なり句に遊ぶ           

有馬富士映し豊や春の水          (薫風士)   

      

歳時記(俳誌のサロン)から「春の水」の俳句を抜粋・掲載させて頂きます。

例句の詳細は青色文字の季語をクリックしてご覧下さい。

  

春の水1

平野郷環濠巡る春の水 

         (井上輝男)

   

春の水2

比叡より奔り下りて春の水 

         (上野昌子)

  

春の水3

堰越ゆる小枝逆巻く春の水 

         (山田六甲)

  

春水

春水を蹴つて翔ぶもの泳ぐもの 

       (稲畑廣太郎)

    

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2019年2月24日 (日)

虚子と兜太 《伝統と革新》

       

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2月20日は「鳴雪忌」ですが、金子兜太の一周忌です。

2月22日は高浜虚子の生誕の日です。

  

「虚子」といえば「客観写生」、「兜太」といえば「平和の俳句」、両者には「伝統」と「革新」の違いがありますが、「戦前」と「戦後」、「時代の流れに沿って、それぞれがの信念に基づき俳句界を盛り上げたのだろう」と理解しています。

  

この池の生々流転蝌蚪の紐

      (高浜虚子)

  

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金子兜太の師系は、水原秋櫻子に師事した加藤楸邨人間探求派です。

  

  

秋櫻子は虚子に師事しましたが、「客観写生」の理念に飽き足らず離反し、そのことが新興俳句運動の契機になりました。

    

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(写真)

「酒やめようか どの本能と 遊ぼうか」からの抜粋ページ。

タップ拡大して、記事をご覧下さい。

青色文字をクリックすると俳句の解説などリンク記事をご覧になれます。

   

高浜虚子の例句)

春風や闘志抱きて丘に佇つ   

(注)1913年河東碧梧桐自由律俳句)への対抗表明の句です。

      

遠山に日の当りたる枯野かな(客観写生)

    

去年今年貫く棒の如きもの 棒とは何か

    

時ものを解決するや春を待つ 1914年

   

大寒の埃のごとく人死ぬる 1941年(昭和16年

   

春の山屍を埋めて空しかり 1959年 辞世句)

(注)「空しかり」とは「空然り」とも解釈できます。

            

金子兜太の例句)

水脈の果 炎天の墓碑を 置きて去る (1955年)

   

彎曲し 火傷し 爆心地のマラソン (1961年)

    

梅咲いて庭中に青鮫が来ている (1978年)

   

夏の山国母いてわれを与太と言う (1985年?)

   

長寿の母うんこのように我を産みぬ 2004年

   

河より掛け声 さすらいの終る その日 2018年

 (注)「河より掛け声」は実際のことでしょうが、「三途川」を意識した辞世句でしょうか?

   

「虚子嫌い」や「兜太嫌い」もいますが、どちらにも熱烈な支持者がいます。

俳句に限らず、何事も好き好きですが、平和憲法を維持して多様性の社会をエンジョイしましょう。   

高浜虚子は「自由にものを言えない世界大戦の時代」を「客観写生の俳句」に徹することにより生き延びましたが、平和を希求していたに違いありません

金子兜太は「戦後の自由にものが言える時代」の平和の俳句を謳歌して大往生しました。

 

両先達のご冥福と世界平和を祈ります

  

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2019年1月20日 (日)

俳句を楽しもう! 「寒」「冬晴れ」の俳句

   

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鴉鳴く庭に出ればヒヨ飛びぬ 

     

寒の鳥青に煌めく機影かな 

   

寒の青機影煌めき行き交ひぬ

  

掲句はふと口ずさんだ即興句をこのブログ用に推敲したものです。朝食後「寒」の俳句のブログを書こうとしていたところ、鴉が鳴くので「寒烏」の句材になるかと思って庭に出ました。鴉は声のみで姿は無く、ヒヨが黐の木から飛び立ちました。冬晴の空を見上げていると微かな音の飛行機が2機小さく煌めき行き交いました。

  

今日は平成最後の「成人の日」です。

若者には「初心を忘れずそれぞれが自分を活かすべく頑張ってほしい」と期待していますが、為政者には与野党対立一点張りでなく足らざるを補完し合い「未来を背負う若者が希望を持って飛び立てる政治」を推進してほしものです。

 

働き方改革」が検討されています。現役の人々が俳句を作ってみる気になれるような労働環境・働き方改革にしてほしいものです。

老いの身は俳句を楽しみながら健康維持に努め、四月に発表される新元号も平和国家を象徴する年号となり世界平和が維持されることを祈るばかりです。

      

歳時記(俳誌のサロン)から気の向くままに「寒」の俳句を抜粋・掲載させて頂きます。

(詳細は青色文字をクリックしてご覧下さい。)

   

(1)

さはぐ鳥羽の田面や寒の雨

         (松尾芭蕉 

 

(寒2)

寒晴や転居先にも富士見坂 

         (高木嘉久)

    

(寒3)

寒日和見上ぐる程の子と歩く 

      (小野田敏子)

  

(寒4)

寒の夜の風呂が沸いたと電子音 

         (北島上巳) 

 

(寒5)

浅草に老いて芸なす寒の猿 

          (有働亨

  

(寒6)

寒三日生きる証の雨戸繰る 

        (森山のりこ) 

  

(寒7)

鎮魂の竹灯籠や寒の朝 

         (西垣順子) 

  

(寒8)

スカイツリーその寒影の長きかな 

        (小林美登里) 

    

(寒9)

入るにも出るにも気合寒の風呂

         (府川昭子)

   

(10)

寒晴れや木の香の満つる木工所  

           (城戸緑) 

  

(11)

点滴を引きずつて行く寒厠 

         (吉田耕人)

    

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2019年1月13日 (日)

俳句の国際化 《嵐雪の辞世句について》

   

(P.S. 2022.12.2)

HIA 「国際俳句交流協会」の名称が「国際俳句協会」に変更されました。

   

   

(2019.1.13の記事)

   

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芭蕉の高弟である服部嵐雪の辞世句とされる下記俳句のドイツ語訳について不審に思ったドイツの「俳句メル友」から、新年早々に、この俳句の解釈について問い合わせのメールを受信しました。

      

  

・一葉散る咄ひとはちる風の上

    

この俳句のドイツ語訳は次のとおり英訳してありました。

  

A single leaf falling
sheer lunacy!

A single leaf drifting away with the wind

  

 

そして、句友の英訳は次のとおりドイツ人らしい合理的な翻訳です。

     

Loosen from the tree
the helpless leaf
is drifting away on snowflakes

   

 

sheer lunacy」は「愚行」とか「まったく馬鹿げたこと」と言うような意味です。研究社大英和辞典

 

「咄」は「叱る声」や「事の意外さに驚き怪しむ声」です。(広辞苑参照)

  

そこで、「」は座禅に使われる「」と同じような一種の擬音であること、この俳句の「葉」は「人間」の比喩と捉えるのが良いと思う旨説明し、次のとおり筆者独自の大胆な意訳を連絡したところ、「amazing!」と感嘆した旨の返信が来ました。

   

 

man dies as a leaf falls_

Basho has passed away,

now, me too.

   

  

因みに、R. H. Blyth 氏は A History of Haiku (Volume One) において、「この辞世句は美しいが、何か nerveless である」と付記して、次のように文字どおり英訳しています。

  

A leaf falls,

Totsu! Another leaf falls,

Carried by the wind.

  

nerveless」は研究社大英和辞典によると「弱弱しい」とか「冷静な」という意味ですが、Blyth はどちらの意味を指しているのでしょうか?

   

  

Stephen Addiss 氏は The Art of Haiku において、「『咄』は禅の叫び声である」と付記して、次のとおり英訳しています。

  

a leaf falls

Totsu! a leaf falls_

riding the wind

  

上記2氏の英訳は「風に運ばれる」とか「風に乗る」と英訳していますが、嵐雪は「風の上」と表現して「昇天」を暗示したのではないでしょうか?

さらに、「咄」と擬音で注意を喚起して、「ひとはちる」と「ひらがな」を用いて「人は散る」と読ませることを意図していたのではないでしょうか?

  

穿ちすぎでしょうが、高浜虚子は嵐雪の辞世句が潜在意識にあって「春の山屍を埋めて空しかり」に同じように「ひらがな」を用いる手法を使ったのかもしれません。

  

英語は論理的な言葉ですから日本語ほど連想を伴いません。比喩的な俳句は文字通りの英訳と意図された比喩の意訳を併用すると日本語の原句にある暗喩のニュアンスが理解されやすいと思っています。

   

国際俳句交流協会HP掲載の「高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!」をご覧下さい。

  

俳句の翻訳に興味があれば、「俳聖の偉蹟を尋ね秋の伊賀(俳句と写真)」や俳句の国際化 <言葉の壁を破るチャレンジ>」をご覧下さい。

  

   

(青色の文字をタップするとリンクされた記事をご覧になれます。)

  

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2019年1月 7日 (月)

《七草・七種・七種粥・七日粥》

 

 (2024.1.7 更新) 

「七日粥」(なぬかがゆ)は「なのかがゆ」とも読みますが、旧暦の正月7日「辰の刻」(午前8時頃)に食べる風習があったようです。

ここをクリック(タップ)して、ウイキペディアの面白い「七草がゆ」の解説をご覧下さい

  

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(写真)
「俳句HAIKU」のアクセス
累計  

 2023年1月8日13時30分現在 872,439件 

   

(2019.1.7の記事)

七草粥食み負けるまじオミクロン

年越やオミクロン株蔓延りて(医療の在り方)」をご一読下さい。

   

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歳時記(俳誌のサロン) から気の向くままに抜粋・掲載させて頂きます。

青色文字をタップすると例句やリンク記事をご覧になれます。

      

七草やまこと飢ゑたる日の記憶 

        (諏訪悠生子

  

七種を祝ふ一人の膳につく 

         (稲畑汀子

  

七種粥一日遅らせ子等を待つ 

         (清水かつ)

  

七草やあまれどたらぬものも有り 

         (千代女

  

七種の総ての揃ふ村に住む 

       (水谷文謝子)

   

チュヌの主人(L.P. Lovee)の七日粥の俳句を最後に掲載します。

家族とて犬も一椀七日粥

       (薫風士)

   

チュヌは平成最後(2018年)の1016日に天寿を全うしました。

ここをタップして「チュヌの追悼句」をご覧下さい

   

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2018年12月21日 (金)

俳句雑感(2)俳句と川柳: 根本的な違いは何か?

      

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俳句と川柳はどちらも諧謔・滑稽味のある俳諧連歌から発展した文芸であり、俳句は「発句」から発展し、川柳は「付句」から発展しました。

  

「にもかかわらず、ユネスコ無形文化世界遺産登録への運動が俳句界のみなのは何故か?」

  

その理由について最近ふと思い当たりました。

  

(青色文字をクリックするとリンクされた関連の記事がご覧になれます)

   

俳句の面白さは人事を含む花鳥諷詠にあり、

諧謔・滑稽は川柳における風刺ほど強いものではありません。

 

川柳では人間の様々なありようを風刺して、

その面白さを強く表現します。

  

弱い立場のものが強い立場のものを風刺しすれば、

「憂さ晴らし」になります。

  

その逆をすると、

「風刺」は「いじめ」になります。

 

度の過ぎた風刺は風刺された者の不興を買い、

予期せぬ争いの原因にもなるでしょう。

  

しかし、「」と「節度」を尊重する日本の川柳は、

テロ事件の要因になった風刺漫画の轍は踏まないでしょう

  

最近は「詩性川柳」という呼称の川柳もあるようですが、  

「川柳」という呼称に何故固執するのでしょうか?

伝統俳句」が「季語」を重要な要素としているからでしょうか?

現代俳句には無季の句もあります。

「季語」にあまり拘る必要は無いでしょう。

  

日本は幸い四季のある自然と平和に恵まれていますが、

地域によって季節の変動の仕方が異なり、災害もあります。  

世界には、四季が無く過酷な自然と戦争に苦しんでいる国もあります。

    

俳句界のみが世界遺産登録の運動を推進するのは片手落ちだと思いますが、川柳界には川柳を俳句と共に世界遺産に登録しようという考えはないのでしょうか?

 

俳句界と川柳界が協調して、「俳諧世界遺産運動」とか「俳川世界遺産運動」とか、何か適切な呼称で登録運動を推進すれば、もっと運動が盛り上がるのではないでしょうか?

そうは言っても、世界的には俳諧の発句のような無季俳句もHAIKUで通用しています。

 

「季語」は日本語としてこそ意味がありますが、外国語に当て嵌めることは出来ませんので、国際的に認知された世界最短詩HAIKUを俳句として受け入れざるをえないでしょう。

  

「俳句と川柳は室町時代の俳諧から発展して世界の人々に現在も愛されている世界一短い短詩HAIKUである」と主張して運動を推進する方が、世界無形文化遺産としてユネスコの認定を得やすいのではないでしょうか?

  

この考えに俳句愛好者と川柳愛好者が共に賛同してくれると、

世界平和と世界遺産登録の「草の根運動の一助」になればとの思いでブログを書いている筆者として望外の喜びです。

  

高浜虚子は「俳諧に老いて好もし蕪汁」という俳句を詠んでいます。

  

拙句を最後に掲載させて頂きます。

  

去年今年世界遺産の夢を句に

初夢や世界遺産の句に興じ

川柳も俳句も同じ俳諧よ

果てしなき夢を追いつつ去年今年

去年今年八十路の夢を茶寿までも

     

皆さんは、上記の句を「俳句」と「川柳」のどちらに捉えますか?   

  

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2018年8月30日 (木)

ポーランドの旅(写真と俳句 講演のことなど)

   

祈りつつアウシュビッツの夏の野を 

   

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掲句はチュヌの主人(薫風士)が俳句講演のためにアウシュビッツを詠んだ俳句です。

   

   

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(写真はクリックすると拡大します。青色文字をクリックするとリンクした解説記事などをご覧になれます。)

   

   

講演はポーランドの「ルブリン県」の温泉町で開催された音楽祭の機会に行いました。

  

   

・晴れ渡る温泉町や白鳥来

・白鳥来平和の国を永久(とこしえ)に 

   
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講演のタイトルは「Let's enjoy haiku!」で、「World piece through haiku」をサブタイトルにし、ファン・ロンパイ前EU大統領(日本EU俳句交流友好大使)と写したツーショットを掲載させて戴くなど、工夫を凝らし好評でした。

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・晴れ渡るアウシュビッツや青葉風

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・貨車一つ鉄路の遺跡夏草に

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・青嵐ホロコーストの灰の池

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・青嵐アウシュビッツの呻き声

   

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アウシュビッツ見学の当日は好天気で平和なポーランドを象徴しているように思いましたが、時々耳に唸るように強い風が吹き、「ナチス犠牲者の霊の呻き声」ではないかなどと感じました。

  

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クラクフや古都を見下ろす塔涼し

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・聖堂の時報のラッパ夏の空

  

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・新装のショパン生家や青葉風

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庭涼しショパン生家のピアノ曲

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・聖堂に響くオルガン夏の宵 

  

・コンサートホールを出でし園白夜

   

400年前のパイプオルガンのコンサートがカジミエシュ・ドルニーの教会の聖堂で開かれ、たまたま聴く機会がありました。

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ショパンの生家ではショパンコンクールに入賞したピアニストがショパンのポロネーズなどを演奏しました。

  

ちなみに、この俳句の講演をした音楽祭ではイタリアなどから来たピアニストなどが演奏しましたが、日本からは片山柊氏(2017年第41回ピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリ、併せて聴衆賞、文部科学大臣賞、スタインウェイ賞受賞)が「エチュード〜書、俳句、一つの線」(細川俊夫作曲)という興味ある曲などを演奏しました。

   

俳句でも音楽と同様に国際交流がもっと促進されることを願っていますが、俳句による人との出会いや音楽との出会いに不思議な縁を感じました。

   

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2018年7月31日 (火)

俳句をユネスコ世界無形文化遺産へ (草の根運動)

     
(2024.4.28 更新)
 
 
      
農林水産省HPの記事によると、「和食」は、「自然を尊ぶ」という日本人の気質に基づいた「食」に関する「習わし」を、「和食;日本人の伝統的な食文化」と題して、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。
 
「俳句」も、世界的に広がってきている「和食」などと同様に、「自然を尊ぶ」という日本人の気質に基づいた「自然とのかかわりのある習わしや行事、生活」などを詠む「世界最短の詩・文芸」として、世界遺産に登録されてもよさそうに思います。
 
俳句は和食と異なり、言葉の壁がありますので、日本語としての本来の俳諧・俳句その物ではなくても、「HAIKU」として国際的に広がってきている現存の世界的文化として、ユネスコ無形文化遺産に登録され、俳句・HAIKUを通じて世界平和が実現する日の来ることを祈っています。
  

「HAIKU」という言葉は国際的に認知されていますから、俳句界(結社)と川柳界(結社)が共に協力して、俳句を本来の俳諧の精神に則って世界に共有される「HAIKU」としてユネスコ無形文化遺産に登録すべく運動を推進すると、「HAIKU」の世界遺産登録への道が開かれるのではないでしょうか?

そして、恒久的世界平和実現への道が開かれるのではないでしょうか

  

そういう思いで、チュヌの主人・薫風士はブログに俳句の翻訳や「俳句・HAIKU by L. P. Lovee」などを書いています。 

  
ちなみに、「国際俳句交流協会」は、名称を「国際俳句協会」に変更して、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会の事務局としての任務を遂行することになったようです。   
  
(2018.7.31)

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2017年1月16日に「日EU俳句交流大使ファンロンパイEU大統領を囲む夕食会に参加しました。

  

この夕食会はファンロンパイ氏のアジアコスモポリタン賞受賞の祝賀と俳句愛好家の交流のために開催されたものですが、俳句愛好家の集まりなので正岡子規の号「獺祭書屋」に因んで乾杯の酒に「獺祭の発泡にごり酒スパークリング」があり、ファンロンパイ氏が挨拶で俳句の世界遺産登録への運動に協力すると賛意を表明され、大いに盛り上がりました。

(写真はファンロンパイ氏とチュヌの主人のツーショットです。

       

ここをクリック(タップ)して、ロンパイ氏の文化賞受賞記念講演「今日のグローバル化し緊迫した世界情勢下での俳句の役割」をご一読下さい。

  

2017年4月に俳句の登録を目指す推進協議会が発足し、「俳句のユネスコ登録をめざす」活動が推進されています。

その草の根運動の一助にでもなればとの思いから、「高浜虚子の100句を読む」(坊城俊樹著)の掲句を第1回から最終回まで随時HAIKU(英語俳句)に翻訳してブログ「チュヌの便り」に掲載していましたが、それに虚子の辞世句の新解釈などを補足・編集して「高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!」というタイトルで国際俳句交流協会(HIA) のホームページに掲載して頂きました。

  

俳句は音楽やスポーツなどと異なり、その国の文化や言葉を理解している人々でないかぎり外国人にはよく理解出来ないでしょう。

俳句の面白さを理解し、俳句に興味を持つ人々が少しでも増えることを願いつつ、俳句の英訳や英語俳句の和訳にチャレンジして、及ばずながら俳句の国際交流に努めたいと思っています

   

ファン・ロンパイ氏のスピーチの記事がHIAのホームページにあり、同氏の即興句の翻訳: 「雪の奈良 美は良し悪しを 隠しけり」 が掲載されていました。

「隠しけり」 という表現は、政治・官僚組織や企業の隠蔽(いんぺい)体質が問題になっていることでもあり、腑に落ちなかったので英語の原句を見ると、下記の通りです。

  

Nara in the snow

Beauty is falling down

It covers right and wrong

   

そこで、次の通り和訳してみました。 

   

降り来る美 正誤を包む 雪の奈良」

   

 ファン・ロンパイさんは、「私たちは世界の調和を夢見ています。自然の美しさや自分を取り巻く様々なものが、シンフォニーを奏でるように美しく調和することを夢見ています。そして、調和を夢見ることは、差別や偏見などのマイナスな感情の解毒剤になるのです。」 と述べています。

ファン・ロンパイさんは、立場の違いなどによって正誤の価値観が異なるということを認識して、この俳句を詠まれたのだろうと拝察しています。

         

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2018年6月27日 (水)

Let's enjoy haiku!

    

History of “Haiku” (「俳句」の歴史)

  

The origin of Haiku is Hokku (発句). Hokku is the opening stanza of renga (連歌).  “Renga” means collaborative linked poetry

By the time of Matsuo Bashō (松尾芭蕉 1644–1694), the hokku appeared as an independent poem.  In the late 19th century, the standalone hokku was renamed “haiku” by Masaoka Shiki (正岡子規 1867–1902).

The term ”haiku” is now generally applied retrospectively to all hokku, irrespective of when they were written.

     

Three distinguished haiku-poets of Edo Period

  

(A) Matsuo Bashō (松尾芭蕉 1644–1694)

Basho was the most famous renga poet of the Edo period; today, after centuries of commentary, he is recognized as the greatest master of haiku.   

Matsuo Bashō's poetry is internationally renowned; and, in Japan, many of his poems are reproduced on monuments and traditional sites.  

   

(B) Yosa Buson (与謝蕪村 1716–1783)

Buson is recognized as one of the greatest masters of haiga (an art form where painting is combined with haiku). His affection for painting can be seen in the painterly style of his haiku. 

   

(C) Kobayashi Issa (小林一茶 1763–1827)

Issa composed very individualistic and humanistic haiku. His miserable childhood, poverty, sad life, and devotion to the Pure Land sect of Buddhism (浄土真宗) are evident in his haiku.  

        

Dishtinguised Haiku-poets after Edo Period 

   

Masaoka Shiki  (正岡子規 1867–1902)

Shiki was strongly influenced by Western culture, as generally in the case of the Japanese intellectual world at that time.  He was rather critical of Basho, and he favored the painterly style of Buson and particularly the European concept of plein-air painting, which he adapted to create a style of haiku as a kind of nature sketch in words, an approach called shasei (写生, "sketching from life").

Shiki discarded the term "hokku" and proposed the term “haiku”.  Since then, "haiku" has been the term usually applied in both Japanese and English, irrespective of the date of haiku composition.  

    

Takahama Kyoshi  (高浜虚子1874 –1959)

In 1898, Kyoshi came to manage the haiku magazine Hototogisu, which had been previously edited by Shiki.  In Hototogisu, he kept on with the traditional style of haiku, as opposed to the new trend developed by Kawahigashi Hekigodo.

Kyoshi attached importance to the traditional pattern of 17 syllables and the function of kigo (season word), and he tried to exclude the more modern trend towards season-less haiku. 

      

Haiku of distinguished haiku-poets of Edo Period

   

Matsuo Bashō  (松尾芭蕉 1644–1694)

  

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

(shizukesa-ya iwani-shimiiru semi-no-koe)

 

(Tnslation by Stephen Addiss, The Art of Haiku)

silence_
penetrating the rocks,
cicada voices


(Translated by Satoshi Kinoshita)  
what a stillness!
cicada voices,
seeping into the crag  

  

(Note)

 “しみいる” is equivalent to “seeping”, rather than “penetrating”. 

   

やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声

(yagate-shinu keshiki-wa-miezu semi-no-koe)  

Depending on the Chinese characters which you apply to “けしき”, you may interpret this haiku into two different meanings as translated by Satoshi:

  

(景色)

the voice of a cicada_

I cannot see the scenary,

soon I will die

  

(気色)

the voices of a cicada_

the cicada does not sound

to die soon

   

Yosa Buson  (与謝蕪村 1716–1783)

  

しら梅に 明る夜ばかりと なりにけり

(shiraumeni akuruyobakarito narinikeri)

 

 (Translated by Stephen Addiss)

among white plum blossoms

what remain is the night

about to break into dawn

   

 (Translated by S. Kinoshita)

all that remain to me_

the night about to break into dawn

among white plum blossoms

  

(Note) The translation of S. Addiss is a mistranslation.

   

Kobayashi Issa  (小林一茶 1763–1827)

   

・時鳥 なけなけ一茶 是に有
(hototogisu nake-nake-issa kore-ni-ari)

   

little cuckoo
sing! sing!
Issa is here  

(David G. Lanoue. Click here to see the site.)

   

Haiku of Masaoka Shiki

 It is said that Shiki Masaoka composed about 24,000 haikus during his short life (1867~1902).  (See the home page of Matsuyama-city 「子規の俳句検索

    

・柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺

(kaki-kueba kane-ga narunari Hōryūji)

  

I bite into a persimmon

a bell resounds—

Hōryū-ji    

(Shiki Musium ・ sikihaiku)

 

(Note) 

The actual sound that Shiki heard was not the bell of Hohryuhji Temple, but that of Tohdaiji Temple. Persimmons were his favorite fruits.

        

・しぐるゝや 蒟蒻冷えて 臍の上

(shigururu-ya konnyaku-hiete heso-no-ue)

  

it's drizzling...

devil's tongue, cold on

my belly button    

   (“Selected Poems of Masaoka Shiki, Translated by Janine Beichman”)

   

・絲瓜咲て 痰のつまりし 佛かな

(hechima-saite tan-no-tsumarishi hotoke-kana)

   

sponge gourds in bloom
this hotoke
choked by phlegm  

(Shiki Musium ・ sikihaiku)

   

the gourd flowers bloom,

but look—here lies

a phlegm-stuffed Buddha!     

   (“Selected Poems of Masaoka Shiki, Translated by Janine Beichman”)

   

 (Note)

The Japanese word “hotoke” has broader meaning than “Buddha”.  That is, “hotoke” means not only Buddha, but also a dead person or a Buddha-like gentle person.

      

・奈良の町の 昔くさしや 朧月

(Nara-no machi-no Mukashi-kusashi-ya Oboro-zuki)

  

The town of Nara is

Really old-fashioned.

The hazy moon.     

(“Masaoka Shiki’s haiku poems”, Masterpieces of Japanese Culture.)

    

Haiku of Takahama Kyoshi 

 (Translated by S. Kinoshita)

  

・吾も亦 紅なりと ついと出で

(waremo-mata kohnari-to tsuito-ide)  (Age 66、S15. 1940)

  

me too, crimson_

as if so saying,

a burnet abruptly appeared

  

(Note)

’waremokoh’ (吾亦紅) is a burnet. Literally, the word 'waremokoh’ means: ’I also am crimson’. Thus, this haiku is a pun. The words “me too” of this haiku might have implied that young people  boasted of having a good body qualified as the first grade “Koh” (甲) in those days before and during the world war II. At present, it may remind you of recent news about sexual harassments.   

     

大寒の 埃の如く 人死ぬる

(daikan-no hokori-no-gotoku hito-shinuru)  (Age 67、S16. 1941)

  

people die

like

dust of midwinter

(Note) This haiku is a metaphor. You may think of death due to wars, atomic bombs, etc.

  

・爛々と 昼の星見え 菌生え

(ranran-to hirunohoshi-mie kinoko-hae) (Age 73、S22. 1947)

  

the daylight star

looks glaring_

mushrooms grow  

   

(Note)

This haiku was made as a farewell tribute to people in Koromo City. They gave mushrooms (=茸)to Kyoshi Takahama for a farewell present. He lived in Koromo for about three years after moving there for refuge from air raid during the war. The word ’daylight star’ means the sun, because the word ’爛爛’ (=glaring) is used for describing it. In the case of this haiku, it is possible to express 'kinoko' by a chinese character of '茸' or '菌'. However, the latter was adopted. When the letter '菌' is read to be 'kin', it means 'germ'. Thus, it seems that with the cited haiku, Kyoshi Takahama intended to express the whole great nature by referring to the greatest thing ’daylight star (=太陽)’ and the smallest thing 'mushroom (=菌)'.  

   

・春の山 屍をうめて 空しかり

(harunoyama kabaneoumete munashikari)-- (A)

(harunoyama kabaneoumete kuu-shikari)-- (B)

(Age 85、S34. 1959)

   

(Translation A)

the spring mountain

stands vain

with corpses buried 

   

(Translation B)

the spring mountain

with corpses buried_

all are vanity

  

(Note)

In Translation A, the letters ”空しかり” are read to mean ”munashikari” according to the conventional way. The word means ”empty” or ”vain”. In Translation B, the letters ”空しかり” are read to mean ”kuushikari”, which means ”empty” or ”vanity”, as described in Hannyashingyoh (Sutra). The original haiku contains both of such meanings.

To fully appreciate this haiku, please read the Japanese version of the corresponding article in the HIA home page (「高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!」).

   

Enjoy composing haiku as you like

 As you may know, Haiku has a shortest form as a poem. Each of Japanese letters (katakana and hiragana) constituting the pronunciation of a word has a vowel, and in principle, haiku is composed of 5-7-5 syllables. However, English words do not always have vowels like Japanese. Therefore, it is not required for English haiku to be composed of 5-7-5 syllables, and it is generally written in three lines.

As for composing haiku in 5-7-5 syllables, I think that Polish language is more suitable than English, because it seems to me Polish words have more vowels than English.

Haiku is such a short poem, you can compose haiku easily. Even if you are a beginner, you can compose a good haiku when you properly use a “kigo”, that is, a word to express the season at the time.

In haiku, you can express whatever you see or feel in your daily life or sightseeing, or on a special event such as music festival like this.  

Now, as examples of a way of enjoying haiku, I would like to show some haikus that I published in my blogs.

  

Haiku of an open garden concert

  

・マリンバの 音色豊かや バラの庭

(marinba-no neiro-yutaka-ya bara-no-niwa)

rich sound of marimba_

the garden

full of colorful roses

    

・シャンソンの 調べ誘ふ バラの庭

(shanson-no shirabe-izanau bara-no-niwa)

the timbre of shanson

lures me to

the rose garden

  

Haiku of Chunu ・ Four Seasons

  

New Year

・年用意 犬のシャンプー 先づ済ませ

(toshiyoh-i inu-no-shanpuu mazu-sumase)

shampooing of my dog,

first in the preparation

for New Year

  

Spring

・初蝶来 犬寝そべりて 目で追ひぬ

(hatsuchoh-ku inu-nesoberite mede-oinu)

the first butterfly of the year_

the sprawling dog

chases with eyes only

  

Summer

・遠雷や 眠りし犬は 耳ピクリ

(enrai-ya nemurishi-inuwa mimipikuri)

a distant thunder

the sleeping dog

twitches his ears

  

Autumn

・満面に 草の実つけし サモエド犬

(manmenni kusanomitsukeshi samoedoken) 

how cute my Samoyed!

the whole face

with weed-seeds clinging

  

Winter

・風花や 犬はソナタに すやすやと

(kazabana-ya inuwasonatani suyasuyato)

in the sunshine, snow-flakes fall_

my dog in sound slumber,

listening to a sonata

   

Haiku of dolphin show 

   

・涼しさや イルカの飛ばす 水しぶき

(suzushisa-ya irukano-tobasu mizushibuki)

the cool_

water splashed

by dolphins 

 

・水族館 涼しい筈と 思ひしに

(suizokukan suzusiihazuto omoishini)

An aquarium

not as cool as

I expected  

  

・スマスイや 昼寝の魚 スイと浮き

(sumasui-ya hirunenosakana suito-uki)  

A napping fish

awoke and swiftly floated

at Suma aquarium  

  

・欠氷 手に手に親子 イルカショー

(kakigoori tenitenioyako irukashoh)

A parent and sons

with a shaved ice in their hand_

a dolphin show  

  

・満席の 団扇はためく イルカショー

(mansekino uchiwahatameku irukashoh)   

Fans flapping

at full seats_

a dolphin show   

 

・炎天下 イルカ巧みに フラフープ

(entenka iruka-takumini furafuupu)  

Under the flaming sun

dolphins skillful

in hura hoop   

  

・ドルフィンや 客にあいさつ 立ち泳ぎ

(dorufinya kyakuni-aisatsu tachioyogi)  

Dolphins greeting

their spectators

by treading water 

    

In conclusion, please share the following promotion with your friends. 

Haiku is “AI”: not artificial intelligence, but art of intelligence, leading to “LOVE” (). Haiku Aids Increasing Knowledge Universally. Let’s promote world Peace through Haiku!

Thank you for reading this far.

2018年4月13日 (金)

虚子100句英訳をHIAホームページでご覧下さい。

     

高浜虚子俳句のオマージュにしたいとの思いから虚子100句を英訳し、「高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!」というタイトルで国際俳句交流協会ホームページに5回シリーズで掲載して頂きました。

高浜虚子の俳句の面白さが注記や英訳でよくわかります。

下記のURLアドレスをクリックして是非ご覧下さい。

                                                                                               木下 聰

 

(はじめに)

http://www.haiku-hia.com/about_haiku/takahama_kyoshi/

(あとがき)

http://www.haiku-hia.com/about_haiku/takahama_kyoshi/afterword.html

  

写真は花鳥同人俳句会における坊城俊樹花鳥主宰(高浜虚子の曾孫)とチュヌの主人です。

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2018年3月10日 (土)

俳句《春風・春の風》(改訂版)

       

暗いニュースばかりでは気が沈みますので、心のバランスを保つべく、明るいニュース(大谷翔平選手の結婚)も記事にして、「まんぽ俳句」を口遊みました。 

   

春風に大ホ-ムラン左打ち

         (薫風士)

   

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大谷翔平の愛犬「デコピン」はもちろん可愛いですが、チュヌも可愛かったです

(青色文字をタップして、リンク記事をご覧下さい。) 

 

新型コロナウイルスの感染予防対策が日常化した心境を詠んだ次の拙句に共感して頂けたでしょうか?

    

春風や森羅万象肯ひて

順縁を祈るコロナ禍日脚伸ぶ

  

(2018年3月の記事)

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「春風」といえば、高浜虚子の俳句「春風や闘志抱きて丘に佇つ」を思い出します。

この俳句の「春風」は「しゅんぷう」と読むのが相応(ふさわ)しいと思う人が多いようです。「増殖する俳句歳時記」(清水哲男)の句評はその典型的な例でしょう。青年の闘志には「しゅんぷう」が相応しいと考えるのが自然でしょうが、この俳句は虚子が39歳に詠んだものです。

高浜虚子の「自選自筆 虚子百句」には「はるかぜ」とふりがなが付けてありますから、虚子自身は「はるかぜ」と読者に読んでほしかったのでしょう。

「たつ」も「立つ」とせず、「たたずむ」という漢字「佇む」を用い「たつ」とふりがなをつけています。虚子は「熱い心」をむき出しにせず、余裕をもって表現することを好んだようです。

 

夏目漱石は、「虚子は畢竟(ひっきょう)余裕のある人かも知れない。」と述べています。

(「俳句談義(4):高浜虚子の句『大寒の埃の如く人死ぬる』とは、『平和』を考える」をご参照下さい。)

     

歳時記(俳誌のサロン)から、気の向くままに「春風」・「春の風」を引用させて頂きます。

(俳句の詳細は青色文字の季語をクリックしてご覧下さい。)

     

春風

結んで開いて指の体操春風に

         (瀧春一

 

式終へし子等春風へ放たれぬ 

      (山田禮子)

  

母が押す春風が押すベビーカー

     (津田このみ)

   

春の風1

泣いてゆく向ふに母や春の風

      中村汀女

  

朝刊の匂ふキヨスク春の風 

      (木下節子)

  

春の風ビル一面にビル映る 

      (中原幸子)

  

春の風2

今日よりは句碑の里山春の風

      山田弘子

  

ネクタイの玉虫色や春の風 

     (池崎るり子)

   

ゆつたりと着せし子の服春の風 

      (藤野力) 

  

春の風3

抜糸してタクシー待つや春の風 

       (内田しんじ)

  

竹林の光と影に春の風

       (早崎泰江)

  

春の風子らは古墳でかくれんぼ

       (武田ともこ)

  

2022年3月ウクライナ紛争について「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、記事を書いた

血に染むなドニエプルてふ春の川」や春一番この発言はおぞましき」をご覧頂いたと思いますが、ロシア軍のウクライナ侵略やイスラエルのパレスチナ攻撃など、時代錯誤の戦争が収まらないのは悲しいことです。

ここをクリック(タップ)して、「『初夢』の俳句」をご覧下さい

     

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

トップの欄・「俳句HAIKU」、または、ここをタップ(クリック)すると、最新の全ての記事が掲示されます。記事のタイトルをタップしてご覧下さい。

  

2018年3月 3日 (土)

俳句《春一番・啓蟄》(更新版)

      

啓蟄や e-Taxに取り掛からむ

  

朝からの雨で庭弄りは出来ず、手つかずのe-Taxに取り掛かることにしました。

  

以下は、2018年3月に書いた記事を2022年に更新したものです。

  

血に染むなドニエプルてふ春の川

・春一番おぞましきとはこの言葉

・啓蟄や出でし言の葉おぞましき

      

 「この言葉」とは何か、この青色文字をクリック(タップ)し、ご覧下さい

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2022年の「春一番」は3月5日の「啓蟄」でした。

      

・日々愛(お)しむキノコ雲なき春の雲

・親子行くキノコ雲無く春の雲

   

掲句は、薫風士が「已むに已まれず」詠んだ「川柳擬き」の俳句です。

「已むに已まれず」は「やむにやまれず」と読みます。

貴方は、物議を醸した「誰かさん」と違い、「已みません」を読み間違いするような読みにくい「ひらがな」にしなくても「漢字」で読めるでしょう(?!  

戦争を知らない世代元総理の発言「日米核共有」を何と考えるか、あなた次第ですが、日本が「核保有国」になることが「自衛」になるとは、到底考えられません。

「アメリカファースト」の「ぶつぎをかもす誰かさん」の発言のように、科学技術の進歩した現代に西部劇時代の考え方で国民や国論を分断・対立を煽る発言されるのは困りものですね。

子供たちの将来の為に、世界の政治指導者が「究極の愛」を発揮して賢明な政治を推進してくれることを祈っていますが、参議院選挙は棄権をせず、あなた任せにせず、しっかり考えて投票しましょうね!

   

2018年の「春一番」は昨年より12日遅い(3月1日)発生でしたが、猛威をふるいました。

この記事は3月3日「雛祭り」・「平和の日」に書きました

歳時記(俳誌のサロン)から季語が「春一番」の俳句を気の向くままに引用させて頂きます。

(青色文字の季語をクリックすると掲載された俳句の詳細がご覧になれます。) 

  

春一番(1)」

春一番武蔵野の池波あげて 

        (水原秋桜子)

  

ポリバケツ逃げまどひたる春一番

         (柿沼盟子)

  

春一番(2)」

風見鶏欣喜回転春一番    

          (山口速)

  

猫探す貼り紙吹かる春一番  

        (池田加代子)

   

春一番(3)」

改札を春一番と通りけり   

          (本節子)

  

春一番阿鼻叫喚のフェニックス

        (松崎鉄之介)

   

春一番(4)」

春一番自転車あまた薙ぎ倒し

        (芝宮須磨子)

  

春一番小学生は駈けたがる  

        (今橋眞理子)

  

春一番(5)」

よろめきて春一番と諾ひぬ  

         (村上悦子)

    

575筆まか勢

呼鈴は空耳なりし春一番   

         (田中湖葉)

  

松に鳴り樫に響けり春一番  

         (川村紫陽)

  

白波の浮燈台や春一番

         (岡本静子)

  

若者に古着が流行る春一番  

         (有馬朗人

      

(「増殖する俳句歳時記」)

胸ぐらに母受けとむる春一番 

         (岸田稚魚

この俳句は、清水哲男氏の解説に「折りからの強風によろけた母親を、作者はがっしと胸で受けとめた。」とある通りのことを詠んだものでしょう。しかし、広辞苑によると「胸倉」は「着物の左右の襟の重なり合う辺りの部分。むながらみ。」という意味ですから、作者は「母の胸倉が強風で膨らんだ」状態を詠んだ、と解釈できないこともないでしょう。作者は「胸ぐら」と表示することによって二通りの解釈を可能にしたというのは穿ち過ぎでしょうか?

          

真夜中の犬の冒険春一番

掲句はチュヌの主人の即興句です。春一番の強風にカーポートのシャッターが少し開き、隙間からチュヌは夜中に冒険に出かけました。チュヌの居ないのに気付いた主人やお母さんが散歩道など探しましたが見つからず、警察署に届けました。でも、チュヌは朝食前にお家に帰ったので「遺失物」の届け出はすぐ解除されました。お巡りさん、お騒がせしてすみませんでした。

   

(補追)

チュヌは2018.10.16に永遠の眠りにつきました。

『チュヌの追悼』by L.P. Lovee」をご覧頂ければ幸いです。

    

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2018年2月13日 (火)

100 HAIKUs of TAKAHAMA Kyoshi (1~20) (Revised)

(HAIKU of Kyoshi Takahama, translated by Satoshi Kinoshita)

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The pictures show a part of Pages 8 and 9 of "自選自筆 虚子百句" published by 岩波書店.       

     

                       

春雨の衣桁に重し恋衣 (M27. 1894年

        (harusameno ikohniomoshi koigoromo)

         heavy on a dress-rack

         clothes of love_

         spring rain

    

怒濤岩を噛む我を神かと朧の夜 (M29. 1896年

         (dotoh iwaokamu wareokamikato oboronoyo

          as if thinking me a god,

          surging waves bite the rock_

          hazy moon night 

        

蓑虫の父よと鳴きて母もなし M32. 1899年

         (minomushino chichiyotonakite hahamonashi)

          a bagworm chirps

          papa papa,

          without mamma, either

      

子規逝くや十七日の月明に (M35. 1902年

        (Shikiyukuya juushichinichino getsumeini)

           Shiki passed away

           in the moonlight

           of the 17th day   

         

秋風や眼中のもの皆俳句 (M36. 1903年

         (akikazeya ganchuunomono minahaiku)

          autumn wind_

          anything you see

          could be a HAIKU

      

 (或時は谷深く折る夏花かな (M37. 1904年

        (arutokiwa tanifukakuoru gebanakana)

        'gebana' flowers,

        taken deep in a valley

        at a cetain time

      

刑罰の石を背負うて夏野かな (M38. 1905年

       (keibatsuno ishioseoute natsunokana)

         carrying a stone of punishment

         on one's back_

         the summer field

          

 (垣間見る好色者に草芳しき (M39. 1906年   

       (kaimamiru koushokumononi kusakanbashiki)

         the grasses fragrant     

         to a lecherous man

         peeping in through the hedge 

                   

桐一葉日当りながら落ちにけり (M39. 1906年

   (kirihitoha hiatarinagara ochinikeri)

    a leaf of paulownia

    fell,

    with the sunlight on it

         

 (10曝書風強し赤本飛んで金平怒る (M41.1908年

      (bakushokaze tsuyoshi akahontonde kinpiraikaru)

      strong a wind at book-exposing,

      a red-covered storybook blown down,

      exposing the hero Kinpira angry  

      

11凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり(M41. 1908年

  (oyosotenkani kyoraihodono chisakihakani mairikeri)

      Under heaven,

      I visited such a tomb 

      as small as I heard of Kyorai.  

        

(12)(13) 霜降れば霜を楯とす法の城 (T2. 1913年

         (shimofureba shimowotatetosu norinoshiro)

         if there is a frost,

         the frost be a shield_

         the temple of laws    

         

(14) 春風や闘志抱きて丘に佇つ (T2. 1913年

        (harukazeya tohshiidakite okanitatsu)

        spring wind_

        I stand on the hill,

        my heart full of fight       

          

(15囀や山かけて売る土地広し (T2. 1913年)

       (saezuriya yamakaketeuru tochihiroshi)

(Translation A)

       running around the hill,

       broad the lot sold_

       chirps of birds

(Translation B)

       broad the lot 

       sold by taking a chance_

       chirps of birds

(Translation C)

       broad the lot

       sold with a hill behind_

       chirps of birds

 (Note)

In this haiku,  "山かけて" (yamakakete) is a pun, meaning "run",  "take a chance", or "hang".

     

(16この後の古墳の月日椿かな  (T2. 1913年)   

      (kononochino kofunnotsukihi tubakikana)

       after this,      

       lasting time of the ancient mounds_

       the camellias   

        

(17) 歌人祭らず俚人ただ祭る社あり (T2. 1913年)

       (kajinmatsurazu satobitotada matsuru yashiroari

       (on Hitomaro death-anniversary)

        a shrine,

       no poets worship it,

       villiagers only worship it      

         

(18) 一つ根に離れ浮く葉や春の水 (T2. 1913年)

     (hitotsuneni hanareukuhaya harunomizu)

     the spring water_

     the leaves float aloof,

     grown from single roots  

                     

(19) 舟岸につけば柳に星一つ (T2. 1913年)

     (funekishini tsukebayangini hoshihitotsu)

     the boat reached a shore,

     there a willow,

     thereabove a star      

    

(20) 秋来ればいつもあはれにきぬたかな (M24. 1894年

      (akikureba itsumoawareni kinutakana)

      autumn has come,

      always pathetic

      'kinuta' fulling

         

(Note)

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2018年2月10日 (土)

高浜虚子の100句(91~100)(100 HAIKUs of TAKAHAMA Kyoshi)

(10 HAIKUs of Kyoshi Takahama, translated by Satoshi Kinoshita)

HAIKU is AI: not Artificial Intelligence, but Art of Intelligence, leading to "LOVE". 

Haiku Aids Increasing Knowledge Univerally.

    

(91) 春潮にたとひ櫓櫂は重くとも (S22. 1947)

  (shunchohni tatoirokaiwa omokutomo)

  Even if the oar is heavy

  against the spring tide_    

(Note)

This haiku was made as a tribute to encourage Kyoshi's grand-daughter  (Nakako Bohjoh: 坊城中子) when she entered a nursing school.

The Kyoshi's haikus translated herein are cited from the writings of Toshiki Bohjoh (坊城俊樹:the son of Nakako Bohjoh, that is, a great-grandson of Kyoshi Takahama).

       

(92) 爛々と昼の星見え生え (S22. 1947)

  (ranranto hirunohoshimie kinokohae)

  the daylight star

  looks glaring_

  mushrooms grow    

(Note)

This haiku was made as a farewell tribute to people in Koromo City. They gave mushrooms (=茸)to Kyoshi Takahama for a farewell present. He lived in Koromo for about three years after moving there for refuge from air raid during the war.

The word ’daylight star’ means the sun, because the word ’爛爛(=glaring) is used for describing it. In the case of this haiku, it is possible to express 'kinoko' by either letter of '' or ''. However, the latter was adopted. The letter '菌' can also mean 'germ' when it is read as 'kin'. 

Thus, it seems  that with the cited haiku, Kyoshi Takahama intended to express the whole great nature by referring to the greatest thing ’daylight star (=太陽)’ and the smallest thing 'mushroom (=)'. 

    

(93) 去年今年貫く棒の如きもの  (S25. 1950)

  (kozokotoshi tsuranuku bohnogotokimono)

This haiku was highly appreciated by Yasunari Kawabata (a Nobel winner for Literature).

In this haiku, metaphor as well as inversion is applied.

 (Translation A)

  kozokotoshi

  piercing

  a stick-like thing    

 (Translation B)

  my belief in HAIKU

  piercing kozokotoshi

  like a stick 

 (Translation C)

  time pierces

  kozokotoshi

  like a stick

(Note)

“kozokotoshi” is a kigo (= seasonal word) established by Kyoshi Takahama, referring to New Year, on which yesterday is the last year, and today is this year. Thus, the literal meaning of kozokotoshi is “last-year-this-year”.

Translation A is a word-for-word translation and can be interpreted in various ways. However, “stick-like thing” should be considered as the real subject and a metaphor. In Translations B and C, “my belief” and “time” are added, respectively replacing the word “stick-like thing”. Thus, the kigo “kozokotoshi” should grammatically be taken as the object of “pierce”. Otherwise, this haiku makes nonsense.

In Translation A, if you take “kozokotoshi” as the subject for “pierce”, and “stick-like thing” as the object for “pierce”, then what do you think the “stick-like thing” indicates? Does it make any sense? 

        

(94) 大桜これにかしづき大椿 (S30. 1955)

  (Ohzakura korenikasizuki ohtsubaki)

  a large cherry tree_

  beside it

  a large camellia

  

(95) 蠅叩手に持ち我に大志なし (S31. 1956)

  (haitataki tenimochiwareni taishinashi)

  having a flyswatter

  in my hand

  I have no great ambition

   

(96) 虚子一人銀河と共に西へ行く (S24. 1949)

  (kyoshihitori gingatotomoni nishieyuku)

  Kyoshi alone

  goes toward west

  with the galaxy

  

(97) 我のみの菊日和とはゆめ思はじ (S29. 1954)

  (warenomino kikubiyoritowa yumeomowaji)

  chrysanthimum-bright-day_

  never

  only for me

(Note)

Kyoshi Takahama made this haiku when he received a Cultural Medal (=文化勲章).

    

(98) 悪なれば色悪よけれ老の春 (S28. 1953)

  (akunareba iroakuyokere oinoharu)

  if any vice,

  sensual vice would be better_

  spring of old age

   

(99) 明易や花鳥諷詠南無阿弥陀 (S29. 1954)

  (akeyasuya kachohfuuei namuamida)

  daybreak getting earlier_

  making haiku of nature

  namuamida

(Note)

’kachoh-fuuei’(花鳥諷詠), which was advocated by Kyoshi Takahama, means a typical way of composing haiku based on appriciation of nature including human affairs.

’namuamida’ (南無阿弥陀)is Buddhist chanting words of sutra, which mean ’I believe in Amitabha'.

   

(100) 独り句の推敲をして遅き日を (S34. 1959)

  (hitori kunosuikoh-o-shite osokihio)

  alone,

  elaborating haikus_

  lengthening days of spring

      

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2018年1月10日 (水)

俳句・HAIKU by L. P. Lovee (9) <去年今年・kozokotoshi>

  

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貫かむ八十路の夢を去年今年

 

 

(tsuranukan yasojinoyumewo kozokotoshi)

 

kozokotoshi_

I’ll accomplish

my dreams of age of eighty

  

   

去年今年5・7・5を口遊み

(kozokotoshi goshichigowo kuchizusami)

 

enjoying

haiku of 5-7-5_

last-year-this-year

 

(Note)

“kozokotoshi” is a kigo (= season word made by Kyoshi Takahama) referring to New Year, since on the first day of January, yesterday is the last year, whereas today is this year.

Kyoshi's famous haiku in question "kozokotoshi tsuranukubohno gotokimono" is translated by L. P. Lovee as follows:

 

(Literal translation)

kozokotoshi_

something piercing

like a stick

    

(Translations reflecting Kyoshi's intention as assumed by L. P. Lovee)

(A)

my belief in HAIKU

pierces last-year-this-year through,

like a stick piercing something

 

(B)

time passes

piercing kozokotoshi

like a stick

   

It seems that Kyoshi intended to express two meanings by omitting the subject in the Japanese original haiku in question. 

To really appreciate Kyoshis Haiku, it is essential for a reader to understand the original haiku in Japanese. 

See http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2017/02/post-01d8.html

(日英バイリンガル俳句を楽しむ <高浜虚子の俳句「去年今年」>)

     

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2017年12月10日 (日)

俳句上達のコツ《見たこと・感じたことを5・7・5で口ずさむ》

    

「口ずさむ」は「口遊む」と書きます。

俳句上達のポイントは、ともかく何でも見たこと・感じたことを「5・7・5」で口ずさみ、言葉遊びを楽しみながら「5・7・5のリズム」を身に付けることにあるでしょう。

俳句のリズムが身につけば、多作多捨をして推敲することが容易になり、そのうちに良い句が作れるでしょう。

良い句とは、作者の思いが「5・7・5」に無駄なく凝縮して表現された俳句だと思っています。

「あれもこれも表現したい」と思うときは、題材・テーマを一つに絞って、複数の俳句に表現すると良いでしょう。

 

ここをクリックして、「俳句の作り方 <5つのポイント>」をご覧下さい。

俳句に興味のある方はここをクリックして「俳句を楽しもう!(フラワータウンカレッジ講演の要旨)」をご一読下さい。

 

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2017年11月14日 (火)

俳句の鑑賞《木枯・凩・こがらし・木がらし》

         

2023.11.11 更新

今日は近畿地方で木枯らし1号が吹き、北海道で初雪が降り、本格的な冬が始まりました。

  

2017.11.14の記事

「凩」は「冬の季語」とされていますが、2017年は10月30日に木枯し1号が東京や近畿地方で吹きました。

NHK NEWS WEBによると、「去年と比べて、東京で10日早く、近畿で1日遅くなっている」とのことです。

 

凩やチュヌと駆けゆく老の日々   

         (薫風士) 

   

俳誌のサロン」の歳時記から気の向くままに「木枯し」の俳句を引用させて頂きます。

   

木枯1

木枯や野菜づくしの喪の煮炊き 

       (久崎富美子)

  

木枯2

木枯やたばこを吸ひに外へ出て 

        (山田六甲)

 

木枯3

木枯しに大見得をきる古木かな 

        (吉澤利治)

  

木枯4

木枯を背に鍵穴を探りをり 

         (加藤克)

  

木枯5

木枯や水なき空を吹き尽す 

       (河東碧梧桐

   

凩1

一号と呼ばれ凩吹いてをり 

       (斉藤美奈子)

 

凩2

凩の止みて下弦の月静か 

       (松村美智子)

  

凩3

胸中の凩咳となりにけり

       (芥川龍之介

   

こがらし

こがらしの樫をとらへしひびきかな 

       (大野林火

      

「増殖する俳句歳時記」の「季語が凩の句」などには、「木がらしや目刺にのこる海のいろ」と「凩」「木枯」などの漢字でなく「木がらし」と表記されています。芥川龍之介が「木がらし」(「かな漢字混じり」)や「のこる」など、「ひらがな」で表記しているのは「目刺し」と「海の色」の対比を目立たせて強調する意図的な技法だろうと思います。

  

芥川の俳句などについて興味ある解説記事が「ブログ俳諧鑑賞 芥川龍之介の句」というサイトにありますが、この俳句を芥川が作った背景をご存知の方あれば教えてほしいものです。

 

特攻隊のことを詠んだといわれる山口誓子の俳句「海に出て木枯帰るところなし」についても、この記事はふれています。

  

夏目漱石の「凩」の俳句はここをクリックすれば「夏目漱石俳句集」をご覧になれます。夏目漱石はさすが文豪ですね。

  

芥川龍之介や夏目漱石など文豪の秀句を読むと駄句を作りブログに掲載するのは気が引けますが、庶民もそれぞれに俳句を楽しむことができることを多くの人々に知ってほしいと思ってブログを書いています。

      

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