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2020年8月18日 (火)

お手本のリズム音痴や熱帯夜

       

Haiku_20200815

プレバト・永世名人の『サンダル』の俳句を考えるや「プレバト『炎帝戦』・『ポイントカード』の俳句を考えるで夏井先生の添削について批評をしましたが、プレバト俳句番組の例句が教科書に載るほど人気があり、梅沢富美男永世名人の俳句が「俳句のお手本」として句集に採用されるとなると、「俳句は好き好き」とは言え、夏井先生の添削や原句の問題点を黙って見過ごすわけにはいかず、この記事を書いています。

  

「プレバト」の関係者・視聴者、「俳句HAIKU」の読者などのご参考になれば幸いですが、何らかのコメントを頂ければ望外の喜びです。

  

 (梅沢富美男永世名人の原句)

 ・読み終へて痣の醒めゆくごと朝焼

  

 (薫風士の添削案)

 (A) 読み終へて朝焼に褪む肘の痣

 (B) 読み終へて褪むる朝焼け肘の痣

 (C) 読み終へば朝焼けのごと痣褪むる

 (D) 読み終へば朝焼けのごと褪めし痣

   (E) 読み終へば褪めゆく痣のごと朝焼

    

梅沢富美男永世名人の原句は、着想が斬新で面白く、個人的に楽しむのは結構ですが、日本文化の伝統である俳句の 「お手本」にはすべきでないと思います。

原句は「痣がさめるように朝焼けも消えてゆく」という句意でしょうが、「三段切れ」・「字余り」の破調であり、「醒めゆく」は漢字が不適切なので、解説が無ければ意味不明瞭でしょう? 

添削案(A)と(B)は、「客観写生」で「痣のさめる」のと「朝焼のさめる」のが似ていることは読者の想像に委ねたつもりですが、そのような連想を期待するのは無理かもしれません。

(C)と(D)が原句の句意に近い添削です。「朝焼」より「痣」を中心にしていますので作者は不満かもしれませんが、原句の上五の「読み終へて」から最後の「朝焼」の流れには文法的に無理があり、また、自然現象として「痣」より「朝焼」の方がインパクトがありますので、分かりやすくするにはやむを得ない添削です。

(E)は最も原句の句意に沿った添削ですが、季語「朝焼」の説明をするために「字余り」の「破調」にするのは馬鹿げています。

朝焼」の風景は様々ですから、人それぞれに大自然の美しさを愛でれば良いでしょう。「朝焼」を「痣のごと」と矮小化するのは、面白い発想ですが、本末転倒だと思います。

  

初心者や「凡人」の俳句に対する励ましのセリフならともかく、「新しい発見だ」とか、「新境地だ」とか、このような俳句を「永世名人」の「俳句のお手本」として大げさに持ち上げるのは、「プレバト」を盛り上げるためかもしれませんが、感心できません。

夏井先生はエンタメ俳句番組のタレント先生としては秀逸ですが、このような俳句を「俳句のお手本」として教科書掲載に推薦するとすれば、先生ご自身の俳句査定能力の査定が必要になるでしょう。

  

あなたならどのように添削しますか?

薫風士の添削は「平凡で面白くない」と思いますか?

  

俳句雑感(7) 金子兜太の『炎天』の俳句について」や俳句雑感(3): 俳句のリズムを考えるなどで述べたように、「字余り」や「破調」の俳句は、そうすることに表現上の必然性がなければなりません。

さもなければ、タイトルの「リズム音痴」は言いすぎでしょうが、「単なる稚拙な俳句」か「奇をてらっている俳句に過ぎない」と言えるでしょう。

  

高浜虚子を、「俳句は下手だがビジネスが上手かったに過ぎない」と、見当違いの非難をする俳人や評論家が居るようです。

夏井先生もTV番組などの人気に胡坐をかいて、一方的な俳句の才能の有無査定やランク付けをしていると、その立派な初志とは裏腹に、「株式会社 夏井&カンパニー」で「タレントを集め」て「金儲けをするのが上手かっただけだ」などと、高浜虚子の「ホトトギス」どころではない、酷い非難をされることになるかも知れませんよ。

エンタメ俳句番組としても、若い世代の俳句教育の為にも、(自戒を含め)「初心を忘れるな」、「基本を大切にせよ」と、しっかりご指導をお願いします。

「三省堂」の関係者も教材に採用する俳句や添削の仕方の実例は慎重に検討して、俳句愛好者の期待を裏切らないようにして下さいね。

  

薫風士は「夏井組」の組員ではありませんが、「俳句を一般の人々が楽しめるものにしたい」という思いで、「夏井組」の応援をしているつもりです。

  

タイトルの俳句は、このところ「猛暑日」・「熱帯夜」が続いているので、この記事をよく検索してもらえる可能性のあるキーワード「熱帯夜」を「季語」として入れたものです。

「WEBは巧みだが俳句は下手だね」などと批判されるかもしれませんが、このブログの薫風士の俳句は「俳句のお手本」ではなく、多くの方方に「俳句の面白さ・楽しさ」を知ってもらうことを意図しています

      

コメント

「プレバト俳句 夏井先生の添削を添削する」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2020/09/post-f4d8.html
をご覧下さい。

「俳句の面白さ・俳句の奥行きの深さ」がわかるでしょう。

(薫風士)

一升 様

「比喩はもともと客観ではないので、誤りも何も無い」とか、
「訓読みは、謂わばすべて当て字です」とか、断定するのは如何なものでしょう?
一升様のこのような断定は納得しかねます。

昔はそうだったにしろ、言葉はご承知の通り進化しています。
進化した豊かな言葉を正確に使うことは大切だと思いませんか? 
とはいえ、俳句を難しくすることなく、親しみやすいものにしようとの思いでブログを書いています。

「未然形の『終へば』は仮定法です。」とのことですが、
この俳句の「ば」は「順接条件で、理由・原因を示す助詞」です。
正岡子規の有名な俳句の「柿くへば」の場合も同じでしょう?

世の中には「浅知恵」で「とやかく」言う人がいますが、そうはなりたく無いと思っています。
もしも文法的に誤りがあるなら、後学の為にコメントを頂けると幸甚です。

(薫風士)

思ったことをブログにし発信するという姿勢、俳句を言語的視点で分析する姿勢、素晴らしいと思い、長文ですがコメントさせてください。

句意はおそらく、痣のさめるように朝焼けも「消えてゆく」ではなく、痣のさめるように「朝焼けだ」です。
この句の一番の特徴は時間経過にあります。「終えて(完了相)」「ゆく(継続相)」と過剰にアスペクトを用いて、その終着点が季語「朝焼」なのです。読者は否が応でも夜の色から朝焼けまでを追体験させられ、その後来るだろう何も無かったかのような朝まで想像させられます。

醒めるという表現も、一瞬誤字かなと思わせといて下五で「ごと」という直喩と「朝焼」という解決を畳み掛けるわけです。比喩はもともと客観ではないので、誤りも何も無いのだと思いますし、訓読みは、謂わばすべて当て字です。

「文法的に無理がある」というのは具体的には主語が一致しないという意味だと解釈したのですが、これも翻訳慣れのせいだと思いました。分詞構文では主語が一致しますよね。私はむしろ、主語が異なるからこそ、上五には切れがあると感じました。「て」は完了相「つ」の連用中止と同形なのです。

また、現代日本語は4音の言葉が増え、伝統的な五七五の音律に無理があるのだと思います。「たい」は果たして2音なのかという先進的な問いも、薫風士さんには理解してもらえると思います。洋楽の流入も含め日本人のリズム感が急速に変化している以上、字余りに対するリズムも変化していくのだと思います。

最後に、もはやどうでもいいですが「終ふ」の已然形は「終ふれ」なので「終ふれば」になります。未然形の「終へば」は仮定法です。

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