俳句談義(13):<「花」と「鼻」> 高浜虚子と芥川龍之介
「咲満ちてこぼるる花もなかりけり」と、高浜虚子の句の如くゆっくり愛でる間が無かった。
虚子は「花疲れ眠れる人に凭(よ)り眠る」という句も作っている。
この句は例えば電車の中で虚子が見た情景を詠んだものだろう。
少なくとも次の3とおりの解釈が可能である。
・「うとうと眠っている虚子に隣の人が寄り掛かってうとうとした」
・「眠っている人に虚子がつい寄り掛かってうとうとした」
・「互いに寄りかかってうとうとしている二人連れを虚子が見た」
虚子に寄り掛かったのはうら若い女性か、むさくるしい男か?
二人連れは若者か、老夫婦か、恋人同士か?
様々な情景が思い浮かぶ。俳句鑑賞の楽しさ、面白さである。
「桜」に関わる俳句は無数にある。
歳時記を見ると、季語別に掲載されているが、全部読む暇が無い。
例えば、「花は葉に」には227句もリストされている。
「桜1」には197句、「初桜」には169句、「余花1」には100句ある。
季語としては「花」「彼岸桜」「糸桜」「しだれ桜」「枝垂桜」「山桜」「朝桜」「花疲れ」「花守」「初桜」「花の雲」「花影」「花の影」「余花」「残花」「花の塵」「花過ぎ」「花屑・花の屑」「花篝」「花は葉に」「花筵」などがある。
高浜虚子の「俳句とはどんなものか」に「花よりも鼻に在りける匂ひ哉」という荒木田守武(1473-1549)の句もある。
「俳句への道」の冒頭には同音異義語を巧く使った虚子の句「おやをもり俳諧をもりもりたけ忌」が掲載されている。
「梅」は花ばかりでなく香りを愛でて俳句に詠まれることが多いが、「桜」は花を眺めて愛でるのが普通であり、香りを詠んだ句は見かけない。
「鼻」といえば、芥川龍之介の短編小説がある。(ここをクリックすれば全文が読めます。)
虚子は、「手で顔を撫づれば鼻の冷たさよ」という句を作っている。
「芥川龍之介の『鼻』を読みながらつい自分の顔を撫でたのだろう」などと考えるのは穿ち過ぎだろうか?
この句について、山本健吉は定本現代俳句において次のように述べている(抜粋)。
「『手で』と断らなくても、手に決まっているが、わざわざ口語的に言ったところ、一種のとぼけ趣味を表わしている。しかも、『撫づれば』と物々しく言いさして、次にどのような事柄が言い出されるであろうかという読者の期待を抱かせながら、次に『鼻の冷たさよ』と馬鹿馬鹿しく平凡なことを持ってきて、肩すかしを食わせる。そこに一つの滑稽感が生まれてくる。・・・(省略)・・・こういう滑稽な句は、虚子には例が多い。
・・・(省略)・・・すべて即興感遇の作品であり、この無関心・無感動の表情に軽いユーモアがある。」
上記の句評で滑稽句の例として列挙した中に、「大寒の埃のごとく人死ぬる」や「酌婦来る灯取り虫より汚きが」などを挙げている。まさに、俳句の解釈は人さまざまである。
ちなみに、山本健吉は正岡子規の句「しぐるるや蒟蒻冷えて臍の上」についても次のように評している(抜粋)。
「『小夜時雨上野を虚子の来つつあらん』とともに、『病中』と前書きがある。
・・・(省略)・・・
この句、『蒟蒻冷えて臍の上』にユーモアがある。ことに『臍の上』と、自分の臍を意識しながら、無造作に言い話したところ、子規独特のとぼけ趣味である。病気の苦痛を直接訴えず、臍の上に置かれた蒟蒻の冷えを言うことで間接に病状を詠むことが、俳諧化の方法なのである。」
虚子の句「志俳諧にありおでん喰ふ」を「よもだ堂日記」では「惚け趣味」の句の例として挙げている。「自分の俳句人生をおでんを食いながらしみじみと考えたことを象徴的に句にしたものである」と解釈していたが、このような解釈は的外れだろうか?
虚子の句「川を見るバナナの皮は手より落ち」について「増殖する歳時記」には次の句評がある。
「虚子の『痴呆俳句』として論議を呼んだ句。精神の弛緩よりむしろ禅の無の境地ではなかろうか。俳句はこういう無思想性があるからオソロシイ。そして俳人も。(井川博年)」
この句について、櫂未知子さんは「食の一句」において次のように述べている(抜粋)。
「虚子自身の経験ではなく、隅田川べりで目にした男を句にしたらしい。・・・(省略)・・・虚子ぎらいの人たちによって攻撃されやすい句の一つだが、昭和9年という制作年からすると、当時、相当モダーンな句だと考えられていたのではなかろうか。(以下省略)」
今朝の「NHK俳句」において、ゲストの柳生博さんが友人の句「我が巣箱待てど待てどもシジュウカラ」を披露して「ダメですね?」と選者(櫂未知子さん)のコメントを求めたところ、「ちょっとダメですね」と一蹴されていた。
同音異義語(「四十雀」と「始終空」)をかけた滑稽句だろう。
「巣箱掛け待てど待てどもシジュウカラ」とするとわかりやすいが、伝統俳句の視点から見ると選者の好みに合わないだろう。
「高齢者の『鼻が利かない』は痴呆の兆候?」というブログ記事があったが、この場合は痴呆とは無関係の機能不全だった由である。医学の進歩した現在では、病気は早期発見をすれば進行を抑えたり、治療したりできるではないか?(「アルツハイマー病早期発見・治療を」<NHKニュースおはよう日本>参照。)
今日の朝日新聞WEB刊に「認知症社会」という見出しの記事があった。
「認知症の老人に財産狙いの養子縁組をさせる事件が起こっている」と警告している。
仲間と吟行や句会をして俳句を作り鑑賞して、頭と体の健康を維持することに努めたいものである。
ふと遊び心でインターネットで「花」と「鼻」を検索して見た。
すると、「国柄探訪:大和言葉の世界観:『鼻』は『花』、『目』は『芽』。大和言葉には古代日本人の世界観が息づいている。」という同音異義語を取り上げた興味ある記事があった。「(文責:伊勢雅臣)」と記載されていたが、昔の日本人の自然とのかかわりや宗教心の一端を知る参考になる。
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・長き夜や俳句ブログに思い込め
(俳句と川柳) <衆院選> 第101代総理大臣への期待 (「吾亦紅」と「夜長」に思うこと)
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/10/10-d078.html
をご覧下さい。
(薫風士)
投稿: | 2021年10月31日 (日) 15時42分
8月19日は「俳句の日」とされています。
正岡子規の命日は9月19日ですから、8月19日からの1か月を「俳句月間」として俳句・教育関係者により俳句を通じて子供たちに日本文化の啓蒙活動をして頂いたら如何でしょうか?
コロナ禍の自粛生活で子供たちが無意味なwebゲームに夢中になっているのは親泣かせです。
俳句は、個性を発揮する芸術の一つです。好き好きです。俳句の教育はもう既に実践されているのでしょうが、プレバトのような一方的な査定やランク付けはしない教育をしてほしいものです。
大人のための俳句の面白さの啓蒙の一助になれば幸いですが、
「俳句の日」俳句でクイズ・ゲームを楽しもう!
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/08/post-6142.html
をご覧下さい。
8月15日の終戦記念日の俳句を特集しました。
俳句ブログ:終戦記念日 <「戦争と平和」特集>
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/08/post-452c.html
をご一読下さい。
(薫風士)
投稿: | 2021年9月 3日 (金) 22時47分
コロナ禍の俳句鑑賞: 「青葉」・「青葉風」・「青葉潮」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/05/post-662c.html
をご覧下さい。
(薫風士)
投稿: | 2021年5月13日 (木) 11時26分
「プレバト夏井先生の添削を添削する」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/purebato.html
や
「春」の俳句特集:薫風士のブログ「俳句HAIKU」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/02/haiku-f2f4.html
をご覧下さい。「俳句の面白さ・奥の深さ」が分かるでしょう。
投稿: | 2021年3月24日 (水) 15時54分
世間一般に「いじめ」や「虐待」などが問題になっています。
子供たちの健やかな成長と世界平和への思いを込めて書いたブログ
「究極のラブを!」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2018/01/ultimate-love-fa46.html
や
「令和」の世界平和への思いを詠んだ「新元号祝ひ花見の俳句詠む」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/04/post-e976.html
をご一読下さい。
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投稿: 木下 聰 | 2019年5月13日 (月) 20時24分
京都では古くからよく知られている歌に、
背の低い「御室桜」にちなんだこんな歌があります。
『わたしゃお多福 御室の桜 はなはひくても 人が好く』
”花の低い”御室桜と”鼻が低いお多福”をかけた駄洒落の歌です。
「桜・花などの俳句と写真を集めました」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2016/11/post-902b.html
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投稿: チュヌの主人 | 2016年3月30日 (水) 06時49分
リンクしたサイトの記事の内容がリンク後に修正されて、
「チュヌの便り」の記載と齟齬が生じていることがあります。
ご了承ください。
投稿: チュヌの主人 | 2016年3月29日 (火) 07時43分
芥川龍之介が鼻の俳句を作っていることを最近知った。
「水洟(みずばな)や鼻の先だけ暮れ残る」
この句は芥川龍之介の辞世の句と言われる。
(山本健吉の定本現代俳句参照)
虚子はこの句を見たときにふと鼻を擦ってみたのかもしれない。
俳句集団「芥川龍之介の俳句を語る」
http://itakhaiku.blogspot.jp/2012/08/itak.html
に興味ある記述がある。
投稿: チュヌの主人 | 2015年6月 6日 (土) 17時27分