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2014年11月20日 (木)

俳句談義(2):虚子辞世句の新解釈について

     

虚子が亡くなる二日前に詠んだ句「春の山(かばね)を埋めて空しかり」について、「これは辞世の句であり、『空しかり』は『むなしかり』ではなく『くうしかり』と読むべきではないか?」と、俳句談義(1)で新解釈を提唱したが、虚子の墓所鎌倉五山の第三位である「寿福寺」にあることを知り、なおさらその考えに確信を抱いている。「春の山」は単なる山を意味するのではなく、鎌倉五山や山寺に思いを馳せ、「」とは埋葬されるであろう自分も含めて諸々の死者を指しているのではないか? 

春風や闘志いだきて丘に立つ」や「去年今年貫く棒の如きもの」などの俳句を作り、俳句界に偉大な功績を遺した稀有の俳人が自分の死を予期して「むなしかり」と詠んだとは思われない。

子規は「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」と自分の死を達観してユーモラスに詠んでいるが、虚子は「とは真にこのことだ」と自分の死を達観して、「般若心経の『色即是空』とはこんなものだよ」と虚子の悟りの境地を詠んだものと愚考している。なお、碧梧桐の「君が絶筆」や 道得風光のブログを読むと、子規の掲句は「ユーモラス」という表現が当たらない悲壮な客観写生であることがわかる。

    

(浅学非才を顧みず愚考した新説をブログに記載させて頂きましたが、「俳句には読む人の考えやその心持によって如何様にでも解釈できる曖昧さや広がりがあり、解釈の一つである」と、お許し頂けるものと存じます。青色文字をクリックするとリンクしたサイトの関連の解説記事や写真をご覧になれます。是非ご覧下さい。)

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コメント

先日、東日本大震災の犠牲になられた方のお墓の写真を見て、
「さぞかし空しく悲しい思いで、せめてお墓でも立派にしてやろうとお墓を作られたのだろう」と身につまされました。
身近な人の死はとても「くうしかり」などと割り切ることはできないでしょう。
戦争犠牲者の方々、靖国神社に身内を祀られた方々など、
立派なお墓を作られても、安倍総理大臣や稲田防衛大臣などに
参拝されても、やはり「むなしい」思いをされ、
「戦争はしてほしくない」
という思いを強くされているのではないでしょうか?

正岡子規など俳人の辞世句を紹介した興味あるブログ:
「NHK俳壇 辞世の一句」
を見ましたが、高浜虚子の辞世句はありません。
http://nekotamago.exblog.jp/2418055/
をご覧下さい。

高浜虚子が句仏和尚の17回忌に詠んだ句
「独り句の推敲をして遅き日を」について、
坊城俊樹さんは次のように述べている。
「句佛は『ホトトギス』を経て、というか子規や虚子、碧梧桐の薫陶を受けて俳人としても大きな業績を残した。
虚子や碧梧桐とはほぼ同年代であるが、この句佛ももう十七回忌の故人である。
虚子のまわりにはもう同じ世代の俳人は数えるくらいしかいなくなった。
掲句は『七百五十句』最後の句。虚子の辞世の句と言ってもよいだろう。
その最期は四月八日であるから、もう書き残すことはなかったはずである。」

「鎌倉婦人子供会館」のHPに次の記載がある(抜粋)。
昭和34年3月30日、玉藻句謡会場の当会館和室二階和室には、漢詩の軸が掛かっておりました。
中村春堂が源頼朝を偲び詠んだ漢詩をしたためたものです。
虚子は、多くの死者が眠る鎌倉の山並みを窓より見渡し、
頼朝を弔う詩幅を前に、次の二句を残しました。
     英霊を 弔ふ詩幅 桜生け
     春の山 屍をうめて 空しかり
虚子は、この句謡会の二日後に半昏睡状態となります。
さらにその七日後の昭和34年4月8日、鎌倉原の台の自宅にて、85歳の生涯を終えました。
当会館での「英雄源頼朝の魂と屍に思いを馳せる句」が虚子最後の句となったのです。

虚子は「春の山屍かばねを埋めて空しかり」の句を詠んだ二日後に亡くなったのではなく、二日後に脳出血で倒れ、1週間後に亡くなったことがわかった。訂正させて頂きます。

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