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2014年12月 8日 (月)

本との出会い(3): 「悪党芭蕉」と「大悪人虚子」(その1)

       

「『悪党芭蕉』という本があるのを知っているか?」と博識の友人から聞かれたことがあった。その時は聞き流していたが、「虚子辞世句の新解釈」についてブログを書いているときに思い出して、「悪党芭蕉」(嵐山光三郎著、新潮社発行)を図書館で借りて読み始めた。

「この一冊を書き終えて、正直言ってへとへとに疲れた。知れば知るほど、芭蕉の凄味が見えて、どうぶつかったってかなう相手ではないことだけは、身にしみてわかった。」と著者が「おわりに」に書いているが、第34回泉鏡花文学賞と第58回読売文学賞を受賞したこの本はなかなかの労作で面白い。

      

ところで、虚子の「初空や大悪人虚子の頭上に」という俳句の句評や虚子自身について様々なブログ記事があるので、それらのブログや『悪党芭蕉』を読んだ感想をブログに書きたくなった。

   

俳句は融通無碍であり、詠む人と読む人の関わり合いや立場・考え方の違いなどで如何様にでも解釈できる。

     

嵐山光三郎氏は「俳聖芭蕉」という通念に対比する視点で「悪党芭蕉」を面白く書いている。

   

「2 『古池や・・・・』とは何か」の最後のパラグラフを抜粋すると、

次のとおりである。

     

・・・・(省略)・・・・

ところで、「蛙が水に飛び込む音」を聴いた人がいるだろうか。

この句が詠まれたのは深川であるから、私はたびたび、芭蕉庵を訪れ、隅田川小名木川沿いを歩いて、蛙をさがした。 

・・・・(省略)・・・・ 

蛙が飛び込む音を聴こうとしたが成功しなかった。

・・・・ (省略)・・・・

蛙はいるのに飛び込む音はしない。蛙は池の上から音をたてて飛び込まない。池の端より這うように水中に入っていく。

・・・・(省略)・・・・

ということは、芭蕉が聴いた音は幻聴ではなかろうか。あるいは聴きもしなかったのに、観念として「飛び込む音」を創作してしまった。俳句で世界的に有名な「古池や・・・」は、写生ではなく、フィクションであったことに気がついた。 

・・・・(省略)・・・・ 

「蛙飛び込む水の音」は、芭蕉が自分で見つけたオリジナルのフィクションなのである。

     

嵐山光三郎氏は上記抜粋のように断言しているが、芭蕉が詠んだ当時の川やと自然破壊・人工化の進んだ現在の川や池を同じレベルで判断するのは事実誤認であり、独断も甚だしいと思う。これは悪党云々の根拠の一例に過ぎないが、芭蕉は何というであろうか? このような誤解がブログなどで広まるのも問題である。死人に口なしであるから、子供の頃に川や池に蛙が飛び込む音を何度も聞いたことがある田舎育ちの私が芭蕉の代弁をしておきたい。

          

長谷川櫂氏はサントリー学芸賞を受賞した「俳句の宇宙」(花神社発行)の序章「自然について」で「古池や・・・・」の俳句について次のように述べている(抜粋)。

     

この句を初めて聞いたとき、芭蕉という人は、いったい、何が面白くてこんな句をよんだのだろうかと不思議に思った。

古池にカエルが飛び込んで水の音がした—――-なるほど、一通りの意味はわかる。「自然に閑寂な境地をうち開いている」(山本健吉)といわれれば、そうか、とも思う。しかし、芭蕉は何か別のことを言いたかったのではないか。

・・・・(省略)・・・・

芭蕉の古池の句は、もともと当時の俳諧という「場」に深く根ざしたものだった。時間とともに、その「場」が失われてしまうと、この句が本来持っていた和歌や当時の俳諧に対する創造的批判という意味が見えなくなってしまった。

・・・・(省略)・・・・

そして、俳句がわかるには、俳句の言葉がわかるだけでなく、その俳句の「場」がわからなければならない。俳句の「場」に参加しなければならない。いいかえると、俳句が通じるためには、作り手と読み手の間に「共通の場」がなければならない。

俳句にとっては言葉と同じくらい、言葉以前の「場」が問題だ。そして、俳句を読むということは、その句の「場」に参加することなのだ。

・・・・(省略) ・・・・

いずれにしても子規は古池の句の「場」として自然以外のものを認めようとしない。

虚子はもっと徹底していて、・・・・ (省略) ・・・・ 古池の句をほとんど自然讃歌、生命讃歌の句にしてしまっている。こういうことが起こるのも、古池の句の本来あった「場」が失われてしまっているからだ。 ・・・・(以下省略)・・・・

     

以上のような次第なので、次回のブログで「大悪人虚子」について書くことにしたい。

    

青色の文字をクリックするとその関連の解説記事や写真がご覧になれます。「古池に蛙は飛び込んだか」(長谷川櫂著)を紹介したesu-keiさんのブログは「蕉風」を理解するのに参考になります。ここをクリックしてご覧下さい。なお、「古池や・・・」の俳句の英訳や英語俳句の作り方に興味のある方はここもクリックしてご覧下さい。)

      

    

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愛犬「チュヌ」が永眠しました。
「チュヌの便り」の総集編「チュヌの追悼」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2018/10/post-76ff.html
をご覧下さい。
チュヌは皆さんのお幸せを天国から見守っています。

「増殖する歳時記」における芭蕉の句「古池や」の句評で清水哲男氏は次のように述べている(抜粋)。

「……(省略)…… 芭蕉の空想的絵空事ではないのかと思ってきた。というのも、私(田舎の小学生時代)が観察したかぎりにおいて、蛙は、このように水に飛び込む性質を持っていないと言うしかないからだ。たしかに蛙は地面では跳ねるけれど、水に入るときには水泳選手のようには飛び込まない。するするっと、スムーズに入っていく。当然、水の音などするわけがない。そこでお願い。水に飛び込む蛙を目撃した方がおられましたら、ぜひともメールをいただきたく……。」

しかし、小生は子供の頃、自宅の池にカエルが飛び込むのを見たり、その音を聞いたりしています。池の傍に道があり、池の傍を人が通ると蛙が驚いて池に飛び込みましたよ!

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