俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(14)
今回は国際俳句交流協会のホームページのトップにある俳句「戦争が廊下の奥に立ってゐた」(渡辺白泉)を取り上げる。
大岡信の「百人百句」(講談社)におけるこの句の解説を抜粋すると:
---- 廊下の奥というささやかな日常生活に、戦争という巨大な現実は容赦なく侵入してくる。その不安が一種のブラックユーモアとして言いとめられている。この句は新興俳句が理念の一つとした社会批判や社会性を意想外の角度から巧みに表現しており、昭和14年に作られているというところに先駆的な意味を持っていた。 ---- ---- 渡辺白泉という俳人が特別鋭い社会感覚を表現できた人である --- --- 昭和15年に京大俳句事件で検挙され執行猶予になるが、執筆停止処分を受けた。----
とある。
幼少の頃、雨戸の開け閉めが自分に課せられた仕事だったが、長い廊下の奥の方が薄暗くて気味が悪かった記憶がある。渡辺白泉がこの句を作った頃の日本社会の不気味さを比喩的に「廊下の奥」と表現し、自由にものが言えない時代に「戦争」の予感・警告をかろうじて俳句にしたのだろうか? 「立ってゐる」としないで「立ってゐた」と過去形にしたのはなぜだろうか? 白泉を尾行している特高警察がどこかの廊下に立っていたことを戦争に例えて俳句にしたのだろうか?
この句は季語もなく、伝統的な俳句を代表するものでもなく、川柳かと思うような句であり、作者や時代背景の解説がなければ、全く理解できないものである。
この句について、HIAの名句選「愛好10句 金子兜太抄出」には次の英訳が掲載されている。
The War
in the dark at the end of the hall
it stood
この句の作者の意図や時代背景など何も知らない外国人が上記の英訳HAIKUを詠んで句意を理解できるだろうか?
「廊下の奥(in the dark at the end of the hall)」という比喩を理解できるだろうか?
「The War」とは第2次世界大戦のことであり、「it stood」と記述しているのは「過去のものだ」と言っているのだと誤解するのではなかろうか?
この俳句から日本の俳句の良さを理解し、HAIKUは素晴らしいと思うだろうか?
英語のハイクでは比喩を好まないようである。この句の比喩をHAIKUとして訳出しようとすれば、例えば次のように意訳すればどうだろう?
a warmonger
stood
at the end of the hall
又は、
war
at the end of hall__
threatening
上記最初の意訳では「戦争」を「warmonger(戦争屋)」と意訳し、「事実を詠んだ俳句として冠詞を普通通りに付けてある。「the War」とすれば第2次世界大戦など最近の大戦を指すことになり、「the hall」とすれば日常使っている特定の「廊下」を指すことになり、原句の比喩の理解の妨げになるだろう。従って、二つ目の意訳では抽象的に漠然と比喩的に表現したものとして、「war」や「hall」に冠詞を付けていない。
国際俳句交流協会(HIA)では俳句を国際的に広めて、無形文化世界遺産に登録されるように努力しているとのことである。俳句が国際的に広がり、日本人は自国のみならず世界の平和を希求していることが国際的に理解されることを切望している。それにしても言語の違いが単に俳句・HAIKUの国際化のみならず世界平和の実現の障壁となっていることを今更ながら痛感する。ささやかながらこのブログが俳句の国際化、世界平和の実現への草の根運動の一助にでもなれば幸いである。
このブログは2014年8月にチュヌの主人が書いたが、その後HIAのホームページは更新されていることを知った。
従ってこのブログは現状と異なっています。ご了承ください。
投稿: チュヌの主人 | 2015年1月15日 (木) 07時01分