お友達のエッセー:「忘れ得ぬ最高の思い出」
タイトルのエッセーは作者(出羽正義さん)の大手商社勤務当時の楽しい思い出です。
「昭和や」でのブログ・川柳談義の際にチュヌの主人が非常に愉快な話だと思ったので、掲載させて頂くことになりました。下記のエッセイをご一読下さい。
1978年12月、一か月の米国出張が終わりに近づいた時突如本部から「Argentine, Venezuela, Chileに立寄り出張の上帰国されよ。用件は追って連絡する」との指示が入電。南米の担当から外れていた私にこの追加出張命令、何故?とは思いましたが小躍りして喜びました。
実は、高校時代 私の田舎町にどう言う訳か「さらば草原よ」と言うアルゼンチン映画が来まして、それを見た私は以来頭から片時も離れない位にこの歌に魅了されてしまい、あの国の土を踏みたいと言うのが夢の夢になっていました。
そして就職、新入社員の身上調書に「行きたい外国名を記入せよ」と言う欄があり、ずうずうしくもそこにArgentineと書いたのでした。同国とは取引はなかったのですが…。
さらに’78年から遡ること10年前 ’68年に初めての海外出張で南米Colombiaへの10ケ月の出張終了間際「Argentineに立寄れ」との指示が入ったことがあったのです。夢実現と狂喜しましたが、翌朝「昨今の経済情勢に鑑み貴台の出張命令は取り消す」という入電! 天国から地獄とはこのこと、涙を飲みました。
そんなことがあったので、今度こそ機を逃さずと早速飛び立ちました。Buenos Aires B.A.到着の翌日メーカーの担当者二人がジョインしてくれました。
同国には旭化成のアクリルプラント輸出が決まっており私の所属課(繊維)では市場開拓用の原料綿を輸出しておりました。おおむね順調な取引の中である特殊なスペックの契約品が引き取られず、日本で長期在庫になって困っていました。経常取引の打合せの他にこの在庫の引取をさせろ、というのが私への指示でした。
初日 訪日して件の契約を置いて帰った番頭格の常務に面談しましたが、この在庫の話になると言を左右にしてのらりくらりと逃げ回りばかり。
翌日は朝早く7時!に会長との面談。表敬訪問が主でしたから、一般情勢やアクリル繊維の市場見通しなどを話題にしました。そろそろ終わりだというとき、会長がAnything else?と言ったので、すかさず長期在庫の件を持ち出し、善処願いたい、と要請しましたところ、会長は番頭さんを鋭くにらんで「ただちに引き取れ」と厳命、鶴の一声で,同社とのもめごとはあっけなく解決したのです。
もうすることがなくなった我々はBAの見物に出かけました。同市はラテン・アメリカという言葉から想像するのとはかなり違い、まるでヨーロッパの如しで、パリの街に埃をかぶせたごとき街並みでした。港へ行き アルゼンチンタンゴ発祥の地と言われるカミニート(小径)通りも歩きました。小さい土産物屋、飲み屋、軽食堂などが それぞれが原色のペンキで塗られて両側に並んでいる狭い通り。この小路を題材に作曲された曲が申すまでもなく「カミニート」です。
シエスタ(昼寝)の習慣があるからでしょう、B.A.の夜の賑わいは遅くから始まります。レストランは9時、タンゴ劇場は11時にオープンという遅さ。我々がこの二つをこなし、気持ち良い夜風の吹く通りに出たのは午前1時を過ぎていました。酔っぱらった勢いで、深夜の街を行方を定めずブラブラ フラフラと歩いて行きました。と、人通りが途絶えた辺りで、ドアを開けたままのバーがあり、そこからタンゴをひくピアノの音が漏れてくる。薄暗い店内では6~7人の男どもが飲んで騒いでいる。左奥にピアノと奏者がいました。我々は恐る恐る入ってテーブルを占めるとワインやビールを注文してピアノに耳を傾けていました。そうする内私はこのピアノ伴奏に合わせてタンゴを歌いたいと言う気持ちが抑えがたくなってきましてピアニストに頼むと快諾してくれましたので、はやる気持ちを抑えて「カミニートCaminito」「さらば 草原よAdios Pampa Mia」「ガウチョの嘆きSentimiento Gaucho」の3曲を歌いました。終わった時は興奮で天にも昇った気持ちでした。翌日は仕事もないので 急ぐこともなく また、ブラブラとホテルへ帰りました。
このバーを出るとき看板を見ると”Oscuro Rincon”。これは「ガウチョの嘆き」の歌詞にそのままの言葉があります。
“En un viejo almacen del Paseo Colon,
donde van los que tienen perdida la fe,
todo sucio, harapiento, una tarde encontre
a un borracho sentado en oscuro rincon.
(注:スペイン語文字になっていません)
上の写真は 翌日街で見つけた画。
タンゴを歌ったバーとよく似ているので買ったものです。
看板には“El Viejo Almacen”とあります。
アルゼンチンタンゴの発祥の地 B.A.で現地のピアニストの伴奏でタンゴを歌った時、これが私の忘れがたき人生最高の瞬間でした。
その後タンゴを歌う機会は絶えてありませんでしたが、私の所属の合唱団がCaminitoをレパートリーに加えましたので、その演奏の度にあのCaminito とあの日のことを思い出しながら歌っております。
以上
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2024.10.4 更新
投稿: | 2024年10月 4日 (金) 11時13分