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2019年8月31日 (土)

俳句雑感(6)《季語と切れ字》「猛暑日」と「立秋」

    

(2024.9.14更新)

猛暑日やビルは虹色夕日差し

虹色に酷暑の夕日ビルを染め

新米を高値にしたる猛暑かな

         (薫風士)

   

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まん歩で見かけた猛暑の夕日に映えるビルの情景を駄句に詠みました。

 

2024.6.14  朝のNHK天気予報

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京都は早くも猛暑日になる予想です。

  

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(2023.8.13 更新記事)

今日(8月13日)は「迎火」です。

台風7号が発生していますが台風による災害が大きくならないことを祈るばかりです

  

猛暑日の早朝まん歩句を口に

猛暑日やLINEで交はす老の愚痴

この極暑老躯に欲しき剛健さ

   

(2019.8.31)

tenki.jpによると、7月31日に東北北部も梅雨明けとなり、日本列島は猛暑日となりました。  

梅雨明けは猛暑日なりし七月尽

    

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掲句は、強いて俳句と言うなら、話題提供の「報道俳句」です。

この俳句は「梅雨明け」「猛暑日」「七月尽」と季語が3つあり、一般的な俳句ではありません。

「猛暑日」は2007年以降に用いられるようになった言葉なので私の歳時記には有りませんが、季語として扱うべきでしょう。

  

猛暑日や熱中症の孤独死も

  

この俳句は世相を表す川柳にする方が相応しい内容です。

伝統俳句の「梅雨明け」の例句はここをクリックしてご覧下さい。

   

立秋や名のみの秋の猛暑かな

 

この俳句は二つ「切れ字」(詠嘆の「や」と「かな」)があり、季語も三つありますので、一般的には「ダメ俳句」として批判されるでしょう。しかし、「はや立秋になったんだ」という感慨と、「それにしても猛暑だな」という二つの感慨を共に表す俳句として是認してくれる俳句の先生が居てもよさそうですが、いないのでしょうか?  

  

今年の立秋88日ですが、天気予報によると未だ「猛暑日」や「真夏日」が続いています。

このように、実際の季節感と歳時記の季語にずれがあるのは、陰暦(旧暦)に基づいていた二十四節気が太陽暦(新暦)に当てはめられた結果ですが、地球温暖化による異常気象の影響も無視できないでしょう。

   

余談ですが、中国やインド、米国、ロシアなどの人口巨大国が率先して温暖化対策を促進しなければ、将来の地球環境はどうなっていくのか心配なことです。

世界の指導者として、米国トランプ大統領には大いに反省して頂きたいですね

トランプ大統領は「積み木崩しゲーム」の崩すことばかりやっているような気がします。 

トランプ大統領とその取り巻きは、世界の緊張が高まり、米国の軍需産業が繁栄すれば良いと、「アメリカ・ファースト」を唱道しているのでしょうか?

  

国際条約を簡単に反故にする風潮が蔓延ると、平和な世界の秩序が維持できなくなります。

次の選挙では、米国市民が世界のリーダーとして相応しい大統領を選ぶ良識を発揮してくれることを祈るばかりです。

  

トランプに振り回される世界かな

  

日本の政治家もしっかりしてほしいものですが、庶民は、憤懣やるかたなくても、川柳を口ずさみ、ぼやいているしかありません。

   

最後の写真は日本伝統俳句協会8月の俳句カレンダーの一部です。

写真をクリックして拡大し、掲載された俳句をご覧下さい。

短冊の稲畑廣太郎氏の「丸ビル」の俳句は、秋めいた景色が丸ビルの窓ガラス越しに見えたことを詠んだのでしょうが、ガラス窓に映っている初秋の情景を詠んだものかもしれません。

(「玻璃」は「ガラス」の意味です。)

  

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

  

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2019年8月20日 (火)

俳句雑感(7)金子兜太の「炎天」の俳句(改訂版)

     

2019年8月、「炎天下」の甲子園における高校野球全国大会をNHK・TVで観戦しながら、「炎天」の俳句を作ろうとして、ふと金子兜太の有名な俳句のことを思い浮かべました。

  

水脈の果炎天の墓碑を置きて去る

  

この俳句は5・8・5の破調です。

一般的に、俳句の「中七」の字余りは良しとされません。

しかし、この俳句を、例えば、「水脈の果炎天の墓碑置きて去り」とか、「炎天の墓碑置き去りし水脈の果」、「戦友の墓碑炎天の水脈の果」などと、5・7・5の定型に収めると破調のインパクトが無くなり、作者の痛恨の思いを表現しきれない気がします。

 

このように、俳句の内容によっては破調にする方が効果がありますが、安易に破調にすると散文の断片に過ぎない片言になります。

破調にするにはそれなりの必然性がなければなりません。

一般的な作句では定型を守るのが無難で良いと思います

  

湾曲し火傷し爆心地のマラソン

 

この俳句は、季語が無く破調の最たるものであるばかりでなく、現在はマラソンが盛んなのでそのマラソンの印象が強く、被爆者が黒焦げになって無残な即死をしたり、悶え死んだり、逃げ惑ったりした悲惨な状況を想起させる名句として納得するには抵抗を感じます。 

この俳句は、「軽み」を特徴とする俳句の分際で被爆や被災など悲惨な状況・重い題材そのものを詠むには無理があること・俳句の限界の証になるでしょう。

  

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写真は、2024年2月26日に開催された大阪マラソンのスタートとゴールのNHK-TV画面の一部分です。

  

当日は冴返る冬日の春雨のマラソンになりましたが、平林清澄(國學院大學3年)が初マラソンで初優勝の快挙を達成しました。

    
金子兜太が長崎の被爆を詠んだ前衛的現代俳句は、
歳時記「炎天」の一茶の俳句にある言葉を借りて言えば、伝統的な俳句の概念からは「とっぱづれ」しています。 

   

復興なった被爆地でマラソンが出来る平和の有難さを現代俳句として詠むべく、次のように本歌取りをしました。

     

    

マラソンや被爆忘るな春の雨

      (薫風士)

  

の俳句の「春の雨」から「被爆の黒い雨」を想起してくれる世代は減るばかりですが、「俳句HAIKU」の読者の皆さんは、世代を問わず、この拙句に共感して頂けるでしょうか?

    

8月19日は「俳句の日」です。

俳句愛好家が増え、俳句を通じて世界の平和が実現することを切望しています。

ここをクリック(タップ)し、「夏の俳句特集(改定版)」 をご覧下さい。

   

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

    

2019年8月16日 (金)

815祈り繋がむ終戦日(改訂版)

  

(2024. 12.15 更新)

2024年のノーベル平和賞は、日本被団協に授与されました。 

日本被団協は、連合軍による原爆投下から11年後の1956年に広島と長崎の被爆者などによって結成された日本原水爆被害者団体協議会の略称です。

核兵器の非人道性を広めるための草の根運動が評価され、ノーベル平和賞を受賞したとのことです。(日本経済新聞参照

   

(2019.8.16 の記事)

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タイトルの俳句は薫風士の川柳もどきの「標語俳句」です。

   

「815」は広島に原爆が投下された815終戦日815を意味します。

   

今年の終戦日は猛暑大型の台風10号・豪雨に見舞われそうです。被害が少ないことを祈るばかりです

  

天災は甘受せざるを得ませんが、英知を集めて災害を最小限に食い止める努力が必要です。災害が発生した際には自衛隊の救助活動によって多くの人命が救われています。

自民党の草案にある憲法改正(天皇を元首とする国家主義により自衛隊を軍隊にして戦争に駆り出す羽目になる改悪)は阻止しなければなりません。

  

終戦記念日を迎え、平和のありがたさを再認識しています。

まやかしの政治を繰り返させないように、次の選挙では一歩踏み込んでよく考えて投票するようにしましょう。

  

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

      

2019年8月14日 (水)

869祈り繋がむ原爆忌

   

 (2024.12.15 更新)

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写真は、タップ拡大してご覧になれます。(NHK-TV 画面の一部分です。)

  

2024年のノーベル平和賞は、日本被団協に授与されました。

 

被団協は、連合軍による原爆投下から11年後の1956年に広島と長崎の被爆者などによって結成された日本原水爆被害者団体協議会の略称ですが、核兵器の非人道性を広めるための草の根運動が評価されたとのことです。(日本経済新聞参照

  

ままならぬ功を焦らず原爆忌

       (薫風士)

   

「核廃絶」と同様に人々の意識が変わらない限り実現不可能ですが、世界平和実現の基本的な課題は、世界の人々が「既存の宗教を超越し、21世紀の科学に基づいた普遍的な宗教心を持つこと」です。

  

「旧統一教会」・「世界平和家庭連合」と政治家の関係は宗教のマイナス面の卑近な例ですが、問題を矮小化せず、恒久的平和へ根本的解決をする地道な努力を世界に広げましょう

   

P.S. 2022.3.12

ウクライナ紛争について、「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、記事を書きました。

青色文字をクリック(タップ)して、ウクライナ・ドナウへ流る春の川」や春一番この発言はおぞましき」をご覧下さい。

  

(2019.8.14)

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タイトルの俳句は広島平和記念式典をテレビで見ながら薫風士が広島忌と長崎忌を口ずさんだタイトル俳句です。

   

「869」は、広島の被爆(194586日午前815分)と長崎の被爆(89日午前112分)を意味します。

        

忘れまじ815の炎天

   

815祈り繋がむ終戦日

  

上の2句は薫風士の川柳もどきの「標語俳句」です。

「815」は広島に原爆が投下された815終戦日815日を意味します。今年の終戦日は猛暑大型台風に見舞われそうですが、被害が少ないことを祈るばかりです

  

その悲惨俳句に詠めず原爆忌

    

俳句は片言ですから、戦争や原爆の悲惨さは到底詠むことはできませんが、考えるきっかけにはなります戦争の悲惨さを体験した世代の生存者は年々減少し、いずれ戦争を知らぬ世代ばかりになります。

     

語り継ぐ五才の記憶原爆忌  

       (末廣紀惠子)

 

原爆の阿修羅忘れず敗戦忌  

        (泉田秋硯

  

原爆忌語り部たちの老い姿  

         (桂敦子

     

戦争犠牲者のご冥福・核兵器廃絶・世界平和の祈りは永遠に続けなければならないと思います

 

核兵器の廃絶は現実には出来ないにしても、世界の人々がこの祈りを続け、いずれの分野においても、世界の指導者が「寛容の精神」をもって世界の融和・核軍縮の努力をすれば、戦争の勃発や核兵器の使用を未然に防ぐことは可能でしょう。

  

米国はじめ世界の現状はこのような庶民の願いを十分に反映せず、逆行しているのは悲しいことです。

  

しかし、一人ひとりの小さな力でも、世界の人々があきらめずにコツコツと結集すれば、大国をも動かすことは出来るでしょう。

 

この思いを皆さんがシェアしてくれることを祈っています。

     

原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ 

        (金子兜太)

   

(上記の俳句4句は歳時記(俳誌のSalon)から抜粋・掲載させて頂きました。) 

   

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青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

   

2019年7月31日 (水)

俳句雑感(5):「西瓜」(秋の季語)と「西瓜割」(夏の季語)について

    

(2024.10.7 更新)

西瓜食み馳せる思ひやウクライナ

重陽に吾庭の西瓜味見せり

熟せざる西瓜鴉に喰はれけり

       (薫風士)

 

20240910_134710708_065129先日から鴉がよく鳴いていたので何故だろうと思っていましたが、早くも七夕の夜(?)に西瓜を4個も鴉に喰われました。

まだ熟していないから大丈夫だろうと思っていましたが、残念無念です。

   

年を重ねるごとに、時の流れの速さが加速しているように感じます。

  

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青色文字をクリック(タップ)して、リンク記事をご覧下さい。

  

7月16日は「閻魔詣で」です。

  

「TOKYO 2020」の開催をワクチンの開発・普及が進み新型コロナウイルスの感染拡大の収束が期待されるまで2年間延期していたら、暗殺による安部晋三元総理大臣の非業の死も起こらなかったかもしれません。

   

言葉の力・俳句の力《癒し》や「俳句《涼し》死の話をご覧下さい。

     

(2019.7.31)       

初物の西瓜からすに食はれけり

   

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掲句は薫風士のブログ用川柳もどきです

   

     

    

(写真)

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カラー図説 日本大歳時記の一部分です。

タップ・拡大して、解説と例句をご覧下さい。

   

俳句は川柳ほど人気がないのが現状ですが、俳句を作らない人々の大抵は「季語が難しい」と思っているようです。

次のことがその原因でしょう。  

「『夏の季語』で俳句を作りなさい。」と言われ、普通の人は「西瓜」は夏に食べるのが美味しいと思って、「西瓜」の俳句を作ると、「『秋の季語』だからダメです。」などと言われて面喰い、不信感を抱いたり、俳句嫌いになったりするのではないでしょうか?

  

歳時記を金科玉条にして、「『西瓜割』は夏の季語だが、『西瓜』は秋の季語である。」などと素人には訳の分からないことをいう俳句の先生が沢山いるから、俳句は敬遠されているのではないでしょうか?

残念なことです。

  

当初の季語は旧暦(陰暦)の四季に基づいて分類されていましたが、その季語が新暦(太陽暦)の四季に当てはめられたことが混乱を生じて、更に季語を難しくしているのでしょう。

このことは、季語の本来の価値を損なっていると思います。  

  

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北海道から沖縄まで、地域によって季節の変化が異なります。

  

「俳句は自分が自然を見たまま、感じたままに素直に5・7・5にすれば良い。」ということが大原則でしょう。  

俳句を作っているうちに、自然に「季語」の「取り合わせの妙」とナンセンスが分かってくるものです。

俳句の食わず嫌いの方には、自分の感性を信じて、歳時記の分類に捉われることなく、自然を見たまま、感じたままに、気軽に俳句を作り、俳句の面白さ・楽しさを知ってほしいと思っています。

   

日本大歳時記(秋)の「西瓜」の解説の最後に、「西瓜は普通秋の部に分類されるが、現実には夏のものである。」との記述があります。

合本現代俳句歳時記角(川春樹編)でも、西瓜は「秋の季語」として掲載されています。

「きごさい歳時記」(5,000季語の検索)では、「『西瓜割』は晩夏、『西瓜』は初秋』」に分類されています。

いずれの歳時記にせよ、絶対視せず、実際の自然の観察を優先して俳句を作るのが本来の俳句の楽しい作り方でしょう。  

上記の考えに異論のある俳句の先生がおられたら、後学のためにご意見を頂けると幸いです。

   

ここをクリック(タップ)して、「夏の俳句特集(薫風士のブログ)」 をご覧下さい。

ここをクリック(タップ)して、「俳句の鑑賞:《秋の特集》」をご覧下さい。

  

 青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

  

2019年7月13日 (土)

「片陰」(俳句の文法・口語と文語)

   

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ここをクリックすると「歳時記」の「片陰」の例句をご覧になれます

  

      

俳句上達のコツは、ともかく見たこと感じたことを「5-7-5」のリズムに表現し、そのリズムを身に付けることでしょう。

投句する場合にはそれを推敲すればよいのですから・・・。

  

A)片陰を辿り訪ねた丘の街 

(B)片陰を辿り訪ねし丘の街

(C)遊歩道片陰光る水溜り

(D)片陰に移ろう光水溜り

(E)片陰に光移ろふ(にわたずみ)

(F)片陰の移ろふ光

   

(A)の「訪ねた」は口語で散文的に響きますが、

(B)の「訪ねし」は文語で詩的な響きがあり、

俳句としては(B)の方がよいでしょう。

(C)は、文語・口語の違いはありません。

(D)の「移ろう」は「水溜りの光が移ろう」のか「作者が片蔭に移ろうとしているのか」曖昧になり、不適切です。

(E)と(F)の「移ろふ」は文語(旧仮名遣)です。

口語の「移ろう」でも「水溜りの光が移ろうこと」を詠んでいることは明瞭ですが、文語の方が詩的な印象があるでしょう。

このように、旧仮名遣にはそれなりのメリットがあります。

(広辞苑などの辞書には現代仮名遣の後に旧仮名遣が付記されているので簡単に確認できます。)

    

ちなみに、前回の「まんぽ俳句」に掲載した紫陽花の俳句

梅雨晴れ間垣根溢れる額の花」は口語俳句ですが、

文語俳句にすると梅雨晴れ間垣根溢るる額の花」となります。

(現に見ている情景なので、「梅雨晴れ間垣根溢れし額の花」とはしません。)

  

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2019年7月 6日 (土)

芭蕉の俳句・HAIKU of Bashō:「木下闇」(30/300)

  

須磨寺やふかぬ笛きく木下やみ

  (sumadera-ya fukanu-fue-kiku koshitayami)

  

(A)

in sumadera

i heard the unblown flute sing

in the trees’ deep shade

  

(B)

Suma temple_

hearing the unblown fife,

in the dark of trees’ shade

  

(A) 575訳、(B)はLovee訳です。

切れ字の「や」は(A) には訳出されていませんが、(B) では句読点「_」で表しています。固有名詞はhaikuでも「Suma」のようにを大文字にする方が句意がわかりやすいでしょう。

A)のように主語の「I」を小文字にするのは賛成しかねますし、原句に無い「我・吾・われ」を「翻訳haiku」で「I」として補充するのは無用です。(A) は、「in ---i---in」と韻を考慮したのかもしれませんが、句意が誤解される恐れが無い限り、前置詞は補充しない方が良いでしょう。俳句は省略の文学であり、その解釈を読者に委ねることが面白さの一面です。

いずれにしろ、須磨寺の逸話(平敦盛のこと)を知らない限りこの俳句の良さは理解されないでしょうが、英語俳句の作成や翻訳の参考になれば幸いです。

ちなみに、「木下闇」は夏の季語です。

 

(注)青色文字(冒頭の「須磨寺や・・・」など)をクリックすると、解説記事(「笈の小文」など)をご覧になれます。

なお、次回からはLovee訳のみを掲載し、折に触れて他の翻訳を参考に掲載させて頂きます。  

  

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タイトルをタップしてその記事をご覧頂ければ幸いです。

   

 

  

  

2019年6月 7日 (金)

芭蕉300句:言葉の壁を破る英訳チャレンジ (1)

         

 (Click here to see "the English version by L. P. Lovee".)

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先日、「575 The haiku of Basho」の著者John Whiteが共著者の佐藤平顕明氏と来日され、芭蕉の俳句の英訳について議論する機会を得ました。

ホワイト氏は俳句の原則5-7-5音を尊重して英訳を5-7-5 音節(syllable)のhaikuとし、芭蕉が字余りで詠んだ俳句はそれに従って音節を増やすという徹底ぶりで、300句を英訳しています。その労作には驚嘆しました。

ホワイト氏は日本語を理解できないので、佐藤氏の解説を基にして英訳されたそうで、両氏のご努力には敬意を惜しみません。しかし、俳句の本質は5-7-5音の簡潔な詩的表現をすることにあり、日本語と英語の構文や発音などの違いを無視して形式的に音節に拘ることには賛成しかねます。動詞や前置詞・副詞などを使用して音節を増やすと散文的になり、俳句の特徴である「詩的短さ」が損なわれると主張しましたが、ホワイト氏は英語の詩として十分簡潔なhaikuに翻訳していると反論され、議論は平行線に終わりました。

ホワイト氏には94歳のご高齢にもかかわらず翌日の帰国を控えたお忙しい時間を割いて頂いたので議論の矛を収めましたが、言葉の壁を破り俳句の翻訳をすることの難しさの一例として、ご参考までに下記のとおり紹介させて頂きます。

 

・ほろほろと山吹ちるか瀧の音 (芭蕉

 

yellow rose petals

gently, gently flutter down;

waterfall thunder

 

ホワイト氏は、芭蕉が山吹を見て詠んだものとしてこの翻訳をしたとのことで、「滝音の響きと山吹が静かに散る対比が面白い」と感想を述べていました。

この解釈は、疑問を表す助詞「か」を見落としていますが、日本の著名な俳人も文法に気をとめず直感的に句意を解釈する傾向があるので是認すべきかもしれません。この俳句は滝の音を聞きながら、「滝の轟音の響きで山吹が散るのではないか?」と滝音の大きさを詠嘆して詠んだものでしょう。 

そこで、次のとおり試訳してみました。

  

shall yellow rose petals

flutter down?

the thunder of water fall

   

ホワイト氏の翻訳は9語17音節ですが、上記試訳は11語16音節です。語数が増えても「滝の音」を強調するために敢えて「the thunder of waterfall」としました。

英詩のHAIKUとしては試訳よりホワイト氏の翻訳の方が詩的映像が鮮明になり優れていると思いますが、原句の句意を無視することはできません。試訳は1~2行の改行を活かし、間をおいて読むと俳句らしくなります。

芭蕉は「滝と山吹」の従来の取り合わせの焦点を音に当てることにより新鮮味を出し、映像は読者の想像に委ねたものと思います。

ホワイト氏はロンドンの名門大学UCLの教授だったとのことですが、まだまだお元気です。「来年も生きていたら来日し、俳句と仏教について講演するつもりだ」と仰ってました。

芭蕉の俳句を気の向くままに英訳して言葉の壁を破るチャレンジをし、来年もホワイト氏と議論できることを願っています。

 

今後の英訳は折に触れてfacebookにも掲載します。俳句の翻訳に関心のある読者の皆さんからコメントを頂き、「俳句とhaiku」鑑賞の楽しさをシェアして頂けると望外の喜びです。

   

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

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2019年4月30日 (火)

平成の果てて令和の花見酒

 

To enjoy HAIKU in English, click the respective titles: Farewell haiku of Ransetsu” , Photo Haiku Collection (Trip to Europe), and "Vol.5 Kyoshi 100 Haiku (81) ~ (100)" in HIA.

     

新元号期待違はず花見かな 

花冷に祈る平和や令和の句

平成の平和繋がむ生身魂

      

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桜の写真は隅田川テラスからスカイツリーを望む風景皇居の堀端の垂れ桜です。

   

(写真はクリックすると拡大します。青色文字をクリックするとリンク記事をご覧になれます。)    

    

 現代は「花見」と言えば「桜の花見」ですが、万葉集時代の花見の対象は中国渡来の「梅の花」でした。   

               

新元号令和を祝ひ花見酒

 

万葉の文化偲びつ花の宴

 

異国語も交じり平和や花筵

 

句に興じ異国の友と花見酒

  

新元号フェイクにするな四月馬鹿

 

改元に詐欺の横行四月馬鹿

   

平和ぼけするな一喝春の雷

 

大川のジョガー行き交ふ花堤

 

花万朶スカイツリーを遠望に

 

花万朶水面に映ゆる皇居かな

  

平成の残花を惜しみ一人旅

 

碧眼の皿売りも居て花の市

  

平成の果つる四月や花に雪

 

余花の雨地を固むるや令和成る

 

花は葉に一人連句を口ずさみ

       (薫風士)

       

          

「桜」・「花」の俳句と写真集(サイト)はここをクリックしてご覧下さい 

歳時記(俳誌のサロン)の「花見」の俳句はここをクリックしてご覧下さい    

       

  

「令和」の「令」は「命令」・「号令」や「律令制」を連想し、「和」は「昭和」と「平和」を連想します。「律令制」は「大化の改新」で実施されました

 

「令和」の時代に「世界平和に貢献する日本にするか否か」は、我々一人一人の自覚と行動次第です。

  

和を以て貴しと為す」は聖徳太子の言葉とされていますが、平和憲法下の「民主主義に基く和」を推進したいものです。

  

平和ぼけして「あなた任せ」や「お上まかせ」の意識でいると、「平成から令和の歴史の流れ」は「大正から昭和の歴史」と同様の悪夢の繰り返しになるでしょう

 

自民党の憲法改正案には「天皇を元首」にしたり、「自衛隊」を「軍隊」にしてありますが、このような「改正と称する改悪」は無用でしょう。

 

平成の天皇の「『象徴天皇』と『平和』への真摯な思い」を無にしてはならない、という忖度思いを新たしています。

 

読売新聞の記事によると、安倍首相は「桜を見る会」で自作の俳句を2句披露しています。

 

平成を名残惜しむか八重桜

新しき御代寿祝ぎて八重桜

    

上記の俳句は「俳句談義(18):政治家と俳句」で紹介した俳句より上達していますが、安倍総理以下与党議員の方々には平成の天皇の思い民の思いを誤解することなく忖度して、憲法の改悪はせず、天皇が平成から令和へ「日本国民の象徴」として国際親善・平和外交を継承される環境を堅持してほしいと切望しています

  

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

   

2019年3月31日 (日)

「春の水・春水」の俳句

      

一つ根に離れ浮く葉や春の水

  

「春の水」の俳句といえば、高浜虚子の掲句が浮かびます。

この句を「自然の摂理を詠んだ比喩」と解釈して「俳句の創作的解釈というブログを2年前に書きましたが、「俳諧」から生まれた「俳句」と「川柳」にも当てはまります。

  

さらに、高浜虚子の曾孫に当たる稲畑廣太郎(「ホトトギス」の主宰)と坊城俊樹(「花鳥」の主宰)の両氏の句風にも当てはまるでしょう。

両氏のブログ「主宰奔走や「花鳥・近詠をご覧下さい。 

     

P.S. 2022.3.12

唐突ですが、ウクライナ紛争について「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、緊急提言のブログ記事を書きました。

青色文字をクリック(タップ)して、血に染むなドニエプルてふ春の川春一番この発言はおぞましきをご覧下さい。

    

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写真は兵庫県立有馬富士公園福島大池です

    

あちこちに鴨が泳ぎ、亀が十数匹も杭の上などで甲羅を干していました。

   

     

   

   

   

高浜虚子の言葉「深は新なり」を思い出してブログ俳句を詠みましたが、「一つ根」の俳句は人類や既存の宗教にも当てはまります。

  

ここをクリック(タップ)して、「宗教と科学の対立と融合」をご一読頂けると幸いです

   

春水や深は新なり句に遊ぶ           

有馬富士映し豊や春の水          (薫風士)   

      

歳時記(俳誌のサロン)から「春の水」の俳句を抜粋・掲載させて頂きます。

例句の詳細は青色文字の季語をクリックしてご覧下さい。

  

春の水1

平野郷環濠巡る春の水 

         (井上輝男)

   

春の水2

比叡より奔り下りて春の水 

         (上野昌子)

  

春の水3

堰越ゆる小枝逆巻く春の水 

         (山田六甲)

  

春水

春水を蹴つて翔ぶもの泳ぐもの 

       (稲畑廣太郎)

    

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

トップ欄か、この「俳句HAIKU」をタップすると、最新の全ての記事が掲示されます。

  

2019年1月20日 (日)

俳句を楽しもう! 「寒」「冬晴れ」の俳句

   

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鴉鳴く庭に出ればヒヨ飛びぬ 

     

寒の鳥青に煌めく機影かな 

   

寒の青機影煌めき行き交ひぬ

  

掲句はふと口ずさんだ即興句をこのブログ用に推敲したものです。

朝食後「寒」の俳句のブログを書こうとしていたところ、鴉が鳴くので「寒烏」の句材になるかと思って庭に出ましたが、鴉は声のみで姿は無く、ヒヨが黐(モチ)の木から飛び立ち、冬晴の空を見上げていると微かな音の飛行機が2機小さく煌めき行き交いました。

  

今日は平成最後の「成人の日」です。

 

若者には「初心を忘れずそれぞれが自分を活かすべく頑張ってほしい」と期待していますが、為政者には与野党対立一点張りでなく足らざるを補完し合い「未来を背負う若者が希望を持って飛び立てる政治」を推進してほしものです。

  

働き方改革」が検討されています。

 

現役の人々が俳句を作ってみる気になれるような労働環境・働き方改革にしてほしいものです。

  

老いの身は俳句を楽しみながら健康維持に努め、四月に発表される新元号も平和国家を象徴する年号となり世界平和が維持されることを祈るばかりです。

      

歳時記(俳誌のサロン)から気の向くままに「寒」の俳句を抜粋・掲載させて頂きます。

(詳細は青色文字をクリックしてご覧下さい。)

   

(1)

鴈さはぐ鳥羽の田面や寒の雨

        (松尾芭蕉) 

 

(寒2)

寒晴や転居先にも富士見坂 

        (高木嘉久)

    

(寒3)

寒日和見上ぐる程の子と歩く 

     (小野田敏子)

  

(寒4)

寒の夜の風呂が沸いたと電子音 

        (北島上巳) 

 

(寒5)

浅草に老いて芸なす寒の猿 

         (有働亨)

  

(寒6)

寒三日生きる証の雨戸繰る 

       (森山のりこ) 

  

(寒7)

鎮魂の竹灯籠や寒の朝 

        (西垣順子) 

  

(寒8)

スカイツリーその寒影の長きかな 

       (小林美登里) 

    

(寒9)

入るにも出るにも気合寒の風呂

        (府川昭子)

   

(10)

寒晴れや木の香の満つる木工所  

         (城戸緑) 

  

(11)

点滴を引きずつて行く寒厠 

        (吉田耕人)

    

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「和文俳句」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

   

2019年1月13日 (日)

俳句の国際化 《嵐雪の辞世句について》

   

(P.S. 2022.12.2)

HIA 「国際俳句交流協会」の名称が「国際俳句協会」に変更されました。

   

   

(2019.1.13の記事)

   

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芭蕉の高弟である服部嵐雪の辞世句とされる下記俳句のドイツ語訳について不審に思ったドイツの「俳句メル友」から、新年早々に、この俳句の解釈について問い合わせのメールを受信しました。

      

  

・一葉散る咄ひとはちる風の上

    

この俳句のドイツ語訳は次のとおり英訳してありました。

  

A single leaf falling
sheer lunacy!

A single leaf drifting away with the wind

  

 

そして、句友の英訳は次のとおりドイツ人らしい合理的な翻訳です。

     

Loosen from the tree
the helpless leaf
is drifting away on snowflakes

   

 

sheer lunacy」は「愚行」とか「まったく馬鹿げたこと」と言うような意味です。研究社大英和辞典

 

「咄」は「叱る声」や「事の意外さに驚き怪しむ声」です。(広辞苑参照)

  

そこで、「」は座禅に使われる「」と同じような一種の擬音であること、この俳句の「葉」は「人間」の比喩と捉えるのが良いと思う旨説明し、次のとおり筆者独自の大胆な意訳を連絡したところ、「amazing!」と感嘆した旨の返信が来ました。

   

 

man dies as a leaf falls_

Basho has passed away,

now, me too.

   

  

因みに、R. H. Blyth 氏は A History of Haiku (Volume One) において、「この辞世句は美しいが、何か nerveless である」と付記して、次のように文字どおり英訳しています。

  

A leaf falls,

Totsu! Another leaf falls,

Carried by the wind.

  

nerveless」は研究社大英和辞典によると「弱弱しい」とか「冷静な」という意味ですが、Blyth はどちらの意味を指しているのでしょうか?

   

  

Stephen Addiss 氏は The Art of Haiku において、「『咄』は禅の叫び声である」と付記して、次のとおり英訳しています。

  

a leaf falls

Totsu! a leaf falls_

riding the wind

  

上記2氏の英訳は「風に運ばれる」とか「風に乗る」と英訳していますが、嵐雪は「風の上」と表現して「昇天」を暗示したのではないでしょうか?

さらに、「咄」と擬音で注意を喚起して、「ひとはちる」と「ひらがな」を用いて「人は散る」と読ませることを意図していたのではないでしょうか?

  

穿ちすぎでしょうが、高浜虚子は嵐雪の辞世句が潜在意識にあって「春の山屍を埋めて空しかり」に同じように「ひらがな」を用いる手法を使ったのかもしれません。

  

英語は論理的な言葉ですから日本語ほど連想を伴いません。比喩的な俳句は文字通りの英訳と意図された比喩の意訳を併用すると日本語の原句にある暗喩のニュアンスが理解されやすいと思っています。

   

国際俳句交流協会HP掲載の「高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!」をご覧下さい。

  

俳句の翻訳に興味があれば、「俳聖の偉蹟を尋ね秋の伊賀(俳句と写真)」や俳句の国際化 <言葉の壁を破るチャレンジ>」をご覧下さい。

  

   

(青色の文字をタップするとリンクされた記事をご覧になれます。)

  

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2018年12月15日 (土)

季語「東北忌」・「3.11」に思うこと

 

血に染むなドニエプルてふ春の川

 

唐突ですが、掲句はウクライナ紛争についてプーチン大統領や世界の指導者が賢明な決断をしてくれることを切望して、「やむにやまれぬ思い」を俳句に詠み、紛争解決案を提言した記事のタイトルです。

青色文字(血に染むなドニエプルてふ春の川)をクリックして、ご一読下さい。

   

風船は命の数よ東北忌 

       (草加市 江口靖子)

    

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掲句は20HIA俳句大会現代俳句協会賞受賞句です。

 

東日本大震災死者・行方不明者は1万8千人以上です。

  

1923年9月1日に起こった関東大震災では死者・行方不明者は10万人以上に及び、9月1日は「防災の日」と定められていますが、俳句の季語として「震災忌」と呼称されることがあります。

「東北忌」は「3.11」として悼み継がれ、歴史に残るでしょう。

  

(青色文字をクリックするとリンクされた関連記事をご覧になれます)

  

震災遺構として残されている仙台市立荒浜小学校で、花の種を入れた色とりどりの風船(エコバルーン)が1000個がとばされ、名前を叫んだり、時折涙して空を見つめる人々も見受けられたが、一番目立ったのは、「笑顔」だった。HUFFPOST 2018.3.11

   

大地震や津波などの犠牲になられた方々のことを思うと胸が痛みます。

遺族の方々に謹んでお悔み申し上げます。

     

安斎さんは、関係郷土史と米国側の資料などを研究。それらを総合すると「和紙は風船爆弾の第一番の材料。その生産地となった和紙の里をねらってアメリカが報復爆撃した」のが真相ではないか?と推論しました。

 風船爆弾は44年11月から福島県勿来、茨城県大津、千葉県一宮から飛ばされました。計9300個飛ばされて偏西風にのってアメリカ大陸に到達した数は推定1000個とみられています。

 45年5月5日、オレゴン州の村で5人の子どもと、牧師の妻が風船爆弾で死亡しています。

 「オレゴンの悲劇」と言われ、上川崎村への爆撃はそれから2カ月後のことでした。

 「戦争の被害者とばかり思っていたのが知らぬ間に加害者の立場になっていたのかもしれません。戦争は二度と繰り返してはなりません」  (菅野尚夫)

   

上記は、高村光太郎忌日・連翹忌(れんぎょうき)運営委員会のブログ平和な故郷願って 福島に生きる 『風船爆弾になった和紙』冊子にまとめた 安斎克仁さん(79)からの抜粋です。

     

日本漢字能力検定協会が発表した「今年の漢字」は「」です。

   

阪神・淡路大震災の犠牲者は6,434人でしたが、南海トラフ巨大地震・津波が発生すれば死傷者の数や復興費用は東日本大震災の数倍~数十倍になることが懸念されています。

   

大地震や大津波などの自然現象は抑えることはできませんが、

戦争の発生は人為的に抑えることができるでしょう。

   

天災が人災になることは防がなければなりません。

      

世界の民衆は平和を願っているのに、

我欲・権力欲の塊のような為政者やその支持者が戦争の原因となる人種的対立や宗教的対立を煽り、膨大な軍事費による浪費を正当化していることは悲しいことです。

世界の膨大な軍事費が地球上の防災やインフラ整備・福祉のために使えるように、世界の為政者や有識者が良識を発揮率先行動してほしいものです。

  

戦争防止のために、皆さんと共に地道な活動を続けたいとの思いから、

俳句を通じて世界平和を!World peace through haiku!」をキャッチフレーズにしてささやかなブログを書いています。

  

・去年今年八十路の夢白寿まで (薫風士)

   

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今日は京都や福井にも初雪が降りました。 

初雪の俳句」をご覧下さい。

   

  

皆さんがこの思いをシェアして世界に発信してくれることを祈っています

   

  

・笑みを生む木喰仏虫集く (木下さとし)

     

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2018年10月26日 (金)

「チュヌの追悼」by L.P. Lovee

       

Click here to enjoy J-E Bilingual HAIKU in English.

Click here to see "Bashō's haiku in Japanese and English by L.P. Lovee".

See "Enjoy bilingual haiku of Kyoshi Takahama" in HIA HP. 

(青色文字をクリック or タップするとリンク記事がご覧になれます。) 

   

(P.S. 2022.10.16)

10月16日は2018年に亡くなったチュヌの命日です。

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チュヌの存命中は旅行はペット同伴を認めてくれる所が少なくて満足な旅行が出来ませんでしたが、2018年7月にはポーランドを訪ね、温泉町で開催された音楽祭において俳句の講演をしました。

ここをクリック(タップ)して、「ポーランドの旅(写真と俳句・講演のことなど)」をご覧下さい。

     

新型コロナ感染拡大防止のための移動制限が漸く緩和されたので、これからは元気な間に「俳句の旅」をして、吟行をエンジョイしたいと思っています。  

ここをクリックして、「楽しい吟行・俳句の旅(四季の写真俳句特集)」をご覧下さい

      

(2018.10.26)   

秋の夜や愛犬抱けば目に泪

愛犬を看取る寝息や秋深む

愛犬を看取りし夜長母偲ぶ

愛犬を荼毘に付すちちろ鳴く

愛犬の弔ひに来し鉦叩

鉦叩テーブル巡り悼みけり

愛犬の昇天したる天高し

愛犬の深めし絆秋高し

  

チュヌの追悼に来た鉦叩の声をお聞き下さい。ここをクリックするとご覧になれます  

ペット愛好者はチュヌを弔い「ペット」(愛犬の写真)をご覧下さい。

俳句愛好家は「俳句」や「俳句談義」「俳句エッセイをご覧下さい。

川柳愛好家は「川柳」をご覧下さい。

英語俳句に関心のある方は「HAIKU バイリンガル英語俳句」をご覧下さい。

政治に関心をお持ちの方は「政治談議」をご覧下さい。   

「いじめ」の問題など、子供の教育に関心のある方は是非ともチュヌの思い「究極のラブを!」をご覧下さい。

チュヌは天国から皆さんのお幸せを見守っています!

「チュヌの便り」をご愛読ありがとうございました。

チュヌは2018.10.16に永遠の眠りにつきました。   

    

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2018年9月30日 (日)

《青春の指針》究極の愛(Ultimate LOVE)とは

   

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子供達が健全に成長し、幸せな人生を送ることを祈って、子育ての指針となる24のキーワードをLOVEの4文字に当てはめ、「究極のLOVE」として集約しました。

混迷の現代社会における青春の希望と不安が交錯する問題解決の参考として、教育関係者のみならず子育て世代の方々にご覧頂き、未来を開く子供たちの道徳教育のお役に立てば幸いです。

青色文字をタップして、リンク記事をご覧下さい。

   

(日本語版)「究極のラブを!」

http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2018/01/ultimate-love-fa46.html

   

(英語版)Ultimate Love by L.P. Lovee

http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/12/ultimate-love-by-lp-lovee.html

      

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2018年3月 3日 (土)

俳句《春一番・啓蟄》(更新版)

      

啓蟄や e-Taxに取り掛からむ

  

朝からの雨で庭弄りは出来ず、手つかずのe-Taxに取り掛かることにしました。

  

以下は、2018年3月に書いた記事を2022年に更新したものです。

  

血に染むなドニエプルてふ春の川

・春一番おぞましきとはこの言葉

・啓蟄や出でし言の葉おぞましき

      

 「この言葉」とは何か、この青色文字をクリック(タップ)し、ご覧下さい

 

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2022年の「春一番」は3月5日の「啓蟄」でした。

      

・日々愛(お)しむキノコ雲なき春の雲

・親子行くキノコ雲無く春の雲

   

掲句は、薫風士が「已むに已まれず」詠んだ「川柳擬き」の俳句です。

「已むに已まれず」は「やむにやまれず」と読みます。

貴方は、物議を醸した「誰かさん」と違い、「已みません」を読み間違いするような読みにくい「ひらがな」にしなくても「漢字」で読めるでしょう(?!  

戦争を知らない世代元総理の発言「日米核共有」を何と考えるか、あなた次第ですが、日本が「核保有国」になることが「自衛」になるとは、到底考えられません。

 

「アメリカファースト」の「ぶつぎをかもす誰かさん」の発言のように、科学技術の進歩した現代に西部劇時代の考え方で国民や国論を分断・対立を煽る発言されるのは困りものですね。

 

子供たちの将来の為に、世界の政治指導者が「究極の愛」を発揮して賢明な政治を推進してくれることを祈っていますが、参議院選挙は棄権をせず、あなた任せにせず、しっかり考えて投票しましょうね!

   

2018年の「春一番」は昨年より12日遅い(3月1日)発生でしたが、猛威をふるいました。

 

この記事は3月3日「雛祭り」・「平和の日」に書きました

 

歳時記(俳誌のサロン)から季語が「春一番」の俳句を気の向くままに引用させて頂きます。

(青色文字の季語をクリックすると掲載された俳句の詳細がご覧になれます。) 

  

春一番(1)」

春一番武蔵野の池波あげて 

       (水原秋桜子)

  

ポリバケツ逃げまどひたる春一番

        (柿沼盟子)

  

春一番(2)」

風見鶏欣喜回転春一番    

         (山口速)

  

猫探す貼り紙吹かる春一番  

       (池田加代子)

   

春一番(3)」

改札を春一番と通りけり   

         (本節子)

  

春一番阿鼻叫喚のフェニックス

       (松崎鉄之介)

   

春一番(4)」

春一番自転車あまた薙ぎ倒し

       (芝宮須磨子)

  

春一番小学生は駈けたがる  

       (今橋眞理子)

  

春一番(5)」

よろめきて春一番と諾ひぬ  

        (村上悦子)

    

575筆まか勢

呼鈴は空耳なりし春一番   

        (田中湖葉)

  

松に鳴り樫に響けり春一番  

        (川村紫陽)

  

白波の浮燈台や春一番

        (岡本静子)

  

若者に古着が流行る春一番  

        (有馬朗人

      

(「増殖する俳句歳時記」)

胸ぐらに母受けとむる春一番 

        (岸田稚魚

この俳句は、清水哲男氏の解説に「折りからの強風によろけた母親を、作者はがっしと胸で受けとめた。」とある通りのことを詠んだものでしょう。しかし、広辞苑によると「胸倉」は「着物の左右の襟の重なり合う辺りの部分。むながらみ。」という意味ですから、作者は「母の胸倉が強風で膨らんだ」状態を詠んだ、と解釈できないこともないでしょう。作者は「胸ぐら」と表示することによって二通りの解釈を可能にしたというのは穿ち過ぎでしょうか?

          

真夜中の犬の冒険春一番

 

掲句はチュヌの主人の即興句です。春一番の強風にカーポートのシャッターが少し開き、隙間からチュヌは夜中に冒険に出かけました。チュヌの居ないのに気付いた主人やお母さんが散歩道など探しましたが見つからず、警察署に届けました。でも、チュヌは朝食前にお家に帰ったので「遺失物」の届け出はすぐ解除されました。お巡りさん、お騒がせしてすみませんでした。

   

(補追)

チュヌは2018.10.16に永遠の眠りにつきました。

『チュヌの追悼』by L.P. Lovee」をご覧頂ければ幸いです。

    

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

    

2018年2月10日 (土)

高浜虚子の100句(91~100)(100 HAIKUs of TAKAHAMA Kyoshi)

(10 HAIKUs of Kyoshi Takahama, translated by Satoshi Kinoshita)

HAIKU is AI: not Artificial Intelligence, but Art of Intelligence, leading to "LOVE". 

Haiku Aids Increasing Knowledge Univerally.

    

(91) 春潮にたとひ櫓櫂は重くとも (S22. 1947)

  (shunchohni tatoirokaiwa omokutomo)

  Even if the oar is heavy

  against the spring tide_    

(Note)

This haiku was made as a tribute to encourage Kyoshi's grand-daughter  (Nakako Bohjoh: 坊城中子) when she entered a nursing school.

The Kyoshi's haikus translated herein are cited from the writings of Toshiki Bohjoh (坊城俊樹:the son of Nakako Bohjoh, that is, a great-grandson of Kyoshi Takahama).

       

(92) 爛々と昼の星見え生え (S22. 1947)

  (ranranto hirunohoshimie kinokohae)

  the daylight star

  looks glaring_

  mushrooms grow    

(Note)

This haiku was made as a farewell tribute to people in Koromo City. They gave mushrooms (=茸)to Kyoshi Takahama for a farewell present. He lived in Koromo for about three years after moving there for refuge from air raid during the war.

The word ’daylight star’ means the sun, because the word ’爛爛(=glaring) is used for describing it. In the case of this haiku, it is possible to express 'kinoko' by either letter of '' or ''. However, the latter was adopted. The letter '菌' can also mean 'germ' when it is read as 'kin'. 

Thus, it seems  that with the cited haiku, Kyoshi Takahama intended to express the whole great nature by referring to the greatest thing ’daylight star (=太陽)’ and the smallest thing 'mushroom (=)'. 

    

(93) 去年今年貫く棒の如きもの  (S25. 1950)

  (kozokotoshi tsuranuku bohnogotokimono)

This haiku was highly appreciated by Yasunari Kawabata (a Nobel winner for Literature).

In this haiku, metaphor as well as inversion is applied.

 (Translation A)

  kozokotoshi

  piercing

  a stick-like thing    

 (Translation B)

  my belief in HAIKU

  piercing kozokotoshi

  like a stick 

 (Translation C)

  time pierces

  kozokotoshi

  like a stick

(Note)

“kozokotoshi” is a kigo (= seasonal word) established by Kyoshi Takahama, referring to New Year, on which yesterday is the last year, and today is this year. Thus, the literal meaning of kozokotoshi is “last-year-this-year”.

Translation A is a word-for-word translation and can be interpreted in various ways. However, “stick-like thing” should be considered as the real subject and a metaphor. In Translations B and C, “my belief” and “time” are added, respectively replacing the word “stick-like thing”. Thus, the kigo “kozokotoshi” should grammatically be taken as the object of “pierce”. Otherwise, this haiku makes nonsense.

In Translation A, if you take “kozokotoshi” as the subject for “pierce”, and “stick-like thing” as the object for “pierce”, then what do you think the “stick-like thing” indicates? Does it make any sense? 

        

(94) 大桜これにかしづき大椿 (S30. 1955)

  (Ohzakura korenikasizuki ohtsubaki)

  a large cherry tree_

  beside it

  a large camellia

  

(95) 蠅叩手に持ち我に大志なし (S31. 1956)

  (haitataki tenimochiwareni taishinashi)

  having a flyswatter

  in my hand

  I have no great ambition

   

(96) 虚子一人銀河と共に西へ行く (S24. 1949)

  (kyoshihitori gingatotomoni nishieyuku)

  Kyoshi alone

  goes toward west

  with the galaxy

  

(97) 我のみの菊日和とはゆめ思はじ (S29. 1954)

  (warenomino kikubiyoritowa yumeomowaji)

  chrysanthimum-bright-day_

  never

  only for me

(Note)

Kyoshi Takahama made this haiku when he received a Cultural Medal (=文化勲章).

    

(98) 悪なれば色悪よけれ老の春 (S28. 1953)

  (akunareba iroakuyokere oinoharu)

  if any vice,

  sensual vice would be better_

  spring of old age

   

(99) 明易や花鳥諷詠南無阿弥陀 (S29. 1954)

  (akeyasuya kachohfuuei namuamida)

  daybreak getting earlier_

  making haiku of nature

  namuamida

(Note)

’kachoh-fuuei’(花鳥諷詠), which was advocated by Kyoshi Takahama, means a typical way of composing haiku based on appriciation of nature including human affairs.

’namuamida’ (南無阿弥陀)is Buddhist chanting words of sutra, which mean ’I believe in Amitabha'.

   

(100) 独り句の推敲をして遅き日を (S34. 1959)

  (hitori kunosuikoh-o-shite osokihio)

  alone,

  elaborating haikus_

  lengthening days of spring

      

Click here to see back numbers (81~90).

  

2018年1月17日 (水)

俳句・HAIKU by L. P. Lovee (13)《どんど焼き・dondoyaki》

     

老幼の町の左義長点火待ち

(rouyohno machinosagichoh  tenkamachi)

the old and children

wait for lighting

town sagichoh bonfire

    

ふるまいの豚汁に笑みとんどの火

(furumaino tonjiruniemi tondonohi)

man-served tonjiru_

beaming faces  

reddened by the tondo bonfire

  

御代りの豚汁に笑むとんどの子

 (okawarino tonjiruniemu tondonoko)

beaming with

another tonjiru_

boys in the tondo festival

  

 (Note)

'tonjiru' means "miso soup with pork and (several) vegetables; pork miso soup."

     

HAIKU is AI: not Artificial Intelligence, but Art of Intelligence, leading to "LOVE". 

Haiku Aids Increasing Knowledge Univerally.

  

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「どんど焼き」は「とんど焼き」という地域もあります。

  
最後の写真の画面左下に愛犬「チュヌ」が居ます。

 

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2018年1月14日 (日)

究極の愛・ラブを!(Ultimate LOVE!)

    

(Click here to see English version "Ultimate LOVE". 

  

20241102_124117_2Sn3u0014b子供達が健全に成長し、幸せな人生を送ることが出来るように、そのための24のキーワードをLOVEの文字に当てはめ「究極のLOVE」として集約しました(下記をご覧下さい)   

  

子供たちの道徳教育の参考になれば幸いです。

    

青色文字をクリックすると解説記事などがご覧になれます。   

    

価値観は時代とともに変化します。

 

子供たちそれぞれの個性と才能を生かす教育、多様性を受け入れる寛容の精神を養う教育が肝心です。

  

「いじめ」を防止する教育は必要ですが、「いじめ」や「登校拒否」を無くするためには「他の人の立場を理解し、多様性を認める寛容性と和の精神を教育することこそ肝心です。

   

現代の「和」の精神は戦前の「封建制度的な和」でなく、「平和憲法に基づく民主主義制度における和」が大切です。

   

戦前の全体主義的・国家主義画一教育に逆流させてはなりません。

絶対主義的画一的教育は「いじめ」の温床になるでしょう。

そればかりか、「国のためには戦争をすべきである」というアナクロニズムに陥る恐れがあります。

  

武器・技術が進歩し、核兵器のある現代では、局地戦争が核戦争を引き起こし、人類・地球の破滅をもたらすリスクがあります。

   

道徳教育で大切なことは、児童があくまでも自発的に物事を考え、自分の考えを主張すると同時に他者の考えにも耳を傾けることを学び、自己と他者、自己と社会との関わり合いを考え、自分の能力や個性を自分のためばかりでなく、社会に役立つようにするバランス感覚、合理的な思考能力などを培うことでしょう。

  

道徳教育を教科にして、「道徳嫌い」を生む恐れのある「一方的な成績評価や序列評価をすること」には反対です。

 

小学校教育においては、評価は子供の自尊心を生かし、やる気を出させるのに効果のある個別評価、教育効果を評価するための範囲に限定すべきでしょう。

  

(本との出会い)母と子・優しさと厳しさと」をご覧下さい

  

平和な社会が維持されることを祈りつつ書いた「究極のLOVE]は下記の通りです。  

    

「L」は Love(愛する)・Learn(学ぶ)・Liberty(自由・権利)・Legality(合法性)、Laugh(笑う)・Life(生活・一生・命)です。 

      

「O」は Optimism(楽観・楽天主義)・Originality(個性・独創性)・Objective(目標・客観的)・Obligation(義務・義理)、Opportunity(機会・好機)・Organization(組織団体組織化することです。  

    

「V」は Vitality(活力・元気)・Vision(ビジョン・先見性)・Venture(冒険・思い切ってする)・Value(価値・評価)・Volunteer(ボランティア・自発性)、Viewpoint(観点視点切り口です。 

     

「E」は Effort(努力)・Enjoy(楽しむ)・Ethic(倫理・道徳)・Equity(公平・公正)・Endurance(忍耐・持続)・Each(・個人・自己)です。

      

Love(愛)

親子の愛、男女の恋愛、夫婦の愛など人に関する愛のみならず、動物、自然、故郷、住んでいる町や国、平和、自分の仕事など全てが対象です。まず自分を愛し、自分のしていることを愛し、その結果が他者への愛、すべてのものに対する愛につながることが理想です。

      

Learn(学ぶ)

教師や反面教師として、全てのことから学ぶことが出来ます。

身近な両親、兄弟姉妹、友達、先輩・後輩、先生などから直接学ぶことが沢山あります。書物や新聞・ラジオ・テレビ、インターネットなどで地域と時代を超えて様々なことを学ぶことができます。また、自分自身や他人の失敗や成功の実例から学ぶことも大切です。   

      

Liberty(自由・権利)

基本的人権として思想・言論・信教の自由などが憲法で保障されています。しかし、自由の権利を乱用すると、自由を失う恐れがあります。常に権利と義務、個(自分自身)と全体(社会・国)、公平・公正の原則とのバランスを考慮することが肝要です。多くの若者が選挙権参政権の行使を放棄していることは幸福を追求することを放棄していることになるのではないかと危惧しています。 

      

Legality(合法性)

誰でも自由に考えて行動すれば良いのですが、それが法律に適っていることが前提です。法律は人々の生活を守り社会の秩序を維持するためのものですから、日常生活で余り難しく考えることは無いでしょう。しかし、何か特別のことを始める時にはそれが合法的かどうかチェックすることも必要でしょう。   

      

Laugh(笑う)

笑う門には福来たる」(「Laugh and get fat.」「Fortune comes in by a merry gate.」)です。

泣きたいときには泣くとよいでしょう。でも、辛い時でも笑顔を忘れずに前向きに過ごして行けばきっと良い時も来るでしょう。 

      

Optimism(楽観主義)

人間万事塞翁が馬」(Joy and sorrow are today and tomorrow.)、「人生は山あり谷あり」、「努力をすれば何とかなる」、「人事を尽くして天命を待つ」と楽観的に考えることです。いわゆるプラス思考・ポジティブシンキング(positive thinking)を実践することです。

               

Originality(個性・独創性)

世界に一人しかいない自分という貴重な存在を活かしましょう。単なる「猿真似」や「迎合」ではなく、人それぞれに出来ること・天性・個性を生かして、学んだことを更に発展させ実践することです。現代は多様性の時代です。様々な個性が集まって全体の調和が生まれることが理想です。   

     

Objective(目標・客観的)

将来何をするか自分の目標を定める際に、それを達成することが可能か、楽観的に考えると同時に、冷静に客観的に評価しておくことも大切です。高い目標を掲げることは良いのですが、目標は高ければ高いほど成果の高望みをしないでstep-by-stepで一歩ずつ前進することです。  

     

Obligation(義務・義理)

「世の中は持ちつ持たれつ」、「お互い様」です。自己の権利を主張するばかりでなく、義務もあることを認識して他者の権利・立場も認め、自他のバランス(Give-and-take)を考えることが大切です。  

      

Opportunity (機会・好機)

好機逸すべからず」です。英語のことわざには「Now or never.」とか「Everything has its time.」などがありますが、機会をとらえTPO(時と場所と場合)を考えて適切な行動をすることが大切です。 

     

Vitality(活力・元気)

何事もやる気と元気がなければ達成出来ません。精神的にも肉体的にも健康を維持することが大切です。「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。時には無理が必要なこともあるでしょうが、頑張りすぎないで、自分の出来る範囲でやれば良いでしょう。

     

Vision(ビジョン・先見性)

「憲政の神様」と言われた尾崎行雄は「人生の本舞台は常に将来に在り」と言っています。自分は何をしてきたか、今何をすべきか、自分の将来の目標は何か、自分の人生のどの時点でも、常に過去・現在・未来という流れの中で自分自身と社会の将来を見据えて考え・行動することが理想です。

     

Venture(冒険・思い切ってする)

慎重に考えて行動することも大事ですが、難しいと思うことでも時には思い切ってやって見ることも必要でしょう。成功するか否かは自分の才能や努力のみならず運に左右されるものです。最もうまく行く場合と最悪の場合とを考え、腹を据えて思い切って行動すると良いでしょう。

     

Value(価値・評価)

価値観は人によって異なりますが、自分の価値観を充足することによって生き甲斐や幸せを感じるものです。

自分にとって何が大切か、何をしたいか、それは自分のためだけではなく、親のためや人のために役立つことになるか、と考えながら目標を立て・行動することが大切です。

     

Volunteer(ボランティア・自発性)

何事でも自分のしたいことをするときは苦労が苦労でなく、楽しくなります。最近はボランティア活動をしている若者も沢山いることはありがたいことです。自分が出来ることを自発的に行い、自分のみならず人のためにもなり、世の中に役立つことができれば最高です。

     

Effort(努力)

天賦の才に恵まれていても努力をしなければその才能を生かすことは出来ません。ささやかな才能であっても努力することによって、それを伸ばすことが出来ます。大切なことは他者との比較や序列・勝ち負けそのものではなく、それを励みとして自分自身の天分を育てる努力をしているかどうかです。 

     

Enjoy(楽しむ)

努力も色々工夫しながらすると、苦労でなく楽しみとなります。楽しみながらすると努力を続けることが出来ます。少しでも努力の成果が出ると楽しくなります。すぐに成果が表れなくても長い目で見れば必ず成果が出て来るものですから、それを楽しみに努力を続けることです。

     

Ethics(倫理・道徳)

技術が高度に発達し専門化している現代社会においては個人や組織が倫理を大切にして活動することが不可欠です。最近の世相をみると、長い間に築いた信用を倫理観の欠如から一瞬に失い、自滅するだけでなく社会に大きな弊害をもたらしている例が少なくないことは残念なことです。

     

Equity(公平・公正)

才能や努力の成果を生かすには考え方や行為が公正であることが大切です。どのような場合でも公正かどうかという観点でチェックすることが望まれます。公明正大な振舞いをすることによって明るい気持ちが維持できます。明るい気持ちは必ず幸福を呼び込むでしょう。 

      

Endurance(忍耐・持続)

豊かな現代社会においては何でも簡単に出来、手に入るので誘惑が多く、我慢することが難しくなっています。

ITSNSが発達し便利になっていますが、スマホによるゲームの氾濫や不適切な交流サイトなど、子供の教育や十代の若者の新たな社会問題になっています。  

三つ子の魂百まで」、「継続は力なり」です。大きくなってから抑えることは難しくなりますので物心が付き始めた幼い時から我慢することのしつけもしておくと良いでしょう。 

   

上記のことは、ご存知のことばかりでしょうが、それをLOVEという親しみやすく大切な一語に集約して覚えやすくしたのが味噌です。LOVEを実践する人々が増え、住みよい社会が日本から世界に広がることがチュヌの主人の念願です。

 

幸せな一生を過ごすには、一個人としての「自分」と「組織」の一員としての「自分」とのバランス、「個」と「全体」の「関わり合い」を考え、「過去」をベースに「未来」を見据え、「現在」に「視点」を置いて、よく考え、行動することが大切です。そして、視点を「自己家族市民国民地球人」など、様々な視座に置いて相対的に考えることです。

   

「自分一人ぐらい・・・」とあきらめるのではなく、「自分一人でも・・・」と前向きに考え行動することです。「一人一人の思いや行動」が組織・社会・国を動かしていくのですから。 

         

「究極のLOVEを実践しよう!」の抄訳英語版はココをクリックしてご覧下さい。

   

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2017年12月17日 (日)

亀鳴くや声なき声を聞けよとて

      

(2024.8.22更新)

ここの青色文字(記事のタイトル)をクリック(タップ)して、「梅雨の亀の呟き《政界の若返りを!》」や《亀の呟き》大阪・関西万博に望むこと」をご一読下さい。

  

亀鳴くや政治刷新鬨の声

亀鳴くや海神の声聴けよとて

亀鳴くや無理をするなと帰路の闇 

亀鳴くや無理ムリとは言いづらく

亀鳴くやパワハラ嫌と言えなくて

亀鳴くや餓鬼大将にいびられて

亀鳴くや我が身になって考へよ

亀鳴くや主人諫めよポチとても

亀鳴くや仏心の嘘をつき

亀鳴くや仏の嘘は民の為

亀鳴くやドニプル川を血に染むな

       (薫風士)

 

2022年3月18日に、ウクライナ紛争についてプーチン大統領や世界の指導者が賢明な決断をしてくれることを切望して「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠んだ記事血に染むなドニエプルてふ春の川」をご覧頂いと思いますが、貴方にとって「声なき声」とは何でしょうか?

  

掲句の比喩に込めた思いをシェアして頂けると幸いです。

    

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Cimg5461_2タイトルの俳句「亀鳴くや」は2017年12月1日に国際俳句協会主催で開催された第19回HIA俳句大会の稲畑汀子選の特選になったチュヌの主人(木下さとし▪︎ 薫風士)の投句です。

  

この句は、「亀鳴くや皆愚かなる村のもの」という句を作った高浜虚子の孫に当たる稲畑汀さん(当時、日本伝統俳句協会会長)の目に留まり、特選になったのでしょう。

  

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写真は、カラ-図説日本大歳時記の「亀鳴く」などの解説頁の一部分です。

  

亀鳴く」は「春の季語」です。

写真や青色の文字をタップして、解説と例句をご覧下さい。

  

虚子は「亀鳴く」という季語を用い、「愚か者」と言わず、「愚かなる村」の「もの」と「ひらがな」表示にすることによって何かを比喩的に表現しようとしたのではないでしょうか?

    

俳句談義(15):『昭和の日』・『憲法記念日』と俳句」において述べたように、いろいろな解釈が可能です。

   

「愚かなる村のもの」の「もの」とは何か? 「者」か?「物」か?

  

「皆」とは「亀」のことか? 

  

それとも、「人は皆愚か者」と嘆いているのだろうか?

 

「村」とはどこの村か? 

  

「政治家や日本人の村社会意識」の比喩ではないか?

等々、あなたも面白い解釈をしてみて下さい。

 

(青色文字をクリックすると解説記事をご覧になれます。)

 

「声なき声」は英語ではサイレント・マジョリティ(silent majority)です。

  

「ベトナム戦争」についてのニクソン大統領の発言や、「安保闘争」についての岸信介総理大臣の発言など、色々な使い方がされています。

  

あなたにとって「声なき声」とは何でしょうか?

   

2017年の流行語大賞は「忖度」(そんたく)が選ばれました。

 

広辞苑によると「忖度」は「他人の心中をおしはかること」ですから、「おもてなし」の心に通ずる言葉でしょう。

  

「空気を読む」とか「阿吽の呼吸」とかいう言葉がありますが、肝心なことは「何について忖度するのか、忖度して何をするのか」です。

  

政治問題や国際問題には国民を納得させる透明性が必要でしょう。

  

「利敵行為・利敵発言」などのレッテル貼を恐れて発言しない「声なき声」、すなわち「トランプ大統領」や「安倍総理」などが声高に推進している北朝鮮に対する強硬政策について危惧しながら発言しない「声なき声」の真意は何か、日本が戦前に経済制裁などによって追い込まれ、「真珠湾攻撃」をしたこと、「天皇を現人神」として独裁的軍部が無謀な戦争を推進したこと等を考えれば、答えは自明ではないでしょうか?

   

「今年の漢字」に「北」が選ばれました。

 

国や人々が互いに背を向けて離反するのではなく、向かい合って対話する政治を推進してほしいものです。

 

愛する日本の将来のために、また世界平和のためにも、「人道とは何か」を政治家が真摯によく考え、叡智をもって政策を推進することを願っています。

   

あすなろう民の祈りの大聖樹

       (薫風士)

     

この俳句は神戸メリケンパークのクリスマスツリーを詠んだチュヌの主人の俳句です。

  

宗教と科学の融合」をご一読下さい。

冒頭の写真は先日チュヌの主人が神戸市の布引ハーブ園で寫した「愛の像」(Statue of Mother and Child) の写真です。

 

本との出会い <母と子・優しさと厳しさと>  や聖夜」・「クリスマス」(歳時記)の俳句など、青色文字をクリックしてご覧下さい。)

   

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