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2019年12月31日 (火)

ハイク・俳句・はいく・HAIKU

Click here to see “Haiku of Bashō”.

Click here to see Issa's haiku.

Click here to see "俳句 365 haiku "

   

故郷を「まんぽ俳句」で元気に、未来に繋ごう!

   

(2025.1.25 更新)  

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冒頭の写真は、令和7年1月4日未明の俳句HAIKU 記事へのアクセス累計ですが、合計は「1,234,888」、一日あたりの平均は「308.88」と、縁起の良い数字が綺麗に並んでいます。

     

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令和5年1月17日現在の俳句HAIKUへのアクセス累計は、縁起の良い数字「880,770件」でした。

    

23119NHKの天気予報で、1月19日の今日は「いいくのひ」とダジャレを言って楽しませてくれましたが、2023年1月19日朝の俳句HAIKU へのアクセス累計表は、縁起の良い88 など、数字が面白く並んでいました。

    

ハイクを楽しみながら、健康管理をしたいと思っていますが、同じ思いで散歩を日課にする方が増えることを願っています。

  

(P.S. 2022.7.17) 

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この写真はNHK-TVの一画面ですが、祇園祭のNHK-TV放映を見ながらこの追加記事を書いています。

   

   
7月16日は「閻魔詣」です。

言葉の力・俳句の力《癒し》」や「俳句《涼し》死の話をご覧下さい。

      

P.S. 2022.3.15

ウクライナ紛争について、プーチン大統領や世界の指導者が賢明な決断をしてくれることを切望して、「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、書いた記事を読んで頂きたく、この P.S.を追加しました。

  

青色文字をクリック(タップ)して、「血に染むなドニエプルてふ春の川」をご覧下さい。    

   

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写真は、「かかりつけ医」の待合室に貼ってあったポスターです。

写真をタップ・拡大して、「高齢者の健康法」をご一読下さい。   

     

            

(2019.12.31の記事)

歩こうかい・ハイク・俳句を楽しんで   

        (薫風士)

  

「ハイク」は「hike」と「haiku」の掛詞です。

日本人なら俳句は誰でもできるよ!

    

あなたの思いを5‐7‐5に口遊めばそれが俳句への一歩です。

 

「まんぽ俳句会」の理念(発起人の思い)を23の例句に込めました。   

(青色文字をタップすると例句やリンク記事をご覧になれます。)

    

短日ふれあいカフェや摸擬句会 

ファミレスの俳句談義小春の日  

凩やまんぽ俳句を唇に

短日や句を苦にするな句に遊べ

風邪の床子規を偲びて句を捻る

膝小僧抱へ丸まる風邪の床

水洟や果報寝て待つ老の床

酒卵加えチンする冬至粥

福よべ冬至南瓜食みにけり色に惚れ卓に置きたる龍の玉

手作りの庭の成果の柚子湯かな

万歩して柚子湯に遊ぶ俳句かな

スポンジが聖夜のケーキ孫来れず

数え日異国の友に句のメール

富士の峰を目指し牛歩や去年今年

異端者に救われもして去年今年

句に詠まん宇宙の摂理去年今年

去年今年ハイク俳句の目指す峰

語り継ぐ先師の思い去年今年

時雨忌や「ながら」に興ず漫歩の句

二兎追いて一兎を得るか老の春

牛歩にも先師さまざま初句会

隗よりとまんぽ俳句の初句会

   

掲句23句は「まんぽ俳句会」への投稿勧誘のための川柳擬きの「まんぽ俳句」です。

 

俳句は川柳ほど人気がありませんので、一人でも多くの方を「俳句への道」に誘うべく川柳擬きの俳句にしていますが、決して伝統俳句を軽んじているわけではありません。

 

現代に生きる者としては、現代の自然・環境や人間社会の有り様花鳥諷詠として俳句にすれば良いでしょう。

 

スマホを活用して俳句を作るには現代仮名遣いの方が便利ですから、季語文語・旧仮名遣いの必要性については俳句の詩的表現の効果を考慮して決めれば良いと思っています

 

俳句は日本語の豊かさを活かし、最少の言葉で最大限の花鳥諷詠をする奥の深い文芸です。

 

まんぽ俳句会」は、スマホを利用している現役世代が定年退職後に俳句を趣味として健康長寿を全うする「居場所」になることを願っています。

 

インターネット活用の俳句会や吟行俳句会などで会員相互の研鑽・親睦を図りたいとの思いで、ご投稿をお待ちしています。

最後にあるコメント欄にご投稿下さい。

              

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To see the latest article of “俳句365 haiku”, click or tap here .

    

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

   

虚子俳句15句の季語クイズ

 

〇に季語の文字を入れて下さい。

答えは〇をクリックするとご覧になれます。

 

(1)〇〇〇〇貫く棒の如きもの

(2)の山屍を埋めて空しかり

(3)〇〇や闘志抱きて丘に立つ

(4)〇〇の埃の如く人死ぬる

(5)神にませばまこと美はし那智の

(6)流れ行く〇〇の葉の早さかな

(7)〇〇に生れ網をかけねばならぬかな

(8)一つ根に離れ浮く葉や〇〇〇

(9)〇〇や花鳥諷詠南無阿弥陀仏

(10)独り句の推敲をして〇〇〇

(11)〇〇も鳴き〇〇も泣くのみぞ

(12)〇〇〇や皆愚かなる村のもの

(13)爛々と昼の星見え生え

(14)〇〇〇眠れる人に凭(よ)り眠る

(15)〇〇や大悪人虚子の頭上に

    

クイズ嫌いがクイズ作りに挑戦しました。

正解は幾つありましたか?

 

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事のタイトルが表示され、この「俳句HAIKU」をタップすると最新の全ての記事のタイトルが表示されます。

  

2019年12月28日 (土)

虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か? (改定版)

        

掲句「去年今年」について稲畑汀子さんは「虚子百句」において次のように述べている(抜粋)。  

     

「昭和25年12月20日、虚子76歳の作である。・・(省略)・・時間の本質を棒というどこにでもある具体的なものを使って端的に喝破した凄味のある句であるが、・・(省略)・・この棒の、ぬっとした不気味なまでの実態感は一体どうしたことであろう。もしかすると虚子にも説明出来ず、ただ「棒」としかいいようがないのかも知れない。敢えて推測すれば、それは虚子自身かも知れないと私は思う。

この句は鎌倉駅の構内にしばらく掲げられていたが、たまたまそれを見た川端康成は背骨を電流が流れたような衝撃を受けたと言っている。感動した川端の随筆によって、この句は一躍有名となった。・・(以下省略)」

  

汀子さんは上記の如く述べているが、この句の「棒」は虚子の信念・意志を象徴していると思う。「貫く棒の如きなり」と言わず、「貫く棒の如きもの」と言っているから「時のながれ」というよりも虚子の俳句に対する考えや信念の強さの比喩に違いない。

  

「虚子俳句の痴呆性」を云々する人がいるが、この俳句には「大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きくなる。」という坂本龍馬の言(勝海舟に説明した西郷隆盛の評価)を当てはめたい。

  

文学に限らず、音楽や絵画など、芸術は個性を表現するものであり、それをよく理解できるか否かは鑑賞する人の性格や人生観、能力などが左右する。まして、俳句は17音(文字)で表現する短詩であり、論理ではなく感性にうったえるものである。従って、俳句はその作者と「場」を共有するか、それが作られた「場」を適切に推定することが出来なければ理解できないことがある。

特にこの「去年今年」の句のように比喩的な俳句はそうである。それを読む人が卑しければ卑しい句であると誤解されることになる。逆に、読む人が優れていればその句を作った人の意図以上に解釈されることも珍しくない。それは俳句の本質的な限界でもあり広がりの可能性でもある。中立的な表現の俳句は鏡のように、読む人の心を映しだす。

虚子はこのような俳句の面白さもこの句に織り込んだのではなかろうか?

  

大岡信は「百人百句」において、「俳句という最少の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。」と次のように述べている(抜粋)。  

  

「昭和20年代後半から30年代にかけては『前衛俳句』の黄金時代で、若手の俳人はそちらに行ってしまい、虚子は一人さびしく取り残されている感があった。・・(省略)・・私は現代詩を書いていたので、・・(省略)・・どちらかというとはじめに前衛派的な人々の句に親しんだので、それから逆に句を読み進め、高浜虚子を初めてというくらいに読んでみた。すぐに感じたのは、虚子の俳人としての人物の大きさだった。私は常々現代詩を作り、・・(省略)・・斎藤茂吉が好きだったので茂吉の歌もよく読んでいた。しかし、『去年今年』の句を読んだときに、俳句という最小の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。・・(以下省略)」

  

この句についてインターネットで検索していると、宗内敦氏の「アイデンティティ-第二芸術」というタイトルの傑作な記事があった。 

   

「去年今年(こぞことし)とは、行く年来る年、時の流れの中で感慨込めて新年を言い表す言葉である。しかして虚子のこの一句、『貫く棒の如きもの』、即ち、時の流れを超えて『我ここにあり』と泰然自若の不動の自我を描いて、まさに巨星・高浜虚子の面目躍如たる『快作にして怪作」(大岡信『折々のうた』)の自画像である。それが何としたこと、バブル絶頂の頃だったか、ある新聞の本句についての新春特集ページに、『この句を知ったとき、顔が火照り、胸がときめき、しばらくは止まらなかった』という中年婦人の感想文(投書)が載せられた。一体何を連想したのか。破廉恥にも、よくぞ出したり、よくぞ載せたりと、バブル時代の人心・文化の腐敗に妙な感動をもったことを思い出す。・・(以下省略)」

  

この句を作ったとき虚子は夏目漱石の「草枕」の冒頭にある有名な文「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」も意識していたかもしれない。

 

この句の「棒」のイメージは、「草枕」の「情に掉させば流される」という文句や方丈記の名文句美空ひばりのヒット曲「川の流れのように」の歌詞など、時世・人生を表現するのに用いられる「川のながれ」とは全く異なり、力強くて斬新なものである。

  

虚子は「深は新なり」とか「古壺新酒」と言っている。「花鳥諷詠」と「客観写生」を唱道していたが、「前衛俳句」の黄金時代にあって、「去年今年」の句を作ることによって「これも『花鳥諷詠』だ」と、その幅の広さと虚子の信念と自信をアッピールすることを意識していたのではなかろうか。

   

俳談」や「俳話」なども読み、虚子の考えや作句の「」を知るにつれて虚子の俳句をよく理解できるようになる。インターネットのブログを検索していると、様々な俳句の解釈があり面白い。この「」をわきまえず、俳句のみならず作者の人格まで悪しざまに云々するブログを見かけることもある。それを鵜呑みにしている人もいるようで困ったものである。

    

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

   

2019年12月22日 (日)

ハイク・俳句・HAIKU

まんぽ俳句会  (会員募集)   

Click here to "Enjoy bilingual haiku of Kyoshi Takahama!"  

Click here to see "Basho's haiku in Japanese and English by L. P. Lovee".

  

・漫歩して令和の御代初句会

  

あなたは「俳句なんて!」と、俳句の「食わず嫌い」になっていませんか?

俳句は楽しむものです。「名句」でなく「迷句」を作っても、初心者が恥じることはありません。

「迷句でも楽しめば良い」と割り切って、5・7・5を口ずさみましょう。

その内に、まぐれでも「名句」が出来るのが、俳句の面白さです。

  

「ハイク (hike)」俳句を作ろう!

徘徊」でなく「俳諧」を楽しもう!

廃人」でなく「俳人」になろう!

   

・パソコンに向かう縁側小春の日

小春日や老い二人行く漫歩道

・そろりゆく老々介護冬日差す

時雨晴れ笑みの行き交う漫歩道

   

まんぽ俳句会」は、令和の俳句塾として、定年・退職を迎える世代が俳句を楽しむための敷居を低くし、奥の深い俳句の世界へ飛び立つまでの「巣箱」になることを意図しています。

     

俳句HAIKU」をご覧になれば、俳句の面白さがわかるでしょう。

ご希望なら、貴方の句心に沿って、推敲・添削のアドバイスを致します。

俳句を楽しみ、心身ともに健康な長寿を全うしようとする俳句愛好者を増やすことを願っています。 

このサイト「俳句HAIKU」は営業目的ではありません。

お気軽に、コメント欄にご投稿下さい。 薫風士

  

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2019年12月 7日 (土)

盆栽と俳句  (「まんぽ俳句会」の会員募集にちなんで)

     

「俳句は盆栽に通ずるところがある」と思って「盆栽俳句」をインターネット検索すると、正岡子規の客観写生の理念を引き継いだ高浜虚子以来のホトトギス系の俳句のあり方について観念的に痛烈な批判をした記事がありましたが、このような批判者は芭蕉の言葉「虚と実」・「不易流行」や高浜虚子の俳句の神髄などをよく理解しているのでしょうか?

 

正岡子規の「俳諧大要」を読んだ上で批判しているのでしょうか?

 

浅薄な誤解に基づく批判は「俳句の食わず嫌い」を生んでいるように思います。

 

「山高ければ裾広し」・「裾広ければ山高し」です。

 

このような批判をする俳句の先生方には理想とする自らの俳句を提示するなり、作者の句心にそって句評や添削をしてほしいものです。

   

俳句は「好き好き」、「詠み人次第・読み人次第」です。

  

まんぽ俳句会」は人それぞれが個性を生かして俳句を楽しむための敷居を低くし、奥の深い俳句の世界へ飛び立つ「巣立ち」までの「巣箱」になることを意図しています。

俳句愛好家のご支援が頂ければ望外の喜びです。

 

下記のブログ記事がご参考になれば幸いです。

 

俳句の作り方 《5つのポイント》 

 

俳句談義(12):「椿寿忌」の俳句と高浜虚子

 

高浜虚子と金子兜太

 

俳句雑感(4): 高浜虚子と坪内稔典(俳句は詠み人・読み人次第)

 

俳人の文法力

    

(青色文字をクリックするとリンクされた記事を読むことが出来ます。) 

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2019年12月 5日 (木)

俳人の文法力

      

昭和・平成の俳句界を代表する俳人の2~3人の著書を見ると、高浜虚子の俳句「神にませばまこと美はし那智の滝」について、「那智の滝は神様なのでじつに美しい」などと単純に解釈していますが、それは文法的な裏付けの無い感覚的解釈でしょう?

  

「神にませば」が何故「神様なので」と解釈されるのか納得できず、2年程前に俳句の深読みをして、「高浜虚子の俳句 《「去年今年」と「神にませば」の面白い解釈》」というブログ記事を書きました。

最近、この解釈を裏付ける「補陀落・普陀落(ふだらく)」という言葉に出会い、筆者の解釈が間違いでなかったという確信を得ました。

   

広辞苑によると、「ふだらく」は「(梵語Potalakaの音写。光明山・海島山・小花樹山と訳す)観世音菩薩が住む山。南海上にあるという。日本では和歌山県那智山などに擬する。」と解説されています。

   

著名な俳人の中には、詩的解釈を文法的解釈よりも優先し、自分の解釈に合わなければ、自分の文法力の無さを棚に上げ、「目糞鼻糞を笑う」ような批判をしている俳人がいますが、高浜虚子の俳句を嘲る俳句の先生はその一例でしょう。

(蛇足ですが、「俳句の先生」でインターネット検索をすると、「プレバト」で人気絶頂の夏井いつき先生に関連する記事ばかりですが、夏井先生のことを指しているのではありません。)

  

俳句は世界最短の定型詩ですから、「日本語の豊かな言葉を生かすべく、文法を疎かにせず、俳句を作り、俳句を鑑賞したい」と思っています。

(青色文字をクリックすると関連の記事がご覧になれます。写真はSNSに拒否反応をしない俳句会員を募集するポスターです。クリックして「まんぽ俳句会」の趣旨をご覧下さい。)

      

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2019年11月30日 (土)

「まんぽ俳句会」  ご投稿をお待ちしています。

                

故郷を「まんぽ俳句」で元気に、未来に繋ごう!         

漫歩・万歩で俳句を作り、集合俳句会・SNS俳句会で相互研鑽・親睦を図ります。

       

興味のある方は、「まんぽ俳句会」

(http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/11/post-d2ef-1.html

「究極の愛・ラブを!(Ultimate LOVE!)

(「自己実現」や「世界平和実現」の指針とすべき言葉24語の頭文字を「LOVE」に当てはめています。)

をご覧下さい。

趣旨にご賛同頂けるなら、是非コメント欄に投稿下さい。 

ご投稿をお待ちしています。

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(発起人) 薫風士

  

 

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

トップ欄か、この「俳句HAIKU」をタップすると、最新の全ての記事(タイトル)が表示されます。記事のタイトルをタップ(クリック)して、ご覧下さい。

   

2019年11月29日 (金)

まんぽ俳句を楽しもう!

    

(2025.5.1 更新)

花祭お百度のごとブログ書き

薫風やながら俳句を恙無く

まん歩せば春の句口に自ずから

      

         
「ハイク (hike)」で「俳句」を作ろう!

 

「徘徊」でなく「俳諧」を楽しもう!

 

「廃人」でなく「俳人」になろう!

   

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冒頭の写真のように、2025年1月4日未明の「俳句HAIKU」へのアクセス累計は、合計「1,234,888」、1日あたりの平均「308.88」と、縁起の良い「八」の数字が並んでいました。

  

Haiku Aids Increasing Knowledge Universally.

「俳句 365 haiku 」の記事を毎日書いて、世界の人々が平和に過ごせることを祈っています。

ここをクリック(タップ)して「俳句365HAIKU」の記事をご覧頂ければ幸いです

   

「まん歩ネット俳句会」は薫風士が世話人として開催していますが、参加者が投句するだけでなく、選句もして、お互いに意見や感想などの句評や情報を投稿しています。

  

俳句歴50年のベテラン(元神戸同人主宰など)も、俳句を始めたばかりの初心者もいて、お互いに夫々の立場で切磋琢磨して楽しんでいる趣味のネット俳句会です。

  

「まん歩ネット俳句会」に参加ご希望の方は気軽にコメント欄に参加の希望を書いてご連絡下さい。

(非公開の趣味の俳句会です。参加費は要りません。)

    

俳句は、AI(エイアイ)に頼るのではなく、人が詠んでこそ俳句の価値があり、意味があります。

  

エイアイには哲学や感情が無くて愛が有りませんが、人間には感性があり、愛があります。

  

俳句に感性を込めて自然や人の営みを詠むのが花鳥諷詠です。

                           

「まんぽ俳句」の「まんぽ」は、「散歩」を「万步」や「漫歩」などの掛詞にした、健康長寿を目指す「吟行」を意味する薫風士の造語です。

          

薫風やフレイル防ぐ「まん歩」せむ

句を口に癒す心や梅雨明ける

        (薫風士

           

未来へと「まんぽ俳句」を去年今年

         

俳句を心の糧として、まんぽ(漫歩・万歩・満歩)の俳句を楽しみ、心身の健康を維持しましょう!           

    

(2019.11.29の記事)

俳句を通じて世界平和の一助となることを願い小春日の「祝賀御列の儀」のNHKTV特別番組を見ながら、まんぽ俳句」の思いを詠みました。 

   

恙なく祝賀御列菊日和

小春日や平和を祈る旗の波

菊日和笑みて応ふる両陛下

皇后の笑みに涙も小春の日

祝賀の日句友募るや菊日和 

小春日や漫歩万歩の俳句詠む

草紅葉ハイクに遊び八十路行く

句に興じ茶寿も祝ぎたし新酒酌む

気の合ひし句友と談義芭蕉の忌

    

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この写真は、ポーランドの温泉町における薫風士の俳句講演の情景です。(2018年)

  

ここをクリックして、講演の「Let's enjoy haiku!」をご覧下さい

                                

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

    

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最後の写真は、ファン・ロンパイ元EU理事会議長と薫風士のツ-ショッ卜です。

     

笑みを生む木喰仏や虫集く

風薫る木喰仏や笑みを呼ぶ

      薫風士

    

  

2019年10月27日 (日)

蜘蛛・蜘蛛の糸《即位礼に思う》

 

(2024.11.4 更新)

蜘蛛の囲や昭和生まれの己が役

  

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この写真は、一匹で餌を待ち構えている蜘蛛や親子の蜘蛛、ジグザグの面白い形をして朝日を受けて光っている蜘蛛など、様々です。

写真をタップ拡大してご覧下さい。

  

(2019.10.27の記事)

和を祈る即位の礼や蜘蛛の糸  

        (薫風士) 

     

蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな  

       (高浜虚子) 

      

蜘蛛の囲や親子三匹餌食待つ         

虚空より蜘蛛も人間見つめをり 

        (薫風士)

    

今日(10月22日)は「即位礼正殿の儀」が行われました

令和の時代も平成の時代と同様に日本国民の象徴として両陛下が国際親善を推進される平和憲法の大原則が永久に堅持されることを祈っています。

  

「即位礼の句に蜘蛛の俳句とはけしからん」とおしかりを受けそうですが、昨日深田公園など散歩していて親子らしい蜘蛛が3匹いる蜘蛛の巣が目についたので写真を撮りながら高浜虚子の俳句がふと浮かんだのがこの記事のきっかけです。

 

蜘蛛の糸は肉眼で見えたのに写真には殆ど写っていないのが不思議でしたが、今朝撮った蜘蛛の囲は太陽光線の向きによっては写真に写っていました。

  

この記事の原稿を書いている間に、「即位礼正殿の儀」関連のテレビ放映がどんどん進展したので冒頭の拙句を掲載する羽目になりました。

  

蜘蛛は夏の季語ですが、思いつくままに掲句を作り、天皇陛下のお言葉や、芥川龍之介の短編小説「蜘蛛の糸」の寓話や高浜虚子の掲句に思いをはせ、世界平和を祈りつつこのブログを書く次第になりました。

  

蜘蛛は、人間界のことに関心があるのか無いのか、相変わらずあちこちに蛛の囲を張っていました。

ウイキペディアの解説によると、蜘蛛の巣を張らない蜘蛛も居るそうで、高浜虚子の掲句が必ずしも当て嵌らないことを知り、大自然の摂理を再認識しました。

 

ちなみに、「蜘蛛も」と助詞「も」を用いたのは、「虚空蔵菩薩の化身である明星のみならず蜘蛛も人間の営みを見ているよ」と言いたいからですが、「それは独りよがりで分からないよ」と批判されるでしょうね。  

    

(青色文字をタップすると、関連の解説記事などをご覧になれますが、ここの青色文字(「俳句」や「HAIKU」)をタップすると、「俳句HAIKU」の最新の俳句や英語俳句の記事をご覧になれます。

   

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2019年10月 4日 (金)

芭蕉の俳句・HAIKU of Bashō (31~40)

 

(31)  有難や雪をかほらす南谷 

  (arigata-ya yuki-o-kaorasu minami-dani)

  

how grateful!

the scent of snow,

Minamidani

  

  (注)

俳句の「切字」や「切れ」を翻訳するには、句意を考慮して「_」や「:」「!」などを使うのが良いと思いますが、この俳句や次の俳句の助詞「や」は詠嘆的切れ字なので感嘆符「!」で表現しています。

なお、芭蕉がこの句を作った背景の解説は、次の記事にあります。

芭蕉が見た風景 羽黒山」、羽黒観光スポット 南谷

   

    

(32)  涼しさやほの三か月の羽黒山 

 (suzushisa-ya hono-mikazuki-no haguroyama)

 

what a coolness!

the dim crescent moon

above Mt. Haguro


   

   

(33)  ほととぎす大竹藪をもる月夜 

(hototogisu ōtakebayashi moru tsukiyo)

  

a cuckoo_

through the large bomboo grove,

the moon light

    

   

(34)  涼しさを我宿にしてねまる也

 (suzushisa-o waga-yado-ni-shite nemaru-nari)

   

(A)

making the cool

my dwelling,

I relax myself

     

(B) 

the cool

relaxes me

as if in my dwelling

    

(注)

(A) は文字通りの英訳です。(B) は意訳です。

奥の細道尾花沢」の記事によると、この俳句は野宿を詠んだものではなく、山形県尾花沢市鈴木清風宅宿泊の持て成しを詠んだ挨拶句とのことです。清風が「お持て成しは何もできませんが・・・」などと謙遜して言ったことを受けて、芭蕉はこの俳句を詠んだのではないでしょうか? 芭蕉は俳句が片言であることを認識して、この句を紀行文入れたのでしょう。

     

     

(35)  粽結ふかた手にはさむ額髪

 (chimaki-yuu kata-te-ni hasamu hitai-gami)

 

wrapping a chimaki,

another hand backing

the hair falling over the brow

 

(注)

「粽」は、対応する英語がないので、そのまま“chimaki”とします。

このように、日本固有のものは無理に英訳せず、注記することにより俳句の簡潔さを優先すれば良いと思っています。

    

      

(36)  道のべの槿は馬にくはれけり 

 (michinobe-no mukuge-wa uma-ni kuware-keri)

  

a rose of Sharon on the wayside_

eaten

by my riding horse

    

  (注)

「くはれけり」は「was eaten」とすると句意が明瞭になりますが、散文的になりますので敢えて「be動詞」を省略しました。

     

      

(37)  野を横に馬牽むけよほととぎす

 (no-o yoko-ni uma hiki-mukeyo hototogisu)

  

(A)

Lead the horse sideways

across the field_

a cuckoo

  

(B)

Cuckoo!

Lead my horse sideways

across the field

  

  (注)

(A) は「ほととぎすが鳴いているぞ」と「馬子に呼び掛けている」と解釈して英訳したものです。

(B) は「鳴いている時鳥に呼び掛けている」と解釈して英訳しています。

「牽きむけよ」という表現からすると(A)の方が妥当ですが、俳諧味を狙った比喩的表現だとすれば(B)かも知れません。

芭蕉は何れの解釈も可としてこの句を作ったのではないでしょうか?

なお、HAIKUは散文ではないので、行の初めを大文字にしないのが普通ですが、この俳句は命令文を含んでいるので大文字にしています。

      

      

(38)  秣負ふ人を枝折の夏野哉 

 (magusa-ou-hito-o shiori-no natsuno-kana)

  

a man with fodder on his back:

the guidepost of

the summer field

   

     

(39)  闇の夜や巣をまどはしてなく衛

 (yaminoyo-ya su-o-madowashite naku-chidori)

   

dark night_

disguising the nest,

the crying plover

    

(注)

「衛」は「千鳥」のことです。このような漢字の違いによるニュアンスの違い・原句の面白さは英語に訳出できませんので英語版では注記します。

   

      

(40)  いかめしき音や霰の檜木笠

 (ikameshiki oto-ya arare-no hinoki-gasa)

   

stern sound_

hails

beating my cypress hat

  

HAIKU」英語俳句」の最新記事をご覧頂けます。

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2019年8月31日 (土)

俳句雑感(6)《季語と切れ字》「猛暑日」と「立秋」

    

(2024.9.14更新)

猛暑日やビルは虹色夕日差し

虹色に酷暑の夕日ビルを染め

新米を高値にしたる猛暑かな

         (薫風士)

   

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まん歩で見かけた猛暑の夕日に映えるビルの情景を駄句に詠みました。

 

2024.6.14  朝のNHK天気予報

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京都は早くも猛暑日になる予想です。

  

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(2023.8.13 更新記事)

今日(8月13日)は「迎火」です。

台風7号が発生していますが台風による災害が大きくならないことを祈るばかりです

  

猛暑日の早朝まん歩句を口に

猛暑日やLINEで交はす老の愚痴

この極暑老躯に欲しき剛健さ

   

(2019.8.31)

tenki.jpによると、7月31日に東北北部も梅雨明けとなり、日本列島は猛暑日となりました。  

梅雨明けは猛暑日なりし七月尽

    

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掲句は、強いて俳句と言うなら、話題提供の「報道俳句」です。

この俳句は「梅雨明け」「猛暑日」「七月尽」と季語が3つあり、一般的な俳句ではありません。

「猛暑日」は2007年以降に用いられるようになった言葉なので私の歳時記には有りませんが、季語として扱うべきでしょう。

  

猛暑日や熱中症の孤独死も

  

この俳句は世相を表す川柳にする方が相応しい内容です。

伝統俳句の「梅雨明け」の例句はここをクリックしてご覧下さい。

   

立秋や名のみの秋の猛暑かな

 

この俳句は二つ「切れ字」(詠嘆の「や」と「かな」)があり、季語も三つありますので、一般的には「ダメ俳句」として批判されるでしょう。しかし、「はや立秋になったんだ」という感慨と、「それにしても猛暑だな」という二つの感慨を共に表す俳句として是認してくれる俳句の先生が居てもよさそうですが、いないのでしょうか?  

  

今年の立秋88日ですが、天気予報によると未だ「猛暑日」や「真夏日」が続いています。

このように、実際の季節感と歳時記の季語にずれがあるのは、陰暦(旧暦)に基づいていた二十四節気が太陽暦(新暦)に当てはめられた結果ですが、地球温暖化による異常気象の影響も無視できないでしょう。

   

余談ですが、中国やインド、米国、ロシアなどの人口巨大国が率先して温暖化対策を促進しなければ、将来の地球環境はどうなっていくのか心配なことです。

世界の指導者として、米国トランプ大統領には大いに反省して頂きたいですね

トランプ大統領は「積み木崩しゲーム」の崩すことばかりやっているような気がします。 

トランプ大統領とその取り巻きは、世界の緊張が高まり、米国の軍需産業が繁栄すれば良いと、「アメリカ・ファースト」を唱道しているのでしょうか?

  

国際条約を簡単に反故にする風潮が蔓延ると、平和な世界の秩序が維持できなくなります。

次の選挙では、米国市民が世界のリーダーとして相応しい大統領を選ぶ良識を発揮してくれることを祈るばかりです。

  

トランプに振り回される世界かな

  

日本の政治家もしっかりしてほしいものですが、庶民は、憤懣やるかたなくても、川柳を口ずさみ、ぼやいているしかありません。

   

最後の写真は日本伝統俳句協会8月の俳句カレンダーの一部です。

写真をクリックして拡大し、掲載された俳句をご覧下さい。

短冊の稲畑廣太郎氏の「丸ビル」の俳句は、秋めいた景色が丸ビルの窓ガラス越しに見えたことを詠んだのでしょうが、ガラス窓に映っている初秋の情景を詠んだものかもしれません。

(「玻璃」は「ガラス」の意味です。)

  

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2019年8月20日 (火)

俳句雑感(7)金子兜太の「炎天」の俳句(改訂版)

     

(2025.1.19 更新)

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戦後80年間、日本は平和憲法のお陰で、戦争に巻き込まれること無く、平和裏に過ごすことが出来ました。

 

冒頭の写真は、2025年1月19日に広島平和記念公園前をスタートとゴ-ルにして開催された都道府県対抗全国男子駅伝のNHK-TV ニュース画面の一部分です。

 

(2019.8. 20の記事)

2019年8月、「炎天下」の甲子園における高校野球全国大会をNHK・TVで観戦しながら、「炎天」の俳句を作ろうとして、ふと金子兜太の有名な俳句のことを思い浮かべました。

  

水脈の果炎天の墓碑を置きて去る

  

この俳句は5・8・5の破調です。

一般的に、俳句の「中七」の字余りは良しとされません。

しかし、この俳句を、例えば、「水脈の果炎天の墓碑置きて去り」とか、「炎天の墓碑置き去りし水脈の果」、「戦友の墓碑炎天の水脈の果」などと、5・7・5の定型に収めると破調のインパクトが無くなり、作者の痛恨の思いを表現しきれない気がします。

 

このように、俳句の内容によっては破調にする方が効果がありますが、安易に破調にすると散文の断片に過ぎない片言になります。

破調にするにはそれなりの必然性がなければなりません。

一般的な作句では定型を守るのが無難で良いと思います

  

湾曲し火傷し爆心地のマラソン

 

この俳句は、季語が無く破調の最たるものであるばかりでなく、現在はマラソンが盛んなのでそのマラソンの印象が強く、被爆者が黒焦げになって無残な即死をしたり、悶え死んだり、逃げ惑ったりした悲惨な状況を想起させる名句として納得するには抵抗を感じます。 

この俳句は、「軽み」を特徴とする俳句の分際で被爆や被災など悲惨な状況・重い題材そのものを詠むには無理があること・俳句の限界の証になるでしょう。

  

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写真は、2024年2月26日に開催された大阪マラソンのスタートとゴールのNHK-TV画面の一部分です。

  

当日は冴返る冬日の春雨のマラソンになりましたが、平林清澄(國學院大學3年)が初マラソンで初優勝の快挙を達成しました。

    
金子兜太が長崎の被爆を詠んだ前衛的現代俳句は、
歳時記「炎天」の一茶の俳句にある言葉を借りて言えば、伝統的な俳句の概念からは「とっぱづれ」しています。 

   

復興なった被爆地でマラソンが出来る平和の有難さを現代俳句として詠むべく、次のように本歌取りをしました。

     

    

マラソンや被爆忘るな春の雨

      (薫風士)

  

の俳句の「春の雨」から「被爆の黒い雨」を想起してくれる世代は減るばかりですが、「俳句HAIKU」の読者の皆さんは、世代を問わず、この拙句に共感して頂けるでしょうか?

    

8月19日は「俳句の日」です。

俳句愛好家が増え、俳句を通じて世界の平和が実現することを切望しています。

ここをクリック(タップ)し、「夏の俳句特集(改定版)」 をご覧下さい。

   

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

    

2019年8月16日 (金)

815祈り繋がむ終戦日(改訂版)

  

(2024. 12.15 更新)

2024年のノーベル平和賞は、日本被団協に授与されました。 

日本被団協は、連合軍による原爆投下から11年後の1956年に広島と長崎の被爆者などによって結成された日本原水爆被害者団体協議会の略称です。

核兵器の非人道性を広めるための草の根運動が評価され、ノーベル平和賞を受賞したとのことです。(日本経済新聞参照

   

(2019.8.16 の記事)

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タイトルの俳句は薫風士の川柳もどきの「標語俳句」です。

   

「815」は広島に原爆が投下された815終戦日815を意味します。

   

今年の終戦日は猛暑大型の台風10号・豪雨に見舞われそうです。被害が少ないことを祈るばかりです

  

天災は甘受せざるを得ませんが、英知を集めて災害を最小限に食い止める努力が必要です。災害が発生した際には自衛隊の救助活動によって多くの人命が救われています。

自民党の草案にある憲法改正(天皇を元首とする国家主義により自衛隊を軍隊にして戦争に駆り出す羽目になる改悪)は阻止しなければなりません。

  

終戦記念日を迎え、平和のありがたさを再認識しています。

まやかしの政治を繰り返させないように、次の選挙では一歩踏み込んでよく考えて投票するようにしましょう。

  

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

      

2019年8月14日 (水)

869祈り繋がむ原爆忌

   

 (2024.12.15 更新)

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写真は、タップ拡大してご覧になれます。(NHK-TV 画面の一部分です。)

  

2024年のノーベル平和賞は、日本被団協に授与されました。

 

被団協は、連合軍による原爆投下から11年後の1956年に広島と長崎の被爆者などによって結成された日本原水爆被害者団体協議会の略称ですが、核兵器の非人道性を広めるための草の根運動が評価されたとのことです。(日本経済新聞参照

  

ままならぬ功を焦らず原爆忌

       (薫風士)

   

「核廃絶」と同様に人々の意識が変わらない限り実現不可能ですが、世界平和実現の基本的な課題は、世界の人々が「既存の宗教を超越し、21世紀の科学に基づいた普遍的な宗教心を持つこと」です。

  

「旧統一教会」・「世界平和家庭連合」と政治家の関係は宗教のマイナス面の卑近な例ですが、問題を矮小化せず、恒久的平和へ根本的解決をする地道な努力を世界に広げましょう

   

P.S. 2022.3.12

ウクライナ紛争について、「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、記事を書きました。

青色文字をクリック(タップ)して、ウクライナ・ドナウへ流る春の川」や春一番この発言はおぞましき」をご覧下さい。

  

(2019.8.14)

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タイトルの俳句は広島平和記念式典をテレビで見ながら薫風士が広島忌と長崎忌を口ずさんだタイトル俳句です。

   

「869」は、広島の被爆(194586日午前815分)と長崎の被爆(89日午前112分)を意味します。

        

忘れまじ815の炎天

   

815祈り繋がむ終戦日

  

上の2句は薫風士の川柳もどきの「標語俳句」です。

「815」は広島に原爆が投下された815終戦日815日を意味します。今年の終戦日は猛暑大型台風に見舞われそうですが、被害が少ないことを祈るばかりです

  

その悲惨俳句に詠めず原爆忌

    

俳句は片言ですから、戦争や原爆の悲惨さは到底詠むことはできませんが、考えるきっかけにはなります戦争の悲惨さを体験した世代の生存者は年々減少し、いずれ戦争を知らぬ世代ばかりになります。

     

語り継ぐ五才の記憶原爆忌  

       (末廣紀惠子)

 

原爆の阿修羅忘れず敗戦忌  

        (泉田秋硯

  

原爆忌語り部たちの老い姿  

         (桂敦子

     

戦争犠牲者のご冥福・核兵器廃絶・世界平和の祈りは永遠に続けなければならないと思います

 

核兵器の廃絶は現実には出来ないにしても、世界の人々がこの祈りを続け、いずれの分野においても、世界の指導者が「寛容の精神」をもって世界の融和・核軍縮の努力をすれば、戦争の勃発や核兵器の使用を未然に防ぐことは可能でしょう。

  

米国はじめ世界の現状はこのような庶民の願いを十分に反映せず、逆行しているのは悲しいことです。

  

しかし、一人ひとりの小さな力でも、世界の人々があきらめずにコツコツと結集すれば、大国をも動かすことは出来るでしょう。

 

この思いを皆さんがシェアしてくれることを祈っています。

     

原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ 

        (金子兜太)

   

(上記の俳句4句は歳時記(俳誌のSalon)から抜粋・掲載させて頂きました。) 

   

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2019年7月31日 (水)

俳句雑感(5):「西瓜」(秋の季語)と「西瓜割」(夏の季語)について

    

(2024.10.7 更新)

西瓜食み馳せる思ひやウクライナ

重陽に吾庭の西瓜味見せり

熟せざる西瓜鴉に喰はれけり

       (薫風士)

 

20240910_134710708_065129先日から鴉がよく鳴いていたので何故だろうと思っていましたが、早くも七夕の夜(?)に西瓜を4個も鴉に喰われました。

まだ熟していないから大丈夫だろうと思っていましたが、残念無念です。

   

年を重ねるごとに、時の流れの速さが加速しているように感じます。

  

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青色文字をクリック(タップ)して、リンク記事をご覧下さい。

  

7月16日は「閻魔詣で」です。

  

「TOKYO 2020」の開催をワクチンの開発・普及が進み新型コロナウイルスの感染拡大の収束が期待されるまで2年間延期していたら、暗殺による安部晋三元総理大臣の非業の死も起こらなかったかもしれません。

   

言葉の力・俳句の力《癒し》や「俳句《涼し》死の話をご覧下さい。

     

(2019.7.31)       

初物の西瓜からすに食はれけり

   

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掲句は薫風士のブログ用川柳もどきです

   

     

    

(写真)

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カラー図説 日本大歳時記の一部分です。

タップ・拡大して、解説と例句をご覧下さい。

   

俳句は川柳ほど人気がないのが現状ですが、俳句を作らない人々の大抵は「季語が難しい」と思っているようです。

次のことがその原因でしょう。  

「『夏の季語』で俳句を作りなさい。」と言われ、普通の人は「西瓜」は夏に食べるのが美味しいと思って、「西瓜」の俳句を作ると、「『秋の季語』だからダメです。」などと言われて面喰い、不信感を抱いたり、俳句嫌いになったりするのではないでしょうか?

  

歳時記を金科玉条にして、「『西瓜割』は夏の季語だが、『西瓜』は秋の季語である。」などと素人には訳の分からないことをいう俳句の先生が沢山いるから、俳句は敬遠されているのではないでしょうか?

残念なことです。

  

当初の季語は旧暦(陰暦)の四季に基づいて分類されていましたが、その季語が新暦(太陽暦)の四季に当てはめられたことが混乱を生じて、更に季語を難しくしているのでしょう。

このことは、季語の本来の価値を損なっていると思います。  

  

210714

北海道から沖縄まで、地域によって季節の変化が異なります。

  

「俳句は自分が自然を見たまま、感じたままに素直に5・7・5にすれば良い。」ということが大原則でしょう。  

俳句を作っているうちに、自然に「季語」の「取り合わせの妙」とナンセンスが分かってくるものです。

俳句の食わず嫌いの方には、自分の感性を信じて、歳時記の分類に捉われることなく、自然を見たまま、感じたままに、気軽に俳句を作り、俳句の面白さ・楽しさを知ってほしいと思っています。

   

日本大歳時記(秋)の「西瓜」の解説の最後に、「西瓜は普通秋の部に分類されるが、現実には夏のものである。」との記述があります。

合本現代俳句歳時記角(川春樹編)でも、西瓜は「秋の季語」として掲載されています。

「きごさい歳時記」(5,000季語の検索)では、「『西瓜割』は晩夏、『西瓜』は初秋』」に分類されています。

いずれの歳時記にせよ、絶対視せず、実際の自然の観察を優先して俳句を作るのが本来の俳句の楽しい作り方でしょう。  

上記の考えに異論のある俳句の先生がおられたら、後学のためにご意見を頂けると幸いです。

   

ここをクリック(タップ)して、「夏の俳句特集(薫風士のブログ)」 をご覧下さい。

ここをクリック(タップ)して、「俳句の鑑賞:《秋の特集》」をご覧下さい。

  

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2019年7月13日 (土)

「片陰」(俳句の文法・口語と文語)

   

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ここをクリックすると「歳時記」の「片陰」の例句をご覧になれます

  

      

俳句上達のコツは、ともかく見たこと感じたことを「5-7-5」のリズムに表現し、そのリズムを身に付けることでしょう。

投句する場合にはそれを推敲すればよいのですから・・・。

  

A)片陰を辿り訪ねた丘の街 

(B)片陰を辿り訪ねし丘の街

(C)遊歩道片陰光る水溜り

(D)片陰に移ろう光水溜り

(E)片陰に光移ろふ(にわたずみ)

(F)片陰の移ろふ光

   

(A)の「訪ねた」は口語で散文的に響きますが、

(B)の「訪ねし」は文語で詩的な響きがあり、

俳句としては(B)の方がよいでしょう。

(C)は、文語・口語の違いはありません。

(D)の「移ろう」は「水溜りの光が移ろう」のか「作者が片蔭に移ろうとしているのか」曖昧になり、不適切です。

(E)と(F)の「移ろふ」は文語(旧仮名遣)です。

口語の「移ろう」でも「水溜りの光が移ろうこと」を詠んでいることは明瞭ですが、文語の方が詩的な印象があるでしょう。

このように、旧仮名遣にはそれなりのメリットがあります。

(広辞苑などの辞書には現代仮名遣の後に旧仮名遣が付記されているので簡単に確認できます。)

    

ちなみに、前回の「まんぽ俳句」に掲載した紫陽花の俳句

梅雨晴れ間垣根溢れる額の花」は口語俳句ですが、

文語俳句にすると梅雨晴れ間垣根溢るる額の花」となります。

(現に見ている情景なので、「梅雨晴れ間垣根溢れし額の花」とはしません。)

  

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2019年7月 6日 (土)

芭蕉の俳句・HAIKU of Bashō:「木下闇」(30/300)

  

須磨寺やふかぬ笛きく木下やみ

  (sumadera-ya fukanu-fue-kiku koshitayami)

  

(A)

in sumadera

i heard the unblown flute sing

in the trees’ deep shade

  

(B)

Suma temple_

hearing the unblown fife,

in the dark of trees’ shade

  

(A) 575訳、(B)はLovee訳です。

切れ字の「や」は(A) には訳出されていませんが、(B) では句読点「_」で表しています。固有名詞はhaikuでも「Suma」のようにを大文字にする方が句意がわかりやすいでしょう。

A)のように主語の「I」を小文字にするのは賛成しかねますし、原句に無い「我・吾・われ」を「翻訳haiku」で「I」として補充するのは無用です。(A) は、「in ---i---in」と韻を考慮したのかもしれませんが、句意が誤解される恐れが無い限り、前置詞は補充しない方が良いでしょう。俳句は省略の文学であり、その解釈を読者に委ねることが面白さの一面です。

いずれにしろ、須磨寺の逸話(平敦盛のこと)を知らない限りこの俳句の良さは理解されないでしょうが、英語俳句の作成や翻訳の参考になれば幸いです。

ちなみに、「木下闇」は夏の季語です。

 

(注)青色文字(冒頭の「須磨寺や・・・」など)をクリックすると、解説記事(「笈の小文」など)をご覧になれます。

なお、次回からはLovee訳のみを掲載し、折に触れて他の翻訳を参考に掲載させて頂きます。  

  

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事のタイトルが表示され、この「俳句HAIKU」をタップすると最新の全ての記事のタイトルが表示されます。

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2019年6月 7日 (金)

芭蕉300句:言葉の壁を破る英訳チャレンジ (1)

         

 (Click here to see "the English version by L. P. Lovee".)

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先日、「575 The haiku of Basho」の著者John Whiteが共著者の佐藤平顕明氏と来日され、芭蕉の俳句の英訳について議論する機会を得ました。

ホワイト氏は俳句の原則5-7-5音を尊重して英訳を5-7-5 音節(syllable)のhaikuとし、芭蕉が字余りで詠んだ俳句はそれに従って音節を増やすという徹底ぶりで、300句を英訳しています。その労作には驚嘆しました。

ホワイト氏は日本語を理解できないので、佐藤氏の解説を基にして英訳されたそうで、両氏のご努力には敬意を惜しみません。しかし、俳句の本質は5-7-5音の簡潔な詩的表現をすることにあり、日本語と英語の構文や発音などの違いを無視して形式的に音節に拘ることには賛成しかねます。動詞や前置詞・副詞などを使用して音節を増やすと散文的になり、俳句の特徴である「詩的短さ」が損なわれると主張しましたが、ホワイト氏は英語の詩として十分簡潔なhaikuに翻訳していると反論され、議論は平行線に終わりました。

ホワイト氏には94歳のご高齢にもかかわらず翌日の帰国を控えたお忙しい時間を割いて頂いたので議論の矛を収めましたが、言葉の壁を破り俳句の翻訳をすることの難しさの一例として、ご参考までに下記のとおり紹介させて頂きます。

 

・ほろほろと山吹ちるか瀧の音 (芭蕉

 

yellow rose petals

gently, gently flutter down;

waterfall thunder

 

ホワイト氏は、芭蕉が山吹を見て詠んだものとしてこの翻訳をしたとのことで、「滝音の響きと山吹が静かに散る対比が面白い」と感想を述べていました。

この解釈は、疑問を表す助詞「か」を見落としていますが、日本の著名な俳人も文法に気をとめず直感的に句意を解釈する傾向があるので是認すべきかもしれません。この俳句は滝の音を聞きながら、「滝の轟音の響きで山吹が散るのではないか?」と滝音の大きさを詠嘆して詠んだものでしょう。 

そこで、次のとおり試訳してみました。

  

shall yellow rose petals

flutter down?

the thunder of water fall

   

ホワイト氏の翻訳は9語17音節ですが、上記試訳は11語16音節です。語数が増えても「滝の音」を強調するために敢えて「the thunder of waterfall」としました。

英詩のHAIKUとしては試訳よりホワイト氏の翻訳の方が詩的映像が鮮明になり優れていると思いますが、原句の句意を無視することはできません。試訳は1~2行の改行を活かし、間をおいて読むと俳句らしくなります。

芭蕉は「滝と山吹」の従来の取り合わせの焦点を音に当てることにより新鮮味を出し、映像は読者の想像に委ねたものと思います。

ホワイト氏はロンドンの名門大学UCLの教授だったとのことですが、まだまだお元気です。「来年も生きていたら来日し、俳句と仏教について講演するつもりだ」と仰ってました。

芭蕉の俳句を気の向くままに英訳して言葉の壁を破るチャレンジをし、来年もホワイト氏と議論できることを願っています。

 

今後の英訳は折に触れてfacebookにも掲載します。俳句の翻訳に関心のある読者の皆さんからコメントを頂き、「俳句とhaiku」鑑賞の楽しさをシェアして頂けると望外の喜びです。

   

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2019年4月30日 (火)

平成の果てて令和の花見酒

 

To enjoy HAIKU in English, click the respective titles: Farewell haiku of Ransetsu” , Photo Haiku Collection (Trip to Europe), and "Vol.5 Kyoshi 100 Haiku (81) ~ (100)" in HIA.

     

新元号期待違はず花見かな 

花冷に祈る平和や令和の句

平成の平和繋がむ生身魂

      

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冒頭の写真はNHK-TV 二ュ-ス画面ですが、桜の写真はスマホで撮った隅田川テラスからスカイツリーを望む風景と皇居の堀端の垂れ桜です。

   

(写真はクリックすると拡大します。青色文字をクリックするとリンク記事をご覧になれます。)    

    

 現代は「花見」と言えば「桜の花見」ですが、万葉集時代の花見の対象は中国渡来の「梅の花」でした。   

               

新元号令和を祝ひ花見酒

 

万葉の文化偲びつ花の宴

 

異国語も交じり平和や花筵

 

句に興じ異国の友と花見酒

  

新元号フェイクにするな四月馬鹿

 

改元に詐欺の横行四月馬鹿

   

平和ぼけするな一喝春の雷

 

大川のジョガー行き交ふ花堤

 

花万朶スカイツリーを遠望に

 

花万朶水面に映ゆる皇居かな

  

平成の残花を惜しみ一人旅

 

碧眼の皿売りも居て花の市

  

平成の果つる四月や花に雪

 

余花の雨地を固むるや令和成る

 

花は葉に一人連句を口ずさみ

       (薫風士)

       

          

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「令和」の「令」は「命令」・「号令」や「律令制」を連想し、「和」は「昭和」と「平和」を連想します。

「律令制」は「大化の改新」で実施されました。

 

「令和」の時代に「世界平和に貢献する日本にするか否か」は、我々一人一人の自覚と行動次第です。

  

「和を以て貴しと為す」は聖徳太子の言葉とされていますが、平和憲法下の「民主主義に基く和」を推進したいものです。

  

平和ぼけして「あなた任せ」や「お上まかせ」の意識でいると、「平成から令和の歴史の流れ」は「大正から昭和の歴史」と同様の悪夢の繰り返しになるでしょう。

 

自民党の憲法改正案には「天皇を元首」にしたり、「自衛隊」を「軍隊」にしてありますが、このような「改正と称する改悪」は無用でしょう。

 

平成の天皇の「『象徴天皇』と『平和』への真摯な思い」を無にしてはならない、という忖度思いを新たしています。

 

読売新聞の記事によると、安倍首相は「桜を見る会」で自作の俳句を2句披露しています。

 

平成を名残惜しむか八重桜

新しき御代寿祝ぎて八重桜

    

上記の俳句は「俳句談義(18):政治家と俳句」で紹介した俳句より上達していますが、安倍総理以下与党議員の方々には平成の天皇の思い民の思いを誤解することなく忖度して、憲法の改悪はせず、天皇が平成から令和へ「日本国民の象徴」として国際親善・平和外交を継承される環境を堅持してほしいと切望しています

  

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2019年3月31日 (日)

「春の水・春水」の俳句

      

一つ根に離れ浮く葉や春の水

  

「春の水」の俳句といえば、高浜虚子の掲句が浮かびます。

この句を「自然の摂理を詠んだ比喩」と解釈して「俳句の創作的解釈というブログを2年前に書きましたが、「俳諧」から生まれた「俳句」と「川柳」にも当てはまります。

  

さらに、高浜虚子の曾孫に当たる稲畑廣太郎(「ホトトギス」の主宰)と坊城俊樹(「花鳥」の主宰)の両氏の句風にも当てはまるでしょう。

両氏のブログ「主宰奔走や「花鳥・近詠をご覧下さい。 

     

P.S. 2022.3.12

唐突ですが、ウクライナ紛争について「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、緊急提言のブログ記事を書きました。

青色文字をクリック(タップ)して、血に染むなドニエプルてふ春の川春一番この発言はおぞましきをご覧下さい。

    

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写真は兵庫県立有馬富士公園福島大池です

    

あちこちに鴨が泳ぎ、亀が十数匹も杭の上などで甲羅を干していました。

   

     

   

   

   

高浜虚子の言葉「深は新なり」を思い出してブログ俳句を詠みましたが、「一つ根」の俳句は人類や既存の宗教にも当てはまります。

  

ここをクリック(タップ)して、「宗教と科学の対立と融合」をご一読頂けると幸いです

   

春水や深は新なり句に遊ぶ           

有馬富士映し豊や春の水          (薫風士)   

      

歳時記(俳誌のサロン)から「春の水」の俳句を抜粋・掲載させて頂きます。

例句の詳細は青色文字の季語をクリックしてご覧下さい。

  

春の水1

平野郷環濠巡る春の水 

         (井上輝男)

   

春の水2

比叡より奔り下りて春の水 

         (上野昌子)

  

春の水3

堰越ゆる小枝逆巻く春の水 

         (山田六甲)

  

春水

春水を蹴つて翔ぶもの泳ぐもの 

       (稲畑廣太郎)

    

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