俳句エッセイ Feed

2018年5月 5日 (土)

俳句:「こいのぼり」・「鯉のぼり」・「鯉幟」

     

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昨日のプレバト(俳句)では賑やかな司会と句評に例のごとく出演者が沸いていました。 

夏井いつきさんの添削に感心することが多いのですが、泉谷しげる氏の俳句(「学び舎の見上げる先は空の海」)の添削(「学び舎の頭上五月の空は海」)はやや腑に落ちません。

  

原句は無季なので、季語「五月」を使うのは結構ですが、「鯉」は淡水魚ですから、鯉幟の比喩に「海」を用いるのは不適切な気がします。

「学び舎の五月の空を泳ぐ鯉」と添削すると、「平凡すぎて面白くない」と言われるでしょうか?     

   

チュヌの主人は次のように親しみやすい俳句を作ることに心がけていますが、「凡人の最たるものである」と酷評されるでしょうか

    

いつの日も子等は希望よ鯉幟

来ぬ孫の恙なきをと鯉幟

来ぬ孫に写真をメール鯉のぼり

    

歳時記(俳誌のSalon)から親しみやすい俳句を掲載させて頂きます。 

(歳時記の詳細は青色文字の季語をクリックしてご覧下さい。)

    

鯉のぼり

鯉のぼりあげる祖父の手節くれて 

        (熊谷みどり)

 

六甲の風に育つ子鯉のぼり

         (山田弘子

 

真つ新の家に翩翻鯉のぼり  

        (田中みのる)

   

鯉幟

鯉幟影のをどつてをりにけり  

         (稲畑汀子)

 

泳ぐ日も拗ねる日もあり鯉幟

        (米山喜久子)

      

鯉幟手摺に尾びれじやれてをり

       (村田とくみ)    

   

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

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2018年3月 6日 (火)

俳句の鑑賞:「啓蟄」に思うこと

     

P.S.2022.3.18

ウクライナ紛争について、プーチン大統領や世界の指導者が賢明な決断をしてくれることを切望して、「やむにやまれぬ思い」を書きました。

青色文字(タイトル)をクリックして、「血に染むなドニエプルてふ春の川や「ロシアの旅(写真・俳句)Trip to RussiaPictures & Haikuをご覧下さい。

  

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4年前(2018年)の啓蟄には、韓国と北朝鮮の対話が始まり、民の期待を裏切らず南北対話が順調に進展することを願いつつ啓蟄の俳句を詠み、ブログ記事を書きましたが、案じた通り期待は裏切られました。

今年の啓蟄は残念ながら新型コロナ感染拡大が収束しないばかりか、ロシアがウクライナに侵攻し、世界平和が脅かされる事態になりました。

     

啓蟄やミサイル飛ばす独裁者

啓蟄やオミクロン株なほ絶えず   

啓蟄や多事多難なる現の世

啓蟄や民族闘争蘇り

啓蟄やコロナ専制疎む日々

     

啓蟄や尾曲り猫の鳴き合ひて

啓蟄や轍を行く子けんけんぱ

啓蟄や出でし言の葉おぞましき

   

掲句は、薫風士が「已むに已まれず」詠んだ「川柳擬き」の俳句です。

「已むに已まれず」は「やむにやまれず」と読みます。

貴方は、物議を醸した「誰かさん」と違い、「已みません」を読み間違いするような読みにくい「ひらがな」にしなくても「漢字」で読めるでしょう(?! 

市井の一老人に過ぎない薫風士は、ウクライナ問題が平和裏に速やかに解決されることを祈りながら駄句を口遊み、平和を訴えるしか手立てがありませんが、迎撃ミサイルが核爆発を起こさず100%防衛できるとは信じられません。

原子力発電所の安全確保も益々おぼつかなくなることは、ウクライナへのロシアの侵攻や北朝鮮のミサイル実験を見れば自明のことでしょう。

問題の解決には、覇権争いや経済制裁ではなく、共産主義圏と民主主義圏の住み分けをして、どちらが人類に幸せをもたらすか、文化やスポーツの世界で平和裏の競争をしながら見極めることでしょう。 

       

啓蟄や初金メダル北京パラ

 

村岡桃佳選手(1997.3.3 生れ)はアルペンスキー女子滑降「座って滑るクラス」と「スーパー大回転・座位」と2日連続の金メダルを獲得しました。まことにおめでとうございます。

知名度の上がったこの契機に是非ともパラリンピック・スポーツを通じて世界平和に貢献する活動をして頂きたいものですね!

  

戦争を知らない世代元総理の発言「日米核共有」を何と考えるか、あなた次第ですが、子供たちの将来の為に、世界の政治指導者が21世紀に相応しい政治哲学を持ち、「究極の愛」を発揮して賢明な政策を推進してくれることを祈るばかりです。

次の参議院選挙は棄権をせず、しっかり考えて投票しましょうね!

         

(2018年の啓蟄の記事)

啓蟄や犬はひと際嗅ぎ回り

啓蟄や南北対話動き出す

  

雨上がりの朝の散歩で愛犬チュヌが一際(ひときわ)あちこちを嗅ぎ回りました。今朝のテレビニュースによると、「3月5日に韓国政府の特使が北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長と会談した」とのことです。

 

南北対話が民の期待を裏切らず世界の平和のために順調に進展することを願いつつ、気の向くままに歳時記(俳誌のサロン)の俳句を引用させて頂きます。

(青色文字の季語をクリックし、例句の詳細をご覧下さい。)

    

啓蟄1

啓蟄や屋根くろぐろと寺の町

         (鷹羽狩行)

  

啓蟄や堆肥の匂ふ蜜柑畑   

         (大塚禎子)

  

啓蟄2

啓蟄や残らず靴を磨き上げ

       (石川のぶよし)

  

啓蟄や靴の減りぐせ父に似て

         (千田百里)

  

啓蟄3

啓蟄の蚯蚓の紅のすきとほる 

         (山口青邨)

  

啓蟄や汐留にビル競ひ建ち  

         (今村恵子)

  

啓蟄4

啓蟄や背伸びをすれば骨の鳴り 

         (八染藍子)

 

啓蟄の歩幅大きくなりにけり

        (寺田すず江)

  

啓蟄5

啓蟄や反抗期の子まだ寝床  

         (下山和美)

 

啓蟄や政変聞きつ厨事    

         (足利錞子)

  

啓蟄6

啓蟄や地下鉄を出て迷ひける 

         (竹内悦子)

 

啓蟄や探しあぐめる地下出口 

         (渡邉英子)

  

啓蟄7

啓蟄や小さき地震に耳立てて 

        (久津見風牛)

 

啓蟄や大地震の地よ甦れ   

         (木野裕美)

  

啓蟄8

啓蟄や要介護より抜け出せず 

         (吉村摂護)

 

啓蟄や犬の見てゐるショベルカー

        (平野みち代)

  

啓蟄9

啓蟄や仏足石の苔生して   

        (服部鹿頭矢)

  

啓蟄や杖つく足をやや高く  

         (吉村摂護)

  

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2018年3月 3日 (土)

俳句《春一番・啓蟄》(更新版)

      

啓蟄やダ-クパタ-ンの溢るる世

啓蟄や言はぬが花か?今の世に

啓蟄や二度は試さむ諦めず

啓蟄や祈りの日々の八十路行く

啓蟄や e-Taxに取り掛からむ

  

朝からの雨で庭弄りは出来ず、手つかずのe-Taxに取り掛かることにしました。

  

以下は、2018年3月に書いた記事を2022年に更新したものです。

  

血に染むなドニエプルてふ春の川

・春一番おぞましきとはこの言葉

・啓蟄や出でし言の葉おぞましき

      

 「この言葉」とは何か、この青色文字をクリック(タップ)し、ご覧下さい

 

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2022年の「春一番」は3月5日の「啓蟄」でした。

      

  

・日々愛(お)しむキノコ雲なき春の雲

・親子行くキノコ雲無く春の雲

   

掲句は、薫風士が「已むに已まれず」詠んだ「川柳擬き」の俳句です。

「已むに已まれず」は「やむにやまれず」と読みます。

貴方は、物議を醸した「誰かさん」と違い、「已みません」を読み間違いするような読みにくい「ひらがな」にしなくても「漢字」で読めるでしょう(?!

   

戦争を知らない世代元総理の発言「日米核共有」を何と考えるか、あなた次第ですが、日本が「核保有国」になることが「自衛」になるとは、到底考えられません。

 

「ぶつぎをかもす誰かさん」の「アメリカファ-ス卜」のように、科学技術の進歩した現代に中世や西部劇時代の考え方で国民や国論を分断・対立を煽る発言されるのは困りものですね。

 

子供たちの将来の為に、世界の政治指導者が「究極の愛」を発揮して賢明な政治を推進してくれることを祈っていますが、参議院選挙は棄権をせず、あなた任せにせず、しっかり考えて投票しましょうね!

   

2018年の「春一番」は昨年より12日遅い(3月1日)発生でしたが、猛威をふるいました。

 

この記事は3月3日「雛祭り」・「平和の日」に書きました

 

歳時記(俳誌のサロン)から季語が「春一番」の俳句を気の向くままに引用させて頂きます。

(青色文字の季語をクリックすると掲載された俳句の詳細がご覧になれます。) 

  

春一番(1)」

春一番武蔵野の池波あげて 

       (水原秋桜子)

  

ポリバケツ逃げまどひたる春一番

        (柿沼盟子)

  

春一番(2)」

風見鶏欣喜回転春一番    

         (山口速)

  

猫探す貼り紙吹かる春一番  

       (池田加代子)

   

春一番(3)」

改札を春一番と通りけり   

         (本節子)

  

春一番阿鼻叫喚のフェニックス

       (松崎鉄之介)

   

春一番(4)」

春一番自転車あまた薙ぎ倒し

       (芝宮須磨子)

  

春一番小学生は駈けたがる  

       (今橋眞理子)

  

春一番(5)」

よろめきて春一番と諾ひぬ  

        (村上悦子)

    

(575筆まか勢)

呼鈴は空耳なりし春一番   

        (田中湖葉)

  

松に鳴り樫に響けり春一番  

        (川村紫陽)

  

白波の浮燈台や春一番

        (岡本静子)

  

若者に古着が流行る春一番  

        (有馬朗人)

      

(「増殖する俳句歳時記」)

胸ぐらに母受けとむる春一番 

        (岸田稚魚)

この俳句は、清水哲男氏の解説に「折りからの強風によろけた母親を、作者はがっしと胸で受けとめた。」とある通りのことを詠んだものでしょう。しかし、広辞苑によると「胸倉」は「着物の左右の襟の重なり合う辺りの部分。むながらみ。」という意味ですから、作者は「母の胸倉が強風で膨らんだ」状態を詠んだ、と解釈できないこともないでしょう。作者は「胸ぐら」と表示することによって二通りの解釈を可能にしたというのは穿ち過ぎでしょうか?

          

真夜中の犬の冒険春一番

 

掲句はチュヌの主人の即興句です。春一番の強風にカーポートのシャッターが少し開き、隙間からチュヌは夜中に冒険に出かけました。チュヌの居ないのに気付いた主人やお母さんが散歩道など探しましたが見つからず、警察署に届けました。でも、チュヌは朝食前にお家に帰ったので「遺失物」の届け出はすぐ解除されました。お巡りさん、お騒がせしてすみませんでした。

   

(補追)

チュヌは2018.10.16に永遠の眠りにつきました。

『チュヌの追悼』by L.P. Lovee」をご覧頂ければ幸いです。

    

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

    

2018年1月14日 (日)

究極の愛・ラブを!(Ultimate LOVE!)

    

(Click here to see English version "Ultimate LOVE". 

  

20241102_124117_2Sn3u0014b子供達が健全に成長し、幸せな人生を送ることが出来るように、そのための24のキーワードをLOVEの文字に当てはめ「究極のLOVE」として集約しました(下記をご覧下さい)   

  

子供たちの道徳教育の参考になれば幸いです。

    

青色文字をクリックすると解説記事などがご覧になれます。   

    

価値観は時代とともに変化します。

 

子供たちそれぞれの個性と才能を生かす教育、多様性を受け入れる寛容の精神を養う教育が肝心です。

  

「いじめ」を防止する教育は必要ですが、「いじめ」や「登校拒否」を無くするためには「他の人の立場を理解し、多様性を認める寛容性と和の精神を教育することこそ肝心です。

   

現代の「和」の精神は戦前の「封建制度的な和」でなく、「平和憲法に基づく民主主義制度における和」が大切です。

   

戦前の全体主義的・国家主義的画一教育に逆流させてはなりません。

絶対主義的画一的教育は「いじめ」の温床になるでしょう。

そればかりか、「国のためには戦争をすべきである」というアナクロニズムに陥る恐れがあります。

  

武器・技術が進歩し、核兵器のある現代では、局地戦争が核戦争を引き起こし、人類・地球の破滅をもたらすリスクがあります。

   

道徳教育で大切なことは、児童があくまでも自発的に物事を考え、自分の考えを主張すると同時に他者の考えにも耳を傾けることを学び、自己と他者、自己と社会との関わり合いを考え、自分の能力や個性を自分のためばかりでなく、社会に役立つようにするバランス感覚、合理的な思考能力などを培うことでしょう。

  

道徳教育を教科にして、「道徳嫌い」を生む恐れのある「一方的な成績評価や序列評価をすること」には反対です。

 

小学校教育においては、評価は子供の自尊心を生かし、やる気を出させるのに効果のある個別評価、教育効果を評価するための範囲に限定すべきでしょう。

  

(本との出会い)母と子・優しさと厳しさと」をご覧下さい

  

平和な社会が維持されることを祈りつつ書いた「究極のLOVE]は下記の通りです。  

    

「L」は Love(愛する)・Learn(学ぶ)・Liberty(自由・権利)・Legality(合法性)、Laugh(笑う)・Life(生活・一生・命)です。 

      

「O」は Optimism(楽観・楽天主義)・Originality(個性・独創性)・Objective(目標・客観的)・Obligation(義務・義理)、Opportunity(機会・好機)・Organization(組織団体組織化することです。  

    

「V」は Vitality(活力・元気)・Vision(ビジョン・先見性)・Venture(冒険・思い切ってする)・Value(価値・評価)・Volunteer(ボランティア・自発性)、Viewpoint(観点視点切り口です。 

     

「E」は Effort(努力)・Enjoy(楽しむ)・Ethic(倫理・道徳)・Equity(公平・公正)・Endurance(忍耐・持続)・Each(個・個人・自己)です。

      

Love(愛)

親子の愛、男女の恋愛、夫婦の愛など人に関する愛のみならず、動物、自然、故郷、住んでいる町や国、平和、自分の仕事など全てが対象です。まず自分を愛し、自分のしていることを愛し、その結果が他者への愛、すべてのものに対する愛につながることが理想です。

      

Learn(学ぶ)

教師や反面教師として、全てのことから学ぶことが出来ます。

身近な両親、兄弟姉妹、友達、先輩・後輩、先生などから直接学ぶことが沢山あります。書物や新聞・ラジオ・テレビ、インターネットなどで地域と時代を超えて様々なことを学ぶことができます。また、自分自身や他人の失敗や成功の実例から学ぶことも大切です。   

      

Liberty(自由・権利)

基本的人権として思想・言論・信教の自由などが憲法で保障されています。しかし、自由の権利を乱用すると、自由を失う恐れがあります。常に権利と義務、個(自分自身)と全体(社会・国)、公平・公正の原則とのバランスを考慮することが肝要です。多くの若者が選挙権・参政権の行使を放棄していることは幸福を追求することを放棄していることになるのではないかと危惧しています。 

      

Legality(合法性)

誰でも自由に考えて行動すれば良いのですが、それが法律に適っていることが前提です。法律は人々の生活を守り社会の秩序を維持するためのものですから、日常生活で余り難しく考えることは無いでしょう。しかし、何か特別のことを始める時にはそれが合法的かどうかチェックすることも必要でしょう。   

      

Laugh(笑う)

笑う門には福来たる」(「Laugh and get fat.」「Fortune comes in by a merry gate.」)です。

泣きたいときには泣くとよいでしょう。でも、辛い時でも笑顔を忘れずに前向きに過ごして行けばきっと良い時も来るでしょう。 

      

Optimism(楽観主義)

人間万事塞翁が馬」(Joy and sorrow are today and tomorrow.)、「人生は山あり谷あり」、「努力をすれば何とかなる」、「人事を尽くして天命を待つ」と楽観的に考えることです。いわゆるプラス思考・ポジティブシンキング(positive thinking)を実践することです。

               

Originality(個性・独創性)

世界に一人しかいない自分という貴重な存在を活かしましょう。単なる「猿真似」や「迎合」ではなく、人それぞれに出来ること・天性・個性を生かして、学んだことを更に発展させ実践することです。現代は多様性の時代です。様々な個性が集まって全体の調和が生まれることが理想です。   

     

Objective(目標・客観的)

将来何をするか自分の目標を定める際に、それを達成することが可能か、楽観的に考えると同時に、冷静に客観的に評価しておくことも大切です。高い目標を掲げることは良いのですが、目標は高ければ高いほど成果の高望みをしないでstep-by-stepで一歩ずつ前進することです。  

     

Obligation(義務・義理)

「世の中は持ちつ持たれつ」、「お互い様」です。自己の権利を主張するばかりでなく、義務もあることを認識して他者の権利・立場も認め、自他のバランス(Give-and-take)を考えることが大切です。  

      

Opportunity (機会・好機)

好機逸すべからず」です。英語のことわざには「Now or never.」とか「Everything has its time.」などがありますが、機会をとらえTPO(時と場所と場合)を考えて適切な行動をすることが大切です。 

     

Vitality(活力・元気)

何事もやる気と元気がなければ達成出来ません。精神的にも肉体的にも健康を維持することが大切です。「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。時には無理が必要なこともあるでしょうが、頑張りすぎないで、自分の出来る範囲でやれば良いでしょう。

     

Vision(ビジョン・先見性)

「憲政の神様」と言われた尾崎行雄は「人生の本舞台は常に将来に在り」と言っています。自分は何をしてきたか、今何をすべきか、自分の将来の目標は何か、自分の人生のどの時点でも、常に過去・現在・未来という流れの中で自分自身と社会の将来を見据えて考え・行動することが理想です。

     

Venture(冒険・思い切ってする)

慎重に考えて行動することも大事ですが、難しいと思うことでも時には思い切ってやって見ることも必要でしょう。成功するか否かは自分の才能や努力のみならず運に左右されるものです。最もうまく行く場合と最悪の場合とを考え、腹を据えて思い切って行動すると良いでしょう。

     

Value(価値・評価)

価値観は人によって異なりますが、自分の価値観を充足することによって生き甲斐や幸せを感じるものです。

自分にとって何が大切か、何をしたいか、それは自分のためだけではなく、親のためや人のために役立つことになるか、と考えながら目標を立て・行動することが大切です。

     

Volunteer(ボランティア・自発性)

何事でも自分のしたいことをするときは苦労が苦労でなく、楽しくなります。最近はボランティア活動をしている若者も沢山いることはありがたいことです。自分が出来ることを自発的に行い、自分のみならず人のためにもなり、世の中に役立つことができれば最高です。

     

Effort(努力)

天賦の才に恵まれていても努力をしなければその才能を生かすことは出来ません。ささやかな才能であっても努力することによって、それを伸ばすことが出来ます。大切なことは他者との比較や序列・勝ち負けそのものではなく、それを励みとして自分自身の天分を育てる努力をしているかどうかです。 

     

Enjoy(楽しむ)

努力も色々工夫しながらすると、苦労でなく楽しみとなります。楽しみながらすると努力を続けることが出来ます。少しでも努力の成果が出ると楽しくなります。すぐに成果が表れなくても長い目で見れば必ず成果が出て来るものですから、それを楽しみに努力を続けることです。

     

Ethics(倫理・道徳)

技術が高度に発達し専門化している現代社会においては個人や組織が倫理を大切にして活動することが不可欠です。最近の世相をみると、長い間に築いた信用を倫理観の欠如から一瞬に失い、自滅するだけでなく社会に大きな弊害をもたらしている例が少なくないことは残念なことです。

     

Equity(公平・公正)

才能や努力の成果を生かすには考え方や行為が公正であることが大切です。どのような場合でも公正かどうかという観点でチェックすることが望まれます。公明正大な振舞いをすることによって明るい気持ちが維持できます。明るい気持ちは必ず幸福を呼び込むでしょう。 

      

Endurance(忍耐・持続)

豊かな現代社会においては何でも簡単に出来、手に入るので誘惑が多く、我慢することが難しくなっています。

ITやSNSが発達し便利になっていますが、スマホによるゲームの氾濫や不適切な交流サイトなど、子供の教育や十代の若者の新たな社会問題になっています。  

「三つ子の魂百まで」、「継続は力なり」です。大きくなってから抑えることは難しくなりますので物心が付き始めた幼い時から我慢することのしつけもしておくと良いでしょう。 

   

上記のことは、ご存知のことばかりでしょうが、それをLOVEという親しみやすく大切な一語に集約して覚えやすくしたのが味噌です。LOVEを実践する人々が増え、住みよい社会が日本から世界に広がることがチュヌの主人の念願です。

 

幸せな一生を過ごすには、一個人としての「自分」と「組織」の一員としての「自分」とのバランス、「個」と「全体」の「関わり合い」を考え、「過去」をベースに「未来」を見据え、「現在」に「視点」を置いて、よく考え、行動することが大切です。そして、視点を「自己→家族→市民→国民→地球人」など、様々な視座に置いて相対的に考えることです。

   

「自分一人ぐらい・・・」とあきらめるのではなく、「自分一人でも・・・」と前向きに考え行動することです。「一人一人の思いや行動」が組織・社会・国を動かしていくのですから。 

         

「究極のLOVEを実践しよう!」の抄訳英語版はココをクリックしてご覧下さい。

   

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

                  

2017年12月17日 (日)

亀鳴くや声なき声を聞けよとて

      

(2025.2.6 更新)

ここの青色文字(記事のタイトル)をクリック(タップ)して、「梅雨の亀の呟き《政界の若返りを!》」や「EXPO 2025《大阪・関西万博21句」》」をご一読下さい。

  

亀鳴くや政治刷新鬨の声

亀鳴くや海神の声聴けよとて

亀鳴くや無理をするなと帰路の闇 

亀鳴くや無理ムリとは言いづらく

亀鳴くやパワハラ嫌と言えなくて

亀鳴くや餓鬼大将にいびられて

亀鳴くや我が身になって考へよ

亀鳴くや主人諫めよポチとても

亀鳴くや仏心の嘘をつき

亀鳴くや仏の嘘は民の為

亀鳴くやドニプル川を血に染むな

       (薫風士)

 

2022年3月18日に、ウクライナ紛争についてプーチン大統領や世界の指導者が賢明な決断をしてくれることを切望して「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠んだ記事血に染むなドニエプルてふ春の川」をご覧頂いと思いますが、貴方にとって「声なき声」とは何でしょうか?

  

掲句の比喩に込めた思いをシェアして頂けると幸いです。

    

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Cimg5461_2タイトルの俳句「亀鳴くや」は2017年12月1日に国際俳句協会主催で開催された第19回HIA俳句大会の稲畑汀子選の特選になったチュヌの主人(木下さとし▪︎ 薫風士)の投句です。

  

この句は、「亀鳴くや皆愚かなる村のもの」という句を作った高浜虚子の孫に当たる稲畑汀さん(当時、日本伝統俳句協会会長)の目に留まり、特選になったのでしょう。

  

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写真は、カラ-図説日本大歳時記の「亀鳴く」などの解説頁の一部分です。

  

亀鳴く」は「春の季語」です。

写真や青色の文字をタップして、解説と例句をご覧下さい。

  

虚子は「亀鳴く」という季語を用い、「愚か者」と言わず、「愚かなる村」の「もの」と「ひらがな」表示にすることによって何かを比喩的に表現しようとしたのではないでしょうか?

    

俳句談義(15):『昭和の日』・『憲法記念日』と俳句」において述べたように、いろいろな解釈が可能です。

   

「愚かなる村のもの」の「もの」とは何か? 「者」か?「物」か?

  

「皆」とは「亀」のことか? 

  

それとも、「人は皆愚か者」と嘆いているのだろうか?

 

「村」とはどこの村か? 

  

「政治家や日本人の村社会意識」の比喩ではないか?

等々、あなたも面白い解釈をしてみて下さい。

 

(青色文字をクリックすると解説記事をご覧になれます。)

 

「声なき声」は英語ではサイレント・マジョリティ(silent majority)です。

  

「ベトナム戦争」についてのニクソン大統領の発言や、「安保闘争」についての岸信介総理大臣の発言など、色々な使い方がされています。

  

あなたにとって「声なき声」とは何でしょうか?

   

2017年の流行語大賞は「忖度」(そんたく)が選ばれました。

 

広辞苑によると「忖度」は「他人の心中をおしはかること」ですから、「おもてなし」の心に通ずる言葉でしょう。

  

「空気を読む」とか「阿吽の呼吸」とかいう言葉がありますが、肝心なことは「何について忖度するのか、忖度して何をするのか」です。

  

政治問題や国際問題には国民を納得させる透明性が必要でしょう。

  

「利敵行為・利敵発言」などのレッテル貼を恐れて発言しない「声なき声」、すなわち「トランプ大統領」や「安倍総理」などが声高に推進している北朝鮮に対する強硬政策について危惧しながら発言しない「声なき声」の真意は何か、日本が戦前に経済制裁などによって追い込まれ、「真珠湾攻撃」をしたこと、「天皇を現人神」として独裁的軍部が無謀な戦争を推進したこと等を考えれば、答えは自明ではないでしょうか?

   

「今年の漢字」に「北」が選ばれました。

 

国や人々が互いに背を向けて離反するのではなく、向かい合って対話する政治を推進してほしいものです。

 

愛する日本の将来のために、また世界平和のためにも、「人道とは何か」を政治家が真摯によく考え、叡智をもって政策を推進することを願っています。

   

あすなろう民の祈りの大聖樹

       (薫風士)

     

この俳句は神戸メリケンパークのクリスマスツリーを詠んだチュヌの主人の俳句です。

  

宗教と科学の融合」をご一読下さい。

冒頭の写真は先日チュヌの主人が神戸市の布引ハーブ園で寫した「愛の像」(Statue of Mother and Child) の写真です。

 

本との出会い <母と子・優しさと厳しさと>  や聖夜」・「クリスマス」(歳時記)の俳句など、青色文字をクリックしてご覧下さい。)

   

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「和文俳句」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

     

2017年12月10日 (日)

俳句上達のコツ《見たこと・感じたことを5・7・5で口ずさむ》

    

「口ずさむ」は「口遊む」と書きます。

 

俳句上達のポイントは、ともかく何でも見たこと・感じたことを「5・7・5」で口ずさみ、言葉遊びを楽しみながら「5・7・5のリズム」を身に付けることにあるでしょう。

 

俳句のリズムが身につけば、多作多捨をして推敲することが容易になり、そのうちに良い句が作れるでしょう。

 

良い句とは、作者の思いが「5・7・5」に無駄なく凝縮して表現された俳句だと思っています。

 

「あれもこれも表現したい」と思うときは、題材・テーマを一つに絞って、複数の俳句に表現すると良いでしょう。

 

ここをクリックして、「俳句の作り方 <5つのポイント>」をご覧下さい。

 

俳句に興味のある方はここをクリックして「俳句を楽しもう!(フラワータウンカレッジ講演の要旨)」をご一読下さい。

 

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2017年11月28日 (火)

本との出会い《母と子・優しさと厳しさと》

        

春浅し命の限り『句』を口に (本との出会い)

    歌うように伝えたい」をご一読下さい。コロナ禍の励ましになるでしょう。

   

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ブログ「チュヌの便り・虚子の俳句『去年今年貫く棒の如きもの』の棒とは何か?」を契機に知った宗内敦(臨床心理学者)の近著「エッセイで読み解く 教育・指導のエッセンス」に共感することが多々あるのでここに紹介させて頂きます。

教育関係者のみならずチュヌの便りの読者など一般の人々に是非読んで頂きたい好著です。

(青色文字をクリックすると解説記事などがご覧になれます。) 

     

「いじめ」や「不登校」などの問題は教育者のみならず、広く一般の人々が他人事としないで関心を持ってほしい問題ですが、このような問題を無くするためには「思いやりを持って他人の立場を理解し、多様性を認める寛容性を基本にした和の精神を教育することが何よりも肝心である」とチュヌの主人は思っています。

この「和」の精神は戦前の「封建的な和」でなく、「民主主義制度における和」です。戦前の全体主義的・国家主義画一教育は「いじめ」の解消にならないでしょう。

道徳教育で大切なことは、児童があくまでも自発的に物事を考え、自分の考えを主張すると同時に他者の考えにも耳を傾けることを学び、自己と他者、自己と社会との関わり合いを考え、自分の能力や個性を自分のためばかりでなく、社会に役立つようにするバランス感覚、合理的な思考能力などを培うことでしょう。

「権力」にもとづく教育でなく、「権威」に基づく教育をすることが肝心でしょう。(宗内敦著「教師の権威と指導力」参照。)

 

道徳教育を教科にして、「道徳嫌い」を生む恐れのある「一方的な成績評価や序列評価をすること」には反対です。道徳教育においては、評価は子供の自尊心を生かし、やる気を出させるのに効果のある個別評価、教育効果を評価するための範囲に限定すべきでしょう。

子供たちが将来幸せな一生を過ごすことができるようにするには、「自分を知り、『一個人としての自分』と『組織の一員としての自分』とのバランス、『個と全体の関わり合い』を考え、『過去をベースに未来を見据え、現在に視点を置いて、よく考え、行動すること』、『自己→家族→市民→国民→地球人』など、様々な視点で相対的に考える教育をすることが大切です。   

      

子供の教育のためのみならず、住みよい平和な社会が維持されることを祈りつつチュヌの主人が書いた「究極のLOVEを実践しよう!」の「究極のLOVE]は下記の通りです。 是非、ご一読下さい。

   

・「L」

Love(愛する)・Learn(学ぶ)・Liberty(自由・権利)・Legality(合法性)、Laugh(笑う)・Life(生活・一生・)です。 

     

・「O」

Optimism(楽観・楽天主義)・Originality(個性・独創性)・Objective(目標・客観的)・Obligation(義務・義理)、Opportunity(機会・好機)・Organization(組織・団体・組織化すること)です。  

  

「V」

Vitality(活力・元気)・Vision(ビジョン・先見性)・Venture(冒険・思い切ってする)・Value(価値・評価)・Volunteer(ボランティア・自発性)、Viewpoint(観点・視点・切り口)です。 

    

・「E」

Effort(努力)・Enjoy(楽しむ)・Ethic(倫理・道徳)・Equity(公平・公正)・Endurance(忍耐・持続)・Each(個人・自己)です。  

  

・Love(愛)

親子の愛、男女の恋愛、夫婦の愛など人に関する愛のみならず、動物、自然、故郷、住んでいる町や国、平和、自分の仕事など全てが対象です。まず自分を愛し、自分のしていることを愛し、その結果が他者への愛、すべてのものに対する愛につながることが理想です。  

  

・Learn(学ぶ)

教師や反面教師として、全てのことから学ぶことが出来ます。

身近な両親、兄弟姉妹、友達、先輩・後輩、先生などから直接学ぶことが沢山あります。書物や新聞・ラジオ・テレビ、インターネットなどで地域と時代を超えて様々なことを学ぶことができます。また、自分自身や他人の失敗や成功の実例から学ぶことも大切です。   

  

・Liberty(自由・権利)

基本的人権として思想・言論・信教の自由などが憲法で保障されています。しかし、自由の権利を乱用すると、自由を失う恐れがあります。常に権利と義務、個(自分自身)と全体(社会・国)、公平・公正の原則とのバランスを考慮することが肝要です。多くの若者が選挙権参政権の行使を放棄していることは幸福を追求することを放棄していることになるのではないかと危惧しています。  

  

・Legality(合法性)

誰でも自由に考えて行動すれば良いのですが、それが法律に適っていることが前提です。法律は人々の生活を守り社会の秩序を維持するためのものですから、日常生活で余り難しく考えることは無いでしょう。しかし、何か特別のことを始める時にはそれが合法的かどうかチェックすることも必要でしょう。   

  

・Laugh(笑う)

笑う門には福来たる」(「Laugh and get fat.」「Fortune comes in by a merry gate.」)です。

泣きたいときには泣くとよいでしょう。でも、辛い時でも笑顔を忘れずに前向きに過ごして行けばきっと良い時も来るでしょう。  

  

・Optimism(楽観主義)

人間万事塞翁が馬」(Joy and sorrow are today and tomorrow.)、「人生は山あり谷あり」、「努力をすれば何とかなる」、「人事を尽くして天命を待つ」と楽観的に考えることです。いわゆるプラス思考・ポジティブシンキング(positive thinking)を実践することです。 

        

・Originality(個性・独創性)

世界に一人しかいない自分という貴重な存在を活かしましょう。単なる「猿真似」や「迎合」ではなく、人それぞれに出来ること・天性・個性を生かして、学んだことを更に発展させ実践することです。現代は多様性の時代です。様々な個性が集まって全体の調和が生まれることが理想です。

      

・Objective(目標・客観的)

将来何をするか自分の目標を定める際に、それを達成することが可能か、楽観的に考えると同時に、冷静に客観的に評価しておくことも大切です。高い目標を掲げることは良いのですが、目標は高ければ高いほど成果の高望みをしないでstep-by-stepで一歩ずつ前進することです。  

   

・Obligation(義務・義理)

「世の中は持ちつ持たれつ」、「お互い様」です。自己の権利を主張するばかりでなく、義務もあることを認識して他者の権利・立場も認め、自他のバランス(Give-and-take)を考えることが大切です。 

    

・Opportunity (機会・好機)

好機逸すべからず」です。英語のことわざには「Now or never.」とか「Everything has its time.」などがありますが、機会をとらえTPO(時と場所と場合)を考えて適切な行動をすることが大切です。 

  

・Vitality(活力・元気)

何事もやる気と元気がなければ達成出来ません。精神的にも肉体的にも健康を維持することが大切です。「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。時には無理が必要なこともあるでしょうが、頑張りすぎないで、自分の出来る範囲でやれば良いでしょう。

   

・Vision(ビジョン・先見性)

「憲政の神様」と言われた尾崎行雄は「人生の本舞台は常に将来に在り」と言っています。自分は何をしてきたか、今何をすべきか、自分の将来の目標は何か、自分の人生のどの時点でも、常に過去・現在・未来という流れの中で自分自身と社会の将来を見据えて考え・行動することが理想です。

  

・Venture(冒険・思い切ってする)

慎重に考えて行動することも大事ですが、難しいと思うことでも時には思い切ってやって見ることも必要でしょう。成功するか否かは自分の才能や努力のみならず運に左右されるものです。最もうまく行く場合と最悪の場合とを考え、腹を据えて思い切って行動すると良いでしょう。

   

Value(価値・評価)

価値観は人によって異なりますが、自分にとって何が大切か、何をしたいか、それは自分のためだけではなく、親のためや人のために役立つことになるか、と考えながら目標を立て・行動することが大切です。

  

・Volunteer(ボランティア・自発性)  

何事でも自分のしたいことをするときは苦労が苦労でなく、楽しくなります。最近はボランティア活動をしている若者も沢山いることはありがたいことです。自分が出来ることを自発的に行い、自分のみならず人のためにもなり、世の中に役立つことができれば最高です。

  

・Effort(努力)

天賦の才に恵まれていても努力をしなければその才能を生かすことは出来ません。ささやかな才能であっても努力することによって、それを伸ばすことが出来ます。大切なことは他者との比較や序列・勝ち負けそのものではなく、それを励みとして自分自身の天分を育てる努力をしているかどうかです。 

  

・Enjoy(楽しむ)

努力も色々工夫しながらすると、苦労でなく楽しみとなります。楽しみながらすると努力を続けることが出来ます。少しでも努力の成果が出ると楽しくなります。すぐに成果が表れなくても長い目で見れば必ず成果が出て来るものですから、それを楽しみに努力を続けることです。

  

・Ethics(倫理・道徳)

技術が高度に発達し専門化している現代社会においては個人や組織が倫理を大切にして活動することが不可欠です。最近の世相をみると、長い間に築いた信用を倫理観の欠如から一瞬に失い、自滅するだけでなく社会に大きな弊害をもたらしている例が少なくないことは残念なことです。

   

・Equity(公平・公正)

才能や努力の成果を生かすには考え方や行為が公正であることが大切です。どのような場合でも公正かどうかという観点でチェックすることが望まれます。公明正大な振舞いをすることによって明るい気持ちが維持できます。明るい気持ちは必ず幸福を呼び込むでしょう。 

      

・Endurance(忍耐・持続)

豊かな現代社会においては何でも簡単に出来、手に入るので誘惑が多く、我慢することが難しくなっています。

ITSNSが発達し便利になっていますが、スマホによるゲームの氾濫や不適切な交流サイトなど、子供の教育や十代の若者の新たな社会問題になっています。  

三つ子の魂百まで」、「継続は力なり」です。大きくなってから抑えることは難しくなりますので物心が付き始めた幼い時から我慢することのしつけもしておくと良いでしょう。 

上記のことは、ご存知のことばかりでしょうが、それをLOVEという親しみやすく大切な一語に集約して覚えやすくしたのが味噌です。LOVEを実践する人々が増え、住みよい社会が日本から世界に広がることがチュヌの主人の念願です。

          

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2017年11月24日 (金)

芭蕉や虚子の面白い俳句をまとめました

           

チュヌの便りの「俳句談義」や「俳句エッセイ」などから「面白い俳句」の記事をまとめました。

青色文字(記事のタイトル等)をクリックしてご笑覧下さい。

   

(1)松尾芭蕉の俳句「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」

 

この俳句の句意は二通りの解釈が可能ですが、何と何か、当てて下さい。

答えは「蝉の俳句を鑑賞しよう」にあります。 

 

高浜虚子の俳句「春の山屍を埋めて空しかり」の「空しかり」を貴方は何と読みますか?「むなしかり」と読みますか?「くうしかり」と読みますか? 俳句談義(1)虚子辞世句の解釈」をご覧下さい。

       

(2)与謝蕪村の俳句「薫風やともしたてかねついつくしま」

  

この俳句の面白さは句意が少なくとも4通りに解釈できることにあります。

「いつくしま」は宮島のことです。「厳島神社」は世界遺産に登録されていますね。俳句鑑賞 <蕪村の俳句「薫風や」は面白い>を読んで、「宮島」を詠んだ与謝蕪村の遊び心を共有して下さい。

    

(3)高浜虚子の俳句「神にませばまこと美はし那智の滝」

この俳句は虚子が那智の滝の美しさを讃えて詠んだものですが、俳句の隠喩について面白い解釈が可能です。那智の滝」も世界遺産に登録されています。若者が自然に対する素朴な畏敬の念を失わず、人間本来の生命力を失わず、少子高齢化の日本の未来を救ってくれることを祈っています。「高浜虚子の俳句 <「去年今年」と「神にませば」>の面白い解釈」を読み、チュヌの主人の思いをご理解頂ければ嬉しいですね。

  

(4)高浜虚子の俳句「花疲れ眠れる人に凭(よ)り眠る」

この俳句の面白さや俳句の翻訳の難しさを取り上げた記事「俳句談義(13):<『花』と『鼻』> 高浜虚子と芥川龍之介や「バイリンガル俳句鑑賞 <花疲れ眠れる人に凭り眠る(高浜虚子)>をご覧下さい。

ちなみに、正岡子規は俳句本来の面白さを辞世の俳句などに残してくれています。「『敬老の日』の『糸瓜忌』に思うこと」をご覧下さい。

  

(5)高浜虚子の俳句『大寒の埃の如く人死ぬる』

俳句の面白さの一端はその短所とも言うべき片言性が解釈の二面性(滑稽とシリアス)を可能にしていることにあります。「俳句談義(4):高浜虚子の句『大寒の埃の如く人死ぬる』とは、『平和』を考える」をご覧下さい。

安倍政権やトランプ政権が暴走せず賢明な政策を推進して世界の平和を維持するように、識者が働きかけることを祈っています。恒久的世界平和の確立をはかない夢に終わらせないために、皆さんが声なき声を上げてくれることを願っています。

「俳句談義(1)~(18)通読版」に興味があれば、ここをクリックしてご覧下さい。

   

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2017年10月25日 (水)

高浜虚子の俳句 「神にませば」の面白い解釈

     

神にませばまこと美はし那智の滝

  

高浜虚子(1874–1959)の代表句の一つである「去年今年貫く棒の如きもの」の解釈について、「虚子の俳句『去年今年貫く棒の如きもの』の棒とは何か?」というタイトルのブログを書きましたが、虚子は深読みすると面白い意味深な掲出句を作っています。

(青色の文字をクリックすると関連の記事をご覧になれます。)

  

「神にませば」の俳句について、坊城俊樹氏は次のように述べています(「高浜虚子の100句を読む」から抜粋)。

この句は『五百句』にもあるように、虚子の句の中でも史実を超えた代表句。特に吟行の旅における傑作といっていい。(…中略…)滝の美しさもさることながら、茶屋の娘の美しさに気を配るあたり、なかなかお忙しいが、まことに虚子らしい。とまれ、那智の滝の美しさは女性に喩えるのは当然で、あの日本一の一条の滝の姿は大日如来の再現である。」

また、滝の下にある虚子の句碑を観て詠んだ次の2句を掲載して、「本歌取りというほど高尚なものでもないが、虚子の句への尊厳を込めてというよりは、この滝の日本一の美しさと気高さにたいしての存問と思いたい。」と述べています。

  

滝にまさば神を白しと思ふかな

岩座を後背として那智の滝

   

「神にませば」の俳句を英訳するために広辞苑で調べたところ、「ます」の漢字表示には「申す」(=「言う」の謙譲語)と「在す・坐す」(=「在る」「居る」の尊敬語)があることが分かりました。

高浜虚子は意図的に漢字を用いず、「ひらがな」で「ませば」と表記したに違いありません。

前者の意味に解釈すると、神にませばまこと美はし那智の滝」の句意は、「神に申し上げますが、那智の滝は真に美しいですね」と、「神の創造した自然を賛美している」ことになります。

また、後者の意味に解釈すると、「神にある那智の滝は真にうるわしい」という意味になりますが、どうも合点が行きません。

インターネットで解説記事や写真などをあれこれ検索した結果、「神に在るもの」とは「滝そのもの」ではなく「滝が象徴するもの」を指している比喩であることに気付きました。

古来から生命の源泉を崇拝して豊穣を祈願する素朴な信仰、殖器崇拝の概念がありますが、「那智滝」の信仰にもそのような一面があるに違いありません。

熊野那智大社のホ-ムページをご参照下さい。 

    

高浜虚子の俳句には座興に作ったのか、人を食ったような俳句もあります。「那智の滝」は大日如来の再現であるとも言えるでしょうが、この俳句では「観音様」(=「女陰」)の隠語も暗示している隠喩の効果も意図していると思います。

滝の落下水量、滝の見える場所、季節などの条件次第で、那智の滝は様々な姿を見せてきたのではないでしょうか?

那智の滝の画像集をご覧になると、「それ」らしく見える写真があるでしょう。

「神にませば」の俳句と「去年今年」の俳句を合わせて考えると、冒頭のブログにおいて触れた中年婦人の感想(「この句を知ったとき、顔が火照り、胸がときめき、しばらくは止まらなかった」)に納得できないこともない気がします。

高浜虚子の「遊び心」「自由奔放さ」に感嘆しましたが、「不謹慎な下司の勘繰りである」と非難・一蹴されるでしょうか?

「高浜虚子の俳句の奥の深さを良く理解している」と評価して呉れるでしょうか?

この俳句を卑しい人が読めば「卑しい俳句」として貶すでしょうし、自然を愛し自然の摂理を理解・尊敬している人が読めば、「素晴らしい俳句」と思うのではないでしょうか。

「何事も両面あるので良く考えることが大切だ」と痛感しています。

            

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2017年10月16日 (月)

高浜虚子の俳句と「護憲運動」のことなど

   

(2024.10.24 更新)

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この写真は、NHK-TV 画面の一部分ですが、10月27日の衆議院選挙投票促進の広報車などです。

 

まやかしの無い公明正大な良識ある候補者を見極めて、投票しましょう。

  

時雨るるや叉もまやかし懲りもせず

    (薫風士)

  

候補者が政治家として国民の信頼を裏切らないことを切望しています

   

(2017.10.16の記事)

高浜虚子(1874–1959)の俳句に「年を以て巨人としたり歩み去る」とか「亀鳴くや皆愚かなる村のもの」という風変わりな俳句があります。

  

10月10日、衆議院選挙が公示されました。この高浜虚子の奇妙な俳句は「衆議院選挙」とか「護憲運動」などとは何ら関係ありませんが、「踏み込んでよく考えよう!」と、読者に謎を掛けているような気がします。

 

高浜虚子は「去年今年貫く棒の如きもの」という俳句も作っていますが、今年の年末年始はどんな感慨をもって過ごすことになるでしょうか。

 

目下、衆議院選挙の投票日(10月22日)に向けて各政党の代表者や候補者が支援を求めて運動に駆け回っていますが、将来に悔いを残さないように目先のことに捉われず、皆さんが投票してほしいものです。

(青色の文字をクリックすると関連の解説記事などをご覧になれます。)

  

チュヌの主人は「俳句を通じて世界平和を!」をモットーにして、ささやかなブログを書いていますが、その一環として、「高浜虚子の100句を読む(坊城俊樹著)に掲載された虚子の100句を第1回から順次英訳して「チュヌの便り」に掲載中です

 

(第26回)高浜虚子の100句を読む」を見ると、掲句「年を以て」の作成が「大正十二年十二月二十一日」と記載されています。

「大正12年」(1923年)には関東大震災が発生しているので、そのことを俳句に詠んだものかと思いましたが、実際の作成年は大正2年(1913年)なので関東大震災とは無関係であることがわかりました。

ウイキペディアの大正2年の「できごと」を見ると、

2月に「尾崎行雄が政府弾劾演説を行う(第一次護憲運動)」「第3次桂内閣総辞職(大正政変)」、3月に「ウッドロウ・ウィルソンが第28代米大統領に就任」、「6月29日 - 第2次バルカン戦争勃発」、「11月22日-史上最後の征夷大将軍、徳川慶喜が、午前4時10分に、感冒にて死去。享年77(76歳0ヶ月25日)。」など、さまざまな出来事があります。

   

俳句においては主語がよく省略されますが、高浜虚子の上記の俳句「年を以て巨人としたり歩み去る」では「巨人としたり」や「歩み去る」の主体(主語)が省略されている、すなわち、「時の流れ」が省略されている、と解釈するのが良いと思います。

 

高浜虚子は、芭蕉の「奥の細道」の冒頭の言葉「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり」を踏まえてこの俳句を詠んだものでしょう。

    

「虚子にとっての大正二年は激動の一年であった。」と坊城俊樹氏が「高浜虚子の100句を読む」において述べているように、虚子はその年の暮の感慨を俳句に詠んだのでしょう。しかし、単に俳句のことや自分のことだけを念頭に詠んだのではなく、様々な出来事を念頭において、「大宇宙の運行」「時の流れ」「その年の出来事」などを読者に考えてほしいという思いから、このような大げさな表現にしたのかも知れません。

 

このような解釈をすると、「年を以て巨人としたり歩み去る」は次のように意訳することができます。

having made

a giant of year,

the time passes away

  

または、

  

having made the year

a giant,

the time passes away

 

さらに、次のように「歩み去る」を直訳すれば、原句の表現の面白さを生かせるでしょう。

having made the year

a giant,

the time walks away

   

なお、Terebess Asia Online (TAO)に掲句の英訳として次の翻訳が掲載されていますが、誤訳です。

Considering the years gone by

To be a giant

I walk away

上記の英訳では、「歩み去る」の主語は「I」、すなわち、「高浜虚子」自身であると解釈していますが、この俳句は虚子39歳の作ですからこの解釈は当てはまらず、見当違いの誤訳になるでしょう。

 

このような誤訳に基づいて外国の俳人や俳句に関心のある人々に高浜虚子の俳句の評価を云々されては困りますね。高浜虚子はあの世でさぞかし嘆いているのではないでしょうか?

   

俳句政治問題に限らず、「何事においても、古い既成の権威に盲従することなく、一歩立ち止まり、自分でさらに踏み込んでよく考える必要がある」ということを痛感しています。

 

俳句談義(14):俳句の片言性と二面性(改訂版)のコメント欄で触れた埼玉県の女性の俳句(「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」)の「公民館だより」への掲載拒否問題について「さいたま地裁」の判決が出ました。

   

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

     

2017年9月 9日 (土)

俳句の鑑賞《爽やか・薄紅葉》(御嶽山「播州清水寺」詣で)

 

(2025.2.28 コメント整理)

(2017.9.9 の記事)

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チュヌは主人のお供をして2017年9月5日に御嶽山「播州清水寺」(西国三十三観音第25番札所)に行きました。

登山道は薄紅葉で桜紅葉もあり爽やかでした。

清水寺には「月見亭」があり、江戸時代(?)の地元出身の俳人の俳句「名月やどの山見ても皆低し」の句碑がありました。

「月見亭」は8月26日の大法会二十六夜月待の最適所とのことです。

  

9月5日は「盆の月」ですが、生憎の小雨で月を愛でることは出来ませんでした。

     

俳誌のsalonの歳時記「爽やか」・「さはやか」や「薄紅葉」から寺や月を詠んだ俳句を抜粋・掲載させて頂きます。

  

「爽やか」を平仮名で表現する場合、伝統俳句では旧仮名遣いで「さはやか」とし、現代俳句では「さわやか」としていますが、日常的には「さはやか」という表現をしないので、漢字で「爽やか」とする方が感覚的に抵抗感が無くて良いと思います。

いずれにせよ、俳句は好き好きでしょう。

  

(青色文字の季語をクリックすると俳句の詳細がご覧になれます。) 

  

爽やか

爽やかや登りきったる立石寺

      (高木典子)

 

遣水のさはやかにして毛越寺

      (青木政江)

  

薄紅葉

峰寺へ近づきし道薄紅葉

      (安原葉)

 

森閑と寺の風鐸薄紅葉

    (芦川まり)

  

薄紅葉して曝涼の大徳寺

     (大竹淑子)

 

牧水の泊まりし寺や薄紅葉

     (鈴木阿久) 

    

「まーちゃんの山歩き」というサイトに御嶽山「播州清水寺」の詳しい紹介がありました。興味があればここをクリックしてご覧下さい。

   

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

    

2017年9月 5日 (火)

「防災の日」の俳句《震災・地震・津波》

    

(2024.8.30 更新)

被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

 

言葉の力・俳句の力《癒し》」をご覧下さい。

   

(2017.9.5 の記事) 

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9月1日は「防災の日」です。

  

  

防災の対策を確認して、「震災」・「地震」・「津波」の俳句を鑑賞しましょう。

俳句に親しんでいる方はご存知のことですが、俳句では「地震」は「ない」と読むのが普通です。

経験則から、「地震」は必ず「ある」と言えるでしょう。

「大地震」は一定の周期で発生しています。

「ダジャレ」を言って済ませるものではありません。  

冒頭の写真はチュヌの主人が撮った神戸港震災メモリアルパークの写真で、最後に掲載した写真は「1.17希望の灯り」や皇后陛下の御歌「笑み交わしやがて涙のわきいづる復興なりし街を行きつつ」の歌碑などです。

   

写真はクリックすると拡大します。青色文字をクリックすると解説や俳句の詳細がご覧になれます。)   

「俳誌のsalon」の歳時記から下記のとおり抜粋・掲載させて頂きます。

      

震災・阪神大震災

倒・裂・破・崩・礫の街寒雀 

        (友岡子郷)

  

震災の瓦礫の傍の坪すみれ 

       (佐藤いづみ)

   

虹立てば虹に祈りぬ震災地 

        (山田弘子)

   

乾パンの缶買ひ足せり震災忌 

        (木下節子)

   

震災の仮設住宅師走の灯 

        (三浦澄江)

           

地震1

地震に覚め夜半の余寒の中にあり 

         (安原葉)

  

寒月の記憶となりて地震の朝

       (稲畑汀子)

  

地震2

石蓴生ふ地震に崩れしままの波止 

         (朝妻力)  

(注)「石蓴」(アオサ)は岩石に着生する海藻で春の季語です。

    

昼顔の茂りてゐたる地震のあと 

         (藤原浩)

   

地震3

使ひゐる春の地震のあとの箸 

        (本橋愛子)

   

すは地震かとも屋根より雪落ちて 

       (寒河江桑弓)

    

地震4

旅立ちの戸口に地震秋暑し 

        (神田惣介)

   

地震に覚め孤独のつのる秋の夜 

        (塩千恵子)

    

津波

大津波跡の地獄絵凍返る 

        (山崎里美)

    

大津波の爪あと深し春の凍 

        (小林久子)

   

9月5日は「盆の月」です。最後にチュヌの主人の一句を掲載させて頂きます。

震災の慰霊の園や盆の月 

        (薫風士)

   

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

  

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2017年8月29日 (火)

俳句の鑑賞《七夕・星祭・盆踊》

    

(2025.7.8 更新)

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(写真はタップ拡大して、ご覧下さい)

  

句友に貰った筍が鉢植で一廉の黒竹に成長したので、七夕の短冊を飾り、駄句を口遊みながら星祭のお祈りをしました。

  

星祭ネット句会の弥栄を

七夕の星空如何ウクライナ

スーパーで和平祈るや星祭

祈りしは戦争中止星祭

      (薫風士)

  

ウクライナ戦争の長期化が懸念されます

「ウクライナ戦争中止せよ!」のキャンペーンを七夕祭りで広げましょう! 

    
2274写真は、世界平和祈念の短冊を飾ったスーパーニシヤマの七夕祭りです。

       

   

選挙運動の車がよく走っています。

まやかしの無い公明正大な候補者を見極めましょう。

候補者が政治家として国民の信頼を裏切らないことを切望しています

        

(2017.8.29) 

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2017年8月28日は、「旧暦の七夕」でした。

  

「七夕祭」は新暦(太陽暦)に基づいて7月にする所が多いようですが、俳句では「七夕」や「七夕祭」「星祭」は旧暦(陰暦)に則る行事として「秋の季語」とされています。

 

7月7日は梅雨の雨が降る可能性が大ですから、星空を愛でるにも「七夕祭」は8月にする方が望ましいでしょう。

 

「盆踊」は地方によって、7月に行う所と8月に行う所があるようですが、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の伝統的行事として旧暦に準じ8月にする方が相応しい気がします。

   

天の川入ってみたいな彦星

童吊る七夕竹や初俳句

七夕や子等の短冊雨に散る

水害の復興なりて盆踊

留守居酒をどり音頭の遠音して

    

上記の俳句は、幼孫の俳句と拙句です。

(写真はクリックすると拡大します。青色文字の季語をクリックして俳句の詳細をご覧になれます。) 

  

下記のとおり歳時記(「俳誌のsalon」)の俳句を気の向くままに抜粋掲載させて頂きます。

   

七夕1

七夕やまだ指折って句をつくる

     (秋元不死男)

  

七夕やてるてる坊主も吊されて 

      (山本潤子)

   

七夕2

七夕や真の願ひの胸にあり   

       (森るか)

 

七夕竹本気の願ひひとつかけ 

     (平田紀美子)

  

七夕3

七夕や猫駅長の人気駅   

       (桂敦子)

  

食卓を飾る笹の葉七夕膳  

      (難波篤直) 

   

盆踊

五重の塔そびらに奈良の盆踊 

     (阿波谷和子)

  

今年また年寄ばかり盆踊   

      (谷口一献)

  

をどり

つまづきしこしも仕草に盆をどり 

       (永田等)

  

落人の商も陽気に阿波をどり 

      (臼杵游児)

  

歯一枚失せて果てたる踊下駄 

      (山田弘子)

  

花びらの散りゆくごとし踊果て 

       (菰田晶)

   

ここの青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

    

2017年4月30日 (日)

俳句鑑賞 《蕪村の俳句「薫風や」は面白い》

   

P.S. 2022.4.5 更新

ウクライナ紛争について、プーチン大統領や世界の指導者が賢明な決断をしてくれることを切望して、「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、書いた記事を読んで頂きたく、この P.S.を追加しました。

 

青色文字をクリック(タップ)して、「梅東風や届け世界にこの思ひ」や血に染むなドニエプルてふ春の川」をご覧下さい。

       

(2017.4.30)

与謝蕪村の俳句「薫風やともしたてかねついつくしま」が面白いと云うと、「何が面白いのだ」と不思議に思われる読者が多いでしょう。

 

この俳句は少なくとも4とおりの解釈が可能であるとチュヌの主人(薫風士)は考えています。 

  

正岡子規の「俳人蕪村」(青空文庫)には「薫風やともしたてかねつ(いつく)(しま)」とあり、この俳句の意味が直ぐにはわかりませんでしたが、翌朝ふと句意の解釈を思いつきました。

  

(解釈1)

「ともし」は「灯」であり、「かね」は「鐘」だろう、「薫風や灯し立て鐘つい突く島」である、と解釈できるのではないか? 

すなわち、「灯しを立てると鐘も突きたくなる宮島」を詠んだものであるという解釈です。

  

「ホットライン教育ひろしま」というサイトに次の記事があり、この解釈が可能であることが裏付けられました。

仏教では,その宗教的雰囲気を高めるための多くの鳴物が使用されるが,それら梵音具(ぼんおんぐ)と言われるものの中で最大の梵鐘に属するもので,天正15年(1587)に豊臣秀吉が,島津攻略の際に持ち返って,厳島神社に寄進したものと言われ,応永5年(1398)の銘がある。 

      

広辞苑(第6版)の「ともし②」に次の解説があります。

(「照射」と書く)猟人が夏・秋の夜、山中の木陰に篝をたき、または()(ぐし)松明(たいまつ)をともして闇の中の鹿の眼が光に反射して輝くのを目当てに、これを射たこと。また、その火。(季:夏)

  

(解釈2)

広辞苑の上記解説を「ともし」に当てはめ、「薫風や照射(ともし)立てかねつ(いつく)(しま)と読み、「鹿を射ちかねている」ことを詠んだ俳句であると解釈することも可能でしょう。

 

(解釈3)

「薫風や灯し立てかねつ厳島」と読むと、「薫風で灯を立てかねている」句意であると解釈することも可能でしょう。

 

(解釈4)

「かねつ」に「加熱」を当てはめ、「薫風や灯し立て加熱(かねつ)厳島」と読み、「灯火が沢山立って熱くなっている」ことを詠んだものであると解釈することも可能でしょう。

  

俳句では「中七」を字余りにすることは拙いとされていますが、蕪村は意図的に「ひらがな」の「字余り」の俳句にして、「掛詞」の俳句にしたものであると思います。 

       

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2017年3月22日 (水)

俳句の創作的解釈《虚子の俳句「一つ根に離れ浮く葉や春の水」》

  

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Cimg2739冒頭の写真は日本伝統俳句協会の3月のカレンダーです。

掲句と石井柏亭のほのぼのとした絵の掛軸が「双福」で掲載されています。

  

先日ふと、この俳句は正岡子規と高浜虚子と河東碧梧桐の関係の比喩でないかという考えが浮かびました。「根」が正岡子規であり、「葉」は虚子と碧梧桐を差していると解釈したのです。

 

高浜虚子は「俳句の作りよう」の「(三)じっと眺め入ること」において、次のように述べています。

(青色文字をクリックすると、「俳句の作りよう」の全文や解説記事などがご覧になれます。写真はクリックすると拡大されます。)

    

「芭蕉の弟子のうちでも許六(きょりく)という人は配合に重きを置いた人で、題に執着しないで、何でも配合物を見出してきて、それをその題にくっつける、という説を主張していることは前章に述べた通りでありますが、それと全然反対なのは去来(きょらい)であります。去来は配合などには重きを置かず、ある題の趣に深く深く考え入って、執着に執着を重ねて、その題の意味の中核を捕えてこねばやまぬという句作法を取ったようであります。
 この後者の句作法の方をさらに二つに分けてみることができます。
その一は目で見る方で、じっと眺め入ることであります。その二は、心で考える方で、じっと案じ入ることであります。」

さらに、「『じっと眺め入る』ということもやがては『じっと案じ入る』ということに落ちて行くのであります。」と述べて、掲句「一つ根に離れ浮く葉や春の水」を詠んだ経緯を詳細に説明しながら約2600字を使って句作における「写生」とは何かを縷々説明しています。

掲句を上記のように比喩と考えるのは穿ち過ぎかもしれませんが、「人間も大自然の一部の存在である」ととらえ花鳥諷詠を唱導した虚子は無意識のうちにそういう比喩をしていたかも知れません。

さらにうがった創作的解釈をすると、「一つ根」は芭蕉を意味し、「葉」は去来許六を差していると解釈することもできます。

   

俳句をユネスコ世界無形文化遺産に登録する運動が松尾芭蕉正岡子規ゆかりの自治体や国際俳句協会などの俳句愛好者によって進められています

その草の根運動の一助になればとの思いで、チュヌの主人はブログを書き、読者のご意見・ご投稿をお待ちしています。

  

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

トップ欄か、この「俳句HAIKU」をタップすると、最新の全ての記事が掲示されます。

   

2017年2月24日 (金)

俳句の解析・鑑賞《蕪村の「白梅」と虚子の「去年今年」》

      

しら梅に明る夜ばかりとなりにけり

  

この俳句は画家でもあった与謝蕪村ならではの辞世の句です。

  

(蕪村が大阪生まれであることを最近知りました。)

    

正岡子規は「俳人蕪村」において蕪村の俳句を高く評価していますが、掲句については言及していません。 

  

萩原朔太郎は「郷愁の詩人 与謝蕪村」(青空文庫)において詩人ならではできない句評をしています。

  

天明(てんめい)三年、蕪村臨終の直前に(えい)じた句で、彼の最後の絶筆となったものである。白々とした黎明(れいめい)の空気の中で、夢のように漂っている梅の気あいが感じられる。全体に縹渺(ひょうびょう)とした詩境であって、英国の詩人イエーツらが(ねら)ったいわゆる「象徴」の詩境とも、どこか共通のものが感じられる。しかしこうした句は、印象の直截鮮明を尊ぶ蕪村として、従来の句に見られなかった異例である。かつどこかスタイルがちがっており、句の心境にも芭蕉風の静寂な主観が隠見している。けだし晩年の蕪村は、この句によって(ひとつ)の新しい飛躍をしたのである。もしこれが最後の絶筆でなかったならば、更生の蕪村は別趣の風貌(ふうぼう)を帯びたか知れない。おそらく彼は、心境の静寂さにおいて芭蕉に近づき、全体としての芸術を、近代の象徴詩に近く発展させたか知れないのである。そしてこの臆測(おくそく)は、蕪村の俳句や長詩に見られる、その超時代的の珍しい新感覚――それは現代の新しい詩の精神にも共通している――を考え、一方にまた近代の浪漫(ろうまん)詩人や明治の新体詩人やが、後年に至って象徴的傾向の詩風に入った経過を考える時、少しも誇張の妄想でないことを知るであろう。」

    

この俳句を英訳するには省略されている「主体」となるべき言葉を補足して解釈する必要が生じます。

会話や散文で主語はよく省略されますが、この俳句においては、「自分には」とか「自分に残された夜は」など、主語が省略されていると思います。

 

このような分析的解釈をすると、蕪村が自分の気持ちをありのままに素直に詠んだ俳句であることがわかりますが、詩人や俳人の詩的感覚にどのように映るでしょうか? 

     

俳句の英訳に関心のある方のご参考までに、下記します。   

 

The Art of Haiku by Stephen Addissには蕪村の「しら梅」の俳句を次の通り翻訳しています。

 

among white plum blossoms

what remain is the night

about to break into dawn

  

上記の英訳は誤訳です。

「白梅に残っているものは明けようとしている夜ばかり」という意味になり、原句を誤訳しています。

  

次のように英訳すると、原句の真意を明瞭に伝える俳句らしい翻訳になります。

  

what remain to me_

the night dawning for

white plum-blossoms

 

又は

  

the night dawning for

white plum-blossoms_

that's all what remain to me

     

日本人が俳句を理解できても完全な英語に翻訳することは容易ではありませんが、チュヌの主人はバイリンガル俳句にチャレンジして楽しんでいます。

 

ちなみに、高浜虚子の代表作といわれる俳句「去年今年貫く棒の如きもの」においては主体となるべき語句「俳句に対する虚子の信念」が省略されていると解釈できます。

 

俳句の新解釈・鑑賞《去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)》をご参照下さい。 

     

(注1)「俳人蕪村」は下記URL参照。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000305/files/47985_41579.html

   

(注2)「郷愁の詩人 与謝蕪村」は下記URL参照。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/47566_44414.html

  

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

    

2017年2月11日 (土)

日英バイリンガル俳句を楽しむ <高浜虚子の俳句「去年今年」>

    

光陰矢の如し(Time flies.)、高浜虚子の生誕日(2月22日)が間近です。

そこで、虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の英訳にチャレンジします。

(青色文字をクリックすると関連の記事がご覧になれます。)

インターネットのhttp://terebess.hu/english/haiku/takahama.html

に「One Hundred and One Exceptional Haiku Poems by Kyoshi Takahama(虚子秀句百一選英訳)という記事があり、次英訳がありました

Something like a stick

That goes through

Last year and this year

上記の英訳は原句の一般的な解釈に従って翻訳したものです。

文字通りに日本語にすると、「去年今年を通じてゆく棒のようなもの」という意味のHAIKUです。日本語を知らない外国人がこの英訳HAIKUを読むと、意味不明の謎かけのように思い、高浜虚子の代表的名句だとは思はないでしょう。 

次のようにす英訳すると、原句に近くなるでしょう。 

kozokotoshi_

piercing

as if a stick

   

俳句の新解釈・鑑賞 <去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)>において考察したように、主語(主体)は省略されている、すなわち、「俳句に対する虚子の信念」が省略されている、「去年今年」は客体である、と解釈する場合は次のように意訳できます。 

 

my belief in HAIKU

pierces kozokotoshi through,

as if a stick pierces something

   

「去年今年」は文字通り英訳すると「last year this year」ですが、新年の季語としては不適切です。

「去年今年」は高浜虚子が季語として確立したと言われていますから、日本語のまま「kozokotoshi」で使う方がよいでしょう。

 

オバマ大統領も日米首脳会談の夕食会で次のような日本語をそのまま使っているHAIKUを披露しています。

俳句談義18:政治家と俳句 <俳句を通して世界の平和を!参照)

  

春緑 日米友好 和やかに

Spring, green and friendship

United States and Japan

Nagoyaka ni

  

今日は「建国記念の日」です。「『旗日』は死語か?『建国記念の日』の俳句を読んで思うこと」をご覧下さい。

安倍首相がトランプ大統領と会談し、一緒にゴルフもする予定とのことです。トランプ米国大統領に歓待されるのは大変結構なことですが、実を取られて日本が滅びるようなことになっては困りますね。トランプ氏はオバマさんのように俳句を詠むことはしないでしょうから、俳句は詠まなくても、しっかり会談して下さいね。

安倍総理大臣! よろしくお願いします!

ここまで書いたところで、「日米首脳会談で安倍首相は『罠』にハマった。 『マッドマン・セオリー』に騙される日本」という東洋経済ONLINE記事があった。下記URLをクリックしてご覧下さい。http://toyokeizai.net/articles/-/158128

      

     

2017年1月29日 (日)

俳句の新解釈・鑑賞 <去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)>

     

掲句について稲畑汀子さん(ホトトギス名誉主宰)は「虚子百句」において次のように述べています(抜粋)。

「この棒の、ぬっとした不気味なまでの実態感は一体どうしたことであろう。もしかすると虚子にも説明出来ず、ただとしかいいようがないのかも知れない。敢えて推測すれば、それは虚子自身かも知れないと私は思う。この句は鎌倉駅の構内にしばらく掲げられていたが、たまたまそれを見た川端康成は背骨を電流が流れたような衝撃を受けたと言っている。感動した川端の随筆によって、この句は一躍有名となった。」

  

川端康成は掲句のどの点に衝撃を受けたのでしょうか?

川端康成も一般的な解釈と同じように「棒」とは「時の流れ」の比喩であると解釈したのでしょうか?

 

虚子の俳句『去年今年貫く棒の如きもの』の棒とは何か?に於いて、チュヌの主人は「中立的な表現の俳句は鏡のように、読む人の心を映しだす。」と書きましたが、外山滋比古氏は「省略の詩学―俳句のかたち」(電子書籍)に於いて次のように述べています。

「一句の意味はひとつに限ると考えるのからして大きな誤解で、受け手によって句意は変わる。十人十色の受け取りができてこそ俳句はおもしろい。あいまいさは、作者に多くの諷意を許容し、受け手には自らの意味を生み出す喜びを与える。」

  

また、外山氏は高浜虚子の掲句「去年今年」について次の通り句評しています。

「措辞ははなはだ粗雑であるが、年のつらなりを棒にたとえるのは奇想である。人はその奇抜さに興ずるのであろう。名句の名をほしいままにしている。」

  

外山滋比古氏の「省略の詩学」は桑原武夫の「第二芸術論」の対極にあると言えます。俳句愛好家にとってありがたい著書です。しかし、措辞ははなはだ粗雑」という句評にいささか語弊があります。

外山氏は、「去年今年」を主語(主体)として捉えて句意を解釈しているから、「措辞が粗雑である」と考えたのでしょう。

「去年今年」を副詞として捉え、主語(主体)は省略されていると解釈すると、この批判は妥当でないことが理解できます。

日本語では主語がよく省略されます。外山氏の言にあるように、俳句は「省略の文学」です。この俳句で省略された主語(主体)は「虚子の花鳥諷詠の俳句に対する信念」であるといえるでしょう。

虚子は「春風や闘志抱きて丘に立つ」という俳句を39歳の時に作っています。この闘志を持ち続けていることを、「去年今年貫く棒の如きもの」と、77歳の時に詠んだものであると解釈するのが至当でしょう。すなわち、「自分の信念は去年とか今年とかいう時の区切りを突き抜く固いものであり、生きている限り変わらない」と言っているのでしょう。「時の流れ」は未来永劫に続くものですから、「棒」をその比喩と解釈することにはやや無理があり、虚子の真意では無いと思います。

   

ちなみに、主体が省略された虚子の俳句の一例として、次の俳句(河東碧梧桐への追悼句)が参考になります。

たとふれば独楽のはぢける如くなり

この句に於いては、たとえば、主語となるべき「虚子と碧梧桐の関係」が省略されています。

(「高浜虚子の100句を読む」(坊城俊樹)下記URL参照。)http://www.izbooks.co.jp/kyoshi81.html

       

インターネット歳時記には、「去年今年」の俳句が750句ほどあります

「去年今年」が副詞的に用いられている俳句が大多数ですが、ご参考までに下記に例句を若干抜粋します。

 

(副詞的に用いた例句)

・去年今年机上に積まれたるままに 

           (稲畑汀子)

・良きことも良からぬことも去年今年

              (今井千鶴子

・去年今年平和を祈る手でありぬ 

          (橘高絹子)

   

(「去年今年」を主体ないし客体として用いた例句) 

・聞き慣れし振子のつなぐ去年今年 

          鈴木美江

・何かある闇でつながる去年今年 

            (千坂美津恵)

   

次の俳句は虚子の掲句を意識して「去年今年」を主語として作ったものでしょうが、「去年今年」を副詞として解釈することも可能です。

・去年今年大河の如くありにけり 

            (竹下陶子)

   

ちなみに、稲畑廣太郎氏(ホトトギス主宰)の俳句に、虚子の掲句を意識して作った俳諧味のある句があります。

棒も又折れゆくものや去年今年

この俳句の「去年今年」は単なる季語の取り合わせですが、「棒」を「時の流れ」の比喩であると解釈すると、「棒が折れること」は「地球が破滅すること」を意味することになるでしょう。

トランプ米国新大統領の就任などで「世界終末時計が進められたというインターネット記事ありました。トランプ氏が米国新大統領として良識ある為政をすることを祈るばかりです。

  

2017年1月 5日 (木)

趣味の俳句《作り方・楽しみ方 5つのポイント》  

   

(2023.7.26 更新)

海の日の底割れしたる台詞かな

俳句などその気になれば直ぐ出来る

 

俳句と川柳」をご覧下さい。

  

俳句は、俳誌や新聞などに投句して特選を目指す楽しみ方もありますが、私的なことを一人で口遊み、心の癒しにするのも俳句の楽しみ方の一つだと思います。

   

ここをタップして、「言葉の力・俳句の力《癒し》」をご覧下さい。

   

春風亭昇吉さんの俳句《お題「大谷翔平」》やキスマイ横尾さんの俳句《お題「檸檬」》の推敲について書きました。 

 

青色文字をタップして、「プレバト金秋戦2022』の俳句を考えるをご覧下さい。

    

思い出の写真俳句を作ろう! 

故郷を「まんぽ俳句」で元気に、未来に繋ごう

楽しい吟行・俳句の旅(四季の写真俳句特集)」をご覧下さい。

      

俳句は好き好きです

次の5つのポイントに気をつけて句作を楽しみ、コロナ鬱を発散しましょう!     

    

(1)季語・季題(季節の分かる言葉)は一つ入れます。

季語の無い俳句は川柳と同じことになりがちです。季語が分からなければ歳時で確認出来ます。歳時記を持っていない場合は、ともかく季節が分かる言葉が俳句に一つあれば良いと割り切って俳句を作れば良いのです。

季語は二つあっても、その効果があれば差支えがありません。しかし、初心者は季語を一つだけ使うのが無難です。季語が二つある「季重なり」の俳句は句意が分かりにくくなることがよくあり、選者によっては季語が二つあれば即「ボツ」とされることがあります。

    

(2)「」は一つ入れます。

「切れ」としては、「や」「かな」「けり」などの「切字」ばかりでなく、名詞や動詞の終止形なども用いることが出来ます。「切れ」は、その直後に俳句の切れ目、すなわち、「間」を作ります。この「間」によって、俳句の詠まれた背景などを読者が想像することにより味わい深い俳句になります。

「切れ」が無いと、普通の文章、いわゆる散文の断片的な一部に過ぎなくなりがちです。   

     

(3)5-7-5音のリズムを身につけることが何よりも上達の早道です。

リズムを身につけるには、「まんぽ」して、見たこと感じたことをともかく5-7-5で口ずさむことがお勧めです。

リズムが身につけば、多作多捨が可能となり、推敲が容易に出来ます

    

(4)句意が明瞭になりイメージが浮かぶように、俳句に詠む題材・季語・語句の選択や語順を工夫し、無駄な語句を省き、5・7・5のリズムで口ずさみながら推敲します。 

        

(5)文語にするか口語にするかは好み次第ですが、どちらかに統一します。

文語(旧仮名遣い)には詩的に簡潔に表現できるメリットがあり、口語には親しみやすい現代的表現が出来るメリットがあります。

   

上記の「5つのポイント」は「フラワータウンカレッジ講演の要旨」からの抜粋です。

例句など詳細は青色文字をタップ(クリック)してご覧下さい。

  

芭蕉300句: 言葉の壁を破る英訳チャレンジ(5) <ほととぎ朱>もご一読下さい。

英語俳句や俳句の翻訳に興味のある方は、ここをクリックして、「HAIKU(バイリンガル英語俳句)」をご覧下さい

俳句の面白さ・奥の深さが分かるでしょう!

   

「究極の愛・ラブを!(Ultimate LOVE!)」をご覧下さい。

「自己実現」や「世界平和実現」の指針とすべき言葉24語の頭文字を「LOVE」に当てはめています。

   

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

      (薫風士)

   

2016年12月26日 (月)

俳句《年忘れ・忘年会・新年会》

     

(2024.12.25 更新)     

ひとかどのグルメ幼の年忘

年忘れ「わかる?」頻発十歳児

胃無き我和牛一品年忘れ

年忘れ世界遺産の地酒無く

欲しきもの世界遺産の新酒かな

年忘れ平和の味を噛みしめて

年忘れ世界遺産の和食愛づ

       (薫風士)   

 

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この写真は三田屋本店でランチに食べた一品料理等の一部分です。

平和の有り難さを噛みしめながら、「日本酒の造り方」がユネスコ無形文化遺産に登録されたのに、美味しい地酒を何故置いていないのだろう?と、不思議に思いながら、冒頭の拙句を詠みました。

  

年忘(としわすれ)は「忘年会」を意味する言葉ですが、「カラー図説日本大歳時記」によると、「年忘れ」は室町時代から使われているようです

 

日本大歳時記には、芭蕉の俳句「人に家を買はせて我は年忘れ」が冒頭にあり、一茶の俳句「独り身や上野歩行(あるい)とし忘れ」など多数の例句が記載されています。

  

一茶の俳句で「とし」と「ひらがな」を用いたのは、「年」と「歳」の二つのニュアンスを出すためでしょうか。

  

芭蕉の俳句やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」の「けしき」と同じような表現手法でしょう。蝉の俳句を鑑賞しよう」参照。)

   

「年忘れ」の俳句に富安風生の面白い俳句があります。

   

老いはいや死ぬこともいや年忘れ

   

この俳句は風生70歳の時に作った句です。

「年忘れ」には「自分が何歳か歳を忘れたい」というニュアンスも含ませた俳句でしょう。

   

風生は1979年(昭和54年)222日に93歳で亡くなっていますが、222日は高浜虚子の生誕の日です。

  

風生は虚子に師事しており、虚子は次の俳句を作っています。

   

風生と死の話して涼しさよ

    

運命の赤い糸」で結ばれているという言葉がありますが、虚子と風生の間に何か不思議な縁を感じます。

   

575筆まか勢」を見ると、「年忘れ」「忘年会」の俳句が無数にあります。

目についた例句をランダムに下記します。

    

せつかれて年忘れする機嫌かな

        (松尾芭蕉)

  

年忘橙剥いて酒酌まん

        (正岡子規)

  

年忘れ老は淋しく笑まひをり 

        (高浜虚子)

「笑まふ」は「にこにこ笑う」という意味ですが、「俳句鑑賞・その八 高浜虚子」には「年忘れ老は淋しく笑まひけり」とあります。

「をり」は現在微笑んでいる状態を詠んだものであり、「けり」は過去のことを思いだして詠んだことになります。

  

年忘れ最も老を忘れけり 

        (富安風生)

  

どろどろに酔うてしまひぬ年忘

        (日野草城)

   

とんとんと上る階段年忘れ

        (星野立子)

  

にぎやかに河豚食うて年忘れけり

      (森澄雄)

   

客あれば客あるで又年忘れ

       (高濱年尾)

   

深大寺蕎麦にあづかる年忘

       (上田五千石)

   

義埋もまた楽しみもまた年忘

        (稲畑汀子)

  

厨にも味見の客や年忘

       (坊城中子) 

       

「文学者掃苔録」というサイトには風生の次の俳句などが掲載されています。

(そう)(たい)」とは広辞苑によると、「墓参り、特に盂蘭盆の墓参」のことで秋の季語です。

死を怖れざりしはむかし老の春

わが老をわがいとほしむ菊の前

老木の芽をいそげるをあはれみぬ

    

忘年会や新年会などの話題になると、句友の栄治さんが作った俳句「先輩はいつも先輩花見酒」を思いだしますが、拙句を下記に掲載します。

   

席順に気苦労したる忘年会

相棒は愛犬チュヌよ年忘れ

セクハラとパワハラ憂ひ年忘れ

句に興じブログに興じ煤籠り

   

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写真は数年ぶりに家族で訪ねた三田屋本店(やすらぎの郷)レストランのフル-ト演奏や窓に見える能舞台の風景、二階の「羽衣」で開催されたコーラスグループの「大人の発表会」の情景です。

       

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