俳句エッセイ Feed

2016年12月17日 (土)

夏目漱石と高浜虚子 <漱石忌に思うこと>(改訂版)

   

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2016年は夏目漱石没後100年にあたり、夏目漱石の生前の姿を再現したアンドロイドがNHKテレビなどで放映されました。

 

詳細は二松学舎大学のHP参照。広辞苑によると、アンドロイドとはSFに登場する、人間そっくりのロボット」です。)

  

(青色文字をクリックするとリンクされた解説記事や青空文庫などをご覧になれます。)

  

夏目漱石の本名は夏目金之助ですが、2016年の「今年の漢字」に選ばれたのは「金」でした。面白い偶然の一致です。   

  

かねてから高浜虚子と夏目漱石の関係についてブログを書こうと思っていましたが、このアンドロイドに触発されて「文豪のアンドロイドや漱石忌」「漱石忌アンドロイドの語り口」などと即興の俳句を口遊みながら実行しました。   

  

夏目漱石と言えばすぐ「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」が浮かびますが、「吾輩は猫である」は「ホトトギス」に掲載されて一躍有名になった文壇における漱石の処女作と言えます。

  

高浜虚子が正岡子規から引き継いだ後に「吾輩は猫である」が「ホトトギス」に掲載され、それによって漱石が一躍人気作家になり、ホトトギスの購読者も増えて虚子の「ホトトギス王国」が築かれたようです。

  

この当時の事情はNHKの土曜ドラマ「夏目漱石の妻」である程度分かりましたが、高浜虚子の「漱石氏と私」を読み更によく分かりました。

  

夏目漱石が最晩年によく口にした「則天去私」の概念と、虚子の辞世句ともいうべき俳句「春の山屍を埋めて空しかり」の「色即是空」の概念と、両者には何か共通性がある、とチュヌの主人は感じています。

  

広辞苑によると、「則天去私」とは「小さな私を去って自然にゆだねて生きること」と解説されています。

  

自然にゆだねて生きること」とは、『私』すなわち人間そのものを『大自然の一部』と見做し、『大自然の摂理』にゆだねながら人それぞれの立場で可能な自助努力をするのがよい、ということだと解釈しています。

  

「俳句談義(1):虚子辞世句の解釈」や究極のLOVEを実践しよう!」をご参照下さい。)

  

冒頭の写真は「虚子十態」(日本伝統俳句協会のカレンダー201612月に掲載されている小川千甕の戯画・「ホトトギス」大正元年9月号に掲載されたもの)ですが、それを見て、「極月の暦におかし虚子十態」と駄句を口にしながら、来年こそは高浜虚子の俳句の英訳にチャレンジしようと決意を新たにし、翌年に100句翻訳したものを見直し、2018年に国際俳句協会のHPに掲載して頂きました

   

青色文字をクリック(タップ)して、青空文庫の「高浜虚子五百句」や「高浜虚子五百五十句高浜虚子六百句」もご覧下さい。

   

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

  

2016年9月22日 (木)

「敬老の日」「子規忌・糸瓜忌・獺祭忌」に思うこと

     

(2024.9.17 更新)

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2024年の「敬老の日」は、9月16日でした。

敬老会《俳句と写真》」をご覧下さい。

   

獺祭忌己が苦吟を句吟して

子規の忌や己がまんぽ句口遊む

口ずさむ平和の俳句獺祭忌

         薫風士

  

冒頭の俳句は、「苦吟」と「句吟」の同音異義語のダジャレ・ブログ用川柳擬きの拙句です。

 

最近は「詩吟」のみならず、「俳吟」も楽しんでいる句友がいます。

  

今日は「子規忌」なので、「上五」を「獺祭忌」にしましたが、「秋高し」とか「秋風や」とか、様々な季語を当て嵌めて「まんぽ俳句」に遊びながら、まず俳句のリズムを身につけるのが吟行俳句上達のコツです。

   

(2022.9.10 更新)    

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(写真)

日本伝統俳句協会9月のカレンダー

(後半の一部分)

   

 写真をタップ拡大して、掲載された俳句をご覧下さい。

   

2022年は「敬老の日」と「子規忌」が重なります。

著名俳人の『季重なり』俳句集」をご覧下さい。

(青色の文字をクリックすると、歳時記の例句や関連の解説記事などをご覧になれます。)       

          

(2016.9.22の記事)

9月19日は子規忌(「糸瓜忌」・「獺祭忌」)ですが、9月20日は「敬老の日」に当たります。

       

早世の子規を偲ぶや敬老日

   

駄句を口遊みながらインターネット歳時記(俳誌のsalon)の子規忌の俳句を検索すると、次の句が目に留まりました。

 

子規忌なりいまは美顏に使ふ水

       (中原道夫)

この俳句の水は糸瓜水のことでしょう。 

  

正岡子規は肺結核の喀血や脊椎カリエスの激痛に耐えて俳句の道に励んでいたが、次の三句を絶筆に、35歳の若さで亡くなりました。

 

糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな

痰一斗糸瓜の水も間に合はず

をととひのへちまの水も取らざりき 

当時、糸瓜の水は咳止めや痰を切るのに効き目があるとされ、特に十五夜に取った糸瓜の水は効果があるとされていたようです。「をととひのへちまの水もとらざりき」とはこの十五夜の糸瓜の水を取らなかったことを詠んでいることを最近知りました。

正岡子規自分の死の近いことを直感して「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」などの句を詠んだのではないでしょうか。この3句を詠んだ後に昏睡状態になり、亡くなったとのことです。

   

糸瓜忌や絶筆に知る句のこころ

凡人は長寿が頼り獺祭忌

         (薫風士

  

自分の死をも滑稽味のある俳句にする悲壮な覚悟を思うと、申し訳ないような気もしますが、凡才の駄句を口遊みながら、子規の凄さを偲んだ凡人の「敬老の日」でした。

    

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

  

2016年8月20日 (土)

八月の俳句に思うこと

            

( 2025.5.19 更新)

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写真は、日本伝統俳句協会カレンダー8月の一部分です。  

写真をタップ拡大して掲載句をご覧下さい。

(青色の文字をクリックすると俳句の詳細や解説がご覧になれます。)

   

  

    

俳句《涼し》死の話」や終戦記念日・墓参・盆の俳句」、言葉の力・俳句の力《癒し》をご覧下さい。

     

(2016.8.20)

八月の昭和通りをゆきにけり 

        (大久保白村)

       

ウイキペディアによると、昭和通りは関東大震災の復興事業として計画され、1928年昭和3年)に完成しているが、共同通信社の記事によると、戦中・戦後の食糧難を補うために昭和通りの中央分離帯は菜園にされています。

戦前・戦中・戦後の昭和を生きた人々には「昭和通り」や「皇居前広場」には特別の感慨があるでしょう。

NHK戦後史証言アーカイブス「戦後ゼロ年」<皇居前広場のゼロ年チュヌの便りの「八月の思ひ格別皇居前」をご覧下さい。

    

リオ・オリンピックでは日本選手の連日のメダル獲得に日本中が湧いています。

そこで即興の俳句を作りました。 

  

平和なる五輪開幕原爆忌

長崎忌リオの五輪の渦の中

金メダル囃す夜明けの蝉しぐれ

鳴くや「ナチの手口」に惑はされ

炎天下ポケモンGOのスマホ連

わだつみの声を聞けよと秋の蝉

平成の大御心や蝉しぐれ

   

俳句談義18:政治家と俳句」に於いて述べたように、

「日本人は自然を愛し平和を愛する国民である」ことを俳句やブログで内外に発信し、日本の平和のみならず、国際親善・世界平和のために少しでも役立てたい、とチュヌの主人は思っています。政治談議」もご覧下さい。

   

天皇陛下は先日(2016.8.8)「お気持ち」を表明されました。

「日本の将来」「国民の将来」を慮り、「象徴天皇」が継承されることを見届け、平和な日本、平和な世界が、未来永劫に続くことを祈る気持ちを表明されたものであると、チュヌの主人は「終戦の詔書と合わせ謹んでお聴きしました。

  

「戦後レジームからの脱却」や「日本の心を大切にする」を主張している人々、憲法改正を意図している人々等、すべての人々に、この天皇陛下の思いをシェアしてほしいものです。

           

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

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2016年8月10日 (水)

<新俳句談義>「八月の思ひ格別皇居前」(補訂版)

   

掲題の俳句「八月の思ひ格別皇居前」は平成26823日に開催された花鳥六百号記念俳句大会日比谷公園皇居周辺吟行)におけるチュヌの主人の入選句です。

(青色の文字をクリックすると俳句の詳細や解説がご覧になれます。)

    

季語別俳句8」(歳時記)を見ると、無数の季語と俳句があります。

八月」の句は600句ほどあり、冒頭には「聲に出て確める遺書八月來る (高島茂)(暖流)」が掲載されています。

「原爆忌」・「原爆の日」の俳句は400句余りあり、トップページには、「原爆の日の洗面に顔浸けて平畑静塔や「戦争を知らぬ子ばかり原爆忌稲畑汀子などが掲載されています。

敗戦」の俳句は約320句あり、冒頭には「敗戰日妻子入れむと風呂洗ふ」秋元不死男が掲載され、「終戦」の俳句は430句余りあり、冒頭には「馬兵に終戰の日は暑かりし」角川源義あります。

「敗戦」の句よりも「終戦」の句が多いのは、「戦争は金輪際終わりにしたい。戦争は繰り返してはならない。」という庶民の思いの表れではないか?

「『敗戦』を『終戦』というのはまやかしである」とか、「戦争は負けたから悪いのだ。勝てば官軍だ。」というナショナリストもいる。そういう人が憲法改正(実態は改悪)を推進しようとしている。

自分の考えに同調しなければ、「無責任だ」とか「売国奴」などレッテル貼りをする煽動的政治家に振り回されてはならない。「ウソがつけない奴は弁護士や政治家になれない」と某氏が放言している。それには一面の真理があるが、国民は嘘をつかない真面な政治家に政治を付託するようにしなければならない。劣情に訴える煽動政治家が蔓延ることを抑制しなければならない。

日ごろから政治家の発言に関心を持ち、一人一人が一歩踏み込んでよく考え、選挙の際には、自分の良心に基づき投票したいものである。

  

先日(2016.8.8)天皇陛下が「お気持ち」を表明された。
「日本の将来・国民の将来を慮り、『象徴天皇』が次世代に継承されることを見届け、平和な日本、平和な世界が、未来永劫に続くことを祈る気持ちを表明されたものである」と、チュヌの主人は謹んでお聴きした。
「戦後レジームからの脱却」を主張する人々、「日本の心」を大切にする人々、憲法改正を意図している人々、等、すべての人々に、この天皇陛下の思いをシェアしてほしいものです。

下記の記事をご覧下さい。

天皇陛下「お気持ち」表明 「生前退位」を強く示唆 (日経新聞記事)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG08H2M_Y6A800C1000000/?dg=1&nf=1
        
NHK戦後史証言アーカイブス「戦後ゼロ年」<皇居前広場のゼロ年>
http://www.nhk.or.jp/postwar/sengozeronen/koukyomae/

    

2016年8月 5日 (金)

八月の思ひ格別皇居前

   

(2024.3.7 更新)

注目を集める為なのか、レッテル張りをして喧伝する政治家や評論家がいますが、劣情に訴える煽動政治家が蔓延ることを懸念しています

  

掲題の俳句「八月の思ひ格別皇居前」は2014年(平成26年)823日に開催された花鳥六百号記念俳句大会日比谷公園皇居周辺吟行)における薫風士(チュヌの主人)の入選句です。

(青色の文字をクリックすると俳句の詳細や解説などをご覧になれます。)

    

季語別俳句8」(歳時記)を見ると、無数の季語と俳句があります。

八月」の句は600句ほどあり、冒頭には「聲に出て確める遺書八月來る (高島茂)(暖流)」が掲載されています。

「原爆忌」・「原爆の日」の俳句は400句余りあり、トップページには、「原爆の日の洗面に顔浸けて平畑静塔や「戦争を知らぬ子ばかり原爆忌稲畑汀子などが掲載されています。

敗戦」の俳句は約320句あり、冒頭には「敗戰日妻子入れむと風呂洗ふ」秋元不死男が掲載され、「終戦」の俳句は430句余りあり、冒頭には「馬兵に終戰の日は暑かりし」角川源義あります。

「敗戦」の句よりも「終戦」の句が多いのは、「戦争は金輪際終わりにしたい。戦争は繰り返してはならない。」という庶民の思いの表れではないか?

「『敗戦』を『終戦』というのはまやかしである」とか、「戦争は負けたから悪いのだ。勝てば官軍だ。」というナショナリストもいる。そういう人が憲法改正(実態は改悪)を推進ししようとしている。

自分の考えに同調しなければ、「無責任だ」とか「売国奴」などとレッテル貼りをする煽動的政治家に振り回されてはならない。

「ウソがつけない奴は弁護士や政治家になれない」と某氏が放言している。それには一面の真理があるが、国民は嘘をつかない真面な政治家に政治を付託するようにしなければならない。

日ごろから政治家の発言に関心を持ち、一人一人が一歩踏み込んでよく考え、選挙の際には、自分の良心に基づき投票したいものである。

      

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2016年2月23日 (火)

「2.22」 と 「2.26」 は何の日か? 《虚子と碧梧桐》

                

222日は高浜虚子(俳人、1874.2.22~1959.4.8)の誕生日で、226日は河東碧悟桐(俳人、1873.2.26~1937.2.1)や与謝野鉄幹(歌人、1873.2.26~1935.3.26)の誕生日です。

(青色の文字をクリックすると解説などがご覧になれます。)

 

河東碧悟桐は高浜虚子の唱導した「客観写生」「花鳥諷詠」に対抗して新傾向俳句・自由律俳句を推進しました。

   

たとふれば独楽のはじける如くなり

  

この俳句は、碧悟道が亡くなった際に高浜虚子が贈った弔句として有名ですが、そのことを知らなければこの句は何を例えて詠んだのか全く分かりません。

 

高浜虚子は4月8日に亡くなりましたが、椿を愛していたことから虚子の命日は「椿寿忌」とも言います。

椿は生命力が旺盛で繁殖力もあり、実生の木が次々と生えてきます

   

赤い椿白い椿落ちにけり

  

この句は河東碧梧桐の代表句ですが、正岡子規の指導を共に受けた高浜虚子と河東碧梧桐の何か不思議な縁を感じます。

    

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写真は今年(2016年)10歳(人間の60歳超)のチュヌです 

   

222日は愛猫家には大事な「猫の日」ですが、226日はチュヌの誕生日です。

     

政治の分野に目を向けると、222日は「竹島の日」です。

 

226日は1936

には226事件(昭和維新を天皇に訴えようとして決起した陸軍青年将校によるクーデタ未遂事件)が起こり、翌年には日中戦争が勃発しています。

 

竹島や尖閣諸島の領有権問題は日本が解決すべき重要な国際問題・政治的課題ですが、次の衆議院選挙で与党・野党のどちらが政権を取るにしても、国際法に則て平和的解決の努力をしてほしいものです。

   

米国に目を向けると、222日はジョージ・ワシントン(1732.2.22~1799.12.14アメリカ合衆国初代大統領生誕の日です。 

 

米国では11月の大統領選挙を控えた民主党と共和党の候補者指名争いの行方が注目されます。 

      

現在、米国では民主党のヒラリー・クリントン前国務長官とバーニー・サンダース上院議員が接戦状態です。目下、共和党ではドナルド・トランプ氏(実業家)がリードしていますが、トランプ氏が米国大統領に選ばれるようなことになれば、日本にとっても最悪の事態になるのではないでしょうか?

 

そのようなことにならないことを祈っています。

          

「チュヌの便り」(俳句談義」や「政治談議」など)をご覧下さい。

       

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2016年2月17日 (水)

「旗日」は死語か? 「建国記念の日」の俳句を読んで思うこと

             

(2025.2.14 更新)

2月7日は「北方領土の日」ですが、2月7日が「北方領土の日」とされたのは、下記の写真のように、1855年2月7日(旧暦 安政元年12月21日)に「日魯通好条約(日露和親条約)」が調印されたことに因んでいます。

   

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写真は、外務省の記事の一部分です。

  

 

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これらの写真は、2月9日午後7時のNHK-TV ニュース画面の一部分です。

   

   

    
ロシアのプーチン大統領は国際条約を破り、日本の北方領土になし崩しでロシア住民を移住させています。

 

この事態を放置すると、ロシアの住民を保護するという口実で軍事侵攻を推し進め日本の領有権を略奪する恐れがあります。

 

日本の平和を維持するためには、共産主義専制国家が付け入る隙を生じないように、自由主義圏との連携を堅持しつつロシアとの平和交渉を粘り強く推進しなければなりません。

 

そのために、全ての政治家が公明正大なクリーンな政治を大局的見地で推進してくれることを切望しています。

   

戦争と平和(俳句と川柳:終戦記念日特集)」をご覧下さい。

   

春浅し命の限り句を口に

建国日思ひを新た己が役          

日の丸が民家の門に建国日            

          (薫風士

  

某俳句会で次の俳句が投句され、様々な意見が出て俳句談義が盛り上がりました。

  

旗日とふ日本語ありき建国日

  

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作者は「旗日」は死語になっていると考えてこの俳句を作っています。

 

いずれにせよ、俳句は好き好き日章旗に対する思いも各人各様でしょう。

  

(青色の文字をクリックすると例句や解説記事などをご覧になれます。

建国記念の日」は戦前は「紀元節」と言っていました。

   

梅正に綻びそむる紀元節

      正岡子規)

  

旗日とやわが家に旗も父もなし

         (池田澄子)

 

この俳句について、「増殖する俳句歳時記」の清水哲男氏の句評には「もはや死語の感のある旗日」とあります。

「旗日」という言葉は、現状では「死語」か「老人語」とみなされるでしょう。

  

2月11日を建国記念日とすることは、古事記などの神話に基づいていることを認識して、日本の歴史や未来に思いをはせて日本の平和を守り、「旗日」や「日章旗」が平和国家のシンボルとなることを祈っています。

  

究極のLOVE」(Ultimate LOVE)をご覧下さい

   

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2016年2月 7日 (日)

俳句 《春隣・春近し》

        

(2023.2.2更新)

勇み足仕切り直しや春近

まんぽ道駄句口遊み春近し

春近き時雨上がりの煉瓦道

春近き梢を映す(にわたずみ 

春隣夫婦の日なるミニ句会

         (薫風士)

          

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「薫風士の思い」を記事の最後に補足しました。(2021年12月)

   

  

開館へ向けて一気に春隣  

       稲畑汀子

この句は虚子記念文学館の開設準備を詠んだものでしょう。

   

叱られて目をつぶる猫春隣

    久保田万太郎

   

歳時記(俳誌のサロン)の例句で「取り合わせ」が「春隣」という季語に感覚的にマッチした俳句を各ページから1句ずつピックアップ・掲載させて頂きます。

青色文字の「春隣」をクリックすると詳細をご覧になれます。

   

春隣1

田畑にめりはり見えて春近し  

     (久崎富美子)

    

春隣2

芽を一つほぐすあぢさゐ春隣  

      (永見博子)

 

春隣3

髪切つてピアスを選ぶ春隣  

      (宮坂恒子)

    

春隣4

絵手紙に添へし一句や春隣  

      (高橋秋子)

    

春隣5

旅誘ふちらしの増えて春隣  

      (楯野正雄)

     

春隣6

春隣水車は光弾きゐて  

       大橋晄

     

春隣7

土佐堀のたゆたふ水も春隣  

       大橋晄

    

上記2句の掲載誌は「雨月」ですが、この俳誌のHPには「主張 虚子唱道花鳥諷詠の道の主客合一をめざす」とあります。

       

季語巡り ~俳句歳時記~には季語の解説とともに季節感のある次の句や凡茶の興味ある句などが掲載されています。

 

春近し雪にて拭ふ靴の泥 

      沢木欣一

  

車窓より瀬戸の島山春隣 

      星野立子

      

なお、春隣7には、次の俳句があります。

友情に国の壁なし春隣 

      (丸田信宏)

     

俳句談義18:政治家と俳句」に於いて述べたように、「日本人は自然を愛し平和を愛する国民であることを俳句やブログで内外に発信し、日本の平和のみならず、国際親善世界平和のために少しでも役立てたい」という思いの薫風士(亡きチュヌの主人)の俳句を最後に追記します。

   

春隣チュヌ元気かと師の電話

水際のコロナ対策春隣り

  

年越やオミクロン株蔓延りて(医療の在り方)大晦日・大年の俳句(岸田内閣に望むこと)」、「(冬の俳句特集)不意打ちのオミクロン株冬の雷をご覧下さい。

オミクロン株の感染拡大が世界的に急増していますが、ワクチンや治療薬の開発・普及により、極端な「水際対策」や「緊急事態宣言」が不要になることを切望しています。

   

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

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2015年12月30日 (水)

「初夢」の俳句

         

(2025.6.10 更新)

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冒頭の写真は、2024年に句友が知人から頂いた絵手紙の年賀状です。

 

2024年4月に岸田文雄首相が米国を公式訪問し、「日米同盟の深化を確認し、インド太平洋地域での協力を話し合う」とのことで、バイデン大統領主催の晩餐会には、ファンロンパイ日EU俳句交流大使(初代EU理事会議長)との俳句の交流や2014年のオバマ大統領来日の歓迎晩餐会などを念頭に、「俳句を通じて世界平和を!」の外交を推進してくれることを願っていましたが、その願いは叶わず、米国はトランプ政権に交代することになりました。

    

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このNHK-TV ニュース画面(一部分)のように、石破茂内閣の人気は当初から低迷していますが、石破総理大臣には、お互いに足らずを補い、「柔剛を制す」の諺どおり、「単なるポチ」にならず、「偽りの無い」・「有りの儘の素顔」で「世界の人々の信」を得て、「日本の平和」・「世界平和」の為に尽力されることを願っています。

  

石破茂首相の「柿」の俳句「奈良の柿 郷(さと)にも浦にも 茂る秋」の「秋」は「かな」に変えた方が、ご自身のPR効果が増すのみならず、俳句として「季重なり」も解消されます。

  

「ぺんは剣より強し」なので、「まんぽ俳句」を口遊んで、ご自身の健康管理と表現力を磨いて頂きたいですね。

   

ワシントンの天へ初夢龍の如

「龍天に昇る」という春の季語を捩って、「天へ」「龍の如」としています。

  

初夢の平和の夢想現にも

(「夢想」は「むそう」、「現にも」は「うつつにも」、と読んで下さい。

         (薫風士)

  

関係の方々が「《初仕事・仕事始・出初》能登半島地震緊急支援にオスプレイを!」を読んで、俳句HAIKUの記事に込めた熱い思いを皆さんとシェアして頂ければ、うれしいです。

 

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この写真は、同期や俳句友達などから頂いた2024年の年賀状から龍の絵の部分を集めて撮ったものです。

      

初夢やシュライン通り句碑並木

        (薫風士)

  

芦屋から希望の丘へ、そして、ワシントンまで、松尾芭蕉や正岡子規、高浜虚子や金子兜太など、俳人所縁の各地から、花と平和の俳句の回廊が龍の如く、日本の初空を昇ることを夢見ています。

    

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「俳句HAIKU」の記事「初暦の俳句」をご参照下さい。

      

記事や例句の詳細は青色文字(タイトルや季語)をクリックしてご覧下さい。

          

(2015.12.30の記事)

インターネットの歳時記の「初夢」から各ページの冒頭の俳句を掲載させて頂きます。

  

初夢1 

初夢に古郷を見て涙哉

         (一茶

  

初夢2

初夢に海鵜きたりて泣きじやくる  

        (高島茂)

   

初夢3

初夢の淫らと云ふほどには非ず  

        (竹内睦夫)  

   

初夢に母現れし八十路かな

法王のオバマ訪問夢始め

初夢や夢の中にも夢想して

     木下さとし

   

世界の有力な政治指導者や宗教指導者が一堂に会して、宗教や人種の違い・覇権争いなどから生ずる戦争を防止する根本的な解決を協議して呉れないか!?!」と夢想しています。

   

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧になれます。

       

2015年5月10日 (日)

俳句談義(15):「昭和の日」・「憲法記念日」

                          

2025.3.19 更新)

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この写真は、NHK-TV 二ュ-スの一画面ですから、この画面だけを見て誤解しないで下さいね。

   

トランプ大統領は、日米安保条約について、「我々は日本を守らなければならないが、日本は我々を守る必要が無いのは不公平だ」と言っていますが、日本は太平洋戦争で多大の犠牲を払って、世界の唯一の原爆被爆国として米国の主導した連合軍の要求を受けて戦争放棄の新憲法を制定していますから、「この平和憲法に基づき平和を守ることによって日本は米国に対して公平な対応をしている」と言えるでしょう。

  

世界の人々がこの正しい認識に共感して、「日本の平和憲法の精神を国是として、世界平和の為の市民運動を推進してくれること」切望しています。

  
ロシア軍のウクライナ侵攻によって、多大の犠牲者が生じています。

プーチン大統領の侵略政策は決して許すべきではありません。

経済的制裁の悪影響は世界に広がっており、持久戦に耐える覚悟が必要ですが、この事態は持久戦に耐えることでは済まないかもしれません。

 

独裁者も人間ですから、独裁政治家が短気を起こすと世界はどうなるか心配なことです。

 

「太陽と北風」の寓話を馬鹿にしないで、世界の人々が平和運動を推進してくれることを切望しています。

  

青色文字をクリック(タップ)して、梅東風や届け世界にこの思ひ血に染むなドニエプルてふ春の川に書いた思いを一読し、シェアして頂ければ望外の喜びです。

     

(2015.5.10 の記事)

4月29日は「昭和の日」である。

 

歳時記の「憲法記念日」には山田弘子の俳句「国旗立つ憲法記念日のパン屋」など66句リストされている。

 

先日、東京新聞の「平和の俳句」募集に応募した友人の入選句のことなどを「俳句談義(14:俳句の片言性と二面性」に書いたが、友人が東京新聞のコピーを郵送してくれたので入選した俳句とコメントの中で特に印象に残った二つを次に転載させて頂く。

   

「青春の昭和切なし鰯雲」 斎藤けい(90)横浜市

 昭和19年、兄は二度目の招集で南方へ、将来を約束した一つ違いの幼なじみは中国大陸へ出征した。終戦になっても二人はなかなか帰らず、鰯雲の浮かぶ秋空を見上げながら待ち続けた。終戦翌年の秋、兄は半袖の軍服にぼろぼろの靴を履いて、夜、人目を忍ぶように裏口から帰ってきたが、半年は放心状態だった。幼なじみは小さな箱になって戻ったが、中は石や砂だった。

    

上記コメントの最後にある「石や砂」は「本との出会い(2)」に書いたエッセイ集「尾曲がり猫と擦り猫と」の「石ころ」と同じである。

 

小学生(国民学校初等科)の頃、戦死者が級友のご家族だった場合だろうが、遺骨を白布に包んだ箱を胸に下げてご遺族の方が帰って来られるのを駅まで迎えに行ったことがある。遺骨だと思って恭しく頭を下げていたが、石ころであることが多かったのだろう。

 

「夏の高校野球」で「甲子園の砂」を球児が袋に詰めるニュースをよく見かける。感慨無量である。

  

「ウイキメディア」によると、「1941 - 1945」の大会は太平洋戦争のため取り止めになっている(1941年の第27回の回次は残る)。

    

お手玉の小豆で赤飯父はゆく 桜井義男(80)東京都

 戦争中、もらった砂糖でお汁粉を作るため、姉二人のお手玉から小豆を取り出した。

二人は東京大空襲の夜にはぐれ、遺体も見つからなかったが、最後にお手玉をした姿を今も覚えている。友人の家もお手玉の小豆で赤飯を炊き、父親の出征を祝ったが、帰ってこなかったという。(以下省略)

       

このブログを書いていて、「欲しがりません勝までは」ということが当たり前だったのか、無いことが分かっていたからか、特に強いられることもなく、ひもじいのを子供心に我慢をしていたことを思いだし、こみあげてくる感情に我知らず涙ぐんでしまった。

 

「もったいない」という気持ちは現在でも強く感ずる。

当時は食べ物があれば何でも有難く食べるのが当然だった。

現在は飽食の時代で、子供が食事の好き嫌いをするのが当然になっている。

だが、食物アレルギーということもあるので、食べることを無理強い出来ない。

    

火の奥に牡丹崩るるさまを見つ  

      加藤楸邨)

  

この句は大空襲で自宅が燃え崩れる様子を詠んだものであることは前書きで一応理解できるが、真の句意はわからない。

楸邨の言いたかったことは何か? 

 

大牧広氏は「楸邨が国民の呻きを牡丹に託したもの」であると解釈し、次のように述べている(抜粋)。

 

この「火」は当然焼夷弾による炎上させられた火である。紅連の炎の中に崩れてゆく牡丹、もしこれが人であったらこの世の最後の悲鳴を挙げたであろう。それも叶わず黙って焼かれていった牡丹、私はこの牡丹を作者が人間をイメージして詠んだような気がしてならない。何の罪もない一般国民があの忌わしい業火の中で命を落さなければならなかった時代。この国民の呻きを牡丹に託して詠んだと思えてならない。      

        

気の向くままにインターネットで検索していると、「思考の部屋」というサイトの「94歳の荒凡夫~俳人金子兜太の気骨~」という記事に兜太の次の俳句があった。

  

水脈(みお)(はて)炎天の墓碑を置きて去る

津波のあと老女生きてあり死なぬ

     

「津波」の句は老女の生命力の逞しさを讃えているのだろうが、「貴重な若者の命は奪われたが老女はまだ生きている」という自然の不条理を皮肉を込めて表現していると解釈できないこともない。

    

日経新聞WEBを見ていると日米首脳会談の夕食会でオバマ大統領が次のような自作の俳句を披露している。

 

春緑 日米友好 和やかに(Spring, green and friendship/United States and Japan/Nagoyaka ni.)

  

オバマさんが「和やかに」と日本語を使ったのは親日・友好の意を表す意味もあったのだろうが、「和やか」は含蓄のある言葉でぴったり対応する英語が無いからでもあろう。

        

国際俳句協会では「俳句」が世界文化遺産に登録されるように努力しているが、俳句には言葉の壁があるので世界遺産登録は「和食」のように簡単ではない

 

高浜虚子は終戦に際して次の句を作っている。

     

秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみぞ

 

敵といふもの今は無し秋の月」「黎明を思ひ軒端の秋簾見る」と併せて読むと、「秋蝉も蓑虫も泣くのみだ。泣きたいものは思いぞんぶん泣けばよい。だが、自分は泣かない。終戦になって、自由に句作が出来る。さあこれから本番だ。」と清々した気持ちで詠んだ句だと思う。

    

虚子は「亀鳴くや皆愚かなる村のもの」という句を作っている。

 

明治時代に作った俳句らしいが、人を食った句である。

句作の背景や経緯を知らなければ真の句意は不明である。

 

この句が作られた「」をご存知の方があれば是非教えて頂きたい。

        

「皆」とは誰を指すのか? 「村」とはどこのことか? 

「もの」とは「者」と「物」のいずれを意味するのか?

「亀」は「虚子」の比喩でないか?

    

単に文字通りのことを客観写生したのだろうか?

たとえば、「どこかの村で俳句会を催し、集まってきた者は碌な俳句も出来ない愚か者だった」という句だろうか?

 

「『花鳥諷詠の心』を知らぬ者は愚かだ」と言っているのだろうか?

「自分を含めて人は皆愚かな者だ」と嘆いているのだろうか?

 

「村」とは「日本の村社会性」の比喩ではないか?

「戦争推進者は皆愚か者だ」と比喩的に詠んだ句ではないか?

いずれにせよ、さまざまな解釈が可能である。

  

虚子は「深は新なり」と言っている。穿ちすぎかもしれないが、句意が不明だということは、「しっかり考えよ」と謎をかけていると解釈できないこともない。

        

昔は人災にしろ、自然災害にしろ、慟哭するしか仕方がなかっただろう。

だが、現在は科学技術も進歩しており、民主主義の時代である。

  

災害の防止や抑制は努力次第で不可能ではない。まして、戦争は叡智を集めて未然に防ぐ努力をすべきである。

 

独裁政治、覇権主義、軍事力の増大と情報非公開による国際的不信、貧富の格差拡大、一方的な道徳観の押し付け、国家間の利害対立、ナショナリズム、等、戦争発生の要因は多多あるが、このような要因の発生を防止・除去することは可能である。

 

国際貿易や文化交流を深めて、相互理解・相互依存を高めることが平和の維持・戦争の防止につながる。各国がその努力をすることが必要である。

 

日本政府が注力すべきことはそういうことを世界の指導者に働きかけることだろう。

 

法律の条文は俳句のように如何様にでも解釈できる笊法であってはならない。

 

憲法の拡大解釈による自衛権の行使が、憲法改正後に時の政府の条文解釈次第で更に拡大されるようになってはならない。

  

現憲法だからこそ明文にない自衛権の拡大解釈に歯止めがかかっている。

 

憲法が改正されるとその歯止めが無くなり、更に拡大解釈をされる恐れがある。

 

現憲法に不備があるというなら、その不備を逐一吟味し、拡大解釈が出来ないことを明確にして、国民が納得できるように討議する場を設けるべきだろう。

 

大切なことは総論のみならず各論である。

 

自民党の改正条文草案に限らず、野党の改正案があればそれも含めて、法律学者・憲法学者、政治家、評論家が時間をかけて真剣に議論し、公開すべきだろう。

  

公共機関は憲法記念日など祝日の行事をする場合には国旗を掲揚するが、一般の家庭で国旗を掲げている家はほとんど見かけない。

 

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日章旗が、平和国家のシンボルとして内外で何らの抵抗なしに受け入れられ、掲揚される日は来るのだろうか?

            

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2015年2月17日 (火)

俳句談義(4): 高浜虚子の句『大寒の埃の如く人死ぬる』とは、「平和」を考える

                  

(2025.1.23 更新)

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冒頭の写真は、米国トランプ大統領新政権スタートを報じるNHK-TV ニュース画面の一部分ですが、独善的政権が暴走しないことを祈るばかりです。

 

2022年3月26日にウクライナ紛争について、「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、紛争解決案を提言しましたが、未だに戦争が続いてるのは悲しいことです。

 

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昭和16年(1941年)1月に掲句を作ったとき、虚子は何を意識していたのだろうか?

 

「平和を願う祈りが世界の人々に通じ、地球上に愚かな戦争がなくなる日がいつかは来るのではないか」と、一縷の望みを捨てずに、このブログを書いている。

   

昭和12年には支那事変(日中戦争 1937年~1945年)が始まっており、既に日中双方に多数の死者が出ていただろう。

  

インターネットを検索すると、伊予歴史文化探訪「よもだ堂日記」に「秋山真之 元気のない正月」というタイトルで、

「明治29年(1896)1月初め、秋山真之が子規のもとを訪問。秋山が訪れたのは3年ぶりで半日閑談したのだが、このときの秋山はあまり元気がなかったと子規は述べている。」

という記事があった。

   

その前年、明治28年(1895年)4月17日には日清講和条約(下関条約)が締結され、数日後の4月23日に三国干渉が起こっている。

秋山とは司馬遼太郎原作のNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の主人公の一人である秋山真之のことである。

 

高浜虚子は日露戦争当時の明治38年(1905年)7月1日発行「ホトトギス」に「正岡子規と秋山参謀」という次のような記事を掲載している(抜粋)。 

  

「子規居士と茶談中、同郷の人物評になると、秋山真之君に及ばぬことは無かった。秋山君は子規君と同年か若くても一歳位の差で、同郷同窓の友(松山では固より、出京後でも共に一ツ橋の大学予備門に学び、後ち秋山君は海軍兵学校の方に転じたのである)として殊に親しかった。

・・・(省略)・・・

その後は別に記憶にとどまるようなことも無く、日清戦争のすんだ時分、子規君の話に、秋山がこないだ来たが、威海衛攻撃の時幾人かの決死隊を組織して防材を乗り踰(こ)えてどうとかする事になって居たが、ある事情のため決行が出来なかった、残念をしたと話して居たと、言われた。

・・・(以下省略)」

              

虚子は掲句を作った前年の昭和15年(1940年)3月には「大寒や見舞に行けば死んでをり」という句を作っている。この句は「死んでをり」という具体的な表現であるから誰か身近な人の死を詠んだものだろう。

しかし、掲句では「人死ぬる」と一般的な表現である。

 

上記のホトトギスの記事にある「日清戦争のすんだ時分、子規君の話に、秋山がこないだ来たが、・・・(省略)・・」という記載からすると、虚子は秋山と子規のこと、日清戦争(1894年7月~1895年3月)や日露戦争(1904年2月~1905年9月)のことに思いを馳せ、現に行われている日中戦争(1937年~1945年)のことを念頭において掲句を作ったに違いない。

   

当時の世界情勢は列強が帝国主義政策を推進しており、日本も遅ればせながら列強に負けじと帝国主義の道を突き進んでいた。

 

昭和11年(1936年)には二二六事件が起こっている。

昭和15年には戦時体制としての内閣総理大臣を総裁とする大政翼賛会が発足し、津田事件が起こるなど、反戦的な発言は許されない時代になっている。

 

虚子は現実の生活において通俗的に「人の命」を「塵」や「埃」と同一視していたとは考えられない。「埃の如く死ぬる」という比喩は、「人の死」を軽んじているのではないだろう。

  

おそらく、「戦争における人の死は宇宙から見ると大寒の埃のようなものである」と憂い、戦争による多数の死を空しいと思っていたのではないか? 

            

参考までに掲句に関してインターネットで検索したブログ(抜粋)を下記に挙げるが、対照的な解釈をしている。

 

(1)「遼東の豕」(作者名不詳)  

「ワシャは俳句は素人なのでよく解からないが、虚子の死生観が感じられる一句だと思う。『大寒の埃』とは、寒い朝、書斎の障子越しに射す光に浮かんだ微小な埃のことだ。小さなものと大いなる寒さの対比がおもしろい。虚子はその埃が室内の暖気の対流をうけてきらきらと舞っているのを見た。時間の経過とともに埃は墜ちていき、やがて畳の目につかまって動かなくなる。それを死と観たか。人の生き死にも大いなる自然から見れば、埃の死と大差ないのだよ、だから嘆かないでということなのだろう。

     

(2)「六四三の俳諧覚書」

「『大寒の埃の如く人死ぬる』 おそらくは親しかった人の死をホコリにたとえる、この非情さはどうでしょう。そんなふうに作者を責めたくなります。ところが、真相は違いました。同じ句会で詠まれた『大寒や見舞に行けば死んでをり』の句とともに、連衆の笑いを狙った虚構句らしい。作者の年齢にも目を向けてください。老境の呟きです。昭和十五年、六十六歳。」

    

(3)「六四三の俳諧覚書」子規の革新・虚子の伝統(七) 花鳥諷詠

「『大寒の埃の如く人死ぬる』 昭和十五年冬。この非情さはどうなのか。実は、同じ句会の席で詠まれた『大寒や見舞に行けば死んでをり』とともに、連衆の笑いを狙った滑稽句でした。

     

上記のように国光六四三氏が虚子のこの句を「滑稽句」と評した根拠を知りたいが、昭和15年当時は「反戦句」を作ることは許されないのだから、虚子は「滑稽句」として披露したのか、あるいは「滑稽句」という解釈をそれで良しとして受け入れたのではなかろうか?

         

      

(4)「ときがめ書房」のブログ「大寒・高浜虚子」(作者名不詳)

「死 秀句350選」(倉田紘文著)の「『如是』という言葉がある。まったくさからう心のない、在りのままの姿を示す語である。・・・(省略)・・・」を引用している。   

    

夏目漱石が虚子という人物をどのように見ていたかを知るのに参考になる記事(「高浜虚子著『鶏頭』序」)があったので、次のとおり抜粋させて頂く。

       

「虚子の作物を一括して、(これ)は何派に属するものだと在来ありふれた範囲内に押し込めるのは余の好まぬ所である。是は必ずしも虚子の作物が多趣多様で到底(とうてい)概括し得ぬからと云う意味ではない。又は虚子が空前の大才で在来西洋人の用を足して来た分類語では、其の作物に冠する資格がないと云う意味でもない。虚子の作物を読むにつけて、余は不図(ふと)こんな考えが浮・・・(省略)・・・

余は虚子の小説を評して余裕があると云った。虚子の小説に余裕があるのは()たして前条の如く禅家の悟を開いた為かどうだか分らない。(ただ)世間ではよく俳味禅味と並べて云う様である。虚子は俳句に於て長い間苦心した男である。従がって所謂(いわゆる)俳味なるものが流露して小説の上にあらわれたのが一見禅味から来た余裕と一致して、こんな余裕を生じたのかも知れない。虚子の小説を評するに(あた)っては(これ)(だけ)の事を述べる必要があると思う。
 尤も(もっとも)虚子もよく移る人である。現に集中でも秋風なんと云うのは大分風が違って居る。それでも比較的痛切な題目に対する虚子の叙述的態度は依然として余裕がある様である。虚子は畢竟(ひっきょう)余裕のある人かも知れない。明治四十年十一月」

         

現在も世界のどこかで宗教や人種の違い、利害の対立などから生ずる愚かな戦争が行われている。情けないことである。

 

「正義」や「大義」、善悪などの価値観は時代や立場によって異なる。

正義や大義の名のもとに愚かな戦争をすることがあってはならない。

  

宗教と科学の融合」でも書いたが、科学・文化、社会制度などが未発達の時代の預言者の唱えた宗教(一神教など)にいつまでも囚われず、既存の宗教の欠点を補完し、良い点を融合して現在の宇宙時代にふさわしい宗教的考えが確立されることを切望している。

  

世界の宗教指導者や政治家が寛容・和の精神を実践することによって民衆を指導してもらいたいものである。

   

凡人である私は、「大寒や花鳥諷詠南無阿弥陀」と平和憲法下における「平和国家日本の悠久」をひたすら祈りながら、ささやかなブログを書いているほかに術がないが、「平和を願う祈りが世界の人々に通じ、地球上に愚かな戦争がなくなる日がいつかは来るのではないか」と、一縷の望みを捨てずにいる。

  

「何が平和か」ということは大きなテーマであり、短歌や俳句・川柳などで一口に言えるものではないが、このブログが平和について改めて考えるきっかけになれば幸いである。

  

最後に、薫風士の俳句と川柳(即興句)をご笑覧下さい。    

   

ブログにて花鳥諷詠冬ごもり

待春や妻は吟行我ブログ

「和」を唱へブログを書きつ春を待つ

ブログ書き平和を祈り春を待つ

子と孫に託す世界の平和かな

      

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2015年1月25日 (日)

俳句談義(1)虚子辞世句「春の山」の新解釈

     

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伊藤柏翠著「虚子先生の思い出」(写真参照)によると、高浜虚子は宗演禅師のもとで参禅弁道をしたとのことですから、虚子の俳句「春の山」に於ける「空しかり」についての薫風士の新解釈を一概に的外れとは言えないでしょう。

  

春の山(かばね)を埋めて空しかり

      高浜虚子

  

掲句の「空しかり」は一般に「むなしかり」と読まれますが、虚子は「空然り(くうしかり)」ということを念頭においてこの句を詠んだのではないでしょうか?

  

大寒の埃の如く人死ぬる

  

「大寒の」の句のように、「戦争による死」には「むなしかり」というのが相応しいでしょうが、「平和裏の大往生」には「くうしかり」を当て嵌めたいと思います。

        

偶々数日前に、「生きて死ぬ智慧」など「般若心経」に関する本を読んでいたので、ふと次のように思い付きました。

虚子は日頃から「般若心経」の「色即是空」を潜在意識にして「花鳥諷詠」を句にしていたに違いない。掲句の「空しかり」は「むなしかり」ではなく、「くうしかり(空然り)」と読むべきではないか?「屍」とは虚子の「屍」のことではないか?

  

虚子の句に「春惜しむ輪廻の月日窓にあり」があります。

「『凡てのものの亡びて行く姿を見よう』私はそんな事を考へてぢっと我慢して其子供の死を待受けてゐたのである」と虚子は四女の死に際して記述していますが、「色即是空」を念頭においていたのではないでしょうか?

          

坊城俊樹氏は「独り句の推敲をして遅き日を」を虚子の辞世の句としてもよいとしています(「高浜虚子の100句を読む」参照)

この淡々とした句は句仏17回忌(3月31日)に詠んだものですが、虚子の句には、「短夜や夢も現も同じこと」や「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」などがあります。

辞世の句がどれかはともかく、虚子の命日釈迦の生誕日とされる「4月8日」に当たることも不思議な縁を感じます。

             

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2015年1月18日 (日)

虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か?

    

(2025.1.18 更新

去年今年宇宙は廻りめぐるかな

足らざるを補ひ合ひて去年今年

       (薫風士)

  

虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か?

「棒」は「虚子の信念」などの比喩でしょう。

     (薫風士の新解釈)

  

著名な俳人の著書の関連部分のページの写真を掲載して、従来の解釈・通説を下記のとおり紹介させて頂きます。

  

(写真1&2) 夏井いつき著「俳句鑑賞の授業」(P178~179)

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夏井いつきさんは、虚子のこの俳句を高く評価して、「『貫く棒の如きもの』という抽象的な比喩だけで、一瞬と永遠を合わせ持つ『去年今年』という季語の本質を見事に表現している」と述べていますが、夏井先生の「棒」を「一瞬と永遠の比喩」と解釈する考え方は腑に落ちません

   

従来、この俳句の「去年今年」を「貫く棒の如きもの」の主語と解釈して、俳人や評論家などが様々な解説をしていますが、何れの解説も決め手になっていないと思います。

  

虚子は、1981年(昭和56年)7月17日に亡くなった水原秋桜子への追悼句「たとふれば独楽のはぢける如くなり」に於いて主語(秋櫻子と虚子との関係の在り様)を省略しているように、この「去年今年」の句においても、棒の主体を省略して去年今年を副詞として用いていると解釈すると、すっきり説明が出来ます。

    

虚子が「去年今年」を主語として俳句を作っていたとすれば、「独楽」の俳句と同じように助動詞「なり」を用いて、「去年今年貫く棒の如きなり」と表現していた筈でしょう?

  

助動詞「なり」を使わず、「もの」と表現したことは、「去年今年」が主語でないことの証だと思いませんか?

  

「去年今年」を「虚子の信念」との取合せである、すなわち、「棒」を「虚子の信念」と解釈する考え方は、まだ一般的に通説として普及していませんが、反論出来ない限り正しい解釈と言えると思います。

    

(写真3) 
_101042伊藤柏翠著「虚子先生の思い出」(P96-97)

  

  

高浜虚子は宗演禅師のもとで参禅弁道をしたとのことですが、「明け易や花鳥諷詠南無阿弥陀」と詠んでいますから、薫風士の新解釈を一概に的外れとは言えないでしょう。

  

(写真4) 金子兜太著「酒止めようか どの本能と遊ぼうか」P140-141    

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金子兜太も、去年今年の俳句について「観念臭が強い」と言ってあまり高い評価をせず、通説通り「一物仕立て」として解釈していますが、その解釈・評価に兜太の取巻きも同意しています。

    

   

(写真5)パソコンで読んだ現代俳句協会の記事の一画面

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「去年今年」の「棒」を取合せとして、「男性器のメタファー」とも解釈できると、面白い解釈をしています。(評者横須賀洋子)

写真をタップ拡大して、記事をご覧下さい。

    

きごさい歳時記」の解説によると、「去年今年」の季語の来歴は『毛吹草』(正保2年、1645年)にあります。

  

青色の文字をタップすると関連のリンク記事をご覧になれます。) 

    

お暇があれば、2015年作成の面白い下記のオリジナル記事をお楽しみ下さい。  

  

高浜虚子の「去年今年」の俳句について、稲畑汀子さんは「虚子百句」において次のように述べている(抜粋)。   

    

「昭和25年12月20日、虚子76歳の作である。

・・・(省略)・・・ 

去年と言い今年と言って人は時間に区切りをつける。しかしそれは棒で貫かれたように断とうと思っても断つことのできないものであると、時間の本質を棒というどこにでもある具体的なものを使って端的に喝破した凄味のある句であるが、もとよりこれは観念的な理屈を言っているのではない。禅的な把握なのである。体験に裏付けられた実践的な把握なのである。

・・・(省略)・・・

_

ところで棒とはなんであろう。この棒の、ぬっとした不気味なまでの実態感は一体どうしたことであろう。もしかすると虚子にも説明出来ず、ただ「棒」としかいいようがないのかも知れない。敢えて推測すれば、それは虚子自身かも知れないと私は思う。

この句は鎌倉駅の構内にしばらく掲げられていたが、たまたまそれを見た川端康成は背骨を電流が流れたような衝撃を受けたと言っている。感動した川端の随筆によって、この句は一躍有名となった。・・・(以下省略)」

            

稲畑汀子さんは上記の如く述べているが、川端康成はこの句の「棒」をどのように解釈したのだろうか?

  

「貫く棒の如きなり」と言わず、「貫く棒の如きもの」と言っているから、「棒」は「時のながれ」というよりも「虚子の信念」の比喩であると思う。

   

「虚子俳句の痴呆性」を云々する人がいるが、この「去年今年」の句には「大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きく鳴る。」という坂本龍馬の言(勝海舟に説明した西郷隆盛の評価)を当てはめたい。

  

文学に限らず、音楽や絵画など、芸術は自己実現の個性を表現するものであり、それをよく理解できるか否かは鑑賞する人の性格や人生観、能力などが左右する。まして、俳句は17文字(音)で表現する短詩であり、論理ではなく感性にうったえるものである。従って、俳句はその作者と「場」を共有するか、それが作られた「場」を適切に推定することが出来なければ理解できないことがある。

  

特にこの「去年今年」の句のように比喩的な俳句は、読む人の見方次第で卑しい句であると誤解されることもある。

  

その逆に、俳句が作者の意図以上によく解釈されることも珍しくない。

  

それは俳句の本質的な限界でもあり広がりの可能性でもある。

  

中立的な表現の俳句は鏡のように、読む人の心を映しだす。

  

虚子はこのような俳句の面白さもこの句に織り込んだのではなかろうか?

             

大岡信さんは「百人百句」において、「俳句という最小の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。」と次のように述べている(抜粋)。  

(省略)・・・昭和20年代後半から30年代にかけては『前衛俳句』の黄金時代で、若手の俳人はそちらに行ってしまい、虚子は一人さびしく取り残されている感があった。

・・・(省略)・・・私は現代詩を書いていたので、・・・(省略)・・・どちらかというとはじめに前衛派的な人々の句に親しんだので、それから逆に句を読み進め、高浜虚子を初めてというくらいに読んでみた。すぐに感じたのは、虚子の俳人としての人物の大きさだった。

私は常々現代詩を作り、・・・(省略)・・・斎藤茂吉が好きだったので茂吉の歌もよく読んでいた。しかし、『去年今年』の句を読んだときに、俳句という最小の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。・・・(以下省略)

            

この句についてインターネットで検索していると、宗内敦氏の「アイデンティティ-第二芸術」というタイトルの傑作な記事があった。 

     

「去年今年(こぞことし)とは、行く年来る年、時の流れの中で感慨込めて新年を言い表す言葉である。しかして虚子のこの一句、『貫く棒の如きもの』、即ち、時の流れを超えて『我ここにあり』と泰然自若の不動の自我を描いて、まさに巨星・高浜虚子の面目躍如たる『快作にして怪作』(大岡信『折々のうた』)の自画像である。

それが何としたこと、バブル絶頂の頃だったか、ある新聞の本句についての新春特集ページに、『この句を知ったとき、顔が火照り、胸がときめき、しばらくは止まらなかった』という中年婦人の感想文(投書)が載せられた。一体何を連想したのか。破廉恥にも、よくぞ出したり、よくぞ載せたりと、バブル時代の人心・文化の腐敗に妙な感動をもったことを思い出す。・・・(以下省略) 

          

この「中年婦人」を「破廉恥」とか「卑しい」などと決めつけるのは誤解かも知れない。

  

この女性は汀子さんの上記の「虚子自身かも知れない」というコメントと英語「itself」の俗語の意味とを自然に結び付けて連想したのかも知れないのである。   

  

「虚子自身」も自分自身の「それ自身」を客観写生して、「生命力の強さ」をこの俳句で表現したのだ、と深読み出来ないこともない。

                

この句を作ったとき虚子は夏目漱石の「草枕」の冒頭にある有名な文「智に働けば角が立つ、情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」も意識していたかもしれない。 

   

この句の「棒」のイメージは、「草枕」の「情に掉させば流される」という文句や方丈記の名文句、美空ひばりのヒット曲「川の流れのように」の歌詞など、時世・人生を表現するのに用いられる「川のながれ」とは全く異なり、力強くて斬新なものである。

  

虚子は「深は新なり」とか「古壺新酒」と言っている。「花鳥諷詠」と「客観写生」を唱道していたが、「前衛俳句」の黄金時代にあって、「去年今年」の句を作ることによって「これも『花鳥諷詠』だ」と、その幅の広さと虚子の信念と自信をアッピールすることを意識していたのではなかろうか。

  

    

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2014年12月19日 (金)

本との出会い(1)「あの海にもう一度逢いたい」

       

(2025.6.3 更新)

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12月9日は漱石忌です。

夏目漱石などの文豪のみならず、市井の素人文人が少なくなく存在していることに日本の民度の高さを感じます。

冒頭の写真はパソコンで見た「趣味の陶芸 爺が自賛 オーブン陶土で作る狸のコンサート」の記事の一画面ですが、身近に陶芸を趣味にしている句友やゴルフ仲間もいます。

    

   

(2014.12.19の記事)

  

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(写真)

三田市在住の木下とし子さんのエッセイ集

   

   

読書週間だからというわけではないが、数年ぶりに図書館を訪ねた。

仲間との俳句談義で話題になった生命科学者である柳澤桂子の「生きて死ぬ智慧」(般若心経現代語訳)など般若心経の本を借りるためである。 

図書館の書棚を見ていると、「あの海にもう一度逢いたい 木下とし子」(日本文学館)という小さな本が目に入った。

表紙一杯に空と海の広々とした写真があり、裏表紙にはの写真が載っていた。 

目次を見ると、最初に「朱い色の記憶」「呪文と念仏と」などがあり、最後の方に「骨壺蛸壺」「私の前生は布切れかも」とか「三途の川の川幅は」などがある。この本の著者は般若心経の本を読んでいるのかもしれない。 

  

「あとがき」に作者は次のとおり書いている。

 

「戦前、戦中、戦後と七十七年生きてきました。

その間に、生活様式も人々の価値観も激しく変わり、とてもついていけないと感じはじめた頃、膀胱ガンを患い障害者手帳を持つ身になりました。

それから十二年、手帳とともに生き、不安と諦めの中から「書く」という幸せを見つけました。

しかし、ほんとうの思いを書くということはとても難しく、(おり)のように心の底に溜まった苦しみや悲しみは、時間をかけて浄化しなければ書けないように思います。

若いときに想像していた「老い」と現実の「老い」の落差を素直に受け止め、これからもその時々の思いをそっと(すく)って書いてみたいと思っています。」

           

この本の作者は日本が太平洋戦争に突入した昭和16年12月8日には小学校5年生だった。「朱い色」とは大空襲で町が燃える色である。「骨壺」とは作者の夫が作った丹波焼の壺である。

阪神大震災の折に墓地の惨状を目にし、無縁仏の多さに驚き、墓を作ることは諦めた。私の骨は太平洋に散骨したい。そのときこの上等の骨壺も一緒に波間に沈めてもらいたい。そしたら蛸が取り合いするだろうか。この壺の住人になった蛸は、今はやりの六本木ヒルズに住むセレブになるのかな。そんなことをクラス会で話したら、『もったいないことせんと僕にちょうだい』と言った男性がいた。---」と、

この作者は少女時代の切ない思い出、家族のこと、阪神大震災福知山線事故のことなど、主婦の目線で時にはユーモアを交えながら切々と書いている。珠玉の小編エッセイである。

    

手作りの骨壺を手に明易し

      (薫風士)

     

般若心経についての本を数冊読んだ結果、俳人高浜虚子辞世句について新解釈をふと思いつきブログを書いた。ささやかなブログであるが、俳句に興味のある方にはかなり読んで頂いているようである。 

ふとしたことからブログを書き始めたが、本との出会い人との出会いなど、不思議なに恵まれている。

そのことに感謝しながら「LOVE」の実践を「(かい)より始めよう」と心掛けているこの頃である。

  

(注)

LOVE」に人の生き方の指針になる英語の言葉24語の頭文字を当てはめています。

子供の教育の参考になれば幸いです。是非ご覧下さい                    

(青色の文字をクリックするとその関連の解説記事や写真がご覧になれます。)

  

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2014年11月20日 (木)

俳句談義(2):虚子辞世句「春の山」の新解釈について

     

虚子が亡くなる二日前に詠んだ句「春の山(かばね)を埋めて空しかり」について、「これは辞世の句であり、『空しかり』は『むなしかり』ではなく『くうしかり』と読むべきではないか?」と、俳句談義(1)で新解釈を提唱したが、虚子の墓所は鎌倉五山の第三位である「寿福寺」にあることを知り、なおさらその考えに確信を抱いている。「春の山」は単なる山を意味するのではなく、鎌倉五山や山寺に思いを馳せ、「屍」とは埋葬されるであろう自分も含めて諸々の死者を指しているのではないか? 

春風や闘志いだきて丘に立つ」や「去年今年貫く棒の如きもの」などの俳句を作り、俳句界に偉大な功績を遺した稀有の俳人が自分の死を予期して「むなしかり」と詠んだとは思われない。

子規は「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」と自分の死を達観してユーモラスに詠んでいるが、虚子は「空とは真にこのことだ」と自分の死を達観して、「般若心経の『色即是空』とはこんなものだよ」と虚子の悟りの境地を詠んだものと愚考している。しかし、碧梧桐の「君が絶筆」などを読むと、子規の掲句は「ユーモラス」という表現が当たらない悲壮な客観写生であることがわかる。

    

(「俳句には読む人の考えやその心持によって如何様にでも解釈できる曖昧さや広がりがあり、解釈の一つである」と、新解釈を掲載しました。青色文字をクリックするとリンクしたサイトの関連の解説記事や写真をご覧になれます。是非ご覧下さい。)

   

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2014年6月15日 (日)

宗教と科学の対立と融合

    

(2025.4.19 更新)

恒久的世界平和を確立する為に、宗教心の在り方について是非とも皆さんに考えて頂きたいと思っています。

青色文字のタイトルをクリック(タップ)して記事をご覧下さい。

  

What's up? Today 《俳句 365 haiku

   

21世紀の俳句と世界平和

 

終戦記念日・墓参・盆」の俳句

  

梅東風や届け世界にこの思ひ

  

言葉の力・俳句の力《癒し

  

俳句《涼し》死の話

     

P.S. 2022.3.15

ウクライナ紛争について、プーチン大統領や世界の指導者が賢明な決断をしてくれることを切望して、「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、書いた記事を読んで頂きたく、この P.S.を追加しました。

 

青色文字をクリック(タップ)して、「血に染むなドニエプルてふ春の川」をご覧下さい。

    

(2014.6.15)

科学と宗教の関係について何となく興味を持ち、インターネットで検索して見ると、デニス R. アレクサンダーが「Faraday Paper 3 科学と宗教の関係---4つのモデル」(髙木悠鼓訳)で「衝突モデル」「相互不可侵モデル」「融合モデル」「補完モデル」の4つの考え方について比較し、科学的知識と宗教的知識の関係を示すのに最も実り多いのは「補完性」のモデルであると結論している。

しかし、いずれの考え方も科学と宗教の関係を説明しきれていないのは、宗教というものを伝統的な既存の宗教の範囲で論じているからだろう。

 

世界のどこかで宗教の違いに起因する争いが、科学的に進歩した強力な武器を用いて常に起こっているのは誠に嘆かわしいことである。

科学は進歩をしているのに宗教は進歩をしていない。

 

これは、科学においては理論を実験によって証明し、過去の論理が間違いであることを証明することができるが、宗教については哲学的・形而上学的に聖書や経典などの解釈を論ずることが出来るとしても、科学的に検証することが出来ず、信ずるか信じないかの水掛け論に終始するからでないか?

  

宗教をキリスト教やイスラム教、仏教、などの既存の伝統的なもので考えるのではなく、現代の宇宙時代にふさわしい新しい形で宗教をとらえると、科学と宗教を融合することが出来るのではないか?

 

新約聖書には「始めに言葉ありき」とあるが、この「言葉」とは何か?

 

自然現象があってそれを説明するために言葉が作られたのだから、一般的に用いている「言葉」を意味すると解釈するのは間違いだろう。

 

神の子イエス」というが、この「神」とは何か? 

 

「神」とは人知の及ばない存在、即ち、「宇宙の摂理」を意味しているのではないか?

 

アニミズム汎神論ではなく、宇宙の存在・システムそのものを神としてとらえ、科学はそれを物理的に解明することによって神の意思に沿った人類の幸福を追求するものであり、宗教はそれを形而上学的にとらえることによって人類の幸福を追求するものであると考えると良いのではないか?

 

既存の宗教の戒律にとらわれず、自然科学で実証されたものを宗教的な考え方に取り入れると同時に、科学の応用について、何が人類の真の幸福をもたらすかということを倫理的・宗教的に考えるようにすると良いのではないか?

 

浅学非才の凡人としては、進取の気性に富んだ偉大な宗教家、科学者、哲学者などが叡智を集め、既存の宗教を宇宙時代にふさわしい宗教に融合して真に人類の幸福をもたらすものにしてくれないかと祈るばかりである。

 

今日のNHK・BS放送のPBSニュースによるとローマ法王が中東を訪問したとのことである。キリスト教徒・イスラム教徒・ユダヤ教徒の融和の動きが進展すればよいが・・・・

 

「宇宙教」とか「宇宙神教」などの名称はあるのかなと思ってインターネットで検索すると、既にこのような名称の新興宗教らしきものがあるのを知って驚いた。

 

このような新興宗教の実態は知らないが、真に人々に幸せをもたらすものであれば良いのだが・・・・。

  

5月28日のNHKニュース「おはよう日本」を見ていると、久里洋二さん(アニメ作家)の「われわれは宇宙人だ」の制作について放映されていた。

 

現代の科学で解明された宇宙における地球・人間としての立場から世界の宗教指導者が昔の預言者の教えを見直す叡智を発揮して呉れることを切望している。

    

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