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2017年10月 5日 (木)

俳句《名月・姫路城》

  

(2025.2.8 更新)

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写真は、NHK-TV の「新プロジェクトX」「白鷺城はよみがえった」の画面の一部分です。

   

平成5年は姫路城が世界文化遺産に登録されて30周年に当たります

俳句をユネスコ世界無形文化遺産へ(草の根運動)」をご覧下さい。

   

名月や新装なりし白鷺城

         (薫風士)

   

   the harvest moon_   

   bright above

   the renewed Himeji castle

     (L.P. Lovee 訳)

掲句は、国際俳句協会俳句大会稲畑汀子特選の拙句です。

  

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名月の写真は親戚が呉れたものですが、タップ拡大すると、兎が見えます。

  

  

まん歩して、子供たちの元気な声を聞けるのは嬉しいことです。

   

名月や明るき窓に子等の声

病室より友の投句や月仰ぐ

           (薫風士)

  

ここをクリック(タップ)して「盆の 月に祈ること」をご覧下さい。

   

句集『良夜』と手作りの『芭蕉句碑・文学碑紀行集』をご覧下さい。

(薫風士の理想としている俳句的生活の一端と句集の紹介記事です。)

    

(2017.10.5の記事)

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今日は中秋の名月です。

天気予報によると、近畿地方では「名月」を愛でることができそうですが、関東地方は曇りがちなので明日の「十六夜(いざよい)」の方が名月を楽しめそうです。

  

「中秋の名月」は陰暦8月15日の満月のことで「芋名月」とも呼ばれます。

(写真はクリックすると拡大します。ニュータウンの夕暮れの名月をご覧下さい。)

          

「俳誌のサロン」の「歳時記から気の向くままに「名月」の俳句を抜粋・掲載させて頂きます。

(青色文字をクリックして解説記事や俳句の詳細をご覧下さい。)

   

名月や池をめぐりて夜もすがら 

         (松尾芭蕉)

  

名月や高層の窓輝きし 

      (入山登志子)

  

名月に一瞬会へり誕生日

       (赤座典子)

  

名月や水の上なる能舞台

       (鈴木清子)

 

母の忌の雨名月となりにけり

       (数長藤代)

 

名月に照らされて道迷ひけり

       (稲畑汀子)

  

燈を消して名月に身を晒しけり

      (松崎鉄之介)

  

栗名月健やかな老い集ひけり

      (鎌倉喜久恵)

 

名月や新内閣の発足す  

       (石山民谷)

  

名月や酒を愛して恙無く

      (金山藤之助)

 

名月を泳がせてゐる堰止め湖

        (上野進)

 

名月や地球に難民あふれゐる

       (池田光子)

  

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

    

2017年9月15日 (金)

高浜虚子の100句(100 HAIKUs of TAKAHAMA Kyoshi)(1~5)

  

(はじめに)

俳句の登録を目指す推進協議会が発足して「俳句のユネスコ登録をめざす」活動が推進されています。

その草の根運動の一助にでもなればとの思いから、「高浜虚子の100句を読む」(坊城俊樹著)の掲句を第1回から最終回まで随時HAIKU(英語俳句)に翻訳してブログに掲載します。

  

俳句は17文字(5-7-5音)の短詩ですから、その解釈を読者に委ねるという特徴もあり、幾通りかに解釈することが可能ですが、日本語と英語には構文的な違いや対応する単語の意味・ニュアンスの違い、言葉の響きの違いなど、様々な違いがあり、原句のニュアンスをそのまま正確に英語で表すことは不可能です。

しかし、なるべく原句の句意を表現し、且つ、俳句の必須要件「切れ」をHAIKUにおいても英語構文に適した「切れ」として表現することにチャレンジします。

  

「高浜虚子の100句を読む」は、下記のURLでご覧になれます。

第1回:http://www.izbooks.co.jp/kyoshi01.html

最終回(第99回):http://www.izbooks.co.jp/kyoshi99.html

  

各俳句の冒頭の番号に上記のURLをそれぞれの回ごとにリンクさせて頂きますので、番号をクリックして是非ご一読下さい。

高浜虚子が原句を作った背景などがよくわかります。   

   (木下聰、Satoshi Kinoshita, 2017.9.11)

    

)春雨の衣桁に重し恋衣 (M27. 1894年)

  (harusameno ikouniomoshi koigoromo)

    heavy on a dress-rack

  clothes of love_

    spring rain

  

(注)「恋衣」とは「恋を、常に身を離れない衣に見立てた語。恋という着物。」とのことです。(出典:広辞苑)

     

)怒濤岩を噛む我を神かと朧の夜 (M29. 1896年)

      (dotou iwawokamu warewokamikato oboronoyo)

      as if thinking me a god,

      surging waves bite the rock I'm standing on_

      hazy moon night

      

)蓑虫の父よと鳴きて母もなし (M32. 1899年)

     (minomushino chichiyotonakite hahamonsashi)

     a bagworm chirps

     papa papa,

     without mamma, either

   

)子規逝くや十七日の月明に (M35. 1902年)

   (shikiyukuya juushichinichino getsumeini)

    Shiki passed away

    in the moonlight

    of the 17th day

   

)秋風や眼中のもの皆俳句 (M36. 1903年)

      (akikazeya ganchuunomono minahaiku)

    autumn wind_

      anything you see

      could be a HAIKU

      

最新の俳句や英語俳句の記事は、青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップしてご覧下さい。

この「俳句HAIKU」をタップすると最新の全ての記事を一覧できます。

    

2017年8月 9日 (水)

俳句の鑑賞 《極暑・酷暑・炎暑》

   

(P.S. 2022.7.1)

 各地で「猛暑日」となり、40℃を超す歴史的極暑の地域もあり、熱中症が増えています。

    

ありがたや猛暑に耐ゆるこの老躯

     

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昨日(8月6日)は原爆忌(広島忌)でしたが、8月9日は長崎忌です

             

平和の有難さを再認識し、原爆犠牲者のご冥福と平和の祈りをささげました。

      

炎天下の須磨海浜水族園を訪ねてチュヌの主人(薫風士)が詠んだ吟行句を掲載します。

        

水族館涼しい筈と思ひしに

スマスイ昼寝の魚スイと浮き

欠氷手に手に親子イルカショー

満席の団扇はためくイルカショー

炎天下イルカ巧みにフラフープ

ドルフィンや客にあいさつ立ち泳ぎ

涼しさやイルカの飛ばす水しぶき

   

(青色の文字をクリックすると解説記事や俳句の詳細などがご覧になれます。)    

  

「歳時記」から「炎暑」の俳句を抜粋・掲載させて頂きますします。

   

百選の棚田の匂ふ炎暑かな 

         (朝妻力

   

炎暑かな郵便局に客ひとり

         (戸田澄子)

  

私も影も汗ふく炎暑かな 

        (佐々木良玄)

  

鬼瓦炎暑無言の面構へ 

         (荻龍雲)

   

ふるさとが城が崩れてゐる炎暑 

        (岩岡中正)

  

正論の溶けてゆくさま炎暑かな 

        (杉井真由美)

    

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

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2017年5月10日 (水)

《薫風・風薫る》徒然に俳句を口遊もう!

  

(2025.5.8 更新)

句を口に庭の手入れや風薫る

老とても見守りたいや風薫る

恙無き余生の庭や風薫る

一応の吾庭の仕上げ風薫る

牛歩して余生満喫風薫る

アナログも静止画も良し風薫る

卒婚し断捨離もせむ風薫る

薫風や聞き手の気持ち如何なる

カラオケで鍛へしリズム風薫る

薫風や音痴も楽し句を口に

風薫る同名ありきのど自慢

断捨離を知るや吾庭の風薫る

風薫る世界カメの日庭手入れ

紙風船飛ばし祈るや風薫る

風薫る吾庭の句会恙無く

薫風や俳句と言へば薫風士

薫風や来たれ吾庭に!俳句好

         (薫風士)

   
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5月23日は「世界亀の日」です。「コロナ禍や狭庭の亀の松の芯」をご覧下さい。  

      

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俳句の鑑賞にとどまらず、折々に「まんぽ俳句」を口ずさみ、俳句の楽しさを実感して頂きたく、記事やタイトルを更新しました。

   

カラー図説日本大歳時記の青嵐や薫風のページの写真をタップ拡大して、例句や解説をご覧下さい。

  

薫風や我が誕生を祝ふ庭

薫風や吾庭に来たる俳句好き

ビニール袋隅に飛ばすや青嵐

今日の風は、薫風ならぬ青嵐の強さがありました。

 

ランチにもフル-ト演奏風薫る

       (薫風士)

  

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写真は誕生祝のランチを食べたレストランのフル-ト演奏と、「三田屋本店」の庭です。

     

  

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今年のOB会は会場が大阪駅前すぐの所でしたが、受付時間に余裕があったので周辺を漫歩して「まんぽ俳句」を口遊みました。

「口遊む」は「くちずさむ」と読んで下さい。

  

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俳句HAIKUへの5月8日朝8時半のアクセス累計が「101」となり、懐かしい楽団の名称「101ストリングス」を思い出す一寸面白い数字だったので、PC画面を掲載します。

   

   

徒然に俳句の深読みをするのも俳句の楽しみ方の一つです。  

俳句鑑賞 《蕪村の俳句「薫風や」は面白い》」をご覧下さい。

   

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「チュヌ」はサモエド犬なので真白な長い毛がふさふさとしています。行き交う人は「これから暑くなって大変ですね」と声を掛けてくれます。

老犬を手押し車に乗せて買い物や散歩をしている老女を見かけますが、チュヌの主人は元気にチュヌの散歩をして、天寿を全うすることを願っています。



薫風や心のゆとり保ちたし

恙無きまんぽの日々や風薫る

薫風や労りの声愛犬に

犬の乗る手押し車や風薫る

愛犬と見下ろす街や風薫る

薫風やゴルフコンペへゴルフ駆る 

漫歩して腰痛予防風薫る

薫風や歯科医の窓へ子等の声  

賽銭の五円の音や風薫る

「五円」は「御縁」の連想・掛詞のつもりです。

      

掲句はチュヌの主人(薫風士)の前座的俳句です。

季語が「薫風」と「風薫る」の俳句をインターネットの歳時記(俳誌のサロン)からランダムに抜粋・掲載させて頂きます。   

青色の文字をクリックすると例句の詳細や解説などご覧になれます。)

   

薫風1

薫風やともし立てかねついつくしま 

        (与謝蕪村)

 

薫風を連れ虚子館の扉押す   

        (山田弘子)

  

薫風2

薫風や遠くに牛と白い雲   

       (小島とよ子)

  

薫風や軸に蕪村の翁像    

         (曷川克)

  

薫風3

薫風や犬の鼻先よく動く   

        (柴田久子)

 

薫風に押し戻されてナイス・オン 

        (鷹羽狩行)

  

薫風4

薫風の窓辺よろこぶ赤子かな 

       (本杉千保子)

 

薫風や子の号令の朝ごはん  

       (太田佳代子)

  

薫風5

薫風や仮設の村に一輪車  

        (松嶋一洋)

 

薫風や母が支へて父の腕  

       (德田千鶴子)

   

風薫る1

踏みならす橘橋や風かをる 

        (正岡子規)

 

弾みたるボール追ふ犬風薫る          

        (多田節子)

  

風薫る2

歌ひつつ音符書く子や風かをる 

         (大上武)

 

島に建つ仮設住宅風薫る   

        (元永高美)

  

風薫る3

風薫る献血の旗ひるがへり  

        (高木武人)

 

風薫るみすゞの詩集読みたき日 

        (松山正江)

  

風薫る4

モルダウの橋より橋へ風薫る 

        (白川敏彦)

 

風薫る曾良の菩提の正願寺  

        (小澤克己)

  

風薫る5

百歳の余生すこやか風薫る  

         (岡久枝)

 

半世紀住み古りし街風薫る  

         (大橋晄

    

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2017年4月30日 (日)

俳句鑑賞 《蕪村の俳句「薫風や」は面白い》

   

P.S. 2022.4.5 更新

ウクライナ紛争について、プーチン大統領や世界の指導者が賢明な決断をしてくれることを切望して、「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、書いた記事を読んで頂きたく、この P.S.を追加しました。

 

青色文字をクリック(タップ)して、「梅東風や届け世界にこの思ひ」や血に染むなドニエプルてふ春の川」をご覧下さい。

       

(2017.4.30)

与謝蕪村の俳句「薫風やともしたてかねついつくしま」が面白いと云うと、「何が面白いのだ」と不思議に思われる読者が多いでしょう。

 

この俳句は少なくとも4とおりの解釈が可能であるとチュヌの主人(薫風士)は考えています。 

  

正岡子規の「俳人蕪村」(青空文庫)には「薫風やともしたてかねつ(いつく)(しま)」とあり、この俳句の意味が直ぐにはわかりませんでしたが、翌朝ふと句意の解釈を思いつきました。

  

(解釈1)

「ともし」は「灯」であり、「かね」は「鐘」だろう、「薫風や灯し立て鐘つい突く島」である、と解釈できるのではないか? 

すなわち、「灯しを立てると鐘も突きたくなる宮島」を詠んだものであるという解釈です。

  

「ホットライン教育ひろしま」というサイトに次の記事があり、この解釈が可能であることが裏付けられました。

仏教では,その宗教的雰囲気を高めるための多くの鳴物が使用されるが,それら梵音具(ぼんおんぐ)と言われるものの中で最大の梵鐘に属するもので,天正15年(1587)に豊臣秀吉が,島津攻略の際に持ち返って,厳島神社に寄進したものと言われ,応永5年(1398)の銘がある。 

      

広辞苑(第6版)の「ともし②」に次の解説があります。

(「照射」と書く)猟人が夏・秋の夜、山中の木陰に篝をたき、または()(ぐし)松明(たいまつ)をともして闇の中の鹿の眼が光に反射して輝くのを目当てに、これを射たこと。また、その火。(季:夏)

  

(解釈2)

広辞苑の上記解説を「ともし」に当てはめ、「薫風や照射(ともし)立てかねつ(いつく)(しま)と読み、「鹿を射ちかねている」ことを詠んだ俳句であると解釈することも可能でしょう。

 

(解釈3)

「薫風や灯し立てかねつ厳島」と読むと、「薫風で灯を立てかねている」句意であると解釈することも可能でしょう。

 

(解釈4)

「かねつ」に「加熱」を当てはめ、「薫風や灯し立て加熱(かねつ)厳島」と読み、「灯火が沢山立って熱くなっている」ことを詠んだものであると解釈することも可能でしょう。

  

俳句では「中七」を字余りにすることは拙いとされていますが、蕪村は意図的に「ひらがな」の「字余り」の俳句にして、「掛詞」の俳句にしたものであると思います。 

       

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

    

2017年4月13日 (木)

バイリンガル俳句鑑賞 <花疲れ眠れる人に凭り眠る(高浜虚子)>

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4月8日は高浜虚子の命日「椿(ちん)寿忌(じゅき)」です。

日本気象協会の「桜開花情報」によると北海道東北地方北陸地方以外の都府県では満開です。

桜・花の俳句と写真を集めました(ここをクリックしてご覧下さい)。

(青色文字をクリックすると関連の記事がご覧になれます。)

ご覧の写真のようにチュヌの散歩道の桜も満開になりました。

この週末は雨模様でしたが、花見でお疲れの方も居られるでしょう。   

そこで、高浜虚子の掲句「花疲れ眠れる人に()り眠る」の英訳にチャレンジしてみます。

俳句の英訳をするにはその作者が句を詠んだ背景を考え、原句の句意を訳出する必要があります。俳句はその解釈を読者の想像にゆだねる特徴があります。日本語の情緒的な表現・ニュアンスを英語HAIKKUに訳出することは至難です。英語は論理的な構文が特徴ですから、俳句で省略される主語など、英語では省略することが出来ません。したがって、原句が詠まれた情景を考えて、省略された主語を補って英語のHAIKUにしなければなりません。

掲句の場合は少なくとも次の三通りの情景が考えられます

(A)  眠っている人に虚子がつい寄り掛かってうとうとした。

(B)  うとうと眠っている虚子に隣の人が寄り掛かってうとうとした。

(C) 互いに寄りかかってうとうとしている二人連れを虚子が見た。

虚子に寄り掛かったのはうら若い女性か、むさくるしい男か?

二人連れは若者か、老夫婦か、恋人同士か?

様々な情景が思い浮かびます。俳句鑑賞の楽しさ、面白さです。

     

俳句は「省略の文学」といわれますが、花疲れ眠れる人に()り眠る」も主語が省略されています。英語では主語の省略はできませんので、先ず(A)の俳句であると解釈して原句に近い英語Haikuに翻訳します。

hanazukare_

I dozed,

leaning against a person dozing

      

weblio英和和英辞典」によると、「花疲れ」は「tiredness after cherry blossom watching」と英訳されています。

この英訳を用いると説明的な散文になり、Haikuの面白さが損なわれますが、構文などを工夫して次のように英語Haikuにしてみます。

I dozed,

leaning against a person dozing_

fatigue from cherry-blossom viewing

  

HAIKUらしく簡潔に翻訳するには、季語「花疲れ」は「寿司」(sushi)や「すき焼き」(sukiyaki)などと同じく、季語は日本固有・俳句特有のものとしてそのままローマ字の「hanazukare」にせざるを得ませんね。

ちなみに、原句が「眠る」と現在形の表現ですから、上記の英訳の「dozed」を「doze」と現在形にすると、「花疲れをすると、・・・眠る」と習慣的行為を句に詠んだことになります。

     

ご参考までに、上記(B)(C)の解釈に準じ試訳してみます。

(B)

hanazukare_

I dozed,

someone dozed leaning against me.

     

(C)

hanazukare_

a man dozed,

a woman dozed leaning against him.

    

英語は同じ言葉の反復をきらいますが、上記の翻訳では原句の面白さを反映するために敢えて同じ単語を繰り返しています。なお、personやman、womanなどは実態に合わせて適切な名詞を入れ替えて俳諧味を出すとよいでしょう。

     

原句の句意と異なるかも知れませんが、花見時によく見かける車内の光景として次のように英語HAIKUを作ってみます。

hanazukare_

couples of people doze in a train,

leaning agaist each other

      

この「花疲れ」の俳句の最後は「眠る」と現在形ですから、花見の疲れという現象の一面の真理を詠んだものと解釈して次のように翻訳して見ます。

hanazukare_

people tend to doze

leaning against one another

       

興味のある方は「バイリンガル俳句・HAIKUを楽しむ <高浜虚子の俳句「春の山」>」もご覧下さい。

     

俳句をユネスコ世界無形文化遺産に登録する運動が

国際俳句交流協会などの俳句愛好者によって進められています。

チュヌの主人は言語の壁を破るチャレンジをして、

日英バイリンガル俳句を楽しみながら、

草の根運動の一助になればとの思いで、

俳句やエッセイなどのブログを書いています。

ご意見やコメントなど、投稿して頂けると有難いです。

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適宜公開させて頂きます。予めご了承ください。

2017年3月22日 (水)

俳句の創作的解釈《虚子の俳句「一つ根に離れ浮く葉や春の水」》

  

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Cimg2739冒頭の写真は日本伝統俳句協会の3月のカレンダーです。

掲句と石井柏亭のほのぼのとした絵の掛軸が「双福」で掲載されています。

  

先日ふと、この俳句は正岡子規と高浜虚子と河東碧梧桐の関係の比喩でないかという考えが浮かびました。「根」が正岡子規であり、「葉」は虚子と碧梧桐を差していると解釈したのです。

 

高浜虚子は「俳句の作りよう」の「(三)じっと眺め入ること」において、次のように述べています。

(青色文字をクリックすると、「俳句の作りよう」の全文や解説記事などがご覧になれます。写真はクリックすると拡大されます。)

    

「芭蕉の弟子のうちでも許六(きょりく)という人は配合に重きを置いた人で、題に執着しないで、何でも配合物を見出してきて、それをその題にくっつける、という説を主張していることは前章に述べた通りでありますが、それと全然反対なのは去来(きょらい)であります。去来は配合などには重きを置かず、ある題の趣に深く深く考え入って、執着に執着を重ねて、その題の意味の中核を捕えてこねばやまぬという句作法を取ったようであります。
 この後者の句作法の方をさらに二つに分けてみることができます。
その一は目で見る方で、じっと眺め入ることであります。その二は、心で考える方で、じっと案じ入ることであります。」

さらに、「『じっと眺め入る』ということもやがては『じっと案じ入る』ということに落ちて行くのであります。」と述べて、掲句「一つ根に離れ浮く葉や春の水」を詠んだ経緯を詳細に説明しながら約2600字を使って句作における「写生」とは何かを縷々説明しています。

掲句を上記のように比喩と考えるのは穿ち過ぎかもしれませんが、「人間も大自然の一部の存在である」ととらえ花鳥諷詠を唱導した虚子は無意識のうちにそういう比喩をしていたかも知れません。

さらにうがった創作的解釈をすると、「一つ根」は芭蕉を意味し、「葉」は去来許六を差していると解釈することもできます。

   

俳句をユネスコ世界無形文化遺産に登録する運動が松尾芭蕉正岡子規ゆかりの自治体や国際俳句協会などの俳句愛好者によって進められています

その草の根運動の一助になればとの思いで、チュヌの主人はブログを書き、読者のご意見・ご投稿をお待ちしています。

  

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

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2017年2月24日 (金)

俳句の解析・鑑賞《蕪村の「白梅」と虚子の「去年今年」》

      

しら梅に明る夜ばかりとなりにけり

  

この俳句は画家でもあった与謝蕪村ならではの辞世の句です。

  

(蕪村が大阪生まれであることを最近知りました。)

    

正岡子規は「俳人蕪村」において蕪村の俳句を高く評価していますが、掲句については言及していません。 

  

萩原朔太郎は「郷愁の詩人 与謝蕪村」(青空文庫)において詩人ならではできない句評をしています。

  

天明(てんめい)三年、蕪村臨終の直前に(えい)じた句で、彼の最後の絶筆となったものである。白々とした黎明(れいめい)の空気の中で、夢のように漂っている梅の気あいが感じられる。全体に縹渺(ひょうびょう)とした詩境であって、英国の詩人イエーツらが(ねら)ったいわゆる「象徴」の詩境とも、どこか共通のものが感じられる。しかしこうした句は、印象の直截鮮明を尊ぶ蕪村として、従来の句に見られなかった異例である。かつどこかスタイルがちがっており、句の心境にも芭蕉風の静寂な主観が隠見している。けだし晩年の蕪村は、この句によって(ひとつ)の新しい飛躍をしたのである。もしこれが最後の絶筆でなかったならば、更生の蕪村は別趣の風貌(ふうぼう)を帯びたか知れない。おそらく彼は、心境の静寂さにおいて芭蕉に近づき、全体としての芸術を、近代の象徴詩に近く発展させたか知れないのである。そしてこの臆測(おくそく)は、蕪村の俳句や長詩に見られる、その超時代的の珍しい新感覚――それは現代の新しい詩の精神にも共通している――を考え、一方にまた近代の浪漫(ろうまん)詩人や明治の新体詩人やが、後年に至って象徴的傾向の詩風に入った経過を考える時、少しも誇張の妄想でないことを知るであろう。」

    

この俳句を英訳するには省略されている「主体」となるべき言葉を補足して解釈する必要が生じます。

会話や散文で主語はよく省略されますが、この俳句においては、「自分には」とか「自分に残された夜は」など、主語が省略されていると思います。

 

このような分析的解釈をすると、蕪村が自分の気持ちをありのままに素直に詠んだ俳句であることがわかりますが、詩人や俳人の詩的感覚にどのように映るでしょうか? 

     

俳句の英訳に関心のある方のご参考までに、下記します。   

 

The Art of Haiku by Stephen Addissには蕪村の「しら梅」の俳句を次の通り翻訳しています。

 

among white plum blossoms

what remain is the night

about to break into dawn

  

上記の英訳は誤訳です。

「白梅に残っているものは明けようとしている夜ばかり」という意味になり、原句を誤訳しています。

  

次のように英訳すると、原句の真意を明瞭に伝える俳句らしい翻訳になります。

  

what remain to me_

the night dawning for

white plum-blossoms

 

又は

  

the night dawning for

white plum-blossoms_

that's all what remain to me

     

日本人が俳句を理解できても完全な英語に翻訳することは容易ではありませんが、チュヌの主人はバイリンガル俳句にチャレンジして楽しんでいます。

 

ちなみに、高浜虚子の代表作といわれる俳句「去年今年貫く棒の如きもの」においては主体となるべき語句「俳句に対する虚子の信念」が省略されていると解釈できます。

 

俳句の新解釈・鑑賞《去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)》をご参照下さい。 

     

(注1)「俳人蕪村」は下記URL参照。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000305/files/47985_41579.html

   

(注2)「郷愁の詩人 与謝蕪村」は下記URL参照。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/47566_44414.html

  

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

    

2017年2月11日 (土)

日英バイリンガル俳句を楽しむ <高浜虚子の俳句「去年今年」>

    

光陰矢の如し(Time flies.)、高浜虚子の生誕日(2月22日)が間近です。

そこで、虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の英訳にチャレンジします。

(青色文字をクリックすると関連の記事がご覧になれます。)

インターネットのhttp://terebess.hu/english/haiku/takahama.html

に「One Hundred and One Exceptional Haiku Poems by Kyoshi Takahama(虚子秀句百一選英訳)という記事があり、次英訳がありました

Something like a stick

That goes through

Last year and this year

上記の英訳は原句の一般的な解釈に従って翻訳したものです。

文字通りに日本語にすると、「去年今年を通じてゆく棒のようなもの」という意味のHAIKUです。日本語を知らない外国人がこの英訳HAIKUを読むと、意味不明の謎かけのように思い、高浜虚子の代表的名句だとは思はないでしょう。 

次のようにす英訳すると、原句に近くなるでしょう。 

kozokotoshi_

piercing

as if a stick

   

俳句の新解釈・鑑賞 <去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)>において考察したように、主語(主体)は省略されている、すなわち、「俳句に対する虚子の信念」が省略されている、「去年今年」は客体である、と解釈する場合は次のように意訳できます。 

 

my belief in HAIKU

pierces kozokotoshi through,

as if a stick pierces something

   

「去年今年」は文字通り英訳すると「last year this year」ですが、新年の季語としては不適切です。

「去年今年」は高浜虚子が季語として確立したと言われていますから、日本語のまま「kozokotoshi」で使う方がよいでしょう。

 

オバマ大統領も日米首脳会談の夕食会で次のような日本語をそのまま使っているHAIKUを披露しています。

俳句談義18:政治家と俳句 <俳句を通して世界の平和を!参照)

  

春緑 日米友好 和やかに

Spring, green and friendship

United States and Japan

Nagoyaka ni

  

今日は「建国記念の日」です。「『旗日』は死語か?『建国記念の日』の俳句を読んで思うこと」をご覧下さい。

安倍首相がトランプ大統領と会談し、一緒にゴルフもする予定とのことです。トランプ米国大統領に歓待されるのは大変結構なことですが、実を取られて日本が滅びるようなことになっては困りますね。トランプ氏はオバマさんのように俳句を詠むことはしないでしょうから、俳句は詠まなくても、しっかり会談して下さいね。

安倍総理大臣! よろしくお願いします!

ここまで書いたところで、「日米首脳会談で安倍首相は『罠』にハマった。 『マッドマン・セオリー』に騙される日本」という東洋経済ONLINE記事があった。下記URLをクリックしてご覧下さい。http://toyokeizai.net/articles/-/158128

      

     

2017年2月 3日 (金)

俳句の新解釈・鑑賞 《しら梅に明る夜ばかりとなりにけり(与謝蕪村)》

    

(2025.2.27 更新)

先立ちて枯れてしまひぬ垂れ梅

      (薫風士)

    

23225

2022年2月24日にプーチン大統領専制下のロシア軍がウクライナ侵攻を始め3年後も続き、沢山の犠牲者が亡くなっています。

   

時代錯誤の愚かな戦争は中止しなければなりません。

  

梅東風や届け世界にこの思ひhttp://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2022/03/post-4fd0.html)

を、皆さんがSNSでシェアして頂ければ幸いです。

  

梅咲いて庭中に青鮫が来ている

        (金子兜太)

       

与謝蕪村の辞世句として有名な掲句「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」について、新解釈をしてこの記事を書きました。 

   

外山滋比古氏は「省略の詩学―俳句のかたち」で「俳句は省略の文学である」「十人十色の受け取りができてこそ俳句はおもしろい。」と云っています。

(「俳句の新解釈・鑑賞《去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)》参照。) 

   

掲句の解釈として、学研全訳古語辞典には次の解説があります(Weblio参照)。

 

[訳] 冬も終わり、ほころび始めた白梅の花が闇(やみ)からしらじらと浮かび上がる夜明けを迎えるころとなった。

 

(鑑賞)蕪村の辞世の句。没したのは十二月であるが、蕪村の心はすでに初春の明け方を向いている。季語は「白梅」で、季は春。 

   

上記の解釈は、清水哲男氏が増殖する俳句歳時記」に於いて次のように評しているように、辞世句の解釈としては安易すぎます。

(但し、清水哲男氏は「『夜』を抜く気分で読むべきだろう」と述べていますが、蕪村のような優れた俳人が無駄な言葉を使って俳句を作っているとは考えられません。) 

   

天明三年(1783)十二月二十五日未明、蕪村臨終吟三句のうち最後の作。枕頭で門人の松村月渓が書きとめた。享年六十八歳・・・(中略)・・・

単純に字面を追えば「今日よりは白梅に明ける早春の日々となった」(暉峻康隆・岩波日本古典文學大系)と取れるが、安直に過ぎる。いかに芸達者な蕪村とはいえ、死に瀕した瀬戸際で、そんなに呑気なことを思うはずはない。暉峻解釈は「ばかり」を誤読している。

「ばかり」を「……だけ」ないしは「……のみ」と読むからであって、この場合は「明る(夜)ばかり」と「夜」を抜く気分で読むべきだろう。すなわち「間もなく白梅の美しい夜明けなのに……」という口惜しい感慨こそが、句の命なのだ。・・・(以下省略)・・・  

        

学研全訳古語辞典の解説は、「冬も終わり」などを補って解釈していますが、不適切ではないでしょうか?

   

蕪村は1784年1月17日に亡くなっています。

 

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この写真は、萩原朔太郎著「郷愁の詩人 与謝蕪村」の青空文庫の「白梅」の俳句についての解説の一部分です。

   

この辞世の俳句で省略された語句は、「冬も終わり」などということではなく、「自分に残された夜」とか「自分が生きている夜」とかという主体が省略されていると解釈すべきだと思います。

「明る夜ばかり」とは、「『明けない夜は無い』というが」とか、「四季の巡りに伴い様々な夜がこれからもあるだろうが、自分に残された夜は『白梅に明る夜』のみとなった」とか、「自分が生きている夜は『この白梅に明ける夜』のみになった」と、死が間近であることを詠んだものと解釈するのが至当でしょう。

  

蕪村が大阪生まれであることを最近しりましたが、蕪村は自分が浪速生まれであることを何故か公言しなかったようです。(『から檜葉』参照。)

   

・冬鶯むかし王維が垣根哉
・うぐひすや何ごそつかす藪の中
・しら梅に明る夜ばかりとなりにけり

  

上記の3句は、過去・現在・未来を順番に詠んだ俳句だと解釈できますが、「しら梅」の句は、死後の未来を詠んだ俳句であると解釈すると、「明けない夜は無い」というが、「自分の未来(死後)の世界は『夜ばかり』である」と詠んだことになります。  

  

蕪村の臨終3句や正岡子規の辞世句3句などを読むと、高浜虚子の辞世句「春の山屍を埋めて空しかり」は、「春の山屍を埋めて(むな)しかり」と、「春の山屍を埋めて(くう)しかり」と、掛詞として読むべきであるという思いを新たにしました。俳句談義(1)参照。)  

      

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事のタイトルが表示され、この「俳句HAIKU」をタップすると最新の全ての記事のタイトルが表示されます。

タイトルをタップしてその記事をご覧頂ければ幸いです。

  

2017年1月29日 (日)

俳句の新解釈・鑑賞 <去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)>

     

掲句について稲畑汀子さん(ホトトギス名誉主宰)は「虚子百句」において次のように述べています(抜粋)。

「この棒の、ぬっとした不気味なまでの実態感は一体どうしたことであろう。もしかすると虚子にも説明出来ず、ただとしかいいようがないのかも知れない。敢えて推測すれば、それは虚子自身かも知れないと私は思う。この句は鎌倉駅の構内にしばらく掲げられていたが、たまたまそれを見た川端康成は背骨を電流が流れたような衝撃を受けたと言っている。感動した川端の随筆によって、この句は一躍有名となった。」

  

川端康成は掲句のどの点に衝撃を受けたのでしょうか?

川端康成も一般的な解釈と同じように「棒」とは「時の流れ」の比喩であると解釈したのでしょうか?

 

虚子の俳句『去年今年貫く棒の如きもの』の棒とは何か?に於いて、チュヌの主人は「中立的な表現の俳句は鏡のように、読む人の心を映しだす。」と書きましたが、外山滋比古氏は「省略の詩学―俳句のかたち」(電子書籍)に於いて次のように述べています。

「一句の意味はひとつに限ると考えるのからして大きな誤解で、受け手によって句意は変わる。十人十色の受け取りができてこそ俳句はおもしろい。あいまいさは、作者に多くの諷意を許容し、受け手には自らの意味を生み出す喜びを与える。」

  

また、外山氏は高浜虚子の掲句「去年今年」について次の通り句評しています。

「措辞ははなはだ粗雑であるが、年のつらなりを棒にたとえるのは奇想である。人はその奇抜さに興ずるのであろう。名句の名をほしいままにしている。」

  

外山滋比古氏の「省略の詩学」は桑原武夫の「第二芸術論」の対極にあると言えます。俳句愛好家にとってありがたい著書です。しかし、措辞ははなはだ粗雑」という句評にいささか語弊があります。

外山氏は、「去年今年」を主語(主体)として捉えて句意を解釈しているから、「措辞が粗雑である」と考えたのでしょう。

「去年今年」を副詞として捉え、主語(主体)は省略されていると解釈すると、この批判は妥当でないことが理解できます。

日本語では主語がよく省略されます。外山氏の言にあるように、俳句は「省略の文学」です。この俳句で省略された主語(主体)は「虚子の花鳥諷詠の俳句に対する信念」であるといえるでしょう。

虚子は「春風や闘志抱きて丘に立つ」という俳句を39歳の時に作っています。この闘志を持ち続けていることを、「去年今年貫く棒の如きもの」と、77歳の時に詠んだものであると解釈するのが至当でしょう。すなわち、「自分の信念は去年とか今年とかいう時の区切りを突き抜く固いものであり、生きている限り変わらない」と言っているのでしょう。「時の流れ」は未来永劫に続くものですから、「棒」をその比喩と解釈することにはやや無理があり、虚子の真意では無いと思います。

   

ちなみに、主体が省略された虚子の俳句の一例として、次の俳句(河東碧梧桐への追悼句)が参考になります。

たとふれば独楽のはぢける如くなり

この句に於いては、たとえば、主語となるべき「虚子と碧梧桐の関係」が省略されています。

(「高浜虚子の100句を読む」(坊城俊樹)下記URL参照。)http://www.izbooks.co.jp/kyoshi81.html

       

インターネット歳時記には、「去年今年」の俳句が750句ほどあります

「去年今年」が副詞的に用いられている俳句が大多数ですが、ご参考までに下記に例句を若干抜粋します。

 

(副詞的に用いた例句)

・去年今年机上に積まれたるままに 

           (稲畑汀子)

・良きことも良からぬことも去年今年

              (今井千鶴子

・去年今年平和を祈る手でありぬ 

          (橘高絹子)

   

(「去年今年」を主体ないし客体として用いた例句) 

・聞き慣れし振子のつなぐ去年今年 

          鈴木美江

・何かある闇でつながる去年今年 

            (千坂美津恵)

   

次の俳句は虚子の掲句を意識して「去年今年」を主語として作ったものでしょうが、「去年今年」を副詞として解釈することも可能です。

・去年今年大河の如くありにけり 

            (竹下陶子)

   

ちなみに、稲畑廣太郎氏(ホトトギス主宰)の俳句に、虚子の掲句を意識して作った俳諧味のある句があります。

棒も又折れゆくものや去年今年

この俳句の「去年今年」は単なる季語の取り合わせですが、「棒」を「時の流れ」の比喩であると解釈すると、「棒が折れること」は「地球が破滅すること」を意味することになるでしょう。

トランプ米国新大統領の就任などで「世界終末時計が進められたというインターネット記事ありました。トランプ氏が米国新大統領として良識ある為政をすることを祈るばかりです。

  

2017年1月23日 (月)

初雪の俳句

  

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2017年1月16日、「日EU俳句交流大使」のファン・ロンパイ初代EU常任理事会議長(俗称EU大統領)を囲む夕食会に参加しました。

  

この夕食会は、ファン・ロンパイ氏のアジアコスモポリタン賞受賞の祝賀と俳句愛好家の交流のために開催され、盛会でした。

  

俳句愛好家の集まりなので正岡子規の号「獺祭書屋」に因んで乾杯の酒に「獺祭の発泡にごり酒スパークリング」があり、ファンロンパイ氏が挨拶で俳句の世界遺産登録への運動に協力すると賛意を表明され、盛り上がりました。

 

俳句愛好家が増えて俳句の世界遺産登録が実現すると嬉しいですね。

   

当日は我が手作りの庭も銀世界となり、愛犬「チュヌ」(サモエド犬)の天国になりました。

  

朝の散歩を済ませてから新幹線で上京し、夕食会までに時間の余裕があったので、皇居周辺を散歩しました。

  

そこで、当日の雪景色などの写真(クリックすると拡大します)や拙句を掲載します。

   

手作りの日本列島雪景色

初雪のサモエド犬の白さかな

雪の丘犬とサクサク小気味よく

初雪の車窓変幻「のぞみ」かな

雪の富士瞬時の対峙デジカメと

雪景色車窓の闇に消えにけり

        (薫風士

  

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「俳句は好き好き」と、駄句を口遊んで楽しんでいますが、拙句のみでは読者に申し訳ないので、インターネット歳時記「初雪」の俳句から、目についた句を抜粋・掲載させて頂きます。

 

詳細(約360句)は季語「初雪」(青色の下線文字)をクリックしてご覧下さい。

  

初雪1

初雪のそれより白き鷺の舞ふ 

       (小野ちゑ) 

  

初雪2

初雪の一瞬の富士見のがさず 

       (稲畑汀子) 

   

初雪3

初雪や水仙の葉のたわむまで  

         (芭蕉)

  

賀に参ず初雪の富士窓に嵌め 

       (稲畑廣太郎)

   

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

   

2016年9月22日 (木)

「敬老の日」「子規忌・糸瓜忌・獺祭忌」に思うこと

     

(2024.9.17 更新)

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2024年の「敬老の日」は、9月16日でした。

敬老会《俳句と写真》」をご覧下さい。

   

獺祭忌己が苦吟を句吟して

子規の忌や己がまんぽ句口遊む

口ずさむ平和の俳句獺祭忌

         薫風士

  

冒頭の俳句は、「苦吟」と「句吟」の同音異義語のダジャレ・ブログ用川柳擬きの拙句です。

 

最近は「詩吟」のみならず、「俳吟」も楽しんでいる句友がいます。

  

今日は「子規忌」なので、「上五」を「獺祭忌」にしましたが、「秋高し」とか「秋風や」とか、様々な季語を当て嵌めて「まんぽ俳句」に遊びながら、まず俳句のリズムを身につけるのが吟行俳句上達のコツです。

   

(2022.9.10 更新)    

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(写真)

日本伝統俳句協会9月のカレンダー

(後半の一部分)

   

 写真をタップ拡大して、掲載された俳句をご覧下さい。

   

2022年は「敬老の日」と「子規忌」が重なります。

著名俳人の『季重なり』俳句集」をご覧下さい。

(青色の文字をクリックすると、歳時記の例句や関連の解説記事などをご覧になれます。)       

          

(2016.9.22の記事)

9月19日は子規忌(「糸瓜忌」・「獺祭忌」)ですが、9月20日は「敬老の日」に当たります。

       

早世の子規を偲ぶや敬老日

   

駄句を口遊みながらインターネット歳時記(俳誌のsalon)の子規忌の俳句を検索すると、次の句が目に留まりました。

 

子規忌なりいまは美顏に使ふ水

       (中原道夫)

この俳句の水は糸瓜水のことでしょう。 

  

正岡子規は肺結核の喀血や脊椎カリエスの激痛に耐えて俳句の道に励んでいたが、次の三句を絶筆に、35歳の若さで亡くなりました。

 

糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな

痰一斗糸瓜の水も間に合はず

をととひのへちまの水も取らざりき 

当時、糸瓜の水は咳止めや痰を切るのに効き目があるとされ、特に十五夜に取った糸瓜の水は効果があるとされていたようです。「をととひのへちまの水もとらざりき」とはこの十五夜の糸瓜の水を取らなかったことを詠んでいることを最近知りました。

正岡子規自分の死の近いことを直感して「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」などの句を詠んだのではないでしょうか。この3句を詠んだ後に昏睡状態になり、亡くなったとのことです。

   

糸瓜忌や絶筆に知る句のこころ

凡人は長寿が頼り獺祭忌

         (薫風士

  

自分の死をも滑稽味のある俳句にする悲壮な覚悟を思うと、申し訳ないような気もしますが、凡才の駄句を口遊みながら、子規の凄さを偲んだ凡人の「敬老の日」でした。

    

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

  

2016年6月24日 (金)

HAIKU & Pictures (Trip to Turkey)

 

   

Imga0003_2   

トロイかな木馬上れば秋高し

Ah Troy!

a vew from the Trojan Horse_

high autumn sky

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Imga0010_2 

盛衰のトロイの地層秋の風 

autumnal wind_

along the strata showing 

Troy’s rise and fall

   

 Imga0002_2  

クルーズにイスタンブルの秋惜しむ 

cruising_

enjoying the autumn of

Istanbul

    

晩秋の暮れゆく海峡ボスポラス  

Ah Bosporus_

an evening

in late autumn

           

Imga0088_2 

絹の道あくまで真直ぐ秋高し

the Silk Road_

straight to the end,

the field under high autumn

    

Imga0090

秋灯のモスクの祈り古都包む

autumnal city lights_

the sound of prayer

from the mosque 

   

コーランの読誦殷殷古都晩秋

prayers of Koran

linger spreading deep_

Istanbul in late autumn

  

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Imga0041_2

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Imga0046_2  

Ephesus 

Imga0057_2

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Pamukkale

Imga0079_2

   

Imga0091_2       

Cappadocia         

気球飛ぶカッパドキアや秋の雲

balloons flying

over Cappadocia_

autumnal clouds

      

秋冷の気球遊覧奇岩群

views from my balloon

fantastic soaring rocks_

autumnal air  

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殉教の地下都市遺跡冷やかに

remains of martyrdom

in the old underground city_

cool in autumn

          

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

トップ欄か、この「俳句HAIKU」をタップすると、最新の全ての記事が掲示されます。

   

2015年12月30日 (水)

「初夢」の俳句

         

(2025.1.2 更新)

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冒頭の写真は、2024年に句友が知人から頂いた絵手紙の年賀状です。

 

2024年4月に岸田文雄首相が米国を公式訪問し、「日米同盟の深化を確認し、インド太平洋地域での協力を話し合う」とのことで、バイデン大統領主催の晩餐会には、ファンロンパイ日EU俳句交流大使(初代EU理事会議長)との俳句の交流や2014年のオバマ大統領来日の歓迎晩餐会などを念頭に、「俳句を通じて世界平和を!」の外交を推進してくれることを願っていましたが、その願いは叶わず、米国はトランプ政権に交代することになりました。

    

石破茂内閣の人気は当初から低迷していますが、お互いに足らずを補い、「柔剛を制す」の諺どおり、「単なるポチ」にならず、「偽りの無い」・「有りの儘の素顔」で「世界の人々の信」を得て、「日本の平和」・「世界平和」の為に尽力されることを願っています。

  

石破茂首相の「柿」の俳句「奈良の柿 郷(さと)にも浦にも 茂る秋」の「秋」は「かな」に変えた方が、ご自身のPR効果が増すのみならず、俳句として「季重なり」も解消されます。

  

「ぺんは剣より強し」なので、「まんぽ俳句」を口遊んで、ご自身の健康管理と表現力を磨いて頂きたいですね。

   

ワシントンの天へ初夢龍の如

「龍天に昇る」という春の季語を捩って、「天へ」「龍の如」としています。

  

初夢の平和の夢想現にも

(「夢想」は「むそう」、「現にも」は「うつつにも」、と読んで下さい。

            (薫風士)

  

関係の方々が「《初仕事・仕事始・出初》能登半島地震緊急支援にオスプレイを!」を読んで、俳句HAIKUの記事に込めた熱い思いを皆さんとシェアして頂ければ、うれしいです。

 

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この写真は、同期や俳句友達などから頂いた2024年の年賀状から龍の絵の部分を集めて撮ったものです。

    

   

初夢やシュライン通り句碑並木

           (薫風士)

  

芦屋から希望の丘へ、そして、ワシントンまで、松尾芭蕉や正岡子規、高浜虚子や金子兜太など、俳人所縁の各地から、花と平和の俳句の回廊が龍の如く、日本の初空を昇ることを夢見ています。

    

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「俳句HAIKU」の記事「初暦の俳句」をご参照下さい。

   

    

記事や例句の詳細は青色文字(タイトルや季語)をクリックしてご覧下さい。

          

(2015.12.30の記事)

インターネットの歳時記の「初夢」から各ページの冒頭の俳句を掲載させて頂きます。

  

初夢1 

初夢に古郷を見て涙哉

          (一茶

  

初夢2

初夢に海鵜きたりて泣きじやくる  

        (高島茂)

   

初夢3

初夢の淫らと云ふほどには非ず  

        (竹内睦夫)  

   

初夢に母現れし八十路かな

法王のオバマ訪問夢始め

初夢や夢の中にも夢想して

       木下さとし

   

世界の有力な政治指導者や宗教指導者が一堂に会して、宗教や人種の違い・覇権争いなどから生ずる戦争を防止する根本的な解決を協議して呉れないか!?!」と夢想しています。

   

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧になれます。

       

2015年12月 9日 (水)

「12月・師走」の俳句集

            

(2024.12.27 更新)

20241205_054826_2

冒頭の写真は、2024年12月5日午前5時55分現在の俳句HAIKU へのアクセスですが、累計数「1,219,373」や1日当たりの平均値「307.30」など、数字が対称的に面白く並んでいます。

  

芭蕉や一茶の俳諧の世界・元禄文化などもよいが、現代に生きる者としては現代の俳句を作り、平成文化・令和の平和をエンジョイしたいものです。

  

除夜・除夜の鐘》をご覧下さい。

  

(P.S. 2022.12.8)

12月の8日や9日は何の日か、思い返してみませんか?

  

「太平洋戦争開戦の日」や「漱石忌」です。

  

(青色文字のタイトルをクリックすると俳句や解説記事がご覧になれます。)

  

歳時記(俳誌のサロン)の「季語別俳句集12月」はここをクリックしてご覧になれます

     

(2015.12.9の記事)    

「光陰矢の如し」今年(2015年)も12月、「師走」「極月」です。

フランスに限らず、テロ対策で欧米は慌しい動きを見せています。

 

無事に年が暮れることを祈りつつ、平和の俳句を広めたいという思いで、このブログを書いています。 

       

インターネットの歳時記の「師走」の冒頭の句を抜粋・掲載させて頂きます。

    

師走1

水仙にたまる師走の埃かな

          几董

  

師走2

仕事場に泊り込みたる師走かな

      森川暁水

  

師走3

女を見連れの男を見て師走

         高浜虚子

  

師走4

市に入りてしばし心を師走かな

           素堂

   

上記の虚子の俳句「女を見」について、「増殖する歳時記」において清水哲男氏が尤もな批評をしています。

「師走の特性を街にとらえて、実にユニーク。ユニークにして、かつ平凡なる詠み振り。でも、作ってみろと言われたら、たいていの人は作れまい。少なくとも私には、逆立ちしても無理である。最大の讃め言葉としては、「偉大なる凡句」とでも言うしかないような気がする」

  

「12月8日」を詠んだ句が沢山ありますが、太平洋戦争を想起させる俳句が殆ど無いのは、戦争を知らぬ世代の句が多くなったということでしょうか。 

 

一部を次に抜粋・掲載させて頂きます。

  

十二月八日起立する肢が見ゆ  

         (高島茂)

  

十二月八日と気づく朝かな  

        (稲畑汀子)

   

十二月八日戦争を知らぬ子と  

       (小林のり人)

  

十二月八日の海を見てゐたり  

       (石田きよし)

  

十二月八日の夜の長湯かな  

         (青山丈)

  

十二月八日の兄弟喧嘩かな  

       (土井田晩聖)

   

十二月八日を言ひて疎まるる

        (森田尚宏)

  

十二月八日うつすらと覚えてゐる

        (竹内弘子)

                 

俳誌のサロン」というサイトには「歳時記」も掲載されているので、上記の「師走」や「12月」などに限らず、「数へ日」「年の暮」「年惜しむ」「年用意」など季語別に無数の俳句を見ることが出来ます。

また、色々な俳誌の「触り」の部分などを見ることが出来、俳句愛好者には便利なサイトです。

   

正岡子規の「師走」の俳句を検索したところ、「WebM旅」というサイト「子規俳句 季語・季題検索 冬 時候 師走」に、「いそがしく時計の動く師走哉」など沢山の句がリストされていました。

           

芭蕉俳句全集(季題別)」には次の句があります。

 

かくれけり師走の海のかいつぶり

節季候の来れば風雅も師走哉

旅寝よし宿は師走の夕月夜

雪と雪今宵師走の名月か

      

最後に拙句を掲載します。

朝刊の折り込みの嵩師走かな

  

平和を維持するための思いを綴った「政治談議」なども、お暇があれば、ご覧下さい。

                    

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2015年9月20日 (日)

伊賀上野・草津(吟行句)

             

チュヌの主人が芭蕉ゆかりの伊賀上野草津俳句仲間と行したときの仲間の俳句を掲載します(順不同)。

(青色の文字をクリックして関連のサイトの解説記事や歳時記、写真などをご覧下さい。)

      

道灌てふふるまひ酒や秋うらら  

        (文子)

 

木の根張る鍵屋の辻高音  

       (順子)

 

枯蓮の影に触れたり蓑虫庵 

         (寧伸)

 

警報のやうに咲き出す曼珠沙華 

        (美娜)

  

松手入れ庭師の指の細やかに 

        (美津子)

 

身に入むや墨跡残す吉良浅野 

         (知子)

 

木犀や蛙の句碑に日の斑揺れ 

        (眞知子)

  

道灌蔵の試飲あれこれ豊の秋 

        (律子)

  

伊賀の里鈴なりの柿輝けり 

         (栄治)

  

天高し跳ねる上野城 

         (かず)

  

通り土間へ秋の明かりや無双窓 

        (良子)

 

小鳥来るやっぽんぽんてふ甲賀の湯

        (さとし)

    

次回は「小鳥来る」「鳥渡るなど、小鳥」の季語にかかわる俳句について書くことにしたい。

 

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2015年8月26日 (水)

俳句談議(通読版)

「俳句談議」を遡って、(18)~(1)を通読出来るようにまとめました。

青色文字(タイトル)をクリックして、リンクされた記事をご覧下さい。

          

俳句談義(18政治家と俳句俳句を通して世界の平和を

  

俳句談義(17)高浜虚子の俳句「敵といふもの」の「敵」とは何か? 

                

俳句談義(16「こどもの日」と「母の日」に思うこと

   

俳句談義(15「昭和の日」「憲法記念日」と俳句

  

俳句談義(14俳句の片言性と二面性

  

俳句談義(13《「花」と「鼻」》高浜虚子と芥川龍之介 

  

俳句談義(12「椿寿忌」の俳句と高浜虚子

  

俳句談義(11「甘納豆」と「おでん」と「俳句」 

            

俳句談義(10高浜虚子の「雛」の句を鑑賞する 

      

俳句談義(9「雛祭り」の俳句を集めました 

          

俳句談義(8

高浜虚子の句「初蝶来何色と問ふ黄と答ふ」:《対話の相手は誰か?》 

   

俳句談義(7

高浜虚子の句 「爛々と昼の星見え菌生え」の「星」とは何か?(続編)

          

俳句談義(6

高浜虚子の句「爛々と昼の星見え菌生え」の「星」や「(きのこ)」とは何か?

  

俳句談義(5)戦時中の高浜虚子・文芸家としての良心 

  

俳句談義(4)虚子の俳句「大寒の埃の如く人死ぬる」について考える

  

俳句談義(3)虚子の句「初空や」の新解釈、大悪人は誰か?

  

俳句談義(2)虚子辞世句の新解釈  

  

俳句談義(1)虚子辞世句の解釈    

      

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2015年6月 8日 (月)

石清水八幡宮と松花堂庭園(京都の旅)

 

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2015年6月に京都の石清水八幡宮と松花堂庭園を吟行した仲間の俳句と写真を披露します。

   

(写真:律子さん撮影)

     

写真はクリックすると拡大されます。

   

青色文字をクリックすると解説記事がご覧になれます。

  

解説記事は「戻る」操作ができる場合は、「戻る」で閉じて下さい。

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元気な仲間は男山の展望台まで行きました。

  

生憎の夏霞や竹藪などに邪魔をされ三川合流のスポットは見ることが出来ませんでした。 

  

松花堂庭園には亀甲竹四方竹など珍しい竹が色々ありました。

吉兆松花堂弁当で昼食を済ませて、すぐに句会をしました。

    

(仲間の俳句)

(平成27年6月2日吟行)

(順不同)

    

江戸硝子に揺るる日の斑夏座敷   

       (知子)

  

朝涼の吾が影揺らぐ江戸硝子    

       (順子)

 

竹皮を脱ぐ草庵の静けさに      

       (美娜)

  

万緑に映ゆ朱の社殿石清水      

       (栄治)

  

竹落葉乗せ親しげに鯉寄れり     

       (文子)

  

ご神木に力瘤あり青葉風       

       (寧伸)

  

泳ぐあさざの黄色震はせて     

      (眞知子)

  

生まれながらに亀甲模様今年竹    

       (かず)

 

エジソン碑の空に戦ぎし今年竹    

       (美娜)

 

篠の子のけなげに天を目指しをり   

        (良子)

  

三川の合流隠す今年竹        

       (さとし)

 

梔子の香を運びくる風白し      

        (輝雄)

  

水琴窟のゆかしき音色夏の園     

        (律子)

  

まのあたりに巣立ち楠大樹    

  (美津子・欠席投句)

    

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俳句談義(14): 俳句の片言性と二面性(改訂版)

     

先日、川柳仲間に「ゴルフコンペに参加しないか」と問い合わせたところ、返信メールに次の文言があった。

      

ところで、東京新聞の『平和の俳句』に投句したところ記者が選ぶ特集記事の中に選句された。

   

『焼け跡に金魚一匹生き残る』

  

今まで6-7千句の投句があったようです。

 

金子兜太が選をして毎日1句記載される。記載されなかった句の中から、何人かの記者が数十句を選び編集して毎月1回特集している。

     

「たいしたものではありません。ご放念ください。」とあったが、このブログで取り上げさせて頂くことにした。   

(青色文字をクリックして解説記事・詳細をご覧下さい。)

      

「焼け跡」まで読んだ一瞬、阪神淡路大震災のことかと思ったが、「金魚夏の季語である。

この句は、1945年7月4日未明に高知市が被災した大空襲のことを詠んだ句らしい。

友人の家は全焼し、屋外の水槽に金魚が一匹生きていた。そのことを思いだして詠んだとのことである。

 

高知の大空襲では120機のB-29が高知市上空に飛来し、死者401人、罹災家屋約12,000戸だったが、東京の大空襲の罹災者は100万人を超え、死者は10万人を超えている。

  

三橋敏雄は次の俳句を作っている(出典:「坊城俊樹の空飛ぶ俳句教室」)。

  

いっせいに柱の燃ゆる都かな 

       (昭和20年)

   

戦争と畳の上の団扇かな 

       (昭和57年)

  

前の句では、三橋敏雄は大空襲の悲惨さを感じないかのように淡々と詠んでいる。「悲惨さ」の感情でなく「悲惨な事実」のみを詠むことを良しとしたのだろうか?

 

後の俳句は、「戦争」と「畳の上の団扇」を並べ詠むことによって、「戦争のない幸せ」を表現したものだろう。

 

「団扇」は「日常的な平穏さ」を連想させる。

「畳の上」は「畳の上で死ぬ」という言葉通りの「平穏な死」と「戦争による無惨な死」の対比を連想させる。

 

前の句は、無季俳句であるが、大空襲は自然現象・季節と無関係な人災であるから無季俳句にするのも当然だろう。

  

インターネット・サイト「戦後70年『平和の俳句』」のトップに次の俳句が掲載されていた。

  

蒸され濠(ごう)水一口に息絶えし

    

「埼玉新聞」のサイトに、「九条守れの俳句掲載拒否 俳人・金子兜太さん『文化的に貧しい』」という見出で、次の記事があった(抜粋)

  

梅雨空に『九条守れ』の女性デモ

  

さいたま市大宮区の三橋公民館が発行する公民館だよりに、俳句「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の掲載を拒否した問題について、熊谷市在住の現代俳句を代表する俳人金子兜太さん(94)に聞いた。

金子さんは「この社会に生きている人間を詠んだ当たり前の俳句を、お役人が拡大解釈した実に野暮(やぼ)で文化的に貧しい話」と語った。

句は公民館だよりに掲載するため、公民館で活動しているサークルが選んだ。市側は「世論を二分されているテーマが詠まれている」などとして、掲載を拒否した。

   

この句は兜太さんが言うように「作者はデモには好意を持ったが、熱く共感したわけではない」のかもしれない。

 

「梅雨もうっとうしいが、デモも不愉快だ」と解釈出来ないこともない。

 

「公民館だより」が上記の句を掲載しなかった背景・経緯の詳細は知らないが、「この句一句のみを掲載することの要請」が拒否されたということなら公民館関係者の配慮も理解できる。

 

複数の俳句を載せる場合にこの句の掲載のみが拒否されたのなら問題にすべきことかもしれないが、俳句は片言の域を出ず、読者の好き好きの解釈が出来るので、一句だけ載せることは読者の誤解を招くことにもなりかねないから配慮が必要である。

 

一般に、新聞などで俳句の欄を設ける場合には選者を複数にするとか、交代にするとかの配慮をしている。   

問題の対象になった句は「平和の俳句」として選者が毎日一句だけ選んでいる一つのようである。

 

この特集に関連して、「東京新聞」のWEBサイトに「戦前の空気に抗って」というタイトルの金子兜太・いとうせいこう両氏の対談記事があった。     

    

俳句本来の話題に戻る。

  

たとふれば独楽のはぢける如くなり

 

河東碧梧桐の死に高浜虚子が詠んだ弔句であるが、片言といえないこともない。

 

文字通りの意味は分かるが、虚子と碧梧桐の関係を知らなければ、その背景にある句意は全く分からない。

 

「竹馬の友」とか「刎頸の友」とかいう言葉があるが、虚子や碧梧桐のことを知って初めて「名句だな」と納得できる。  

 

坊城俊樹氏の「高浜虚子の100句を読むを読むと、この句の背景などもよくわかる。    

     

赤い椿白い椿と落ちにけり 

       (河東碧梧桐

  

椿が好きだった虚子の命日は「椿寿忌」といわれるが、この句は「門人達が虚子から去っていくことを比喩的に詠んだものでないか?」と、ふと思ったが、それは穿ち過ぎで全く関係がない。

         

愕然として昼寝覚めたる一人かな 

      (碧梧桐)

    

昼寝する我と逆さに蝿叩 

         (虚子)

  

夜半亭のブログに面白い記事がある(抜粋)

      

「掲出の虚子の句、『昼寝する我と逆さに蝿叩』と何とも人を食ったような句であるが、この『蠅叩』を、碧梧桐に置き換えて見ると面白い。『昼寝をしようと決め込んだら、蠅叩きが逆さ向きで気にかかる。それは丁度反対の方に行こうとする碧梧桐のようで、昼寝どころでなくなった。俳句は少々休んで小説の方と思ったが、碧梧桐流の俳句のやり方には我慢できないので、その向きを変えようと、その蠅叩の向きを変えて、碧梧桐一派の蠅共も叩きつぶしてやる』というように詠めなくもない。

むろん、この句はそんなことは意図はしていないが、こと俳句に関しては、「新傾向俳句の革新派」碧梧桐に対して「伝統俳句の守旧派」虚子という図式化にすると、何とも面白い詠みもあるのではないかということである。」

   

高浜虚子と河東碧梧桐との句風の違いが面白い。     

     

「虚子は自分が日本文学報国会の俳句部会長として戦争を賛美することなく花鳥諷詠の文学を堅持し、時代の流れに掉さすことも、流されることもなく、文芸家・俳人としての良心を貫いたのだと思う。」と俳句談義(5)」に書いたが、虚子は俳句の片言性を認識していたからこそ戦争俳句を良しとしなかったに違いない。

 

俳句談義(4)で述べたように、俳句には滑稽句ともシリアスな句とも解釈できる二面性のあるものが多い。

 

俳句は句材について考えるきっかけを作ることは出来ても、何か思想的な内容を表現するには片言過ぎる。

イデオロギーや政治的な主張など内容の深いものは散文で明確に表現するのが望ましい。

       

次回は「昭和の日」(4月29日)に因んだ俳句談義を書きたい。  

          

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