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2017年2月 3日 (金)

俳句の新解釈・鑑賞 <しら梅に明る夜ばかりとなりにけり(与謝蕪村)>

    

今回は与謝蕪村の辞世句として有名な掲句「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」の解釈について考えます。 

外山滋比古氏は「省略の詩学―俳句のかたち」で「俳句は省略の文学である」「十人十色の受け取りができてこそ俳句はおもしろい。」と云っています。

俳句の新解釈・鑑賞 <去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)>」参照。)    

掲句の解釈として、学研全訳古語辞典には次の解説があります(Weblio参照)。

[訳] 冬も終わり、ほころび始めた白梅の花が闇(やみ)からしらじらと浮かび上がる夜明けを迎えるころとなった。

(鑑賞)蕪村の辞世の句。没したのは十二月であるが、蕪村の心はすでに初春の明け方を向いている。季語は「白梅」で、季は春。  

上記の解釈は、清水哲男氏が増殖する俳句歳時記」に於いて次のように評しているように、辞世句の解釈としては安易すぎます。   

天明三年(1783)十二月二十五日未明、蕪村臨終吟三句のうち最後の作。枕頭で門人の松村月渓が書きとめた。享年六十八歳・・・(中略)・・・

単純に字面を追えば「今日よりは白梅に明ける早春の日々となった」(暉峻康隆・岩波日本古典文學大系)と取れるが、安直に過ぎる。いかに芸達者な蕪村とはいえ、死に瀕した瀬戸際で、そんなに呑気なことを思うはずはない。暉峻解釈は「ばかり」を誤読している。

「ばかり」を「……だけ」ないしは「……のみ」と読むからであって、この場合は「明る(夜)ばかり」と「夜」を抜く気分で読むべきだろう。すなわち「間もなく白梅の美しい夜明けなのに……」という口惜しい感慨こそが、句の命なのだ。・・・(以下省略)・・・   

清水哲男氏は「『夜』を抜く気分で読むべきだろう」と述べていますが、蕪村のような優れた俳人が無駄な言葉を使って俳句を作っているとは考えられません。   

学研全訳古語辞典の解説では「冬も終わり」などを補って解釈していますが、不適切ではないでしょうか?

蕪村は1784年1月17日に亡くなっています。この辞世の俳句で省略された語句は、「冬も終わり」などということではなく、「自分に残された夜」とか「自分が生きている夜」とかという主体が省略されていると解釈すべきだと思います。

「明る夜ばかり」とは、「四季の巡りに伴い様々な夜がこれからもあるだろうが、自分に残された夜は『白梅に明る夜』のみとなった」、「自分が生きている夜は『この白梅に明ける夜』のみになった」と、死が間近であることを詠んだものと解釈するのが至当でしょう。

ちなみに、「夜半亭(YAHANTEI)のブログ・回想の蕪村」には、蕪村のいくつかの俳句や句評が掲載されています。ご参考までに、臨終3句を下記に抜粋させて頂きます。

・冬鶯むかし王維が垣根哉(『から檜葉』臨終三句の第一句・天明三年)
・うぐひすや何ごそつかす藪の中(『から檜葉』臨終三句の第二句・天明三年)
・しら梅に明る夜ばかりとなりにけり(『から檜葉』臨終三句の絶吟・天明三年)

上記の臨終3句は、過去・現在・未来を順番に詠んだ俳句だと解釈できます。「しら梅」の句は未来を詠んだ俳句であると解釈すると、「自分の未来(死後)の世界は『夜ばかり』である」と詠んだことになります。この解釈は穿ちすぎでしょうね。    

蕪村の臨終3句や正岡子規の辞世句3句などを読むと、高浜虚子の辞世句「春の山屍を埋めて空しかり」は、「春の山屍を埋めて(むな)しかり」ではなく、「春の山屍を埋めて(くう)しかり」と読むべきであるという思いを新たにしました。俳句談義(1)参照。)   

  

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The Art of Haiku by Stephen Addissには
蕪村の俳句「しら梅」の次の翻訳があります。
among white plum blossoms
what remain is the night
about to break into dawn
この翻訳を文字通りに和訳すると次の通りです。
「白梅に残っているものは明けようとしている夜ばかり」
上記の英訳は原句の句意を誤解しています。
what remain is the night
about to break into dawn
among white plum blossoms
が原句の意味に近い英訳でしょう。
「自分に残された」という省略語句「to me」を補い
次の通り英訳をすると原句の真意が明瞭になります。
what remain to me_
the night about to break into dawn
among white plum blossoms

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