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2017年3月22日 (水)

俳句の創作的解釈《虚子の俳句「一つ根に離れ浮く葉や春の水」》

  

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Cimg2739冒頭の写真は日本伝統俳句協会の3月のカレンダーです。

掲句と石井柏亭のほのぼのとした絵の掛軸が「双福」で掲載されています。

  

先日ふと、この俳句は正岡子規と高浜虚子と河東碧梧桐の関係の比喩でないかという考えが浮かびました。「根」が正岡子規であり、「葉」は虚子と碧梧桐を差していると解釈したのです。

 

高浜虚子は「俳句の作りよう」の「(三)じっと眺め入ること」において、次のように述べています。

(青色文字をクリックすると、「俳句の作りよう」の全文や解説記事などがご覧になれます。写真はクリックすると拡大されます。)

    

「芭蕉の弟子のうちでも許六(きょりく)という人は配合に重きを置いた人で、題に執着しないで、何でも配合物を見出してきて、それをその題にくっつける、という説を主張していることは前章に述べた通りでありますが、それと全然反対なのは去来(きょらい)であります。去来は配合などには重きを置かず、ある題の趣に深く深く考え入って、執着に執着を重ねて、その題の意味の中核を捕えてこねばやまぬという句作法を取ったようであります。
 この後者の句作法の方をさらに二つに分けてみることができます。
その一は目で見る方で、じっと眺め入ることであります。その二は、心で考える方で、じっと案じ入ることであります。」

さらに、「『じっと眺め入る』ということもやがては『じっと案じ入る』ということに落ちて行くのであります。」と述べて、掲句「一つ根に離れ浮く葉や春の水」を詠んだ経緯を詳細に説明しながら約2600字を使って句作における「写生」とは何かを縷々説明しています。

掲句を上記のように比喩と考えるのは穿ち過ぎかもしれませんが、「人間も大自然の一部の存在である」ととらえ花鳥諷詠を唱導した虚子は無意識のうちにそういう比喩をしていたかも知れません。

さらにうがった創作的解釈をすると、「一つ根」は芭蕉を意味し、「葉」は去来許六を差していると解釈することもできます。

   

俳句をユネスコ世界無形文化遺産に登録する運動が松尾芭蕉正岡子規ゆかりの自治体や国際俳句協会などの俳句愛好者によって進められています

その草の根運動の一助になればとの思いで、チュヌの主人はブログを書き、読者のご意見・ご投稿をお待ちしています。

  

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

トップ欄か、この「俳句HAIKU」をタップすると、最新の全ての記事が掲示されます。

   

2017年2月24日 (金)

俳句の解析・鑑賞《蕪村の「白梅」と虚子の「去年今年」》

      

しら梅に明る夜ばかりとなりにけり

  

この俳句は画家でもあった与謝蕪村ならではの辞世の句です。

  

(蕪村が大阪生まれであることを最近知りました。)

    

正岡子規は「俳人蕪村」において蕪村の俳句を高く評価していますが、掲句については言及していません。 

  

萩原朔太郎は「郷愁の詩人 与謝蕪村」(青空文庫)において詩人ならではできない句評をしています。

  

天明(てんめい)三年、蕪村臨終の直前に(えい)じた句で、彼の最後の絶筆となったものである。白々とした黎明(れいめい)の空気の中で、夢のように漂っている梅の気あいが感じられる。全体に縹渺(ひょうびょう)とした詩境であって、英国の詩人イエーツらが(ねら)ったいわゆる「象徴」の詩境とも、どこか共通のものが感じられる。しかしこうした句は、印象の直截鮮明を尊ぶ蕪村として、従来の句に見られなかった異例である。かつどこかスタイルがちがっており、句の心境にも芭蕉風の静寂な主観が隠見している。けだし晩年の蕪村は、この句によって(ひとつ)の新しい飛躍をしたのである。もしこれが最後の絶筆でなかったならば、更生の蕪村は別趣の風貌(ふうぼう)を帯びたか知れない。おそらく彼は、心境の静寂さにおいて芭蕉に近づき、全体としての芸術を、近代の象徴詩に近く発展させたか知れないのである。そしてこの臆測(おくそく)は、蕪村の俳句や長詩に見られる、その超時代的の珍しい新感覚――それは現代の新しい詩の精神にも共通している――を考え、一方にまた近代の浪漫(ろうまん)詩人や明治の新体詩人やが、後年に至って象徴的傾向の詩風に入った経過を考える時、少しも誇張の妄想でないことを知るであろう。」

    

この俳句を英訳するには省略されている「主体」となるべき言葉を補足して解釈する必要が生じます。

会話や散文で主語はよく省略されますが、この俳句においては、「自分には」とか「自分に残された夜は」など、主語が省略されていると思います。

 

このような分析的解釈をすると、蕪村が自分の気持ちをありのままに素直に詠んだ俳句であることがわかりますが、詩人や俳人の詩的感覚にどのように映るでしょうか? 

     

俳句の英訳に関心のある方のご参考までに、下記します。   

 

The Art of Haiku by Stephen Addissには蕪村の「しら梅」の俳句を次の通り翻訳しています。

 

among white plum blossoms

what remain is the night

about to break into dawn

  

上記の英訳は誤訳です。

「白梅に残っているものは明けようとしている夜ばかり」という意味になり、原句を誤訳しています。

  

次のように英訳すると、原句の真意を明瞭に伝える俳句らしい翻訳になります。

  

what remain to me_

the night dawning for

white plum-blossoms

 

又は

  

the night dawning for

white plum-blossoms_

that's all what remain to me

     

日本人が俳句を理解できても完全な英語に翻訳することは容易ではありませんが、チュヌの主人はバイリンガル俳句にチャレンジして楽しんでいます。

 

ちなみに、高浜虚子の代表作といわれる俳句「去年今年貫く棒の如きもの」においては主体となるべき語句「俳句に対する虚子の信念」が省略されていると解釈できます。

 

俳句の新解釈・鑑賞《去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)》をご参照下さい。 

     

(注1)「俳人蕪村」は下記URL参照。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000305/files/47985_41579.html

   

(注2)「郷愁の詩人 与謝蕪村」は下記URL参照。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/47566_44414.html

  

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

    

2017年2月11日 (土)

日英バイリンガル俳句を楽しむ <高浜虚子の俳句「去年今年」>

    

光陰矢の如し(Time flies.)、高浜虚子の生誕日(2月22日)が間近です。

そこで、虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の英訳にチャレンジします。

(青色文字をクリックすると関連の記事がご覧になれます。)

インターネットのhttp://terebess.hu/english/haiku/takahama.html

に「One Hundred and One Exceptional Haiku Poems by Kyoshi Takahama(虚子秀句百一選英訳)という記事があり、次英訳がありました

Something like a stick

That goes through

Last year and this year

上記の英訳は原句の一般的な解釈に従って翻訳したものです。

文字通りに日本語にすると、「去年今年を通じてゆく棒のようなもの」という意味のHAIKUです。日本語を知らない外国人がこの英訳HAIKUを読むと、意味不明の謎かけのように思い、高浜虚子の代表的名句だとは思はないでしょう。 

次のようにす英訳すると、原句に近くなるでしょう。 

kozokotoshi_

piercing

as if a stick

   

俳句の新解釈・鑑賞 <去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)>において考察したように、主語(主体)は省略されている、すなわち、「俳句に対する虚子の信念」が省略されている、「去年今年」は客体である、と解釈する場合は次のように意訳できます。 

 

my belief in HAIKU

pierces kozokotoshi through,

as if a stick pierces something

   

「去年今年」は文字通り英訳すると「last year this year」ですが、新年の季語としては不適切です。

「去年今年」は高浜虚子が季語として確立したと言われていますから、日本語のまま「kozokotoshi」で使う方がよいでしょう。

 

オバマ大統領も日米首脳会談の夕食会で次のような日本語をそのまま使っているHAIKUを披露しています。

俳句談義18:政治家と俳句 <俳句を通して世界の平和を!参照)

  

春緑 日米友好 和やかに

Spring, green and friendship

United States and Japan

Nagoyaka ni

  

今日は「建国記念の日」です。「『旗日』は死語か?『建国記念の日』の俳句を読んで思うこと」をご覧下さい。

安倍首相がトランプ大統領と会談し、一緒にゴルフもする予定とのことです。トランプ米国大統領に歓待されるのは大変結構なことですが、実を取られて日本が滅びるようなことになっては困りますね。トランプ氏はオバマさんのように俳句を詠むことはしないでしょうから、俳句は詠まなくても、しっかり会談して下さいね。

安倍総理大臣! よろしくお願いします!

ここまで書いたところで、「日米首脳会談で安倍首相は『罠』にハマった。 『マッドマン・セオリー』に騙される日本」という東洋経済ONLINE記事があった。下記URLをクリックしてご覧下さい。http://toyokeizai.net/articles/-/158128

      

     

2017年2月 3日 (金)

俳句の新解釈・鑑賞 《しら梅に明る夜ばかりとなりにけり(与謝蕪村)》

    

(2025.2.27 更新)

先立ちて枯れてしまひぬ垂れ梅

      (薫風士)

    

23225

2022年2月24日にプーチン大統領専制下のロシア軍がウクライナ侵攻を始め3年後も続き、沢山の犠牲者が亡くなっています。

   

時代錯誤の愚かな戦争は中止しなければなりません。

  

梅東風や届け世界にこの思ひhttp://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2022/03/post-4fd0.html)

を、皆さんがSNSでシェアして頂ければ幸いです。

  

梅咲いて庭中に青鮫が来ている

        (金子兜太)

       

与謝蕪村の辞世句として有名な掲句「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」について、新解釈をしてこの記事を書きました。 

   

外山滋比古氏は「省略の詩学―俳句のかたち」で「俳句は省略の文学である」「十人十色の受け取りができてこそ俳句はおもしろい。」と云っています。

(「俳句の新解釈・鑑賞《去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)》参照。) 

   

掲句の解釈として、学研全訳古語辞典には次の解説があります(Weblio参照)。

 

[訳] 冬も終わり、ほころび始めた白梅の花が闇(やみ)からしらじらと浮かび上がる夜明けを迎えるころとなった。

 

(鑑賞)蕪村の辞世の句。没したのは十二月であるが、蕪村の心はすでに初春の明け方を向いている。季語は「白梅」で、季は春。 

   

上記の解釈は、清水哲男氏が増殖する俳句歳時記」に於いて次のように評しているように、辞世句の解釈としては安易すぎます。

(但し、清水哲男氏は「『夜』を抜く気分で読むべきだろう」と述べていますが、蕪村のような優れた俳人が無駄な言葉を使って俳句を作っているとは考えられません。) 

   

天明三年(1783)十二月二十五日未明、蕪村臨終吟三句のうち最後の作。枕頭で門人の松村月渓が書きとめた。享年六十八歳・・・(中略)・・・

単純に字面を追えば「今日よりは白梅に明ける早春の日々となった」(暉峻康隆・岩波日本古典文學大系)と取れるが、安直に過ぎる。いかに芸達者な蕪村とはいえ、死に瀕した瀬戸際で、そんなに呑気なことを思うはずはない。暉峻解釈は「ばかり」を誤読している。

「ばかり」を「……だけ」ないしは「……のみ」と読むからであって、この場合は「明る(夜)ばかり」と「夜」を抜く気分で読むべきだろう。すなわち「間もなく白梅の美しい夜明けなのに……」という口惜しい感慨こそが、句の命なのだ。・・・(以下省略)・・・  

        

学研全訳古語辞典の解説は、「冬も終わり」などを補って解釈していますが、不適切ではないでしょうか?

   

蕪村は1784年1月17日に亡くなっています。

 

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この写真は、萩原朔太郎著「郷愁の詩人 与謝蕪村」の青空文庫の「白梅」の俳句についての解説の一部分です。

   

この辞世の俳句で省略された語句は、「冬も終わり」などということではなく、「自分に残された夜」とか「自分が生きている夜」とかという主体が省略されていると解釈すべきだと思います。

「明る夜ばかり」とは、「『明けない夜は無い』というが」とか、「四季の巡りに伴い様々な夜がこれからもあるだろうが、自分に残された夜は『白梅に明る夜』のみとなった」とか、「自分が生きている夜は『この白梅に明ける夜』のみになった」と、死が間近であることを詠んだものと解釈するのが至当でしょう。

  

蕪村が大阪生まれであることを最近しりましたが、蕪村は自分が浪速生まれであることを何故か公言しなかったようです。(『から檜葉』参照。)

   

・冬鶯むかし王維が垣根哉
・うぐひすや何ごそつかす藪の中
・しら梅に明る夜ばかりとなりにけり

  

上記の3句は、過去・現在・未来を順番に詠んだ俳句だと解釈できますが、「しら梅」の句は、死後の未来を詠んだ俳句であると解釈すると、「明けない夜は無い」というが、「自分の未来(死後)の世界は『夜ばかり』である」と詠んだことになります。  

  

蕪村の臨終3句や正岡子規の辞世句3句などを読むと、高浜虚子の辞世句「春の山屍を埋めて空しかり」は、「春の山屍を埋めて(むな)しかり」と、「春の山屍を埋めて(くう)しかり」と、掛詞として読むべきであるという思いを新たにしました。俳句談義(1)参照。)  

      

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2017年1月29日 (日)

俳句の新解釈・鑑賞 <去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)>

     

掲句について稲畑汀子さん(ホトトギス名誉主宰)は「虚子百句」において次のように述べています(抜粋)。

「この棒の、ぬっとした不気味なまでの実態感は一体どうしたことであろう。もしかすると虚子にも説明出来ず、ただとしかいいようがないのかも知れない。敢えて推測すれば、それは虚子自身かも知れないと私は思う。この句は鎌倉駅の構内にしばらく掲げられていたが、たまたまそれを見た川端康成は背骨を電流が流れたような衝撃を受けたと言っている。感動した川端の随筆によって、この句は一躍有名となった。」

  

川端康成は掲句のどの点に衝撃を受けたのでしょうか?

川端康成も一般的な解釈と同じように「棒」とは「時の流れ」の比喩であると解釈したのでしょうか?

 

虚子の俳句『去年今年貫く棒の如きもの』の棒とは何か?に於いて、チュヌの主人は「中立的な表現の俳句は鏡のように、読む人の心を映しだす。」と書きましたが、外山滋比古氏は「省略の詩学―俳句のかたち」(電子書籍)に於いて次のように述べています。

「一句の意味はひとつに限ると考えるのからして大きな誤解で、受け手によって句意は変わる。十人十色の受け取りができてこそ俳句はおもしろい。あいまいさは、作者に多くの諷意を許容し、受け手には自らの意味を生み出す喜びを与える。」

  

また、外山氏は高浜虚子の掲句「去年今年」について次の通り句評しています。

「措辞ははなはだ粗雑であるが、年のつらなりを棒にたとえるのは奇想である。人はその奇抜さに興ずるのであろう。名句の名をほしいままにしている。」

  

外山滋比古氏の「省略の詩学」は桑原武夫の「第二芸術論」の対極にあると言えます。俳句愛好家にとってありがたい著書です。しかし、措辞ははなはだ粗雑」という句評にいささか語弊があります。

外山氏は、「去年今年」を主語(主体)として捉えて句意を解釈しているから、「措辞が粗雑である」と考えたのでしょう。

「去年今年」を副詞として捉え、主語(主体)は省略されていると解釈すると、この批判は妥当でないことが理解できます。

日本語では主語がよく省略されます。外山氏の言にあるように、俳句は「省略の文学」です。この俳句で省略された主語(主体)は「虚子の花鳥諷詠の俳句に対する信念」であるといえるでしょう。

虚子は「春風や闘志抱きて丘に立つ」という俳句を39歳の時に作っています。この闘志を持ち続けていることを、「去年今年貫く棒の如きもの」と、77歳の時に詠んだものであると解釈するのが至当でしょう。すなわち、「自分の信念は去年とか今年とかいう時の区切りを突き抜く固いものであり、生きている限り変わらない」と言っているのでしょう。「時の流れ」は未来永劫に続くものですから、「棒」をその比喩と解釈することにはやや無理があり、虚子の真意では無いと思います。

   

ちなみに、主体が省略された虚子の俳句の一例として、次の俳句(河東碧梧桐への追悼句)が参考になります。

たとふれば独楽のはぢける如くなり

この句に於いては、たとえば、主語となるべき「虚子と碧梧桐の関係」が省略されています。

(「高浜虚子の100句を読む」(坊城俊樹)下記URL参照。)http://www.izbooks.co.jp/kyoshi81.html

       

インターネット歳時記には、「去年今年」の俳句が750句ほどあります

「去年今年」が副詞的に用いられている俳句が大多数ですが、ご参考までに下記に例句を若干抜粋します。

 

(副詞的に用いた例句)

・去年今年机上に積まれたるままに 

           (稲畑汀子)

・良きことも良からぬことも去年今年

              (今井千鶴子

・去年今年平和を祈る手でありぬ 

          (橘高絹子)

   

(「去年今年」を主体ないし客体として用いた例句) 

・聞き慣れし振子のつなぐ去年今年 

          鈴木美江

・何かある闇でつながる去年今年 

            (千坂美津恵)

   

次の俳句は虚子の掲句を意識して「去年今年」を主語として作ったものでしょうが、「去年今年」を副詞として解釈することも可能です。

・去年今年大河の如くありにけり 

            (竹下陶子)

   

ちなみに、稲畑廣太郎氏(ホトトギス主宰)の俳句に、虚子の掲句を意識して作った俳諧味のある句があります。

棒も又折れゆくものや去年今年

この俳句の「去年今年」は単なる季語の取り合わせですが、「棒」を「時の流れ」の比喩であると解釈すると、「棒が折れること」は「地球が破滅すること」を意味することになるでしょう。

トランプ米国新大統領の就任などで「世界終末時計が進められたというインターネット記事ありました。トランプ氏が米国新大統領として良識ある為政をすることを祈るばかりです。

  

2017年1月23日 (月)

初雪の俳句

  

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2017年1月16日、「日EU俳句交流大使」のファン・ロンパイ初代EU常任理事会議長(俗称EU大統領)を囲む夕食会に参加しました。

  

この夕食会は、ファン・ロンパイ氏のアジアコスモポリタン賞受賞の祝賀と俳句愛好家の交流のために開催され、盛会でした。

  

俳句愛好家の集まりなので正岡子規の号「獺祭書屋」に因んで乾杯の酒に「獺祭の発泡にごり酒スパークリング」があり、ファンロンパイ氏が挨拶で俳句の世界遺産登録への運動に協力すると賛意を表明され、盛り上がりました。

 

俳句愛好家が増えて俳句の世界遺産登録が実現すると嬉しいですね。

   

当日は我が手作りの庭も銀世界となり、愛犬「チュヌ」(サモエド犬)の天国になりました。

  

朝の散歩を済ませてから新幹線で上京し、夕食会までに時間の余裕があったので、皇居周辺を散歩しました。

  

そこで、当日の雪景色などの写真(クリックすると拡大します)や拙句を掲載します。

   

手作りの日本列島雪景色

初雪のサモエド犬の白さかな

雪の丘犬とサクサク小気味よく

初雪の車窓変幻「のぞみ」かな

雪の富士瞬時の対峙デジカメと

雪景色車窓の闇に消えにけり

        (薫風士

  

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「俳句は好き好き」と、駄句を口遊んで楽しんでいますが、拙句のみでは読者に申し訳ないので、インターネット歳時記「初雪」の俳句から、目についた句を抜粋・掲載させて頂きます。

 

詳細(約360句)は季語「初雪」(青色の下線文字)をクリックしてご覧下さい。

  

初雪1

初雪のそれより白き鷺の舞ふ 

       (小野ちゑ) 

  

初雪2

初雪の一瞬の富士見のがさず 

       (稲畑汀子) 

   

初雪3

初雪や水仙の葉のたわむまで  

         (芭蕉)

  

賀に参ず初雪の富士窓に嵌め 

       (稲畑廣太郎)

   

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2016年9月22日 (木)

「敬老の日」「子規忌・糸瓜忌・獺祭忌」に思うこと

     

(2025.9.17 更新)

2024年の「敬老の日」は、9月16日でした。

敬老会《俳句と写真》」をご覧下さい。

   

獺祭忌己が苦吟を句吟して

子規の忌や己がまんぽ句口遊む

口ずさむ平和の俳句獺祭忌

         薫風士

  

冒頭の俳句は、「苦吟」と「句吟」の同音異義語のダジャレ・ブログ用川柳擬きの拙句です。

 

最近は「詩吟」のみならず、「俳吟」も楽しんでいる句友がいます。

  

今日は「子規忌」なので、「上五」を「獺祭忌」にしましたが、「秋高し」とか「秋風や」とか、様々な季語を当て嵌めて「まんぽ俳句」に遊びながら、まず俳句のリズムを身につけるのが吟行俳句上達のコツです。

   

(2022.9.10 更新)    

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この写真は、日本伝統俳句協会9月のカレンダー(後半の一部分)です。

   

 写真をタップ拡大して、掲載された俳句をご覧下さい。

   

  

  

   

    

2022年は「敬老の日」と「子規忌」が重なります。

著名俳人の『季重なり』俳句集」をご覧下さい。

(青色の文字をクリックすると、歳時記の例句や関連の解説記事などをご覧になれます。)       

          

(2016.9.22の記事)

9月19日は子規忌(「糸瓜忌」・「獺祭忌」)ですが、9月20日は「敬老の日」に当たります。

       

早世の子規を偲ぶや敬老日

   

駄句を口遊みながらインターネット歳時記(俳誌のsalon)の子規忌の俳句を検索すると、次の句が目に留まりました。

 

子規忌なりいまは美顏に使ふ水

       (中原道夫)

この俳句の水は糸瓜水のことでしょう。 

  

正岡子規は肺結核の喀血や脊椎カリエスの激痛に耐えて俳句の道に励んでいたが、次の三句を絶筆に、35歳の若さで亡くなりました。

 

糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな

痰一斗糸瓜の水も間に合はず

をととひのへちまの水も取らざりき 

当時、糸瓜の水は咳止めや痰を切るのに効き目があるとされ、特に十五夜に取った糸瓜の水は効果があるとされていたようです。「をととひのへちまの水もとらざりき」とはこの十五夜の糸瓜の水を取らなかったことを詠んでいることを最近知りました。

正岡子規自分の死の近いことを直感して「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」などの句を詠んだのではないでしょうか。この3句を詠んだ後に昏睡状態になり、亡くなったとのことです。

   

糸瓜忌や絶筆に知る句のこころ

凡人は長寿が頼り獺祭忌

         (薫風士

  

自分の死をも滑稽味のある俳句にする悲壮な覚悟を思うと、申し訳ないような気もしますが、凡才の駄句を口遊みながら、子規の凄さを偲んだ凡人の「敬老の日」でした。

    

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

  

2016年6月24日 (金)

HAIKU & Pictures (Trip to Turkey)

 

   

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トロイかな木馬上れば秋高し

Ah Troy!

a vew from the Trojan Horse_

high autumn sky

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Imga0010_2 

盛衰のトロイの地層秋の風 

autumnal wind_

along the strata showing 

Troy’s rise and fall

   

 Imga0002_2  

クルーズにイスタンブルの秋惜しむ 

cruising_

enjoying the autumn of

Istanbul

    

晩秋の暮れゆく海峡ボスポラス  

Ah Bosporus_

an evening

in late autumn

           

Imga0088_2 

絹の道あくまで真直ぐ秋高し

the Silk Road_

straight to the end,

the field under high autumn

    

Imga0090

秋灯のモスクの祈り古都包む

autumnal city lights_

the sound of prayer

from the mosque 

   

コーランの読誦殷殷古都晩秋

prayers of Koran

linger spreading deep_

Istanbul in late autumn

  

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Imga0046_2  

Ephesus 

Imga0057_2

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Pamukkale

Imga0079_2

   

Imga0091_2       

Cappadocia         

気球飛ぶカッパドキアや秋の雲

balloons flying

over Cappadocia_

autumnal clouds

      

秋冷の気球遊覧奇岩群

views from my balloon

fantastic soaring rocks_

autumnal air  

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殉教の地下都市遺跡冷やかに

remains of martyrdom

in the old underground city_

cool in autumn

          

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2015年12月30日 (水)

「初夢」の俳句

         

(2025.6.10 更新)

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冒頭の写真は、2024年に句友が知人から頂いた絵手紙の年賀状です。

 

2024年4月に岸田文雄首相が米国を公式訪問し、「日米同盟の深化を確認し、インド太平洋地域での協力を話し合う」とのことで、バイデン大統領主催の晩餐会には、ファンロンパイ日EU俳句交流大使(初代EU理事会議長)との俳句の交流や2014年のオバマ大統領来日の歓迎晩餐会などを念頭に、「俳句を通じて世界平和を!」の外交を推進してくれることを願っていましたが、その願いは叶わず、米国はトランプ政権に交代することになりました。

      

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このNHK-TV ニュース画面(一部分)のように、石破茂内閣の人気は当初から低迷していますが、石破総理大臣には、お互いに足らずを補い、「柔剛を制す」の諺どおり、「単なるポチ」にならず、「偽りの無い」・「有りの儘の素顔」で「世界の人々の信」を得て、「日本の平和」・「世界平和」の為に尽力されることを願っています。

  

石破茂首相の「柿」の俳句「奈良の柿 郷(さと)にも浦にも 茂る秋」の「秋」は「かな」に変えた方が、ご自身のPR効果が増すのみならず、俳句として「季重なり」も解消されます。

  

「ぺんは剣より強し」なので、「まんぽ俳句」を口遊んで、ご自身の健康管理と表現力を磨いて頂きたいですね。

   

ワシントンの天へ初夢龍の如

「龍天に昇る」という春の季語を捩って、「天へ」「龍の如」としています。

  

初夢の平和の夢想現にも

(「夢想」は「むそう」、「現にも」は「うつつにも」、と読んで下さい。

         (薫風士)

  

関係の方々が「《初仕事・仕事始・出初》能登半島地震緊急支援にオスプレイを!」や「俳句談義(3):虚子の句「初空や」の新解釈:大悪人は誰か?」などを読んで、俳句HAIKUの記事に込めた熱い思いを皆さんとシェアして頂ければ、うれしいです。

 

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この写真は、同期や俳句友達などから頂いた2024年の年賀状から龍の絵の部分を集めて撮ったものです。

      

   

初夢やシュライン通り句碑並木

        (薫風士)

  

芦屋から希望の丘へ、そして、ワシントンまで、松尾芭蕉や正岡子規、高浜虚子や金子兜太など、俳人所縁の各地から、花と平和の俳句の回廊が龍の如く、日本の初空を昇ることを夢見ています。

    

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「俳句HAIKU」の記事「初暦の俳句」をご参照下さい。

      

  

記事や例句の詳細は青色文字(タイトルや季語)をクリックしてご覧下さい。

          

(2015.12.30の記事)

インターネットの歳時記の「初夢」から各ページの冒頭の俳句を掲載させて頂きます。

  

初夢1 

初夢に古郷を見て涙哉

         (一茶

  

初夢2

初夢に海鵜きたりて泣きじやくる  

        (高島茂)

   

初夢3

初夢の淫らと云ふほどには非ず  

        (竹内睦夫)  

   

初夢に母現れし八十路かな

法王のオバマ訪問夢始め

初夢や夢の中にも夢想して

     木下さとし

   

世界の有力な政治指導者や宗教指導者が一堂に会して、宗教や人種の違い・覇権争いなどから生ずる戦争を防止する根本的な解決を協議して呉れないか!?!」と夢想しています。

   

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧になれます。

       

2015年12月 9日 (水)

「12月・師走」の俳句集

            

(2024.12.27 更新)

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冒頭の写真は、2024年12月5日午前5時55分現在の俳句HAIKU へのアクセスですが、累計数「1,219,373」や1日当たりの平均値「307.30」など、数字が対称的に面白く並んでいます。

  

芭蕉や一茶の俳諧の世界・元禄文化などもよいが、現代に生きる者としては現代の俳句を作り、平成文化・令和の平和をエンジョイしたいものです。

  

除夜・除夜の鐘》をご覧下さい。

  

(P.S. 2022.12.8)

12月の8日や9日は何の日か、思い返してみませんか?

  

「太平洋戦争開戦の日」や「漱石忌」です。

  

(青色文字のタイトルをクリックすると俳句や解説記事がご覧になれます。)

  

歳時記(俳誌のサロン)の「季語別俳句集12月」はここをクリックしてご覧になれます

     

(2015.12.9の記事)    

「光陰矢の如し」今年(2015年)も12月、「師走」「極月」です。

フランスに限らず、テロ対策で欧米は慌しい動きを見せています。

 

無事に年が暮れることを祈りつつ、平和の俳句を広めたいという思いで、このブログを書いています。 

       

インターネットの歳時記の「師走」の冒頭の句を抜粋・掲載させて頂きます。

    

師走1

水仙にたまる師走の埃かな

          几董

  

師走2

仕事場に泊り込みたる師走かな

      森川暁水

  

師走3

女を見連れの男を見て師走

         高浜虚子

  

師走4

市に入りてしばし心を師走かな

           素堂

   

上記の虚子の俳句「女を見」について、「増殖する歳時記」において清水哲男氏が尤もな批評をしています。

「師走の特性を街にとらえて、実にユニーク。ユニークにして、かつ平凡なる詠み振り。でも、作ってみろと言われたら、たいていの人は作れまい。少なくとも私には、逆立ちしても無理である。最大の讃め言葉としては、「偉大なる凡句」とでも言うしかないような気がする」

  

「12月8日」を詠んだ句が沢山ありますが、太平洋戦争を想起させる俳句が殆ど無いのは、戦争を知らぬ世代の句が多くなったということでしょうか。 

 

一部を次に抜粋・掲載させて頂きます。

  

十二月八日起立する肢が見ゆ  

         (高島茂)

  

十二月八日と気づく朝かな  

        (稲畑汀子)

   

十二月八日戦争を知らぬ子と  

       (小林のり人)

  

十二月八日の海を見てゐたり  

       (石田きよし)

  

十二月八日の夜の長湯かな  

         (青山丈)

  

十二月八日の兄弟喧嘩かな  

       (土井田晩聖)

   

十二月八日を言ひて疎まるる

        (森田尚宏)

  

十二月八日うつすらと覚えてゐる

        (竹内弘子)

                 

俳誌のサロン」というサイトには「歳時記」も掲載されているので、上記の「師走」や「12月」などに限らず、「数へ日」「年の暮」「年惜しむ」「年用意」など季語別に無数の俳句を見ることが出来ます。

また、色々な俳誌の「触り」の部分などを見ることが出来、俳句愛好者には便利なサイトです。

   

正岡子規の「師走」の俳句を検索したところ、「WebM旅」というサイト「子規俳句 季語・季題検索 冬 時候 師走」に、「いそがしく時計の動く師走哉」など沢山の句がリストされていました。

           

芭蕉俳句全集(季題別)」には次の句があります。

 

かくれけり師走の海のかいつぶり

節季候の来れば風雅も師走哉

旅寝よし宿は師走の夕月夜

雪と雪今宵師走の名月か

      

最後に拙句を掲載します。

朝刊の折り込みの嵩師走かな

  

平和を維持するための思いを綴った「政治談議」なども、お暇があれば、ご覧下さい。

                    

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2015年9月20日 (日)

伊賀上野・草津(吟行句)

             

チュヌの主人が芭蕉ゆかりの伊賀上野草津俳句仲間と行したときの仲間の俳句を掲載します(順不同)。

(青色の文字をクリックして関連のサイトの解説記事や歳時記、写真などをご覧下さい。)

      

道灌てふふるまひ酒や秋うらら  

        (文子)

 

木の根張る鍵屋の辻高音  

       (順子)

 

枯蓮の影に触れたり蓑虫庵 

         (寧伸)

 

警報のやうに咲き出す曼珠沙華 

        (美娜)

  

松手入れ庭師の指の細やかに 

        (美津子)

 

身に入むや墨跡残す吉良浅野 

         (知子)

 

木犀や蛙の句碑に日の斑揺れ 

        (眞知子)

  

道灌蔵の試飲あれこれ豊の秋 

        (律子)

  

伊賀の里鈴なりの柿輝けり 

         (栄治)

  

天高し跳ねる上野城 

         (かず)

  

通り土間へ秋の明かりや無双窓 

        (良子)

 

小鳥来るやっぽんぽんてふ甲賀の湯

        (さとし)

    

次回は「小鳥来る」「鳥渡るなど、小鳥」の季語にかかわる俳句について書くことにしたい。

 

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事のタイトルが表示され、この「俳句HAIKU」をタップすると最新の全ての記事のタイトルが表示されます。

          

2015年8月26日 (水)

俳句談議(通読版)

「俳句談議」を遡って、(18)~(1)を通読出来るようにまとめました。

青色文字(タイトル)をクリックして、リンクされた記事をご覧下さい。

          

俳句談義(18政治家と俳句俳句を通して世界の平和を

  

俳句談義(17)高浜虚子の俳句「敵といふもの」の「敵」とは何か? 

                

俳句談義(16「こどもの日」と「母の日」に思うこと

   

俳句談義(15「昭和の日」「憲法記念日」と俳句

  

俳句談義(14俳句の片言性と二面性

  

俳句談義(13《「花」と「鼻」》高浜虚子と芥川龍之介 

  

俳句談義(12「椿寿忌」の俳句と高浜虚子

  

俳句談義(11「甘納豆」と「おでん」と「俳句」 

            

俳句談義(10高浜虚子の「雛」の句を鑑賞する 

      

俳句談義(9「雛祭り」の俳句を集めました 

          

俳句談義(8

高浜虚子の句「初蝶来何色と問ふ黄と答ふ」:《対話の相手は誰か?》 

   

俳句談義(7

高浜虚子の句 「爛々と昼の星見え菌生え」の「星」とは何か?(続編)

          

俳句談義(6

高浜虚子の句「爛々と昼の星見え菌生え」の「星」や「(きのこ)」とは何か?

  

俳句談義(5)戦時中の高浜虚子・文芸家としての良心 

  

俳句談義(4)虚子の俳句「大寒の埃の如く人死ぬる」について考える

  

俳句談義(3)虚子の句「初空や」の新解釈、大悪人は誰か?

  

俳句談義(2)虚子辞世句の新解釈  

  

俳句談義(1)虚子辞世句の解釈    

      

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

トップ欄か、この「俳句HAIKU」をタップすると、最新の全ての記事(タイトル)が表示されます。記事のタイトルをタップ(クリック)して、ご覧下さい。

    

2015年6月 8日 (月)

石清水八幡宮と松花堂庭園(京都の旅)

 

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2015年6月に京都の石清水八幡宮と松花堂庭園を吟行した仲間の俳句と写真を披露します。

   

(写真:律子さん撮影)

     

写真はクリックすると拡大されます。

   

青色文字をクリックすると解説記事がご覧になれます。

  

解説記事は「戻る」操作ができる場合は、「戻る」で閉じて下さい。

「×」で閉じると全体が閉じられます。   

         

元気な仲間は男山の展望台まで行きました。

  

生憎の夏霞や竹藪などに邪魔をされ三川合流のスポットは見ることが出来ませんでした。 

  

松花堂庭園には亀甲竹四方竹など珍しい竹が色々ありました。

吉兆松花堂弁当で昼食を済ませて、すぐに句会をしました。

    

(仲間の俳句)

(平成27年6月2日吟行)

(順不同)

    

江戸硝子に揺るる日の斑夏座敷   

       (知子)

  

朝涼の吾が影揺らぐ江戸硝子    

       (順子)

 

竹皮を脱ぐ草庵の静けさに      

       (美娜)

  

万緑に映ゆ朱の社殿石清水      

       (栄治)

  

竹落葉乗せ親しげに鯉寄れり     

       (文子)

  

ご神木に力瘤あり青葉風       

       (寧伸)

  

泳ぐあさざの黄色震はせて     

      (眞知子)

  

生まれながらに亀甲模様今年竹    

       (かず)

 

エジソン碑の空に戦ぎし今年竹    

       (美娜)

 

篠の子のけなげに天を目指しをり   

        (良子)

  

三川の合流隠す今年竹        

       (さとし)

 

梔子の香を運びくる風白し      

        (輝雄)

  

水琴窟のゆかしき音色夏の園     

        (律子)

  

まのあたりに巣立ち楠大樹    

  (美津子・欠席投句)

    

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俳句談義(14): 俳句の片言性と二面性(改訂版)

     

先日、川柳仲間に「ゴルフコンペに参加しないか」と問い合わせたところ、返信メールに次の文言があった。

      

ところで、東京新聞の『平和の俳句』に投句したところ記者が選ぶ特集記事の中に選句された。

   

『焼け跡に金魚一匹生き残る』

  

今まで6-7千句の投句があったようです。

 

金子兜太が選をして毎日1句記載される。記載されなかった句の中から、何人かの記者が数十句を選び編集して毎月1回特集している。

     

「たいしたものではありません。ご放念ください。」とあったが、このブログで取り上げさせて頂くことにした。   

(青色文字をクリックして解説記事・詳細をご覧下さい。)

      

「焼け跡」まで読んだ一瞬、阪神淡路大震災のことかと思ったが、「金魚夏の季語である。

この句は、1945年7月4日未明に高知市が被災した大空襲のことを詠んだ句らしい。

友人の家は全焼し、屋外の水槽に金魚が一匹生きていた。そのことを思いだして詠んだとのことである。

 

高知の大空襲では120機のB-29が高知市上空に飛来し、死者401人、罹災家屋約12,000戸だったが、東京の大空襲の罹災者は100万人を超え、死者は10万人を超えている。

  

三橋敏雄は次の俳句を作っている(出典:「坊城俊樹の空飛ぶ俳句教室」)。

  

いっせいに柱の燃ゆる都かな 

       (昭和20年)

   

戦争と畳の上の団扇かな 

       (昭和57年)

  

前の句では、三橋敏雄は大空襲の悲惨さを感じないかのように淡々と詠んでいる。「悲惨さ」の感情でなく「悲惨な事実」のみを詠むことを良しとしたのだろうか?

 

後の俳句は、「戦争」と「畳の上の団扇」を並べ詠むことによって、「戦争のない幸せ」を表現したものだろう。

 

「団扇」は「日常的な平穏さ」を連想させる。

「畳の上」は「畳の上で死ぬ」という言葉通りの「平穏な死」と「戦争による無惨な死」の対比を連想させる。

 

前の句は、無季俳句であるが、大空襲は自然現象・季節と無関係な人災であるから無季俳句にするのも当然だろう。

  

インターネット・サイト「戦後70年『平和の俳句』」のトップに次の俳句が掲載されていた。

  

蒸され濠(ごう)水一口に息絶えし

    

「埼玉新聞」のサイトに、「九条守れの俳句掲載拒否 俳人・金子兜太さん『文化的に貧しい』」という見出で、次の記事があった(抜粋)

  

梅雨空に『九条守れ』の女性デモ

  

さいたま市大宮区の三橋公民館が発行する公民館だよりに、俳句「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の掲載を拒否した問題について、熊谷市在住の現代俳句を代表する俳人金子兜太さん(94)に聞いた。

金子さんは「この社会に生きている人間を詠んだ当たり前の俳句を、お役人が拡大解釈した実に野暮(やぼ)で文化的に貧しい話」と語った。

句は公民館だよりに掲載するため、公民館で活動しているサークルが選んだ。市側は「世論を二分されているテーマが詠まれている」などとして、掲載を拒否した。

   

この句は兜太さんが言うように「作者はデモには好意を持ったが、熱く共感したわけではない」のかもしれない。

 

「梅雨もうっとうしいが、デモも不愉快だ」と解釈出来ないこともない。

 

「公民館だより」が上記の句を掲載しなかった背景・経緯の詳細は知らないが、「この句一句のみを掲載することの要請」が拒否されたということなら公民館関係者の配慮も理解できる。

 

複数の俳句を載せる場合にこの句の掲載のみが拒否されたのなら問題にすべきことかもしれないが、俳句は片言の域を出ず、読者の好き好きの解釈が出来るので、一句だけ載せることは読者の誤解を招くことにもなりかねないから配慮が必要である。

 

一般に、新聞などで俳句の欄を設ける場合には選者を複数にするとか、交代にするとかの配慮をしている。   

問題の対象になった句は「平和の俳句」として選者が毎日一句だけ選んでいる一つのようである。

 

この特集に関連して、「東京新聞」のWEBサイトに「戦前の空気に抗って」というタイトルの金子兜太・いとうせいこう両氏の対談記事があった。     

    

俳句本来の話題に戻る。

  

たとふれば独楽のはぢける如くなり

 

河東碧梧桐の死に高浜虚子が詠んだ弔句であるが、片言といえないこともない。

 

文字通りの意味は分かるが、虚子と碧梧桐の関係を知らなければ、その背景にある句意は全く分からない。

 

「竹馬の友」とか「刎頸の友」とかいう言葉があるが、虚子や碧梧桐のことを知って初めて「名句だな」と納得できる。  

 

坊城俊樹氏の「高浜虚子の100句を読むを読むと、この句の背景などもよくわかる。    

     

赤い椿白い椿と落ちにけり 

       (河東碧梧桐

  

椿が好きだった虚子の命日は「椿寿忌」といわれるが、この句は「門人達が虚子から去っていくことを比喩的に詠んだものでないか?」と、ふと思ったが、それは穿ち過ぎで全く関係がない。

         

愕然として昼寝覚めたる一人かな 

      (碧梧桐)

    

昼寝する我と逆さに蝿叩 

         (虚子)

  

夜半亭のブログに面白い記事がある(抜粋)

      

「掲出の虚子の句、『昼寝する我と逆さに蝿叩』と何とも人を食ったような句であるが、この『蠅叩』を、碧梧桐に置き換えて見ると面白い。『昼寝をしようと決め込んだら、蠅叩きが逆さ向きで気にかかる。それは丁度反対の方に行こうとする碧梧桐のようで、昼寝どころでなくなった。俳句は少々休んで小説の方と思ったが、碧梧桐流の俳句のやり方には我慢できないので、その向きを変えようと、その蠅叩の向きを変えて、碧梧桐一派の蠅共も叩きつぶしてやる』というように詠めなくもない。

むろん、この句はそんなことは意図はしていないが、こと俳句に関しては、「新傾向俳句の革新派」碧梧桐に対して「伝統俳句の守旧派」虚子という図式化にすると、何とも面白い詠みもあるのではないかということである。」

   

高浜虚子と河東碧梧桐との句風の違いが面白い。     

     

「虚子は自分が日本文学報国会の俳句部会長として戦争を賛美することなく花鳥諷詠の文学を堅持し、時代の流れに掉さすことも、流されることもなく、文芸家・俳人としての良心を貫いたのだと思う。」と俳句談義(5)」に書いたが、虚子は俳句の片言性を認識していたからこそ戦争俳句を良しとしなかったに違いない。

 

俳句談義(4)で述べたように、俳句には滑稽句ともシリアスな句とも解釈できる二面性のあるものが多い。

 

俳句は句材について考えるきっかけを作ることは出来ても、何か思想的な内容を表現するには片言過ぎる。

イデオロギーや政治的な主張など内容の深いものは散文で明確に表現するのが望ましい。

       

次回は「昭和の日」(4月29日)に因んだ俳句談義を書きたい。  

          

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

  

2015年5月の主な更新記事

           

< タイトルなどの青色文字をクリックしてご覧下さい。>

      

俳句談義17: 

高浜虚子の俳句「敵といふもの」の「敵」とは何か? <俳句談義と政治談議>

              

俳句談義16:

「こどもの日」・「母の日」に思うこと。

    

俳句談義(15):

 「昭和の日」・「憲法記念日」と俳句

                

第36回36会川柳句会(テーマ:「山」)の選句結果

       

< 写真はクリックすると拡大されます。>                

下記カテゴリの記事は括弧の青色文字をクリックしてご覧下さい。

俳句」「川柳」「エッセー」「ペットの写真・Pictures of dogs」「写真    

なお、画面左側の「アクセスランキング」や「カテゴリ」「アーカイブ」の興味あるタイトルをクリックしてもご覧になれます。 

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(外部リンク)

花鳥」「伝統俳句協会」「国際俳句交流協会

現代俳句協会俳句界」「俳句

       

2015年6月 7日 (日)

チュヌの便り <更新情報> Message from Chunu <What's up?>

     

(2022.9.11)

秋暑し9.11のクリーンデー」や著名俳人の季重なり俳句集」をご覧下さい。

   

2015年4月の更新記事 

俳句談義(14): 

俳句の片言性と二面性(改訂版)

     

俳句談義(13):

<「花」と「鼻」> 高浜虚子と芥川龍之介

  

俳句談義(12):

「椿寿忌」の俳句と高浜虚子

   

2015年3月の更新記事

俳句談義(11):

「甘納豆」と「おでん」と「俳句」

この記事には高浜虚子の「俳句の作りよう」や「俳句への道」の全文が掲載されたサイトをリンクしています。

       

俳句談義(10):

高浜虚子の「雛」の句を鑑賞する

       

俳句談義(9): 

「雛祭り」の俳句を集めました

                    

2015年2月の更新記事

俳句談義(8):

高浜虚子の俳句「初蝶来何色と問ふ黄と答ふ」

<虚子の対話の相手は誰か?>

     

俳句談義(7):

高浜虚子の句「爛々と昼の星」の星とは何か?(続編)    

   

俳句談義(6):

高浜虚子の句「昼の星燦々と見え菌生え」の「星」や「菌」は何か?

      

先輩の川柳(続2)

「昭和や」の酔客のエッセイ:

素粒子論と般若心経と高浜虚子の俳句

     

俳句談義(5):

戦時中の高浜虚子・文芸家としての良心

    

俳句仲間のエッセイ: 「俳句と川柳」

        

後藤健二さんの死無にするな!

政治家やマスコミの言わないことを言う。

              

2015年1月の更新記事 

俳句談義(4)

高浜虚子の句「大寒の埃の如く人死ぬる」とは、平和を考える

         

本との出会い(7): 

「俳句の力学」と虚子の句「去年今年」

       

(三田深田公園にて)    

ホロンピア館は、昭和63年に開催された21世紀公園都市博覧会のシンボルとして建設。

建築家・丹下健三氏が設計した深田大橋をビルにしたもの。平成4年秋に「人と自然の博物館」となりました。

「三田八景」の解説より引用)

    

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(俳句)

稚児走る初凧這ひてくるくると

  

七転び八起き幼の上がる 

   

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淑気映ゆホロンピア館玻璃の壁

(「玻璃の壁」をクリックすると、「我が街『三田』」をご覧になれます。)

  

初空童の好きな丘の街

  

(川柳)

三田から地方創生子等元気

          

・初雪にサモエド勇み飛び出せり    

・初雪や己が天下とサモエド犬   

  

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(チュヌの写真)

    

      

   

俳句・フォトアルバム(トルコの旅)

Pictures & Haiku (Trip to Turkey)  (英訳追加版)

         

本との出会い(6):

「虚子俳句問答(下)」と「大悪人虚子」        

   

俳句談義(3): 

虚子の句「初空や」の新解釈:大悪人は誰か?     

         

2014年

2014.12.25 

虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か?

 (この記事に夏目漱石の「草枕」がリンクされています。)

    

 14.12.20

 本との出会い(5):

「俳句の宇宙」と「大悪人虚子」

(「虚子俳話(序文)」や「俳談」がリンクされています。)

エッセー
 14.12.10  奈良吟行の俳句アルバム  俳句
 14.12.09

 本との出会い(4):

「悪党芭蕉」と「大悪人虚子」(その2)

 エッセー
 14.12.08

 本との出会い(3):

「悪党芭蕉」と「大悪人虚子」(その1)

 エッセー

    

      2014年11月の主要記事
 俳句談義(2) 虚子辞世句の新解釈について
 俳句談義(1) 虚子辞世句の解釈
「本との出会い」(2) 尾曲がり猫と擦り猫と」を読んで選挙を考える。
「本との出会い」(1) あの海にもう一度逢いたい
 お友達のエッセー 忘れ得ぬ最高の思い出
 吟行俳句 奈良公園・柳生の里(俳句と写真・俳句アルバム
        2014年10月の主要記事
 俳句仲間

アカネヤの酔客のエッセー(3)「絵を描く」

可愛い猫の画や写真が驚くほど沢山ご覧になれます。

 俳句仲間 アカネヤの酔客のエッセー(2)「近況報告VI」
 俳句仲間 アカネヤの酔客のエッセー(1)「ラジオを録音して聞く話」
                        2014年3月~9月の主要記事
 教育・エッセー

「LOVE」を実践しよう!

Let's practice "LOVE"!

 俳句

花鳥6百号記念全国俳句大会に参加 (俳句と写真)

 俳句の英訳と

 Haikuの和訳

芭蕉の句「古池や」の英訳を考える

言語の壁を破るチャレンジ(1)(14)

 投稿川柳の紹介 先輩の川柳・お友達の川柳

 俳句と川柳の英訳

(エッセー)

スウェーデン大使館開催の俳句・川柳コンペティション入選

 俳句・HAIKU

(エッセー)

国際俳句交流協会総会に参加~

「日本人らしさの発見」・・・

 吟行の俳句と写真 南禅寺 ・ 住吉大社 ・ 満願寺 ・ 平安神宮

俳句・フォトアルバム (HAIKU Photoalbum): 

  「イタリアの旅・Trip to Italy」

  「東欧の旅・Trip to E. Europe」

  「ロシアの旅・Trip to Russia」

   

チュヌの俳句:「四季・Four seasons

    

「平和」について考える宗教と科学の融合

     

2014.5.25 オープンーデン・ミニ・チャリティコンサート

               

       

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 インターネットは凄いね!

「ちゅぬ」の北海道時代のお友達のブログを主人が見つけてくれたよ。

北海道時代は若くて元気だったから楽しかったよ!

懐かしいね!

   

ややコロ日記

(ちゅぬ君とコロちゃん)

http://yayakoro.exblog.jp/m2008-06-01/

         

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2015年5月10日 (日)

俳句談義(15):「昭和の日」・「憲法記念日」

                          

2025.3.19 更新)

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この写真は、NHK-TV 二ュ-スの一画面ですから、この画面だけを見て誤解しないで下さいね。

   

トランプ大統領は、日米安保条約について、「我々は日本を守らなければならないが、日本は我々を守る必要が無いのは不公平だ」と言っていますが、日本は太平洋戦争で多大の犠牲を払って、世界の唯一の原爆被爆国として米国の主導した連合軍の要求を受けて戦争放棄の新憲法を制定していますから、「この平和憲法に基づき平和を守ることによって日本は米国に対して公平な対応をしている」と言えるでしょう。

  

世界の人々がこの正しい認識に共感して、「日本の平和憲法の精神を国是として、世界平和の為の市民運動を推進してくれること」切望しています。

  
ロシア軍のウクライナ侵攻によって、多大の犠牲者が生じています。

プーチン大統領の侵略政策は決して許すべきではありません。

経済的制裁の悪影響は世界に広がっており、持久戦に耐える覚悟が必要ですが、この事態は持久戦に耐えることでは済まないかもしれません。

 

独裁者も人間ですから、独裁政治家が短気を起こすと世界はどうなるか心配なことです。

 

「太陽と北風」の寓話を馬鹿にしないで、世界の人々が平和運動を推進してくれることを切望しています。

  

青色文字をクリック(タップ)して、梅東風や届け世界にこの思ひ血に染むなドニエプルてふ春の川に書いた思いを一読し、シェアして頂ければ望外の喜びです。

     

(2015.5.10 の記事)

4月29日は「昭和の日」である。

 

歳時記の「憲法記念日」には山田弘子の俳句「国旗立つ憲法記念日のパン屋」など66句リストされている。

 

先日、東京新聞の「平和の俳句」募集に応募した友人の入選句のことなどを「俳句談義(14:俳句の片言性と二面性」に書いたが、友人が東京新聞のコピーを郵送してくれたので入選した俳句とコメントの中で特に印象に残った二つを次に転載させて頂く。

   

「青春の昭和切なし鰯雲」 斎藤けい(90)横浜市

 昭和19年、兄は二度目の招集で南方へ、将来を約束した一つ違いの幼なじみは中国大陸へ出征した。終戦になっても二人はなかなか帰らず、鰯雲の浮かぶ秋空を見上げながら待ち続けた。終戦翌年の秋、兄は半袖の軍服にぼろぼろの靴を履いて、夜、人目を忍ぶように裏口から帰ってきたが、半年は放心状態だった。幼なじみは小さな箱になって戻ったが、中は石や砂だった。

    

上記コメントの最後にある「石や砂」は「本との出会い(2)」に書いたエッセイ集「尾曲がり猫と擦り猫と」の「石ころ」と同じである。

 

小学生(国民学校初等科)の頃、戦死者が級友のご家族だった場合だろうが、遺骨を白布に包んだ箱を胸に下げてご遺族の方が帰って来られるのを駅まで迎えに行ったことがある。遺骨だと思って恭しく頭を下げていたが、石ころであることが多かったのだろう。

 

「夏の高校野球」で「甲子園の砂」を球児が袋に詰めるニュースをよく見かける。感慨無量である。

  

「ウイキメディア」によると、「1941 - 1945」の大会は太平洋戦争のため取り止めになっている(1941年の第27回の回次は残る)。

    

お手玉の小豆で赤飯父はゆく 桜井義男(80)東京都

 戦争中、もらった砂糖でお汁粉を作るため、姉二人のお手玉から小豆を取り出した。

二人は東京大空襲の夜にはぐれ、遺体も見つからなかったが、最後にお手玉をした姿を今も覚えている。友人の家もお手玉の小豆で赤飯を炊き、父親の出征を祝ったが、帰ってこなかったという。(以下省略)

       

このブログを書いていて、「欲しがりません勝までは」ということが当たり前だったのか、無いことが分かっていたからか、特に強いられることもなく、ひもじいのを子供心に我慢をしていたことを思いだし、こみあげてくる感情に我知らず涙ぐんでしまった。

 

「もったいない」という気持ちは現在でも強く感ずる。

当時は食べ物があれば何でも有難く食べるのが当然だった。

現在は飽食の時代で、子供が食事の好き嫌いをするのが当然になっている。

だが、食物アレルギーということもあるので、食べることを無理強い出来ない。

    

火の奥に牡丹崩るるさまを見つ  

      加藤楸邨)

  

この句は大空襲で自宅が燃え崩れる様子を詠んだものであることは前書きで一応理解できるが、真の句意はわからない。

楸邨の言いたかったことは何か? 

 

大牧広氏は「楸邨が国民の呻きを牡丹に託したもの」であると解釈し、次のように述べている(抜粋)。

 

この「火」は当然焼夷弾による炎上させられた火である。紅連の炎の中に崩れてゆく牡丹、もしこれが人であったらこの世の最後の悲鳴を挙げたであろう。それも叶わず黙って焼かれていった牡丹、私はこの牡丹を作者が人間をイメージして詠んだような気がしてならない。何の罪もない一般国民があの忌わしい業火の中で命を落さなければならなかった時代。この国民の呻きを牡丹に託して詠んだと思えてならない。      

        

気の向くままにインターネットで検索していると、「思考の部屋」というサイトの「94歳の荒凡夫~俳人金子兜太の気骨~」という記事に兜太の次の俳句があった。

  

水脈(みお)(はて)炎天の墓碑を置きて去る

津波のあと老女生きてあり死なぬ

     

「津波」の句は老女の生命力の逞しさを讃えているのだろうが、「貴重な若者の命は奪われたが老女はまだ生きている」という自然の不条理を皮肉を込めて表現していると解釈できないこともない。

    

日経新聞WEBを見ていると日米首脳会談の夕食会でオバマ大統領が次のような自作の俳句を披露している。

 

春緑 日米友好 和やかに(Spring, green and friendship/United States and Japan/Nagoyaka ni.)

  

オバマさんが「和やかに」と日本語を使ったのは親日・友好の意を表す意味もあったのだろうが、「和やか」は含蓄のある言葉でぴったり対応する英語が無いからでもあろう。

        

国際俳句協会では「俳句」が世界文化遺産に登録されるように努力しているが、俳句には言葉の壁があるので世界遺産登録は「和食」のように簡単ではない

 

高浜虚子は終戦に際して次の句を作っている。

     

秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみぞ

 

敵といふもの今は無し秋の月」「黎明を思ひ軒端の秋簾見る」と併せて読むと、「秋蝉も蓑虫も泣くのみだ。泣きたいものは思いぞんぶん泣けばよい。だが、自分は泣かない。終戦になって、自由に句作が出来る。さあこれから本番だ。」と清々した気持ちで詠んだ句だと思う。

    

虚子は「亀鳴くや皆愚かなる村のもの」という句を作っている。

 

明治時代に作った俳句らしいが、人を食った句である。

句作の背景や経緯を知らなければ真の句意は不明である。

 

この句が作られた「」をご存知の方があれば是非教えて頂きたい。

        

「皆」とは誰を指すのか? 「村」とはどこのことか? 

「もの」とは「者」と「物」のいずれを意味するのか?

「亀」は「虚子」の比喩でないか?

    

単に文字通りのことを客観写生したのだろうか?

たとえば、「どこかの村で俳句会を催し、集まってきた者は碌な俳句も出来ない愚か者だった」という句だろうか?

 

「『花鳥諷詠の心』を知らぬ者は愚かだ」と言っているのだろうか?

「自分を含めて人は皆愚かな者だ」と嘆いているのだろうか?

 

「村」とは「日本の村社会性」の比喩ではないか?

「戦争推進者は皆愚か者だ」と比喩的に詠んだ句ではないか?

いずれにせよ、さまざまな解釈が可能である。

  

虚子は「深は新なり」と言っている。穿ちすぎかもしれないが、句意が不明だということは、「しっかり考えよ」と謎をかけていると解釈できないこともない。

        

昔は人災にしろ、自然災害にしろ、慟哭するしか仕方がなかっただろう。

だが、現在は科学技術も進歩しており、民主主義の時代である。

  

災害の防止や抑制は努力次第で不可能ではない。まして、戦争は叡智を集めて未然に防ぐ努力をすべきである。

 

独裁政治、覇権主義、軍事力の増大と情報非公開による国際的不信、貧富の格差拡大、一方的な道徳観の押し付け、国家間の利害対立、ナショナリズム、等、戦争発生の要因は多多あるが、このような要因の発生を防止・除去することは可能である。

 

国際貿易や文化交流を深めて、相互理解・相互依存を高めることが平和の維持・戦争の防止につながる。各国がその努力をすることが必要である。

 

日本政府が注力すべきことはそういうことを世界の指導者に働きかけることだろう。

 

法律の条文は俳句のように如何様にでも解釈できる笊法であってはならない。

 

憲法の拡大解釈による自衛権の行使が、憲法改正後に時の政府の条文解釈次第で更に拡大されるようになってはならない。

  

現憲法だからこそ明文にない自衛権の拡大解釈に歯止めがかかっている。

 

憲法が改正されるとその歯止めが無くなり、更に拡大解釈をされる恐れがある。

 

現憲法に不備があるというなら、その不備を逐一吟味し、拡大解釈が出来ないことを明確にして、国民が納得できるように討議する場を設けるべきだろう。

 

大切なことは総論のみならず各論である。

 

自民党の改正条文草案に限らず、野党の改正案があればそれも含めて、法律学者・憲法学者、政治家、評論家が時間をかけて真剣に議論し、公開すべきだろう。

  

公共機関は憲法記念日など祝日の行事をする場合には国旗を掲揚するが、一般の家庭で国旗を掲げている家はほとんど見かけない。

 

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日章旗が、平和国家のシンボルとして内外で何らの抵抗なしに受け入れられ、掲揚される日は来るのだろうか?

            

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

 

   

2015年4月20日 (月)

俳句談義(13):「花」と「鼻」《高浜虚子と芥川龍之介》

         

今年の桜は異常気象のせいか散るのが早く、虚子の俳句「咲満ちてこぼるる花もなかりけり」のように、桜をゆっくり愛でることが出来なかった。

  

虚子は「花疲れ眠れる人に凭(よ)り眠る」という句も作っているが、この句は、例えば電車の中で虚子が見た情景を詠んだものと解釈して、少なくとも次の3とおりの解釈が可能だろう。

  

・「うとうと眠っている虚子に隣の人が寄り掛かってうとうとした」

・「眠っている人に虚子がつい寄り掛かってうとうとした」

・「互いに寄りかかってうとうとしている二人連れを虚子が見た」

  

虚子に寄り掛かったのはうら若い女性か、むさくるしい男か?

二人連れは若者か、老夫婦か、恋人同士か?

様々な情景が思い浮かぶ。俳句鑑賞の楽しさ、面白さである。

  

季語としては「花」「彼岸桜」「糸桜」「しだれ桜」「枝垂桜」「山桜」「朝桜」「花疲れ」「花守」「初桜」「花の雲」「花影」「花の影」「余花」「残花」「花の塵」「花過ぎ」「花屑・花の屑」「花篝」「花は葉に」「花筵」などがある。

      

高浜虚子の「俳句とはどんなものか」に「花よりも鼻に在りける匂ひ哉」という荒木田守武(1473-1549)の句もある。

  

俳句への道」の冒頭には同音異義語を巧く使った虚子の句「おやをもり俳諧をもりもりたけ忌」が掲載されている。

          

「鼻」といえば、芥川龍之介の短編小説がある。

ここをクリックすれば全文が読めます。)  

   

虚子は、「手で顔を撫づれば鼻の冷たさよ」という句を作っている。

 

「芥川龍之介の『鼻』を読みながらつい自分の顔を撫でたのだろう」などと考えるのは穿ち過ぎだろうか?

 

この句について、山本健吉は定本現代俳句において次のように述べている(抜粋)。

 

「『手で』と断らなくても、手に決まっているが、わざわざ口語的に言ったところ、一種のとぼけ趣味を表わしている。しかも、『撫づれば』と物々しく言いさして、次にどのような事柄が言い出されるであろうかという読者の期待を抱かせながら、次に『鼻の冷たさよ』と馬鹿馬鹿しく平凡なことを持ってきて、肩すかしを食わせる。そこに一つの滑稽感が生まれてくる。・・・(省略)・・・こういう滑稽な句は、虚子には例が多い。

・・・(省略)・・・すべて即興感遇の作品であり、この無関心・無感動の表情に軽いユーモアがある。」

   

上記の句評で滑稽句の例として列挙した中に、「大寒の埃のごとく人死ぬる」や「酌婦来る灯取り虫より汚きが」などを挙げている。まさに、俳句の解釈は人さまざまである。

        

ちなみに、山本健吉は正岡子規の句「しぐるるや蒟蒻(こんにゃく)冷えて(へそ)の上」についても次のように評している(抜粋)。

   

「『小夜時雨上野を虚子の来つつあらん』とともに、『病中』と前書きがある。

・・・(省略)・・・

この句、『蒟蒻冷えて臍の上』にユーモアがある。ことに『臍の上』と、自分の臍を意識しながら、無造作に言い話したところ、子規独特のとぼけ趣味である。病気の苦痛を直接訴えず、臍の上に置かれた蒟蒻の冷えを言うことで間接に病状を詠むことが、俳諧化の方法なのである。」

            

虚子の句「志俳諧にありおでん喰ふ」を「よもだ堂日記」では「惚け趣味」の句の例として挙げていたが、「自分の俳句人生をおでんを食いながらしみじみと考えたことを象徴的に句にしたものである」と解釈するのは的外れだろうか?

     

虚子の句「川を見るバナナの皮は手より落ち」について「増殖する歳時記」には次の句評がある。

 

「虚子の『痴呆俳句』として論議を呼んだ句。精神の弛緩よりむしろ禅の無の境地ではなかろうか。俳句はこういう無思想性があるからオソロシイ。そして俳人も。(井川博年)」

       

この句について、櫂未知子さんは「食の一句」において次のように述べている(抜粋)

 

「虚子自身の経験ではなく、隅田川べりで目にした男を句にしたらしい。・・・(省略)・・・虚子ぎらいの人たちによって攻撃されやすい句の一つだが、昭和9年という制作年からすると、当時、相当モダーンな句だと考えられていたのではなかろうか。(以下省略)

    

今朝の「NHK俳句」において、ゲストの柳生博さんが友人の句「我が巣箱待てど待てどもシジュウカラ」を披露して「ダメですね?」と選者(櫂未知子さん)のコメントを求めたところ、「ちょっとダメですね」と一蹴されていた。

同音異義語(「四十雀」と「始終空」)をかけた滑稽句だろう。

「巣箱掛け待てど待てどもシジュウカラ」とするとわかりやすいが、伝統俳句の視点から見ると選者の好みに合わないだろう。

          

「高齢者の『鼻が利かない』は痴呆の兆候?」というブログ記事があったが、この場合は痴呆とは無関係の機能不全だった由である。医学の進歩した現在では、病気は早期発見をすれば進行を抑えたり、治療したりできるではないか?

    

仲間と吟行や句会をして俳句を作り鑑賞して、頭と体の健康を維持することに努めたいものである。

        

ふと遊び心でインターネットで「花」と「鼻」を検索して見た。

すると、「国柄探訪:大和言葉の世界観:『鼻』は『花』、『目』は『芽』。大和言葉には古代日本人の世界観が息づいている。」という同音異義語を取り上げた興味ある記事があった。

「(文責:伊勢雅臣)」と記載されていたが、昔の日本人の自然とのかかわりや宗教心の一端を知る参考になる。

     

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俳句談義(12):「椿寿忌」の俳句と高浜虚子

             

4月8日は高浜虚子の命日、椿寿忌(虚子忌)である。

 

虚子の忌や花の回廊句碑巡り

虚子の忌や希望の丘へ句碑巡り

       (薫風士)

   

歳時記には椿寿忌の句が無数にあるので面白い俳句があればブログで取り上げようと思っていたが、「虚子忌」という季題のせいか面白い句は見つからなかった。

 

(青色文字をクリックして関連の解説記事をご覧下さい。)

   

そこで、「椿寿忌」にちなんで作った拙句「虚子の句の謎解き楽し椿咲く」に対して俳句仲間のベテラン女性がアドバイスしてくれたことを書くことにする。

 

Jさんは、「『句の』を『句碑』に変えて『虚子の句碑謎解き楽し椿咲く』にすると一般に分かりやすい句になって良い」という。

Fさんは、「『鎌倉の椿山』を詠みこんで、原句を『虚子の句を解く鎌倉の椿山』に変えるのが良い」という。

 

俳句談義(1)において虚子の句「春の山(かばね)を埋めて空しかり」について虚子辞世句の新解釈として書いたのをFさんは読んでくれていたのだ。だから、「鎌倉の椿山」を詠み込んだ句にすることを勧めてくれたのだろう。

   

高浜虚子は客観写生・花鳥諷詠を唱道しながら自由奔放に俳句を作っている。

 

「チュヌの便り」の「本との出会い」や「俳句談義」に書いたように、虚子の俳句についての解釈や虚子の人間性についても様々な評価がある。中には、何か遺恨でもあるのかと思うような誤解と偏見に満ちたものもある。

 

俳句は好き好き人も好き好きである。だが、俳句は作者が作った「場」と「視点」を正しく認識して鑑賞しないと句意を誤解することがある。

 

俳句は短歌や川柳のように作者の考えや感情をむき出しにせず中立的な表現をするのが普通である。虚子の俳句は特にそうである。

 

一見すると「薄情」とか「非情」とか思える句もある。

しかし、虚子は「人間を含む森羅万象すべてのことについて『色即是空』の観念に視点をおいて客観写生・花鳥諷詠の句作をしていたのではなかろうか? 

  

そういう視点で虚子の句を鑑賞すると大抵納得できる。      

      

例えば、虚子は「酌婦来る灯取虫より汚きが」という句を作っている。

「増殖する俳句歳時記」を見ると、掲句について次のような清水哲男氏の句評(抜粋)がある。

   

「仁平さんも書いているように、いまどき『こんな句を発表すれば、……袋叩きにされかね』ない。『べつに読む者を感動させはしないが、作者の不快さはじつにリアルに伝わってくる』とも……。自分の不愉快をあからさまに作品化するところなど、やはり人間の器が違うのかなという感じはするけれど、しかし私はといえば、少なくともこういう人と『お友達』にはなりたくない。」

        

「女性蔑視の虚子の句」という作者不詳のブログに次の記述(抜粋)がある。

    

「『酌婦来る灯取虫より汚きが』 虚子が自選し、高浜年尾が「珠玉の句」と最大級の賛辞を送る「虚子500句」のなかに、この句がある。昭和9年6月11日に詠んだものだが、俳人としての虚子の評価はいかがわしい。

・・・(省略)・・・

この句を何の躊躇もなく自選500句に入れる感覚の持ち主だ。俳人としてはもとより、人間としての感性が疑われよう。虚子は庶民の哀感に疎く、女性を蔑視していた人間だという事実が、この酌婦の一句で浮き彫りになったのではないか。

・・・(省略)・・・

精一杯生きている女性を「火取虫より汚きが」と差別感情あらわに唾棄する人物だという事だ。俳句に心を傾ける人間として許せないものがある。

・・・(省略)・・・

私の主張、虚子批判に異論のある方は、遠慮なく意見や反論を寄せていただきたい。互いの論戦、見解、意見を堂々とホームページにあげて、世人の判断を得たい。虚子の句集には、まだまだ問題句がヤマとある。」

  

このブログの作者はブログ記事の最後に「意見・反論をメールで」と読者のコメントを求めているが、メールを出しても「なしのつぶて」である。

  

このブログの作者は誰なのか? この句を虚子が作った日を特定していることからすると俳界の事情に詳しい俳人か?

  

「互いの論戦、見解、意見を堂々とホームページにあげて」と言いながら、名無しの権兵衛で正体不明である。覆面しながら「堂々」とは呆れた言いぐさである。

     

「ひとりむし」を大辞林は次のように解説している。

夏の夜,灯火に集まってくる虫。ガの類が多いが,コガネムシ・カブトムシなどを含めてもいう。火蛾(かが)。灯蛾(とうが)。灯虫(ひむし)。 [季] 夏。    

    

「灯取虫」と言えば、芥川龍之介の「大導寺信輔の半生」に次のような記述がある(抜粋)。

ここをクリックすると、「青空文庫」で全文をご覧になれます。

  

「ホイツトマン、自由詩、創造的進化、――戦場は殆ど到る所にあつた。彼はそれ等の戦場に彼の友だちを打ち倒したり、彼の友だちに打ち倒されたりした。この精神的格闘は何よりも殺戮の歓喜の為に行はれたものに違ひなかつた。しかしおのづからその間に新しい観念や新らしい美の姿を現したことも事実だつた。如何に午前三時の蝋燭の炎は彼等の論戦を照らしてゐたか、如何に又武者小路実篤の作品は彼等の論戦を支配してゐたか、――信輔は鮮かに九月の或夜、何匹も蝋燭へ集つて来た、大きい灯取虫を覚えてゐる。灯取虫は深い闇の中から突然きらびやかに生まれて来た。が、炎に触れるが早いか、嘘のやうにぱたぱたと死んで行つた。これは何も今更のやうに珍しがる価のないことかも知れない。しかし信輔は今日もなほこの小事件を思ひ出す度に、――この不思議に美しい灯取虫の生死を思ひ出す度に、なぜか彼の心の底に多少の寂しさを感ずるのである。………」

  

付記に「大正十三年十二月九日、作者記」とあるから、「大導寺信輔の半生」は1924年の作である。

   

余談だが、この年の1月に皇太子裕仁親王(昭和天皇)のご成婚があり、3月には谷崎潤一郎が大阪朝日新聞に『痴人の愛』の連載を開始している。

   

その10年後の1934年に虚子はこの酌婦の句を作っているが、ウイキペディアによると、「5月以後 - 東北地方を中心に冷害と不漁が相次ぎ、その年の同地方は深刻な凶作となって飢饉が発生した」とのことである。

飢饉となれば家族の犠牲になって身売りする女性が出る時代である。

 

上記のブログの作者が虚子の句の対象になった酌婦に何らかの所縁(ゆかり)のある俳人なら上記のように憤慨するのももっともだろう。

             

いずれにせよ、虚子は特定の女性を侮蔑する気持ちで問題の俳句を作ったのではないだろう。

 

酌婦にも上品なものもおれば、下品なものもいただろうし、美人も不美人もいただろう。

 

たまたま街で見かけた厚化粧の下品な酌婦を俳句に詠んだのかも知れないし、酌婦としては意外な不美人が来たのでその驚きを表現するのに座興に作った俳句なのかもしれない。

 

ともかく、俳句の皮相な解釈をして、その作者の人格まで云々するのは感心しない。

 

俳句そのものの芸術論や文学論などの議論をするのなら正々堂々とすべきであろう。正体も生死も分からない相手なので議論のしようがなく、誤解や誤った記事がインターネットで独り歩きするのも問題である。

虚子も天国で苦々しく思っていているかもしれないが、死者に口無しであるから敢えてこのブログで反論を書いている次第である。

  

夏目漱石が高浜虚子の小説「鶏頭」の序文において「風流懺法などの小説に触れながら虚子の人柄について面白いことを言っている。この序文は文芸・文化論としても面白く、漱石はさすがに文豪だなという認識を新たにした。

 

文豪といえば、虚子は「落花生喰ひつつ読むや罪と罰」という句を作っている。

「罪と罰」はロシアのドストエフスキーのシリアスな長編小説である。

この真面目な小説を落花生を食べながら読んだのは実際だろう。だが、不真面目な気持ちで読んだのでも、この小説を馬鹿にしたわけでもく、俳句の一つの特徴であるユーモアをこの句で表現してみせたのに違いない。         

     

現在では「酌婦」は死語となり、「ホステス」というのが普通である。

 

酌婦と言えば「慰安婦問題」も国際問題がらみの難しい政治課題である。       

男女差別用語も一般に使用されなくなり、「看護士」や「看護婦」は「看護師」に統一されている。

   

女性の参政権の歴史など当時の社会情勢・世相を考慮すると、女性の美醜にかかわる句を作ったからといって虚子が特別非難されるべき女性蔑視の俳人とみなされるべきではないだろう。

   

男女同権が徹底している筈の現在でも民意で選ばれた政治家が女性蔑視の失言をして問題にされることがある。  

まして、明治生まれの虚子が戦前に詠んだ俳句をもとに、その人間性を現在の社会感覚で問題にするのは妥当ではない。

   

4月8日は釈迦の誕生日とされ、花祭りでもある。幼い頃に菩提寺(白毫寺)で甘茶を頂いた記憶はあるが、法話を聞いたのかどうか記憶は定かでない。だが、なんとなく仏教的な輪廻の考え方が自然に自分の身についているように思う。

 

甘茶と言えば、高浜虚子は「和尚云ふ甘茶貰ひにまた来たか」という句を作っている。「般若心経」や「色即是空」「輪廻転生」の意識を当然持っていただろう。

 

虚子は聖人でも格別人格者でもなかっただろう。

  

本との出会い」や「俳句談義」にこれまで書いたように、「色即是空」の観点から見れば天皇も自分も酌婦も皆同じ人間だという意識で花鳥諷詠を俳句にしていたのではなかろうか?

人の世は辛いことがあっても悠久の宇宙からみれば束の間である。儚い露の世も南無阿弥陀を唱え花鳥諷詠をすれば極楽になるだろうという祈りを込めて、「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」と詠んだものと思う。

そして、鎌倉の山に思いを馳せながら「春の山(かばね)を埋めて(くう)しかり」を辞世の句として詠んだのに違いない。

 

虚子のこの「春の山」の句を踏まえて京極杞陽が詠んだ辞世の句「さめぬなりひとたび眠りたる山は」があるが、この句の「山」は虚子のことを指している比喩と解釈することもできる。

      

参考までに付記すると、

1900年に娼妓(しょうぎ)取締規則(娼妓稼業に関する取締法規)が発布され、1946年に廃止されるまで公娼制度があった。

 

「売春防止法」が制定されたのは1956年であり、完全に施行されたのは1958年(昭和33年)である。     

昭和6年(1931年)に婦人参政権を条件付で認める法案が衆議院を通過したが、貴族院の反対で廃案になっている。

 

第二次世界大戦後の1945年11月21日に、勅令により治安警察法が廃止され、女性の結社権が認められ、同年12月17日の改正衆議院議員選挙法公布により、ようやく女性の国政参加が認められたのである。

   

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2015年3月29日 (日)

俳句談義(11):「甘納豆」と「おでん」と「俳句」

               

俳句は好き好きである。

 

高浜虚子の俳句について、長谷川櫂さんが指摘した「場」を推定し、私なりの解釈を楽しみながらブログを書いている。

高野素十の俳句「朝顔の二葉のどこか濡れゐたる」に対する虚子の句評ついて、「俳句のユーモア」(講談社)で坪内稔典さんが言っていることに頷けない点があるので次に抜粋し、私見を述べさせて頂く。

  

(虚子の句評)

ただ朝顔の二葉といふものを見て俳句を作らうと試みた。ただ朝顔の二葉のみである。その外に何物もない……。色々考へわづらうた末に、「どこか濡れ居たる」といふことに到着して作者の心は躍動した。 ・・・(省略)・・・

朝顔の二葉を描いて生命を伝へ得たものは、宇宙の全生命を伝へ得たことになるのである。鐘の一局部を叩いてその全体の響きを伝へ得ると一般である。(『句集虚子』昭和5年)

  

(稔典さんの記述)

前段は表現の細部に眼が届いた優れた鑑賞だ。だが、後段では、五七五の背後に大宇宙を見るという恣意に陥っている。

・・・(省略)・・・

そこには俳句の表現が本来的に片言に近いという自覚がない。

こんな虚子のような見方に従うと、ほとんどの俳句は宇宙の全生命に結びついてしまう。

・・・(省略)・・・

そんな見方は俳句という小さな詩型にとってあまりにも大ざっぱに過ぎる。あるいは達観しすぎた見方だ。

・・・(省略)・・・

片言性から眼をそむけ、五七五の表現されていない背後などに頼っていたのでは、片言の力をうまく発揮できないだろう。(以下省略)

            

    

稔典さんは上記のように虚子の句評を批判しているが、この批判は的を射てない。

「俳句の表現が本来的に片言に近い」という制約がることは、高浜虚子が認識していたことは言うまでもないだろう。だからこそ、季語季題を活用することによって初心者でも詩的な俳句を作りやすくなるように指導したのだろう。

「五七五の表現されていない背後」などを考えるのも俳句鑑賞の面白さの一面である。それを否定することは俳句の面白さの一面しか知らない者の言であろう。稔典さんは勢いで筆が滑ったのではなかろうか?

    

虚子の句評は大げさと言えないこともないが、良きにつけ悪しきにつけ句評は一般に大げさなものが多い。

朝顔の二葉を描いて生命を伝へ」や「宇宙の全生命」とは「宇宙の摂理」や「自然の摂理」の現象を指していると解釈すべきだろう。

虚子は「鐘の一局部を叩いてその全体の響きを伝へ得る」と言っている。だが、坂本龍馬の言を借りれば、その響きは俳句の作者と鑑賞者のレベルや考え方次第である。

宇宙の摂理が表わす様々な現象・自然の美を愛で、それを俳句にするのが「花鳥諷詠」であるが、素十の句が「朝顔の二葉を描いて生命を伝へ得た」としても、「宇宙の全生命を伝へ得た」かどうかは評価が分かれるだろう。

もちろん、この素十の俳句のような句風のみが花鳥諷詠というわけではない。

虚子も自由奔放に、「朝顔にえーっ屑屋でございかな」「去年今年貫く棒の如きもの」「天の川の下に天智天皇と虚子と」「初空や大悪人虚子の頭上に」など、様々な句を作っている。

  

稔典さんは虚子の句「春風や闘志いだきて丘に立つ」について、「かって私の愛誦句だった」と述べている。

正岡子規松尾芭蕉の「正風俳諧」・「連句を批判して「客観写生」を唱道したように、稔典さんは高浜虚子の「花鳥諷詠」を敢えて批判することによって、「片言性俳句」(?)を新しい句風として唱道しようとしているのだろうか?

  

俳句の大衆化という点においては「虚子の目指していたこと」と「稔典さんが目指していること」に共通性があるのだろう。だが、その手法や句風には大きな隔たりがある。両者には時代の差があり、俳句の入門書も虚子の「俳句の作りよう」と「坪内稔典の俳句の授業」(黎明書房発行)の違いは大きいが、例えば次の俳句が両者の違いを如実に示している。

      

志俳諧にありおでん食ふ

桐一葉日当りながら落ちにけり

見送りし仕事の山や年の暮

三月の甘納豆のうふふふふ

甘納豆六月ごろにはごろついて

十二月をどうするどうする甘納豆

              

虚子はホトトギスに「台所雑詠という欄を設けて女性の俳句を奨励・指導して女性俳人を育成した。その影響は大きな効果を生み、かっては俳句は男性が作るものだったが、現在は圧倒的に女性が多くなっている。

しかし、若い世代の俳句愛好家が少ないのは残念である。

上記の句「三月の甘納豆」には伝統的な俳句川柳と違う新しさを感じる。だが、「甘納豆六月」や「12月の甘納豆」は甘党甘納豆に飽きが来たということなのだろうか、若者の気を引くために俳句の例句として作ったのだろうか。いずれにせよ、俳句というよりも言葉の遊びである。

甘納豆」は美味しいが、所詮おやつである。辛党にはやはり「おでん」がよい。先日のテレビ番組で「サラリーマン川柳」や「女子会川柳」など川柳に興味をもつ若者が増えていることを紹介していた。

甘納豆の句は「俳句・川柳まがい」の駄洒落の感があるが、稔典さんの新しい句風が若者の感性に合い、「俳句はお年寄りの趣味だ」などと見向きもしない多くの若者の興味を惹き、若い世代の本格的な俳句愛好家が将来増えるきっかけになれば結構なことである。

駄洒落と言えば、高浜虚子の「俳句への道」の冒頭に「おやをもり俳諧をもりもりたけ忌」という句が掲載されている。

      

上記のように、虚子も俳句を広めるために駄洒落を用いて面白い句を作っているが、茎(くき)右往左往菓子器のさくらんぼ」という句も作っている。

      

この句について、稔典さんの次のような句評・記事が毎日新聞WEBにあった。

 「先日、この句をめぐって紛糾した。サクランボそのものを詠んだのか、茎を詠んだのかで意見が分かれたのだ。つまり、菓子器にあるのは、茎のからまったサクランボなのか、食べた後の茎だけなのか。私は食べた後派。残骸の茎が楽しかっただんらんを示している。茎(食べかす)を詠んだのはいかにも俳人らしいふるまいだろう。」    

   

山本健吉の「定本 現代俳句」には次のような句評がある(抜粋)

「無造作に詠み放したような作品である。菓子器に盛られたさくらんぼの柄が、縦横に入り乱れてつっ立っているさまに、作者は興趣を感じたので、軽いユーモアがここには漂っていると言えよう。」(以下省略)

         

   

このようなユーモアに腐心した俳句を鑑賞していると、NHK大河ドラマの「花燃ゆ」でおなじみの高杉晋作辞世句といわれる「おもしろくもなき世をおもしろく」を思い出す。

      

余談だが、俳句や川柳で面白く過ごせる、誰でも自由にものが言え世界に発信できる現在の日本の平和は世界大戦の多大の犠牲の上に戦後70年にわたって営々として築いてきたものである。正しい歴史認識をふまえて未来永劫に大切に維持したいものである。成り行きや時の勢いで「筆を滑らせる」ことが無いように、安倍さんや識者がしっかり議論して準備してくれることを祈るや切である。

              

このブログは「釈迦に説法」で失礼したが、「俳句は好き好き」、「解釈は創作」ということでご容赦願いたい。

4月8日は「釈迦の誕生日」であり、高浜虚子の忌日(椿寿忌)である。

次回は「虚子忌」の俳句などについて書くことにしたい。

 

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