俳句談義(14): 俳句の片言性と二面性(改訂版)

     

先日、川柳仲間に「ゴルフコンペに参加しないか」と問い合わせたところ、返信メールに次の文言があった。

      

ところで、東京新聞の『平和の俳句』に投句したところ記者が選ぶ特集記事の中に選句された。

   

『焼け跡に金魚一匹生き残る』

  

今まで6-7千句の投句があったようです。

金子兜太が選をして毎日1句記載される。記載されなかった句の中から、何人かの記者が数十句を選び編集して毎月1回特集している。

     

「たいしたものではありません。ご放念ください。」とあったが、このブログで取り上げさせて頂くことにした。   

(青色文字をクリックして解説記事・詳細をご覧下さい。)

      

「焼け跡」まで読んだ一瞬、阪神淡路大震災のことかと思ったが、「金魚夏の季語である。

この句は、1945年7月4日未明に高知市が被災した大空襲のことを詠んだ句らしい。

友人の家は全焼し、屋外の水槽に金魚が一匹生きていた。そのことを思いだして詠んだとのことである。

高知の大空襲では120機のB-29が高知市上空に飛来し、死者401人、罹災家屋約12,000戸だった。

大空襲といえば、1945年3月10日の東京大空襲であるが、罹災者が100万人を超え、死者は10万人を超えている。

  

三橋敏雄は次の俳句を作っている(出典:「坊城俊樹の空飛ぶ俳句教室」)。

  

いっせいに柱の燃ゆる都かな 

        (昭和20年)

   

戦争と畳の上の団扇かな 

        (昭和57年)

  

前の句では、三橋敏雄は大空襲の悲惨さを感じないかのように淡々と詠んでいる。「悲惨さ」の感情でなく「悲惨な事実」のみを詠むことを良しとしたのだろうか?

後の俳句は、「戦争」と「畳の上の団扇」を並べ詠むことによって、「戦争のない幸せ」を表現したものだろう。

「団扇」は「日常的な平穏さ」を連想させる。

「畳の上」は「畳の上で死ぬ」という言葉通りの「平穏な死」と「戦争による無惨な死」の対比を連想させる。

前の句は、無季俳句であるが、大空襲は自然現象・季節と無関係な人災であるから無季俳句にするのも当然だろう。

  

三橋敏雄は次の俳句も作っている(出典:「現代の俳人101」金子兜太編)。

  

あやまちはくりかえします秋の暮

  

この俳句は、文字通りの句意は明瞭だが、何を言おうとしたのだろうか?

「歴史は繰り返す」とか「得てして同じような過ちを繰り返す」という人間の業をブラックユーモアにした警句だろうか?

戦争は一片の俳句や川柳でブラックユーモアにするにはあまりにも重いが、考える契機にしたいと思う。     

        

インターネット・サイト「戦後70年『平和の俳句』」のトップに次の俳句が掲載されていた。

  

蒸され濠(ごう)水一口に息絶えし

    

埼玉新聞」のサイトに、「九条守れの俳句掲載拒否 俳人・金子兜太さん『文化的に貧しい』」という見出で、次の記事があった(抜粋)

  

梅雨空に『九条守れ』の女性デモ

  

さいたま市大宮区の三橋公民館が発行する公民館だよりに、俳句「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の掲載を拒否した問題について、熊谷市在住の現代俳句を代表する俳人金子兜太さん(94)に聞いた。

金子さんは「この社会に生きている人間を詠んだ当たり前の俳句を、お役人が拡大解釈した実に野暮(やぼ)で文化的に貧しい話」と語った。

句は公民館だよりに掲載するため、公民館で活動しているサークルが選んだ。市側は「世論を二分されているテーマが詠まれている」などとして、掲載を拒否した。

   

この句は兜太さんが言うように「作者はデモには好意を持ったが、熱く共感したわけではない」のかもしれない。

「梅雨もうっとうしいが、デモも不愉快だ」と解釈出来ないこともない。

公民館だより」が上記の句を掲載しなかった背景・経緯の詳細は知らないが、「この句一句のみを掲載することの要請」が拒否されたということなら公民館関係者の配慮も理解できる。

複数の俳句を載せる場合にこの句の掲載のみが拒否されたのなら問題にすべきことかもしれないが、俳句は片言の域を出ず、読者の好き好きの解釈が出来るので、一句だけ載せることは読者の誤解を招くことにもなりかねないから配慮が必要である。

一般に、新聞などで俳句の欄を設ける場合には選者を複数にするとか、交代にするとかの配慮をしている。   

問題の対象になった句は「平和の俳句」として選者が毎日一句だけ選んでいる一つのようである。

この特集に関連して、東京新聞」のWEBサイトに「戦前の空気に抗って」というタイトルの金子兜太・いとうせいこう両氏の対談記事があった。     

    

俳句本来の話題に戻る。

  

たとふれば独楽のはぢける如くなり

 

河東碧梧桐の死に高浜虚子が詠んだ弔句であるが、片言といえないこともない。文字通りの意味は分かるが、虚子と碧梧桐の関係を知らなければ、その背景にある句意は全く分からない。

竹馬の友とか「刎頸の友とかいう言葉があるが、虚子や碧梧桐のことを知って初めて「名句だな」と納得できる。  

坊城俊樹氏の「高浜虚子の100句を読むを読むと、この句の背景などもよくわかる。    

     

赤い椿白い椿と落ちにけり 

       (河東碧梧桐

  

椿が好きだった虚子の命日は「椿寿忌」といわれるが、この句は「門人達が虚子から去っていくことを比喩的に詠んだものでないか?」と、ふと思ったが、それは穿ち過ぎで全く関係がない。

         

愕然として昼寝覚めたる一人かな 

      (碧梧桐)

    

昼寝する我と逆さに蝿叩 

          (虚子)

  

夜半亭のブログに面白い記事がある(抜粋)

      

「掲出の虚子の句、『昼寝する我と逆さに蝿叩』と何とも人を食ったような句であるが、この『蠅叩』を、碧梧桐に置き換えて見ると面白い。『昼寝をしようと決め込んだら、蠅叩きが逆さ向きで気にかかる。それは丁度反対の方に行こうとする碧梧桐のようで、昼寝どころでなくなった。俳句は少々休んで小説の方と思ったが、碧梧桐流の俳句のやり方には我慢できないので、その向きを変えようと、その蠅叩の向きを変えて、碧梧桐一派の蠅共も叩きつぶしてやる』というように詠めなくもない。

むろん、この句はそんなことは意図はしていないが、こと俳句に関しては、「新傾向俳句の革新派」碧梧桐に対して「伝統俳句守旧派」虚子という図式化にすると、何とも面白い詠みもあるのではないかということである。」

   

高浜虚子と河東碧梧桐との句風の違いが面白い。     

     

「虚子は自分が日本文学報国会俳句部会長として戦争を賛美することなく花鳥諷詠の文学を堅持し、時代の流れに掉さすことも流されることもなく、文芸家・俳人としての良心貫いたのだと思う。」と俳句談義(5)」に書いたが、虚子は俳句の片言性を認識していたからこそ戦争俳句を良しとしなかったに違いない。

俳句談義(4)で述べたように、俳句には滑稽句ともシリアスな句とも解釈できる二面性のあるものが多い。

俳句は句材について考えるきっかけを作ることは出来ても、何か思想的な内容を表現するには片言過ぎる。

イデオロギーや政治的な主張など内容の深いものは散文で明確に表現するのが望ましい。

       

次回は「昭和の日」(4月29日)に因んだ俳句談義を書きたい。  

          

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