俳句 (Haiku) Feed

2015年9月22日 (火)

ロシア旅行の写真と俳句(英訳付き修正版)

            

Click here to see "Bashō's haiku in Japanese and English by L. P. Lovee"

   

ロシアモスクワサンクトペテルブルグ)を観光した時のチュヌの主人の俳句と写真を披露します。

俳句の英訳は英語俳句楽しことができるように意訳しいます。

(青色の文字をクリックすると解説や写真・動画がご覧になれます。)

  

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秋冷の赤の広場や鳩一羽

a dove

on the Red Square

in the cool autumn morning

     

秋澄むや赤の広場の時の鐘

a bell chiming the time_

clear autumn

on the Red Square

       

平和かな秋夕焼けのクレムリン

What a peace!

the bright evening sky_

the Kremlin Palace in autumn

    

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大帝の夢噴き上げる秋の水

the autumn fountain

blowing up

the dreams of Peter the Great

           

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ピョートルの大カスケード水の秋

the cascades

of autumnal water_

Peter the Great  

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鴨憩ふエカテリーナ愛でし池

the pond and wild ducks_

as loved by

Catherine the Great

   

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大帝の凛々し騎馬像秋高し 

the gallant equestrian statute

Peter the Great_

high autumn

   

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秋水を湛へ対称宮廷園

the autumnal water

the garden_

all in symmetry

     

Imga0140_2   

要塞てふ修道院の秋深む

once a fortress

the cathedral_

the deepening autumn

        

秋雨や砦でありし修道院

raining in the autumn_

the cathedral

once a fortress

       

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2015年9月20日 (日)

伊賀上野・草津(吟行句)

             

チュヌの主人が芭蕉ゆかりの伊賀上野草津俳句仲間と行したときの仲間の俳句を掲載します(順不同)。

(青色の文字をクリックして関連のサイトの解説記事や歳時記、写真などをご覧下さい。)

      

道灌てふふるまひ酒や秋うらら  

        (文子)

 

木の根張る鍵屋の辻高音  

       (順子)

 

枯蓮の影に触れたり蓑虫庵 

         (寧伸)

 

警報のやうに咲き出す曼珠沙華 

        (美娜)

  

松手入れ庭師の指の細やかに 

        (美津子)

 

身に入むや墨跡残す吉良浅野 

         (知子)

 

木犀や蛙の句碑に日の斑揺れ 

        (眞知子)

  

道灌蔵の試飲あれこれ豊の秋 

        (律子)

  

伊賀の里鈴なりの柿輝けり 

         (栄治)

  

天高し跳ねる上野城 

         (かず)

  

通り土間へ秋の明かりや無双窓 

        (良子)

 

小鳥来るやっぽんぽんてふ甲賀の湯

        (さとし)

    

次回は「小鳥来る」「鳥渡るなど、小鳥」の季語にかかわる俳句について書くことにしたい。

 

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2015年6月16日 (火)

俳句談義18:政治家と俳句《俳句を通して世界の平和を!》

            

(P.S. 2015.6.16)

国際俳句交流協会の総会・懇親会が6月1日に駐日EU代表部で開催され、ヘルマン・ファン・ロンパイ前EU大統領の講演「俳句を通して世界の平和を」を拝聴した。

講演の基本的内容はHIAのホームページ「ヘルマン・ヴァンロンプイEU大統領基調講演」「国際俳句交流協会創立25周年記念シンポジウム開催に寄せて」とほぼ同じだった。

     

ファン・ロンパイさんは政治家であるが、俳句を通じて日欧親善・文化交流を推進しておられる。そのせいか、6月2日に岸田文雄外務大臣から「日EU俳句交流大使」を委嘱された。

 

外務省のホームページを見ると、次の記述がある。  

「岸田外務大臣からは『日欧の 親交ひろむ 薫風や』、

ファン=ロンパイ議長からは『詩人らは 生と自然を- 和の願い』及び『山々の 森明暗に 俳句満つ』の二句を詠みました。」

      

ファン・ロンパイさんの人柄を知る参考までに、同氏の句集から次の3句を掲載させて頂く。

神、善と愛 授受こそが 畢生(ひっせい)の生き甲斐

(God, goodness and love, both received and given  give meaning to life.)

肌の色言葉神々違えど我に我の道

(Different colours, tongues, towers and gods. I search my way.)

・ノーベル氏の 宿願果たし 平和の世

 (After war came peace. Fulfilling the oldest wish: Nobel’s dream comes true.)

 

最後の句には「ノーベル平和賞受賞式を記念して」と注記がある。

 

同氏のfacebookホームページ(英文)に興味があればここをクリックしてご覧下さい。

             

オバマ大統領は安倍首相歓迎晩餐会において次の俳句を披露している俳句談義15参照)

 

春緑 日米友好 和やかに

Spring, green and friendship/United States and Japan/Nagoyaka ni.」

    

オバマさんもノーベル平和賞を受賞したのだから、それに相応しい平和外交を推進して、「ノーベルの宿願果たし平和かな」と俳句を詠めるようにしてほしいものである。

              

戦後70年間維持してきた平和が、安倍総理が主導する「平和安全法制」によって破綻し、日本が招かざる戦争に巻き込まれることになってはならない。

「平和安全法制」を制定するとすれば、「平和憲法に基づいて、平和を維持し、国民の安全を守るための法律であること」を明確にする必要がある。

「最低限度」といっても何が最低限度か明確な定義が無い限り様々な解釈ができ、歯止めが無くなる。

 

「存立危機事態」の想定される事態をリストアップし、そのリストの妥当性を国会で十分審議して、国民の声が反映されるようにしてほしい。

 

自衛隊の責任者が派遣された現場で「平和憲法に基づく自衛権の行使になるか否か」を判断することは不可能である。

 

安倍さんは綺麗ごとばかり言って、戦争の悲劇の責任は「自己責任だ」と現場の兵士の責任に押し付けるつもりだろうか?

 

平時にこそ「存立危機事態」や3要件の具体的な事例を想定し、その判断マニュアルを明確に規定し、十分国会で審議する必要がある。

 

どんな事態にも「切れ目なく対応できるように」と称して、歯止めのないオープンリストにしてはならない。

 

総理大臣として、本当に国民の安全を願っているのなら、「存立危機事態」の抽象的定義のみならず、具体的な事例を限定的なクローズドリストで定義を明確にし、国民の信を改めて確認すべきだろう。

 

憲法の根幹を揺るがす決定を閣議決定で実施してはならない。 

      

「いじめ」の問題を理由にして、「道徳の教科化」をしたり、「国家機密の漏洩防止のため」と称して「特定秘密保護法」を制定したりする一連の法改正の動きを見ると不安になる。

 

国民が自由にものを言えなかった戦前の時代に逆行させてはならない。

    

このブログを書いている時に、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の吉田松陰を演じた伊勢谷友介さんが「現代の松下村塾」を始めたことを放送していた。

 

選挙権を18歳以上に拡大することが検討されている時に若い人たちがこのような活動を始めたことは頼もしい。

 

若者はその日その日の仕事や生活に追われて余裕がないだろうが、是非とも政治に関心を持ち平和な日本を維持する努力を惜しまないでほしい。

 

さもなければ、かって若者が太平洋戦争の犠牲になったように、いずれ現代の若者も無用なテロの犠牲・戦争の犠牲に巻き込まれることになるだろう。

 

かって政権を葬った安倍さんの頑張りぶりを応援をしていたチュヌの主人も、現在の安倍さんの暴走ぶりに我慢できなくなって、微力ながらこのブログを懸命に書き、マスコミに働きかけ、政治に反映させようと思って老骨に鞭を打っています。

  

民主党など野党の皆さんも、安倍さんの挑発的態度に乗せられて国会審議を放棄することのないようにしてほしい。民主党は千載一遇の政権を獲得しながら自滅したことを反省し、次期選挙で国民の信任を得て政権を獲得できるように臥薪嘗胆してほしい。

国会審議をボイコットするのではなく、もっと知恵を働かして国民のためになる議論をしてほしいものです。

         

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2015年6月 8日 (月)

石清水八幡宮と松花堂庭園(京都の旅)

 

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2015年6月に京都の石清水八幡宮と松花堂庭園を吟行した仲間の俳句と写真を披露します。

   

(写真:律子さん撮影)

     

写真はクリックすると拡大されます。

   

青色文字をクリックすると解説記事がご覧になれます。

  

解説記事は「戻る」操作ができる場合は、「戻る」で閉じて下さい。

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元気な仲間は男山の展望台まで行きました。

  

生憎の夏霞や竹藪などに邪魔をされ三川合流のスポットは見ることが出来ませんでした。 

  

松花堂庭園には亀甲竹四方竹など珍しい竹が色々ありました。

吉兆松花堂弁当で昼食を済ませて、すぐに句会をしました。

    

(仲間の俳句)

(平成27年6月2日吟行)

(順不同)

    

江戸硝子に揺るる日の斑夏座敷   

       (知子)

  

朝涼の吾が影揺らぐ江戸硝子    

       (順子)

 

竹皮を脱ぐ草庵の静けさに      

       (美娜)

  

万緑に映ゆ朱の社殿石清水      

       (栄治)

  

竹落葉乗せ親しげに鯉寄れり     

       (文子)

  

ご神木に力瘤あり青葉風       

       (寧伸)

  

泳ぐあさざの黄色震はせて     

      (眞知子)

  

生まれながらに亀甲模様今年竹    

       (かず)

 

エジソン碑の空に戦ぎし今年竹    

       (美娜)

 

篠の子のけなげに天を目指しをり   

        (良子)

  

三川の合流隠す今年竹        

       (さとし)

 

梔子の香を運びくる風白し      

        (輝雄)

  

水琴窟のゆかしき音色夏の園     

        (律子)

  

まのあたりに巣立ち楠大樹    

  (美津子・欠席投句)

    

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俳句談義(14): 俳句の片言性と二面性(改訂版)

     

先日、川柳仲間に「ゴルフコンペに参加しないか」と問い合わせたところ、返信メールに次の文言があった。

      

ところで、東京新聞の『平和の俳句』に投句したところ記者が選ぶ特集記事の中に選句された。

   

『焼け跡に金魚一匹生き残る』

  

今まで6-7千句の投句があったようです。

 

金子兜太が選をして毎日1句記載される。記載されなかった句の中から、何人かの記者が数十句を選び編集して毎月1回特集している。

     

「たいしたものではありません。ご放念ください。」とあったが、このブログで取り上げさせて頂くことにした。   

(青色文字をクリックして解説記事・詳細をご覧下さい。)

      

「焼け跡」まで読んだ一瞬、阪神淡路大震災のことかと思ったが、「金魚夏の季語である。

この句は、1945年7月4日未明に高知市が被災した大空襲のことを詠んだ句らしい。

友人の家は全焼し、屋外の水槽に金魚が一匹生きていた。そのことを思いだして詠んだとのことである。

 

高知の大空襲では120機のB-29が高知市上空に飛来し、死者401人、罹災家屋約12,000戸だったが、東京の大空襲の罹災者は100万人を超え、死者は10万人を超えている。

  

三橋敏雄は次の俳句を作っている(出典:「坊城俊樹の空飛ぶ俳句教室」)。

  

いっせいに柱の燃ゆる都かな 

       (昭和20年)

   

戦争と畳の上の団扇かな 

       (昭和57年)

  

前の句では、三橋敏雄は大空襲の悲惨さを感じないかのように淡々と詠んでいる。「悲惨さ」の感情でなく「悲惨な事実」のみを詠むことを良しとしたのだろうか?

 

後の俳句は、「戦争」と「畳の上の団扇」を並べ詠むことによって、「戦争のない幸せ」を表現したものだろう。

 

「団扇」は「日常的な平穏さ」を連想させる。

「畳の上」は「畳の上で死ぬ」という言葉通りの「平穏な死」と「戦争による無惨な死」の対比を連想させる。

 

前の句は、無季俳句であるが、大空襲は自然現象・季節と無関係な人災であるから無季俳句にするのも当然だろう。

  

インターネット・サイト「戦後70年『平和の俳句』」のトップに次の俳句が掲載されていた。

  

蒸され濠(ごう)水一口に息絶えし

    

「埼玉新聞」のサイトに、「九条守れの俳句掲載拒否 俳人・金子兜太さん『文化的に貧しい』」という見出で、次の記事があった(抜粋)

  

梅雨空に『九条守れ』の女性デモ

  

さいたま市大宮区の三橋公民館が発行する公民館だよりに、俳句「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の掲載を拒否した問題について、熊谷市在住の現代俳句を代表する俳人金子兜太さん(94)に聞いた。

金子さんは「この社会に生きている人間を詠んだ当たり前の俳句を、お役人が拡大解釈した実に野暮(やぼ)で文化的に貧しい話」と語った。

句は公民館だよりに掲載するため、公民館で活動しているサークルが選んだ。市側は「世論を二分されているテーマが詠まれている」などとして、掲載を拒否した。

   

この句は兜太さんが言うように「作者はデモには好意を持ったが、熱く共感したわけではない」のかもしれない。

 

「梅雨もうっとうしいが、デモも不愉快だ」と解釈出来ないこともない。

 

「公民館だより」が上記の句を掲載しなかった背景・経緯の詳細は知らないが、「この句一句のみを掲載することの要請」が拒否されたということなら公民館関係者の配慮も理解できる。

 

複数の俳句を載せる場合にこの句の掲載のみが拒否されたのなら問題にすべきことかもしれないが、俳句は片言の域を出ず、読者の好き好きの解釈が出来るので、一句だけ載せることは読者の誤解を招くことにもなりかねないから配慮が必要である。

 

一般に、新聞などで俳句の欄を設ける場合には選者を複数にするとか、交代にするとかの配慮をしている。   

問題の対象になった句は「平和の俳句」として選者が毎日一句だけ選んでいる一つのようである。

 

この特集に関連して、「東京新聞」のWEBサイトに「戦前の空気に抗って」というタイトルの金子兜太・いとうせいこう両氏の対談記事があった。     

    

俳句本来の話題に戻る。

  

たとふれば独楽のはぢける如くなり

 

河東碧梧桐の死に高浜虚子が詠んだ弔句であるが、片言といえないこともない。

 

文字通りの意味は分かるが、虚子と碧梧桐の関係を知らなければ、その背景にある句意は全く分からない。

 

「竹馬の友」とか「刎頸の友」とかいう言葉があるが、虚子や碧梧桐のことを知って初めて「名句だな」と納得できる。  

 

坊城俊樹氏の「高浜虚子の100句を読むを読むと、この句の背景などもよくわかる。    

     

赤い椿白い椿と落ちにけり 

       (河東碧梧桐

  

椿が好きだった虚子の命日は「椿寿忌」といわれるが、この句は「門人達が虚子から去っていくことを比喩的に詠んだものでないか?」と、ふと思ったが、それは穿ち過ぎで全く関係がない。

         

愕然として昼寝覚めたる一人かな 

      (碧梧桐)

    

昼寝する我と逆さに蝿叩 

         (虚子)

  

夜半亭のブログに面白い記事がある(抜粋)

      

「掲出の虚子の句、『昼寝する我と逆さに蝿叩』と何とも人を食ったような句であるが、この『蠅叩』を、碧梧桐に置き換えて見ると面白い。『昼寝をしようと決め込んだら、蠅叩きが逆さ向きで気にかかる。それは丁度反対の方に行こうとする碧梧桐のようで、昼寝どころでなくなった。俳句は少々休んで小説の方と思ったが、碧梧桐流の俳句のやり方には我慢できないので、その向きを変えようと、その蠅叩の向きを変えて、碧梧桐一派の蠅共も叩きつぶしてやる』というように詠めなくもない。

むろん、この句はそんなことは意図はしていないが、こと俳句に関しては、「新傾向俳句の革新派」碧梧桐に対して「伝統俳句の守旧派」虚子という図式化にすると、何とも面白い詠みもあるのではないかということである。」

   

高浜虚子と河東碧梧桐との句風の違いが面白い。     

     

「虚子は自分が日本文学報国会の俳句部会長として戦争を賛美することなく花鳥諷詠の文学を堅持し、時代の流れに掉さすことも、流されることもなく、文芸家・俳人としての良心を貫いたのだと思う。」と俳句談義(5)」に書いたが、虚子は俳句の片言性を認識していたからこそ戦争俳句を良しとしなかったに違いない。

 

俳句談義(4)で述べたように、俳句には滑稽句ともシリアスな句とも解釈できる二面性のあるものが多い。

 

俳句は句材について考えるきっかけを作ることは出来ても、何か思想的な内容を表現するには片言過ぎる。

イデオロギーや政治的な主張など内容の深いものは散文で明確に表現するのが望ましい。

       

次回は「昭和の日」(4月29日)に因んだ俳句談義を書きたい。  

          

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2015年5月の主な更新記事

           

< タイトルなどの青色文字をクリックしてご覧下さい。>

      

俳句談義17: 

高浜虚子の俳句「敵といふもの」の「敵」とは何か? <俳句談義と政治談議>

              

俳句談義16:

「こどもの日」・「母の日」に思うこと。

    

俳句談義(15):

 「昭和の日」・「憲法記念日」と俳句

                

第36回36会川柳句会(テーマ:「山」)の選句結果

       

< 写真はクリックすると拡大されます。>                

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(外部リンク)

花鳥」「伝統俳句協会」「国際俳句交流協会

現代俳句協会俳句界」「俳句

       

2015年6月 7日 (日)

チュヌの便り <更新情報> Message from Chunu <What's up?>

     

(2022.9.11)

秋暑し9.11のクリーンデー」や著名俳人の季重なり俳句集」をご覧下さい。

   

2015年4月の更新記事 

俳句談義(14): 

俳句の片言性と二面性(改訂版)

     

俳句談義(13):

<「花」と「鼻」> 高浜虚子と芥川龍之介

  

俳句談義(12):

「椿寿忌」の俳句と高浜虚子

   

2015年3月の更新記事

俳句談義(11):

「甘納豆」と「おでん」と「俳句」

この記事には高浜虚子の「俳句の作りよう」や「俳句への道」の全文が掲載されたサイトをリンクしています。

       

俳句談義(10):

高浜虚子の「雛」の句を鑑賞する

       

俳句談義(9): 

「雛祭り」の俳句を集めました

                    

2015年2月の更新記事

俳句談義(8):

高浜虚子の俳句「初蝶来何色と問ふ黄と答ふ」

<虚子の対話の相手は誰か?>

     

俳句談義(7):

高浜虚子の句「爛々と昼の星」の星とは何か?(続編)    

   

俳句談義(6):

高浜虚子の句「昼の星燦々と見え菌生え」の「星」や「菌」は何か?

      

先輩の川柳(続2)

「昭和や」の酔客のエッセイ:

素粒子論と般若心経と高浜虚子の俳句

     

俳句談義(5):

戦時中の高浜虚子・文芸家としての良心

    

俳句仲間のエッセイ: 「俳句と川柳」

        

後藤健二さんの死無にするな!

政治家やマスコミの言わないことを言う。

              

2015年1月の更新記事 

俳句談義(4)

高浜虚子の句「大寒の埃の如く人死ぬる」とは、平和を考える

         

本との出会い(7): 

「俳句の力学」と虚子の句「去年今年」

       

(三田深田公園にて)    

ホロンピア館は、昭和63年に開催された21世紀公園都市博覧会のシンボルとして建設。

建築家・丹下健三氏が設計した深田大橋をビルにしたもの。平成4年秋に「人と自然の博物館」となりました。

「三田八景」の解説より引用)

    

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(俳句)

稚児走る初凧這ひてくるくると

  

七転び八起き幼の上がる 

   

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淑気映ゆホロンピア館玻璃の壁

(「玻璃の壁」をクリックすると、「我が街『三田』」をご覧になれます。)

  

初空童の好きな丘の街

  

(川柳)

三田から地方創生子等元気

          

・初雪にサモエド勇み飛び出せり    

・初雪や己が天下とサモエド犬   

  

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(チュヌの写真)

    

      

   

俳句・フォトアルバム(トルコの旅)

Pictures & Haiku (Trip to Turkey)  (英訳追加版)

         

本との出会い(6):

「虚子俳句問答(下)」と「大悪人虚子」        

   

俳句談義(3): 

虚子の句「初空や」の新解釈:大悪人は誰か?     

         

2014年

2014.12.25 

虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か?

 (この記事に夏目漱石の「草枕」がリンクされています。)

    

 14.12.20

 本との出会い(5):

「俳句の宇宙」と「大悪人虚子」

(「虚子俳話(序文)」や「俳談」がリンクされています。)

エッセー
 14.12.10  奈良吟行の俳句アルバム  俳句
 14.12.09

 本との出会い(4):

「悪党芭蕉」と「大悪人虚子」(その2)

 エッセー
 14.12.08

 本との出会い(3):

「悪党芭蕉」と「大悪人虚子」(その1)

 エッセー

    

      2014年11月の主要記事
 俳句談義(2) 虚子辞世句の新解釈について
 俳句談義(1) 虚子辞世句の解釈
「本との出会い」(2) 尾曲がり猫と擦り猫と」を読んで選挙を考える。
「本との出会い」(1) あの海にもう一度逢いたい
 お友達のエッセー 忘れ得ぬ最高の思い出
 吟行俳句 奈良公園・柳生の里(俳句と写真・俳句アルバム
        2014年10月の主要記事
 俳句仲間

アカネヤの酔客のエッセー(3)「絵を描く」

可愛い猫の画や写真が驚くほど沢山ご覧になれます。

 俳句仲間 アカネヤの酔客のエッセー(2)「近況報告VI」
 俳句仲間 アカネヤの酔客のエッセー(1)「ラジオを録音して聞く話」
                        2014年3月~9月の主要記事
 教育・エッセー

「LOVE」を実践しよう!

Let's practice "LOVE"!

 俳句

花鳥6百号記念全国俳句大会に参加 (俳句と写真)

 俳句の英訳と

 Haikuの和訳

芭蕉の句「古池や」の英訳を考える

言語の壁を破るチャレンジ(1)(14)

 投稿川柳の紹介 先輩の川柳・お友達の川柳

 俳句と川柳の英訳

(エッセー)

スウェーデン大使館開催の俳句・川柳コンペティション入選

 俳句・HAIKU

(エッセー)

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2014.5.25 オープンーデン・ミニ・チャリティコンサート

               

       

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 インターネットは凄いね!

「ちゅぬ」の北海道時代のお友達のブログを主人が見つけてくれたよ。

北海道時代は若くて元気だったから楽しかったよ!

懐かしいね!

   

ややコロ日記

(ちゅぬ君とコロちゃん)

http://yayakoro.exblog.jp/m2008-06-01/

         

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2015年5月31日 (日)

俳句談義17: 高浜虚子の俳句「敵といふもの」の「敵」とは何か?《俳句談義と政治談議》

                     

高浜虚子は「敵といふもの今は無し秋の月」という句を終戦の年に作っている。

掲句の「敵といふもの」は何を意味するのだろうか?

少なくとも二通りの解釈が出来る。

文字通りの解釈は、「太平洋戦争における敵」である。

もう一つの解釈は「『鬼畜米英』と喧伝する者」である。

   

戦中は、戦意高揚や本土決戦に備えるために女性も藁人形を相手に『鬼畜米英』と叫びながら『竹やり訓練』をさせられた。

当時は反戦的なことを言うと「売国奴非国民敵のスパイなどとレッテルを貼られ、憲兵に逮捕されることを恐れたのである。「そんなことを言うと憲兵が来る・・・」と子供心に心配して祖母の愚痴に注意をしたことなどを思いだす。

    

安倍さんは朝日新聞の記者の質問「就任後初の参拝。どのような思いで参拝しましたか。」に対し、次のように答えている。

「本日、靖国神社に参拝した。日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し、尊崇の念を表し、そして御霊(みたま)安かれ、なれと手を合わせて参りました。・・・(省略)・・・不戦の誓いをいたしました。」(2013.12.26

      

安倍さんも「日本のため」を思って「不戦の誓い」をしたに違いない。

だが、その「不戦の誓い」が実現する保証はないのだ。

靖国神社に祀られている当時の指導者・戦争責任者の「日本のために」という強い思いが戦争を引き起こし、多大の犠牲を生じたことは歴史が証明している。                       

   

自民党のホームページに「不戦の誓いを守り続ける そして、国民の命と平和な暮らしを守り抜く 平和安全法制」とある。この趣旨・目的には誰も反対しないだろう。

大切なことは「法律がその趣旨・目的に名実ともに合致していること」である。法律は条文が一見して問題が無くても、実際に適用する場合に問題が生ずるような曖昧なものであってはならない。 

   

「平和安全法制の整備のための法案」について「本当に大丈夫なの?」と懐疑的な人が多いだろう。日中戦争太平洋戦争犠牲者など戦争の悲惨さ・無意味さを知っている人は特に懐疑的になるだろう。

自民党公明党協力を得て、『平和安全法制の整備のための法案』によって実質的に憲法を改正しようとしている。」と不安に思っている人は多いだろう。

   

5月28日に開催された「平和安全保障委員会」の衆議院インターネット中継を見ると、安倍さんは「丁寧に説明している」と言いながら、無駄な繋ぎの言葉や形容詞を付けて長々と早口で発言しているから、何を言っているのか分からない。

真摯に国民の理解を得ようとしているとは思えない。

集団的自衛権を行使する判断基準となる「存立危機事態」とは何か?

一例や抽象的な説明の繰り返しを何度されても理解できない。

存立危機事態」の具体的な事例を挙げて、議論をすることが大切である。

具体的な例を挙げると国際的・政治的に支障が生じるというが、本当にそうだろうか?

どういう支障が生じるのか? まさか、「本音がわかっては困る」というのではないでしょう?

具体的に事例を挙げてこそ、「文字通り平和の維持・自衛のために武力行使をする」ための法改正であることの内外の理解が得られるのだ。

考えられる限りの事例を列挙し、誤解の生じないようにすべきである。武力行使の可能性の透明性を法律の条文に織り込んでこそ平和憲法下の法改正であるという信頼が確保できるのだ。

「今は具体的な事例が考えられない」とか、「今は実例として予想できるものが無い」というのであれば、急いで法改正をする必要が無い。そればかりか、「『平和安全法制』によって平和憲法を形骸化し、戦争ができるようにしようとしている」と判断されても仕方がないことになる。

「平和を維持するための武力行使、あるいは、自衛のための武力行使」が生ずる場合の事例を明確に例示して、内外の理解を得ることが先決である。

重要影響事態」の判断基準を明確にするためには、具体例を挙げる必要がある。安倍さんは「客観的・合理的に判断する」というが、そんなことはいうまでもないことである。「主観的・非合理的に判断する」というバカな指導者がいるだろうか? 安倍さんの崇拝する太平洋戦争当時の指導者も客観的・合理的判断をして戦争に突入したのではなかったのか? 

            

安倍さんは、今までのような国会審議で「国民のために丁寧に説明している」と本当に思っているのだろうか? 国民をバカにしているか、国会における審議を軽視している、などと言わざるを得ない答弁が多い。

野党は反対のための反対や挑発・揚げ足取りをするのではなく、冷静に実質的内容のある審議をするよう与党にもっと働きかける必要がある。

野党議員の今のような質問の仕方や与党議員の答弁の仕方では、国会審議の実のある成果が期待できない。

与党は「『丁寧な説明』と称して無用の抽象的美辞麗句を繰り返しておれば、時期が来れば多数決で原案どおり採択できる」と思っているのではないか?

いずれ多数決で法案が採択されることになるのであれば、野党のすべきことは、「与党の法案を修正し真に国民のためになる法律にする」ことである。反対のための反対をして審議をボイコットしているようでは国民の信頼を得られない。国民が納得できる国会審議を推進することが肝要である。国民が納得できる野党の要求を無視して、与党が強引に法改正の採択をすれば、次期選挙で野党が信任を得て政権を取ることになるだろう。

          

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2015年5月20日 (水)

俳句談義16:「こどもの日」・「母の日」に思うこと。

        

(2025.5.4 更新)

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この写真は、こどもの日のまんぽ道で見上げて撮った小鳥の写真ですが、譬喩の思いを込めてまんぽ俳句を口ずさみました。

  

   

こどもの日見張り続ける小鳥かな

聞かぬ子は諭しお灸をこどもの日               

思ひ出の愛のお灸やこどもの日

(五月五日は薬の日です。)  

こどもの日老もお子さまランチ愛で

得意げに口真似する子こどもの日

奔放にゲーム作る子こどもの日

       薫風士

   

お暇があればここをクリックして「俳句談義(15) 『昭和の日』・『憲法記念日』」を是非ご高覧下さい。

   

歳時記の「こどもの日」の俳句は196句あり、鯉幟」は352句、「鯉のぼり」は195句あったが、その中に、戦時中の母親の苦労を思い起こさせる句がある。

  

あの頃も生めよ殖せよ鯉のぼり 

        (木島茶筅子)

  

歳時記の「母の日」(「母の日1」「母の日2」「母の日3」「母の日4」「母の日5」)には合計約490句もある。

   

その中で有馬朗人氏の次の俳句が興味を惹いた。

   

母の日が母の日傘のなかにある

   

高浜虚子は「おやをもり俳諧をもりもりたけ忌」という句を作っているが(「俳句談義(11)」参照)、有馬さんの掲句の「母の日」も一種の「掛詞(かけことば)」であり、「同音異義語」・「同綴(どうてつ)異義語(いぎご)」の言葉遊びだろう。

  

有馬さんの掲句は、文字通りに解釈すると、「母の日」のプレゼントに日傘を贈ったことを詠んだ俳句かもしれないが、「母の日」に、「『母』という『日』すなわち、『私の太陽』ともいうべき「母」が『日傘』の中にいる。」という句意だろう。

もっと穿った解釈をすれば、「『母』なる『母国・日本』は『日米安保条約』に基く『核』という『日傘』の中にある」という隠された句意があると言えるのではないか?

         

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2015年5月10日 (日)

俳句談義(15):「昭和の日」・「憲法記念日」

                          

2025.3.19 更新)

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この写真は、NHK-TV 二ュ-スの一画面ですから、この画面だけを見て誤解しないで下さいね。

   

トランプ大統領は、日米安保条約について、「我々は日本を守らなければならないが、日本は我々を守る必要が無いのは不公平だ」と言っていますが、日本は太平洋戦争で多大の犠牲を払って、世界の唯一の原爆被爆国として米国の主導した連合軍の要求を受けて戦争放棄の新憲法を制定していますから、「この平和憲法に基づき平和を守ることによって日本は米国に対して公平な対応をしている」と言えるでしょう。

  

世界の人々がこの正しい認識に共感して、「日本の平和憲法の精神を国是として、世界平和の為の市民運動を推進してくれること」切望しています。

  
ロシア軍のウクライナ侵攻によって、多大の犠牲者が生じています。

プーチン大統領の侵略政策は決して許すべきではありません。

経済的制裁の悪影響は世界に広がっており、持久戦に耐える覚悟が必要ですが、この事態は持久戦に耐えることでは済まないかもしれません。

 

独裁者も人間ですから、独裁政治家が短気を起こすと世界はどうなるか心配なことです。

 

「太陽と北風」の寓話を馬鹿にしないで、世界の人々が平和運動を推進してくれることを切望しています。

  

青色文字をクリック(タップ)して、梅東風や届け世界にこの思ひ血に染むなドニエプルてふ春の川に書いた思いを一読し、シェアして頂ければ望外の喜びです。

     

(2015.5.10 の記事)

4月29日は「昭和の日」である。

 

歳時記の「憲法記念日」には山田弘子の俳句「国旗立つ憲法記念日のパン屋」など66句リストされている。

 

先日、東京新聞の「平和の俳句」募集に応募した友人の入選句のことなどを「俳句談義(14:俳句の片言性と二面性」に書いたが、友人が東京新聞のコピーを郵送してくれたので入選した俳句とコメントの中で特に印象に残った二つを次に転載させて頂く。

   

「青春の昭和切なし鰯雲」 斎藤けい(90)横浜市

 昭和19年、兄は二度目の招集で南方へ、将来を約束した一つ違いの幼なじみは中国大陸へ出征した。終戦になっても二人はなかなか帰らず、鰯雲の浮かぶ秋空を見上げながら待ち続けた。終戦翌年の秋、兄は半袖の軍服にぼろぼろの靴を履いて、夜、人目を忍ぶように裏口から帰ってきたが、半年は放心状態だった。幼なじみは小さな箱になって戻ったが、中は石や砂だった。

    

上記コメントの最後にある「石や砂」は「本との出会い(2)」に書いたエッセイ集「尾曲がり猫と擦り猫と」の「石ころ」と同じである。

 

小学生(国民学校初等科)の頃、戦死者が級友のご家族だった場合だろうが、遺骨を白布に包んだ箱を胸に下げてご遺族の方が帰って来られるのを駅まで迎えに行ったことがある。遺骨だと思って恭しく頭を下げていたが、石ころであることが多かったのだろう。

 

「夏の高校野球」で「甲子園の砂」を球児が袋に詰めるニュースをよく見かける。感慨無量である。

  

「ウイキメディア」によると、「1941 - 1945」の大会は太平洋戦争のため取り止めになっている(1941年の第27回の回次は残る)。

    

お手玉の小豆で赤飯父はゆく 桜井義男(80)東京都

 戦争中、もらった砂糖でお汁粉を作るため、姉二人のお手玉から小豆を取り出した。

二人は東京大空襲の夜にはぐれ、遺体も見つからなかったが、最後にお手玉をした姿を今も覚えている。友人の家もお手玉の小豆で赤飯を炊き、父親の出征を祝ったが、帰ってこなかったという。(以下省略)

       

このブログを書いていて、「欲しがりません勝までは」ということが当たり前だったのか、無いことが分かっていたからか、特に強いられることもなく、ひもじいのを子供心に我慢をしていたことを思いだし、こみあげてくる感情に我知らず涙ぐんでしまった。

 

「もったいない」という気持ちは現在でも強く感ずる。

当時は食べ物があれば何でも有難く食べるのが当然だった。

現在は飽食の時代で、子供が食事の好き嫌いをするのが当然になっている。

だが、食物アレルギーということもあるので、食べることを無理強い出来ない。

    

火の奥に牡丹崩るるさまを見つ  

      加藤楸邨)

  

この句は大空襲で自宅が燃え崩れる様子を詠んだものであることは前書きで一応理解できるが、真の句意はわからない。

楸邨の言いたかったことは何か? 

 

大牧広氏は「楸邨が国民の呻きを牡丹に託したもの」であると解釈し、次のように述べている(抜粋)。

 

この「火」は当然焼夷弾による炎上させられた火である。紅連の炎の中に崩れてゆく牡丹、もしこれが人であったらこの世の最後の悲鳴を挙げたであろう。それも叶わず黙って焼かれていった牡丹、私はこの牡丹を作者が人間をイメージして詠んだような気がしてならない。何の罪もない一般国民があの忌わしい業火の中で命を落さなければならなかった時代。この国民の呻きを牡丹に託して詠んだと思えてならない。      

        

気の向くままにインターネットで検索していると、「思考の部屋」というサイトの「94歳の荒凡夫~俳人金子兜太の気骨~」という記事に兜太の次の俳句があった。

  

水脈(みお)(はて)炎天の墓碑を置きて去る

津波のあと老女生きてあり死なぬ

     

「津波」の句は老女の生命力の逞しさを讃えているのだろうが、「貴重な若者の命は奪われたが老女はまだ生きている」という自然の不条理を皮肉を込めて表現していると解釈できないこともない。

    

日経新聞WEBを見ていると日米首脳会談の夕食会でオバマ大統領が次のような自作の俳句を披露している。

 

春緑 日米友好 和やかに(Spring, green and friendship/United States and Japan/Nagoyaka ni.)

  

オバマさんが「和やかに」と日本語を使ったのは親日・友好の意を表す意味もあったのだろうが、「和やか」は含蓄のある言葉でぴったり対応する英語が無いからでもあろう。

        

国際俳句協会では「俳句」が世界文化遺産に登録されるように努力しているが、俳句には言葉の壁があるので世界遺産登録は「和食」のように簡単ではない

 

高浜虚子は終戦に際して次の句を作っている。

     

秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみぞ

 

敵といふもの今は無し秋の月」「黎明を思ひ軒端の秋簾見る」と併せて読むと、「秋蝉も蓑虫も泣くのみだ。泣きたいものは思いぞんぶん泣けばよい。だが、自分は泣かない。終戦になって、自由に句作が出来る。さあこれから本番だ。」と清々した気持ちで詠んだ句だと思う。

    

虚子は「亀鳴くや皆愚かなる村のもの」という句を作っている。

 

明治時代に作った俳句らしいが、人を食った句である。

句作の背景や経緯を知らなければ真の句意は不明である。

 

この句が作られた「場」をご存知の方があれば是非教えて頂きたい。

        

「皆」とは誰を指すのか? 「村」とはどこのことか? 

「もの」とは「者」と「物」のいずれを意味するのか?

「亀」は「虚子」の比喩でないか?

    

単に文字通りのことを客観写生したのだろうか?

たとえば、「どこかの村で俳句会を催し、集まってきた者は碌な俳句も出来ない愚か者だった」という句だろうか?

 

「『花鳥諷詠の心』を知らぬ者は愚かだ」と言っているのだろうか?

「自分を含めて人は皆愚かな者だ」と嘆いているのだろうか?

 

「村」とは「日本の村社会性」の比喩ではないか?

「戦争推進者は皆愚か者だ」と比喩的に詠んだ句ではないか?

いずれにせよ、さまざまな解釈が可能である。

  

虚子は「深は新なり」と言っている。穿ちすぎかもしれないが、句意が不明だということは、「しっかり考えよ」と謎をかけていると解釈できないこともない。

        

昔は人災にしろ、自然災害にしろ、慟哭するしか仕方がなかっただろう。

だが、現在は科学技術も進歩しており、民主主義の時代である。

  

災害の防止や抑制は努力次第で不可能ではない。まして、戦争は叡智を集めて未然に防ぐ努力をすべきである。

 

独裁政治、覇権主義、軍事力の増大と情報非公開による国際的不信、貧富の格差拡大、一方的な道徳観の押し付け、国家間の利害対立、ナショナリズム、等、戦争発生の要因は多多あるが、このような要因の発生を防止・除去することは可能である。

 

国際貿易や文化交流を深めて、相互理解・相互依存を高めることが平和の維持・戦争の防止につながる。各国がその努力をすることが必要である。

 

日本政府が注力すべきことはそういうことを世界の指導者に働きかけることだろう。(「文化交流」や「平和国家」など、青色文字をタップすると、外務省の広報記事をご覧になれます。)

 

法律の条文は俳句のように如何様にでも解釈できる笊法であってはならない。

 

憲法の拡大解釈による自衛権の行使が、憲法改正後に時の政府の条文解釈次第で更に拡大されるようになってはならない。

  

現憲法だからこそ明文にない自衛権の拡大解釈に歯止めがかかっている。

 

憲法が改正されるとその歯止めが無くなり、更に拡大解釈をされる恐れがある。

 

現憲法に不備があるというなら、その不備を逐一吟味し、拡大解釈が出来ないことを明確にして、国民が納得できるように討議する場を設けるべきだろう。

 

大切なことは総論のみならず各論である。

 

自民党の改正条文草案に限らず、野党の改正案があればそれも含めて、法律学者・憲法学者、政治家、評論家が時間をかけて真剣に議論し、公開すべきだろう。

  

公共機関は憲法記念日など祝日の行事をする場合には国旗を掲揚するが、一般の家庭で国旗を掲げている家はほとんど見かけない。

 

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日章旗が、平和国家のシンボルとして内外で何らの抵抗なしに受け入れられ、掲揚される日は来るのだろうか?

            

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2015年4月20日 (月)

俳句談義(13):「花」と「鼻」《高浜虚子と芥川龍之介》

         

今年の桜は異常気象のせいか散るのが早く、虚子の俳句「咲満ちてこぼるる花もなかりけり」のように、桜をゆっくり愛でることが出来なかった。

  

虚子は「花疲れ眠れる人に凭(よ)り眠る」という句も作っているが、この句は、例えば電車の中で虚子が見た情景を詠んだものと解釈して、少なくとも次の3とおりの解釈が可能だろう。

  

・「うとうと眠っている虚子に隣の人が寄り掛かってうとうとした」

・「眠っている人に虚子がつい寄り掛かってうとうとした」

・「互いに寄りかかってうとうとしている二人連れを虚子が見た」

  

虚子に寄り掛かったのはうら若い女性か、むさくるしい男か?

二人連れは若者か、老夫婦か、恋人同士か?

様々な情景が思い浮かぶ。俳句鑑賞の楽しさ、面白さである。

  

季語としては「花」「彼岸桜」「糸桜」「しだれ桜」「枝垂桜」「山桜」「朝桜」「花疲れ」「花守」「初桜」「花の雲」「花影」「花の影」「余花」「残花」「花の塵」「花過ぎ」「花屑・花の屑」「花篝」「花は葉に」「花筵」などがある。

      

高浜虚子の「俳句とはどんなものか」に「花よりも鼻に在りける匂ひ哉」という荒木田守武(1473-1549)の句もある。

  

俳句への道」の冒頭には同音異義語を巧く使った虚子の句「おやをもり俳諧をもりもりたけ忌」が掲載されている。

          

「鼻」といえば、芥川龍之介の短編小説がある。

ここをクリックすれば全文が読めます。)  

   

虚子は、「手で顔を撫づれば鼻の冷たさよ」という句を作っている。

 

「芥川龍之介の『鼻』を読みながらつい自分の顔を撫でたのだろう」などと考えるのは穿ち過ぎだろうか?

 

この句について、山本健吉は定本現代俳句において次のように述べている(抜粋)。

 

「『手で』と断らなくても、手に決まっているが、わざわざ口語的に言ったところ、一種のとぼけ趣味を表わしている。しかも、『撫づれば』と物々しく言いさして、次にどのような事柄が言い出されるであろうかという読者の期待を抱かせながら、次に『鼻の冷たさよ』と馬鹿馬鹿しく平凡なことを持ってきて、肩すかしを食わせる。そこに一つの滑稽感が生まれてくる。・・・(省略)・・・こういう滑稽な句は、虚子には例が多い。

・・・(省略)・・・すべて即興感遇の作品であり、この無関心・無感動の表情に軽いユーモアがある。」

   

上記の句評で滑稽句の例として列挙した中に、「大寒の埃のごとく人死ぬる」や「酌婦来る灯取り虫より汚きが」などを挙げている。まさに、俳句の解釈は人さまざまである。

        

ちなみに、山本健吉は正岡子規の句「しぐるるや蒟蒻(こんにゃく)冷えて(へそ)の上」についても次のように評している(抜粋)。

   

「『小夜時雨上野を虚子の来つつあらん』とともに、『病中』と前書きがある。

・・・(省略)・・・

この句、『蒟蒻冷えて臍の上』にユーモアがある。ことに『臍の上』と、自分の臍を意識しながら、無造作に言い話したところ、子規独特のとぼけ趣味である。病気の苦痛を直接訴えず、臍の上に置かれた蒟蒻の冷えを言うことで間接に病状を詠むことが、俳諧化の方法なのである。」

            

虚子の句「志俳諧にありおでん喰ふ」を「よもだ堂日記」では「惚け趣味」の句の例として挙げていたが、「自分の俳句人生をおでんを食いながらしみじみと考えたことを象徴的に句にしたものである」と解釈するのは的外れだろうか?

     

虚子の句「川を見るバナナの皮は手より落ち」について「増殖する歳時記」には次の句評がある。

 

「虚子の『痴呆俳句』として論議を呼んだ句。精神の弛緩よりむしろ禅の無の境地ではなかろうか。俳句はこういう無思想性があるからオソロシイ。そして俳人も。(井川博年)」

       

この句について、櫂未知子さんは「食の一句」において次のように述べている(抜粋)

 

「虚子自身の経験ではなく、隅田川べりで目にした男を句にしたらしい。・・・(省略)・・・虚子ぎらいの人たちによって攻撃されやすい句の一つだが、昭和9年という制作年からすると、当時、相当モダーンな句だと考えられていたのではなかろうか。(以下省略)

    

今朝の「NHK俳句」において、ゲストの柳生博さんが友人の句「我が巣箱待てど待てどもシジュウカラ」を披露して「ダメですね?」と選者(櫂未知子さん)のコメントを求めたところ、「ちょっとダメですね」と一蹴されていた。

同音異義語(「四十雀」と「始終空」)をかけた滑稽句だろう。

「巣箱掛け待てど待てどもシジュウカラ」とするとわかりやすいが、伝統俳句の視点から見ると選者の好みに合わないだろう。

          

「高齢者の『鼻が利かない』は痴呆の兆候?」というブログ記事があったが、この場合は痴呆とは無関係の機能不全だった由である。医学の進歩した現在では、病気は早期発見をすれば進行を抑えたり、治療したりできるではないか?

    

仲間と吟行や句会をして俳句を作り鑑賞して、頭と体の健康を維持することに努めたいものである。

        

ふと遊び心でインターネットで「花」と「鼻」を検索して見た。

すると、「国柄探訪:大和言葉の世界観:『鼻』は『花』、『目』は『芽』。大和言葉には古代日本人の世界観が息づいている。」という同音異義語を取り上げた興味ある記事があった。

「(文責:伊勢雅臣)」と記載されていたが、昔の日本人の自然とのかかわりや宗教心の一端を知る参考になる。

     

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俳句談義(12):「椿寿忌」の俳句と高浜虚子

             

4月8日は高浜虚子の命日、椿寿忌(虚子忌)である。

 

虚子の忌や花の回廊句碑巡り

虚子の忌や希望の丘へ句碑巡り

       (薫風士)

   

歳時記には椿寿忌の句が無数にあるので面白い俳句があればブログで取り上げようと思っていたが、「虚子忌」という季題のせいか面白い句は見つからなかった。

 

(青色文字をクリックして関連の解説記事をご覧下さい。)

   

そこで、「椿寿忌」にちなんで作った拙句「虚子の句の謎解き楽し椿咲く」に対して俳句仲間のベテラン女性がアドバイスしてくれたことを書くことにする。

 

Jさんは、「『句の』を『句碑』に変えて『虚子の句碑謎解き楽し椿咲く』にすると一般に分かりやすい句になって良い」という。

Fさんは、「『鎌倉の椿山』を詠みこんで、原句を『虚子の句を解く鎌倉の椿山』に変えるのが良い」という。

 

俳句談義(1)において虚子の句「春の山(かばね)を埋めて空しかり」について虚子辞世句の新解釈として書いたのをFさんは読んでくれていたのだ。だから、「鎌倉の椿山」を詠み込んだ句にすることを勧めてくれたのだろう。

   

高浜虚子は客観写生・花鳥諷詠を唱道しながら自由奔放に俳句を作っている。

 

「チュヌの便り」の「本との出会い」や「俳句談義」に書いたように、虚子の俳句についての解釈や虚子の人間性についても様々な評価がある。中には、何か遺恨でもあるのかと思うような誤解と偏見に満ちたものもある。

 

俳句は好き好き人も好き好きである。だが、俳句は作者が作った「場」と「視点」を正しく認識して鑑賞しないと句意を誤解することがある。

 

俳句は短歌や川柳のように作者の考えや感情をむき出しにせず中立的な表現をするのが普通である。虚子の俳句は特にそうである。

 

一見すると「薄情」とか「非情」とか思える句もある。

しかし、虚子は「人間を含む森羅万象すべてのことについて『色即是空』の観念に視点をおいて客観写生・花鳥諷詠の句作をしていたのではなかろうか? 

  

そういう視点で虚子の句を鑑賞すると大抵納得できる。      

      

例えば、虚子は「酌婦来る灯取虫より汚きが」という句を作っている。

「増殖する俳句歳時記」を見ると、掲句について次のような清水哲男氏の句評(抜粋)がある。

   

「仁平さんも書いているように、いまどき『こんな句を発表すれば、……袋叩きにされかね』ない。『べつに読む者を感動させはしないが、作者の不快さはじつにリアルに伝わってくる』とも……。自分の不愉快をあからさまに作品化するところなど、やはり人間の器が違うのかなという感じはするけれど、しかし私はといえば、少なくともこういう人と『お友達』にはなりたくない。」

        

「女性蔑視の虚子の句」という作者不詳のブログに次の記述(抜粋)がある。

    

「『酌婦来る灯取虫より汚きが』 虚子が自選し、高浜年尾が「珠玉の句」と最大級の賛辞を送る「虚子500句」のなかに、この句がある。昭和9年6月11日に詠んだものだが、俳人としての虚子の評価はいかがわしい。

・・・(省略)・・・

この句を何の躊躇もなく自選500句に入れる感覚の持ち主だ。俳人としてはもとより、人間としての感性が疑われよう。虚子は庶民の哀感に疎く、女性を蔑視していた人間だという事実が、この酌婦の一句で浮き彫りになったのではないか。

・・・(省略)・・・

精一杯生きている女性を「火取虫より汚きが」と差別感情あらわに唾棄する人物だという事だ。俳句に心を傾ける人間として許せないものがある。

・・・(省略)・・・

私の主張、虚子批判に異論のある方は、遠慮なく意見や反論を寄せていただきたい。互いの論戦、見解、意見を堂々とホームページにあげて、世人の判断を得たい。虚子の句集には、まだまだ問題句がヤマとある。」

  

このブログの作者はブログ記事の最後に「意見・反論をメールで」と読者のコメントを求めているが、メールを出しても「なしのつぶて」である。

  

このブログの作者は誰なのか? この句を虚子が作った日を特定していることからすると俳界の事情に詳しい俳人か?

  

「互いの論戦、見解、意見を堂々とホームページにあげて」と言いながら、名無しの権兵衛で正体不明である。覆面しながら「堂々」とは呆れた言いぐさである。

     

「ひとりむし」を大辞林は次のように解説している。

夏の夜,灯火に集まってくる虫。ガの類が多いが,コガネムシ・カブトムシなどを含めてもいう。火蛾(かが)。灯蛾(とうが)。灯虫(ひむし)。 [季] 夏。    

    

「灯取虫」と言えば、芥川龍之介の「大導寺信輔の半生」に次のような記述がある(抜粋)。

ここをクリックすると、「青空文庫」で全文をご覧になれます。

  

「ホイツトマン、自由詩、創造的進化、――戦場は殆ど到る所にあつた。彼はそれ等の戦場に彼の友だちを打ち倒したり、彼の友だちに打ち倒されたりした。この精神的格闘は何よりも殺戮の歓喜の為に行はれたものに違ひなかつた。しかしおのづからその間に新しい観念や新らしい美の姿を現したことも事実だつた。如何に午前三時の蝋燭の炎は彼等の論戦を照らしてゐたか、如何に又武者小路実篤の作品は彼等の論戦を支配してゐたか、――信輔は鮮かに九月の或夜、何匹も蝋燭へ集つて来た、大きい灯取虫を覚えてゐる。灯取虫は深い闇の中から突然きらびやかに生まれて来た。が、炎に触れるが早いか、嘘のやうにぱたぱたと死んで行つた。これは何も今更のやうに珍しがる価のないことかも知れない。しかし信輔は今日もなほこの小事件を思ひ出す度に、――この不思議に美しい灯取虫の生死を思ひ出す度に、なぜか彼の心の底に多少の寂しさを感ずるのである。………」

  

付記に「大正十三年十二月九日、作者記」とあるから、「大導寺信輔の半生」は1924年の作である。

   

余談だが、この年の1月に皇太子裕仁親王(昭和天皇)のご成婚があり、3月には谷崎潤一郎が大阪朝日新聞に『痴人の愛』の連載を開始している。

   

その10年後の1934年に虚子はこの酌婦の句を作っているが、ウイキペディアによると、「5月以後 - 東北地方を中心に冷害と不漁が相次ぎ、その年の同地方は深刻な凶作となって飢饉が発生した」とのことである。

飢饉となれば家族の犠牲になって身売りする女性が出る時代である。

 

上記のブログの作者が虚子の句の対象になった酌婦に何らかの所縁(ゆかり)のある俳人なら上記のように憤慨するのももっともだろう。

             

いずれにせよ、虚子は特定の女性を侮蔑する気持ちで問題の俳句を作ったのではないだろう。

 

酌婦にも上品なものもおれば、下品なものもいただろうし、美人も不美人もいただろう。

 

たまたま街で見かけた厚化粧の下品な酌婦を俳句に詠んだのかも知れないし、酌婦としては意外な不美人が来たのでその驚きを表現するのに座興に作った俳句なのかもしれない。

 

ともかく、俳句の皮相な解釈をして、その作者の人格まで云々するのは感心しない。

 

俳句そのものの芸術論や文学論などの議論をするのなら正々堂々とすべきであろう。正体も生死も分からない相手なので議論のしようがなく、誤解や誤った記事がインターネットで独り歩きするのも問題である。

虚子も天国で苦々しく思っていているかもしれないが、死者に口無しであるから敢えてこのブログで反論を書いている次第である。

  

夏目漱石が高浜虚子の小説「鶏頭」の序文において「風流懺法などの小説に触れながら虚子の人柄について面白いことを言っている。この序文は文芸・文化論としても面白く、漱石はさすがに文豪だなという認識を新たにした。

 

文豪といえば、虚子は「落花生喰ひつつ読むや罪と罰」という句を作っている。

「罪と罰」はロシアのドストエフスキーのシリアスな長編小説である。

この真面目な小説を落花生を食べながら読んだのは実際だろう。だが、不真面目な気持ちで読んだのでも、この小説を馬鹿にしたわけでもく、俳句の一つの特徴であるユーモアをこの句で表現してみせたのに違いない。         

     

現在では「酌婦」は死語となり、「ホステス」というのが普通である。

 

酌婦と言えば「慰安婦問題」も国際問題がらみの難しい政治課題である。       

男女差別用語も一般に使用されなくなり、「看護士」や「看護婦」は「看護師」に統一されている。

   

女性の参政権の歴史など当時の社会情勢・世相を考慮すると、女性の美醜にかかわる句を作ったからといって虚子が特別非難されるべき女性蔑視の俳人とみなされるべきではないだろう。

   

男女同権が徹底している筈の現在でも民意で選ばれた政治家が女性蔑視の失言をして問題にされることがある。  

まして、明治生まれの虚子が戦前に詠んだ俳句をもとに、その人間性を現在の社会感覚で問題にするのは妥当ではない。

   

4月8日は釈迦の誕生日とされ、花祭りでもある。幼い頃に菩提寺(白毫寺)で甘茶を頂いた記憶はあるが、法話を聞いたのかどうか記憶は定かでない。だが、なんとなく仏教的な輪廻の考え方が自然に自分の身についているように思う。

 

甘茶と言えば、高浜虚子は「和尚云ふ甘茶貰ひにまた来たか」という句を作っている。「般若心経」や「色即是空」「輪廻転生」の意識を当然持っていただろう。

 

虚子は聖人でも格別人格者でもなかっただろう。

  

本との出会い」や「俳句談義」にこれまで書いたように、「色即是空」の観点から見れば天皇も自分も酌婦も皆同じ人間だという意識で花鳥諷詠を俳句にしていたのではなかろうか?

人の世は辛いことがあっても悠久の宇宙からみれば束の間である。儚い露の世も南無阿弥陀を唱え花鳥諷詠をすれば極楽になるだろうという祈りを込めて、「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」と詠んだものと思う。

そして、鎌倉の山に思いを馳せながら「春の山(かばね)を埋めて(くう)しかり」を辞世の句として詠んだのに違いない。

 

虚子のこの「春の山」の句を踏まえて京極杞陽が詠んだ辞世の句「さめぬなりひとたび眠りたる山は」があるが、この句の「山」は虚子のことを指している比喩と解釈することもできる。

      

参考までに付記すると、

1900年に娼妓(しょうぎ)取締規則(娼妓稼業に関する取締法規)が発布され、1946年に廃止されるまで公娼制度があった。

 

「売春防止法」が制定されたのは1956年であり、完全に施行されたのは1958年(昭和33年)である。     

昭和6年(1931年)に婦人参政権を条件付で認める法案が衆議院を通過したが、貴族院の反対で廃案になっている。

 

第二次世界大戦後の1945年11月21日に、勅令により治安警察法が廃止され、女性の結社権が認められ、同年12月17日の改正衆議院議員選挙法公布により、ようやく女性の国政参加が認められたのである。

   

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2015年3月29日 (日)

俳句談義(11):「甘納豆」と「おでん」と「俳句」

               

俳句は好き好きである。

 

高浜虚子の俳句について、長谷川櫂さんが指摘した「場」を推定し、私なりの解釈を楽しみながらブログを書いている。

高野素十の俳句「朝顔の二葉のどこか濡れゐたる」に対する虚子の句評ついて、「俳句のユーモア」(講談社)で坪内稔典さんが言っていることに頷けない点があるので次に抜粋し、私見を述べさせて頂く。

  

(虚子の句評)

ただ朝顔の二葉といふものを見て俳句を作らうと試みた。ただ朝顔の二葉のみである。その外に何物もない……。色々考へわづらうた末に、「どこか濡れ居たる」といふことに到着して作者の心は躍動した。 ・・・(省略)・・・

朝顔の二葉を描いて生命を伝へ得たものは、宇宙の全生命を伝へ得たことになるのである。鐘の一局部を叩いてその全体の響きを伝へ得ると一般である。(『句集虚子』昭和5年)

  

(稔典さんの記述)

前段は表現の細部に眼が届いた優れた鑑賞だ。だが、後段では、五七五の背後に大宇宙を見るという恣意に陥っている。

・・・(省略)・・・

そこには俳句の表現が本来的に片言に近いという自覚がない。

こんな虚子のような見方に従うと、ほとんどの俳句は宇宙の全生命に結びついてしまう。

・・・(省略)・・・

そんな見方は俳句という小さな詩型にとってあまりにも大ざっぱに過ぎる。あるいは達観しすぎた見方だ。

・・・(省略)・・・

片言性から眼をそむけ、五七五の表現されていない背後などに頼っていたのでは、片言の力をうまく発揮できないだろう。(以下省略)

            

    

稔典さんは上記のように虚子の句評を批判しているが、この批判は的を射てない。

「俳句の表現が本来的に片言に近い」という制約がることは、高浜虚子が認識していたことは言うまでもないだろう。だからこそ、季語季題を活用することによって初心者でも詩的な俳句を作りやすくなるように指導したのだろう。

「五七五の表現されていない背後」などを考えるのも俳句鑑賞の面白さの一面である。それを否定することは俳句の面白さの一面しか知らない者の言であろう。稔典さんは勢いで筆が滑ったのではなかろうか?

    

虚子の句評は大げさと言えないこともないが、良きにつけ悪しきにつけ句評は一般に大げさなものが多い。

朝顔の二葉を描いて生命を伝へ」や「宇宙の全生命」とは「宇宙の摂理」や「自然の摂理」の現象を指していると解釈すべきだろう。

虚子は「鐘の一局部を叩いてその全体の響きを伝へ得る」と言っている。だが、坂本龍馬の言を借りれば、その響きは俳句の作者と鑑賞者のレベルや考え方次第である。

宇宙の摂理が表わす様々な現象・自然の美を愛で、それを俳句にするのが「花鳥諷詠」であるが、素十の句が「朝顔の二葉を描いて生命を伝へ得た」としても、「宇宙の全生命を伝へ得た」かどうかは評価が分かれるだろう。

もちろん、この素十の俳句のような句風のみが花鳥諷詠というわけではない。

虚子も自由奔放に、「朝顔にえーっ屑屋でございかな」「去年今年貫く棒の如きもの」「天の川の下に天智天皇と虚子と」「初空や大悪人虚子の頭上に」など、様々な句を作っている。

  

稔典さんは虚子の句「春風や闘志いだきて丘に立つ」について、「かって私の愛誦句だった」と述べている。

正岡子規松尾芭蕉の「正風俳諧」・「連句を批判して「客観写生」を唱道したように、稔典さんは高浜虚子の「花鳥諷詠」を敢えて批判することによって、「片言性俳句」(?)を新しい句風として唱道しようとしているのだろうか?

  

俳句の大衆化という点においては「虚子の目指していたこと」と「稔典さんが目指していること」に共通性があるのだろう。だが、その手法や句風には大きな隔たりがある。両者には時代の差があり、俳句の入門書も虚子の「俳句の作りよう」と「坪内稔典の俳句の授業」(黎明書房発行)の違いは大きいが、例えば次の俳句が両者の違いを如実に示している。

      

志俳諧にありおでん食ふ

桐一葉日当りながら落ちにけり

見送りし仕事の山や年の暮

三月の甘納豆のうふふふふ

甘納豆六月ごろにはごろついて

十二月をどうするどうする甘納豆

              

虚子はホトトギスに「台所雑詠という欄を設けて女性の俳句を奨励・指導して女性俳人を育成した。その影響は大きな効果を生み、かっては俳句は男性が作るものだったが、現在は圧倒的に女性が多くなっている。

しかし、若い世代の俳句愛好家が少ないのは残念である。

上記の句「三月の甘納豆」には伝統的な俳句川柳と違う新しさを感じる。だが、「甘納豆六月」や「12月の甘納豆」は甘党甘納豆に飽きが来たということなのだろうか、若者の気を引くために俳句の例句として作ったのだろうか。いずれにせよ、俳句というよりも言葉の遊びである。

甘納豆」は美味しいが、所詮おやつである。辛党にはやはり「おでん」がよい。先日のテレビ番組で「サラリーマン川柳」や「女子会川柳」など川柳に興味をもつ若者が増えていることを紹介していた。

甘納豆の句は「俳句・川柳まがい」の駄洒落の感があるが、稔典さんの新しい句風が若者の感性に合い、「俳句はお年寄りの趣味だ」などと見向きもしない多くの若者の興味を惹き、若い世代の本格的な俳句愛好家が将来増えるきっかけになれば結構なことである。

駄洒落と言えば、高浜虚子の「俳句への道」の冒頭に「おやをもり俳諧をもりもりたけ忌」という句が掲載されている。

      

上記のように、虚子も俳句を広めるために駄洒落を用いて面白い句を作っているが、茎(くき)右往左往菓子器のさくらんぼ」という句も作っている。

      

この句について、稔典さんの次のような句評・記事が毎日新聞WEBにあった。

 「先日、この句をめぐって紛糾した。サクランボそのものを詠んだのか、茎を詠んだのかで意見が分かれたのだ。つまり、菓子器にあるのは、茎のからまったサクランボなのか、食べた後の茎だけなのか。私は食べた後派。残骸の茎が楽しかっただんらんを示している。茎(食べかす)を詠んだのはいかにも俳人らしいふるまいだろう。」    

   

山本健吉の「定本 現代俳句」には次のような句評がある(抜粋)

「無造作に詠み放したような作品である。菓子器に盛られたさくらんぼの柄が、縦横に入り乱れてつっ立っているさまに、作者は興趣を感じたので、軽いユーモアがここには漂っていると言えよう。」(以下省略)

         

   

このようなユーモアに腐心した俳句を鑑賞していると、NHK大河ドラマの「花燃ゆ」でおなじみの高杉晋作辞世句といわれる「おもしろくもなき世をおもしろく」を思い出す。

      

余談だが、俳句や川柳で面白く過ごせる、誰でも自由にものが言え世界に発信できる現在の日本の平和は世界大戦の多大の犠牲の上に戦後70年にわたって営々として築いてきたものである。正しい歴史認識をふまえて未来永劫に大切に維持したいものである。成り行きや時の勢いで「筆を滑らせる」ことが無いように、安倍さんや識者がしっかり議論して準備してくれることを祈るや切である。

              

このブログは「釈迦に説法」で失礼したが、「俳句は好き好き」、「解釈は創作」ということでご容赦願いたい。

4月8日は「釈迦の誕生日」であり、高浜虚子の忌日(椿寿忌)である。

次回は「虚子忌」の俳句などについて書くことにしたい。

 

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2015年3月19日 (木)

俳句談義(10):高浜虚子の「雛」の句を鑑賞する。

        

もたれ合ひて倒れずにある雛かな

   

掲句について、稲畑汀子さんの「虚子百句」には次の記述がある。

「明治30年、虚子24歳の作。・・・(省略)・・・虚子の気に入りの俳句であった。

子規の唱える絵画的写生の影響の見られる俳句であるが、『もたれあひて』という上五の字余りで何とも言えぬやわらかみと情緒を醸し出している。・・・(省略)・・・そこはかとない哀れの中に漂う雅に何とも言えぬ風情がある。

・・・(省略)・・・

同じ明治30年1月、碧梧桐は天然痘にかかり入院を余儀なくされる。幸い病状は軽く、一か月で退院するが、しかしその間に碧梧桐の婚約者であった下宿先高田屋の娘いとの心が虚子に傾いていたのである。

・・・(省略)・・・

虚子は6月にいとと結婚する。若い頃から能楽の素養を積んでいた虚子の心中は恐らく『恋の重荷』に押し潰されんばかりであったろう。いととの愛にかろうじて支えられていたのではなかろうか。」

   

雛よりも御仏よりも可愛らし

   

掲句について、坊城俊樹さんの「虚子の100句を読む」には次の記載がある(抜粋)。

「昭和四年三月五日。三女宵子の長女恭子生後八十日にして夭折。其初七日。

痛切な思いがにじみ出ている。ちょうど雛祭りのころであるから、その調度を前にしての哀しみは想像にあまりある。

・・・(省略)・・・

それはともかくとして、虚子のすごさは掲句のような哀憐の句の翌週には、このような客観写生の到達点たる句を作ること。その感情の量の変幻自在のすごさ。
 『ろく』の時の冷徹な虚子、掲句の情感あふれる虚子、この句の客観写生の虚子、はたして同一人物の感情なのか、まことに不可解なのである。」

  

虚子が「雛より小さき嫁を貰ひけり」を詠んだ背景はわからないが、深読みすれば、生まれれる前の誰かを「許嫁」として早々と決めたことを詠んだ俳句かも知れない。

  

上記のように、虚子の俳句にかぎらず、深みがある俳句ほどその句が詠まれた「場」を知らなければ正しい解釈をすることができない。

それが俳句の限界であるが、誤解にしても、自分なりにあれこれ想像して深読みの解釈できるのも俳句の面白さである。

     

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2015年2月28日 (土)

俳句談義(5):戦時中の高浜虚子・文芸家としての良心

              

2月11日は「建国記念の日」であり、2月22日は高浜虚子誕生日である。

今回は戦時中における文芸家・俳人としての虚子の良心の在り方について考える。

    

(青色文字をクリックして関連の解説記事をご覧下さい。) 

俳句は好き好き、人も好き好き」である。

俳句第二芸術と言った桑原武夫昭和五十四年四月号の『俳句』(角川書店)において、「虚子についての断片二つ」という記事に次のとおり述べている。   

「アーティストなどという感じではない。ただ好悪を越えて無視できない客観物として実に大きい。菊池寛は大事業家だが、虚子の前では小さく見えるのではないか。岸信介を連想した方がまだしも近いかも知れない。この政治家は好きな点は一つもないが」

   

桑原武夫の批評はともかくとして、高浜虚子は深慮遠謀ホトトギス俳句王国を確立したという点で「俳界における徳川家康だった」という気がする。

      

ドナルド・キーンさんは高浜虚子の戦時下の俳句について、日本文学』において次のように述べている(抜粋「mmpoloの日記」参照)

「虚子の保守性は一部の俳人を遠ざけたが、同時にまた多数の俳人を『ホトトギス』派に引き寄せた。こうして、『ホトトギス』は全国に広まり、俳句は20世紀の日本の生活と文学におけるさまざまな変化にもかかわらず、生きのびることができたのである。

・・・(省略)・・・

戦時中の虚子の作品は、当時の他の文学の病的興奮とは対照的に落ち着いた、超越したものだった。

              

虚子俳句問答(下)実践編」(稲畑汀子監修・角川書店発行)を見ると、「戦時下の俳句」という章に読者の質問と虚子の回答の記載があるが、戦時中の虚子の俳句に対する考え方や戦争に対する姿勢の一端がわかる。次にその幾つかを抜粋して記載させて頂く。

      

(質問)

現下の如き非常時局下に暢気(のんき)に俳句でもあるまいと・・・(省略)・・・悩んでいる・・・(省略)・・・ご教示願いとう存じます。(奈良 吉本皖哉 .2 

回答

俳句は他の職業に従事している人から見ると、慰楽の為に作るとも考えられるのでありまして、御説のような感じの起こるというのも、ご尤も(もっとも)でありますが、・・・(省略)・・・画家が画を描き、文章家が文を属し或は俳優が演技するのと一般、少しも恥ずるところはないのであります。・・・(省略)・・・現に戦地にある人々も、干戈(かんか)の中で俳句を作って、送って来ておるではありませんか。

   

(質問)

ホトトギスの雑詠に従軍俳句が相当たくさんある様になりました。戦争という特殊な境地をうとうたものは、所謂(いわゆる)戦争文学として雑詠より分離して別に纏め(まとめ)られたらと思いますが、如何でしょうか? (大阪 中村秋南 昭.9 

 

回答

戦争文学として、これを特別に取り扱うことは親切なようであって、返って不親切になる結果を恐れるのであります。雑詠に載録する位の句でなければ、戦争俳句として取り扱うことも如何かと、考える次第であります。

    

(質問)

文芸報国の一端として今回の事変発生以来、ホトトギスに戦地より投句したる戦争俳句、内地よりの事変に因む銃後俳句のみを蒐集(しゅうしゅう)し、これを上梓(じょうし)しては如何。好個の記念になると思う。(大阪 行森梅翆 昭.9 

  

回答

上梓するのは、事変が落着して後の方がよかろうと思います。

     

(質問)

最近の新聞に()りますと、虚子先生を会長に俳句作家協会が生まれます由、俳壇での新体制についてご指導に預かる私どもの句作上について、何か心構えとでもいう事はございませんのでしょうか。(大分県 三村狂花 昭.16.2  

 

回答

重大な時局下にあるということを認識した上で、(ただ)佳句を志して従前通りのご態度でご句作になれば結構だと思います。

      

また、「添削」の省の「誇張せず自然に」という項では戦時下の俳句について次のような質疑応答がある。

   

(質問)

「兵送る初凪や埠頭旗の波」「兵送る初凪埠頭や旗の波

何れが句として調っておりますか。・・・(省略)・・・(沖縄 大見謝雅春 昭.13.3

 

回答

こういう場合は「旗の波」は割愛してしまって、「初凪の波止場に兵を送りけり」とでもするより他に仕方がないでしょう。少し平凡ではありますけれども、それに旗の波を加えたところで大して斬新な句になったというでもありません。(むし)ろ、格調のととのった方がよろしいと思います。

         

チュヌの主人のコメント

この質問・回答の掲載された前年昭和12年には軍歌「露営の歌」が大ヒットしたそうである。

この歌の歌詞には「進軍ラッパ聞くたびに瞼(まぶた)に浮かぶ『旗の波』(1番)」という文句があり、

「馬のたてがみなでながら明日の命を誰か知る(2番)」

「死んで還れと励まされ覚めて睨(にら)むは敵の空(3番)」

「笑って死んだ戦友が天皇陛下万歳と残した声が忘らりょか(4番)」

「東洋平和のためならばなんの命が惜しかろう(5番)」

など、戦争を謳歌・賛美して戦意を高揚させ若者を駆り立て死に追いやった文句が並んでいる。

 

虚子はこの軍歌を連想させる「旗の波」を俳句に詠むことを良しとせず、「初凪の波止場に兵を送りけり」と、「出征して行く若者のことを思いやりながら送り出すしみじみとした俳句」にすることを教えたのである。

「初凪」と「送りけり」が呼応して出征兵士の無事を祈る気持ちが感じられ、戦意高揚を謳う原句とは全く正反対のニュアンスがある。

八紘一宇」「東洋平和のため」「大東亜共栄圏のため」にとその理想的な目的を純粋に信じてその実現に命をささげた若者も多くいただろう。

その意図に反し戦争に伴う非道な行為もあったことは全く残念なことである。筆舌に尽くし難い戦争の悲惨・犠牲・被害を思うと黙しているわけにはいかない。   

  

現在もテロとの戦いウクライナ停戦問題など国際情勢は常に流動的であり、有事の備えをし、且つ、平和主義を徹底する基本的な政策が必須である。

安倍首相は「積極的平和主義」に基ずく外交を推進しようとしているが、「真に世界平和の実現に寄与するにはどうすればよいのか」集団的自衛権の行使はどうあるべきか」与党野党が時間をかけて議論して国民の理解・合意を得るようにしてほしい。国民の理解を得ずして外国の理解を得ることは期待できない。

 

日中戦争太平洋戦争の犠牲となった人々のことを思い、墨塗り教科書で勉強をした戦中・戦後の体験者として戦争を知らない世代に政治に関心を持ってほしいとの思いから、つい「俳句談義」が「政治談議」のようになったが、本論に戻ろう。

               

坊城俊樹空飛ぶ俳句教室」の「虚子と戦争」に次のような記述がある。

  

「終戦直後、新聞記者に俳句はどのように変わったかと問われた虚子は、
『俳句はこの戦争に何の影響も受けませんでした』と答えたといいます。そのときにその記者があわれむような目をしたと言っては、虚子は笑っていました。」

    

「虚子俳句問答」における読者と虚子との質疑応答を読むと新聞記者の質問に対する上記の虚子の答えは納得できる。

虚子は自分が日本文学報国会俳句部会長として戦争を賛美することなく客観写生花鳥諷詠の文芸を堅持し、時代の流れに掉さすことも流されることもなく、文芸家・俳人としての良心貫いたのだと思う。 

            

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俳句談義(7):高浜虚子の句「爛々と昼の星」の「星」とは何か?(続編)

                   

爛々と昼の星見え(きのこ生え」について、坊城俊樹さんは「虚子の宇宙の片鱗」とか「虚子の遊び」などと言っているが(俳句談義(6)」参照)、この句には「謎解き」のような面白さがある

          

稲畑汀子さんは「虚子百句において次のように言っている(抜粋)。

「この句ほど不思議な力で読む人を惹きつけながら、解釈を施そうとすると困難を極める句も珍しいだろう。

・・・(省略)・・・

虚子が3年余りに及び滞在した小諸を引き揚げる直前のこの日、長野の俳人達が大挙して山ほどの松茸を持参して別れを言いにやってきたのである。句会に出席していた村松紅花の証言によれば、句会の席上、長野の俳人の一人が、『深い井戸を覗いた時、昼であるのに底に溜まっている水に星が映り、途中の石積みの石の間に菌が生えていた』という体験を話したという(注:村松紅花は村松友次の俳号)。

・・・(省略)・・・

虚子は一俳人の話に感興を動かされて、いや感興などという生易しいものではなく、インスピレーションを得て一気に頭の中で壮大な宇宙を作り上げたのではないだろうか。

・・・(省略)・・・

この句は信濃(しなの)の国に対する虚子の万感(ばんかん)を込めた別れの歌であり、最高の信濃の国の()め歌なのである。(以下省略)      

           

掲句についての山本健吉の「定本 現代俳句」における句評を「俳句談義(6)」で抜粋引用したが、その句評の最後に次の記述がある。 

「・・・(省略)・・・連句の連用形止めは、たいてい『見えて』『生えて』というふうに、『て』止めである。この句の感じは、やはり朔太郎の用法に近い効果を見せ、何か不気味な、感覚的な戦慄を生み出している。老境の虚子の、感覚的な若さを感じさせる。」

            

以上のように、この句に対する解釈は評者によって様々であり、「謎解き」のような面白さがある。

    

    

写生句であれば、「切れ」の効果を出すために「終止形」にするのが普通であるが、「爛々と昼の星見え菌生え」と、「連用形止め」である。この句は写生句ではない。「昼間は見えない星も夜には爛々とするという宇宙の現象」を捉え、「森羅万象」を抽象的・主観的な比喩で表現しているのではないか?

虚子花鳥諷詠を広く捉え、このように俳句を比喩的に作ることも花鳥諷詠であると範を垂れているのではないか?

        

この句には、「長野俳人別れの為に大挙(たいきょ)し来る。小諸山廬(こもろさんろ)」の詞書(ことばがき)がある。インターネットで長野県出身の俳人を調べたところ、河合曾良小林一茶小澤實矢島渚男など15名がリストされていた。                

       

星は曾良や一茶など鬼籍の俳人を指し、「(きのこ)」は小澤實矢島渚男など現存の俳人を指していると解釈してもよいのではないか?

すなわち、「長野の俳人の活躍を讃え、花鳥諷詠の俳句が将来も隆盛することを信じ・喜んでいる句である」と解釈してはどうか?

虚子は宇宙のどこかで、「ほう、そんな解釈もできますか。」と、ニッコリしているのではないか?

遊び心のついでに、この句の後に連句として「花鳥諷詠ますます盛ん」と付け加えたら、虚子は何というだろうか?

星になった桑原武夫碧梧桐秋櫻子などは何と思うだろうか?

先達と彼岸で俳句談義が出来ると面白いだろうが、元気な限り「露の世」の俳句談義に興じたい。

      

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俳句談義(6):高浜虚子の句「爛々と昼の星見え菌生え」の「星」や「菌」とは何か?

       

高浜虚子小諸山廬にて詠んだ掲句について山本健吉は「定本 現代俳句」において次のように述べている(抜粋)。

   

昭和221014日作。小諸を引き上げる前の作品で、「長野俳人別れの為に大挙し来る」と注記がある。

「昼の星」とは太白星(火星)である。山の秋気が澄んで、まだ日の高いうちから、爛々と大きく、赤く燃えるような色を放って輝いている。地には「菌」がにょっこりと頭をもたげている。・・・(省略)・・・空と大地と、二つの異様な色彩のものを対置し、抽象的な装飾画のように、ただその二つのものが並べ置かれているだけである。(以下省略)

(注:上記の太白星の「火星」は「金星」の誤りである。)

(青色文字をクリック or タップしてリンク記事をご覧下さい。)

             

坊城俊樹氏の「高浜虚子の100句を読むには次の句評がある。

    

・・・(省略)・・・昭和二十二年四月一日には愛子の死が訪れ、老人虚子はそろそろ晩年の節目となる俳句にさしかかっていたと思われる。
 しかし、この掲句なのである。これが、七十歳を過ぎた当時の老人の句であるとは誰も思わない。ある意味で虚子の代表句であるが、伝統派の俳人たちはこの句の謎を追うことを嫌う。句意もさんざん人たちが議論を繰り返してきた。昼の星とは宵の金星であるとか、井戸に映った金星とか、妄想的に現出した星など、さまざま。
 筆者としては、これは虚子の遊びだと思っている。肉眼では金星が暁以外で見えるはずはないとか、金星は小諸と限定せずに鎌倉の夕刻の回想とか諸説の理由ももっともであるが、なんとなく庭の菌を見ていたらそんな気がしたのであろう。昼の星を太陽としても天文学的には間違いではない。しかし、それはそれとしても太陽にもそんな気がしたのである。
 いわば、虚子としての集大成の写実の次に見えてくる、虚子の宇宙の片鱗なのである。」

             

上記のように、山本健吉は「抽象的な装飾画のように、ただその二つのものが並べ置かれているだけである」と言い、坊城俊樹氏は「虚子の宇宙の片鱗」とか「虚子の遊びだと思っている」と言っている。

     

太陽(恒星)は星の一つである。

覗いた井戸か池に太陽が映って輝いており、キノコがどこかに生えているのを見て作った句かも知れない。

しかし、唯それだけなら虚子は何故に「長野俳人別れの為に大挙し来る」という注記を付けたのだろうか?

        

虚子は「深は新なり」といっている。高浜虚子記念館HP虚子の思想参照) 

  

また、「新・俳人名言集復本一郎著 春秋社発行)によると、虚子は「客観描写を透して主観が浸透して出て来る。」と言っている。

    

だから、具体的なものを抽象的に表現している俳句の場合は何かを比喩的に詠んでいる可能性がある。「長野俳人別れの為に大挙し来る」という注記を考慮すると比喩の可能性が高い。

もし、「長野の俳人たちとのこの別れは今生の別れとなるかもしれない」と虚子が考えていたとすれば、辞世の句として作ったのかも知れない。       

      

芭蕉は「平生即ち辞世なり。」といひ、

また、

「きのふの発句はけふの辞世、けふの発句はあすの辞世、わが生涯いひ捨てし句々、一句として辞世ならざるはなし。」

と言っている。(「新・俳人名言集」)

虚子もそういう気持ちで俳句を作っていただろう。

そうだとすれば、虚子は、「星」を死後の自分に例え、後に残る俳人や次々と新たに生まれてくる俳人を(きのこ)」に例えていると解釈できるのではないか?

               

坊城俊樹氏は「虚子の遊びだと思っている」と言っているが、虚子は読者が句の解釈をどのようにするのか、誤解があればそれはそれとして楽しむ余裕を持っていたようである。

虚子は、「虚子一人銀河と共に西へ行く」という句も作っている。虚子の俳句には謎をかけられているような興味が湧く。

選は創作なり」という虚子の言葉にあやかって、「解釈も創作なり」と誤解を恐れず私見を述べているが、星になった虚子は「ほう、そういう解釈もできますか。」と、面白がってくれているかもしれない。 

「俳句は存問の詩である」と虚子は言っている。次回は試みに別の解釈について書きたい。     

    

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2015年2月27日 (金)

俳句談義(8):「初蝶来何色と問ふ黄と答ふ」《虚子の対話の相手は誰か?》



   

手作りの我が楽園や初蝶来

        (薫風士)

  

タイトルの高浜虚子の掲句について、「古典・詩歌鑑賞」というブログには、虚子が家人と対話していると解釈した記述がある。しかし、掲句について偶々見つけた下記のブログなどからすると、その様な日常的な存問の俳句であるとは思えない。

  

(1)第3回『詩を読む会―高浜虚子を読む』レポート『高浜虚子の俳句についてのメモ』という岡田幸文氏の記事には次の記述がある(抜粋)。

(「見た瞬間に今までたまりたまって来た感興がはじめて焦点を得て句になった」)「初蝶来何色と問ふ黄と答ふ」(昭和21年『六百五十句』)

(初案)「初蝶来何色と問はれ黄と答ふ」(昭和21年『小諸百句』)

          

(2)「K-SOHYA POEM」には次の記事がある(抜粋)

「ホトトギス」昭和21年6月号では、「初蝶来何色と問はれ黄と答ふ」だった。それが再掲誌「玉藻」(虚子の二女星野立子の主宰誌)同年9月号までの間に「問はれ」が「問ふ」に修正された。
この修正は、まことに興味深い。虚子の句作の実際を具体的に例示してくれるからである。「問はれ」から「問ふ」に変ることによって、この句は単に実際の体験を詠んだだけの句から、もう一つ別の次元へ移ったと言える。「問はれ」て「黄と答ふ」という、ひと連なりの句では、この句は「作者」一人が詠んで、それでお終い、という、つまらない句になってしまう。それを「何色と問ふ」「黄と答ふ」としたことによって、「誰か」を見事に押し隠しているために、句に対話性が導入され、句が大きく、広くひろがった。

(詳細はここをクリックして参照下さい。

                

掲句が日常的な平凡な句ならば詠み捨てにしてもよいだろうが、虚子はこの句を上記のように推敲している。特別の存問の句として大切に考えていたのだと思う。

それではこの句における虚子の対話の相手は誰か? 

それは緒方句狂でないか?

虚子が「初蝶だよ」と話しかけ、句狂が「何色ですか?」と尋ね、それに虚子が「黄だよ」と答えたのではないか?

そう考えるのは「盲目の俳人・緒方句狂の作品と高浜虚子のメッセージ」を読んだからである。

次にその記事の内容を抜粋引用させて頂く。

    

昭和22年、句集「由布」に寄せた高浜虚子の序文に、

「両眼摘出昼夜をわかたず」という前書きがあって、

「長き夜とも短き日ともわきまえず」という句がこの句集のはじめにあるが

・・・(省略)・・・

私は九州に旅する度に、別府の埠頭に、黒い眼鏡をかけ、人に助けられて立っている句狂君を見出すのである。昨年行った時もそうであった。そうして各地の句会には必ず句狂君の顔を見た。句狂君の成績はいつも立派であった。・・・(略)・・・

昭和22106日 小諸山盧 高浜虚子 

     

この句集「由布」の(ばつ)に、句狂は次のように記している。

昭和958日、当時炭鉱で従事して居りました私は、坑内作業中ダイナマイトの事故により、遂に失明せねばならぬ運命におかれました。

・・・(省略)・・・

黙星君は私の寄稿の中から選んで、ホトトギスに投句していたとみえ、はじめてその年の12月号のホトトギスに

「長き夜を眠り通してまる三日」

というのが

「長き夜とも短き日ともわきまえず」

と虚子先生によって御添削を頂き、初入選したのでありました。

・・・(省略)・・・

若し私に俳句がありませんでしたならば、今頃どんなになっていたでありましょうか。往時を顧みますとき、総身泡を生ずるの思いがあります。私は俳句に依って更生させられたのであります。否、邪悪の淵に溺れていました私は、虚子先生や清雲先生の温かい情に救い上げられたのでありまして、今更ながら感泣せずには居られません(以下略)

  

なお、初代(句狂の妹)の「句狂の追憶」の項の最後に次の記述がある(抜粋)。

・・・(省略)・・・

以上が闘病句で高浜虚子先生より次の弔句をいただきました。句狂もさぞかし泉下で感泣したことと存じます。

「目を奪い命を奪う諾と鷲  虚子」

(以下省略)(詳細はここをクリックしてご覧下さい。)

           

上記の虚子の弔句に関連する記事として「徒然詩」から次のとおり抜粋させて頂く。

    

緒方句狂(くきょう)。明治36年(1903)~昭和23年(1948)。本名稔。田川郡赤池町に生まれました。
 父の営む古物商を手伝いながら、明治鉱業赤池炭鉱の坑内夫として働きました。昭和9年に、ダイナマイト事故で失明してしまいます。失明のため、悩んでいた頃、俳句に出会います。河野静雲、高浜虚子に師事し、めきめき上達します。昭和20年に、「ホトトギス」同人となります。
「闘病の我をはげます虫時雨」の句を残して、ガンのため、45年の生涯を終えました。

・・・(省略)・・・

「目を奪い命を奪う諾と鷲」(虚子)
高浜虚子が、緒方句狂について詠んだ句です。とても難解な句です。鷲は句狂のことでしょう。諾には「諾う(うべなう)」-受け入れるーという意味があります。つまり、句狂が、失明を運命として受け入れたことを詠んだのだと思います。(以下、省略)
(詳細はここをクリックしてご覧下さい。)

                    

「俳句への道」に於いて、虚子は次のように述べている(抜粋)

私はかつて極楽の文学と地獄の文学という事を言って、文学にこの二種類があるがいずれも存立の価値がある、俳句は花鳥諷詠の文学であるから勢い極楽の文学になるという事を言った。如何(いか)窮乏の生活に居ても、如何に病苦に悩んでいても、一たび心を花鳥風月に寄する事によってその生活苦を忘れ病苦を忘れ、たとい一瞬時といえども極楽の境に心を置く事が出来る。俳句は極楽の文芸であるという所以(ゆえん)である。(『玉藻』昭和28年1月号)

               

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2015年2月17日 (火)

俳句談義(4): 高浜虚子の句『大寒の埃の如く人死ぬる』とは、「平和」を考える

                  

(2025.1.23 更新)

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冒頭の写真は、米国トランプ大統領新政権スタートを報じるNHK-TV ニュース画面の一部分ですが、独善的政権が暴走しないことを祈るばかりです。

 

2022年3月26日にウクライナ紛争について、「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、紛争解決案を提言しましたが、未だに戦争が続いてるのは悲しいことです。

 

青色文字をクリック(タップ)して、「血に染むなドニエプルてふ春の川」や「春一番この発言はおぞましき」に書いた思いをシェアして頂ければ望外の喜びです。

      

昭和16年(1941年)1月に掲句を作ったとき、虚子は何を意識していたのだろうか?

 

「平和を願う祈りが世界の人々に通じ、地球上に愚かな戦争がなくなる日がいつかは来るのではないか」と、一縷の望みを捨てずに、このブログを書いている。

   

昭和12年には支那事変(日中戦争 1937年~1945年)が始まっており、既に日中双方に多数の死者が出ていただろう。

  

インターネットを検索すると、伊予歴史文化探訪「よもだ堂日記」に「秋山真之 元気のない正月」というタイトルで、

「明治29年(1896)1月初め、秋山真之が子規のもとを訪問。秋山が訪れたのは3年ぶりで半日閑談したのだが、このときの秋山はあまり元気がなかったと子規は述べている。」

という記事があった。

   

その前年、明治28年(1895年)4月17日には日清講和条約(下関条約)が締結され、数日後の4月23日に三国干渉が起こっている。

秋山とは司馬遼太郎原作のNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の主人公の一人である秋山真之のことである。

 

高浜虚子は日露戦争当時の明治38年(1905年)7月1日発行「ホトトギス」に「正岡子規と秋山参謀」という次のような記事を掲載している(抜粋)。 

  

「子規居士と茶談中、同郷の人物評になると、秋山真之君に及ばぬことは無かった。秋山君は子規君と同年か若くても一歳位の差で、同郷同窓の友(松山では固より、出京後でも共に一ツ橋の大学予備門に学び、後ち秋山君は海軍兵学校の方に転じたのである)として殊に親しかった。

・・・(省略)・・・

その後は別に記憶にとどまるようなことも無く、日清戦争のすんだ時分、子規君の話に、秋山がこないだ来たが、威海衛攻撃の時幾人かの決死隊を組織して防材を乗り踰(こ)えてどうとかする事になって居たが、ある事情のため決行が出来なかった、残念をしたと話して居たと、言われた。

・・・(以下省略)」

              

虚子は掲句を作った前年の昭和15年(1940年)3月には「大寒や見舞に行けば死んでをり」という句を作っている。この句は「死んでをり」という具体的な表現であるから誰か身近な人の死を詠んだものだろう。

しかし、掲句では「人死ぬる」と一般的な表現である。

 

上記のホトトギスの記事にある「日清戦争のすんだ時分、子規君の話に、秋山がこないだ来たが、・・・(省略)・・」という記載からすると、虚子は秋山と子規のこと、日清戦争(1894年7月~1895年3月)や日露戦争(1904年2月~1905年9月)のことに思いを馳せ、現に行われている日中戦争(1937年~1945年)のことを念頭において掲句を作ったに違いない。

   

当時の世界情勢は列強が帝国主義政策を推進しており、日本も遅ればせながら列強に負けじと帝国主義の道を突き進んでいた。

 

昭和11年(1936年)には二二六事件が起こっている。

昭和15年には戦時体制としての内閣総理大臣を総裁とする大政翼賛会が発足し、津田事件が起こるなど、反戦的な発言は許されない時代になっている。

 

虚子は現実の生活において通俗的に「人の命」を「塵」や「埃」と同一視していたとは考えられない。「埃の如く死ぬる」という比喩は、「人の死」を軽んじているのではないだろう。

  

おそらく、「戦争における人の死は宇宙から見ると大寒の埃のようなものである」と憂い、戦争による多数の死を空しいと思っていたのではないか? 

            

参考までに掲句に関してインターネットで検索したブログ(抜粋)を下記に挙げるが、対照的な解釈をしている。

 

(1)「遼東の豕」(作者名不詳)  

「ワシャは俳句は素人なのでよく解からないが、虚子の死生観が感じられる一句だと思う。『大寒の埃』とは、寒い朝、書斎の障子越しに射す光に浮かんだ微小な埃のことだ。小さなものと大いなる寒さの対比がおもしろい。虚子はその埃が室内の暖気の対流をうけてきらきらと舞っているのを見た。時間の経過とともに埃は墜ちていき、やがて畳の目につかまって動かなくなる。それを死と観たか。人の生き死にも大いなる自然から見れば、埃の死と大差ないのだよ、だから嘆かないでということなのだろう。

     

(2)「六四三の俳諧覚書」

「『大寒の埃の如く人死ぬる』 おそらくは親しかった人の死をホコリにたとえる、この非情さはどうでしょう。そんなふうに作者を責めたくなります。ところが、真相は違いました。同じ句会で詠まれた『大寒や見舞に行けば死んでをり』の句とともに、連衆の笑いを狙った虚構句らしい。作者の年齢にも目を向けてください。老境の呟きです。昭和十五年、六十六歳。」

    

(3)「六四三の俳諧覚書」子規の革新・虚子の伝統(七) 花鳥諷詠

「『大寒の埃の如く人死ぬる』 昭和十五年冬。この非情さはどうなのか。実は、同じ句会の席で詠まれた『大寒や見舞に行けば死んでをり』とともに、連衆の笑いを狙った滑稽句でした。

     

上記のように国光六四三氏が虚子のこの句を「滑稽句」と評した根拠を知りたいが、昭和15年当時は「反戦句」を作ることは許されないのだから、虚子は「滑稽句」として披露したのか、あるいは「滑稽句」という解釈をそれで良しとして受け入れたのではなかろうか?

         

      

(4)「ときがめ書房」のブログ「大寒・高浜虚子」(作者名不詳)

「死 秀句350選」(倉田紘文著)の「『如是』という言葉がある。まったくさからう心のない、在りのままの姿を示す語である。・・・(省略)・・・」を引用している。   

    

夏目漱石が虚子という人物をどのように見ていたかを知るのに参考になる記事(「高浜虚子著『鶏頭』序」)があったので、次のとおり抜粋させて頂く。

       

「虚子の作物を一括して、(これ)は何派に属するものだと在来ありふれた範囲内に押し込めるのは余の好まぬ所である。是は必ずしも虚子の作物が多趣多様で到底(とうてい)概括し得ぬからと云う意味ではない。又は虚子が空前の大才で在来西洋人の用を足して来た分類語では、其の作物に冠する資格がないと云う意味でもない。虚子の作物を読むにつけて、余は不図(ふと)こんな考えが浮・・・(省略)・・・

余は虚子の小説を評して余裕があると云った。虚子の小説に余裕があるのは()たして前条の如く禅家の悟を開いた為かどうだか分らない。(ただ)世間ではよく俳味禅味と並べて云う様である。虚子は俳句に於て長い間苦心した男である。従がって所謂(いわゆる)俳味なるものが流露して小説の上にあらわれたのが一見禅味から来た余裕と一致して、こんな余裕を生じたのかも知れない。虚子の小説を評するに(あた)っては(これ)(だけ)の事を述べる必要があると思う。
 尤も(もっとも)虚子もよく移る人である。現に集中でも秋風なんと云うのは大分風が違って居る。それでも比較的痛切な題目に対する虚子の叙述的態度は依然として余裕がある様である。虚子は畢竟(ひっきょう)余裕のある人かも知れない。明治四十年十一月」

         

現在も世界のどこかで宗教や人種の違い、利害の対立などから生ずる愚かな戦争が行われている。情けないことである。

 

「正義」や「大義」、善悪などの価値観は時代や立場によって異なる。

正義や大義の名のもとに愚かな戦争をすることがあってはならない。

  

宗教と科学の融合」でも書いたが、科学・文化、社会制度などが未発達の時代の預言者の唱えた宗教(一神教など)にいつまでも囚われず、既存の宗教の欠点を補完し、良い点を融合して現在の宇宙時代にふさわしい宗教的考えが確立されることを切望している。

  

世界の宗教指導者や政治家が寛容・和の精神を実践することによって民衆を指導してもらいたいものである。

   

凡人である私は、「大寒や花鳥諷詠南無阿弥陀」と平和憲法下における「平和国家日本の悠久」をひたすら祈りながら、ささやかなブログを書いているほかに術がないが、「平和を願う祈りが世界の人々に通じ、地球上に愚かな戦争がなくなる日がいつかは来るのではないか」と、一縷の望みを捨てずにいる。

  

「何が平和か」ということは大きなテーマであり、短歌や俳句・川柳などで一口に言えるものではないが、このブログが平和について改めて考えるきっかけになれば幸いである。

  

最後に、薫風士の俳句と川柳(即興句)をご笑覧下さい。    

   

ブログにて花鳥諷詠冬ごもり

待春や妻は吟行我ブログ

「和」を唱へブログを書きつ春を待つ

ブログ書き平和を祈り春を待つ

子と孫に託す世界の平和かな

      

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2015年2月16日 (月)

「昭和や」の酔客のエッセイ:「素粒子論と般若心経と高浜虚子の俳句」

            

昨年6月に「宗教と科学の融合」というタイトルの「チュヌの便り」を書いたが、そのことを神戸の「昭和や」で11月にMさんやI君と飲んだ時に話題にしたらI君が素粒子理論のことを話してくれた。

そのことを思いだして、柳澤桂子著「生きて死ぬ智慧」のことを引き合いに出して、「何かエッセイを書いてくれないか」とI君にメールしたところ、その返信が面白い内容だったのでI君の了解を得て適宜抜粋して転載させて頂く。

     

     

青色の文字をクリックすると関連の解説記事などがご覧になれます。

     

(以下はI君のメールの抜粋)

柳澤桂子著「生きて死ぬ智慧」は読んでいません。

般若心経の解説書は、5-6冊は読んだと思うのですが、それぞれに特有の解釈、説明がしてあって、特に『空即是色』の解釈はまちまちですね。それで良いのでしょう。

私は原子では考えていません。それをさらに分解した素粒子こそ根源だと思ってます。

大分頭を悩ませたことは事実ですが、『物事に執着することが…』などと言う心境にはいまだ達しておらず、物事に執着しなくなろうとstruggleする姿が良いと思いましょう。

エッセイに仕上げようとすれば、「一杯飲みながらの話」ではなくなってしまうので、このメールで済ませます。では、どうぞよろしく。

   

あれから、大兄にちゃんとした返事をしようと記憶をたどって見たり、本棚を探したり、新聞の切り抜き、Internetのプリントなど探してみたが、結局これがそうだと言う資料はないと言わざるをえない。

結論ともいえないが、「人間や世界を作ったのは神・仏なのか、あるいは物理現象なのか」についてかなり前から考えていて、その観点からいろいろ雑多なものを読んでいるうちに、「世界と人間を作って、あるルールで宇宙を制御しているのは神ではなく(神はいない)物理の法則ではないか」と思う様になった。

そこで、四国歩き遍路に出る前、般若心経の解説本を数種読んだ中に、人間を(あるいは物質を)極限まで分解して行くと素粒子に行きつく。これが「空」である、と言うのがあった。

一方で、素粒子そのものは光速とほぼ同じ速度で宇宙を飛び交っていて物質になりえない。素粒子そのものである。素粒子が物質になるのはなぜか、ということを物理学者は昔から研究していた。

そう言う研究者の一人、英国のHiggsが考えた理論があった。彼の名をとった『Higgs粒子』と言うものがあって、それと素粒子とが接触することで素粒子は重力を持ち、質量を得て速度が落ちる。

それに素粒子がさらに接触すると、それはさらに質量を得て物質になっていく(この辺小生の理解は荒いからご注意)。これが物質の発生である。人間も物質である。

この物質こそは般若心経に言う『色』である。

私が考えたのは(ほんとにそうかちょっと自信ないが)このHiggs粒子と素粒子の交わりが仏教の上では『因縁』と呼ばれるものではないか。

因縁によって我々は生成し、そして死んだあとは素粒子に帰り、また新たにHiggs粒子と合体し、次々にほかの素粒子と合体し新しい物質あるいは生物に生まれかわる。この生まれ替りを「輪廻」と言う。次の世では動物や植物などいろいろなものに転生する。この生まれ替りの連続を『輪廻』と言うのだと思う。

これは多分ヒンズー教の哲学に根差しているようにおもわれるが、小生が今思っているのはそういうことです。

自分で構築したとはとても思っていないが、これと言う種本も思いつかないので、2,3本を挙げておきます。上記のようなことをそのまま書いた本はないように思うけれど。

般若心経講話」 鎌田茂雄著 講談社学術文庫

般若心経」 松原哲明著 主婦の友社

仏教の源流ーインド」 長尾雅人著 中公文庫(これは良い本です)

生物と無生物の間福岡伸一(分子生物学者)講談社現代新書

この本は良い。この件とは関係なく一読をお勧めする。この学者を私は非常に尊敬している。

重力とは何か大栗博司著 幻冬舎新書

 

ちょっと前後錯綜しますが、上記のような宇宙論を日本で最初に唱えたのは空海ですね。

先日2月7日の日経新聞に仏文学者・竹内信夫さんが語られた話が載っていたが、その内で私が目をひかれた部分を引用します。

     

空海の思想の中核には『いのち』がある。生物すべての、あるいは宇宙全体と言う一つの大きな命があって、それぞれの人や動物、植物がそれを分かち合い、分有をしていると言う考え方です。一つひとつの命は授かりものだから、大事にしなくてはいけない。他の人や生き物の命も当然、大切にしなくてはいけない。殺伐とした現代にも通じる考え方だと思う」

     

私は、自分が宇宙に存在するあらゆるもの、この惑星に存在するあらゆるもと、同じように生成してきて、お互いに存在しているとおもうと、そういうものがなんとなくいとおしいものに思われてきています。

最近私は「色color」に魅かれるようになりました。花、草木、木々、山、川、雲、空がみんな美しくてたまらないようになってきました。友人にも同じことを言うのがいて、これは年齢の所為だろうかと思いますが、そう感じることは極めて快適ですし、気持ちを暖かく包んでくれます。

この感じは俳句を詠まれる大兄はずっと前から体験していることかと思いますので、釈迦に説法かも知れませんね。

春が待たれますね。では、また。

     

(以上がI君のメールの抜粋)

       

I君のメールの最後の記述は高浜虚子の昭和29年の著書「俳句への道」の冒頭の言葉<私等は、日本という国ほど景色けしきのいい所は世界中ないような心もちがします。>を思い起こさせる。

         

小生は「高浜虚子は『色即是空』の宇宙観を持って花鳥諷詠を俳句にしたのではないか」と思い、「春の山屍を埋めて空しかり」を辞世の句として新解釈をブログに書いたが、「深は新なり」と言った虚子の俳句は謎解きのような興味を抱かせる。折に触れて虚子の俳句を小生なり解釈して俳句談義にとりあげたいと思っている。