俳句 (Haiku) Feed

2014年12月26日 (金)

思い出の俳句アルバム(奈良吟行)

  

思い出の写真俳句を作ろう! 

   

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2014年11月に奈良に吟行した時の俳句と写真をブログに掲載したところ、かなり多くの方々にご覧頂いたようで、しかまろくん」からも「ぎんこうとは、風流ですね(*^^)v 秋の奈良?冬?楽しめましたか?」とメールを頂きました。

   

奈良公園周辺柳生の里の吟行は小雨模様でしたが、風情もあり皆さん大満足でした。

仲間が作ってくれた楽しいアルバムの一部を最後に掲載します。

奈良女子大学恋都祭を訪ねて、「愛歌ふ女子大祭や柿たわわ」など、お友達は色々な俳句をつくりました。

  

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「愛」の言葉が募集されていたので、チュヌの主人は「LOVEを実践しよう!」と書き込みました。

  

ここをクリックして青春の指針となる「究極の愛・ラブを!(Ultimate LOVE!)」をご覧下さい

    

(青色文字をクリックすると関連の解説や写真をご覧になれます。写真はクリックすると拡大できます。短冊の俳句もご笑覧下さい。)   

  

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

                   

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2014年12月11日 (木)

本との出会い(4):「悪党芭蕉」と「大悪人虚子」(改訂版)

      

今回は、虚子が「初空や大悪人虚子の頭上に」の句を作ったときに意識していた「悪」は何だったか、を考える。

   

高浜虚子没後50年記念として平成21年4月に出版された「高浜虚子の世界」(角川学芸出版「俳句」編集部)の最後に「私の虚子」というタイトルのアンケート記事がある。

アンケート①は「愛誦句3句」をあげることになっており、著名な俳人や歌人などの回答者48名のうち、16名が「去年今年貫く棒の如きもの」を挙げている。

   

小池光氏(歌人)は「悪人虚子」という見出しで、この「去年今年」の句の他に「天の川のもとに天智天皇と虚子と」「初空や大悪人虚子の頭上に」を挙げている。そして、アンケート③「いま、虚子について思うこと」については次のとおり回答している。

   

「③ 要するに保守本流の総大将で、短歌では斎藤茂吉みたいなもので、乗り越えねばならない存在と若いころは決めつけていたが、心空しく読んでみたら茂吉の面白さは無類で、すると虚子もやはり俳句は虚子だと思ってしまうのでないかと、恐れつつ思っている。前の2句など、実に得体が知れない。天智天皇と自分を並べる発想、自分を大悪人と規定する発想、どこからなにゆえ出てくるのだろう。棒の如きものはそれから三十余年の後の作だが、こう並べると妙に交錯して、棒の太さと貫く膂力(りょりょく)の大きさがえらく巨大に感じられる。およそ一筋縄では行かない恐ろしいものが、花鳥諷詠の陰でニタリニタリと笑っているような気がする。」

     

       

      

上記句評の「およそ一筋縄では行かない恐ろしいものが、花鳥諷詠の陰でニタリニタリと笑っているような気がする。」という表現にはちょっと引っかかる。

それはともかく、虚子が一方で「天智天皇と(臣)虚子と」と言いながら、他方で「大悪人虚子」と俳句にしたのは何故だろうか?     

この疑問の解決を私なりに見つけてみたい。

   

「天の川」の句は、稲畑汀子著「虚子百句」によると、大正6年に太宰府で作った句である。汀子さんは「初空や」の句について次のように述べている(抜粋)。

    

     

「大正7年(あるいは6年か)1月、虚子は、<初空や大悪人虚子の頭上に>という句を作っている。暦が更新され美しく澄み切った初空を仰いだ時、それを穢れを去った太初のように無垢な空と感じた虚子は、煩悩に満ちたわが身を振り返り己を大悪人と意識せずにはおられなかったのである。虚子が当時、己の中にどのような悪を意識していたかを詮索する余裕は今は無い。問題は虚子が悪を抱えてどう生きたか、それをどのように自らの作品に結実させたかである。参考になるのは虚子が『中央公論』の大正5年1月号に書いた『落葉降る下にて』であろう。

『これから自分を中心として自分の世界が徐々として滅びて行く其有様を見て行こう』『何が善か何が悪か』

一口で言えば虚子が選択したのは理性ではどうにもならない悪を抱える己という存在を事実存在として受け入れ、責任を引き受けつつ、あるがままに生きるという途であった。

それはまことに文学者らしい生き方であるが、辛い覚悟を要したはずである。虚子はその辛い途を俳句の存問という方法によって歩んだのである。虚子は自己との存問、自然に対する存問を繰り返し、長い時間をかけてついには超越者と存問を交わすようになる。・・・・(省略)・・・・長い期間の存問を経て虚子は我執を脱ぎ捨てたのである。

・・・・(省略)・・・・ 虚子はもう善悪彼岸に立っている。」

    

   

上記の「責任を引き受けつつ」とはどんな責任なのだろうか?         

坊城俊樹さんは「虚子の100句を読むにおいて、虚子が大正4年4月に作った句「春惜む輪廻の月日窓に在り」を取り上げて虚子の四女「六」の病死について触れているが、その責任のことだろうか? 

     

一方、坊城俊樹さんは「虚子の100句を読む」で「天の川」の句について次のように述べている(抜粋)。

     

「虚子は郷里松山での兄の法事に出て九州に船で着いた。そして太宰府を参拝し、都府楼 に佇んでいた彼は何を思っていたのだろう。 ・・・(省略)・・・ 同時に、今このときは日本のために、そしてかつて天智天皇がこの地で唐などからの国土防衛をしたことにおもいを馳せる。その時虚子はいたたまれず、自身もこの天皇の一臣下として国を護ろうと思ったのである。
 虚子のこの懐古とはすなわち、故郷へ向かったあとのその余韻とともに、日本の歴史への懐古そのものを言っている。

都府楼址は、礎石の柱の址がただ延々と続く。そこはだだっ広い空き地のようなもの悲しさである。夕刻には、かの有名な観世音寺の鐘が響く。それは千年を超えた虚子と天智天皇の君子の交わりの鐘の音であった。
この句は『五百句』に、

 
天の川の下に天智天皇と虚子と     (虚子)

  
と.「臣」の字を削除して掲載されている。

  
これは、昭和十二年刊行の当時、大政翼賛会
設立前夜としての抑圧に屈したとしか言いようがない。虚子ごときが天智天皇の「臣」たるは何事ぞ、というわけである。しかし、仮に時代がそうだとしても、この句では本来の虚子の臣たる高揚感と意味が異なってしまう。ましてや、この句では天智天皇と虚子が並立に存在するが如きでよほど不遜ではないか。

筆者および、その周辺ではこの句はあくまで掲句のような「臣虚子」であることに意味があるとして、あえて『五百句』の禁を犯した。

  
もっとも、『五百句』でかように記されていたこの句は、昭和三十一年刊行の虚子自選の『虚子句集』にはすべて掲句のように戻されている。それが虚子のほんとうの心情であったことは明確である。・・・(以下省略)・・・」

        

              

俊樹さんの上記の句評を考慮すると、虚子の意識した『悪』は稲畑汀子さんが上記のようにとらえた『悪の意識』の他にも何か俗世界・世相との関係において考慮すべきことがあったのではないかと思う。

「高浜虚子」に関するウイキペディアの記事(抜粋)によると、「子規の没後、五七五調に囚われない新傾向俳句を唱えた碧梧桐に対して、虚子は1913年(大正2年)の俳壇復帰の理由として、俳句は伝統的な五七五調で詠まれるべきであると唱えた。また、季語を重んじ平明で余韻があるべきだとし、客観写生を旨とすることを主張し、「守旧派」として碧梧桐と激しく対立した。」とある。

    

虚子は「世間が己を悪人と言うならそれも甘受して、自分の信念を貫いて行こう」という決然とした清々しい気持ちで「初空や」という句を作ったのだという解釈も可能ではなかろうか?

    

虚子の句についても解釈が当を得たものになるかどうかは、長谷川櫂さんの指摘した「場」をどのように想定するか、虚子と「場」を共有できるか否かで決まる。

   

なお、虚子やその俳句に対する批評に関するブログを検索すると、この「場」をわきまえず、虚子の人格や俳句を悪しざまに批判しているブログが見受けられることは嘆かわしい。死人に口なしだから義憤を感じてこのブログを書き始めたが、虚子は「そんなことは俺は超越していたよ」というのだろうか?

なお、「エコブログ」(作者はかわからない)に「敵といふもの今は無し秋の月」という虚子の句をタイトルにした興味深い虚子の句評があった。その記事の一部を抜粋すると、

「天皇を信じていなかった鴎外、戦争の大義も敵の存在も信じていなかった虚子。しかし、鴎外は天皇の藩屏として、虚子は日本文学報国会の俳句部長として身を処した。彼らの心中を思い、いま、北朝鮮にいるだう鴎外や虚子のことを思った。」とある。

    

まさに、現在の北朝鮮の状態は戦前の日本の有様を彷彿とさせる。虚子は文学報国会俳句部長としてどのように対処したのだろうか? 戦争を美化する文学や俳句には加担せず、ただひたすら花鳥諷詠を唱道し続ける他に道がなかったのだろう。

  

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2014年12月 8日 (月)

本との出会い(3): 「悪党芭蕉」と「大悪人虚子」(その1)

       

「『悪党芭蕉』という本があるのを知っているか?」と博識の友人から聞かれたことがあった。その時は聞き流していたが、「虚子辞世句の新解釈」についてブログを書いているときに思い出して、「悪党芭蕉」(嵐山光三郎著、新潮社発行)を図書館で借りて読み始めた。

「この一冊を書き終えて、正直言ってへとへとに疲れた。知れば知るほど、芭蕉の凄味が見えて、どうぶつかったってかなう相手ではないことだけは、身にしみてわかった。」と著者が「おわりに」に書いているが、第34回泉鏡花文学賞と第58回読売文学賞を受賞したこの本はなかなかの労作で面白い。

      

ところで、虚子の「初空や大悪人虚子の頭上に」という俳句の句評や虚子自身について様々なブログ記事があるので、それらのブログや『悪党芭蕉』を読んだ感想をブログに書きたくなった。

   

俳句は融通無碍であり、詠む人と読む人の関わり合いや立場・考え方の違いなどで如何様にでも解釈できる。

     

嵐山光三郎氏は「俳聖芭蕉」という通念に対比する視点で「悪党芭蕉」を面白く書いている。

   

「2 『古池や・・・・』とは何か」の最後のパラグラフを抜粋すると、

次のとおりである。

     

・・・・(省略)・・・・

ところで、「蛙が水に飛び込む音」を聴いた人がいるだろうか。

この句が詠まれたのは深川であるから、私はたびたび、芭蕉庵を訪れ、隅田川や小名木川沿いを歩いて、蛙をさがした。 

・・・・(省略)・・・・ 

蛙が飛び込む音を聴こうとしたが成功しなかった。

・・・・ (省略)・・・・

蛙はいるのに飛び込む音はしない。蛙は池の上から音をたてて飛び込まない。池の端より這うように水中に入っていく。

・・・・(省略)・・・・

ということは、芭蕉が聴いた音は幻聴ではなかろうか。あるいは聴きもしなかったのに、観念として「飛び込む音」を創作してしまった。俳句で世界的に有名な「古池や・・・」は、写生ではなく、フィクションであったことに気がついた。 

・・・・(省略)・・・・ 

「蛙飛び込む水の音」は、芭蕉が自分で見つけたオリジナルのフィクションなのである。

     

嵐山光三郎氏は上記抜粋のように断言しているが、芭蕉が詠んだ当時の川や池と自然破壊・人工化の進んだ現在の川や池を同じレベルで判断するのは事実誤認であり、独断も甚だしいと思う。これは悪党云々の根拠の一例に過ぎないが、芭蕉は何というであろうか? このような誤解がブログなどで広まるのも問題である。死人に口なしであるから、子供の頃に川や池に蛙が飛び込む音を何度も聞いたことがある田舎育ちの私が芭蕉の代弁をしておきたい。

          

長谷川櫂氏はサントリー学芸賞を受賞した「俳句の宇宙」(花神社発行)の序章「自然について」で「古池や・・・・」の俳句について次のように述べている(抜粋)。

     

この句を初めて聞いたとき、芭蕉という人は、いったい、何が面白くてこんな句をよんだのだろうかと不思議に思った。

古池にカエルが飛び込んで水の音がした—――-なるほど、一通りの意味はわかる。「自然に閑寂な境地をうち開いている」(山本健吉)といわれれば、そうか、とも思う。しかし、芭蕉は何か別のことを言いたかったのではないか。

・・・・(省略)・・・・

芭蕉の古池の句は、もともと当時の俳諧という「場」に深く根ざしたものだった。時間とともに、その「場」が失われてしまうと、この句が本来持っていた和歌や当時の俳諧に対する創造的批判という意味が見えなくなってしまった。

・・・・(省略)・・・・

そして、俳句がわかるには、俳句の言葉がわかるだけでなく、その俳句の「場」がわからなければならない。俳句の「場」に参加しなければならない。いいかえると、俳句が通じるためには、作り手と読み手の間に「共通の場」がなければならない。

俳句にとっては言葉と同じくらい、言葉以前の「場」が問題だ。そして、俳句を読むということは、その句の「場」に参加することなのだ。

・・・・(省略) ・・・・

いずれにしても子規は古池の句の「場」として自然以外のものを認めようとしない。

虚子はもっと徹底していて、・・・・ (省略) ・・・・ 古池の句をほとんど自然讃歌、生命讃歌の句にしてしまっている。こういうことが起こるのも、古池の句の本来あった「場」が失われてしまっているからだ。 ・・・・(以下省略)・・・・

     

以上のような次第なので、次回のブログで「大悪人虚子」について書くことにしたい。

     

2014年11月20日 (木)

俳句談義(2):虚子辞世句「春の山」の新解釈について

     

虚子が亡くなる二日前に詠んだ句「春の山(かばね)を埋めて空しかり」について、「これは辞世の句であり、『空しかり』は『むなしかり』ではなく『くうしかり』と読むべきではないか?」と、俳句談義(1)で新解釈を提唱したが、虚子の墓所は鎌倉五山の第三位である「寿福寺」にあることを知り、なおさらその考えに確信を抱いている。「春の山」は単なる山を意味するのではなく、鎌倉五山や山寺に思いを馳せ、「屍」とは埋葬されるであろう自分も含めて諸々の死者を指しているのではないか? 

春風や闘志いだきて丘に立つ」や「去年今年貫く棒の如きもの」などの俳句を作り、俳句界に偉大な功績を遺した稀有の俳人が自分の死を予期して「むなしかり」と詠んだとは思われない。

子規は「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」と自分の死を達観してユーモラスに詠んでいるが、虚子は「空とは真にこのことだ」と自分の死を達観して、「般若心経の『色即是空』とはこんなものだよ」と虚子の悟りの境地を詠んだものと愚考している。しかし、碧梧桐の「君が絶筆」などを読むと、子規の掲句は「ユーモラス」という表現が当たらない悲壮な客観写生であることがわかる。

    

(「俳句には読む人の考えやその心持によって如何様にでも解釈できる曖昧さや広がりがあり、解釈の一つである」と、新解釈を掲載しました。青色文字をクリックするとリンクしたサイトの関連の解説記事や写真をご覧になれます。是非ご覧下さい。)

   

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2014年11月19日 (水)

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(13)

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(8)」において、HIAのホームページに記載された石田波郷の俳句(「(かりがね)やのこるものみな美しき」)の翻訳を取り上げて、「all」の単数・複数扱いの違いに言及したが、それどころかその翻訳はそもそも不適切であり、句意を訳出していないことに気づいた。 

wild geese――
all that remains
beautiful
 

HIAホームページ掲載の上記翻訳において、「remain」は「be動詞」と同じような意味に解釈される。2行目と3行目を続けて読むと、「のこるものみな美しき」という意味ではなく、「美しいままであるもの全て」という意味になる。すなわち、「後に残していくものがすべて美しい」という句意にするには、「all that remains」ではなく、「all that remains here」とするか、「all I leave behind」とか、「all that stay behind」などとすべきところである。

例えば次のように翻訳すると、句意は訳出できるが散文的で面白くない。

wild geese――
beautiful
all that I leave behind

    

英語のHAIKUでは「I」を使わない方がよいと言われるので、

wild geese――
beautiful
all that are left behind

と受動態で記述すると、句意が曖昧になり不満が残る。

 

そこで、次のように翻訳すれば句意に最も近くなるだろう。

wild geese――
beautiful
all that stay behind
 

   

日本語は情緒的なので俳句として美しいが、その意味を訳出しようとすると英語は論理的なので散文的になりがちである。俳句と英語の俳句HAIKU)を両立させて翻訳することは至難である。

   

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2014年11月10日 (月)

奈良公園・柳生の里の吟行(俳句と写真)

   

思い出の写真俳句を作ろう

   

2014年11月1日にチュヌの主人は柳生の里円成寺天石立神社一刀石・正木坂道場・芳徳寺柳生家の墓家老屋敷、etc.)と奈良(奈良女子大正倉院東大寺戒壇堂奈良公園新公会堂、etc.)に仲間と1泊2日の吟行旅行に行きました。

    

先ず仲間の俳句を掲載させて頂き、最後に写真(59枚)を掲載しています。

写真はタップ拡大してご覧になれます。疑似吟行をして頂ければ幸いです。

   

野紺菊昭和の匂ふ木のおもちゃ

          文子

  

行く秋や柳生家墓所の崩れ塀   

         眞知子

    

団栗をポッケトに入れ旅終る

         かず

    

冬の霧走り走りて山洗ふ

         順子

    

愛歌ふ女子大祭や柿たわわ

         寧伸

   

秋時雨一刀石の陰深し

         輝雄

    

湧ける山懐大和棟

         良子

   

天平の甍に映える櫨紅葉

         栄治

    

一刀石の割れ目鋭し秋深し

         律子

   

霧にけぶる山また山や柳生村

         美娜

    

四天王古代の眼差し秋静寂

         知子

     

行く秋や柳生の墓所の土塀朽ち

         さとし

   

藤の実の爆ぜて話の腰を折る

       美津子(欠席投句)

   

神の森森閑として椿の実

       昭夫(欠席投句)

    

釣り人を焦がさんばかり秋夕焼

       迪夫 (欠席投句)

   

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2014年11月 9日 (日)

国際俳句協会総会に参加 ~「日本人らしさの発見」の著者の講演拝聴~

 

6月13日に東京の私学会館で開催された国際俳句協会の総会に参加し、東京工業大学名誉教授芳賀綏氏の講演「日本人の心とことば~世界の鏡で日本を見る~」を拝聴した。

同氏の近刊著書「日本人らしさの発見」を求め、帰りの新幹線で読んだが、我が意を得た思いをした。

芳賀さんはこの本の最後に次の通り述べている。

「異文化にべた惚れでもない、毛嫌いでもない、異文化同士の適切な距離の取り方を心得ること、いわば”間合い”のセンス、<距離感>を身に着けること、そこに至る必須の道として、この本に示したような比較文化の観点の存在価値があります。その観点に立って自らの国、民族の位置を的確に知ることで<民族的教養>は深まります。

”世界の鏡に写した自己”を見て、美風に自信を持ち、弱点の克服につとめる日本人が、とりわけ若い世代の日本人が増えてこそ、風格ある国民による第三の開国、すなわち「真の開国」は実現します。」

国際俳句協会では俳句を国際的に広めて、和食と同じように無形文化世界遺産に登録されるようと努力している。実現すれば素晴らしいことだが、これは夢物語だろう。

俳句には和食と異なり言葉の障壁がある。

俳句を外国語に翻訳しただけでは俳句の良さが分からないから、日本語を理解し、俳句に興味をもつ外国人が増えることが不可欠である。

いずれにせよ、将来俳句が世界的にどのように受け入れられるか、自分なりに俳句を通じて国際交流を促進することができれば幸いである。

現代はインターネットで誰でも簡単に世界に発信できる。

小生も些細なブログであるが、世界の平和を願い、自然を愛し、日本の文化を愛する自分の思いを発信していきたい。

ブログ記事「スウェーデン大使館開催の俳句・川柳コンペティションに入選」もご参照下さい。

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2014年11月 8日 (土)

京都・南禅寺吟行(思い出の俳句・写真集)

   

旅の思い出に写真俳句を作ろう! 

故郷を「まんぽ俳句」で元気に、未来に繋ごう!

青色文字をタップしてリンク記事をご覧下さい。

    

2014年6月7日、南禅寺インクライン近辺など、古都の吟行をエンジョイしました。

昼食は菊水の京料理で、その後すぐ句会をしました。

参加者の俳句を披露します(敬称略・順不同)。

   

(青色の文字をクリックすると、解説や写真をご覧になれます。写真はクリック・拡大出来ます。)

    

三門を洗ひ上げたり青葉雨      

           (文子)

 

禅林の万緑といふ冥さかな      

           (順子)

 

万緑を背に静もれり南禅寺      

           (寧伸)

 

梅雨晴間三門楼上四方絶景      

           (昭夫)

 

万緑や音迸る水路閣

           (美娜)

  

法堂の龍の眼や五月闇        

          (知子)

 

水音を一気に放ちダム涼し      

          (眞知子)

 

万緑や明治を偲ぶ水路閣       

          (三兎)

 

新緑に赤煉瓦映ゆ水路閣       

          (律子)

 

蓮巻葉池ほの匂ふ朝の風       

          (良子)

 

南禅寺供華の一木沙羅の花      

          (迪夫)

 

影つくる祇園白川夏柳       

          (輝雄)

 

白川の流れに裾引く柳かな     

          (かず)

 

水すまし疎水に乗りて流されて    

          (栄治)

 

寺若葉閂固く勅使門         

         (美津子)

 

万緑に仰ぐ鐘楼鐘見えず       

         (さとし)

    

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2014年10月15日 (水)

東欧の旅(俳句・フォト) Trip to E. Europe (Haiku & Pictures)

   

P.S. 2022.3.15

ウクライナ紛争について、プーチン大統領や世界の指導者が賢明な決断をしてくれることを切望して、「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、書いた記事を読んで頂きたく、この P.S.を追加しました。

青色文字をクリック(タップ)して、「血に染むなドニエプルてふ春の川」をご覧下さい。

      

2006年にチュヌの主人が東欧旅行をして、ドイツ(ドレスデンベルリン)、チェコ(プラハ)、ハンガリー(ブダペスト)、オーストリア(ウィーン)などで写した写真や俳句を披露します。

(青色の文字をクリックすると更に他の写真や解説記事がご覧になれます。)   

     

2_4

     

     

     

     

     

     

     

     

     

  

 

   

   

   

    

ツヴィンガー宮殿

    

     

    

 秋天に聳ゆ聖堂平和なる

high into the autummn sky

peaceful

Dresdner Frauenkirche

  

王侯の栄華偲ぶや古都晩秋

things of splendour 

left by kings and lords_

old city in the late autumn

  

4

ブランデンブルク門

   

天高き凱旋門や平和愛ず

enjoying the present peace_

the arch of triumph

the Berlin's high sky

  

   

   

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(ここでポツダム会談が開かれた)

   

ポツダムや平和を祈る秋の声

  

the autumn voices_

praying for the peace

at a palace of Potsdam

   

 

   

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エルベ川

  

   

3

   

    

(ザクセン王の行列

   

 

Photo

   

   

   

   

   

   

   

   

   

カレル橋

  

古都けぶるドナウクルーズ夕時雨

dim in the shower

lights of the ancient city_

a cruise of the Danube

  

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鎖橋

   

   

王宮の映ゆるドナウや秋の水

the ancient palace

reflected on

the autumn flow of Danube

   

2_2

  

 

 

  

  

   

   

   

カレル橋と王宮)  

   

クルーズのドナウの秋を惜しみけり   

such an enjoyment_

the night cruise of the Danube

late in the autumn 

  

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(鎖橋)

       

2_8

    

    

   

  

    

    

   

    

    

   

  

   

   

   

   

   

 ブダペスト漁夫の砦)      

 

遊学の娘と惜しむ古都の秋

the old capital

enjoyable in late autumn_

meeting a daughter

   

   

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シュトラウス像 

  

  

秋冷の黄金の像やワルツ王

the golden statue

embodying the king of waltz_

the autumn sunshine

  

    

     

2

ウイーンの王宮 皇帝ヨゼフⅡ世の騎馬像)

  

     

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(ウイーンのペスト記念塔

  

   

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モーツアルト像

 

続きを読む »

2014年10月 6日 (月)

チュヌの俳句・四季 (Haiku of Chunu・Four Seasons)

  

主人はチュヌとチュヌの友達の写真と俳句などを記事にしてくれました。

(外国の友人のためのHAIKUも対訳で掲載します。)    

 

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 写真は、在りし日の元気な愛犬チュヌです。

    

      

(年末・年始、冬: Year-end・New Year, Winter)

       

年用意犬のシャンプー先づ済ませ

  shampooing of my dog

  comes first in my preparation

  for New Year

       

純白のサモエド犬に初朝日

  the New Year’s sun rises,

  shining on the pure white

  of the Samoyed dog

  

    

我もまた犬馬鹿となり去年今年

 another dog-fool 

    me too,

    New Year's days

   

    

初遊び孫の飛行機犬追ひて

 the first play of New Year_

 the dog following

 the plane of a grandchild

   

    

家族とて犬も一椀七日粥        

    New Year porridge

    a bowl to the dog

    as a family member

                   

   

    

牡蠣鍋や犬はふて寝の背を向けて

    the table pot oyster meal_

    the neglected dog

    looking away in the sulks

   

    

愛犬の舐めゐる器初氷

    the season’s first ice_

    the bowl

    licked by the dog

   

    

愛犬の糞も寒肥庭手入れ

(aiken-no fun-mo-kangoe niwa-teire)

  

     excrements of our dog

     used as fertilizer_

     gardening of midwinter

   

四温晴れ愛犬庭に大仰臥

  warm clear day after cold one_

  my beloved dog lies supine

  with legs wide spread

    

風花や犬はソナタにすやすやと

    the sunshine snow-flakes_

     the dog in sound slumber

    listening to a sonata

        

雪しまき故郷恋ふかにサモエド犬

     the blowing snow_

        the Samoyed dog

     longing for native home

         

         

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(春: Spring)

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残雪を食みて飽かざるサモエド犬

    the Samoyed dog  

    tirelessly            

    devours the remaining snow

  

          

春めくや犬と行く丘町眼下

   the springlike weather_

  a walk with my dog

  the hill overlooking the town

           

  

木の芽晴れ犬を侍らせ庭手入れ

  a leaf-budding clear day_

  I tended my garden plants

  with my dog lying beside me

    

のどけしや犬の遠吠え鴉の音

  serene weather!

  a dog howling in the distance

  a crow is cawing

         

犬舐めし童の破顔春うらら

  licked by the beloved dog,

  a child grins with joy_

  the bright spring day

    

 初蝶来犬寝そべりて目で追ひぬ

  the first butterfly of the year_

  the sprawling dog

  chases with eyes only

    

 愛犬の馴染みの土手や犬ふぐり

  tiny flowers of weeds

  looking like scrota of a dog_

  the bank favored by the dog

   

 サモエドの尻振る闊歩麗らけし

  Samoyed dog leisurely strides_

  buoyant wagging of the tail

  like the springtime

   

 長閑けしや仰臥の犬の恍惚と

  balmy!

  the dog lying supine

  the spling-like weather

 

チュヌの写真

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(夏: Summer)

   

愛犬の大舌だらり夕薄暑

 dangling the long tongue

  my beloved dog_ 

  the early summer evening heat

 

薄暑急愛犬遂にダウンせり

too soon the hot weather_ alas!

my beloved dog has collapsed

 

黒南風の雨を厭はず犬散歩

 my dog willing to walk_

 in spite of windy rain

  before the rainy season

 

犬小屋の日除けのゴーヤ伸び早し

bines of balsam pear

grow fast

for sunshade of a doghouse.

 

節電の炎日続き犬喘ぐ

 the dog pants

 a spell of hot weather

 in power-saving days

 

遠雷や眠りし犬は耳ピクリ

 a distant thunder

 the sleeping dog

  twitches the ears

 

雷間近猛りし犬のけたたまし

 a thunderbolt close at hand

 the dog 

  furiously barks

   

   

    

   

(秋: Autumn)  

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股関節外れし犬や秋暑し

 my dog suffers from

 dislocation of a hip joint_

 the hot autumn day   

      

   

病癒え新涼の庭駆ける犬

 recovered from pancreatitis

 the beloved dog runs

 the garden of early autumn   

   

飛ぶ帽子犬と猛追野分前

 dog and me

 frantically chase the blown-off hat

 on a pre-typhoon walk

 

サモエド犬駆け行く背ナにこぼれ萩 

petals of Japanese bush clover

 on the white back of

 the running Samoyed

 

満面に草の実つけしサモエド犬

 how cute my Samoyed!

 the whole face

 with weed-seeds clinging

 

健啖の犬貪れり落銀杏

 a hearty appetite_

 my dog devours

 fallen ginkgoes

 

木瓜の実の玉蹴り犬は食み食みつ

 the dog bites and eats

 a quince ball

 at every my kicking

 

小気味よく犬と踏み行く落葉道

 the path covered with fallen leaves

 the dog and me

 delightfully treading on

 

サモエドの寝顔くすぐり紅葉散る

 a red leave falls

 and tickles

 an ear of the sleeping dog

 

熟柿落つ目指して犬のまっしぐら

  a ripe persimmon falls,

  my dog dashes

  for it

    

   

最近、俳句フォトアルバムが盛んになっているようです。

主人は余裕が出来たらもっとチュヌの俳句アルバムなども整備してくれるそうです。

   

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

   

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2014年9月30日 (火)

太鼓橋・一心橋の思い出

   

故郷を「まんぽ俳句」で元気に、未来に繋ごう

   

(P.S. 2022.7.17)

7月16日は「閻魔詣で」の日です。

青色文字をクリックし、言葉の力・俳句の力《癒し》や「俳句《涼し》死の話をご覧下さい。

  

(2014.9.30の記事)

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法要で久しぶりに白毫寺にお参りし、太鼓橋や心字池を眺めて幼少の頃遊んだ思い出に暫し浸りました。

  

   

親族だけでなく住職さんとも般若心経やブログなどの話をして絆を新にし、有意義な一日に満足でした。

  

菩提寺の夏の思ひ出太鼓橋

  

菩提寺の紅葉映ゆるや太鼓橋

  

水澄みて太鼓橋映ゆ心字池

 

一心橋渡る一の字水澄みぬ

 

法要を修し談笑秋彼岸

 

夏休み初恋せしか太鼓橋  

  

      (薫風士)

   

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

 

  

2014年9月26日 (金)

俳句・フォトアルバム(イタリアの旅)     Haiku & Pictures (Trip to Italy)

  

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今回はイタリアローマナポリベネチアフィレンツェピサミラノ)旅行の俳句と写真を掲載します。

  

 (写真はクリックすると拡大します。青色文字をクリックして表示された写真をクリックすると、更に他の写真や動画がご覧になれます。)

   

(Pictures are to be enlarged by clicking. Also, you can see more pictures or descriptions by clicking blue letters.)  

       

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爽やかなトレビの泉古希の旅   

a trip commemorating

seventieth birthday_

refreshing Trevi Fountain

       

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残月や大聖堂の天高し   

the morning moon_

St. Peter's

in a clear autumnal day

  

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秋澄むやナポリの丘昼の月   

the daylight moon

the hill of Napoli_

what a clear autumn day!

     

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素晴らしき青の洞窟秋の潮     

Grotta Azzzurra

in an autumnal tide_

what an experience!

   

秋潮の青のきらめきカプリ島   

the blue glittering

in an autumnal tide_

Isle of Capri    

  

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ベネチアや船頭の歌澄み渡る    

Venezia_

the skipper's singing voice

clear on the autumn canal

  

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ファサードの色爽やかや聖人像   

the statues of saints_

invigorating colors

of the facade

      

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秋天に斜塔支える振り多様

under the autumn sky

diverse supporting poses 

the tower of Pisa 

    

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尖塔の聖人像や天高し   

the statues of saints

spiring at the top_

the high autumn sky

       

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青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事のタイトルが表示され、この「俳句HAIKU」をタップすると最新の全ての記事のタイトルが表示されます。タイトルをタップしてその記事をご覧頂ければ幸いです。

    

2014年8月26日 (火)

花鳥6百号記念全国俳句大会に参加

     

(2025.2.10 更新)

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冒頭の写真は、花鳥誌2023年4月から2024年3月の表紙を並べて俊樹主宰の色紙にした写真と花鳥2023年11月号「花鳥徒然」の薫風士の投稿記事です。

  

2023年4月9日開催の花鳥700号記念大会•坊城中子お別れ会の懇親会で坊城俊樹主宰やゲスト選者、参加者などの興味深いお話を拝聴し、思ったことを書きましたので、青色文字をタップしてご覧頂けると幸いです。

        

花鳥誌の表紙絵パズル師の蛍

   

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花鳥誌の表紙を2022年4月から2023年3月まで並べると、写真のとおり、俊樹主宰の俳句の色紙になりました。

青色文字をクリックして、リンク記事をご覧下さい。

   

   

花鳥誌の遊び心の麗かな

掲句の「花鳥誌」は「花鳥子」に置き換えても良いと思っています。

      (薫風士)」

   

(2014.8.26 の記事)

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2014年8月22~23日に東京の霞会館で開催された花鳥6百号記念全国俳句大会にチュヌの主人は参加しました。  

先ず、募集句について特選句を次のとおり披露させて頂きます(敬称略)。

           

(花鳥主宰・坊城俊樹選)

特選一席: 
花鳥とは人と月日と赤蜻蛉  
       (大槻独舟)
 
特選二席: 
ミサの椅子甘く匂ひし青葉雨 
        (栗原和子)
 
特選三席: 
笹粽孫にも少し平家の血   
        (松本洋子)
        

(花鳥名誉主宰・坊城中子選)

特選一席: 
だんだらの幕の茶屋あり菖蒲園
        (榊原冬人)
 
特選二席: 
鍵隠す場所を見てゐる夕燕  
         (奥清女)
  
特選三席: 
ますかたの山裾守る碑の朧  
       (原澤百合子)
           

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 8月22日は坊城俊樹主宰の講演の後、女性講談師神田京子さんの講談などがあり、夜の懇親会は、入院治療中にも拘わらず坊城中子名誉主宰も出席され、国際俳句協会の有馬明人会長やホトトギス稲畑汀子名誉主宰などの来賓の方々が出席されて大いに盛り上がりました。

          

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8月23日の句会は中子名誉主宰は残念ながら体調不良で欠席されました。

ご回復の速やかなことをお祈りするばかりです。

     

   

句会は127名が参加し、投句5句、選者の選の他に参加者の互選(選句3句)で行われました。

チュヌの主人の俳句は次の3句が選者や互選に入選しました。

    

内堀の柳触れ行くジョガーかな    

八月の思ひ格別皇居前    

ライブ待つ若者長蛇日比谷の盆

    

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ここをクリック(タップ)して、「虚子100句英訳をHIAホームページでご覧下さい。」をご覧下さい

   

   

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

  

   

2014年8月18日 (月)

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(12)

今回は芭蕉の俳句「閑かさや岩にしみ入る蟬の声」のドナルド・キーンさんの英訳について再考する。

この句は芭蕉が山形市の「立石寺」で詠んだものであるが、俳句の対象となった蝉の種類について、歌人・精神科医の斎藤茂吉はジージーと鳴くアブラゼミであると主張し、夏目漱石門下で芭蕉研究家の小宮豊隆はチィーチィーと小さく鳴くニイニイゼミであると主張して蟬論争が起こった。この論争は検証の結果ニイニイゼミで決着したとのことである

 

「俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(4)」において、「ドナルド・キーンさんの英訳:

Such stillness-  
The cries of the cicadas
 
Sink into the rocks.

に納得した」と書いたが、蝉論争に関する記事を読んだりして、この英訳を再検討した。

The cries of the cicadas」と複数形で記述しているが、「The cries of a cicada」と単数形にしたらどうだろうか? 

「蝉が蟬時雨のように鳴いていても芭蕉は閑さを感じたのだ」と考えることも出来るが、1匹のニイニイゼミの声の他には何の物音もしない静寂を詠んだのだと素直に考えることもできる。

蝉は一頻り鳴いては移動する習性がある。蝉の声が岩にしみ込んでいくように感じられる閑さを詠んだと考える方がわかりやすい。

そこで、次のように試訳した。

the stillness_

absorbed into the rocks

the cries of a cicada

2014年8月12日 (火)

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(14)

今回は、渡辺白泉の俳句「戦争が廊下の奥に立ってゐた」を取り上げる。

 

大岡信の「百人百句」(講談社)におけるこの句の解説を抜粋すると: 

---- 廊下の奥というささやかな日常生活に、戦争という巨大な現実は容赦なく侵入してくる。その不安が一種のブラックユーモアとして言いとめられている。この句は新興俳句が理念の一つとした社会批判や社会性を意想外の角度から巧みに表現しており、昭和14年に作られているというところに先駆的な意味を持っていた。 ---- ---- 渡辺白泉という俳人が特別鋭い社会感覚を表現できた人である --- --- 昭和15年に京大俳句事件で検挙され執行猶予になるが、執筆停止処分を受けた。----  

とある。

 

幼少の頃、雨戸の開け閉めが自分に課せられた仕事だったが、長い廊下の奥の方が薄暗くて気味が悪かった記憶がある。渡辺白泉がこの句を作った頃の日本社会の不気味さを比喩的に「廊下の奥」と表現し、自由にものが言えない時代に「戦争な」の予感・警告をかろうじて俳句にしたのだろうか? 

「立ってゐる」としないで「立ってゐた」と過去形にしたのはなぜだろうか? 白泉を尾行している特高警察がどこかの廊下に立っていたことを戦争に例えて俳句にしたのだろうか?

  

この句について、HIA国際俳句協会の名句選「愛好10句 金子兜太抄出」には次の英訳が掲載されている。

 

The War
in the dark at the end of the hall
it stood

 この句の作者の意図や時代背景など何も知らない外国人が上記の英訳HAIKUを詠んで句意を理解できるだろうか? 

「廊下の奥(in the dark at the end of the hall)」という比喩を理解できるだろうか? 

The War」とは第2次世界大戦のことであり、「it stood」と記述しているのは「過去のものだ」と言っているのだと誤解するのではなかろうか?

この俳句から日本の俳句の良さを理解し、HAIKUは素晴らしいと思うだろうか?

   

     

英語のハイクでは比喩を好まないようである。この句の比喩をHAIKUとして訳出しようとすれば、例えば次のように意訳すればどうだろう?   

a warmonger
stood
at the end of the hall

又は、

war
at the end of hall__
threatening

上記最初の意訳では「戦争」を「warmonger(戦争屋」と意訳し、「事実を詠んだ俳句として冠詞を普通通りに付けてある。「the War」とすれば第2次世界大戦など最近の大戦を指すことになり、「the hall」とすれば日常使っている特定の「廊下」を指すことになり、原句の比喩の理解の妨げになるだろう。従って、二つ目の意訳では抽象的に漠然と比喩的に表現したものとして、「war」や「hall」に冠詞を付けていない。

       

国際俳句協会(HIA)では俳句を国際的に広めて、無形文化世界遺産に登録されるよう努力しているとのことである。俳句が国際的に広がり、日本人は自国のみならず世界の平和を希求していることが国際的に理解されることを切望している。それにしても言語の違いが単に俳句・HAIKUの国際化のみならず世界平和の実現の障壁となっていることを今更ながら痛感する。ささやかながらこのブログが俳句の国際化、世界平和の実現への草の根運動の一助にでもなれば幸いである。

2014年8月 8日 (金)

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(11)

 

今回は正岡子規の句「雷晴れて一樹の夕日蝉の声」の翻訳を取り上げる。

この句の英訳として、国際俳句交流協会HIAのホームページ「俳句・ハイク」「名句選」の「愛好10コー・ヴァン・デン・フーヴェル:抄出には次の翻訳が掲載されている。 

after the thunder-shower
one tree in evening sunlight
a cicada's cry
 

子規はこの句で一匹の「蝉の声」を聞いたので「蟬時雨」と言わなかったのだろうか? 

一般に「蟬の鳴き声」は「蟬時雨」という季語があるように賑やかなことが多いが、雨上がりに一斉に蝉が鳴きだしたのを聞いた記憶からすると、この句の蟬の声は複数として英訳してみたい。

一樹の夕日」は「一樹に夕日が差している」ことを詠んだのだろうか? それとも、「夕日に一樹が黒く見える」状態を詠んだのだろうか?

詩心よりも、このような実際的な現象につい拘るのは長年ビジネスレターや契約書、特許明細書などの翻訳をしてきたせいだろう。しかし、子規は蕉風に対抗して写生を唱道したのだから、子規が実際に見たであろう風景を自分なりにイメージして、次のように試訳する。

an evening sunlit tree

after the thunder-shower_

singing of cicadas

子規は上記の翻訳を何と思うだろうか?

2014年8月 7日 (木)

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(10)

国際俳句交流協会のHP「愛好10句」ウィリアム・J・ヒギンソン(俳号:緋庵)抄出に次の俳句が掲載されている。

    

火の奥に牡丹崩るるさまを見つ

 

この句は加藤楸邨の昭和20年の作であるが、山本健吉の「定本 現代俳句」における解説を次に抜粋する:

523日、深夜大編隊空襲、一夜弟を負ひ、二子を求めて火中彷徨」と前書きがある。次いで、「524日、我が家も消失、雲の峰八方焦土とはなりぬ」「明易き欅にしるす生死かな」。豪華な句である。家が火で崩れ落ちるさまを、「牡丹崩るる」と形容したのである。だが、単なる形容ではなく、楸邨式に言えば作者の感情の昂揚が牡丹に「感合」したのである。---- 比喩としての牡丹ではあるが、作者はまざまざと大輪の真紅の牡丹の崩れ落ちるさまに、目を見張っているのだ。比喩の裏付けとしての作者の感動の大きなゆらぎを感じとることができるのだ。  

     

上記の解説の句意はHIAのHPに掲載された次の英訳HAIKUに反映されているだろうか? 

in the fire-depths
saw the way
a peony crumbles

  

この俳句を作った楸邨の意図は前書きのある原句ではわかるだろう。しかし、上記の英訳では前書きや解説がなく、その句意は全く分からない。山本健吉が解説しているような作者の意図を訳出することは至難の業であるが、次のように思い切った意訳をすれば、すこしは反映出来るのではなかろうか?  

in the air-raid fire

my house burnt down

crumbling like a peony

 

外国の俳句愛好家に日本語の俳句を理解して貰えるように作者の意図・句意をHAIKUに反映して翻訳するためには、意訳が避けられない場合が多い。もし、楸邨が英語を理解し上記の翻訳HAIKUを読むことができたとすれば、何と思うだろうか?

俳句・HAIKUの翻訳に携わっている関係者のご意見を賜れば幸いである。

2014年8月 6日 (水)

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(9)

国際俳句交流協会のホームページ掲載の「俳句・ハイク」「名句選」のジェームス・W・ハケットJames William HACKETT10句選の冒頭に次のHAIKUと翻訳句が掲載されている。

   

back empty-handed

from the bursting meadow: idle

ikebana bowl

McMaster, Visnja (Croatia)
マクマスター、ヴィニア(クロアチア)

 

花器は空っぽ野の花摘むをためらえば

    

上記の翻訳はうまく工夫されているが、「野の花摘むをためらえば」は考え過ぎ・意訳過ぎの感じがする。

bursting」は「---が突然現れる」とか「---で充満する」などと言う場合に用いられる。

bursting meadow」と言う表現において「---」が何であるかがこのHAIKUの解釈のポイントになる。このHAIKUの場合「---」を「花」と解釈することは不適切だろう。「花が野に充満しているなら」躊躇せずに花を摘むだろう。この場合は、新芽の鮮やかな色が草原いっぱいに広がり、草原が突然現れたように見える状態をbursting meadow」と表現していると解釈して「萌え出ずる草原」などと翻訳するのが良いだろう。

「花が咲いていることを期待してはやる気持ちで草原に行ったが、まだ摘み取れる花はなく空しく手ぶらで帰った」という気持ちで、「back empty-handed」と冒頭に記述し、最後に「idle ikebana bowl」と記述し、「折角持参した花器を使わずじまいだった」と些か残念な気持ちでいることを詠んでいるものと思う。ちなみに、この場合の「idle」は「使用されないでいる」とか「暇である」という意味である。

   

したがって、このHAIKUの趣旨を生かすには、例えば次のような俳句に翻訳するとどうだろうか?

「萌ゆる原花摘み未だ花器空し」

    

しかし、上記の翻訳では原句の持つ英語の響きの良さ・味わいは表現しきれない。日本語が原句か英語が原句かを問わず、対訳の俳句・HAIKUのいずれもが名句だと感動する例はまれである。対訳の句を鑑賞する度に、所詮「HAIKUは英語で、俳句は日本語で、それぞれに楽しまざるを得ない」という思いを新たにしている。

2014年7月31日 (木)

俳句・HAIKU 《言語の壁にチャレンジ》

   

国際俳句協会では俳句を国際的に広めて、無形文化世界遺産に登録されるようにしようと努力している。

しかし、俳句には和食にない言葉の障壁がある。

本語の俳句は読者の解釈に委ねる余地があり、俳句を英語に翻訳する場合、日本語の原句の詩的要素を残して英訳することは至難の業である。

英語は本来論理的に明瞭な言葉であり、英訳されたHAIKUはその解釈の範囲に必然的に限定されてしまう。

俳句は詩であるから文法に拘らず読者の想像に任せて、単純に逐語的な英訳をすればよいというわけにはいかないだろう。

ささやかながらこのブログでも外国人に俳句の面白さを理解して貰うように働きかけたい。

     

芭蕉の有名な俳句古池や蛙飛び込む水の音について、長谷川櫂さんは「俳句的生活」(中公新書)で次のように解説している:

この句は「どこからともなく聞こえて来る蛙が飛び込む水の音を聞いているうちに心の中に古池の面影が浮かび上がった」といっているのである。ここで切字の「や」は現実の世界で起きている「蛙飛び込む水の音」とは切り離された心の中に現実ならざる古池を浮かび上がらせる働きをしている。この心の中の古池こそが閑寂境にほかならない。

     

この俳句の英訳にどんなものがあるか興味が湧いたので、インターネット検索をして見ると、「Frog Poemが見つかった。

  

そこには41の英訳例が掲載されていたが、冒頭の英訳:

The old pond;

A frog jumps in

The sound of the water.    

(Robert Aitken)

など、どの英訳も櫂さんの解釈とは異なり、「古池を見て詠んでいる」という一般的な解釈に基づくものである。

    

櫂さんの解釈に基づいて試訳をすれば、次のようになるのではなかろうか?

A sound of a frog

jumping into water:

the old pond

  

日本語のみならず俳句をよく理解している外国の俳人(native speaker)の意見を聞きたいものである。

          

HIAのホームページにある稲畑汀子・自句選10句の一つに次の例がある。

  

山の池底なしと聞く未草

  

この句は、「羊草の咲いている山の池」を見ながら、「底なし池ですよ」と誰かの説明を聞いて詠んだものではないだろうか? 

そうだとすれば、掲載された英訳:  

Hearing

about a bottomless mountain lake

water lilies  

は不適切でないか?

  

例えば、次のように英訳すれば原句の意味が反映されるが詩的ではない。

  

the mountain lake 

bottomless it is said, 

water lilies

  

逆に、英語のHAIKUを俳句らしく和訳するのも容易ではない。

  

例えば、HIAのホームページ「愛好10句」のAlan PIZZARELLIHAIKUの例を挙げる: 

twilight

staples rust

in the telephone pole

  

黄昏やホチキスの錆電柱に 

  

上記の例では、「staples」を「ホチキス」と訳してあるが、「股釘」と和訳すべきでないか?

「ホチキス」は広辞苑には「紙などを綴り合せる具」という説明がある。一般的な「ホチキス」の意味は「stapler」のことである。原句の「staple」の意味は「U字型の止め釘」でないか?

  

この英語俳句の作者(アラン・ピッツァレリ)は日本語が分からず不適切な翻訳に気付いていないのではないか?

              

英語のHAIKUでは語順や冠詞など文法にあまり拘らないでよいという考え方もあるようだが、誤解してはならない。

日本語の俳句で切字や助詞の使い方が大切なように、英語の場合は語順や冠詞、前置詞などの扱いが極めて大切である。

      

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俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(8)

今回は石田波郷の俳句「(かりがね)やのこるものみな美しき」の翻訳にチャレンジする。

 

この句について、石田波郷は「波郷百句」<自句自解>において次のように解説している:

「昭和十八年九月二十三日召集令状来。雁のきのふの夕とわかちなし、夕映が昨日の如く美しかつた。何もかも急に美しく眺められた。それら悉くを残してゆかねばならぬのであつた。」

 

HIAのホームページの「名句選」(鷹羽狩行選)のこの句の英訳は:

wild geese——
all that remains
beautiful

である。しかし、この句の適切な英訳は:

wild geese——
all that remain
beautiful

でないか?

HIA掲載の英訳では「all」を単純に集合名詞として単数扱いにして、「remains」にしている。しかし、石田波郷が自解で「何もかも」「それら悉く」と言っているのだから、「all」は複数扱いにし、「remain」とすべきだろう。「雁」の英訳は「geese」と複数形にしている。日本語には英語のような「単数・複数」の区別がないので、単複の違いの重要さを見落としがちであるが、集合名詞でもその構成要素を重視する場合は複数扱いにすることに留意すべきである。