俳句 (Haiku) Feed

2015年1月25日 (日)

俳句談義(1)虚子辞世句「春の山」の新解釈

     

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伊藤柏翠著「虚子先生の思い出」(写真参照)によると、高浜虚子は宗演禅師のもとで参禅弁道をしたとのことですから、虚子の俳句「春の山」に於ける「空しかり」についての薫風士の新解釈を一概に的外れとは言えないでしょう。

  

春の山(かばね)を埋めて空しかり

      高浜虚子

  

掲句の「空しかり」は一般に「むなしかり」と読まれますが、虚子は「空然り(くうしかり)」ということを念頭においてこの句を詠んだのではないでしょうか?

  

大寒の埃の如く人死ぬる

  

「大寒の」の句のように、「戦争による死」には「むなしかり」というのが相応しいでしょうが、「平和裏の大往生」には「くうしかり」を当て嵌めたいと思います。

        

偶々数日前に、「生きて死ぬ智慧」など「般若心経」に関する本を読んでいたので、ふと次のように思い付きました。

虚子は日頃から「般若心経」の「色即是空」を潜在意識にして「花鳥諷詠」を句にしていたに違いない。掲句の「空しかり」は「むなしかり」ではなく、「くうしかり(空然り)」と読むべきではないか?「屍」とは虚子の「屍」のことではないか?

  

虚子の句に「春惜しむ輪廻の月日窓にあり」があります。

「『凡てのものの亡びて行く姿を見よう』私はそんな事を考へてぢっと我慢して其子供の死を待受けてゐたのである」と虚子は四女の死に際して記述していますが、「色即是空」を念頭においていたのではないでしょうか?

          

坊城俊樹氏は「独り句の推敲をして遅き日を」を虚子の辞世の句としてもよいとしています(「高浜虚子の100句を読む」参照)

この淡々とした句は句仏17回忌(3月31日)に詠んだものですが、虚子の句には、「短夜や夢も現も同じこと」や「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」などがあります。

辞世の句がどれかはともかく、虚子の命日釈迦の生誕日とされる「4月8日」に当たることも不思議な縁を感じます。

             

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2015年1月24日 (土)

ロシアの旅(写真・俳句) Trip to Russia (Pictures & Haiku)

        

2024.7.29

ウクライナ紛争について「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠んで書いた記事を読んで頂きたく、「北京2022 のパラリンピック閉会式を見ながら2022年3月13日に次のとおり追加記事を書きました。

プーチン大統領が母国を大切に思うのと同じように、世界の人々はそれぞれの母国を大切に思っていることを理解して、プーチン大統領が21世紀の大国の政治指導者として賢明な決断をしてくれ、元気な間にまたロシア観光が出来ることを祈っています。

青色文字をクリック(タップ)して、「梅東風や届け世界にこの思ひ」や「血に染むなドニエプルてふ春の川をご覧下さい。

       

2010年9月にロシア(モスクワとサンクトペテルブルグ)を観光した時のチュヌの主人の俳句と写真を披露します。

青色の文字をクリックすると解説や写真・動画がご覧になれます。

モスクワ見物に因んで、赤の広場を詠んだチュヌのお母さんの俳句がHIAの俳句大会でジャパンタイムズ社賞を貰いました  

    

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秋冷の赤の広場や鳩一羽

a dove

on the Red Square

in the cool autumn morning

   

秋澄むや赤の広場の時の鐘

a bell chiming the time_

clear autumn

on the Red Square

       

平和かな秋夕焼けのクレムリン

What a peace!

the bright evening sky_

the Kremlin Palace in autumn

  

   

大帝の夢噴き上げる秋の水  

the autumn fountain

blowing up

the dreams of Peter the Great

        

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ピョートルの大カスケード水の秋

the cascades

of autumnal water_

Peter the Great

 

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鴨憩ふエカテリーナ愛でし池   

the pond and wild ducks_

as loved by

Catherine the Great  

    

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大帝の凛々し騎馬像秋高し 

the gallant equestrian statute

Peter the Great_

high autumn

       

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秋水を湛へ対称宮廷園

the autumnal water

the garden_

all in symmetry           

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要塞てふ修道院の秋深む

once a fortress

the cathedral_

the deepening autumn

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秋雨や砦でありし修道院

raining in the autumn_

the cathedral

once a fortress

            

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トルコ旅行(俳句・フォト)Pictures & Haiku (Trip to Turkey)

  

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冒頭の写真は、NHK-TV の二ュ-ス画面の一部分です。

 

2012年にチュヌの主人(L.P. Lovee)がトルコ観光ツアーで詠んだ俳句と写真を掲載します。

     

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トロイかな木馬上れば秋高し

(toroi-kana mokuba-noboreba aki-takashi)

  

Ah Troy!

a vew from the Trojan Horse_

high autumn sky

   

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盛衰のトロイの地層秋の風

(seisui-no toroi-no-chisō aki-no-kaze)

  

autumnal wind_

along the strata showing 

Troy’s rise and fall

  

   

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クルーズにイスタンブルの秋惜しむ 

cruising_

enjoying the autumn of

Istanbul

    

晩秋の暮れゆく海峡ボスポラス  

Ah Bosporus_

an evening

in late autumn 

    

       

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絹の道あくまで真直ぐ秋高し

the Silk Road_

straight to the end in the fields

high autumn

  

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秋灯のモスクの祈り古都包む

the sound of prayer

from the mosque_

city lights in autumn

    

   

コーランの読誦殷殷古都晩秋

prayers of Koran

linger spreading deep_

Istanbul in late autumn

  

気球飛ぶカッパドキアや秋の雲   

balloons flying

over Cappadocia_

autumnal clouds

      

秋冷の気球遊覧奇岩群

views from my balloon

fantastic soaring rocks_

autumnal air

  

殉教の地下都市遺跡冷やかに

remains of martyrdom

in the old underground city_

cool in autumn

  

  

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2015年1月18日 (日)

虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か?

    

(2025.1.18 更新

去年今年宇宙は廻りめぐるかな

足らざるを補ひ合ひて去年今年

       (薫風士)

  

虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か?

「棒」は「虚子の信念」などの比喩でしょう。

     (薫風士の新解釈)

  

著名な俳人の著書の関連部分のページの写真を掲載して、従来の解釈・通説を下記のとおり紹介させて頂きます。

  

(写真1&2) 夏井いつき著「俳句鑑賞の授業」(P178~179)

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夏井いつきさんは、虚子のこの俳句を高く評価して、「『貫く棒の如きもの』という抽象的な比喩だけで、一瞬と永遠を合わせ持つ『去年今年』という季語の本質を見事に表現している」と述べていますが、夏井先生の「棒」を「一瞬と永遠の比喩」と解釈する考え方は腑に落ちません

   

従来、この俳句の「去年今年」を「貫く棒の如きもの」の主語と解釈して、俳人や評論家などが様々な解説をしていますが、何れの解説も決め手になっていないと思います。

  

虚子は、1981年(昭和56年)7月17日に亡くなった水原秋桜子への追悼句「たとふれば独楽のはぢける如くなり」に於いて主語(秋櫻子と虚子との関係の在り様)を省略しているように、この「去年今年」の句においても、棒の主体を省略して去年今年を副詞として用いていると解釈すると、すっきり説明が出来ます。

    

虚子が「去年今年」を主語として俳句を作っていたとすれば、「独楽」の俳句と同じように助動詞「なり」を用いて、「去年今年貫く棒の如きなり」と表現していた筈でしょう?

  

助動詞「なり」を使わず、「もの」と表現したことは、「去年今年」が主語でないことの証だと思いませんか?

  

「去年今年」を「虚子の信念」との取合せである、すなわち、「棒」を「虚子の信念」と解釈する考え方は、まだ一般的に通説として普及していませんが、反論出来ない限り正しい解釈と言えると思います。

    

(写真3) 
_101042伊藤柏翠著「虚子先生の思い出」(P96-97)

  

  

高浜虚子は宗演禅師のもとで参禅弁道をしたとのことですが、「明け易や花鳥諷詠南無阿弥陀」と詠んでいますから、薫風士の新解釈を一概に的外れとは言えないでしょう。

  

(写真4) 金子兜太著「酒止めようか どの本能と遊ぼうか」P140-141    

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金子兜太も、去年今年の俳句について「観念臭が強い」と言ってあまり高い評価をせず、通説通り「一物仕立て」として解釈していますが、その解釈・評価に兜太の取巻きも同意しています。

    

   

(写真5)パソコンで読んだ現代俳句協会の記事の一画面

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「去年今年」の「棒」を取合せとして、「男性器のメタファー」とも解釈できると、面白い解釈をしています。(評者横須賀洋子)

写真をタップ拡大して、記事をご覧下さい。

    

きごさい歳時記」の解説によると、「去年今年」の季語の来歴は『毛吹草』(正保2年、1645年)にあります。

  

青色の文字をタップすると関連のリンク記事をご覧になれます。) 

    

お暇があれば、2015年作成の面白い下記のオリジナル記事をお楽しみ下さい。  

  

高浜虚子の「去年今年」の俳句について、稲畑汀子さんは「虚子百句」において次のように述べている(抜粋)。   

    

「昭和25年12月20日、虚子76歳の作である。

・・・(省略)・・・ 

去年と言い今年と言って人は時間に区切りをつける。しかしそれは棒で貫かれたように断とうと思っても断つことのできないものであると、時間の本質を棒というどこにでもある具体的なものを使って端的に喝破した凄味のある句であるが、もとよりこれは観念的な理屈を言っているのではない。禅的な把握なのである。体験に裏付けられた実践的な把握なのである。

・・・(省略)・・・

_

ところで棒とはなんであろう。この棒の、ぬっとした不気味なまでの実態感は一体どうしたことであろう。もしかすると虚子にも説明出来ず、ただ「棒」としかいいようがないのかも知れない。敢えて推測すれば、それは虚子自身かも知れないと私は思う。

この句は鎌倉駅の構内にしばらく掲げられていたが、たまたまそれを見た川端康成は背骨を電流が流れたような衝撃を受けたと言っている。感動した川端の随筆によって、この句は一躍有名となった。・・・(以下省略)」

            

稲畑汀子さんは上記の如く述べているが、川端康成はこの句の「棒」をどのように解釈したのだろうか?

  

「貫く棒の如きなり」と言わず、「貫く棒の如きもの」と言っているから、「棒」は「時のながれ」というよりも「虚子の信念」の比喩であると思う。

   

「虚子俳句の痴呆性」を云々する人がいるが、この「去年今年」の句には「大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きく鳴る。」という坂本龍馬の言(勝海舟に説明した西郷隆盛の評価)を当てはめたい。

  

文学に限らず、音楽や絵画など、芸術は自己実現の個性を表現するものであり、それをよく理解できるか否かは鑑賞する人の性格や人生観、能力などが左右する。まして、俳句は17文字(音)で表現する短詩であり、論理ではなく感性にうったえるものである。従って、俳句はその作者と「場」を共有するか、それが作られた「場」を適切に推定することが出来なければ理解できないことがある。

  

特にこの「去年今年」の句のように比喩的な俳句は、読む人の見方次第で卑しい句であると誤解されることもある。

  

その逆に、俳句が作者の意図以上によく解釈されることも珍しくない。

  

それは俳句の本質的な限界でもあり広がりの可能性でもある。

  

中立的な表現の俳句は鏡のように、読む人の心を映しだす。

  

虚子はこのような俳句の面白さもこの句に織り込んだのではなかろうか?

             

大岡信さんは「百人百句」において、「俳句という最小の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。」と次のように述べている(抜粋)。  

(省略)・・・昭和20年代後半から30年代にかけては『前衛俳句』の黄金時代で、若手の俳人はそちらに行ってしまい、虚子は一人さびしく取り残されている感があった。

・・・(省略)・・・私は現代詩を書いていたので、・・・(省略)・・・どちらかというとはじめに前衛派的な人々の句に親しんだので、それから逆に句を読み進め、高浜虚子を初めてというくらいに読んでみた。すぐに感じたのは、虚子の俳人としての人物の大きさだった。

私は常々現代詩を作り、・・・(省略)・・・斎藤茂吉が好きだったので茂吉の歌もよく読んでいた。しかし、『去年今年』の句を読んだときに、俳句という最小の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。・・・(以下省略)

            

この句についてインターネットで検索していると、宗内敦氏の「アイデンティティ-第二芸術」というタイトルの傑作な記事があった。 

     

「去年今年(こぞことし)とは、行く年来る年、時の流れの中で感慨込めて新年を言い表す言葉である。しかして虚子のこの一句、『貫く棒の如きもの』、即ち、時の流れを超えて『我ここにあり』と泰然自若の不動の自我を描いて、まさに巨星・高浜虚子の面目躍如たる『快作にして怪作』(大岡信『折々のうた』)の自画像である。

それが何としたこと、バブル絶頂の頃だったか、ある新聞の本句についての新春特集ページに、『この句を知ったとき、顔が火照り、胸がときめき、しばらくは止まらなかった』という中年婦人の感想文(投書)が載せられた。一体何を連想したのか。破廉恥にも、よくぞ出したり、よくぞ載せたりと、バブル時代の人心・文化の腐敗に妙な感動をもったことを思い出す。・・・(以下省略) 

          

この「中年婦人」を「破廉恥」とか「卑しい」などと決めつけるのは誤解かも知れない。

  

この女性は汀子さんの上記の「虚子自身かも知れない」というコメントと英語「itself」の俗語の意味とを自然に結び付けて連想したのかも知れないのである。   

  

「虚子自身」も自分自身の「それ自身」を客観写生して、「生命力の強さ」をこの俳句で表現したのだ、と深読み出来ないこともない。

                

この句を作ったとき虚子は夏目漱石の「草枕」の冒頭にある有名な文「智に働けば角が立つ、情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」も意識していたかもしれない。 

   

この句の「棒」のイメージは、「草枕」の「情に掉させば流される」という文句や方丈記の名文句、美空ひばりのヒット曲「川の流れのように」の歌詞など、時世・人生を表現するのに用いられる「川のながれ」とは全く異なり、力強くて斬新なものである。

  

虚子は「深は新なり」とか「古壺新酒」と言っている。「花鳥諷詠」と「客観写生」を唱道していたが、「前衛俳句」の黄金時代にあって、「去年今年」の句を作ることによって「これも『花鳥諷詠』だ」と、その幅の広さと虚子の信念と自信をアッピールすることを意識していたのではなかろうか。

  

    

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2015年1月12日 (月)

俳句談義(3):虚子の句「初空や」の新解釈:大悪人は誰か?

    

(2025.1.2 更新)

羽束山望む天神初御空

天満宮参拝終へし初日の出

天満宮参拝すれば初鴉

初空へ平和の使徒の龍昇れ

巳年の龍世界の空へ吾夢運べ

  

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「羽束山」は「はつかやま」、「吾夢」は俳句のリズムに「あむ」と読んで下さい。

写真をタップ拡大すると、初鴉をご覧になれます。

   

初夢の俳句」をご覧下さい。

        (薫風士)

  

(2015.1.12の記事)

正月になれば虚子の句「初空や大悪人虚子の頭上に」のことに思いを巡らせる。

      

この句は従来の一般的な解釈では「大悪人虚子」と読んでいるが、そうであれば、「初御空」と表現するのが自然でないか? 

 

「初空や」の句は5・7・5の定型でないが、「大悪人」と「虚子」を切って間をとって読めば俳句として不自然ではない。

  

虚子が「初御空」と言わず、「初空や」と詠んだのは「大悪人」と「虚子」とを切り離して、文字通り「大悪人が虚子の頭上にいる」と読ませるためでないか?  

  

それでは「大悪人」とは誰を指すのだろうか?   

  

大胆な推定であるが、「大悪人」とは「天智天皇」を指しているのではなかろうか?

   

虚子は同じ頃(大正6年)に「天の川の下に天智天皇と(臣)虚子と」という句を作っている。

  

虚子が「天の川の下に天智天皇と」と並記していることに興味が湧き、ネット検索をしたところ、吉岡禅寺洞の記事に「一千余年を隔てた二人の人物が、ひとしく文学者としてつながり」とあるが、虚子が天智天皇を句に取り入れたのはそれだけが理由ではないだろう。

  

ウイキペディアの解説によると、「天智天皇」は「中大兄皇子」のことであり、中大兄皇子は中臣鎌足らと謀り、皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺するクーデターを起こす(乙巳の変)。

入鹿の父・蘇我蝦夷は翌日自害した。

更にその翌日、皇極天皇の同母弟を即位させ(孝徳天皇)、自分は皇太子となり中心人物として様々な改革(大化の改新)を行なった。」とある。

    

大義のある改革をするためとはいえ、「暗殺」という非常手段に訴えることは「大悪」である。対立する側からは中大兄皇子は「大悪人」とののしられたであろう。

 

だから「天智天皇のことを大悪人」と言っても不思議ではない。

「初空や」の句は「天の川」の句と併せ読むと、「大化の改新をした天智天皇が大悪人なら、俳句の革新・大衆化を進めている臣たる自分も大悪人である」と感じて、「天智天皇が臣虚子を初空で見守っている」と詠んだものであると解釈することもできるだろう。

  

虚子は俳句を大衆に広めるために「花鳥諷詠」と「客観写生」を唱え、「有季定型」は俳句の重要な要件であると説いている。

しかし、虚子が作った「天の川」や「初空」の句は「定型」の5・7・5ではない。自分と対立する立場の人々から非難もされている。良かれと思ってしたことが傲岸ととられたり、悪い結果になったこともあるかもしれない。自分がしてきたことに対して何らかの罪悪感を持つこともあっただろう。

虚子は「天智天皇も自分も業とか原罪などを同じように持って生まれた人間であり、1200年の時代の差は悠久の宇宙から見れば無きに等しい」と感じていたかもしれない。

         

このような解釈をすると、「一方で『天智天皇と(臣)虚子と』と言いながら、他方で『大悪人虚子』と言って俳句を作ったのも自然の成り行きと言える。

このように考えると、本との出会い(4)」で提起した疑問を解消することができる。

     

「天智天皇を大悪人と言うのはけしからん」とか、「虚子が天智天皇のことを大悪人などと言うはずがない。バカなことを言うのもいい加減にしろ。」と怒る人もいるだろう。

しかし、「選は創作なり」と虚子は言っている。俳句を「鑑賞」し「解釈」することも「創作」と言えないこともない。 

 

虚子は俳句で様々な表現を試みており、その解釈も読み人次第であることを認識していたのだから、「このような解釈も創作の一つだ」として認めてくれるのではなかろうか? 

        

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2015年1月 9日 (金)

本との出会い(6):「虚子俳句問答(下)」と「大悪人虚子」

     

「初空や大悪人虚子の頭上に」ついて、「俳句談義(3):虚子の句『初空や』の新解釈:大悪人は誰か」をブログに書いた後で、俳誌「玉藻」の読者の質問と虚子の回答が「虚子俳句問答 稲畑汀子監修(下)P.196」に下記の通り記載されているのを見つけた。

(質問)

「虚子先生の御句、この場合の「大悪人」という語の複雑なる御意、ご説明願えたら幸甚と存じます。」(川越 横田清子)〔15・1〕

(回答)

親鸞が自分を大悪人といったという心持を、面白いと思っておる私であります。」

 

虚子の上記の回答は真実だろうか?

昭和15年(1940年)は皇紀2600年である。

この年は「紀元二千六百年記念行事が行われ、「神国日本」の国体観念を徹底させようという動きが強まった年であるから「大悪人は天智天皇である」とは到底言えなかっただろう。

そこで、句の説明に親鸞を引き合いに出してさらりと回答したのではなかろうか?

虚子が親鸞のことを句にした「」や「動機」としては、親鸞を尊敬していた夏目漱石(「模倣と独立」参照)が1916年(大正5年)12月に亡くなったことぐらいしか思いつかない。

虚子が親鸞のことを句にした明瞭な理由が見つからない限り、上記の回答が真実かどうかを疑わざるを得ないのである。

1912年(明治45年)には美濃部達吉が『憲法講話』を著し天皇機関説を提唱している。「初空」の句が作られた大正6~7年(1917~8年)ごろは比較的自由にものが言える大正デモクラシーの良き時代であった。

この句を詠んだ虚子の真意は本人と神のみの知るところであり、あくまでも推測に過ぎないが、この頃なら天智天皇を大悪人と言っても問題にならなかったであろう。

何か事実関係についてご存知の方があれば、教えて頂ければ幸いである。

       

    

 

2014年12月29日 (月)

本との出会い(5): 「俳句の宇宙」と「大悪人虚子」

   

「俳句の宇宙」(花神社1989年発行)において、長谷川櫂氏は虚子について次のように述べている。

       

「虚子を勉強していると、ときとき、不気味な虚子に出会う。久女の場合だけに限らない。虚子にとっては、俳句とホトトギス王国とどちらが大切だったのか。俳人だったのか、権力の亡者であったのか――そんな疑問が頭をもたげてくる。あまりにも現世的な姿の虚子。それはたいてい、暗くて大きくて、不敵な笑いを浮かべている。黒い虚子。こういう虚子はなかなか好きになれない。」(第三章2の最後から抜粋)

「しかし、俳人であったのか、権力の亡者であったのか、と二者択一で割り切れないところに虚子のほんとうの難しさ、面白さがあるのかもしれない。虚子のなかでは、よき俳句作家と冷酷な権力者とが、ただ表面上だけでなく、深いところで融合しているのではないだろうか。俳句と「力」とが――といいかえてもいい。「力」という要素は虚子の俳句や俳句観に深く埋め込まれている。虚子の俳句は「力」の表現だともいえると思う。虚子の奥底にあって、磁力を発しつづける「力」。これが17文字の俳句になったとき、図太いとも、また、艶やかとも映るのではないか。」(第三章3の冒頭から抜粋)

  

「虚子は、みずから「大悪人」を名のる。この句(「初空や大悪人虚子の頭上に」)は一見、大謙遜に見えながら、実は大うぬぼれの句であるらしい。自分の「力」への揺るぎない自信。虚子は、この句でも不敵に笑っている。」(第三章3の最後抜粋)

   

「微粒子の世界から星たちの空間まで、響きわたる巨大なオーケストラとしての宇宙。小さな草の芽を見ながら、目の前に湧き起こりつつある宇宙の音を、はっきりと感じとっている虚子。こういう虚子はいちばん興味深い虚子だ。同時に手怖い虚子である。」(第三章5の終わり抜粋)

   

「昭和22年頃、虚子の言葉というのが私の耳にもとどいた――「第二芸術」といわれて俳人たちが憤慨しているが、自分らが始めたころは世間で俳句を芸術だと思っているものはいなかった。せいぜい第二十芸術くらいのところか。十八級特進したんだから結構じゃないか。戦争中、文学報国会の京都集会での傍若無人の態度を思い出し、虚子とはいよいよ不敵な人物だと思った。」(注:『第二芸術』の「まえがき」)(第三章6の終わりより抜粋)         

    

「傍若無人の態度」とは具体的には何を指しているのだろうか? 虚子はこの時期にどんな俳句を作っていたのだろうか?

「俳句の宇宙」からの上記抜粋にあるような虚子の「力」は何から出ているのだろうか?

  

花鳥諷詠の「極楽の文学」としての俳句を世に広めたいという信念の強さが「力」となったに違いない。

そういう信念が、「花鳥諷詠南無阿弥陀仏」や「天の川の下に天智天皇と臣虚子と」「初空や大悪人虚子の頭上に」「去年今年貫く棒の如きもの」などの俳句に結実したのものと思うが、虚子がこれらの句を作った「場」を知りたい。

           

高浜虚子の世界」(角川学芸出版「俳句」編集部)のアンケート「私の虚子」③「いま、虚子について思うこと」に対して、俳文学者矢羽勝幸氏は次のように回答している。(抜粋) 

「③ 碧梧桐の方向も近代化の過程で当然だとは思うが、虚子のとった“九百九十九人のみち”すなわち俳句が庶民文芸であることを(芭蕉の軽み、一茶の最後にめざした俳諧)近代に再生、継承した功績は偉大だと思う。“九百九十九人のみち”を凡人主義と解してはならない。・・・(以下省略)」

 

また、大木あまり氏(俳人)はアンケート②「心にのこる虚子の言葉、あるいは愛読の虚子著作」に対して、次のように回答している。

「② 理論の花より芸の花こそよけれ。標語の花よりも真の実こそよけれ。」

「世評を気にかけないで行動する人は快い。私はそういう人を好む。世評を気にかけて行動する人はみじめだ。私はそういう人を好まない。」

「高遠なる思想を辿る事もよいが、また平凡な日常に処する事も大事だ。」     

                                       

坊城俊樹さんは「虚子の100句を読む」において、虚子の句「石ころも露けきものの一つかな」を挙げて次のように述べている(抜粋)。

  

「・・・(省略)・・・むしろ年尾は『客観写生』『花鳥諷詠』提唱後の虚子の句でも、表現的に単なる写生句より、自然界にあるすべての有情のものとして、人間を含めた、大きな句を取り上げて言っている。年尾の好みと言っていい。筆者もまた、この句に関してはそのように感じる者であるが、虚子はそれをあくまで『月並』的な鑑賞であるとした。

しかし、虚子の謂う『天地有情』という観点からも、この句は現代の伝統派がよく使う、通俗的で安っぽい措辞の『の心あり』『といふ命あり』などとは根本的に異なる広遠な句と思うのだが。

この句をあえて取り上げたのも、大震災の現場にある石ころの映像を見たからである。その被災地にある石ころは只の石ころではない。甚大な被害と、多くの被災者の命を奪った大地にころがっていた石ころである。この句を思い出さずにはいられなくなる石ころであった。」

                  

上記のように、俊樹さんは東日本大震災に言及しているが、この句を虚子が作ったのは昭和4年(1929年)の8月であり、その前の6月には北海道駒ヶ岳が噴火して死傷者も若干出ていたようである。今年は木曽の御嶽山が噴火して多くの死傷者が出た。

虚子はこの「石ころ」の句を作ったとき、駒ヶ岳の噴火を意識していたのだろうか?

1923年に起きた関東大震災について、河東碧梧桐は俳句を作っているが、虚子は一切俳句を作っていないとのことである。

  

「虚子は俳句など短詩にはそれぞれサイズに応じた適所持分があるとしており、後に起こった太平洋戦争や原子爆弾についても俳句を詠んでいません。また、震災忌、敗戦忌、原爆忌を季語として認めていなかった」そうである。

       

いずれにせよ、虚子は、心の糧になる花鳥諷詠の文学、すなわち「極楽の文学」としての俳句、を大衆に広めることを目指していたのだから第二芸術という批判は的外れとして、「俳句も第二芸術まで来ましたか」「十八級特進したんだから結構じゃないか」議論の対象にしなかったのだろう。

          

虚子は、昭和18年に出版した「俳談」の序文に、

 

「何故に何という理屈を述べることはさけて、只何々であるという断定した意見だけを述べたというようなものである。善解する人は善解してくれるであろうと思う。」と述べ、さらに、

    

本ものの虚子で推し通すというタイトルで次のように述べている。 

        

「自分は自分の固く信ずるところがあり、この信仰は何人もどうすることも出来ないものである。他の刀が切っても切ることは出来ぬ、他人の舌が千転してもどうすることも出来ぬものである、ということを固く信じている。従来俳壇に在って、私ほど多くの人々から攻撃されたものも少ないであろうと思う。・・・ 省略・・・自分の俳句は、少しもそれらの言葉に累せらるることなしに、著々として歩を進めているということを、固く信じているのである。」

                    

「天地有情」といえば土井晩翠の詩が有名であるが、このような詩は誰でも簡単に作れるわけではない。俳句は庶民が手軽に楽しむのに適した世界最短の型式詩といえる。これを高邁な文学としてのみ追求すれば一部の専門的俳人しか作れなくなる。虚子は元々俳句の良さ・特質や限界を認識した上で花鳥諷詠の楽しさを大衆に教えることを考えていたのだろう。

善悪のとらえ方や価値観は時代とともに変化する。虚子は悠久の宇宙の森羅万象・人間も含む自然・花鳥諷月を俳句にすることの可能性と限界を喝破していたに違いない。

だから、親子ほど歳の違うフランスかぶれの桑原武夫に第二芸術と言われようと、青臭い議論としてそれに頓着しなかったのだろう。

虚子自身も駄句と批判される句を作っている。虚子が意図したわけではないだろうが、それが結果として俳句を親しみやすい庶民の文芸・娯楽にして今日の俳句の隆盛をもたらしているとも言えるのではなかろうか。

 

現在の高齢化社会で多くの人々が俳句を趣味として老後をエンジョイしている。そのことを知れば、虚子は「傲岸と人見るままに老の春」という俳句を作ったように、大悪人と言われようと自分の選んだ途は間違いでなかった、とニッコリするのではないか。

  

ちなみに、インターネット検索したところ、「傲岸に人見るままに老の春」というのもある。

「に」と「と」では主客逆転した句意の解釈が成り立つ。「に」はミスタイプと思うが、この句は虚子が人を傲岸な態度で見ていることを意味するのか、人が虚子を「傲岸だ」と見ていることを意味するのか、どちらが正しいのだろうか?

  

「君、そんなことは超越していたよ。何事も『色即是空』だ。」という虚子の声が聞こえるような気がする。  

    

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2014年12月26日 (金)

思い出の俳句アルバム(奈良吟行)

  

思い出の写真俳句を作ろう! 

   

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2014年11月に奈良に吟行した時の俳句と写真をブログに掲載したところ、かなり多くの方々にご覧頂いたようで、しかまろくん」からも「ぎんこうとは、風流ですね(*^^)v 秋の奈良?冬?楽しめましたか?」とメールを頂きました。

   

奈良公園周辺柳生の里の吟行は小雨模様でしたが、風情もあり皆さん大満足でした。

仲間が作ってくれた楽しいアルバムの一部を最後に掲載します。

奈良女子大学恋都祭を訪ねて、「愛歌ふ女子大祭や柿たわわ」など、お友達は色々な俳句をつくりました。

  

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「愛」の言葉が募集されていたので、チュヌの主人は「LOVEを実践しよう!」と書き込みました。

  

ここをクリックして青春の指針となる「究極の愛・ラブを!(Ultimate LOVE!)」をご覧下さい

    

(青色文字をクリックすると関連の解説や写真をご覧になれます。写真はクリックすると拡大できます。短冊の俳句もご笑覧下さい。)   

  

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2014年12月11日 (木)

本との出会い(4):「悪党芭蕉」と「大悪人虚子」(改訂版)

      

今回は、虚子が「初空や大悪人虚子の頭上に」の句を作ったときに意識していた「悪」は何だったか、を考える。

   

高浜虚子没後50年記念として平成21年4月に出版された「高浜虚子の世界」(角川学芸出版「俳句」編集部)の最後に「私の虚子」というタイトルのアンケート記事がある。

アンケート①は「愛誦句3句」をあげることになっており、著名な俳人や歌人などの回答者48名のうち、16名が「去年今年貫く棒の如きもの」を挙げている。

   

小池光氏(歌人)は「悪人虚子」という見出しで、この「去年今年」の句の他に「天の川のもとに天智天皇と虚子と」「初空や大悪人虚子の頭上に」を挙げている。そして、アンケート③「いま、虚子について思うこと」については次のとおり回答している。

   

「③ 要するに保守本流の総大将で、短歌では斎藤茂吉みたいなもので、乗り越えねばならない存在と若いころは決めつけていたが、心空しく読んでみたら茂吉の面白さは無類で、すると虚子もやはり俳句は虚子だと思ってしまうのでないかと、恐れつつ思っている。前の2句など、実に得体が知れない。天智天皇と自分を並べる発想、自分を大悪人と規定する発想、どこからなにゆえ出てくるのだろう。棒の如きものはそれから三十余年の後の作だが、こう並べると妙に交錯して、棒の太さと貫く膂力(りょりょく)の大きさがえらく巨大に感じられる。およそ一筋縄では行かない恐ろしいものが、花鳥諷詠の陰でニタリニタリと笑っているような気がする。」

     

       

      

上記句評の「およそ一筋縄では行かない恐ろしいものが、花鳥諷詠の陰でニタリニタリと笑っているような気がする。」という表現にはちょっと引っかかる。

それはともかく、虚子が一方で「天智天皇と(臣)虚子と」と言いながら、他方で「大悪人虚子」と俳句にしたのは何故だろうか?     

この疑問の解決を私なりに見つけてみたい。

   

「天の川」の句は、稲畑汀子著「虚子百句」によると、大正6年に太宰府で作った句である。汀子さんは「初空や」の句について次のように述べている(抜粋)。

    

     

「大正7年(あるいは6年か)1月、虚子は、<初空や大悪人虚子の頭上に>という句を作っている。暦が更新され美しく澄み切った初空を仰いだ時、それを穢れを去った太初のように無垢な空と感じた虚子は、煩悩に満ちたわが身を振り返り己を大悪人と意識せずにはおられなかったのである。虚子が当時、己の中にどのような悪を意識していたかを詮索する余裕は今は無い。問題は虚子が悪を抱えてどう生きたか、それをどのように自らの作品に結実させたかである。参考になるのは虚子が『中央公論』の大正5年1月号に書いた『落葉降る下にて』であろう。

『これから自分を中心として自分の世界が徐々として滅びて行く其有様を見て行こう』『何が善か何が悪か』

一口で言えば虚子が選択したのは理性ではどうにもならない悪を抱える己という存在を事実存在として受け入れ、責任を引き受けつつ、あるがままに生きるという途であった。

それはまことに文学者らしい生き方であるが、辛い覚悟を要したはずである。虚子はその辛い途を俳句の存問という方法によって歩んだのである。虚子は自己との存問、自然に対する存問を繰り返し、長い時間をかけてついには超越者と存問を交わすようになる。・・・・(省略)・・・・長い期間の存問を経て虚子は我執を脱ぎ捨てたのである。

・・・・(省略)・・・・ 虚子はもう善悪彼岸に立っている。」

    

   

上記の「責任を引き受けつつ」とはどんな責任なのだろうか?         

坊城俊樹さんは「虚子の100句を読むにおいて、虚子が大正4年4月に作った句「春惜む輪廻の月日窓に在り」を取り上げて虚子の四女「六」の病死について触れているが、その責任のことだろうか? 

     

一方、坊城俊樹さんは「虚子の100句を読む」で「天の川」の句について次のように述べている(抜粋)。

     

「虚子は郷里松山での兄の法事に出て九州に船で着いた。そして太宰府を参拝し、都府楼 に佇んでいた彼は何を思っていたのだろう。 ・・・(省略)・・・ 同時に、今このときは日本のために、そしてかつて天智天皇がこの地で唐などからの国土防衛をしたことにおもいを馳せる。その時虚子はいたたまれず、自身もこの天皇の一臣下として国を護ろうと思ったのである。
 虚子のこの懐古とはすなわち、故郷へ向かったあとのその余韻とともに、日本の歴史への懐古そのものを言っている。

都府楼址は、礎石の柱の址がただ延々と続く。そこはだだっ広い空き地のようなもの悲しさである。夕刻には、かの有名な観世音寺の鐘が響く。それは千年を超えた虚子と天智天皇の君子の交わりの鐘の音であった。
この句は『五百句』に、

 
天の川の下に天智天皇と虚子と     (虚子)

  
と.「臣」の字を削除して掲載されている。

  
これは、昭和十二年刊行の当時、大政翼賛会
設立前夜としての抑圧に屈したとしか言いようがない。虚子ごときが天智天皇の「臣」たるは何事ぞ、というわけである。しかし、仮に時代がそうだとしても、この句では本来の虚子の臣たる高揚感と意味が異なってしまう。ましてや、この句では天智天皇と虚子が並立に存在するが如きでよほど不遜ではないか。

筆者および、その周辺ではこの句はあくまで掲句のような「臣虚子」であることに意味があるとして、あえて『五百句』の禁を犯した。

  
もっとも、『五百句』でかように記されていたこの句は、昭和三十一年刊行の虚子自選の『虚子句集』にはすべて掲句のように戻されている。それが虚子のほんとうの心情であったことは明確である。・・・(以下省略)・・・」

        

              

俊樹さんの上記の句評を考慮すると、虚子の意識した『悪』は稲畑汀子さんが上記のようにとらえた『悪の意識』の他にも何か俗世界・世相との関係において考慮すべきことがあったのではないかと思う。

「高浜虚子」に関するウイキペディアの記事(抜粋)によると、「子規の没後、五七五調に囚われない新傾向俳句を唱えた碧梧桐に対して、虚子は1913年(大正2年)の俳壇復帰の理由として、俳句は伝統的な五七五調で詠まれるべきであると唱えた。また、季語を重んじ平明で余韻があるべきだとし、客観写生を旨とすることを主張し、「守旧派」として碧梧桐と激しく対立した。」とある。

    

虚子は「世間が己を悪人と言うならそれも甘受して、自分の信念を貫いて行こう」という決然とした清々しい気持ちで「初空や」という句を作ったのだという解釈も可能ではなかろうか?

    

虚子の句についても解釈が当を得たものになるかどうかは、長谷川櫂さんの指摘した「場」をどのように想定するか、虚子と「場」を共有できるか否かで決まる。

   

なお、虚子やその俳句に対する批評に関するブログを検索すると、この「場」をわきまえず、虚子の人格や俳句を悪しざまに批判しているブログが見受けられることは嘆かわしい。死人に口なしだから義憤を感じてこのブログを書き始めたが、虚子は「そんなことは俺は超越していたよ」というのだろうか?

なお、「エコブログ」(作者はかわからない)に「敵といふもの今は無し秋の月」という虚子の句をタイトルにした興味深い虚子の句評があった。その記事の一部を抜粋すると、

「天皇を信じていなかった鴎外、戦争の大義も敵の存在も信じていなかった虚子。しかし、鴎外は天皇の藩屏として、虚子は日本文学報国会の俳句部長として身を処した。彼らの心中を思い、いま、北朝鮮にいるだう鴎外や虚子のことを思った。」とある。

    

まさに、現在の北朝鮮の状態は戦前の日本の有様を彷彿とさせる。虚子は文学報国会俳句部長としてどのように対処したのだろうか? 戦争を美化する文学や俳句には加担せず、ただひたすら花鳥諷詠を唱道し続ける他に道がなかったのだろう。

  

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2014年12月 8日 (月)

本との出会い(3): 「悪党芭蕉」と「大悪人虚子」(その1)

       

「『悪党芭蕉』という本があるのを知っているか?」と博識の友人から聞かれたことがあった。その時は聞き流していたが、「虚子辞世句の新解釈」についてブログを書いているときに思い出して、「悪党芭蕉」(嵐山光三郎著、新潮社発行)を図書館で借りて読み始めた。

「この一冊を書き終えて、正直言ってへとへとに疲れた。知れば知るほど、芭蕉の凄味が見えて、どうぶつかったってかなう相手ではないことだけは、身にしみてわかった。」と著者が「おわりに」に書いているが、第34回泉鏡花文学賞と第58回読売文学賞を受賞したこの本はなかなかの労作で面白い。

      

ところで、虚子の「初空や大悪人虚子の頭上に」という俳句の句評や虚子自身について様々なブログ記事があるので、それらのブログや『悪党芭蕉』を読んだ感想をブログに書きたくなった。

   

俳句は融通無碍であり、詠む人と読む人の関わり合いや立場・考え方の違いなどで如何様にでも解釈できる。

     

嵐山光三郎氏は「俳聖芭蕉」という通念に対比する視点で「悪党芭蕉」を面白く書いている。

   

「2 『古池や・・・・』とは何か」の最後のパラグラフを抜粋すると、

次のとおりである。

     

・・・・(省略)・・・・

ところで、「蛙が水に飛び込む音」を聴いた人がいるだろうか。

この句が詠まれたのは深川であるから、私はたびたび、芭蕉庵を訪れ、隅田川や小名木川沿いを歩いて、蛙をさがした。 

・・・・(省略)・・・・ 

蛙が飛び込む音を聴こうとしたが成功しなかった。

・・・・ (省略)・・・・

蛙はいるのに飛び込む音はしない。蛙は池の上から音をたてて飛び込まない。池の端より這うように水中に入っていく。

・・・・(省略)・・・・

ということは、芭蕉が聴いた音は幻聴ではなかろうか。あるいは聴きもしなかったのに、観念として「飛び込む音」を創作してしまった。俳句で世界的に有名な「古池や・・・」は、写生ではなく、フィクションであったことに気がついた。 

・・・・(省略)・・・・ 

「蛙飛び込む水の音」は、芭蕉が自分で見つけたオリジナルのフィクションなのである。

     

嵐山光三郎氏は上記抜粋のように断言しているが、芭蕉が詠んだ当時の川や池と自然破壊・人工化の進んだ現在の川や池を同じレベルで判断するのは事実誤認であり、独断も甚だしいと思う。これは悪党云々の根拠の一例に過ぎないが、芭蕉は何というであろうか? このような誤解がブログなどで広まるのも問題である。死人に口なしであるから、子供の頃に川や池に蛙が飛び込む音を何度も聞いたことがある田舎育ちの私が芭蕉の代弁をしておきたい。

          

長谷川櫂氏はサントリー学芸賞を受賞した「俳句の宇宙」(花神社発行)の序章「自然について」で「古池や・・・・」の俳句について次のように述べている(抜粋)。

     

この句を初めて聞いたとき、芭蕉という人は、いったい、何が面白くてこんな句をよんだのだろうかと不思議に思った。

古池にカエルが飛び込んで水の音がした—――-なるほど、一通りの意味はわかる。「自然に閑寂な境地をうち開いている」(山本健吉)といわれれば、そうか、とも思う。しかし、芭蕉は何か別のことを言いたかったのではないか。

・・・・(省略)・・・・

芭蕉の古池の句は、もともと当時の俳諧という「場」に深く根ざしたものだった。時間とともに、その「場」が失われてしまうと、この句が本来持っていた和歌や当時の俳諧に対する創造的批判という意味が見えなくなってしまった。

・・・・(省略)・・・・

そして、俳句がわかるには、俳句の言葉がわかるだけでなく、その俳句の「場」がわからなければならない。俳句の「場」に参加しなければならない。いいかえると、俳句が通じるためには、作り手と読み手の間に「共通の場」がなければならない。

俳句にとっては言葉と同じくらい、言葉以前の「場」が問題だ。そして、俳句を読むということは、その句の「場」に参加することなのだ。

・・・・(省略) ・・・・

いずれにしても子規は古池の句の「場」として自然以外のものを認めようとしない。

虚子はもっと徹底していて、・・・・ (省略) ・・・・ 古池の句をほとんど自然讃歌、生命讃歌の句にしてしまっている。こういうことが起こるのも、古池の句の本来あった「場」が失われてしまっているからだ。 ・・・・(以下省略)・・・・

     

以上のような次第なので、次回のブログで「大悪人虚子」について書くことにしたい。

     

2014年11月20日 (木)

俳句談義(2):虚子辞世句「春の山」の新解釈について

     

虚子が亡くなる二日前に詠んだ句「春の山(かばね)を埋めて空しかり」について、「これは辞世の句であり、『空しかり』は『むなしかり』ではなく『くうしかり』と読むべきではないか?」と、俳句談義(1)で新解釈を提唱したが、虚子の墓所は鎌倉五山の第三位である「寿福寺」にあることを知り、なおさらその考えに確信を抱いている。「春の山」は単なる山を意味するのではなく、鎌倉五山や山寺に思いを馳せ、「屍」とは埋葬されるであろう自分も含めて諸々の死者を指しているのではないか? 

春風や闘志いだきて丘に立つ」や「去年今年貫く棒の如きもの」などの俳句を作り、俳句界に偉大な功績を遺した稀有の俳人が自分の死を予期して「むなしかり」と詠んだとは思われない。

子規は「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」と自分の死を達観してユーモラスに詠んでいるが、虚子は「空とは真にこのことだ」と自分の死を達観して、「般若心経の『色即是空』とはこんなものだよ」と虚子の悟りの境地を詠んだものと愚考している。しかし、碧梧桐の「君が絶筆」などを読むと、子規の掲句は「ユーモラス」という表現が当たらない悲壮な客観写生であることがわかる。

    

(「俳句には読む人の考えやその心持によって如何様にでも解釈できる曖昧さや広がりがあり、解釈の一つである」と、新解釈を掲載しました。青色文字をクリックするとリンクしたサイトの関連の解説記事や写真をご覧になれます。是非ご覧下さい。)

   

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2014年11月19日 (水)

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(13)

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(8)」において、HIAのホームページに記載された石田波郷の俳句(「(かりがね)やのこるものみな美しき」)の翻訳を取り上げて、「all」の単数・複数扱いの違いに言及したが、それどころかその翻訳はそもそも不適切であり、句意を訳出していないことに気づいた。 

wild geese――
all that remains
beautiful
 

HIAホームページ掲載の上記翻訳において、「remain」は「be動詞」と同じような意味に解釈される。2行目と3行目を続けて読むと、「のこるものみな美しき」という意味ではなく、「美しいままであるもの全て」という意味になる。すなわち、「後に残していくものがすべて美しい」という句意にするには、「all that remains」ではなく、「all that remains here」とするか、「all I leave behind」とか、「all that stay behind」などとすべきところである。

例えば次のように翻訳すると、句意は訳出できるが散文的で面白くない。

wild geese――
beautiful
all that I leave behind

    

英語のHAIKUでは「I」を使わない方がよいと言われるので、

wild geese――
beautiful
all that are left behind

と受動態で記述すると、句意が曖昧になり不満が残る。

 

そこで、次のように翻訳すれば句意に最も近くなるだろう。

wild geese――
beautiful
all that stay behind
 

   

日本語は情緒的なので俳句として美しいが、その意味を訳出しようとすると英語は論理的なので散文的になりがちである。俳句と英語の俳句HAIKU)を両立させて翻訳することは至難である。

   

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2014年11月10日 (月)

奈良公園・柳生の里の吟行(俳句と写真)

   

思い出の写真俳句を作ろう

   

2014年11月1日にチュヌの主人は柳生の里円成寺天石立神社一刀石・正木坂道場・芳徳寺柳生家の墓家老屋敷、etc.)と奈良(奈良女子大正倉院東大寺戒壇堂奈良公園新公会堂、etc.)に仲間と1泊2日の吟行旅行に行きました。

    

先ず仲間の俳句を掲載させて頂き、最後に写真(59枚)を掲載しています。

写真はタップ拡大してご覧になれます。疑似吟行をして頂ければ幸いです。

   

野紺菊昭和の匂ふ木のおもちゃ

          文子

  

行く秋や柳生家墓所の崩れ塀   

         眞知子

    

団栗をポッケトに入れ旅終る

         かず

    

冬の霧走り走りて山洗ふ

         順子

    

愛歌ふ女子大祭や柿たわわ

         寧伸

   

秋時雨一刀石の陰深し

         輝雄

    

湧ける山懐大和棟

         良子

   

天平の甍に映える櫨紅葉

         栄治

    

一刀石の割れ目鋭し秋深し

         律子

   

霧にけぶる山また山や柳生村

         美娜

    

四天王古代の眼差し秋静寂

         知子

     

行く秋や柳生の墓所の土塀朽ち

         さとし

   

藤の実の爆ぜて話の腰を折る

       美津子(欠席投句)

   

神の森森閑として椿の実

       昭夫(欠席投句)

    

釣り人を焦がさんばかり秋夕焼

       迪夫 (欠席投句)

   

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2014年11月 9日 (日)

国際俳句協会総会に参加 ~「日本人らしさの発見」の著者の講演拝聴~

 

6月13日に東京の私学会館で開催された国際俳句協会の総会に参加し、東京工業大学名誉教授芳賀綏氏の講演「日本人の心とことば~世界の鏡で日本を見る~」を拝聴した。

同氏の近刊著書「日本人らしさの発見」を求め、帰りの新幹線で読んだが、我が意を得た思いをした。

芳賀さんはこの本の最後に次の通り述べている。

「異文化にべた惚れでもない、毛嫌いでもない、異文化同士の適切な距離の取り方を心得ること、いわば”間合い”のセンス、<距離感>を身に着けること、そこに至る必須の道として、この本に示したような比較文化の観点の存在価値があります。その観点に立って自らの国、民族の位置を的確に知ることで<民族的教養>は深まります。

”世界の鏡に写した自己”を見て、美風に自信を持ち、弱点の克服につとめる日本人が、とりわけ若い世代の日本人が増えてこそ、風格ある国民による第三の開国、すなわち「真の開国」は実現します。」

国際俳句協会では俳句を国際的に広めて、和食と同じように無形文化世界遺産に登録されるようと努力している。実現すれば素晴らしいことだが、これは夢物語だろう。

俳句には和食と異なり言葉の障壁がある。

俳句を外国語に翻訳しただけでは俳句の良さが分からないから、日本語を理解し、俳句に興味をもつ外国人が増えることが不可欠である。

いずれにせよ、将来俳句が世界的にどのように受け入れられるか、自分なりに俳句を通じて国際交流を促進することができれば幸いである。

現代はインターネットで誰でも簡単に世界に発信できる。

小生も些細なブログであるが、世界の平和を願い、自然を愛し、日本の文化を愛する自分の思いを発信していきたい。

ブログ記事「スウェーデン大使館開催の俳句・川柳コンペティションに入選」もご参照下さい。

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2014年11月 8日 (土)

京都・南禅寺吟行(思い出の俳句・写真集)

   

旅の思い出に写真俳句を作ろう! 

故郷を「まんぽ俳句」で元気に、未来に繋ごう!

青色文字をタップしてリンク記事をご覧下さい。

    

2014年6月7日、南禅寺インクライン近辺など、古都の吟行をエンジョイしました。

昼食は菊水の京料理で、その後すぐ句会をしました。

参加者の俳句を披露します(敬称略・順不同)。

   

(青色の文字をクリックすると、解説や写真をご覧になれます。写真はクリック・拡大出来ます。)

    

三門を洗ひ上げたり青葉雨      

           (文子)

 

禅林の万緑といふ冥さかな      

           (順子)

 

万緑を背に静もれり南禅寺      

           (寧伸)

 

梅雨晴間三門楼上四方絶景      

           (昭夫)

 

万緑や音迸る水路閣

           (美娜)

  

法堂の龍の眼や五月闇        

          (知子)

 

水音を一気に放ちダム涼し      

          (眞知子)

 

万緑や明治を偲ぶ水路閣       

          (三兎)

 

新緑に赤煉瓦映ゆ水路閣       

          (律子)

 

蓮巻葉池ほの匂ふ朝の風       

          (良子)

 

南禅寺供華の一木沙羅の花      

          (迪夫)

 

影つくる祇園白川夏柳       

          (輝雄)

 

白川の流れに裾引く柳かな     

          (かず)

 

水すまし疎水に乗りて流されて    

          (栄治)

 

寺若葉閂固く勅使門         

         (美津子)

 

万緑に仰ぐ鐘楼鐘見えず       

         (さとし)

    

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

トップ欄か、この「俳句HAIKU」をタップすると、最新の全ての記事(タイトル)が表示されます。記事のタイトルをタップ(クリック)して、ご覧下さい。

  

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2014年10月15日 (水)

東欧の旅(俳句・フォト) Trip to E. Europe (Haiku & Pictures)

   

P.S. 2022.3.15

ウクライナ紛争について、プーチン大統領や世界の指導者が賢明な決断をしてくれることを切望して、「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、書いた記事を読んで頂きたく、この P.S.を追加しました。

青色文字をクリック(タップ)して、「血に染むなドニエプルてふ春の川」をご覧下さい。

      

2006年にチュヌの主人が東欧旅行をして、ドイツ(ドレスデンベルリン)、チェコ(プラハ)、ハンガリー(ブダペスト)、オーストリア(ウィーン)などで写した写真や俳句を披露します。

(青色の文字をクリックすると更に他の写真や解説記事がご覧になれます。)   

     

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ツヴィンガー宮殿

    

     

    

 秋天に聳ゆ聖堂平和なる

high into the autummn sky

peaceful

Dresdner Frauenkirche

  

王侯の栄華偲ぶや古都晩秋

things of splendour 

left by kings and lords_

old city in the late autumn

  

4

ブランデンブルク門

   

天高き凱旋門や平和愛ず

enjoying the present peace_

the arch of triumph

the Berlin's high sky

  

   

   

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(ここでポツダム会談が開かれた)

   

ポツダムや平和を祈る秋の声

  

the autumn voices_

praying for the peace

at a palace of Potsdam

   

 

   

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エルベ川

  

   

3

   

    

(ザクセン王の行列

   

 

Photo

   

   

   

   

   

   

   

   

   

カレル橋

  

古都けぶるドナウクルーズ夕時雨

dim in the shower

lights of the ancient city_

a cruise of the Danube

  

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鎖橋

   

   

王宮の映ゆるドナウや秋の水

the ancient palace

reflected on

the autumn flow of Danube

   

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カレル橋と王宮)  

   

クルーズのドナウの秋を惜しみけり   

such an enjoyment_

the night cruise of the Danube

late in the autumn 

  

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(鎖橋)

       

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 ブダペスト漁夫の砦)      

 

遊学の娘と惜しむ古都の秋

the old capital

enjoyable in late autumn_

meeting a daughter

   

   

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シュトラウス像 

  

  

秋冷の黄金の像やワルツ王

the golden statue

embodying the king of waltz_

the autumn sunshine

  

    

     

2

ウイーンの王宮 皇帝ヨゼフⅡ世の騎馬像)

  

     

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(ウイーンのペスト記念塔

  

   

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モーツアルト像

 

続きを読む »

2014年10月 6日 (月)

チュヌの俳句・四季 (Haiku of Chunu・Four Seasons)

  

主人はチュヌとチュヌの友達の写真と俳句などを記事にしてくれました。

(外国の友人のためのHAIKUも対訳で掲載します。)    

 

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 写真は、在りし日の元気な愛犬チュヌです。

    

      

(年末・年始、冬: Year-end・New Year, Winter)

       

年用意犬のシャンプー先づ済ませ

  shampooing of my dog

  comes first in my preparation

  for New Year

       

純白のサモエド犬に初朝日

  the New Year’s sun rises,

  shining on the pure white

  of the Samoyed dog

  

    

我もまた犬馬鹿となり去年今年

 another dog-fool 

    me too,

    New Year's days

   

    

初遊び孫の飛行機犬追ひて

 the first play of New Year_

 the dog following

 the plane of a grandchild

   

    

家族とて犬も一椀七日粥        

    New Year porridge

    a bowl to the dog

    as a family member

                   

   

    

牡蠣鍋や犬はふて寝の背を向けて

    the table pot oyster meal_

    the neglected dog

    looking away in the sulks

   

    

愛犬の舐めゐる器初氷

    the season’s first ice_

    the bowl

    licked by the dog

   

    

愛犬の糞も寒肥庭手入れ

(aiken-no fun-mo-kangoe niwa-teire)

  

     excrements of our dog

     used as fertilizer_

     gardening of midwinter

   

四温晴れ愛犬庭に大仰臥

  warm clear day after cold one_

  my beloved dog lies supine

  with legs wide spread

    

風花や犬はソナタにすやすやと

    the sunshine snow-flakes_

     the dog in sound slumber

    listening to a sonata

        

雪しまき故郷恋ふかにサモエド犬

     the blowing snow_

        the Samoyed dog

     longing for native home

         

         

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(春: Spring)

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残雪を食みて飽かざるサモエド犬

    the Samoyed dog  

    tirelessly            

    devours the remaining snow

  

          

春めくや犬と行く丘町眼下

   the springlike weather_

  a walk with my dog

  the hill overlooking the town

           

  

木の芽晴れ犬を侍らせ庭手入れ

  a leaf-budding clear day_

  I tended my garden plants

  with my dog lying beside me

    

のどけしや犬の遠吠え鴉の音

  serene weather!

  a dog howling in the distance

  a crow is cawing

         

犬舐めし童の破顔春うらら

  licked by the beloved dog,

  a child grins with joy_

  the bright spring day

    

 初蝶来犬寝そべりて目で追ひぬ

  the first butterfly of the year_

  the sprawling dog

  chases with eyes only

    

 愛犬の馴染みの土手や犬ふぐり

  tiny flowers of weeds

  looking like scrota of a dog_

  the bank favored by the dog

   

 サモエドの尻振る闊歩麗らけし

  Samoyed dog leisurely strides_

  buoyant wagging of the tail

  like the springtime

   

 長閑けしや仰臥の犬の恍惚と

  balmy!

  the dog lying supine

  the spling-like weather

 

チュヌの写真

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(夏: Summer)

   

愛犬の大舌だらり夕薄暑

 dangling the long tongue

  my beloved dog_ 

  the early summer evening heat

 

薄暑急愛犬遂にダウンせり

too soon the hot weather_ alas!

my beloved dog has collapsed

 

黒南風の雨を厭はず犬散歩

 my dog willing to walk_

 in spite of windy rain

  before the rainy season

 

犬小屋の日除けのゴーヤ伸び早し

bines of balsam pear

grow fast

for sunshade of a doghouse.

 

節電の炎日続き犬喘ぐ

 the dog pants

 a spell of hot weather

 in power-saving days

 

遠雷や眠りし犬は耳ピクリ

 a distant thunder

 the sleeping dog

  twitches the ears

 

雷間近猛りし犬のけたたまし

 a thunderbolt close at hand

 the dog 

  furiously barks

   

   

    

   

(秋: Autumn)  

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股関節外れし犬や秋暑し

 my dog suffers from

 dislocation of a hip joint_

 the hot autumn day   

      

   

病癒え新涼の庭駆ける犬

 recovered from pancreatitis

 the beloved dog runs

 the garden of early autumn   

   

飛ぶ帽子犬と猛追野分前

 dog and me

 frantically chase the blown-off hat

 on a pre-typhoon walk

 

サモエド犬駆け行く背ナにこぼれ萩 

petals of Japanese bush clover

 on the white back of

 the running Samoyed

 

満面に草の実つけしサモエド犬

 how cute my Samoyed!

 the whole face

 with weed-seeds clinging

 

健啖の犬貪れり落銀杏

 a hearty appetite_

 my dog devours

 fallen ginkgoes

 

木瓜の実の玉蹴り犬は食み食みつ

 the dog bites and eats

 a quince ball

 at every my kicking

 

小気味よく犬と踏み行く落葉道

 the path covered with fallen leaves

 the dog and me

 delightfully treading on

 

サモエドの寝顔くすぐり紅葉散る

 a red leave falls

 and tickles

 an ear of the sleeping dog

 

熟柿落つ目指して犬のまっしぐら

  a ripe persimmon falls,

  my dog dashes

  for it

    

   

最近、俳句フォトアルバムが盛んになっているようです。

主人は余裕が出来たらもっとチュヌの俳句アルバムなども整備してくれるそうです。

   

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

   

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2014年9月30日 (火)

太鼓橋・一心橋の思い出

   

故郷を「まんぽ俳句」で元気に、未来に繋ごう

   

(P.S. 2022.7.17)

7月16日は「閻魔詣で」の日です。

青色文字をクリックし、言葉の力・俳句の力《癒し》や「俳句《涼し》死の話をご覧下さい。

  

(2014.9.30の記事)

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法要で久しぶりに白毫寺にお参りし、太鼓橋や心字池を眺めて幼少の頃遊んだ思い出に暫し浸りました。

  

   

親族だけでなく住職さんとも般若心経やブログなどの話をして絆を新にし、有意義な一日に満足でした。

  

菩提寺の夏の思ひ出太鼓橋

  

菩提寺の紅葉映ゆるや太鼓橋

  

水澄みて太鼓橋映ゆ心字池

 

一心橋渡る一の字水澄みぬ

 

法要を修し談笑秋彼岸

 

夏休み初恋せしか太鼓橋  

  

      (薫風士)

   

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

 

  

2014年9月26日 (金)

俳句・フォトアルバム(イタリアの旅)     Haiku & Pictures (Trip to Italy)

  

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今回はイタリアローマナポリベネチアフィレンツェピサミラノ)旅行の俳句と写真を掲載します。

  

 (写真はクリックすると拡大します。青色文字をクリックして表示された写真をクリックすると、更に他の写真や動画がご覧になれます。)

   

(Pictures can be enlarged by clicking. Also, you can see more pictures or descriptions by clicking blue letters.)  

       

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爽やかなトレビの泉古希の旅   

a trip commemorating

seventieth birthday_

refreshing Trevi Fountain

       

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残月や大聖堂の天高し   

the morning moon_

St. Peter's

in a clear autumnal day

  

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秋澄むやナポリの丘昼の月   

the daylight moon

the hill of Napoli_

what a clear autumn day!

     

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素晴らしき青の洞窟秋の潮     

Grotta Azzzurra

in an autumnal tide_

what an experience!

   

秋潮の青のきらめきカプリ島   

the blue glittering

in an autumnal tide_

Isle of Capri    

  

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ベネチアや船頭の歌澄み渡る    

Venezia_

the skipper's singing voice

clear on the autumn canal

  

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ファサードの色爽やかや聖人像   

the statues of saints_

invigorating colors

of the facade

      

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秋天に斜塔支える振り多様

under the autumn sky

diverse supporting poses 

the tower of Pisa 

    

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尖塔の聖人像や天高し   

the statues of saints

spiring at the top_

the high autumn sky

       

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青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事のタイトルが表示され、この「俳句HAIKU」をタップすると最新の全ての記事のタイトルが表示されます。タイトルをタップしてその記事をご覧頂ければ幸いです。

    

2014年8月26日 (火)

花鳥6百号記念全国俳句大会に参加

     

(2025.2.10 更新)

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冒頭の写真は、花鳥誌2023年4月から2024年3月の表紙を並べて俊樹主宰の色紙にした写真と花鳥2023年11月号「花鳥徒然」の薫風士の投稿記事です。

  

2023年4月9日開催の花鳥700号記念大会•坊城中子お別れ会の懇親会で坊城俊樹主宰やゲスト選者、参加者などの興味深いお話を拝聴し、思ったことを書きましたので、青色文字をタップしてご覧頂けると幸いです。

        

花鳥誌の表紙絵パズル師の蛍

   

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花鳥誌の表紙を2022年4月から2023年3月まで並べると、写真のとおり、俊樹主宰の俳句の色紙になりました。

青色文字をクリックして、リンク記事をご覧下さい。

   

   

花鳥誌の遊び心の麗かな

掲句の「花鳥誌」は「花鳥子」に置き換えても良いと思っています。

      (薫風士)」

   

(2014.8.26 の記事)

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2014年8月22~23日に東京の霞会館で開催された花鳥6百号記念全国俳句大会にチュヌの主人は参加しました。  

先ず、募集句について特選句を次のとおり披露させて頂きます(敬称略)。

           

(花鳥主宰・坊城俊樹選)

特選一席: 
花鳥とは人と月日と赤蜻蛉  
       (大槻独舟)
 
特選二席: 
ミサの椅子甘く匂ひし青葉雨 
        (栗原和子)
 
特選三席: 
笹粽孫にも少し平家の血   
        (松本洋子)
        

(花鳥名誉主宰・坊城中子選)

特選一席: 
だんだらの幕の茶屋あり菖蒲園
        (榊原冬人)
 
特選二席: 
鍵隠す場所を見てゐる夕燕  
         (奥清女)
  
特選三席: 
ますかたの山裾守る碑の朧  
       (原澤百合子)
           

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 8月22日は坊城俊樹主宰の講演の後、女性講談師神田京子さんの講談などがあり、夜の懇親会は、入院治療中にも拘わらず坊城中子名誉主宰も出席され、国際俳句協会の有馬明人会長やホトトギス稲畑汀子名誉主宰などの来賓の方々が出席されて大いに盛り上がりました。

          

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8月23日の句会は中子名誉主宰は残念ながら体調不良で欠席されました。

ご回復の速やかなことをお祈りするばかりです。

     

   

句会は127名が参加し、投句5句、選者の選の他に参加者の互選(選句3句)で行われました。

チュヌの主人の俳句は次の3句が選者や互選に入選しました。

    

内堀の柳触れ行くジョガーかな    

八月の思ひ格別皇居前    

ライブ待つ若者長蛇日比谷の盆

    

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ここをクリック(タップ)して、「虚子100句英訳をHIAホームページでご覧下さい。」をご覧下さい

   

   

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。