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2014年12月29日 (月)

本との出会い(5): 「俳句の宇宙」と「大悪人虚子」

   

「俳句の宇宙」(花神社1989年発行)において、長谷川櫂虚子について次のように述べている。

       

「虚子を勉強していると、ときとき、不気味な虚子に出会う。久女の場合だけに限らない。虚子にとっては、俳句とホトトギス王国とどちらが大切だったのか。俳人だったのか、権力の亡者であったのか――そんな疑問が頭をもたげてくる。あまりにも現世的な姿の虚子。それはたいてい、暗くて大きくて、不敵な笑いを浮かべている。黒い虚子。こういう虚子はなかなか好きになれない。」(第三章2の最後から抜粋)

「しかし、俳人であったのか、権力の亡者であったのか、と二者択一で割り切れないところに虚子のほんとうの難しさ、面白さがあるのかもしれない。虚子のなかでは、よき俳句作家と冷酷な権力者とが、ただ表面上だけでなく、深いところで融合しているのではないだろうか。俳句と「力」とが――といいかえてもいい。「力」という要素は虚子の俳句や俳句観に深く埋め込まれている。虚子の俳句は「力」の表現だともいえると思う。虚子の奥底にあって、磁力を発しつづける「力」。これが17文字の俳句になったとき、図太いとも、また、艶やかとも映るのではないか。」(第三章3の冒頭から抜粋)

「虚子は、みずから「大悪人」を名のる。この句(「初空や大悪人虚子の頭上に」)は一見、大謙遜に見えながら、実は大うぬぼれの句であるらしい。自分の「力」への揺るぎない自信。虚子は、この句でも不敵に笑っている。」(第三章3の最後抜粋)

「微粒子の世界から星たちの空間まで、響きわたる巨大なオーケストラとしての宇宙。小さな草の芽を見ながら、目の前に湧き起こりつつある宇宙の音を、はっきりと感じとっている虚子。こういう虚子はいちばん興味深い虚子だ。同時に手怖い虚子である。」(第三章5の終わり抜粋)

「昭和22年頃、虚子の言葉というのが私の耳にもとどいた――「第二芸術」といわれて俳人たちが憤慨しているが、自分らが始めたころは世間で俳句を芸術だと思っているものはいなかった。せいぜい第二十芸術くらいのところか。十八級特進したんだから結構じゃないか。戦争中、文学報国会の京都集会での傍若無人の態度を思い出し、虚子とはいよいよ不敵な人物だと思った。」(注:『第二芸術』の「まえがき」)(第三章6の終わりより抜粋)         

    

「傍若無人の態度」とは具体的には何を指しているのだろうか? 虚子はこの時期にどんな俳句を作っていたのだろうか?

「俳句の宇宙」からの上記抜粋にあるような虚子の「力」は何から出ているのだろうか?

花鳥諷詠の「極楽の文学としての俳句を世に広めたいという信念の強さが「力」となったに違いない。そういう信念が、「花鳥諷詠南無阿弥陀仏」や「天の川の下に天智天皇と臣虚子と」「初空や大悪人虚子の頭上に」「去年今年貫く棒の如きもの」などの俳句に結実したのものと思うが、虚子がこれらの句を作った「」を知りたい。時には「大悪人」と言われるような非情ともとれる行動になった「」をもっと知る手立てはないものだろうか?

                    

     

高浜虚子の世界」(角川学芸出版「俳句」編集部)のアンケート「私の虚子」③「いま、虚子について思うこと」に対して、俳文学者矢羽勝幸氏は次のように回答している。(抜粋) 

「③ 碧梧桐の方向も近代化の過程で当然だとは思うが、虚子のとった“九百九十九人のみち”すなわち俳句が庶民文芸であることを(芭蕉の軽み、一茶の最後にめざした俳諧)近代に再生、継承した功績は偉大だと思う。“九百九十九人のみち”を凡人主義と解してはならない。・・・(以下省略)」

 

また、大木あまり氏(俳人)はアンケート②「心にのこる虚子の言葉、あるいは愛読の虚子著作」に対して、次のように回答している。

「② 理論の花より芸の花こそよけれ。標語の花よりも真の実こそよけれ。」

「世評を気にかけないで行動する人は快い。私はそういう人を好む。世評を気にかけて行動する人はみじめだ。私はそういう人を好まない。」

「高遠なる思想を辿る事もよいが、また平凡な日常に処する事も大事だ。」     

                                       

 坊城俊樹さんは「虚子の100句を読む」において、虚子の句「石ころも露けきものの一つかな」を挙げて次のように述べている(抜粋)。

 

「・・・(省略)・・・むしろ年尾は『客観写生』『花鳥諷詠』提唱後の虚子の句でも、表現的に単なる写生句より、自然界にあるすべての有情のものとして、人間を含めた、大きな句を取り上げて言っている。年尾の好みと言っていい。筆者もまた、この句に関してはそのように感じる者であるが、虚子はそれをあくまで『月並』的な鑑賞であるとした。

しかし、虚子の謂う『天地有情』という観点からも、この句は現代の伝統派がよく使う、通俗的で安っぽい措辞の『の心あり』『といふ命あり』などとは根本的に異なる広遠な句と思うのだが。

この句をあえて取り上げたのも、大震災の現場にある石ころの映像を見たからである。その被災地にある石ころは只の石ころではない。甚大な被害と、多くの被災者の命を奪った大地にころがっていた石ころである。この句を思い出さずにはいられなくなる石ころであった。」

                  

上記のように、俊樹さんは東日本大震災に言及しているが、この句を虚子が作ったのは昭和4年(1929年)の8月であり、その前の6月には北海道駒ヶ岳噴火して死傷者も若干出ていたようである。今年は木曽の御嶽山が噴火して多くの死傷者が出た。

虚子はこの「石ころ」の句を作ったとき、駒ヶ岳の噴火を意識していたのだろうか?

因みに、1923年に起きた関東大震災について、河東碧梧桐俳句を作っているが、虚子は一切俳句を作っていないとのことである。

「虚子は俳句など短詩にはそれぞれサイズに応じた適所持分があるとしており、後に起こった太平洋戦争や原子爆弾についても俳句を詠んでいません。また、震災忌、敗戦忌、原爆忌を季語として認めていなかった」そうである。

余談だが、この俳句を読むとエッセー「尾曲がり猫と擦り猫と」の「石ころ」のことを思わざるをえない。

                

このブログを書いている時に、インターネットで桑原武夫の第二芸術論に対する批判のブログを見つけた。

このブログは日本文化としての俳句の良さを論じた適切な反論だと思う。しかし、文化を愛し、国を思うことは尊いが、芸術を論ずるにはあくまで冷静に純粋に議論をするのが望ましい。いずれの立場にせよ売国奴などという表現があるのは感心しない非国民とか「国賊などというレッテル貼は慎まなければならないと思う。

     

いずれにせよ、虚子は、心の糧になる花鳥諷詠の文学、すなわち「極楽の文学」としての俳句、を大衆に広めることを目指していたのだから第二芸術という批判は的外れとして、「俳句も第二芸術まで来ましたか」「十八級特進したんだから結構じゃないか」議論の対象にしなかったのだろう。

    

「プロの俳人が高邁な文学として純粋に探究するのも良し、月並みであろうと大衆が俳句を慰みにして天地有情の一端を楽しむことができればそれもよし」、という考えだったのだ。虚子の俳話(昭和33年1月)にもあるが、このような揺るぎない信念が大きな力を発揮させたのだろう。

         

       

虚子は、昭和18年に出版した「俳談」の序文に、

「何故に何という理屈を述べることはさけて、只何々であるという断定した意見だけを述べたというようなものである。善解する人は善解してくれるであろうと思う。」と述べ、さらに、

    

本ものの虚子で推し通すというタイトルで次のように述べている。 

        

「自分は自分の固く信ずるところがあり、この信仰は何人もどうすることも出来ないものである。他の刀が切っても切ることは出来ぬ、他人の舌が千転してもどうすることも出来ぬものである、ということを固く信じている。従来俳壇に在って、私ほど多くの人々から攻撃されたものも少ないであろうと思う。・・・ 省略・・・自分の俳句は、少しもそれらの言葉に累せらるることなしに、著々として歩を進めているということを、固く信じているのである。」

      

(上記「俳談」の全文はここをクリックして、「サムネイル一覧」の「4」と「13」をクリックしてご覧下さい。)

       

          

天地有情」といえば土井晩翠の詩が有名であるが、このような詩は誰でも簡単に作れるわけではない。俳句は庶民が手軽に楽しむのに適した世界最短の型式詩といえる。これを高邁な文学としてのみ追求すれば一部の専門的俳人しか作れなくなる。虚子は元々俳句の良さ・特質や限界を認識した上で花鳥諷詠の楽しさを大衆に教えることを考えていたのだろう。

善悪のとらえ方や価値観は時代とともに変化する。虚子は悠久の宇宙の森羅万象・人間も含む自然・花鳥諷月を俳句にすることの可能性と限界を喝破していたに違いない。

だから、親子ほど歳の違うフランスかぶれの桑原武夫第二芸術と言われようと、青臭い議論としてそれに頓着しなかったのだろう。

虚子自身も駄句と批判される句を作っている。虚子が意図したわけではないだろうが、それが結果として俳句を親しみやすい庶民の文芸・娯楽にして今日の俳句の隆盛をもたらしているとも言えるのではなかろうか。

 

現在の高齢化社会で多くの人々が俳句を趣味として老後をエンジョイしている。そのことを知れば、虚子は「傲岸と人見るままに老の春」という俳句を作ったように、大悪人と言われようと自分の選んだ途は間違いでなかった、とニッコリするのではないか。

ちなみに、インターネット検索したところ、「傲岸に人見るままに老の春」というのもある。「に」と「と」では主客逆転した句意の解釈が成り立つ。「に」はミスタイプと思うが、この句は虚子が人を傲岸な態度で見ていることを意味するのか、人が虚子を「傲岸だ」と見ていることを意味するのか、どちらが正しいのだろうか?

「君、そんなことは超越していたよ。何事も『色即是空』だ。」という虚子の声が聞こえるような気がする。  

    

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2014年12月19日 (金)

本との出会い(1)「あの海にもう一度逢いたい」

       

(P.S. 2022.12.9)

22129

12月9日は漱石忌です。

夏目漱石などの文豪のみならず、市井の素人文人が少なくなく存在していることに日本の民度の高さを感じます。

冒頭の写真はパソコンで見た「趣味の陶芸 爺が自賛 オーブン陶土で作る狸のコンサート」の記事の一画面ですが、身近に陶芸を趣味にしている句友やゴルフ仲間もいます。

    

   

(2014.12.19の記事)

  

22129_2

(写真)

三田市在住の木下とし子さんのエッセイ集

   

   

読書週間だからというわけではないが、数年ぶりに図書館を訪ねた。

仲間との俳句談義で話題になった生命科学者である柳澤桂子の「生きて死ぬ智慧」(般若心経現代語訳)など般若心経の本を借りるためである。 

図書館の書棚を見ていると、「あの海にもう一度逢いたい 木下とし子」(日本文学館)という小さな本が目に入った。

表紙一杯に空と海の広々とした写真があり、裏表紙にはの写真が載っていた。 

目次を見ると、最初に「朱い色の記憶」「呪文と念仏と」などがあり、最後の方に「骨壺蛸壺」「私の前生は布切れかも」とか「三途の川の川幅は」などがある。この本の著者は般若心経の本を読んでいるのかもしれない。 

  

「あとがき」に作者は次のとおり書いている。

 

「戦前、戦中、戦後と七十七年生きてきました。

その間に、生活様式も人々の価値観も激しく変わり、とてもついていけないと感じはじめた頃、膀胱ガンを患い障害者手帳を持つ身になりました。

それから十二年、手帳とともに生き、不安と諦めの中から「書く」という幸せを見つけました。

しかし、ほんとうの思いを書くということはとても難しく、(おり)のように心の底に溜まった苦しみや悲しみは、時間をかけて浄化しなければ書けないように思います。

若いときに想像していた「老い」と現実の「老い」の落差を素直に受け止め、これからもその時々の思いをそっと(すく)って書いてみたいと思っています。」

           

この本の作者は日本が太平洋戦争に突入した昭和16年12月8日には小学校5年生だった。「朱い色」とは大空襲で町が燃える色である。「骨壺」とは作者の夫が作った丹波焼の壺である。

阪神大震災の折に墓地の惨状を目にし、無縁仏の多さに驚き、墓を作ることは諦めた。私の骨は太平洋に散骨したい。そのときこの上等の骨壺も一緒に波間に沈めてもらいたい。そしたら蛸が取り合いするだろうか。この壺の住人になった蛸は、今はやりの六本木ヒルズに住むセレブになるのかな。そんなことをクラス会で話したら、『もったいないことせんと僕にちょうだい』と言った男性がいた。---」と、

この作者は少女時代の切ない思い出、家族のこと、阪神大震災福知山線事故のことなど、主婦の目線で時にはユーモアを交えながら切々と書いている。珠玉の小編エッセイである。

    

手作りの骨壺を手に明易し

      (薫風士)

     

般若心経についての本を数冊読んだ結果、俳人高浜虚子辞世句について新解釈をふと思いつきブログを書いた。ささやかなブログであるが、俳句に興味のある方にはかなり読んで頂いているようである。 

ふとしたことからブログを書き始めたが、本との出会い人との出会いなど、不思議なに恵まれている。

そのことに感謝しながら「LOVE」の実践を「(かい)より始めよう」と心掛けているこの頃である。

  

(注)

LOVE」に人の生き方の指針になる英語の言葉24語の頭文字を当てはめています。

子供の教育の参考になれば幸いです。是非ご覧下さい                    

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本との出会い(2)「尾曲がり猫と擦り猫と」を読んで選挙を考える。(リンク増補版)

       

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本との出会い(1)で「あの海にもう一度逢いたい」を紹介したが、この著者は「尾曲がり猫と擦り猫と」(文学館)というささやかな本も書いている。このエッセイ集には胸を打たれるものがある。特に「石ころ」には胸を打たれた。

戦争を知らない世代でこの「石ころ」が何を意味するか分かる方がいるだろうか? 

石ころ」の話を親か誰かから聞いたことがあるだろうか?

先日NHKのテレビ番組で猫の可愛い仕草などの動画を報道していた。このような番組を笑って楽しめる現在の平和な日本は多くの筆舌しがたい犠牲の結果得られたものであることを忘れてはならない。

広島原爆を投下した「エノラ・ゲイ」の機長ティべッツに閻魔様に会わせてもらったった夢(?)の話、「千の風に乗って――地獄からの年賀状――」も読んでほしい。     

小学2年生の時に「墨で部分的に消された教科書」で勉強した記憶がある世代の一人としてはこの本を多くの方々に是非読んでほしいと思う。 

安倍さんは「アベノミクスの是非を国民に問う」ということで衆議院を解散した。第Ⅰ次安倍内閣では政権を放り出したが、臥薪嘗胆した安倍さんは第2次安倍内閣ではよく頑張っている。民主党は政権交代の千載一遇のチャンスを十分活用できず自滅した。野党は、「今度の選挙は大義名分が無い」などと言っていないで、しっかりした政策を掲げて国民の信を問うべきだろう。ネガティブキャンペーンをしている政党を支持する気にならない。

解散が宣言された議会のニュースで「御名御璽」という言葉があった。この言葉が現在の憲法の下でも使われていることを迂闊にも知らなかったので驚いた。しかし、天皇は「日本国と日本国民統合の象徴」であるから当然のことだろう。

戦前は天皇は「現人神」であり、紀元節など祭日の学校の式では「御名御璽」と言われるまで全員が教育勅語を頭を下げて聞いていなければならなかった。「御名御璽」と聞いてようやくみんなが一斉に頭を上げて鼻水をすすった記憶がある。

学校の式典における国歌の斉唱国旗掲揚の是非が問題になって久しい。オリンピックのみならず学校などの行事でも平和国家の象徴として国歌や国旗が正々堂々として自発的に用いられる日が来ることを切に望んでいる。

日章旗」が軍国主義の象徴ではなく、平和のシンボルとして世界の人々に受け入れられるようにするのは政治家の責任であり、与党の責任は重大である。

   

野党は「今度の解散は大義名分が無い」などと与党の批判をするばかりでなく、「国家の安寧のため、世界の平和のために自分たちはこうする」という具体的な政権公約を明確にすべきだろう。単に「改憲は改悪だ。改悪を阻止する」というだけでは駄目である。

平和憲法戦勝国に押し付けられたものだから改定すべきだという考えがある。仮に押し付けられたという経緯があるにしても、それは数知れぬ戦争犠牲者がもたらしてくれたものであり、良いものは維持すべきである。世界の平和を維持し、日本の自衛権を行使するための国際協調をするのに現憲法の条文に不明確な点があるということなら、「国際協調とは何か」「自衛権の行使とは何か」など、法令や運用基準で明確に定めるべきだろう。

一内閣がその時の都合で憲法解釈を如何様にでもできるということがあってはならない。それは独裁政治を許すことになるだろう。    

今度の選挙は単なるアベノミクスの是非の問題ではない。戦後70年節目になる重要な選挙であり、日本の将来を左右するだろう。

独裁政治・独裁体制をもたらすことになるか否か、政治家を選ぶ選挙民の責任も極めて重大である。

現行の選挙制度では浮動票の投票率が選挙結果に大きく影響する。

特に、若い世代は選挙に棄権しないようにしてほしい。

若者は政治的無関心でいると自分たちの将来の幸せを失うことになるだろう。

           

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2014年12月11日 (木)

本との出会い(4):「悪党芭蕉」と「大悪人虚子」(改訂版)

   

   

今回は、虚子が「初空や大悪人虚子の頭上に」の句を作ったときに意識していた「」は何だったか、を考える。

   

高浜虚子没後50年記念として平成21年4月に出版された「高浜虚子の世界」(角川学芸出版「俳句」編集部)の最後に「私の虚子」というタイトルのアンケート記事がある。

アンケート①は「愛誦句3句」をあげることになっており、著名な俳人や歌人などの回答者48名のうち、16名が「去年今年貫く棒の如きもの」を挙げている。

   

小池光氏(歌人)は「悪人虚子」という見出しで、この「去年今年」の句の他に「天の川のもとに天智天皇と虚子と」「初空や大悪人虚子の頭上に」を挙げている。そして、アンケート③「いま、虚子について思うこと」については次のとおり回答している。

   

「③ 要するに保守本流の総大将で、短歌では斎藤茂吉みたいなもので、乗り越えねばならない存在と若いころは決めつけていたが、心空しく読んでみたら茂吉の面白さは無類で、すると虚子もやはり俳句は虚子だと思ってしまうのでないかと、恐れつつ思っている。前の2句など、実に得体が知れない。天智天皇と自分を並べる発想、自分を大悪人と規定する発想、どこからなにゆえ出てくるのだろう。棒の如きものはそれから三十余年の後の作だが、こう並べると妙に交錯して、棒の太さと貫く膂力(りょりょく)の大きさがえらく巨大に感じられる。およそ一筋縄では行かない恐ろしいものが、花鳥諷詠の陰でニタリニタリと笑っているような気がする。」

     

       

      

上記句評の「およそ一筋縄では行かない恐ろしいものが、花鳥諷詠の陰でニタリニタリと笑っているような気がする。」という表現にはちょっと引っかかる。

それはともかく、虚子が一方で「天智天皇と(臣)虚子と」と言いながら、他方で「大悪人虚子」と俳句にしたのは何故だろうか?     

この疑問の解決を私なりに見つけてみたい。

   

「天の川」の句は、稲畑汀子著「虚子百句」によると、大正6年に太宰府で作った句である。汀子さんは「初空や」の句について次のように述べている(抜粋)。

    

     

「大正7年(あるいは6年か)1月、虚子は、<初空や大悪人虚子の頭上に>という句を作っている。暦が更新され美しく澄み切った初空を仰いだ時、それを穢れを去った太初のように無垢な空と感じた虚子は、煩悩に満ちたわが身を振り返り己を大悪人と意識せずにはおられなかったのである。虚子が当時、己の中にどのような悪を意識していたかを詮索する余裕は今は無い。問題は虚子が悪を抱えてどう生きたか、それをどのように自らの作品に結実させたかである。参考になるのは虚子が『中央公論』の大正5年1月号に書いた『落葉降る下にて』であろう。

『これから自分を中心として自分の世界が徐々として滅びて行く其有様を見て行こう』『何が善か何が悪か』

一口で言えば虚子が選択したのは理性ではどうにもならない悪を抱える己という存在を事実存在として受け入れ、責任を引き受けつつ、あるがままに生きるという途であった。

それはまことに文学者らしい生き方であるが、辛い覚悟を要したはずである。虚子はその辛い途を俳句の存問という方法によって歩んだのである。虚子は自己との存問、自然に対する存問を繰り返し、長い時間をかけてついには超越者と存問を交わすようになる。・・・・(省略)・・・・長い期間の存問を経て虚子は我執を脱ぎ捨てたのである。

・・・・(省略)・・・・ 虚子はもう善悪彼岸に立っている。」

    

   

上記の「責任を引き受けつつ」とはどんな責任なのだろうか?         

坊城俊樹さんは「虚子の100句を読むにおいて、虚子が大正4年4月に作った句「春惜む輪廻の月日窓に在り」を取り上げて虚子の四女「六」の病死について触れているが、その責任のことだろうか? 

     

一方、坊城俊樹さんは「虚子の100句を読む」で「天の川」の句について次のように述べている(抜粋)。

     

「虚子は郷里松山での兄の法事に出て九州に船で着いた。そして太宰府を参拝し、都府楼 に佇んでいた彼は何を思っていたのだろう。 ・・・(省略)・・・ 同時に、今このときは日本のために、そしてかつて天智天皇がこの地で唐などからの国土防衛をしたことにおもいを馳せる。その時虚子はいたたまれず、自身もこの天皇の一臣下として国を護ろうと思ったのである。
 虚子のこの懐古とはすなわち、故郷へ向かったあとのその余韻とともに、日本の歴史への懐古そのものを言っている。

都府楼址は、礎石の柱の址がただ延々と続く。そこはだだっ広い空き地のようなもの悲しさである。夕刻には、かの有名な観世音寺の鐘が響く。それは千年を超えた虚子と天智天皇の君子の交わりの鐘の音であった。
この句は『五百句』に、

 
天の川の下に天智天皇と虚子と     (虚子)

  
と.「臣」の字を削除して掲載されている。

  
これは、昭和十二年刊行の当時、大政翼賛会
設立前夜としての抑圧に屈したとしか言いようがない。虚子ごときが天智天皇の「臣」たるは何事ぞ、というわけである。しかし、仮に時代がそうだとしても、この句では本来の虚子の臣たる高揚感と意味が異なってしまう。ましてや、この句では天智天皇と虚子が並立に存在するが如きでよほど不遜ではないか。

筆者および、その周辺ではこの句はあくまで掲句のような「臣虚子」であることに意味があるとして、あえて『五百句』の禁を犯した。

  
もっとも、『五百句』でかように記されていたこの句は、昭和三十一年刊行の虚子自選の『虚子句集』にはすべて掲句のように戻されている。それが虚子のほんとうの心情であったことは明確である。・・・(以下省略)・・・」

        

              

俊樹さんの上記の句評を考慮すると、虚子の意識した『悪』は稲畑汀子さんが上記のようにとらえた『悪の意識』の他にも何か俗世界・世相との関係において考慮すべきことがあったのではないかと思う。

「高浜虚子」に関するウイキペディアの記事(抜粋)によると、「子規の没後、五七五調に囚われない新傾向俳句を唱えた碧梧桐に対して、虚子は1913年(大正2年)の俳壇復帰の理由として、俳句は伝統的な五七五調で詠まれるべきであると唱えた。また、季語を重んじ平明で余韻があるべきだとし、客観写生を旨とすることを主張し、「守旧派」として碧梧桐と激しく対立した。」とある。

    

虚子は「世間が己を悪人と言うならそれも甘受して、自分の信念を貫いて行こう」という決然とした清々しい気持ちで「初空や」という句を作ったのだという解釈も可能ではなかろうか?

    

虚子の句についても解釈が当を得たものになるかどうかは、長谷川櫂さんの指摘した「場」をどのように想定するか、虚子と「場」を共有できるか否かで決まる。

   

なお、虚子やその俳句に対する批評に関するブログを検索すると、この「場」をわきまえず、虚子の人格や俳句を悪しざまに批判しているブログが見受けられることは嘆かわしい。死人に口なしだから義憤を感じてこのブログを書き始めたが、虚子は「そんなことは俺は超越していたよ」というのだろうか?

なお、「エコブログ」(作者はかわからない)に「敵といふもの今は無し秋の月」という虚子の句をタイトルにした興味深い虚子の句評があった。その記事の一部を抜粋すると、

「天皇を信じていなかった鴎外、戦争の大義も敵の存在も信じていなかった虚子。しかし、鴎外天皇の藩屏として、虚子は日本文学報国会俳句部長として身を処した。彼らの心中を思い、いま、北朝鮮にいるだう鴎外や虚子のことを思った。」とある。

    

まさに、現在の北朝鮮の状態は戦前の日本の有様を彷彿とさせる。虚子は文学報国会俳句部長としてどのように対処したのだろうか? 戦争を美化する文学や俳句には加担せず、ただひたすら花鳥諷詠を唱道し続ける他に道がなかったのだろう。

 

虚子は「俳句を『極楽の文学として世界の民衆や世界平和のために広げてくれよ」と天国浄土から国際俳句協会の活動にエールを送っているかもしれない。

     

         

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2014年11月22日 (土)

俳句仲間(アカネの酔客)のエッセー(1)「ラジオを録音して聞く話」(昭和史を聞いて下さいね。)

    

(インターネット・リンク追加版) 

  

毎月、俳句会の後で酒を飲みながら俳句談義や趣味の話などに興じている。今月はブログの自慢話(?)をしたところ、話が弾み同席の方の随筆を掲載させて頂くことになった。それぞれの味があって面白い。

まず、昭和9年(1934年)生まれの大学同期会のホームページにA氏が今年の5月に寄稿した随筆「ラジオを録音して聞く話」です。テレビに無いラジオの面白さ・メリットの新発見の話です。

    

(青色の文字をクリックすると、その記事や関連の解説記事などがご覧になれます。)

   

    

    

    

    

    

    

          ラジオを録音して聞く話

                         2014年5月

                         

     昔から本は良く読む方だったと思う。仕事を止めて一年くらいか家を引っ越すこととなり、その時に大量の本を整理したと言うか捨てた。これに虚しさを感じまた暇は十分にあることもあり、その後は専ら図書館で本を借りて読んだ。月に20冊くらい借りて、その内の半分くらいはちゃんと終わりまで読んでいたと思う。ところが70歳を過ぎた頃から、本を読むと目が疲れるようになった。所謂、眼精疲労である。単なる老化かと思っていた。或る日、医者に紹介された近所のメガネ屋に行ったところ、技術の大変高いことを自称するメガネ屋であった。医者の作った診断書は無視され詳細に検眼され、お前は斜位だと言われた。両眼の視力が大きく異なることは自覚していたが、斜位と言う言葉は初めて知った。そして高価な近眼と老眼のレンズを買わされた。

      斜位と言うのは、斜視の軽い奴のようだ。普段は、周りも本人も全く気づかないが、矢張り眼精疲労にはなり易いようだ。と言うような訳と、借りる本が段々となくなってしまったこともあって、次第に図書館通いは少なくなった。今は全く行っていない。

     その代わり、テレビは良く見るようになった。なにせ夜は8時に寝てしまう生活を仕事を止めてからずっとしているので、多くは録画してである。最初の何年かは専らテープでの録画、4-5年前からはDVDである。良く見るのがNHKのEテレ・BSプレミアム・総合、BS1も少し見る。民放も見るが多くない。スポーツ番組は、殆ど見ない。サッカーは目が疲れる、また動体視力の低下の故か、決定的瞬間が良く見えない。ゴルフは見るが、韓国勢が上位に並ぶと見るのを止める。見る物が少ない時は、民放のサスペンス物も見る。NHKの大河ドラマの類は、やたらに怒鳴るのが嫌いなので見ない。 

民放を見ることが少ないのは、出演している人の數がやたらに多く更に芸人と称する人も多く、煩く感じるのが理由である。民放のサスペンス物も、観光案内を兼ねたようなのんびりとした物は好きだが、最近はこういうのが少なくなった。

      ところがこの1年ほど、NHKも民放の番組に似て来た。矢張り世の中の趨勢なのであろう。爺・婆は対象から外れて来ているのであろう。それで見る番組が減って来た。またテレビを見ても目の疲れを感じることが多くなって来た。特に出演者が多くガチャガチャした民放の番組は目が疲れる。

      ラジオは今まで、車を運転している時に時たま聞くことはあった。何時もお喋りが多いと思って来た。要するに暇な無責任な会話である。家内が何年か前からラジオを聞いているが、矢張りお喋りが多いと私は思って来た。この無責任なお喋りはどうも聞く気になれない。

      ところがこの1月になり、ネットで調べて出てきたNHKラジオの第一、第二、FMの番組案内「らじる*らじる」を見ていたら、土・日に集中してはいるが教養番組が多くあることを知った。このNHKラジオの番組案内は、番組の詳しい説明もあり大変有効である。そこでラジオに興味を持った。前に述べたようにテレビは殆ど録画して見ているので、ラジオも録音出来ないかと調べて見たら、「ラジクール」と言う無料のソフトをダウンロードすれば良いことが判った。ところが、このダウンロードを一度試みたが上手く入らなかった。

 そこで、録音したラジオはどうせ気楽な姿勢で聞くことになるであろう、それにはパソコンは不向きではなかろうかと考えた。そして、録音出来るラジオは売っていないかとネットで調べてみたら、2種類ほど出て来た。通信販売でそのまま買おうかと思ったが、どうも爺さんはこれに少し抵抗があるので、1月末に近所の家電量販店に行った時に見てみた。なんと録音出来るラジオはたった1種類、大きさはその昔の弁当箱くらいで重さも軽かった。ベテランらしい店員さんに何に使うのですか?と聞かれる始末で、どうも録音出来るラジオと言うものは沢山売れている様子ではなかった。

      兎に角、そのラジオを買った。店頭価格17,000円のSONYのICZ-R51と言う奴である。

      初めは、「らじる*らじる」で調べたNHK第二ラジオの教養番組を主に聞いていた。その殆どの番組が週に一度の放送で3か月単位で成り立っている。2月初旬は、この中途であったので、中途から聞き始めることになった。今は4月から始まったものを聞いている。ちゃんと聞いている番組の一つが、古典講読と言う番組の「奥の細道」である。講師の喋り方が大変眠気を誘うので、しばしば眠ってしまうが、録音の有難さで巻き戻しをして聞いている。「奥の細道」をちゃんと読んだことがないので、この機会と思っている。内容それ自身も、かなり面白いが、こういう物を研究している人たちは、こう言うことをあれこれと詮索するのだと言うことを知る意味でも面白い。極端に言えば、証拠のないことを糞真面目に論じる邪馬台国研究に少し似ている。

      短編小説の朗読も面白く聞いている。この手の物をかなり長い間読んで居なかった為だろうと思う。いずれにせよ、ラジオでは喋るのはひとりかふたり、喋りまくられる心配はない。しかし、録音して置いて実際に最後まで聞くのは、半分以下或は三分の一くらいであろうか。

     2月中旬か下旬頃に、「らじる*らじる」を見ていて、ラジオ深夜便と言う番組があることに気が付いた。これも「らじる*らじる」で中身をかなり詳しく知ることが出来る。夜の11時台から始まり、一時間毎に区切りが入って、6ッの番組から成り、朝の5時に終わる。2時台と3時台は音楽番組である。一区切りの中に、ニュースや音楽やお知らせなどが入るから、一区切りの中のメイン物の時間は30~40分であろうか。

 

    このような時間を誰が聞いているのであろうか?深夜族は今非常に多いので、深夜2時までの番組は聞いている人が居ることは理解出来る。しかし4時台の番組はどんな人が聞いているのであろうか?早く目が覚めてしまう早起き爺さんであろうか?そうすると2時までの番組を聞いている人とは別の世界の人と言うことになる。

     歌番組を除いて毎日4番組、一時間当たりの中身が約40分として、毎日約2時間40分となる。初めは、「らじる*らじる」を見て選択して録音していたが、今は機械的に録音している。「毎日録音」を選択すれば毎日同じ時間を録音して呉れる。詰まらない内容の物も多いので録音しても最後まで聞くのは、実際には三分の一から二分の一となる。

    かなりの頻度で聞いているのが、通信員と言うのか各地に住んでいる人の現地報告である。日本に住んでいる人の話は新鮮味に欠けるのであまり面白くないが、外国に住んでいる人の話は大体面白い。

     この原稿を書くことを予告された5月初めから、聞いて特に印象に残っているのは次のようなものである。一つ目は雨水の利用である。墨田区役所に勤務し始めて僅か5年くらいの時に、ここに集中豪雨による被害が出た。そこで専門外の若僧ではあったが雨水の利用を提案して検討チームを結成し、まず国技館にこれを敷設した。今は全国の新設の大きな建物では全てトイレの水は雨水をなっているようだ。スカイツリーもそうのようだ。今はこの人はバングラディシュで雨水の利用のプロジェクトを推進して、年に半年はバングラディシュに滞在していると言う。バングラディシュでは、地下水に天然の砒素が混入しているのだそうである。

    二つ目は、「昭和史を語る」である。4回番組で先日は昭和2年と3年とをやっていた。大正天皇は12月25日に逝去されたので昭和元年はなきに等しいと言うのも改めて認識した。浅草と上野の間に日本で初めての地下鉄が開通したのが昭和2年とか、ラジオ放送が大正14年の3月に始まったとか、その時の録音が残っていてそれが放送されるとか、関東大震災が大正12年だったことも改めて認識した。昭和恐慌が、その時の大蔵大臣の不用意な発言が元で銀行の取り付け騒ぎが起こったのが発端であったと言うのは初めて知った。

ニュージーラン人で剣道7段、居合術5段、薙刀5段で武道の研究で京大で博士号を取った人の話も面白かった。「残心」なる言葉を初めて知った。広辞苑によれば、「残心」は、剣道で、激突した後、敵の反撃に備える心の構えとある。「道」である相撲で、勝った時にガッツポーズをするのは怪しからんと言う非難の声が一時あったと思うが、この意味も初めて判った。

    と言うように、この2月から録音してラジオを楽しんで居る。テレビには少なくなってしまった爺・婆が楽しめる番組がラジオにはまだ多いと思う。、この文章が誰かの為のなんらかの参考になれば幸いと思う。

   

(注:ブログの見方)

青色の文字をクリックすると、その記事や関連の解説記事などがご覧になれます。ここ(らじるらじる)をクリックするとNHKネットラジオの詳細について検索できます。「昭和史を語る」をクリックして、表示されたリストのタイトルをクリックしてその内容の触りを音声で聞くことが出来ますよ!

2014年11月17日 (月)

お友達のエッセー:「忘れ得ぬ最高の思い出」

    

タイトルのエッセーは作者(出羽正義さん)の大手商社勤務当時の楽しい思い出です。

「昭和や」でのブログ・川柳談義の際にチュヌの主人が非常に愉快な話だと思ったので、掲載させて頂くことになりました。下記のエッセイをご一読下さい。

           

1978年12月、一か月の米国出張が終わりに近づいた時突如本部から「Argentine, Venezuela, Chileに立寄り出張の上帰国されよ。用件は追って連絡する」との指示が入電。南米の担当から外れていた私にこの追加出張命令、何故?とは思いましたが小躍りして喜びました。

実は、高校時代 私の田舎町にどう言う訳か「さらば草原よ」と言うアルゼンチン映画が来まして、それを見た私は以来頭から片時も離れない位にこの歌に魅了されてしまい、あの国の土を踏みたいと言うのが夢の夢になっていました。

そして就職、新入社員の身上調書に「行きたい外国名を記入せよ」と言う欄があり、ずうずうしくもそこにArgentineと書いたのでした。同国とは取引はなかったのですが…。

さらに’78年から遡ること10年前 ’68年に初めての海外出張で南米Colombiaへの10ケ月の出張終了間際「Argentineに立寄れ」との指示が入ったことがあったのです。夢実現と狂喜しましたが、翌朝「昨今の経済情勢に鑑み貴台の出張命令は取り消す」という入電! 天国から地獄とはこのこと、涙を飲みました。 

そんなことがあったので、今度こそ機を逃さずと早速飛び立ちました。Buenos Aires B.A.到着の翌日メーカーの担当者二人がジョインしてくれました。

同国には旭化成のアクリルプラント輸出が決まっており私の所属課(繊維)では市場開拓用の原料綿を輸出しておりました。おおむね順調な取引の中である特殊なスペックの契約品が引き取られず、日本で長期在庫になって困っていました。経常取引の打合せの他にこの在庫の引取をさせろ、というのが私への指示でした。

初日 訪日して件の契約を置いて帰った番頭格の常務に面談しましたが、この在庫の話になると言を左右にしてのらりくらりと逃げ回りばかり。

翌日は朝早く7時!に会長との面談。表敬訪問が主でしたから、一般情勢やアクリル繊維の市場見通しなどを話題にしました。そろそろ終わりだというとき、会長がAnything else?と言ったので、すかさず長期在庫の件を持ち出し、善処願いたい、と要請しましたところ、会長は番頭さんを鋭くにらんで「ただちに引き取れ」と厳命、鶴の一声で,同社とのもめごとはあっけなく解決したのです。

もうすることがなくなった我々はBAの見物に出かけました。同市はラテン・アメリカという言葉から想像するのとはかなり違い、まるでヨーロッパの如しで、パリの街に埃をかぶせたごとき街並みでした。港へ行き アルゼンチンタンゴ発祥の地と言われるカミニート(小径)通りも歩きました。小さい土産物屋、飲み屋、軽食堂などが それぞれが原色のペンキで塗られて両側に並んでいる狭い通り。この小路を題材に作曲された曲が申すまでもなく「カミニート」です。

シエスタ(昼寝)の習慣があるからでしょう、B.A.の夜の賑わいは遅くから始まります。レストランは9時、タンゴ劇場は11時にオープンという遅さ。我々がこの二つをこなし、気持ち良い夜風の吹く通りに出たのは午前1時を過ぎていました。酔っぱらった勢いで、深夜の街を行方を定めずブラブラ フラフラと歩いて行きました。と、人通りが途絶えた辺りで、ドアを開けたままのバーがあり、そこからタンゴをひくピアノの音が漏れてくる。薄暗い店内では6~7人の男どもが飲んで騒いでいる。左奥にピアノと奏者がいました。我々は恐る恐る入ってテーブルを占めるとワインやビールを注文してピアノに耳を傾けていました。そうする内私はこのピアノ伴奏に合わせてタンゴを歌いたいと言う気持ちが抑えがたくなってきましてピアニストに頼むと快諾してくれましたので、はやる気持ちを抑えて「カミニートCaminito」「さらば 草原よAdios Pampa Mia」「ガウチョの嘆きSentimiento Gaucho」の3曲を歌いました。終わった時は興奮で天にも昇った気持ちでした。翌日は仕事もないので 急ぐこともなく また、ブラブラとホテルへ帰りました。

このバーを出るとき看板を見ると”Oscuro Rincon”。これは「ガウチョの嘆き」の歌詞にそのままの言葉があります。

  “En un viejo almacen del Paseo Colon,     

   donde van los que tienen perdida la fe,

   todo sucio, harapiento, una tarde encontre

   a un borracho sentado en oscuro rincon.

 (注:スペイン語文字になっていません)

          

  

  

上の写真は 翌日街で見つけた画。

タンゴを歌ったバーとよく似ているので買ったものです。

看板には“El Viejo Almacen”とあります。

        

 アルゼンチンタンゴの発祥の地 B.A.で現地のピアニストの伴奏でタンゴを歌った時、これが私の忘れがたき人生最高の瞬間でした。

その後タンゴを歌う機会は絶えてありませんでしたが、私の所属の合唱団がCaminitoをレパートリーに加えましたので、その演奏の度にあのCaminito とあの日のことを思い出しながら歌っております。    

                                                    以上

  

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2014年11月 9日 (日)

俳句仲間(アカネの酔客)のエッセー(2)

   

  (インターネット・リンク追加版)  

   

毎月、俳句会の後で酒を飲みながら俳句談義や趣味の話などに興じている。今月はブログの自慢話(?)をしたところ、話が弾み同席の方の随筆を掲載させて頂くことになった。それぞれの味があって面白い。

今回は多趣味・世話好き・フェミニストであるN氏が大学同期会のホームページに寄稿した味のあるエッセー「近況報告VI」を掲載させて頂く。

文末に、「最近の作品を3枚添付して今回の近況報告といたします。」とあるが、添付されていなかったので問い合わせたところ、「裸像の写真を保存したUSBが保管してあったと思いましたが、整理が悪く見つかりません。」とのことで、残念ながら見つかるまでお預けとなったので、日野市の「小島善太郎記念館」の作品集のサイトにリンクしました。

    

(注:ブログの見方)

青色の文字列をクリックするとその言葉の解説記事のサイトがご覧になれます。

    

    

    

    

      

    

      近況報告Ⅵ 

    

                       

○加齢のこと

 加齢に伴ない心身ともに動きが鈍ってきている。忘れ物が多くなったことは前回に紹介したとおりであるが、それにもめげず今まで手を出した趣味は何とかそのまま続けている。しかし最近さびしいことの一つにこれらの仲間のなかから、昭和一桁前半生まれの方々の何人かが、認知症がかったり、鬱になったりして顔を出さなくなり脱落して行くことである。 いよいよ僕らもその手前まで来たのかと内心のどこかで覚悟したりしている。 でも一方では大正生れの方々が矍鑠として活躍して居られるので、その人たちの存在に励まされ、元気を貰っている。

 俳句の会では大正6年巳年生まれの92歳を筆頭に大正生れが7,8人居られる。英会話のグループにも一人、中国語にも三人、太極拳にも91歳を筆頭に三人の大正生まれがいらっしゃる。関西東大会の常連の旅行メンバーにも大正生まれの夫婦一組がご健在でいらっしゃる。 彼らを目標にして、若さを維持して行こうと思う。

 話は変わるが、奄美大島に旅したとき、百二十歳を生きた泉重千代さんの住家銅像に立ち寄った。そのときの女のガイドさんによれば、重千代さんは晩年も女の人が好きで、訪ねる観光客の女の人1人ひとりに握手して言葉を交わしたそうな。それで彼女は「異性と接するのが長寿の秘訣ですよ」と我々にのたまったのである。 幸い、小生の属している趣味の会には女性(婆さんではあるが)が多い。泉重千代風に楽しんで行きたいと思う。

 

○最近見た映画

映画は殆んど見ない。 年に一二度くらいかと思う。 昨年たまたま「絵」の仲間の女の人が勧めてくれた映画が「Sex and the City」であった。必見の話題作ということで彼女は夫と見に行って衝撃を受けたという。 小生も家内と一緒に出かけた。

 ニューヨークの4人のキャリアウーマンの多様な女性の生き方が、様々な異なる結婚観に基づいて展開される。そして性交シーンが当たり前のように頻出するのには驚いた。しかし、いやらしい淫らな感じが不思議にない。極端に言えば食事のような生活の一部として扱われているからであろうか。性欲はあって当然という自然の扱いだからであろうか。確かに衝撃は受けた。 しかし彼女たちに同情し、彼女たちの生き方を肯定している小生であった。家内もだいたい同意見であった。

 後日、勧めてくれた彼女に感想をきかれた。照れくささもあったので「最初ふざけた映画だと思ったが、見ているうちに彼女たちに共鳴して応援したくなったよ。むしろ真面目な応援歌かな」と答えておいた。

 さらに、別の後日談がある。 家内の友達が子供の出来ない娘と見に行ったそうである。 彼ら母娘はどんな話をしたのだろうか。 とにかく女性に衝撃的話題を提供した映画ではあった。 

 

 ○「ねじまき鳥クロニクル

作者村上春樹は地元神戸高校の出身である。 最近ノーベル賞候補に上げられていることもあって、熱烈なファンによる研究会がよく開かれているようである。2,3年前そのうちのひとつの研究会に出る機会があった。 作者不在で行う研究会も異色ではあるが、中国、韓国、米国の研究家が熱心に壇上から作者と作品を語り、その国際性に大いに驚いた。

しかし空想が交じり合う彼の小説にはついて行けず、2,3の小説をかじっただけでずっと敬遠していた。 ところが最近とあることで、家内が標題の作品を読んで感動してしまい、とうとう小生もひきずりこまれて読むことになった。10年以上前の作品だから読まれた方もあろうかと思うが、小生はとにかく圧倒されてしまった。 

  戦争の悲惨性が脈流にある。ノモンハン事件の前哨戦、シベリア抑留新京動物園猛獣虐殺、満洲兵虐殺等々。筋は空想じみた展開とスリラーまがいのどんでん返しと深層心理の綾なす現実離れの脚色に目を奪われるが、しかし底流に戦争の悲惨性が重くよどんでいる。蒙古兵が人皮を剥ぐ場面は息の止まる思いだった。

  人生(世界)は単純でない。戦争という非人道的現実があり、いろいろな中身がよじれあいいっぱい詰まっている。

  作者はカフカ賞もとったりしていて海外での評価がよいので、近いうちにノーベル賞を取るかもと、思ったりもする。

 

○裸婦素描

近況報告が短文になってしまったので、裸婦素描を添付して締めくくることにする。

腕の方はさっぱりであるが、なにしろこの時間が最も楽しい。月1回のチャンスだが、これが待ちどおしいのである。美人の先生に会うのもモデルさんと言葉を交わすのも、胸がわくわくするが、それにも増して女性に囲まれた男一人の3時間の雰囲気がたまらなく嬉しいのである。最近の作品を3枚添付して今回の近況報告といたします。

                                                                                            以上

 

2014年9月11日 (木)

「LOVE」を実践しよう!(増補新版)

    

(P.S.)

人生を豊かにするキーワードを24個に増やし、その頭文字を「LOVE」に当てはめました。

ここをクリック(タップ)して、詳細をご覧下さい

   

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チュヌの主人は、かって結婚式のスピーチを頼まれ、「幸せな人生のキーワードはLOVEである」として、幸せを呼ぶ8個のキーワードの頭文字をLOVEに振り当て、新郎新婦の幸せを祈るとともに自戒の言葉としていました。

その後「LOVE」に含めるキーワードを16個に増やして、このブログ「チュヌの便り」に掲載したので読んで頂いた方もあると思います。

先日の朝日新聞のWeb版に「根性だけじゃない ピンチ救う、甲子園必笑術」という記事がったので、予てから考えていた「Laugh」などの言葉を追加してLOVEのキーワードを20にすることにしました。

どんな言葉が含まれるか、クイズ感覚で気軽に読んでみて下さい。

「LOVE」を実践すると20の要素の相乗効果できっと有意義な素晴らしい人生が送れるでしょう。

    

 ・「L」はLove(愛する)・Learn(学ぶ)・Liberty(自由・権利)・Legality(合法性)、Laugh(笑う)です。

  

・「O」はOptimism(楽観・楽天主義)・Originality(個性・独創性)・Objective(目標・客観的)・Obligation(義務・義理)、Opportunity(機会・好機)です。

  

・「V」はVitality(活力・元気)・Vision(ビジョン・先見性)・Venture(冒険・思い切ってする)・Value(価値・評価)・Volunteer(ボランティア・自発性)です。

  

・「E」はEffort(努力)・Enjoy(楽しむ)・Ethic(倫理・道徳)・Equity(公平・公正)・Endurance(忍耐・持続)です。

     

 ・Love(愛)

親子の愛、男女の恋愛、夫婦の愛など人に関する愛のみならず、動物、自然、故郷、住んでいる町や国、平和、自分の仕事など全てが対象です。まず自分を愛し、自分のしていることを愛し、その結果が他者への愛、すべてのものに対する愛につながることが理想です。

 

・Learn(学ぶ)

教師や反面教師として、全てのことから学ぶことが出来ます。

身近な両親、兄弟姉妹、友達、先輩・後輩、先生などから直接学ぶことが沢山あります。書物や新聞・ラジオ・テレビ、インターネットなどで地域と時代を超えて様々なことを学ぶことができます。また、自分自身や他人の失敗や成功の実例から学ぶことも大切です。

 

・Liberty(自由・権利)

基本的人権として思想・言論・信教の自由などが憲法で保障されています。しかし、自由の権利を乱用すると、自由を失う恐れがあります。常に権利と義務、個(自分自身)と全体(社会・国)、公平・公正の原則とのバランスを考慮することが肝要です。多くの若者が選挙権・参政権の行使を放棄していることは幸福を追求することを放棄していることになるのではないかと危惧しています。

 

・Legality(合法性)

自由に考え行動すれば良いのですが、それが法律に適っていることが前提です。法律は人々の生活を守り社会の秩序を維持するためのものですから、日常生活で余り難しく考えることは無いでしょう。しかし、何か特別のことを始める時にはそれが合法的かどうかチェックすることも必要でしょう。

 

・Laugh(笑う)

笑う門には福来たる」(「Laugh and get fat.」「Fortune comes in by a merry gate.」)です。

泣きたいときには泣くとよいでしょう。でも、辛い時でも笑顔を忘れずに前向きに過ごして行けばきっと良い時も来るでしょう。

 

・Optimism(楽観主義)

人間万事塞翁が馬」(Joy and sorrow are today and tomorrow.)、「人生は山あり谷あり」、「努力をすれば何とかなる」、「人事を尽くして天命を待つ」と楽観的に考えることです。いわゆるプラス思考・ポジティブシンキング(positive thinking)を実践することです。

 

・Originality(個性・独創性)

世界に一人しかいない自分という貴重な存在を活かしましょう。単なる「猿真似」や「迎合」ではなく、人それぞれに出来ること・天性・個性を生かして、学んだことを更に発展させ実践することです。現代は多様性の時代です。様々な個性が集まって全体の調和が生まれることが理想です。

 

・Objective(目標・客観的)

将来何をするか自分の目標を定める際に、それを達成することが可能か、楽観的に考えると同時に、冷静に客観的に評価しておくことも大切です。高い目標を掲げることは良いのですが、目標は高ければ高いほど成果の高望みをしないでstep-by-stepで一歩ずつ前進することです。

 

・Obligation(義務・義理)

「世の中は持ちつ持たれつ」、「お互い様」です。自己の権利を主張するばかりでなく、義務もあることを認識して他者の権利・立場も認め、自他のバランス(Give-and-take)を考えることが大切です。

 

・Opportunity (機会・好機)

好機逸すべからず」です。英語のことわざには「Now or never.」とか「Everything has its time.」などがありますが、機会をとらえTPO(時と場所と場合)を考えて適切な行動をすることが大切です。

 

・Vitality(活力・元気)

何事もやる気と元気がなければ達成出来ません。精神的にも肉体的にも健康を維持することが大切です。「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。時には無理が必要なこともあるでしょうが、頑張りすぎないで、自分の出来る範囲でやれば良いでしょう。

 

・Vision(ビジョン・先見性)

「憲政の神様」と言われた尾崎行雄は「人生の本舞台は常に将来に在り」と言っています。自分は何をしてきたか、今何をすべきか、自分の将来の目標は何か、自分の人生のどの時点でも、常に過去・現在・未来という流れの中で自分自身と社会の将来を見据えて考え・行動することが理想です。

 

・Venture(冒険・思い切ってする)

慎重に考えて行動することも大事ですが、難しいと思うことでも時には思い切ってやって見ることも必要でしょう。成功するか否かは自分の才能や努力のみならず運に左右されるものです。最もうまく行く場合と最悪の場合とを考え、腹を据えて思い切って行動すると良いでしょう。

 

・Value(価値・評価)

光があれば影があり、物には表裏がありますが、それぞれに価値・意味があります。時と場合によって人の価値観は異なりますが、自分にとって何が大切か、何をしたいか、それは自分のためだけではなく、親のためや人のために役立つことになるか、と考えながら目標を立て・行動することが大切です。

 

・Volunteer(ボランティア・自発性)

何事でも自分のしたいことをするときは苦労が苦労でなく、楽しくなります。最近はボランティア活動をしている若者も沢山いることはありがたいことです。自分が出来ることを自発的に行い、自分のみならず人のためにもなり、世の中に役立つことができれば最高です。

 

・Effort(努力)

天賦の才に恵まれていても努力をしなければその才能を生かすことは出来ません。ささやかな才能であっても努力することによって、それを伸ばすことが出来ます。大切なことは他者との比較や序列・勝ち負けそのものではなく、それを励みとして自分自身の天分を育てる努力をしているかどうかです。

 

・Enjoy(楽しむ)

努力も色々工夫しながらすると、苦労でなく楽しみとなります。楽しみながらすると努力を続けることが出来ます。少しでも努力の成果が出ると楽しくなります。すぐに成果が表れなくても長い目で見れば必ず成果が出て来るものですから、それを楽しみに努力を続けることです。

 

・Ethic(倫理・道徳)

技術が高度に発達し専門化している現代社会においては個人や法人・組織が倫理を大切にして活動することが不可欠です。最近の世相をみると、長い間に築いた信用を倫理観の欠如から一瞬に失い、自滅するだけでなく社会に大きな弊害をもたらしている例が少なくないことは残念なことです。

 

・Equity(公平・公正)

才能や努力の成果を生かすには考え方や行為が公正であることが大切です。どのような場合でも公正かどうかという観点でチェックすることが望まれます。公明正大な振舞いをすることによって明るい気持ちが維持できます。明るい気持ちは必ず幸福を呼び込むでしょう。

 

・Endurance(忍耐・持続)

豊かな現代社会においては何でも簡単に出来、手に入るので誘惑が多く、我慢することが難しくなっています。

ITやSNSが発達し便利になっていますが、スマホによるゲームの氾濫や不適切な交流サイトなど子供の教育や十代の若者の新たな社会問題になっています。

「三つ子の魂百まで」、「継続は力なり」です。大きくなってから抑えることは難しくなりますので幼い時から我慢することのしつけをしておくと良いでしょう。

  

上記のことは、ご存知のことばかりでしょうが、LOVEという一語にそれを集約して覚えやすくしたのが味噌です。

「LOVE」を実践する幸せな人々が増えて住みよい社会が世界に広がることがチュヌの主人の念願です。

(抄訳英語版はココをクリックしてご覧下さい。)

  

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2014年8月14日 (木)

ブログの充実

ブログ「チュヌの便り」を始めてから半年になる。

最近は国際俳句交流協会のホームページ「俳句・ハイク」「名句選」に掲載された俳句の翻訳について「俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ」と言うタイトルで、気になっていた誤訳のことなどを14回に亘って書いた。

会社の同期の仲間や先輩の川柳、俳句仲間の俳句エッセーなども掲載させて頂き、ささやかなブログであるがアクセスの累計も5,000を超えた。

ブログを書く過程でインターネットで検索した参考になるサイトはリンクさせて頂き内容を充実することに努めている。リンクで情報源がどんどん広がるのが面白い。しかし、インターネットのサイトも見せかけの情報で宣伝ばかりのものがある。情報が過剰にあり玉石混交なので良質の情報源を選択して、このブログに興味を持って頂く方の情報収集と時間セーブのお役に立つようにしなければならないと思っている。

2014年7月13日 (日)

俳句と川柳と特許 (Haiku・Senryu・Patent)

 

定年退職1年後に胃癌の全摘手術をし、療養中のなぐさみに俳句を始めた。元気になってから、亡父の縁もあり義父が会員でもあったホトトギス系の「花鳥」に投句し始めた。

 

どんな句が良いか、評価は人によって異なるが、初心者でも良い句に恵まれることがある。関東から関西に転居し、芦屋のホトトギス俳句会に初めて参加した時、出席者約150人・投句約600句の中から私の句「野分去り俄か樵となりにけり」が特選5句の一つに選ばれたことがある。この句は年老いた姉が一人で大きな屋敷を守っているので、台風で折れた庭木の整理をしてやった時に詠んだものである。スナップ写真や日記と同じように、俳句は生活を潤いのあるものにし、思い出になれば良いと思って句作を楽しんでいる。

 

川柳は会社の同期の「虫食い川柳」の主宰に勧められて始めた。不器用な私には俳句と川柳の使い分けが難しいだろうと初めは躊躇していたが、仲間が楽しそうにしているのを見て始めることにした。私の川柳の中で気に入っているのは、互選で最高点をもらった「我が鼾とがめて妻は高いびき」である。川柳も人によって好き嫌いがあると思うが、俳句よりわかりやすく、大勢でワイワイ楽しむのに適している。

 

特許明細書は発明特許の権利範囲を明確にするものであるあるから、その英訳をするには文法的にも内容的にも細心の注意を要する。俳句も特許翻訳も始めてからもう十数年になる。よい俳句やよい特許翻訳ができると楽しい。殊に、長文の難しい明細書の翻訳を完成した時の喜び・達成感は格別である。
 
俳句は日本の伝統文化・日本語あってのものだから英語で作る気にはならなかったが、「世界で最も短い詩」であるとして俳句に興味を持っている親日家の外国人も少なからずいる。俳句の翻訳は特許の翻訳と違った面白さがある。余技としてチャレンジして国際交流をするのもよいと最近思い立って国際俳句交流協会に入った。

   

芭蕉の俳句300句の英訳を国際俳句交流協会のHPに投稿しています。

「英語で分かる芭蕉の俳句」

http://www.haiku-hia.com/about_haiku/basho300/archives/300-02.html

をご覧下さい。

   

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2014年6月21日 (土)

「LOVE」を実践しよう! Let's practice "LOVE".

今日はチュヌの主人が日頃から若者に伝えたいと思っていることを披露します。

それは「LOVE」ということです。かって結婚式のスピーチを頼まれて、「幸せな人生のキーワードはLOVEである」して、幸せを呼ぶ8個のキーワードの頭文字をLOVEに振り当て、新郎新婦の幸せを祈るとともに自戒の言葉としたのです。その後「LOVE」に含める言葉を追加してキーワードが16個に増え、全てを覚え実践することが少し難しくなりました。しかし、「Love(愛)は親しみやすい言葉で良い」と主人は気に入っています。何を振り当てると良いか、ゲーム・クイズ感覚で気軽に読んで覚えて下さいね。

 

・「L」はLove(愛する)・Learn(学ぶ)・Liberty(自由・権利)・Legality(合法性)です。

・「O」はOptimism(楽観・楽天主義)・Originality(個性・独創性)・Objective(目標・客観的)・Obligation(義理・義務)です。

・「V」はVitality(活力・元気)・Vision(ビジョン・先見性)・Venture(冒険・思い切ってする)・Value(価値・評価)です。

・「E」はEffort(努力)・Enjoy(楽しむ)・Ethic(倫理・道徳)・Equity(公平・公正)です。

 

・Love(愛)

親子の愛、男女の恋愛、夫婦の愛など人に関する愛のみならず、動物、自然、故郷、住んでいる町や国、平和、自分の仕事など全てが対象です。まず自分を愛し、自分のしていることを愛し、その結果が他者への愛、すべてのものに対する愛につながることが理想です。

 

・Learn(学ぶ)

教師や反面教師として、全てのことから学ぶことが出来ます。身近な両親、兄弟姉妹、友達、先輩・後輩、先生などから直接学ぶことが沢山あります。また、自分自身や他人の失敗や成功の実例から学ぶことも大切です。現代はその気にさえなれば、書物や新聞・テレビ・インターネットなどを通じて地域と時代を超えて様々なことを簡単に学ぶことができる便利な時代です。

 

・Liberty(自由・権利)

基本的人権として思想・言論・信教の自由などが保障されています。しかし、自由の権利を乱用すると、自由を失う恐れがあります。常に権利と義務、個(自分自身)と全体(社会・国)、公平・公正の原則とのバランスを考慮することが肝要です。現在の平和憲法・自由は筆舌に尽くせぬ大戦の多くの犠牲者がもたらしてくれたものとして大切にしたいものです。政治に無関心で選挙に行かない人は選挙権や参政権の行使を放棄して自分自身の幸福追求の権利も放棄していることになるのではないかと危惧します。

 

・Legality(合法性)

自由に考え行動すれば良いのですが、それが法律に適っていることが前提です。法律は人々の生活を守り社会の秩序を維持するためのものですから、日常生活で余り難しく考えることは無いでしょう。しかし、何か特別のことを始める時にはそれが合法的かどうか専門家に聞くなどしてチェックすることも必要でしょう。

 

・Optimism(楽観主義)

「人生は山あり谷あり」、「人間万事塞翁が馬」、「努力をすれば何とかなる」、「人事を尽くして天命を待つ」と楽観的に考えることです。いわゆるプラス思考・ポジティブシンキング(positive thinking)を実践することです。

 

・Originality(個性・独創性)

単なる「猿真似」や「迎合」ではなく、学んだことを人それぞれ出来ること・天性・個性を生かして更に発展させ、独創的に考え・実践することです。現代は多様性の時代です。様々な個性が集まって全体の調和が生まれることが理想です。

 

・Objective(目標・客観的)

将来何をするか自分の目標を定める際に、それを達成することが可能か、楽観的に考えると同時に、冷静に客観的に評価しておくことも大切です。高い目標を掲げることは良いのですが、成果の高望みをしないで、水前寺清子さんの演歌[三百六十五歩のマーチ] の歌詞や日経新聞「こころの玉手箱」の水前寺さんの記事 Suizenji-March.docxをダウンロード )にあるように、一歩ずつstep-by-step前進することです。

 

・Obligation(義理・義務)

「世の中は持ちつ持たれつ」、「Give-and-take」、「お互い様」です。自己の権利を主張するばかりでなく、義務もあることを認識して他者の権利・立場も認め、自他のバランスをとることが大切です。

 

・Vitality(活力・元気)

何事もやる気と元気がなければ達成出来ません。精神的にも肉体的にも健康を維持することが大切です。「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。時には無理が必要なこともあるでしょうが、頑張りすぎないで、自分の出来る範囲でやれば良いでしょう。

 

・Vision(ビジョン・先見性)

25才の時に新聞記者から政治家に転じ、第1回衆院選から連続25回当選して90才を過ぎても衆議院議員を務め「憲政の神様」と言われた尾崎行雄は「人生の本舞台は常に将来に在り」と言っています。自分は何をしてきたか、今何をすべきか、自分の将来の目標は何か、自分の人生のどの時点でも、常に過去・現在・未来という流れの中で自分自身と社会の将来を見据えて考え・行動することが理想です。

 

・Venture(冒険・思い切ってする)

慎重に考えて行動することも大事ですが、難しいと思うことでも時には思い切ってやって見ることも必要でしょう。成功するか否かは自分の才能や努力のみならず運に左右されるものです。最もうまく行く場合と最悪の場合とを考え、腹を据えて思い切って行動すると良い結果が得られるでしょう。

 

・Value(価値・評価)

価値観は人によって異なりますが、自分にとって何が大切か、何をしたいか、それは自分のためだけではなく、親のためや人のために役立つことになるか、と考えながら目標を立て・行動することが大切です。

 

・Effort(努力)

天賦の才に恵まれていても努力をしなければその才能を生かすことは出来ません。ささやかな才能であっても努力することによって、それを伸ばすことが出来ます。大切なことは他者との比較や序列・勝ち負けそのものではなく、それを励みとして自分自身の天分を伸ばす努力をしているかどうかです。

 

・Enjoy(楽しむ)

努力も色々工夫しながらすると、苦労でなく楽しみとなります。楽しみながらすると努力を続けることが出来ます。少しでも努力の成果が出ると楽しくなります。すぐに成果が表れなくても長い目で見れば必ず成果が出て来るものですから、それを楽しみに努力を続けることです。

 

・Ethic(倫理・道徳)

技術が高度に発達し専門化している現代社会においては個人や組織が倫理を大切にして活動することが不可欠です。倫理観が欠如した社会では安心して生活することが出来ません。最近の世相をみると、倫理観の欠如から自滅するだけでなく社会に大きな弊害をもたらしている例が少なくないことは残念なことです。

 

・Equity(公平・公正)

才能や努力の成果を生かすには考え方や行為が公正であることが大切です。どのような場合でも公正かどうかという観点でチェックすることが望まれます。公明正大な振舞いをすることによって明るい気持ちが維持できます。明るい気持ちは必ず幸福を呼び込むでしょう。

 上記のことは、ご存知のことばかりでしょうが、LOVEという一語にそれを集約して覚えやすくしたのが味噌です。 

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2014年6月15日 (日)

ブログによる交流

今年の1月末にブログを始めたが一人でも多くの方に見て頂きたいと思って、まず身近なところからと関心のありそうな従兄にコンタクトした。驚いたことに、箕面在住の従兄は既に数年前から素晴らしいブログを書いている。興味のある方はココ(http://blog.canpan.info/dandan-minoh/)をクリックしてご覧下さい。

多忙な方々に見て頂いて時間の無駄をしたと思われることがあっては申し訳ない。充実したブログを書きたいと思っているが、容易なことではない。分相応に比較的自分の得意な分野にテーマを絞っていかざるを得ないが、良いブログに出会った時にはリンクして紹介させて頂くことにしたい。

愛犬チュヌがダウンして動物病院に行った時に待合室で見かけた方のペットに纏わるブログを拝見したら、楽しいブログだったのでチュヌのブログにリンクさせて頂いたが、再度ここにそれ(「リンとモモの笑顔便り」)をリンクさせて頂く。

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宗教と科学の対立と融合

    

(P.S. 2022.8.27)

安部晋三元総理大臣の暗殺事件を契機として政治家と旧統一教会との癒着・相互依存関係が明らかになりました。

 

これを契機として、恒久的世界平和を確立する為に、宗教心の在り方について是非とも皆さんに考えて頂きたいと思っています。

青色文字のタイトルをクリック(タップ)して記事をご覧下さい。

   

21世紀の俳句と世界平和

 

終戦記念日・墓参・盆」の俳句

  

梅東風や届け世界にこの思ひ

  

言葉の力・俳句の力《癒し

  

俳句《涼し》死の話

     

P.S. 2022.3.15

ウクライナ紛争について、プーチン大統領や世界の指導者が賢明な決断をしてくれることを切望して、「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、書いた記事を読んで頂きたく、この P.S.を追加しました。

 

青色文字をクリック(タップ)して、「血に染むなドニエプルてふ春の川」をご覧下さい。

    

(2014.6.15)

科学と宗教の関係について何となく興味を持ち、インターネットで検索して見ると、デニス R. アレクサンダーが「Faraday Paper 3 科学と宗教の関係---4つのモデル」(髙木悠鼓訳)で「衝突モデル」「相互不可侵モデル」「融合モデル」「補完モデル」の4つの考え方について比較し、科学的知識と宗教的知識の関係を示すのに最も実り多いのは「補完性」のモデルであると結論している。

しかし、いずれの考え方も科学と宗教の関係を説明しきれていないのは、宗教というものを伝統的な既存の宗教の範囲で論じているからだろう。

 

世界のどこかで宗教の違いに起因する争いが、科学的に進歩した強力な武器を用いて常に起こっているのは誠に嘆かわしいことである。

科学は進歩をしているのに宗教は進歩をしていない。

 

これは、科学においては理論を実験によって証明し、過去の論理が間違いであることを証明することができるが、宗教については哲学的・形而上学的に聖書や経典などの解釈を論ずることが出来るとしても、科学的に検証することが出来ず、信ずるか信じないかの水掛け論に終始するからでないか?

  

宗教をキリスト教やイスラム教、仏教、などの既存の伝統的なもので考えるのではなく、現代の宇宙時代にふさわしい新しい形で宗教をとらえると、科学と宗教を融合することが出来るのではないか?

 

新約聖書には「始めに言葉ありき」とあるが、この「言葉」とは何か?

 

自然現象があってそれを説明するために言葉が作られたのだから、一般的に用いている「言葉」を意味すると解釈するのは間違いだろう。

 

神の子イエス」というが、この「神」とは何か? 

 

「神」とは人知の及ばない存在、即ち、「宇宙の摂理」を意味しているのではないか?

 

アニミズム汎神論ではなく、宇宙の存在・システムそのものを神としてとらえ、科学はそれを物理的に解明することによって神の意思に沿った人類の幸福を追求するものであり、宗教はそれを形而上学的にとらえることによって人類の幸福を追求するものであると考えると良いのではないか?

 

既存の宗教の戒律にとらわれず、自然科学で実証されたものを宗教的な考え方に取り入れると同時に、科学の応用について、何が人類の真の幸福をもたらすかということを倫理的・宗教的に考えるようにすると良いのではないか?

 

浅学非才の凡人としては、進取の気性に富んだ偉大な宗教家、科学者、哲学者などが叡智を集め、既存の宗教を宇宙時代にふさわしい宗教に融合して真に人類の幸福をもたらすものにしてくれないかと祈るばかりである。

 

今日のNHK・BS放送のPBSニュースによるとローマ法王が中東を訪問したとのことである。キリスト教徒・イスラム教徒・ユダヤ教徒の融和の動きが進展すればよいが・・・・

 

「宇宙教」とか「宇宙神教」などの名称はあるのかなと思ってインターネットで検索すると、既にこのような名称の新興宗教らしきものがあるのを知って驚いた。

 

このような新興宗教の実態は知らないが、真に人々に幸せをもたらすものであれば良いのだが・・・・。

  

5月28日のNHKニュース「おはよう日本」を見ていると、久里洋二さん(アニメ作家)の「われわれは宇宙人だ」の制作について放映されていた。

 

現代の科学で解明された宇宙における地球・人間としての立場から世界の宗教指導者が昔の預言者の教えを見直す叡智を発揮して呉れることを切望している。

    

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

  

2014年3月15日 (土)

確定申告「e-Tax」奮戦記

弁護士の友人が「確定申告はe-Taxで簡単に出来るよ」と言ったので、主人もチャレンジしました。予想に反して3日間の悪戦苦闘・疲労困憊の末ようやくe-Taxの確定申告に成功しました。主人の苦労の原因・問題点を披露します。「e-Tax」で確定申告される方のご参考になれば幸いです。

 

第一の問題:

市役所で「住基カード」(住民基本台帳カード)の交付申請をした時に、目的を聞かれて「確定申告に使う」と言ったのでその目的に適うものを交付して貰ったと思い込んでいた。

即ち、住基カードに電子証明書のマークが付いていたのでe-Taxで確定申告をするのに必要な「電子証明書」が住基カードに当然付いていると思い込んでいたが、そうでなかった。

(市役所の担当者は「住基カード」と「電子証明書」は区別して話していたのだろうが、住基カードに電子証明書のマークが付いていたので主人は電子証明書が付与されていると思い込んでいた。二人の常識の違いが問題発生の原因だった。)

e-Taxの申告書作成フォームに申告内容を入力し、送信するために電子証明書のパスワードを入力して次のステップに進もうとすると「エラー」のメッセージが出て行き詰った。いろいろなパスワードを入力してもダメだったので、税務署のe-Taxヘルプ担当に問い合わせたところ、「電子証明書がロックされて使えなくなっているようなので市役所でロックを解除して貰いなさい」とのことだった。しかし、主人の住基カードには「電子証明書」が初めから付いてなかったのです。因みに、パスワードを5回間違えると電子証明書がロックされて使えなくなるので、初期化・再登録が必要になるとのことです。)

 

第二の問題:

いろいろなパスワード・暗証番号の名称が分かりにくくて混乱した。

(「電子証明書」のパスワード、「e-Tax」のパスワード、「パスワードを忘れたときの再設定のパスワード」、パスワード再設定により設定する「新しい暗証番号」などがあるが、パスワードを入力する枠が表示されたときにどのパスワードを入力すればよいのか分かりにくかった。)

 

第三の問題:

市役所や税務署の担当者に問い合わせたときに、パスワードとか暗証番号について質問者と回答者の使う用語について共通認識を確認するのが困難だった。

(用語の説明を注意深く読み理解しておくことが大切だが、パスワードの名称とそれを使う場所とを関連付けて分かりやすいものにしてほしいものである。)

 

上記のように、主人の場合は最初の思い込みによる誤解が苦労の原因だったようです。こんな誤解が無ければ苦労をせずにe-Taxの確定申告が出来たのでしょうね。e-Taxを経験された方のご感想やアドバイスなど伺いたいです。

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