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2015年7月14日 (火)

政治談議(8):「党議拘束」=「村八分」=「いじめ」

    

太平洋戦争は「世界の平和」や「自存と自衛」を錦の御旗」として始まったのである。

       

太平洋戦争開戦の詔勅に「東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スル」とあり、「帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲」とあった。

現代語訳は、「東アジアの安定を確保して世界の平和に寄与する事」・「帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に」という意味である。

「開戦の詔勅」の全文はここをクリックしてご覧下さい。)

    

安倍総理は「痛切な反省」をしていると言っているが、一体何を反省しているのだろうか?

     

安倍総理は批判に「馬耳東風」で、「お題目」に「平和」と国民を守る」ことを錦の御旗」に掲げているが、側近の政治家弁護士は安保法制関連法案について法理に基づき違憲判断をしている憲法学者を侮蔑している。

    

与党は安保法制関連法案の審議が尽くされたといって、世論無視して採決しようとしている。違憲性のある法案を修正しないなら審議時間の多寡は本質的な問題ではない。「審議が尽くされた」というのは国民を愚弄する「まやかし」である。

             

安保法制関連法案の成立を強行するために、党議拘束をしている。

これは、世論選挙民の声を尊重して法案に反対する議員の国会議員としての権利の行使不当に拘束するものであり、『村八分』や『いじめ』に等しい。

党議拘束は法案の採決に対する民意の反映が阻害される悪しき制度である。

       

不当な党議拘束は止めるべきである。

ここをクリックして、「政治談議(3):安保法制関連法案と党議拘束」をご覧ください。) 

   

この法案が強行採決されると「平和憲法」が台無しになるだろう。

違憲性のある問題点の修正を与党に期待できないから、野党はこの法案を廃案に持ち込むべく結束すべきである。

                     

安倍総理は、戦前のように「修身教育」をすれば「いじめ」が無くなると思っているのだろうか?

戦前にはいじめ」は「村八分」として公然と行われるか、さもなければ、隠蔽されていたのだ。

道徳教育」や「修身」そのものが全て悪いわけではない。道徳教育は必要である。

だが、「画一的・国家主義的道徳教育」の強制によって、封建的な「和の精神」が強調され、子供の自主的思考力が育成されず、基本的人権がないがしろにされることが問題なのである。

    

自民党の憲法改正草案を見ると、天皇元首にし、「国民」よりも「国家」が優先している。「国家」は「国民」が構成しているものであるという「主権在民」の概念が薄らいでいる。    

   

安倍総理は、「戦後レジームからの脱却」とカッコイイ言葉を使って、敗戦の屈辱・劣等感を抱く国民感情に訴えようとしている。

安保法制関連法案が成立し、時の政府が「自衛のため」と称して失政をしても、「特定秘密保護法」のベールに包まれ、国民はそのことを知ることができなくなるだろう。その結果、戦前の轍を踏む恐れがある。

        

教育基本法の改悪によって「画一的・国家主義教育」を受けた子供たちが18歳になって選挙権を得て「憲法改悪」に無邪気に賛成することにならなければよいが、と懸念している。

国民の政治不信・諦め・無関心が次の選挙で与党に勝利をもたらすようなことになればもっと早く現実のものとなるかも知れない。

千の風になった戦争犠牲者体験者もさぞかし憤りを感じ、戦争を知らない世代のこと、日本の将来のことを案じていることだろう。

                    

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2015年6月 7日 (日)

チュヌの便り <更新情報> Message from Chunu <What's up?>

     

(2022.9.11)

秋暑し9.11のクリーンデー」や著名俳人の季重なり俳句集」をご覧下さい。

   

2015年4月の更新記事 

俳句談義(14): 

俳句の片言性と二面性(改訂版)

     

俳句談義(13):

<「花」と「鼻」> 高浜虚子と芥川龍之介

  

俳句談義(12):

「椿寿忌」の俳句と高浜虚子

   

2015年3月の更新記事

俳句談義(11):

「甘納豆」と「おでん」と「俳句」

この記事には高浜虚子の「俳句の作りよう」や「俳句への道」の全文が掲載されたサイトをリンクしています。

       

俳句談義(10):

高浜虚子の「雛」の句を鑑賞する

       

俳句談義(9): 

「雛祭り」の俳句を集めました

                    

2015年2月の更新記事

俳句談義(8):

高浜虚子の俳句「初蝶来何色と問ふ黄と答ふ」

<虚子の対話の相手は誰か?>

     

俳句談義(7):

高浜虚子の句「爛々と昼の星」の星とは何か?(続編)    

   

俳句談義(6):

高浜虚子の句「昼の星燦々と見え菌生え」の「星」や「菌」は何か?

      

先輩の川柳(続2)

「昭和や」の酔客のエッセイ:

素粒子論と般若心経と高浜虚子の俳句

     

俳句談義(5):

戦時中の高浜虚子・文芸家としての良心

    

俳句仲間のエッセイ: 「俳句と川柳」

        

後藤健二さんの死無にするな!

政治家やマスコミの言わないことを言う。

              

2015年1月の更新記事 

俳句談義(4)

高浜虚子の句「大寒の埃の如く人死ぬる」とは、平和を考える

         

本との出会い(7): 

「俳句の力学」と虚子の句「去年今年」

       

(三田深田公園にて)    

ホロンピア館は、昭和63年に開催された21世紀公園都市博覧会のシンボルとして建設。

建築家・丹下健三氏が設計した深田大橋をビルにしたもの。平成4年秋に「人と自然の博物館」となりました。

「三田八景」の解説より引用)

    

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(俳句)

稚児走る初凧這ひてくるくると

  

七転び八起き幼の上がる 

   

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淑気映ゆホロンピア館玻璃の壁

(「玻璃の壁」をクリックすると、「我が街『三田』」をご覧になれます。)

  

初空童の好きな丘の街

  

(川柳)

三田から地方創生子等元気

          

・初雪にサモエド勇み飛び出せり    

・初雪や己が天下とサモエド犬   

  

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(チュヌの写真)

    

      

   

俳句・フォトアルバム(トルコの旅)

Pictures & Haiku (Trip to Turkey)  (英訳追加版)

         

本との出会い(6):

「虚子俳句問答(下)」と「大悪人虚子」        

   

俳句談義(3): 

虚子の句「初空や」の新解釈:大悪人は誰か?     

         

2014年

2014.12.25 

虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か?

 (この記事に夏目漱石の「草枕」がリンクされています。)

    

 14.12.20

 本との出会い(5):

「俳句の宇宙」と「大悪人虚子」

(「虚子俳話(序文)」や「俳談」がリンクされています。)

エッセー
 14.12.10  奈良吟行の俳句アルバム  俳句
 14.12.09

 本との出会い(4):

「悪党芭蕉」と「大悪人虚子」(その2)

 エッセー
 14.12.08

 本との出会い(3):

「悪党芭蕉」と「大悪人虚子」(その1)

 エッセー

    

      2014年11月の主要記事
 俳句談義(2) 虚子辞世句の新解釈について
 俳句談義(1) 虚子辞世句の解釈
「本との出会い」(2) 尾曲がり猫と擦り猫と」を読んで選挙を考える。
「本との出会い」(1) あの海にもう一度逢いたい
 お友達のエッセー 忘れ得ぬ最高の思い出
 吟行俳句 奈良公園・柳生の里(俳句と写真・俳句アルバム
        2014年10月の主要記事
 俳句仲間

アカネヤの酔客のエッセー(3)「絵を描く」

可愛い猫の画や写真が驚くほど沢山ご覧になれます。

 俳句仲間 アカネヤの酔客のエッセー(2)「近況報告VI」
 俳句仲間 アカネヤの酔客のエッセー(1)「ラジオを録音して聞く話」
                        2014年3月~9月の主要記事
 教育・エッセー

「LOVE」を実践しよう!

Let's practice "LOVE"!

 俳句

花鳥6百号記念全国俳句大会に参加 (俳句と写真)

 俳句の英訳と

 Haikuの和訳

芭蕉の句「古池や」の英訳を考える

言語の壁を破るチャレンジ(1)(14)

 投稿川柳の紹介 先輩の川柳・お友達の川柳

 俳句と川柳の英訳

(エッセー)

スウェーデン大使館開催の俳句・川柳コンペティション入選

 俳句・HAIKU

(エッセー)

国際俳句交流協会総会に参加~

「日本人らしさの発見」・・・

 吟行の俳句と写真 南禅寺 ・ 住吉大社 ・ 満願寺 ・ 平安神宮

俳句・フォトアルバム (HAIKU Photoalbum): 

  「イタリアの旅・Trip to Italy」

  「東欧の旅・Trip to E. Europe」

  「ロシアの旅・Trip to Russia」

   

チュヌの俳句:「四季・Four seasons

    

「平和」について考える宗教と科学の融合

     

2014.5.25 オープンーデン・ミニ・チャリティコンサート

               

       

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 インターネットは凄いね!

「ちゅぬ」の北海道時代のお友達のブログを主人が見つけてくれたよ。

北海道時代は若くて元気だったから楽しかったよ!

懐かしいね!

   

ややコロ日記

(ちゅぬ君とコロちゃん)

http://yayakoro.exblog.jp/m2008-06-01/

         

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2015年5月10日 (日)

俳句談義(15):「昭和の日」・「憲法記念日」

                          

2023.2.27 更新)

ロシア軍のウクライナ侵攻によって、多大の犠牲者が生じています。プーチン大統領の侵略政策は決して許すべきではありません。しかし、経済的制裁の悪影響は世界に広がっており、持久戦に耐える覚悟が必要ですが、事態は持久戦で済まないかもしれません。

已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、はるかな未来を見据えた紛争解決案を提言しました。

  

青色文字をクリック(タップ)して、梅東風や届け世界にこの思ひ血に染むなドニエプルてふ春の川に書いた思いを一読し、シェアして頂ければ望外の喜びです。

     

(2015.5.10 の記事)

4月29日は「昭和の日」である。

 

歳時記の「憲法記念日」には山田弘子の俳句「国旗立つ憲法記念日のパン屋」など66句リストされている。

 

先日、東京新聞の「平和の俳句」募集に応募した友人の入選句のことなどを「俳句談義(14:俳句の片言性と二面性」に書いたが、友人が東京新聞のコピーを郵送してくれたので入選した俳句とコメントの中で特に印象に残った二つを次に転載させて頂く。

   

「青春の昭和切なし鰯雲」 斎藤けい(90)横浜市

 昭和19、兄は二度目の招集で南方へ、将来を約束した一つ違いの幼なじみは中国大陸へ出征した。終戦になっても二人はなかなか帰らず、鰯雲の浮かぶ秋空を見上げながら待ち続けた。終戦翌年の秋、兄は半袖の軍服にぼろぼろの靴を履いて、夜、人目を忍ぶように裏口から帰ってきたが、半年は放心状態だった。幼なじみは小さな箱になって戻ったが、中は石や砂だった。

    

上記コメントの最後にある「石や砂」は「本との出会い(2)」に書いたエッセイ集「尾曲がり猫と擦り猫と」の「石ころ」と同じである。

 

小学生(国民学校初等科)の頃、戦死者が級友のご家族だった場合だろうが、遺骨を白布に包んだ箱を胸に下げてご遺族の方が帰って来られるのを駅まで迎えに行ったことがある。遺骨だと思って恭しく頭を下げていたが、石ころであることが多かったのだろう。

 

「夏の高校野球」で「甲子園の砂」を球児が袋に詰めるニュースをよく見かける。感慨無量である。

  

「ウイキメディア」によると、「1941 - 1945」の大会は太平洋戦争のため取り止めになっている(1941年の第27回の回次は残る)。

    

お手玉の小豆で赤飯父はゆく 桜井義男(80)東京都

 戦争中、もらった砂糖でお汁粉を作るため、姉二人のお手玉から小豆を取り出した。

二人は東京大空襲の夜にはぐれ、遺体も見つからなかったが、最後にお手玉をした姿を今も覚えている。友人の家もお手玉の小豆で赤飯を炊き、父親の出征を祝ったが、帰ってこなかったという。(以下省略)

       

このブログを書いていて、「欲しがりません勝までは」ということが当たり前だったのか、無いことが分かっていたからか、特に強いられることもなく、ひもじいのを子供心に我慢をしていたことを思いだし、こみあげてくる感情に我知らず涙ぐんでしまった。

「もったいない」という気持ちは現在でも強く感ずる。当時は食べ物があれば何でも有難く食べるのが当然だった。現在は飽食の時代で、子供が食事の好き嫌いをするのが当然になっている。だが、食物アレルギーということもあるので、食べることを無理強い出来ない。

    

火の奥に牡丹崩るるさまを見つ  

      加藤楸邨)

  

この句は大空襲で自宅が燃え崩れる様子を詠んだものであることは前書きで一応理解できるが、真の句意はわからない

楸邨の言いたかったことは何か? 

 

大牧広氏は「楸邨が国民の呻きを牡丹に託したもの」であると解釈し、次のように述べている(抜粋)。

 

この「火」は当然焼夷弾による炎上させられた火である。紅連の炎の中に崩れてゆく牡丹、もしこれが人であったらこの世の最後の悲鳴を挙げたであろう。それも叶わず黙って焼かれていった牡丹、私はこの牡丹を作者が人間をイメージして詠んだような気がしてならない。何の罪もない一般国民があの忌わしい業火の中で命を落さなければならなかった時代。この国民の呻きを牡丹に託して詠んだと思えてならない。      

        

気の向くままにインターネットで検索していると、「思考の部屋」というサイトの「94歳の荒凡夫~俳人金子兜太の気骨~」という記事に兜太の次の俳句があった。

  

水脈(みお)(はて)炎天の墓碑を置きて去る

津波のあと老女生きてあり死なぬ

     

「津波」の句は老女の生命力の逞しさを讃えているのだろうが、「貴重な若者の命は奪われたが老女はまだ生きている」という自然の不条理を皮肉を込めて表現していると解釈できないこともない。

    

日経新聞WEBを見ていると日米首脳会談の夕食会でオバマ大統領が次のような自作の俳句を披露している。

 

春緑 日米友好 和やかに(Spring, green and friendship/United States and Japan/Nagoyaka ni.)

  

オバマさんが「和やかに」と日本語を使ったのは親日・友好の意を表す意味もあったのだろうが、「和やか」は含蓄のある言葉でぴったり対応する英語が無いからでもあろう。研究社の「新和英大辞典第5版」で「なごやかな」を見ると、次の単語がリストされている。

〔穏やかな〕 mild; calm; gentle; 〔静かな〕 quiet; 〔平和な〕 peaceful; tranquil; serene; harmonious; 〔友好的な〕 friendly; 〔にこやかな〕 genial; amiable; 〔柔らかな〕 soft; congenial.

       

国際俳句協会では「俳句」が世界文化遺産に登録されるように努力しているが、俳句には言葉の壁があるので世界遺産登録は「和食」のように簡単ではない

                 

俳句談義(11)(「甘納豆」と「おでん」と「俳句」)において、俳句の片言性という問題に触れたが、正岡子規の「しぐるるや蒟蒻(こんにゃく)冷えて(へそ)の上にしても、子規が病気治療中蒟蒻湿布をしていて詠んだ句であることを知らなければよく理解できない。

    

高浜虚子は終戦に際して次の句を作っている。

     

秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみぞ

 

敵といふもの今は無し秋の月」「黎明を思ひ軒端の秋簾見る」と併せて読むと、「秋蝉蓑虫も泣くのみだ。泣きたいものは思いぞんぶん泣けばよい。だが、自分は泣かない。終戦になって、自由に句作が出来る。さあこれから本番だ。」と清々した気持ちで詠んだ句だと思う。

    

虚子は「亀鳴くや皆愚かなる村のもの」という句を作っている。

 

明治時代に作った俳句らしいが、人を食った句である。

句作の背景や経緯を知らなければ真の句意は不明である。

 

インターネットの歳時記(「亀鳴く1」「亀鳴く2」「亀鳴く3」)に約300句リストされているが、虚子の掲句は掲載されていない。

この句が作られた「」をご存知の方があれば是非教えて頂きたい。

        

「皆」とは誰を指すのか? 「」とはどこのことか? 

「もの」とは「者」と「物」のいずれを意味するのか?

「亀」は「虚子」の比喩でないか?

    

単に文字通りのことを客観写生したのだろうか?

たとえば、「どこかの村で俳句会を催し、集まってきた者は碌な俳句も出来ない愚か者だった」という句だろうか?

「『花鳥諷詠の心』を知らぬ者は愚かだ」と言っているのだろうか?

「自分を含めて人は皆愚かな者だ」と嘆いているのだろうか?

「村」とは「日本の村社会性」の比喩ではないか?

戦争推進者は皆愚か者だ」と比喩的に詠んだ句ではないか?

いずれにせよ、さまざまな解釈が可能である。

  

虚子は「深は新なり」と言っている。穿ちすぎかもしれないが、句意が不明だということは、「しっかり考えよ」と謎をかけていると解釈できないこともない。

        

昔は人災にしろ、自然災害にしろ、慟哭するしか仕方がなかっただろう。だが、現在は科学技術も進歩しており、民主主義の時代である。

  

災害の防止や抑制は努力次第で不可能ではない。まして、戦争は叡智を集めて未然に防ぐ努力をすべきである。

 

独裁政治覇権主義軍事力の増大と情報非公開による国際的不信貧富の格差拡大、一方的な道徳観の押し付け、国家間の利害対立ナショナリズム、等、戦争発生の要因多多あるが、このような要因の発生を防止・除去することは可能である。

 

国際貿易文化交流を深めて、相互理解・相互依存を高めることが平和の維持・戦争の防止につながる。各国がその努力をすることが必要である。

日本政府が注力すべきことはそういうことを世界の指導者に働きかけることだろう。

 

法律の条文は俳句のように如何様にでも解釈できる笊法であってはならない。

憲法の拡大解釈による自衛権の行使が、憲法改正後に時の政府の条文解釈次第で更に拡大されるようになってはならない。

  

現憲法だからこそ明文にない自衛権の拡大解釈に歯止めがかかっている。

憲法が改正されるとその歯止めが無くなり、更に拡大解釈をされる恐れがある。

 

現憲法に不備があるというなら、その不備を逐一吟味し、拡大解釈が出来ないことを明確にして、国民が納得できるように討議する場を設けるべきだろう。

 

大切なことは総論のみならず各論である。

ウイキペディアに「日本国憲法改正案一覧」というサイトがあった。

自民党の改正条文草案に限らず、野党の改正案があればそれも含めて、法律学者・憲法学者、政治家、評論家が時間をかけて真剣に議論し、公開すべきだろう。

 

安倍さんは「現憲法はGHQの押し付けで短時間に素人によって制定されたものであるから改正すべきである」という趣旨のことを言っているが、野党議員がただ単に反対しているばかりでは話にならない。

 

国民は国会議員憲法改正の白紙委任をしているわけではない。

                            

歳時記の「憲法」の冒頭には次の句が掲載されている。

 

憲法記念日異国のごとく国旗たつ 

       (渡辺潔)

 

この句の「異国のごとく」とはどの様な情景を詠んだのだろうか?

  

公共機関は憲法記念日など祝日の行事をする場合には国旗を掲揚するが、一般の家庭で国旗を掲げている家はほとんど見かけない。

 

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日章旗が、平和国家のシンボルとして内外で何らの抵抗なしに受け入れられ、掲揚される日は来るのだろうか?

            

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2015年2月28日 (土)

俳句談義(5):戦時中の高浜虚子・文芸家としての良心

              

2月11日は「建国記念の日」であり、2月22日は高浜虚子誕生日である。

今回は戦時中における文芸家・俳人としての虚子の良心の在り方について考える。

    

(青色文字をクリックして関連の解説記事をご覧下さい。) 

俳句は好き好き、人も好き好き」である。

俳句第二芸術と言った桑原武夫昭和五十四年四月号の『俳句』(角川書店)において、「虚子についての断片二つ」という記事に次のとおり述べている。   

「アーティストなどという感じではない。ただ好悪を越えて無視できない客観物として実に大きい。菊池寛は大事業家だが、虚子の前では小さく見えるのではないか。岸信介を連想した方がまだしも近いかも知れない。この政治家は好きな点は一つもないが」

   

桑原武夫の批評はともかくとして、高浜虚子は深慮遠謀ホトトギス俳句王国を確立したという点で「俳界における徳川家康だった」という気がする。

      

ドナルド・キーンさんは高浜虚子の戦時下の俳句について、日本文学』において次のように述べている(抜粋「mmpoloの日記」参照)

「虚子の保守性は一部の俳人を遠ざけたが、同時にまた多数の俳人を『ホトトギス』派に引き寄せた。こうして、『ホトトギス』は全国に広まり、俳句は20世紀の日本の生活と文学におけるさまざまな変化にもかかわらず、生きのびることができたのである。

・・・(省略)・・・

戦時中の虚子の作品は、当時の他の文学の病的興奮とは対照的に落ち着いた、超越したものだった。

              

虚子俳句問答(下)実践編」(稲畑汀子監修・角川書店発行)を見ると、「戦時下の俳句」という章に読者の質問と虚子の回答の記載があるが、戦時中の虚子の俳句に対する考え方や戦争に対する姿勢の一端がわかる。次にその幾つかを抜粋して記載させて頂く。

      

(質問)

現下の如き非常時局下に暢気(のんき)に俳句でもあるまいと・・・(省略)・・・悩んでいる・・・(省略)・・・ご教示願いとう存じます。(奈良 吉本皖哉 .2 

回答

俳句は他の職業に従事している人から見ると、慰楽の為に作るとも考えられるのでありまして、御説のような感じの起こるというのも、ご尤も(もっとも)でありますが、・・・(省略)・・・画家が画を描き、文章家が文を属し或は俳優が演技するのと一般、少しも恥ずるところはないのであります。・・・(省略)・・・現に戦地にある人々も、干戈(かんか)の中で俳句を作って、送って来ておるではありませんか。

   

(質問)

ホトトギスの雑詠に従軍俳句が相当たくさんある様になりました。戦争という特殊な境地をうとうたものは、所謂(いわゆる)戦争文学として雑詠より分離して別に纏め(まとめ)られたらと思いますが、如何でしょうか? (大阪 中村秋南 昭.9 

回答

戦争文学として、これを特別に取り扱うことは親切なようであって、返って不親切になる結果を恐れるのであります。雑詠に載録する位の句でなければ、戦争俳句として取り扱うことも如何かと、考える次第であります。

    

(質問)

文芸報国の一端として今回の事変発生以来、ホトトギスに戦地より投句したる戦争俳句、内地よりの事変に因む銃後俳句のみを蒐集(しゅうしゅう)し、これを上梓(じょうし)しては如何。好個の記念になると思う。(大阪 行森梅翆 昭.9  

回答

上梓するのは、事変が落着して後の方がよかろうと思います。

     

(質問)

最近の新聞に()りますと、虚子先生を会長に俳句作家協会が生まれます由、俳壇での新体制についてご指導に預かる私どもの句作上について、何か心構えとでもいう事はございませんのでしょうか。(大分県 三村狂花 昭.16.2  

回答

重大な時局下にあるということを認識した上で、(ただ)佳句を志して従前通りのご態度でご句作になれば結構だと思います。

      

また、「添削」の省の「誇張せず自然に」という項では戦時下の俳句について次のような質疑応答がある。

   

(質問)

「兵送る初凪や埠頭旗の波」「兵送る初凪埠頭や旗の波

何れが句として調っておりますか。・・・(省略)・・・(沖縄 大見謝雅春 昭.13.3

回答

こういう場合は「旗の波」は割愛してしまって、「初凪の波止場に兵を送りけり」とでもするより他に仕方がないでしょう。少し平凡ではありますけれども、それに旗の波を加えたところで大して斬新な句になったというでもありません。(むし)ろ、格調のととのった方がよろしいと思います。

         

チュヌの主人のコメント

この質問・回答の掲載された前年昭和12年には軍歌「露営の歌」が大ヒットしたそうである。

この歌の歌詞には「進軍ラッパ聞くたびに瞼(まぶた)に浮かぶ『旗の波』(1番)」という文句があり、

「馬のたてがみなでながら明日の命を誰か知る(2番)」

「死んで還れと励まされ覚めて睨(にら)むは敵の空(3番)」

「笑って死んだ戦友が天皇陛下万歳と残した声が忘らりょか(4番)」

「東洋平和のためならばなんの命が惜しかろう(5番)」

など、戦争を謳歌・賛美して戦意を高揚させ若者を駆り立て死に追いやった文句が並んでいる。

虚子はこの軍歌を連想させる「旗の波」を俳句に詠むことを良しとせず、「初凪の波止場に兵を送りけり」と、「出征して行く若者のことを思いやりながら送り出すしみじみとした俳句」にすることを教えたのである。

「初凪」と「送りけり」が呼応して出征兵士の無事を祈る気持ちが感じられ、戦意高揚を謳う原句とは全く正反対のニュアンスがある。

八紘一宇」「東洋平和のため」「大東亜共栄圏のため」にとその理想的な目的を純粋に信じてその実現に命をささげた若者も多くいただろう。

その意図に反し戦争に伴う非道な行為もあったことは全く残念なことである。筆舌に尽くし難い戦争の悲惨・犠牲・被害を思うと黙しているわけにはいかない。    

現在もテロとの戦いウクライナ停戦問題など国際情勢は常に流動的であり、有事の備えをし、且つ、平和主義を徹底する基本的な政策が必須である。安倍首相は「積極的平和主義」に基ずく外交を推進しようとしているが、「真に世界平和の実現に寄与するにはどうすればよいのか」集団的自衛権の行使はどうあるべきか」与党野党が時間をかけて議論して国民の理解・合意を得るようにしてほしい。国民の理解を得ずして外国の理解を得ることは期待できない。

日中戦争太平洋戦争の犠牲となった人々のことを思い、墨塗り教科書で勉強をした戦中・戦後の体験者として戦争を知らない世代に政治に関心を持ってほしいとの思いから、つい「俳句談義」が「政治談議」のようになったが、本論に戻ろう。

               

坊城俊樹空飛ぶ俳句教室」の「虚子と戦争」に次のような記述がある。

  

「終戦直後、新聞記者に俳句はどのように変わったかと問われた虚子は、
『俳句はこの戦争に何の影響も受けませんでした』と答えたといいます。そのときにその記者があわれむような目をしたと言っては、虚子は笑っていました。」

    

「虚子俳句問答」における読者と虚子との質疑応答を読むと新聞記者の質問に対する上記の虚子の答えは納得できる。

虚子は自分が日本文学報国会俳句部会長として戦争を賛美することなく客観写生花鳥諷詠の文芸を堅持し、時代の流れに掉さすことも流されることもなく、文芸家・俳人としての良心貫いたのだと思う。 

            

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2015年2月17日 (火)

俳句談義(4): 高浜虚子の句『大寒の埃の如く人死ぬる』とは、「平和」を考える

                  

P.S.2022.3.26

ウクライナ紛争について、「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、紛争解決案を提言しました。

青色文字をクリック(タップ)して、「血に染むなドニエプルてふ春の川」や「春一番この発言はおぞましき」に書いた思いをシェアして頂ければ望外の喜びです。

      

昭和16年(1941年)1月に掲句を作ったとき、虚子は何を意識していたのだろうか?

「平和を願う祈りが世界の人々に通じ、地球上に愚かな戦争がなくなる日がいつかは来るのではないか」と、一縷の望みを捨てずに、このブログを書いている。

   

昭和12年には支那事変(日中戦争 1937年~1945年)が始まっており、既に日中双方に多数の死者が出ていただろう。

  

インターネットを検索すると、伊予歴史文化探訪「よもだ堂日記」に「秋山真之 元気のない正月」というタイトルで、

「明治29年(1896)1月初め、秋山真之が子規のもとを訪問。秋山が訪れたのは3年ぶりで半日閑談したのだが、このときの秋山はあまり元気がなかったと子規は述べている。」

という記事があった。

   

その前年、明治28年(1895年)4月17日には日清講和条約(下関条約)が締結され、数日後の4月23日に三国干渉が起こっている。

秋山とは司馬遼太郎原作のNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の主人公の一人である秋山真之のことである。

高浜虚子は日露戦争当時の明治38年(1905年)7月1日発行「ホトトギス」に「正岡子規と秋山参謀」という次のような記事を掲載している(抜粋)。 

「子規居士と茶談中、同郷の人物評になると、秋山真之君に及ばぬことは無かった。秋山君は子規君と同年か若くても一歳位の差で、同郷同窓の友(松山では固より、出京後でも共に一ツ橋の大学予備門に学び、後ち秋山君は海軍兵学校の方に転じたのである)として殊に親しかった。

・・・(省略)・・・

その後は別に記憶にとどまるようなことも無く、日清戦争のすんだ時分、子規君の話に、秋山がこないだ来たが、威海衛攻撃の時幾人かの決死隊を組織して防材を乗り踰(こ)えてどうとかする事になって居たが、ある事情のため決行が出来なかった、残念をしたと話して居たと、言われた。

・・・(省略)・・・

その後、亜米利加に留学せられた事、あちらから毛の這入った軽い絹布団を子規君に送られた事(この布団は子規君の臨終まで着用せられたもの)、大分ハイカラにうつっている写真を送って来られた事、留学前に、ある席上で正岡はどうして居るぞな、と聞かれ、この頃は俳句を専門にやって居るのよというと、そうかな、はじめはたしか小説家になるようにいうとったが、そんなに俳句の方ではえらくなっとるのかな、兎に角えらいわい、といわれた事を記憶している。

・・・(以下省略)」

              

虚子は掲句を作った前年の昭和15年(1940年)3月には「大寒や見舞に行けば死んでをり」という句を作っている。この句は「死んでをり」という具体的な表現であるから誰か身近な人の死を詠んだものだろう。

しかし、掲句では「人死ぬる」と一般的な表現である。

上記のホトトギスの記事にある「日清戦争のすんだ時分、子規君の話に、秋山がこないだ来たが、・・・(省略)・・・絹布団を子規君に送られた事(この布団は子規君の臨終まで着用せられたもの)」という記載からすると、虚子は秋山と子規のこと、日清戦


争(1894年7月~1895年3月)や日露戦争(1904年2月~1905年9月)のことに思いを馳せ、現に行われている日中戦争(1937年~1945年)のことを念頭において掲句を作ったに違いない。

   

当時の世界情勢は列強が帝国主義政策を推進しており、日本も遅ればせながら列強に負けじと帝国主義の道を突き進んでいた。昭和11年(1936年)には二二六事件が起こっている。

昭和15年には戦時体制としての内閣総理大臣を総裁とする大政翼賛会が発足し、津田事件が起こるなど、反戦的な発言は許されない時代になっている。

虚子は現実の生活において通俗的に「人の命」を「」や「埃」と同一視していたとは考えられない。「埃の如く死ぬる」という比喩は、「人の死」を軽んじているのではないだろう。

おそらく、「戦争における人の死は宇宙から見ると大寒の埃のようなものである」と憂い、戦争による多数の死を空しいと思っていたのではないか?

しかし、「絹布団」~冬の季語「布団」~「綿埃」を連想し、「色即是空」という潜在的意識から、花鳥諷詠の一つとして淡々と句にしたのだろう。

ちなみに、「蒲団」と言えば明治40年に田山花袋が自然主義文学の代表作と言われる小説「蒲団」を発表している。    

            

参考までに掲句に関してインターネットで検索したブログ(抜粋)を下記に挙げるが、対照的な解釈をしている。

 

(1)「遼東の豕」(作者名不詳)  

「ワシャは俳句は素人なのでよく解からないが、虚子の死生観が感じられる一句だと思う。『大寒の埃』とは、寒い朝、書斎の障子越しに射す光に浮かんだ微小な埃のことだ。小さなものと大いなる寒さの対比がおもしろい。虚子はその埃が室内の暖気の対流をうけてきらきらと舞っているのを見た。時間の経過とともに埃は墜ちていき、やがて畳の目につかまって動かなくなる。それを死と観たか。人の生き死にも大いなる自然から見れば、埃の死と大差ないのだよ、だから嘆かないでということなのだろう。

     

(2)「六四三の俳諧覚書」

「『大寒の埃の如く人死ぬる』 おそらくは親しかった人の死をホコリにたとえる、この非情さはどうでしょう。そんなふうに作者を責めたくなります。ところが、真相は違いました。同じ句会で詠まれた『大寒や見舞に行けば死んでをり』の句とともに、連衆の笑いを狙った虚構句らしい。作者の年齢にも目を向けてください。老境の呟きです。昭和十五年、六十六歳。」

    

(3)「六四三の俳諧覚書」子規の革新・虚子の伝統(七) 花鳥諷詠

「『大寒の埃の如く人死ぬる』 昭和十五年冬。この非情さはどうなのか。実は、同じ句会の席で詠まれた『大寒や見舞に行けば死んでをり』とともに、連衆の笑いを狙った滑稽句でした。

     

上記のように国光六四三氏が虚子のこの句を「滑稽句」と評した根拠を知りたいが、昭和15年当時は「反戦句」を作ることは許されないのだから、虚子は「滑稽句」として披露したのか、あるいは「滑稽句」という解釈をそれで良しとして受け入れたのではなかろうか?

         

      

(4)「ときがめ書房」のブログ「大寒・高浜虚子」(作者名不詳)

「死 秀句350選」(倉田紘文著)の「『如是』という言葉がある。まったくさからう心のない、在りのままの姿を示す語である。・・・(省略)・・・」を引用している。   

    

夏目漱石が虚子という人物をどのように見ていたかを知るのに参考になる記事(「高浜虚子著『鶏頭』序」)があったので、次のとおり抜粋させて頂く。

       

「虚子の作物を一括して、(これ)は何派に属するものだと在来ありふれた範囲内に押し込めるのは余の好まぬ所である。是は必ずしも虚子の作物が多趣多様で到底(とうてい)概括し得ぬからと云う意味ではない。又は虚子が空前の大才で在来西洋人の用を足して来た分類語では、其の作物に冠する資格がないと云う意味でもない。虚子の作物を読むにつけて、余は不図(ふと)こんな考えが浮んだ。天下の小説を二種に区別して、其の区別に関連して虚子の作物に説き及ぼしたらどうだろう。

・・・(省略)・・・

余は虚子の小説を評して余裕があると云った。虚子の小説に余裕があるのは()たして前条の如く禅家の悟を開いた為かどうだか分らない。(ただ)世間ではよく俳味禅味と並べて云う様である。虚子は俳句に於て長い間苦心した男である。従がって所謂(いわゆる)俳味なるものが流露して小説の上にあらわれたのが一見禅味から来た余裕と一致して、こんな余裕を生じたのかも知れない。虚子の小説を評するに(あた)っては(これ)(だけ)の事を述べる必要があると思う。
 尤も(もっとも)虚子もよく移る人である。現に集中でも秋風なんと云うのは大分風が違って居る。それでも比較的痛切な題目に対する虚子の叙述的態度は依然として余裕がある様である。虚子は畢竟(ひっきょう)余裕のある人かも知れない。明治四十年十一月」

         

現在も世界のどこかで宗教や人種の違い、利害の対立などから生ずる愚かな戦争が行われている。情けないことである。「正義」や「大義」、善悪などの価値観は時代や立場によって異なる。正義や大義の名のもとに愚かな戦争をすることがあってはならない。

宗教と科学の融合」でも書いたが、科学・文化、社会制度などが未発達の時代の預言者の唱えた宗教(一神教など)にいつまでも囚われず、既存の宗教の欠点を補完し、良い点を融合して現在の宇宙時代にふさわしい宗教的考えが確立されることを切望している。世界の宗教指導者や政治家が寛容・和の精神を実践することによって民衆を指導してもらいたいものである。

   

このような願望は所詮テロリスト集団などには通じないのだろうか?

凡人である私は、「大寒や花鳥諷詠南無阿弥陀」と平和憲法下における「平和国家日本の悠久」をひたすら祈りながら、ささやかなブログを書いているほかに術がないが、「平和を願う祈りが世界の人々に通じ、地球上に愚かな戦争がなくなる日がいつかは来るのではないか」と、一縷の望みを捨てずにいる。

  

「何が平和か」ということは大きなテーマであり、短歌や俳句・川柳などで一口に言えるものではないが、このブログが平和について改めて考えるきっかけになれば幸いである。

  

最後に、薫風士の俳句と川柳(即興句)をご笑覧下さい。    

   

ブログにて花鳥諷詠冬ごもり

待春や妻は吟行我ブログ

」を唱へブログを書きつ春を待つ

ブログ書き平和を祈り春を待つ

子と孫に託す世界の平和かな

      

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2014年12月19日 (金)

本との出会い(1)「あの海にもう一度逢いたい」

       

(P.S. 2022.12.9)

22129

12月9日は漱石忌です。

夏目漱石などの文豪のみならず、市井の素人文人が少なくなく存在していることに日本の民度の高さを感じます。

冒頭の写真はパソコンで見た「趣味の陶芸 爺が自賛 オーブン陶土で作る狸のコンサート」の記事の一画面ですが、身近に陶芸を趣味にしている句友やゴルフ仲間もいます。

    

   

(2014.12.19の記事)

  

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(写真)

三田市在住の木下とし子さんのエッセイ集

   

   

読書週間だからというわけではないが、数年ぶりに図書館を訪ねた。

仲間との俳句談義で話題になった生命科学者である柳澤桂子の「生きて死ぬ智慧」(般若心経現代語訳)など般若心経の本を借りるためである。 

図書館の書棚を見ていると、「あの海にもう一度逢いたい 木下とし子」(日本文学館)という小さな本が目に入った。

表紙一杯に空と海の広々とした写真があり、裏表紙にはの写真が載っていた。 

目次を見ると、最初に「朱い色の記憶」「呪文と念仏と」などがあり、最後の方に「骨壺蛸壺」「私の前生は布切れかも」とか「三途の川の川幅は」などがある。この本の著者は般若心経の本を読んでいるのかもしれない。 

  

「あとがき」に作者は次のとおり書いている。

 

「戦前、戦中、戦後と七十七年生きてきました。

その間に、生活様式も人々の価値観も激しく変わり、とてもついていけないと感じはじめた頃、膀胱ガンを患い障害者手帳を持つ身になりました。

それから十二年、手帳とともに生き、不安と諦めの中から「書く」という幸せを見つけました。

しかし、ほんとうの思いを書くということはとても難しく、(おり)のように心の底に溜まった苦しみや悲しみは、時間をかけて浄化しなければ書けないように思います。

若いときに想像していた「老い」と現実の「老い」の落差を素直に受け止め、これからもその時々の思いをそっと(すく)って書いてみたいと思っています。」

           

この本の作者は日本が太平洋戦争に突入した昭和16年12月8日には小学校5年生だった。「朱い色」とは大空襲で町が燃える色である。「骨壺」とは作者の夫が作った丹波焼の壺である。

阪神大震災の折に墓地の惨状を目にし、無縁仏の多さに驚き、墓を作ることは諦めた。私の骨は太平洋に散骨したい。そのときこの上等の骨壺も一緒に波間に沈めてもらいたい。そしたら蛸が取り合いするだろうか。この壺の住人になった蛸は、今はやりの六本木ヒルズに住むセレブになるのかな。そんなことをクラス会で話したら、『もったいないことせんと僕にちょうだい』と言った男性がいた。---」と、

この作者は少女時代の切ない思い出、家族のこと、阪神大震災福知山線事故のことなど、主婦の目線で時にはユーモアを交えながら切々と書いている。珠玉の小編エッセイである。

    

手作りの骨壺を手に明易し

      (薫風士)

     

般若心経についての本を数冊読んだ結果、俳人高浜虚子辞世句について新解釈をふと思いつきブログを書いた。ささやかなブログであるが、俳句に興味のある方にはかなり読んで頂いているようである。 

ふとしたことからブログを書き始めたが、本との出会い人との出会いなど、不思議なに恵まれている。

そのことに感謝しながら「LOVE」の実践を「(かい)より始めよう」と心掛けているこの頃である。

  

(注)

LOVE」に人の生き方の指針になる英語の言葉24語の頭文字を当てはめています。

子供の教育の参考になれば幸いです。是非ご覧下さい                    

(青色の文字をクリックするとその関連の解説記事や写真がご覧になれます。)

  

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本との出会い(2)「尾曲がり猫と擦り猫と」を読んで選挙を考える。(リンク増補版)

       

20222

本との出会い(1)で「あの海にもう一度逢いたい」を紹介したが、この著者は「尾曲がり猫と擦り猫と」(文学館)というささやかな本も書いている。このエッセイ集には胸を打たれるものがある。特に「石ころ」には胸を打たれた。

戦争を知らない世代でこの「石ころ」が何を意味するか分かる方がいるだろうか? 

石ころ」の話を親か誰かから聞いたことがあるだろうか?

先日NHKのテレビ番組で猫の可愛い仕草などの動画を報道していた。このような番組を笑って楽しめる現在の平和な日本は多くの筆舌しがたい犠牲の結果得られたものであることを忘れてはならない。

広島原爆を投下した「エノラ・ゲイ」の機長ティべッツに閻魔様に会わせてもらったった夢(?)の話、「千の風に乗って――地獄からの年賀状――」も読んでほしい。     

小学2年生の時に「墨で部分的に消された教科書」で勉強した記憶がある世代の一人としてはこの本を多くの方々に是非読んでほしいと思う。 

安倍さんは「アベノミクスの是非を国民に問う」ということで衆議院を解散した。第Ⅰ次安倍内閣では政権を放り出したが、臥薪嘗胆した安倍さんは第2次安倍内閣ではよく頑張っている。民主党は政権交代の千載一遇のチャンスを十分活用できず自滅した。野党は、「今度の選挙は大義名分が無い」などと言っていないで、しっかりした政策を掲げて国民の信を問うべきだろう。ネガティブキャンペーンをしている政党を支持する気にならない。

解散が宣言された議会のニュースで「御名御璽」という言葉があった。この言葉が現在の憲法の下でも使われていることを迂闊にも知らなかったので驚いた。しかし、天皇は「日本国と日本国民統合の象徴」であるから当然のことだろう。

戦前は天皇は「現人神」であり、紀元節など祭日の学校の式では「御名御璽」と言われるまで全員が教育勅語を頭を下げて聞いていなければならなかった。「御名御璽」と聞いてようやくみんなが一斉に頭を上げて鼻水をすすった記憶がある。

学校の式典における国歌の斉唱国旗掲揚の是非が問題になって久しい。オリンピックのみならず学校などの行事でも平和国家の象徴として国歌や国旗が正々堂々として自発的に用いられる日が来ることを切に望んでいる。

日章旗」が軍国主義の象徴ではなく、平和のシンボルとして世界の人々に受け入れられるようにするのは政治家の責任であり、与党の責任は重大である。

   

野党は「今度の解散は大義名分が無い」などと与党の批判をするばかりでなく、「国家の安寧のため、世界の平和のために自分たちはこうする」という具体的な政権公約を明確にすべきだろう。単に「改憲は改悪だ。改悪を阻止する」というだけでは駄目である。

平和憲法戦勝国に押し付けられたものだから改定すべきだという考えがある。仮に押し付けられたという経緯があるにしても、それは数知れぬ戦争犠牲者がもたらしてくれたものであり、良いものは維持すべきである。世界の平和を維持し、日本の自衛権を行使するための国際協調をするのに現憲法の条文に不明確な点があるということなら、「国際協調とは何か」「自衛権の行使とは何か」など、法令や運用基準で明確に定めるべきだろう。

一内閣がその時の都合で憲法解釈を如何様にでもできるということがあってはならない。それは独裁政治を許すことになるだろう。    

今度の選挙は単なるアベノミクスの是非の問題ではない。戦後70年節目になる重要な選挙であり、日本の将来を左右するだろう。

独裁政治・独裁体制をもたらすことになるか否か、政治家を選ぶ選挙民の責任も極めて重大である。

現行の選挙制度では浮動票の投票率が選挙結果に大きく影響する。

特に、若い世代は選挙に棄権しないようにしてほしい。

若者は政治的無関心でいると自分たちの将来の幸せを失うことになるだろう。

           

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2014年11月22日 (土)

俳句仲間(アカネの酔客)のエッセー(1)「ラジオを録音して聞く話」(昭和史を聞いて下さいね。)

    

(インターネット・リンク追加版) 

  

毎月、俳句会の後で酒を飲みながら俳句談義や趣味の話などに興じている。今月はブログの自慢話(?)をしたところ、話が弾み同席の方の随筆を掲載させて頂くことになった。それぞれの味があって面白い。

まず、昭和9年(1934年)生まれの大学同期会のホームページにA氏が今年の5月に寄稿した随筆「ラジオを録音して聞く話」です。テレビに無いラジオの面白さ・メリットの新発見の話です。

    

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          ラジオを録音して聞く話

                         2014年5月

                         

     昔から本は良く読む方だったと思う。仕事を止めて一年くらいか家を引っ越すこととなり、その時に大量の本を整理したと言うか捨てた。これに虚しさを感じまた暇は十分にあることもあり、その後は専ら図書館で本を借りて読んだ。月に20冊くらい借りて、その内の半分くらいはちゃんと終わりまで読んでいたと思う。ところが70歳を過ぎた頃から、本を読むと目が疲れるようになった。所謂、眼精疲労である。単なる老化かと思っていた。或る日、医者に紹介された近所のメガネ屋に行ったところ、技術の大変高いことを自称するメガネ屋であった。医者の作った診断書は無視され詳細に検眼され、お前は斜位だと言われた。両眼の視力が大きく異なることは自覚していたが、斜位と言う言葉は初めて知った。そして高価な近眼と老眼のレンズを買わされた。

      斜位と言うのは、斜視の軽い奴のようだ。普段は、周りも本人も全く気づかないが、矢張り眼精疲労にはなり易いようだ。と言うような訳と、借りる本が段々となくなってしまったこともあって、次第に図書館通いは少なくなった。今は全く行っていない。

     その代わり、テレビは良く見るようになった。なにせ夜は8時に寝てしまう生活を仕事を止めてからずっとしているので、多くは録画してである。最初の何年かは専らテープでの録画、4-5年前からはDVDである。良く見るのがNHKのEテレ・BSプレミアム・総合、BS1も少し見る。民放も見るが多くない。スポーツ番組は、殆ど見ない。サッカーは目が疲れる、また動体視力の低下の故か、決定的瞬間が良く見えない。ゴルフは見るが、韓国勢が上位に並ぶと見るのを止める。見る物が少ない時は、民放のサスペンス物も見る。NHKの大河ドラマの類は、やたらに怒鳴るのが嫌いなので見ない。 

民放を見ることが少ないのは、出演している人の數がやたらに多く更に芸人と称する人も多く、煩く感じるのが理由である。民放のサスペンス物も、観光案内を兼ねたようなのんびりとした物は好きだが、最近はこういうのが少なくなった。

      ところがこの1年ほど、NHKも民放の番組に似て来た。矢張り世の中の趨勢なのであろう。爺・婆は対象から外れて来ているのであろう。それで見る番組が減って来た。またテレビを見ても目の疲れを感じることが多くなって来た。特に出演者が多くガチャガチャした民放の番組は目が疲れる。

      ラジオは今まで、車を運転している時に時たま聞くことはあった。何時もお喋りが多いと思って来た。要するに暇な無責任な会話である。家内が何年か前からラジオを聞いているが、矢張りお喋りが多いと私は思って来た。この無責任なお喋りはどうも聞く気になれない。

      ところがこの1月になり、ネットで調べて出てきたNHKラジオの第一、第二、FMの番組案内「らじる*らじる」を見ていたら、土・日に集中してはいるが教養番組が多くあることを知った。このNHKラジオの番組案内は、番組の詳しい説明もあり大変有効である。そこでラジオに興味を持った。前に述べたようにテレビは殆ど録画して見ているので、ラジオも録音出来ないかと調べて見たら、「ラジクール」と言う無料のソフトをダウンロードすれば良いことが判った。ところが、このダウンロードを一度試みたが上手く入らなかった。

 そこで、録音したラジオはどうせ気楽な姿勢で聞くことになるであろう、それにはパソコンは不向きではなかろうかと考えた。そして、録音出来るラジオは売っていないかとネットで調べてみたら、2種類ほど出て来た。通信販売でそのまま買おうかと思ったが、どうも爺さんはこれに少し抵抗があるので、1月末に近所の家電量販店に行った時に見てみた。なんと録音出来るラジオはたった1種類、大きさはその昔の弁当箱くらいで重さも軽かった。ベテランらしい店員さんに何に使うのですか?と聞かれる始末で、どうも録音出来るラジオと言うものは沢山売れている様子ではなかった。

      兎に角、そのラジオを買った。店頭価格17,000円のSONYのICZ-R51と言う奴である。

      初めは、「らじる*らじる」で調べたNHK第二ラジオの教養番組を主に聞いていた。その殆どの番組が週に一度の放送で3か月単位で成り立っている。2月初旬は、この中途であったので、中途から聞き始めることになった。今は4月から始まったものを聞いている。ちゃんと聞いている番組の一つが、古典講読と言う番組の「奥の細道」である。講師の喋り方が大変眠気を誘うので、しばしば眠ってしまうが、録音の有難さで巻き戻しをして聞いている。「奥の細道」をちゃんと読んだことがないので、この機会と思っている。内容それ自身も、かなり面白いが、こういう物を研究している人たちは、こう言うことをあれこれと詮索するのだと言うことを知る意味でも面白い。極端に言えば、証拠のないことを糞真面目に論じる邪馬台国研究に少し似ている。

      短編小説の朗読も面白く聞いている。この手の物をかなり長い間読んで居なかった為だろうと思う。いずれにせよ、ラジオでは喋るのはひとりかふたり、喋りまくられる心配はない。しかし、録音して置いて実際に最後まで聞くのは、半分以下或は三分の一くらいであろうか。

     2月中旬か下旬頃に、「らじる*らじる」を見ていて、ラジオ深夜便と言う番組があることに気が付いた。これも「らじる*らじる」で中身をかなり詳しく知ることが出来る。夜の11時台から始まり、一時間毎に区切りが入って、6ッの番組から成り、朝の5時に終わる。2時台と3時台は音楽番組である。一区切りの中に、ニュースや音楽やお知らせなどが入るから、一区切りの中のメイン物の時間は30~40分であろうか。

 

    このような時間を誰が聞いているのであろうか?深夜族は今非常に多いので、深夜2時までの番組は聞いている人が居ることは理解出来る。しかし4時台の番組はどんな人が聞いているのであろうか?早く目が覚めてしまう早起き爺さんであろうか?そうすると2時までの番組を聞いている人とは別の世界の人と言うことになる。

     歌番組を除いて毎日4番組、一時間当たりの中身が約40分として、毎日約2時間40分となる。初めは、「らじる*らじる」を見て選択して録音していたが、今は機械的に録音している。「毎日録音」を選択すれば毎日同じ時間を録音して呉れる。詰まらない内容の物も多いので録音しても最後まで聞くのは、実際には三分の一から二分の一となる。

    かなりの頻度で聞いているのが、通信員と言うのか各地に住んでいる人の現地報告である。日本に住んでいる人の話は新鮮味に欠けるのであまり面白くないが、外国に住んでいる人の話は大体面白い。

     この原稿を書くことを予告された5月初めから、聞いて特に印象に残っているのは次のようなものである。一つ目は雨水の利用である。墨田区役所に勤務し始めて僅か5年くらいの時に、ここに集中豪雨による被害が出た。そこで専門外の若僧ではあったが雨水の利用を提案して検討チームを結成し、まず国技館にこれを敷設した。今は全国の新設の大きな建物では全てトイレの水は雨水をなっているようだ。スカイツリーもそうのようだ。今はこの人はバングラディシュで雨水の利用のプロジェクトを推進して、年に半年はバングラディシュに滞在していると言う。バングラディシュでは、地下水に天然の砒素が混入しているのだそうである。

    二つ目は、「昭和史を語る」である。4回番組で先日は昭和2年と3年とをやっていた。大正天皇は12月25日に逝去されたので昭和元年はなきに等しいと言うのも改めて認識した。浅草と上野の間に日本で初めての地下鉄が開通したのが昭和2年とか、ラジオ放送が大正14年の3月に始まったとか、その時の録音が残っていてそれが放送されるとか、関東大震災が大正12年だったことも改めて認識した。昭和恐慌が、その時の大蔵大臣の不用意な発言が元で銀行の取り付け騒ぎが起こったのが発端であったと言うのは初めて知った。

ニュージーラン人で剣道7段、居合術5段、薙刀5段で武道の研究で京大で博士号を取った人の話も面白かった。「残心」なる言葉を初めて知った。広辞苑によれば、「残心」は、剣道で、激突した後、敵の反撃に備える心の構えとある。「道」である相撲で、勝った時にガッツポーズをするのは怪しからんと言う非難の声が一時あったと思うが、この意味も初めて判った。

    と言うように、この2月から録音してラジオを楽しんで居る。テレビには少なくなってしまった爺・婆が楽しめる番組がラジオにはまだ多いと思う。、この文章が誰かの為のなんらかの参考になれば幸いと思う。

   

(注:ブログの見方)

青色の文字をクリックすると、その記事や関連の解説記事などがご覧になれます。ここ(らじるらじる)をクリックするとNHKネットラジオの詳細について検索できます。「昭和史を語る」をクリックして、表示されたリストのタイトルをクリックしてその内容の触りを音声で聞くことが出来ますよ!

2014年11月19日 (水)

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(13)

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(8)」において、HIAのホームページに記載された石田波郷の俳句(「(かりがね)やのこるものみな美しき」)の翻訳を取り上げて、「all」の単数・複数扱いの違いに言及したが、それどころかその翻訳はそもそも不適切であり、句意を訳出していないことに気づいた。 

wild geese――
all that remains
beautiful
 

HIAホームページ掲載の上記翻訳において、「remain」は「be動詞」と同じような意味に解釈される。2行目と3行目を続けて読むと、「のこるものみな美しき」という意味ではなく、「美しいままであるもの全て」という意味になる。すなわち、「後に残していくものがすべて美しい」という句意にするには、「all that remains」ではなく、「all that remains here」とするか、「all I leave behind」とか、「all that stay behind」などとすべきところである。

例えば次のように翻訳すると、句意は訳出できるが散文的で面白くない。

wild geese――
beautiful
all that I leave behind

    

英語のHAIKUでは「I」を使わない方がよいと言われるので、

wild geese――
beautiful
all that are left behind

と受動態で記述すると、句意が曖昧になり不満が残る。

 

そこで、次のように翻訳すれば句意に最も近くなるだろう。

wild geese――
beautiful
all that stay behind
 

   

日本語は情緒的なので俳句として美しいが、その意味を訳出しようとすると英語は論理的なので散文的になりがちである。俳句と英語の俳句HAIKU)を両立させて翻訳することは至難である。

   

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2014年9月12日 (金)

Let’s practice LOVE!

    

Why don’t you love yourself?   

To practice LOVE is to enjoy your life. 

Sn3u0045

(This is a message from the master of Chunu.)

     

   

日本語の全文はここをクリックしてご覧下さい。 

この英語版は抄訳です。)

    

      

   

In this blog, the 4 letters constituting the word  LOVE represent the following 20 words for making your life happy.

(The picture shows Chunu.)

    

    

    

      

    

    

 

      

    

    

 

L stands for Love, Learn, Liberty, Legality, and Laugh.

O stands for Optimism, Originality, Objective, Obligation, and Opportunity.

V stands for Vitality, Vision, Venture, Value, and Volunteer.

E stands for Effort, Enjoy, Ethic, Equity, and Endurance.

 

・Love

Love exists between parent and child, man and woman, husband and wife, etc. Here, the love is expected to exist not only between people, but also between you and whatever you may have interest in. That is, you may love yourself, your school, job, pet, hometown, nation, nature, etc. It is an ideal that loving yourself lead to loving others, your town, nature, and world peace.

 

・Learn

You can learn from anyone and anything as a good or bad model. There are many things to learn from your parents, friends, teachers, books, newspapers, TV, Internet, etc. The fault of another is a good teacher. It is also important to learn from your own failure or success.

 

・Liberty

The freedom of thought, speech, religion, etc. is guaranteed to all by the constitution as fundamental human rights. However, if you abuse the freedom, you might lose it. It is important to give consideration to the balance between right and duty or equity between an individual (yourself) and the whole (society or nation).

 

・Legality

You may freely do anything as you like, provided that the act is right under laws and equity. Since laws are established for maintaining social order and protecting people, it would be unnecessary to give special consideration to legality in your ordinary life as far as you act according to your conscience. However, it is advisable to confirm whether it is lawful when you intend to do anything special.

 

・Laugh

Laugh and get fat. Fortune comes in by a merry gate.

It would be alright to cry whenever you cannot but do so. However, if you do not forget to keep a smile even under hardship, someday a good fortune would smile on you.

    

     

・Optimism

Joy and sorrow are today and tomorrow. There would be peaks and valleys in your life. Be optimistic. You would succeed somehow someday if you steadily make efforts. Do your best and leave the rest to Heaven. It is advisable to practice so-called plus-thinking or positive thinking.

 

・Originality

Since no one is the same with you in the world, bring out the best in yourself. At the present age, diversities are to be appreciated. It would be an ideal if what are done by various individuals bring out a kind of positive harmony as the whole.

 

・Objective

It is important to objectively evaluate your object how it can be attained. The higher your target, the more steadily your advancement should be made step by step. Rome was not built in a day. Don’t expect to quickly achieve a high objective.

 

・Obligation

It’s quite natural to help each other. The society is maintained according to the principle of give-and-take. It is essential to concede the right of others as well as to assert your own right, considering the balance of mutual relations.

 

・Opportunity

Now or never. Everything has its time. It is important to act in a manner suitable to TPO (time, place, and occasion).

    

    

・Vitality

Without willingness and vitality, you cannot achieve any objective. It is essential to maintain mental and physical health to accomplish what you want to do. Overdone is worse than undone. Once in a while, you might have to exhaust yourself to complete what you are doing beyond your usual power. In daily life, however, you had better refrain from overworking.

 

・Vision

According to Yukio Ozaki, who was looked up as "the champion of constitutional government", the stage of your life will always exist in the future. It is advisable that your act be done in consideration of world peace as well as your own happiness, always in perspective of the past, present, and future.

(As to Yukio Ozaki, click the following URL: http://www.ozakiyukio.jp/en.html)

 

・Venture

It is important to think carefully before taking your action. However, it is also important to venture to do what you might consider as too difficult. Your success will depend on your fortune as well as your ability and efforts. It would be advisable to act resolutely after thinking of both the best case where everything goes well and the worst case where the fortune is against you.

 

・Value

People have their respective sense of values, which may be different from each other. It is advisable to establish your objective according to your desire after paying due respect to the wishes of your parents.

    

    

    

 

・Volunteer

Whenever you voluntarily carry out what you want to do, any hardship would become a pleasant one rather than unbearable one. It should be appreciated that there are many young people who are engaged in volunteer activities. It would be great if what you have volunteered to your own benefit results in benefitting others.

 

・Effort

Your genius would not come into full bloom without your efforts. By any chance your gifted talent might be less than that of others, but you can develop it into full bloom by efforts. Make effort to develop your gift, since God only knows the extent of your talent.

 

・Enjoy

If you try various ways for doing anything, an effort will become a pleasure rather than a difficulty. The pleasure will enable you to continue to make efforts. You can enjoy results of your efforts sooner or later.

 

・Ethic

In the present-day society which relies on highly advanced and specialized technologies, it is essential that all people, particularly specialists and leaders, conduct themselves with ethics. It is regrettable that there are not a few people who ruin not only themselves but also the welfare of other people by unethical conduct.

 

・Equity

Fortune waits on honest toil and earnest endeavor. To make the best use of your talent and effort, it is desirable to consider your aim in terms of equity. Your fair behavior will make youself bright and happy. The happy feeling will surely bring you good fortune.

 

・Endurance

In the rich modern society, there are too many goods and attractions that interest young. It would be difficult for children and teens to endure without making use of them.

For example, the development of IT and SNS has brought demerits as well as merits. One of the demerits is that children and teens tend to excessively engage in communications and social games through SNS.

Thus, it is also important to teach them endurance. Consider the following proverbs: “What is learned in the cradle is carried to the grave."; “Out of temper, out of money.”

 

2014年9月11日 (木)

「LOVE」を実践しよう!(増補新版)

    

(P.S.)

人生を豊かにするキーワードを24個に増やし、その頭文字を「LOVE」に当てはめました。

ここをクリック(タップ)して、詳細をご覧下さい

   

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チュヌの主人は、かって結婚式のスピーチを頼まれ、「幸せな人生のキーワードはLOVEである」として、幸せを呼ぶ8個のキーワードの頭文字をLOVEに振り当て、新郎新婦の幸せを祈るとともに自戒の言葉としていました。

その後「LOVE」に含めるキーワードを16個に増やして、このブログ「チュヌの便り」に掲載したので読んで頂いた方もあると思います。

先日の朝日新聞のWeb版に「根性だけじゃない ピンチ救う、甲子園必笑術」という記事がったので、予てから考えていた「Laugh」などの言葉を追加してLOVEのキーワードを20にすることにしました。

どんな言葉が含まれるか、クイズ感覚で気軽に読んでみて下さい。

「LOVE」を実践すると20の要素の相乗効果できっと有意義な素晴らしい人生が送れるでしょう。

    

 ・「L」はLove(愛する)・Learn(学ぶ)・Liberty(自由・権利)・Legality(合法性)、Laugh(笑う)です。

  

・「O」はOptimism(楽観・楽天主義)・Originality(個性・独創性)・Objective(目標・客観的)・Obligation(義務・義理)、Opportunity(機会・好機)です。

  

・「V」はVitality(活力・元気)・Vision(ビジョン・先見性)・Venture(冒険・思い切ってする)・Value(価値・評価)・Volunteer(ボランティア・自発性)です。

  

・「E」はEffort(努力)・Enjoy(楽しむ)・Ethic(倫理・道徳)・Equity(公平・公正)・Endurance(忍耐・持続)です。

     

 ・Love(愛)

親子の愛、男女の恋愛、夫婦の愛など人に関する愛のみならず、動物、自然、故郷、住んでいる町や国、平和、自分の仕事など全てが対象です。まず自分を愛し、自分のしていることを愛し、その結果が他者への愛、すべてのものに対する愛につながることが理想です。

 

・Learn(学ぶ)

教師や反面教師として、全てのことから学ぶことが出来ます。

身近な両親、兄弟姉妹、友達、先輩・後輩、先生などから直接学ぶことが沢山あります。書物や新聞・ラジオ・テレビ、インターネットなどで地域と時代を超えて様々なことを学ぶことができます。また、自分自身や他人の失敗や成功の実例から学ぶことも大切です。

 

・Liberty(自由・権利)

基本的人権として思想・言論・信教の自由などが憲法で保障されています。しかし、自由の権利を乱用すると、自由を失う恐れがあります。常に権利と義務、個(自分自身)と全体(社会・国)、公平・公正の原則とのバランスを考慮することが肝要です。多くの若者が選挙権・参政権の行使を放棄していることは幸福を追求することを放棄していることになるのではないかと危惧しています。

 

・Legality(合法性)

自由に考え行動すれば良いのですが、それが法律に適っていることが前提です。法律は人々の生活を守り社会の秩序を維持するためのものですから、日常生活で余り難しく考えることは無いでしょう。しかし、何か特別のことを始める時にはそれが合法的かどうかチェックすることも必要でしょう。

 

・Laugh(笑う)

笑う門には福来たる」(「Laugh and get fat.」「Fortune comes in by a merry gate.」)です。

泣きたいときには泣くとよいでしょう。でも、辛い時でも笑顔を忘れずに前向きに過ごして行けばきっと良い時も来るでしょう。

 

・Optimism(楽観主義)

人間万事塞翁が馬」(Joy and sorrow are today and tomorrow.)、「人生は山あり谷あり」、「努力をすれば何とかなる」、「人事を尽くして天命を待つ」と楽観的に考えることです。いわゆるプラス思考・ポジティブシンキング(positive thinking)を実践することです。

 

・Originality(個性・独創性)

世界に一人しかいない自分という貴重な存在を活かしましょう。単なる「猿真似」や「迎合」ではなく、人それぞれに出来ること・天性・個性を生かして、学んだことを更に発展させ実践することです。現代は多様性の時代です。様々な個性が集まって全体の調和が生まれることが理想です。

 

・Objective(目標・客観的)

将来何をするか自分の目標を定める際に、それを達成することが可能か、楽観的に考えると同時に、冷静に客観的に評価しておくことも大切です。高い目標を掲げることは良いのですが、目標は高ければ高いほど成果の高望みをしないでstep-by-stepで一歩ずつ前進することです。

 

・Obligation(義務・義理)

「世の中は持ちつ持たれつ」、「お互い様」です。自己の権利を主張するばかりでなく、義務もあることを認識して他者の権利・立場も認め、自他のバランス(Give-and-take)を考えることが大切です。

 

・Opportunity (機会・好機)

好機逸すべからず」です。英語のことわざには「Now or never.」とか「Everything has its time.」などがありますが、機会をとらえTPO(時と場所と場合)を考えて適切な行動をすることが大切です。

 

・Vitality(活力・元気)

何事もやる気と元気がなければ達成出来ません。精神的にも肉体的にも健康を維持することが大切です。「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。時には無理が必要なこともあるでしょうが、頑張りすぎないで、自分の出来る範囲でやれば良いでしょう。

 

・Vision(ビジョン・先見性)

「憲政の神様」と言われた尾崎行雄は「人生の本舞台は常に将来に在り」と言っています。自分は何をしてきたか、今何をすべきか、自分の将来の目標は何か、自分の人生のどの時点でも、常に過去・現在・未来という流れの中で自分自身と社会の将来を見据えて考え・行動することが理想です。

 

・Venture(冒険・思い切ってする)

慎重に考えて行動することも大事ですが、難しいと思うことでも時には思い切ってやって見ることも必要でしょう。成功するか否かは自分の才能や努力のみならず運に左右されるものです。最もうまく行く場合と最悪の場合とを考え、腹を据えて思い切って行動すると良いでしょう。

 

・Value(価値・評価)

光があれば影があり、物には表裏がありますが、それぞれに価値・意味があります。時と場合によって人の価値観は異なりますが、自分にとって何が大切か、何をしたいか、それは自分のためだけではなく、親のためや人のために役立つことになるか、と考えながら目標を立て・行動することが大切です。

 

・Volunteer(ボランティア・自発性)

何事でも自分のしたいことをするときは苦労が苦労でなく、楽しくなります。最近はボランティア活動をしている若者も沢山いることはありがたいことです。自分が出来ることを自発的に行い、自分のみならず人のためにもなり、世の中に役立つことができれば最高です。

 

・Effort(努力)

天賦の才に恵まれていても努力をしなければその才能を生かすことは出来ません。ささやかな才能であっても努力することによって、それを伸ばすことが出来ます。大切なことは他者との比較や序列・勝ち負けそのものではなく、それを励みとして自分自身の天分を育てる努力をしているかどうかです。

 

・Enjoy(楽しむ)

努力も色々工夫しながらすると、苦労でなく楽しみとなります。楽しみながらすると努力を続けることが出来ます。少しでも努力の成果が出ると楽しくなります。すぐに成果が表れなくても長い目で見れば必ず成果が出て来るものですから、それを楽しみに努力を続けることです。

 

・Ethic(倫理・道徳)

技術が高度に発達し専門化している現代社会においては個人や法人・組織が倫理を大切にして活動することが不可欠です。最近の世相をみると、長い間に築いた信用を倫理観の欠如から一瞬に失い、自滅するだけでなく社会に大きな弊害をもたらしている例が少なくないことは残念なことです。

 

・Equity(公平・公正)

才能や努力の成果を生かすには考え方や行為が公正であることが大切です。どのような場合でも公正かどうかという観点でチェックすることが望まれます。公明正大な振舞いをすることによって明るい気持ちが維持できます。明るい気持ちは必ず幸福を呼び込むでしょう。

 

・Endurance(忍耐・持続)

豊かな現代社会においては何でも簡単に出来、手に入るので誘惑が多く、我慢することが難しくなっています。

ITやSNSが発達し便利になっていますが、スマホによるゲームの氾濫や不適切な交流サイトなど子供の教育や十代の若者の新たな社会問題になっています。

「三つ子の魂百まで」、「継続は力なり」です。大きくなってから抑えることは難しくなりますので幼い時から我慢することのしつけをしておくと良いでしょう。

  

上記のことは、ご存知のことばかりでしょうが、LOVEという一語にそれを集約して覚えやすくしたのが味噌です。

「LOVE」を実践する幸せな人々が増えて住みよい社会が世界に広がることがチュヌの主人の念願です。

(抄訳英語版はココをクリックしてご覧下さい。)

  

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2014年7月 7日 (月)

子供の教育について大切な24のキーワード

   

子供の教育を促進するためには、子供が興味を持って自ら勉強するように勉強の目的を明確にして、勉強する意欲を刺激してやり、それぞれの子供に会った教育をしてやれば良いと考えています。

学力のみならず人間としての生き方・ものの考え方を身に付けさせることが大切です。

子供達が健全に成長し、幸せな人生を送ることが出来るように、そのための24のキーワードをLOVEの文字に当てはめ「究極のLOVE」として集約しましたここをクリックしてご一読下さい)。

   

チュヌの主人はVoSu841の「てらこや」のことで子供の教育について考えている時に、たまたま自分の考えと同じ考え方をしている塾の記事をインターネットで見かけました。

この塾の考え方のポイントは下記の3つです。

(1)「やる気を引き出す」こと。「勉強は面白い。目の前にはすばらしい世界が待っているよ」と語りかけ「頑張ろう」と思うように方向づける。 

(2)「本人に合う学習方法を工夫して、それを大量にこなす」こと。   

(3)「他人と比べない」こと。

     

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2014年6月15日 (日)

宗教と科学の対立と融合

    

(P.S. 2022.8.27)

安部晋三元総理大臣の暗殺事件を契機として政治家と旧統一教会との癒着・相互依存関係が明らかになりました。

 

これを契機として、恒久的世界平和を確立する為に、宗教心の在り方について是非とも皆さんに考えて頂きたいと思っています。

青色文字のタイトルをクリック(タップ)して記事をご覧下さい。

   

21世紀の俳句と世界平和

 

終戦記念日・墓参・盆」の俳句

  

梅東風や届け世界にこの思ひ

  

言葉の力・俳句の力《癒し

  

俳句《涼し》死の話

     

P.S. 2022.3.15

ウクライナ紛争について、プーチン大統領や世界の指導者が賢明な決断をしてくれることを切望して、「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、書いた記事を読んで頂きたく、この P.S.を追加しました。

 

青色文字をクリック(タップ)して、「血に染むなドニエプルてふ春の川」をご覧下さい。

    

(2014.6.15)

科学と宗教の関係について何となく興味を持ち、インターネットで検索して見ると、デニス R. アレクサンダーが「Faraday Paper 3 科学と宗教の関係---4つのモデル」(髙木悠鼓訳)で「衝突モデル」「相互不可侵モデル」「融合モデル」「補完モデル」の4つの考え方について比較し、科学的知識と宗教的知識の関係を示すのに最も実り多いのは「補完性」のモデルであると結論している。

しかし、いずれの考え方も科学と宗教の関係を説明しきれていないのは、宗教というものを伝統的な既存の宗教の範囲で論じているからだろう。

 

世界のどこかで宗教の違いに起因する争いが、科学的に進歩した強力な武器を用いて常に起こっているのは誠に嘆かわしいことである。

科学は進歩をしているのに宗教は進歩をしていない。

 

これは、科学においては理論を実験によって証明し、過去の論理が間違いであることを証明することができるが、宗教については哲学的・形而上学的に聖書や経典などの解釈を論ずることが出来るとしても、科学的に検証することが出来ず、信ずるか信じないかの水掛け論に終始するからでないか?

  

宗教をキリスト教やイスラム教、仏教、などの既存の伝統的なもので考えるのではなく、現代の宇宙時代にふさわしい新しい形で宗教をとらえると、科学と宗教を融合することが出来るのではないか?

 

新約聖書には「始めに言葉ありき」とあるが、この「言葉」とは何か?

 

自然現象があってそれを説明するために言葉が作られたのだから、一般的に用いている「言葉」を意味すると解釈するのは間違いだろう。

 

神の子イエス」というが、この「神」とは何か? 

 

「神」とは人知の及ばない存在、即ち、「宇宙の摂理」を意味しているのではないか?

 

アニミズム汎神論ではなく、宇宙の存在・システムそのものを神としてとらえ、科学はそれを物理的に解明することによって神の意思に沿った人類の幸福を追求するものであり、宗教はそれを形而上学的にとらえることによって人類の幸福を追求するものであると考えると良いのではないか?

 

既存の宗教の戒律にとらわれず、自然科学で実証されたものを宗教的な考え方に取り入れると同時に、科学の応用について、何が人類の真の幸福をもたらすかということを倫理的・宗教的に考えるようにすると良いのではないか?

 

浅学非才の凡人としては、進取の気性に富んだ偉大な宗教家、科学者、哲学者などが叡智を集め、既存の宗教を宇宙時代にふさわしい宗教に融合して真に人類の幸福をもたらすものにしてくれないかと祈るばかりである。

 

今日のNHK・BS放送のPBSニュースによるとローマ法王が中東を訪問したとのことである。キリスト教徒・イスラム教徒・ユダヤ教徒の融和の動きが進展すればよいが・・・・

 

「宇宙教」とか「宇宙神教」などの名称はあるのかなと思ってインターネットで検索すると、既にこのような名称の新興宗教らしきものがあるのを知って驚いた。

 

このような新興宗教の実態は知らないが、真に人々に幸せをもたらすものであれば良いのだが・・・・。

  

5月28日のNHKニュース「おはよう日本」を見ていると、久里洋二さん(アニメ作家)の「われわれは宇宙人だ」の制作について放映されていた。

 

現代の科学で解明された宇宙における地球・人間としての立場から世界の宗教指導者が昔の預言者の教えを見直す叡智を発揮して呉れることを切望している。

    

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