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2019年1月20日 (日)

俳句《待春》


   

2025.1.20 更新

待春や老は甘受の根競べ

勇み足仕切り直して春を待つ

誠があれば春近し

「志誠」は、「こころざし まこと」と読んで、5-7-5のリズムにして下さい。

           

春一番おぞましきとはこの言葉

待春や命の限り夢追ひて

      (薫風士)

   

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これらの写真のとおり、2024年2月19日午前0時現在の「俳句HAIKU」へのアクセス累計は1,078,898件と、縁起の良い数字が面白い並び方をしていましたが、2025年1月4日も面白いことに、未明のアクセス累計が1,234,888、一日当たりの平均が308,88と秩序正しく八が並び、過去一週間の累計も3,979と対称的に並びした。

(写真をタップ拡大してご覧下さい。)

   

少年を枝にとまらせ春待つ木 

       (西東三鬼)

 

掲句は合本歳時記の例句です。 

   

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カラー図解日本大歳時記(写真参照)によると、

「待春」は「春近し」よりも主観的で、待ちわびる気持ちが強い(冬の季語)、「目を開いて眺めた風景というよりも、瞼のうらに思い描くとき。ことに雪深い地では、待春の情はひとしお切実なものがあろう。(飯田龍太)」

とあります。

      

「筆まか勢」から「春待つ」の例句を抜粋掲載させて頂きます。

  

我が杖も春待つものゝ一つかな

  (盲目の俳人・緒方句狂

  

時ものを解決するや春を待つ

 高浜虚子(1914年、40歳)

大正3年には第一次世界大戦など大事件が次々と起こっています。  

(例句やリンク記事は、青色文字をクリックしてご覧下さい。)

  

歳時記(俳誌のサロン)から気の向くままに「待春」の俳句を抜粋・掲載させて頂きます。

 

待春や氷にまじるちりあくた 

       (河合智月

  

待春の心が先に歩きをり 

       (稲畑汀子)

  

待春や出窓に並ぶ植木鉢 

       (木村てる代

   

待春の伊豆の波音聞く宿り 

        (安原葉)

   

待春や日差し明るくなればなほ 

         (大橋晄)

      

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2018年12月15日 (土)

季語「東北忌」・「3.11」に思うこと

 

血に染むなドニエプルてふ春の川

 

唐突ですが、掲句はウクライナ紛争についてプーチン大統領や世界の指導者が賢明な決断をしてくれることを切望して、「やむにやまれぬ思い」を俳句に詠み、紛争解決案を提言した記事のタイトルです。

青色文字(血に染むなドニエプルてふ春の川)をクリックして、ご一読下さい。

   

風船は命の数よ東北忌 

       (草加市 江口靖子)

    

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掲句は20HIA俳句大会現代俳句協会賞受賞句です。

 

東日本大震災死者・行方不明者は1万8千人以上です。

  

1923年9月1日に起こった関東大震災では死者・行方不明者は10万人以上に及び、9月1日は「防災の日」と定められていますが、俳句の季語として「震災忌」と呼称されることがあります。

「東北忌」は「3.11」として悼み継がれ、歴史に残るでしょう。

  

(青色文字をクリックするとリンクされた関連記事をご覧になれます)

  

震災遺構として残されている仙台市立荒浜小学校で、花の種を入れた色とりどりの風船(エコバルーン)が1000個がとばされ、名前を叫んだり、時折涙して空を見つめる人々も見受けられたが、一番目立ったのは、「笑顔」だった。HUFFPOST 2018.3.11

   

大地震や津波などの犠牲になられた方々のことを思うと胸が痛みます。

遺族の方々に謹んでお悔み申し上げます。

     

安斎さんは、関係郷土史と米国側の資料などを研究。それらを総合すると「和紙は風船爆弾の第一番の材料。その生産地となった和紙の里をねらってアメリカが報復爆撃した」のが真相ではないか?と推論しました。

 風船爆弾は44年11月から福島県勿来、茨城県大津、千葉県一宮から飛ばされました。計9300個飛ばされて偏西風にのってアメリカ大陸に到達した数は推定1000個とみられています。

 45年5月5日、オレゴン州の村で5人の子どもと、牧師の妻が風船爆弾で死亡しています。

 「オレゴンの悲劇」と言われ、上川崎村への爆撃はそれから2カ月後のことでした。

 「戦争の被害者とばかり思っていたのが知らぬ間に加害者の立場になっていたのかもしれません。戦争は二度と繰り返してはなりません」  (菅野尚夫)

   

上記は、高村光太郎忌日・連翹忌(れんぎょうき)運営委員会のブログ平和な故郷願って 福島に生きる 『風船爆弾になった和紙』冊子にまとめた 安斎克仁さん(79)からの抜粋です。

     

日本漢字能力検定協会が発表した「今年の漢字」は「」です。

   

阪神・淡路大震災の犠牲者は6,434人でしたが、南海トラフ巨大地震・津波が発生すれば死傷者の数や復興費用は東日本大震災の数倍~数十倍になることが懸念されています。

   

大地震や大津波などの自然現象は抑えることはできませんが、

戦争の発生は人為的に抑えることができるでしょう。

   

天災が人災になることは防がなければなりません。

      

世界の民衆は平和を願っているのに、

我欲・権力欲の塊のような為政者やその支持者が戦争の原因となる人種的対立や宗教的対立を煽り、膨大な軍事費による浪費を正当化していることは悲しいことです。

世界の膨大な軍事費が地球上の防災やインフラ整備・福祉のために使えるように、世界の為政者や有識者が良識を発揮率先行動してほしいものです。

  

戦争防止のために、皆さんと共に地道な活動を続けたいとの思いから、

俳句を通じて世界平和を!World peace through haiku!」をキャッチフレーズにしてささやかなブログを書いています。

  

・去年今年八十路の夢白寿まで (薫風士)

   

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今日は京都や福井にも初雪が降りました。 

初雪の俳句」をご覧下さい。

   

  

皆さんがこの思いをシェアして世界に発信してくれることを祈っています

   

  

・笑みを生む木喰仏虫集く (木下さとし)

     

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2018年10月26日 (金)

「チュヌの追悼」by L.P. Lovee

       

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(青色文字をクリック or タップするとリンク記事がご覧になれます。) 

   

(P.S. 2022.10.16)

10月16日は2018年に亡くなったチュヌの命日です。

チュヌの存命中は旅行はペット同伴を認めてくれる所が少なくて満足な旅行が出来ませんでしたが、2018年7月にはポーランドを訪ね、温泉町で開催された音楽祭において俳句の講演をしました。

ここをクリック(タップ)して、「ポーランドの旅(写真と俳句・講演のことなど)」をご覧下さい。

     

ここをクリックして、「楽しい吟行・俳句の旅(四季の写真俳句特集)」をご覧下さい

      

(2018.10.26)   

秋の夜や愛犬抱けば目に泪

愛犬を看取る寝息や秋深む

愛犬を看取りし夜長母偲ぶ

愛犬を荼毘に付すちちろ鳴く

愛犬の弔ひに来し鉦叩

鉦叩テーブル巡り悼みけり

愛犬の昇天したる天高し

愛犬の深めし絆秋高し

  

チュヌの追悼に来た鉦叩の声をお聞き下さい。ここをクリックするとご覧になれます  

ペット愛好者はチュヌを弔い「ペット」(愛犬の写真)をご覧下さい。

俳句愛好家は「俳句」や「俳句談義」「俳句エッセイをご覧下さい。

川柳愛好家は「川柳」をご覧下さい。

英語俳句に関心のある方は「HAIKU バイリンガル英語俳句」をご覧下さい。

政治に関心をお持ちの方は「政治談議」をご覧下さい。   

「いじめ」の問題など、子供の教育に関心のある方は是非ともチュヌの思い「究極のラブを!」をご覧下さい。

チュヌは天国から皆さんのお幸せを見守っています!

「チュヌの便り」をご愛読ありがとうございました。

チュヌは2018.10.16に永遠の眠りにつきました。   

    

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2018年10月20日 (土)

俳句の鑑賞:「柿」(追補版)

   

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(2025.11.29 更新)

奈良の柿如何に句にすや高市氏

柿の句を詠む暇は無し高市氏

柿食ひて作る句如何新総理

         (薫風士)

  

奈良の柿 郷(さと)にも浦にも 茂る秋

      (石破茂)

   

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冒頭の写真は、2024.11.18のNHK-TV ニュース画面(内閣支持率等)の一部分です。

 
石破茂内閣の人気は当初から低迷していますが、「柔剛を制す」の諺どおり、「単なるポチ」にならず、「偽りの無い」・「有りの儘の素顔」で「世界の人々の信」を得て、「日本の平和」・「世界平和」の為に尽力されることを祈っています。

  

我田引水のコメントで恐縮ですが、石破茂首相の掲句の「秋」は「かな」に変えた方が、ご自身のPR効果が増すのみならず、俳句として「秋の季重なり」が解消されます。

  

もっとも、「茂」は「夏の季語」とされているので、人によってはダメ句だと貶すでしょうが、「ぺんは剣より強し」なので、「まんぽ俳句」を口遊んで、ご自身の健康管理と表現力を磨いて、地方再生の政策を推進しされる事を切望しています。

   

   

  

チンするは句友の呉れし吊し柿

  

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「チンする」は、「愛犬の伏せ」ではなく、電子レンジで温めたことを面白く表現したものです。

  

  

俳句大会で知り合った句友が先日呉れた吊るし柿を早速食べると美味しかったのですが、試しにチンして食べると、中身が非常にジューシーになって更に美味しい気がしました。

皮がやや硬くなって噛み応えがあり、口に入れたとき気を付けて噛まないと中身を零すことになりそうでした。

    

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今日(11月15日)は、近くの句友が新鮮な柿を呉れたので、早速吾庭のトマトなどと一緒にサラダにしましたが、あっさりした甘さがあり美味しく頂きました。

   

 

  

  

  

サラダにす句友の呉れた富有柿

       

「柿」の俳句といえば、正岡子規の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」が有名ですが、正岡子規は柿が大好きだったようで、ウイキペディアによると、「柿落ちて犬吠ゆる奈良の横町かな」という俳句も作っています。

  

2021年11月25日に、岸田文雄首相は首相官邸で、「奈良の柿PRレディー」の広瀬麻理奈さん(25)らの表敬を受け、柿を試食して次の一句(即興句?)を披露されたとのことです。

   

 

 

  

柿食えばコロナ打ち勝つ奈良の町

  

この「柿食へば」は、助詞「ば」が条件の意味であり、子規の「柿食へば」の俳句の「ば」と異なる使い方です。

 

たとえば、「柿食えばコロナに勝てり奈良の人」とすれば、助詞「ば」が子規の俳句と同じ用法に解釈できます。

 

『柿食へば』の誤訳《俳句の力・言葉の壁》をご覧下さい。

  

2021年の暮に書いたブログ《「大晦日」・「大年」の俳句(岸田内閣に望むこと)》をご覧下さい。

   

俳句を通じて世界平和を念じている観点から、岸田首相の掲句に便乗して願望の駄句を詠みました。 

    

奈良柿を食みてコロナに打ち勝たむ

奈良の柿食みて米寿を恙無く

奈良柿も食みて祝ぎたし己が茶寿

   

   

(2018.10.20)

 

熟柿落つ愛犬目指し駆け出しぬ

  

愛犬の深めし絆柿たわわ

    

掲句はチュヌの主人がありのままに詠んだ俳句です。

  

俳誌のサロンの歳時記から柿の俳句を気の向くままに抜粋させて頂きます。

 

(青色文字「柿」をクリックすると歳時記の詳細がご覧になれます。)

   

1)

よくひびく子猫の鈴や柿日和 

        (内田雅子)

  

2)

三千の俳句を閲(けみ)し柿二つ  

        (正岡子規)

 

3)

よろよろと棹がのぼりて柿挟む 

       (高浜虚子)

  

4)

大和路や軒場に吊す柿すだれ 

       (井上輝男)

 

5)

故郷へ向かふ車窓や柿の秋 

       (篠藤江)

   

6)

境内を駆け回る子等柿日和 

      (谷野由紀子)

   

7)

柿を捥ぐ吾を烏の見てをりぬ 

      (塩田博久)

 

8)

柿日和ゴルフに和む古稀と喜寿 

      (河本利一)

 

9)

里ふりて柿の木もたぬ家もなし 

      (松尾芭蕉)

         

10

斑鳩の三塔見えて柿日和 

       (山村修)

 

11

柿たわわ獲る人もなき山の里 

      (西田史郎)

 

12

白壁に柿の実映ゆる二月堂 

       (田宏之)

 

13

落日に染まる一村柿の秋 

      (宮平静子)

    

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2018年8月30日 (木)

ポーランドの旅(写真と俳句 講演のことなど)

   

祈りつつアウシュビッツの夏の野を 

   

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掲句はチュヌの主人(薫風士)が俳句講演のためにアウシュビッツを詠んだ俳句です。

   

   

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(写真はクリックすると拡大します。青色文字をクリックするとリンクした解説記事などをご覧になれます。)

   

   

講演はポーランドの「ルブリン県」の温泉町で開催された音楽祭の機会に行いました。

  

   

・晴れ渡る温泉町や白鳥来

・白鳥来平和の国を永久(とこしえ)に 

   
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講演のタイトルは「Let's enjoy haiku!」で、「World piece through haiku」をサブタイトルにし、ファン・ロンパイ前EU大統領(日本EU俳句交流友好大使)と写したツーショットを掲載させて戴くなど、工夫を凝らし好評でした。

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・晴れ渡るアウシュビッツや青葉風

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・貨車一つ鉄路の遺跡夏草に

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・青嵐ホロコーストの灰の池

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・青嵐アウシュビッツの呻き声

   

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アウシュビッツ見学の当日は好天気で平和なポーランドを象徴しているように思いましたが、時々耳に唸るように強い風が吹き、「ナチス犠牲者の霊の呻き声」ではないかなどと感じました。

  

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クラクフや古都を見下ろす塔涼し

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・聖堂の時報のラッパ夏の空

  

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・新装のショパン生家や青葉風

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庭涼しショパン生家のピアノ曲

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・聖堂に響くオルガン夏の宵 

  

・コンサートホールを出でし園白夜

   

400年前のパイプオルガンのコンサートがカジミエシュ・ドルニーの教会の聖堂で開かれ、たまたま聴く機会がありました。

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ショパンの生家ではショパンコンクールに入賞したピアニストがショパンのポロネーズなどを演奏しました。

  

ちなみに、この俳句の講演をした音楽祭ではイタリアなどから来たピアニストなどが演奏しましたが、日本からは片山柊氏(2017年第41回ピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリ、併せて聴衆賞、文部科学大臣賞、スタインウェイ賞受賞)が「エチュード〜書、俳句、一つの線」(細川俊夫作曲)という興味ある曲などを演奏しました。

   

俳句でも音楽と同様に国際交流がもっと促進されることを願っていますが、俳句による人との出会いや音楽との出会いに不思議な縁を感じました。

   

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2018年3月25日 (日)

俳句《春の雨・春雨》(改訂版)

               

(2025.4.13 更新)

万博の初日春雨列長蛇

春雨に万博客の忍の列

春雨に集ひ第九や大リング

春雨に万博客の見せる顔

         (薫風士)

  

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冒頭の写真は、大阪関西万博会場の情景(2025.4.13)や、大船渡山林火災鎮火状況(2025.3.8)のNHK-TV ニュース画面の一部分です。

  

漸くに消火を助け春の雨

春雨に漸く安堵大船渡

春雨や傘寿に逝きしみのもんた

濡れ衣を被る翔平春の雨

春雨に触れて気を得し紀元杉

春雨の広田神社に参拝す

      (薫風士)

  

        

春雨の衣桁に重し恋衣

       (高浜虚子)

 

「恋衣」とは、「恋を、常に身を離れない衣に見立てた語。恋という着物」です。(出典:広辞苑)

  

この俳句は「高浜虚子の100句を読む」(坊城俊樹著)の第1回に掲載された俳句です。

坊城俊樹氏は著書で次のように記述しています(抜粋)。

「・・・二十七歳のころのこの俳句は、謡曲の「恋重荷」(こいのおもに)をふまえて作られたとされる。この句は「めさまし草」という文芸雑誌に発表されたものなので、いわば能や戯曲を踏み台にした芸能俳句といえる。・・・(省略)・・・謡曲『恋重荷』は、世阿弥プロデュースによる恋に悶死する老人の亡霊の話である。そこにあらわれる恋の重荷とはかならずしも恋衣に限定されるものではないが、虚子はそれをつややかな春雨に濡れた恋の衣とした。そこが俳諧である。・・・」

   

「歳時記」(俳誌のsalon)から「春の雨」や「春雨」の俳句を気の向くままに下記のとおり抜粋掲載させて頂きます。 

 

春の雨1

不精さやかき起されし春の雨

      (松尾芭蕉)

  

浅草や雪になりたる春の雨  

         (平田倫子)  

  

春の雨2

粟島へはだし参りや春の雨 

         (与謝蕪村)

  

春の雨心安らぐ時があり  

         (南原正子) 

  

春の雨3

膳先に雀なく也春の雨  

         (小林一茶)

  

春の雨知らせてくれし猫を拭く 

          (芝尚子) 

  

春の雨4

ランナーの背を染めてゆく春の雨 

        (小林あけみ)

  

点滴にショパンながるる春の雨 

         (野澤あき)

   

春雨1

春雨に濡れて笑顔の石地蔵  

         (中山静枝)

  

春雨ににじむ稜線東山   

        (伊庭玲子) 

  

春雨2

春雨や病院前は仏壇屋   

         (大坪景章)

  

春雨や傘傾げ合ふ先斗町  

         (大森道生)

      

(P.S. 2024.4.1)

春雨に籠り視聴す政倫審

e-Tax未だ手付かず二月尽

       (薫風士)

    

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2018年3月 3日 (土)

俳句《春一番・啓蟄》(更新版)

      

啓蟄や基本身に付け動き出す

啓蟄やダ-クパタ-ンの溢るる世

啓蟄や言はぬが花か?今の世に

啓蟄や二度は試さむ諦めず

啓蟄や祈りの日々の八十路行く

啓蟄や e-Taxに取り掛からむ

  

朝からの雨で庭弄りは出来ず、手つかずのe-Taxに取り掛かることにしました。

  

以下は、2018年3月に書いた記事を2022年に更新したものです。

  

血に染むなドニエプルてふ春の川

・春一番おぞましきとはこの言葉

・啓蟄や出でし言の葉おぞましき

      

 「この言葉」とは何か、この青色文字をクリック(タップ)し、ご覧下さい

 

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2022年の「春一番」は3月5日の「啓蟄」でした。

      

  

・日々愛(お)しむキノコ雲なき春の雲

・親子行くキノコ雲無く春の雲

   

掲句は、薫風士が「已むに已まれず」詠んだ「川柳擬き」の俳句です。

「已むに已まれず」は「やむにやまれず」と読みます。

貴方は、物議を醸した「誰かさん」と違い、「已みません」を読み間違いするような読みにくい「ひらがな」にしなくても「漢字」で読めるでしょう(?!

   

戦争を知らない世代元総理の発言「日米核共有」を何と考えるか、あなた次第ですが、日本が「核保有国」になることが「自衛」になるとは、到底考えられません。

 

「ぶつぎをかもす誰かさん」の「アメリカファ-ス卜」のように、科学技術の進歩した現代に中世や西部劇時代の考え方で国民や国論を分断・対立を煽る発言されるのは困りものですね。

 

子供たちの将来の為に、世界の政治指導者が「究極の愛」を発揮して賢明な政治を推進してくれることを祈っていますが、参議院選挙は棄権をせず、あなた任せにせず、しっかり考えて投票しましょうね!

   

2018年の「春一番」は昨年より12日遅い(3月1日)発生でしたが、猛威をふるいました。

 

この記事は3月3日「雛祭り」・「平和の日」に書きました

 

歳時記(俳誌のサロン)から季語が「春一番」の俳句を気の向くままに引用させて頂きます。

(青色文字の季語をクリックすると掲載された俳句の詳細がご覧になれます。) 

  

春一番(1)」

春一番武蔵野の池波あげて 

       (水原秋桜子)

  

ポリバケツ逃げまどひたる春一番

        (柿沼盟子)

  

春一番(2)」

風見鶏欣喜回転春一番    

         (山口速)

  

猫探す貼り紙吹かる春一番  

       (池田加代子)

   

春一番(3)」

改札を春一番と通りけり   

         (本節子)

  

春一番阿鼻叫喚のフェニックス

       (松崎鉄之介)

   

春一番(4)」

春一番自転車あまた薙ぎ倒し

       (芝宮須磨子)

  

春一番小学生は駈けたがる  

       (今橋眞理子)

  

春一番(5)」

よろめきて春一番と諾ひぬ  

        (村上悦子)

    

(575筆まか勢)

呼鈴は空耳なりし春一番   

        (田中湖葉)

  

松に鳴り樫に響けり春一番  

        (川村紫陽)

  

白波の浮燈台や春一番

        (岡本静子)

  

若者に古着が流行る春一番  

        (有馬朗人)

      

(「増殖する俳句歳時記」)

胸ぐらに母受けとむる春一番 

        (岸田稚魚)

この俳句は、清水哲男氏の解説に「折りからの強風によろけた母親を、作者はがっしと胸で受けとめた。」とある通りのことを詠んだものでしょう。しかし、広辞苑によると「胸倉」は「着物の左右の襟の重なり合う辺りの部分。むながらみ。」という意味ですから、作者は「母の胸倉が強風で膨らんだ」状態を詠んだ、と解釈できないこともないでしょう。作者は「胸ぐら」と表示することによって二通りの解釈を可能にしたというのは穿ち過ぎでしょうか?

          

真夜中の犬の冒険春一番

 

掲句はチュヌの主人の即興句です。春一番の強風にカーポートのシャッターが少し開き、隙間からチュヌは夜中に冒険に出かけました。チュヌの居ないのに気付いた主人やお母さんが散歩道など探しましたが見つからず、警察署に届けました。でも、チュヌは朝食前にお家に帰ったので「遺失物」の届け出はすぐ解除されました。お巡りさん、お騒がせしてすみませんでした。

   

(補追)

チュヌは2018.10.16に永遠の眠りにつきました。

『チュヌの追悼』by L.P. Lovee」をご覧頂ければ幸いです。

    

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2017年12月17日 (日)

亀鳴くや声なき声を聞けよとて

      

(2025.2.6 更新)

ここの青色文字(記事のタイトル)をクリック(タップ)して、「梅雨の亀の呟き《政界の若返りを!》」や「EXPO 2025《大阪・関西万博21句」》」をご一読下さい。

  

亀鳴くや政治刷新鬨の声

亀鳴くや海神の声聴けよとて

亀鳴くや無理をするなと帰路の闇 

亀鳴くや無理ムリとは言いづらく

亀鳴くやパワハラ嫌と言えなくて

亀鳴くや餓鬼大将にいびられて

亀鳴くや我が身になって考へよ

亀鳴くや主人諫めよポチとても

亀鳴くや仏心の嘘をつき

亀鳴くや仏の嘘は民の為

亀鳴くやドニプル川を血に染むな

       (薫風士)

 

2022年3月18日に、ウクライナ紛争についてプーチン大統領や世界の指導者が賢明な決断をしてくれることを切望して「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠んだ記事血に染むなドニエプルてふ春の川」をご覧頂いと思いますが、貴方にとって「声なき声」とは何でしょうか?

  

掲句の比喩に込めた思いをシェアして頂けると幸いです。

    

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Cimg5461_2タイトルの俳句「亀鳴くや」は2017年12月1日に国際俳句協会主催で開催された第19回HIA俳句大会の稲畑汀子選の特選になったチュヌの主人(木下さとし▪︎ 薫風士)の投句です。

  

この句は、「亀鳴くや皆愚かなる村のもの」という句を作った高浜虚子の孫に当たる稲畑汀さん(当時、日本伝統俳句協会会長)の目に留まり、特選になったのでしょう。

  

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写真は、カラ-図説日本大歳時記の「亀鳴く」などの解説頁の一部分です。

  

亀鳴く」は「春の季語」です。

写真や青色の文字をタップして、解説と例句をご覧下さい。

  

虚子は「亀鳴く」という季語を用い、「愚か者」と言わず、「愚かなる村」の「もの」と「ひらがな」表示にすることによって何かを比喩的に表現しようとしたのではないでしょうか?

    

俳句談義(15):『昭和の日』・『憲法記念日』と俳句」において述べたように、いろいろな解釈が可能です。

   

「愚かなる村のもの」の「もの」とは何か? 「者」か?「物」か?

  

「皆」とは「亀」のことか? 

  

それとも、「人は皆愚か者」と嘆いているのだろうか?

 

「村」とはどこの村か? 

  

「政治家や日本人の村社会意識」の比喩ではないか?

等々、あなたも面白い解釈をしてみて下さい。

 

(青色文字をクリックすると解説記事をご覧になれます。)

 

「声なき声」は英語ではサイレント・マジョリティ(silent majority)です。

  

「ベトナム戦争」についてのニクソン大統領の発言や、「安保闘争」についての岸信介総理大臣の発言など、色々な使い方がされています。

  

あなたにとって「声なき声」とは何でしょうか?

   

2017年の流行語大賞は「忖度」(そんたく)が選ばれました。

 

広辞苑によると「忖度」は「他人の心中をおしはかること」ですから、「おもてなし」の心に通ずる言葉でしょう。

  

「空気を読む」とか「阿吽の呼吸」とかいう言葉がありますが、肝心なことは「何について忖度するのか、忖度して何をするのか」です。

  

政治問題や国際問題には国民を納得させる透明性が必要でしょう。

  

「利敵行為・利敵発言」などのレッテル貼を恐れて発言しない「声なき声」、すなわち「トランプ大統領」や「安倍総理」などが声高に推進している北朝鮮に対する強硬政策について危惧しながら発言しない「声なき声」の真意は何か、日本が戦前に経済制裁などによって追い込まれ、「真珠湾攻撃」をしたこと、「天皇を現人神」として独裁的軍部が無謀な戦争を推進したこと等を考えれば、答えは自明ではないでしょうか?

   

「今年の漢字」に「北」が選ばれました。

 

国や人々が互いに背を向けて離反するのではなく、向かい合って対話する政治を推進してほしいものです。

 

愛する日本の将来のために、また世界平和のためにも、「人道とは何か」を政治家が真摯によく考え、叡智をもって政策を推進することを願っています。

   

あすなろう民の祈りの大聖樹

       (薫風士)

     

この俳句は神戸メリケンパークのクリスマスツリーを詠んだチュヌの主人の俳句です。

  

宗教と科学の融合」をご一読下さい。

冒頭の写真は先日チュヌの主人が神戸市の布引ハーブ園で寫した「愛の像」(Statue of Mother and Child) の写真です。

 

本との出会い <母と子・優しさと厳しさと>  や聖夜」・「クリスマス」(歳時記)の俳句など、青色文字をクリックしてご覧下さい。)

   

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2017年10月16日 (月)

高浜虚子の俳句と「護憲運動」のことなど


   

(2025.7.20 更新)

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この写真は、NHK-TV 画面の一部分ですが、10月27日の衆議院選挙投票促進の広報車などです。

 

まやかしの無い公明正大な良識ある候補者を見極めて、投票しましょう。

  

時雨るるや叉もまやかし懲りもせず

    (薫風士)

  

候補者が政治家として国民の信頼を裏切らないことを切望しています

   

(2017.10.16の記事)

高浜虚子(1874–1959)の俳句に「年を以て巨人としたり歩み去る」とか「亀鳴くや皆愚かなる村のもの」という風変わりな俳句があります。

  

10月10日、衆議院選挙が公示されました。この高浜虚子の奇妙な俳句は「衆議院選挙」とか「護憲運動」などとは何ら関係ありませんが、「踏み込んでよく考えよう!」と、読者に謎を掛けているような気がします。

 

高浜虚子は「去年今年貫く棒の如きもの」という俳句も作っていますが、今年の年末年始はどんな感慨をもって過ごすことになるでしょうか。

 

目下、衆議院選挙の投票日(10月22日)に向けて各政党の代表者や候補者が支援を求めて運動に駆け回っていますが、将来に悔いを残さないように目先のことに捉われず、皆さんが投票してほしいものです。

(青色の文字をクリックすると関連の解説記事などをご覧になれます。)

  

チュヌの主人は「俳句を通じて世界平和を!」をモットーにして、ささやかなブログを書いていますが、その一環として、「高浜虚子の100句を読む(坊城俊樹著)に掲載された虚子の100句を第1回から順次英訳して「チュヌの便り」に掲載中です

 

(第26回)高浜虚子の100句を読む」を見ると、掲句「年を以て」の作成が「大正十二年十二月二十一日」と記載されています。

「大正12年」(1923年)には関東大震災が発生しているので、そのことを俳句に詠んだものかと思いましたが、実際の作成年は大正2年(1913年)なので関東大震災とは無関係であることがわかりました。

ウイキペディアの大正2年の「できごと」を見ると、

2月に「尾崎行雄が政府弾劾演説を行う(第一次護憲運動)」「第3次桂内閣総辞職(大正政変)」、3月に「ウッドロウ・ウィルソンが第28代米大統領に就任」、「6月29日 - 第2次バルカン戦争勃発」、「11月22日-史上最後の征夷大将軍、徳川慶喜が、午前4時10分に、感冒にて死去。享年77(76歳0ヶ月25日)。」など、さまざまな出来事があります。

   

俳句においては主語がよく省略されますが、高浜虚子の上記の俳句「年を以て巨人としたり歩み去る」では「巨人としたり」や「歩み去る」の主体(主語)が省略されている、すなわち、「時の流れ」が省略されている、と解釈するのが良いと思います。

 

高浜虚子は、芭蕉の「奥の細道」の冒頭の言葉「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり」を踏まえてこの俳句を詠んだものでしょう。

    

「虚子にとっての大正二年は激動の一年であった。」と坊城俊樹氏が「高浜虚子の100句を読む」において述べているように、虚子はその年の暮の感慨を俳句に詠んだのでしょう。しかし、単に俳句のことや自分のことだけを念頭に詠んだのではなく、様々な出来事を念頭において、「大宇宙の運行」「時の流れ」「その年の出来事」などを読者に考えてほしいという思いから、このような大げさな表現にしたのかも知れません。

 

このような解釈をすると、「年を以て巨人としたり歩み去る」は次のように意訳することができます。

having made

a giant of year,

the time passes away

  

または、

  

having made the year

a giant,

the time passes away

 

さらに、次のように「歩み去る」を直訳すれば、原句の表現の面白さを生かせるでしょう。

having made the year

a giant,

the time walks away

   

なお、Terebess Asia Online (TAO)に掲句の英訳として次の翻訳が掲載されていますが、誤訳です。

Considering the years gone by

To be a giant

I walk away

上記の英訳では、「歩み去る」の主語は「I」、すなわち、「高浜虚子」自身であると解釈していますが、この俳句は虚子39歳の作ですからこの解釈は当てはまらず、見当違いの誤訳になるでしょう。

 

このような誤訳に基づいて外国の俳人や俳句に関心のある人々に高浜虚子の俳句の評価を云々されては困りますね。高浜虚子はあの世でさぞかし嘆いているのではないでしょうか?

   

俳句政治問題に限らず、「何事においても、古い既成の権威に盲従することなく、一歩立ち止まり、自分でさらに踏み込んでよく考える必要がある」ということを痛感しています。

 

俳句談義(14):俳句の片言性と二面性(改訂版)のコメント欄で触れた埼玉県の女性の俳句(「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」)の「公民館だより」への掲載拒否問題について「さいたま地裁」の判決が出ました。

   

青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

     

2017年9月18日 (月)

《台風・野分》(改訂版)

   

(2024.8.30 更新)

台風10号で大災害が起こらないことを祈るばかりです

     

(2017.9.17)

今朝(9月17日)のニュースによると台風18号が九州に接近して上陸しそうです。台風の被害が大きくならないことを祈るばかりです。

台風の近づく動き今朝の雲  

台風の上陸せしか雲走る

幾重にも黒雲走る野分前

懸念さる進路野分も政界も

チュヌの主人は、「俳句は作句を楽しむもの」「多くの人に俳句を気軽に作って楽しんでほしい」という思いでスナップ写真を撮るように駄句を気にせず口ずみ、臆面もなく掲載していますが、自己満足の月並み俳句や川柳擬きの俳句ばかりでは申し訳ないので、歳時記(俳誌のSalon)から「台風」と「野分」の俳句を抜粋・掲載させて頂きます。

(青色の季語をクリックして俳句の詳細をご覧下さい。)

    

台風1

人生の台風圏に今入りし

        (高浜虚子)

  

台風の進路またもや故郷に 

       (谷口ふみ子)

  

台風2

台風の真只中の句会かな 

       (成嶋いはほ)

   

台風の外れたる気配祭笛 

        (宮みさを)

  

台風3

台風の雲千切れ飛ぶ伊吹山 

        (高野清風)

   

台風禍畦にたたずむ老夫婦 

        (有島扇水)

  

台風4

台風裡披講の声の響きけり 

        (大串章)

   

長寿村台風寸断して去りぬ 

      (福田かよ子)

   

台風5

台風の通過待ちする古都の駅 

      (森山のりこ)

   

台風来少しわくわくしてゐたり 

       (栗原公子)

 

台風6

台風のそれて真つ赤の月昇る 

       (大坪景章)

   

一夜さを騒ぎ立たせて台風過ぐ 

        (大橋晄)

 

台風7

台風来悠然として鯉の髭 

       (岩岡中正)

   

台風一過豪雨に耐へし渡月橋 

        (桂敦子)

  

台風8

台風のさなか餃子に酢を効かす 

       (岡部玄治)

   

台風の予報進路にある旅路 

       (稲畑汀子) 

   

野分1

見所のあれや野分の後の菊 

         (芭蕉)

  

乗り継ぎを待つ空港の野分晴 

       (大久保白村)

 

野分2

野分後の流るる雲に見とれをり 

        (浦川聡子)

  

野分晴玻璃戸に乾く潮しぶき 

        (水原春郎)

  

野分3

親捨てずこころざし捨つ野分雲 

        (田中藤穂)

   

案山子の手吹き飛んでゆく野分かな 

         (ことり)

  

野分4

満天に星座定まる野分あと 

        (深田稚敏)

   

野分晴ひとりの家のひとり言 

        (浜口高子)

   

野分5

蜘蛛の糸一本遊ぶ野分晴 

        (河崎尚子)

   

巨船なほ揺らす野分の名残波 

        (栗田武三)

   

野分6

九十九里われより高き野分波 

       (菅谷たけし)

   

野分来るたくあん噛んでゐてひとり 

        (浜口高子)

   

野分7

差す人の傘壊しゆく野分かな 

         (大橋晄)

   

息詰まる思ひ野分の橋渡る 

       (宮平静子)

   

野分8

野分去り町にスタバの緑の灯 

      (大日向幸恵)

   

ビラ一枚枝に引つ掛け野分去る 

       (高橋将夫)

     

2004年に台風が多発して親戚の屋敷の倒れた栗の木などの整理を手伝ったときにチュヌの主人(木下さとし)が詠んだ次の俳句が芦屋ホトトギス俳句会(同年9月)で特選に入りました。

野分去り俄か樵となりにけり

      (薫風士)

     

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2017年9月 5日 (火)

「防災の日」の俳句《震災・地震・津波》

    

(2024.8.30 更新)

被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

 

言葉の力・俳句の力《癒し》」をご覧下さい。

   

(2017.9.5 の記事) 

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9月1日は「防災の日」です。

  

  

防災の対策を確認して、「震災」・「地震」・「津波」の俳句を鑑賞しましょう。

俳句に親しんでいる方はご存知のことですが、俳句では「地震」は「ない」と読むのが普通です。

経験則から、「地震」は必ず「ある」と言えるでしょう。

「大地震」は一定の周期で発生しています。

「ダジャレ」を言って済ませるものではありません。  

冒頭の写真はチュヌの主人が撮った神戸港震災メモリアルパークの写真で、最後に掲載した写真は「1.17希望の灯り」や皇后陛下の御歌「笑み交わしやがて涙のわきいづる復興なりし街を行きつつ」の歌碑などです。

   

写真はクリックすると拡大します。青色文字をクリックすると解説や俳句の詳細がご覧になれます。)   

「俳誌のsalon」の歳時記から下記のとおり抜粋・掲載させて頂きます。

      

震災・阪神大震災

倒・裂・破・崩・礫の街寒雀 

        (友岡子郷)

  

震災の瓦礫の傍の坪すみれ 

       (佐藤いづみ)

   

虹立てば虹に祈りぬ震災地 

        (山田弘子)

   

乾パンの缶買ひ足せり震災忌 

        (木下節子)

   

震災の仮設住宅師走の灯 

        (三浦澄江)

           

地震1

地震に覚め夜半の余寒の中にあり 

         (安原葉)

  

寒月の記憶となりて地震の朝

       (稲畑汀子)

  

地震2

石蓴生ふ地震に崩れしままの波止 

         (朝妻力)  

(注)「石蓴」(アオサ)は岩石に着生する海藻で春の季語です。

    

昼顔の茂りてゐたる地震のあと 

         (藤原浩)

   

地震3

使ひゐる春の地震のあとの箸 

        (本橋愛子)

   

すは地震かとも屋根より雪落ちて 

       (寒河江桑弓)

    

地震4

旅立ちの戸口に地震秋暑し 

        (神田惣介)

   

地震に覚め孤独のつのる秋の夜 

        (塩千恵子)

    

津波

大津波跡の地獄絵凍返る 

        (山崎里美)

    

大津波の爪あと深し春の凍 

        (小林久子)

   

9月5日は「盆の月」です。最後にチュヌの主人の一句を掲載させて頂きます。

震災の慰霊の園や盆の月 

        (薫風士)

   

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

  

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2017年7月29日 (土)

川柳「平素の思い」(その4)

平成29年7月 前川郁夫氏に「平素の思い」の川柳(その4)を投稿して頂きました。

      

・忙しい人ほど早い返メール

・定年後趣味ボランティア町興し

・一つでも社会貢献町のため

・地域との関わり増えて日々多忙

・地域との関わり持とう70代

・頑張って老いの才覚何時までも

・3R(さんアール)老若男女皆やろう

・子や孫に赤字の付けを残すまい

嘘ついて大きな顔で居座るな

嘘つきの政治家次は落そうね

 

(チュヌの主人のコメント)

「3R」とはReduce、Reuse、Recycleのことで、「ごみを減らす」「繰り返し使う」「再資源化する」ことで、平成12年に循環型社会形成推進基本法に導入された運動です。(ウイキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/3R参照。)

「平素の思い」(1~3)通読版もご覧下さい。

http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/09/post-6695.html参照。)

 

2017年2月 3日 (金)

俳句の新解釈・鑑賞 《しら梅に明る夜ばかりとなりにけり(与謝蕪村)》

    

(2025.2.27 更新)

先立ちて枯れてしまひぬ垂れ梅

      (薫風士)

    

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2022年2月24日にプーチン大統領専制下のロシア軍がウクライナ侵攻を始め3年後も続き、沢山の犠牲者が亡くなっています。

   

時代錯誤の愚かな戦争は中止しなければなりません。

  

梅東風や届け世界にこの思ひhttp://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2022/03/post-4fd0.html)

を、皆さんがSNSでシェアして頂ければ幸いです。

  

梅咲いて庭中に青鮫が来ている

        (金子兜太)

       

与謝蕪村の辞世句として有名な掲句「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」について、新解釈をしてこの記事を書きました。 

   

外山滋比古氏は「省略の詩学―俳句のかたち」で「俳句は省略の文学である」「十人十色の受け取りができてこそ俳句はおもしろい。」と云っています。

(「俳句の新解釈・鑑賞《去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)》参照。) 

   

掲句の解釈として、学研全訳古語辞典には次の解説があります(Weblio参照)。

 

[訳] 冬も終わり、ほころび始めた白梅の花が闇(やみ)からしらじらと浮かび上がる夜明けを迎えるころとなった。

 

(鑑賞)蕪村の辞世の句。没したのは十二月であるが、蕪村の心はすでに初春の明け方を向いている。季語は「白梅」で、季は春。 

   

上記の解釈は、清水哲男氏が増殖する俳句歳時記」に於いて次のように評しているように、辞世句の解釈としては安易すぎます。

(但し、清水哲男氏は「『夜』を抜く気分で読むべきだろう」と述べていますが、蕪村のような優れた俳人が無駄な言葉を使って俳句を作っているとは考えられません。) 

   

天明三年(1783)十二月二十五日未明、蕪村臨終吟三句のうち最後の作。枕頭で門人の松村月渓が書きとめた。享年六十八歳・・・(中略)・・・

単純に字面を追えば「今日よりは白梅に明ける早春の日々となった」(暉峻康隆・岩波日本古典文學大系)と取れるが、安直に過ぎる。いかに芸達者な蕪村とはいえ、死に瀕した瀬戸際で、そんなに呑気なことを思うはずはない。暉峻解釈は「ばかり」を誤読している。

「ばかり」を「……だけ」ないしは「……のみ」と読むからであって、この場合は「明る(夜)ばかり」と「夜」を抜く気分で読むべきだろう。すなわち「間もなく白梅の美しい夜明けなのに……」という口惜しい感慨こそが、句の命なのだ。・・・(以下省略)・・・  

        

学研全訳古語辞典の解説は、「冬も終わり」などを補って解釈していますが、不適切ではないでしょうか?

   

蕪村は1784年1月17日に亡くなっています。

 

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この写真は、萩原朔太郎著「郷愁の詩人 与謝蕪村」の青空文庫の「白梅」の俳句についての解説の一部分です。

   

この辞世の俳句で省略された語句は、「冬も終わり」などということではなく、「自分に残された夜」とか「自分が生きている夜」とかという主体が省略されていると解釈すべきだと思います。

「明る夜ばかり」とは、「『明けない夜は無い』というが」とか、「四季の巡りに伴い様々な夜がこれからもあるだろうが、自分に残された夜は『白梅に明る夜』のみとなった」とか、「自分が生きている夜は『この白梅に明ける夜』のみになった」と、死が間近であることを詠んだものと解釈するのが至当でしょう。

  

蕪村が大阪生まれであることを最近しりましたが、蕪村は自分が浪速生まれであることを何故か公言しなかったようです。(『から檜葉』参照。)

   

・冬鶯むかし王維が垣根哉
・うぐひすや何ごそつかす藪の中
・しら梅に明る夜ばかりとなりにけり

  

上記の3句は、過去・現在・未来を順番に詠んだ俳句だと解釈できますが、「しら梅」の句は、死後の未来を詠んだ俳句であると解釈すると、「明けない夜は無い」というが、「自分の未来(死後)の世界は『夜ばかり』である」と詠んだことになります。  

  

蕪村の臨終3句や正岡子規の辞世句3句などを読むと、高浜虚子の辞世句「春の山屍を埋めて空しかり」は、「春の山屍を埋めて(むな)しかり」と、「春の山屍を埋めて(くう)しかり」と、掛詞として読むべきであるという思いを新たにしました。俳句談義(1)参照。)  

      

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2016年8月 5日 (金)

八月の思ひ格別皇居前

   

(2024.3.7 更新)

注目を集める為なのか、レッテル張りをして喧伝する政治家や評論家がいますが、劣情に訴える煽動政治家が蔓延ることを懸念しています

  

掲題の俳句「八月の思ひ格別皇居前」は2014年(平成26年)823日に開催された花鳥六百号記念俳句大会日比谷公園皇居周辺吟行)における薫風士(チュヌの主人)の入選句です。

(青色の文字をクリックすると俳句の詳細や解説などをご覧になれます。)

    

季語別俳句8」(歳時記)を見ると、無数の季語と俳句があります。

八月」の句は600句ほどあり、冒頭には「聲に出て確める遺書八月來る (高島茂)(暖流)」が掲載されています。

「原爆忌」・「原爆の日」の俳句は400句余りあり、トップページには、「原爆の日の洗面に顔浸けて平畑静塔や「戦争を知らぬ子ばかり原爆忌稲畑汀子などが掲載されています。

敗戦」の俳句は約320句あり、冒頭には「敗戰日妻子入れむと風呂洗ふ」秋元不死男が掲載され、「終戦」の俳句は430句余りあり、冒頭には「馬兵に終戰の日は暑かりし」角川源義あります。

「敗戦」の句よりも「終戦」の句が多いのは、「戦争は金輪際終わりにしたい。戦争は繰り返してはならない。」という庶民の思いの表れではないか?

「『敗戦』を『終戦』というのはまやかしである」とか、「戦争は負けたから悪いのだ。勝てば官軍だ。」というナショナリストもいる。そういう人が憲法改正(実態は改悪)を推進ししようとしている。

自分の考えに同調しなければ、「無責任だ」とか「売国奴」などとレッテル貼りをする煽動的政治家に振り回されてはならない。

「ウソがつけない奴は弁護士や政治家になれない」と某氏が放言している。それには一面の真理があるが、国民は嘘をつかない真面な政治家に政治を付託するようにしなければならない。

日ごろから政治家の発言に関心を持ち、一人一人が一歩踏み込んでよく考え、選挙の際には、自分の良心に基づき投票したいものである。

      

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2016年4月17日 (日)

「みどりの日」の俳句を読んで思うこと。

              

 

ロシア軍のウクライナ侵攻によって、多大の犠牲者が生じています。

 

プーチン大統領の侵略政策は決して許すべきではありません。しかし、経済的制裁の悪影響は世界に広がっており、持久戦に耐える覚悟が必要ですが、事態は持久戦で済まないかもしれません。

 

已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、紛争解決案を提言しました。青色文字をクリック(タップ)して、梅東風や届け世界にこの思ひ血に染むなドニエプルてふ春の川に書いた思いを一読し、シェアして頂ければ望外の喜びです。

 

5月4日は「みどりの日」です。

1989年(昭和64年)に今上天皇の即位に伴い12月23日が「天皇誕生日」とされ、そして、1948年の祝日法施行以来「天皇誕生日」であった「4月29日」は昭和天皇に因んで「みどりの日」とされ、更に2005年(平成17年)の祝日法改正により「昭和の日」となりました。それゆえ、2007年以降は「みどりの日」は5月4日です。 

  

戦後80年間日本が戦争に巻き込まれず平和を維持できたのは憲法第9条を中心とした平和憲法と自衛隊の存在のお蔭ですが、憲法を改悪すれば国際間の緊張を高め、戦争のリスクを増大することになるでしょう。

    

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

トップ欄か、この「俳句HAIKU」をタップすると、最新の全ての記事が掲示されます。

   

2015年12月30日 (水)

「初夢」の俳句

         

(2025.11.22 更新)

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冒頭の写真は、2024年に句友が知人から頂いた絵手紙の年賀状です。

 

2024年4月に岸田文雄首相が米国を公式訪問し、「日米同盟の深化を確認し、インド太平洋地域での協力を話し合う」とのことで、バイデン大統領主催の晩餐会には、ファンロンパイ日EU俳句交流大使(初代EU理事会議長)との俳句の交流や2014年のオバマ大統領来日の歓迎晩餐会などを念頭に、「俳句を通じて世界平和を!」の外交を推進してくれることを願っていましたが、その願いは叶わず、米国はトランプ政権に交代することになりました。

      

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このNHK-TV ニュース画面(一部分)のように、石破茂内閣の人気は当初から低迷していますが、石破総理大臣には、お互いに足らずを補い、「柔剛を制す」の諺どおり、「単なるポチ」にならず、「偽りの無い」・「有りの儘の素顔」で「世界の人々の信」を得て、「日本の平和」・「世界平和」の為に尽力されることを願っています。

  

石破茂首相の「柿」の俳句「奈良の柿 郷(さと)にも浦にも 茂る秋」の「秋」は「かな」に変えた方が、ご自身のPR効果が増すのみならず、俳句として「季重なり」も解消されます。

  

「ぺんは剣より強し」なので、「まんぽ俳句」を口遊んで、ご自身の健康管理と表現力を磨いて頂きたいですね。

   

ワシントンの天へ初夢龍の如

「龍天に昇る」という春の季語を捩って、「天へ」「龍の如」としています。

  

初夢の平和の夢想現にも

(「夢想」は「むそう」、「現にも」は「うつつにも」、と読んで下さい。

         (薫風士)

  

関係の方々が「《初仕事・仕事始・出初》能登半島地震緊急支援にオスプレイを!」や「俳句談義(3):虚子の句「初空や」の新解釈:大悪人は誰か?」などを読んで、俳句HAIKUの記事に込めた熱い思いを皆さんとシェアして頂ければ、うれしいです。

 

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この写真は、同期や俳句友達などから頂いた2024年の年賀状から龍の絵の部分を集めて撮ったものです。

      

   

初夢やシュライン通り句碑並木

        (薫風士)

  

芦屋から希望の丘へ、そして、ワシントンまで、松尾芭蕉や正岡子規、高浜虚子や金子兜太など、俳人所縁の各地から、花と平和の俳句の回廊が龍の如く、日本の初空を昇ることを夢見ています。

    

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「俳句HAIKU」の記事「初暦の俳句」をご参照下さい。

      

  

記事や例句の詳細は青色文字(タイトルや季語)をクリックしてご覧下さい。

          

(2015.12.30の記事)

インターネットの歳時記の「初夢」から各ページの冒頭の俳句を掲載させて頂きます。

  

初夢1 

初夢に古郷を見て涙哉

         (一茶)

  

初夢2

初夢に海鵜きたりて泣きじやくる  

        (高島茂)

   

初夢3

初夢の淫らと云ふほどには非ず  

        (竹内睦夫)  

   

初夢に母現れし八十路かな

法王のオバマ訪問夢始め

初夢や夢の中にも夢想して

     木下さとし

   

世界の有力な政治指導者や宗教指導者が一堂に会して、宗教や人種の違い・覇権争いなどから生ずる戦争を防止する根本的な解決を協議して呉れないか!?!」と夢想しています。

   

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2015年5月10日 (日)

俳句談義(15):「昭和の日」・「憲法記念日」

                          

2025.3.19 更新)

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この写真は、NHK-TV 二ュ-スの一画面ですから、この画面だけを見て誤解しないで下さいね。

   

トランプ大統領は、日米安保条約について、「我々は日本を守らなければならないが、日本は我々を守る必要が無いのは不公平だ」と言っていますが、日本は太平洋戦争で多大の犠牲を払って、世界の唯一の原爆被爆国として米国の主導した連合軍の要求を受けて戦争放棄の新憲法を制定していますから、「この平和憲法に基づき平和を守ることによって日本は米国に対して公平な対応をしている」と言えるでしょう。

  

世界の人々がこの正しい認識に共感して、「日本の平和憲法の精神を国是として、世界平和の為の市民運動を推進してくれること」切望しています。

  
ロシア軍のウクライナ侵攻によって、多大の犠牲者が生じています。

プーチン大統領の侵略政策は決して許すべきではありません。

経済的制裁の悪影響は世界に広がっており、持久戦に耐える覚悟が必要ですが、この事態は持久戦に耐えることでは済まないかもしれません。

 

独裁者も人間ですから、独裁政治家が短気を起こすと世界はどうなるか心配なことです。

 

「太陽と北風」の寓話を馬鹿にしないで、世界の人々が平和運動を推進してくれることを切望しています。

  

青色文字をクリック(タップ)して、梅東風や届け世界にこの思ひ血に染むなドニエプルてふ春の川に書いた思いを一読し、シェアして頂ければ望外の喜びです。

     

(2015.5.10 の記事)

4月29日は「昭和の日」である。

 

歳時記の「憲法記念日」には山田弘子の俳句「国旗立つ憲法記念日のパン屋」など66句リストされている。

 

先日、東京新聞の「平和の俳句」募集に応募した友人の入選句のことなどを「俳句談義(14:俳句の片言性と二面性」に書いたが、友人が東京新聞のコピーを郵送してくれたので入選した俳句とコメントの中で特に印象に残った二つを次に転載させて頂く。

   

「青春の昭和切なし鰯雲」 斎藤けい(90)横浜市

 昭和19年、兄は二度目の招集で南方へ、将来を約束した一つ違いの幼なじみは中国大陸へ出征した。終戦になっても二人はなかなか帰らず、鰯雲の浮かぶ秋空を見上げながら待ち続けた。終戦翌年の秋、兄は半袖の軍服にぼろぼろの靴を履いて、夜、人目を忍ぶように裏口から帰ってきたが、半年は放心状態だった。幼なじみは小さな箱になって戻ったが、中は石や砂だった。

    

上記コメントの最後にある「石や砂」は「本との出会い(2)」に書いたエッセイ集「尾曲がり猫と擦り猫と」の「石ころ」と同じである。

 

小学生(国民学校初等科)の頃、戦死者が級友のご家族だった場合だろうが、遺骨を白布に包んだ箱を胸に下げてご遺族の方が帰って来られるのを駅まで迎えに行ったことがある。遺骨だと思って恭しく頭を下げていたが、石ころであることが多かったのだろう。

 

「夏の高校野球」で「甲子園の砂」を球児が袋に詰めるニュースをよく見かける。感慨無量である。

  

「ウイキメディア」によると、「1941 - 1945」の大会は太平洋戦争のため取り止めになっている(1941年の第27回の回次は残る)。

    

お手玉の小豆で赤飯父はゆく 桜井義男(80)東京都

 戦争中、もらった砂糖でお汁粉を作るため、姉二人のお手玉から小豆を取り出した。

二人は東京大空襲の夜にはぐれ、遺体も見つからなかったが、最後にお手玉をした姿を今も覚えている。友人の家もお手玉の小豆で赤飯を炊き、父親の出征を祝ったが、帰ってこなかったという。(以下省略)

       

このブログを書いていて、「欲しがりません勝までは」ということが当たり前だったのか、無いことが分かっていたからか、特に強いられることもなく、ひもじいのを子供心に我慢をしていたことを思いだし、こみあげてくる感情に我知らず涙ぐんでしまった。

 

「もったいない」という気持ちは現在でも強く感ずる。

当時は食べ物があれば何でも有難く食べるのが当然だった。

現在は飽食の時代で、子供が食事の好き嫌いをするのが当然になっている。

だが、食物アレルギーということもあるので、食べることを無理強い出来ない。

    

火の奥に牡丹崩るるさまを見つ  

      加藤楸邨)

  

この句は大空襲で自宅が燃え崩れる様子を詠んだものであることは前書きで一応理解できるが、真の句意はわからない。

楸邨の言いたかったことは何か? 

 

大牧広氏は「楸邨が国民の呻きを牡丹に託したもの」であると解釈し、次のように述べている(抜粋)。

 

この「火」は当然焼夷弾による炎上させられた火である。紅連の炎の中に崩れてゆく牡丹、もしこれが人であったらこの世の最後の悲鳴を挙げたであろう。それも叶わず黙って焼かれていった牡丹、私はこの牡丹を作者が人間をイメージして詠んだような気がしてならない。何の罪もない一般国民があの忌わしい業火の中で命を落さなければならなかった時代。この国民の呻きを牡丹に託して詠んだと思えてならない。      

        

気の向くままにインターネットで検索していると、「思考の部屋」というサイトの「94歳の荒凡夫~俳人金子兜太の気骨~」という記事に兜太の次の俳句があった。

  

水脈(みお)(はて)炎天の墓碑を置きて去る

津波のあと老女生きてあり死なぬ

     

「津波」の句は老女の生命力の逞しさを讃えているのだろうが、「貴重な若者の命は奪われたが老女はまだ生きている」という自然の不条理を皮肉を込めて表現していると解釈できないこともない。

    

日経新聞WEBを見ていると日米首脳会談の夕食会でオバマ大統領が次のような自作の俳句を披露している。

 

春緑 日米友好 和やかに(Spring, green and friendship/United States and Japan/Nagoyaka ni.)

  

オバマさんが「和やかに」と日本語を使ったのは親日・友好の意を表す意味もあったのだろうが、「和やか」は含蓄のある言葉でぴったり対応する英語が無いからでもあろう。

        

国際俳句協会では「俳句」が世界文化遺産に登録されるように努力しているが、俳句には言葉の壁があるので世界遺産登録は「和食」のように簡単ではない

 

高浜虚子は終戦に際して次の句を作っている。

     

秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみぞ

 

敵といふもの今は無し秋の月」「黎明を思ひ軒端の秋簾見る」と併せて読むと、「秋蝉も蓑虫も泣くのみだ。泣きたいものは思いぞんぶん泣けばよい。だが、自分は泣かない。終戦になって、自由に句作が出来る。さあこれから本番だ。」と清々した気持ちで詠んだ句だと思う。

    

虚子は「亀鳴くや皆愚かなる村のもの」という句を作っている。

 

明治時代に作った俳句らしいが、人を食った句である。

句作の背景や経緯を知らなければ真の句意は不明である。

 

この句が作られた「場」をご存知の方があれば是非教えて頂きたい。

        

「皆」とは誰を指すのか? 「村」とはどこのことか? 

「もの」とは「者」と「物」のいずれを意味するのか?

「亀」は「虚子」の比喩でないか?

    

単に文字通りのことを客観写生したのだろうか?

たとえば、「どこかの村で俳句会を催し、集まってきた者は碌な俳句も出来ない愚か者だった」という句だろうか?

 

「『花鳥諷詠の心』を知らぬ者は愚かだ」と言っているのだろうか?

「自分を含めて人は皆愚かな者だ」と嘆いているのだろうか?

 

「村」とは「日本の村社会性」の比喩ではないか?

「戦争推進者は皆愚か者だ」と比喩的に詠んだ句ではないか?

いずれにせよ、さまざまな解釈が可能である。

  

虚子は「深は新なり」と言っている。穿ちすぎかもしれないが、句意が不明だということは、「しっかり考えよ」と謎をかけていると解釈できないこともない。

        

昔は人災にしろ、自然災害にしろ、慟哭するしか仕方がなかっただろう。

だが、現在は科学技術も進歩しており、民主主義の時代である。

  

災害の防止や抑制は努力次第で不可能ではない。まして、戦争は叡智を集めて未然に防ぐ努力をすべきである。

 

独裁政治、覇権主義、軍事力の増大と情報非公開による国際的不信、貧富の格差拡大、一方的な道徳観の押し付け、国家間の利害対立、ナショナリズム、等、戦争発生の要因は多多あるが、このような要因の発生を防止・除去することは可能である。

 

国際貿易や文化交流を深めて、相互理解・相互依存を高めることが平和の維持・戦争の防止につながる。各国がその努力をすることが必要である。

 

日本政府が注力すべきことはそういうことを世界の指導者に働きかけることだろう。(「文化交流」や「平和国家」など、青色文字をタップすると、外務省の広報記事をご覧になれます。)

 

法律の条文は俳句のように如何様にでも解釈できる笊法であってはならない。

 

憲法の拡大解釈による自衛権の行使が、憲法改正後に時の政府の条文解釈次第で更に拡大されるようになってはならない。

  

現憲法だからこそ明文にない自衛権の拡大解釈に歯止めがかかっている。

 

憲法が改正されるとその歯止めが無くなり、更に拡大解釈をされる恐れがある。

 

現憲法に不備があるというなら、その不備を逐一吟味し、拡大解釈が出来ないことを明確にして、国民が納得できるように討議する場を設けるべきだろう。

 

大切なことは総論のみならず各論である。

 

自民党の改正条文草案に限らず、野党の改正案があればそれも含めて、法律学者・憲法学者、政治家、評論家が時間をかけて真剣に議論し、公開すべきだろう。

  

公共機関は憲法記念日など祝日の行事をする場合には国旗を掲揚するが、一般の家庭で国旗を掲げている家はほとんど見かけない。

 

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日章旗が、平和国家のシンボルとして内外で何らの抵抗なしに受け入れられ、掲揚される日は来るのだろうか?

            

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

 

   

2015年1月18日 (日)

虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か?

    

(2025.1.18 更新

去年今年宇宙は廻りめぐるかな

足らざるを補ひ合ひて去年今年

       (薫風士)

  

虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か?

「棒」は「虚子の信念」などの比喩でしょう。

     (薫風士の新解釈)

  

著名な俳人の著書の関連部分のページの写真を掲載して、従来の解釈・通説を下記のとおり紹介させて頂きます。

  

(写真1&2) 夏井いつき著「俳句鑑賞の授業」(P178~179)

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夏井いつきさんは、虚子のこの俳句を高く評価して、「『貫く棒の如きもの』という抽象的な比喩だけで、一瞬と永遠を合わせ持つ『去年今年』という季語の本質を見事に表現している」と述べていますが、夏井先生の「棒」を「一瞬と永遠の比喩」と解釈する考え方は腑に落ちません

   

従来、この俳句の「去年今年」を「貫く棒の如きもの」の主語と解釈して、俳人や評論家などが様々な解説をしていますが、何れの解説も決め手になっていないと思います。

  

虚子は、1981年(昭和56年)7月17日に亡くなった水原秋桜子への追悼句「たとふれば独楽のはぢける如くなり」に於いて主語(秋櫻子と虚子との関係の在り様)を省略しているように、この「去年今年」の句においても、棒の主体を省略して去年今年を副詞として用いていると解釈すると、すっきり説明が出来ます。

    

虚子が「去年今年」を主語として俳句を作っていたとすれば、「独楽」の俳句と同じように助動詞「なり」を用いて、「去年今年貫く棒の如きなり」と表現していた筈でしょう?

  

助動詞「なり」を使わず、「もの」と表現したことは、「去年今年」が主語でないことの証だと思いませんか?

  

「去年今年」を「虚子の信念」との取合せである、すなわち、「棒」を「虚子の信念」と解釈する考え方は、まだ一般的に通説として普及していませんが、反論出来ない限り正しい解釈と言えると思います。

    

(写真3) 
_101042伊藤柏翠著「虚子先生の思い出」(P96-97)

  

  

高浜虚子は宗演禅師のもとで参禅弁道をしたとのことですが、「明け易や花鳥諷詠南無阿弥陀」と詠んでいますから、薫風士の新解釈を一概に的外れとは言えないでしょう。

  

(写真4) 金子兜太著「酒止めようか どの本能と遊ぼうか」P140-141    

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金子兜太も、去年今年の俳句について「観念臭が強い」と言ってあまり高い評価をせず、通説通り「一物仕立て」として解釈していますが、その解釈・評価に兜太の取巻きも同意しています。

    

   

(写真5)パソコンで読んだ現代俳句協会の記事の一画面

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「去年今年」の「棒」を取合せとして、「男性器のメタファー」とも解釈できると、面白い解釈をしています。(評者横須賀洋子)

写真をタップ拡大して、記事をご覧下さい。

    

きごさい歳時記」の解説によると、「去年今年」の季語の来歴は『毛吹草』(正保2年、1645年)にあります。

  

青色の文字をタップすると関連のリンク記事をご覧になれます。) 

    

お暇があれば、2015年作成の面白い下記のオリジナル記事をお楽しみ下さい。  

  

高浜虚子の「去年今年」の俳句について、稲畑汀子さんは「虚子百句」において次のように述べている(抜粋)。   

    

「昭和25年12月20日、虚子76歳の作である。

・・・(省略)・・・ 

去年と言い今年と言って人は時間に区切りをつける。しかしそれは棒で貫かれたように断とうと思っても断つことのできないものであると、時間の本質を棒というどこにでもある具体的なものを使って端的に喝破した凄味のある句であるが、もとよりこれは観念的な理屈を言っているのではない。禅的な把握なのである。体験に裏付けられた実践的な把握なのである。

・・・(省略)・・・

_

ところで棒とはなんであろう。この棒の、ぬっとした不気味なまでの実態感は一体どうしたことであろう。もしかすると虚子にも説明出来ず、ただ「棒」としかいいようがないのかも知れない。敢えて推測すれば、それは虚子自身かも知れないと私は思う。

この句は鎌倉駅の構内にしばらく掲げられていたが、たまたまそれを見た川端康成は背骨を電流が流れたような衝撃を受けたと言っている。感動した川端の随筆によって、この句は一躍有名となった。・・・(以下省略)」

            

稲畑汀子さんは上記の如く述べているが、川端康成はこの句の「棒」をどのように解釈したのだろうか?

  

「貫く棒の如きなり」と言わず、「貫く棒の如きもの」と言っているから、「棒」は「時のながれ」というよりも「虚子の信念」の比喩であると思う。

   

「虚子俳句の痴呆性」を云々する人がいるが、この「去年今年」の句には「大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きく鳴る。」という坂本龍馬の言(勝海舟に説明した西郷隆盛の評価)を当てはめたい。

  

文学に限らず、音楽や絵画など、芸術は自己実現の個性を表現するものであり、それをよく理解できるか否かは鑑賞する人の性格や人生観、能力などが左右する。まして、俳句は17文字(音)で表現する短詩であり、論理ではなく感性にうったえるものである。従って、俳句はその作者と「場」を共有するか、それが作られた「場」を適切に推定することが出来なければ理解できないことがある。

  

特にこの「去年今年」の句のように比喩的な俳句は、読む人の見方次第で卑しい句であると誤解されることもある。

  

その逆に、俳句が作者の意図以上によく解釈されることも珍しくない。

  

それは俳句の本質的な限界でもあり広がりの可能性でもある。

  

中立的な表現の俳句は鏡のように、読む人の心を映しだす。

  

虚子はこのような俳句の面白さもこの句に織り込んだのではなかろうか?

             

大岡信さんは「百人百句」において、「俳句という最小の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。」と次のように述べている(抜粋)。  

(省略)・・・昭和20年代後半から30年代にかけては『前衛俳句』の黄金時代で、若手の俳人はそちらに行ってしまい、虚子は一人さびしく取り残されている感があった。

・・・(省略)・・・私は現代詩を書いていたので、・・・(省略)・・・どちらかというとはじめに前衛派的な人々の句に親しんだので、それから逆に句を読み進め、高浜虚子を初めてというくらいに読んでみた。すぐに感じたのは、虚子の俳人としての人物の大きさだった。

私は常々現代詩を作り、・・・(省略)・・・斎藤茂吉が好きだったので茂吉の歌もよく読んでいた。しかし、『去年今年』の句を読んだときに、俳句という最小の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。・・・(以下省略)

            

この句についてインターネットで検索していると、宗内敦氏の「アイデンティティ-第二芸術」というタイトルの傑作な記事があった。 

     

「去年今年(こぞことし)とは、行く年来る年、時の流れの中で感慨込めて新年を言い表す言葉である。しかして虚子のこの一句、『貫く棒の如きもの』、即ち、時の流れを超えて『我ここにあり』と泰然自若の不動の自我を描いて、まさに巨星・高浜虚子の面目躍如たる『快作にして怪作』(大岡信『折々のうた』)の自画像である。

それが何としたこと、バブル絶頂の頃だったか、ある新聞の本句についての新春特集ページに、『この句を知ったとき、顔が火照り、胸がときめき、しばらくは止まらなかった』という中年婦人の感想文(投書)が載せられた。一体何を連想したのか。破廉恥にも、よくぞ出したり、よくぞ載せたりと、バブル時代の人心・文化の腐敗に妙な感動をもったことを思い出す。・・・(以下省略) 

          

この「中年婦人」を「破廉恥」とか「卑しい」などと決めつけるのは誤解かも知れない。

  

この女性は汀子さんの上記の「虚子自身かも知れない」というコメントと英語「itself」の俗語の意味とを自然に結び付けて連想したのかも知れないのである。   

  

「虚子自身」も自分自身の「それ自身」を客観写生して、「生命力の強さ」をこの俳句で表現したのだ、と深読み出来ないこともない。

                

この句を作ったとき虚子は夏目漱石の「草枕」の冒頭にある有名な文「智に働けば角が立つ、情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」も意識していたかもしれない。 

   

この句の「棒」のイメージは、「草枕」の「情に掉させば流される」という文句や方丈記の名文句、美空ひばりのヒット曲「川の流れのように」の歌詞など、時世・人生を表現するのに用いられる「川のながれ」とは全く異なり、力強くて斬新なものである。

  

虚子は「深は新なり」とか「古壺新酒」と言っている。「花鳥諷詠」と「客観写生」を唱道していたが、「前衛俳句」の黄金時代にあって、「去年今年」の句を作ることによって「これも『花鳥諷詠』だ」と、その幅の広さと虚子の信念と自信をアッピールすることを意識していたのではなかろうか。

  

    

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

  

2014年6月15日 (日)

宗教と科学の対立と融合

    

(2025.4.19 更新)

恒久的世界平和を確立する為に、宗教心の在り方について是非とも皆さんに考えて頂きたいと思っています。

青色文字のタイトルをクリック(タップ)して記事をご覧下さい。

  

What's up? Today 《俳句 365 haiku

   

21世紀の俳句と世界平和

 

終戦記念日・墓参・盆」の俳句

  

梅東風や届け世界にこの思ひ

  

言葉の力・俳句の力《癒し

  

俳句《涼し》死の話

     

P.S. 2022.3.15

ウクライナ紛争について、プーチン大統領や世界の指導者が賢明な決断をしてくれることを切望して、「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、書いた記事を読んで頂きたく、この P.S.を追加しました。

 

青色文字をクリック(タップ)して、「血に染むなドニエプルてふ春の川」をご覧下さい。

    

(2014.6.15)

科学と宗教の関係について何となく興味を持ち、インターネットで検索して見ると、デニス R. アレクサンダーが「Faraday Paper 3 科学と宗教の関係---4つのモデル」(髙木悠鼓訳)で「衝突モデル」「相互不可侵モデル」「融合モデル」「補完モデル」の4つの考え方について比較し、科学的知識と宗教的知識の関係を示すのに最も実り多いのは「補完性」のモデルであると結論している。

しかし、いずれの考え方も科学と宗教の関係を説明しきれていないのは、宗教というものを伝統的な既存の宗教の範囲で論じているからだろう。

 

世界のどこかで宗教の違いに起因する争いが、科学的に進歩した強力な武器を用いて常に起こっているのは誠に嘆かわしいことである。

科学は進歩をしているのに宗教は進歩をしていない。

 

これは、科学においては理論を実験によって証明し、過去の論理が間違いであることを証明することができるが、宗教については哲学的・形而上学的に聖書や経典などの解釈を論ずることが出来るとしても、科学的に検証することが出来ず、信ずるか信じないかの水掛け論に終始するからでないか?

  

宗教をキリスト教やイスラム教、仏教、などの既存の伝統的なもので考えるのではなく、現代の宇宙時代にふさわしい新しい形で宗教をとらえると、科学と宗教を融合することが出来るのではないか?

 

新約聖書には「始めに言葉ありき」とあるが、この「言葉」とは何か?

 

自然現象があってそれを説明するために言葉が作られたのだから、一般的に用いている「言葉」を意味すると解釈するのは間違いだろう。

 

神の子イエス」というが、この「神」とは何か? 

 

「神」とは人知の及ばない存在、即ち、「宇宙の摂理」を意味しているのではないか?

 

アニミズム汎神論ではなく、宇宙の存在・システムそのものを神としてとらえ、科学はそれを物理的に解明することによって神の意思に沿った人類の幸福を追求するものであり、宗教はそれを形而上学的にとらえることによって人類の幸福を追求するものであると考えると良いのではないか?

 

既存の宗教の戒律にとらわれず、自然科学で実証されたものを宗教的な考え方に取り入れると同時に、科学の応用について、何が人類の真の幸福をもたらすかということを倫理的・宗教的に考えるようにすると良いのではないか?

 

浅学非才の凡人としては、進取の気性に富んだ偉大な宗教家、科学者、哲学者などが叡智を集め、既存の宗教を宇宙時代にふさわしい宗教に融合して真に人類の幸福をもたらすものにしてくれないかと祈るばかりである。

 

今日のNHK・BS放送のPBSニュースによるとローマ法王が中東を訪問したとのことである。キリスト教徒・イスラム教徒・ユダヤ教徒の融和の動きが進展すればよいが・・・・

 

「宇宙教」とか「宇宙神教」などの名称はあるのかなと思ってインターネットで検索すると、既にこのような名称の新興宗教らしきものがあるのを知って驚いた。

 

このような新興宗教の実態は知らないが、真に人々に幸せをもたらすものであれば良いのだが・・・・。

  

5月28日のNHKニュース「おはよう日本」を見ていると、久里洋二さん(アニメ作家)の「われわれは宇宙人だ」の制作について放映されていた。

 

現代の科学で解明された宇宙における地球・人間としての立場から世界の宗教指導者が昔の預言者の教えを見直す叡智を発揮して呉れることを切望している。

    

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