2022年は「敬老の日」が9月19日となり、「子規忌・獺祭忌」と重なりました。
「季重なり」の俳句が「名句」か「迷句」か、よく議論になりますが、「論より証拠」、気の向くままに著名俳人の「季重なり」の俳句を集めました。
(写真)
日本伝統俳句協会9月のカレンダー
(写真はタップ拡大できます。)
著名俳人の「季重なり」の俳句を気の向くままに掲載します。
「小晦日」は「こつごもり」と読み、「冬の季語」です。
「鶴」は「冬の季語」ですが、「花の雲」が季語として主でしょう。
菜の花や月は東に日は西に
寒月や門なき寺の天高し
「菜の花」は春の季語、「月」は秋の季語です。
「寒月」は「冬の季語」、「天高し」は「秋の季語」です。
運動会の旗あちこちす春の山
夕月に大根洗ふ流かな
「運動会」は「秋の季語」ですが、「春の山」が主な季語でしょう。
鴨の嘴よりたらたらと春の泥
朝顔の映り熱帯魚は沈む
「鴨」は「冬の季語」ですが、「春の泥」が季語として主でしょう。
国際俳句交流協会の「高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!」には掲句の他にも「季重なり」の例句があります。
夕立が洗つていつた茄子をもぐ
「雪」の俳句は、「冬の季語」が二つあり、破調「7・5・7」の自由律俳句です。
手の薔薇に蜂来れば我王の如し
宵月のやがて大根の葉に照りぬ
「啄木鳥」は「秋の季語」、「落葉」は「冬の季語」です。
美しき緑走れり夏料理
障子しめて四方の紅葉を感じをり
「障子」は「冬の季語」、「紅葉」は「秋の季語」です。
「緑」も「夏料理」も「夏の季語」です。
「言語の壁を破るチャレンジ(6)《夏料理》」をご覧下さい。
霧に白鳥白鳥に霧というべきか
流れ星蚊帳を刺すかに流れけり
「霧」は「秋の季語」、「白鳥」は「冬の季語」です。
「流れ星」は「秋の季語」、「蚊帳」は「夏の季語」です。
「コロナ禍の俳句鑑賞《流星》」をご覧下さい。
桜よりはじまつてゐる初紅葉
苗代寒さそへる雨となりにけり
「苗代寒」は、現代俳句協会「現代俳句データベース」によると、「春の季語」です。
この俳句は、切れを「苗代」と「寒さ」の間に入れて読むと句意が明瞭ですが、「苗代」は「春の季語」、「寒さ」は「冬の季語」です。
「「桜」は「春の季語」、「初紅葉」は「秋の季語」です。
「俳句の鑑賞 《初紅葉・薄紅葉》」をご覧下さい。
稲刈りの進めば進む蝗かな
梅雨磧湿らぬ翅の蝶をのせ
「稲刈り」も「蝗」も秋の季語です。
「梅雨」は「夏の季語」、「蝶」は「春の季語」です。
「はくれん」は、「ハクモクレン」(白木蓮)と解釈すると「春の季語」ですが、「白蓮」と解釈すれば「夏の季語」です。
「落花」は主に桜の花の落花を意味する「春の季語」です。
この俳句の場合、「白蓮の落花」と解釈すると「夏の季語」になるでしょうが、「白木蓮の落花」(春の季語)と解釈すべきでしょう。
作者は「はくれん」と平仮名で記述して、「俳句の解釈の面白さ」を狙ったと考えるのは穿ち過ぎでしょうか?
とんぼうの腹の黄光り大暑かな
「とんぼ」は「秋の季語」ですが、「大暑」は「夏の季語」です。
小春日や石を噛み居る赤蜻蛉
「小春日」は「冬の季語」、「赤蜻蛉」は秋の季語です。
「俳句《とんぼ・蜻蛉・秋茜・赤蜻蛉・やんま》」をご覧下さい。
季節の移ろいや時間の流れを詠むと、必然的に「季重なり」になります。
著名俳人の掲句や写真の後に掲載した拙句などを読むと、納得して頂けるのではないでしょうか。
「季語を二つ用いた俳句はダメ」という観念に捉われている主宰やその信奉者は表現の幅を狭めて俳句をつまらなくしていると思います。
真夏日に句友の呉れし林檎愛づ
カナカナの声鎮まりて法師蝉
法師蝉夕日に黙し虫の声
爽やかや野分の進路遠ざかり
(薫風士)
「野分」は「台風」のことです。
高浜虚子の詠んだ次の俳句は安倍晋三元総理大臣の国葬の是非論と支持率低下の最中にある岸田総理大臣の現況や今年の出来事に当てはまると思っています。
年を以て巨人としたり歩み去る
(高浜虚子)
戦時下の自由にものが言えない時代に、高浜虚子は客観写生を唱道することによって正岡子規から引き継いだ俳句の伝統を守ったと思っていますが、現在は自由に物の言える民主主義の時代です。
一歩踏み込んでよく考え、多様性の時代の俳句をエンジョイしましょう。
それが、結果として、「俳句を通じて世界平和を!」の実現に繋がれば望外の喜びです。
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