俳句と川柳: 世界遺産へ小異捨て

      

(P.S. 2024.3.12)   

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奈良の句友(まん歩ネット俳句会メンバー)が地元PRのSNSサイトで俳句と川柳のコラボ記事を書いているとのことで、先日メールをくれました。

  

(この写真をタップ拡大して、その記事をご覧下さい。)

  

  

   

俳諧の令和版」の「俳句のサイト」として、このようなSNSサイトが増えて故郷が元気にり、日本から世界へ「平和の俳句」が広がることを願っています。

  

「俳句」も、世界的に広がってきている「和食」などと同様に、「自然を尊ぶ」という日本人の気質に基づいた「自然とのかかわりのある習わしや行事、生活」などを詠む「世界最短の詩・文芸」として世界遺産に登録されてもよさそうに思いますが、何だかんだと反対して、料簡の狭い著名俳人や川柳作家などが未だに狭い俳句や川柳の世界に閉じ籠っているのは悲しいことです
    

  

(2018年12月の記事)

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俳句と川柳はどちらも諧謔・滑稽味のある俳諧連歌から発展した文芸であり、俳句は「発句」から発展し、川柳は「付句」から発展しました。

  

「にもかかわらず、ユネスコ無形文化世界遺産登録への運動が俳句界のみなのは何故か?」

  

その理由について最近ふと考えました。

  

(青色文字をクリックするとリンクされた関連の記事がご覧になれます)

    

俳句の面白さは人事を含む花鳥諷詠にあり、

諧謔・滑稽は川柳における風刺ほど強いものではありません。

 

川柳では人間の様々なありようを風刺して、

その面白さを強く表現します。

  

弱い立場のものが強い立場のものを風刺しすれば、

「憂さ晴らし」になります。

  

その逆をすると、

「風刺」は「いじめ」になります。

  

度の過ぎた風刺は風刺された者の不興を買い、

予期せぬ争いの原因にもなるでしょう。

  

しかし、「和」と「節度」を尊重する日本の川柳は、

テロ事件の要因になった風刺漫画の轍は踏まないでしょう

   

最近は「詩性川柳」という呼称の川柳もあるようですが、  

「川柳」という呼称に何故固執するのでしょうか?

伝統俳句」が「季語」を重要な要素としているからでしょうか?

 

現代俳句には無季の句もあります。

「季語」にあまり拘る必要は無いでしょう。

   

日本は幸い四季のある自然と平和に恵まれていますが、

地域によって季節の変動の仕方が異なり、災害もあります。  

世界には、四季が無く過酷な自然と戦争に苦しんでいる国もあります。

    

俳句界のみが世界遺産登録の運動を推進するのは片手落ちだと思いますが、川柳界には川柳を俳句と共に世界遺産に登録しようという考えはないのでしょうか?

  

俳句界と川柳界が協調して、「俳諧世界遺産運動」とか「俳川世界遺産運動」とか、何か適切な呼称で登録運動を推進すれば、もっと運動が盛り上がるのではないでしょうか?

   

「俳句と川柳は室町時代の俳諧から発展して世界の人々に現在も愛されている世界一短い短詩形式である」と主張して運動を推進する方が、ユネスコの認定を得やすいのではないでしょうか?

  

この考えに俳句愛好者と川柳愛好者が共に賛同してくれると、

世界平和と世界遺産登録の「草の根運動の一助」になればとの思いでブログを書いている筆者として、望外の喜びです。

    

高浜虚子は「俳諧に老いて好もし蕪汁」という俳句を詠んでいます。  

    

川柳擬きの拙句を最後に掲載させて頂きます。

  

去年今年世界遺産の夢を句に 

初夢や世界遺産の句に興じ 

川柳も俳句も同じ俳諧よ 

果てしなき夢を追いつつ去年今年 

去年今年八十路の夢を茶寿までも

       

皆さんは、上記の句を「俳句」と「川柳」のどちらに捉えますか?

 

英語など外国語に翻訳すると、いずれの句も俳句か川柳か全く区別がつかず、両者を区別する必要がないでしょう

そう思いませんか?

  

空飛ぶ坊城俊樹著「空飛ぶ俳句教室 続・俳句と川柳」をご覧下さい。

     

  

真の世界平和は、「俳句」(HAIKU)が世界遺産に登録されても直ぐには実現しないでしょうが、その実現の夢を追って、「俳句を通じて世界平和を!」をモットーに、「俳句HAIKU」のブログ記事を書いています。

    

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