・一葉散る咄ひとはちる風の上
この俳句のドイツ語訳について不審に思ったドイツの「俳句メル友」から新年早々に問い合わせのメールを受信しました。
この俳句のドイツ語訳を次のとおり英訳してありました。
A single leaf falling
sheer lunacy!
A single leaf drifting away with the wind
そして句友の英訳は次のとおりドイツ人らしい合理的な翻訳です。
Loosen from the tree
the helpless leaf
is drifting away on snowflakes
「sheer lunacy」は「愚行」とか「まったく馬鹿げたこと」と言うような意味です。(研究社大英和辞典)
「咄」は「叱る声」や「事の意外さに驚き怪しむ声」です。(広辞苑参照)
そこで、「咄」は座禅に使われる「喝」と同じような一種の擬音であること、この俳句の「葉」は「人間」の比喩と捉えるのが良いと思う旨説明し、次のとおり筆者独自の大胆な意訳を連絡したところ、「amazing!」と感嘆した旨の返信が来ました。
man dies as a leaf falls_
Basho has passed away,
now, me too.
因みに、R. H. Blyth 氏は A History of Haiku (Volume One) において、「この辞世句は美しいが、何か nerveless である」と付記して、次のように文字どおり英訳しています。
A leaf falls,
Totsu! Another leaf falls,
Carried by the wind.
「nerveless」は研究社大英和辞典によると「弱弱しい」とか「冷静な」という意味ですが、Blyth はどちらの意味を指しているのでしょうか?
Stephen Addiss 氏は The Art of Haiku において、「『咄』は禅の叫び声である」と付記して、次のとおり英訳しています。
a leaf falls
Totsu! a leaf falls_
riding the wind
上記2氏の英訳は「風に運ばれる」とか「風に乗る」と英訳していますが、嵐雪は「風の上」と表現して「昇天」を暗示したのではないでしょうか?
さらに、「咄」と擬音で注意を喚起して、「ひとはちる」と「ひらがな」を用いて「人は散る」と読ませることを意図していたのではないでしょうか?
穿ちすぎでしょうが、高浜虚子は嵐雪の辞世句が潜在意識にあって「春の山屍を埋めて空しかり」に同じように「ひらがな」を用いる手法を使ったのかもしれません。
それはともかく、英語は論理的な言葉ですから日本語ほど連想を伴いません。比喩的な俳句は文字通りの英訳と意図された比喩の意訳を併用すると日本語の原句にある暗喩のニュアンスが理解されやすいと思っています。
国際俳句交流協会HP掲載の「高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!」をご覧下さい。
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