「敬老の日」の「糸瓜忌」に思うこと

     

子規忌(「糸瓜忌」・「獺祭忌」)は9月19日であるが、今年は「敬老の日」に当たる。そこで、一句「早世の子規を偲ぶや敬老日」と口遊みながら検索したインターネット歳時記の子規忌の俳句約300句ほどの中で目にとまった句は「子規忌なりいまは美顏に使ふ水(中原道夫)」である。この俳句の水は糸瓜水のことに違いない。 

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正岡子規肺結核の喀血や脊椎カリエスの激痛に耐えて俳句の道に励んでいたが、糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」「痰一斗糸瓜の水も間に合はず」「をととひのへちまの水も取らざりき」の三句を絶筆に、35歳の若さで亡くなったのだ。

当時、糸瓜の水は咳止めや痰を切るのに効き目があるとされ、特に十五夜に取った糸瓜の水は効果があるとされていたようである。「をととひのへちまの水もとらざりき」とはこの十五夜の糸瓜の水を取らなかったことを詠んでいることを最近知った。

正岡子規自分の死の近いことを直感して「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」などの句を詠んだのではなかろうか。この3句を詠んだ後に昏睡状態になり、亡くなったとのことである。

自分の死をも滑稽味のある俳句にする悲壮な覚悟を思うと、申し訳ないような気もするが、「糸瓜忌や絶筆に知る句のこころ」、「凡才は長寿が頼り獺祭忌」などと駄句を口遊みながら、子規の凄さを偲んだ凡人の「敬老の日」だった。

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