「探梅」・「観梅」の俳句と写真
故郷を「まんぽ俳句」で元気にしよう!
この路を我等が行くや探梅行
掲句の「この路」で芭蕉の俳句「此道や行人なしに秋の暮」を思い出しましたが、この俳句は高浜虚子が53歳(昭和2年・1927) に詠んだ句です。
ここをクリック(タップ)して、解説記事「高濱虚子の100句を読む」(坊城俊樹著)をご参照下さい。
青色文字をクリック(タップ)してリンク記事をご覧下さい。
写真は神戸・岡本梅林公園の梅見(観梅)をして撮ったものですが、ここをクリックして、岡本梅林公園の由来・行事や写真(梅祭実行委員会のHP)をご覧下さい。
前座に拙句を掲載します。
探梅に神戸岡本訪ねけり
探梅や駆け行く幼追ふ老躯
(薫風士)
歳時記(俳誌のサロン)から「探梅」の俳句を抜粋・掲載させて頂きます。
一輪に探梅心芽生えけり
(稲畑廣太郎)
水音の奥へ奥へと探梅す
(神蔵器)
探梅やここまでくればあきらめも
(平子公一)
一人づつ増えて探梅らしくなる
(中原道夫)
梅探しゐるポケットにワンカップ
(川端俊雄)
これほどの坂とは知らず探梅行
(館容子)
人のあとばかり歩いて探梅行
(吉原一暁)
探梅やたどる山路の暮れそめて
(浅井美子)
探梅行帰路の大きな夕日かな
(川井政子)
よき地酒あり探梅もそこそこに
(安陪青人)
上記の一連の例句を読むと、昔の人々が連歌や俳諧を楽しんだことが分かるような気がします。
「『俳句の面白さ・楽しさ』を多くの人々が知り『俳句の輪』を広げてほしい」と思っています。
我田引水ですが、高浜虚子もこのような思いで冒頭の俳句「この路」を詠んだのではないでしょうか?
「この路」の俳句を日本の進むべき道の比喩であると解釈し、「八月の俳句に思うこと」と合わせて読むと、「高浜虚子は俳句を通じて平和を希求していた」と言えるでしょう。
俳句(俳諧)の世界遺産登録運動の草の根運動の一助になればとの思いでささやかなブログを書いていますが、この思いを皆さんがお友達とシェアして頂けると望外の喜びです。
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