HAIKU (バイリンガル英語俳句) Feed

2019年6月21日 (金)

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「五月雨」(17/300)

  

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(写真)

姫路城の傍にある動物園の鶴。

  

   

          

五月雨に鶴の足みじかくなれり

(samidare-ni tsuruno-ashi mijikaku-nareri)

  

           

(A)

heavy summer rain

has caused the cranes’ legs

to be very much shorter

  

(B)

the rain of rainy season

has made the cranes’ legs

look shortened

  

(C)

the legs of cranes

look shortened_

the seasonal rain

   

A)は「575訳」で散文的英訳になっていますが、芭蕉の原句が散文的表現なので是認すべきかもしれません。

B)と(C)は「Lovee訳」ですが、(C)の方が簡潔で俳句らしい翻訳です。

なお、「五月雨」は陰暦5月の長雨(「梅雨の雨」)のことですが、は「冬」の季語です。

   

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現在では鶴は北海道や動物園でしか見ることが出来ませんが、芭蕉がこの俳句を詠んだ頃には沼地などで梅雨時にも野生の鶴を見ることが出来たのでしょうか? それとも、この俳句は俳諧味を出すための全くの創作でしょうか?

     

 

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2019年6月20日 (木)

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「真桑瓜」(16/300)

  

・初真桑四にや断ン輪に切ン

(hatsu-makuwa yotsu-niya-tatan wani-kiran)

           

            (A)

            the year’s first melon;

            how should i cut it; in four

            or in round slices

 

            (B)

            shall I cut in four

            or in round slices?

            the season’s first melon

 

A)は「575訳」です。(B)はL.P. Lovee訳です。「初真桑」の「初」の英訳は、旬の初物という意味で「year’s first」より「season’s first」と訳する方がよいでしょう。

本間美術館の記事によるとこの俳句は連歌の発句です。

この連歌に興味があれば、ここをクリックしてご覧下さい

  

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「みそさざい」(14/300)

    

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冒頭の写真はカラー図説日本大歳時記の「みそさざい」と「梅」の解説ページです。写真はクリックすると拡大します。

        

    ・世ににほへ梅花一枝のみそさざい

(yoninioe baikaisshino misosazai)

           

            (A)

            sweet-scented world;

            on a branch of plum blossom

            a wren is perching   

 

            (B)

            Be fragrant in the world!

            a wren

            on a branch of plum blossom        

 

(A) は「575訳」ですが、「世ににほへ」(命令形)を無視した誤訳です。

(B) は原句の意味を忠実に訳出しています。

芭蕉俳句全集」によると、この俳句は明石玄随(医師)を称えた挨拶句とのことです。したがって「みそさざい」は玄随の比喩であると解釈できます。

なお、「鷦鷯」は冬の季語、「」は春の季語です。

  

 

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「ほととぎす」(13/300)

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13) ほととぎす消え行く方や島一つ

          (hototogisu kieyukukataya shimahitotsu)

         

          (A)

          where a small cuckoo

          disappeared in the distance

          a single island

  

          (B)

          in the distance where

   a little cuckoo disappearing,

          a single island

 

A)は「575訳」ですが、「消え行く」を「disappeared」(過去形)と誤訳しています。

B)は「消え行く」を訳出するために「disappearing」(進行形・be動詞省略)としました。

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「春風」 (11/300)

   

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 ・春かぜやきせるくはえて船頭殿

  (harukazeya kiserukuwaete sendo-dono)

          

     (A)

          spring breeze_

          with a pipe in his mouth

          Mr. boatman

 

         (B)

          with a pipe in his mouth

          Mr. boatman_

              spring breeze

  

        (C)    

         a pipe in his mouth,

         mister boatman is smoking;

         a breeze in springtime

 

 (C)はホワイト氏の英訳ですが、5-7-5の音節にするために動詞が使われ、句意はわかりやすいですが、簡潔さという俳句の特徴・良さは損なわれています。

A)と(B) はL.P. Loveeの英訳ですが、音節に捉われず俳句の簡潔さを優先した翻訳です。  

俳句は好き好き、翻訳も好き好きです。(B)が良いと思いますが、貴方はどの英訳が良いと思われますか?

   

余談ですが、「春風」といえば高浜虚子春風や闘志抱きて丘に佇つ」という俳句を思い出します。同じ思いで俳句の翻訳をしています。

   

  

2019年6月16日 (日)

Bashō’s Haiku in English and Japanese (6/300) (Revised)

     

・岩躑躅染る泪やほととぎ朱 (6)

  iwatsutsuji somuru namidaya hototogisu

  

 (A) Translation by John White & Kemmyo Taira Sato

  rock azaleas

  so it seems, have been dyed red

  by the cuckoos’ tears

  

(B) Translation by L.P. Lovee

the rock azalea_ 

  dyed with the tears of

  a cuckoo

   

(C) Translation by L.P. Lovee

  the tears 

  dyed with the rock azaleas_

  a cuckoo

         

ほととぎす」には「杜鵑」「時鳥」「子規」など色々の当て字があります。一般的に「ほととぎす」の詩歌は「鳴き声」に焦点を当てますが、芭蕉は「ほととぎ朱」と書き、色に焦点を当て新鮮味を出したものでしょう。 ちなみに、「血の涙」という言葉もありますが、評伝・正岡子規(柴田宵曲著)によると、正岡子規は俳号「子規」の元になった五言絶句で「杜鵑が血を吐いて鳴く」という趣旨のことを詠んでいます。

(B)の翻訳が最適でしょうが、文法的には(C) のごとき翻訳も可能です。

   

2019年6月 7日 (金)

芭蕉300句:言葉の壁を破る英訳チャレンジ (1)

         

 (Click here to see "the English version by L. P. Lovee".)

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先日、「575 The haiku of Basho」の著者John Whiteが共著者の佐藤平顕明氏と来日され、芭蕉の俳句の英訳について議論する機会を得ました。

ホワイト氏は俳句の原則5-7-5音を尊重して英訳を5-7-5 音節(syllable)のhaikuとし、芭蕉が字余りで詠んだ俳句はそれに従って音節を増やすという徹底ぶりで、300句を英訳しています。その労作には驚嘆しました。

ホワイト氏は日本語を理解できないので、佐藤氏の解説を基にして英訳されたそうで、両氏のご努力には敬意を惜しみません。しかし、俳句の本質は5-7-5音の簡潔な詩的表現をすることにあり、日本語と英語の構文や発音などの違いを無視して形式的に音節に拘ることには賛成しかねます。動詞や前置詞・副詞などを使用して音節を増やすと散文的になり、俳句の特徴である「詩的短さ」が損なわれると主張しましたが、ホワイト氏は英語の詩として十分簡潔なhaikuに翻訳していると反論され、議論は平行線に終わりました。

ホワイト氏には94歳のご高齢にもかかわらず翌日の帰国を控えたお忙しい時間を割いて頂いたので議論の矛を収めましたが、言葉の壁を破り俳句の翻訳をすることの難しさの一例として、ご参考までに下記のとおり紹介させて頂きます。

 

・ほろほろと山吹ちるか瀧の音 (芭蕉

 

yellow rose petals

gently, gently flutter down;

waterfall thunder

 

ホワイト氏は、芭蕉が山吹を見て詠んだものとしてこの翻訳をしたとのことで、「滝音の響きと山吹が静かに散る対比が面白い」と感想を述べていました。

この解釈は、疑問を表す助詞「か」を見落としていますが、日本の著名な俳人も文法に気をとめず直感的に句意を解釈する傾向があるので是認すべきかもしれません。この俳句は滝の音を聞きながら、「滝の轟音の響きで山吹が散るのではないか?」と滝音の大きさを詠嘆して詠んだものでしょう。 

そこで、次のとおり試訳してみました。

  

shall yellow rose petals

flutter down?

the thunder of water fall

   

ホワイト氏の翻訳は9語17音節ですが、上記試訳は11語16音節です。語数が増えても「滝の音」を強調するために敢えて「the thunder of waterfall」としました。

英詩のHAIKUとしては試訳よりホワイト氏の翻訳の方が詩的映像が鮮明になり優れていると思いますが、原句の句意を無視することはできません。試訳は1~2行の改行を活かし、間をおいて読むと俳句らしくなります。

芭蕉は「滝と山吹」の従来の取り合わせの焦点を音に当てることにより新鮮味を出し、映像は読者の想像に委ねたものと思います。

ホワイト氏はロンドンの名門大学UCLの教授だったとのことですが、まだまだお元気です。「来年も生きていたら来日し、俳句と仏教について講演するつもりだ」と仰ってました。

芭蕉の俳句を気の向くままに英訳して言葉の壁を破るチャレンジをし、来年もホワイト氏と議論できることを願っています。

 

今後の英訳は折に触れてfacebookにも掲載します。俳句の翻訳に関心のある読者の皆さんからコメントを頂き、「俳句とhaiku」鑑賞の楽しさをシェアして頂けると望外の喜びです。

   

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2019年6月 5日 (水)

芭蕉300句:言葉の壁を破る英訳チャレンジ (4)

Basho’s Haiku in English  (5/300)

  

・菜畠に花見顔なる雀哉 

 nabatakeni hanamigaonaru suzumekana  

  

(A) Translation by John White & Kemmyo Taira Sato

  in a field of rape

  with flower viewing faces

  a flock of sparrows

 

(B) Translation by L.P. Lovee

  a plot of rape field,

  with a look of flower viewing

  one of the sparrows

  

日本語には単数・複数の区別が無く、俳句を詠んだ背景が分からない場合は英訳に苦労します。(A)では「群れ雀の全てが花見顔をしている」と解釈していますが、雀は地面にいるときは何かを啄ばんでいるのが普通ですから、「群れ雀の一羽が恰も花見をしているように見えた面白さを俳句にしたもの」と解釈して英訳しました。しかし、一羽だけ雀が居る様子を詠んだものと解釈すると、「one of the sparrows」は「a sparrow」に替えることになりますが、この方が俳句らしい翻訳になります。日本の畠は欧米に比べて規模が小さいので「a plot of」を補足して翻訳しました。蛇足ですが、上記の「rape」は、「強姦」ではなく、「アブラナ」です。

  

2019年5月30日 (木)

芭蕉300句:言葉の壁を破る英訳チャレンジ (9)

Basho’s Haiku in English  (10/300)

 

・風吹けば尾ぼそうなるや犬桜

 kazefukeba obosounaruya inuzakura

   

(A) Translation by L. P. Lovee

   when the wind blows,

   the tail dwindles_

   dog-cherry blossoms

    

(B) Translation by John White & Kemmyo Taira Sato

   as white blossoms blow

   away in the wind, the trees

   appear to dwindle

   

犬桜」の学名は「Prunus buergeriana」ですが、俳句用語に適しないので、原句の面白さを訳出するために (A)では文字通り「dog-cherry blossoms」と翻訳しました。

「尾」も「tail」と直訳しましたが、この俳句の情景や面白さが日本語の分からない外国人にも理解されるでしょうか、反応を知りたいものです。

B)の翻訳では情景は明瞭ですが、原句の面白さは全く理解されないでしょう。

   

 

芭蕉300句:言葉の壁を破る英訳チャレンジ (8)

Basho’s Haiku in English  (9/300)

   

・五月雨にかくれぬものや瀬田の橋

 Samidareni kakurenumonoya setanohashi

 

(A) Translation by John White & Kemmyo Taira Sato

    in the rain of may

    the only thing still in sight

    the bridge at seta

 

(B) Translation by L. P. Lovee

    in the rain of rainy season

    what remains in sight_

    the bridge at Seta

    

(A)の固有名詞は小文字表記ですが、(B)のように固有名詞は大文字表記にして句意を明瞭にするのがよいでしょう。「五月雨」は直訳しないで「rain of rainy season」と翻訳し、実態的句意を明瞭にしました。

  

芭蕉300句:言葉の壁を破る英訳チャレンジ (7)

Basho’s Haiku in English  (8/300)

 

・むめがかにのっと日の出る山路かな

 mumegakani nottohinoderu yamajikana

 

(A) Translation by John White & Kemmyo Taira Sato.

  amid plumtree scent

   the sun suddenly came up

   on the mountain path

 

(B) Translation by L. P. Lovee

   amid plum blossoms scent

   suddenly emerges the sun_

   this mountain path

  

(C) Cited from an internet site  (jeffThompson/BashoHaiku.txt)

   With plum blossoms scent,

   this sudden sun emerges

   along a mountain trail

   

「むめがか」は「梅の香」のことです。山道を登っていると山の起伏や林で見えなかった太陽が不意に現れることがあります。そのような体験から、芭蕉は「のっと日の出る」と面白く表現したものと思いますが、「日の出」を詠んだのかもしれません。「のっと」には「祝詞」の意味もあります。いずれにせよ、この表現のニュアンスを英語にすることは不可能です。

なお、「山路かな」を「this mountain path」と翻訳して臨場感を出しましたが、この俳句は実際には連歌発句です。

  

  

2019年5月29日 (水)

芭蕉300句:言葉の壁を破る英訳チャレンジ (6)

Basho’s Haiku in English  (7/300)

   

・春なれや名もなき山の朝がすみ (7)

 harunareya namonakiyamano asagasumi

  

(A) Translation by L.P. Lovee

 the spring, now_

 on the unnamed mountain

 morning mists

   

(B) Translation by John White & Kemmyo Taira Sato

 the spring has arrived;

 on the hill that has no name

 there is morning mist

 

(C) Cited from an internet site (jeffThompson/BashoHaiku.txt) 

 Spring!

A nameless hill

in the haze.

  

(D) Cited from an internet site (jeffThompson / BashoHaiku.txt )  

  it is spring!

  a hill without a name

  in thin haze

  

Which one do you like best among the above translations?

   

2019年5月28日 (火)

芭蕉300句: 言葉の壁を破る英訳チャレンジ(5) 《ほととぎ朱》

  

Basho’s Haiku in English   (6/300)

  

岩躑躅染る泪やほととぎ朱 

 (iwatsutsuji somuru namidaya hototogisu)

    

 (A) Translation by John White & Kemmyo Taira Sato

 

  rock azaleas

  so it seems, have been dyed red

  by the cuckoos’ tears

  

 

(B) Translation by L.P. Lovee

 the rock azalea

seems to be dyed with

tears of a cuckoo

  

(C) Translation by L.P. Lovee

tears of a cuckoo_

would be dyed with

the rock azaleas

           

ほととぎす」には「杜鵑」「時鳥」「子規」など色々の当て字があります。

 

一般的に「ほととぎす」の詩歌は「鳴き声」に焦点を当てますが、芭蕉は「ほととぎ朱」と書き、色に焦点を当て新鮮味を出したものでしょう。

 

「血の涙」という言葉もありますが、評伝・正岡子規(柴田宵曲著)によると、正岡子規は俳号「子規」の元になった五言絶句で「杜鵑が血を吐いて鳴く」という趣旨のことを詠んでいます。

  

芭蕉はこの「ほととぎ朱」の俳句を詠んだ時に、「客観写生」と「主観的表現」を意識していたのでしょうか?

 

実態的解釈はともかくとして、原句は(B)と(C) のように、主客転倒の二通り解釈が可能です。

 

高浜虚子は、「俳句への道」(青空文庫)において、

「客観写生ということに努めて居ると、その客観描写をとおして主観が浸透して出て来る。作者の主観は隠そうとしても隠すことが出来ないのであって客観写生の技倆が進むにつれて主観が頭をもたげて来る。」

「俳句は客観写生に始まり、中頃は主観との交錯が色々あって、それからまたしまいには客観描写に戻るという順序を履むのである。」

「感懐はどこまでも深く、どこまでも複雑であってよいのだが、それを現す事実はなるべく単純な、平明なものがよい。これが客観描写の極意である。」と述べています。

  

「俳句への道」を読み返して、 俳句の奥の深さ楽しさを再認識しました。  

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2019年5月27日 (月)

芭蕉300句:言葉の壁を破る英訳チャレンジ (3)

 Basho's Haiku in English  (3~4/300)

       

山路来て何やらゆかしすみれ草 (芭蕉)

  yamajikite naniyarayukashi sumiregusa  (Basho)

    

  (Translation by L.P. Lovee)

  coming through a mountain path,

  somehow graceful_

  violets

    

    

永き日を囀りたらぬ雲雀かな (芭蕉)

 nagakihio saezuritaranu hibarikana (Basho)

    

(A) Translation by L.P. Lovee 

 the so-called long-day

 insufficient to fully sing_

  skylarks

    

(B) Translation by John White & Kemmyo Taira Sato

 throughout a long day

 with never a pause at all

 a skylark in song

 

(A)の英訳では、「永き日」が春の季語(「日永」)のであることを明瞭にするために「so-called」を補足しています。(B)の英訳は誤訳(mistranslation)です。原句の句意と違うばかりでなく、雲雀は上空で一しきり鳴くと鳴き止み地上に降りますから「never a pause」は実態的にも誤り(wrong)です。

    

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2019年5月26日 (日)

芭蕉300句:言葉の壁を破る英訳チャレンジ (2)

Challenging Basho's haiku in English

   

・霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き

kirishigure fujiominuhizo omoshiroki

  

 (A)

showery mists

hiding Mt. Fuji today_

amusing!

 

(B)

mist and gentle rain,

fuji can’t be seen today;

how fascinating!

 

A)は、「霧が時雨のように富士山を隠す様子が面白い」と芭蕉が詠んだものと解釈して英訳したものです。(B)はJohn White と Kemmyo Taira Sato両氏の共訳ですが、5-7-5音節に拘る弊害か、原句の句意・ニュアンスを表現しきれていないように思います。

貴方はどう思いますか?

  

  

2019年1月13日 (日)

俳句の国際化 《嵐雪の辞世句について》

   

(P.S. 2022.12.2)

HIA 「国際俳句交流協会」の名称が「国際俳句協会」に変更されました。

   

   

(2019.1.13の記事)

   

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芭蕉の高弟である服部嵐雪の辞世句とされる下記俳句のドイツ語訳について不審に思ったドイツの「俳句メル友」から、新年早々に、この俳句の解釈について問い合わせのメールを受信しました。

      

  

・一葉散る咄ひとはちる風の上

    

この俳句のドイツ語訳は次のとおり英訳してありました。

  

A single leaf falling
sheer lunacy!

A single leaf drifting away with the wind

  

 

そして、句友の英訳は次のとおりドイツ人らしい合理的な翻訳です。

     

Loosen from the tree
the helpless leaf
is drifting away on snowflakes

   

 

sheer lunacy」は「愚行」とか「まったく馬鹿げたこと」と言うような意味です。研究社大英和辞典

 

「咄」は「叱る声」や「事の意外さに驚き怪しむ声」です。(広辞苑参照)

  

そこで、「」は座禅に使われる「」と同じような一種の擬音であること、この俳句の「葉」は「人間」の比喩と捉えるのが良いと思う旨説明し、次のとおり筆者独自の大胆な意訳を連絡したところ、「amazing!」と感嘆した旨の返信が来ました。

   

 

man dies as a leaf falls_

Basho has passed away,

now, me too.

   

  

因みに、R. H. Blyth 氏は A History of Haiku (Volume One) において、「この辞世句は美しいが、何か nerveless である」と付記して、次のように文字どおり英訳しています。

  

A leaf falls,

Totsu! Another leaf falls,

Carried by the wind.

  

nerveless」は研究社大英和辞典によると「弱弱しい」とか「冷静な」という意味ですが、Blyth はどちらの意味を指しているのでしょうか?

   

  

Stephen Addiss 氏は The Art of Haiku において、「『咄』は禅の叫び声である」と付記して、次のとおり英訳しています。

  

a leaf falls

Totsu! a leaf falls_

riding the wind

  

上記2氏の英訳は「風に運ばれる」とか「風に乗る」と英訳していますが、嵐雪は「風の上」と表現して「昇天」を暗示したのではないでしょうか?

さらに、「咄」と擬音で注意を喚起して、「ひとはちる」と「ひらがな」を用いて「人は散る」と読ませることを意図していたのではないでしょうか?

  

穿ちすぎでしょうが、高浜虚子は嵐雪の辞世句が潜在意識にあって「春の山屍を埋めて空しかり」に同じように「ひらがな」を用いる手法を使ったのかもしれません。

  

英語は論理的な言葉ですから日本語ほど連想を伴いません。比喩的な俳句は文字通りの英訳と意図された比喩の意訳を併用すると日本語の原句にある暗喩のニュアンスが理解されやすいと思っています。

   

国際俳句交流協会HP掲載の「高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!」をご覧下さい。

  

俳句の翻訳に興味があれば、「俳聖の偉蹟を尋ね秋の伊賀(俳句と写真)」や俳句の国際化 <言葉の壁を破るチャレンジ>」をご覧下さい。

  

   

(青色の文字をタップするとリンクされた記事をご覧になれます。)

  

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2018年11月23日 (金)

Photo Haiku Collection (Trip to Europe)

   

Tap the following titles to see haiku and pictures on the respective trips.

  

Trip to Poland (Haiku and pictures; lecture on haiku)

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HAIKU & pictures (Trip to Italy

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HAIKU & Pictures (Trip to E. Europe)

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HAIKU & Pictures (Trip to Turkey)

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HAIKU & pictures (Trip to Russia)

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2018年9月 6日 (木)

Trip to Poland (Haiku and pictures; lecture on haiku)

    

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praying for peace_

around the summer fields of

Auschwitz

   

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This is a haiku composed at Auschwitz by Satoshi Kinoshita for the lecture on HAIKU.

The title of the lecture is "Let's enjoy haiku", with the subtitle "World peace through haiku".

(Click here to see the text of the lecture.)

    

The lecture was given taking the opportunity of a music festival held at a spa town in Lublin, Poland.

  

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The first slide of the lecture showed the above haiku and a picture of Dr. Herman Van Rompuy and Satoshi Kinoshita snapped together.

Dr. Van Rompuy is the former EU President: now acting, among other things, as the Japan-EU haiku friendship ambassador.

       

Auschwitz_

clear sky;

breeze of green-leaves

   

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a freight car of railroad ruin;

summer grass fields:

Auschwitz

   

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the ash pond;

moaning sound of wind:

the Holocaust

  

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It was fine weather when I visited Auschwitz. The fine weather symbolized peaceful Poland of Today. However, strong winds blew from time to time, sounding like groans of victims of Nazis.

  

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Krakow_

bird view of the acient city;

cool, from the tower

   

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summer sky_

the sound of the trumpet:

a time signal of the church

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the birth house of Chopin_

refurbished and bright,

breezes of green-leaves

      

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piano music from

the Chopin birth home_

the cool garden

    

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the summer evening

in a Polish church;

the ancient organ reverberates

     

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It was very lucky that I had an opportunity to listen to the 400 years old pipe organ at a concert held in the church of Kazimierz Dolny.

 

   

     

stepping out from the concert hall,

the park:  

in a white night

    

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In the birth house of Chopin, a prize winner of Chopin Piano Competition performed Chopin's polonaise, etc.

  

At the music festival, besides pianists from Italy, etc., from Japan, Mr. Shu Katayama(片山 柊)played "Etudes For Piano - III. Calligraphy, Haiku, 1 Line" (Toshio Hosoawa) etc., which was an amusing piano music. 

  

Mr. Katayama won the 41st PTNA piano competition Grand Prix, as well as a Minister of Education, Culture, Sports, Science and Technology prize, etc.)

   

I hope that international exchange of haiku will be promoted more in the future like music. Somehow, I felt it wondrous to have encountered with people and music through haiku.

  

   

Click here to see the top page of ”HAIKU俳句”.

    

2018年8月25日 (土)

バイリンガル俳句鑑賞:芭蕉の俳句「古池や」の翻訳

        

芭蕉の俳句『古池や』の英訳を考える」において、長谷川櫂著「俳句的生活」(中公新書)の解釈を参考にして「古池や蛙飛び込む水の音」を次の通り英訳しました。

A sound of a frog

jumping into water_

the old pond

この英訳は、芭蕉が蛙の水に飛び込む音を聞いて、「鶯の初音」に感興をもよおすように「古池の蛙だな」と季節の廻りに感慨を新たにして詠んだものである、と解釈して翻訳したものです。

上記のブログを書いた当時には「Frog Poems」というサイトに41人の英訳が載っていましたが、現在はその記事は無くなっています。しかし、「Matsuo Bash�: Frog Haiku (Thirty-two Translations and One Commentary)」というサイトに32人による32個の翻訳が掲載されています。

一例を挙げると、R.H. Blythは次のように原句を文字通りに翻訳しています。

The old pond;
A frog jumps in —
The sound of the water.

   

この俳句についてウイキペディアに興味ある解説があります

要するに、この俳句の意義は、「蛙の鳴き声」ではなく「蛙の飛び込む水音」に焦点をあて、取り合わせには従来の談林風の「山吹」などにせず「古池」を取り合わせにして、「わび」「さび」の句風(「蕉風」)を確立したことにあるということです。

この俳句について、芭蕉が実際に蛙の飛び込む水音を聞いたのか、水音は聞かないで創作したものなのか、議論があるようです。上記のチュヌの主人の英訳は日本の昔の田舎を知っている者にとっては極く自然な解釈として理解されると思いますが、外国人や都会人には理解しがたいかもしれません。

     

2018年7月31日 (火)

俳句をユネスコ世界無形文化遺産へ(草の根運動)

     
(2024.4.28 更新)
 
 
      
農林水産省HPの記事によると、「和食」は、「自然を尊ぶ」という日本人の気質に基づいた「食」に関する「習わし」を、「和食;日本人の伝統的な食文化」と題して、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。
 
「俳句」も、世界的に広がってきている「和食」などと同様に、「自然を尊ぶ」という日本人の気質に基づいた「自然とのかかわりのある習わしや行事、生活」などを詠む「世界最短の詩・文芸」として、世界遺産に登録されてもよさそうに思います。
 
俳句は和食と異なり、言葉の壁がありますので、日本語としての本来の俳諧・俳句その物ではなくても、「HAIKU」として国際的に広がってきている現存の世界的文化として、ユネスコ無形文化遺産に登録され、俳句・HAIKUを通じて世界平和が実現する日の来ることを祈っています。
  

「HAIKU」という言葉は国際的に認知されていますから、俳句界(結社)と川柳界(結社)が共に協力して、俳句を本来の俳諧の精神に則って世界に共有される「HAIKU」としてユネスコ無形文化遺産に登録すべく運動を推進すると、「HAIKU」の世界遺産登録への道が開かれるのではないでしょうか?

そして、恒久的世界平和実現への道が開かれるのではないでしょうか

  

そういう思いで、チュヌの主人・薫風士はブログに俳句の翻訳や「俳句・HAIKU by L. P. Lovee」などを書いています。 

  
ちなみに、「国際俳句交流協会」は、名称を「国際俳句協会」に変更して、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会の事務局としての任務を遂行しています。   
  
(2018.7.31)

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この写真は、2017年1月16日に「日EU俳句交流大使ファンロンパイEU大統領を囲む夕食会の際のファン•ロンパイ氏と薫風士のツ-ショッ卜です。

  

この夕食会はファンロンパイ氏のアジアコスモポリタン賞受賞の祝賀と俳句愛好家の交流のために開催されたものですが、俳句愛好家の集まりなので正岡子規の号「獺祭書屋」に因んで乾杯の酒に「獺祭の発泡にごり酒スパークリング」があり、ファンロンパイ氏が挨拶で俳句の世界遺産登録への運動に協力すると賛意を表明され、大いに盛り上がりました。

(写真はファンロンパイ氏とチュヌの主人のツーショットです。

       

ここをクリック(タップ)して、ロンパイ氏の文化賞受賞記念講演「今日のグローバル化し緊迫した世界情勢下での俳句の役割」をご一読下さい。

  

2017年4月に俳句の登録を目指す推進協議会が発足し、「俳句のユネスコ登録をめざす」活動が推進されています。

その草の根運動の一助にでもなればとの思いから、「高浜虚子の100句を読む」(坊城俊樹著)の掲句を第1回から最終回まで随時HAIKU(英語俳句)に翻訳してブログ「チュヌの便り」に掲載していましたが、それに虚子の辞世句の新解釈などを補足・編集して「高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!」というタイトルで国際俳句協会(HIA) のホームページに掲載して頂きました。

  

俳句は音楽やスポーツなどと異なり、その国の文化や言葉を理解している人々でないかぎり外国人にはよく理解出来ないでしょう。

俳句の面白さを理解し、俳句に興味を持つ人々が少しでも増えることを願いつつ、俳句の英訳や英語俳句の和訳にチャレンジして、及ばずながら俳句の国際交流に努めたいと思っています

   

ファン・ロンパイ氏のスピーチの記事がHIAのホームページにあり、同氏の即興句の翻訳: 「雪の奈良 美は良し悪しを 隠しけり」 が掲載されていました。

「隠しけり」 という表現は、政治・官僚組織や企業の隠蔽(いんぺい)体質が問題になっていることでもあり、腑に落ちなかったので英語の原句を見ると、下記の通りです。

  

Nara in the snow

Beauty is falling down

It covers right and wrong

   

そこで、次の通り和訳してみました。 

   

降り来る美 正誤を包む 雪の奈良」

   

 ファン・ロンパイさんは、「私たちは世界の調和を夢見ています。自然の美しさや自分を取り巻く様々なものが、シンフォニーを奏でるように美しく調和することを夢見ています。そして、調和を夢見ることは、差別や偏見などのマイナスな感情の解毒剤になるのです。」 と述べています。

ファン・ロンパイさんは、立場の違いなどによって正誤の価値観が異なるということを認識して、この俳句を詠まれたのだろうと拝察しています。

         

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