HAIKU (バイリンガル英語俳句) Feed

2020年2月20日 (木)

芭蕉の俳句・Haiku of Bashō(71~80)

        

(71) 

ありあけも三十日に近し餅の音

(ariake-mo misoka-ni-chikashi mochi-no-oto)

     

the daybreak

also close to the year’s end_

sounds of pounding steamed rice

  

(注)

餅つきの音があちこちにしていることを詠んでいるとの解釈に基づき複数形にしました。

       

(72) 

春もややけしきととのふ月と梅

(haru-mo yaya keshiki-totonou tsuki-to-ume)__(A)

(harumoya-ya keshiki-totonou tsuki-to-ume)__(B)

  

(A)  

the spring scenery

almost in order_

the moon and ume-blossoms  

   

(B)

the spring mist_

scenery almost in order

the moon and ume-blossoms

  

(注)

(A)は通説どおり「春もやや」を「春も・やや」と解釈して翻訳しています。「梅」に対応する英語で俳句に適切な単語は無いので「ume」と記述します。

(B)は最後の「や」を詠嘆の助詞と捉えて、「春靄や」と読む新解釈で翻訳しています。「芭蕉が墨絵を念頭にしてこの句にそのような含みをもたせた」と大胆な深読みをするのは穿ち過ぎでしょうか?

       

(73) 

庭はきて雪をわするるははきかな 

(niwa-haki-te yuki-o wasururu hahaki-kana) 

   

sweeping the garden,

the broom forgets

the snow it swept

  

(注)

「ははき」は箒のことです。真蹟自画賛によると寒山のことを詠んだ俳句です。句意が分かりやすいように語句を補充して翻訳しましたが、更に解説が無けらば理解できない俳句です。

    

(74) 

大津絵の筆のはじめは何仏

(ōtsue-no fude-no-hajime-wa nani-botoke)

     

what buddha was drawn?

the first ōtsu painting

of New Year

           

(75) 

古寺の桃に米ふむ男かな

(furudera-no momo-ni kome-fumu otoko-kana)

   

at the old temple

peaches in bloom_

a man pounding rice

    

(76) 

うたがふな潮の花も浦の春 

(utagauna ushio-no-hana-mo ura-no-haru)

  

Have no doubts_

the flowers of tide

also the spring of the bay

   

(77) 

樫の木の花にかまはぬ姿かな

(kashinoki-no hana-ni kamawanu sugata-kana)

  

evergreen oaks

having their own figures

indifferent to flowers

            

(78) 

咲き乱す桃の中より初桜

(sakimidasu momo-no-naka-yori hatsuzakura)

  

the first cherry blossoms

out of order_

among the peach blossoms

         

(79) 

よくみれば薺花さく垣ねかな

(yoku-mire-ba nazuna-hana-saku kakine-kana)

   

careful watching_

shepherd’s purses in bloom

under the hedge

       

(80) 

鶯や竹の子藪に老を鳴く

(uguisu-ya takenoko-yabu-ni oi-o-naku)

   

crying over agedness

in the bamboo shoots bush_

a bush warbler

   

See “Haiku of Bashō”.

・旅に病で夢は枯野をかけ廻る

「枯野」<芭蕉の辞世句> ドナルド・キーン訳の推敲を考える

 http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2022/01/post-859f.html

     

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2020年2月17日 (月)

芭蕉の俳句・HAIKU of Bashō(61~70)

       

(61) 

比良三上雪さしわたせ鷺の橋 

(hira-mikami-yuki sashiwatase sagi-no-hashi)

  

(A) 

Hira Mikami in the snow_

Build a bridge

of white herons.

   

(B)

Hira Mikami with snow_

Form a bridge

of snowy egrets.

  

(C) 

Hira Mikami mountains

in the snow_

Form a bridge, white herons.

    

(注)

この俳句は「切れ」をどこに置くか、読み方に迷いますが、一般的な5‐7‐5の音節に読むと意味が通じなくなるので、切れを「雪」の後に入れて、「句またがり」の7‐5‐5に読むと意味が通じます。

そこで、雪の比良山や三上山、湖上の鷺などを眺めながら、「白鷺」に呼び掛けるようにして詠んだ俳句として翻訳しました。

Haikuの各行頭は小文字にするのが普通ですが、原句の固有名詞や命令形表現を明確にするために大文字を用いています。

「白鷺」に対応する英語には「white heron」 とか「snowy egret」がありますが、(B)の英訳の方がsnowとsnowyの対比で面白いでしょう。

(C)は語句を補充して外国人にも分かりやすく英訳しました。

「snow」の後の「切れ」の記号(_)や前置詞(inやwith)は「呼び掛けの対象が雪でなく白鷺である」ということを明瞭にするためには省略できません。

        

(62) 

かれ朶に烏のとまりけり秋の暮

 (kare-eda-ni karasu-no-tomari-keri aki-no-kure)

 

(A)

on a dead branch

crows have settled_

evening in the autumn

  

(B)

on dead branches

crows alighted_

autum evening

  

(C)

on a tree's dead branch

a crow has settled itself to roost;

twilight in autumn

     

(注)

(A)は一枝に複数の鴉が留まったのを詠んだものと解釈した英訳です。

(B)は複数の枝に鴉が止まったのを詠んだものと解釈した英訳です。

(C) は原句の「5・9・5音」に合わせて「5・9・5 syllables」にしたWhite氏の英訳です。

 

この句で芭蕉が中七を「烏のとまりけり」と字余りにしたのは何故でしょうか?「烏とまるや」と「5・7・5」の定型にすると平凡になるのを避け、さらに「夕方に飛ぶ烏の行先(ねぐら)を見届けようとしたニュアンス」を「字余り」で強調したのだろうと思います。

実態的に「have settled」と「alighted」のどちらが適訳か不明ですが、字余りの表現を考慮すると、前者の方が良いと思います。

(C)は「留まっている枝を寝床にした」という意味なので、原句とニュアンスが異なると思います。

音節に拘るよりも、句意を簡潔に訳出することを重視すべきでしょう。

  

「俳句」と「HAIKU」は、それぞれが世界最短の詩型として、「日本語」と「英語」の詩の良さを発揮すれば良い、と思って翻訳しています。

この芭蕉の俳句には「とまりたるや」と「とまりけり」と二通りの真蹟があります。前者は(C)に近い句意です。ここをタップしてご覧下さい。

  

       

(63) 

時雨をやもどかしがりて松の雪 

(shigure-o-ya modokashigarite matsu-no-yuki) 

 

(A)

the wintry shower_

irritating for

the snow of the pine

  

(B)

the snow on the pine_

irritated by

the wintry shower

 

(注)

この俳句は擬人化することによって芭蕉の気持ちを表現したものでしょう。(A) は主体を「時雨」とし、(B)は 「松の雪」を主体にして翻訳しました。

  

  

(64) 

冬がれや世は一色に風の音

 (fuyu-gare-ya yo-wa-hito-iro-ni kaze-no-oto)

   

(A)

the withered surrounding of winter_

everything in one color

the sound of wind

 

(B) 

withering in the winter_

all in one color

the sound of a wind

 

(注)

この句は「冬枯れの一色」と「風の音」を呼応させて詠んだものでしょう。(B)の意訳の方が簡潔で韻の効果もあり、(A)より原句のニュアンスに近い感じがします。

       

     

(65) 

瓶破るるよるの氷の寝覚哉

 (kame-waruru yoru-no-koori-no nezame-kana)

  

(A)

the cracking of a crock

has woken me: 

the icy night

  

(B)

awoken by

the cracking of the crock_

the icy night

  

(C)

waking:

the crock has cracked

due to the ice of the night

  

(注)

芭蕉の俳句は、「古池や」の句のように幾通りもの翻訳が可能ですが、(A)や(C)よりも(B)が最も俳句らしい感じがします。

(B)の「awoken」は受動態のbe動詞と主語を省略したものです。

(A)や(C)のように動詞を用いると散文的になります。「俳句は省略の文学である」ということは英語のHAIKUにも当てはまります。

   

  

(66) 

炉開や左官老行鬢の霜 

 (robiraki-ya sakan-oi-yuku bin-no-shimo)

  

the opening of the winter hearth_

the plasterer getting older,

frosts of his locks

  

    

(67) 

しほれふすや世はさかさまの雪の竹

 (shiore-fusu-ya yo-wa-sakasama-no yuki-no-take)

  

bowed down_

the world upside down,

snow-covered bamboos

      

      

(68) 

木枯やたけにかくれてしづまりぬ

(kogarashi-ya take-ni-kakure-te shizumari-nu)

  

(A)

wintry wind_

hiding behind the bamboos,

calmed

 

(B)

the cold winter winds_

hid themselves in the bamboos

and then became still

 

(注)

この俳句は芭蕉が絵画を見て詠んだ句とのことですが、芭蕉の実体験に基づく心象句ではないでしょうか?

(A)は「省略」を重視するL. P. Lovee訳です。俳句の簡潔さと日本語の曖昧さを英語にも利かせたつもりです。韻の効果もある上に、形式的には「calmed」の主語はwindですが、実質的には主語「I」が省略された俳句であると解釈できる余地があり、原句と同様の面白味があると思っています。

(B)は「5‐7‐5 syllable」を重視するJ. White訳です。句意は明瞭ですが散文的で俳句の面白さが損なわれています。

       

       

(69) 

君火たけよき物みせむ雪丸げ

 (kimi-hi-take yoki-mono-misen yukimaroge)

  

make a fire_

I’ll show you something nice:

a snowman

   

    

(70) 

明けぼのやしら魚しろきこと一寸

 (akebono-ya shirauo-shirokikoto issun)

  

the dawn_

a whitebait

one inch of whiteness

   

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2020年2月 9日 (日)

芭蕉の俳句・HAIKU of Bashō(51~60)

      

芭蕉の含蓄のある俳句の翻訳についてご理解を頂くために注釈を付記しました。英語俳句(HAIKU)作成の参考にも役立てば幸いです。

   

(51) 

稲雀茶の木畠や逃げどころ

(ina-suzume chanoki-batake-ya nigedokoro)

  

(A) 

rice-field sparrows_

a tea field is

their escape place

  

(B) 

sparrows in the rice-field

escaped into

a tea field

   

注)

芭蕉のこの俳句は三段切れです。「や」を「は」とか「が」にすると散文的・説明的になるのを嫌ったのかも知れませんが、「茶畠は良い隠れ場所だな」という詠嘆を「や」で表現した結果三段切れになったに過ぎないでしょう。「三段切れでも意味が分かれば構わない」という例句になります。

英語のHAIKUとしては単語を羅列するだけでは詩的でなく意味不明瞭になるので動詞を補って翻訳しましたが、(A)の方が(B)より俳句らしいでしょう。

 

    

(52) 

草の戸をしれや穂蓼に唐がらし 

(kusa-no-to-o shire-ya hotade-ni tōgarashi)

  

(A)

be aware of the grass door_

buckwheats in ear

and red peppers

  

(B)

be aware of the grass door_

water peppers in ear

and red peppers

     

(注)

この俳句は芭蕉の草庵に来る客への歓迎句です 

「蓼」の英訳には、buckwheat(そば)やjoint grass(紀州雀ひえwater pepper(柳蓼などありますが、(B)の方がred pepperとの釣合が良いかもしれません。

 

  

(53) 

牛べやに蚊の聲よはし秋の風 

(ushi-beya-ni ka-no-koe yowashi aki-no-kaze)

    

(A)

in the cow room

feeble hums of mosquitoes

autumnal wind

 

(B)

in the cow room

a feeble sound of mosquito

autumnal wind

  

(注)

この俳句は牛が小屋でなく人家の土間にある牛部屋で飼われているのを詠んだものでしょう。蚊は沢山居たでしょうから、(A)のように複数にする方が適訳だと思いますが、晩秋の残り蚊だとすると(B)の単数の方が良いでしょう。

なお、一般に、前置詞を使い過ぎると散文的になるのでなるべく省略する方が良いのですが、この句の場合は助詞「に」対応する「in」を省略すると、作者も牛部屋に居るニュアンスになり、誤訳になるでしょう。

  

 

(54) 

波の間や子貝にまじる萩の塵

(nami-no-ma-ya kogai-ni-majiru hagi-no-chiri)

    

(A)

between sea waves_

bush-clover trashes

among small shell-fishes

  

(B) 

between shore waves_

bush-clover trashes

among small shells

       

(注)

(A) は「小貝」を「生きた貝」の意味に解釈した英訳です。

(B) は「小貝」を「貝殻」と解釈し、「波が浜辺の波」であることを明瞭にし、「shore waves」と意訳して「韻」を踏んでいます。

芭蕉はそのような区別は意識せず、「貝と萩の花片との対比」に興味を抱きこの俳句を詠んだのでしょうか。

いずれにせよ、英語HAIKUとしては(B)の方が適訳でしょう。

      

      

(55) 

海士の屋は小海老にまじるいとど哉

(ama-no-ya-wa koebi-ni majiru itodo-kana)

 

a fisherman’s hut_

among shrimps

a camel cricket

 

  

(56) 

身にしみて大根からし秋の風 

(mi-ni-shimite daikon-karashi aki-no-kaze)

  

penetrating my body_

the radish bitterness,

an autumnal wind,

   

  

(57) 

芭蕉野分して盥に雨を聞夜かな

(basho-nowaki-shite tarai-ni-ame-o kiku-yo-kana)

  

(A)

the typhoon against banana trees_

rain drops into a tub,

the sound in the night

        

(B)

banana trees in the typhoon_

the sound of rain on a water tub

in the night

    

(注)

(A)では台風に重点を置き、「(昼間は眺めていたが)夜は雨音を聞いている」ことを詠んだと解釈し、(B)では、バナナの木に視点を置いて「夜によく聞こえる雨音を聞いている」と解釈し、ニュアンスを変えて翻訳しました。夜通し雨音がしている情景を詠んだとすれば、「in the night」は「(all) through the night」にすると良いでしょう。いずれにせよ、(B)の方が原句の句意に近い適訳だと思います。

      

    

(58) 

わせの香や分入右は有磯海 

(wase-no-ka-ya wakeiru-migi-wa ariso-umi)

 

(A)

the scent of early rice_

on the right side of my going way,

rough surf beach

 

(B)

the early-rice smells_

on the right side of my path

Arisoumi

 

(注)

(A)では「有磯海」を意訳し、(B)では固有名詞としてそのまま表現しました。なお、一般に、俳句ではなるべく動詞を省略する方が簡潔で良いと思いますが、この句の「わせの香」は(B)のように動詞で表現する方が生き生きして良いように思います。

ちなみに、「奥の細道」や「私の芭蕉紀行」というサイトに参考になる記事があります。青色文字をタップしてご覧下さい。

   

       

(59) 

賤のこやいね摺掛けて月をみる

(shizu-no-koya ine-surikakete tsuki-o-miru)

  

(A)

the peasant’s child_

upon beginning to hull rice,

looks up at the moon

   

(B)

the humble boy

began hulling rice, 

looked up at the moon

  

(注)

(A)は芭蕉の心象風景か、現に見ている情景か、いずれにせよ「みる」をそのまま現在形に英訳しましたが、英詩のHAIKUとして何だか嘘っぽく不安定な感じがします。

(B)は芭蕉が見た情景を詠んだものとして英訳しました。散文的になるのを避けるために、「then」とか「and」を省略しています。(A)も「upon」を省略する方がHAIKUとして適訳になるでしょうが、(B)のように過去形で表現する方が英詩として実感があり安定感があります。

「英語の俳句は現在形で表現すべきである」と誰かが言っていましたが、それは俳句に対する誤った認識でしょう。

      

       

(60) 

荒海や佐渡によこたふ天河

(araumi- ya sado-ni-yokotau ama-no-kawa)

 

(A)

the rough sea_

lying over to Sado,

the milky way

  

(B)

the wild sea

lying against Sado_

the milky way

 

(注)

この俳句は芭蕉が実際に見て詠んだものではなく、心象風景を詠んだもであると一般に言われています「よこたふ」の主体が何かについても議論の余地があるようです。

(A)は通説どおり「天河がよこたふ」と解釈した英訳であり、(B)は「荒海がよこたふ」と解釈した翻訳です。

(B)は「や」を切れ字ではなく詠嘆と捉える読み方をしたもので、三段切れの読み方でやや無理が生じます。

しかし、芭蕉は上記(51)のように「や」が詠嘆的に主体を表す三段切れの俳句を他にも作っていますので、(B)の解釈を無下に否定することは出来ないでしょう。

  

Img_5561

2020年2月 8日 (土)

芭蕉の俳句・HAIKU of Bashō(41~50)

   

含蓄のある芭蕉俳句を論理的な英語に翻訳するには、句意を推測して複数の試訳でチャレンジせざるを得ません。名詞は英語では、抽象名詞や集合名詞でない限り、単数か複数かを区別する必要もあります。

    

(41) 

いなづまや闇の方行五位の聲 

(inazuma-ya yami-no-kata-yuku goi-no-koe)

  

(A) 

lightning!

far in the darkness

goes a voice of night heron

  

(B) 

lightning!

I’m going toward the darkness_

voices of night herons  

  

(C) 

a lightning

flushes in the darkness_

a voice of night heron

 

(注)

この俳句は「行」の主体の捉え方次第でいろいろな翻訳が可能です。

(A)の翻訳は、「や」を「切れ字」と捉え、「行」の主体は「五位鷺」であると解釈する適訳です。なお、この句の「いなづま」は抽象化された集合的概念として捉え無冠詞の「lightning」にし、原句の語順を活かすために倒置法を用いました。

(B)は「行」の主体(芭蕉自身)が省略されていると解釈した翻訳ですが、三段切れの読み方であり、誤訳になるでしょう。

(C)は「行」の主体が「いなづま」であると解釈した翻訳です。情景としては(A)に近い翻訳ですが、三段切れの読み方・解釈であり、誤訳かも知れません。

一般的に、「三段切れ」の俳句はダメ句とされますが、読み方も三段切れにしてはダメであることの参考例として敢えて掲載しました。

  

   

(42) 

此道や行人なしに秋の暮 

(kono-michi-ya yuku-hito-nashi-ni aki-no-kure)

 

(A)

this road

no one passing,

autumnal evening

  

(B)

this road

alone I’ll go_

autumnal dusk  

   

(注)

(A)は文字通りの素直な英訳です。

(B)は「や」を詠嘆的切れ字と解釈したやや深読みの意訳です。次の「野ざらし」の俳句を考慮すると、(B)の方が(A)より芭蕉の句意を適切に翻訳していると言えるのではないでしょうか?

    

 

(43) 

野ざらしを心に風のしむ身哉

(nozarashi-o kokoro-ni kaze-no-shimu mi-kana)

    

(A)

I might die by road side_

the cold wind

blows into my heart

 

(B)

weather-beaten skull in my heart_

the cold wind

pierces my body

  

(注)

(A) 「野ざらし」を比喩と解釈した分り易い意訳です。

(B) 「野ざらし」を文字通り髑髏(しゃれこうべ)と英訳し、比喩的な俳句であると解釈した翻訳です。(A)より(B)の方が面白いでしょう。

  

(44) 

刈あとや早稲かたがたの鴫の聲

(kariato-ya wase-katagata-no shigi-no-koe)

   

(A)

mown fields of early rice_

here and there

snipes cry

  

(B) 

footprints in the mown fields_

early rice here and there,

voices of snipes

       

(注)

(A) は「刈りあと」を「刈田」の意味に解釈した英訳です。(B) は「刈りあと」を「稲刈りをした人々の足跡」と解釈した翻訳です。

(B)の方が(A)より芭蕉の詠んだ句意を適切に訳出していると思いますが、三段切れになって原句の滑らかさが損なわれています。

英語の俳句で原句の句意を変えずに滑らかさを出すのは容易ではありません。

ちなみに、「刈田」も「鴫」も秋の季語です。

       

     

(45) 

猪の床にも入るやきりぎりす

(inoshishi-no toko-nimo-iru-ya kirigirisu)

  

(A)

a cricket

enters 

a bed of boar, too

  

(B)

a grass-hopper

enters 

a boar’s bed, too

 

(注)

「きりぎりす」は、広辞苑によると「こおろぎ」の古称なので、(A)では「cricket」と英訳しましたが、(B)のように「grass-hopper」と翻訳するほうが、面白いと思います。

ちなみに、「こおろぎ」は「秋の季語」ですが、研究社新英和大辞典によると、英米の認識では「夏の虫」です。

  

  

(46) 

曙や霧にうずまく鐘の聲 

(akebono-ya kiri-ni-uzumaku kane-no-koe)

  

the first light of day_

swirling in the mist,

a sound of temple bell,

   

(47) 

菊の花咲くや石屋の石の間

(kiku-no-hana saku-ya ishiya-no ishi-no-ai)

  

chrysanthemums in bloom

between stones

of a stonemason

      

      

(48) 

芭蕉葉を柱にかけん庵の月 

(bashō-ba-o hashira-ni kaken io-no-tsuki)

  

(A)

a leaf of Japanese banana

I’ll hang at a pillar_

the moon above my hermitage

  

(B)

the moon above my hermitage_

I'll hang at the pillar

a leaf of Japanese banana

 

(注)

(A)は原句の語順通りに英訳しましたが、語順を変えた(B)の方が英語俳句として句意が分かりやすいと思います。    

   

  

(49) 

名月の花かと見えて綿畠

(meigetsu-no hana-kato-mie-te wata-batake)

  

looks like flowers

under the full moon,

a cotton field

   

(注)

倒置法を用いて原句に近い英語俳句にしました。

    

(50) 

よき家や雀よろこぶ背戸の粟

(yoki-ie-ya suzume-yorokobu sedo-no-awa)

  

the nice house_

sparrows enjoy

millet grains in the backyard

    

2019年10月 4日 (金)

芭蕉の俳句・HAIKU of Bashō (31~40)

 

(31)  有難や雪をかほらす南谷 

  (arigata-ya yuki-o-kaorasu minami-dani)

  

how grateful!

the scent of snow,

Minamidani

  

  (注)

俳句の「切字」や「切れ」を翻訳するには、句意を考慮して「_」や「:」「!」などを使うのが良いと思いますが、この俳句や次の俳句の助詞「や」は詠嘆的切れ字なので感嘆符「!」で表現しています。

なお、芭蕉がこの句を作った背景の解説は、次の記事にあります。

芭蕉が見た風景 羽黒山」、羽黒観光スポット 南谷

   

    

(32)  涼しさやほの三か月の羽黒山 

 (suzushisa-ya hono-mikazuki-no haguroyama)

 

what a coolness!

the dim crescent moon

above Mt. Haguro


   

   

(33)  ほととぎす大竹藪をもる月夜 

(hototogisu ōtakebayashi moru tsukiyo)

  

a cuckoo_

through the large bomboo grove,

the moon light

    

   

(34)  涼しさを我宿にしてねまる也

 (suzushisa-o waga-yado-ni-shite nemaru-nari)

   

(A)

making the cool

my dwelling,

I relax myself

     

(B) 

the cool

relaxes me

as if in my dwelling

    

(注)

(A) は文字通りの英訳です。(B) は意訳です。

奥の細道尾花沢」の記事によると、この俳句は野宿を詠んだものではなく、山形県尾花沢市鈴木清風宅宿泊の持て成しを詠んだ挨拶句とのことです。清風が「お持て成しは何もできませんが・・・」などと謙遜して言ったことを受けて、芭蕉はこの俳句を詠んだのではないでしょうか? 芭蕉は俳句が片言であることを認識して、この句を紀行文入れたのでしょう。

     

     

(35)  粽結ふかた手にはさむ額髪

 (chimaki-yuu kata-te-ni hasamu hitai-gami)

 

wrapping a chimaki,

another hand backing

the hair falling over the brow

 

(注)

「粽」は、対応する英語がないので、そのまま“chimaki”とします。

このように、日本固有のものは無理に英訳せず、注記することにより俳句の簡潔さを優先すれば良いと思っています。

    

      

(36)  道のべの槿は馬にくはれけり 

 (michinobe-no mukuge-wa uma-ni kuware-keri)

  

a rose of Sharon on the wayside_

eaten

by my riding horse

    

  (注)

「くはれけり」は「was eaten」とすると句意が明瞭になりますが、散文的になりますので敢えて「be動詞」を省略しました。

     

      

(37)  野を横に馬牽むけよほととぎす

 (no-o yoko-ni uma hiki-mukeyo hototogisu)

  

(A)

Lead the horse sideways

across the field_

a cuckoo

  

(B)

Cuckoo!

Lead my horse sideways

across the field

  

  (注)

(A) は「ほととぎすが鳴いているぞ」と「馬子に呼び掛けている」と解釈して英訳したものです。

(B) は「鳴いている時鳥に呼び掛けている」と解釈して英訳しています。

「牽きむけよ」という表現からすると(A)の方が妥当ですが、俳諧味を狙った比喩的表現だとすれば(B)かも知れません。

芭蕉は何れの解釈も可としてこの句を作ったのではないでしょうか?

なお、HAIKUは散文ではないので、行の初めを大文字にしないのが普通ですが、この俳句は命令文を含んでいるので大文字にしています。

      

      

(38)  秣負ふ人を枝折の夏野哉 

 (magusa-ou-hito-o shiori-no natsuno-kana)

  

a man with fodder on his back:

the guidepost of

the summer field

   

     

(39)  闇の夜や巣をまどはしてなく衛

 (yaminoyo-ya su-o-madowashite naku-chidori)

   

dark night_

disguising the nest,

the crying plover

    

(注)

「衛」は「千鳥」のことです。このような漢字の違いによるニュアンスの違い・原句の面白さは英語に訳出できませんので英語版では注記します。

   

      

(40)  いかめしき音や霰の檜木笠

 (ikameshiki oto-ya arare-no hinoki-gasa)

   

stern sound_

hails

beating my cypress hat

  

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2019年7月 6日 (土)

芭蕉の俳句・HAIKU of Bashō:「木下闇」(30/300)

  

須磨寺やふかぬ笛きく木下やみ

  (sumadera-ya fukanu-fue-kiku koshitayami)

  

(A)

in sumadera

i heard the unblown flute sing

in the trees’ deep shade

  

(B)

Suma temple_

hearing the unblown fife,

in the dark of trees’ shade

  

(A) 575訳、(B)はLovee訳です。

切れ字の「や」は(A) には訳出されていませんが、(B) では句読点「_」で表しています。固有名詞はhaikuでも「Suma」のようにを大文字にする方が句意がわかりやすいでしょう。

A)のように主語の「I」を小文字にするのは賛成しかねますし、原句に無い「我・吾・われ」を「翻訳haiku」で「I」として補充するのは無用です。(A) は、「in ---i---in」と韻を考慮したのかもしれませんが、句意が誤解される恐れが無い限り、前置詞は補充しない方が良いでしょう。俳句は省略の文学であり、その解釈を読者に委ねることが面白さの一面です。

いずれにしろ、須磨寺の逸話(平敦盛のこと)を知らない限りこの俳句の良さは理解されないでしょうが、英語俳句の作成や翻訳の参考になれば幸いです。

ちなみに、「木下闇」は夏の季語です。

 

(注)青色文字(冒頭の「須磨寺や・・・」など)をクリックすると、解説記事(「笈の小文」など)をご覧になれます。

なお、次回からはLovee訳のみを掲載し、折に触れて他の翻訳を参考に掲載させて頂きます。  

  

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タイトルをタップしてその記事をご覧頂ければ幸いです。

   

 

  

  

2019年7月 4日 (木)

芭蕉の俳句・HAIKU of Bashō:「雲の峰」(29/300)

    

湖や暑さを惜しむ雲の峰 

  (mizuumi-ya atsusa-o-oshimu kumo-no-mine)

   

(A)

high over the lake

missing the heat of summer,

soaring peaks of cloud

 

(B)

the lake_

missing the summer heat,

the soaring peaks of cloud

  

(A) 575訳、(B)はLovee訳です。(A) は「high over」を追加し英詩的に巧みな翻訳をしていますが、芭蕉の句意とは異なります。(B)は音節よりも原句の言葉・句意を尊重し、原句の切れ字「や」をダッシュ記号で表現して、俳句らしく簡潔に翻訳しています。

冒頭の青色文字(「湖や・・・」)をクリックすると、掲句について「笈日記」の解説記事で句意を確認できます。

  

この俳句の「惜しむ」の主体は何でしょうか?

「惜しむ」は「雲の峰」を修飾していると解釈するのが自然でしょうが、芭蕉は「雲の峰が暑さを惜しんでいる」と感じてこの俳句を作ったのだと思います。

  

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2019年7月 3日 (水)

芭蕉の俳句・HAIKU of Bashō:「夏草」(28/300)

      

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夏草や兵どもが夢の跡

   

   

(natsukusa-ya tsuwamonodomo-ga yume-no-ato)

 

   

(A)

the summer grasses;

of warriors’ ambitions

all that now remains

 

(B)

summer grasses---

all that remains from the dreams

of brave warriors

 

(C)

the summer grasses:

the remains of 

warriors' dreams

   

(A) は575訳、(B) はAddiss訳で4-7-5音節、(C) はLovee訳です。

(C) は動詞を用いず、5-4-4音節の簡潔な翻訳です。

コロン(:)は「すなわち」の意味を表す句読点です。切れ字の「や」には「_」がよく使われますが、この句の場合は「:」が良いと思います。

  

ポーランドの旅(写真と俳句 講演のことなど)」をご覧下さい。

 

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2019年7月 2日 (火)

芭蕉の俳句・Haiku of Bashō:「蝉の声」(27/300)

    

やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声

 (yagate-shinu keshiki-wa-miezu semi-no-koe)  

   

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(A)

they will die so soon,

yet there is no thought of it

in cicadas’ songs

 

(B)

showing no signs

that they will soon die---

cicada voices

  

(c)

the voices of cicadas_

so brisk,

with no signs of soon dying

 

(A) 575訳、(B)はStephen Addiss訳、(C)はLovee訳です。C)の翻訳は、動詞を用いている(A)や(B)の翻訳より簡潔(7-2-6音節)で俳句らしいでしょう。

  

  

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2019年7月 1日 (月)

芭蕉の俳句・Haiku of Bashō:「朝顔」(26/300)

    

僧朝顔幾死にかへる法の松

  (sō-asagao ikushinikaeru nori-no-matsu)

  

(A)

monks and morning glories,

dying again and again;

the dharma pine tree

  

(B)

monks and morning glories

generations of dying to return_

the dharma pine tree

  

(A) は575訳、(B) はLovee訳です。

芭蕉の俳句・Haiku of Bashō:「蝉のから」(25/300)

   

・梢よりあだに落けり蝉のから

(kozue-yori adani-ochikeri seminokara)

  

(A)

out of a treetop

it was emptiness that fell

a cicada shell

 

(B)

out of a treetop

fruitlessly fell,

a cicada shell

    

(A) 575訳、(B)はLovee訳です。

この俳句の句意のポイントは「あだに落ちる」、すなわち、「落ちても芽は出ない」ということですから、散文的な(A) の表現より(B) の「fruitlessly」の方が俳諧味が出ると思います。

  

芭蕉の俳句・Haiku of Bashō:「夏木立」(24/300)

      

木啄も庵はやぶらず夏木立

 (kitsutsuki-mo io-wa-yaburazu natsukodachi)

 

(A)

even woodpeckers

do not harm this little hut

among summer trees

 

(B)

even woodpeckers

do not harm the hut_

summer trees

  

(A) は575訳、(B) はLovee訳です。

(A)の形容詞や前置詞「among」は俳句の簡潔さを損ない、散文的・説明的になるので無用でしょう。

 

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2019年6月30日 (日)

芭蕉の俳句・Haiku of Bashō:「蝉」(23/300 )

       

・閑さや岩にしみ入蝉の聲

 (shizukasa-ya iwa-ni shimiiru semi-no-koe)

 

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(A)

amid the stillness

the rocks are penetrated

by cicada songs

 

(B)

silence_

penetrating the rocks,

cicada voices

 

(C)

the stillness_

the voice of a cicada

seeping into the crags

   

  

(A) 575訳、(B)はStephen Addiss訳、(C) L.P. Lovee訳です。(A) (B) も「しみ入る」を「penetrate」と英訳していますが、「penetrate」には「突き進む」というニュアンスがあり、「しみ入る」の訳語としては(C)の「seep into」の方が適切な気がします。また、「蝉の声」を「cicada songs」や「cicada voices」と複数にしていますが、奥の細道の解説などを読むと、山寺の静寂の中で一匹の「ニイニイゼミ」が岩に浸み込むような声で鳴いている情景を詠んだものと思います。従って、(C) のようにその句意が明瞭になるように翻訳するのが良いでしょう。

   

余談ですが、先ほどNHKテレビニュースで米・朝首脳会談の状況を放映していました。世界平和を維持するために首尾よく会談が進展することを祈るばかりです

  

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芭蕉の俳句・Haiku of Bashō:「蛙」(15/300)

     

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                               冒頭の写真はカラー図説日本大歳時記の「蛙」の解説ページです。写真はクリックすると拡大します。

  

    

・古池や蛙飛びこむ水の音

 (furuike-ya kawazu-tobikomu mizuno-oto)

 

            (A)

            by an ancient pond

            a frog leaping into it

            the sound of water

  

            (B)

            The old pond;

     A frog jumps in_

     The sound of the water.    

   

            (C)

            a sound of a frog

            jumping into water_

            the old pond

    

(A)  は「575訳」ですが、5-7-5の音節に拘り、説明的な翻訳になって俳句の簡潔さが損なわれています。

(B)はRobert Aitken訳、(C)はL.P. Lovee訳です。

いずれも「芭蕉の俳句『古池や』の英訳を考える」で紹介したものですが、両者の翻訳の違いは、芭蕉がこの俳句を作った背景の解釈の違いによるものです。すなわち、(B)は一般的な解釈(古池の傍で蛙を見て詠んだもの)により妥当な翻訳ですが、(C)は「蛙の飛び込む水音を聞いて詠んだもの」と解釈した試訳です。いずれにせよ、この俳句は芭蕉が古池の心象を詠んだ創作俳句であり、実際の写生句ではないかもしれません。

なお、この俳句の英訳は無数にあり、複数の蛙が飛び込んだ音と解釈した英訳もありますが、静けさの中に一匹の蛙が「チャポン」と飛び込み、また静けさが戻った情景を想像して翻訳した方が良いと思っています。

  

あなたなら、どのように翻訳しますか?

  

ちなみに、ここをクリックすると芭蕉の俳句「古池や」の英訳32件 (小泉八雲訳やドナルド・キーン訳など)をご覧になれます。

  

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2019年6月29日 (土)

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「花橘」(22/300)

  

駿河路や花橘も茶の匂ひ

(surugaji-ya hanatachibana-mo cha-no-nioi)

 

(A)

on the suruga

road, orange blossom scent mixed

with that of the tea

 

(B)

the Suruga road_

orange blossoms also smell

like the scent of tea

 

(A)は合理的な解釈をした575訳です。(B)は原句の俳諧味を生かすべく文字通りに英訳したLovee訳です。

  

 

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「あやめ草」(21/300)

       

・あやめ草足にむすばん草鞋の緒

(ayamegusa ashini-musuban waraji-no-o)

 

(A)

irises, it seems,

are blossoming on my feet;

sandals laced with blue

 

(B)

the sweet flag_

I will tie as a thong of straw sandals

at my feet

  

(A) は「575訳」ですが、「あやめ草」は「菖蒲」のことですから、「irises」(=花菖蒲)は誤訳です。

(B) は「奥の細道」の解説に基づく「Lovee訳」ですが、一応の試訳です。

  

芭蕉俳句全集」の解説には、「あやめ草を葺く日の今日民家ではそれを軒にさしますが、旅に出ている私は加右衛門に貰った紺の染め緒を草鞋の緒に結びましょう。加右衛門に対する感謝の吟。とあります。

奥の細道朗読」によるとイメージ句としての創作とのことですが、実態のわからない俳句は文字面どおりに翻訳して、読者の解釈に委ねるしか仕方がありません。

  

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2019年6月27日 (木)

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「青柳」(12/300)

   

 ・青柳の泥にしだるる潮干かな

   (aoyagino doronishidaruru shiohikana)

 

       (A)

        the green willow trees

        are dripping into the mud

now the tide is out

 

      (B)

       the ebb tide_

       green branches of the willow

       drooping to the mud

               

     (C)

      the green willow branches

      drooping to the mud_

      the ebb tide

           

A)はホワイト氏訳ですが、5-7-5音節に拘り、原句の句意が正確に翻訳されていません。(B)と(C)は L.P. Loveeの素直な英訳ですが、「潮干」と「青柳」のどちらを先に芭蕉が認識したかの違いを語順で表しています。音節は3-6-56-5-3ですが、いずれも(A)よりも俳句らしい簡潔なリズムになっていると思います。

なお、今後は「575 The haiku of Basho」掲載のホワイト氏の翻訳を「575訳」と略称します。

  

  

  

2019年6月26日 (水)

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「雲雀」(20/300)

        

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                                           (冒頭の写真)カラー図説日本大歳時記の「雲雀」の解説ページの一部分です。

 

写真はクリック(タップ)拡大できます。

 

     

・原中や物にもつかず鳴雲雀

 (haranaka-ya mononimo-tsukazu naku-hibari)

    

    (A) (5-7-5訳)

    out over the plain

   free of any attachment

   the sky larks, singing

 

   (B) (L.P. Lovee訳)

   over the field

   without clinging to anything,

   a skylark singing

  

(A) は「575訳」ですが、「ものにもつかず」を誤訳しています。

雲雀通常一羽のみ上昇して鳴くものですから、「skylarks」と複数にするのは実態的に不適切です。

(B) は実態を考慮して素直に翻訳した L. P. Lovee 訳ですが、4-7-5音節になっています。

  

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2019年6月21日 (金)

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「蟹」(19/300)

  

 ・さざれ蟹足はひのぼる清水哉

   (sazaregani ashi-hainoboru shimizu-kana)

 

(A)

a very small crab

has found its way up my leg

in clear stream water

 

(B)

a tiny crab

creeps up on my leg_

the clear water

  

(A) は「575訳」で散文的になっていますが、(B) (Lovee訳)は簡潔で俳句らしい翻訳です。

 

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「涼し」(18/300)

   

・潮越や鶴はぎぬれて海涼し

 (shiogoshi-ya tsuruhagi-nurete umi-suzushi)

 

            (A)                 

            crossing at low tide

     the legs of the cranes are wet

     with the sea’s coolness

 

    (B)

    carrying out “shiogoshi”,

    with their bare legs wet_

    the cool sea

 

    (C)

           at the “shiogoshi”

           my bare legs are wet_

    the cool sea

   

鶴脛(つるはぎ)」とは「衣の短い裾からすねが長く現れること」、また、その「すね」のことです。

   

A)(「575訳」)は「鶴脛」を「鶴の脛」と解釈した翻訳ですが、(B)(Lovee訳)では「鶴脛」を定義どおりの意味にとり、「人が潮越をしているのを見て詠んだもの」と解釈して翻訳しました。

「潮越」とは、広辞苑によると「潮水をひき導くこと」ですが、「芭蕉俳句全集」の「奥の細道」の解説のように、「浪が打ち入る所」と解釈すると、芭蕉が潮越を歩いて詠んだものとして最も俳句らしい翻訳ができます。実態に即した最適の翻訳は(C)(Lovee訳)でしょう。

いずれにせよ、「潮越」に対応する英語の言葉はないので、そのままローマ字で表記せざるをえません。