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2020年2月

2020年2月29日 (土)

芭蕉300句の英訳チャレンジ(91~100)

        

(91) 

ほととぎす啼や五尺の菖草

(hototogisu naku-ya goshaku-no ayamegusa)

    

a little cuckoo cries_

five feet of

shōbu-iris

  

(注)

この俳句は元禄5年5月(1692年)芭蕉49歳の作です。

古今集の和歌を踏まえています。

      

  

(92) 

たけのこや幼き時の絵のすさび

(takenoko-ya osanaki-toki-no e-no-susabi)

 

bamboo shoots_

bamboo-drawing was

my childhood pastime

       

   

(93) 

雀子と聲鳴かはす鼠の巣

(suzume-go-to koe-naki-kawasu nezumi-no-su) 

  

a nest of rats,

exchanging greetings

with baby-sparrows

  

(注)

「鳴き声交わす」は直訳せず、「exchange greetings」と翻訳しました。

   

   

(94) 

我宿は蚊のちいさきを馳走かな

(waga-yado-wa ka-no-chiisaki-o chisō-kana)

  

the hospitality in my dwelling_

smallness of

the mosquitos

       

   

(95) 

花は賤のめにもみえけり鬼薊

(hana-wa shizu-no-me-nimo mie-keri oniazami)

 

the blossoms

also seen by lowly man's eyes_ 

oni-thistles

 

(注)

この俳句は芭蕉23歳(1666年)の作ですが、ポイントは「賤の目には鬼は見えない」という諺を踏まえて俳諧味を出していることです。 

   

    

(96) 

木隠て茶つみも聞や時鳥 

(ko-gakure-te chatsumi-mo kiku-ya hototogisu)

    

behind the bushes

tea-pickers also listening_

the cuckoos

   

  

(97) 

鐘消て花の香は撞夕哉

(kane-kiete hana-no-ka-wa tsu-ku yūbe-kana)

   

the sound of temple-bell having diminished,

the blossoms smells_

the evening

    

(注)

「花」と「鼻」や「鐘を撞く」と「鼻を突く」など、同音・異句によるこの俳句の俳諧味を英語HAIKUに訳出することは不可能です。

俳句談義(13):「花」と「鼻」> 高浜虚子と芥川龍之介参照)

この俳句の解釈は様々です。新撰都曲」や「教員コラム」の解説記事をご参照ください。

  

              

(98) 

皿鉢もほのかに闇の宵涼み

(sarabachi-mo honokani yami-no yoi-suzumi)

      

the dishes in the dusk_

I enjoy

the evening cool

  

         

(99) 

ふるすただあはれなるべき隣かな

(furusu-tada awarenaru-beki tonari-kana)

  

(A)

the old nest_

simply pathetic

neighbor_

  

(B)

the neighbor_

simply pathetic

old nest

   

(注)

この俳句は宗波(芭蕉の弟子)に対する送別吟です。

(A)は日本語の語順通りの英訳です。(B)の語順の方が英語HAIKUとして句意が明瞭になるでしょう。いずれにせよ、be動詞は省略しています。

  

      

(100) 

木をきりて本口みるやけふの月

(ki-o-kiri-te motokuchi miru-ya kyō-no-tsuki)

    

the end of a tree

I just cut down_

today’s moon

    

(注)

1677年(芭蕉34歳)の作です。芭蕉はこの年にプロの俳諧師になり、4年間水道工事監督に従事したとのことです。

  

2020年2月21日 (金)

芭蕉300句の英訳チャレンジ(81~90)

    

(81) 

花の雲鐘は上野か浅草か

(hana-no-kumo kane-wa-ueno-ka asakusa-ka)

  

the clouds of cherry blossoms_

the sound of temple bell

from Ueno, or Asakusa?

   

    

(82) 

世にさかる花にも念仏申しけり

(yo-ni-sakaru hana-nimo nembutsu mōshi-keri)

 

the nembutsu_

chanted even

to the full-blown cherry blossoms

  

(注)

俳句は省略の文芸といわれますが、英語でも詩歌では主語なども省略されることがあります。この俳句の「申しけり」は芭蕉自身のことか他人のことか背景を知らない限り断定できません。「chanted」を「過去形」と捉えれば芭蕉のことになり、「過去分詞」と捉えれば他人のことになります。

       

  

(83) 

しばらくは花の上なる月夜かな

(shibaraku-wa hana-no-ue-naru tsukiyo-kana) 

  

for a while

the moon-lit night

over the cherry blossoms

   

  

(84) 

木のもとに汁も膾も桜かな

(ki-no-moto-ni shiru-mo-namasu-mo sakura-kana)

  

(A)

under the tree_

onto the soup and the namasu

cherry blossom petals

   

(B)

under the tree_

the soup and the namasu

containing cherry blossom petals

    

(注)

「汁も膾も」は当時の決まり文句だったようです。「膾」に対応する英語は無いので「namasu」と記述し、英語版には注記するのが良いと思っています。

(A)は通説に基づく翻訳です。(B)は深読みの新解釈です。「何もかも花づくめ」 であるという俳諧味を強調した試訳です。

          

  

(85) 

花にねぬ此もたぐいか鼠の巣

(hana-ni nenu koremo-tagui-ka nezumi-no-su)

  

awake by the cherry blossoms_

is this that kind?

the rat nest

   

(注)

この俳句は芭蕉が源氏物語の和歌を踏まえて詠んだことを知らなければ真の句意が理解できません。

 

  

(86) 

行はるや鳥啼うをの目は泪 

(yuku-haru-ya tori-naku uo-no mewa-namida)

  

the spring departing_

birds cry,

tears in the fish eyes

 

(注)

この俳句を芭蕉が詠んだ背景や句意を理解するには「奥の細道」を参照する必要があります。 

   

    

(87) 

しばらくは瀧に籠るや夏の始

(shibaraku-wa taki-ni komoru-ya ge-no-hajime)

  

for a while

confining behind the waterfall_

the beginning of “ge”

  

(注)

この俳句を芭蕉が詠んだ背景は、ここをタップして、「奥の細道」の解説をご参照下さい。「夏」は季語としてそのまま「ge」と記述しました。

  

             

(88) 

一つぬひで後ろに負ひぬ衣がへ

(hitotsu nuide ushiro-ni-oinu koromogae)

  

taking one garment off,

putting it on my back to carry_

that’s my koromogae

  

(注)

芭蕉が自分のことを詠んだ俳句として英訳しました。「衣替え」を「change of clothes」などと英訳すると、「季語」としての意味合いがなくなりますので「koromogae」と記述して解説を付記するのが良いと思います。 

  

         

(89) 

父母のしきりに恋し雉の聲

(chichi-haha-no shikirini-koishi kiji-no-koe)

  

frequent yearning

for farther and mother_

cries of a pheasant

 

(注)

「恋しがっている」主体は芭蕉自身のことか、雉のことか、その両方の含みを出すために所有格の代名詞は付けていません。

   

    

(90) 

霧雨の空を芙蓉の天気哉

(kirisame-no sora-o-fuyō-no tenki-kana)

  

the drizzling sky_

fine weather

for the cotton roses

   

2020年2月20日 (木)

芭蕉300句の英訳チャレンジ(71~80)

        

(71) 

ありあけも三十日に近し餅の音

(ariake-mo misoka-ni-chikashi mochi-no-oto)

     

the daybreak

also close to the year’s end_

sounds of pounding steamed rice

  

(注)

餅つきの音があちこちにしていることを詠んでいるとの解釈に基づき複数形にしました。

   

    

(72) 

春もややけしきととのふ月と梅

(haru-mo yaya keshiki-totonou tsuki-to-ume)__(A)

(harumoya-ya keshiki-totonou tsuki-to-ume)__(B)

  

(A)  

the spring scenery

almost in order_

the moon and ume-blossoms  

   

(B)

the spring mist_

scenery almost in order

the moon and ume-blossoms

  

(注)

(A)は通説どおり「春もやや」を「春も・やや」と解釈して翻訳しています。「梅」に対応する英語で俳句に適切な単語は無いので「ume」と記述します。

(B)は最後の「や」を詠嘆の助詞と捉えて、「春靄や」と読む新解釈で翻訳しています。「芭蕉が墨絵を念頭にしてこの句にそのような含みをもたせた」と大胆な深読みをするのは穿ち過ぎでしょうか?

    

   

(73) 

庭はきて雪をわするるははきかな 

(niwa-haki-te yuki-o wasururu hahaki-kana) 

   

sweeping the garden,

the broom forgets

the snow it swept

  

(注)

「ははき」は箒のことです。真蹟自画賛によると寒山のことを詠んだ俳句です。句意が分かりやすいように語句を補充して翻訳しましたが、更に解説が無けらば理解できない俳句です。

  

  

(74) 

大津絵の筆のはじめは何仏

(ōtsue-no fude-no-hajime-wa nani-botoke)

     

what buddha was drawn?

the first ōtsu painting

of New Year

 

          

(75) 

古寺の桃に米ふむ男かな

(furudera-no momo-ni kome-fumu otoko-kana)

   

at the old temple

peaches in bloom_

a man pounding rice

  

  

(76) 

うたがふな潮の花も浦の春 

(utagauna ushio-no-hana-mo ura-no-haru)

  

Have no doubts_

the flowers of tide

also the spring of the bay

   

(77) 

樫の木の花にかまはぬ姿かな

(kashinoki-no hana-ni kamawanu sugata-kana)

  

evergreen oaks

having their own figures

indifferent to flowers

          

  

(78) 

咲き乱す桃の中より初桜

(sakimidasu momo-no-naka-yori hatsuzakura)

  

the first cherry blossoms

out of order_

among the peach blossoms

  

       

(79) 

よくみれば薺花さく垣ねかな

(yoku-mire-ba nazuna-hana-saku kakine-kana)

   

careful watching_

shepherd’s purses in bloom

under the hedge

   

    

(80) 

鶯や竹の子藪に老を鳴く

(uguisu-ya takenoko-yabu-ni oi-o-naku)

   

crying over agedness

in the bamboo shoots bush_

a bush warbler

   

2020年2月19日 (水)

俳句の季語と定型

   

「運動会」の俳句 <「季語」について>

   

令和元年1014日は「体育の日」でしたが、台風の影響で運動会など、色々なイベントが中止されました。

台風19号の甚大な被害に遭われた方々のことを思うと胸が痛みます

心からお見舞い申し上げます。

亡くなられた方々には謹んでお悔み申し上げます。

そして、トランプ米国大統領にはパリ協定からの離脱(温暖化防止努力を無視)について大いに反省してもらいたいとの強い思いを新にしています。

この思いを皆さんにFacebookTwitterLINEなどでシェアして頂けると望外の喜びです。

  

ところで、「体育の日」に因んで「575筆まか勢」の「運動会」の例句を季語に焦点を当てて見ると、次の俳句が目に留まりました。

   

・つぎつぎの運動会や秋の行く 前田普羅

    

・運動会のろのろ颱風海にあり 百合山羽公

   

・赤蜻蛉運動会の日となりぬ (子規句集 虚子碧梧桐選)

    

・運動会の旗あちこちす春の山 正岡子規

   

   

「運動会」は「秋の季語」ですが、上記のように「台風」「赤蜻蛉」などの「秋の季語」ばかりでなく、「春の季語」と共に詠まれている俳句もあります。                                             

最近は運動会を気候の良い5月頃に開催する所もあります。立夏は5月5日(子供の日)頃ですから、運動会は「秋の季語だ!」と決めつけれれると句作に難渋することになります。

まんぽ俳句」やプレバトの「運動会」の俳句などのブログに於て述べましたが、「季語」は句作に活かすべきものであり、自由な表現を徒に束縛したり、句作の楽しみを阻害するものであってはならない、「季語のあるべき姿」は時代の変遷や自然現象の変化に合わせて柔軟に考えればよい、という思いを新たにしています。

そして、定型(5-7-5)についても、定型では表現しきれない詩的表現や心情表現をするために必要な最小限の範囲で字余りや破調を認めるべきだろうと思っています。

この思いは芭蕉の俳句の翻訳をしていると一層強くなりましたので、昨年10月に書いた記事を補正して再掲載しました。

  

プレバトの俳句「鏡」

「も」と「を」 (プレバト俳句から)

  

人気絶頂の俳句番組「プレバト」の夏井先生の添削は「さすがに上手い」と感心することが多々ありますが、「どうかな?」と思う添削も時々あります。

その一例は、12月5日に放映された金子恵美さんの俳句の添削です。

「小春日や夫も鏡に試着室」

「夫という鏡小春の試着室」

に修正しています。

  

「鏡」には「模範」という意味もあります。作者の意図からすると、夏井先生のこの添削は「どうかな?」と疑問が湧きます。

 

むしろ、助詞の「も」を「を」に替えるか、「試着室」を「試着」に替えて、次のように修正すると作者の意図していることがすっきり表現出来るばかりでなく、夫婦円満ぶりがイメージに浮かび良いと思います。

  

・小春日や夫を鏡にして試着

・小春日や夫も鏡にして試着

   

前者は鏡に映して自分で判断するよりも夫の判断を大事にしているニュアンスがありますが、

後者は、鏡に映して自分で判断するばかりでなく、夫の意見も聞いている仲良し夫婦の情景が浮かびます。

  

もし、お題の「試着室」を用いなければならないのなら、

次のように修正したらどうでしょうか?

・試着室夫を鏡にして小春

・試着室夫も鏡にして小春

  

俳句は「詠み人・読み人」を映す面白い鏡だと思っていますが、

貴方なら、どう添削しますか?

  

夏井先生の揚げ足を取るつもりではなく、「俳句の裾野を広げたい」という夏井先生と同じ思いで、及ばずながらプレバト視聴者の俳句の推敲・添削の参考になれば幸いだと、この記事を書きました。

   

俳句愛好家のコメントが頂けるとありがたいです。

 

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2020年2月17日 (月)

芭蕉300句の英訳チャレンジ(61~70)

       

(61) 

比良三上雪さしわたせ鷺の橋 

(hira-mikami-yuki sashiwatase sagi-no-hashi)

  

(A) 

Hira Mikami in the snow_

Build a bridge

of white herons.

   

(B)

Hira Mikami with snow_

Form a bridge

of snowy egrets.

  

(C) 

Hira Mikami mountains

in the snow_

Form a bridge, white herons.

    

(注)

この俳句は「切れ」をどこに置くか、読み方に迷いますが、一般的な5‐7‐5の音節に読むと意味が通じなくなるので、切れを「雪」の後に入れて、「句またがり」の7‐5‐5に読むと意味が通じます。

すなわち、雪の比良山や三上山、湖上の鷺などを眺めながら、「白鷺」に呼び掛けるようにして詠んだ俳句として翻訳しました。

Haikuの各行頭は小文字にするのが普通ですが、原句の固有名詞や命令形表現を明確にするために大文字を用いています。

「白鷺」に対応する英語には「white heron」 とか「snowy egret」がありますが、(B)の英訳の方がsnowとsnowyの対比で面白いでしょう。

(C)は語句を補充して外国人にも分かりやすく英訳しました。

「snow」の後の「切れ」の記号(_)や前置詞(inやwith)は「呼び掛けの対象が雪でなく白鷺である」ということを明瞭にするためには省略できません。

    

    

(62) 

かれ朶に烏のとまりけり秋の暮

 (kare-eda-ni karasu-no-tomari-keri aki-no-kure)

 

(A)

on a dead branch

crows have settled_

evening in the autumn

  

(B)

on dead branches

crows alighted_

autum evening

  

(C)

on a tree's dead branch

a crow has settled itself to roost;

twilight in autumn

     

(注)

(A)は一枝に複数の鴉が留まったのを詠んだものと解釈した英訳です。

(B)は複数の枝に鴉が止まったのを詠んだものと解釈した英訳です。

(C) は原句の「5・9・5音」に合わせて「5・9・5 syllables」にしたWhite氏の英訳です。

 

この句で芭蕉が中七を「烏のとまりけり」と字余りにしたのは何故でしょうか?「烏とまるや」と「5・7・5」の定型にすると平凡になるのを避け、さらに「夕方に飛ぶ烏の行先(ねぐら)を見届けようとしたニュアンス」を「字余り」で強調したのだろうと思います。実態的に「have settled」と「alighted」のどちらが適訳か不明ですが、字余りの表現を考慮すると、前者の方が良いと思います。

(C)は「留まっている枝を寝床にした」という意味なので、原句とニュアンスが異なると思います。音節に拘るよりも、句意を簡潔に訳出することを重視すべきでしょう。

「俳句」と「HAIKU」は、それぞれが世界最短の詩型として、「日本語」と「英語」の詩の良さを発揮すれば良い、と思って翻訳しています。

ちなみに、この芭蕉の俳句には「とまりたるや」と「とまりけり」と二通りの真蹟があります。前者は(C)に近い句意です。ここをタップしてご覧下さい。

  

       

(63) 

時雨をやもどかしがりて松の雪 

(shigure-o-ya modokashigarite matsu-no-yuki) 

 

(A)

the wintry shower_

irritating for

the snow of the pine

  

(B)

the snow on the pine_

irritated by

the wintry shower

 

(注)

この俳句は擬人化することによって芭蕉の気持ちを表現したものでしょう。(A) は主体を「時雨」とし、(B)は 「松の雪」を主体にして翻訳しました。

  

  

(64) 

冬がれや世は一色に風の音

 (fuyu-gare-ya yo-wa-hito-iro-ni kaze-no-oto)

   

(A)

the withered surrounding of winter_

everything in one color

the sound of wind

 

(B) 

withering in the winter_

all in one color

the sound of a wind

 

(注)

この句は「冬枯れの一色」と「風の音」を呼応させて詠んだものでしょう。(B)の意訳の方が簡潔で韻の効果もあり、(A)より原句のニュアンスに近い感じがします。

       

     

(65) 

瓶破るるよるの氷の寝覚哉

 (kame-waruru yoru-no-koori-no nezame-kana)

  

(A)

the cracking of a crock

has woken me: 

the icy night

  

(B)

awoken by

the cracking of the crock_

the icy night

  

(C)

waking:

the crock has cracked

due to the ice of the night

  

(注)

芭蕉の俳句は、「古池や」の句のように幾通りもの翻訳が可能ですが、(A)や(C)よりも(B)が最も俳句らしい感じがします。

(B)の「awoken」は受動態のbe動詞と主語を省略したものです。

(A)や(C)のように動詞を用いると散文的になります。「俳句は省略の文学である」ということは英語のHAIKUにも当てはまります。

   

  

(66) 

炉開や左官老行鬢の霜 

 (robiraki-ya sakan-oi-yuku bin-no-shimo)

  

the opening of the winter hearth_

the plasterer getting older,

frosts of his locks

  

    

(67) 

しほれふすや世はさかさまの雪の竹

 (shiore-fusu-ya yo-wa-sakasama-no yuki-no-take)

  

bowed down_

the world upside down,

snow-covered bamboos

      

      

(68) 

木枯やたけにかくれてしづまりぬ

(kogarashi-ya take-ni-kakure-te shizumari-nu)

  

(A)

wintry wind_

hiding behind the bamboos,

calmed

 

(B)

the cold winter winds_

hid themselves in the bamboos

and then became still

 

(注)

この俳句は芭蕉が絵画を見て詠んだ句とのことですが、芭蕉の実体験に基づく心象句ではないでしょうか?

(A)は「省略」を重視するL. P. Lovee訳です。俳句の簡潔さと日本語の曖昧さを英語にも利かせたつもりです。韻の効果もある上に、形式的には「calmed」の主語はwindですが、実質的には主語「I」が省略された俳句であると解釈できる余地があり、原句と同様の面白味があると思っています。

(B)は「5‐7‐5 syllable」を重視するJ. White訳です。句意は明瞭ですが散文的で俳句の面白さが損なわれています。

       

       

(69) 

君火たけよき物みせむ雪丸げ

 (kimi-hi-take yoki-mono-misen yukimaroge)

  

make a fire_

I’ll show you something nice:

a snowman

   

    

(70) 

明けぼのやしら魚しろきこと一寸

 (akebono-ya shirauo-shirokikoto issun)

  

the dawn_

a whitebait

one inch of whiteness

   

2020年2月 9日 (日)

芭蕉300句の英訳チャレンジ(51~60)

      

芭蕉の含蓄のある俳句の翻訳についてご理解を頂くために注釈を付記しました。英語俳句(HAIKU)作成の参考にも役立てば幸いです。

   

(51) 

稲雀茶の木畠や逃げどころ

(ina-suzume chanoki-batake-ya nigedokoro)

  

(A) 

rice-field sparrows_

a tea field is

their escape place

  

(B) 

sparrows in the rice-field

escaped into

a tea field

   

注)

芭蕉のこの俳句は三段切れです。「や」を「は」とか「が」にすると散文的・説明的になるのを嫌ったのかも知れませんが、「茶畠は良い隠れ場所だな」という詠嘆を「や」で表現した結果三段切れになったに過ぎないでしょう。「三段切れでも意味が分かれば構わない」という例句になります。

英語のHAIKUとしては単語を羅列するだけでは詩的でなく意味不明瞭になるので動詞を補って翻訳しましたが、(A)の方が(B)より俳句らしいでしょう。

 

    

(52) 

草の戸をしれや穂蓼に唐がらし 

(kusa-no-to-o shire-ya hotade-ni tōgarashi)

  

(A)

be aware of the grass door_

buckwheats in ear

and red peppers

  

(B)

be aware of the grass door_

water peppers in ear

and red peppers

     

(注)

この俳句は芭蕉の草庵に来る客への歓迎句です 

「蓼」の英訳には、buckwheat(そば)やjoint grass(紀州雀ひえwater pepper(柳蓼などありますが、(B)の方がred pepperとの釣合が良いかもしれません。

 

  

(53) 

牛べやに蚊の聲よはし秋の風 

(ushi-beya-ni ka-no-koe yowashi aki-no-kaze)

    

(A)

in the cow room

feeble hums of mosquitoes

autumnal wind

 

(B)

in the cow room

a feeble sound of mosquito

autumnal wind

  

(注)

この俳句は牛が小屋でなく人家の土間にある牛部屋で飼われているのを詠んだものでしょう。蚊は沢山居たでしょうから、(A)のように複数にする方が適訳だと思いますが、晩秋の残り蚊だとすると(B)の単数の方が良いでしょう。

なお、一般に、前置詞を使い過ぎると散文的になるのでなるべく省略する方が良いのですが、この句の場合は助詞「に」対応する「in」を省略すると、作者も牛部屋に居るニュアンスになり、誤訳になるでしょう。

  

 

(54) 

波の間や子貝にまじる萩の塵

(nami-no-ma-ya kogai-ni-majiru hagi-no-chiri)

    

(A)

between sea waves_

bush-clover trashes

among small shell-fishes

  

(B) 

between shore waves_

bush-clover trashes

among small shells

       

(注)

(A) は「小貝」を「生きた貝」の意味に解釈した英訳です。

(B) は「小貝」を「貝殻」と解釈し、「波が浜辺の波」であることを明瞭にし、「shore waves」と意訳して「韻」を踏んでいます。

芭蕉はそのような区別は意識せず、「貝と萩の花片との対比」に興味を抱きこの俳句を詠んだのでしょうか。

いずれにせよ、英語HAIKUとしては(B)の方が適訳でしょう。

      

      

(55) 

海士の屋は小海老にまじるいとど哉

(ama-no-ya-wa koebi-ni majiru itodo-kana)

 

a fisherman’s hut_

among shrimps

a camel cricket

 

  

(56) 

身にしみて大根からし秋の風 

(mi-ni-shimite daikon-karashi aki-no-kaze)

  

penetrating my body_

the radish bitterness,

an autumnal wind,

   

  

(57) 

芭蕉野分して盥に雨を聞夜かな

(basho-nowaki-shite tarai-ni-ame-o kiku-yo-kana)

  

(A)

the typhoon against banana trees_

rain drops into a tub,

the sound in the night

        

(B)

banana trees in the typhoon_

the sound of rain on a water tub

in the night

    

(注)

(A)では台風に重点を置き、「(昼間は眺めていたが)夜は雨音を聞いている」ことを詠んだと解釈し、(B)では、バナナの木に視点を置いて「夜によく聞こえる雨音を聞いている」と解釈し、ニュアンスを変えて翻訳しました。夜通し雨音がしている情景を詠んだとすれば、「in the night」は「(all) through the night」にすると良いでしょう。いずれにせよ、(B)の方が原句の句意に近い適訳だと思います。

      

    

(58) 

わせの香や分入右は有磯海 

(wase-no-ka-ya wakeiru-migi-wa ariso-umi)

 

(A)

the scent of early rice_

on the right side of my going way,

rough surf beach

 

(B)

the early-rice smells_

on the right side of my path

Arisoumi

 

(注)

(A)では「有磯海」を意訳し、(B)では固有名詞としてそのまま表現しました。なお、一般に、俳句ではなるべく動詞を省略する方が簡潔で良いと思いますが、この句の「わせの香」は(B)のように動詞で表現する方が生き生きして良いように思います。

ちなみに、「奥の細道」や「私の芭蕉紀行」というサイトに参考になる記事があります。青色文字をタップしてご覧下さい。

   

       

(59) 

賤のこやいね摺掛けて月をみる

(shizu-no-koya ine-surikakete tsuki-o-miru)

  

(A)

the peasant’s child_

upon beginning to hull rice,

looks up at the moon

   

(B)

the humble boy

began hulling rice, 

looked up at the moon

  

(注)

(A)は芭蕉の心象風景か、現に見ている情景か、いずれにせよ「みる」をそのまま現在形に英訳しましたが、英詩のHAIKUとして何だか嘘っぽく不安定な感じがします。

(B)は芭蕉が見た情景を詠んだものとして英訳しました。散文的になるのを避けるために、「then」とか「and」を省略しています。(A)も「upon」を省略する方がHAIKUとして適訳になるでしょうが、(B)のように過去形で表現する方が英詩として実感があり安定感があります。

「英語の俳句は現在形で表現すべきである」と誰かが言っていましたが、それは俳句に対する誤った認識でしょう。

      

       

(60) 

荒海や佐渡によこたふ天河

(araumi- ya sado-ni-yokotau ama-no-kawa)

 

(A)

the rough sea_

lying over to Sado,

the milky way

  

(B)

the wild sea

lying against Sado_

the milky way

 

(注)

この俳句は芭蕉が実際に見て詠んだものではなく、心象風景を詠んだもであると一般に言われています「よこたふ」の主体が何かについても議論の余地があるようです。

(A)は通説どおり「天河がよこたふ」と解釈した英訳であり、(B)は「荒海がよこたふ」と解釈した翻訳です。

(B)は「や」を切れ字ではなく詠嘆と捉える読み方をしたもので、三段切れの読み方でやや無理が生じます。

しかし、芭蕉は上記(51)のように「や」が詠嘆的に主体を表す三段切れの俳句を他にも作っていますので、(B)の解釈を無下に否定することは出来ないでしょう。

  

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2020年2月 8日 (土)

芭蕉300句の英訳チャレンジ(41~50)

   

含蓄のある芭蕉俳句を論理的な英語に翻訳するには、句意を推測して複数の試訳でチャレンジせざるを得ません。名詞は英語では、抽象名詞や集合名詞でない限り、単数か複数かを区別する必要もあります。

    

(41) 

いなづまや闇の方行五位の聲 

(inazuma-ya yami-no-kata-yuku goi-no-koe)

  

(A) 

lightning!

far in the darkness

goes a voice of night heron

  

(B) 

lightning!

I’m going toward the darkness_

voices of night herons  

  

(C) 

a lightning

flushes in the darkness_

a voice of night heron

 

(注)

この俳句は「行」の主体の捉え方次第でいろいろな翻訳が可能です。

(A)の翻訳は、「や」を「切れ字」と捉え、「行」の主体は「五位鷺」であると解釈する適訳です。なお、この句の「いなづま」は抽象化された集合的概念として捉え無冠詞の「lightning」にし、原句の語順を活かすために倒置法を用いました。

(B)は「行」の主体(芭蕉自身)が省略されていると解釈した翻訳ですが、三段切れの読み方であり、誤訳になるでしょう。

(C)は「行」の主体が「いなづま」であると解釈した翻訳です。情景としては(A)に近い翻訳ですが、三段切れの読み方・解釈であり、誤訳かも知れません。

一般的に、「三段切れ」の俳句はダメ句とされますが、読み方も三段切れにしてはダメであることの参考例として敢えて掲載しました。

  

   

(42) 

此道や行人なしに秋の暮 

(kono-michi-ya yuku-hito-nashi-ni aki-no-kure)

 

(A)

this road

no one passing,

autumnal evening

  

(B)

this road

alone I’ll go_

autumnal dusk  

   

(注)

(A)は文字通りの素直な英訳です。

(B)は「や」を詠嘆的切れ字と解釈したやや深読みの意訳です。次の「野ざらし」の俳句を考慮すると、(B)の方が(A)より芭蕉の句意を適切に翻訳していると言えるのではないでしょうか?

    

 

(43) 

野ざらしを心に風のしむ身哉

(nozarashi-o kokoro-ni kaze-no-shimu mi-kana)

    

(A)

I might die by road side_

the cold wind

blows into my heart

 

(B)

weather-beaten skull in my heart_

the cold wind

pierces my body

  

(注)

(A) 「野ざらし」を比喩と解釈した分り易い意訳です。

(B) 「野ざらし」を文字通り髑髏(しゃれこうべ)と英訳し、比喩的な俳句であると解釈した翻訳です。(A)より(B)の方が面白いでしょう。

  

(44) 

刈あとや早稲かたがたの鴫の聲

(kariato-ya wase-katagata-no shigi-no-koe)

   

(A)

mown fields of early rice_

here and there

snipes cry

  

(B) 

footprints in the mown fields_

early rice here and there,

voices of snipes

       

(注)

(A) は「刈りあと」を「刈田」の意味に解釈した英訳です。(B) は「刈りあと」を「稲刈りをした人々の足跡」と解釈した翻訳です。

(B)の方が(A)より芭蕉の詠んだ句意を適切に訳出していると思いますが、三段切れになって原句の滑らかさが損なわれています。

英語の俳句で原句の句意を変えずに滑らかさを出すのは容易ではありません。

ちなみに、「刈田」も「鴫」も秋の季語です。

       

     

(45) 

猪の床にも入るやきりぎりす

(inoshishi-no toko-nimo-iru-ya kirigirisu)

  

(A)

a cricket

enters 

a bed of boar, too

  

(B)

a grass-hopper

enters 

a boar’s bed, too

 

(注)

「きりぎりす」は、広辞苑によると「こおろぎ」の古称なので、(A)では「cricket」と英訳しましたが、(B)のように「grass-hopper」と翻訳するほうが、面白いと思います。

ちなみに、「こおろぎ」は「秋の季語」ですが、研究社新英和大辞典によると、英米の認識では「夏の虫」です。

  

  

(46) 

曙や霧にうずまく鐘の聲 

(akebono-ya kiri-ni-uzumaku kane-no-koe)

  

the first light of day_

swirling in the mist,

a sound of temple bell,

   

(47) 

菊の花咲くや石屋の石の間

(kiku-no-hana saku-ya ishiya-no ishi-no-ai)

  

chrysanthemums in bloom

between stones

of a stonemason

      

      

(48) 

芭蕉葉を柱にかけん庵の月 

(bashō-ba-o hashira-ni kaken io-no-tsuki)

  

(A)

a leaf of Japanese banana

I’ll hang at a pillar_

the moon above my hermitage

  

(B)

the moon above my hermitage_

I'll hang at the pillar

a leaf of Japanese banana

 

(注)

(A)は原句の語順通りに英訳しましたが、語順を変えた(B)の方が英語俳句として句意が分かりやすいと思います。    

   

  

(49) 

名月の花かと見えて綿畠

(meigetsu-no hana-kato-mie-te wata-batake)

  

looks like flowers

under the full moon,

a cotton field

   

(注)

倒置法を用いて原句に近い英語俳句にしました。

    

(50) 

よき家や雀よろこぶ背戸の粟

(yoki-ie-ya suzume-yorokobu sedo-no-awa)

  

the nice house_

sparrows enjoy

millet grains in the backyard

    

2020年2月 5日 (水)

「節分」と「立春」:「まんぽ俳句」と写真

    

鬼やらいコロナウイルス退治を

立春の朝日の綺羅を漫歩する

立春の朝日煌めく駐車場

・街灯のガラスに朝日春立てり

立春の飛び立つ白さ一羽

マンションの双棟光る春立つ日

蠟梅の梢突き抜く空の青

立春の雲無き空の暮れなずむ

立春の一日の漫歩惜しみけり

立春晩酌自粛歯の治療

   

掲句は薫風士の「まんぽ俳句」です。「スマホ世代に俳句に親しみを持ってほしい」との思いで、このブログを書いています。令和の時代の俳句普及の一助になれば幸いです

俳句を詠んだ背景の写真をご覧下さい。

  

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