俳句のTV番組を見ていると、原句を推敲して良い俳句にするためとはいえ、選者が作者の意図と違う句意に添削するのは如何なものかと疑問に思うことがあります。
俳句も自己実現する芸術の一つですから、俳句の選者は作者の個性を尊重して、添削の手助けをするように配慮してほしいものです。
最近の一例を挙げると、毎日TVの人気俳句番組「プレバト」で、梅沢富男永世名人が夏芝居を詠んだ俳句を夏井先生が歯切れよく添削して原句を「ボツ」にしました。
(原句)
・おひねりや 子役の見得に 夏芝居
(添削後)
・おひねりの 飴よ硬貨よ 夏芝居
梅沢さんは「子役」の演技が上手なので観客が感動して子役の「見得」に「おひねり」を投げたことを俳句に詠んでいるのですが、
添削後の俳句ではその原句の句意が不明瞭です。
夏井先生は、「飴よ硬貨よ」と表現すると子役に「おひねり」を投げているのは明瞭だと言っていますが、「飴」は子役に投げるものという習慣でもあったのでしょうか?
実態を知らない読者は、添削後の俳句は「おひねり」の面白さを詠んだ俳句と解釈するでしょう?
原句の「や」は切字ではなく詠嘆として使っているのでしょうが、この俳句の場合は不適切です。
俳句に助詞「は」を用いるのは良くないと一般的に言われますが、この句の場合は「や」を「は」に変えて、次のように添削すれば原句の句意が明瞭になるのではないでしょうか?
・おひねりは 子役の見得に 夏芝居
プレバトはエンタテイメント性があるので、夏井先生は大衆受けを狙って大幅な添削をしているのでしょうか?
それとも、助詞「は」を用いることを嫌ったのでしょうか?
助詞「は」を用いることによって、「や」を用いている原句より「子役の見得」が強調され、読者は子役の演じた芝居の「演目」や「子役の見得」をあれこれ想像するのではないでしょうか?
いずれにせよ、
「俳句は詠み人次第・読み人次第」です。
俳句は好き好きです。
楽しむことが先決でしょう。
プレバト俳句に出演のタレントの方々は夏井先生が「絶対」でも「神様」でも「仏様」でもないことを承知のことでしょうが、「幸運の女神」に祈る気持ちなのか、「判定」を待つ皆さんのジェスチャーは一様です。
この「祈るジェスチャー」も「感嘆の声」も番組を盛り上げるための「やらせ」なのでしょうか?
この記事が「俳句HAIKU」の読者やプレバト視聴者など、俳句に関心のある方々の何らかの参考になれば幸いです。
(青色文字をクリックすると関連のリンク記事をご覧になれます。)
写真はTV-4chのプレバト画面の一部を掲載させて頂きました。
青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。