俳句・文芸翻訳 Feed

2019年7月 4日 (木)

芭蕉の俳句・HAIKU of Bashō:「雲の峰」(29/300)

    

湖や暑さを惜しむ雲の峰 

  (mizuumi-ya atsusa-o-oshimu kumo-no-mine)

   

(A)

high over the lake

missing the heat of summer,

soaring peaks of cloud

 

(B)

the lake_

missing the summer heat,

the soaring peaks of cloud

  

(A) 575訳、(B)はLovee訳です。(A) は「high over」を追加し英詩的に巧みな翻訳をしていますが、芭蕉の句意とは異なります。(B)は音節よりも原句の言葉・句意を尊重し、原句の切れ字「や」をダッシュ記号で表現して、俳句らしく簡潔に翻訳しています。

冒頭の青色文字(「湖や・・・」)をクリックすると、掲句について「笈日記」の解説記事で句意を確認できます。

  

この俳句の「惜しむ」の主体は何でしょうか?

「惜しむ」は「雲の峰」を修飾していると解釈するのが自然でしょうが、芭蕉は「雲の峰が暑さを惜しんでいる」と感じてこの俳句を作ったのだと思います。

  

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2019年7月 3日 (水)

芭蕉の俳句・HAIKU of Bashō:「夏草」(28/300)

      

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夏草や兵どもが夢の跡

   

   

(natsukusa-ya tsuwamonodomo-ga yume-no-ato)

 

   

(A)

the summer grasses;

of warriors’ ambitions

all that now remains

 

(B)

summer grasses---

all that remains from the dreams

of brave warriors

 

(C)

the summer grasses:

the remains of 

warriors' dreams

   

(A) は575訳、(B) はAddiss訳で4-7-5音節、(C) はLovee訳です。

(C) は動詞を用いず、5-4-4音節の簡潔な翻訳です。

コロン(:)は「すなわち」の意味を表す句読点です。切れ字の「や」には「_」がよく使われますが、この句の場合は「:」が良いと思います。

  

ポーランドの旅(写真と俳句 講演のことなど)」をご覧下さい。

 

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2019年7月 2日 (火)

芭蕉の俳句・Haiku of Bashō:「蝉の声」(27/300)

    

やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声

 (yagate-shinu keshiki-wa-miezu semi-no-koe)  

   

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(A)

they will die so soon,

yet there is no thought of it

in cicadas’ songs

 

(B)

showing no signs

that they will soon die---

cicada voices

  

(c)

the voices of cicadas_

so brisk,

with no signs of soon dying

 

(A) 575訳、(B)はStephen Addiss訳、(C)はLovee訳です。C)の翻訳は、動詞を用いている(A)や(B)の翻訳より簡潔(7-2-6音節)で俳句らしいでしょう。

  

  

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2019年7月 1日 (月)

芭蕉の俳句・Haiku of Bashō:「朝顔」(26/300)

    

僧朝顔幾死にかへる法の松

  (sō-asagao ikushinikaeru nori-no-matsu)

  

(A)

monks and morning glories,

dying again and again;

the dharma pine tree

  

(B)

monks and morning glories

generations of dying to return_

the dharma pine tree

  

(A) は575訳、(B) はLovee訳です。

芭蕉の俳句・Haiku of Bashō:「蝉のから」(25/300)

   

・梢よりあだに落けり蝉のから

(kozue-yori adani-ochikeri seminokara)

  

(A)

out of a treetop

it was emptiness that fell

a cicada shell

 

(B)

out of a treetop

fruitlessly fell,

a cicada shell

    

(A) 575訳、(B)はLovee訳です。

この俳句の句意のポイントは「あだに落ちる」、すなわち、「落ちても芽は出ない」ということですから、散文的な(A) の表現より(B) の「fruitlessly」の方が俳諧味が出ると思います。

  

芭蕉の俳句・Haiku of Bashō:「夏木立」(24/300)

      

木啄も庵はやぶらず夏木立

 (kitsutsuki-mo io-wa-yaburazu natsukodachi)

 

(A)

even woodpeckers

do not harm this little hut

among summer trees

 

(B)

even woodpeckers

do not harm the hut_

summer trees

  

(A) は575訳、(B) はLovee訳です。

(A)の形容詞や前置詞「among」は俳句の簡潔さを損ない、散文的・説明的になるので無用でしょう。

 

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2019年6月30日 (日)

芭蕉の俳句・Haiku of Bashō:「蝉」(23/300 )

       

・閑さや岩にしみ入蝉の聲

 (shizukasa-ya iwa-ni shimiiru semi-no-koe)

 

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(A)

amid the stillness

the rocks are penetrated

by cicada songs

 

(B)

silence_

penetrating the rocks,

cicada voices

 

(C)

the stillness_

the voice of a cicada

seeping into the crags

   

  

(A) 575訳、(B)はStephen Addiss訳、(C) L.P. Lovee訳です。(A) (B) も「しみ入る」を「penetrate」と英訳していますが、「penetrate」には「突き進む」というニュアンスがあり、「しみ入る」の訳語としては(C)の「seep into」の方が適切な気がします。また、「蝉の声」を「cicada songs」や「cicada voices」と複数にしていますが、奥の細道の解説などを読むと、山寺の静寂の中で一匹の「ニイニイゼミ」が岩に浸み込むような声で鳴いている情景を詠んだものと思います。従って、(C) のようにその句意が明瞭になるように翻訳するのが良いでしょう。

   

余談ですが、先ほどNHKテレビニュースで米・朝首脳会談の状況を放映していました。世界平和を維持するために首尾よく会談が進展することを祈るばかりです

  

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芭蕉の俳句・Haiku of Bashō:「蛙」(15/300)

     

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                               冒頭の写真はカラー図説日本大歳時記の「蛙」の解説ページです。写真はクリックすると拡大します。

  

    

・古池や蛙飛びこむ水の音

 (furuike-ya kawazu-tobikomu mizuno-oto)

 

            (A)

            by an ancient pond

            a frog leaping into it

            the sound of water

  

            (B)

            The old pond;

     A frog jumps in_

     The sound of the water.    

   

            (C)

            a sound of a frog

            jumping into water_

            the old pond

    

(A)  は「575訳」ですが、5-7-5の音節に拘り、説明的な翻訳になって俳句の簡潔さが損なわれています。

(B)はRobert Aitken訳、(C)はL.P. Lovee訳です。

いずれも「芭蕉の俳句『古池や』の英訳を考える」で紹介したものですが、両者の翻訳の違いは、芭蕉がこの俳句を作った背景の解釈の違いによるものです。すなわち、(B)は一般的な解釈(古池の傍で蛙を見て詠んだもの)により妥当な翻訳ですが、(C)は「蛙の飛び込む水音を聞いて詠んだもの」と解釈した試訳です。いずれにせよ、この俳句は芭蕉が古池の心象を詠んだ創作俳句であり、実際の写生句ではないかもしれません。

なお、この俳句の英訳は無数にあり、複数の蛙が飛び込んだ音と解釈した英訳もありますが、静けさの中に一匹の蛙が「チャポン」と飛び込み、また静けさが戻った情景を想像して翻訳した方が良いと思っています。

  

あなたなら、どのように翻訳しますか?

  

ちなみに、ここをクリックすると芭蕉の俳句「古池や」の英訳32件 (小泉八雲訳やドナルド・キーン訳など)をご覧になれます。

  

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2019年6月29日 (土)

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「花橘」(22/300)

  

駿河路や花橘も茶の匂ひ

(surugaji-ya hanatachibana-mo cha-no-nioi)

 

(A)

on the suruga

road, orange blossom scent mixed

with that of the tea

 

(B)

the Suruga road_

orange blossoms also smell

like the scent of tea

 

(A)は合理的な解釈をした575訳です。(B)は原句の俳諧味を生かすべく文字通りに英訳したLovee訳です。

  

 

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「あやめ草」(21/300)

       

・あやめ草足にむすばん草鞋の緒

(ayamegusa ashini-musuban waraji-no-o)

 

(A)

irises, it seems,

are blossoming on my feet;

sandals laced with blue

 

(B)

the sweet flag_

I will tie as a thong of straw sandals

at my feet

  

(A) は「575訳」ですが、「あやめ草」は「菖蒲」のことですから、「irises」(=花菖蒲)は誤訳です。

(B) は「奥の細道」の解説に基づく「Lovee訳」ですが、一応の試訳です。

  

芭蕉俳句全集」の解説には、「あやめ草を葺く日の今日民家ではそれを軒にさしますが、旅に出ている私は加右衛門に貰った紺の染め緒を草鞋の緒に結びましょう。加右衛門に対する感謝の吟。とあります。

奥の細道朗読」によるとイメージ句としての創作とのことですが、実態のわからない俳句は文字面どおりに翻訳して、読者の解釈に委ねるしか仕方がありません。

  

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2019年6月27日 (木)

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「青柳」(12/300)

   

 ・青柳の泥にしだるる潮干かな

   (aoyagino doronishidaruru shiohikana)

 

       (A)

        the green willow trees

        are dripping into the mud

now the tide is out

 

      (B)

       the ebb tide_

       green branches of the willow

       drooping to the mud

               

     (C)

      the green willow branches

      drooping to the mud_

      the ebb tide

           

A)はホワイト氏訳ですが、5-7-5音節に拘り、原句の句意が正確に翻訳されていません。(B)と(C)は L.P. Loveeの素直な英訳ですが、「潮干」と「青柳」のどちらを先に芭蕉が認識したかの違いを語順で表しています。音節は3-6-56-5-3ですが、いずれも(A)よりも俳句らしい簡潔なリズムになっていると思います。

なお、今後は「575 The haiku of Basho」掲載のホワイト氏の翻訳を「575訳」と略称します。

  

  

  

2019年6月26日 (水)

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「雲雀」(20/300)

        

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                                           (冒頭の写真)カラー図説日本大歳時記の「雲雀」の解説ページの一部分です。

 

写真はクリック(タップ)拡大できます。

 

     

・原中や物にもつかず鳴雲雀

 (haranaka-ya mononimo-tsukazu naku-hibari)

    

    (A) (5-7-5訳)

    out over the plain

   free of any attachment

   the sky larks, singing

 

   (B) (L.P. Lovee訳)

   over the field

   without clinging to anything,

   a skylark singing

  

(A) は「575訳」ですが、「ものにもつかず」を誤訳しています。

雲雀通常一羽のみ上昇して鳴くものですから、「skylarks」と複数にするのは実態的に不適切です。

(B) は実態を考慮して素直に翻訳した L. P. Lovee 訳ですが、4-7-5音節になっています。

  

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2019年6月21日 (金)

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「蟹」(19/300)

  

 ・さざれ蟹足はひのぼる清水哉

   (sazaregani ashi-hainoboru shimizu-kana)

 

(A)

a very small crab

has found its way up my leg

in clear stream water

 

(B)

a tiny crab

creeps up on my leg_

the clear water

  

(A) は「575訳」で散文的になっていますが、(B) (Lovee訳)は簡潔で俳句らしい翻訳です。

 

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「涼し」(18/300)

   

・潮越や鶴はぎぬれて海涼し

 (shiogoshi-ya tsuruhagi-nurete umi-suzushi)

 

            (A)                 

            crossing at low tide

     the legs of the cranes are wet

     with the sea’s coolness

 

    (B)

    carrying out “shiogoshi”,

    with their bare legs wet_

    the cool sea

 

    (C)

           at the “shiogoshi”

           my bare legs are wet_

    the cool sea

   

鶴脛(つるはぎ)」とは「衣の短い裾からすねが長く現れること」、また、その「すね」のことです。

   

A)(「575訳」)は「鶴脛」を「鶴の脛」と解釈した翻訳ですが、(B)(Lovee訳)では「鶴脛」を定義どおりの意味にとり、「人が潮越をしているのを見て詠んだもの」と解釈して翻訳しました。

「潮越」とは、広辞苑によると「潮水をひき導くこと」ですが、「芭蕉俳句全集」の「奥の細道」の解説のように、「浪が打ち入る所」と解釈すると、芭蕉が潮越を歩いて詠んだものとして最も俳句らしい翻訳ができます。実態に即した最適の翻訳は(C)(Lovee訳)でしょう。

いずれにせよ、「潮越」に対応する英語の言葉はないので、そのままローマ字で表記せざるをえません。

  

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「五月雨」(17/300)

  

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(写真)

姫路城の傍にある動物園の鶴。

  

   

          

五月雨に鶴の足みじかくなれり

(samidare-ni tsuruno-ashi mijikaku-nareri)

  

           

(A)

heavy summer rain

has caused the cranes’ legs

to be very much shorter

  

(B)

the rain of rainy season

has made the cranes’ legs

look shortened

  

(C)

the legs of cranes

look shortened_

the seasonal rain

   

A)は「575訳」で散文的英訳になっていますが、芭蕉の原句が散文的表現なので是認すべきかもしれません。

B)と(C)は「Lovee訳」ですが、(C)の方が簡潔で俳句らしい翻訳です。

なお、「五月雨」は陰暦5月の長雨(「梅雨の雨」)のことですが、は「冬」の季語です。

   

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現在では鶴は北海道や動物園でしか見ることが出来ませんが、芭蕉がこの俳句を詠んだ頃には沼地などで梅雨時にも野生の鶴を見ることが出来たのでしょうか? それとも、この俳句は俳諧味を出すための全くの創作でしょうか?

     

 

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タイトルをタップしてその記事をご覧頂ければ幸いです。

  

 

2019年6月20日 (木)

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「真桑瓜」(16/300)

  

・初真桑四にや断ン輪に切ン

(hatsu-makuwa yotsu-niya-tatan wani-kiran)

           

            (A)

            the year’s first melon;

            how should i cut it; in four

            or in round slices

 

            (B)

            shall I cut in four

            or in round slices?

            the season’s first melon

 

A)は「575訳」です。(B)はL.P. Lovee訳です。「初真桑」の「初」の英訳は、旬の初物という意味で「year’s first」より「season’s first」と訳する方がよいでしょう。

本間美術館の記事によるとこの俳句は連歌の発句です。

この連歌に興味があれば、ここをクリックしてご覧下さい

  

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「みそさざい」(14/300)

    

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冒頭の写真はカラー図説日本大歳時記の「みそさざい」と「梅」の解説ページです。写真はクリックすると拡大します。

        

    ・世ににほへ梅花一枝のみそさざい

(yoninioe baikaisshino misosazai)

           

            (A)

            sweet-scented world;

            on a branch of plum blossom

            a wren is perching   

 

            (B)

            Be fragrant in the world!

            a wren

            on a branch of plum blossom        

 

(A) は「575訳」ですが、「世ににほへ」(命令形)を無視した誤訳です。

(B) は原句の意味を忠実に訳出しています。

芭蕉俳句全集」によると、この俳句は明石玄随(医師)を称えた挨拶句とのことです。したがって「みそさざい」は玄随の比喩であると解釈できます。

なお、「鷦鷯」は冬の季語、「」は春の季語です。

  

 

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「ほととぎす」(13/300)

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13) ほととぎす消え行く方や島一つ

          (hototogisu kieyukukataya shimahitotsu)

         

          (A)

          where a small cuckoo

          disappeared in the distance

          a single island

  

          (B)

          in the distance where

   a little cuckoo disappearing,

          a single island

 

A)は「575訳」ですが、「消え行く」を「disappeared」(過去形)と誤訳しています。

B)は「消え行く」を訳出するために「disappearing」(進行形・be動詞省略)としました。

芭蕉300句の英訳チャレンジ:「春風」 (11/300)

   

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 ・春かぜやきせるくはえて船頭殿

  (harukazeya kiserukuwaete sendo-dono)

          

     (A)

          spring breeze_

          with a pipe in his mouth

          Mr. boatman

 

         (B)

          with a pipe in his mouth

          Mr. boatman_

              spring breeze

  

        (C)    

         a pipe in his mouth,

         mister boatman is smoking;

         a breeze in springtime

 

 (C)はホワイト氏の英訳ですが、5-7-5の音節にするために動詞が使われ、句意はわかりやすいですが、簡潔さという俳句の特徴・良さは損なわれています。

A)と(B) はL.P. Loveeの英訳ですが、音節に捉われず俳句の簡潔さを優先した翻訳です。  

俳句は好き好き、翻訳も好き好きです。(B)が良いと思いますが、貴方はどの英訳が良いと思われますか?

   

余談ですが、「春風」といえば高浜虚子春風や闘志抱きて丘に佇つ」という俳句を思い出します。同じ思いで俳句の翻訳をしています。

   

  

2019年6月 7日 (金)

芭蕉300句:言葉の壁を破る英訳チャレンジ (1)

         

 (Click here to see "the English version by L. P. Lovee".)

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先日、「575 The haiku of Basho」の著者John Whiteが共著者の佐藤平顕明氏と来日され、芭蕉の俳句の英訳について議論する機会を得ました。

ホワイト氏は俳句の原則5-7-5音を尊重して英訳を5-7-5 音節(syllable)のhaikuとし、芭蕉が字余りで詠んだ俳句はそれに従って音節を増やすという徹底ぶりで、300句を英訳しています。その労作には驚嘆しました。

ホワイト氏は日本語を理解できないので、佐藤氏の解説を基にして英訳されたそうで、両氏のご努力には敬意を惜しみません。しかし、俳句の本質は5-7-5音の簡潔な詩的表現をすることにあり、日本語と英語の構文や発音などの違いを無視して形式的に音節に拘ることには賛成しかねます。動詞や前置詞・副詞などを使用して音節を増やすと散文的になり、俳句の特徴である「詩的短さ」が損なわれると主張しましたが、ホワイト氏は英語の詩として十分簡潔なhaikuに翻訳していると反論され、議論は平行線に終わりました。

ホワイト氏には94歳のご高齢にもかかわらず翌日の帰国を控えたお忙しい時間を割いて頂いたので議論の矛を収めましたが、言葉の壁を破り俳句の翻訳をすることの難しさの一例として、ご参考までに下記のとおり紹介させて頂きます。

 

・ほろほろと山吹ちるか瀧の音 (芭蕉

 

yellow rose petals

gently, gently flutter down;

waterfall thunder

 

ホワイト氏は、芭蕉が山吹を見て詠んだものとしてこの翻訳をしたとのことで、「滝音の響きと山吹が静かに散る対比が面白い」と感想を述べていました。

この解釈は、疑問を表す助詞「か」を見落としていますが、日本の著名な俳人も文法に気をとめず直感的に句意を解釈する傾向があるので是認すべきかもしれません。この俳句は滝の音を聞きながら、「滝の轟音の響きで山吹が散るのではないか?」と滝音の大きさを詠嘆して詠んだものでしょう。 

そこで、次のとおり試訳してみました。

  

shall yellow rose petals

flutter down?

the thunder of water fall

   

ホワイト氏の翻訳は9語17音節ですが、上記試訳は11語16音節です。語数が増えても「滝の音」を強調するために敢えて「the thunder of waterfall」としました。

英詩のHAIKUとしては試訳よりホワイト氏の翻訳の方が詩的映像が鮮明になり優れていると思いますが、原句の句意を無視することはできません。試訳は1~2行の改行を活かし、間をおいて読むと俳句らしくなります。

芭蕉は「滝と山吹」の従来の取り合わせの焦点を音に当てることにより新鮮味を出し、映像は読者の想像に委ねたものと思います。

ホワイト氏はロンドンの名門大学UCLの教授だったとのことですが、まだまだお元気です。「来年も生きていたら来日し、俳句と仏教について講演するつもりだ」と仰ってました。

芭蕉の俳句を気の向くままに英訳して言葉の壁を破るチャレンジをし、来年もホワイト氏と議論できることを願っています。

 

今後の英訳は折に触れてfacebookにも掲載します。俳句の翻訳に関心のある読者の皆さんからコメントを頂き、「俳句とhaiku」鑑賞の楽しさをシェアして頂けると望外の喜びです。

   

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