Haiku of Bashō (芭蕉の俳句 113/300)《風の薫》
・さざ波や風の薫りの相拍子
(sazanami-ya kaze-no-kaori-no aibyōshi)
rippling waves_
in tune with
the fragrance of wind
ここをクリック(タップ)すると、「芭蕉db.」の解説をご覧になれます。
・さざ波や風の薫りの相拍子
(sazanami-ya kaze-no-kaori-no aibyōshi)
rippling waves_
in tune with
the fragrance of wind
ここをクリック(タップ)すると、「芭蕉db.」の解説をご覧になれます。
・風流の初めやおくの田植うた
(fūryū-no hajime-ya oku-no taue-uta)
hearing rice-planting songs_
first elegance on my journey,
deep in the north-eastern district
句意を明瞭にするために「hearing」を補足して上記のように翻訳し、そのままHIA 国際俳句交流協会の「英語で分かる芭蕉の俳句」にも投稿しましたが、次のように簡潔に翻訳する方がすっきりして良いと思います。
first elegance on my journey
deep in the north-eastern district_
rice-planting songs
この俳句の解釈の参考に、「福島民友新聞」の解説記事の一部を次のとおり抜粋させて頂きます。
「白河の関を越えて奥州路に入ると、折しも田植え時、人々の歌う田植え歌はひなびた情緒が深く、これこそみちのくで味わう風流の第一歩です」の意
(今栄蔵「芭蕉句集」)。
福島民友新聞解説記事の詳細は
https://www.minyu-net.com/serial/hosomichi/FM20190701-392220.php
をタップしてご覧下さい。
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(2022年12月に、「国際俳句交流協会」の名称は「国際俳句協会」に変更されました。)
芭蕉の辞世句「枯野」のドナルド・キーン訳が「芭蕉終焉の地 <御堂筋>」にありました。
旅に病で夢は枯野をかけ廻る
Stricken on a journey,
My dreams go wandering round
Withered fields.
キーンさんの英訳はさすが巧ですが、「旅に病んで」と「上五」を「字余り」で表現した芭蕉の思いを反映するには、「stricken」を「ill in bed」に修正し、次のように英訳すると良いと思います。
この推敲案についてキーンさんのご意見を伺いたいところですが、もはや叶いません。
ill in bed on a journey,
my dreams wander around
withered fields
HIA 国際俳句交流協会のHPに掲載中の「英語で分かる芭蕉の俳句」で紹介した John White 氏は、「5-7-5音」を踏まえて次のように英訳し、5・7・5 シラブルの英訳に成功しています。
ill on a journey,
my dreams are wandering round
on a withered moor
(青色文字をタップすると、リンクした参考記事をご覧になれます。)
薫風士も及ばずながら、新型コロナ・オミクロン株感染急拡大の中、「芭蕉と同じ思い」で、俳句の国際化の草の根運動をライフワークとして、ささやかな俳句ブログ「俳句HAIKU」を書いているつもりです。
英語俳句はまだ確立した形式がなく、作者や翻訳者がそれぞれ自由に3行で表現していますが、俳句は散文ではないので、文頭や行頭を大文字にせず、固有名詞以外は小文字で表現するのが分かりやすくて良いと思っています。
歳時記「枯野」の例句はここをクリック(タップ)して、ご覧になれますが、
芭蕉の俳句など、俳句の英訳に興味のある方は、ここをクリック(タップ)して、「俳句・文芸翻訳」をご覧下さい。
写真はタップ・拡大してご覧になれます。
(須磨浦公園の芭蕉句碑)
(写真)
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神戸大学の山口誓子記念館を冬晴れの吟行日和に俳句仲間と訪ねました。
この記念館は西宮市苦楽園に山口誓子夫妻が住んでいた旧邸が阪神淡路大震災で倒壊した際に残った建具の一部を使い神戸大学のキャンパス(構内)に復元されたものです。
(冒頭の写真 展示品の一つ)
山口誓子の代表句の解説と英訳の一例です。タップ・拡大してご覧下さい。
・学問のさびしさに耐へ炭をつぐ
Bearing up under
the loneliness of study,
I add fresh charcoal.
上記「学問のさびしさ」の俳句の英訳は、俳句の定型5・7・5音を踏まえた5・7・5シラブルに成功している一例ですが、当時の日本の生活様式を知らない外国人には理解しにくい点が難点でしょう。
記念館の係りの方から得た原典資料情報やインターネットで調べると、古平隆横浜市立大学名誉教授と故Alfled H. Marksニューヨーク州立大学教授が山口誓子とも相談されて共訳されたようです。
この翻訳の「bear」は自動詞として使われていますが、「bear」を他動詞として、17音節に捉われず「brazier(火鉢)」を補うことにより外国人にも分かりやすく、端的に次のように翻訳することも出来ます。
Bearing
the loneliness of study,
I add charcoals to my brazier.
「俳聖の偉蹟を尋ね秋の伊賀(俳句と写真)」で述べましたが、伊賀上野の「芭蕉翁記念館」に展示された芭蕉の有名な俳句「五月雨を集めて早し最上川」の英訳(Jane Reichhold著)に誤訳がありました。
外国人が日本語の俳句を正確に理解することは容易でないと思います。
ここをクリック(タップ)して、「俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(4)<芭蕉の「閑かさや」>」をご覧下さい。
英語の俳句は、5・7・5シラブルに整えることは至難の業ですから、3行詩として簡潔に表現すればよいと思っています。
俳句の英訳に興味のある方は、国際俳句交流協会のHPに掲載して頂いた次の記事もご覧下さい。
「英語で分かる芭蕉の俳句」(掲載中)
「高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!」(掲載済)
コメントなど、投稿頂けると有難いです。 (薫風士)
芭蕉の俳句300句など、俳句の英訳にチャレンジしているので、10月20~21日に「GoToトラベル」(1泊)を利用して、参考資料などを求め伊賀上野の芭蕉翁記念館や蓑虫庵など、伊賀市の観光スポットを巡りました。
俳聖の一端知るや伊賀の秋
爽やかや子等の句掲ぐ芭蕉館
芭蕉館初心新たに秋高し
芭蕉の句誤訳見つけし秋思かな
(注)
「BASHO: The Complete Haiku」(Jane Reichhold著)からの抜粋8句が記念館に掲示されていました。
(写真をタップ・拡大してご参照下さい。)
「五月雨を集めて早し最上川」の下記の翻訳は、「切字」が無いので普通に読むと、芭蕉の俳句を誤訳した英訳になります。
summer rains
quickly gathered
Mogami River
上記の英訳では、「五月雨が早く集められた最上川」という意味になり、原句の「最上川の流れが速い」という句意と異なります。
俳句は様々な翻訳が可能ですが、下記の通り、薫風士の試訳をご参考までに掲載します。
Mogami River_
rapids,
gathering early summer rains
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・水黽の水輪をちこち映ゆる空
(amembo-no mizuwa-ochikochi hayuru-sora)
rings made by water striders
here and there
on the reflected sky
・水黽の水輪をちこち空映ゆる
(amembo-no mizuwa-ochikochi sora-hayuru)
the clear sky reflected,
here and there
rings made by water-striders
Appreciate the diferrences in the meaning according to the difference in the word order of the Japanese haiku.
Click and enlarge the pictures to find the rings made by water-striders.
Click the following URL to see "Bashō's haiku in Japanese and English by L. P. Lovee":
http://www.haiku-hia.com/about_haiku/basho300_en/archives/300-01_en.html#preface_en
(101)
雲折々人をやすむる月見哉
(kumo-oriori hito-o-yasumuru tsukimi-kana)
clouds once in a while,
giving a rest for
moon-viewers
(102)
山も庭もうごき入るや夏座敷
(yama-mo-niwa-mo ugoki-iru-ya natsuzashiki)
the mountain and the garden
both coming in_
the summer room
(103)
ひやひやと壁を踏まへて昼寝かな
(hiyahiya-to kabe-o-fumaete hirune-kana)
for cooling,
with my feet on the wall_
afternoon-napping
(104)
蜻蜒やとりつきかねし草の上
(tombo-ya toritsuki-kaneshi kusa-no-ue)
dragonflies_
unable to alight,
above the grass
(105)
すずしさを絵にうつしけり嵯峨の竹
(suzushisa-o e-ni-utsushikeri saga-no-take)
(A)
the coolness
alike to a drawing_
Saga bamboos
(B)
the coolness
I reflected on a drawing_
Saga bamboos
(C)
the coolness
reflected on the drawing_
Saga bamboos
(注)
(A)は「涼しさを絵にかいたような」という通説に基づく翻訳です。現に掛けてある絵を見て詠んだとすれば、不定冠詞 (a) ではなく定冠詞 (the) にすべきでしょう。いずれにせよ、「うつしけり」の主体は「嵯峨の竹」です。
(B)は原句の文字通り、「涼しさを絵に描いた」という新解釈の翻訳です。「うつしけり」の主体(芭蕉)が省略されているという新解釈ですが、穿ち過ぎでしょうか?
(C)は「嵯峨の竹の涼しさ」を愛で、「(床の間に掛けてある)絵の涼しさ」も愛でる句を詠んだとする新解釈の翻訳です。現にある絵を表すために、(B)の不定冠詞と異なり、定冠詞を付けました。
(106)
蘭の香やてふの翔にたき物す
(ran-no-ka-ya chō-no-tsubasa-ni takimono-su)
the scent of orchids
burns incense
on the wing of a butterfly
(注)
「芭蕉DB」の「野ざらし紀行」によると、この俳句は比喩です。
(107)
夕にも朝にもつかず瓜の花
(yūbe-nimo asa-nimo-tsukazu uri-no-hana)
regardless of evening or morning,
in bloom
uri-melon flowers
(108)
暑き日を海にいれたり最上川
(atsuki-hi-o umi-ni-iretari mogami-gawa)
(A)
the burning sun
sinking in the sea_
Mogami-river
(B)
Mogami-river
putting the hot day
into the sea
(注)
この俳句の「暑き日」は「太陽」と「暑い一日」の両方の意味合いがあると思いますが、英語HAIKUではどちらか一方にせざるを得ません。
(109)
蛍見や船頭酔うておぼつかな
(hotaru-mi-ya sendō-yōte obotukana)
firefly-viewing_
the boatman drunk,
faltering
(110)
ほととぎすなくなくとぶぞいそがはし
(hototogisu nakunaku-tobu-zo isogawashi)
the little cuckoo,
crying while flying_
how busy!
(91)
ほととぎす啼や五尺の菖草
(hototogisu naku-ya goshaku-no ayamegusa)
a little cuckoo cries_
five feet of
shōbu-iris
(注)
この俳句は元禄5年5月(1692年)芭蕉49歳の作です。
古今集の和歌を踏まえています。
(92)
たけのこや幼き時の絵のすさび
(takenoko-ya osanaki-toki-no e-no-susabi)
bamboo shoots_
bamboo-drawing was
my childhood pastime
(93)
雀子と聲鳴かはす鼠の巣
(suzume-go-to koe-naki-kawasu nezumi-no-su)
a nest of rats,
exchanging greetings
with baby-sparrows
(注)
「鳴き声交わす」は直訳せず、「exchange greetings」と翻訳しました。
(94)
我宿は蚊のちいさきを馳走かな
(waga-yado-wa ka-no-chiisaki-o chisō-kana)
the hospitality in my dwelling_
smallness of
the mosquitos
(95)
花は賤のめにもみえけり鬼薊
(hana-wa shizu-no-me-nimo mie-keri oniazami)
the blossoms
also seen by lowly man's eyes_
oni-thistles
(注)
この俳句は芭蕉23歳(1666年)の作ですが、ポイントは「賤の目には鬼は見えない」という諺を踏まえて俳諧味を出していることです。
(96)
木隠て茶つみも聞や時鳥
(ko-gakure-te chatsumi-mo kiku-ya hototogisu)
behind the bushes
tea-pickers also listening_
the cuckoos
(97)
鐘消て花の香は撞夕哉
(kane-kiete hana-no-ka-wa tsu-ku yūbe-kana)
the sound of temple-bell having diminished,
the blossoms smells_
the evening
(注)
「花」と「鼻」や「鐘を撞く」と「鼻を突く」など、同音・異句によるこの俳句の俳諧味を英語HAIKUに訳出することは不可能です。
(俳句談義(13):「花」と「鼻」> 高浜虚子と芥川龍之介参照)
この俳句の解釈は様々です。「新撰都曲」や「教員コラム」の解説記事をご参照ください。
(98)
皿鉢もほのかに闇の宵涼み
(sarabachi-mo honokani yami-no yoi-suzumi)
the dishes in the dusk_
I enjoy
the evening cool
(99)
ふるすただあはれなるべき隣かな
(furusu-tada awarenaru-beki tonari-kana)
(A)
the old nest_
simply pathetic
neighbor_
(B)
the neighbor_
simply pathetic
old nest
(注)
この俳句は宗波(芭蕉の弟子)に対する送別吟です。
(A)は日本語の語順通りの英訳です。(B)の語順の方が英語HAIKUとして句意が明瞭になるでしょう。いずれにせよ、be動詞は省略しています。
(100)
木をきりて本口みるやけふの月
(ki-o-kiri-te motokuchi miru-ya kyō-no-tsuki)
the end of a tree
I just cut down_
today’s moon
(注)
1677年(芭蕉34歳)の作です。芭蕉はこの年にプロの俳諧師になり、4年間水道工事監督に従事したとのことです。
(81)
花の雲鐘は上野か浅草か
(hana-no-kumo kane-wa-ueno-ka asakusa-ka)
the clouds of cherry blossoms_
the sound of temple bell
from Ueno, or Asakusa?
(82)
世にさかる花にも念仏申しけり
(yo-ni-sakaru hana-nimo nembutsu mōshi-keri)
the nembutsu_
chanted even
to the full-blown cherry blossoms
(注)
俳句は省略の文芸といわれますが、英語でも詩歌では主語なども省略されることがあります。この俳句の「申しけり」は芭蕉自身のことか他人のことか背景を知らない限り断定できません。「chanted」を「過去形」と捉えれば芭蕉のことになり、「過去分詞」と捉えれば他人のことになります。
(83)
しばらくは花の上なる月夜かな
(shibaraku-wa hana-no-ue-naru tsukiyo-kana)
for a while
the moon-lit night
over the cherry blossoms
(84)
木のもとに汁も膾も桜かな
(ki-no-moto-ni shiru-mo-namasu-mo sakura-kana)
(A)
under the tree_
onto the soup and the namasu
cherry blossom petals
(B)
under the tree_
the soup and the namasu
containing cherry blossom petals
(注)
「汁も膾も」は当時の決まり文句だったようです。「膾」に対応する英語は無いので「namasu」と記述し、英語版には注記するのが良いと思っています。
(A)は通説に基づく翻訳です。(B)は深読みの新解釈です。「何もかも花づくめ」 であるという俳諧味を強調した試訳です。
(85)
花にねぬ此もたぐいか鼠の巣
(hana-ni nenu koremo-tagui-ka nezumi-no-su)
awake by the cherry blossoms_
is this that kind?
the rat nest
(注)
この俳句は芭蕉が源氏物語の和歌を踏まえて詠んだことを知らなければ真の句意が理解できません。
(86)
行はるや鳥啼うをの目は泪
(yuku-haru-ya tori-naku uo-no mewa-namida)
the spring departing_
birds cry,
tears in the fish eyes
(注)
この俳句を芭蕉が詠んだ背景や句意を理解するには「奥の細道」を参照する必要があります。
(87)
しばらくは瀧に籠るや夏の始
(shibaraku-wa taki-ni komoru-ya ge-no-hajime)
for a while
confining behind the waterfall_
the beginning of “ge”
(注)
この俳句を芭蕉が詠んだ背景は、ここをタップして、「奥の細道」の解説をご参照下さい。「夏」は季語としてそのまま「ge」と記述しました。
(88)
一つぬひで後ろに負ひぬ衣がへ
(hitotsu nuide ushiro-ni-oinu koromogae)
taking one garment off,
putting it on my back to carry_
that’s my koromogae
(注)
芭蕉が自分のことを詠んだ俳句として英訳しました。「衣替え」を「change of clothes」などと英訳すると、「季語」としての意味合いがなくなりますので「koromogae」と記述して解説を付記するのが良いと思います。
(89)
父母のしきりに恋し雉の聲
(chichi-haha-no shikirini-koishi kiji-no-koe)
frequent yearning
for farther and mother_
cries of a pheasant
(注)
「恋しがっている」主体は芭蕉自身のことか、雉のことか、その両方の含みを出すために所有格の代名詞は付けていません。
(90)
霧雨の空を芙蓉の天気哉
(kirisame-no sora-o-fuyō-no tenki-kana)
the drizzling sky_
fine weather
for the cotton roses
(71)
ありあけも三十日に近し餅の音
(ariake-mo misoka-ni-chikashi mochi-no-oto)
the daybreak
also close to the year’s end_
sounds of pounding steamed rice
(注)
餅つきの音があちこちにしていることを詠んでいるとの解釈に基づき複数形にしました。
(72)
春もややけしきととのふ月と梅
(haru-mo yaya keshiki-totonou tsuki-to-ume)__(A)
(harumoya-ya keshiki-totonou tsuki-to-ume)__(B)
(A)
the spring scenery
almost in order_
the moon and ume-blossoms
(B)
the spring mist_
scenery almost in order
the moon and ume-blossoms
(注)
(A)は通説どおり「春もやや」を「春も・やや」と解釈して翻訳しています。「梅」に対応する英語で俳句に適切な単語は無いので「ume」と記述します。
(B)は最後の「や」を詠嘆の助詞と捉えて、「春靄や」と読む新解釈で翻訳しています。「芭蕉が墨絵を念頭にしてこの句にそのような含みをもたせた」と大胆な深読みをするのは穿ち過ぎでしょうか?
(73)
庭はきて雪をわするるははきかな
(niwa-haki-te yuki-o wasururu hahaki-kana)
sweeping the garden,
the broom forgets
the snow it swept
(注)
「ははき」は箒のことです。真蹟自画賛によると寒山のことを詠んだ俳句です。句意が分かりやすいように語句を補充して翻訳しましたが、更に解説が無けらば理解できない俳句です。
(74)
(ōtsue-no fude-no-hajime-wa nani-botoke)
what buddha was drawn?
the first ōtsu painting
of New Year
(75)
古寺の桃に米ふむ男かな
(furudera-no momo-ni kome-fumu otoko-kana)
at the old temple
peaches in bloom_
a man pounding rice
(76)
うたがふな潮の花も浦の春
(utagauna ushio-no-hana-mo ura-no-haru)
Have no doubts_
the flowers of tide
also the spring of the bay
(77)
樫の木の花にかまはぬ姿かな
(kashinoki-no hana-ni kamawanu sugata-kana)
evergreen oaks
having their own figures
indifferent to flowers
(78)
咲き乱す桃の中より初桜
(sakimidasu momo-no-naka-yori hatsuzakura)
the first cherry blossoms
out of order_
among the peach blossoms
(79)
よくみれば薺花さく垣ねかな
(yoku-mire-ba nazuna-hana-saku kakine-kana)
careful watching_
shepherd’s purses in bloom
under the hedge
(80)
鶯や竹の子藪に老を鳴く
(uguisu-ya takenoko-yabu-ni oi-o-naku)
crying over agedness
in the bamboo shoots bush_
a bush warbler
「枯野」<芭蕉の辞世句> ドナルド・キーン訳の推敲を考える
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2022/01/post-859f.html
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(61)
比良三上雪さしわたせ鷺の橋
(hira-mikami-yuki sashiwatase sagi-no-hashi)
(A)
Hira Mikami in the snow_
Build a bridge
of white herons.
(B)
Hira Mikami with snow_
Form a bridge
of snowy egrets.
(C)
Hira Mikami mountains
in the snow_
Form a bridge, white herons.
(注)
この俳句は「切れ」をどこに置くか、読み方に迷いますが、一般的な5‐7‐5の音節に読むと意味が通じなくなるので、切れを「雪」の後に入れて、「句またがり」の7‐5‐5に読むと意味が通じます。
そこで、雪の比良山や三上山、湖上の鷺などを眺めながら、「白鷺」に呼び掛けるようにして詠んだ俳句として翻訳しました。
Haikuの各行頭は小文字にするのが普通ですが、原句の固有名詞や命令形表現を明確にするために大文字を用いています。
「白鷺」に対応する英語には「white heron」 とか「snowy egret」がありますが、(B)の英訳の方がsnowとsnowyの対比で面白いでしょう。
(C)は語句を補充して外国人にも分かりやすく英訳しました。
「snow」の後の「切れ」の記号(_)や前置詞(inやwith)は「呼び掛けの対象が雪でなく白鷺である」ということを明瞭にするためには省略できません。
(62)
かれ朶に烏のとまりけり秋の暮
(kare-eda-ni karasu-no-tomari-keri aki-no-kure)
(A)
on a dead branch
crows have settled_
evening in the autumn
(B)
on dead branches
crows alighted_
autum evening
(C)
on a tree's dead branch
a crow has settled itself to roost;
twilight in autumn
(注)
(A)は一枝に複数の鴉が留まったのを詠んだものと解釈した英訳です。
(B)は複数の枝に鴉が止まったのを詠んだものと解釈した英訳です。
(C) は原句の「5・9・5音」に合わせて「5・9・5 syllables」にしたWhite氏の英訳です。
この句で芭蕉が中七を「烏のとまりけり」と字余りにしたのは何故でしょうか?「烏とまるや」と「5・7・5」の定型にすると平凡になるのを避け、さらに「夕方に飛ぶ烏の行先(ねぐら)を見届けようとしたニュアンス」を「字余り」で強調したのだろうと思います。
実態的に「have settled」と「alighted」のどちらが適訳か不明ですが、字余りの表現を考慮すると、前者の方が良いと思います。
(C)は「留まっている枝を寝床にした」という意味なので、原句とニュアンスが異なると思います。
音節に拘るよりも、句意を簡潔に訳出することを重視すべきでしょう。
「俳句」と「HAIKU」は、それぞれが世界最短の詩型として、「日本語」と「英語」の詩の良さを発揮すれば良い、と思って翻訳しています。
この芭蕉の俳句には「とまりたるや」と「とまりけり」と二通りの真蹟があります。前者は(C)に近い句意です。ここをタップしてご覧下さい。
(63)
時雨をやもどかしがりて松の雪
(shigure-o-ya modokashigarite matsu-no-yuki)
(A)
the wintry shower_
irritating for
the snow of the pine
(B)
the snow on the pine_
irritated by
the wintry shower
(注)
この俳句は擬人化することによって芭蕉の気持ちを表現したものでしょう。(A) は主体を「時雨」とし、(B)は 「松の雪」を主体にして翻訳しました。
(64)
冬がれや世は一色に風の音
(fuyu-gare-ya yo-wa-hito-iro-ni kaze-no-oto)
(A)
the withered surrounding of winter_
everything in one color
the sound of wind
(B)
withering in the winter_
all in one color
the sound of a wind
(注)
この句は「冬枯れの一色」と「風の音」を呼応させて詠んだものでしょう。(B)の意訳の方が簡潔で韻の効果もあり、(A)より原句のニュアンスに近い感じがします。
(65)
瓶破るるよるの氷の寝覚哉
(kame-waruru yoru-no-koori-no nezame-kana)
(A)
the cracking of a crock
has woken me:
the icy night
(B)
awoken by
the cracking of the crock_
the icy night
(C)
waking:
the crock has cracked
due to the ice of the night
(注)
芭蕉の俳句は、「古池や」の句のように幾通りもの翻訳が可能ですが、(A)や(C)よりも(B)が最も俳句らしい感じがします。
(B)の「awoken」は受動態のbe動詞と主語を省略したものです。
(A)や(C)のように動詞を用いると散文的になります。「俳句は省略の文学である」ということは英語のHAIKUにも当てはまります。
(66)
炉開や左官老行鬢の霜
(robiraki-ya sakan-oi-yuku bin-no-shimo)
the opening of the winter hearth_
the plasterer getting older,
frosts of his locks
(67)
しほれふすや世はさかさまの雪の竹
(shiore-fusu-ya yo-wa-sakasama-no yuki-no-take)
bowed down_
the world upside down,
snow-covered bamboos
(68)
木枯やたけにかくれてしづまりぬ
(kogarashi-ya take-ni-kakure-te shizumari-nu)
(A)
wintry wind_
hiding behind the bamboos,
calmed
(B)
the cold winter winds_
hid themselves in the bamboos
and then became still
(注)
この俳句は芭蕉が絵画を見て詠んだ句とのことですが、芭蕉の実体験に基づく心象句ではないでしょうか?
(A)は「省略」を重視するL. P. Lovee訳です。俳句の簡潔さと日本語の曖昧さを英語にも利かせたつもりです。韻の効果もある上に、形式的には「calmed」の主語はwindですが、実質的には主語「I」が省略された俳句であると解釈できる余地があり、原句と同様の面白味があると思っています。
(B)は「5‐7‐5 syllable」を重視するJ. White訳です。句意は明瞭ですが散文的で俳句の面白さが損なわれています。
(69)
君火たけよき物みせむ雪丸げ
(kimi-hi-take yoki-mono-misen yukimaroge)
make a fire_
I’ll show you something nice:
a snowman
(70)
明けぼのやしら魚しろきこと一寸
(akebono-ya shirauo-shirokikoto issun)
the dawn_
a whitebait
one inch of whiteness
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芭蕉の含蓄のある俳句の翻訳についてご理解を頂くために注釈を付記しました。英語俳句(HAIKU)作成の参考にも役立てば幸いです。
(51)
稲雀茶の木畠や逃げどころ
(ina-suzume chanoki-batake-ya nigedokoro)
(A)
rice-field sparrows_
a tea field is
their escape place
(B)
sparrows in the rice-field
escaped into
a tea field
(注)
芭蕉のこの俳句は三段切れです。「や」を「は」とか「が」にすると散文的・説明的になるのを嫌ったのかも知れませんが、「茶畠は良い隠れ場所だな」という詠嘆を「や」で表現した結果三段切れになったに過ぎないでしょう。「三段切れでも意味が分かれば構わない」という例句になります。
英語のHAIKUとしては単語を羅列するだけでは詩的でなく意味不明瞭になるので動詞を補って翻訳しましたが、(A)の方が(B)より俳句らしいでしょう。
(52)
草の戸をしれや穂蓼に唐がらし
(kusa-no-to-o shire-ya hotade-ni tōgarashi)
(A)
be aware of the grass door_
buckwheats in ear
and red peppers
(B)
be aware of the grass door_
water peppers in ear
and red peppers
(注)
「蓼」の英訳には、buckwheat(そば)やjoint grass(紀州雀ひえ)、water pepper(柳蓼)などありますが、(B)の方がred pepperとの釣合が良いかもしれません。
(53)
牛べやに蚊の聲よはし秋の風
(ushi-beya-ni ka-no-koe yowashi aki-no-kaze)
(A)
in the cow room
feeble hums of mosquitoes
autumnal wind
(B)
in the cow room
a feeble sound of mosquito
autumnal wind
(注)
この俳句は牛が小屋でなく人家の土間にある牛部屋で飼われているのを詠んだものでしょう。蚊は沢山居たでしょうから、(A)のように複数にする方が適訳だと思いますが、晩秋の残り蚊だとすると(B)の単数の方が良いでしょう。
なお、一般に、前置詞を使い過ぎると散文的になるのでなるべく省略する方が良いのですが、この句の場合は助詞「に」対応する「in」を省略すると、作者も牛部屋に居るニュアンスになり、誤訳になるでしょう。
(54)
波の間や子貝にまじる萩の塵
(nami-no-ma-ya kogai-ni-majiru hagi-no-chiri)
(A)
between sea waves_
bush-clover trashes
among small shell-fishes
(B)
between shore waves_
bush-clover trashes
among small shells
(注)
(A) は「小貝」を「生きた貝」の意味に解釈した英訳です。
(B) は「小貝」を「貝殻」と解釈し、「波が浜辺の波」であることを明瞭にし、「shore waves」と意訳して「韻」を踏んでいます。
芭蕉はそのような区別は意識せず、「貝と萩の花片との対比」に興味を抱きこの俳句を詠んだのでしょうか。
いずれにせよ、英語HAIKUとしては(B)の方が適訳でしょう。
(55)
海士の屋は小海老にまじるいとど哉
(ama-no-ya-wa koebi-ni majiru itodo-kana)
a fisherman’s hut_
among shrimps
a camel cricket
(56)
身にしみて大根からし秋の風
(mi-ni-shimite daikon-karashi aki-no-kaze)
penetrating my body_
the radish bitterness,
an autumnal wind,
(57)
芭蕉野分して盥に雨を聞夜かな
(basho-nowaki-shite tarai-ni-ame-o kiku-yo-kana)
(A)
the typhoon against banana trees_
rain drops into a tub,
the sound in the night
(B)
banana trees in the typhoon_
the sound of rain on a water tub
in the night
(注)
(A)では台風に重点を置き、「(昼間は眺めていたが)夜は雨音を聞いている」ことを詠んだと解釈し、(B)では、バナナの木に視点を置いて「夜によく聞こえる雨音を聞いている」と解釈し、ニュアンスを変えて翻訳しました。夜通し雨音がしている情景を詠んだとすれば、「in the night」は「(all) through the night」にすると良いでしょう。いずれにせよ、(B)の方が原句の句意に近い適訳だと思います。
(58)
わせの香や分入右は有磯海
(wase-no-ka-ya wakeiru-migi-wa ariso-umi)
(A)
the scent of early rice_
on the right side of my going way,
rough surf beach
(B)
the early-rice smells_
on the right side of my path
Arisoumi
(注)
(A)では「有磯海」を意訳し、(B)では固有名詞としてそのまま表現しました。なお、一般に、俳句ではなるべく動詞を省略する方が簡潔で良いと思いますが、この句の「わせの香」は(B)のように動詞で表現する方が生き生きして良いように思います。
ちなみに、「奥の細道」や「私の芭蕉紀行」というサイトに参考になる記事があります。青色文字をタップしてご覧下さい。
(59)
賤のこやいね摺掛けて月をみる
(shizu-no-koya ine-surikakete tsuki-o-miru)
(A)
the peasant’s child_
upon beginning to hull rice,
looks up at the moon
(B)
the humble boy
began hulling rice,
looked up at the moon
(注)
(A)は芭蕉の心象風景か、現に見ている情景か、いずれにせよ「みる」をそのまま現在形に英訳しましたが、英詩のHAIKUとして何だか嘘っぽく不安定な感じがします。
(B)は芭蕉が見た情景を詠んだものとして英訳しました。散文的になるのを避けるために、「then」とか「and」を省略しています。(A)も「upon」を省略する方がHAIKUとして適訳になるでしょうが、(B)のように過去形で表現する方が英詩として実感があり安定感があります。
「英語の俳句は現在形で表現すべきである」と誰かが言っていましたが、それは俳句に対する誤った認識でしょう。
(60)
荒海や佐渡によこたふ天河
(araumi- ya sado-ni-yokotau ama-no-kawa)
(A)
the rough sea_
lying over to Sado,
the milky way
(B)
the wild sea
lying against Sado_
the milky way
(注)
この俳句は芭蕉が実際に見て詠んだものではなく、心象風景を詠んだもであると一般に言われています、「よこたふ」の主体が何かについても議論の余地があるようです。
(A)は通説どおり「天河がよこたふ」と解釈した英訳であり、(B)は「荒海がよこたふ」と解釈した翻訳です。
(B)は「や」を切れ字ではなく詠嘆と捉える読み方をしたもので、三段切れの読み方でやや無理が生じます。
しかし、芭蕉は上記(51)のように「や」が詠嘆的に主体を表す三段切れの俳句を他にも作っていますので、(B)の解釈を無下に否定することは出来ないでしょう。
含蓄のある芭蕉俳句を論理的な英語に翻訳するには、句意を推測して複数の試訳でチャレンジせざるを得ません。名詞は英語では、抽象名詞や集合名詞でない限り、単数か複数かを区別する必要もあります。
(41)
いなづまや闇の方行五位の聲
(inazuma-ya yami-no-kata-yuku goi-no-koe)
(A)
lightning!
far in the darkness
goes a voice of night heron
(B)
lightning!
I’m going toward the darkness_
voices of night herons
(C)
a lightning
flushes in the darkness_
a voice of night heron
(注)
この俳句は「行」の主体の捉え方次第でいろいろな翻訳が可能です。
(A)の翻訳は、「や」を「切れ字」と捉え、「行」の主体は「五位鷺」であると解釈する適訳です。なお、この句の「いなづま」は抽象化された集合的概念として捉え無冠詞の「lightning」にし、原句の語順を活かすために倒置法を用いました。
(B)は「行」の主体(芭蕉自身)が省略されていると解釈した翻訳ですが、三段切れの読み方であり、誤訳になるでしょう。
(C)は「行」の主体が「いなづま」であると解釈した翻訳です。情景としては(A)に近い翻訳ですが、三段切れの読み方・解釈であり、誤訳かも知れません。
一般的に、「三段切れ」の俳句はダメ句とされますが、読み方も三段切れにしてはダメであることの参考例として敢えて掲載しました。
(42)
此道や行人なしに秋の暮
(kono-michi-ya yuku-hito-nashi-ni aki-no-kure)
(A)
this road:
no one passing,
autumnal evening
(B)
this road
alone I’ll go_
autumnal dusk
(注)
(A)は文字通りの素直な英訳です。
(B)は「や」を詠嘆的切れ字と解釈したやや深読みの意訳です。次の「野ざらし」の俳句を考慮すると、(B)の方が(A)より芭蕉の句意を適切に翻訳していると言えるのではないでしょうか?
(43)
野ざらしを心に風のしむ身哉
(nozarashi-o kokoro-ni kaze-no-shimu mi-kana)
(A)
I might die by road side_
the cold wind
blows into my heart
(B)
weather-beaten skull in my heart_
the cold wind
pierces my body
(注)
(A) 「野ざらし」を比喩と解釈した分り易い意訳です。
(B) 「野ざらし」を文字通り髑髏(しゃれこうべ)と英訳し、比喩的な俳句であると解釈した翻訳です。(A)より(B)の方が面白いでしょう。
(44)
刈あとや早稲かたがたの鴫の聲
(kariato-ya wase-katagata-no shigi-no-koe)
(A)
mown fields of early rice_
here and there
snipes cry
(B)
footprints in the mown fields_
early rice here and there,
voices of snipes
(注)
(A) は「刈りあと」を「刈田」の意味に解釈した英訳です。(B) は「刈りあと」を「稲刈りをした人々の足跡」と解釈した翻訳です。
(B)の方が(A)より芭蕉の詠んだ句意を適切に訳出していると思いますが、三段切れになって原句の滑らかさが損なわれています。
英語の俳句で原句の句意を変えずに滑らかさを出すのは容易ではありません。
ちなみに、「刈田」も「鴫」も秋の季語です。
(45)
猪の床にも入るやきりぎりす
(inoshishi-no toko-nimo-iru-ya kirigirisu)
(A)
a cricket
enters
a bed of boar, too
(B)
a grass-hopper
enters
a boar’s bed, too
(注)
「きりぎりす」は、広辞苑によると「こおろぎ」の古称なので、(A)では「cricket」と英訳しましたが、(B)のように「grass-hopper」と翻訳するほうが、面白いと思います。
ちなみに、「こおろぎ」は「秋の季語」ですが、研究社新英和大辞典によると、英米の認識では「夏の虫」です。
(46)
曙や霧にうずまく鐘の聲
(akebono-ya kiri-ni-uzumaku kane-no-koe)
the first light of day_
swirling in the mist,
a sound of temple bell,
(47)
菊の花咲くや石屋の石の間
(kiku-no-hana saku-ya ishiya-no ishi-no-ai)
chrysanthemums in bloom
between stones
of a stonemason
(48)
芭蕉葉を柱にかけん庵の月
(bashō-ba-o hashira-ni kaken io-no-tsuki)
(A)
a leaf of Japanese banana
I’ll hang at a pillar_
the moon above my hermitage
(B)
the moon above my hermitage_
I'll hang at the pillar
a leaf of Japanese banana
(注)
(A)は原句の語順通りに英訳しましたが、語順を変えた(B)の方が英語俳句として句意が分かりやすいと思います。
(49)
名月の花かと見えて綿畠
(meigetsu-no hana-kato-mie-te wata-batake)
looks like flowers
under the full moon,
a cotton field
(注)
倒置法を用いて原句に近い英語俳句にしました。
(50)
よき家や雀よろこぶ背戸の粟
(yoki-ie-ya suzume-yorokobu sedo-no-awa)
the nice house_
sparrows enjoy
millet grains in the backyard
(arigata-ya yuki-o-kaorasu minami-dani)
how grateful!
the scent of snow,
Minamidani
(注)
俳句の「切字」や「切れ」を翻訳するには、句意を考慮して「_」や「:」「!」などを使うのが良いと思いますが、この俳句や次の俳句の助詞「や」は詠嘆的切れ字なので感嘆符「!」で表現しています。
なお、芭蕉がこの句を作った背景の解説は、次の記事にあります。
(suzushisa-ya hono-mikazuki-no haguroyama)
what a coolness!
the dim crescent moon
above Mt. Haguro
(hototogisu ōtakebayashi moru tsukiyo)
a cuckoo_
through the large bomboo grove,
the moon light
(suzushisa-o waga-yado-ni-shite nemaru-nari)
(A)
making the cool
my dwelling,
I relax myself
(B)
the cool
relaxes me
as if in my dwelling
(注)
(A) は文字通りの英訳です。(B) は意訳です。
「奥の細道尾花沢」の記事によると、この俳句は野宿を詠んだものではなく、山形県尾花沢市鈴木清風宅宿泊の持て成しを詠んだ挨拶句とのことです。清風が「お持て成しは何もできませんが・・・」などと謙遜して言ったことを受けて、芭蕉はこの俳句を詠んだのではないでしょうか? 芭蕉は俳句が片言であることを認識して、この句を紀行文に入れたのでしょう。
(chimaki-yuu kata-te-ni hasamu hitai-gami)
wrapping a chimaki,
another hand backing
the hair falling over the brow
(注)
「粽」は、対応する英語がないので、そのまま“chimaki”とします。
このように、日本固有のものは無理に英訳せず、注記することにより俳句の簡潔さを優先すれば良いと思っています。
(michinobe-no mukuge-wa uma-ni kuware-keri)
a rose of Sharon on the wayside_
eaten
by my riding horse
(注)
「くはれけり」は「was eaten」とすると句意が明瞭になりますが、散文的になりますので敢えて「be動詞」を省略しました。
(no-o yoko-ni uma hiki-mukeyo hototogisu)
(A)
Lead the horse sideways
across the field_
a cuckoo
(B)
Cuckoo!
Lead my horse sideways
across the field
(注)
(A) は「ほととぎすが鳴いているぞ」と「馬子に呼び掛けている」と解釈して英訳したものです。
(B) は「鳴いている時鳥に呼び掛けている」と解釈して英訳しています。
「牽きむけよ」という表現からすると(A)の方が妥当ですが、俳諧味を狙った比喩的表現だとすれば(B)かも知れません。
芭蕉は何れの解釈も可としてこの句を作ったのではないでしょうか?
なお、HAIKUは散文ではないので、行の初めを大文字にしないのが普通ですが、この俳句は命令文を含んでいるので大文字にしています。
(magusa-ou-hito-o shiori-no natsuno-kana)
a man with fodder on his back:
the guidepost of
the summer field
(yaminoyo-ya su-o-madowashite naku-chidori)
dark night_
disguising the nest,
the crying plover
(注)
「衛」は「千鳥」のことです。このような漢字の違いによるニュアンスの違い・原句の面白さは英語に訳出できませんので英語版では注記します。
(ikameshiki oto-ya arare-no hinoki-gasa)
stern sound_
hails
beating my cypress hat
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(sumadera-ya fukanu-fue-kiku koshitayami)
(A)
in sumadera
i heard the unblown flute sing
in the trees’ deep shade
(B)
Suma temple_
hearing the unblown fife,
in the dark of trees’ shade
(A) は575訳、(B)はLovee訳です。
切れ字の「や」は(A) には訳出されていませんが、(B) では句読点「_」で表しています。固有名詞はhaikuでも「Suma」のように頭を大文字にする方が句意がわかりやすいでしょう。
(A)のように主語の「I」を小文字にするのは賛成しかねますし、原句に無い「我・吾・われ」を「翻訳haiku」で「I」として補充するのは無用です。(A) は、「in ---i---in」と韻を考慮したのかもしれませんが、句意が誤解される恐れが無い限り、前置詞は補充しない方が良いでしょう。俳句は省略の文学であり、その解釈を読者に委ねることが面白さの一面です。
いずれにしろ、須磨寺の逸話(平敦盛のこと)を知らない限りこの俳句の良さは理解されないでしょうが、英語俳句の作成や翻訳の参考になれば幸いです。
ちなみに、「木下闇」は夏の季語です。
(注)青色文字(冒頭の「須磨寺や・・・」など)をクリックすると、解説記事(「笈の小文」など)をご覧になれます。
なお、次回からはLovee訳のみを掲載し、折に触れて他の翻訳を参考に掲載させて頂きます。
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(mizuumi-ya atsusa-o-oshimu kumo-no-mine)
(A)
high over the lake
missing the heat of summer,
soaring peaks of cloud
(B)
the lake_
missing the summer heat,
the soaring peaks of cloud
(A) は575訳、(B)はLovee訳です。(A) は「high over」を追加し英詩的に巧みな翻訳をしていますが、芭蕉の句意とは異なります。(B)は音節よりも原句の言葉・句意を尊重し、原句の切れ字「や」をダッシュ記号で表現して、俳句らしく簡潔に翻訳しています。
冒頭の青色文字(「湖や・・・」)をクリックすると、掲句について「笈日記」の解説記事で句意を確認できます。
この俳句の「惜しむ」の主体は何でしょうか?
「惜しむ」は「雲の峰」を修飾していると解釈するのが自然でしょうが、芭蕉は「雲の峰が暑さを惜しんでいる」と感じてこの俳句を作ったのだと思います。
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(natsukusa-ya tsuwamonodomo-ga yume-no-ato)
(A)
the summer grasses;
of warriors’ ambitions
all that now remains
(B)
summer grasses---
all that remains from the dreams
of brave warriors
(C)
the summer grasses:
the remains of
warriors' dreams
(A) は575訳、(B) はAddiss訳で4-7-5音節、(C) はLovee訳です。
(C) は動詞を用いず、5-4-4音節の簡潔な翻訳です。
コロン(:)は「すなわち」の意味を表す句読点です。切れ字の「や」には「_」がよく使われますが、この句の場合は「:」が良いと思います。
「ポーランドの旅(写真と俳句 講演のことなど)」をご覧下さい。
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(yagate-shinu keshiki-wa-miezu semi-no-koe)
(A)
they will die so soon,
yet there is no thought of it
in cicadas’ songs
(B)
showing no signs
that they will soon die---
cicada voices
(c)
the voices of cicadas_
so brisk,
with no signs of soon dying
(A) は575訳、(B)はStephen Addiss訳、(C)はLovee訳です。(C)の翻訳は、動詞を用いている(A)や(B)の翻訳より簡潔(7-2-6音節)で俳句らしいでしょう。
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(sō-asagao ikushinikaeru nori-no-matsu)
(A)
monks and morning glories,
dying again and again;
the dharma pine tree
(B)
monks and morning glories
generations of dying to return_
the dharma pine tree
(A) は575訳、(B) はLovee訳です。
・梢よりあだに落けり蝉のから
(kozue-yori adani-ochikeri seminokara)
(A)
out of a treetop
it was emptiness that fell
a cicada shell
(B)
out of a treetop
fruitlessly fell,
a cicada shell
(A) は575訳、(B)はLovee訳です。
この俳句の句意のポイントは「あだに落ちる」、すなわち、「落ちても芽は出ない」ということですから、散文的な(A) の表現より(B) の「fruitlessly」の方が俳諧味が出ると思います。