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2018年3月

2018年3月25日 (日)

俳句《春の雨・春雨》(改訂版)

              

濡れ衣を被る翔平春の雨

春雨に触れて気を得し紀元杉

春雨の広田神社に参拝す

      (薫風士)

  

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ここをクリック(タップ)して、「春の屋久島吟行(写真俳句集)」をご覧下さい

  

   

     

P.S. 2022.3.12

ウクライナ紛争について、「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、紛争解決案を提言しました。

青色文字をクリック(タップ)して、血に染むなドニエプルてふ春の川」や春一番この発言はおぞましき」に書いた思いをシェアして頂ければ望外の喜びです。

      

春雨の衣桁に重し恋衣

       (高浜虚子)

 

「恋衣」とは、「恋を、常に身を離れない衣に見立てた語。恋という着物」です。(出典:広辞苑)

  

この俳句は「高浜虚子の100句を読む」(坊城俊樹著)の第1回に掲載された俳句です。

坊城俊樹氏は著書で次のように記述しています(抜粋)。

「・・・二十七歳のころのこの俳句は、謡曲の「恋重荷」(こいのおもに)をふまえて作られたとされる。この句は「めさまし草」という文芸雑誌に発表されたものなので、いわば能や戯曲を踏み台にした芸能俳句といえる。・・・(省略)・・・謡曲『恋重荷』は、世阿弥プロデュースによる恋に悶死する老人の亡霊の話である。そこにあらわれる恋の重荷とはかならずしも恋衣に限定されるものではないが、虚子はそれをつややかな春雨に濡れた恋の衣とした。そこが俳諧である。・・・」

  

上記の著書に掲出された俳句を英訳してブログ「チュヌの便り」に掲載しましたが、その記事を推敲・編集して「高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!」という記事を書いて国際俳句協会ホームページに掲載して頂いています。 

ここをクリックしてご覧下さい

   

「歳時記」(俳誌のsalon)から「春の雨」や「春雨」の俳句を気の向くままに下記のとおり抜粋掲載させて頂きます。 

 

春の雨1

不精さやかき起されし春の雨

      松尾芭蕉

  

浅草や雪になりたる春の雨  

         (平田倫子)  

  

春の雨2

粟島へはだし参りや春の雨 

         (与謝蕪村

  

春の雨心安らぐ時があり  

         (南原正子) 

  

春の雨3

膳先に雀なく也春の雨  

         (小林一茶

  

春の雨知らせてくれし猫を拭く 

          (芝尚子) 

  

春の雨4

ランナーの背を染めてゆく春の雨 

        (小林あけみ)

  

点滴にショパンながるる春の雨 

         (野澤あき)

   

春雨1

春雨に濡れて笑顔の石地蔵  

         (中山静枝)

  

春雨ににじむ稜線東山   

        (伊庭玲子) 

  

春雨2

春雨や病院前は仏壇屋   

         (大坪景章)

  

春雨や傘傾げ合ふ先斗町  

         (大森道生)

      

(P.S. 2024.4.1)

春雨に籠り視聴す政倫審

春雨の更衣に重し我が思ひ

e-Tax未だ手付かず二月尽

       (薫風士)

    

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2018年3月10日 (土)

俳句《春風・春の風》(改訂版)

       

(2024.5.18 更新)   

皐咲く十七日や翔平デー

  

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掲句は、大谷翔平選手の結婚後の活躍を祝す存問の拙句です

ロサンゼルス市は大谷翔平の背番号17に因んで、5月17日を「大谷翔平の日」と定めたとのことです。

狭庭の躑躅の花は枯れましたが、皐が咲き始めました。

暗いニュースばかりでは気が沈みますので、心のバランスを保つべく、大谷翔平選手の結婚後の活躍など、折に触れて明るいブログ用の「まんぽ俳句」を口遊んでいます。 

  

春風に大ホ-ムラン左打ち

         (薫風士)

   

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大谷翔平の愛犬「デコピン」はもちろん可愛いですが、チュヌも可愛かったです

(青色文字をタップして、リンク記事をご覧下さい。) 

 

新型コロナウイルスの感染予防対策が日常化した心境を詠んだ次の拙句に共感して頂けたでしょうか?

    

春風や森羅万象肯ひて

断捨離の心を知るや春の風

順縁を祈るコロナ禍日脚伸ぶ

  

(2018年3月の記事)

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「春風」といえば、高浜虚子の俳句「春風や闘志抱きて丘に佇つ」を思い出します。

この俳句の「春風」は「しゅんぷう」と読むのが相応(ふさわ)しいと思う人が多いようです。「増殖する俳句歳時記」(清水哲男)の句評はその典型的な例でしょう。青年の闘志には「しゅんぷう」が相応しいと考えるのが自然でしょうが、この俳句は虚子が39歳に詠んだものです。

高浜虚子の「自選自筆 虚子百句」には「はるかぜ」とふりがなが付けてありますから、虚子自身は「はるかぜ」と読者に読んでほしかったのでしょう。

「たつ」も「立つ」とせず、「たたずむ」という漢字「佇む」を用い「たつ」とふりがなをつけています。虚子は「熱い心」をむき出しにせず、余裕をもって表現することを好んだようです。

 

夏目漱石は、「虚子は畢竟(ひっきょう)余裕のある人かも知れない。」と述べています。

(「俳句談義(4):高浜虚子の句『大寒の埃の如く人死ぬる』とは、『平和』を考える」をご参照下さい。)

     

歳時記(俳誌のサロン)から、気の向くままに「春風」・「春の風」を引用させて頂きます。

(俳句の詳細は青色文字の季語をクリックしてご覧下さい。)

     

春風

結んで開いて指の体操春風に

         (瀧春一)

 

式終へし子等春風へ放たれぬ 

      (山田禮子)

  

母が押す春風が押すベビーカー

     (津田このみ)

   

春の風1

泣いてゆく向ふに母や春の風

      (中村汀女)

  

朝刊の匂ふキヨスク春の風 

      (木下節子)

  

春の風ビル一面にビル映る 

      (中原幸子)

  

春の風2

今日よりは句碑の里山春の風

      (山田弘子)

  

ネクタイの玉虫色や春の風 

     (池崎るり子)

   

ゆつたりと着せし子の服春の風 

      (藤野力) 

  

春の風3

抜糸してタクシー待つや春の風 

       (内田しんじ)

  

竹林の光と影に春の風

       (早崎泰江)

  

春の風子らは古墳でかくれんぼ

       (武田ともこ)

  

2022年3月ウクライナ紛争について「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、記事を書いた

血に染むなドニエプルてふ春の川」や春一番この発言はおぞましき」をご覧頂いたと思いますが、ロシア軍のウクライナ侵略やイスラエルのパレスチナ攻撃など、時代錯誤の戦争が収まらないのは悲しいことです。

ここをクリック(タップ)して、「戦争と平和(俳句と川柳:終戦記念日特集)」をご覧下さい。

     

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

   

2018年3月 9日 (金)

俳句の鑑賞:「早春」・「春浅し」

      

春浅し命の限り句を口に

        (薫風士)

  

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塩見三省氏の本に感動し、口遊みました。

   

(写真をタップ・拡大してご覧下さい。)

(青色文字をクリックして例句やリンク記事をご鑑賞下さい。)

     

剪定す不死鳥形に杉垣根

 

 早春の朝日に鴉光り翔ぶ

 

舞ひ上がる鴉の声音春浅し

 

早春の柔らかき丘愛犬と

 

春浅き夕日に想ふ子の未来

 

早春の梢の入日愛でにけり

       

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掲句は「早春」を詠んだチュヌの主人薫風士」の前座句です。

チュヌは2018年10月16日に永眠しました

      

歳時記(俳誌のSalon)から気の向くままに「早春」の例句を抜粋・引用させて頂きます。

      

早春1

早春の雨に落着く一日かな 

         (稲畑汀子

   

早春の土の匂いぞ庭仕事  

        延川五十昭)

  

早春2

早春の湖に近江の逆さ冨士 

        (吉江潤二)

 

早春や波引くあとを砂が追ふ 

       (太田佳代子)

  

早春3

早春の夜の雨音に独り言   

        (上田明子)

   

早春や波静かなる由比ヶ浜  

        (中村則夫)

  

早春4

早春の見えぬ水音雑木山   

       (乙坂きみ子)

  

早春やリハビリ室のビバルディー 

       (波田美智子)

  

早春5

水際打つ波が奏でる早春譜 

        (藤岡紫水)

  

早春の夜明けの池の水鏡  

        (沼田巴字)

   

春浅し1

杉山へつづく轍や春浅し  

        (穴澤光江)

  

浅春や水あをあをと和紙の里 

        (平田安生)

  

春浅し2

人力車客未だつかず春浅し  

         (岡本直子)

 

工房に木屑の匂春浅し    

        (川瀬さとゑ)

  

春浅し3

春浅き麒麟の空の飛行雲   

         (三好達治)

  

浅春の忍冬亭の跡に佇つ   

         (林いづみ)

  

春浅し4

春浅き水を渉るや鷺一つ 

        (河東碧梧桐

 

木曽駒のせせらぎに居て春浅し 

         (大橋晄)

  

春浅し5

浅春の相手に合はす白ワイン 

        (宮内とし子)

  

春浅き四万十川の投網舟   

         (高谷栄一)

  

春浅し6

うそ泣きを覚えたる孫春浅き 

         (河田孝子)

 

裸木の梢くれなゐ浅き春   

        (佐々木永子)

   

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2018年3月 6日 (火)

俳句の鑑賞:「啓蟄」に思うこと

     

P.S.2022.3.18

ウクライナ紛争について、プーチン大統領や世界の指導者が賢明な決断をしてくれることを切望して、「やむにやまれぬ思い」を書きました。

青色文字(タイトル)をクリックして、「血に染むなドニエプルてふ春の川や「ロシアの旅(写真・俳句)Trip to RussiaPictures & Haikuをご覧下さい。

  

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4年前(2018年)の啓蟄には、韓国と北朝鮮の対話が始まり、民の期待を裏切らず南北対話が順調に進展することを願いつつ啓蟄の俳句を詠み、ブログ記事を書きましたが、案じた通り期待は裏切られました。

今年の啓蟄は残念ながら新型コロナ感染拡大が収束しないばかりか、ロシアがウクライナに侵攻し、世界平和が脅かされる事態になりました。

     

啓蟄やミサイル飛ばす独裁者

啓蟄やオミクロン株なほ絶えず   

啓蟄や多事多難なる現の世

啓蟄や民族闘争蘇り

啓蟄やコロナ専制疎む日々

     

啓蟄や尾曲り猫の鳴き合ひて

啓蟄や轍を行く子けんけんぱ

啓蟄や出でし言の葉おぞましき

   

掲句は、薫風士が「已むに已まれず」詠んだ「川柳擬き」の俳句です。

「已むに已まれず」は「やむにやまれず」と読みます。

貴方は、物議を醸した「誰かさん」と違い、「已みません」を読み間違いするような読みにくい「ひらがな」にしなくても「漢字」で読めるでしょう(?! 

市井の一老人に過ぎない薫風士は、ウクライナ問題が平和裏に速やかに解決されることを祈りながら駄句を口遊み、平和を訴えるしか手立てがありませんが、迎撃ミサイルが核爆発を起こさず100%防衛できるとは信じられません。

原子力発電所の安全確保も益々おぼつかなくなることは、ウクライナへのロシアの侵攻や北朝鮮のミサイル実験を見れば自明のことでしょう。

問題の解決には、覇権争いや経済制裁ではなく、共産主義圏と民主主義圏の住み分けをして、どちらが人類に幸せをもたらすか、文化やスポーツの世界で平和裏の競争をしながら見極めることでしょう。 

       

啓蟄や初金メダル北京パラ

 

村岡桃佳選手(1997.3.3 生れ)はアルペンスキー女子滑降「座って滑るクラス」と「スーパー大回転・座位」と2日連続の金メダルを獲得しました。まことにおめでとうございます。

知名度の上がったこの契機に是非ともパラリンピック・スポーツを通じて世界平和に貢献する活動をして頂きたいものですね!

  

戦争を知らない世代元総理の発言「日米核共有」を何と考えるか、あなた次第ですが、子供たちの将来の為に、世界の政治指導者が21世紀に相応しい政治哲学を持ち、「究極の愛」を発揮して賢明な政策を推進してくれることを祈るばかりです。

次の参議院選挙は棄権をせず、しっかり考えて投票しましょうね!

         

(2018年の啓蟄の記事)

啓蟄や犬はひと際嗅ぎ回り

啓蟄や南北対話動き出す

  

雨上がりの朝の散歩で愛犬チュヌが一際(ひときわ)あちこちを嗅ぎ回りました。今朝のテレビニュースによると、「3月5日に韓国政府の特使が北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長と会談した」とのことです。

 

南北対話が民の期待を裏切らず世界の平和のために順調に進展することを願いつつ、気の向くままに歳時記(俳誌のサロン)の俳句を引用させて頂きます。

(青色文字の季語をクリックし、例句の詳細をご覧下さい。)

    

啓蟄1

啓蟄や屋根くろぐろと寺の町

         (鷹羽狩行)

  

啓蟄や堆肥の匂ふ蜜柑畑   

         (大塚禎子)

  

啓蟄2

啓蟄や残らず靴を磨き上げ

       (石川のぶよし)

  

啓蟄や靴の減りぐせ父に似て

         (千田百里)

  

啓蟄3

啓蟄の蚯蚓の紅のすきとほる 

         (山口青邨)

  

啓蟄や汐留にビル競ひ建ち  

         (今村恵子)

  

啓蟄4

啓蟄や背伸びをすれば骨の鳴り 

         (八染藍子)

 

啓蟄の歩幅大きくなりにけり

        (寺田すず江)

  

啓蟄5

啓蟄や反抗期の子まだ寝床  

         (下山和美)

 

啓蟄や政変聞きつ厨事    

         (足利錞子)

  

啓蟄6

啓蟄や地下鉄を出て迷ひける 

         (竹内悦子)

 

啓蟄や探しあぐめる地下出口 

         (渡邉英子)

  

啓蟄7

啓蟄や小さき地震に耳立てて 

        (久津見風牛)

 

啓蟄や大地震の地よ甦れ   

         (木野裕美)

  

啓蟄8

啓蟄や要介護より抜け出せず 

         (吉村摂護)

 

啓蟄や犬の見てゐるショベルカー

        (平野みち代)

  

啓蟄9

啓蟄や仏足石の苔生して   

        (服部鹿頭矢)

  

啓蟄や杖つく足をやや高く  

         (吉村摂護)

  

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

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2018年3月 3日 (土)

俳句《春一番・啓蟄》(更新版)

      

啓蟄や e-Taxに取り掛からむ

  

朝からの雨で庭弄りは出来ず、手つかずのe-Taxに取り掛かることにしました。

  

以下は、2018年3月に書いた記事を2022年に更新したものです。

  

血に染むなドニエプルてふ春の川

・春一番おぞましきとはこの言葉

・啓蟄や出でし言の葉おぞましき

      

 「この言葉」とは何か、この青色文字をクリック(タップ)し、ご覧下さい

 

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2022年の「春一番」は3月5日の「啓蟄」でした。

      

・日々愛(お)しむキノコ雲なき春の雲

・親子行くキノコ雲無く春の雲

   

掲句は、薫風士が「已むに已まれず」詠んだ「川柳擬き」の俳句です。

「已むに已まれず」は「やむにやまれず」と読みます。

貴方は、物議を醸した「誰かさん」と違い、「已みません」を読み間違いするような読みにくい「ひらがな」にしなくても「漢字」で読めるでしょう(?!  

戦争を知らない世代元総理の発言「日米核共有」を何と考えるか、あなた次第ですが、日本が「核保有国」になることが「自衛」になるとは、到底考えられません。

 

「アメリカファースト」の「ぶつぎをかもす誰かさん」の発言のように、科学技術の進歩した現代に西部劇時代の考え方で国民や国論を分断・対立を煽る発言されるのは困りものですね。

 

子供たちの将来の為に、世界の政治指導者が「究極の愛」を発揮して賢明な政治を推進してくれることを祈っていますが、参議院選挙は棄権をせず、あなた任せにせず、しっかり考えて投票しましょうね!

   

2018年の「春一番」は昨年より12日遅い(3月1日)発生でしたが、猛威をふるいました。

 

この記事は3月3日「雛祭り」・「平和の日」に書きました

 

歳時記(俳誌のサロン)から季語が「春一番」の俳句を気の向くままに引用させて頂きます。

(青色文字の季語をクリックすると掲載された俳句の詳細がご覧になれます。) 

  

春一番(1)」

春一番武蔵野の池波あげて 

       (水原秋桜子)

  

ポリバケツ逃げまどひたる春一番

        (柿沼盟子)

  

春一番(2)」

風見鶏欣喜回転春一番    

         (山口速)

  

猫探す貼り紙吹かる春一番  

       (池田加代子)

   

春一番(3)」

改札を春一番と通りけり   

         (本節子)

  

春一番阿鼻叫喚のフェニックス

       (松崎鉄之介)

   

春一番(4)」

春一番自転車あまた薙ぎ倒し

       (芝宮須磨子)

  

春一番小学生は駈けたがる  

       (今橋眞理子)

  

春一番(5)」

よろめきて春一番と諾ひぬ  

        (村上悦子)

    

575筆まか勢

呼鈴は空耳なりし春一番   

        (田中湖葉)

  

松に鳴り樫に響けり春一番  

        (川村紫陽)

  

白波の浮燈台や春一番

        (岡本静子)

  

若者に古着が流行る春一番  

        (有馬朗人

      

(「増殖する俳句歳時記」)

胸ぐらに母受けとむる春一番 

        (岸田稚魚

この俳句は、清水哲男氏の解説に「折りからの強風によろけた母親を、作者はがっしと胸で受けとめた。」とある通りのことを詠んだものでしょう。しかし、広辞苑によると「胸倉」は「着物の左右の襟の重なり合う辺りの部分。むながらみ。」という意味ですから、作者は「母の胸倉が強風で膨らんだ」状態を詠んだ、と解釈できないこともないでしょう。作者は「胸ぐら」と表示することによって二通りの解釈を可能にしたというのは穿ち過ぎでしょうか?

          

真夜中の犬の冒険春一番

 

掲句はチュヌの主人の即興句です。春一番の強風にカーポートのシャッターが少し開き、隙間からチュヌは夜中に冒険に出かけました。チュヌの居ないのに気付いた主人やお母さんが散歩道など探しましたが見つからず、警察署に届けました。でも、チュヌは朝食前にお家に帰ったので「遺失物」の届け出はすぐ解除されました。お巡りさん、お騒がせしてすみませんでした。

   

(補追)

チュヌは2018.10.16に永遠の眠りにつきました。

『チュヌの追悼』by L.P. Lovee」をご覧頂ければ幸いです。

    

青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。

    

100 HAIKUs of Kyoshi Takahama, translated by L. P. Lovee

       

Sn3u0014HAIKU is AI: not Artificial Intelligence, but Art of Intelligence, leading to "LOVE".  

Haiku Aids Increasing Knowledge Universally.

This issue includes all of the previously published numbers (100 to 1)  of "100 HAIKUs of TAKAHAMA Kyoshi".

         

(100) 独り句の推敲をして遅き日 (age 85. S34. 1959)

  (hitori kunosuikoh-o-shite osokihio)

  alone,

  elaborating haikus_

  lengthening days of spring

       

(99) 明易や花鳥諷詠南無阿弥陀 (age 80. S29. 1954)

  (akeyasuya kachohfuuei namuamida)

  daybreak getting earlier_

  composing haiku of nature

  namuamida

(Note)

’kachoh-fuuei’花鳥諷詠, which was advocated by Kyoshi Takahama, means a typical way of composing haiku based on appriciation of nature including human affairs.

’namuamida’ 南無阿弥陀is Buddhist chanting words of sutra, which mean ’I believe in Amitabha'.   

    

(98) 悪なれば色悪よけれ老の春 (age 79. S28. 1953)

  (akunareba iroakuyokere oinoharu)

  if any vice,

  sensual vice would be better_

  spring of old age

 

(97) 我のみの菊日和とはゆめ思はじ (age 80. S29. 1954)

  (warenomino kikubiyoritowa yumeomowaji)

  chrysanthimum-bright-day_

  never

  only for me

(Note)

Kyoshi Takahama made this haiku when he received a Cultural Medal (=文化勲章).

  

(96) 虚子一人銀河と共に西へ行く (age 75. S24. 1949)

  (kyoshihitori gingatotomoni nishieyuku)

  Kyoshi alone

  goes toward west

  with the galaxy

 

(95) 蠅叩手に持ち我に大志なし (age 82. S31. 1956)

  (haitataki tenimochiwareni taishinashi)

  having a flyswatter

  in my hand

  I have no great ambitions

      

(94) 大桜これにかしづき大椿 (age 81. S30. 1955)

  (Ohzakura korenikasizuki ohtsubaki)

  a large cherry tree_

  beside it

  a large camellia

  

(93) 去年今年貫く棒の如きもの  (age 76. S25. 1950)

  (kozokotoshi tsuranuku bohnogotokimono)

This haiku was highly appreciated by Yasunari Kawabata (a Nobel winner for Literature).

In this haiku, metaphor as well as inversion is applied.

 (Translation A)

  kozokotoshi

  piercing

  a stick-like thing    

 (Translation B)

  my belief in HAIKU

  pierces kozokotoshi

  like a stick 

 (Translation C)

  time pierces

  kozokotoshi

  like a stick

(Note)

“kozokotoshi” is a kigo (= seasonal word) established by Kyoshi Takahama, referring to New Year, on which yesterday is the last year, and today is this year. Thus, the literal meaning of  kozokotoshi is “last-year-this-year”.

Translation A is a word-for-word translation and can be interpreted in various ways. However, “stick-like thing” should be considered as the real subject and a metaphor. In Translations B and C, “my belief” and “time” are added, respectively replacing the word “stick-like thing”. Thus, the kigo “kozokotoshi” should grammatically be taken as the object of “pierce”. Otherwise, this haiku makes nonsense.

In Translation A, if you take “kozokotoshi” as the subject for “pierce”, and “stick-like thing” as the object for “pierce”, then what do you think the “stick-like thing” indicates? Does it make any sense? 

     

(92) 爛々と昼の星見え生え (age 73. S22. 1947)

  (ranranto hirunohoshimie kinokohae)

  the daylight star

  looks glaring_

  mushrooms grow    

(Note)

This haiku was made as a farewell tribute to people in Koromo City. They gave mushrooms (=茸)to Kyoshi Takahama for a farewell present. He lived in Koromo for about three years after moving there for refuge from air raid during the war.

The word ’daylight star’ means the sun, because the word ’爛爛(=glaring) is used for describing it. In the case of this haiku, it is possible to express 'kinoko' by either letter of '' or ''. However, the latter was adopted. The letter '菌' can also mean 'germ' when it is read as 'kin'. 

Thus, it seems  that with the cited haiku, Kyoshi Takahama intended to express the whole great nature by referring to the greatest thing ’daylight star (=太陽)’ and the smallest thing 'mushroom (=)'. 

  

(91) 春潮にたとひ櫓櫂は重くとも (age 73. S22. 1947)

  (shunchohni tatoirokaiwa omokutomo)

  Even if the oar is heavy

  against the spring tide_    

(Note)

This haiku was made as a tribute to encourage Kyoshi's grand-daughter  (Nakako Bohjoh: 坊城中子) when she entered a nursing school.

The Kyoshi's haikus translated herein are cited from the writings of Toshiki Bohjoh (坊城俊樹:the son of Nakako Bohjoh, that is, a great-grandson of Kyoshi Takahama).

   

(90) 天地の間にほろと時雨かな (age 68. S17. 1942)

  (ametsuchino aidanihoroto shigurekana)

  a slight drop

  between heaven and earth_

    wintry rain

       

(Note) 

This haiku is a monody, which is a tribute to one of Kyoshi's disciple haiku poets, Hanamino Suzuki(鈴木花蓑).

   

(89) 映画出て火事のポスター見て立てり (age 67. S16. 1941)

  (eigadete kajinoposutah mitetateri)

  walking out of a cinema,

  I stopped, seeing

  a poster of fire

  

(88) 吾も亦紅なりとついと出で (age 66. S15. 1920)

  (waremomata kohnarito tsuitoide)

(Translation A)

  I also am crimson_

  as if so saying,

  a burnet abruptly appeared

(Translation B)

  abruptly stepping out,

     saying "me too, crimson"_

     a burnet   

(Note)

’waremokoh’ (吾亦紅) is a burnet. Literally,'waremokoh’ means: ’I also am crimson’. Thus, this haiku is a pun as can be understood from translations A and B. However, how to interpret the omitted subject is entrusted to readers.

  

(87) 天の川の下に天智天皇と臣虚子と (age 43. T6. 1917)

  (amanogawanoshitani tenjitennohto shinkyoshito)

  under the Milky Way

  Emperor Tenji

  and his subject Kyoshi

  

(86) 龍の玉深く蔵すといふことを (age 65. S14. 1939)

  (ryuhnotama fukakuzohsuto yuukoto-o)

(Translation A)

  fruitlets of dwarf mongo grass_

  suggesting

  containing deep inside   

(Translation B)

  fruitlets of dwarf mongo grass_

  what is held

  deep inside them      

(Translation C)

  fruitlets of dwarf mongo grass,

  holding all nature

  deep inside them     

(Note)

In the original haiku, the object of the word "containing" is omitted, allowing reader's choice.

    

(85) 何某に扮して月に歩きをり (age 64. S13. 1938)

  (nanigashini funshitetsukini arukiori)

  under the moon,

  walking in a disguising costume

  as a certain person.

(Note)

In this haiku, the subject, which is omitted, seems to be "I".

  

(84) 山川にひとり髪洗ふ神ぞ知る (age 67. S16. 1941)

  (yamagawani hitorikamiarau kamizoshiru)

  god knows_

  in a mountain stream

  a woman alone washing her hair

  

(83) 蔓もどき情はもつれ易きかな (age 73. S22. 1947)

  (tsurumodoki nasakewamotsure yasukikana)

  compassion

  easily tangles_

  staff-tree

 

(82) 稲妻を踏みて跣足の女かな (age 63. S12. 1937)

  (inazumao fumitehadashino onnakana)

  treadding on

  lightning_

  a barefoot woman

  

(81) たとふれば独楽のはぢける如くなり (age 63. S12. 1937)

  (tatoureba komanohajikeru gotokunari)    

(Literal translation)

     as it were,

     repelling of

     two spinning tops  

(Translation A)

  you and me,

  as it were,

  repelling spinning tops  

(Translation B)

  our relations

  so to speak,

  repelling of spinning tops    

(Note)

This haiku is a monody in memory of Hekigotoh Kawahigashi. In this haiku, the subject is omitted by adding preliminary words to that effect.

     

(80) 雀等も人を恐れぬ国の春   (age 62. S11. 1936)

  (suzumeramo hito-o osorenu kuninoharu)

  spring

  of the country where

  sparrows also fear no people

       

(79) 古綿子著のみ著のまま鹿島立   (age 62. S11. 1936)

  (furuwatako kinomikinomama kashimadachi)

  my departure for abroad

  in the everyday wear_

   old ’watako’ clothes

       

(78) 鴨の中の一つの鴨を見てゐたり  (age 62. S11. 1936)

  (kamononakano hitotsunokamo-o miteitari)

  I gazed at

  only one of

  the wild ducks

  

(77) 新涼の驚き貌に来りけり  (age 34. M41. 1908年)

  (shinryohno odorokigaoni kitarikeri) or

  (shinryohno odoroki-kaoni kitarikeri)  

 (Translation A)

  the cool of early autumn

  appeared on the look of

  a surprised person    

 (Translation B)

  a look of surprise

  in the cool of

  early autumn    

 (Translation C)

  a person having

  a look of surprise

  agaist the early autumnal cool

(Note)

Depending on how you take the conbination of words and the meaning of ‘の (=no)’, the original haiku can be translated in various ways as described above. ’の’ is a postpositional word, functioning as an auxiliary to the main word '新涼'.

   

(76) 白牡丹といふといへども紅ほのか (age 51. T14. 1925年)

  (shirobotan toiutoiedomo benihonoka)

  white rose,

  so called, but

  slightely tinged with red

 

(75) 道のべに阿波の遍路の墓あはれ  (age 61. S10. 1935)

  (michinobeni awanohenrono hakaaware)

  pathetic!

  on the wayside,

  a tomb of ’awa’ pilgrim

  

(74) 魚鼈居る水を踏まえて水馬   (age 61. S10. 1935)

  (gyobetsuiru mizuofumaete mizusumashi)

  a whirligig beetle treads

  on the water where

  fish and turtles live

  

(73) 椿まづ揺れて見せたる春の風  (age 61. S10. 1935)

  (tsubakimazu yuretemisetaru harunokaze)

  a camellia

  first shakes to show

  spring breezes

   

(72) 一を知つて二を知らぬなり卒業す  (age 61. S10. 1935)

  (ichioshitte nioshiranunari sotsugyohsu)  

 (Literal translation)

  graduated,

  knowing one

  but not two   

 (Translation A)

  students are graduated,

  knowing one

  but not two   

 (Translation B)

  knowing one

  but not two_

  he graduates from a school   

(Note) In this original haiku, the subject is omitted and unknown. This haiku seems to be made in assosiation with a proverb which means the following: A sage knows 10 upon hearing one.

   

(71) 川を見るバナナの皮は手より落ち  (age 60. S9. 1934)

  (kawaomiru banananokawawa teyoriochi)

 (Trnslation A)    

     a banana peel

  fell from a hand,

  I watch the river    

  (Translation B)

  the banana peel

  fell from my hand,

  I watch the river       

(Note) The original haiku does not tell who holds the banana.

   

(70) 道のべに阿波の遍路の墓あはれ (age 61. S10 1935年)

     (michinobeni awanohenrono hakaaware)

     on the wayside,

     pathetic

     a tomb of ’awa’ pilgrim

 

(69) 朝顔の映り熱帯魚は沈む (age 59. S8 1933年)

     (asagaono utsuri nettaigyowashizumu)

     a morning glory

     reflected,

     a tropical fish submerging

 

(68) 蓮池に髪洗ひをる女かな (age 59. S8 1933年)

     (hasuikeni kamiaraioru onnakana)

     a woman,

     washing her hair

     at the lotus pond

    

(67) 燈台は低く霧笛は峙てり (age 59. S8 1933年)

     (tohdaiwahikuku mutekiwa sobadateri)

     the lighthouse is low,

     a prominent sound

     the foghorn

  

(66) 神にませばまこと美はし那智の滝 (age 59. S8 1933年)

      (kaminimaseba makotouruwashi nachinotaki)

   incarnation of god_

      what a sublimity!

      Nachi waterfall

  

(65) くはれもす八雲旧居の秋の蚊に (age 58. S7 1932年)

      (kuwaremosu yakumokyuukyono akinokani)

      bitten by autumn mosquitoes

      in the old house of

      Yakumo

   

(64) 帚木に影といふものありにけり (age 56. S5. 1930年)

      (hahakigini kagetoiumono arinikeri)

       the broom trees

       had

       so-called shadows

(Note) This haiku seems to be a kind of pun made in association with a folklore or ’Hahakigi’ in Genjimonogatari (The Tale of Genji).

  

(63) 鴨の嘴よりたらたらと春の泥 (age 59. S8 1933年)

      (kamonokuchibashiyori taratarato harunodoro)

       spring mud,

       dribbling from

       the bill of a wild duck

  

(62凍蝶の己が魂追うて飛ぶ (age 59. S8 1933年)

     (itechohno onogatamashii outetobu)

        a frozen butterfly

     flies, chasing

     her own spirit

    

(61)風が吹く仏来給ふけはひあり(age 21. M28 1895年

      (kazegafuku hotokekitamau kehaiari)

     a wind blows_

      I feel the soul of the deceased

      coming

  

60)襟巻の狐の顔は別に在り (age 59. S8. 1933年

       (erimakino kitsunenokaowa betsuniari)

        the face of the fox stole

        lies

        at another position  

(Note)

This haiku implies that the person wearing the fox stole has a face resembling that of a fox.

    

59)筋塀に添うて下向の桜かな (age 58. S7. 1932年

       (sujibeini soutegekohno sakurakana)

        cherry blossoms

        blooming downward

        along ’sujibei’ wall

(Note) ’sujibei’ is a roofed wall sorrounding a temple or a samurai residence.

    

58)ダンサーの裸の上の裘 (age 57. S6 1931年

       (dansahno hadakanoueno kawagoromo)

       a fur dress

       put on

       a naked dancer

  

57)たてかけてあたりものなき破魔矢かな (age 57. S6. 1931年

       (tatekakete atarimononaki hamayakana)

       a ’hamaya’ arrow

        rests against the wall_

        nothing around it

           

56石ころも露けきものの一つかな (age 55. S4. 1929年

       (ishikoromo tsuyukekimonono hitotsukana)

        a stone_

        one of

        those dewy things

       

55)草萌の大地にゆるき地震かな (詳細不詳)

       (kusamoyuno daichiniyuruki jishinkana)

        a gentle earthquake_

        the grass sprouting

        on the earth

   

54)われの星燃えてをるなり星月夜 (age 57. S6 1931年

       (warenohoshi moeteorunari hoshizukiyo)

        bright starry night_

        glowing is

        my star

       

53)風が吹く仏来給ふけはひあり (age 21. M28. 1895)

       (kazegafuku hotokekitamau kehaiari)

       a wind blows_

       as if the soul of the deceased

       coming

  

52祇王寺の留守の扉や推せば開く (age 51. T14 1925年

       (giohjino rusunotobiraya osebahiraku)

        The door of Gioji temple

        opens when pushed

        at the nun’s absence

(Note)

The nun was once the geisha who had been called Nine-Fingered Geisha.

   

51啓蟄の土をうるほす雨ならむ (age 56. S5. 1930年

       (keichitsuno tsuchiouruosu amenaramu)     

 (Translation A)

   the rain will soak

   the soil of

   keichitsu   

 (Translation B)

   it will rain,

   soaking

   the soil of keichitsu   

(Note)

'keichitsu' is a kigo of spring, meaning the day when insects emerge from hibernation underground; around March 6 in the solar calendar.

     

(50) 春潮といへば必ず門司を思ふ (age 56. S5. 1930

     (shunchoto iebakanarazu mojio-omou)

      speaking of spring tide

      reminds me

      of Moji port

    

(49) 藪の穂の動く秋風見て居るか (age 55. S4. 1929

  (yabunohono ugokuakikaze miteiruka)

   you might stay

     watching the autumn wind,

     thicket ears moving

  

(48) 止りたる蠅追ふことも只ねむし (age 55. S4. 1929

     (tomaritaru haeoukotomo tadanemushi)

      simply too sleepy

      to slap off

      an alighting fly

  

(47) ツェツペリン飛び来し国の盆の月 (age 55. S4. 1929

     (tsuepperin tobikishikunino bonnotsuki

      the Zeppelin

      flew to my country_

      the Bon-festival moon

 

(46)避暑宿の壁に貼りたる子供の絵 (age 55. S4. 1929

      (hishoyadono kabeniharitaru kodomonoe)

       kids-written pictures

       put up on the wall of

       a summer cottage

   

(45) 雛よりも御仏よりも可愛らし (age 55. S4. 1929

     (hinayorimo mihotokeyorimo kawairashi)

      the baby cute,

      more than

      a hina doll or buddha

   

(44)七盛の墓を包みて椎の露 (age 55. S4. 1929

   (shichimorino hakaotsutsumite shiinotsuyu)

      from a Japanese chinquapin

      dews fall, covering

      the shichimori-grave of Taira clan

      

(41)(42)(43)流れゆく大根の葉の早さかな (age 54. S3. 1928) 

    (nagareyuku daikonnohano hayasakana)

 (Translation A)

  a leaf of Japanese radish

  flowing away:

  what a rapidity!

 (Transation B)   

  how fast!

  the leaf of Japanese radish

  flows away

 (Tranlation C)   

  flowing away,

  how fast!

  Japanese radish leaves

     

(40) 舟岸につけば星一 (age 39. T2. 1913)

     (funekishini tsukebayangini hoshihitotsu)

      the boat reached the shore,

      I found a willow,  

      above it, a star 

  

(39) 咲き満ちてこぼるる花もなかりけり (age 54. S3. 1928

  (sakimichite koboruruhanamo nakarikeri)

     cherry blossoms

     in full bloom_

     no petals falling

   

(38) 何となくあたり淋しき爐を開く (age 17. M24. 1891)

     (nantonaku atarisabishiki rowo hiraku)

      I open the hearth_

      unaccountably lonely

      around it

  

(37) えりもとをなぐるやうなり秋の暮 (age 17. M24. 1891)

     (erimotowo naguruyounari akinokure)

      I feel it as if

      my neck were beaten_

      the autumn evening

    

(36) やり羽子や油のやうな京言葉 (age 53. S2. 1927

    (yarihagoya aburanoyouna kyoukotoba)

    “yarihago” shuttlecock_

     the oily sound of

     Kyoto accents

(Note)     

The following translation published in Terebess Asia Online (TAO) is wrong, because "yarihago" is different from Battledore and shuttlecock.  Also,(:) is inappropriate.

  Battledore and shuttlecock:

  The Kyoto accent sounds

  As if the words were oiled

     

(35) この庭の遅日の石のいつまでも (age 53. S2. 1927)

    (kononiwano chijitsunoishino itsumademo)

     the stones of this garden

     in a lengthening day

     will lie forever    

(Note)

The following translation published in Terebess Asia Online (TAO) is in appropriate in terms of word order.

   The rocks in this garden 

  Remain forever 

  In the lengthening days of spring

    

(34) 一片の落花見送る静かな (age 53. S2. 1927

    (ippenno rakkamiokuru sizukakana)

     watching a petal of cherry-blossoms

     falling down,

     what a silence!

  

(33) 春惜む輪廻の月日窓に在り (T3. 1914

    (haruoshimu rinnenotsukihi madoniari)

     the sun and the moon,

     transmigrating in the window_

     I treasure the rest of the spring

      

(32) 群雀鳴子にとまる朝ぼらけ (age 17. M24. 1891)

     (muresuzume narukonitomaru asaborake

      a group of sparrows

      perch on a rattle-scarer_

      daybreak sunlight

   

(31) この路を我等が行くや探梅行 (age 53. S2. 1927)

     (konomichiwo wareragayukuya tanbaiko)

      this road

      we’ll take, to find

      plum blossoms

   

(30) 或墓のくすぶり見えぬ彼岸かな (age 52. T15. 1926

  (aruhakano kusuburimienu higankana)

   a certain tomb

   seen in smoldering,

   vernal equinox day

   

(29) 紅さして寝冷の顔をつくろひぬ (age 51. T14. 1925

  (benisashite nebienokao-o tsukuroinu)

   putting rouge on,

   she adjusted

   her face chilled in the sleep   

      

(28) どかと解く夏帯に句を書けとこそ (age 46. T9. 1920

  (dokatotoku natsuobini kuokaketokoso)

   she untied her summer obi,

   dumped it, demanding me

   to write a haiku on it

   

(27) 鞦韆に抱きのせて沓に接吻す (age 44. T7. 1918

  (shuusenni dakinosete kutsuniseppunsu)

   putting my baby

   on a swing,

   I kissed her socks

   

(26) 年を以て巨人としたり歩み去る (age 39. T2. 1913

   (toshi-o-motte kyojintoshitari ayumisaru)

   Having made

   a giant of year,

   the time walks away

   

(25) 草摘みし今日の野いたみ夜雨来る (age 39. T2. 1913

     (kusatsumishi kyounonoitami yosamekuru)

     a night rain comes,

     mourning the today’s fields

     where I picked up herbs     

   

(24) 石の上の埃に降るや秋の雨 (age 39. T2. 1913

     (ishinoueno hokorinifuruya akinoame)

     onto the dust covering the stone

     falls

     the autumn rain

   

(23) 君と我うそにほればや秋の暮 (age 32. M39. 1906)

     (kimitoware usonihorebaya akinokure)

     you and me,

     how about faking love_

     evening in the autumn   

(Note)

The following haiku, whichi is published in Terebess Asia Online (TAO) is wrong: a mistranslation of the Japanese original haiku. 

    You and I wish

     We loved each other’s lies

     Late in the autumn    

       

(22) 行春の墓も御像も小さけれ (age 39. T2. 1913

      (gyoushunno hakamomizoumo chiisakere)

      both small,

      the tomb and the statute of the founder_

      the departing spring        

    

(21) 京女花に狂はぬ罪深し (age 19. M26. 1893

     (kyouonna hananikuruwanu tsumifukashi)

      a Kyoto woman_

      sinful,

      not getting crazy about cherry blossoms

   

(20) 秋来ればいつもあはれにきぬたかな (age 17. M24. 1894年

       (akikureba itsumoawareni kinutakana)

       autumn has come,

       always pathetic

       'kinuta' fulling

       

(19) 舟岸につけば柳に星一つ (age 39. T2. 1913年)

      (funekishini tsukebayangini hoshihitotsu)

       the boat reached a shore_

       a willow there,

       a star above it

    

(18) 一つ根に離れ浮く葉や春の水 (age 39. T2. 1913年)

      (hitotsuneni hanareukuhaya harunomizu)

      the spring water_

      the leaves float aloof,

      grown from single roots                 

           

(17) 歌人祭らず俚人ただ祭る社あり (age 39. T2. 1913年)

       (kajinmatsurazu satobitotada matsuru yashiroari

       (on Hitomaro death-anniversary)

       the shrine,

       no poets worship it,

       villiagers only worship it    

   

(16この後の古墳の月日椿かな  (age 39. T2. 1913年)   

       (kononochino kofunnotsukihi tubakikana)

       after this,

       lasting time of the ancient mounds_

       the camellias

             

(15囀や山かけて売る土地広し (age 39. T2. 1913年)

       (saezuriya yamakaketeuru tochihiroshi)

       chirps of birds_

       the broad lot to be sold

       with a hill behind

(Note)

In this haiku,  "山かけて" (yamakakete) is a pun, meaning "run",  "take a chance", or "hang".

     

(14) 春風や闘志抱きて丘に佇つ (age 39. T2. 1913年

      (harukazeya tohshi-idakite okanitatsu)

        a spring wind_

        I stand on the hill,

        my heart full of fight    

     

(12)(13) 霜降れば霜を楯とす法の城 (age 39. T2. 1913年

         (shimofureba shimowotatetosu norinoshiro)

         if there is a frost,

         the frost be a shield_

         the temple of laws      

    

11凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり  (age 34. M41. 1908

         (oyosotenkani kyoraihodono chisakihakani mairikeri)

         under heaven,

         I visited such a tomb 

         as small as I heard of Kyorai

      

10)曝書風強し赤本飛んで金平怒る (age 34. M41.1908年

      (bakushokaze tsuyoshi akahontonde kinpiraikaru)

      strong a wind at book-exposing,

      a red-covered storybook blown down,

      exposing the hero Kinpira angry  

   

桐一葉日当りながら落ちにけり (age 32. M39. 1906年

   (kirihitoha hiatarinagara ochinikeri)

   a leaf of paulownia

   fell,

   with the sunlight on it

     

垣間見る好色者に草芳しき (age 32. M39. 1906年)   

      (kaimamiru kohshokumononi kusa-kanbashiki)

      the grasses fragrant     

      to a lecherous man

      peeping in through the hedge   

      

刑罰の石を背負うて夏野かな (age 31. M38. 1905年

       (keibatsuno ishioseoute natsunokana)

    carrying a stone of punishment

        on one's back_

        the summer field

        

) 或時は谷深く折る夏花かな (age 30. M37. 1904年

       (arutokiwa tanifukakuoru gebanakana)

        'gebana' flowers,

        taken deep in a valley

        at a cetain time

   

秋風や眼中のもの皆俳句 (age 29. M36. 1903年

        (akikazeya ganchuunomono minahaiku)

         autumn wind_

         anything you see

         could be a haiku

         

子規逝くや十七日の月明に (age 28. M35. 1902年

       (Shikiyukuya juushichinichino getsumeini)

         Shiki passed away

         in the moonlight

         of the 17th day 

   

蓑虫の父よと鳴きて母もなし (age 25. M32. 1899年

        (minomushino chichiyotonakite hahamonashi)

         a bagworm chirps

         papa papa,

         without mamma, either

     

怒濤岩を噛む我を神かと朧の夜 (age 22. M29. 1896年

        (dotoh iwaokamu wareokamikato oboronoyo

         as if thinking me a god,

         surging waves bite the rock_

         hazy moon night   

      

春雨の衣桁に重し恋衣 (age 20. M27. 1894年

        (harusameno ikohniomoshi koigoromo)

         heavy on a dress-rack

         clothes of love_

         spring rain

           

(Note)

L. P. Lovee (pen name of Satoshi Kinoshita) is coined from the title of his blog “Let’s Practice Love Everyone”.

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