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2014年11月

2014年11月26日 (水)

小鳥のプーちゃんと一緒に写真撮ってもらったよ!

    

チュヌはまた膵炎になったのかダウンしたが、入院治療と主人の看病のお蔭で元気になったので検査をして貰いました。もう少し皮下注射の治療が必要とのことです。

待合室でスマートな小鳥のプーちゃんと一緒に写真を撮ってもらったよ!  

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2014年11月22日 (土)

俳句仲間(アカネの酔客)のエッセー(1)「ラジオを録音して聞く話」(昭和史を聞いて下さいね。)

    

(インターネット・リンク追加版) 

  

毎月、俳句会の後で酒を飲みながら俳句談義や趣味の話などに興じている。今月はブログの自慢話(?)をしたところ、話が弾み同席の方の随筆を掲載させて頂くことになった。それぞれの味があって面白い。

まず、昭和9年(1934年)生まれの大学同期会のホームページにA氏が今年の5月に寄稿した随筆「ラジオを録音して聞く話」です。テレビに無いラジオの面白さ・メリットの新発見の話です。

    

(青色の文字をクリックすると、その記事や関連の解説記事などがご覧になれます。)

   

    

    

    

    

    

    

          ラジオを録音して聞く話

                         2014年5月

                         

     昔から本は良く読む方だったと思う。仕事を止めて一年くらいか家を引っ越すこととなり、その時に大量の本を整理したと言うか捨てた。これに虚しさを感じまた暇は十分にあることもあり、その後は専ら図書館で本を借りて読んだ。月に20冊くらい借りて、その内の半分くらいはちゃんと終わりまで読んでいたと思う。ところが70歳を過ぎた頃から、本を読むと目が疲れるようになった。所謂、眼精疲労である。単なる老化かと思っていた。或る日、医者に紹介された近所のメガネ屋に行ったところ、技術の大変高いことを自称するメガネ屋であった。医者の作った診断書は無視され詳細に検眼され、お前は斜位だと言われた。両眼の視力が大きく異なることは自覚していたが、斜位と言う言葉は初めて知った。そして高価な近眼と老眼のレンズを買わされた。

      斜位と言うのは、斜視の軽い奴のようだ。普段は、周りも本人も全く気づかないが、矢張り眼精疲労にはなり易いようだ。と言うような訳と、借りる本が段々となくなってしまったこともあって、次第に図書館通いは少なくなった。今は全く行っていない。

     その代わり、テレビは良く見るようになった。なにせ夜は8時に寝てしまう生活を仕事を止めてからずっとしているので、多くは録画してである。最初の何年かは専らテープでの録画、4-5年前からはDVDである。良く見るのがNHKのEテレ・BSプレミアム・総合、BS1も少し見る。民放も見るが多くない。スポーツ番組は、殆ど見ない。サッカーは目が疲れる、また動体視力の低下の故か、決定的瞬間が良く見えない。ゴルフは見るが、韓国勢が上位に並ぶと見るのを止める。見る物が少ない時は、民放のサスペンス物も見る。NHKの大河ドラマの類は、やたらに怒鳴るのが嫌いなので見ない。 

民放を見ることが少ないのは、出演している人の數がやたらに多く更に芸人と称する人も多く、煩く感じるのが理由である。民放のサスペンス物も、観光案内を兼ねたようなのんびりとした物は好きだが、最近はこういうのが少なくなった。

      ところがこの1年ほど、NHKも民放の番組に似て来た。矢張り世の中の趨勢なのであろう。爺・婆は対象から外れて来ているのであろう。それで見る番組が減って来た。またテレビを見ても目の疲れを感じることが多くなって来た。特に出演者が多くガチャガチャした民放の番組は目が疲れる。

      ラジオは今まで、車を運転している時に時たま聞くことはあった。何時もお喋りが多いと思って来た。要するに暇な無責任な会話である。家内が何年か前からラジオを聞いているが、矢張りお喋りが多いと私は思って来た。この無責任なお喋りはどうも聞く気になれない。

      ところがこの1月になり、ネットで調べて出てきたNHKラジオの第一、第二、FMの番組案内「らじる*らじる」を見ていたら、土・日に集中してはいるが教養番組が多くあることを知った。このNHKラジオの番組案内は、番組の詳しい説明もあり大変有効である。そこでラジオに興味を持った。前に述べたようにテレビは殆ど録画して見ているので、ラジオも録音出来ないかと調べて見たら、「ラジクール」と言う無料のソフトをダウンロードすれば良いことが判った。ところが、このダウンロードを一度試みたが上手く入らなかった。

 そこで、録音したラジオはどうせ気楽な姿勢で聞くことになるであろう、それにはパソコンは不向きではなかろうかと考えた。そして、録音出来るラジオは売っていないかとネットで調べてみたら、2種類ほど出て来た。通信販売でそのまま買おうかと思ったが、どうも爺さんはこれに少し抵抗があるので、1月末に近所の家電量販店に行った時に見てみた。なんと録音出来るラジオはたった1種類、大きさはその昔の弁当箱くらいで重さも軽かった。ベテランらしい店員さんに何に使うのですか?と聞かれる始末で、どうも録音出来るラジオと言うものは沢山売れている様子ではなかった。

      兎に角、そのラジオを買った。店頭価格17,000円のSONYのICZ-R51と言う奴である。

      初めは、「らじる*らじる」で調べたNHK第二ラジオの教養番組を主に聞いていた。その殆どの番組が週に一度の放送で3か月単位で成り立っている。2月初旬は、この中途であったので、中途から聞き始めることになった。今は4月から始まったものを聞いている。ちゃんと聞いている番組の一つが、古典講読と言う番組の「奥の細道」である。講師の喋り方が大変眠気を誘うので、しばしば眠ってしまうが、録音の有難さで巻き戻しをして聞いている。「奥の細道」をちゃんと読んだことがないので、この機会と思っている。内容それ自身も、かなり面白いが、こういう物を研究している人たちは、こう言うことをあれこれと詮索するのだと言うことを知る意味でも面白い。極端に言えば、証拠のないことを糞真面目に論じる邪馬台国研究に少し似ている。

      短編小説の朗読も面白く聞いている。この手の物をかなり長い間読んで居なかった為だろうと思う。いずれにせよ、ラジオでは喋るのはひとりかふたり、喋りまくられる心配はない。しかし、録音して置いて実際に最後まで聞くのは、半分以下或は三分の一くらいであろうか。

     2月中旬か下旬頃に、「らじる*らじる」を見ていて、ラジオ深夜便と言う番組があることに気が付いた。これも「らじる*らじる」で中身をかなり詳しく知ることが出来る。夜の11時台から始まり、一時間毎に区切りが入って、6ッの番組から成り、朝の5時に終わる。2時台と3時台は音楽番組である。一区切りの中に、ニュースや音楽やお知らせなどが入るから、一区切りの中のメイン物の時間は30~40分であろうか。

 

    このような時間を誰が聞いているのであろうか?深夜族は今非常に多いので、深夜2時までの番組は聞いている人が居ることは理解出来る。しかし4時台の番組はどんな人が聞いているのであろうか?早く目が覚めてしまう早起き爺さんであろうか?そうすると2時までの番組を聞いている人とは別の世界の人と言うことになる。

     歌番組を除いて毎日4番組、一時間当たりの中身が約40分として、毎日約2時間40分となる。初めは、「らじる*らじる」を見て選択して録音していたが、今は機械的に録音している。「毎日録音」を選択すれば毎日同じ時間を録音して呉れる。詰まらない内容の物も多いので録音しても最後まで聞くのは、実際には三分の一から二分の一となる。

    かなりの頻度で聞いているのが、通信員と言うのか各地に住んでいる人の現地報告である。日本に住んでいる人の話は新鮮味に欠けるのであまり面白くないが、外国に住んでいる人の話は大体面白い。

     この原稿を書くことを予告された5月初めから、聞いて特に印象に残っているのは次のようなものである。一つ目は雨水の利用である。墨田区役所に勤務し始めて僅か5年くらいの時に、ここに集中豪雨による被害が出た。そこで専門外の若僧ではあったが雨水の利用を提案して検討チームを結成し、まず国技館にこれを敷設した。今は全国の新設の大きな建物では全てトイレの水は雨水をなっているようだ。スカイツリーもそうのようだ。今はこの人はバングラディシュで雨水の利用のプロジェクトを推進して、年に半年はバングラディシュに滞在していると言う。バングラディシュでは、地下水に天然の砒素が混入しているのだそうである。

    二つ目は、「昭和史を語る」である。4回番組で先日は昭和2年と3年とをやっていた。大正天皇は12月25日に逝去されたので昭和元年はなきに等しいと言うのも改めて認識した。浅草と上野の間に日本で初めての地下鉄が開通したのが昭和2年とか、ラジオ放送が大正14年の3月に始まったとか、その時の録音が残っていてそれが放送されるとか、関東大震災が大正12年だったことも改めて認識した。昭和恐慌が、その時の大蔵大臣の不用意な発言が元で銀行の取り付け騒ぎが起こったのが発端であったと言うのは初めて知った。

ニュージーラン人で剣道7段、居合術5段、薙刀5段で武道の研究で京大で博士号を取った人の話も面白かった。「残心」なる言葉を初めて知った。広辞苑によれば、「残心」は、剣道で、激突した後、敵の反撃に備える心の構えとある。「道」である相撲で、勝った時にガッツポーズをするのは怪しからんと言う非難の声が一時あったと思うが、この意味も初めて判った。

    と言うように、この2月から録音してラジオを楽しんで居る。テレビには少なくなってしまった爺・婆が楽しめる番組がラジオにはまだ多いと思う。、この文章が誰かの為のなんらかの参考になれば幸いと思う。

   

(注:ブログの見方)

青色の文字をクリックすると、その記事や関連の解説記事などがご覧になれます。ここ(らじるらじる)をクリックするとNHKネットラジオの詳細について検索できます。「昭和史を語る」をクリックして、表示されたリストのタイトルをクリックしてその内容の触りを音声で聞くことが出来ますよ!

2014年11月20日 (木)

俳句談義(2):虚子辞世句「春の山」の新解釈について

     

虚子が亡くなる二日前に詠んだ句「春の山(かばね)を埋めて空しかり」について、「これは辞世の句であり、『空しかり』は『むなしかり』ではなく『くうしかり』と読むべきではないか?」と、俳句談義(1)で新解釈を提唱したが、虚子の墓所鎌倉五山の第三位である「寿福寺」にあることを知り、なおさらその考えに確信を抱いている。「春の山」は単なる山を意味するのではなく、鎌倉五山や山寺に思いを馳せ、「」とは埋葬されるであろう自分も含めて諸々の死者を指しているのではないか? 

春風や闘志いだきて丘に立つ」や「去年今年貫く棒の如きもの」などの俳句を作り、俳句界に偉大な功績を遺した稀有の俳人が自分の死を予期して「むなしかり」と詠んだとは思われない。

子規は「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」と自分の死を達観してユーモラスに詠んでいるが、虚子は「とは真にこのことだ」と自分の死を達観して、「般若心経の『色即是空』とはこんなものだよ」と虚子の悟りの境地を詠んだものと愚考している。しかし、碧梧桐の「君が絶筆」などを読むと、子規の掲句は「ユーモラス」という表現が当たらない悲壮な客観写生であることがわかる。

    

(「俳句には読む人の考えやその心持によって如何様にでも解釈できる曖昧さや広がりがあり、解釈の一つである」と、新解釈を掲載しました。青色文字をクリックするとリンクしたサイトの関連の解説記事や写真をご覧になれます。是非ご覧下さい。)

   

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2014年11月19日 (水)

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(13)

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(8)」において、HIAのホームページに記載された石田波郷の俳句(「(かりがね)やのこるものみな美しき」)の翻訳を取り上げて、「all」の単数・複数扱いの違いに言及したが、それどころかその翻訳はそもそも不適切であり、句意を訳出していないことに気づいた。 

wild geese――
all that remains
beautiful
 

HIAホームページ掲載の上記翻訳において、「remain」は「be動詞」と同じような意味に解釈される。2行目と3行目を続けて読むと、「のこるものみな美しき」という意味ではなく、「美しいままであるもの全て」という意味になる。すなわち、「後に残していくものがすべて美しい」という句意にするには、「all that remains」ではなく、「all that remains here」とするか、「all I leave behind」とか、「all that stay behind」などとすべきところである。

例えば次のように翻訳すると、句意は訳出できるが散文的で面白くない。

wild geese――
beautiful
all that I leave behind

    

英語のHAIKUでは「I」を使わない方がよいと言われるので、

wild geese――
beautiful
all that are left behind

と受動態で記述すると、句意が曖昧になり不満が残る。

 

そこで、次のように翻訳すれば句意に最も近くなるだろう。

wild geese――
beautiful
all that stay behind
 

   

日本語は情緒的なので俳句として美しいが、その意味を訳出しようとすると英語は論理的なので散文的になりがちである。俳句と英語の俳句HAIKU)を両立させて翻訳することは至難である。

   

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2014年11月17日 (月)

お友達のエッセー:「忘れ得ぬ最高の思い出」

    

タイトルのエッセーは作者(出羽正義さん)の大手商社勤務当時の楽しい思い出です。

「昭和や」でのブログ・川柳談義の際にチュヌの主人が非常に愉快な話だと思ったので、掲載させて頂くことになりました。下記のエッセイをご一読下さい。

           

1978年12月、一か月の米国出張が終わりに近づいた時突如本部から「Argentine, Venezuela, Chileに立寄り出張の上帰国されよ。用件は追って連絡する」との指示が入電。南米の担当から外れていた私にこの追加出張命令、何故?とは思いましたが小躍りして喜びました。

実は、高校時代 私の田舎町にどう言う訳か「さらば草原よ」と言うアルゼンチン映画が来まして、それを見た私は以来頭から片時も離れない位にこの歌に魅了されてしまい、あの国の土を踏みたいと言うのが夢の夢になっていました。

そして就職、新入社員の身上調書に「行きたい外国名を記入せよ」と言う欄があり、ずうずうしくもそこにArgentineと書いたのでした。同国とは取引はなかったのですが…。

さらに’78年から遡ること10年前 ’68年に初めての海外出張で南米Colombiaへの10ケ月の出張終了間際「Argentineに立寄れ」との指示が入ったことがあったのです。夢実現と狂喜しましたが、翌朝「昨今の経済情勢に鑑み貴台の出張命令は取り消す」という入電! 天国から地獄とはこのこと、涙を飲みました。 

そんなことがあったので、今度こそ機を逃さずと早速飛び立ちました。Buenos Aires B.A.到着の翌日メーカーの担当者二人がジョインしてくれました。

同国には旭化成のアクリルプラント輸出が決まっており私の所属課(繊維)では市場開拓用の原料綿を輸出しておりました。おおむね順調な取引の中である特殊なスペックの契約品が引き取られず、日本で長期在庫になって困っていました。経常取引の打合せの他にこの在庫の引取をさせろ、というのが私への指示でした。

初日 訪日して件の契約を置いて帰った番頭格の常務に面談しましたが、この在庫の話になると言を左右にしてのらりくらりと逃げ回りばかり。

翌日は朝早く7時!に会長との面談。表敬訪問が主でしたから、一般情勢やアクリル繊維の市場見通しなどを話題にしました。そろそろ終わりだというとき、会長がAnything else?と言ったので、すかさず長期在庫の件を持ち出し、善処願いたい、と要請しましたところ、会長は番頭さんを鋭くにらんで「ただちに引き取れ」と厳命、鶴の一声で,同社とのもめごとはあっけなく解決したのです。

もうすることがなくなった我々はBAの見物に出かけました。同市はラテン・アメリカという言葉から想像するのとはかなり違い、まるでヨーロッパの如しで、パリの街に埃をかぶせたごとき街並みでした。港へ行き アルゼンチンタンゴ発祥の地と言われるカミニート(小径)通りも歩きました。小さい土産物屋、飲み屋、軽食堂などが それぞれが原色のペンキで塗られて両側に並んでいる狭い通り。この小路を題材に作曲された曲が申すまでもなく「カミニート」です。

シエスタ(昼寝)の習慣があるからでしょう、B.A.の夜の賑わいは遅くから始まります。レストランは9時、タンゴ劇場は11時にオープンという遅さ。我々がこの二つをこなし、気持ち良い夜風の吹く通りに出たのは午前1時を過ぎていました。酔っぱらった勢いで、深夜の街を行方を定めずブラブラ フラフラと歩いて行きました。と、人通りが途絶えた辺りで、ドアを開けたままのバーがあり、そこからタンゴをひくピアノの音が漏れてくる。薄暗い店内では6~7人の男どもが飲んで騒いでいる。左奥にピアノと奏者がいました。我々は恐る恐る入ってテーブルを占めるとワインやビールを注文してピアノに耳を傾けていました。そうする内私はこのピアノ伴奏に合わせてタンゴを歌いたいと言う気持ちが抑えがたくなってきましてピアニストに頼むと快諾してくれましたので、はやる気持ちを抑えて「カミニートCaminito」「さらば 草原よAdios Pampa Mia」「ガウチョの嘆きSentimiento Gaucho」の3曲を歌いました。終わった時は興奮で天にも昇った気持ちでした。翌日は仕事もないので 急ぐこともなく また、ブラブラとホテルへ帰りました。

このバーを出るとき看板を見ると”Oscuro Rincon”。これは「ガウチョの嘆き」の歌詞にそのままの言葉があります。

  “En un viejo almacen del Paseo Colon,     

   donde van los que tienen perdida la fe,

   todo sucio, harapiento, una tarde encontre

   a un borracho sentado en oscuro rincon.

 (注:スペイン語文字になっていません)

          

  

  

上の写真は 翌日街で見つけた画。

タンゴを歌ったバーとよく似ているので買ったものです。

看板には“El Viejo Almacen”とあります。

        

 アルゼンチンタンゴの発祥の地 B.A.で現地のピアニストの伴奏でタンゴを歌った時、これが私の忘れがたき人生最高の瞬間でした。

その後タンゴを歌う機会は絶えてありませんでしたが、私の所属の合唱団がCaminitoをレパートリーに加えましたので、その演奏の度にあのCaminito とあの日のことを思い出しながら歌っております。    

                                                    以上

  

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2014年11月15日 (土)

チュヌの便り・僕はサモエド犬のチュヌです。I am a Samoyed, a spokesdog for my master. To see my blog, click a title (listed on the left side) which interests you.

 

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俳句」「川柳」「エッセー」「ペットの写真

    

チュヌは主人のスポークスドッグです。

写真を見て下さい。可愛いでしょう。Photo 

ここに来た時は4歳でしたが、今年の2月に8歳になりました。天気の良い日は「やよい幼稚園」や「弥生小学校」、「田中歯科クリニック」などの傍を主人と朝晩散歩します。主人は仕事のことや俳句のことなど考えながら歩いています。僕はあちこち嗅ぎながら歩いていますが、子供たちが大好きです。「めっちゃ可愛い」と僕を撫でてくれる人が沢山います。小学生の子は白熊みたいだ」とか「でかい」とか「わさお」だとか言います。僕は「わさお」よりう~んとイケメンで、「可愛い!」と黄色い声で絶叫する中学の女の子もいました。

広い庭で主人やお母さんとよくボール蹴りをして遊んだが、ボールは噛むとすぐ壊れるので、カリンの実で遊びました。でも、股関節が脱臼したり、膵炎になったりしたので今はそれほど遊べなくて残念です。

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 主人は俳句が趣味で僕のことを四季に分けて俳句に詠んでくれました。ここをクリックして見て下さい。主人はクラシックが好きです。テレビの録画でピアノ協奏曲バイオリン協奏曲ソナタなどの名曲を聴きながら翻訳の仕事をしています。難しい仕事はテレビを切って真剣な顔でしていますが、テレビを見て休んでいる時はよく居眠りします。

主人は暇があったら写真と俳句を組み合わせて楽しい俳句アルバムを作ることを考えています。

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ローちゃんとダンちゃんに会ったよ!

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洋菓子・スィーツの店「エスコヤマ」の裏の公園でローちゃんとダンちゃんが散歩していてチュヌに興味を示したので写真を一緒に撮ってもらえると思ったが、ダンちゃんたちが大きな犬に咬まれたことがあり怖がるだろうとダメだったよ。チュヌは優しいのに残念だったね。

   

ダンちゃんたちのお母さんは写真が趣味です。ワンちゃんは動き回り写真に撮るのが難しく、花の写真などを撮って、PHOTOHITOに投稿しているそうです。

    

ワンちゃんの写真集ここもクリックしてご覧下さい。可愛いワンちゃんをいっぱいご覧になれますよ。

       

    

    

   

     

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2014年11月10日 (月)

奈良公園・柳生の里の吟行(俳句と写真)

   

思い出の写真俳句を作ろう

   

2014年11月1日にチュヌの主人は柳生の里円成寺天石立神社一刀石・正木坂道場・芳徳寺柳生家の墓家老屋敷、etc.)と奈良(奈良女子大正倉院東大寺戒壇堂奈良公園新公会堂、etc.)に仲間と1泊2日の吟行旅行に行きました。

    

先ず仲間の俳句を掲載させて頂き、最後に写真(59枚)を掲載しています。

写真はタップ拡大してご覧になれます。疑似吟行をして頂ければ幸いです。

   

野紺菊昭和の匂ふ木のおもちゃ

          文子

  

行く秋や柳生家墓所の崩れ塀   

         眞知子

    

団栗をポッケトに入れ旅終る

         かず

    

冬の霧走り走りて山洗ふ

         順子

    

愛歌ふ女子大祭や柿たわわ

         寧伸

   

秋時雨一刀石の陰深し

         輝雄

    

湧ける山懐大和棟

         良子

   

天平の甍に映える櫨紅葉

         栄治

    

一刀石の割れ目鋭し秋深し

         律子

   

霧にけぶる山また山や柳生村

         美娜

    

四天王古代の眼差し秋静寂

         知子

     

行く秋や柳生の墓所の土塀朽ち

         さとし

   

藤の実の爆ぜて話の腰を折る

       美津子(欠席投句)

   

神の森森閑として椿の実

       昭夫(欠席投句)

    

釣り人を焦がさんばかり秋夕焼

       迪夫 (欠席投句)

   

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2014年11月 9日 (日)

国際俳句協会総会に参加 ~「日本人らしさの発見」の著者の講演拝聴~

 

6月13日に東京の私学会館で開催された国際俳句協会の総会に参加し、東京工業大学名誉教授芳賀綏氏の講演「日本人の心とことば~世界の鏡で日本を見る~」を拝聴した。

同氏の近刊著書「日本人らしさの発見」を求め、帰りの新幹線で読んだが、我が意を得た思いをした。

芳賀さんはこの本の最後に次の通り述べている。

「異文化にべた惚れでもない、毛嫌いでもない、異文化同士の適切な距離の取り方を心得ること、いわば”間合い”のセンス、<距離感>を身に着けること、そこに至る必須の道として、この本に示したような比較文化の観点の存在価値があります。その観点に立って自らの国、民族の位置を的確に知ることで<民族的教養>は深まります。

”世界の鏡に写した自己”を見て、美風に自信を持ち、弱点の克服につとめる日本人が、とりわけ若い世代の日本人が増えてこそ、風格ある国民による第三の開国、すなわち「真の開国」は実現します。」

国際俳句協会では俳句を国際的に広めて、和食と同じように無形文化世界遺産に登録されるようと努力している。実現すれば素晴らしいことだが、これは夢物語だろう。

俳句には和食と異なり言葉の障壁がある。

俳句を外国語に翻訳しただけでは俳句の良さが分からないから、日本語を理解し、俳句に興味をもつ外国人が増えることが不可欠である。

いずれにせよ、将来俳句が世界的にどのように受け入れられるか、自分なりに俳句を通じて国際交流を促進することができれば幸いである。

現代はインターネットで誰でも簡単に世界に発信できる。

小生も些細なブログであるが、世界の平和を願い、自然を愛し、日本の文化を愛する自分の思いを発信していきたい。

ブログ記事「スウェーデン大使館開催の俳句・川柳コンペティションに入選」もご参照下さい。

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俳句仲間(アカネの酔客)のエッセー(2)

   

  (インターネット・リンク追加版)  

   

毎月、俳句会の後で酒を飲みながら俳句談義や趣味の話などに興じている。今月はブログの自慢話(?)をしたところ、話が弾み同席の方の随筆を掲載させて頂くことになった。それぞれの味があって面白い。

今回は多趣味・世話好き・フェミニストであるN氏が大学同期会のホームページに寄稿した味のあるエッセー「近況報告VI」を掲載させて頂く。

文末に、「最近の作品を3枚添付して今回の近況報告といたします。」とあるが、添付されていなかったので問い合わせたところ、「裸像の写真を保存したUSBが保管してあったと思いましたが、整理が悪く見つかりません。」とのことで、残念ながら見つかるまでお預けとなったので、日野市の「小島善太郎記念館」の作品集のサイトにリンクしました。

    

(注:ブログの見方)

青色の文字列をクリックするとその言葉の解説記事のサイトがご覧になれます。

    

    

    

    

      

    

      近況報告Ⅵ 

    

                       

○加齢のこと

 加齢に伴ない心身ともに動きが鈍ってきている。忘れ物が多くなったことは前回に紹介したとおりであるが、それにもめげず今まで手を出した趣味は何とかそのまま続けている。しかし最近さびしいことの一つにこれらの仲間のなかから、昭和一桁前半生まれの方々の何人かが、認知症がかったり、鬱になったりして顔を出さなくなり脱落して行くことである。 いよいよ僕らもその手前まで来たのかと内心のどこかで覚悟したりしている。 でも一方では大正生れの方々が矍鑠として活躍して居られるので、その人たちの存在に励まされ、元気を貰っている。

 俳句の会では大正6年巳年生まれの92歳を筆頭に大正生れが7,8人居られる。英会話のグループにも一人、中国語にも三人、太極拳にも91歳を筆頭に三人の大正生まれがいらっしゃる。関西東大会の常連の旅行メンバーにも大正生まれの夫婦一組がご健在でいらっしゃる。 彼らを目標にして、若さを維持して行こうと思う。

 話は変わるが、奄美大島に旅したとき、百二十歳を生きた泉重千代さんの住家銅像に立ち寄った。そのときの女のガイドさんによれば、重千代さんは晩年も女の人が好きで、訪ねる観光客の女の人1人ひとりに握手して言葉を交わしたそうな。それで彼女は「異性と接するのが長寿の秘訣ですよ」と我々にのたまったのである。 幸い、小生の属している趣味の会には女性(婆さんではあるが)が多い。泉重千代風に楽しんで行きたいと思う。

 

○最近見た映画

映画は殆んど見ない。 年に一二度くらいかと思う。 昨年たまたま「絵」の仲間の女の人が勧めてくれた映画が「Sex and the City」であった。必見の話題作ということで彼女は夫と見に行って衝撃を受けたという。 小生も家内と一緒に出かけた。

 ニューヨークの4人のキャリアウーマンの多様な女性の生き方が、様々な異なる結婚観に基づいて展開される。そして性交シーンが当たり前のように頻出するのには驚いた。しかし、いやらしい淫らな感じが不思議にない。極端に言えば食事のような生活の一部として扱われているからであろうか。性欲はあって当然という自然の扱いだからであろうか。確かに衝撃は受けた。 しかし彼女たちに同情し、彼女たちの生き方を肯定している小生であった。家内もだいたい同意見であった。

 後日、勧めてくれた彼女に感想をきかれた。照れくささもあったので「最初ふざけた映画だと思ったが、見ているうちに彼女たちに共鳴して応援したくなったよ。むしろ真面目な応援歌かな」と答えておいた。

 さらに、別の後日談がある。 家内の友達が子供の出来ない娘と見に行ったそうである。 彼ら母娘はどんな話をしたのだろうか。 とにかく女性に衝撃的話題を提供した映画ではあった。 

 

 ○「ねじまき鳥クロニクル

作者村上春樹は地元神戸高校の出身である。 最近ノーベル賞候補に上げられていることもあって、熱烈なファンによる研究会がよく開かれているようである。2,3年前そのうちのひとつの研究会に出る機会があった。 作者不在で行う研究会も異色ではあるが、中国、韓国、米国の研究家が熱心に壇上から作者と作品を語り、その国際性に大いに驚いた。

しかし空想が交じり合う彼の小説にはついて行けず、2,3の小説をかじっただけでずっと敬遠していた。 ところが最近とあることで、家内が標題の作品を読んで感動してしまい、とうとう小生もひきずりこまれて読むことになった。10年以上前の作品だから読まれた方もあろうかと思うが、小生はとにかく圧倒されてしまった。 

  戦争の悲惨性が脈流にある。ノモンハン事件の前哨戦、シベリア抑留新京動物園猛獣虐殺、満洲兵虐殺等々。筋は空想じみた展開とスリラーまがいのどんでん返しと深層心理の綾なす現実離れの脚色に目を奪われるが、しかし底流に戦争の悲惨性が重くよどんでいる。蒙古兵が人皮を剥ぐ場面は息の止まる思いだった。

  人生(世界)は単純でない。戦争という非人道的現実があり、いろいろな中身がよじれあいいっぱい詰まっている。

  作者はカフカ賞もとったりしていて海外での評価がよいので、近いうちにノーベル賞を取るかもと、思ったりもする。

 

○裸婦素描

近況報告が短文になってしまったので、裸婦素描を添付して締めくくることにする。

腕の方はさっぱりであるが、なにしろこの時間が最も楽しい。月1回のチャンスだが、これが待ちどおしいのである。美人の先生に会うのもモデルさんと言葉を交わすのも、胸がわくわくするが、それにも増して女性に囲まれた男一人の3時間の雰囲気がたまらなく嬉しいのである。最近の作品を3枚添付して今回の近況報告といたします。

                                                                                            以上

 

俳句仲間(アカネの酔客)のエッセー(3)

    

(インターネット・リンク追加版)    

毎月、俳句会の後で酒を飲みながら俳句談義や趣味の話などに興じている。今月はブログの自慢話(?)をしたところ、話が弾み同席の方の随筆を掲載させて頂くことになった。それぞれの味があって面白い。

今回はご家族で絵画を楽しんでおられるT氏が大学同期会のホームページに寄稿したエッセー「絵を描く」を掲載させて頂く。同氏は絵からも察せられるが、文末にあるように意外に優しさのある快男児である。機会があれば奥様の絵も紹介させて頂きたいと思っている。

      

           

               絵を描く 

平成20年229日


だいぶ以前子供たちが小さい頃、家族でドライブに出かけた時に皆で絵を描いた。小生も描いたが絵のでき映えは幼稚園か小学生のような稚拙なもの(?)で家族にだいぶ馬鹿にされた記憶がある。

 その後、鹿嶋に単身赴任中の休日に友人と笠間の日動美術館平山郁夫展に行きその絵の魅力に感動した。寮の休日の時間をもてあまし、簡単にできそうな水彩画として、輪郭を耐水性の黒ペンで描き、色づけをするという手法をまねてみた。自分でやり出すと絵の描き方に興味が出て、書店で絵の本などを買い込み少し勉強した。絵の具の付け方もなるべく少なくし余白をうまく使う描き方や、影の付け方の微妙さなどを勉強し、先ずは手始めに寮の部屋や花を描いた。家に帰ったとき家族にそれを見せると大変感心された。これも以前からの「お父さんの絵はまったく下手」という印象のためその驚き(?)も大きかったのだろう。ほめられるとついいい気になって休日には花を買ってきては次々と描きだした。こういうものはやり出すまでがおっくうだが出来た絵を部屋に飾って眺めるとそれなりに進歩も見られ自己満足に浸っている。

今では我が家のトイレを中心にざっと20枚程度の自作の絵が飾ってあるが、今までに家族以外から本気でほめられたのは水墨で描いた猫の画のみで、それはたっての希望で1枚差し上げた。しかし我が家に来られる人にはあまり関心を持ってもらえず、一応儀礼上ほめる人もいるが全く無視されることが多い。それでも自分の描いた絵に囲まれて生活することは自己満足ながら楽しいことである。

Photo

こういうものは一時の熱が冷めると気が向かなくもので、この頃はとんと描いていなかったが、最近、薄い色の付いた画用紙に花の絵を描くことがおもしろく、ぼちぼちと再開をしている。

 絵も本格的に描くには油絵であろうが、油絵は男性的で、水彩画や水墨画は女性的な気がする。我が家では水彩画を描かせても家内は大胆で油絵的であり小生は大人しい女性的な絵を描くようである。小生は未年で乙女座、家内は寅年で獅子座とかなり性格を表しているような気もする。

     

    

(このブログを書いた後で、「猫の画」に興味がわいたので、インターネットのGoogleで検索すると、可愛い猫の写真が沢山表示されたので驚いた。青色の文字をクリックしてご覧下さい。)

2014年11月 8日 (土)

「昭和や」の酔客:川柳談義(改訂版)

  

文化の日神戸文化ホールで開催された神戸職場人合唱団「かがり火」の定期演奏会に主人は行きました。毎年この合唱団の定期演奏会を楽しんでいますが、来年は創団40周年の記念演奏会を11月7日開催する予定とのことで、楽しみにしています。

演奏会の帰りに高速神戸駅商店街の「昭和や」で友達と一杯飲み、川柳・俳句談議に盛り上がりました

主人は俳句が趣味ですが、川柳もかじっています

Mさんは川柳が得意で1例を挙げると、「ツルを抜き去りすいませんアナかしこ」など色々朝日川柳欄に入選されていますが、姫路市主催の全日本エコ川柳で優秀賞なども受賞されています。

Mさんはブラックユーモアが効いた川柳がお得意のようです

   

主人は、「株価上げアベクロミクスその先は?」と即興の自作を口にしながら、安倍・黒田コンビのアベノミクス政策が成功し日本経済・国民生活が向上・活性化することを祈っています。

  

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京都・南禅寺吟行(思い出の俳句・写真集)

   

旅の思い出に写真俳句を作ろう! 

故郷を「まんぽ俳句」で元気に、未来に繋ごう!

青色文字をタップしてリンク記事をご覧下さい。

    

2014年6月7日、南禅寺インクライン近辺など、古都の吟行をエンジョイしました。

昼食は菊水の京料理で、その後すぐ句会をしました。

参加者の俳句を披露します(敬称略・順不同)。

   

(青色の文字をクリックすると、解説や写真をご覧になれます。写真はクリック・拡大出来ます。)

    

三門を洗ひ上げたり青葉雨      

           (文子)

 

禅林の万緑といふ冥さかな      

           (順子)

 

万緑を背に静もれり南禅寺      

           (寧伸)

 

梅雨晴間三門楼上四方絶景      

           (昭夫)

 

万緑や音迸る水路閣

           (美娜)

  

法堂の龍の眼や五月闇        

          (知子)

 

水音を一気に放ちダム涼し      

          (眞知子)

 

万緑や明治を偲ぶ水路閣       

          (三兎)

 

新緑に赤煉瓦映ゆ水路閣       

          (律子)

 

蓮巻葉池ほの匂ふ朝の風       

          (良子)

 

南禅寺供華の一木沙羅の花      

          (迪夫)

 

影つくる祇園白川夏柳       

          (輝雄)

 

白川の流れに裾引く柳かな     

          (かず)

 

水すまし疎水に乗りて流されて    

          (栄治)

 

寺若葉閂固く勅使門         

         (美津子)

 

万緑に仰ぐ鐘楼鐘見えず       

         (さとし)

    

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