私の文章について、本ブログ欄でのご紹介、まことにありがとうございます。俳句の解釈から始まる、貴ブログ欄の充実には、目を見張ります。先日、恐縮ながら、私の頁からリンクを貼らせて頂きました。互いのご訪問者が両サイト間を往来して下さることを願っています。
それにしても、「去年今年貫く棒の如きもの」の英訳に挑戦とはものすごいですね。私も今、ライフワークたる「カラー・ピラミッド・テスト入門」の英訳を何とかしたいと心配っており、その序章の中で、色と感情・情緒との関連にかかわって引用している「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」(額田王)という万葉の恋歌をどう英訳したらよいか、ふと考えています。和歌(短歌)の場合は情景がそのまま絵になってそのまま外国語化すれば何とかなるはずですが、
例えば、灰谷寛司氏はこの歌を
「紫草の御料地をあちらへ行きこちらへ行きしながら、あなたが袖を振っておられるのを、野守は 見ていないでしょうか」と現代語訳してから、
You ride back and forth through the Imperial fields of gromwell plants:
Isn't the groundkeeper watching your waving of the sleeves at me?
と訳しています(もし、無事英訳本が出版できたら、灰谷寛司氏の英訳を引用させてもらおうかと、考えています)。これをリービ英雄氏はまずは
「茜色の あの紫草の野を行き その御料地の野を歩いてるとき 野の番人は見ていないかしら ああ あなたそんなに袖を振ふらないでよ」としてから英訳しているようです。
和歌(短歌)の場合は、どちらにしても、歌の本質をそう大きくは離れないとしても、俳句の場合は、詩(うた)の本質が言葉で表現されていないところにあるので、これは至難の業。特に抽象化された句において然りですね。
そういう意味で、「去年今年貫く棒の如きもの」についての考察の流れ、
「俳句の新解釈・鑑賞 <去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)>」において考察したように、主語(主体)は省略されている、すなわち、「俳句に対する虚子の信念」が省略されている、「去年今年」は客体である、と解釈する場合は次のように意訳できます。
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「去年今年」は文字通り英訳すると「last year this year」ですが、新年の季語としては不適切です。「去年今年」は高浜虚子が季語として確立したと言われていますから、日本語のまま「kozokotoshi」で使うのがよいでしょう。」
には、大きく肯かされました。
「チュヌの便り」の益々のご発展を祈ります。
コメント:虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か?
2025.2.1 更新
「俳句《涼し》死の話」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2022/07/post-70ee.html
や
「言葉の力•俳句の力《癒し》」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2022/07/post-ea4b.html
をご覧下さい。 (薫風士)
「春浅し命の限り句を口に (本との出会い)」
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年越やオミクロン株蔓延りて(医療の在り方)
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「プレバト俳句 梅沢富美男氏の「木の葉髪」の推敲を考える」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/12/post-ef7a.html
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(薫風士)
岸田文雄総理大臣には喫緊の課題が一段落すれば、「俳句を通じて世界平和を」という俳句愛好家の思いにも耳を傾けてほしいものです。
「渡月橋」etc.の俳句 (橋梁通信掲載に因んで)
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をご覧下さい。
(薫風士)
トランプ米国大統領の「アメリカファースト」(実は「ミーファースト」?)の政権がようやく終わることにりホットしていますが、次期大統領が余程しっかりした政治をしなければ、4年後が更に恐ろしいことになるでしょう。
・大寒やコロナ禍憂ふポピュリズム
(薫風士)
解釈者によって違うとだけ書けばいいのに、卑しい人には卑しく、優れた人には優れて見えると言ってしまうあたり、ふだんから歌人の人らしく相互評価とマウンティングのことばかり考えてらっしゃることがよく響いてきますね。
TVのプレバト番組の威力か、
昨日からこの記事を多くの方がご覧になったようで、
アクセスが一日で1000件を超えたようです。
しかし、この記事はアイポッドでは一部分しか見れないことが分かり、驚きました。
スマホでも同様に見れず、ご迷惑をかけたかも知れないので、
大急ぎでスマホ用に改定・再録しました。
虚子の俳句「去年今年貫く棒のごときもの」の棒とは何か?
(改定版)
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/12/post-eced.html
をご覧下さい。
(薫風士)
「まんぽ俳句会」の理念を俳句にしました。
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/12/post-916a.html
をご覧下さい。
薫風士
世界平和への思いを込めて「令和」の俳句をブログにしました。
「新元号祝ひ『花見』の俳句詠む」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/04/post-e976.html
をご一読下さい。
本との出会い(1)「あの海にもう一度逢いたい」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2014/12/post-e219.html
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俳句をユネスコ世界無形文化遺産へ (草の根運動)
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「吟行の写真俳句集」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/pictureandhaiku.html
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「声なき声」とは何でしょうか?
「亀鳴くや声なき声を聞けよとて」
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「本との出会い <母と子・優しさと厳しさと>」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2017/11/post-e56b.html
をご覧下さい。
高浜虚子は「年を以て巨人としたり歩み去る」という俳句を作っています。
「高浜虚子の俳句と『護憲運動』のことなど」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2017/10/post-06d2.html
をご覧下さい。
原句に近い納得できる英訳は次の通りです。
last year this year_
as if
a stick pierces
宗内敦 様
「『あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る』(額田王)という万葉の恋歌をどう英訳したらよいか、ふと考えています。」とのこと、
「紫野」とは何か興味が湧きインターネットで検索したところ、
世界大百科事典 第2版の解説として「歌枕。現在の京都市北区紫野で,船岡山,大徳寺を中心とする地域。平安京北郊で宮廷の遊猟地であった。」とあります。
また、「行き」は「行幸」の意味だろうと思います。
したがって、「紫草の御料地をあちらへ行きこちらへ行きしながら、」という灰谷寛司氏の解釈は不適切でしょう。
「遊猟地や御料地にお出かけになり」と解釈して英訳するのが良いと思います。
額田王の恋歌の英訳に上記の解釈が参考になれば幸いです。
「チュヌの便り」への暖かい激励のコメント有難うございました。
今後ともよろしくお願いします。
私の文章について、本ブログ欄でのご紹介、まことにありがとうございます。俳句の解釈から始まる、貴ブログ欄の充実には、目を見張ります。先日、恐縮ながら、私の頁からリンクを貼らせて頂きました。互いのご訪問者が両サイト間を往来して下さることを願っています。

それにしても、「去年今年貫く棒の如きもの」の英訳に挑戦とはものすごいですね。私も今、ライフワークたる「カラー・ピラミッド・テスト入門」の英訳を何とかしたいと心配っており、その序章の中で、色と感情・情緒との関連にかかわって引用している「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」(額田王)という万葉の恋歌をどう英訳したらよいか、ふと考えています。和歌(短歌)の場合は情景がそのまま絵になってそのまま外国語化すれば何とかなるはずですが、
例えば、灰谷寛司氏はこの歌を
「紫草の御料地をあちらへ行きこちらへ行きしながら、あなたが袖を振っておられるのを、野守は 見ていないでしょうか」と現代語訳してから、
You ride back and forth through the Imperial fields of gromwell plants:
Isn't the groundkeeper watching your waving of the sleeves at me?
と訳しています(もし、無事英訳本が出版できたら、灰谷寛司氏の英訳を引用させてもらおうかと、考えています)。これをリービ英雄氏はまずは
「茜色の あの紫草の野を行き その御料地の野を歩いてるとき 野の番人は見ていないかしら ああ あなたそんなに袖を振ふらないでよ」としてから英訳しているようです。
和歌(短歌)の場合は、どちらにしても、歌の本質をそう大きくは離れないとしても、俳句の場合は、詩(うた)の本質が言葉で表現されていないところにあるので、これは至難の業。特に抽象化された句において然りですね。
そういう意味で、「去年今年貫く棒の如きもの」についての考察の流れ、
「俳句の新解釈・鑑賞 <去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)>」において考察したように、主語(主体)は省略されている、すなわち、「俳句に対する虚子の信念」が省略されている、「去年今年」は客体である、と解釈する場合は次のように意訳できます。
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「去年今年」は文字通り英訳すると「last year this year」ですが、新年の季語としては不適切です。「去年今年」は高浜虚子が季語として確立したと言われていますから、日本語のまま「kozokotoshi」で使うのがよいでしょう。」
には、大きく肯かされました。
「チュヌの便り」の益々のご発展を祈ります。
日英バイリンガル俳句を楽しむ <高浜虚子の俳句「去年今年」>
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2017/02/post-01d8.html
をご覧下さい。
高浜虚子の俳句「去年今年」について
現代俳句協会の「現代俳句コラム」に面白い句評があります。
http://www.gendaihaiku.gr.jp/column/view.php?act=detail&id=333
をご覧下さい。
戦争を知っている世代の著名な方々の訃報をよく目にするようになりました。
最近のニュースでは水木しげるさんや野坂昭如さんの訃報です。
雨宮処凛がゆく!
「水木しげるさんの死〜なぜ「戦争反対とは決して言いません」だったのか。の巻」
http://www.magazine9.jp/article/amamiya/24461/
東京新聞の記事
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201512/CK2015121002000269.html
政治談議
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/essay-on-politics/
などをご覧下さい。
「去年今年」の季語を使った俳句を集めました。
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/12/post-57b0.html
をご覧下さい。
俳句と川柳の違いがよく話題になりますが、チュヌの主人は
「季語・季題」があれば「俳句」、「季語・季題」がなければ「川柳」
と、割り切ればよいと考えています。
両者の違いを主人の駄句で例示します。
・平和への思ひ夫夫(それぞれ)去年今年
・平和への思い伝えよ川柳で
「師走」の俳句を集めました。お暇があれば、
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/12/post-d12e.html
をクリックして、ご覧下さい。
良いお年をお迎えください。
高浜虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」
にインスピレーションを得てロクリアン正岡さんが作曲した
「時を貫く“南無阿弥陀仏”」を
YouTubeで仏像や世相の写真などを見ながらお聴きになれます。
興味ある方は
https://www.youtube.com/watch?v=qUIm4lffvTA
をクリックしてご覧下さい。