青春の思ひ貫き去年今年
老ひしとも新たな夢を去年今年
加速する刻に逆らひ去年今年
人類の起源は一つ去年今年
去年今年宇宙は廻りめぐるかな
良心が平和を護り去年今年
ガンジーの心繋がむ去年今年
広めむや花鳥諷詠去年今年
AIに勝る俳句を去年今年
去年今年在りのままの吾甘受して
去年今年他人(ひと)の拘り甘受して
去年今年人の善意を諾ひて
足らざるを補ひ合ひて去年今年
ストレスを溜めない工夫去年今年
和を願ひバランス求め去年今年
去年今年まんぽ俳句を隗よりと
我が思ひ隗より始め去年今年
四代の長寿を祈り去年今年
句に遊び余生を生きむ去年今年
和を祈り果てし無き夢去年今年
終活の終りは知らず去年今年
我が道を一歩一歩と去年今年
去年今年朝日に祈る我が思ひ
去年今年平和を祈り南無阿弥陀仏
(薫風士)
2025年1月4日未明の薫風士のブログ記事「俳句HAIKU」へのアクセス累計合計が「1,234,888」、1日あたりの平均が「308.88」と、縁起の良い「八」の数字が並んでいたので、スマホで記念に写真を撮りました。
拙句の最後の俳句は高浜虚子の俳句「明け易や花鳥諷詠南無阿弥陀仏」と「去年今年貫く棒の如きもの」を捩ったものです。
ウイキペディアによると、「南無阿弥陀仏」の意味は次の通りです。
「南無」はナモー(namo)の音写語で「礼拝、おじぎ、あいさつ」を意味するナマス(梵: namas)の連声による変化形。「礼拝」から転じて帰依(śaraṇāgamana)を表明する意味に用いられ、「わたくしは帰依します」と解釈される。「阿弥陀」は、その二つの仏名である「アミターバ(無量の光明, amitābha)」と「アミターユス(無量の寿命, amitāyus)」の「はかることのできない(無量)」というアミタ(amita-)のみを音写したもの。
すなわち、「南無阿弥陀仏」とは「わたくしは(はかりしれない光明、はかりしれない寿命の)阿弥陀仏に帰依いたします」という意味です。
「去年今年」(「こぞことし」新年の季語)の俳句を「歳時記」(俳誌のサロン)の各ページの冒頭句など幾つか気の向くままに抜粋・掲載させて頂きます。
「去年今年1」
我をのせ廻る舞台や去年今年
(上野泰)
「去年今年2」
去年今年闇にかなづる深山川
(飯田蛇笏)
去年今年祈りの中にある時間
(稲畑汀子・高浜虚子の孫)
棒も又折れゆくものや去年今年
(稲畑廣太郎・高浜虚子の曾孫)
「去年今年3」
去年今年貫く棒の如きもの
(高浜虚子)
ここをクリック(タップ)して「虚子の俳句『去年今年貫く棒の如きもの』の棒とは何か?」をご覧下さい。
「去年今年4」
いつの間に一と眠りして去年今年
(瀧春一)
「去年今年5」
だんだんと人と離りて去年今年
(志解井司)
「去年今年6」
去年今年老父母のなきやすらぎに
(竹内弘子)
「去年今年7」
片づかぬ書斎に馴染み去年今年
(稲畑汀子)
若者に元気を貰ふ去年今年
(稲畑汀子)
ごきげんよう!「NHK俳句に学ぶ」むかご66さん(選者:高野ムツオさん)に、ゲスト:大島映二さん(将棋棋士)の次の俳句があった。
空港に 世界の時刻 去年今年
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