(P.S. 2022.12.9)
12月9日は漱石忌です。
夏目漱石などの文豪のみならず、市井の素人文人が少なくなく存在していることに日本の民度の高さを感じます。
冒頭の写真はパソコンで見た「趣味の陶芸 爺が自賛 オーブン陶土で作る狸のコンサート」の記事の一画面ですが、身近に陶芸を趣味にしている句友やゴルフ仲間もいます。
(2014.12.19の記事)
(写真)
三田市在住の木下とし子さんのエッセイ集
読書週間だからというわけではないが、数年ぶりに図書館を訪ねた。
仲間との俳句談義で話題になった生命科学者である柳澤桂子の「生きて死ぬ智慧」(般若心経現代語訳)など般若心経の本を借りるためである。
図書館の書棚を見ていると、「あの海にもう一度逢いたい 木下とし子」(日本文学館)という小さな本が目に入った。
表紙一杯に空と海の広々とした写真があり、裏表紙には壺の写真が載っていた。
目次を見ると、最初に「朱い色の記憶」「呪文と念仏と」などがあり、最後の方に「骨壺と蛸壺」「私の前生は布切れかも」とか「三途の川の川幅は」などがある。この本の著者は般若心経の本を読んでいるのかもしれない。
「あとがき」に作者は次のとおり書いている。
「戦前、戦中、戦後と七十七年生きてきました。
その間に、生活様式も人々の価値観も激しく変わり、とてもついていけないと感じはじめた頃、膀胱ガンを患い障害者手帳を持つ身になりました。
それから十二年、手帳とともに生き、不安と諦めの中から「書く」という幸せを見つけました。
しかし、ほんとうの思いを書くということはとても難しく、澱のように心の底に溜まった苦しみや悲しみは、時間をかけて浄化しなければ書けないように思います。
若いときに想像していた「老い」と現実の「老い」の落差を素直に受け止め、これからもその時々の思いをそっと掬って書いてみたいと思っています。」
この本の作者は日本が太平洋戦争に突入した昭和16年12月8日には小学校5年生だった。「朱い色」とは大空襲で町が燃える色である。「骨壺」とは作者の夫が作った丹波焼の壺である。
「阪神大震災の折に墓地の惨状を目にし、無縁仏の多さに驚き、墓を作ることは諦めた。私の骨は太平洋に散骨したい。そのときこの上等の骨壺も一緒に波間に沈めてもらいたい。そしたら蛸が取り合いするだろうか。この壺の住人になった蛸は、今はやりの六本木ヒルズに住むセレブになるのかな。そんなことをクラス会で話したら、『もったいないことせんと僕にちょうだい』と言った男性がいた。---」と、
この作者は少女時代の切ない思い出、家族のこと、阪神大震災や福知山線事故のことなど、主婦の目線で時にはユーモアを交えながら切々と書いている。珠玉の小編エッセイである。
手作りの骨壺を手に明易し
(薫風士)
般若心経についての本を数冊読んだ結果、俳人高浜虚子の辞世句について新解釈をふと思いつきブログを書いた。ささやかなブログであるが、俳句に興味のある方にはかなり読んで頂いているようである。
ふとしたことからブログを書き始めたが、本との出会いや人との出会いなど、不思議な縁に恵まれている。
そのことに感謝しながら「LOVE」の実践を「隗より始めよう」と心掛けているこの頃である。
(注)
「LOVE」に人の生き方の指針になる英語の言葉24語の頭文字を当てはめています。
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