2月20日は「鳴雪忌」ですが、金子兜太の一周忌です。
2月22日は高浜虚子の生誕の日です。
「虚子」といえば「客観写生」、「兜太」といえば「平和の俳句」、両者には「伝統」と「革新」の違いがありますが、「戦前」と「戦後」、「時代の流れに沿って、それぞれがその信念に基づき俳句界を盛り上げたのだろう」と理解しています。
この池の生々流転蝌蚪の紐
(高浜虚子)
金子兜太の師系は、水原秋櫻子に師事した加藤楸邨(人間探求派)です。
秋櫻子は虚子に師事しましたが、「客観写生」の理念に飽き足らず離反し、そのことが新興俳句運動の契機になりました。
(写真)
「酒やめようか どの本能と 遊ぼうか」からの抜粋ページ。
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(高浜虚子の例句)
春風や闘志抱きて丘に佇つ
(注)1913年。河東碧梧桐(自由律俳句)への対抗表明の句です。
遠山に日の当りたる枯野かな(客観写生)
去年今年貫く棒の如きもの (棒とは何か)
時ものを解決するや春を待つ (1914年)
大寒の埃のごとく人死ぬる 1941年(昭和16年)
春の山屍を埋めて空しかり (1959年 辞世句)
(注)「空しかり」とは「空然り」とも解釈できます。
(金子兜太の例句)
水脈の果 炎天の墓碑を 置きて去る (1955年)
彎曲し 火傷し 爆心地のマラソン (1961年)
梅咲いて庭中に青鮫が来ている (1978年)
夏の山国母いてわれを与太と言う (1985年?)
長寿の母うんこのように我を産みぬ (2004年)
河より掛け声 さすらいの終る その日 (2018年)
(注)「河より掛け声」は実際のことでしょうが、「三途川」を意識した辞世句でしょうか?
「虚子嫌い」や「兜太嫌い」もいますが、どちらにも熱烈な支持者がいます。
俳句に限らず、何事も好き好きですが、平和憲法を維持して多様性の社会をエンジョイしましょう。
高浜虚子は「自由にものを言えない世界大戦の時代」を「客観写生の俳句」に徹することにより生き延びましたが、平和を希求していたに違いありません。
金子兜太は「戦後の自由にものが言える時代」の平和の俳句を謳歌して大往生しました。
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