春の山屍をうめて空しかり
(1959)
(写真)
「虚子先生の思い出」
高浜虚子は宗演禅師のもとで参禅弁道をしたとのことですから、薫風士の新解釈による翻訳を一概に的外れとは言えないでしょう。
掲句は高浜虚子の辞世句といえる俳句です。(「俳句談義(1)虚子辞世句『春の山』の解釈」参照。)
次のように英訳すると、原句の句意に近い翻訳になるのではないでしょうか?
the spring mountain
stands vain
with corpses buried
チュヌの主人は掲句を「Haru no yama kabane o umete kuushikari」と読んで、下五の「空しかり」を「むなしかり」ではなく「空然り」と解釈しています。
穿ち過ぎかもしれませんが、「春の山」は単に「源頼朝」の「墓」だけでなく、自分自身を含めて様々な人々が埋められる亀谷山寿福寺の墓を指して高浜虚子が辞世の俳句として詠んだものとして、次のように英訳してみます。
the spring mountain
with corpses buried —
all are vanity
高浜虚子が掲句を詠んだ背景について、「鎌倉婦人子供会館」のHPに次のとおり解説がありました(抜粋)。
虚子は、多くの死者が眠る鎌倉の山並みを窓より見渡し、頼朝を弔う詩幅を前に、次の二句を残しました。
英霊を 弔ふ詩幅 桜生け
春の山 屍をうめて 空しかり
(「俳句談義(2):虚子辞世句『春の山』の新解釈について」参照。)
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