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(2024.7.29 更新)
冒頭の写真は吾庭に来たクマゼミです。
ここをタップして、俳句HAIKUの記事「芭蕉の足跡巡り《秋の山寺・立石寺》」をご覧下さい。
松尾芭蕉が元禄2年5月27日(1689年7月13日)に出羽国(現在の山形市)の立石寺に参詣した際に詠んだ発句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」が有名ですが、芭蕉は「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」という俳句も作っています。
この句の「けしき」に該当する漢字は「気色」と「景色」のどちらでしょうか?
「景色」を当てはめて、「蝉の声は聞こえるが、その景色を見ることはできない。」と、病で伏してやがて死ぬ身であることを嘆いている作者の気持ちを詠んだ句であると解釈することもできないことはないでしょうが、「気色」を当てはめ、蝉の命は1~2週間(?)と短いが、やがて死ぬ様な気配もなく鳴いていることを詠んだ俳句であると解釈するのが正解でしょう。
蝉は間もなく死ぬことも知らずに鳴いている、と「命の儚さ」を詠んだ句と受け止めるか、短い命でも精一杯元気に謳歌している、と解釈するか、読者の人生観次第です。
(青色の文字をクリックすると俳句の詳細や解説がご覧になれます。)
高浜虚子は終戦の年に「秋蝉も鳴き蓑虫も泣くのみぞ」という句を作っています。
「敵といふもの今は無し秋の月」「黎明を思ひ軒端の秋簾見る」と併せて読むと、「秋蝉も蓑虫も泣くのみだ。泣きたいものは思いぞんぶん泣けばよい。だが、自分は泣かない。終戦になって、自由に句作が出来る。さあこれから本番だ。」と、清々した気持ちで詠んだ句だと思われます。
正岡子規は「野分して蝉の少なきあした哉」と誰もが体験したことのあるような自然現象・季節の移ろいを句にしています。
琉球新報の記事に「『平和の願いを蝉とともに叫ぼう』仲間さん、摩文仁で詩朗読へ」という見出しで、糸満市摩文仁で行われる沖縄全戦没者追悼式で仲間里咲(りさ)さん(金武小6年)が自作の詩「平和(ふぃーわ)ぬ世界(しけー)どぅ大切(てーしち)」を朗読することが紹介されていました。
詳細はココ(http://ryukyushimpo.jp/news/entry-295999.html)をクリックしてご覧下さい。
広島や長崎の原爆忌や終戦の日は例年の如く型通りの報道がなされましたが、今年はリオ・オリンピック報道に埋もれてしまった感があります。
蝉鳴くや「ナチの手口」に嵌るなと
空蝉やポケモンGOの空け者
わだつみの声を聞けよと秋の蝉
平成の大御心や法師蝉
(薫風士)
インターネット歳時記(俳誌のSalon)を見ると、「蝉」は芭蕉の「撞鐘もひびくやうなり蝉の声」や一
茶の「蝉鳴くや我が家も石になるやうに」など2200句ほどあり、「蝉時雨」は約800句、「空蝉」は400句余り、「蝉の殻」100句余りなど、例句が約3500句あります。
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