俳句の定型とリズム

     

蟷螂の今はの際か庭履きに

蟷螂や今はの際も保護色に

蟷螂や吾庭の何処(どこ)に消え逝きし

いぼむしり何処(いずこ)に逝きし消えにけり

 

この蟷螂はごみ袋にいたカマキリが別れの挨拶に薫風士の庭履きに来ていたのかも知れないと、ふと思いました、

 

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このカレンダーの写真は、日本伝統俳句協会9月のカレンダーの一部分です。

       

9月2日は旧暦7月15日「盆の月」です

空を仰ぐと、満月が雨催いの雲に翳んでいました。

  

父がつけしわが名立子や月を仰ぐ

        (星野立子)

  

この句は6-7-6音の破調です。 

つけしわが名立子や月仰ぐ」のように助詞を省略して定型5-7-5にすると、原句の「深い趣」が無くなります。

    

俳句雑感(7) 金子兜太の『炎天』の俳句についてに於いて述べたように、俳句の内容によっては、「定型」より「字余り」を優先すべきでしょう。

  

芭蕉も「5-9-5」の破調で烏の飛び行く様子を表現しています。

  

かれ朶に烏のとまりけり秋の暮

          (芭蕉)

  

ゴミ出しの袋持つ手にいぼむしり 

        (薫風士)

     

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(写真)

路上に飛び降りた蟷螂

  

いぼむしり」は「蟷螂」の別称ですが、「螳螂」は「とうろう」と読み、カマキリのことです。

   

今朝、塵を出そうと庭に置いていたゴミ袋を手にすると、カマキリが手に触れました。

       

原句の「いぼむしり」を用いないで、「ゴミ出しの袋持つ手に蟷螂」とすると、「下五」が「字足らず」となり、「螳螂」の前に「切れ」を入れて読んでも、寸足らず・消化不良の響きになります。

この俳句で、「蟷螂やゴミ出し袋つかむ手に」とか、「ゴミ出しの袋持つ手に蟷螂よ」などのように5-7-5の定型にすると、原句の即興句の面白さがなく、「や」の場合は意味が不明瞭になり、「よ」の場合は説明的に響きます。  

古い言葉も使い方次第で現代の句作に生かすことが出来ますね。

   

漢字の読み方を変えて定型にし、リズムを整えることがあります。

ご存じでしょうが、たとえば、「小さき」は「ちいさき」と「ちさき」、」は「ひな」と「ひいな」、「入梅」は「にゅうばい」と「ついり」、百日紅」は「さるすべり」と「ひゃくじつこう」、「秋麗」は「あきうらら」と「しゅうれい」、etc. 読み方を変えて5・7・5のリズムにします。

「音」は「おと」か「ね」と読み、「女」は「おんな」・「じょ」・「め」などの読み方があり、「眼」は「め」・「がん」・「まなこ」などと読みます。

また、「コスモス」を「秋桜」と表記して「あきざくら」と読むとか、「湖」を「うみ」と詠むこともあります。

  

ちなみに、尾崎放哉の自由律俳句の代表作「咳をしても一人」は有名ですが、究極の短詩としての歴史的価値しかなく、俳句のお手本にはなりません。

この俳句(?)の真似をして自由律俳句にチャレンジしても、散文の断片にしかならず、作句は徒労に終わるでしょう

    

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